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2024.07.23:小市民シリーズ

米澤穂信による4部作の推理小説。 そのうちの二作がTVアニメ化され今月より放映されている。 題して、

・春期限定いちごタルト事件
・夏期限定トロピカルパフェ事件

なんて甘々な・・・と思いつつ、私は大の甘党である。 勤務先の自席の引き出しにはチョコレートやクッキー等々が常にストックされている。
もともと私はとっても頭が悪いので、周囲の人に合わせて仕事をするためには常に脳をフル回転させなければならぬ。 従って大量の糖分が必要だ。 でも、上記の様な乾きものではだんだん物足りなくなる。 夕刻になると、別フロアにある自販機コンビニに出向き、シュークリームやアップルパイやタルト等を買い求めることとなる。
えぇ、これは自販機コンビニが自席フロアに近いのが悪いのであって、決して私の食い意地が張っている訳ではない。 脳を必死に働かせ周囲に迷惑が掛からないようにするためには仕方が無いのだ・・・。

閑話休題。
第一話を視る。 繊細な映像にゾクッとする一方、画面の所どころに寓意を感じる。 それは、「君は狼、あなたは狐」というティザーPV中の会話のせい。 短いセリフそのままに、登場人物である小鳩常悟朗と小佐内ゆき共に何かを内に秘めている。 言動の端々に、あるいは風景描写や画面構成にそのことが暗喩されている様で、映像そのものが仕掛けだらけの推理小説。
そして終盤。 これは確かにタイトル通り、事件だ。 否、単なる事件ではない。 いちごタルト“殺戮”事件である。 許せん。 あまりにも理不尽且つ凄惨な苺タルトの末路を見せつけられてしまったからには、その解決を見守らざるを得ぬではないか。
ということで視聴続行。

第二話のタイトルは「おいしいココアの作り方」。 冒頭でいちごタルト事件の今後の展開を少し匂わせる以外は、ほぼココアの作り方の謎を巡ってストーリーが進む。 その謎解きについては、作中で「手間が掛かり過ぎますよ」と指摘された方法までは私でもすぐに思いついた。 でもって結論は、想像を絶するズボラな作り方だったというオチ。 あまりもズボラ・・・というよりも乱暴過ぎて、ちょっと推察は無理でしょう。 たとえ、伏線として作った本人の粗野な性格を所々で描写していたとしてもだ。

そして第三話。 穏やかな日常に通底していた不穏がジワっと表に溶出した回であった。 以前放映されたTVアニメ「可愛いだけじゃない式守さん」の名字の部分を小山内さんに置き換えてそのままタイトルにしても差し支えないような、そんな内容。 もっとも、彼の作品に登場するのは不幸体質の彼氏を全力で守り抜くカッコ可愛いヒロインだったけれど、こちらはなかなか危険な狼だ。 よくも今まで二回分、「小市民」を偽装し続けてきたものだ。
一方、小鳩君の狐っぷりは今後どの様に事件の究明に向け物語を動かすのか。 更には、クール後半に展開するのであろう「夏期限定トロピカルパフェ事件」とはどの様なものか。 暫く視聴継続となりそうだ。

2024.07.15:メーカー住宅私考_193
古書の愉しみ

※1

ミサワホーム555をはじめ、同社初期のPALCの表層に用いられた独特な石造風のテクスチュア。 型枠に予め施した凹凸によって外壁パネルの表層にパターンを転写。 プレキャストならではの大量生産を可能とした。

WEB上の古書販売サイトにて少し前から目に留まっていた書籍があった。 別冊美術手帖 vol.2 no.7 (1983年冬号)。 商品紹介ページには表紙と目次部分の画像が載るのみ。 その目次によれば、「デザインの現場から」と題する特集が組まれ、ミサワホーム555が取り上げられている。
しかし、1981年発表のこのモデルに対する個人的関心はあまり高くない上に、どうせ既知の画像や概要が載る程度だろうと高を括り、食指は動かなかった。

そのサイトにて、最近別の古書を何冊か購入。 ついでに何となくこの書籍も一緒に注文した。 で、届いた梱包を解いて仰け反ることとなった。 期待していた書籍の方に目当ての内容は無く、逆にミサワホーム555の記事がとても興味深い。
当該モデルの外壁には、PALCと呼ばれる同社独自開発のセラミック系大型プレキャストパネルが用いられている。 その表層に施された凹凸が創り出す独特な石積み調のテクスチュア(だけ)はとても美しいと当時から思っていた※1。 昨年、愛知産業大学のとある研究室にお邪魔した際、そのパターンは彫刻家によって手掛けられたものだと御教授頂いた。 初めて知る事実であったが、その創造プロセスの一端が記事にも詳述されている。
まだまだ未知の情報との出会いがある。 案外、専門から少し外れた書籍にこそ、通り一遍ではない有用な情報が刻まれているものなのかもしれぬ。 そんな事々との遭遇は、とっても楽しい。

当該モデルの開発責任者自らがしたためたその記事に登場する彫刻家は、実は社員。 異色の経歴を持ち、且つ社内でもかなり特殊な立ち位置にあったようだ。 工場の片隅で黙々とPALCの表層パターンの理想形を求めて型材を刻み続けた旨、紹介されている。 そんな、ある種尖った人材の積極採用が、同社の商品開発、技術開発の強みでもあったのだろう。
そして当然のことながら、創業者の三澤千代治氏である。 PALCの外表の扱いに対する難易度の高いミッションを具体的に社員に出す様子も記事に描かれている。
かつて、BSフジにて「堂々現役〜巨匠からのメッセージ」というインタビュー形式の番組に氏が出演された際、穏やかな語り口が印象に残った。 ヤコブセンの真っ赤なエッグチェアにゆったりと座り、住まいについて物腰柔らかに話す上品な立ち居振る舞い。 しかし後日、ネットに公開された文字起こしを再読すると、印象が全く異なる。 字面だけを追うと結構厳しいことを言っている。 しかしそんな内容も、氏が語ると素直に腑に落ちるというか、前向きな気分になる。 人柄なのだろう。 恐らく、日頃の業務指示も同様。 氏の下で働く往時の技術系社員達は大変だったのだろうな、などと想う※2

ともあれ、そんなプロセスの一端に触れることで、当該モデルを見る目も少しは変わりそうな気がしなくもない。 記事の中には、エスキススケッチ等の初見の画像も載せられている。 200ページ余の書籍の中で、扱われているのは僅か数ぺージ。 しかし私にとってはとても価値のある内容。 そして他のページに展開する多彩な分野の"デザインの現場"に纏わる記事も、いまとなってはとても興味深い。
良い買い物が出来たなと一人満足に浸ると共に、この書籍を比較的良い状態で古本市場に出してくれた元の所有者、そして概ね妥当と判断できる値段で流通してくれた古書店に感謝するのであった。

※2
内橋克人著「続々続々匠の時代」によると、同社の技術開発系の部署では往時「魔の月曜日」という言葉が使われていたそうだ。
休日、新たな開発構想をじっくりと練った三澤氏が月曜日、一気に社員に話し始めるためにその様に呼ばれたらしい。
2024.07.08:ルックバック

6月28日に封切られた藤本タツキ原作のアニメ映画。
原作の読み切り漫画は未読。 というよりも、その存在も知らず。 即ち、事前の知識は全く無し。
知ったのは、映画の広告。 そこには、ひたむきに何かの創作に取り組む年若い二人組の姿。 そしてキャッチコピーに「描き続ける。」とある。
少々印象に残り居住地近傍のシネコンの上映スケジュールを確認してみたら、ちょうど良い時刻。 それではと、歩を向ける。
上映20分前。 その場でチケットを購入し席を指定しようとしたら殆ど埋まっている。 話題になっているということか。 これは期待が持てそうだと、上映室に入った。

自身とは異なる何かを持つ者同士の出会いが、足し算ではなく掛け算として互いに作用すること。 それを、若いクリエイターの卵たちを通して瑞々しく描く。 更には、タイトルの「ルック・バック」に様々な意味を織り重ねながら目まぐるしく物語が進行する。 そして降雪地域の四季折々の風景描写が、各場面に彩りを添える。 ネタバレとならぬように概要を述べると、この程度となろうか。
恐らく、クリエイターと呼ばれる職能に就く人には深い共感や懐旧を。 そうではない鑑賞者にも憧れの念を抱かせるのだろう。 まぁ、私の場合は後者に近しい感覚での鑑賞であった訳だけれども。

上映時間は約60分。 その長さがストーリー展開を引き締め、全体の構成を適切に纏め上げる。
終盤に訪れるシーンでは、私のすぐそばの席でポップコーンを間断なくバリバリ食していた少々喧しい御仁の口と手の動きがぴたりと止まった。 つまりは、そんなシーン。 そういった展開を入れないとストーリーが動かないのか。 違う展開はあり得なかったのかと、そこだけは少々眉を顰める。 そんなことでお涙頂戴とはちょっと安直だネとも思う。 しかし、その非業をのり越えて創作に勤しむ主人公の後姿を背景にしたエンドロールを眺める時間は、創り続けることへの覚悟や力強さについて改めて考えさせられる時間でもあった。
そんな余韻と共に、映画館を後にする。

2024.07.02:バーテンダー 神のグラス

先月末、掲題のアニメが全12回の放映を終えた。
第二回目を視聴したのちにその感想を4月30日にこの場で述べている。 その後の展開に期待しての書き込みであったが、以降のエピソードは少々腑に落ちぬ場面も散見された。

例えば第三話。
叙勲の栄誉を得た老練バーテンダー葛原隆一と主人公佐々倉溜のカクテル対決。 取り敢えずは若い佐々倉が葛原の一杯から完璧の在り方について何かを汲み取るという纏め方ではあったけれども、そもそも完璧とは何なのか。 その価値判断の在りようは様々あって、佐々倉のカクテルの捉え方が葛原が言う堕落と決めつけられるものでもあるまい。
当該アニメの原作者は、それ以前に手掛けた「ソムリエ」と題する作品の第46話でも完璧を巡るエピソードを綴っている。 そこでは、狷介孤高の指揮者が主人公のサーヴィスに満足しつつ、「完璧と思えた時・・・それは実はスタートにしかすぎない」と語りかけている。 漫画の中の架空の話とはいえ、完璧に到達したと自他共に認め得る者のみに許される言葉。
であるならば、完璧を自負する葛原はその熟練の先に何を見ているのか、若しくは見れているのか。 ま、何をやっても完璧ではない私からしてみれば何とも羨ましいというか端から無縁のお話。
その葛原のBar。 政財界の重鎮をも唸らせる一杯を提供する空間の割には随分あっさり・・・というよりも安手なインテリアに見えなくもない。 モデルが実在するのだろうけれども、もう少し絵的に気の利いた設定があっても良かったのでしょうね。

この例に漏れず諸々違和をもって捉えてしまうのは、登場人物一人一人の掘り下げが希薄だったためかもしれぬ。 それは、長期にわたって連載された原作の膨大なエピソードを1クール12話に絞り込むために所々つまみ食いする様に再構成したためか。 結果、登場させる必然が感じられぬキャラクターもおりましたか。 そのキャラクターの登場回分を他のエピソードに振り分けて、もっと深くじっくり描いた方が良かったのではないか。
素材自体はとっても良い筈なのに、そんなところがちょっと残念なアニメ作品ではありましたか。 と言いながら最終話まで視聴したのは、概ね穏やかな作風ゆえに落ち着いて視聴出来たため。 知識が皆無のカクテルについてもほんの少しだけ学べましたし。

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