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2024.10.24:メーカー住宅私考_197
セキスイハウスE型とホームコア

※1
セキスイハウスE型施工事例

※2
ホームコア施工事例

※3
工種の統合、もしくは多能工の導入の考え方が、後に内外装を兼ねる多機能素材PALCを帳壁として用いたミサワホーム55に繋がったと捉えると興味深い。

「住宅メーカーの住宅」に積水ハウスの「セキスイハウスE型」※1を追加した。
昭和40年代に発表されたこのローコストモデルに今まで大した関心は持っていなかった。 しかし、9月30日の雑記に書いた住宅地に出向き、当該モデルが結構な密度で建ち並ぶ様子に接していたらスイッチが入ってしまった。 幸い、同モデルに関する資料が僅かながら手元にある。 それらに改めて目を通しているうちに、文章を取り纏めてみたくなった次第。
その過程でこぼれ落ちた内容をここに書き留めておく。

例えば、15種の規格型の間取り。 「住宅メーカーの住宅」に載せた文章では表現を和らげたが、特に魅力や関心は見い出せぬ。 それこそ、朝、上司に設計条件を告げられ、今日中に15タイプ用意せよと指示され取るものも取り敢えず作成したといった印象。
それが、E型の4年後に同じく平屋建てローコストモデルとしてミサワホームが発表した「ホームコア」※2となると、様子が全く異なる。 「中央コア」若しくは「ジョイントスペース」といった、その後暫くの間同社の商品体系の礎となる設計手法の萌芽がそこに見てとれる。 そこに、単なる廉価な狭小住宅との評価に留めぬ魅力を同モデルに付与する。
但し、住み易さを考えると、E型の方が素直なのかもしれぬ。 凡庸であることが住まいとして劣っていることにはならぬ。 逆に、先進的であることが優れていることとも限らぬ。 その評価は難しい。 技術的な視点と、住まう行為に向けた評価。 E型とホームコアには、その距離が見て取れる。

内装についても然り。
E型ではローコスト化のために簡素な取り纏めに注力しつつ、用いられている部材は概ね往時の平準的なもの。 一方のホームコアは、工種の整理統合や部材の新規開発にまで踏み込んだ。 例えば、室内の壁に外装仕上げ材を持ち込む。 あるいは、断熱材を芯材に用いた薄型畳を開発する等々。
中古住宅として販売中のホームコアを実見した際、リシンが吹き付けられた内装をみて、「本当にこの仕上げだったのか」と驚いたものだった※3。 畳も、今となっては薄型は普通だが、当時は抵抗が強かった旨、内橋克人著の「続々続々匠の時代」に記されている。
住宅の工業化と保守的な市場ニーズとの乖離。 そのジレンマを抱えつつ、工業化によって新たな住文化を切り拓こうとする気概が往時のミサワホームには漲っていた。 一方の積水ハウスは、工業化は住み心地の良い住宅を提供するための一手段との捉え方であった。

果たして今、市場の価値判断はどちらに軸足が向いているだろうか。

2024.10.15:大同生命札幌ビル

※1
旧大同生命札幌ビルの中間層に設けられた空中庭園

札幌駅前通りに連なる凡庸なオフィスビル群の中にあって、建替え前の掲題の建物は少々異彩を放っていた。
地上二層の基壇と基準階を成す上層五階以上のボリュームに挟まれた中間層に大きくピロティ空間を挿入。 空中庭園※1を形成し、地上部からアクセスする螺旋階段を収めた円筒形のボリュームを交差点に面した建物隅角に配した構成。
建てられたのは、1975年。 設計は黒川紀章。 となると、三,四階に設えられた空中庭園は、さしずめ中空に持ち上げられた“中間領域”といったところか。 その中間領域へと地上を行き交う人々を誘うためのアクセス経路の工夫も含め、設計意図が極めて分かりやすく表現された外観が、周囲とは様相を異にしていた。
しかし無目的に滞在可能なはずの都市の公共的空中広場は、私が訪ねた際にはいつも閑散としていた。 企図された仕掛けは、その供用において十分には機能してはいなかったのかもしれぬ。 管理は行き届いており、いつ訪ねても植栽を含めて小奇麗に整備されていたし、広場に面して設けられたギャラリーや、あるいは地上レベルとは異なる都市景観への眺望等、なかなかに興味深い空間であったのだけれども。


建替え前

建替え後

そんな当該ビルが数年前に建替えられた。
基壇と基準階を明確に分ける構成は、かつての建物を踏襲していると読み取れそうだ。 但し、双方の中間層としての中空ピロティは存在せず。 替わりに基壇二階部分の隅角にかつての空中庭園を思わせる広々としたラウンジが設けられた。 二層吹抜けの十分な天井高。 そしてほぼ天井高目一杯の巨大なガラスの外部建具は開閉可能で、外部の気候に応じ内外の関係を多彩に演出する。 なるほどかつての空中庭園は、吹きさらしであったから冬季の利用は困難であっただろう。 そんな過去の経緯を鑑みた現実的な措置として考えられたものなのかもしれぬ。
但し、そのラウンジに至るには、一旦建物屋内のエントランスロビーを介する必要がある。 かつての様に接道部に面した螺旋階段で直接アクセスできる訳ではない。 だから、形態は踏襲されていたとしても、そこに新たに整備された空間は、かつてとは性質が全く異なるものなのかもしれぬ。 内外の位置づけが曖昧な中間領域ではなく、屋内化された豊かな公共空間。
果たしてそれが、旧建物の中間領域の継承と位置付けられ得るのか、あるいは過去のそれに込められた設計意図以上の豊かな公共空間として十分に供用され得るのか。 そんな事々に関心をもって眺めてみたい建物である。

2024.10.07:ミサワホーム・ドメイン補足

先月、「住宅メーカーの住宅」のページに「ミサワホーム・ドメイン」を追加した。 1983年に同社が発表した企画住宅。
もともとこの雑記帳の場にて不定期に連載している「メーカー住宅私考」の中で、2021年の2月から3月にかけて4回にわたって書き散らしたものを再構成して登録した。 再構成にあたり加筆ないしは記載から外した内容もあるため、雑記帳の方はそのまま残しておく。
一旦雑記帳に書いて、後年住宅メーカーの住宅の方に移設したケースというと、積水ハウスの「フェトーのある家」やミサワホームの「NEAT INNOVATOR」がある。 当該連載は、2012年2月から書き始めて、その連載数も190を超えた。 まさかここまで回数を重ねられるとは思っていなかったし、これからいつまで続くのかも定かではない。 というよりも、タイトルに通し番号を付ける意味も何だか分からなくなってはきたが、そこは私設サイトの気楽なところ。 これからは、今まで書いた内容を見直したり新たに知り得た事項を追加しながら、同様に「住宅メーカーの住宅」のページに移設するケースが増えるかもしれぬ。

引用画像は、発売されて間もない頃のドメインの新聞広告切り抜き。 左が1983年11月。 右が1984年3月のもの。 それぞれ、大きく「一家両得。」「一居六得。」の文字。 いずれの一挙両得を捩ったもの。 後者の方が、より御利益がありそう。 同じ文字遊びでもインパクトが違うものだなと往時思ったものだった。
そんな当該モデルに関しては、発想が実に(当時の)ミサワホームらしくて面白いなというのが、発表当時の第一印象。 これから高齢社会が更に進行し、定年退職後の生き甲斐や生活の安定などを目的に、在宅起業を行うケースが増えるであろう。 そんな近未来を想定したモデルを発表する。 「20年、30年先考えてますか? ミサワホームは21世紀を捉えた!!」という、同社の当時の広告の決まり文句そのままの先進の発想が、当時の同業他社にはない同社ならではの先進の商品企画の妙がそこにはあった。
そして単に器を提案するだけではない。 器を有効活用するためのソフト面のフォローとして、各種出版活動も並行させる企業姿勢にも感心したものだった。

但し、その発想を具体化した内外観については、特に新鮮に思う点は無かった。 既に手慣れた手法によってそつ無く纏められているといったところ。 その印象は、今も当時とは変わらず。 従って、文面もそのような組み立てで纏めることとなった。

2024.09.30:メーカー住宅私考_196
セキスイハウスE型

※1
正確には、旧通産・建設両省及び日本建築センター共催で1970年に実施された先導事業「パイロットハウス技術考案協議」にて採択された同社提案モデル「セキスイハウスE-PH型」に、ディテールが転用されている。


※2
本文中の二枚の画像は、その住宅団地内で14年前に撮影したセキスイハウスE型の施工事例。 双方とも、オリジナルの様態を良好に留めていた。
近隣には、極一部に残存するディテールから辛うじてそれと判別可能な程に増改築著しい事例も散見された。

知り合いの知り合いが、築年数を経たテラスハウスの一区画を改修してカフェに転用。 繁盛しているとの話を聞いた。 面識は全く無いが、テラスハウスのリノベーションという点に興味を持ち、グーグルストリートビューで現地を様子を窺ってみる。

場所は、千葉県住宅供給公社によって1960年代半ばに造成された大規模な郊外型住宅団地。 RC造二階建てのテラスハウスと戸建て住宅がほぼ半々の割合で建つ。 前者の住棟が累々と建ち並ぶ風景は壮観。
しかし個人的には後者に関心を持つ。 分譲開始から間もなく施工されたと思われる住宅メーカー各社の家々が旧態をある程度良好に保持しながら建ち並ぶ。 その中には「セキスイハウスE型」と思しき事例も散見される。
積水ハウスが1965年に発表したモデル。 名称の「E」はエコノミーの意味。 即ち、廉価モデル。

同社の社史に載る商品系統図によるとE型は一時期のみの限定的なモデルとして表記されている※1。 構造形式や採用モジュールが、同社草創期からの基幹となっているB型システムとは異なる独立した短命の商品だった様だ。 ために概要を殆ど把握できていない。 外観目視の機会を得たのは、同じ県内にて公社がほぼ同時期に造成した別の住宅団地内での数例のみ※2

その実見と所持する資料から把握出来ているE型の特徴は、以下の程度。

緩勾配の切妻屋根を載せた平屋建て
屋根両端に矢切板がつく
南面テラスにパーゴラを標準装備
乾式外壁パネル同士のジョイント材の納まりがB型と異なる
延床面積に拠らず梁間方向はいずれも三間幅の単純な矩形ボリューム

国土地理院がネット上に公開している「地図・空中写真閲覧サービス」にて、1975年に同地を撮影した航空画像を眺めてみる。 すると、ストリートビューでE型が散見された箇所に、同一規格と思しき住宅が規則正しく並ぶ様子が確認出来る。 公社が、土地の造成と販売のみならずE型の建売事業も手掛けた可能性。 そして今は散在するに留まるE型が、かつては軒を連ねていた可能性。 前述の積水ハウスの社史にも、

住宅供給公社の分譲住宅など東京市場で多く販売した

とある。 私が実見した別の住宅団地の施工事例も同様の経緯なのかもしれぬ。 往時、同社のみならず、大和ハウス工業や永大産業等、幾つかのメーカーが同様のローコストモデルを発表している。 それらは、各地の農協や漁協等と提携し販売が行われた。 特定の団体ないしは組織向けの低価格モデルの整備。 そんな流れの中でE型も捉えられるのかもしれぬ。

さて、リノベカフェの訪問も兼ねて同地に赴き、プレハブ住宅産業草創期の歴史の一部を堪能しようか。

2024.09.23:一枚の写真から

14年前、室蘭市内を散策中に何気なく撮った写真。 そこで真正面に捉えた建物の第一印象は、「奇妙な外観」であった。

二階は風変わりな軸組みのハーフティンバー。 窓上の斜材はペディメントを意識している風に見えなくもない。 木軸に囲われた白壁は、そのざっくりとした質感から遠目にはドイツ壁かと思ったが、近づいてみると煉瓦積みの上に白の塗装を施したもの。 表層が劣化し、煉瓦が露呈している箇所も確認できる。
恐らくこの二階部分は竣工時の様態が概ね保持されているのだろう。 かつては一階廻りも同様の意匠が施され、ややプロポーションを逸しながらも斬新な洋風建築として街並みに彩りを添えていたのではないか。
現況、その一階は大幅に改変。 五つに区画され、それぞれに店舗が入居。 バラバラに下屋を張り出して個々に店構えを成す。
混沌とした一階と旧態を留めた二階。 久々に眺めてみると何とも味わい深い。

一階中央の緑色のテントに黄色の文字で記された店名を検索すると、専用サイトに至る。 ハンバーグ料理をメインに据えた飲食店だったらしい。 また、隣に建つ「海岸町市営団地29 室ビル」にてこの店のオーナーが道内を巡るライダー達のための無料宿泊施設をボランティアで運営していたとのこと。 建築探訪のページに載せているこの市営住宅がそんなところで関連付けられるとは・・・と、少し愉快になる。
関心が増し、更にネット上で色々調べてみると、建物の一階左端の区画に入っている「長谷川貿易」が、もともとのこの建物の所有者。 永らく「長谷川貿易ビル」の名称を冠していたが、更にそれ以前は「旧楢崎倉庫」として供用。 来歴は明治中期頃まで遡るのだそうだ。

歴史を経た建物ながら、2017年に除却。 隣の「海岸町市営団地29 室ビル」も既に2012年に除却されている。 現地にて二つの建物を改めて愛でることはもう叶わない。
しかし、市営団地については気になる情報がネット上に幾つか載せられていた。 自分なりに確認し、機会あらば13年前に建築探訪に載せたページの改訂を試みたい。

2024.09.16:メーカー住宅私考_195
小市民シリーズ・建築考.3/
ミサワホームAIII型との類似性に関して

「小市民シリーズ」のTVアニメ第一期が終了。
小佐内さん、そして小鳩君共々“小市民”として振舞うための互恵関係などどこ吹く風。 それぞれが欲動にまかせ小市民にあるまじき行為に及んだと事後に自省する妙な選民意識の発露。 面白くもクセの強いストーリーは、岐阜を舞台にした美しい日常風景描写によって中和されつつ、視聴継続にそれなりの気力を要した様な気がしなくもない。

小佐内邸は前回言及したので、再び和菓子屋併設の小鳩邸について。
既にこの場で二回試みている両者の自宅に関する言及を、今回は「メーカー住宅私考」のシリーズに組み込んで取り扱う事由。 それは、小鳩邸の平面プランの骨格が、1983年2月に発表されたミサワホームAIII型の組み立てに概ね類似すると思われるため。 前回言及以降の作中にて描写された各アングルから、その様に推察される。 即ち、二行二列の整形田の字の中央東西方向に中廊下が貫通する形式。
以下に第6話で描かれた小鳩邸の外観とAIII型の40-2Wタイプの平面図を引用する。


AIII型40-2Wタイプ平面図

7話に登場する小鳩邸外観


※1
引用した描写では、両袖をFixとした引分け戸の可能性もあった。 しかしその後、各障子に引き手が描かれたカットも登場したので四枚引き違いと判断。
ガラスはいずれも菱ワイヤ入りで表現されている。


※2
小鳩君が固定電話で会話するシーン等で、住戸玄関に続く中廊下(玄関ホール)が描写される。 そこでは、AIII型と同様に玄関に面して直進階段が取り付く様子も描かれている。
小鳩君が電話応対しているのは、AIII型平面図の和室出入口辺り。


※3
サニタリー諸室の配置はAIII型のそれとは異なるかもしれない。 但し、9話で洗面室が描写される。 そこでは洗面化粧台の向かって右手に浴室の扉(中桟にタオル掛け金物が付き、バスタオルが掛けられている)が描かれているから、双方の位置関係は本文中に引用したAIII型の平面プランに類似するのだろう。

ここで、AIII型二階南面二居室の外部開口を中央に寄せる。 更に、一階に関し、リビングルームに取り付く一間幅の二枚引違い窓を二間幅の四枚引き違いに※1。 ダイニングキッチン側も、(やや間口を調整の上)開き扉と二枚引き違いの腰窓に変えてみる。 それらの操作で、平面図の南面が小鳩邸の接道側外観に近づく。 影になって見えにくいが、向かって左手の西側妻面途上に住居用玄関があるのも、AIII型と同じ。

その上でAIII型の諸室と小鳩邸の内観を照合してみると、まずAIII型のリビングルームが小鳩邸では店舗に該当。 ダイニングキッチンは和菓子を作る厨房となる。 そして中廊下※2を介して和室部分が恐らくはLDK。 サニタリーは小鳩邸も同じ位置なのではないか※3。 そして二階は、取り敢えず一階店舗直上の居室が小鳩君の部屋であろうことは前回指摘した。
それぞれの部屋の広さや形状に小異あろうが、両階共に大体こんなゾーニングと思われる。

一階の玄関及び中廊下廻りは大壁造りだが、小鳩君の部屋は真壁造りの8畳の和室。 出入り口やクロゼットの位置も、提示した平面図の位置関係とほぼ同じであることが9話の室内描写から判る。
更にその描写によると、畳寄せではなく高さを抑えた巾木を介して床と壁が納められている。 その巾木の上に建具が取り合う変なディテール。 砂壁調塗材仕上げと思しき壁面に対し、天井のテクスチュアはよくわからない。 雰囲気からすれば竿縁天井にでもなりそうなところを、一面均質な素材で仕上げている。 クロス張りか。 あるいは建築年代を鑑みるとボード張り下地の上にひる石吹付けかもしれぬ。
外部開口は、引違いの腰窓が一箇所のみ。 ちょっと風通しが悪そうだ。 夏期はつらいだろうなと思ったら、扇風機のほかにエアコンも設置されている。 となると室外機が外観の何処かに描かれなければならぬが、確認出来ず。

田の字の中央を動線処理のボリュームが帯状に貫通する間取り形式は、往時のミサワホームの幾つかの企画住宅に採用された。 AIII型以外にも、O型然り。 M型2リビングの一階部分もこれに該当する。 動線の整理と効率的な諸室配置を可能とする形態だが、店舗併設等の異種用途との組み合わせにも有効であることが小鳩邸から見えてくる。 店舗と住居の明確な区画、若しくは緩衝帯としての中廊下。 そういえば、M型2リビング一階南面の“余暇室”を中華食材専門店とした事例をかつて見掛けたことを思い出した。

2024.09.10:メーカー住宅私考_194
はみだした男が生きる方法
三沢千代治とそのグループの場合

企業ルポルタージュもの。 ミサワホームに関しその手の書籍がどれほど出版されているのか。 全てを把握するには勿論至っていないけれど、何冊かは目に触れる機会を得ている。 その中の一冊が佐藤正忠著の掲題の書籍。
発刊は1975年1月1日。 同社草創期の推移に始まり、その後組織が拡大する過程で中途入社してきた尖った逸材達に焦点を当て、それぞれの動静が書き綴られている。 従って、ヒトを中心に纏められた内容なのだけれども、当然ながらその時々の会社の状況も描写される。 多くは他の書籍においても同様の言及がなされているが、新たに知り得るエピソードもあって興味深い。

そこではトラブル事例も積極的に触れられている。 といっても会社叩きの意図ではない。 尖っているがゆえにそれまで所属していた会社組織に収まり切れず同社にやって来た面々が、巻き込まれたトラブルにどう立ち向かい乗り越えたのか。 その描写が当該書籍の眼目。
例えば初期に手掛けた甲府市内に立地する某画家の住まい。 当該書籍中にその内外観画像の掲載は無いが、どの事例か記述から容易に見当は付く。 竣工後、多数の住宅雑誌に取り上げられた同社の初期代表作だ。
その外観は、同じ時期の他社事例と見比べると明らかに高い意匠性を持つ。 しかしそれは正面のみ。 裏側は全く異なる様相。 正面側外観デザインと平面プランの乖離を、裏手の屋根形状で強引に整合させている。 かつて、その複雑な屋根形状を捉えたアングルを載せた往時のプレハブ住宅専門誌を国会図書館で目にした際、これは雨仕舞が宜しくないなと思ったものだった。 しかし、やはりその方面でのトラブルが発生していた様だ。 本書に記述されている事後対応はあまりにも稚拙。 会社も社員も、まだまだ若かったといったところ。
創業者を含め、そんな若かりし頃の彼らの似顔絵が文中の所どころに登場する。 挿絵の担当は、針すなお。 同社関係者で顔を存じ上げるのは創業者のほかは数名に留まるけれど、特徴をよく捉えている。

会社としての体を殆ど成していない創業期。 しかし住宅生産に纏わる理想と夢を追い求めひたむきに走り続ける力強さ。 そこには、コンプライアンスやガバナンス等の金科玉条のもと、各種マニュアルや基準書類への適合や処理にがんじがらめとなりながら仕事を進めざるを得ぬ昨今の一般的な会社組織の在りようとは無縁のスピード感やパワーが漲る。 そしてそれを温かくさりげなくフォローする周囲の人達。
そんな事々が今の世の中でも通用する訳ではない。 高度経済成長期。 住宅産業が十分な伸びしろを有していた時代ならではのエピソードだ。 あるいは、そもそも書籍としての脚色もいくばくかは含まれよう。 でも、そんな活力溢れる取り組みを、今は逆に顧みねばならぬ面もありそうだ。

2024.09.02:小市民シリーズ・建築考.2

8月5日にこの場で言及したあとの放映分において、小鳩君及び小佐内さん両名の自宅の内外観が多々映し出された。 こうなると、間取りに関心が向いてしまう。 否、ストーリーだってとっても面白いのですけれどもね。

とりわけ第6話終盤において、周到に隠蔽されたつまみ食いの事実を掴んだ際の小佐内さんの立ち居振る舞い。 些細な挙動から察知し淡々と追い詰め可愛い笑みを浮かべて穏やかにペナルティを強要するその姿は、羊の皮を被った狼。 スイーツが並ぶ食卓が、一気に取調室の机へと凍りつく。 にも関わらず、悪あがきもせず敗北を素直に受け入れ平静な会話を維持する小鳩君も、相当の狐だ。 そのやりとりが何とも滑稽で楽しい。
その結末がどこまで想定され、そしてそこに引き込むべく状況が企てられ、あるいはそれと判って各々が行動をとったのか。 そして課されたペナルティが、今後どのように物語を動かしていくのか。 他愛もない日常の小さなエピソードにそこはかとなく付き纏う何とも不穏な流れ。 二人とも、小市民への道のりは果てしなく遠いと言わざるを得ませんね。

そんな絶品シャルロット隠蔽事件の現場となった小佐内邸は、四階建てマンションの中の一住戸。 共用エントランスの風除室内左手の壁に設置された前入れ前出し形式の集合郵便受けは4段4列のレイアウト。 即ち、住戸数は16。 若しくは15戸分に管理組合か管理事務室用を1個加えているのかもしれぬ。 最下段の設置位置が低過ぎて、使い勝手に配慮されていない。
風除室外側の両引き分け自動ドアと集合郵便受けが近接しているため、郵便物等の出し入れの際にセンサーが感知して引き戸が勝手に開閉してしまいそう。 そのためか、タッチスイッチとなっている様にも見える。 その建具外部のポーチ床面と道路との段差処理は酷い、というより、とっても危険。
小佐内邸は、板状マンションに典型の妻側住戸プラン。 建具や巾木や下がり天井部分をチャコールグレー色、それ以外を白で統一。 持ち込んだ家具調度もそのカラースキームに揃えたとてもお洒落な住まい方が見て取れる。
でも、小佐内さんの部屋は第2話では巾木が描かれているが、第7話には無し。 室内照明スイッチの位置も、通常であれば出入口扉の戸先側の壁に設ける筈が、吊元側に描かれている。 使い勝手が悪そうだ。 その扉も、廊下に向かって開く設定。 通常は廊下を往来する動線との干渉を避けるため室内側に開けるように計画するものだ。 室内のアルミサッシも、引違い窓を上下に連ねた段窓だが、なぜその建具形式にしたのか。 理由は幾つか想定されるが、今まで映し出されたシーンの情報だけでは特定は難しい。
建具といえば、通常設置される筈の廊下とLDKを間仕切る扉が描かれていない。

ということで残り数話。 権謀術数渦巻くストーリーに少々疲れつつ、両名の自宅の様々な内外観描写を期待して視聴し続けるのだろうな。

2024.08.26:さよなら絵梨

藤本タツキ原作の掲題の漫画を読むきっかけは、 知り合いのブログであった。 その人も私も、最近までこの著者のことは知らず。 たまたま私が同作家原作のアニメ映画「ルックバック」を観たことは、この場に少し前に記した。 上記ブログにも、同じ時期に映画を鑑賞して少々関心を持ち当該漫画の単行本を購入した旨が紹介されている。 となると、私も興味が沸いてくる。 仕事帰りに書店にて買い求めることと相成った。

一コマの大きさをシネスコサイズの縦横比で統一。 それが縦に四コマ並び一ページを構成する独特なレイアウト。 読む者は、まるでコマ送りの映画を鑑賞するか、あるいは絵コンテを読み込む様な印象で各ページに目を通すこととなる。 だから、ぺージを捲る手が止まらない。 最後まで一気に通読してしまった。
否、それは何も紙面構成の妙のみが理由ではない。 虚実混濁。 更には死と不死が交錯しながら、物語は目くるめく様に展開する。
そして訪れる結末の見開きのシーンで、私の視覚には譜面のリピート記号「:||」が仄かに浮かび上がった。 そのまま当該作品導入部の創作映画終劇直後のシーンへと戻らされるような感覚。 その印象に従い該当ページに戻ってみれば、そこにも「||:」の記号が見えてくる。 実際に記号が描かれている訳ではないけれど、ボーっとしていると双方の間をひたすらリピートし続け作品から永遠に抜け出せなくなるゾ。

リピートすると言えば、読んでいる最中、私の脳内には繰り返し坂本龍一の「20220302 - sarabande」が鳴り響いていた。 死と向き合い、あるいは自身の人生を振り返りながら一音一音紡ぎ出した様な、そんな雰囲気の作品。 物語に終始付き纏う死の気配が、このピアノ曲を想起させるのか。
内容の重さゆえ消去もBDへのコピーも憚られレコーダーに残置したままのNHKのドキュメンタリー番組「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を再び鑑賞したい気分になった。

2024.08.18:通りすがりの風景に向けて

夏休みはいつも通り北海道に帰省。 あても無い散歩の途上、幹線道路沿いに建つワンルームマンションの共用エントランス周りに目が留まる。

面内方向に異なる角度で傾斜した三枚の壁が、それぞれに違う色彩を与えられながら僅かな離隔をもって並置されている。 前世紀末、この手の意匠が国内で結構流行ったよネ、とその場で物件情報を検索してみると竣工は1995年4月。 ナルホドと思いつつ、三枚の壁の前でその生成過程に纏わる勝手な妄想が始まる。

設計担当者は、恐らく80年代半ばから90年代初めにかけて、大学などで建築を学んだ世代。 その頃は、脱構築主義の全盛。 この哲学用語が建築の領域でズレや傾斜等の形態操作に置き換えられ、その手の建築作品が専門誌を賑わせた。 アイゼンマン、ザハ、リベスキンド、コープ・ヒンメルブラウ・・・。 そんな面々の作品に刺激を受けながら学生時代を過ごし、卒業後、建築設計の仕事に就く。
補佐的な業務をこなしながら実務を覚えること数年。 漸く担当が与えられるようになる。 当該物件もその一つ。 とはいえ、条件は厳しい。 賃貸マンションに意匠的な遊びの要素など許容されぬ。 しかもバブル崩壊直後。 コスト意識の徹底は苛烈を極める。 いかに建設費を抑えて投資を早々に回収し、賃料収入を得るか。 そんな不動産事業の現実を前に、淡々と無難なワンルームマンションの設計を進めるのみ。 学生時代の建築設計への夢は何処・・・。
しかし、とあるタイミングで上司より告げられる。 「共用エントランス周りは少し遊んでもイイゾ」。 心をときめかせつつ、しかしその言葉は慎重に受け取めねばならぬ。 あくまでも遊んで良いのは「少し」だけ。 そこら辺を心得つつ、かつてあこがれた脱構築への想いを三枚の壁に託した・・・。

竣工時期を考えると、こんな経緯があり得なくもない。 CADではなく手描きが当然の時代。 面内方向の傾斜も、ドラフターならではの角度ではないか。 そんな好き勝手な妄想を巡らせつつ、「徘徊と日常」のページのネタにしようと写真を数枚撮り、その場を去る。
後日改めて画像を見てみると、しかし単なる「少しの遊び」ではない様子も見えてくる。 黄色の壁の直上に濃茶系の50二丁掛タイルを張った矩形のボリュームが張り出す。 これは、基準階各フロアを連絡する共用階段の中間踊場。 黄色の壁は、視覚的にこのボリュームを支えているように見せながら、実態は共用エントランスホールの外壁。 その壁と手前のピンク色の壁の間にも別途階段が設置されている。 二枚の壁に挟まれた階段を昇った先に黄色い壁に開口を穿って取り付けたアルミ製門扉の上半分が確認できる。 濃茶の矩形ボリューム直下の格子状建具だ。 この門扉はオートロック仕様で、その奥へは居住者しか入場できないようにしているのだろう。 黄色い壁をセキュリティラインとしつつ、手前のピンク色の壁との間に地上と直接連絡する階段を設け避難経路を確保する。 そして一番手前の黒い壁は、アプローチの高低差処理のために設けられた外構階段の袖壁。
この様に三枚の壁にはそれぞれ計画上の機能や意味が与えられており、それらの連なりを手掛かりに、彩色や角度のズレといったコストに影響を及ぼさない範囲の意匠を付与する。 きっと、担当者と上司の間で「遊び」を巡って幾度かのやり取りを経て現況に落ち着いたのだろうな。 そんな妄想に再び耽る。

三枚の壁の直上の共用階段は、通常であれば段床に合わせて斜めに取り付くであろうササラおよび手摺を二つの矩形に置換。 一つが先述の中間踊り場部分の濃茶のボリューム。 各階のそのボリュームの間に挟まれた明るい茶系の壁が、もう一つの矩形。 双方が各フロア互い違いに積層する。 更に折り返し階段を支持する中央の壁柱をオレンジ色に塗装。 色分けによって要素を視覚的に分化し、矩形の組み合わせが意識された静的な処理にて形態を取り纏めている。 一方、その階段の直下に配された地上の三枚の壁に与えた傾斜は、動的な形態操作。 ここに基準階の「静」と基壇の「動」という対比も生成されている。
凡庸な箱型住棟の一部に企てられたささやかで小粋な意匠。 それらによって、黒い壁の手前に無造作に置かれた入居者の所有物と思しき自転車も、何だかそれなりに絵として収まっている様に見えるではないか。

といった妄想をつらつらと書いていたらこの文字数になってしまったので、「徘徊と日常」のページではなくこちらに載せることにした。

2024.08.10:ラーメン赤猫

アンギャマン原作の、猫がラーメン屋を営業する内容のTVアニメ。 視聴した際、即座に思い浮かんだ作品が二つ。

一つが、読売新聞の日曜版に、そにしけんじが連載している漫画、「猫ピッチャー」。 猫がプロ野球のチームに所属しピッチャーとして活躍する。 その荒唐無稽な設定に、これは早々にネタが枯渇して長くは続かないだろうと連載開始時に高を括ったものだった。 しかしそれから既に十余年。 猫の性格や習性をエピソードに取り込みながら、連載継続中である。
「ラーメン赤猫」も同じく荒唐無稽な設定。 猫が調理し、接客し、あるいは経営に纏わる事務作業もこなす。 普通に喋るし、二足歩行もする。 そしてそれぞれが自身の性格や個性に合わせ、適材適所、業務を担う。 猫の姿を纏ってはいるものの、もはや人間と同じ。 しかし猫としての身体性や習性は失っていない。 ために発生する滑稽さを物語の骨格に置きつつ、整合できる点は現実にしっかり寄せることで浅いギャグアニメに陥る危険性から十分な距離を刻む。

もう一つの作品は、山田ヒツジ原作の「デキる猫は今日も憂鬱」。 このTVアニメについては、昨年8月1日にこの場で言及している。
生活力皆無の独身女性に替わって家事全般を完璧にこなす猫の物語。 このアニメも、そして「ラーメン赤猫」も、猫が調理を行う点は同じ。 但し、「デキる猫は今日も憂鬱」では住戸内の極々普通のキッチンが調理の舞台。 そのスケールに合わせて猫が巨大化。 全身黒一色のその姿はまるで熊。 そしてその立ち居振る舞いは、飼い主をサポートするダンディな専業主夫といったところ。
一方、「ラーメン赤猫」では業務用調理設備に面して台を巡らせて自分達の身体スケールを対応させている。 接客用にテーブルの前面にも猫台を設置。 その程度の段差の昇降は、猫達にとっては造作も無い。

そんな店に人間が一人雇われるところから物語は始まる。
作中には当然のことながらラーメンが描かれる。 添えた海苔には猫の手形が小さく刳り抜かれ、鶏ガラの匂い消しには彼等が体質として苦手なネギの替わりにキンツァイを使用。 猫が調理するラーメン一杯に独自性と商品性を付与する創意。 併せて客の心を鷲づかみにする人間顔負けの接客。 どちらかというと犬派の私でも、こんな店があったら一度は覗いてみたい気がしなくもない。
猫達が高い就労意識のもと連携し人間社会でラーメン屋を営業するに至った経緯は如何に。 徐々に描かれるそれらのエピソードが物語に奥行を生む。 諺を捩って各回の内容を暗示するアバンやエンディング後のCパートも含め、視聴を愉しみたい。

2024.08.05:小市民シリーズ・建築考

前々回言及したTVアニメ「小市民シリーズ」の前半、「春期限定いちごタルト事件」は第4話で完結。 降り掛かった事件に対し小鳩君と小佐内さんそれぞれが推理を重ね証拠を固める展開はなかなかスリリング。 そこからどんな派手な復讐劇が始まるのかと思いきや、その描写は無し。 後日談として小鳩君が眺めるスマホの画面に映る報道記事の見出しによって、視聴者は顛末を知る。 直接手を下すことなく復讐相手に最も深いダメージを完膚なきまでに与えた事実をそこから読み取れる演出が、却って二人の危険な内面を際立たせる。 否、二人が関与せずとも、件のならず者達はいずれ司直の手に落ちただろう。 それだけの反社行為に及んでいたのだから。 それを告発した二人は内罰的になる必要などない。 "小市民"としての勇気と責任感溢れる行為だったと自らを誇って良い。

その第3話と4話には小鳩君の自宅が映る。 道路境界に面してほぼ間口一杯に自営の和菓子店併設の住居が建つ。 下図は3話からの引用。

外部建具の造作から、一階左手が店舗、右手は厨房兼事務所と容易に推察される。 二階は二連の引違い窓以外を店舗用テントで覆い店構えを成す。 窓の前には鋼製の手摺。
3話では別途住居専用の玄関も登場する。 その位置の特定は上の引用画像のみでは難しいが、左手隣地境界間際の電柱に添ってRC造と思しき門柱と郵便受けが確認出来る。 この門柱より奥の隣地と外壁との僅かな離隔部分を通って玄関に至る可能性はあろう。 即ち、玄関は左手妻面の途上に付く。
4話で描写される小鳩君の部屋の窓の外に見える窓手摺が外観画像のそれと同じ。 そして畳替えをして然程経っていないと思しきその部屋に付く窓の位置から、二階向かって左側の引違い窓部分が彼の部屋と推察される。

両側の隣地には築年数が比較的浅い雰囲気の戸建て住宅。 道路から後退して配棟され前面に庭を設け、道路境界には高い塀を築いて閉鎖的な構えをとる。 やや古風で、そして道路に直接面して間口一杯に建つ店舗併用の小鳩君の家が、周囲から浮いた佇まいに見える。
しかし、似た様な状況が地方の旧商店街沿いにてしばしば確認される。 即ち、元々は同様の個人経営の店舗併設住居が軒を連ね賑わう商店街であった。 しかし経営者の高齢化や商業地としてのポテンシャル低下等によって事業が継続されず仕舞屋が増加。 老朽化に伴い専用住居へと建て替えられ、商店街から普通の住宅地へ変容していく※1

※1
中核都市の既存市街地においても状況は同様だ。 そこでは、個人経営の店舗併設住宅から専用住宅への流れがそれぞれ大規模小売店舗と集合住宅に置き換わる。

小鳩君の家の周辺もそうなのかもしれぬ。 隣地が道路に対して閉鎖的な構えをとるのも、その道路が住宅地の中に計画的に整備された生活道路ではなく、商店街が自然発生したそのエリアの主要道路のため。 商店街としてのポテンシャルは低下しても、通過交通量は昔のままかそれ以上となっていて、プライバシー確保の高塀が自ずと求められているのかもしれぬ。 あるいは、店舗に付随して専用の来客用駐車場が無いのも、地域の商店街の一画に立地し徒歩圏内の常連相手に商売を続けてきたためと見立てられようか。

今後異なるアングルが描写され、これらの推察(というか妄想)が覆される可能性はある。 それならそれで思索の選択肢が広がって愉しいと逃げを打っておこう。

2024.07.29:神のまにまに

建築探訪のページに東京ベイ信用金庫本店を載せた。 JR市川駅近傍を起点とする「真間銀座通り」と呼ばれる街路を仕事で移動中、たまたま当該建物が目に留まった。
ぶっ飛んだ妄想若しくは蒙昧な連想ながら、第一印象としてコルビュジエのロンシャン礼拝堂を想起する。 彼の地の傑作を実際に拝んだ体験は未だ無い。 しかし、壁面に穿たれた彫塑的な開口部の扱い。 あるいは、やや倒れをもって屹立する分厚い壁体。 その上部に張り出す重厚な庇。 それらは、彼の地のそれと何処か相通ずる要素として見立てられなくも無いのではないか。
仕事の目的地の途上で突如立ち止まる私に怪訝な視線を送る同行者に構うことなく、スマホのカメラを当該建物に向ける。 とはいえ仕事中。 遅刻して先方に迷惑をかける訳にはいかぬ。 同行者に困った奴だとか変な輩だと思われるのも本意ではない。 後ろ髪を引かれる想いでその場を去る。

次の休日、改めて同地を訪ねる。 やはり興味深い。
眺め回すうちに建物妻面に定礎を見つける。 「昭和三十五年二月」の刻印。 まぁ、そんな雰囲気の意匠だよナ・・・と思いながら傍らを見ると付設の駐車場に標準貫入試験のやぐら。 まさか建て替えでもするつもりなのか?とその場でネットで調べてみると、そのまさか。 「創立100周年に向けて建替え事業を本格的にスタートさせる」と同信金の事業報告書に記されている。

信心深さとは全く無縁の日々を過ごしている私だけれども、こういった機会があると「建築の神さま」の存在を信じなければならないのかナなどと思ったりする。 見知らぬ街の中の自身と建築の不意の出会い。 そんな場面に、それ自体が除却されてしまうかもしれぬ直前に辛うじて遭遇出来たのだから。
否、今回のことばかりではない。 以前も書いた。 初見の街を徘徊している際、ふと足が自らの意思とは無関係に勝手にある方面に向かい出す(様な気がする)瞬間がある。 そんな時には、その流れに抗わずそのまま歩いてみるものだ。 するとその先に、極上の建築や風景が待っていたりする。
勿論そんな機会を得ることなど極めて稀だけれども、しかしやはり神様はどこかにいて、気まぐれで人の意思に勝手に介入したりするものなのかもしれない。

2024.07.23:小市民シリーズ

米澤穂信による4部作の推理小説。 そのうちの二作がTVアニメ化され今月より放映されている。 題して、

・春期限定いちごタルト事件
・夏期限定トロピカルパフェ事件

なんて甘々な・・・と思いつつ、私は大の甘党である。 勤務先の自席の引き出しにはチョコレートやクッキー等々が常にストックされている。
もともと私はとっても頭が悪いので、周囲の人に合わせて仕事をするためには常に脳をフル回転させなければならぬ。 従って大量の糖分が必要だ。 でも、上記の様な乾きものではだんだん物足りなくなる。 夕刻になると、別フロアにある自販機コンビニに出向き、シュークリームやアップルパイやタルト等を買い求めることとなる。
えぇ、これは自販機コンビニが自席フロアに近いのが悪いのであって、決して私の食い意地が張っている訳ではない。 脳を必死に働かせ周囲に迷惑が掛からないようにするためには仕方が無いのだ・・・。

閑話休題。
第一話を視る。 繊細な映像にゾクッとする一方、画面の所どころに寓意を感じる。 それは、「君は狼、あなたは狐」というティザーPV中の会話のせい。 短いセリフそのままに、登場人物である小鳩常悟朗と小佐内ゆき共に何かを内に秘めている。 言動の端々に、あるいは風景描写や画面構成にそのことが暗喩されている様で、映像そのものが仕掛けだらけの推理小説。
そして終盤。 これは確かにタイトル通り、事件だ。 否、単なる事件ではない。 いちごタルト“殺戮”事件である。 許せん。 あまりにも理不尽且つ凄惨な苺タルトの末路を見せつけられてしまったからには、その解決を見守らざるを得ぬではないか。
ということで視聴続行。

第二話のタイトルは「おいしいココアの作り方」。 冒頭でいちごタルト事件の今後の展開を少し匂わせる以外は、ほぼココアの作り方の謎を巡ってストーリーが進む。 その謎解きについては、作中で「手間が掛かり過ぎますよ」と指摘された方法までは私でもすぐに思いついた。 でもって結論は、想像を絶するズボラな作り方だったというオチ。 あまりもズボラ・・・というよりも乱暴過ぎて、ちょっと推察は無理でしょう。 たとえ、伏線として作った本人の粗野な性格を所々で描写していたとしてもだ。

そして第三話。 穏やかな日常に通底していた不穏がジワっと表に溶出した回であった。 以前放映されたTVアニメ「可愛いだけじゃない式守さん」の名字の部分を小山内さんに置き換えてそのままタイトルにしても差し支えないような、そんな内容。 もっとも、彼の作品に登場するのは不幸体質の彼氏を全力で守り抜くカッコ可愛いヒロインだったけれど、こちらはなかなか危険な狼だ。 よくも今まで二回分、「小市民」を偽装し続けてきたものだ。
一方、小鳩君の狐っぷりは今後どの様に事件の究明に向け物語を動かすのか。 更には、クール後半に展開するのであろう「夏期限定トロピカルパフェ事件」とはどの様なものか。 暫く視聴継続となりそうだ。

2024.07.15:メーカー住宅私考_193
古書の愉しみ

※1

ミサワホーム555をはじめ、同社初期のPALCの表層に用いられた独特な石造風のテクスチュア。 型枠に予め施した凹凸によって外壁パネルの表層にパターンを転写。 プレキャストならではの大量生産を可能とした。

WEB上の古書販売サイトにて少し前から目に留まっていた書籍があった。 別冊美術手帖 vol.2 no.7 (1983年冬号)。 商品紹介ページには表紙と目次部分の画像が載るのみ。 その目次によれば、「デザインの現場から」と題する特集が組まれ、ミサワホーム555が取り上げられている。
しかし、1981年発表のこのモデルに対する個人的関心はあまり高くない上に、どうせ既知の画像や概要が載る程度だろうと高を括り、食指は動かなかった。

そのサイトにて、最近別の古書を何冊か購入。 ついでに何となくこの書籍も一緒に注文した。 で、届いた梱包を解いて仰け反ることとなった。 期待していた書籍の方に目当ての内容は無く、逆にミサワホーム555の記事がとても興味深い。
当該モデルの外壁には、PALCと呼ばれる同社独自開発のセラミック系大型プレキャストパネルが用いられている。 その表層に施された凹凸が創り出す独特な石積み調のテクスチュア(だけ)はとても美しいと当時から思っていた※1。 昨年、愛知産業大学のとある研究室にお邪魔した際、そのパターンは彫刻家によって手掛けられたものだと御教授頂いた。 初めて知る事実であったが、その創造プロセスの一端が記事にも詳述されている。
まだまだ未知の情報との出会いがある。 案外、専門から少し外れた書籍にこそ、通り一遍ではない有用な情報が刻まれているものなのかもしれぬ。 そんな事々との遭遇は、とっても楽しい。

当該モデルの開発責任者自らがしたためたその記事に登場する彫刻家は、実は社員。 異色の経歴を持ち、且つ社内でもかなり特殊な立ち位置にあったようだ。 工場の片隅で黙々とPALCの表層パターンの理想形を求めて型材を刻み続けた旨、紹介されている。 そんな、ある種尖った人材の積極採用が、同社の商品開発、技術開発の強みでもあったのだろう。
そして当然のことながら、創業者の三澤千代治氏である。 PALCの外表の扱いに対する難易度の高いミッションを具体的に社員に出す様子も記事に描かれている。
かつて、BSフジにて「堂々現役〜巨匠からのメッセージ」というインタビュー形式の番組に氏が出演された際、穏やかな語り口が印象に残った。 ヤコブセンの真っ赤なエッグチェアにゆったりと座り、住まいについて物腰柔らかに話す上品な立ち居振る舞い。 しかし後日、ネットに公開された文字起こしを再読すると、印象が全く異なる。 字面だけを追うと結構厳しいことを言っている。 しかしそんな内容も、氏が語ると素直に腑に落ちるというか、前向きな気分になる。 人柄なのだろう。 恐らく、日頃の業務指示も同様。 氏の下で働く往時の技術系社員達は大変だったのだろうな、などと想う※2

ともあれ、そんなプロセスの一端に触れることで、当該モデルを見る目も少しは変わりそうな気がしなくもない。 記事の中には、エスキススケッチ等の初見の画像も載せられている。 200ページ余の書籍の中で、扱われているのは僅か数ぺージ。 しかし私にとってはとても価値のある内容。 そして他のページに展開する多彩な分野の"デザインの現場"に纏わる記事も、いまとなってはとても興味深い。
良い買い物が出来たなと一人満足に浸ると共に、この書籍を比較的良い状態で古本市場に出してくれた元の所有者、そして概ね妥当と判断できる値段で流通してくれた古書店に感謝するのであった。

※2
内橋克人著「続々続々匠の時代」によると、同社の技術開発系の部署では往時「魔の月曜日」という言葉が使われていたそうだ。
休日、新たな開発構想をじっくりと練った三澤氏が月曜日、一気に社員に話し始めるためにその様に呼ばれたらしい。
2024.07.08:ルックバック

6月28日に封切られた藤本タツキ原作のアニメ映画。
原作の読み切り漫画は未読。 というよりも、その存在も知らず。 即ち、事前の知識は全く無し。
知ったのは、映画の広告。 そこには、ひたむきに何かの創作に取り組む年若い二人組の姿。 そしてキャッチコピーに「描き続ける。」とある。
少々印象に残り居住地近傍のシネコンの上映スケジュールを確認してみたら、ちょうど良い時刻。 それではと、歩を向ける。
上映20分前。 その場でチケットを購入し席を指定しようとしたら殆ど埋まっている。 話題になっているということか。 これは期待が持てそうだと、上映室に入った。

自身とは異なる何かを持つ者同士の出会いが、足し算ではなく掛け算として互いに作用すること。 それを、若いクリエイターの卵たちを通して瑞々しく描く。 更には、タイトルの「ルック・バック」に様々な意味を織り重ねながら目まぐるしく物語が進行する。 そして降雪地域の四季折々の風景描写が、各場面に彩りを添える。 ネタバレとならぬように概要を述べると、この程度となろうか。
恐らく、クリエイターと呼ばれる職能に就く人には深い共感や懐旧を。 そうではない鑑賞者にも憧れの念を抱かせるのだろう。 まぁ、私の場合は後者に近しい感覚での鑑賞であった訳だけれども。

上映時間は約60分。 その長さがストーリー展開を引き締め、全体の構成を適切に纏め上げる。
終盤に訪れるシーンでは、私のすぐそばの席でポップコーンを間断なくバリバリ食していた少々喧しい御仁の口と手の動きがぴたりと止まった。 つまりは、そんなシーン。 そういった展開を入れないとストーリーが動かないのか。 違う展開はあり得なかったのかと、そこだけは少々眉を顰める。 そんなことでお涙頂戴とはちょっと安直だネとも思う。 しかし、その非業をのり越えて創作に勤しむ主人公の後姿を背景にしたエンドロールを眺める時間は、創り続けることへの覚悟や力強さについて改めて考えさせられる時間でもあった。
そんな余韻と共に、映画館を後にする。

2024.07.02:バーテンダー 神のグラス

先月末、掲題のアニメが全12回の放映を終えた。
第二回目を視聴したのちにその感想を4月30日にこの場で述べている。 その後の展開に期待しての書き込みであったが、以降のエピソードは少々腑に落ちぬ場面も散見された。

例えば第三話。
叙勲の栄誉を得た老練バーテンダー葛原隆一と主人公佐々倉溜のカクテル対決。 取り敢えずは若い佐々倉が葛原の一杯から完璧の在り方について何かを汲み取るという纏め方ではあったけれども、そもそも完璧とは何なのか。 その価値判断の在りようは様々あって、佐々倉のカクテルの捉え方が葛原が言う堕落と決めつけられるものでもあるまい。
当該アニメの原作者は、それ以前に手掛けた「ソムリエ」と題する作品の第46話でも完璧を巡るエピソードを綴っている。 そこでは、狷介孤高の指揮者が主人公のサーヴィスに満足しつつ、「完璧と思えた時・・・それは実はスタートにしかすぎない」と語りかけている。 漫画の中の架空の話とはいえ、完璧に到達したと自他共に認め得る者のみに許される言葉。
であるならば、完璧を自負する葛原はその熟練の先に何を見ているのか、若しくは見れているのか。 ま、何をやっても完璧ではない私からしてみれば何とも羨ましいというか端から無縁のお話。
その葛原のBar。 政財界の重鎮をも唸らせる一杯を提供する空間の割には随分あっさり・・・というよりも安手なインテリアに見えなくもない。 モデルが実在するのだろうけれども、もう少し絵的に気の利いた設定があっても良かったのでしょうね。

この例に漏れず諸々違和をもって捉えてしまうのは、登場人物一人一人の掘り下げが希薄だったためかもしれぬ。 それは、長期にわたって連載された原作の膨大なエピソードを1クール12話に絞り込むために所々つまみ食いする様に再構成したためか。 結果、登場させる必然が感じられぬキャラクターもおりましたか。 そのキャラクターの登場回分を他のエピソードに振り分けて、もっと深くじっくり描いた方が良かったのではないか。
素材自体はとっても良い筈なのに、そんなところがちょっと残念なアニメ作品ではありましたか。 と言いながら最終話まで視聴したのは、概ね穏やかな作風ゆえに落ち着いて視聴出来たため。 知識が皆無のカクテルについてもほんの少しだけ学べましたし。

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