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2019.08.18:室蘭市青少年科学館
※1

室蘭市立絵鞆小学校の体育館内観。 円形平面を覆うドーム屋根の架構が花火を想起させたのは、訪ねた季節のせいか。

※2

室蘭市青少年科学館のエントランス廻り。 屋内にも同様の壁仕上げが所々用いられている。

※3

室蘭市青少年科学館の屋内階段。

夏季休暇は例年通り北海道の実家で過ごす。
8月13日、四年前に閉校した室蘭市立絵鞆小学校が一日限りで一般公開されるということで現地に赴いた。 坂本鹿名夫の設計によるこの円形校舎については、建築探訪のページでも言及している。 二棟並ぶ円形校舎のうち、最上階に体育館を配した棟が近々解体される予定だという。 その前に一般公開するという計らい。
氏が手掛けた円形校舎を内覧するのは久々。 更に最上階を体育館とした形式の事例を観るのは初めて。 その壮大な空間※1を含め、特殊な形態の校舎の内観を大いに堪能した。

内覧後に同市内を散策していた折、掲題の施設が目に留まる。
1963年開館のこの施設の外観は至って凡庸。 エントランス廻りに関し、壁と天井とのチグハグな仕上げが何ともいえぬ味わいを醸し出しているといった程度※2。 しかし、あまり期待もせずに屋内に入ったとたん、激しい既視感に襲われた。
2018年9月27日のこの場に書いた、長岡市青少年文化センターの「科学コーナー」と似た、あるいはそれ以上の空間が屋内に3フロアにわたって広がる。 昨年久々に訪ねた長岡市のそれは、どちらかというと閑散としていて、かつて幼少期にその場で楽しんだ記憶のある者が若干の寂寥感と共に過去を懐かしむ場所といった雰囲気を呈していた。 対して、室蘭市青少年科学館の方は想い出の場所などでは決して無い。 現役の空間として大いに活況を呈している。 しかも規模も大きい。 そんな施設内には、恐らくは開館当時から稼働しているのであろう物理や科学の体感に纏わる各種アトラクション設備が満載。 中には、長岡市の「科学コーナー」に置いてあった設備と類似するものもある。 そして入館した親子を相手にそれらの使い方や遊び方を指導する職員が複数施設内に常駐し、またそれらの設備や備品のメンテナンスに勤しんでいる。
開館当初よりその活気や熱気を恐らくそのまま維持し有効に活用されているところが何とも嬉しくなる。 閉館してしまった長岡市のそれとの違いは一体何なのだろう。

一通り内部を巡る中で興味を持ったのが、階段の手摺。 二本の桁で段床を支えるRC造のその階段に取り付く手摺は、画像※3の通り実にカラフル。 そして様々な要素で成り立っている。
下から順に、ミントグリーン色のパネル。 背後には、画像では目立たないが黒色の鋼製竪格子が並ぶ。 その竪格子に支持されて無垢の木が用いられた太い笠木が横方向に貫く。 そして笠木の側面に取り付けたアルミダイキャスト製のブラケットを介して真っ赤な歩行補助手摺が設置されている。 更に無垢の木製笠木の上部にはオレンジ色に塗装された竪格子手摺。 その手摺の格子部分に、再びミントグリーン色のパネルが取り付く。
なぜに、この様な複雑な構成を呈しているのか。 恐らく竣工時は、下部のミントグリーンのパネル背後の鋼製竪格子と無垢材の笠木のみだったのであろう。 しかしそれでは高さが足りなくて、階段手摺としての機能を十分に満たさない。 そのため、後年になってオレンジ色の手摺をその上部に付加した。 これによって高さは満足したものの、竪格子の間隔が広過ぎる。 その間から子供が転落してしまう恐れがある。 対策として、上下双方の格子の前面ににミントグリーンのパネルを張り付けて隙間を塞いだ。 更にその後、ユニバーサルデザインの観点から真っ赤な補助手摺が追加された。 そんな経緯があったのかもしれぬ。 その時々の安全面に関わる要求に応じた改変の積み重ねが織り成す様態。 開館から半世紀を経た施設ならではの設えと言えるのであろう。

同施設は、数年後に別の場所に新築される建物に隣接する図書館と共に移転する予定。 静寂が求められる図書館と活況であるべき科学館とをどの様に複合させるのか少々興味がわく。 と同時に、新たな施設に移っても今現在の雰囲気が継承されることを期待したい。 そしてまた、今現在の同施設の状況を楽しめるのも、あと数年ということになる。

2019.08.10:メーカー住宅私考_107
外付けデバイスの系譜

※1

同社が当時開発していた「ホームコア」のプロトタイプモデルにホームメカを装着したもの。 外壁に出窓の様に取り付いている部材がホームメカ。
1972年開催の国際グッドリビングショーにミサワホームが出展した。

※2
本文で言及したものを含め、6種類のユニットが製作された。
他のユニットは、キッチンユニット,サニタリーユニット,ドレッシングユニット、そして本文のものとは異なるもう一種類の空調ユニットになる。
これらの開発には、日立製作所が協力している。

※3

フューチャーホーム2001外観。
このアングルの外観のちょうど裏側の立面の二階中央部に、ハートコアが装着された。

先月、「住宅メーカーの住宅」に登録している「ユニット住宅三題」のページを改定した。
元々のページを登録したのは9年前。 当時はそれなりに意を尽くして文章を纏めていたつもりだけれども、年月が経つと色々と手を加えたいところが出てくるし、あるいは新たに知り得た内容で追記したい事項も出てくる。
そしてそれは、当該ページに限らぬ。 ほかのページについても、改定せねばと思う事項がジワジワと増えつつあるのだけれども、そこは個人サイトの気楽なところ。 気の向くままにゆっくりとその作業を進めてゆければ、などといい加減に考えている。

今回の改定では、ミサワホームの「ホームメカ」について少し言及を加えた。 「ホームメカ」は、居住空間を規定する外壁面に、居住に必要な機能をパッケージ化したユニットを外付けするというもの。 その装着事例の外観写真は「ユニット住宅三題」のページに引用したが、こちらにも載せる※1。 そしてその内観は、以下の通り。


内観

図面

左の写真の向かって左側に装着されているのはAV機器類をパッケージ化したユニット。 正面は、出窓と空調設備を一体化させたユニット。 右の画像は後者の図面になる※2
居室として規定されたボックスの外表に、これらのユニットを適宜装着若しくは交換を行うことで、居室への影響を最小限に抑えつつ居住に係る機能の更新性と可変性を獲得する。 それはまるで、パソコンの筐体に各種デバイスを装着・脱着することでその時々に要求される機能性を満たそうとする行為の様だ。

機能を限定しない、言わば「無目的の空間」をルームユニット化し、そのユニットに機能を搭載したサブユニットを装着する設計手法。 その源流を求めれば、積水化学工業のセキスイハイムM1まで遡ることとなる。
但し、このモデルでは両者の分化は必ずしも明確ではない。 そこを徹底したモデルとして、「ユニット住宅三題」のページにも挙げた段谷産業の「ダンタニコーム」が在る。 あるいは、「ユニット別荘四題」に挙げた高崎製紙の「TAKASAKI-UHS-C-70」も、これに該当するモデルとして興味深い。

これらはいずれも1970年代の事例になる。
70年代は、住宅メーカーの住宅のみならず、一般建築においてもユニット状パーツを外在化させたデザインが多く見受けられる。 例えば、黒川紀章が設計を手掛け1974年に完成した高田馬場駅前のBIGBOXなどがそれに該当する。 この辺りは同時代性といえるのだろう。

住宅メーカーの住宅におけるユニットの外在化デザインは、この後も例えば1987年5月に東京・晴海で開催された国際居住博覧会にミサワホームが出展した「フューチャーホーム2001※3」でも確認できる。 それは、出展モデルの裏手二階中央部分。 そこに、当時同社が「ハートコア」と呼んでいた住設機器を全てパッケージ化したユニットが、あたかも外部から突き刺したように装着されていた。 あるいは同社が1991年に発表した「道楽ユニット」という外付けパーツは、「ホームメカ」のリバイバルと位置付けられる。
上記以外にも類似事例が散見されるが、それらについてはまた別の機会に。 しかし、外付けユニットという手法は今現在あまり一般的では無かろう。 それは、住宅に纏わる機能の更新性や可変性獲得という目的に対し、この外在化ユニットという手法が必ずしも有効若しくは効率的ということでは無いということなのかもしれぬ。

2019.08.05:花火雑記

梅雨が明けたと思ったらいきなりの盛夏。 そして各地で花火大会が開催されるシーズンの幕開けである。

この季節になると、かつて住んでいた長岡市のことが思い出されるのはいつも通り。 8月2日と3日の二日間開催される「長岡まつり大花火大会」は、日本三大花火大会の一つと言われている。 近年、高校時代の同級生の御厚意でとっても恵まれた環境でこの花火大会を満喫する機会を得たことは、かつてこの場にも書いた。 で、当時の文章に改めて目を通してみると、もう11年前のことであった。 近年と思っていたら、既に随分前のことであったという恐ろしいまでの時間の流れの速さに愕然としてしまう。
その当時観覧したのも、18年ぶりのこと。 実に久々であった。 かつて在住時に見ていた頃よりも格段にスケールがアップしているという印象を持ちつつ大いに堪能した。 しかし、どんなに新たな趣向を凝らした派手なプログラムが連なろうと、私にとって長岡花火といえば正三尺玉。 これを措いて他には無い。
かつて花火鑑賞に誘ってくれた同級生が、SNSに今年の正三尺玉の打ち上げの動画をアップしてくれていた。 それを視るだけで、そしてその動画に記録された正三尺玉の炸裂音を聴くだけで、私はもう十分満足だ。

その長岡花火の二日目にあたる8月3日は、私の現在の居住地の周囲でも複数箇所で花火大会が同時開催される。 近年は、最寄りの会場に出向くのではなく、住んでいる集合住宅の最上階の開放廊下まで上がり、そこから各地で打ち上がる花火の遠望を愉しんでいる。 地上高さ約45mの位置からは、結構遠方まで眺望が開ける。 そして心なしか地上とは異なるやや冷涼なそよ風を感じながら、視界の範囲の所々で遠近様々に華開く光の演出を愉しむのだ。
そう、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」と問われれば、横から観るのが私の近年の堪能方法。 まぁ、件の映画は実写版もアニメ版も未視聴。 特にアニメ版の方は、観る前に目を通してしまったレビューでの酷評っぷりに、すっかりその気が失せてしまいましたか。 それでも、動画サイト等に公開されている主題歌「打上花火」のミュージックビデオはとても秀逸。 個人的には映像の途中に円形校舎が登場する辺りが興味を引く。 その箇所を含め、映像全般を観る限りにおいては本編も良作なのではと思えて来るのだけれども、果たしてどうなのか。
ということで、脳内に同曲をローテーションさせつつ、そして遠方で開催されている長岡花火にも想いを馳せつつ、花火を横から堪能したのであった。

2019.07.30:モノレールに纏わるとりとめも無い話

私が初めて乗車したモノレールは、恐らくは上野動物園内の上野懸垂線。 といっても幼少のみぎりに親や親戚に連れられて同園を訪ねた際のことゆえに忘却の彼方。 連れて行ってくれた親には申し訳ないのだが、「ほら、乗ったでしょう、覚えていないの?」と問われて、乗車したという事実を知るのみ。

記憶に留まる範囲で遡るならば、東京モノレール羽田空港線が最初になる。
JR浜松町駅と羽田空港を結び都市の中空を疾走するその車窓から臨む風景は、東京の縮図そのもの。 それ程長くも無い経路の中で、都市を構成するあらゆる要素が目くるめく様に立ち現れては背後に消え、片時たりとも同質の風景が連続することは無い。
普段は望めぬ中空からの都市への視覚的享楽を動的且つダイレクトに堪能出来るという点において、モノレールはとても魅力的な交通手段だ。

そしてまた、モノレールの軌道の在る都市景観を地上レベルから仰ぎ見るのもなかなか楽しい。
その嚆矢といえば、千葉都市モノレールであろうか。
特に千葉駅近傍で路線が二つに分岐する箇所は、かつて夢見られた未来都市の風景。 懸垂式であるがための大袈裟にも見える軌道の架構が織り成す重厚長大な景観が、都市のダイナミズムを更に強化している。 あるいは、都心を離れ郊外に到った際に、ありふれた家並みの上空に突如、その懸垂式の高架が竜骨の如く力強く連なる風景もまた豪胆で、そして不可思議だ。
一方、羽田空港線に用いられている跨座式は、逆に軌道を軽やかに上空に持ち上げる。 同じモノレールという機構ながら、二種の形式によって全く異なる風景を都市に付与するところも興味深い。

2019.07.22:メーカー住宅私考_106
屋根が造り出す表情

※1
OII型なのか、それともその後継モデルのO型NEWなのかの判別は、画面の目視では出来なかった。 但し、二階の和室の位置から、更に後継のOIII型で無いことは判断可能。
取り敢えずここではOII型と表記する。

※2
但し、北海道限定モデルのO型NEWは、矢切パネル付きである。 しかも、棟の向きを本州以南とは90度変え、玄関側の立面に矢切が面する様にしている。 これは、玄関への落雪を避けることに配慮した寒冷地ならではの屋根形状の措置であろう。

知人のblogに、昭和50年代にミサワホームから発売されていた企画住宅シリーズの大量集中建設事例情報。 ローカルニュースで写し出された映像にて発見したという。 Googleマップの航空画像で確認すると、なるほど確かにその通り。 まさに“大漁”状態だ。
更にGoogleストリートビューで眺めてみると、その多くが概ね新築時の状態を良好に保全している。 更に、近隣一帯で協定を設けているのだろう。 接道側のエクステリアが統一されていて、整った景観を造り出している。
建てられてから40年前後を経過してなお良好な環境を維持し続けていること。 こういったことは、不動産価値の設定における評価軸としてもっと強化されるべきではないかと思う。

そうしてGoogleストリートビューにて現地を巡り眼福に授かっている中で、ちょっと変わった屋根形状のミサワホームOII型※1に目が留まった。 それは、切妻屋根のOII型。 その前身モデルのO型には切妻屋根仕様が設定されていた。 しかしOII型にはその設定は無かったと認識している※2。 それに、O型で設定されていた切妻仕様の屋根は、けらばの先端に矢切パネルを設けた納まり。 ところが当該事例はその様な措置の無い切妻屋根。
その特殊な外観意匠の印象がどうかと問われれば、「好みは人それぞれですよネ」ということになる。 屋根の表情一つで、家の雰囲気はがらりと変わるものだ。

屋根の表情というと、和瓦を葺いたミサワホームM型2リビングの事例を見かけたことがある。 オリジナルはオレンジ色の洋瓦を載せて南欧風の意匠を纏っているのだが、その構成要素は変えずに屋根葺材のみ和瓦に変更。 更に一階南側に配置されたこのモデルの一番の特徴である「余暇室」と称する洋室を二間続きの和室に変更していることが、内障子を設けたその開口部によって外観目視においても確認可能であった。 恐らく施主は、南面に二間続きの和室を設けた家を所望した。 そしてその和室は、ダイニングキッチンと完全に分け隔てたかった。 そのプランのイメージにM型2リビングがピッタリであったために同モデルを選択。 そしてもともと和風嗜好なので屋根を和瓦に変えたのではないか。 結果生成された外観は、南欧風と和風が折衷する摩訶不思議な様相を呈していた。
あるいは、群馬県内で洋風の棟飾りをあしらったミサワホームS型NEWを見たことがある。 土蔵のイメージを帯びたS型NEWに洋風要素というのもちょっと不思議な感覚であった。

経年に拠る修繕工事の際の改変ではなく、新築時からオリジナルとは少し仕様を変えた建設事例。 それは、敷地形状や法的制約といった外因の場合もあれば、施主の強い拘りに拠るものもある。 上記三事例はいずれも後者であろう。 ここでは屋根について挙げたが、他にも様々なパーツにおいて変更事例が見受けられる。
過去に発表された規格型のメーカー住宅に関し、オーセンティシティーへの嗜好が強い私にとってはそれらは興味の対象外ということになる。 しかし、そこに在るのは言わばレディ・メイドとオーダーメイドのささやかな相克。 そのせめぎ合いの中で生成された様態という捉え方で接してみるのも面白いかもしれない。

2019.07.16:「未来のミライ」における住まいの考察
※1
夫は、フリーになったばかりで在宅勤務。 その仕事場はダイニングテーブル。 背後の壁面に設えられた書棚には、専門書が並ぶ。
その蔵書の中に、「図説日本の町並み」という実在の書籍全12巻のうちの半分が置かれているところが個人的にはちょっと注目点。 この書籍については、2006年10月7日にこの場にて少々言及している。

地上波放送にて、掲題のアニメ映画を視聴した。
感想は、既に様々語られているところとほぼ同じ。 作品全体を支配する四歳児の言動のあまりにもリアルなカオスっぷりに終始気疲れさせられることとなった。 よしんばそれは、既に忘却の彼方にある遠い遠い過去における自分自身の姿であったのかもしれぬ。 しかしそうであったとしても、「新世紀エヴァンゲリオン」の中で碇ゲンドウがこぼした「子供の駄々に付き合っている暇は無い」という冷厳なセリフが幾度も脳内を反復する。
作画のクオリティが極めて高い反面、子育ての大変さばかりが殊更に強調された演出が、何とも残念ではありますか。

そのストーリーの大半は、住まいの中で展開する。 従って内観の描写がとても多い。 そしてその家は、建築士である夫の設計ということになっている※1。 そのためか、描写はとても細かく、そして各シーンにおける齟齬や破綻も見受けられない。 実在する家か、あるいは専門家の監修のもとに細部までしっかりと詰めたのだろうなと関心を持ち視聴後に確認してみたら、建築家が設定に参画していた。
作品の序盤にて妻の母親が発した「おかしげな家を建てたもんだね。建築家と結婚すると、まともな家には住めないってことなのかしら」というセリフを、監修した御当人はどう思われたことだろう。

この、「おかしげな家」という母親の印象は、その造りがコートハウスであることや屋内に階段がやたらと多いこと。 あるいはコンクリート打ち放しの壁の多用等に拠るものであろうか。 更には、段差を利用してLDKと主寝室がワンルーム空間となっていることも要因なのであろう。
しかし、コートハウスとしているのは、短冊状の敷地の短辺のみ接道する敷地条件であるため。 更に家の中の段差は、敷地自体に高低差があるためだ。 むしろ、そういった立地条件を逆手に取りつつ巧みに手堅く纏め上げた家と受け止めてしまうのは、私が設計側に近しい立場の仕事に就いているせいだろうか。

とはいえ、突っ込みどころが無い訳ではない。
例えば、屋根が緩勾配過ぎて瓦を葺くのは不適切。 そのオレンジ色の瓦は建て替え前の旧宅のイメージの継承なのだろうけれども、それならばそれで瓦葺きに適した勾配を確保すべき。
あるいは描写からプランを想定した場合、中庭を挟んで道路側に配した離れの様な部屋からトイレまでの動線が遠過ぎる。 家の最奥部に位置するトイレに到るまで、階段を介しながら中庭やLDKや主寝室を通らなければならないというのは如何なものか。 終盤の「未来」のシーン※2で、この離れ的な部屋は中央を家具で簡易に間仕切った上で姉弟が共同で使っていると思しき描写がある。 もしもそうであるならば、トイレの増設が必要となろう。
他にも、冬期の暖房負荷に関わる温熱環境性能があまり宜しく無さそうだとか、まともな玄関が無いといったところも気に掛かる。
とはいえ、夫は建築設計の専門家だ。 しかもそれなりの建築費が掛かっているだろうと想像するに難くない家を若くして構えるだけの経済的な余裕もあるみたいだ。 だから、日常生活において問題が生じたならば、その際の与条件に対応して融通無碍にプラン改善を図ることなど造作も無いということなのであろう。

※2
年月が経った分、中庭の木は少し大きくなっているし、ダイニングキッチンの設えも変化している。 あるいは、自然光の加減に対する微調整なのかもしれないけれど、インテリアの木部も心なしか飴色に変化させた演出が施されている様に見受けられる。
2019.07.11:やうつり

「家移りの儀」のお誘いを受ける。
築130年を超える古民家の移築再生による個人住宅の建築工事が、四年の歳月を経て漸く完了したことに伴い開催されるもの。 何故に私がお招きに預かったのかといえば、移築前の基本調査に少しだけ携わったため。
調査時、軽い気持ちで旧所在地に赴いてみると、目の前に壮大且つ豪放な古民家が堂々と鎮座していた。 これは一体何から調査すれば良いのか・・・と一瞬唖然する。 しかし、その地域固有の建築様式と近傍エリアの様式が折衷する不思議な建物構成はとても興味深い。 ということで、二日がかりで簡単な断面図を作成した。
それから四年も経つのかと感慨に浸りつつ、家移りの儀の開催当日、移築再生された現地に赴く。

招かれたのは、棟梁や大工のみならず、内装や各種住設機器の施工等々あらゆる職種の工事関係者。 そして設計者は勿論のこと、親族やご近所の人々、そして施工中に幾度も開催された施工に関連するワークショップ参加者等、実に多彩な顔ぶれ。 その数100人弱。
二時間弱の内覧ののち、近傍の料亭に全員移動。 美味しい料理をいただきながら、職方さん一人一人が順番に工事に纏わるコメントを述べた。 そのいずれにも、多かれ少なかれ施主の熱意や人柄に対する賞賛の意が込められていた。 私もスピーチの機会を頂いたので短くコメントしたが、同様である。 結局のところ家造りの成否は、設計者や職人の技量は必須として、それ以上に施主自身の立ち居振る舞いが極めて重要ということなのだろう。
今回の四年に及ぶプロジェクトは、それがとても理想的な状況で推移し、そして完遂した。 そんなことをしみじみと実感するひと時であった。

移築再生工事完了に伴い、その背後に建つRC造の既存母屋はいずれ除却。 跡地は裏庭として整備される予定なのだそうだ。
1968年に建てられたという既存母屋の外観は、建てられた当時はなかなかの先進性を誇っていたのであろうと想像するに難く無いとってもモダンな造り。 それはそれで興味をそそる。 個人的には少々惜しい気がしなくもないが、しかし移築再生を伴う住まいの建て替えが行われることになったのは、当該既存母屋の防水や断熱に関する諸性能や施工品質が今現在の水準からすると必ずしも望ましいものではなく、長年漏水や結露に悩まされ続けた事情に拠るのだそうだ。
古民家再生というと、その対象は木造の茅葺民家というイメージが強い。 しかし、この既存母屋の様な昭和40年代のRC造個人住宅だって、その時間軸においてそろそろ「古民家」としての位置づけを帯び始めている事例も多かろう。 それらに対する修繕や保全技術の一般化が、ストック活用の観点からも求められて来ているように思う。

2019.07.03:古書を受け取って考えたこと

居住地から遠く離れた縁もゆかりも無い某工学系短期大学図書館の除籍本を一冊入手した。 かねてから所持したいと思っていた日本建築学会発行のプレハブ住宅関連の古書だ。 国内のプレハブ住宅の歴史が戦前まで遡って豊富な図版と共に纏められている。
既に廃刊となり書店で新品として購入することが叶わぬ書籍を、ネットを介してこの様な形で入手出来るところがとっても便利で素晴らしい世の中だとしみじみ思う。

届いた古書は、当然ながら図書館の蔵書印や除籍印が押されている。 その押印からは、当該書籍が発刊されて間もない1980年代前半に入荷されたことが判る。 更に、裏表紙には今となっては懐かしい貸出カードが付いたまま。 その貸出履歴を見ると、入荷してから数年後に同一人物が幾度か借りたのみで、以降貸し出された記録は残っていない。
蔵書としてあまり活用されること無く書庫の奥底に死蔵され、そのため除籍されることとなったものを私が譲り受けたといった経緯を好き勝手に想像出来るところが、新品には無い面白さだ。

この書籍とは別に、最近これまた遠隔地の古書店からネットを介して購入した1964年発刊のプレハブ住宅関連の古書に、その書店のメッセージカードが添えられていた。 そこには以下のことが書かれていた。

この度は、商品をお買い上げいただき、
ありがとうございます。
ほかの方が読み終えた本や、
聴き終わった思い出のCD、
夢中で楽しんだDVDなどが、
こうしてめぐりめぐって
お客様のお手元に届くことを、
とてもうれしく感じています。

受け取った側としても、長らく捜し求めていた書籍が巡り巡って自分の手元に届いたことをとっても嬉しく思う。 しかも、購入を躊躇することのない適正(と思える)値段で市場に出して下さったとあっては尚更だ。
ネットの発達によって、古書の探索はとても楽になったし出会いの機会も増えた。 しかしそれでも、捜し求める書籍との遭遇は一期一会。 偶然に支配される。 だから、ちょっとした縁で入手し得たこれらの書籍については、その内容をじっくりと堪能し、そして大切に保管したいと思う。

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