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2018.11.12:【書籍】新建築2018年11月号

久々に同誌掲載作品についての感想を徒然に記してみる。

大手町プレイス

今世紀に入ってから雨後の筍の如く陸続と建てられている大手町界隈の超高層ビルは、より豪華であろうとそれぞれが張り合い、その街路をそぞろ歩きする際には何やらお腹一杯な気分になってしまう。 初音ミク風に書くならば「超絶俺様主義」的な様相を露骨に展開するある意味けばけばしいビル群の中にあって、当該建物は静謐で端正な趣きを持つ。 今年の春先、好天のもと初めて見上げたカーテンウォール面に纏うルーバーが織りなす繊細さは何とも美しく、「徘徊と日常」のページでもその印象について軽く述べた。
そのルーバーの断面図が同誌に掲載されているが、巨大スケールの壁面に取りつく部材にも関わらずきめ細やかな意匠上の配慮が見受けられる。 地上からは視認し得ぬそのディテールが、建物全体の品位を高めているのだろう。 そして低層部に施された意匠も、かつてその場所に建っていた逓信ビルの雰囲気が違和無く継承されており好ましい。 結果、同作品の解説文に書かれた「主張し合う大手町の超高層ビル群の中で、一味違う個性的な表情を出している。」という状況が確かに実現された。
それらのルーバーが、室内温熱環境や光視環境の向上と熱負荷低減にどの程度貢献しているのか。 数値的な記述は無く、断面図にてその効果を概念的に述べるに留まっている。 しかしこれからの大規模建築における環境配慮の重要なアイテムとして、その形態の決定に際し技術的検証プロセスに基づく数値を伴った説明が求められる外装部材として位置づけられるべきであろう。

さっぽろ創世スクエア

※1
圧迫感の低減を建物の高さを抑えることに求めるならば、西側に隣接する札幌時計台と高層棟との関係はどうなのだろう。 時計台を正面(西側)から眺めた際に、背後に高層オフィス棟が屹立する光景を拝むことになる。
周囲を高層現代建築に囲まれることによって「日本三大がっかりスポット」の一つなどと評されている時計台ではあるが、しかしその状況を都市のダイナミズムと捉えるならば別の視点も生じようか。 即ち、そんな状況を更に強化すべく敢えて時計台側に高層棟をレイアウトしたという解釈だ。

先月帰省した際、レンタサイクルに乗って市内を徘徊中にオープンして間もないこの建物の東側立面の前を通った。 掲載されている解説文の中には、配棟計画における敷地内の東側の扱いについて「創成川公園への圧迫感を軽減する都市景観を意識した機能配置とした」とある。 そのために、敷地の西側に高層のオフィス棟を、東側に低層の劇場棟がレイアウトされた※1。 しかし、実体験としてその目論見が成功しているとは思えぬ。 低層に抑えたとはいえ、その用途上ほぼ無窓となる大壁面が東側に接する道路からの後退距離も殆どなく無表情に立ち上がり、いかにも建物の裏手といった雰囲気を醸し出している。
建物の東側に面する市内の大動脈「石狩街道」は、その中央分離帯となる位置に、同市の開拓の歴史と深く関わる創成川が流れる。 建物名称の「創世」は、この創成川との何らかの関係を意識したものと思われるが、その意図の有無はともかくとして、同市ゆかりの創成川に面しながらそれに背を向ける配棟計画というのは如何なものか。 あるいは、今後創成川の東側エリアは北海道新幹線の札幌延伸と連動し様々な再開発計画が持ち上がっている。 それらの動きに対し明らかに背を向ける当該建物が、近い将来東側へ拡張するであろう市街地の中でどの様な立ち位置を呈することとなるのか。 それでなくとも、かつては幹線道路に挟まれた単なる水路という位置づけに堕していた創成川が、折角親水性の高い公園を伴う都市のアメニティに供する空間として再整備されたのに、それにわざわざ背を向ける理由も無かろう。

建物の圧迫感はその高低差のみで決まる訳ではない。 低くても意匠上の配慮に乏しいものは圧迫感が生じるし、その配慮が十全に実現されていれば高くても圧迫感は低減される。 同作品の東側立面と大手町プレイスの外表がそのことを如実に示す。

とらや 赤坂店

都市に存する建築物が経済の論理と無縁では在り得ぬ以上、それへのアンチテーゼとして容積未消化の小振りな建物を計画するよりも、その桎梏に嵌りつつそれでもなお解説文にある「悠久なものの影」を帯びた佇まいを醸成すること。 それこそが都市に建つ建物の在りうべき作法なのではという気もする。 ましてや、(施主判断で)想定していた用途の一部を追い出してまで現作品を実現したというプロセスを解説文で言及されてしまうと尚更である。
その意味では、元々計画されていた10階建ての案が如何なるものであったのか。 そしてそれが実現していたらどの様な佇まいを呈していたのか。 望むべくも無いが、そのこととの比較によって初めて、周囲に抗って低層建物にて実現した当該作品に対する評価が可能という気もする。
こんな風に考えてしまうのは、私自身が既にどっぷりとその桎梏に浸かりつつ日々の業務に勤しんでいるせいであろうか。 否、やはりそこにも建物のスケールと意匠上の配慮の問題が纏わりつく。 低くて小さいことが善で高くて巨大であることを悪とする短絡的な価値判断は、国内における景観論争の不毛の根幹でもある。

2018.11.06:長岡市幸町公園
※1

校正用のゲラ刷り段階の特集記事のデータ。

建築外構造物のページに掲題の公園を登録した。
そこに載せた文章には元ネタがある。 長岡市を中心に発行されている地域情報誌「マイ・スキップ」の特集記事※1として私が約5年前に書いた原稿がそれだ。 この時は、当該公園と、そして同市内に同時期に別途整備された「長岡セントラルパーク」の二つについて言及した。
しかし、後者は既に現存せぬ。 そして現存時、私は一枚も写真を撮っていなかった。 マイ・スキップ誌では、編集担当の方が画像を用意してくださったので文章が成立した。 しかし当サイトでは、そのページ構成上、自身で撮った画像が一枚も無いと取り扱うことが難しい。 二つの公園を並列に扱うことが出来ぬ。 ということで、現存するがために改めて写真撮影も可能な幸町公園中心の文章に調整し直した。

長岡セントラルパークの写真を一枚も撮っていなかった理由。 それは同市在住中を含め、あまり興味がなかったからに外ならぬ。 長岡に宿泊する際によく利用しているビジネスホテルは同公園に隣接しており、俯瞰アングルを愉しむことが出来たのだけれども、それにも関わらず撮影を試みたことはなかった。 今となっては大いに悔やまれる。

興味を持つきっかけとなったのは、他方の幸町公園だった。
かつて同市を訪ねた折、たまたま長岡市立劇場界隈を訪ねた。 その際、同施設の前庭のような位置関係で整備されている幸町公園を久々に眺め、造形的に面白い公園であることに気づいた。 と同時に何ともいねぬ既視感を覚えた。 それが、長岡セントラルパーク。 調べてみると、両方とも池原謙一郎による同時期の仕事ということが判り俄然興味が湧くこととなった。
しかしその時すでに長岡セントラルパークは除却済み。 同地には市役所庁舎付属のアリーナ棟が敷地目一杯に建てられ、かつての光景は見る影もない。

先月、改めて幸町公園を訪ねた。
本文の方にも書いているが、この公園は、隣接する長岡市立劇場との相補関係に在る。 市立劇場は築30年を経て大規模修繕が実施されたばかり。 その修繕工事によって、公園の背景とでも言うべき巨大で平滑な白一色の外壁面に太い雨水竪樋が三本設置された※2。 それが公園を含めた景観にとっては何とも残念な状況を生じているのだけれども、恐らくは防水性能に係る雨水排水の円滑性確保による建物保全の目的に基づく措置。 やむを得ぬことなのであろう。
そんなことを考えつつ、すこぶる快適な秋晴れの下、園内のベンチに腰掛け小一時間その場に佇む。
暫くして、老夫婦とその孫と思われる幼児が園内にやって来た。 その幼児は、公園中央に配置されたRC造の築山を見掛けるや、球状のその物体に駆け寄り、滑り台代わりにして遊び始めた。 老夫婦はその姿を穏やかに見守る。 滑り台代わりの遊びに飽きると、今度は公園の外周に巡らされているマウンドの上を走り回り始めた。 幼少のみぎり、親に連れられて市立劇場に訪れた際、この公園で同様の行為に及んでいた自身の姿と重なり、何やら懐旧の念が湧く。 幼児は数刻遊んだ後、老夫婦と共に園外へと去っていった。
それ以外の来訪者は無し。 ほぼ独り占め状態で公園の風情を楽む。
そうこうしているうちに昼時。 近傍のコンビニで昼食を買い求め、これまた園内で食す。 その間も来訪者は無し。 なかなかに寂しい状況ではある。
確かに、例えばベンチ※3の座り心地はあまり良いものではない。 座面は低いしコンクリート製だし、しかも経年で塗装が剥がれ所々骨材が洗い出し状態となっている。 このベンチに限らず、園内の各種しつらえはどちらかというと造形重視といった面が無きにしも非ず。 しかし、国内のランドスケープデザインの先駆者がその活動の初期に手掛けた公園として、あるいは市立劇場と一体となったその意匠性についてもう少し関心が広がれば、とも思う。

※2

幸町公園に面する長岡市立劇場の東側立面。
改修工事によって白一色の平滑な壁面に竪樋が設置され、壁面に落ちる影と共に鉛直方向の強い線分が外観構成要素として加わった。 それだけのことで、外観の雰囲気が随分変わるものだ。
※3

公園内のベンチ。
その殆どが、園内に巡らされた帯状のマウンドに寄り添うように設置されている。
2018.10.30:イケフェス大阪

「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」。 略してイケフェス大阪。 大阪市内の普段非公開の建物を秋口の二日間にわたって一堂に公開するイベント。 その参加建物数は年々増加し、今年は113件。 充実した建築イベントとして規模を拡大し続けている。

このイベントについては以前から耳にしてはいたけれど、しかし何せ大阪。 普段の私の居住地から随分と離れている。 距離のことを言い訳にしたくはない。 しかし折角時間と金をかけて赴いて、果たして充実した建築巡りが出来るのかという躊躇が心配性の頭をよぎる。
例えば、公開建物のいずれも見学希望者が殺到。 長蛇の列が出来て待ち時間だけを浪費するなんてことにならないのかなどと杞憂し、なかなか腰が上がらぬ。 ところが、今年の開催日程はうまく大阪出張の仕事のスケジュールと噛み合う。 これは好都合ということで、イベントの雰囲気も掴むべく幾つかの建物を巡ってみることにした。

例えば、岸田日出刀の設計にして有形登録文化財に登録されている事務所建築「リバーサイドビルティング」では、所有者と賃借人の方がトークセミナーを開催。 出席してみたところ、これがとっても有意。 ただ漫然と外観を眺めていただけでは気付かなかったであろう建物の様々な特徴を知ることが出来た。
と同時に、実際に普段用もなく自由に立ち入ることの出来ぬ屋内に入ることで、空間そのものの魅力も体感することが出来た。 建物の特徴となっている長辺方向の外壁面に並ぶ連窓から吹き込むそよ風が何とも心地よい。
自然通風に優れた事務所ビルって、最近はあまり無い。 私自身、平日の大半を機械設備を介してのみ外気とつながる密閉空間にて過ごしている。 そのことを考えると何とも羨ましい。

その後、安藤忠雄設計の「日本橋の家」にも赴く。 もしも来訪者殺到で入場待ちの列が出来ていたらスルーしようと思っていたのだけれども、意外にもすんなりと入ることが出来た。
その空間構成の妙には驚かされるばかり。 よくぞ僅か2.9m間口の狭小敷地に、これだけの豊かで変化に富んだ空間を創出し得るものだと感心する。 しかし、唯一接道する西側立面全体をスチールサッシの外部開口とした三層吹抜けのリビングルームは、夏はさぞかし暑くて大変だろうななどとも思う。
その開口から差し込む自然光を暫し眺めていたら、この住宅の所有者の方が「西日がとっても美しいでしょう」と気さくに話し掛けて来て下さった。 以降の話は、この住宅を如何に気に入りそして誇りに思っているかということがひしひしと伝わってくる内容。 施主と住宅と建築家の幸福な関係を垣間見たひと時であった。

これだけの大規模なイベントを企画することは非常に大変な筈だ。 主催者と、そして開催趣旨に賛同し建物を公開してくださった建物所有者の方々に感謝しつつ、来年以降も開催されるならば出張や仕事などとは関係なく大阪に出向いてみたい。 そんな気分にさせられる充実したイベントであった。

2018.10.23:ニセコ逍遥

前回の続き。
ニセコ駅に到着後、同駅で待ち合わせていた土地購入者の方と合流。 その方の車で早速現地に向かう。
当日は、現地に滞在した一時間強の間に土砂降りから快晴まで目まぐるしく天気が変わる空模様。 しかし勿論、様々な天候のもとで敷地の様子を確認出来たことは、現地調査としては好都合。 更には、敷地から望むニセコアンヌプリと羊蹄山の間を虹が繋ぐ光景を拝む機会まで得て気分も上々。
ハテサテ、今後この絶好のロケーションにどの様な建物が建つこととなるのか。

現調後、「車で近傍を案内しますヨ、どこか行きたいところはありますか」と仰る土地所有者の方の御好意に甘え、ニセコ町内に建つとある戸建住宅に向かって貰う。 それは前回11年前に同地を訪ねた際に偶然見つけた個人住宅。 直方体が斜めに大地に突き刺さったかの如き外観を持つその建物に対する初見の印象は、「ヤッテしまった系のトンデモ住宅」といった程度に留まり、写真を撮ることもなかった。 しかし後で調べてきて、それがかの倉本龍彦氏の若かりし頃の作品と知り驚くと共に大いに後悔する。 で、再訪の機会を伺っていた。 それが、前回書いたニセコ再訪の六点目の理由に当たる。
土地所有者の方もその住宅のことは御存知。 「あぁ、アレですね」と案内してくれた。
改めて眺めるその外観に対する印象は、初見の際のそれとは大きく異なることとなった。 それは、大御所の設計と知ったことも少々影響しよう。 しかしそれだけではない。 茫洋と北の大地が広がり、あるいは山々が連なるロケーション。 その中に単純で力強い幾何学形態を拠りどころに意匠を纏め、風景と対峙させてみる。 そんな意図が容易に理解できると共に、そのアバンギャルドとも受け取りかねぬ70年代住宅は、内観構成を素直に外観に表出させたものでもあった。

その佇まいを暫し愉しんだ後、リゾート開発が著しいエリアを案内してもらう。
そこに並ぶ夥しい量の大小様々なリゾートホテルやマンション。 あるいは大した隣棟間隔も無く軒を連ねる別荘は、個々においてはそれなりの意を尽くしたものなのであろう。 しかしそれらが群をなす風景は極めて雑然としたもの。 そこに何の豊かさも洗練も見い出せぬ。
徐行運転する車の中から眺めた印象でしかないが、しかし車を降りてじっくり堪能したい風景でも無い。 あるいは写真撮影の食指が動く程の興味を見い出すことも出来ぬ。 思い浮かぶのは全国各地に累々と横たわるかつてのリゾート地の廃墟じみた建物群。 それらと同質の未来像が、訪ねたエリアの風景に重なる。

勿論その印象をその場で口に出しはしなかったけれど、やや寂しい気分に陥りつつニセコ駅前へ。 お誘い頂いた建築家の方はそのまま同町に宿泊するが、私は実家に戻るので一旦そこでお別れ。 帰路の列車が来るまでの約一時間半の間、駅周囲を一人で気ままに散策することにした。
駅前に屹立する河成段丘の上下にこじんまりと形成された集落の雰囲気は、11年前に訪ねた際の印象と殆ど変わらぬ。 つい先程まで目の当たりにしていた新興の風景とは何ら関係を持たぬ日常がそこには在る。 その落差にこそ、ニセコの現在が象徴されているのではないか。 そんなことを考えながら、小樽行き一両編成のディーゼル列車にて帰路についた。

2018.10.17:目的地までの過程も愉しむということ
※1

倶知安駅前の石蔵倉庫外観。
切妻屋根のボリュームを持つ妻入りの二棟の石蔵を連結した様な形態によってギャンブレル屋根を思わせる外形ラインを持つファサードを形成している。
果たして内部の架構形式はどの様になっているのだろう。

※2
この言葉については、2012年2月22日の雑記でも少々触れている。

ニセコ町に土地を見に行きませんかとのお誘いmailを受け取る。
同町の土地を購入し、その土地に古民家移築再生を希望する人から相談を受けた建築家の方より頂いた案内である。 私は不動産鑑定の有資格者でもないし、土地を見たところで何のお役に立てる訳でもない。 お誘いの意図を掴みかねつつ、しかしそのmailを読み終えると同時に北海道行きの飛行機の予約を入れていた。
即決の理由は順不同で以下の通り。

1.
ニセコを訪ねるのは11年ぶり。 その間、同地は国際的なリゾート地としてのポテンシャルを上げ、街は多く変わったと聞く。 その変貌ぶりと実態を見てみたい。
2.
そもそも秋の北海道が大好きでこの時期いつも帰省している。
3.
期限切れ間近のマイレージの消化。
4.
どんな敷地なのだろう。またどの様な民家の移築を考えているのかという興味。
5.
とってもお世話になっている建築家の方からのお誘い。断る理由などあろう筈が無い。
6.
あわよくば、前回同町を訪ねた際に見掛けたちょっと変わった戸建て住宅を再訪したい。

これだけ理由があれば十分だ。
ということで、11日の夕刻から14日までの間、渡道。 12日の午前中、JR小樽駅にて御一緒する。 そこで待ち合わせた訳ではない。 しかし約束した時刻にニセコ駅に到着しようとすると、小樽で乗り換えとなるその列車に乗車するしかない。 左程に、小樽から先の列車の本数は限られている。

二両編成のその列車に乗車し氏を待っていると、車窓越しに氏の姿が一瞬見える。 しかしなかなか車輛に乗り込んでこない。 乗り継ぎ時間もあまり無いのにどうしたのかナと思ったら、ドアが閉まる直前に乗り込んできた。 そして私を見るなり「ここのプラットホームの上屋の構造は面白いネ!」と少々興奮した面持ちで話し掛けて来た。 え?っと思い車窓から見てみるとなるほど確かにそうかもしれぬ。 古レールを再利用した架構は減ってきているとはいえ、それほど珍しくはない。 しかし、小樽駅におけるそれは、小屋組みの架け方がちょっと珍しいかもしれぬ。
今迄散々同駅を利用していながら、全く気づかなかった。 汗顔の至り。 そのことに一発で気づいた氏は、やはり凄いと感心する。 目的地に至る途上においても常に風景に対する視覚を研ぎ澄ますこと。 こうあらねばと思いつつその列車の終着、倶知安駅に到着。

ニセコへは、そこから更に長万部行きに乗り換えねばならぬ。 その待ち時間は25分程。 少し駅前の様子でも眺めてみようかと改札を出て周囲を見回す。
すると見つけてしまった。 ちょっと変わった石蔵を。 元々二棟並列配置された蔵をいつの頃か一体化して一棟に纏めたかの如きちょっと不思議な外観※1。 矢も盾もたまらぬ。 小走りで石蔵に向かい写真に収め、暫しその外観を堪能。
復路は全力疾走。 ギリギリ発車時刻に間に合う。 でもって、その「釣果」を氏に披露。 「おぉ!これは面白いネ、目聡いね。」とお褒めの言葉を頂き、単純にも少々浮かれてしまう。

ともあれ、行程の途上の風景も楽しむこと。 それは例えばこの場でも幾度か引用している宮脇檀の以下の言葉※2

“移動も大事な旅の部分−寝るな、喋るな、本読むな”

ということである。
ニセコ町での事々は、また後日。

2018.10.10:メーカー住宅私考_98
2リビングの現在

少し前になるが、住戸内にリビングを二つ用意したマンションが関西で販売され話題になった。
といってもそれは基本プランとして設計されたよくある妻側4LDK住戸の一部を組み替えるメニュープランの扱い。 住戸の妻壁に面する二つの個室を統合し、通常の南面リビング(以下、リビングA)とは別にもう一つのリビング(以下、リビングB)を設えるといったもの。
南面のリビングAが、キッチンやダイニングルームと一体になった普段使いのLDKであるのに対し、リビングBは用途の兼用が無い純粋なリビングルーム。 しかも、リビングBの長辺が接する住戸内廊下との間仕切り部分が壁では無く全面引き戸となっている。 その引き戸を全て開放すれば、廊下と一体となった室の使用が可能。 更には廊下を介して玄関と直接繋がるパブリックな活用を示唆する。 このことによって二つのリビングの空間としての性格の違いが明確化され、それぞれにおいて異なる使用目的に供することが可能な仕掛けとなっているところが面白い。

リビングを二つ用意した住まいというと、ミサワホームが1981年に発表したミサワホームM型2リビングが思い浮かぶ。
当該モデルについては、このサイトにおいて何度も言及している。 週休二日制の定着と共に増加する余暇を愉しむ住まいの在り方として、「余暇室」と名付けた二つ目のリンビングをプランに組み込んだ企画型住宅。
その「余暇室」の活用事例としての優雅なホームパーティーのシーンが、同モデルの販売資料の表紙を飾った。 あるいは、アトリエやリスニングルーム等、様々な「余暇室」の活用方法が積極的に提案され広報戦略のなかに取り入れられた。 来たるべき社会に対するビジョンを明確化し、それに対応した住まいの在り方を積極的に提案・先導する姿勢は、当時のミサワホームならでは。

しかし、昭和後期に華々しくデビューしたこのM型2リビングは、やや早過ぎるモデルであった感が無きにしも非ず。 実際に、余暇を多彩に楽しむもう一つのリビングというプラン形式が一般化若しくは一型式として定着するには至っていない。
それは「リビングルーム」そのものの用途や位置付けが、当時は曖昧なものとして捉えられるに留まっていた点が大きく影響していたのではないか。 テレビに誘引されるかの如く家族が何となく集まるだけの団欒とも言えぬ団欒のための部屋。 そんな空間が二つあっても持て余すだけといった類いの評価が、何となくこの先進的モデルに向けられていたのではないだろうか。
あるいは、家族が集うことを前提としたその空間に佇む筈の家族そのものの人員構成数も減少の一途。 両親に子供二人という平準的家族像と現実が乖離して久しく、ために「リビングルーム不要論」や「個室群住居」といった言説や事例がいよいよ住まいの形式として深く浸透し一般化するのかと思いきや、昨今の状況を見ているとそうでもないらしい。 逆にリビングを自然に活用する暮らし方が、定着しつつある。 それは例えば、「リビング学習」という言葉にも象徴されよう。 子供はLDRのダイニングテーブルで勉強し、その傍らで親達が思い思いに極々自然に寛いでいる。 彼らにとって自室は専ら就寝の用途に供するだけの文字通り「寝室」。 宅内での日常生活の場としてリビングを普通に使いこなす暮らし方の定着が、二つ目のリビングのニーズを高め得るのかもしれぬ。

しかしそのことが、時代がM型2リビングに追いつきつつあることを意味している訳では無い。 同モデルが描いた「余暇室」という名の二つ目のリビングと、冒頭の「リビングB」とでは、その指向するところが少々異なるという印象だ。
それは例えば、文中の画像の如く「与えられた」余暇に対してちょっと背伸びをした豊かな生活を演出するのではなく、「当然なもの」として存在する余暇を等身大で愉しむ空間としての二つ目のリビングの存在。 1980年代の先進的な住まい方提案が、時を経て目的や形を変えて今後進展し得るのかもしれぬ。
もっともそこには、平均世帯人員数の減少に関係なく、販売住戸に関し四人家族をターゲットとしたいわゆるファミリータイプと同等のグロスを維持しようとする供給者側の思惑が見え隠れせぬ訳でもない。 だが、それは蛇足ということにしておこう。 連綿と続く平準的な妻側4LDKプランの圧倒的な販売実績と、それ故に派生プランという位置づけに留まらざるを得ぬ2リビング型式の現時点での限界でもあるのだから。

2018.10.04:Cells at Work!

ひと月ほど前に初めてPET検査を受けた。 その結果が届く。 異常は認められずとの所見。
その診断書に添付された陽電子放射断層撮影による自らの身体の断面画像は、幾ら凝視しても何が何だか良く判らぬ。 むしろ昨年受けた脳ドッグの検査後にその場で見せられたMRIの3D画像の方が生々しくてインパクトが大きかったですかね。

ともあれ、よく判らぬその画像を眺めていると、少し前にもこの場で言及した体内細胞擬人化アニメ「はたらく細胞」の各シーンが思い浮かぶ。 断面として映し出された自らの体内で、作中に描かれた様々なエピソードが同時多発的に繰り広げられているのだと思うとなかなかに感慨深い。
勿論、現実の体内で起きている事々は、アニメの中で擬人化されたそれらとは全く異なる姿をした各種細胞達が、これまたアニメの中での表現とは全く異なる形で自らの役割を忠実にこなしている。 そして体内そのものも、作品で描かれた巨大都市か化学プラントの如きそれとは様態を異にする内宇宙が広がっている訳だ。 そのことが判っていても、何となく個々のキャラクター達の立ち居振る舞いが想起されてしまう。 それを想うにつけ、身体をいたわらなくては、不摂生は避けなければとしみじみ思う次第。
この作品は先月末で最終回を迎えたが、好評であったらしく早くも今月から東京MXで再放映される。 途中回からしか視聴していなかったので、初回からしっかりと見直そうと思う。 何せその内容は、NHK Eテレで放映されても何ら違和を生じぬであろうとてもためになるコトばかりですからね。

ところで、登場する免疫細胞の一つ「B細胞」役の声優さんが、かの「月がきれい」の主人公、安曇小太郎君を演じた方と同じということを知った時には、ちょっと驚いた。 芯の強さを垣間見せつつも基本的に控えめで落ち着いた雰囲気の小太郎君に対し、明るく闊達な青年という印象のB細胞。 そんな真逆のキャラクターをものの見事に演じ分けている。 と思ったら、「マクロファージ」役と小太郎君の母親役も同じ声優さんですか。
まるで別人じゃありませんか。
キャラクターに合わせた声色の使い分け。 大したものだ。 その高い技能とプロ意識に感心すると共に、恐らくはそういったところを作品間で比べてみることも、アニメ作品を視聴する際の愉しみ方なのであろう。

プロ意識といえば、作中に登場する細胞達の台詞にも、そのことに纏わる名言が多い。 例えば最終回第13話「出血性ショック(後編)」の中で、その絶望的な状況下においてなお赤血球が毅然と発した以下の言葉

“私は最後まで酸素を運ぶよ。それが私達の仕事なんだから!”

などは、実にしびれます。 泣けてしまいます。 私も、この意気をもって日々の業務にあたらなくては・・・などと、これまたしみじみと思う次第ではあるのだけれども。

2018.09.27:去りゆく施設に纏わる身体的な記録
本文中の画像は、同センターの東側外観。 栖吉川の対岸の土手から撮ったもの。
合理的な構造躯体フレームと、その内側に嵌められた画一的な帳壁に拠る組み立てを立面の基本としつつ、二階左手のオーバーハングしたボリュームや最上階のプラネタリウムのドーム等を配置することによって、全景に「動き」を付与している。
ドームの右手にみえる外部階段の屋根の扱いがちょっと面白い。

恐らく全国に同様ないしは類似の名称を冠した公共施設が幾つも存在しているのであろう。 そしてこれまた恐らく、いずれも同じ時期に整備方針が策定され、そして建てられた。
似た名前を持ちそして供用されつつ、その中身や建物の形態について共通項ないしは雛形を持つのか否かは追求していないので判らぬ。 しかし、新潟県長岡市に建てられたそれは、幼少から青年期までその地に育った者として、それなりに縁のある施設でもある。

長岡市青少年文化センター。 JR長岡駅の東口から延びる駅前通りを東進すること暫し。 市内を流れる一級河川、栖吉川と交わるその手前にこの施設が位置する。
1969年にオープンしたこの公共施設の中で即座に思い浮かぶ用途といえば、最上階に設けられたプラネタリウムと一階の一部にスペースがあてがわれた科学コーナー。 とりわけ後者は、卑近と思いつつも「レトロフューチャー」という言葉以外の適切な表現を見い出せぬほどに、その印象に満ち足りた空間である。 ネットで調べれば、その概要を紹介するサイトが幾つか引っ掛かるのでここでは特に多くは言及せぬ。 しかし、高度経済成長期に指向された輝ける近未来への夢や希望を大いに膨らませる科学や技術に纏わるビジュアルな体感装置が並ぶそのスペースは、間違いなく同館の象徴として位置づけられ今日まで存続してきた。
この施設を中心に、確かにそこは青少年にとって文化の啓発の拠点として在り続けたのであろう。

そんな同施設が来年三月末をもって閉館することを知ったのは、同市を中心に発行されている地域情報誌「マイ・スキップ」の9月号の特集記事。 同記事には、閉館の理由として「老朽化」という言葉が載せられている。
老朽化。 長く供用され続けてきた施設の廃止に係るクリシェとして、これほど便利で普遍性を帯びた言葉は無い。 果たして、ここで言う老朽化が、建物そのものの物理的な問題を意味するのか、それとも施設の運営目的そのものを指すのか、あるいはそれ以外の事情に拠るものなのか。 そのことまでは記事の中で具体的に触れられてはいない。 ともあれ、これも時代の流れ。 また一つ、思い出がギッシリと詰まった街の中から物理存在が姿を消す。

同施設に関する個人的な思い出は、前述のプラネタリウムや科学コーナー以上に、併設されていた屋内温水プールに在る。 小学生の頃、同プールにて運営されていたスイミングスクールに通っていたのでそれなりに馴染みが深い。
取敢えずは厳しい指導の下に鍛錬に励んでいたためか、あるいは小学校卒業を機に退会して以降同施設を利用したことが無かったせいか、空間に対する記憶はあまり無い。 マイ・スキップ紙の記事に添えられた内観写真を見て、「こんなだったかな?」と思う程度。 しかし、外壁面に大きく穿たれたガラスブロックの開口から燦々と差し込む自然光に満たされた水の中を泳ぐ感覚は、まるで宝石の内面を揺蕩う様な気分であったことを朧げに覚えている。
ちなみに、私の左足の甲には同プールの監視員控え室の出入口扉に激突した際に負った小さな傷の痕跡が未だにうっすらと残っている。 施設が閉館し建物が除却されることになったとしても、身体に刻印され数十年経っても消えぬその痕が、建物が存在したことの間接的な証として私の生ある限り遺り続けることとなろう。

2018.09.21:メーカー住宅私考_97
第一木工−グリーンゲイブルズ

第一木工(現、GLホーム)のモデルについては、「住宅メーカーの住宅」のページに一例載せている。 1981年に発売されたギャラリーIIという名称のそのモデルは、スキップフロアを基本骨格に据えて半地下室から屋上バルコニーまで6層で構成される住空間を提案したものであった。
その流れに与しつつ、間口が限られた狭小敷地への対応を試みたと思われる商品が、1985年発売のこのグリーンゲイブルズになる。 建物全体を南北に分け、それぞれを半層ずつずらして階段で繋げる構成はギャラリーIIと同じ。 しかし、建物間口を抑えて狭小敷地への適応性を高め、更に最下層をインナーガレージにあてがうことで土地利用効率を高めているところが異なる。

モデル名称にちなんで、広告のキャラクターには赤毛のアンを起用。 そして外観も、緑色の屋根葺材と白いサイディングとの鮮やかな対比によって赤毛のアンの家の要素をイメージの中に組み込むことを狙った様だ。
田園風景の中にゆったりと建つ赤毛のアンの家を、スキップフロアを駆使して都市型住宅に置換するという発想。 若しくは、厳しい都市居住の条件下にあって物語の世界にすがることで商品に独自性を付与しようというやや物哀しい現実。
ともあれ、本家とは全く縁が無いのであろうスキップフロアの導入により、通常のフロア構成とは異なる変化に富んだ内部空間を獲得している。

広告等で紹介されている代表プランは、北側接道を想定したもの。
その前面道路に面して半地下状となったインナーガレージを設置。 脇に取り付く外部階段を半層昇って玄関に至る。 玄関を開けると、横に北向きのリビングルームが接続。 このリビングはちょうど半地下のインナーガレージの直上に位置する。 北側リビングというのは変則的であるが、玄関が北向きであることを鑑みるならば、接客動線の効率化を優先させた割り切った考え方。 この北向きリビングの南面に大きな開口が穿たれ、半層下がった(つまり地盤レベルの)南面ダイニングキッチンに連携する。 スキップフロアを活かして独立性と空間の広がり、そして北向きリビングに南面の採光を取り込む空間操作が巧みだ。 これらLDK空間の上に、建物中央に設けた階段を介して南北に半層づつずれながら個室が連なり、最上階のルーフバルコニーに至る。
広告に載せられた「敷地が狭いからってあきらめないで」というキャッチコピー、あるいは同じく広告上のモデル名称に添えられた「Little&Rich」という言葉そのままに、限られた屋内に階段の昇降による変化を与えることで狭隘さを払拭すると共に商品としての魅力付けを行い、日常生活への豊かさを確保する。 そんな個性的な内部空間ではあるが、都市型狭小住宅においてこの様な手法は現状特殊解という位置付けであろう。

2018.09.13:藤森建築二題

八月上旬に掛川を訪ねた折、現地で会った知人から当サイトについて「静岡が空白地帯ですよネ」との感想を頂いた。 なるほど確かにそうだ。 と同時に空白なのは何も静岡エリアだけではない。 傾向として西日本が弱い。 これは今までの居住地や勤務地と大いに関連する。 とりわけ九州がなかなかに寂しい状況で、そのうちゆっくりと各地を訪ねてみたいと思っているところではあるのだが。
閑話休題。 本人に向かって空白地帯と言い放ったからにはその発言の責任を取って貰いましょう・・・などと手前勝手な理由を付けた訳では無いけれど、取り敢えずは空白を少しでも埋めるべく車で方々案内して頂いた。 その際、藤森照信の作品も二題拝見する。

いずれも美術館。
その一つが、掛川市内に建つ「ねむの木こども美術館」。 道路を挟んで向かい側に整備されている駐車場に車を止めて見上げる外観は、なぜか建物の裏側。 これはアプローチ経路の設定として如何なものかと怪訝に思いつつ、建物にアクセス。 館内で受付を済ませると、なぜかそのまま奥の扉から一旦屋外に出て展示室に向かうように指示される。 これまた腑に落ちぬまま扉を開けると、そこにはなだらかな傾斜を伴う地被で覆われた庭がゆったりと広がる。 その広場を目一杯迂回するようにUの字の小路が取り付き、来館者はそこを歩いて展示室に向かう。
美術館における動線の延伸は、作品に対峙する気分に切り替えるための常套手段。 一旦外に出して大きく迂回する通路を巡らせ、その際に視点の移動を伴う建物の「表側」の外観を堪能させる仕掛けはとても面白い。 恐らく安藤忠雄であれば、通路に沿って目線をはるかに超える高さのコンクリート打ち放しの塀をめぐらせ、容易に対象物が臨めぬように造作。 巡り巡って辿り着く寸前に一気に視界を開放する演出を企てるのであろう。 しかしここではそういった作為は一切無し。 あっけらかんと全てを現わしつつ、小路を巡る際の視線の移動に伴う外観の様々なアングルを存分に愉しませてくれる。
但し、その際に臨む建物全景は他の藤森作品とは趣を異とし、ややメルヘンチック。 それは建物用途に沿った対応に基づくものなのだろうか・・・などと思いつつ展示室へ。 展示作品はいずれもとても素晴らしい。 そして展示空間は、それらに抗わぬ雰囲気を醸しつつ、しかし藤森照信の世界で満たされていた。

もう一つ、浜松市に立地する「秋山不矩美術館」も訪ねる。
ちょうど特別展「藤森照信展」が開催中。 一本の丸太から荒々しく削り出した建築模型が新鮮。 そして各種素材のディテールに関する展示も興味深かった。
しかし、美術館としての館内の動線計画にはちょっと首を傾げることに。 特に一階展示室と二階展示室の連携は少々如何なものかと思う。 あるいは館内の所々に「音が響く空間なので鑑賞は静かに」といった注意書きの張り紙。 左官や自然素材で仕上げられた柔らかな雰囲気の屋内空間は、しかし音響面では決して柔らかなものでは無いらしい。
一方、外部のざっくりとした土壁風の仕上げは流石、と思う。 ツルツルピカピカな均質の仕上げが主流の世の中にあってこの質感を出すことはなかなか難しい筈で、それを大きなスケールで実現していることに驚く。

藤森建築はとても不思議だ。 どこかで見たことがある様な懐かしさを帯びつつ、しかしその参照先を見い出すことは不可能。 あるいは内外観共に素朴もしくは粗野な印象にて貫かれている様でいて、しかしそれを建築作品として成立させるために実は周到な検討が行われ、あるいは結構無理もしている。
緻密に仕組まれた質朴さ。 二つの美術館建築に触れ、更に藤森照信展を見てそんなことを考えることとなったが、そのきっかけを与えてくれた知人に感謝します。

2018.09.05:ゴードン・マッタ=クラーク展
※1
「徘徊と日常」のページで2018年2月18日に当該「アート」について書いた。
※2

ダンボールを用いて作られた1/8スケールの同模型の一部分。
会場は基本的に撮影可。そしてネットへの掲載も可ということで、ここに載せる。
※3

建物調査のため、界壁に円形の孔が開けられた文化湯内観。
同調査は、まだ生活感の痕跡を有する代官山アパートを子細に見学出来る貴重な機会であった。

東京国立近代美術館にて開催中の掲題の企画展を観た。
この作家のことは、同館のサイトに載せられた企画展の概要にて初めて知った。 そこには、「スプリッティング」と名付けられた代表作の画像が載せられている。 それは何の変哲もない一軒家を縦方向に真っ二つに切断したもの。 これを「アート作品」と受けとめて良いものなのかと訝しく思う。
果たして展示されている内容は、第一印象としてのこの訝しさそのままのものなのか。 それとも別の何かを見い出すことが出来るものなのか。 そんなことへの興味から、同展に足を運んだ。

同館最寄りの東京メトロ東西線竹橋駅のコンコースのタイル壁面に施された「テープアート※1」は未だ顕在。 こちらの方がよっぽどアートとして判り易い。 この際、大々的に行われている構内の改修に関し、この仮設の「作品」を活かしたインテリアで纏めても良いのではないかなどと勝手なことを考えながら、美術館に到着。 最初の展示室に足を踏み入れる。
その途端、サイトを観た際の第一印象は覆された。 最初に目に飛び込む「サーカスまたはカリビアン・オレンジ」の巨大再現模型※2はとても見応えがあった。 解体間際の事務所ビル内の界壁および界床の所々に円弧のカッティングを施す。 それによって何の変哲もない事務室に新たな視野や採光がもたらされ、そこに崇高な空間性を付与する試み。 解体されることが前提の建物であるが故に構造的与件を不問とした工作が可能であり、と同時にそれは期間限定のインスタレーションの域を超えることは無い。 それでも、その発想や取組みはとても面白い。

円弧による穿孔というと、かつて同潤会代官山アパートの建て替えに伴う住人退去直後に実施された建物調査に同行する機会を得た時のことを思い出した。 その際、団地内の銭湯「文化湯」の男湯と女湯の仕切り壁に円形の巨大な孔が穿たれた※3。 それによって界壁の構造が煉瓦積みであることを見知った訳だけれども、しかしそのカッティングによってそこに新たな空間性が獲得されていた訳ではない。 それは単なる躯体調査の一環で行われた穿孔に過ぎぬ。 建物の形態や特徴を捉え、そこに施すカッティングによって如何に空間を変容させるか。 その意識の有無が、アートと調査の境界を分かつ。

そんな視点で他の作品も観て廻ったが、その多くは極めてアナーキーな活動。 恐らく作者がまだ若かったから、あるいは70年代という時代が、その様な行為の実行と、そしてその行為を許容する余地を持ち得ていたのかもしれぬ。 その後御本人が歳を重ねそして何かと窮屈な現代において同様のことが可能かといえば、なかなかに難しかろう。 若くして亡くなられたこと、そしてそれが故に活動期間も極めて短かいものに終わってしまった訳だけれども、果たして今も健在であった場合どの様な創作活動を展開していたことだろう。

ともあれ、作者が建築や都市にそそぐ視点や行為はいずれも鋭く、そして意外性に満ちている。 事前の印象とは異なりとても興味深い個展であった。

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