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2026.04.12:【書籍】時の家

「北の古民家」のページに最近登録した「前源紙工業札幌営業所」は、見た目は何の変哲もない古びた二階建て木造家屋。 昭和初期に建てられたと思しきその外観からは、元々は四軒長屋であった可能性が想起された。 札幌駅北口直近の立地を鑑みれば、店舗併設の長屋建て住居だったのかもしれぬ。 それがいつしか東京に本社を置く会社の営業所として一棟丸ごと供用されるようになった。
手元に残る一枚の写真からそんな変遷を好き勝手に思い描きながらページを纏めた。

同市在住時、通りすがりに当該建物が目に留まり撮影に及んだのは約四十年前。 道内の古民家に関心を持ち始めたばかりの頃だった。
その関心は、単純に建物そのものの物理的外表にのみ向けられていた訳では無い。 往時の私自身の人生の何倍もの時間、都市の只中に存在し続けてきた事実。 その過程で堆積して来た諸相。 経年の変容。 結果として在る現在の様相。 そんな事々への想いと共に視線が向かう。
物理的な時間の経過が建築に宿す"何か"。 その"何か"を示す適切な言葉は未だ見い出せずにいる。

※1
著者:鳥山まこと
出版社:講談社
発行日:2025年10月21日

図書館に面出しで置かれていた図書のタイトル「時の家」※1に、その"何か"を想起させた。 手に取りページを捲ってみる。
冒頭からいきなり独特だ。 最初の数行を読んだだけで、著者は何らかの形で建築の仕事に関わっているのではないかと容易に思わせる。 さほどに建築家的な言い回し、ないしは専門用語が文中に密に連なる。 確認してみると、その通り。 建築士の有資格者であった。
読む人を最初から選んでしまう作品なのかもしれぬと思いながら読み進めると、今度は場面が突然切り替わる状況に出くわす。 それはちょっとしたきっかけで唐突に起きる。 今まで登場しなかった人物が突然現れ、あるいは時系列が突如切断される。 違和を持って読み進めると同様の状況が次々と立ち顕れる。 あたかもそれは、走馬灯の如く。
不思議な文体に接し続けるうちに何となく見えて来る。 この作品はこの調子で徹頭徹尾書き綴られているのだろうなと。
そこで再び、読者はこの作品に選別されてしまうのかもしれぬ。 そんな構成に飽きて通読を断念してしまう人と、気になって先へ先へと読み進めていく人に。

最初に書いた通り、建築は物理的な在り姿そのもののみならず、存在このかた堆積して来た時間や記憶や事象の気配と共に視認され、そして価値判断される。 ならば建築の経時を巡る"何か"を言葉で表記する方法として、この作品のような手法もアリなのかもしれぬ。

2026.04.05:孤独のグルメ Season11
※1

今月に入ってスタートした掲題のドラマの第1話終盤。 美味しい料理に大いに満足した主人公・井之頭五郎さんが店から出て帰路に就くお定まりのシーン。 そこにほんの少しだけミサワホームO型が映った。
言うまでも無い、昭和期における空前絶後の大ヒットモデル。 今でも全国津々浦々、訪ねる先々でしょっちゅうお目にかかる程に建てられまくったモデルであるがゆえに、普通の住宅地の中に立地する店舗の向かいに映り込んだって特に驚きはしない。 しかし目に留まってしまったからには、型式を特定したくなるのは極々普通の感情。 幸い、原作者が実際に店に訪問するコーナーとしてドラマとセットで放映される「ふらっとQUSUMI」の冒頭で再び当該モデルが大きく映り込む。 どうやらO型の三代目、1980年6月発売のO型NEWの様だ。 型式番号表記では、Onew-44-2E-B※1

末尾の枝番は内装仕様のグレードを示すもの。 「B」のほか、「C」とか「EX」等の表示が設定されていた。 なぜ外観から内装仕様が判別できるのか関心を持たれた方とは、別途ゆっくりと当該モデルについて直接語り合う機会を持ちたいものだと思う。

玄関側(この事例の場合東側)立面に、基本仕様には無い腰窓が追加されているのは、よくあるパターン。 そして、南側二階開口部下端に取り付くFRP製のフラワーボックスがアルミ製の既成バルコニーに交換されているのも、後年の改修で良く見受けるパターン。 つまり純性のモノとはやや異なるが、竣工時の様態が概ね良く保全された事例だ。

録画しておいたその映像を一旦停止し、写り込む住宅地の様子を眺めてみると、そのO型の背後数件先に三井ホームの同時期のモデル「モンブラン」が確認出来る。 原作者の久住さん、冒頭の店先でのおしゃべりの際にもう少し左の方に立って頂けると背後に映るO型の全景が愉しめたのだけれども、しかしあまり左に移動されてしまうと、それはそれでモンブランが久住さんに隠れてしまい、その存在に気付けなかったであろう。
そんなドラマの内容とは全く関係無い些事に気を掛けつつ、勿論内容もしっかり愉しみましたとも。 今回登場した鯖のみりん干し、美味しそうでしたね。 定食屋などでメニューにあると、私も迷わず頼みたくなるところ。 それと、定食に付いてきた「豚汁」。 関東圏ではやはり普通に「とんじる」と発音するのですね。 「豚汁」の読み方として「とんじる」と「ぶたじる」二種の発音エリアが国内ではっきりと分かれているそうで、私は物心ついた頃から後者。 前者の発音には未だに違和を覚えます。

閑話休題。
昭和50年代のハウスメーカーの企画住宅二件の実在を知ったからには現地を訪ねてみたいとの欲求が湧くのは自然なこと。 少し前であれば、早速行動に移していた筈だ。
でも、昨今はちょっと自粛しています。 というよりも自粛せざるを得ぬと言った方が正確でしょうかね。 否、そうやって住民以外の者が住宅地内を徘徊し、所どころで立ち止まって目の前の住まいを凝視したり写真を撮るなんて、不審以外の何物でもないとの意識が以前から全く無かった訳ではない。 しかし最近は、何やら輪をかけて疑念の目を向けられてしまいそうで、なかなか行動に移しにくい御時世。
同時代の事例の中には、とんでもなくレアなものだってある。 既に十分文化財的な価値を帯びていると個人的には思うそんな事例との遭遇や、あるいは記録に取る機会の喪失は何とも空しい限り・・・などと嘆いても、御理解頂ける方など極々僅かなのでしょう。

2026.03.29:メーカー住宅私考_213
北向きの住宅−MISAWA DESIGNERS’CODE MARGE

気候変動に起因すると思われる夏期の酷暑。 北海道も例外ではない。 近年のお盆の帰省の際にはいつも、「ここは北の大地じゃなかったのか?」と閉口してしまう。
昨年の帰省時も同様。 うだる暑さの中、暑熱回避策としてフと北側テラスを設置すべく実家を改修するとしたらどうなるか、などと思い付く。 実行に移す気などさらさら無い改修案のエスキスにズルズルと勤しみつつ暑さをやり過ごした。
※1
当時の施設名称は「住まいの夢工場」。 訪問した際の事々は、この場にも2021年10月13日及び20日の二回にわたって記している。
敢えて北側にテラスを設ける発想。 それは、五年前に訪ねた積水ハウスのモデルハウスの印象がイメージの奥底にあった。
茨城県の古河に立地する同社独自の巨大住宅展示場※1の一画に建つそのモデルハウスには、ダイニングルームに連携して北側テラスが組み込まれていた。 直射日光や地面からの照り返し、そしてそれに伴う輻射熱を避けながら、落ち着いた光量と温度変化の中、ゆったりと寛げる場所。 条件によっては、北側隣地南面の庭木を順光にて借景として愉しめよう。
存外、テラスはこのモデルハウスの様に南側ではなく北側に配置した方が四季折々の風情を享受出来るのではないか。 設えられていたアウトドアソファに暫し身を沈めながら、ナルホドなと合点したものだった。

※2

玄関から続く通り土間の北側に設けられた「夏の座」

※3

コート状の北向きテラスに面したリビングスペース

北側テラスに関連し、話は更に2010年に遡る。 この年の1月、ミサワホームから「MJ Wood Season j」が発売された。
南面する玄関を入ると奥まで通り土間が抜け、北端に「夏の座」と名付けた空間※2を設定。 土間の蓄冷効果との相乗によって夏期の暑熱緩和を指向したリビングルームと位置づられけた。
これとは別に、南面するリビングを「冬の座」と命名。 季節によってリビングを使い分ける「シーズンリビング」が提唱された。
ここで「夏の座」は、言わば北向きのインナーテラス。 南面する「冬の座」との並置にはそれなりの面積を要しそうだが、面白い提案だと思った。

前置きが長くなった。 最近、ミサワホームが掲題のモデルを発表した。 その代表プランにも、建物の北側にテラスが組み込まれている。
南北両面に貫通するリビングルームの北面は、一部吹抜けを伴いながらこのテラスに面し、更に吹抜けを介して二階に設けたギャラリーとも連携。 建物北側への内外の空間的な広がりが積極的に確保された※3
対して南面は、高さを天井高の半分程度に抑えた掃き出し窓を間口一杯に配し、閉塞感を排除しつつ夏期の日射侵入を抑制。 外部開口を極力減らした立面構成が外観意匠にも反映された。
南側を閉じて北側に開くプランニング。 太古より日本の住まいを支配してきた南向き信仰が、近年の気候変動をきっかけに大きく変貌しようとしているのだろうか。

林望は、2011年に発表した著書「思想する住宅」の冒頭で、家は北向きに建てるべきと記した。 氏の豊富なイギリス滞在歴を根拠とした提言だが、気候変動という別の要因で、時代が氏の「思想」に向かいつつあるのかもしれない。

2026.03.22:メーカー住宅私考_212
ミサワホーム・HYBRID-Z
※1
幼少の頃興味を持ったきっかけやその後の推移については、2011年1月19日以降「住宅メーカー私史」というタイトルで不定期に半年ほどこの場に連載した。


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HYBRID-Z外観

この場に何度も書いているが、私がハウスメーカーの住宅に関心を持ち始めたのは小学生の頃。 勉強などそっちのけで入手したカタログを眺め、あるいは居住地近傍のモデルハウスや建築事例を巡っては眼福に授かっていた。 ところが1980年代半ばに急激に興味を喪失。 以降2002年の秋口頃までの間、全く関心を持たずに過ごしてきた※1。 たまに新聞広告などが目に留まっても、「最近はこんなモデルを出しているのか〜」と思う程度。 ミサワホームが1998年に発表した「HYBRID-Z」についても例外ではない。 「へぇ、いかにもミサワっぽいかもネ、知らんけど・・・」と一瞥するのみに留まった。
当時、当該モデルの外観写真※2を見てミサワホームらしいと思った理由。 それは恐らく屋根形状にあったのだと思う。 基本切妻だけれども、棟の両端を少しだけカットしセットバック。 それだけの形態操作で、単純な切妻屋根とは異なる表情を生成した。 あるいはそれは、妻面に兜屋根風の印象を与えている様に見えなくもない。 かつての大ヒットモデル「ミサワホームO型」に越屋根を載せたのと同様、伝統的な民家の屋根形式に範を求めつつ、現代風にアレンジし意匠に効果的に取り込む手法。 そんなところが印象に残ったのだと思う。
今、改めて当該モデルを見る際の視線も同様だ。 と同時にその形態操作は、建物妻面の隣地斜線の影響回避も鑑みたものと読み取れる。 フラットとなったセットバック部天端の雨水排水処理及び防水納まりが気になるが、同社のことだからちゃんと考えられていたのであろう。

当該モデルの販売資料はとっても豪華。 30cm角のカラー摺り200ページ弱の本体と、プラン集がセットになったもの※3。 ハウスメーカーへの関心が復活した後に入手したが、内容を見てみるとそれはいたずらに豪華さを装ったものではない。 紹介したい事項を書き連ねたらそのボリュームになったという印象。
同社の当時のニュースリリースを読むと、21世紀を目前に、創業以来蓄積してきた社内技術の集大成の意思を込めてモデルを開発した旨が述べられている。 販売資料の各ページからは、その意気込みが取り敢えずは伝わってくる。

しかしながら今のところ、当該モデルにはあまり関心は沸かぬ。
例えば外観。 良いと思えるのは前述の屋根形状のみ。 それ以外の立面の組み立ては、表情に乏しく凡庸。 そのためか、外観画像には左記に引用した建物前面を庭木で覆ったテイク※2が多用された。 屋根に意識を向わせる意図なのではないか。
続いて内観。 玄関ホールに配した大黒柱の意匠※4は、「ミサワホームO型」にあやかったのだろう。 しかしO型では吹抜けを介し二階まで貫いて堂々と屹立しているのに対し、「HYBRID-Z」は各階分断し床と天井の間にのっぺりと挟まっているのみ。 O型の場合、実態は装飾でありながら、頂部のロフトや、そのロフトを覆う越屋根を力強く支えているかの如き視覚上の意匠効果が十全に施されていた。 一方、「HYBRID-Z」にはそれが無い。 装飾では無くれっきとした構造柱であるにも関わらず、力学的な視覚表現が欠落しているために意味不明の肥大した飾り柱にしか見えぬ。
そして間取り。 多数のバリエーションがプラン集に紹介されているが、いずれも諸室の面積配分がいびつ。 同モデルが採用しているユニット工法特有の制約が原因だ。 せせこましいリビングダイニングルームにやたらと広々した子供室。 廊下等を介さずリビングダイニングルームに扉一枚のみで近接するトイレ。 自然採光に乏しい玄関ホール。 設備コアの概念の後退・・・等々。 これは良いと思えるバリエーションが見当たらぬ。

もしも当サイトの「住宅メーカーの住宅」のページに載せるならば、「不可解なモデル」の項にカテゴライズしてしまいそうな、今のところそんな印象しか持てぬ。 とはいえ、同社がかつて集大成と謳ったモデル。 ひとかどでは無い筈。 発表から四半世紀が過ぎ去ったことも踏まえて、もう少し読み解いてみる意義はありそうだ。

※3

HYBRID-Zのカタログ


※4

階段の右手に付いているのが、問題の大黒柱。

2026.03.15:【書籍】ヤバいビル
1960-70年代の街場の愛すべき建物たち
※1
書名の「ヤバい」は、その言葉が元々持っていたネガティブな意味では無く、昨今一般的な使用方法として定着した肯定的なニュアンスを持つ。 そして副題が書籍※1の内容を端的に表わしている。
著者:三浦展
出版社:朝日新聞出版
発行日:2018年8月20日

少なくとも建築の意匠に関心がある人、あるいは実際に業務に携わる人の多くにとって、紙上に怒涛の如く並ぶ事例に対し肯定的な意味合いでの「ヤバい」との感覚は素直に共有出来るものであろう。 私もそうだ。 「コイツは確かにヤバいネ」とか「あ、このヤバいビル、見たことある」などと思いながら、それぞれのページを存分に楽しめる。
でも、そういったものにあまり関心がない人々にとってはどうなのだろう。 その様な人達にも魅力を伝える、あるいは新たな気付きのきっかけを与えるべく紙面を纏める。 しかも能書きをダラダラと連ねるのではなく、一枚の画像のみでそれを達成する。
そのためには、建築に対する筆者の高い審美眼。 そしてその魅力を画像に収める撮影技術が要求されよう。 そこに映し込んだ外観もしくは内観一枚で、如何にそこに顕れた魅力を饒舌に語らせるか。 その点において、この著者の能力は「ヤバい」ネと素直に思う。

建築が何らか(例えば国家)の権勢を表象する装置として機能し得た1960年代。 あるいはそれを辛うじて引き摺り得ていたのかもしれぬ70年代。 言わば英雄的な建築が公共用途を中心に多々築かれ注目と称賛を集めたその時代において、その耳目から外れつつも魅力にあふれた建物が市井に百花繚乱の如く咲き誇った。 高度経済成長期ならではの勢い、あるいはそれによって急激に変貌する都市の様相や様々な価値観を背景とした「ヤバい」建築。 そこに漲る今には無い力強さやいびつさ、あるいはある種の滑稽味。
既に築年数が半世紀を超えるそれらに向ける視線は、憧憬や懐旧といった言葉では単純に片づけられぬ何かが常に纏わりつく。

果たして今から半世紀後、現在多々造られ続けている建築に向ける視線は如何なるものだろう。 この書籍と同様、「ヤバい」との価値指標のもと愛でられ得るのだろうか。
例えば一つのカテゴリーとして、木造化や木質化に関する動きはその対象となり得るのではないか、などと思ったりもする。 環境配慮とか脱炭素化を錦の御旗に繰り広げられる昨今の状況。 あるいはもしかすると、それらに対しては「ヤバい」という言葉そのものではなく、それとは別のヤバい形容詞が当て嵌められてしまうのでは、などと思うところ、無きにしも非ず。

2026.03.08:清川泰次 デザインの仕事
―生活に息づく美
※1
ネット検索を掛けていた際、一枚の画像に目が留まる。 私の場合、それがミサワホームが1979年に発表したミサワホームOII型のリビングルームだと瞬時に視認出来てしまう・・・などと書いても何の自慢にもなりはしない。
同モデルの販売資料等に掲載されたものとは異なるアングル及び設えを施した画像だけれども、遠い昔、同社の月刊広報誌「ホームイングニュース」にて目にしていた。 関心を持ちページにアクセスしてみると、タイトルに掲げた企画展※1のサイトであった。


同展のフライヤー。
画像の中に写り込むカーテンとタペストリーが、氏の作品。


※2

外観。
南隣にミサワホームが1980年代半ばに発売していたセラミック系の住宅が三棟連なっていたが、単なる偶然だろう。

清川泰次。 この洋画家の名前と共に、往時の記憶が一気に蘇る。 「ホームイングニュース」にも何度か登場。 同社のオリジナルカーテンのデザインを手掛けた記事や、それに関連した対談が掲載されていた。
そのカーテンは、無地の生地に単線をランダムに引いただけのモノ。 果たしてそれがデザインと言えるのか?などと、訝しく思ったけれど、一方で何だか良く分からないけれどインテリアに良く溶け込んでいるとの印象も同時に持った。
忘却に伏していたその名前に懐かしさを覚え、会場である「清川泰次記念ギャラリー」へと向かう。

小田急線成城学園駅から徒歩数分の住宅地内に、それは立地する。 もともと御本人のアトリエ兼住居であった建物をギャラリーに転用。 世田谷美術館の分館として活用されている。
そんな建物の来歴も、現地に足を運ぶ動機の一つ。 目の前に立ち現れたのは、フラットルーフを支えるRC造のフレームにコンクリートブロックを帳壁として嵌め込んだ端正でモダンな佇まい※2。 白一色に塗り込められた外観が敷地内の緑に映える。
同ギャラリーのサイトによると、1961年に竣工。 設計者は二葉建築士事務所と記されている。

内装は元々コンクリートブロック素地であったらしいが、ギャラリーとして供用するにあたり最小限の改修が施された。 プランは元の様態がそのまま用いられ、一部動線を変更しながら諸室が展示空間として活かされている。 洋画家としての日常生活の場が、美術館として無理なく転用可能なこと。 それこそが企画展のタイトルである「生活に息づく美」そのものではないか・・・なんて解釈は、少々強引だろうか。
かつて氏が手掛けたミサワホームに纏わる作品を鑑賞しながら、モダンな建物の内外観も堪能し、更には往時のミサワホームに関する新たな事実にも接する。 そんな三つの愉しみを同時に味わい尽くせる充実した企画展だった。

2026.03.02:日の出写真館
※1
先月、「北の古民家」に登録している夕張市の「日の出写真館」のページを全面改訂した。 2008年8月に当該ページをアップしているから、凡そ17年半を経ての差し替えとなる※1
改訂前のページ。

かつてページを作成した際には書く内容があまり思い浮かばず、「北海道開拓の村」に移築保存されている「広瀬写真館」にも言及しつつ手短に取り纏めていた。

元々は、二種の外観画像を用いてページを構成していた。 しかし、昔撮った写真を収めたアルバムを久々に眺めていた際、もう一枚別のアングルも撮影していたことに気付いた。 現地に赴いたのは1991年1月中旬。 こんな写真も撮っていたんだな・・・などと呑気に眺めているうちに、文章が色々と浮かんできた。
以降、すっかり忘却に付していた当時の様子を思い出しつつ、そして四半世紀を経て再び現地を訪ねた際の状況などを組み入れつつ改めて文章を綴った次第。

同建物は、除却されて既に久しい。 「異形」との表記がそれほど大袈裟ではない程度に個性的なその外観を拝めるのは、写真の中のみ。 かつて夕張市内の商店街をそぞろ歩きしていて偶然目に留まった際、もっとじっくりとその外観を堪能しておくべきだったな、などと今更ながらに思う。
とはいえ、何せ36年前。 初めて訪ねる街で、風景や建物を記録として写真に収めることに夢中で、一つひとつをじっくり味わう余裕など無かったのかもしれぬ。
否、この時だけではない。 往時の私は、撮る行為のみが目的化していた感が無きにしも非ず。 アルバムに収めた他の北海道内の古民家の写真を眺めるにつけ、同様の感覚を抱く。
でも、取り敢えず撮ること。 それによって、数十年経った今、既に現存せぬ個々の建物と画像の中で改めて再会出来ている。 そこに写り込む状況に新たな気付きを得られ、あるいは読解を試みられる。 だから、過去の行為は決して無意では無かったと思いたい。
そしてそれらに接するにつけ、すっかり放置状態となってしまっている「北の古民家」のページに少々テコ入れをせねば、などとも思うのであった。

2026.02.23:衆院選に想う
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INAX BOOKLET「学校建築の冒険」。 1988年9月発刊。

INAXギャラリーでは企画展のたびに同様のブックレットを編纂。 どれもとても内容が充実していて、全て読破すれば建築への造詣も相当深まる筈だが、如何せん私は何に対しても中途半端ゆえ・・・。

先般執り行われた衆議院議員選挙の・・・などと書き始めると、個人的な政治信条について滔々と語るつもりか、などと思われてしまうかもしれぬ。 そうではなくて、話したいのは投票所のこと。
私の居住地の場合、最寄りの公立中学校がいつもその会場に使われる。 数年前に校舎が建て替えられたばかりで、真新しい建物はRC造ながら内装にたっぷりと木材が使われている。 今どきの傾向なのだろう。 建て替え前に比べ、校舎の規模は大幅に縮小。 これも、対象学区の少子化の進行が可視化された今どきの傾向なのだろう。 容積が減った分、土地利用に余裕が生まれ、前面道路から十分な引きを確保したアプローチの途上には、十分な緑地とポケットパークが設けられている。

以前の校舎は、土地利用上確保可能な校舎の容積を最大限捻出。 そのボリューム内に所与の学校機能をぎっしり詰め込んだ印象であった。 土地の高度利用のためか、校舎の最上階に体育館を設置。 直下には教室が配されていたが、体育館使用時の音や振動の影響はどうだったのだろう。 例えば中間ピットを設ける等、何らかの対策がとられていたのか。 何せ旧校舎の竣工は昭和半ば。 激増する生徒数に対し、必要な諸室を確保するのに精一杯。 教育施設としてのアメニティなど、二の次であった可能性もあろう。
近傍に、同じ構成の中学校校舎が現存する。 往時の管轄行政の標準設計だったのだろうか。

私が通った小学校や中学校の校舎も、直線配置された廊下の片側に同じ規格の教室が淡々と並ぶ無味乾燥とした建物だった。 しかし卒業して数年後に別の敷地に移転。 その頃教育施設への新たな試みとして採用されつつあったオープンスペースを積極的に取り入れた新進の校舎へと建て替えられた。
同じ時期、例えばINAXが自ら運営するギャラリーにて「学校建築の冒険」と題する企画展を開催。 学校建築に関する新たな取り組み紹介すると共に、独自の冊子※1も発刊している。 教育施設に対する建築計画側からの提案、あるいは新たな試みの萌芽。 ちょうどそんな時期であった。

しかし、学び舎に対する評価は、そこで繰り広げられた体験と混然一体となった記憶に左右される。 何の変哲もない空間や設えやディテールに様々な想いが付着し、物理存在としてのそれ自体の在り姿を超えた次元で個々人の価値判断に接続する。
投票所として使われた木質感たっぷりの先進の校舎と、そうではない私がかつて通っていた無機質な校舎。 双方の差異が諸々の記憶に与える影響は果たしてどの様なものだろう・・・なんてどうでも良いことを考えながら選挙権を行使し、投票所をあとにした。

2026.02.17:(仮称)水上温泉街再生プロジェクト
※1

新建築の先月号(1月号)に載せられた掲題の記事に興味を持った。

十年以上前の今の季節、初めて水上温泉を訪ねている。 無理矢理休暇を取り、気分転換を求めて赴いた同地は、意外性に満ちていた。
まずは宿泊先。 都度異なる意匠によって増築に増築を重ね肥大化した内外観は、それ自体が混沌とした一つの都市の様相※1。 今現在の姿に至った過程に強い関心を持つ。

外観。 左下に僅かに写っている渓流は利根川。 この斜め向かいで、掲題のプロジェクトが進行している。

しかしそれは宿泊先のみならず。 案内された客室からは、同じ様に増改築を繰り返したと思しき類似施設が群を成す様子が利根川の渓流を介した対岸沿いに伺える。 いずれも昭和の半ばから後期にかけて施設の拡充が行われたものと思われる。 往時の観光ブームに乗り、競うように事業規模の拡大を図ったが、過度の肥大化が価値観や嗜好の変化への対応を困難にしたのか。 営業しているのか否か定かではない建物が散見される状況に。
同様の様態が、館内の露天風呂からも確認された。 渓流に面した対岸の崖地にへばりつくように並ぶ別の宿泊施設は、明らかに廃墟。 営業を断念してから久しい様子で、客室のバルコニーを器用に行き交う野生のニホンザルが数匹目視された。
個人的には味わい深い風情としてそれらの景観を堪能したけれど、ほかの宿泊客にとってはどうなのか。 いまや深山幽谷を堪能できる観光地など稀有である認識は持ち合わせていたとしても、替わりに眺める景観が廃墟群とあっては、なかなかに濃厚な物見遊山との印象を持つ人々も少なくは無かろう。

以降、温泉では無く、街並み探索を目的に同地を幾度か訪ねている。
廃墟然としたものも含む巨大な宿泊施設群と、どこか昔懐かしい雰囲気の商店街との対比。 建築探訪のページにも載せたみなかみ町観光会館の造形の妙。 小ぶりながらも重厚感たっぷりの浄水場の管理棟。 彩色が派手な水上寺の建物群等々。

そんな温泉地の一画で、近年になって掲題のプロジェクトが進行していたことは知らなかった。
私が宿泊したホテルと同様に度重なる増改築を行ってきたが、それによって営業の継続も建替えも除却もままならなくなってしまった建物を再活用するための取り組み。 この地の現況のポテンシャルに身の丈を合わせ、あるいは現行の法制度との整合を図るべく減築を図り、再生に必要なスケルトンのみを残した状態にまで建物を還元。 その操作が完了した状態に対して用いられた「廃墟の上棟」との表現は、詩性を帯びていて美しい。
今後、どの様な施設や空間が新たに創り出されて利活用に資するまで状況が回復されるのか。 そして、その事業スキームが、国内に大量に存する同様のストックに対する手立てとして水平展開可能な洗練を獲得出来るのか興味深い。

2026.02.10:三度目の改訂

「住宅メーカーの住宅」に登録している「ミサワホームMII型」のページを全面改訂した。
もともと2009年10月3日の雑記帳に書き綴ったものに加筆・調整等の改訂を施し、「住宅メーカーの住宅」のページ内に「不可解なモデル」と題するカテゴリを新たに追加した際に移設。 その後、2017年1月21日に改訂。 そして更に今回の改訂。 三度目ともなると、「不可解」と言いながら結構気になっているんじゃないか、と指摘されそうだけれども、全くをもってその通り。 往々にして癖が強いモデルの方が考察のし甲斐があるというもの。
かつて、2009年10月3日の雑記にも書いた。

こうやって書いてみると、MII型も結構面白いモデルかもしれない。 不自然に見える部位も、その背景を探れば色々と見えてくるものがあるかもしれない。

16年前のこの記述通り、最初は単にいびつな間取りに対し思うところをあれこれ言及しただけであった。 二回目の改訂時にはそのいびつさの要因として「ハレ」と「ケ」の視点を取り入れた。 そして今回は、同社がその草創期に設計手法として様々なモデルに展開した「ジョイントスペース」の観点を加えてみた。
それぞれの解釈が正しいのかどうかは判らない。 でも、色々な捉え方があっても愉しいではないか。
それに、同社の昭和40年代から50年代にかけての各モデルを、この「ジョイントスペース」の視点で眺めてみるととても面白い。 既に2023年12月12日から三回に亘ってこの場にも書き散らしたが、そこで言及したモデル以外にも当て嵌められる概念である。 いずれ体系化を試みてみたいなどと思うが、そこは個人サイトの気まぐれなところ。 いつ実現するか私にも判らない。

最初は、MII型ではなく、当該サイト開設時から公開したままとなっている「ミサワホームMIII型」のページの改訂を考えていた。 その際に、同社が1969年に発表したホームコアに(恐らくは)端を発する「ジョイントスペース」の構成原理を起点に幾つかのモデルに言及した後、それらを踏まえてMIII型に繋げる流れを目論んだ。
しかし前段としてのMII型までの記述が随分と長くなってしまった。 というよりも、MII型の内容が前段ではなく本筋のボリュームに肥大。 加えてMIII型について書くと、主題がどちらなのか判らなくなりかねぬ。 そんな経緯から、MII型のページ改訂と相成った。
当初の予定であったMIII型のページも手を入れねばと思うのだが、これもいつ実現するか判らない。

2026.02.03:書籍「はてしなき現代住居 1989年以後」

平成時代の住宅史を取り纏めた書籍。 建築家や研究者等、様々な識者が論稿を展開している。

第一章は、総論。 近現代の国内の住宅史がコンパクトに分かり易く纏められている。 文字通り、“総論”だ。
続く第二章、「1989−2019の住居50選」は、如何なる指標で50の住宅が選ばれたのか。 建築家の作品に偏重している感が否めぬ。 個々には時代背景を踏まえた有意な提案・提言がものの見事に空間化されているのかもしれぬ。 しかし、特殊解に過ぎる印象のものも多数。 果たしてそれらが、時代精神の表象として選択される理由となり得る哉。
むしろ例えば、不動産事業に軸足が置かれたタワーマンションやミニ開発戸建てだって、平成期に過剰化し、そして今もなお加速度を伴って進行中の“はてしなき”狂気として、十分に時代を読み解く対象となり得ますでしょうに。
50選の中には、ハウスメーカーの住宅も一件だけ取り上げられている。 積水化学工業のセキスイハイム。 年初に私もこの場に工業化住宅という側面でこのモデルに対し肯定的な書き込みを試みた。 しかし住宅産業からの唯一の選択が、なぜハイムなのか。 しかも内容はZEH。 環境配慮ならば、先鋭的な試行モデル等、もっと取り上げるべき事例が他にもあろう。 あるいは平成時代の外せぬ事象として、例えばデフレスパイラルのどん底にあって市場にインパクトを与えたローコストモデルとか、共働き世帯数の増加や男女雇用機会均等法の改正等に伴い一般化してきた「家事シェア」の価値観をプランに反映させたモデル等、他に挙げるべき事例が多々あるのではないかとも思うけれど。

そんな訳で、第二章はやや腑に落ちぬまま読み進めてしまったが、続く第三章はとっても面白い。 住まいに纏わる諸相が、それぞれの分野の専門家によって鋭く言及されている。
後世の歴史家たちは、大きな変化を伴いながら複雑かつ多岐に広がる現代の住文化をどのように捉え、論評することになるのだろうか。

大きな変容の渦中にありながら、しかし昭和の後期から今に至るまで、不気味に変わらぬ住まいの姿もある。 片廊下型の集合住宅における3LDKの住戸。 いわゆる「マンション田の字」と呼ばれる間取りだ。
否、全く変化が無いわけではない。 和室が一室も造られなくなったとか、対面キッチンが当たり前になったとか、間口がどんどん狭隘化して廊下と見まごうばかりの細長い個室が計画される様になってきた等、僅かな変化は見受けられる。 しかし基本的な骨格は殆ど変わらぬまま、大量に建設・販売され、そして中古市場にも流通する。
既に十分コモディティ化の隘路に嵌り込んだそれらが、飽きられることなく購入され続ける。 あるいは売買が好調だから供給者側も連綿とそれを造り続ける。 そんな市場が、流行廃りの激しいこの国において何ゆえ数十年に亘って成立し得ているのか。
これも、「はてしなき現代住居」の一側面ではあろうか。

・・・などと能天気に論い出すと、とてもじゃないが一冊の本には納まり切らなくなるのだろう。 それこそが、“はてしなき”所以。

2026.01.27:「北海道総務部総務課第一車庫公宅」に纏わるメモ
※1
先月、建築探訪に載せている掲題の建物のページを改訂した。 同ページはこのサイトを開設した当初から掲載しているから、19年を経ての改訂となる。
近年になって、往時は解らなかった当該建物の来歴を様々知り得る機会を得た。 その経緯も含め、この異形建築に纏わる初見から今までの事々を綴る形で、文章を全面的に改めた※1

改訂にあたって、雑記帳の2023年6月28日の書き込みの多くを援用した。 重複を避けるため同雑記は削除。 建築探訪のページに加筆・調整のうえ移設した旨を記した。

※2
セミナー開催告知のポスター。
未だに所持している人など稀なのだろうな。 単に収納の奥に仕舞い込んでいただけだが、ここまで来ると個人的な人生の記録としての価値を帯び始めているのかも。

掲載した建物外観の画像を見ると、所どころに雪が残っている。
撮影したのは、当該建物の近傍にかつて在った札幌青少年センターにて1990年3月7日から18日までの日程で開催された「第一回学生建築セミナー」※2に参加していたさなかであった。
同セミナーの主催は、「建築家の卵協会」。 道内の大学の建築学科に在籍する学生どうしの横のつながりを作ろうと有志で設立した協会で、私も最年少で参加していた。 第一回目のセミナーのテーマは「現代の市場」。 衰退傾向にある市内の市場の活性化を建築の側から考えようというもの。 複数のグループを組成し、それぞれに道内の著名建築家が付いて指導。 最終日に成果物の講評会を行い、更に後日、市内のデパートの催事場で作品展示会まで行うセミナーであった。

期間中はとにかく慌ただしくて、ゆえに近傍に建つ掲題の建物に関心を寄せる余裕も無かった。 通りすがりに二枚写真を撮るのがせいぜい。 そのまま忘却に付してしまった。

協会のメンバーとして企画と運営に携わりつつセミナー自体にも参加したのだから、我ながら随分欲張ったというか、前向きで行動力があったなと思う。 でも、それが一体自身に何をもたらしたのか。
セミナーの開催は一回のみ。 協会自体も自然消滅してしまった。 今になって思えば、何かどうでも良いことに膨大なエネルギーを注ぎ込んでしまっていた様な気がしなくも無い。

※3
しかしそこはそれ、昨年12月12日に言及したアンギャマンの漫画作品「ラーメン赤猫」の第135話※3で店長の文蔵さんも、
単行本第12巻所収。

頑張った経験は決して無駄にならねぇ。

と、接客術伝授のためイタリアに長期出張する店員を激励していました。 きっと、識閾下で今の自分に何らかの良い作用をもたらしている違いないとしておきましょうか。 思えば、企画会議の途中で建築に纏わる論争となり、年上の大学院在籍の面々にコテンパンにやり込められたのは、今となっては懐かしい経験。 それに、セミナーに参加するため会場に赴かなければ、近傍に建つ異形建築との遭遇は無かったかもしれぬ。 そんな事々を思い起こしてみれば、決して「無駄」の一言で片づけられはしない。

2026.01.20:奥野ビル

歴史的建造物の保全は難しい。
竣工時の様態を忠実に復元する行為は学術的にも、そしてその建物自体の価値を維持するためにも有意ではある。 しかし、建築はその時々のニーズに基づき供用されてナンボの物理存在。 その要求品質との乖離や折り合いをどう捉えるべきか。 あるいはそれ以前に、時間の経過と共に内外観に堆積されて来た風合いや表情が綺麗さっぱり洗い流されてしまった復元後の真新しい姿に何とも言えぬ思いを抱く実例には事欠かぬ。
加えて移築を伴う復元となると状況は更に微妙となる。 長年醸成されて来た周辺環境とのコンテクストと切り離されて真新しく再生されたその佇まいに纏わりつく違和感について、例えば「徘徊と日常」のページで2013年7月17日にも事例をサラリと取り上げてみた。
歴史的街並の保全などの場合も同様。 修景が施された街並みに纏わりつく舞台装置の背景の様な白々しさ。 多寡の差こそあれ観光目的と何らかの形で癒着する修景事業の帰結としてオーバーツーリズムに晒されるそれらの場所を再訪してみたいとの気分は、今のところ全く起きはせぬ。

そんな中、銀座一丁目に立地する「奥野ビル」は、奇跡的に好ましい様態を維持し続ける歴史的建造物だ。 旧名称は、「銀座アパートメント」。 経済の理論で建物が耐久消費財の如く目まぐるしく更新され、次々と自己顕示欲旺盛な商業ビルが建てられ続け雑然としたごった煮状態を呈す銀座。 その中に在って昭和7年竣工のこの建物は、極々自然な経年変化を内外観に醸しつつ周囲の風景に埋没せぬ落ち着きを持って鎮座する。
元々集合住宅として建てられ、今はアートギャラリーが多く入居する当該建物の前は幾度か往来しているが屋内に入ったことは未だに無い。 そんな館内に入居するギャラリーの一つ「Salon de la」にて開催中の版画展「Seed Stories 25_26」に知り合いが出展すると御紹介頂き、これを機に訪ねてみることに。

その前に当該ビルについておさらいしようと、大月敏雄著「集合住宅の時間」を書棚から引っ張り出す。 著者の講演会に参加した際に入手したサイン入りの書籍で、サインの脇には2007年3月10日と日付が添えられている。 既に19年が経とうとしているのだななどとしみじみ思いつつ、同書籍の中で言及されている当該ビルについて久々に読み直す。 否応なしに、建物への興味が増す。
「作品鑑賞が目的だからな」と自身に言い聞かせつつ、しかし半ばそれ以上の関心は、やはり建物。 否、そもそもアート作品の鑑賞はそれ自体のみを愛でることに非ず。 それが置かれた場所、あるいは環境と共に魅力が読み解かれるのであって、従ってそれが配された建築に関心の視線を向ける行為に何の矛盾も不合理もありはしない、などと適当に都合の良い理屈を組み立てつつ現地に向かう。 そして、堆積した時間によって造り出される奥ゆかしい空間の質と共に各作品を堪能した。

2026.01.12:孤独のグルメ年末スペシャル

年末年始に限らず、実家への帰省時は(可能な限り)デジタルデトックスに努めている。 一年のうちの何度か、その様な機会を纏まった期間確保するのも悪くは無かろう。
しかし哀しきかな。 ネットを遮断してしまうと、何をして過ごせばよいか悩んでしまう。 家の周りの散策。 ちょっと遠くに出かけてみる。 はたまた読書。 いずれにも飽き、ないしは疲れてしまうと、サテどうしたものか。 テレビを点けてもつまらない番組ばかりで、年末年始なら尚更だけれども、取り敢えず消去法で「孤独のグルメ」の再放送を視聴する。

既に風物詩の位置づけを獲得しているのか否かは知らぬ。 しかし、今回の年末年始もテレビ東京系は当該ドラマを早朝から昼過ぎまで過去放映分を一挙再放送。 何度か視ているので、今更椅子に腰かけてじっくりと堪能するほどでもない。 柄にもなく大掃除の様なことをしながら、時折眺めるといった程度に視聴を愉しむ。
過去放映の年末スペシャルも再放送されたが、個人的には2022年の北海道編は何度視ても良いと思う。 当該ドラマは、主人公の井之頭五郎さんが出先で適当な飲食店に入り、そこのメニューを独りで食して愉しむシーンをモノローグと共に流すことが主題。 ストーリー性は特に重要視されない。 ストーリーに求められるのは、その日入る店に出会うためのお膳立てでしかない。 恐らくは大半の視聴者も、そこに期待などしていないのだろう。 しかし、2022年版は珍しくストーリー性があった。 ちゃんと伏線が仕組まれ、最後に見事に回収して大団円・・・では終わらせず、また独り、小さな店で静かに食を愉しんで年末を締めくくる。 そんな組み立てがとっても良かった。
それでなくても舞台は北海道。 私のお気に入りの風景も一瞬登場したことは、ちょうど三年前にもこの場に書きましたか。 聚富海岸の段丘から厚田方面を遠望するそのシーンは、何度視てもホロリとしてしまう。

然るに、昨年末のスペシャル版はどうだろう。
先述のとおり、ストーリーは五郎さんが様々な場所を訪れるためのきっかけに過ぎぬが、それにしても今回の設定はちょっと残念ではありましたか。 食材に強い拘りを持つくせに、その調達や事前準備の段取りもロクに出来ぬ若手おむすび職人の我儘に五郎さんが振り回され続けるの図。 この若者、こんな調子では長続きしないゾ・・・などと思いつつの視聴となる。
今回は、所々で生放送が挿入される趣向。 五郎さんが奔走した甲斐あって、無事生放送中にイベント会場で配られたおむすびの具は肉そぼろ。 苦労の割にはそんなにおいしそうには見えませんでしたか。 私の場合、おにぎりの具といったら、ちょい辛めのネギ味噌が嬉しいところであったりもしますので。

2026.01.05:メーカー住宅私考_211
最近のセキスイハイムの建築事例に想う

いつも通り、北海道の実家で年末年始を過ごす。
帰省期間中は例年に比べ明らかに少雪。 年末は、雪が降っても雨混じり。 辛うじて降り積もった雪はグショグショ。 道路はアスファルト舗装が、そして庭先は表土が広く露出する有様。 厳冬の北の風情を堪能する雰囲気からは程遠い。 年が明けて三日目になって漸く、冴えわたる氷点下の大気のもと新雪の踏み心地を愉しみながらあても無く周囲を散策する。

前にも書いたが、実家が立地するのは昭和40年代半ばに造成された大規模な住宅地。 各年代の戸建て住宅がまんべんなく建つ。 築年数を経た住まいであれば、その表層に顕れている経年変化や改修状況の確認。 新築のものであれば、どこのメーカーの仕事だろうと見立ててみる。
そんなことを愉しみつつ徘徊する中で、後者に関しては積水化学工業のセキスイハイムがやたらと目に留まる。 否、同社の直近のラインアップはよく知らないし、そもそも大して興味も無い。 でも、他社とは明らかに異なる方向性で取り纏められた外観は、容易にそれと判別が可能だ。 と同時に、一切の逡巡無きその方向性に感心させられもする。

多くのメーカーが、用いる工法の特性を活かすことなく似たり寄ったりの商品企画を展開する中にあって、積水化学工業は例外。 ユニット工法ならではの意匠の特化に矜持をもって取り組んでいる姿勢が容易に窺える。 ユニット住宅はかくあるべしという拘り。 強い信念。
過去において、その辺りに迷いが生じていた時期が無かった訳では無い。 例えば、80年代前半。 ユニット工法が持つ制約を超えて何とか普通の家らしさを目指そうと、いびつなモデルを生み出していた時期があった。 その頃のモデルについては、個人的には全く評価出来ない。
しかしながら現在、そんな逡巡は一切見受けられぬ。 工場生産された四角四面のルームユニットを縦横に積み重ねる同構法の特徴をそのまま現わしつつ、ディテールやテクスチュアへの拘りによって住まいとしての独自のかたちをしっかりと生成している。
「勾配屋根?軒の出?、そんな物が欲しかったら他社のありふれたモデルをドウゾ。」とでも言わんばかりのユニット住宅ならではの意匠の洗練がすこぶる清々しい。

勿論、同社の現在の全商品が同様の形態を纏っている訳では無いのかもしれぬ。 その辺は疎いので良く判らないけれど、少なくともその様な思想に基づくモデルを主力商品と位置付けているのは間違いなかろう。 かつて、工業化住宅の最終形態として夢見られ、数多くのメーカーが挑戦し脱落したユニット工法。 その淘汰の歴史の中で、この工法に拘り続け、他の追従を許さぬ進化を極めてきたセキスイハイム。 工業化住宅の王道を突き進んでいると評価できるのは、実は積水化学工業だけなのではないか、などと思い、且つそのデザインに感心しつつ、では好みに合うかというと、まぁそれは別問題であったりする訳ですけれども。

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