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2024.04.10:新潟駅万代口バスターミナル

建築外構造物のページに、新潟駅万代口バスターミナルを載せた。
現在JR新潟駅は大規模な再整備事業が進行中。 駅の万代口西側に位置する1958年に供用が始まった当該バスターミナルも、その対象。 広場の東側への移設に伴い先月30日に閉鎖される旨、県内在住の知り合いのブログにて目にしたのは、その四日前。 もう移設済みだと思っていたので、その記事を読んだ際には「まだ残っていたのか」などと思う一方、かつてそのターミナルを利用した時のことも思い出した。
小学生の頃、県内の長岡市に住んでいた。 毎年夏休みには北海道に帰省していたが、その際には新潟港と小樽港を結ぶ新日本海フェリーを使っていた。 新潟駅から港までは、当該ターミナル始発の路線バスに乗った。
といっても、幼少のみぎりの話。 特にその場の印象が強く記憶として残っていた訳ではない。 しかし、取り敢えず現存し、そして移設に伴い近々撤去される予定と知ると感心が沸いてくるのは人の情。 しかも知り合いのブログには、当該ターミナルの上屋の構造的魅力を的確に捉えた画像が載せられている。
ということで、バスターミナルが閉鎖された翌朝、久々に新潟駅に降り立った。

駅舎自体の再整備はかなり進捗していて、所どころに木質感が活かされた内観はいかにも今風。 南口の駅前広場は大きく変貌を遂げ、昔の面影として記憶に残るのは40年前に建てられたプラーカ新潟と名付けられた三棟の駅前ビルの存在くらい。
そして、役目を終えた万代口のバスターミナルはひっそりと静まり返る。 いずれ去り行くその風景に向けて、近辺を通行する人々が思い思いにスマホのカメラを向ける。 自撮り棒を用い配信用の動画を撮っていると思しき御仁も見受けられた。 なかなかに愛着がもたれていたのだなと実感する。 そんな人たちに交じって、私も何枚か施設の上屋を撮り納めた。

同日、近傍で運用が開始された新たなバスターミナルは、その上屋が樹形をイメージした構造体。 すなわち意匠性が強く意識されている。 一方の、廃止されたバスターミナルのそれについては建築外構造物のページに書いた通り。 機能のみを合理的に可視化した状況が逆に意匠性を纏うという逆説。 半世紀以上の時代を経た同じ用途の都市施設に対する佇まいの在り方についての価値観の変容。 その様態を見比べる良い機会となった。

2024.04.02:URまちとくらしのミュージアム

東京都北区赤羽にUR都市機構が整備した掲題の情報発信施設を内覧する。
同施設は、昨年9月に開館。 但し、前身となる施設がかつて八王子市に立地する同機構の「都市住宅技術研究所」内に設けられていた。 当時の名称は「集合住宅歴史館」。
そちらを訪ねたのはもう四半世紀近く前。 施設内に同潤会代官山アパートや晴海アパートを部分的に移築し公開していた。

歴史的建物の静態保存に関しては、通常は竣工時のオリジナルな状態に復元される。 あるいはそのために可能な限りの考証が尽くされる。 それはそれで保存対象の史料としての価値の保全と継承にとって有意であり、あるいは必然なのであろう。
しかし住宅に限った場合、それはその対象が「生きられてきた」痕跡を全て消去する行為でもある。 そうして保全されたそれらに接する際には、家の形をしたもの、あるいは家の抜け殻を眺めるような感覚を持つ。
かつて同潤会代官山アパートに関し、建て替えに伴い全住民が退去した直後に某大学の調査に同行し各住棟を巡る機会を得た。 まだ生活の気配が残る、単純的な言葉で表記すれば「生々しい」とでもいえるような強い印象を抱かせるその時の空間体験があるため、この様に捉えてしまうのかもしれない。

その点、集合住宅歴史館の展示は好ましく思えた。 竣工時のきれいな状態に復元するのではなく、取り壊し間際の状況を可能な限り保つよう意が払われていた。 だから、各種部材の経年変化も、あるいはエレベーター内に残された落書きもそのまま。 時間の堆積が克明に残されている。 特に晴海アパートのスキップアクセス住戸がとても気に入って、その場に暫し留まってゆっくりと内観を堪能した。

URまちとくらしのミュージアムの整備に伴い、それらも八王子から移設された聞いていたので久々の再開を期待していた。 しかしちょっと勝手が違う。 かつては自由に見学して下さいといった雰囲気だったけれど、新たな施設では職員によるガイド付き。 見学コースも決められ、通り一遍の説明を受けながら慌ただしく移動するのみ。 時と場所が変われば、運営方針も変わるといったところか。 それに、二度目の移設となったためか、各展示住戸も佇まいが以前とはやや異なる印象。

約90分の見学コースを巡り終えて施設の外に出ると既に夕刻。 施設建物は正面側立面が全面ガラス張りになっていて、部分移設住棟が屋内照明に浮かび上がり屋外からも視認された。 ガラスケースの中に保管された標本の如く建物のフレーム内に縦横に集積するかつての住棟の断片達を暫し眺めたのち、同行者と共に赤羽駅近傍に広がるせんべろ街へと移動したのであった。

2024.03.26:メーカー住宅私考_188
ドリゾール住宅
※1

ドリゾール式プレハブ住宅外観

木毛セメント板。
細断した木片に薬品処理を施しセメントペーストと共に板状に成形した建材。 構造耐力は無いが面強度をそれなりに有し、防火性能や調湿性もあるために主に下地材として用いられる。 その外見は巨大な「たたみいわし」といったところ。
記憶を遡る限りにおいて私が当該素材を初めて見たのは、通っていた高校の階段室に面した倉庫の天井面。 日常の見え掛かりとなる箇所では無いから、下地現しのままで仕上げは省略して構わないという判断だったのか。 あまり良い雰囲気とは思えなかったが、そこは好みの問題。 そのテクスチュアに美しさを見い出し、インテリアとして用いた事例も稀に見掛ける。

同系列の建材の製品名称として「ドリゾール」がある。 何やら薬品のような語感。 北海道では、このドリゾールを帳壁として用いたプレハブ住宅が開発され、昭和40年代前半を中心に一部で供給された。
そのうちの一社、北海道ドリゾールのプレハブ住宅※1の図面を見ると、用いたドリゾール版の厚みは100mm。 内部に鉄筋を仕込み、規格パネル化。 上下辺に埋め込んだインサートで、鉄筋コンクリート造の基礎及び柱梁フレームに固定。 また、版間にはグラスウールを挟み込み、パネル端部に施した面取り箇所にモルタルを充填、シール処理をして相互を接続する納りであった様だ。
室内側はプラスター吹付け。 外部はモルタル塗りの上に防水塗装だから、ドリゾール自体のテクスチュアは見え掛かりとしては現れぬ。 従って、目視でドリゾールが用いられているか否かは判別出来ない。
屋根は木造。 天井裏に薄いながらもグラスウールが敷き込まれたが、外表壁面は内外装共に直仕上げだから断熱層は無し。 ドリゾール自体が物性として持つ熱抵抗値にその機能が担わされた。

資料によると、施工実績は1965年の系列会社の社宅71戸に留まり、以降は住宅事業は継続されていないとある。 建材としてのドリゾールの生産が事業の中心であり、住宅供給を継続するだけの体制も需要も熟してはいなかった様だ。
同時期、道立寒地建築研究所においても同部材を用いた住宅生産の研究が進められていたが、広く普及させる成果達成には至らなかった。

国内のプレハブ住宅の草創期から興隆期にかけては、それまでに無かった(若しくは一般的では無かった)素材が採用され、あるいは開発された。 例えば、ALCやコンクリートブロック。 会社別には、ミサワホームのPALCや積水化学工業のシンセライト、積水ハウスのダインコンクリートなども挙げられよう。
軽量鉄骨構造とか木質パネル構造といった構造形式若しくは構法のみならず、建材に関しても、住宅生産の工業化に向けて様々な取り組みがなされた。 そしてそれらは淘汰と改良を経ながら現在に至っている。

2024.03.19:新建築2024年3月号

表紙は「虎ノ門ヒルズステーションタワー」の外観。
内外観共に大小様々な規模の折版構造的表現に徹した佇まいは個性的ではあるが、そんなに効果的とも思えぬ。 それよりも、外表に生じた巨大な斜面ゆえに納まりが複雑になるであろうカーテンウォールの層間をどの様に処理するのか、施工中から関心があった。 その詳細図を当該作品を紹介したページで確認してみるが、天端の雨水処理等、やや興ざめする内容。 意匠としての形態操作の有用性に理解が及ばぬ。
面開発として先行して建てられた「虎ノ門ヒルズビジネスタワー」等、三棟の超高層建物の外観との関連性も希薄。 7.5haにも及ぶ折角の大規模事業なのに、それぞれがバラバラに屹立している風景が何とも残念だ。
整った景観の不在を補うのが、足元廻りのぺディストリアンデッキであろうか。 10年前に完成した「虎ノ門ヒルズ森タワー」との連環は見事だと、これは実際に現地を訪ねてみて素直に思った。
けれども、虎ノ門ヒルズ森タワーを起点にデッキを進み、そのまま虎ノ門ヒルズステーションタワー内を貫通するアトリウムを抜けてその先にある「虎ノ門ヒルズ江戸見坂テラス」に至ると、雰囲気は一変。 その末端はすこぶる素っ気ない。 再開発エリア外への接続は、あたかも裏口の如く。 そのためか、掲載図面もその末端部分が切り取られている。 意図的な編集と捉えられなくもない。
都市軸を意識するならば、その先に立地する「THE OKURA TOKYO」の敷地内に整備された広大な「オークラ庭園」への流れを意識した設えもあり得ただろう。 開発区域外に対して露骨に無関心な処置が寂しい。

「CORNES HOUSE」も、同様に不整形な外形を持つオフィスビル。 といっても折板状の斜面の組み合わせではなく、異なるボリュームを積層したもの。 こちらはその生成事由がしっかりと解説されている。 その内容は読んでいてとても面白いし、実際に仕上がった全体像も興味深い。 風環境シミュレーションの画像も一枚掲載されているが、卓越風に対し配棟が及ぼす影響をどの様にボリューム策定にフィードバックしたのかも詳述があると、なお面白かったかもしれない。
いずれのフロアも室の形状が不整形なため、供用にあたって様々制約も生じそうだ。 しかし本社用途ゆえ、それも大きな問題とはならないのだろう。

「ジンズホールディングス東京本社」の取り組みに関する設計者の解説や同社社長へのインタビュー記事は興味深い。
再開発事業のため除却が予定されている既築物件を一棟丸ごと入手し再活用したその内観は、適度にインフィル部材が欠落し、設備や構造躯体が露わとなっている。 施設整備方針として示された「壊しながら,つくる」という状況の一瞬が固化されたかの如きその執務環境が、社長の目論見通りに組織の活性化にどの程度貢献しているのかは知る由もない。 でも、空間の在りようが組織の活動に少なからぬ影響を及ぼすとするならば、あるいは昨今の新築オフィスビルがいわゆる大企業病を蝕む環境的要因になっているとするならば、虎ノ門ヒルズステーションタワーみたいな建物が増えれば増えるほど、企業の生産性や組織の活力は失われていくのだろうか。

2024.03.12:住宅考−「僕の心のヤバイやつ」

※1
一階は南面にLDK。 北西に玄関、北東にサニタリースペース。 北側中央の折返し階段を介し二階には四室が田の字に並ぶ。 但し、玄関直上の個室は狭小。 書斎か納戸だろうか。 北西のその部屋と南西に位置する市川少年の個室の間には、ルーバー小窓と換気扇の外部フードが外観に描かれている。 トイレなのだろう。


※2
前回言及した第15話に引き続き、21話では夜間のLDKのシーンも登場。 そこでは、間接照明付きの折上げ天井が確認出来る。 15話の内観各シーンの描写と併せ、仕様の高さが覗える。


※3
バトルものとか異世界系ではなく、この様な日常系のアニメを時折視聴するのは、描写される住宅の間取りの推察が面白いためでもある。

1月30日にも当該TVアニメについてこの場で言及しているが、最近放映された20話と21話には主人公市川京太郎の住まいの内外観が多々描写された。 勿論いままでも描かれていたが、この二つの回ではそれまでには無かった様々なアングルが登場したので、少なくとも一階についてはおおまかなプランが把握できた。

外観はレモンイエローの外壁と緑色の屋根が、白色の破風と相まって爽やかな対比を生み出している。 西側接道のそれほど広くはない敷地にこじんまりと建つ、総二階切妻屋根の戸建て住宅。 取り付くサッシの位置や形状からもおおよその平面プランの想定が可能な、素直な外観だ※1
しかし、内外観の各描写を参考に具体的な平面を描き起こそうとすると、今一つスケールが一致しない。 あるいは、例えば廊下突き当りの洗面室の扉も、廊下側はレバーハンドルなのに洗面室側は引手で描かれるといった齟齬も散見される。 ということで、ちょっと自ら納得できる図面を成立させることは難しそうだ。

平面図の想定と言えば、タワーマンション内の山田杏奈の住戸も、横長リビング形式の3LDKの中住戸であることは前回言及した※2
しかしその想定と食い違うように、共用廊下側に面する山田杏奈の部屋には透明ガラスを嵌め込んだ腰窓の引違い外部開口が描かれる。 通常であればそこは網入り型板ガラスであり、更にその外側に面格子(他回の共用廊下の描写に拠れば、ルーバー面格子)が取り付けられていないと、法的にもプライバシー確保の面でもおかしい。 つまり、窓を閉めた状態では外部への眺望は叶わぬ開口の筈なのだが・・・。

物語の中で描かれる建物の内外観は、各シーンを演出するための背景でしかない。 ストーリーに沿って、都度必要な描写がなされる。 従って、プランが正確に反映される必然性は全くない。 シーンに応じ、スケールも適宜誇張や縮小等の微調整が加えられる。
それでも、恐らくは実在する住宅をモデルにしたか、あるいはリアルな間取りをしっかり設定した上で描写がなされていることは、各シーンの細かな描き込みから容易に理解できる。 例えば市川家において、キッチン背面の食器棚の脇には、二階トイレの排水竪管を収めたシャフトと思しき壁面の凸部が、LDKの出入口脇にきちんと描かれている。 ために、間取りを特定してみたいという想いが募るのだが、なかなか※3

ともあれ、市川少年が住む戸建て住宅も、そして山田杏奈が暮らすタワーマンションも、現代の住まい若しくは暮らしの一例。 すなわち、日本の佇まいの在り姿なのだなどと書いて、無理矢理このサイトにこの様な文章を載せる理由にしてしまおう。

2024.03.06:間取りを巡る偏愛

駅構内に置かれているグルメ情報や求人、あるいは不動産情報等のフリーペーパー。
少し間のことになるが、その中に「偏愛間取り」と大書きされた表紙が目に留まり、思わず手に取った。 リクルート社が提供する「SUUMO注文住宅 東京で建てる」と名付けられた月刊誌。 配布エリアによってその書名が埼玉や横浜等に変わる、家づくりを考えている人向けの情報誌だ。
果たして、偏愛を注ぐ間取りとは如何なるものかと、電車での移動中に目を通す。

内容は、タイトルから受けた想像とは全く異なり、偏愛する趣味のためのスペースを設けた間取りの事例特集。 間取りの妙ではなく、趣味に没入する部屋の紹介が主。 だから、個人的には大いに肩透かし。 間取りそのものに深い偏愛を注いた事例紹介と勝手に勘違いした私が浅はかであったということ。

私にとっての偏愛間取りというと、中学生の頃はミサワホームの企画型住宅、A型二階建てとSIII型であった。
前者は中央コア型の斬新さ、後者は田の字型の効率的な諸室配置。 そんなところに惚れ込んでいた。 双方の間取りをアレンジし、何か違うプランを導き出せないか。 あるいは、双方より優れた間取りを造れないか。 そんなことを想いながら、方眼紙に向かっていたものだった。

高校生の頃はメーカー住宅への関心は途絶えていたけれど、設計そのものへの関心を失っていた訳では無い。 老舗住宅専門月刊誌「ニューハウス」にて当時毎月企画されていた読者相手の間取りコンペに応募していた時期があった。 募集要項に応じプランを策定して編集部に送ると数か月後にその結果と講評が掲載される。
私の応募案はいずれも入選するが下位の評価ばかり。 最も高かった入選案の賞金は図書券500円。 それでも毎度、設計与件に対し自分なりの最適解を導き出すプロセスは、自身が描き出す平面図に偏愛を注ぐ行為に他ならなかった・・・としておこう。

さて、今現在の私が偏愛を注ぐ間取りはどんなものか。 何だかすっかり節操が無くなってしまい、よく判らぬ。 あるいは偏愛を注げる間取りが住み心地の良い家とも限らぬ。 そして、偏愛とは雅に言い換えれば「数寄」である。 数寄に満足の到達点など無い。 先鋭化や過剰化を伴いつつ偏執的に追い求め続けることとなる。
だから程々のところに留めつつ、例えば自身の隠居後の住まいについて、そろそろ偏愛間取りを夢想し始めてみても良さそうだ。

2024.02.27:外山文彦 展 - Landscape -

※1
参照サイト


※2
2022年6月7日及び14日の雑記帳参照。

アート作家御本人から都内の「Gallery MIRAI blanc」にて掲題の個展※1を開催する旨、案内を頂く。 そのダイレクトメールには、和紙を用いた作品が載る。 見ただけでは製作プロセスが窺い知れぬ微細な色彩模様が何とも美しく、そのままフォトスタンドに入れて室内に飾ってみたい雰囲気。
同様の手法を用いた作品を、以前この場にも書いた新潟県十日町市のギャラリー湯山にて拝見している※2。 古民家を活用したギャラリーゆえ、和室の床の間にも作品が配されていた。 軸や花を愛でるのと同じ様な、あるいは全く異なる様な、何とも不思議な心持ちで床の前に坐して暫し作品と対峙。 床の間というフレーム内における作品の配置の塩梅とか、床の間一面に塗り込められた土壁のテクスチュアと作品との対比等々、建物との関係で作品を捉えてしまう自分がいた。
しかし、作家御本人は自らのblogの中で、更に土壁の表層に顕われている模様やクラック等にまで言及。 個展開催に際し「場所の構造から作品を仕掛ける」とコメントした作家の場所に向けた洞察の深さ鋭さに恐れ入った。

そんな事々を思い出しつつ現地に向かう足が、ギャラリーが入居するマンション「ダイヤハイツサウス大森」の手前でハタと止まる。 ある程度の築年数を経た物件だが、少々気になる外観※3。 出部屋やバルコニー形状を数種設定し、それらを交互に積層させて凹凸に富んだファサードを組み立てている。 更に、各階腰壁とその層間で白の吹付タイルとレンガ調タイルを使い分けて変化を補完。 出部屋の隅角に設けられたコーナーサッシも凹凸をシャープに際立たせている。
調べてみると、1983年1月竣工。 近傍に同じく「ダイヤハイツ」の名称を冠するマンションが同じ時期に一件建てられていて、そちらも似た雰囲気の外観。 どこかのデベロッパーがこの意匠をブランディングし事業を展開していたのかなと思い更にネットを探ってみると、よく拝見するサイト「札幌ノスタルジック建築散歩」に至る。 札幌に立地する建築を中心に、貴重な情報が満載のサイト。 そこには、

ダイヤという名称は、施工した三菱建設の「菱」がその理由と考えられます

とある。 その解説と共に紹介されている札幌市内に立地する「南6条ダイヤハイツ」は、しかし大森の外観とは全く異なる。 他地域の事例も、大森物件との共通性は見い出せぬ。 外観にブランドとしての固有性を求めた訳ではなかった様だ。

閑話休題。 個展と関係のない話をつらつらと並べてしまった。
ともあれ、そんな事々を調べ、そして暫し外観を眺めたのち、道路に面して一階に位置する「Gallery MIRAI blanc」へ。
柱型やアルコーブによって平面的にクランクが多い壁面。 そして天井にも途上に梁型が横断する、そんな空間を逆に手掛かりとしながら、来訪者の視線の流れや動線を意識した作品配置がなされており、何とも心地よい。 そして、和紙へのプリントを基にしたシリーズについて改めて一つ一つの作品を凝視してみるが、やはり製作プロセスは良く判らず。 しかしそこはそれ、アートなるもの、少々ミステリアスなところを有してこそ魅力的なのである。
二年前、ギャラリー湯山では、古民家という物質の主張が強い空間と作品が対峙し、そこに新たな場を生成していた。 同じシリーズの作品が、今回は主張が排除された白一色の空間で湯山の時とは異なる魅力を醸す。 そんな差異を愉しみつつのアート鑑賞と相成った。

※3

ダイヤハイツサウス大森外観
2024.02.20:図書館三昧_20 互尊文庫
※1
旧建物については、このシリーズの第15回(2015年7月20日)でも言及している。

長岡駅前広場から西の方角に伸びる「大手通」と名付けられた駅前通りに面し、「米百俵プレイス ミライエ長岡」なる複合施設が昨年オープンした。
その敷地には元々は北陸エリアで事業を展開するデパート「大和」が建っていた。 駅前通りに軒を連ねる他の同様の店舗と共にかつては市街地の賑わいの形成に大いに貢献していたけれども、それも今は昔。 他の多くの都市と同様、商業地としてのポテンシャルが徐々に低下。 次々とデパートが撤退。 大和も例外ではなかった。 閉店後、空き店舗の状態が長く続いていたが、近年になって周辺を巻き込み再開発事業が施行。 今回の施設の完成と相成った。
街中の賑わいの演出を目論んだのか、一階の接道面には24時間往来可能な自由通路。 その通路に面して低層階には銀行。 上層階にはコワーキングスペースや市の歴史を紹介するエリアのほか、今回取り上げる「互尊文庫」が入居する。
なかなかに混淆な複合施設だ。

その「互尊文庫」は、市立の図書館でありながら何処かブックカフェのよう。 豊かな天井高のもと、本棚が迷路の様にフロア内に連なり、様々な形の椅子が適宜配置されている。 入り口には、飲食自由、おしゃべり自由と書かれた案内板。 入館者は、その掲示通りに和やかに節度を守りつつ館内利用を愉しんでいる様子。
内観には木を多用。 地元産だろうか。 フローリングの二重床が用いられているため、歩行感や歩行音が少々気にならなくもない。 その懐を利用して床下空調方式が採用されている。

暫し内観を眺めて廻ると共に目に留まった書籍を手に取り傍らの席で軽く目を通したのち、近傍に遺る当該図書館が移転する前の建物※1に向かう。
1967年築。 かつて同市に在住していた際に日常的に利用していた建物だ。 近年、DOCOMOMO JAPANの「価値ある建造物」に選定された。 隣接する公園から改めて眺める外観は、凛とした佇まい。

少し前に同窓会に出席した際、市の職員として街づくりの業務に携わる同級生に当該建物の今後について尋ねてみたら、他用途への活用が検討されているとのこと。 除却は免れるようだと一安堵しつつ、「出来れば今の雰囲気を大切にしてネ。」などと勝手な希望を返す。 すると、「少し前にも若い建築の専門家が来て「この建物カワイイ」と連発していた。一体どこら辺がカワイイのか?」と訊いてきた。 「どこがって、一階ピロティ部の杉板型枠打放しの柱の出隅がR面取りされているところとか、二階東面の連窓に極薄のコンクリート製ブリーズソレイユがビミョーな間隔で並んでいるところとか、正面玄関入ってすぐの吹抜けホールを縦に貫くRC造階段のストイックで筋肉質な踊場の上げ裏とかがチョーカワイイジャン。」と取り敢えず回答しておく。
果たして今後どのように改修され活用に供すのか。 気になるところだ。
2024.02.12:お家、見せてもらっていいですか?

下校の途上であろうか。 ランドセルを背負った少年が独り、蔦が鬱蒼と絡まった住まいを興味深げに見上げている。 表紙に描かれたそのイラストが掲題の書籍の内容を端的に示す。
住宅に関心を持つ小学三年生の家村道生が、気に掛かった住まいを訪問する物語を綴った佐久間薫著のエッセイマンガ。 取り上げられた家やその暮らしぶりは実に様々。 一つとして同じものはない。 それは道生少年の観察眼若しくは審美眼のなせるわざ。 住文化とはかくも多彩なものなのかと、ページを捲るたびにワクワクしつつ一つ一つのエピソードを堪能する。

各話の最終ページに載せられている平面図はとてもラフ。 作中に描写される内外観との整合も怪しい。 しかしそれは、自由研究の一環として道生少年が描いているという設定のため。 それがなかなか良い。 あまりにもキッチリと正確な描写だと、読む人によってはそれぞれの住まいの特徴や魅力が十分に伝わり得ぬかもしれぬ。 例えばそれは、精緻なCGよりも手描きのドローイングの方が人の心に訴えかけやすい場合もあるのと同じ。

読み進めるうちに、道生少年と過去の自分が重なってくる。 その頃の私も、気に留まった家の外観を惚れ惚れと眺め、そして内観を想像して楽しんでいた。 違いは、道生少年は積極的に住人にアプローチを掛け、家の中までお邪魔していること。 私には出来ぬ行動力だ。

家に関心を持つこと。 それは趣味としては結構マイナーな部類に属する様だ。 作中、道生少年もそのことに言及している。 私も、同じ年代の頃、同様の趣味を共有し語り合えるクラスメイトは皆無であった。 むしろ不思議がられていた。
しかし、道生少年は隣のクラスの生徒と次の様に会話をしている。

「ぼくはほら、「家」が趣味だから」
「「家」〜?変な趣味だよな」
「そうかもね、でも別にいいよ。 周りの人に「いい趣味だ」って思われるためにやっているわけじゃないからね。 大事なのは自分が楽しいかどうかだから。」

大いに意を強くするところである。 勿論、周囲に迷惑を掛けない範囲でのことではあるが。

個々の住まい探訪、そしてそこに住む人々との対話が、少年の人格形成に小さな作用として積み重なっていく。 あるいは住人達も、自身の日常について新たな気付きを得る。
そんな素敵なエピソードに接しているうちに、私も道生少年になってそれぞれの住まいを訪ねてみたくなってきた。

2024.02.06:メーカー住宅私考_187
ミサワホーム HYBRID-M マホーの家

※1
私だったらこのユニバーサルスペースをどの様に使うか。
例えば上下階共に外部サッシの位置を大幅に室内側にオフセット。 そうして確保した半屋外空間をインナーテラスやインナーバルコニーにして中間期の季節の風情を存分に愉しめる家を造るなんてことも、この構造形式ならば容易に可能だ。


※2

クボタハウスの「クボタSPH」構成概念図。
同様に両端にルームユニットを据え、双方を架構で繋いで中央に纏まった空間を創出する施工方法が提案された。

2002年発表の当該モデルについては、既にこのシリーズの75回(2017年6月11日)で言及している。 今回は、昨年末に少し述べた同社のジョイントスペースの枠組みから同モデルを眺めてみたい。

その構成は明快な両端コア方式。 東西両端にユニット工法を用いたコアを配置。 その間に水平材を架け渡し、ジョイントスペースを成す。 同社では、この方式を「ダブルコア・ジョイント工法」と呼称した。
これまでの事例においてはユニットどうしの緩衝領域として非居室の用途に供していたジョイントスペースが、面積拡張によって居室用途を収める領域へと反転する。 即ち、コア=非居室、ジョイントスペース=居室の図式が基本となる。
ジョイントスペースは無柱のユニバーサル空間。 その容積内においては如何なる居室配置も自在だ※1。 そしてこのスペースのスパンの調整により、プランバリエーションの設定、即ち敷地条件への適合性にも資する。 更にそんな構成要素の特質が外観の特徴としても巧みにデザインされ独自性を獲得する。 企画住宅としてとても興味深い取り組みだ。

外観
施工状況

この構造形式は、当該モデルが最初ではない。 1970年に旧建設・通産両省及び日本建築センター共催で開催された先導モデル事業「パイロットハウス技術考案協議」にて採択されたクボタハウスの「クボタSPH」においても同様の組み立てが構想された※2
両端に据えるユニットに挟まれた空間の名称は「フリースペース」。 ユニットとフリースペースの用途の区分けは居室と非居室に明確に分化されてはいない。 プロトプランによるとユニット部分が水廻りなどを含めた諸室。 フリースペースが、リビングダイニングルームに充てられている。

第75回でも指摘した通り、両端コア方式にて延床面積を抑えたプランを策定する場合、コア部分の面積配分が増えて先記の図式が成立しにくくなる。 実際、コアの領域に居室用途が侵食するプランバリエーションも見受けられた。
但し近年、住まいの間取りに求められる要素も変わってきた。 例えば、リモートワークスペースや、感染症予防策として疾病者の滞在スペースの確保等。 コアはそれらの室の配備に有効な面もあろう。
そういえば当該モデルでは、その発表時に社会的に高まっていた防犯対策へのニーズに対応し、コア部分にパニックルームを配する提案もなされた。 普遍的に要求される室と、それとは別に時代によって要請される室用途。 双方の受容体として両端コア形式の可能性が見い出せるかもしれぬ。

2024.01.30:僕の心のヤバいやつ

重度の中二病少年・市川京太郎と陽キャ同級生・山田杏奈が繰り広げるラブコメアニメ。 原作は桜井のりお。
昨年4月から6月までの第一期放映は、市川少年の自意識過剰っぷりがすこぶる気持ち悪く、第一話のみで視聴を断念した。 しかし今月から第二期がスタート。 大して間を置かず続編が製作されるということは、ひとかどの作品なのだろう。 それではと第二期初回の第十三話を試しに視聴。 第一期冒頭の異常性は消え失せ、何やらすっかりアオハルものと化している。 終盤、クライメイト達の粋なフォローによって二人が対面する場面などは、牛尾憲輔の劇伴と相まって思わずウルっとさせられた。 以降、視聴継続と相成っている。

市川少年の自意識過剰・・・というよりも自己否定っぷりは相変わらず。 それがタイトルに表象されている訳だけれども、さりとてそこで示されている「僕」とは、市川少年のみの一人称に非ず。 視聴者個々人をも指しているのではないか。 多寡や若干の相違はあれど、市川少年と同じ時期に心の中に宿していたかもしれぬ同種のもの。 あるいは忘却に付されつつ今現在に至っても深層に刻み込まれたままとなっている「ヤバいやつ」。 市川少年や他の登場人物達の言動を介しそれらがジワジワとほじくり返されてしまう様な気恥しさともどかしさに窒息しかけながら、自嘲若しくは自虐の念と共に物語と対峙する。

十四話及び十五話では山田杏奈の自宅が描かれる。 敷地境界に沿って高い塀を巡らせ、そして住棟中央にボイドを内包したゲーテッド型タワーマンション。
住戸の間取りは典型的な横長リビング型マンション田の字。 つまり行燈部屋が生じるプランだ。 山田家においても、リビングと二枚引き違い建具で続き間となった中洋室が確認できる。 闇に閉ざされたその部屋に籠る山田杏奈の父親が建具越しにLDKの様子を窺うシーンが登場するが、その場面の演出を鑑み当該プラン形式が選択されたのならば面白い。
中間階ながらも住戸面積は広いし、目黒区という立地条件を鑑みれば購入価格はそれなりだったと思われる。 明らかにコミュ障な父親はフレンチのオーナーシェフとのことだが、儲かっているのだな。
作中、市川少年及び同じクラスの女子が山田家のタワーマンションの前を往来する場面では、敷地境界の高塀が永遠に続くかの如く描かれる。 人の身長をゆうに超える尊大なその壁によって周辺環境から孤絶した様相が殊更に強調される。 しかしそれでも尚、学校というコミュニティを介して外部の者(市川少年達)が自然且つ容易に閉域の内側に進入する。 そして山田杏奈の父親と市川少年とのテレビゲームを通じたぎこちない人間関係も取り敢えずは生成された。 様々評価されるゲーテッドコミュニティの実相は、そんなところなのかもしれない。

原作の漫画は未読。 アニメ以上に濃くて癖のある作風らしい。
果たしてこれからどのように物語が展開しますやら。

2024.01.23:和室とは

1月17日付の読売新聞にて「和室文化の無形文化遺産登録目指す…推進団体が3月発足」との見出しを目にした際、このネタであれば当然あの方と、そしてあの方の名前も記事に出てくるのだろうなと思いながら読み進めたら、実際にその通りであった。
松村秀一と内田青蔵の御両名。 瞬時にそう思ったのは、お二方が執筆に携われた「和室学 世界で日本にしかない空間」と題する書籍に接していたため。 複数の研究者が、それぞれの専門分野の知見に基づき和室文化について語った意義深い一冊。
しかし浅学な私は、読んでみても結局のところ「和室って何?」「何をもって和室とするのか」といった点はよく解らなかった。 畳が敷き込まれていれば和室なのか。 和室には床の間は必須なのか。 伝統的な素材や形態に拠らず現代的な解釈で再構成された部屋を、果たして和室と呼んでよいのだろうか。

記事の中で「近年、住宅の和室や畳スペースは減少傾向にある」と指摘している通り、日本の佇まいとしてのその立ち位置は急激に変化している。 併せて、和室空間を前提に季節ごとの室礼の演出を習慣として嗜んできた古来からの生活様態が縮退している事実も否定できぬ。

とはいえ、ユネスコへの無形文化遺産登録には、少々斜に構えたくなる面が無きにしも非ず。 それは細野不二彦著の「ギャラリー・フェイク」の読み過ぎか。 同作品第34巻所収の「ニセ大仏始末記」の中で、主人公の藤田玲司は、世界遺産登録に係る書類作成業務に忙殺される文化庁嘱託職員に対し憐憫のニュアンスを込めて以下の様に語っている。

ああ、世界遺産などまったくくだらんねぇ。
日本の文化財はすでに日本人が美と価値を認めて、世界に誇っているというに、なにゆえ今さら国連の小役人たちにコビる必要があるのか?

藤田らしい発言ではあるが、しかし和室はこの極論に当てはまりはしないか。 果たして和室文化は、その保持を目的に“遺産”として国連のお墨付きを要する状況にまで陥っているのだろうか。
少なくともこの日本において、伝統や文化と呼ばれるものの多くは、例えば「ジャパネスキゼーション」等の言葉に象徴されるように、異文化の受容を基底にその時々の価値観や状況に応じ変容を重ね醸成されてきた。 現時点の和室の立ち位置もその渦中にあり、衰退や淘汰の過程ではないのかもしれぬ。

取り敢えず単純には未だ多くの日本人にとって辛うじて共通認識の下に捉えられ得る空間ゆえに、その位置づけがあまりにも安易に取り扱われている面も無きにしも非ず。 だから、改めて考えなければならぬ。 現時点における和室とは、何か。 そして保持・継承すべき和室文化とは、一体何か。
登録はともかく、推進団体の活動がそんな思索を世に広める契機となれば、有意だと思う。

2024.01.15:メーカー住宅私考_186
雑誌広告に付随する綴じ込みハガキ〜
岩谷産業 イワタニハウス

※1
「木の洋館」外観


※2
同社の当時の商品体系と奥山陽子のデザイン監修については、この場でも2007年10月20日に言及している。

1971年から87年にかけて、日本経済新聞社から「ハウジング百科」と名付けられた住宅専門の年鑑が出版されていた。

その1980年版の途中ページに、岩谷産業が往時発売していたイワタニハウス「木の洋館」※1の広告が掲載されている。 ツーバイフォー工法が用いられたモデルだ。
キャッチコピーには、「ツーバイフォーよもっと美しさを語りなさい。」とある。 同じ年、渡辺真知子の「唇よ、熱く君を語れ」と題する曲がヒットしている。 構文が似ているが、単なる偶然か。

当該モデルを含め、当時の同社の商品開発には、デザイン監修として建築家の奥山陽子が参画していた旨、「ハウジング情報(現、HOUSING by suumo)」の創刊号(1984年1月刊)に載る同氏への取材記事で紹介されている。 同じ工法を用いた三井ホームの商品群とはテイストを異にする内外観を備えたモデルが、氏によって体系化されていた※2

同広告に添えられて同社宛の資料請求用ハガキが綴じ込まれている。
そこには、資料の送付に必要な事項の記入欄のほか、同時期に同社が発表していた他モデルの紹介も添えられている。 表側には「白い洋館」。 裏面には「新数寄屋」。

※3
「新数寄屋」の意匠にも奥山陽子が関与していたのかは不明。 本文に記したハウジング情報誌のインタビュー記事には、同社の洋風シリーズの監修を行っている旨が記述されている。
綴じ込みハガキ表側
同、裏面

「白い洋館」は、内外観共に簡素に纏めながらも玄関廻りに吹き抜けとスキップフロアを設けて個性を出したモデル。 「新数寄屋」はその名の通り、和風のモデル※3。 ツーバイフォーで和風を表現した稀少事例として、このシリーズの第44回(2014年7月22日)にも書いた。 その際は外観のみ言及したが、ハガキに載るプラン事例もとても興味深い。 機会を改め取り上げてみたいと思う。

ページ数が膨大な雑誌の場合、巻頭に載せられるものに比してページ途上の広告は目に付きにくい。 ために、厚手のハガキが挟み込まれていると、それが栞となって目を留めてもらい易くなる効果が期待される。
広告の埋没を防いで読者を惹きつけ、更にハガキにも「木の洋館」とは雰囲気を異にするモデルを併載し「弊社はあらゆる御要望にお応えします」とアピール。 更に、そこには「奥様アンケート」と称する簡単な記入欄も設けられている。 質問事項はいずれも妻の趣味嗜好に関わる内容。 家づくりの主導権が一般的に夫ではなく妻にあると見据え、アプローチを試みたものだ。 ほぼ同じ時期に発売されていた積水化学工業のセキスイハイムM3NEWにも、「お前が良いというならば」との宣伝文句が用いられた。 意図は同じ。

綴じ込みハガキには、所与の目的以外の様々な役割が付与されている。

2024.01.09:年末年始

右は、今年の年賀状に用いた画像。 山梨県内で撮った欅の巨樹を見上げたもの。
毎年作る年賀状は、干支を全く意識していない。 しかし今年の紙面に載せる画像を選んでいる際に、フとこのデータが目に留まった。 樹齢三百年以上といわれる堂々とした樹形が、躍動感たっぷりに空に向かおうとする龍の様に無理矢理見立てられなくもない。 そして毎年豊かな緑量を湛えるその生命力。 力強さ。 何だか年賀状のネタとしてピッタリかもネ、と思い使ってみた。

とはいえ、しょせん私が撮った写真。 豪放な樹幹やたっぷりとした枝の張り具合は全く映し込めていない。 しかしそこはそれ、「磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談義」の中で、磯崎御大も次の様に述べていらっしゃる。

カメラは一点透視しかできない。 人間が見るものの何万分の一の一瞬を定着させるだけです。 脳の内部のイメージなどは再現不能です。

だから、ここは開き直ってしまおう。
この書籍。 年末年始の帰省中に地元の図書館で借りて読んでみた。 庭園を巡る壮大な知のバトル。 終始目から鱗状態のまま大いにその言説を愉しんだ。

ところで、藤森照信は「日経アーキテクチュアNo.1234(2023.2.23号)」の追悼特集「闘争と矛盾の磯崎新」にて故人について以下のコメントを寄せている。

磯崎さんは日常の生活と植物には本当に興味がなかった。(中略) 水戸芸術館の広場の道路寄りに木が植えてある。 当時アトリエで担当していた青木淳くんが、このままではあまりにも無機質だからと植えたそうだ。

ハッとさせられるコメントであった。 氏の作品を想い返してみると、確かにその規模や用途に拠らずいずれも超然とした佇まいゆえに敷地内外の緑の印象が希薄かもしれない。
書籍に収録された対談において、藤森照信はこの意識のもと臨んでいたのではないかと思しき下りが散見される。 対する磯崎新の応答をどう受け止めて次の発言へ繋げたのか・・・等々を思い巡らせつつ、雪景色が愛でられる窓際の椅子に身を沈め読書に耽る。
そんな年末年始であった。

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