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雑記帳
2018.02.14:【書籍】荷風とル・コルビュジエのパリ

所要で訪ねた町の駅構内(改札の外)にブックオフが店舗を構えていた。 フト思い立って店内を徘徊。 その際に目に留まったのが掲題の書籍。
「荷風とコルビュジエに接点なんてあったのか?」と怪訝に思い手に取ってみる。 裏表紙に伊東豊雄の短い書評が添えられている。 それを読む限りでは接点があったという訳ではないが、同じ時期に二人がパリで暮らしていたことを手掛かりとした都市論が展開されているらしい。 なかなか面白そうだと思い、他の数冊の建築関連本と一緒に購入することと相成った。

19世紀半ば、ジョルジュ・オスマンが執り行ったパリの大改造によって生み出された幹線道路。 そこから一歩内側に入った古くからの迷宮じみた街路を愛した永井荷風。 逆にそれを破壊して超高層街区に拠る新しい都市を創出しようとするル・コルビュジエの野心。 そんな対立軸を通して両者の生涯を描くという試みは面白い。 あるいはそういった対立軸の設定に拠る言説の展開というのは、組み立てやすいし読む方も理解しやすい。 しかし、果たして設定された対立軸がそもそも相反する価値観足り得るのか。 ひねくれモノの私はどうしてもその辺に疑念を持ってしまう。
迷宮じみた裏街の現況は、何もその都市が始まって以降頑なに守られ続けてきたオリジナルという訳ではない。 絶えず変化し続ける都市の、過去からの様々な変容の堆積がもたらすその時点でのたまさかの様相の表出に過ぎぬ。 であるならば、コルビュジエが提唱したヴォアザン計画だって、そんな変化の一部と捉えられないか。 もっとも、当該プロジェクトはあまりにも壮大であったがために実現することは無かった。 しかし仮にその一部でも実現していたとするならば、それはそれで都市の中の一つの現象として風景を上書きしつつその中に取り込まれることとなったのであろう。 例えば、オスマンの大改造やエッフェル塔がそうであった様に。

「都市の政治学」の中で多木浩二は以下の様に述べている。

都市の歴史とは、決して古き良きものから構成されてきたのではなく、都市は大抵は、その時代のあたらしき悪しものによって過去と断絶しつつ生きてきたのである。

あらゆる人為の表象媒体である以上、都市が変容から免れ得ることなどあり得ぬ。 そんな意味では、晩年のコルビュジエの作風の変節について、荷風的な価値観への接近とするこの書籍の解釈も素直には肯定できない。

どうも天邪鬼的な視点で当該書籍を読み進めることとなってしまったが、意外な取り合わせによる巨匠の生涯の再読はなかなかに面白かった。

2018.02.05:メーカー住宅私考_86
ハウスとハイム

※1

この場に何度も掲載している同展示場の写真。 撮影したのは1980年代の初め頃。
正面が、ミサワホームOII型。 左手にセキスイハイムM3-SR型が部分的に写っている。 OII型の右手にセキスイハスのモデルが建っていたのだけれども、その外観を撮ったことは無い。 あるいは、内外観の記憶も殆ど断片的だ。 ハイムの方も、恐らく中に入ったのは一度か二度。 通い詰めたという表現がぴったりのOII型に比べると、その興味の差は歴然としていた。
あるいはそのことが、この写真のアングルにも顕れている。

積水化学工業の断熱材関連の営業担当者が打合せのアポイントを取ってきた。 でもって取り決めた日時、来訪された担当者に対する私の第一声は、「積水ハウ・・・あ、失礼しました。積水化学工業の○○様ですね」。 迂闊にも初っ端から思いっ切り間違えてしまった。 しかし先方も慣れたもの。 「いいです、いいです、似ていますよねネ・・・」。
積水ハウスが「セキスイハウス」というブランドで商品展開を図り、積水化学工業が「セキスイハイム」というブランドを立ち上げている。 しかも両社とも大手ハウスメーカーだから紛らわしい。

遡ること40年近く前。 当時私が住んでいた新潟県長岡市幸町に「NST長岡ハウジング」という住宅展示場があった※1。 といっても小規模なもので、出展は三社。 南北に三つ並ぶ区画の真ん中にミサワホームがかのミサワホームOII型を。 その南側に積水ハウスがセキスイハウスBK型を。 そして北側の区画に積水化学工業がセキスイハイムM3-SR型のモデルハウスを出展していた。
OII型を挟んで両側に似た名前のモデルハウスが建ち並ぶという状況。 しかし当時はあまり気にしていなかった。 何せ両社のモデルハウスの外観は全く別物で区別がつき易かったし、そもそも当時の個人的な興味の対象は双方のモデルハウスには無く、中央に建つOII型に偏っていた。 だから、「良く判らないけれども何か関係がある会社なのだろう」くらいの認識であった。

ということで、かなり以前から国内の住宅産業においてはハウスとハイムが並存してきた。
先行したのは積水ハウス。 ややこしいことに、当初同社は積水化学工業の中に設けられたハウス事業部という名称の一事業体であった。 しかし事業部設立からわずか半年後の1960年8月、グループから独立する(させられる)こととなり、名を積水ハウス産業として国内初の戸建プレハブ住宅専業メーカーとなる。 三年後、社名を現在の積水ハウスに改め二代目社長のもとグングン業績を伸ばし、業界トップの座を争う立ち位置まで成長。
その進展ぶりや、思いもよらぬ市場そのものの拡大に「逃がした魚は大きい」と慌てたのか、積水化学工業は1967年10月に再び住宅事業に参画することを決定。 商品開発にあたり、建築に関しては全く素人の社員を参集。 あろうことか一度手放した積水ハウスに住宅の基本を学びに社員を出向させている。

この辺りのことは、積水ハウスが創業30年にあたる1990年に編纂した社史「住まい文化の創造をめざして 積水ハウス30年の歩み」に書かれている。 同社は2010年にも50年史を編纂。 記述内容を比較してみると面白い。
あるいは、積水化学工業の住宅事業部について纏められた1979発刊の「住宅革命進行中 積水化学−ハイムに賭けるフロンティア集団」にも言及がある。 こちらは一般書籍。

2018.01.29:建築年代に関する推察

「間取り逍遥」のページに、またまたアニメで描かれた家の間取り推察事例を載せた。 今回は、「Just Because!」。 昨年10月から12月にかけて放映されていたテレビアニメだ。
全12話のうち第4話から見始めた。 中途から視聴することとなったのは、「月がきれいロス」対策になるかもしれぬという評判を聞きつけたため。 その内容は、「Just Because」というよりは、「I can't get started」。 言い出しかねて、ひたすらすれ違い続ける恋模様。 それが、受験や就職や卒業、そして別れを目前に控えた高校三年の三学期という何とも微妙な時期に的を絞った群像劇ゆえのもどかしさなのだと言えばそれまでなのかもしれぬ。
ともあれ、一旦視始めると続きが気になるもので、結局は最後まで見届けることに。 作品のキャッチコピー「あいつを好きな君の横顔が、たまらなく綺麗だったから――」には幾つもの意味が重ねられていることを徐々に描き出すストーリー展開は、それなりに楽しめましたか。 そして迎えた最終回も、そのタイトル「Get set, go!」そのままに、ささやかながらも清々しい余韻をもたらす綺麗な纏め方であった。

ところで、今回検討対象とした主人公・泉瑛太が住む集合住宅の建築年代はいつ頃か。 平面プランにテーマを絞った「間取り逍遥」のページの趣旨からは外れるためにそちらでは言及しなかったので、この場で少し考えてみる。
ここでも、第5話の玄関廻りのシーンがポイントとなる。 描かれている住戸玄関ドアは、把手がレバーハンドル。 そしてサムターンが一箇所。 プッシュプル形式のダブルロックといった今現在の平準的な意匠及び防犯性能からすると、やや古風ということになろうか。 サムターンの上に何やら小さな矩形の金属パーツが取り付くのは、後付けの電子錠の類いか。 つまり、2000年前後に社会問題化したピッキング等の不正開錠による窃盗事件の増加への対処として管理組合が承認した付加パーツなのかもしれぬ。
そうであるならば、竣工年は2000年より前に遡ることとなる。 更に、住棟から独立したエントランス棟が結構豪華であることを鑑みると、バブルが崩壊して間も無い頃に計画地を取得。 その後の経済情勢の影響による事業方針の曲折等を経て90年代半ばに竣工した物件という推定が可能か。 住戸内のキッチンや洗面化粧台が今風の仕様なのは、リフォーム工事を行ったものということにしておこう。 実際、高校三年の冬休みに父親の仕事の都合で引っ越して来たのだから、中古物件を購入し改修を施したという見立ても物語の設定と抗わない。

バブル期の尾を引く時期に企画された物件ならば、プランに関しもっと遊んでも良かったかもしれぬ。 但し、映像に基づく根拠を伴わぬ遊びの付加は意味が無いので、概ね平準的な4LDKにて調整した。

2018.01.22:パブリックアート.2

東京駅日本橋口から程近い場所に立地する三井住友銀行呉服橋ビルのエントランス前に設置された「時をつなぐ」という名の鉄骨製モニュメント。 その足元には、それがかつてこの地に建っていた前川國男設計の日本相互銀行本店の構造材として用いられていた鉄骨の一部であるとの解説が添えられている。

用を失った構造部材の一部を切り取って台座に載せる。 これをパブリックアートと称して良いのか否かは判らぬ。
けれども、このモニュメントを観て思い出すのが「一木努コレクション」。 歯科医を本業とする一個人が様々な歴史的建造物の解体現場に出向き、その建物のパーツを蒐集したもの。 私は、INAXギャラリー(現、LIXILギャラリー)のブックレット「建築の忘れがたみ」によってその一端を知るに過ぎぬ。 同書に収録された解説の中には、その欠片ひとつで建物そのものを象徴し得るパーツを探し出す審美眼が求められる旨の言葉。
日本相互銀行本店が解体されて久しい今、この鉄骨モニュメントが同様の精神をもって忘れ形見として存在し得ているのかは判断が難しい。 なぜ難しいのかと言えば、現存時に幾度も通りすがりに実見の機会を得ていたこの建物が、前川作品ということ以外に個人的に大して興味を持てる魅力的なものとは思えなかったからに他ならぬ。 しかし、スクラップアンドビルドが激しい日本の都市にあって、建築の記憶の保存の在り方としては消極的ながらも選択肢となり得る手法の一つなのではあろう。

鈴木博之は、その著「近代建築論講義」の中の「記憶」の項で以下の様に述べている。

けれども現実には、都市は経済空間化しつづけ、都市のあらゆる場所は潜在的に開発予定地と位置付けられるようになってしまった。

その渦中で、殆どの建築は竣工したその瞬間から解体の運命を背負う。 そんな現実に対し、保存の在り方も様々だ。 静態保存、動態保存、部分保存、イメージ保存、見守り保存、資料保存・・・。 安易な懐旧や情緒に陥ることなく、なぜ保存するのか、そしてどの様に保存するのか、更には保存して如何なる活用に供するのかといった議論のもと、適切な手法が選択される必要がある。

2018.01.16:メーカー住宅私考_85
ファミリーゼイション


ミサワホームM型2リビング外観。 同モデルの詳細については、「住宅メーカーの住宅」のページ参照。

掲題の言葉をタイトルに冠した書籍の巻頭に、その意味が以下の様に定義づけされている。

豊かな社会の到来とともに、日本人の家庭生活が根底から変わろうとしています。 創造的な内型レジャーの定着、知的生活への志向、友人や近隣との多岐にわたる交際。 こうした背景の中での、夫婦、親子、家族間の新しいふれあい。 お互いの個性を尊重しつつ豊かな団らんの場を生み出す。 21世紀に向けてのこのような家庭生活の新しい潮流がファミリーゼイションと呼ばれています。

この「ファミリーゼイション」という言葉を初めて目にしたのは、ミサワホームが1981年に発表したミサワホームM型2リビングの広告であった。 当該モデルのCMのサウンドロゴにも、この言葉が用いられていた。
余暇時代の到来に対応した、もう一つのリビング「余暇室」を設けたモデル。 その余暇室を軸に豊かな時代の家族本位の充実した生活を繰り広げるための思想。 それが、ミサワホームが提唱したこの造語に込められていた。

そして、その志向をより深く思索するための手引きとして、当該書籍が企画されたのであろう。 発刊は1982年11月1日。 ミサワホーム総合研究所が発行者となっている。
内容は、「ファミリーゼイション」という概念を巡る各界有識者14名による座談会の記録と、そのうちの何名かのエッセイ。 一般書籍として定価1000円で販売されたらしいが、私は当時足繁く訪ねていたミサワホームOIII型のモデルハウスの常駐スタッフから無償で頂いた。
しかしその内容は著名文化人たちの縦横無尽な大人の会話。 当時まだ中学生であった私には目を通しても何だか良く判らなかった。 取り敢えず、座談会に参加していた建築家・清家清の発言によって、氏の自邸の屋内にはトイレを含めドアが一切無いということをこの時知ったといった程度。

ところで、このファミリーゼイションという言葉、あるいはその言葉に込められた思想は、こんにちにおいて一般化しているとは言えぬ。 そしてその言葉の意図を見事に空間化してみせたミサワホームM型2リビングという住宅形式についても然り。
この言葉が志向した豊かな社会は、その後しばらくして訪れるバブル景気によって豪奢な暮らしにすり替えられてしまいすっかり置き去りにされた感がある。 そしてバブルクラッシュに伴う一億総懺悔。 更にその後の長期にわたる艱難辛苦において、当該書籍のサブタイトルにある「いま、我ら「住まい」を問う。」という思索の余裕などありはしなかった。
一般化することはなかったこの造語。 しかしそこで志向された豊かな生活の在りようを巡って、いま改めてこの書籍を読み返してみることも有意かもしれぬ。

2018.01.09:メーカー住宅私考_84
逆の進化過程を辿った北向きの家

手前に向かってなだらかに葺き降ろされた大屋根。 その中央部分のみ勾配を変え、更に外壁面の凹凸に合わせて軒先の位置及び高さに変化を与えることで、単純な屋根形態ながらあたかも幾重にも大らかな屋根が折り重なっている様な外観を作りだしている。 立面中央のオーバーハングを伴う突出部正面の壁には縦スリット窓を二本配置。 緩勾配の屋根と組み合わせることで、これも外観に個性を与える。 その脇の壁面がやや背後に後退した暗がり部分は、玄関アルコーブ。 そしてその隣にインナーガレージを前面に突き出すことで軒先を屋根勾配なりに低く抑え、大屋根の表情を更に引き立てる。

これらは全て北側の立面に展開された形態処理。 つまり、このモデルは北側接道敷地であることを前提条件とする。
勿論、東側ないしは西側接道敷地への対応を鑑みたプランバリエーションも用意されていた。 その場合、平面プランの骨格はそのままに、玄関とインナーガレージのみを90度回転させる措置がとられた。 しかし、それでは北側に大きく葺き降ろす屋根形態に基づく外観の個性は十分に活きぬこととなろう。


外観

平面図
※1
現在、同じ名称の会社が幾つかある様だ。
ここで取り上げるのは、1965年に設立し、名古屋を本拠地に2001年まで事業を展開していたメーカー。 ツーバイフォー工法のほか、プレタメゾンというブランド名を冠したコンクリート系プレハブ住宅も手掛けていた。

※2

大栄モデュラーハウス外観

屋内はこの屋根形状に合わせた設えを用意。
例えば、玄関及びその脇の折り返し階段の上部には屋根勾配なりの傾斜天井を持つ吹抜けを設置。 また、二階の中廊下には屋根勾配を活かした小屋裏収納を確保。 更に、プランバリエーションによってはダイニングルーム直上にも大きな吹抜けを設け、二階中廊下から伸びるギャラリーに連携させる等、外観のみならず内観も屋根形態が空間形成のポイントとなっている。

「アート・1」と名付けられたこのモデルを1980年に発表した大栄住宅というハウスメーカー※1については、当該シリーズの第29回(2013年6月8日掲載)でも取り上げている。 その時は同社のコンクリート系プレハブ住宅について言及したが、今回のモデルの構造はツーバイフォー。 この工法を用いたモデルは、同社ではこの「アート・1」が初になる。
国内における同構法のオープン化が1974年だから、通常であればやや後発ということになるが、同社に限っては少々勝手が異なる。 というのも、同社ではオープン化から遡ること4年前に既にツーバイフォーを応用したユニット工法の開発に着手していたのだ。 その後、1972年開催の第二回グッドリビングショーにプロトタイプモデルを出展。 74年に「大栄モデュラーハウス※2」という名称で商品化を成し遂げている。
つまり、同社の木造系モデルは、いきなり工業化住宅の究極の姿であるユニット工法から入り、その後にオープン化されたツーバイフォー工法に落ち着くという変遷を辿ったことになる。

同社は名古屋に拠点を置き、中部地区を中心に関東と関西を事業エリアとしていた。 「アート・1」の屋根形態は、そんな同社だからこそ発想し得たと言えるのだろう。 落雪のことを考えざるを得ぬ降雪地に居住している者、あるいはかつて住んだことがある者にとっては少々躊躇する意匠だ。

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