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2025.04.01:休日の過ごし方

直前になっても、その日は会議や打合せ等の予定が一つも入らなかった。 ならばと休暇を取得する。
通常、休暇は土日や祝日と組み合わせる場合が多い。 そうではなく週の真ん中の一日だけ取るとなると、過ごし方はある程度限られる。 今回は、平日に観てみたいと前から思っていた建物を訪ねてみることにした。

その小振りな建物は、移動中の電車の窓越しに偶然目に留まったもの。 その時も、そして後日再訪した際も、エントランスの前に車が二台横付けされていた。 いずれも建物管理者の方々の所有で、休日は使用しないので駐車しているのだろう。 ならば平日は業務で車が出払った状態を拝めるかもしれぬ。 そんな淡い期待を込め電車を乗り継ぎ久々に訪ねたのだが、状況は休日と同じ。
まぁ、こんなものだよナと少々落胆しながらトボトボと最寄り駅に引き返すとちょうど昼時。 食事でもとろうと高架下商業施設内の店に入る。 注文した日替わりの鯖粕漬定食は副菜も含めとても繊細な味付け。 箸置きは猫の形。 添えられた大根おろしも猫型に成型され、予め掛けられた醤油のまだら模様も猫っぽさを補完している。 こじんまりとした店内を見渡せば、猫に関連した設えが多数。 個性的なこだわりを持つその店の名は「海鮮和食 お肴ぬこ」。 当地再訪の機会があればまた入店したい。

美味しい料理にすっかり気分を良くし、勢いで再び目当ての建物に向かう。 変わらず車が停まっていたら、もう諦めようと。
すると一台は出払っているではないか。 そしてもう一台も、まさに出発するところ。 これは何とも絶好のタイミングと、何にも遮られていない外観と対峙。 その意匠をゆっくりと堪能する。
撮影も試みるが、冬の晴天下の逆光。 なかなか思う様な画像が取れない。 恨めしく空を見上げれば、しかし雲がひと固まり、ゆっくり流れてくる。 少し待てば陰るタイミングがあるかもと、近傍に整備された児童公園のベンチに腰掛け待つこと数刻。 その瞬間が訪れた。

といったプロセスを経て撮った写真に文章を添えて、建築探訪のページに「大網白里市商工会館」を載せるに至った次第。

2025.03.24:オフィスビル

前回の続き的な内容。 新建築の3月号では、新宿センタービルのオフィスフロアの改修も掲載されている。

同ビルの存在を知ったのは、中学生の頃まで遡る。 当時訪ねた大成建設のパルコンのモデルハウスにて貰ったリーフレットに同ビルが載っていた。 こんな超高層ビルが新宿に在るのだな、といった程度の印象を持つに留まったけれども。
それから幾星霜。 今は仕事で同ビルを時折訪ねる機会がある。 途中階に大成建設の受付け兼打合せフロアがあり、今風に内装が設えられているけれど、天井の低さ(=階高の低さ)が時代を感じさせる。 以前訪ねた際、受付を済ませて待合いの椅子に腰掛けると、真正面の窓際に隈研吾の(恐らくは)等身大の立看板。
「こんなところにも隈研吾・・・」と、今さら驚きもせず、でも一体何なのだろうと近づいてみると「モクコンの家」なるリーフレット。 パルコンと隈研吾の共同デザイン商品らしい。
「こんなコトにも隈研吾・・・」と、今度は少々関心を持ち、資料を幾つか手に取る。 ハウジングトリビューン誌の4月号に、2023年度のプレハブ住宅の販売戸数の中でコンクリート系が占める割合に関する衝撃的な数字が出ている。 テコ入れの意識があって世界的建築家に助けを求めたといったところか。 果たして、その効果は如何に。 リーフレットに載る外観は、そう言われれば隈研吾っぽいかなと思えるし、でも、言われなかったらどうだろうといった印象。

閑話休題。
新建築誌の3月号に載る同ビルのオフィスフロア改修事例には、既視感を覚える。 まるでカフェの様な設え。 そこで社員が所属組織の束縛を受けずに自分のペースで仕事をこなす。 大企業のオフィス内覧の機会を時折得るが、その際の見学ルートには必ずこの手のフロアが組み込まれる。 でも、全てのフロアがその様な執務空間となっている訳では無さそうだ。 大半は、組織図をそのまま什器レイアウトに置き換えた昔ながらの無味乾燥とした設え。 そんな中にあって、いわば外向けに「弊社はこんな職場環境を整えています」とアピールする目的で限定的に設けられたもの。
どこがその先駆なのかは知る由も無いが、我も我もと似た空間が既存ビル内の一部に整備される。 最近訪ねたNEC本社ビルも同様。 同建物の一階にあるDX関連のショールーム見学が訪問目的だったのだけれども、ついでにと、その手のフロアにも案内された。 でも、やはり既視感たっぷり。 もはや驚きも新鮮味もない。 その平準化が何とも。
もっとも、同ビル見学の個人的な関心は、ショールームの展示内容でもカフェ的フロアでもなく、地上から途中階まで貫く壮大なアトリウム空間を実際に観てみたいということだったのですけれどもね。 学生の頃、その空間を観ようと何も考えずに屋内に入って(当然ながら)警備員に咎められる寂しい経験をした。
それから幾星霜。 往時の願望を果たした次第。 といっても、そこでも既視感を覚えた。 言わずもがな、新宿NSビルの巨大アトリウム。 設計者が同じですからね。

2025.03.17:新建築2025年3月号

一番手で紹介されている「Ginza Sony Park」に関わるインタビュー記事に、ソニー社社長の以下の発言がある。

ソニービルが変われないソニーの象徴だと揶揄されるようになりました。

それとは別に、同号に載る「全日本海員組合本部会館」の解説文には、

建物を残すことは組合の歴史を継承することと同義である。

との施主の思想が引用されている。 とても対照的だ。 前者に続けて後者を載せるページ構成が、その対比をより鮮明にする。
以降も既存建物を活かした改修・再生事例が次々と紹介される。 その流れは、芦原義信設計の「ソニービル」を建て替えてしまったソニーへの当てつけが寓意されているかの如し。 巻頭の建築論壇「リノベーションと都市の代謝」が更に輪をかけていて、今月号は読み物として大変面白い。

旧ソニービルに特に強い思い入れはない。 但し、螺旋状に展開するスキップフロアを移動する際に各フロアへの視界が次々と展開する構成はとても印象的だった。
社長がインタビューの中で繰り返す「人のやらないことをやる」の言に則るならば、旧建物に固有の空間特性を踏襲しながら大掛かりに改修を施す方向性がなぜ選択されなかったのか。 建て替えに至るまでの徹底した議論のプロセスにも言及されてはいるが、鈍重な印象しか受けぬ新たな建物の内外観からは、選択の妥当性を容易には見い出し得ぬ。 コンクリート打ち放し面は汚く、錯綜する階段も無機的で重苦しい。 外表を覆った鋼製格子フレームがコンクリートの量塊の無骨さを緩和しているように見えなくもないが、全景をどの方向でデザインしたいのかを曖昧にもしている。 地階の極々一部が保全されたのは良かったけれど、果たしてそれは建て替えの免罪符となり得る哉。
商業の目的で隙間なく埋め尽くされ窮屈で息苦しいこと極まりない銀座。 その中でもとりわけ一等地にあたる場所に無目的に滞留可能な階段状の用途が曖昧な空間が創出されたことは、館名の一部に用いられた「Park」が曲りなりとも実現されたとは言えるのかもしれぬ。 でも、見開きで掲載された数寄屋橋交差点界隈の風景の中に収まる佇まいは、雑駁な様相を増幅しただけにしか映らない。

一方の全日本海員組合本部会館。 その存在と、そしてそれが大高正人の仕事だと知ったのは、遅まきながら2016年。 国立近現代建築資料館で開催された氏の個展「建築と社会を結ぶ―大高正人の方法」を観に行った時だった。 その足で、立地する六本木に向かう。 60年代の同氏の作風を色濃く纏うその外観を、暫し堪能した。 そんな同作品が竣工時の様態を良好に留めながら改修された要因には、幾つかの好条件が重なった旨が解説から読み取れる。
何が建築の存廃を分けるのか。 想いを巡らしても共通解など見い出し得ぬ。 しかし、二つの事例を見て少々考えてしまった。

2025.03.11:キッチン+カー

少し前にこの場で新建築2月号の感想を書いた際、キッチンカーに触れた。
公共の広場や建物敷地内に一時的に駐車し、テイクアウトを原則に料理を提供するサービス。 最近勤務先の環境が変わり昼食を買いにキッチンカーを巡る機会が増え、少々興味を持った。

キッチンカー。 すなわち、厨房と車。 凡そ関係無さそうなモノどうしの唐突の出会い。 字面における直截な異種合体の様態におかしみがある。
原形を辿れば屋台があろう。 しかし屋台は一般的には特定の設営場所と保管場所を往来するための移動機能の付いた厨房設備。 若しくは、組み立て式の仮設厨房設備を車を用いて移動させるもの。 一方、キッチンカーは多くが日々場所を変えて街中の様々な場所に現出する厨房設備を組み込んだ車。 厨房設備と移動機構の主従の関係やその位置づけが各々異なる。 屋台の場合は補完あるいは従属。 キッチンカーは等価。

本来は建物内に配される不動の用途としての厨房が、高い移動性を持って都市の只中を疾走する。 公道の移動に纏わり、道交法を根拠に外形寸法に制約が課される辺りはユニット工法の建築(住宅)に相通ずる。
移動性とコンパクト化。 それぞれをホモ・モーベンスとカプセルに言い換えると、半世紀前の黒川紀章の提唱に漸く時代が追いついたなどと言えてしまうのだろうか。

私の職場の近傍に固有の傾向かもしれぬが、個人経営の馴染みの飲食店が経営者の高齢化や後継者不在等の事情により近年になって次々と閉店。 替わりにチェーン店が幅を利かせている。 チェーン店はそこそこ美味しいけれどもサービスは無機質。 何となく物足りなく、ために飽き易くもある。 だから、キッチンカーの存在がちょっとばかり新鮮であったりもする。
移動機能と合体した狭隘なカプセルの内部で、同業者に対抗し得る個性的で美味しいメニューを揃え、ファストフード店に劣らぬ迅速なサービスを提供するため、個々に意を尽くす。 注文から料理提供までの店主の手際や容器に収められた料理の出来栄え等を見ていると、その能力、若しくは事前の段取りも様々で、比較するのも面白い。
そんな訳で、様々な場所に出店するキッチンカーを巡りながら昼休みのひと時を愉しむのであった。

2025.03.03:メーカー住宅私考_201
総二階への矜持_DEBUT自由空間2

※1
ミサワホームO型外観


※2
DEBUT自由空間2外観


※3

DEBUT自由空間二階居室内観。
勾配天井のため、室内間仕切り家具も上部が抜けた設えとなっている。 フラット天井であれば、任意配置及び移動可能な床から天井まで塞ぐ家具をシステム化出来た。


※4

軒廻りのディテール。

1976年に発表されたミサワホームO型。 当サイトで何度も取り上げているこのモデルは、居住に纏わる先進技術や商品提案を内外観に多数盛り込み空前絶後の大ヒットモデルとして昭和50年代の住宅市場を席巻。 以降の同業他社の商品開発に多大な影響を与えた。
影響の一つに、総二階ボリュームの一般化がある。 各社とも、黎明期の二階建てモデルは技術的制約から総二階としていたが市場の評価は芳しくなかった。 理由は単純。 不格好だから。 従って、如何に総二階を避けるかが課題となり、下屋を任意接続する、若しくは二階を任意配置する等の架構システムを開発。 商品体系が整備されてきた。
だから、O型における総二階採用の取り組みは、極めてハードルの高いチャレンジであった。 開発プロセスを詳述した内橋克人著の「続々続々匠の時代」の文中にも、「いかに寸胴の美人を作るか」と記されている。 敢えて総二階としたのは生産性や合理的なプランの実現。 そこにどの様なデザインを与え商品性を獲得するか。 結果として、二階の一部にオーバーハングを設定。 更に、開口天端のシャッターケースや幕板等の木調線形部材を効果的に配置。 越屋根を載せた寄棟屋根や開口部周りのフラワーボックス等と組み合わせて単調さを回避。 四角四面の総二階に意匠性と商品性を与える手法が確立された※1
O型のヒットと共に、他社からも類似手法を用いたモデルが多数発表され、総二階への抵抗は薄れる。 やがて、意匠的配慮の多寡に関係なく、総二階が受け入れられるようになった。

O型の17年後、1993年に同社が発表したDEBUT「自由空間2」も総二階。 しかしそこにオーバーハングは無く、壁面の凹凸も玄関廻りの僅かな面落ちのみ。 単純なボリュームに載せられた方形屋根が唯一住宅らしさを示すが、その軒の出すらカットされた※2
要素を徹底的に削ぎ落とす目的はロースト化。 それまで競うように規模と装備の絢爛化にひた走った業界の流れが、バブル景気の終焉と共にローコスト化に一気にシフト。 その先鞭を打ったのが当該モデル。
つまり、景気低迷と総二階への価値観の変容を出自とする。

削ぎ落したのは外観構成要素だけではない。 内観も、間仕切壁を構造的に成り立つ最小限の配置に留め、生じたガランドウの屋内を自由空間と称し顧客の様々なプラン要望に応えると謳う商品戦略。
しかし、自在に間取りを作れるかといえば否。 固定された水廻りや階段の位置、あるいは外形が制約として大きく作用する。 更に、二階の天井は方形の屋根勾配がそのまま顕われている。 その勾配が、間仕切りの任意配置に影響を及ぼしかねぬ※3。 本来、自由を謳うならば天井はフラットであるべき。 あるいはそもそも、要素を排除する目的においては勾配屋根自体が不要。 陸屋根で十分だ。
敢えて方形屋根を採用した理由。 それは、軒の出と共にその高さも抑えて北側斜線や道路斜線等の法的な建築制限をかわし易くするため。 しかし軒の出も無いのにフラット屋根のまま軒高を抑えたら、二階諸室の天井高が低くなってしまう。 外周を低く抑える一方、建物中央部に向かって勾配をつけて天井高を漸増。 室容積を確保しようとしたのであろう。 つまり勾配屋根すら最小限の必要条件。

簡素化に徹した当該モデルに意匠系開発担当者の矜持が入り込む余地はディテールのみ。
例えば雨樋を組み込んだ軒先や、その直下の幕板の形態※4。 あるいは開口部の位置や大きさを上下階で極力揃える措置。 開口上端に外壁と同一仕上げの垂れ壁を安易に介在させずに直上要素と取り合わせる納りの徹底。
外観を端正に纏めようとするO型由来の拘りは辛うじて確認できる。

2025.02.24:至福への階段

今月上旬、建築探訪のページに「汐見台会館」を追加した。
横浜市磯子区に立地するこの施設の存在を知ったのは、つい最近。 神奈川県住宅供給公社の資料に掲載された外観写真に偶然目が留まった。 何やらとても興味深い。 googleストリートビューで確認してみると、現存する様だ。 いても立ってもいられず現地へ向かった。

磯子というと、村野・森建築事務所が設計を手掛けた旧横浜プリンスホテルの印象が未だに残っている。 優美な曲面を伴い、あるいは繊細なディテールを立面全体に纏ってはいるものの、その巨大な板状ボリュームが駅から臨む崖地の上に鎮座する風景はとてつもなく異様であった。
上京して間もない頃、京浜東北線の車窓からその異景を初めて拝んだ際、かのグルメ漫画「美味しんぼ」第四巻所収のエピソード「旅先の知恵」を即座に思い浮かべた。 鄙びた海辺の温泉地を社員旅行で訪ねた一行が、その集落を睥睨するかの如き巨大なホテルが高台に鎮座している様子に複雑な思いを抱く場面。 しかし、そのシーンを遥かに上回る状況がそこに見て取れた。 巨大資本による狂気。
そんな同ホテルも竣工から僅か16年で閉館し既に除却。 跡地には板状中層集合住宅が分棟配置されている。

風景は変わりつつも、駅前に屹立する海食崖の存在は不変。 駅から汐見台会館にアクセスする際には、この崖地の上に登らなければならぬ。 そのルートは磯子旧道と呼ばれる勾配のきつい坂道。 そしてもう一つ、急斜面を縫うように設けられた階段。 往路は、後者を利用する。
その昇り口は住宅地の中に唐突に在り判りにくい。 途上に、森みはらし公園と命名されたポケットパークがあるが、大した眺望は得られぬ。 中層建物が建ち並ぶ駅前の風景と、そしてその背後に広がる工場地帯の向こう側に、微かに根岸湾が視認されるのみ。
そうして息せき辿り着いた崖上の丘陵地には、それまでの眺望とはうって変わって魅惑的な光景が広がる。 建築探訪の方にも書いた通り、様々な年代の集合住宅の群景。 そして更には汐見台会館である。 視覚の享楽に授かる至福のひと時。

その後、駅近傍の磯子図書館で郷土資料に目を通し当会館について調べてみるが、建築年や内部の用途構成程度の情報しか得られず。 しかし、それとは別にネット上には設計者が菊竹清訓である旨を記述したブログがあった。 そう言われてみれば、ピロティやオーバーハングの扱いは、往時の氏の作風に相通ずるものが読み取れる。
予備知識も無く、外観写真の第一印象でただならぬ建物と知覚し現地に赴いた私は、建築に対する審美眼を未だそれなりに保持し得ているのかもしれないな、などとどうでも良い悦に独り浸りつつ帰路に就いた。

2025.02.18:卒業設計

先週のこと。 業務でリビングデザインセンターOZONEに出向いた同僚より「こんなものを貰ってきました」と、冊子二組を手渡された。 同施設内で催されていた東洋大学建築学科の卒業制作展の資料。 学部と修士各十名の作品が一ページずつ紹介されている。
目を通してみると、それぞれに都市や建築の課題を抽出し、解決策についてしっかり道筋を立てて分かり易くプレゼンされている。 普段の業務とは全く縁遠いそれらの言説に触れるにつけ、自身の遠い遠い過去の卒業制作へと想いが及ぶ。

建築に纏わる卒業設計だから、敷地の想定は必須。 それは架空であったり実際の場所であったりと、それぞれのテーマに沿って設定されるが、私の場合は後者。 自身にとってはそこしかないと迷いはなかったし、他の選択を考える気も起きなかった。
しかしその後が苦難の道のり。 その場所でいったい何を為すべきなのか。 思い浮かばぬまま空しくエスキスに終始する日々が続く。 悶々とする中、何か発想を得ようと真冬の日本海に出向き、地吹雪に巻き込まれて遭難しかけたことも。
そうして結構悩みながら完成したブツに対する担当教授の品評を聴いて漸く自身のやりたかったことを理解する情け無さが、今となっては何とも。

閑話休題。
資料の中で、「境界面の再構築−戸建て住宅地を対象とした提案−」と題する作品に目が留まる。 セキュリティ強化や高気密高断熱化等を背景に閉鎖的な構えの住宅が街並みを形成している現況を踏まえ、既存の外部開口を通して屋内の人の気配が外部に伝わる工夫を提案したもの。
内容を見ていて、私の発想はミサワホームSII型へと飛ぶ。 「またミサワかよ」との御指摘を受けそうだけれども、全くをもってその通り。 なんかすっかり思考回路が硬直しておりますな。 でも、1977年発売のこのモデルの玄関廻りの設えは、当該テーマにピッタリ。
玄関扉脇の床から天井までのガラス張りのコーナーサッシが内外の透過性を高めた設えをモデルの特徴としている。 それでありながら、廊下が直角に取り付いているため家の奥の方までは見通せない。 従って、生活の気配を醸しつつプライバシーもほぼ問題なく確保される。
夜景において、それは更に魅力を増す。 玄関廻りが建築照明として街路に向け明かりを灯す光景が、境界に優しさを添える。 まぁ、個人的にSII型で良いナと思えるのはこの部分だけなんですけれどもね。
当卒業制作は、「境界面の再構築」に夜景の視点を組み込む考え方も面白いのではないか、などと好き勝手なことを考えつつ、他のページも堪能。 暫し昔の自分と重ね合わせた。

2025.02.11:新建築 2025年2月号

時折この場に身分不相応に書き散らしている同誌掲載作品の好き勝手な感想を以下に三点。

kinone 東久留米
フジワラボ・針谷設計共同体

大きなデベロッパーによる集合住宅はつまらなくなる一方である.(中略)建築家はこの状況を突破し,集合住宅が地域のストックとなっていく状況をつくり出さねばならない.

との言や良し。 しかし、見開きで載せられた駅前の風景に置かれた当該作品の印象は果たしてどうだろう。 隣地の既存ビジネスホテルとの離隔も殆ど確保されずに互いの外部開口とバルコニーが近距離でお見合いとなる窮屈で貧しい様相に、"つまらなくなる一方"と切り捨てる一般的な不動産事業との差異をどう見い出したら良いのか。
そのバルコニー外部に設けた植栽帯の維持管理方法への建築家の関与にも言及しているが、建物緑化におけるその手の関係者同士の事前打合せや自動灌水装置の導入は当たり前のこと。
更に紙面には、接地階ピロティの駐車及び駐輪スペースに大量の鉢植えとキッチンカーを配し、何やら豊かな緑量と賑わいを演出しようと企てた画像が載る。 「テンポラリーな活動の滞在」と称するその用途外の供用も特に新味はない。 纏まった緑地の確保が困難な都心部の狭隘物件において、それでもなお入居者のアメニティ向上(や、不法駐輪の防止)等を目的に管理者が僅かな敷地内残余にプランター植えの緑をささやかに配す取り組みは、程度の差こそあれ以前から普通に見受けられる。 あるいはその様なスペースに一時的にキッチンカーが停まり美味しい食を求めて人々が並ぶ昼時の風景も、極々日常的なもの。
即ち、いずれも状況突破の具体としてはどうなのだろう。 その評価は、当該作品の十年後、二十年後の状況にも拠ってこようか。

hanaqumoi
伊藤博之+上原絢子/伊藤博之建築設計事務所

天空率を駆使し建物ボリュームを造形する興味深い取り組み。 そうして出来上がった各階異なる外形の積層状態に対し、合理的な構造フレームを与える。 更には外断熱と内断熱を併用し断熱欠損も回避。 結果、UA値は0.66。 BEIも1未満に抑えられている。 現時点で当然満たすべき性能(即ち居住性)や、あるいはコストや施工性に関わる構造フレームの合理性をしっかり押さえながら、"つまらなくない"集合住宅を実現している。
紙上には多数のボリュームスタディ模型が紹介されているけれど、この手の検討は既にAIに拠る画面上での作業に移りつつあるのだろうな。 建築家の職能は、如何にスピーディーに意向に沿う最適解を導き出すべくプロンプトを組むのか。 そんな時代になって来ているのだろう。 私にはよく判らないけれど。

MARIE
OFFICE YUASA

「だれかの家」と題する設計者の解説文は、多木浩二著の「生きられた家」を少々彷彿させ面白い。 けれども、古民家の内観を平面プランを含め徹底的に改変する行為が、解説文に載る

この家がここで暮らした「だれかの家」である,という固有性の枠組み

を容易に知覚出来る空間に結び付き得ているのか。 むしろ、過去の生活の痕跡を消し去り個性的なインテリアに組み替えて類似施設との差別化を図り集客の強化を目論みました、との解説くらいの方がしっくり来る作品なのかもしれぬ。 「固有性の枠組み」を考えるのであれば、単純には旧態を可能な限り残し新たな用途に必要な最小限の設えを付加する方が、それを容易に実現出来るのだろう。 勿論それでは、古民家リノベによる滞在施設の在り姿としては凡百で"つまらない"のだけれども。

2025.02.04:それぞれの孤独のグルメ

BSテレ東で放映中の「それぞれの孤独のグルメ」を視聴している・・・などと書くと、何を今さらと思われる方もいらっしゃるのかもしれぬ。 既に地上波にて昨秋全12話放映済みなのだから。 私はあまりテレビを見る方ではないため、新番組に対する情報に疎い。 年末になって放映を知るに及び、新年からBSの再放送を視聴している次第。

既にシーズン10まで製作されている「孤独のグルメ」の特別編 として企画されたドラマ。 毎回異なるゲストが出演して独食に饗する構成は、今までとは大いに趣きを異にする。
永く製作され続けてきたドラマゆえ、一種の様式美が確立している。 ために、レビューには「こうじゃない」といった趣旨のコメントが散見される様だ。 判らぬ訳でも無い。 思い入れのあるオールドファンであればある程、その様に受け止める方もいらっしゃって当然だろう。
私だって、ミサワホームが昭和半ばの大ヒット作であるO型のリデザインモデル「O-type kura」を2004年に発表した際、大いにコレジャナイ感を抱きましたもの。 でも、発売から二十年を経て改めて眺めてみると興味深い点も見えてくる。
過去に絶大な評価を得たもの。 あるいはそれがために様式として完成されたもの。 そんな事々に改めて取り組む際には、単なる過去帰りであれ大胆な改変であれ、賛否双方の評価が纏わりつく。

少なくとも当該TVドラマに関し、私はそれほど深い思い入れがある訳でもない。 視聴する様になったのも近年になってから。 だから、今回の趣向も今のところ特に違和無く受け止めている。 「これもアリだよな」と。 それでなくとも、放映されているのは「それぞれの孤独のグルメ」であって「孤独のグルメ」ではないのだから。
例えば、子ども食堂を舞台とした第6話などは、「それぞれの孤独のグルメ」ならではの組み立てであろう。 結末が奇をてらわぬ予想通りの展開なのは、「孤独のグルメ」に与する安定感。 主人公の井之頭五郎さんが予期せぬ状況に巻き込まれるのも、お約束の流れ。 しかし「孤独のグルメ」であれば導入部に描かれるであろう巻き込まれの過程をバッサリ省略。 戸惑いの表情を浮かべながらエプロンに頭巾姿で突如五郎さんが現れるシーンのみでそれを表現出来るのは、「孤独のグルメ」をベースに置きつつ趣向を変えた本作ならではの演出。 思わず「いいじゃないか」と、五郎さん風のモノローグを頭の中に浮かべてしまった。 各話、五郎さんがどの様に登場し物語と絡むのか。 それも本作の楽しみなところ。

という訳で、最終話まで視聴継続となりそうだ。 そういえば、今月封切された映画版もまだ見ていない。

2025.01.28:九十九里逍遥_2

前回の続き。
当初の予定から大幅に遅延して目的の「不動堂海水浴場監視塔」に到着。 暫しその外観や配置されているロケーションを愉しんでいると、ちょうど昼時。 折角浜辺に来ているのだから何か海鮮ものでもと思うが、その手の店は既に人の列。 ドラマ「孤独のグルメ」に、主人公・井之頭五郎の

「並ぶのが嫌ってより、後ろで客が並んでいる状況で食べるのが嫌なんだ。」

とのセリフがあるが、同感。 どうしたものかと思いながら周辺を歩いていると、コンビニ。 店内で買い求めたホットコーヒーとカロリーメイトをイートインコーナーで食して暫し時間をつぶす。
その後どうしようかと思うが、衝動的な途中下車によって予定が狂ってしまったため、次のバスまで長い待ち時間が発生。 監視塔を改めて眺めて過ごすのも芸が無い。 次の目的地に向かう路線バスのルートに沿って歩を進め、周囲の風景を愛でながら適当な停留所で追いついてきたバスに乗り込もう考えトボトボと歩き始める。 途上には、ハウスメーカーの施工事例やセルフビルドと思しき得体のしれぬ造形の家。 あるいはバブル期の企業の保養所跡等々。 バスに乗車していたら車窓から一瞥するのみに留まったであろうそれらをゆっくりと鑑賞し好き勝手に想いを巡らせつつ、途中の停留場でバスに乗車。 次の目的地、九十九里町役場に向かう。

そのバスも、そして午前中に利用したバスも、いずれも乗降客は疎ら。 しかし、運転手とは顔なじみの様にも見える。
途中、車椅子利用の方が乗降して来た。 運転手の方は乗降補助具の設置や車内での車椅子の固定等、一連の作業を慣れた手つきで実施。 しかしその間、バスの停車時間は通常より長くなる。 私は、空いているバスでは一番前の席に座り、車外への視野を広く確保するようにしている。 フロントガラスの向こう側には擬洋風民家。 手元の端末のマップには、「旧中西薬局」との表示。 その外観を車内からゆっくりと愛でるちょうどよい機会となった。

程無く、九十九里町役場に到着。 この庁舎も既に「建築探訪」のページで取り上げているが、再訪したのは町のサイトに建替え計画の概要が公表されているため。 久々にその外観や周囲の公共建物等を眺めた後、庁舎前の停留場からJR東金駅行きのバスに乗車。 その日巡った建物について駅近傍の市立図書館にて資料に目を通し、帰路に就いた。

2025.01.21:九十九里逍遥

海と山、どちらが好きかと問われれば私は前者。 臨海地域に居を定め続けているのも、この意識が少なからず作用している。 強い日差しと灼熱に支配された海水浴シーズンの浜辺は苦手だが、それ以外の時期は時折出向きたくなる。
「建築探訪」に載せた「不動堂海水浴場監視塔」を観に行ったのも、海開き前。 浜辺には、散歩やサーフィンを愉しむ人々が散在するのみ。 監視塔も閉鎖中。 そんな砂浜で、当該施設を愛でつつ寄せては返す波と暫し戯れた。

九十九里浜の海岸ラインが描くなだらかな弧と平行するように、外房線、東金線、総武本線に連なるJR線が敷設されている。 とはいえ、その線路敷は海岸線より概ね10km前後内陸側。 房総半島の大部分に広がる房総丘陵の際に沿っている。 前掲の「建築探訪」に載せている「匝瑳市役所庁舎」のページで同地の都市軸について言及したが、それはこのJR線の敷設状況と、それに並走する国道の存在に拠る。
しかしこの地域の都市軸はそれのみに留まらぬ。 直交するもう一つの軸。 九十九里浜に向けて幾筋も通された道路によって規定される軸線が存する。
車ではなく公共交通機関を利用して監視棟に至ろうとする場合、駅から路線バスを利用してそれらの道路を海に向かう。 さりとてそのダイヤは決して充実したものでは無い。 とりわけ休日ともなると日に数本の路線が大半。 なので、時刻表確認を含めた行程計画がとても重要になる。 建築巡りにあたり、事前準備としてこの手の確認には余念は無い。 しかし幾ら緻密に計画を立ててもその通りに行動出来たことなどほぼ皆無。 今回も御多分に漏れず。 監視塔方面に向かうバスの車窓から気になる集落が目に留まり、衝動的に途中下車してしまった。



房総エリアに広く散在する槙塀が見事に連なっている。 背後の屋敷林と相まって、豊かな緑量が道路に沿って広がる。 それらを暫し愛でつつ、次のバスの到着を待つことに。 従って、監視塔到着は当初の予定よりも大幅に遅れてしまった。
とはいえ、風景は一期一会。 例えば、前掲の「匝瑳市役所庁舎」のページを改訂するにあたり久々に八日市場を再訪した際、槙塀が随分減っている印象を受けた。 今回目に留まった場所も、不変ではある保証はない。 だから、予定外の行動にも意味はあるし、そして愉しいものでもある。
監視塔到着後については、また別の機会に。

2025.01.13:メーカー住宅私考_200
風景の記憶としてのメーカー住宅

図書館にて窪田陽一著の「昭和の刻印 変容する景観の記憶」が目に留まる。 超高層ビルや高速道路、そして臨海工業地帯等、昭和期に新たな風景として創出された各種建造物について、その時代背景や今日に至る推移を、尾花基の写真と共に綴った書籍。 その場で手に取り、軽くページを捲ってみる。
もしも安直な懐旧や現状否定が並ぶだけならば躊躇なく書棚に戻すところであったが、どうやらそうではない。 むしろとても面白いので、貸出カウンターへと向かった。

「昭和の刻印」の一つとして戸建て住宅団地も取り上げられている。 言及は僅かだが、確かにそれも昭和の時代に生成され日常化した風景。 年間百万戸を超える新築住宅が永らく供給され続けた時期を有し、そして毎年度の売上高が兆単位に及ぶハウスメーカーが定常的に存する住宅産業の在り姿は、昭和半ば以降の極めて特異な動向だ。 こうして全国津々浦々に生成されて来た風景の現況はどのように評価されるのだろう。

メーカー住宅の風景といっても、それは一様ではない。
草創期にあたる昭和30年代後半から40年代は住宅生産の工業化が主題となり、新構法による旧来とは異なる内外観を呈した住宅が大量供給された。 50年代に入ると商品性の追求へとシフトし、機能や構法とは切り離された意匠や空間で組み立てられた住宅が供給されるようになる。 以降も様々な社会の要請に応じて技術や商品企画が進展。 それに伴い都度変化する意匠が、住宅団地内に多様な佇まいを並置させ、そして変容してゆく。
それは決して「ショートケーキハウス」などといった安易で薄っぺらな揶揄で一括りに出来るものではない。

千葉市内にある昭和40年代に造成された大規模な戸建て住宅団地を時折訪ねている。 その行為に関し、「都度、往時の建築事例の滅失を確認して巡る様なもの」と以前この場で述べた。 各メーカー草創期のものは建て替えや大規模改修が施され、あるいは更地化が進む。 旧態を留めるものは僅か。 中には廃墟化し、その存在自体が風前の事例も散見される。 風景への印象として少なからぬ影響を及ぼす物量を誇り、そしてその時々の技術者達の拘りが強く込められた筈のそれらは、「刻印」としての恒久性は残念ながら殆ど持ち得ぬ。 人知れず、しかも急速に失われ別のものに取って代わられる現況に、それで良いのかと想うところ、無きにしも非ず。
単なる趣味でこの場に不定期に書き散らしている「メーカー住宅私考」には、そんな想いも動機として少々含まれる。

2025.01.06:冬休み

年末年始はいつも通り北海道の実家に帰省。 週間天気予報は雪のマークが並んでいたが、着いてみると積雪量は例年より少ない。 滞在中も降雪と晴天が入り混じる比較的穏やかな日々が続いた。

元日も、冷厳に冴えわたる冬晴れに時折雪がちらつく空模様。 初詣に行こうかと思うが、市街地の神社は例年参拝客が多い。 見知らぬ群衆の列に入って順番を待ち、そして急かされる様にお詣りをするのも何だか風情がない。 そういえば、実家が立地する住宅地から外れた原生林の奥に、忘れ去られてしまったかのような神社が在る。 ネットで調べれば、その建立は明治中期。 つまり開拓時代まで遡るから、道内の歴史としてはそれなりの由緒を持つ。 しかし文字通り人里離れた場所にポツンと建っているから訪ねる人も少なかろうと考え、冬期間車両通行止めの林道を神社に向けて新雪を踏みしめた。
途中、雪上には数種類の小動物の足跡。 詳しくはないが、その特徴からキタキツネやエゾリスのものと思われる。 そして頭上には時折乾いた打撃音。 目を向ければ、アカゲラがせわしく嘴で樹の表面を叩いている。 普段接する機会のない自然を満喫しつつ、歩くこと二十分余。 到着した神社の周りにはいくつもの人の足跡。 参拝に来る人もいる様だけれども、訪ねた際には私一人。
真っ赤に塗装されたコンクリート製の鳥居には注連縄。 その奥の無人の社殿は、近年建て替えたのだろうか。 半間ピッチで四行五列打ち込んだ既成コンクリート杭によって高床を築き、その上に取り敢えず神社のシルエットを纏いつつも何とも素っ気ない社殿。 神々しさは全く感じられぬが、しかし手袋を外して神妙に手を叩くと、透徹に静まり返った周囲の木々に木霊する。 それだけでも何とも厳粛な気分になるではないか。 今年も良い一年になりますようにと短くお詣りをし、その後暫くその場に佇む。 その間も、訪ねてくる人は皆無。
こんな初詣も、なかなか良い。

帰路、住宅地内をそぞろ歩き。 二階建てから平屋への建て替え現場が幾つか散見された。 最近よく耳にする市場動向が、確かにそこかしこに顕れている。 今後、住宅地の風景はどのように変容するのだろう・・・などと想いを巡らせつつゆっくりと年末年始を過ごした。

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