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2018.09.21:メーカー住宅私考_97
第一木工−グリーンゲイブルズ

第一木工(現、GLホーム)のモデルについては、「住宅メーカーの住宅」のページに一例載せている。 1981年に発売されたギャラリーIIという名称のそのモデルは、スキップフロアを基本骨格に据えて半地下室から屋上バルコニーまで6層で構成される住空間を提案したものであった。
その流れに与しつつ、間口が限られた狭小敷地への対応を試みたと思われる商品が、1985年発売のこのグリーンゲイブルズになる。 建物全体を南北に分け、それぞれを半層ずつずらして階段で繋げる構成はギャラリーIIと同じ。 しかし、建物間口を抑えて狭小敷地への適応性を高め、更に最下層をインナーガレージにあてがうことで土地利用効率を高めているところが異なる。

モデル名称にちなんで、広告のキャラクターには赤毛のアンを起用。 そして外観も、緑色の屋根葺材と白いサイディングとの鮮やかな対比によって赤毛のアンの家の要素をイメージの中に組み込むことを狙った様だ。
田園風景の中にゆったりと建つ赤毛のアンの家を、スキップフロアを駆使して都市型住宅に置換するという発想。 若しくは、厳しい都市居住の条件下にあって物語の世界にすがることで商品に独自性を付与しようというやや物哀しい現実。
ともあれ、本家とは全く縁が無いのであろうスキップフロアの導入により、通常のフロア構成とは異なる変化に富んだ内部空間を獲得している。

広告等で紹介されている代表プランは、北側接道を想定したもの。
その前面道路に面して半地下状となったインナーガレージを設置。 脇に取り付く外部階段を半層昇って玄関に至る。 玄関を開けると、横に北向きのリビングルームが接続。 このリビングはちょうど半地下のインナーガレージの直上に位置する。 北側リビングというのは変則的であるが、玄関が北向きであることを鑑みるならば、接客動線の効率化を優先させた割り切った考え方。 この北向きリビングの南面に大きな開口が穿たれ、半層下がった(つまり地盤レベルの)南面ダイニングキッチンに連携する。 スキップフロアを活かして独立性と空間の広がり、そして北向きリビングに南面の採光を取り込む空間操作が巧みだ。 これらLDK空間の上に、建物中央に設けた階段を介して南北に半層づつずれながら個室が連なり、最上階のルーフバルコニーに至る。
広告に載せられた「敷地が狭いからってあきらめないで」というキャッチコピー、あるいは同じく広告上のモデル名称に添えられた「Little&Rich」という言葉そのままに、限られた屋内に階段の昇降による変化を与えることで狭隘さを払拭すると共に商品としての魅力付けを行い、日常生活への豊かさを確保する。 そんな個性的な内部空間ではあるが、都市型狭小住宅においてこの様な手法は現状特殊解という位置付けであろう。

2018.09.13:藤森建築二題

八月上旬に掛川を訪ねた折、現地で会った知人から当サイトについて「静岡が空白地帯ですよネ」との感想を頂いた。 なるほど確かにそうだ。 と同時に空白なのは何も静岡エリアだけではない。 傾向として西日本が弱い。 これは今までの居住地や勤務地と大いに関連する。 とりわけ九州がなかなかに寂しい状況で、そのうちゆっくりと各地を訪ねてみたいと思っているところではあるのだが。
閑話休題。 本人に向かって空白地帯と言い放ったからにはその発言の責任を取って貰いましょう・・・などと手前勝手な理由を付けた訳では無いけれど、取り敢えずは空白を少しでも埋めるべく車で方々案内して頂いた。 その際、藤森照信の作品も二題拝見する。

いずれも美術館。
その一つが、掛川市内に建つ「ねむの木こども美術館」。 道路を挟んで向かい側に整備されている駐車場に車を止めて見上げる外観は、なぜか建物の裏側。 これはアプローチ経路の設定として如何なものかと怪訝に思いつつ、建物にアクセス。 館内で受付を済ませると、なぜかそのまま奥の扉から一旦屋外に出て展示室に向かうように指示される。 これまた腑に落ちぬまま扉を開けると、そこにはなだらかな傾斜を伴う地被で覆われた庭がゆったりと広がる。 その広場を目一杯迂回するようにUの字の小路が取り付き、来館者はそこを歩いて展示室に向かう。
美術館における動線の延伸は、作品に対峙する気分に切り替えるための常套手段。 一旦外に出して大きく迂回する通路を巡らせ、その際に視点の移動を伴う建物の「表側」の外観を堪能させる仕掛けはとても面白い。 恐らく安藤忠雄であれば、通路に沿って目線をはるかに超える高さのコンクリート打ち放しの塀をめぐらせ、容易に対象物が臨めぬように造作。 巡り巡って辿り着く寸前に一気に視界を開放する演出を企てるのであろう。 しかしここではそういった作為は一切無し。 あっけらかんと全てを現わしつつ、小路を巡る際の視線の移動に伴う外観の様々なアングルを存分に愉しませてくれる。
但し、その際に臨む建物全景は他の藤森作品とは趣を異とし、ややメルヘンチック。 それは建物用途に沿った対応に基づくものなのだろうか・・・などと思いつつ展示室へ。 展示作品はいずれもとても素晴らしい。 そして展示空間は、それらに抗わぬ雰囲気を醸しつつ、しかし藤森照信の世界で満たされていた。

もう一つ、浜松市に立地する「秋山不矩美術館」も訪ねる。
ちょうど特別展「藤森照信展」が開催中。 一本の丸太から荒々しく削り出した建築模型が新鮮。 そして各種素材のディテールに関する展示も興味深かった。
しかし、美術館としての館内の動線計画にはちょっと首を傾げることに。 特に一階展示室と二階展示室の連携は少々如何なものかと思う。 あるいは館内の所々に「音が響く空間なので鑑賞は静かに」といった注意書きの張り紙。 左官や自然素材で仕上げられた柔らかな雰囲気の屋内空間は、しかし音響面では決して柔らかなものでは無いらしい。
一方、外部のざっくりとした土壁風の仕上げは流石、と思う。 ツルツルピカピカな均質の仕上げが主流の世の中にあってこの質感を出すことはなかなか難しい筈で、それを大きなスケールで実現していることに驚く。

藤森建築はとても不思議だ。 どこかで見たことがある様な懐かしさを帯びつつ、しかしその参照先を見い出すことは不可能。 あるいは内外観共に素朴もしくは粗野な印象にて貫かれている様でいて、しかしそれを建築作品として成立させるために実は周到な検討が行われ、あるいは結構無理もしている。
緻密に仕組まれた質朴さ。 二つの美術館建築に触れ、更に藤森照信展を見てそんなことを考えることとなったが、そのきっかけを与えてくれた知人に感謝します。

2018.09.05:ゴードン・マッタ=クラーク展
※1
「徘徊と日常」のページで2018年2月18日に当該「アート」について書いた。
※2

ダンボールを用いて作られた1/8スケールの同模型の一部分。
会場は基本的に撮影可。そしてネットへの掲載も可ということで、ここに載せる。
※3

建物調査のため、界壁に円形の孔が開けられた文化湯内観。
同調査は、まだ生活感の痕跡を有する代官山アパートを子細に見学出来る貴重な機会であった。

東京国立近代美術館にて開催中の掲題の企画展を観た。
この作家のことは、同館のサイトに載せられた企画展の概要にて初めて知った。 そこには、「スプリッティング」と名付けられた代表作の画像が載せられている。 それは何の変哲もない一軒家を縦方向に真っ二つに切断したもの。 これを「アート作品」と受けとめて良いものなのかと訝しく思う。
果たして展示されている内容は、第一印象としてのこの訝しさそのままのものなのか。 それとも別の何かを見い出すことが出来るものなのか。 そんなことへの興味から、同展に足を運んだ。

同館最寄りの東京メトロ東西線竹橋駅のコンコースのタイル壁面に施された「テープアート※1」は未だ顕在。 こちらの方がよっぽどアートとして判り易い。 この際、大々的に行われている構内の改修に関し、この仮設の「作品」を活かしたインテリアで纏めても良いのではないかなどと勝手なことを考えながら、美術館に到着。 最初の展示室に足を踏み入れる。
その途端、サイトを観た際の第一印象は覆された。 最初に目に飛び込む「サーカスまたはカリビアン・オレンジ」の巨大再現模型※2はとても見応えがあった。 解体間際の事務所ビル内の界壁および界床の所々に円弧のカッティングを施す。 それによって何の変哲もない事務室に新たな視野や採光がもたらされ、そこに崇高な空間性を付与する試み。 解体されることが前提の建物であるが故に構造的与件を不問とした工作が可能であり、と同時にそれは期間限定のインスタレーションの域を超えることは無い。 それでも、その発想や取組みはとても面白い。

円弧による穿孔というと、かつて同潤会代官山アパートの建て替えに伴う住人退去直後に実施された建物調査に同行する機会を得た時のことを思い出した。 その際、団地内の銭湯「文化湯」の男湯と女湯の仕切り壁に円形の巨大な孔が穿たれた※3。 それによって界壁の構造が煉瓦積みであることを見知った訳だけれども、しかしそのカッティングによってそこに新たな空間性が獲得されていた訳ではない。 それは単なる躯体調査の一環で行われた穿孔に過ぎぬ。 建物の形態や特徴を捉え、そこに施すカッティングによって如何に空間を変容させるか。 その意識の有無が、アートと調査の境界を分かつ。

そんな視点で他の作品も観て廻ったが、その多くは極めてアナーキーな活動。 恐らく作者がまだ若かったから、あるいは70年代という時代が、その様な行為の実行と、そしてその行為を許容する余地を持ち得ていたのかもしれぬ。 その後御本人が歳を重ねそして何かと窮屈な現代において同様のことが可能かといえば、なかなかに難しかろう。 若くして亡くなられたこと、そしてそれが故に活動期間も極めて短かいものに終わってしまった訳だけれども、果たして今も健在であった場合どの様な創作活動を展開していたことだろう。

ともあれ、作者が建築や都市にそそぐ視点や行為はいずれも鋭く、そして意外性に満ちている。 事前の印象とは異なりとても興味深い個展であった。

2018.08.28:メーカー住宅私考_96
メーカーにおける個人の存在

設計事務所の意匠決定プロセスにおける代表者の立ち居振る舞いは大きく二通りあるという話を時折耳にする。
一つが、トップ自らが手を動かして細部まで決定し、スタッフはそれを設計図書に翻訳する作業に徹する上意下達型。 もう一つがその逆。 スタッフ達を競わせて案を捻り出させ、それらをもとに一つの作品に収斂させてゆくタイプ。
他の様態もあるのかもしれぬ。 しかし、組織の規模や形態若しくは個々のプロジェクトの性格に応じ概ねいずれかに傾斜しつつ運営が図られているのではないか。

では住宅メーカーの場合はどうか。
何らかのブランドを構築する、あるいは企画型の住宅を商品化する際のプロセスは後者の傾向が強くなるのであろう。 しかし、昭和50年代にミサワホームが次々と世に送り出した企画住宅の意匠決定プロセスにおいては、特定個人の存在が常に付き纏う。
その個人名をこの場に勝手に表記することはあまり芳しいことではないのかもしれぬ。 しかし例えば、当時の同社の動向を仔細に追跡した内橋克人著の企業ルポルタージュ「続々続々匠の時代」においても主要人物として頻繁に登場するその御仁は、同書によると社内では「マルサトさん」という愛称で呼ばれていたのだそうだ。 とうことで、以下においては最大限の敬意を込めてこの愛称を用いながらこの人物について少々言及してみたい。

この書籍において、マルサト氏の活躍は同社の草創期に遡り、そしてかのミサワホームO型の内外観意匠の取り纏めや、同時期に発表されたSIII型やM型2リビング等にも及ぶ。
同社は、創業者にして長らく同社の社長であった三澤千代治御自身が建築学科卒業の技術者であり、稀有のアイデアマンであるとの評価が高い。 マルサト氏は、怒涛の如く提示される社長のアイデアに具体的な意匠性を与えて商品としての全体像を纏め上げるセクションのリーダーであった。
SIII型は、直方体の建物ボリュームにソーラーシステムを搭載するという意匠を詰める上で極めて困難な与条件に対し、和の雰囲気を付与した内外観によってものの見事に魅力的な商品に昇華させた名作。 その外観は純粋な和風のディテールや規範を正確にトレースしている訳では無いものの、しかし「和風」の情緒を備えて四間四方の小ぶりな住宅とは思えぬ風格を実現した。 更に内観も、その狭小なボリュームに六畳以上の広さの部屋を6室も無理なく納めるという極めて効率的な間取りであるがために陥りそうな空間認識としての窮屈さを、外観同様の和感の付与をもって十分に補っている。 白木をベースにインテリアを和風に整えるという方針は、タイトなスケジュールに追われる中で締め切りに間に合わせるため誰にも相談せずマルサト氏が独断で決めた旨が「匠の時代」に書かれている。 ほぼ纏まりかけた頃合いに、避けていた社長に社内で捕まりしぶしぶ報告、その場で承認されるシーンが臨場感たっぷりに同書に描かれている。
M型2リビングは、発売されて間もない頃に居住地近傍の新興住宅地内で建売分譲されたものを実見する機会があった。 その時は、大して印象には残らなかった。 当時中学生であった私には、性格の異なるリビングを二つ設える意味やそれぞれの空間における生活シーン等、その魅力を読み解くにはちょっと高度過ぎるモデルであったのかもしれぬ。 最近、中古住宅で売りに出されている同モデルの広告をウェブ上で見かけた。 豊富に掲載された内観写真に目を通すと、隅々まで練り尽くされたモデルであることがよく判る。 出来れば再見し、改めてそれらのディテールを堪能していみたいものだ。 このモデルも、マルサト氏が開発初期段階から手塩にかけていたものであったことが、「匠の時代」に書かれている。

昭和50年代の同社は、これら三つのモデルを含む「GOMASシリーズ」と呼ばれる企画住宅群を主力商品体系として飛ぶ鳥を落とすが如き怒涛の事業展開を図っていた。 それらのモデルの意匠取り纏めの中心にマルサト氏がいた、あるいは深く関わっていた様だ。
そんな同社も、昭和60年代に入ると、軸足を自由設計路線に置き始めた。 以降の動向については、あまり冴えぬという印象しか持っていない。 それを期に、同社のみならず住宅メーカーそのものに対する興味を急速に失ったことは、この場に何度か書いている。
しかし1989年、久々に同社からミサワホームらしいネという印象の企画型モデルが発表された。 「NEAT INNOVATOR」と名付けられたそのモデルに関する当時の専門誌の記事を数年前に国会図書館で検索・閲覧していた折、デザイン担当者として同モデルの模型の傍らに立つマルサト氏を捉えた写真が掲載された紙面をみつけた。 「匠の時代」にてその名前を知ってから三十年以上を経て初めて拝見するその容姿は、意外にもイメージ通りであった。 そして、個人的にミサワホームらしいと思える意匠というと、この方が手掛けたモデルということなのかもしれぬ。

住宅メーカーの開発プロセスに関わる資料に個人名が出てくることは少ない。 「匠の時代」の様な企業ルポルタージュものや、あるいは例えば「ハコの産業」という著書は敢えて企業の個人に焦点をあてた数少ない例であろう。
しかし、そこに掲載された方々以外にも多彩な顔ぶれがある筈だ。 それらの人々が、冒頭に述べた二種の運営様態のうちのいずれの立ち居振る舞いで職務を推進されて来たのか。 そんなことに今は興味がある。

2018.08.23:はたらく細胞/ハルさんの休日

八月半ばのお盆休みは9日間確保。 いつもの様に北海道に帰省した。
しかしほぼ毎日雨模様。 従って家の中でゆっくりと過ごすことになる。 といっても、以前もこの場に書いたことがあるが、私は雨天が嫌いではない。 むしろ好きである。 家の窓先から借景として臨む近傍の木々も、降雨を受けて活き活きとした緑をみせ、そこに冷涼な大気が吹き抜ける。 苛烈な夏の陽光がギラギラと照りつける酷暑よりは余程良い。
ということで、まったりと北の夏を満喫する。

とはいえ、家の中で出来ることなど限られている。 読書に耽るかテレビを視るか。 しかし日常において私はあまりテレビを視ることはない。 平日の朝、時計代わりに惰性で点けておく程度。 一旦嵌った番組があると、(例えば「月がきれい」みたいに)それはそれでドップリと視聴し続けることになるし、あるいはその後も録画を何度も何度も再生することになるのだけれども、そんなことは稀。 普段視ないから目当ての番組がある訳でもなく、「サテ、何を見ようか」と新聞のテレビ番組表に久々に目を通す。
その際、「はたらく細胞」という番組が目に留まった。 内容を確認してみると、体内の各種細胞の働きをストーリーに仕立てたアニメ。 どうせ視るならば少しでも知識となりそうなものが良かろうということで視聴してみると、これがなかなか面白い。 細胞それぞれの特徴をうまく擬人化したキャラクターデザインも良いし、体内を巨大な都市と見立てるその背景描写も興味深い。
休暇中に放映された6話と7話は、がん細胞と免疫細胞達の壮絶なバトル。 最終話かと思わせるような大団円に思わず見入ってしまった。
5話以前のエピソードをネットで確認してみると、いずれも細菌や異物と免疫細胞達の戦いをストーリの根幹に据えている様だ。 1クールの折り返しのタイミングに、そんなストーリ立てのクライマックスを持ってきたといったところか。 しかし体内の各種細胞達の機能や特徴はそれだけには留まるまい。 がん細胞とのバトルを(取り敢えず)終え、今後どの様な展開をみせるのだろう。

休日中に視た番組はもう一つ。 NHK-Eテレで放映している「ふるカフェ系 ハルさんの休日」。
この番組については、以前もこの場で言及したことがある。 古民家をリノベーションした各地のカフェをドラマ仕立てで紹介する番組。 親が気を利かせて数か月分を録り溜めておいてくれていた。 否、視ようと思えば日頃視ても良い番組だとは思っているのだけれども、あまりテレビを視る習慣が無いとどうしてもね。 ということで一気に視聴する。
主人公・真田ハルに扮する渡部豪太の演技は相変わらずとても良い味を出している。 良い味を出し過ぎていて視ていてハラハラする場面も無きにしも非ず。 しかし考えてみれば、建物鑑賞の際に知らず知らずのうちに似た様な偏執的行為に及んでいるかもしれぬ自分の姿がそこに重ならぬ訳でもない。 気を付けなければ。

2018.08.19:南千里雑記
※1
同企画展については、当ページで7月9日に少々書いている。

千里竹見台団地に屹立する高層スターハウスが建替えられることを知ったのは、吹田市立博物館で開催された企画展「ニュータウン誕生−千里&多摩ニュータウンに見る都市計画と人々※1」の展示図録中の記述。 二棟が建て替えられ、一棟は地域のシンボルとして保全されるという。

当該物件を初めて観たのは、2016年の年末。 訪問にあたってネットで事前に調べたところ、三棟が建ち並ぶ雄姿を高所から撮った写真が散見される。 どこから撮ったのだろうと思い地図で周囲を確認すると、団地の最寄り駅である阪急千里線南千里の近傍にビジネスホテル「南千里クリスタルホテル」が建つ。 なるほど、そのホテルの高層階から撮影したのだろうと思い、大阪出張時にそのホテルに宿泊予約を入れた。

仕事を終え、現地に移動。 駅舎から駅前広場の真上をペデストリアンデッキがホテルに直結する。
そのデッキを歩行中、数名がビラを配りながら呼びかけを行っている。 何だろうと思ったら、地元の高校の吹奏楽部が行う定期演奏会の案内。 約一時間後に駅近傍の公共施設「千里ニュータウンプラザ」内の大ホールで催されるという。 特に予定も無かったので、ホテルにチェックインして一息ついたのち会場に向かう。
受付で手渡されたプログラムの中に「セカンド・バトル」という曲目を見つけ、「え、随分難しい曲を演るんだネ」と興味が沸く。 演奏会は、部員が幾つかのグループに分かれて日頃の練習の成果を披露。 まぁ、そのレベルは様々。
中盤になって、件の曲を演奏する女子五人組が登壇。 さて、どんな演奏をするのかと思ったら完璧な出来栄え。 驚いた。 このプログラムを聴けただけでも立ち寄る価値が有ったネと素直に思える素晴らしい演奏であった。
予期せぬイベントに遭遇して少し良い気分に浸りつつホテルに戻る。

翌朝、泊まった客室の窓から外を眺めるが目的としていたアングルは得られず。 一棟がホテル自体の外壁面に阻まれて視界から外れ、三棟が泰然と並ぶ姿を拝むことが叶わぬ。 客室以外に俯瞰アングルを撮影可能な場所が館内に無いかと探してみたが見当たらない。
仕方がないので、開放制限付きのため殆ど開かぬ客室の縦軸回転窓を可能な限り開放し、その僅かな隙間から腕をニョッキリと外に出して風景を無理矢理カメラに収めてみた。 それが右の画像。
右側に少し写っているのが泊まったホテルの外壁。 その向こう側の、豊かに育った緑の中に屹立する二棟の佇まいは悪くは無い。 しかしY字型平面形状を持つスターハウスの特徴がうまく捉えられていない。
撮り直しを試みるべく何度かチャレンジしてみるが、しかし私の泊まった部屋はちょうど駅前広場に面していた。 広場を行き交う人々の中には、最上階の開口部から腕を必死になって外に伸ばしている私に気付き不審に思う人もいるだろうから、大っぴらに何度も試せるものではない。 私にも一応良識というものがありますからね。
ということで目論みが外れてしまったので地上に降りて現地に向かい、鋭角二等辺三角形の各頂点に配棟されるように建ち並ぶ三棟の高層スターハウスが織り成す群景を存分に堪能。 当時は、まさか建て替えの計画があるとは思わなかった。 果たしてどの様な住棟に生まれ変わるのか。 建替えによる変容を伴いつつも象徴的風景としての構造が継承されることを期待したいところではある。

2018.08.07:ディズニーランダゼイションとリトル東京
※1

掛川大手門駐車場。
その名の通り、近年復元された掛川城大手門の近傍に位置する。 頂部に瓦屋根を載せ、壁面の開口にも竪格子を取り付けて和風を演出している。
※2

地区計画に則り形成された“城下町風”な街並みの一部

先週の土曜日に掛川市を訪ねたのは、そこから車で一時間程度の移動を要する山あいに最近移住した知人の家にお邪魔するため。
その待ち合わせ場所として掛川駅が指定された。 しかし掛川自体も歩き回ったことが無い街だ。 ということで、待ち合わせ時刻の二時間前に同駅に到着。 周辺を散策することとした。

掛川市と聞いてすぐに思い浮かぶのが、「掛川市城下町風街づくり地区計画」と称する市内中心部を対象とした景観行政。 市街中心部に鎮座する掛川城に対する景観的配慮に関するデザインガイドラインを纏めた地区計画に則った城郭風の建物が対象エリアに面的に散在する。 代表事例としての自走式駐車場※1の記事を建築専門誌で目にして以降、そのディズニーランダゼイションな風景が記憶の片隅に残っていた。 その自走駐や、あるいは他の事例を目視すべく駅の北口から延びる駅前通りを、対象エリアに向けて北進した。
例えば高層マンション。 そして公共施設。 更には店舗併設住居等々。 それらに施された明らかにソレと思われる意匠※2は、なるほど確かに掛川城という市域のシンボルに対する表層上の配慮と見て取れぬ訳では無い。 あるいは、その様な配慮を欠いた建物が陸続と建ち並ぶ中に歴史的建造物が異物の如く残置するという国内の何処でも見かけるありふれた哀しき風景を想う時、決して無下に否定されるべきものとも思えぬ。 しかし例えば、かつての城下町において町人の所有建物に城郭的な構えを施すことが認められていたのかといった時代考証も含め、単純に肯定的な捉え方が可能というものでもない。 ためにそれらに向ける視線は、掛川城との調和の妙というよりは、全く異なる建築用途の上っ面にソレ風を装う擬態の具体的手法、あるいはそんな擬態に溢れる都市という現象への興味といった点に限られることとなる。

そんな観点で市内を散策している折、もう一つの興味深い佇まいを見付けた。
それは、駅前通りに直交して東西に延びる道路の両側に形成された連雀町商店街の景観※3,4。 そこには、同一もしくは類似する外表を纏った二階建てないしは三階建ての長屋建て形式の建物が歯抜けに建ち並ぶ。 それらはいずれも水平連窓をアルミスパンドレルで挟んだ立面を成す。 その装いから、建築年は昭和30年代から40年代辺りと想定可能。 連なるそれらの群景は、防火建築帯か、或いはそれでなくとも何らかの地区計画に基づき形成されたものであろうことは一目瞭然。
興味をもち、これまた城郭風を装うとする意匠の目的がある程度読み取り可能な外観を呈する市立図書館を訪ね市史を捲ってみる。 その記述によると、昭和42年に「連雀町商店街近代化事業」を策定。 その事業計画に則り第一期工事が昭和43年8月1日に着工。 12月10日に竣工し、「新建材のアルミ色で統一」された商業店舗が完成したと記されている。 以降、二期工事を昭和44年に実施。 更に同じ通り沿いに連続する中町商店街にも同様の地区計画が広がりを見せたとある。
旧態依然とした商店街の刷新と活性化を目的に、東京に建てられている建物を模倣・矮小化し装ってみる。 そんな、地方都市の「東京化」ないしは東京的な風景への平準化のことを、やや自嘲や揶揄のニュアンスを込めて「リトル東京」と呼んでいた時代があった。 国内のあらゆる中核都市に景観の平準化が行き渡り、もはや死語と化したこの言葉を髣髴とさせる風景を、その商店街に見い出せた。

年月を経ることで今となってはむしろ懐かしささえ漂うその風景と、昨今のディズニーランダゼイションな風景が市内中心部にてあからさまに出会いそして折り重なる。 時を隔てた異相の地区計画の重層もしくは衝突。 初見の印象として、同市の市街地はそのような視点で観察可能な風景を有していた。

防災放送による熱中症予防の注意喚起が市中に響き渡り、そしてクマゼミが旺盛に大合唱する油照りの空模様の下、そんな風景を存分に堪能して歩き回ったのち掛川駅に戻る。 そして8カ月ぶりに知人と再会。 新たな住処として入手し所々手を入れつつある築100年弱の民家へと向かった。
その御自宅での一泊二日の事々は、別の機会に何らかの形で。

※3

掛川市内の連雀町商店街の街並み。 横連窓を基本とした共通の形式を持つ建物が建ち並び、歩道直上を覆うアーケードがそれらを連結する。 ※4

商店街の中に建つ「連雀ニューセンター」。 同様に横連窓の外観が確認出来る。 道路を挟んで向かい側にも同じ外観の建物が建つ。
2018.07.29:メーカー住宅私考_95
積水化学工業 ハイムアバンテ

※1
とはいえ、このグロワールでの試みが、その後の同社の外装タイルの質感への拘りの起点になったと言えるのであろう。
ユニット工法への矜持から乾式下地には拘りつつ、それによって密に入る竪目地はそのままに、しかしそれを相殺する質感をタイルに持たせることで工業化住宅としてのタイル張り外装仕上げの在り方を突き詰めたモデルが、今現在の同社のラインアップの一翼を担っている。
その意味では、同モデルも同社のデザイン指向の変位点に位置することになる。

※2
ハイムアバンテの位置付けについてはもう一点、異なる解釈が可能だ。 即ち、ハウス55プロジェクトの一環として開発が進められていたミサワホーム55の対抗商品としての位置付け。
ミサワホーム55は、積水化学工業が推し進めてきた工法と同じユニット工法を採用しつつ、更に外装材にセラミック系の新素材を用いた開発が進められてた。 その情報は、逐次同社にも入っていたことであろう。 しかもそれはローコスト化の実現を目的としたものであったことを鑑みれば、その対抗商品の開発は必須事項。
そこで、アバンテには、シンセライトという新素材の外装材が用いられた。 資料に拠るとそれはコンクリートと木の複合素材。 耐久性や耐候性そして生産性等、外装部材として要求される各種性能について如何程のものであったのかは判らぬが、この新素材は同モデルの外壁材として全面的に採用された。

昭和50年代、積水化学工業が展開するセキスイハイムについては、あまり冴えないネという印象に留まっていた。
当時住んでいた新潟県長岡市の住宅展示場に同社が出展していた。 自身で撮った同展示場の写真の片隅に辛うじて写るその外観から、恐らくはハイムM3-SRII型だったのではないかと思われる。
真っ平らな屋根。 無表情な外壁。 箱を縦横に積み重ねるという構法そのままの、意匠性も商品性も不在の無機的な全体像。 同じ展示場内に建っていたミサワホームOII型や積水ハウスの自由設計モデルに比べると、その出来栄えは歴然としていた。 内観についても然り。
しかし意外なことに市内のあちこちに同タイプと思しき住宅が次々と建てられた。 それは、豪雪地ゆえの耐雪性と雪降しの労務からの開放という点でのフラットルーフへの切実なニーズ。 あるいはユニット住宅ならではの工期の短さが支持されていたという面が強かったのかもしれぬ。

そんな同社のモデルに変化が現れたという印象を持ったのは1982年頃のこと。 4月発表のハイムグロワールの内外観を住宅関連雑誌などで見てからになる。
同モデルは建築家の山下和正がデザインを監修。 質感のある煉瓦調タイルを外壁全面に張った外観は、ユニット工法に纏わりつく無機質さの緩和と重厚感の付与による意匠性の獲得を狙ったものであろうことは一目瞭然。 しかし哀しきかな、ややハリボテ感が否めぬのは乾式パネルを下地としているが故にそのジョイント部に入る幅広の竪目地のせい。
施工の工業化と意匠性確保の狭間で、そのデザイン性は中途半端に揺らいでいた※1

しかし翌年4月に発表されたハイムアバンテ(右写真)は、そんな二律背反を鮮やかに飛び越えてみせた。
同社が初めて取り組んだ勾配屋根は、住宅らしさを目指しつつ、ユニット工法としての生産性とも抗わぬ。 双方の両立を図りつつ斬新な意匠性が付与された。 内観にしても同様。 ハコを縦横に組み合わせるという工法の特徴に起因するプランのいびつさが、大幅に改善された。
その代表プランは、一階の南面に横長のリビングダイニングを配置。 北側に和室を連続させることで、空間の広がりと通風性を確保。 更に二階にハイサイドライト付きの浴室が設けられ、アメニティ面におけるサニタリー空間の差別化が図られた。 玄関ホール内のレイアウトや家事動線にやや難があるものの、その構成は従来の事例と比べると雲泥の差。 ユニット工法の進化をそこに見い出すことが出来る。

同社のモデルは、その最初期のセキスイハイムM1が国内の住宅史の一ページに名を刻む立ち位置を獲得している。
ユニット工法における国内初の商品化モデルであると共にユニット工法ならではのラディカルな意匠に特化。 おおよそ一般向けするとは思えぬ先進性を極めつつ、しかしそれが意外にも商業的に成功しロングセラーとなった。 それは、M1が発表されたタイミングが科学技術の進展による光り輝く未来が夢見られていた時代に辛うじて属していた点が背景としてある程度関わろう。
以降、その意匠を引き継ぐMR(1978年)やMR-NEW(1980年)といったモデルが暫くラインアップに留められてはいたが、その商品性が恒久的にマーケットに通用する保証が無いことを一番よく認識していたのは他でもない同社であった筈だ。 ために、並行してM1とは袂を分かつM2やM3などの中途半端に住宅らしさを纏うモデルが相次いだ。 冒頭の長岡のモデルハウスもその一つ。
それが、アバンテによって払拭され、以降の事業展開に繋がった。 同モデルは、その様な位置づけ※2が可能だ。

2018.07.21:六角形に纏わる話_2
※1

開口は四角形だが壁面全体が六角形を意識した意匠で構成された商業ビル外観。

開口部の形状を六角形にする場合、その向きについては底辺を直線にするか頂点を配置するかの二択となる。
6月10日にこの場で言及した苫小牧文化会館管理棟は前者、那珂湊の商業建築は後者の例。 でもって後者の他の例となると、赤坂に在るコマツビルなどが思い浮かぶ。
接道する巨大な立面の殆どに同一形状の横長六角窓を均等に配置したその外観は、白大理石の平滑な壁面と相まってなかなかに壮観だ。 交通量が極めて多い溜池交差点の角地に面することで都市の喧騒とスピードに常に晒されながら、静かで厳かな存在感をもってそれらに対峙しつつそこに泰然と鎮座している印象。

いずれの開口も、ダキを深く取ってサッシを壁面から大きく面落ちさせることで均質な外装に表情を創り出している。 しかしその場合、面台の雨水処理が問題となる。 巧く処理しないと、面台に付着した汚れを含む雨水が壁面を流下し、経年で汚れが沈着してしまうこととなる。
同建物の場合それが殆ど見受けられぬ。 ディテールがしっかりしているのか、それとも日頃の維持管理が徹底しているのか。 両方なのであろうが、ディテールに関してはちょっとした工夫が外観目視においても確認出来る。
つまり、六角形の頂点を底辺に配置することで、面台に降り注ぐ雨水を中央に集め、流下位置を一箇所に限定。 六角形の底部頂点の真下には周囲より幅広の竪目地が設けられており、そこを伝い下部へと排水する。 流下位置が限定されることで、汚れの拡散が低減されているという訳だ。
流れ伝った雨水は、直下の六角窓の上部頂点で水切りされるのであろう。 しかしこの場合、例えば土砂降りの天候時にはどうなるのか。 全ての六角形の底部中央から、各面台ごとに集水された雨水が滝の如く一気に流下する様は果たして如何に。 見たことが無いので、その様な状況が発生するのか否かも含めて判らぬ。

雨水処理に関する類似事例は、例えば右に挙げた上野界隈の商業ビルにおいても確認することが出来る※1
六角窓ではなく六角形の凹凸を壁面に採用した事例になるが、コマツビルでは控えめに取り入れられている流下措置が、ここでは意匠の中に積極的に組み込まれ外観デザインの一部として活かされていると解釈可能だ。 派手な黄色の外表塗装は施されてからあまり時間が経っていない様子。 だから、この措置に拠る防汚効果の程は暫く経ってから判断可能となろう。 勿論それは、施された塗装が撥水性か親水性かにも拠るが。

2018.07.15:再掲にあたって思ったこと

「住宅メーカーの住宅」のページにコラムの項を新設し文章を一点掲載した。 タイトルは「類い稀なる日本のプレハブ住宅」。 国内のハウスメーカーがプレハブ住宅の商品開発に着手し始めた昭和30年代後半から40年代半ばにかけての動向を中心とした内容になる。
といっても、文章自体の作成は約四年前に遡る。 新潟県の長岡市を中心に発行されている地域情報誌「マイ・スキップ」に一時期不定期に連載したコラムの初回分の再掲となる。 再掲はふとした思い付きであったが、当然のことながら同誌の編集部に仁義は切っておいた。 快諾を得ての掲載となる。

サイトへの再掲になるから、改めてかつてのテキストデータと画像データをHTMLに組み直すことになる。 だから、紙面のそれとは大きく異なるレイアウトとなる訳だけれども、構成がガラリと変わるとなぜか同じ文章でも雰囲気が変わる様な気がしなくも無い。
編集部の方々が手掛けた紙上のレイアウトは、文章を追う読者の視線の流れを鑑みた上で画像が適切に配置され、且つそれが文章の組立てとも抗わぬ様に周到な配慮がなされている。 あるいはページを開いた際の第一印象を左右する全体の見映えにも考慮されている(右図)。
一方、私が組んだHTMLの方はそこまで繊細な対応は不可能。 否、やりようはあるのかもしれないけれど、私にはそこまでは無理。 その差異が文章の雰囲気を左右することもあるという事実に気付く。

さて、先に書いた様に、連載初回の文章をしたためたのは四年前のこと。 久々に読み返してみると、不定期とはいえよくもこの連載が実現したものだという無責任な感慨に浸ることとなる。
なぜならば、同情報紙は編集方針として発行エリアにゆかりのある人物や歴史や文化の発掘といった視点に重きが置かれている。 にも関わらず、それらとは大凡無関係な内容なのだから。 執筆する私はスコブル楽しいから良いけれど、これってどうなんヨ・・・と恐縮しつつ、編集部の心の広さに感謝しているところではある。
更には月並みながら、掲載されてからもうそんなに経つのかという想いや、今だったらこの部分はこう書くだろうなといった自省が錯綜する。 とはいえ、自省をもとに手を加え始めると恐らくキリが無い。 だから今回は文章自体は敢えて手を加えないこととし、「マイ・スキップ」掲載文の再録である旨を末尾に記す等の一部の注釈の挿入や画像の取捨選択及び差替えのみ行った。

今回載せたのは取り敢えずコラムの初回分。 今後も折を見て、全五回の連載記事を随時掲載する予定だ。

2018.07.09:岸辺雑記

JR岸辺駅に降り立った目的は、駅最寄りの吹田市立博物館を訪ね、同館で開催された企画展「ニュータウン誕生−千里&多摩ニュータウンに見る都市計画と人々」を観ることであった。
同展は先行して東京でも開催されていたが観る機会を逸していた。 で、大阪展の開催期間中に大阪出張の予定が入ったため、仕事の合間を縫って訪ねることとした。

同駅にて降車するのは初めてのこと。 全く土地勘が無い中、博物館のサイトで紹介されていた案内図に従い駅の北口に向かうべく改札を出て向かって左手に進むと、そこには出来てから間もないと思しき長大な跨線橋が彼方まで伸びていた。 その眼下には線路が幾本も連なり、そして跨線橋の行きつく先に真新しい建物や更地が線形に並ぶ。 それらを観て、大規模な操作場の敷地の一部を活用した再開発が進行中なのであろうことを即座に視認し得た。
実際、跨線橋を渡り終えて駅の北口広場に降りると、そこには未供用の駅前ロータリーを囲う様に幾つかの建物が竣工目前の状況。 その東側は、これまた完成したばかりと思われるマンションが板状に連なる。 そして逆の西側は、更地が広がる。 大規模な再開発事業ではあるが、しかしその最終形について大して興味が湧かないのは、特徴のある景観を形成しつつある事業という第一印象を持ち得ぬため。 ありふれた今風の真新しい建物群を一瞥しつつ博物館へと向かう。
その途上、駅前広場から暫くの区間は駅前通りの拡幅を目的とした区画整理が行われている最中で、風景の体を成していない。 梅雨の合間の高温多湿な気候の中、視覚的に退屈な歩行はやや苦痛。 しかし、途中から雰囲気の良い戸建住宅地へと風景が変わり、その向こうに博物館が立地する紫金山公園のこんもりとした緑が見えて来た。

二十分程歩いて辿り着いた博物館の外観に対する第一印象は「随分と偉そうな建物だな」といったところ。
高低差がある敷地の一番低いエリアがアクセス経路。 従って来訪者は、低い場所から高いエリアに建つ建物を仰ぎ見る形となる。 その立面は、中央に垂直性を強調した意匠を集中。 力強い中心軸を形成した上でその左右に単調ながらもシンメトリカルなボリュームが展開する。 その立面の中央手前に大階段が接続。 更にその階段の手前にコンクリート打放しの柱梁フレームが連なり、周囲との結界を造り出している。
来訪者を睥睨するかの如き何とも威圧的な佇まい。 一時代前の公共建築の趣きだネ・・・などと思いつつ、屋内に入る。 外観と同様、強い軸性と対称性を持った空間が構成されているのだろうナと予想していたのだけれども、屋内は意外にそんなでも無かった。 外部の大階段がそのまま内部にも連続し、その直上を最上部まで吹き抜けた壮大な大空間が待ち受けていると思っていたのでやや肩透かし。

目当ての企画展は思っていたよりも規模は小さかったが、見応えのある充実した内容であった。
例えば、ユニットバスの前身である「バスオール」は、住むという行為に対する強靭な意志を感じずにはいられぬ。 あるいは、千里ニュータウンの都市計画に纏わるエスキス図面やプレハブ住宅メーカーのカタログ等、興味深い資料が多数展示されていた。
その中でも石原正が手掛けた千里ニュータウンの細密な鳥瞰図に特に目が留まったことは、徘徊と日常のページにも書いた通り。 ニュータウン内に建つ夥しい量の全ての建物が、戸建住宅に至るまで一軒ごとに細部までしっかりと描き込まれた絵図に震撼した。

2018.07.02:苫小牧雑記
※1

同社の社宅の一つ「北光寮」。
J R千歳線沿線に立地することを踏まえた外装が楽しい。 もっとも、施されているのはJRの車窓からの見え掛りとなる立面のみだが・・・。

かつて、苫小牧は個人的には印象の薄い街であった。 札幌在住中は、車であれ列車であれ、道南方面に向かう際に単に通過するのみ。 だから、かの竹山実設計のホテルビバリートムも、通りすがりの車窓越しに一瞥したのみ。
そんな苫小牧の市内中心部をじっくりと観て廻ろうと思い立ったのは四年前。 きっかけは「社宅街 企業が育んだ住宅地」という書籍を読んだこと。 同書に、苫小牧の詳述がある。 王子製紙の企業城下町として発展してきた同市の現況に興味を持った。

既にホテルビバリートムは除却されていたけれど、しかし王子製紙の苫小牧工場が織り成す「工場萌え」な風景が在り、その周りに各時代の様々な形式の同社の社宅※1が群景を成す。 そしてその近傍にやや古びた歓楽街も広がる。 更には、市役所や文化会館をはじめとする公共施設が都市の規模に比してとても立派という印象。
それ以外にも、あても無く市内を徘徊する先々で多様な佇まいに出会うことができる。 しかもそれらが徒歩で無理なく巡ることが可能な範囲に分布。 散策するには格好の街だ。

以降幾度か同市を訪ねているが、中でも特に魅かれた建物が建築探訪のページにも載せた王子製紙苫小牧工場の社宅「A型集合住宅」と「B型集合住宅」。 先述の書籍にも、竣工して間もない頃に撮影された「A型集合住宅」と思しき外観写真が載せられている。 残念ながら原形を保っている住棟を確認することは出来なかったが、同様にサンルームがオーバーハングして取り付く意匠で統一された住棟群が十分な離隔と豊かに育った植栽に囲まれて並ぶ風景はとても美しい。

蛇足だけれども、同社宅について建築探訪のページに載せるにあたっていろいろ調べていた折、同書の記述内容とほぼ同じ内容の学会論文を見つけた。 その構成や図版に至るまで共通項が多い。 何だよコレ・・・と、一瞬訝しく思ったけれど、双方の著者を確認してみたら同じ方々の名前が連なっていた。 ということで、一安心。

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