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雑記帳
2017.10.23:メーカー住宅私考_81
プレハブ住宅展示会々場

週末に休暇をくっつけて北海道の実家に帰る。 大した目的は無い。 北の大地の秋を満喫することと有効期限切れ間近のマイレージの消化だ。

滞在中、地元の本屋に寄ったら近々発売予定の書籍の予告広告がデカデカと掲示されていた。 そのタイトルは「江別・千歳・恵庭・北広島・石狩の昭和」。 それぞれの地域の昭和期の風景や習俗を捕らえた写真集だ。
この手の本って色々な地域の既刊があるよネ、と大して興味も湧かず通り過ぎようとするが、広告に掲載された収録予定の一枚の写真に気付き歩が止まった。 それは北海道住宅供給公社が造成した大規模な住宅地の風景。 道路に面して「プレハブ住宅展示会々場」と書かれた巨大な看板が掲げられ、その背後に幾棟もの住宅が建ち並ぶ。 写真の出典として、その住宅団地が立地する市の教育委員会の所蔵で昭和45年頃の撮影とのメモが書き添えられている。
昭和40年代とプレハブ住宅というキーワードが揃えば放ってはおけぬ。 画像を仔細に確認すると、看板には展示会参加メーカー12社の名前が連なる。 そのうち4社は本州の企業。 ミサワホーム、大和ハウス工業、永大産業、日本パネル工業協同組合。 他の8社は道内企業だ。 イワクラホーム、東神プレハブ建築、ドリゾール工業、北海道プレハブ建築、丸高ハウス工業、北海ハウス販売、住まいのクワザワ、国策木材。 僅かな概要を知るに留まっていたプレハブ住宅草創期における道内メーカーの具体的な事業活動の記録として、この写真は極めて貴重だ。

こうなると当然、場所の特定へと関心が移ることになる。 造成面積440haにおよぶ広大な住宅地の中から場所を探し出すことは通常であれば困難だ。 しかし意外と難なく絞り込むことが出来たので現地に向かう。
すると、広告写真の中に写っている一軒と全く同じ住宅が建設時の状況を良好に留めつつ建っているではないか。 平屋建て妻入り形式のその住まいは、ファサード中央にあたかも棟持柱の如くブレース付き鋼製フレームが露出。 玄関ポーチ廻りのアクセントとしての意匠的機能を担うと共に、深い軒を支える構造材を兼ねていることが特徴。 現況は空き家だが、竣工後約半世紀。 よくぞ私が目にするまで旧態を留め存在し続けてくれたものだと大いに感動する。
周囲を見渡せば、増築や改修が施されながらも僅かに往時のものと思われるディテールの残存が確認される住宅が散在。 とはいえ、それらのメーカーを特定するには、まだ個人的な知識が乏しい。 今後のテーマだ。

2017.10.18:メーカー住宅私考_80
三井ホームの建設事例

※1
この書籍については、2016年2月29日の雑記に読書感想を書いている。 建築設計業界や大学の建築学科に纏わるあるある感が満載で、結構楽しく読むことが出来た。
トイレの件も、そんなあるある感の一つ。

時折、普段の業務とは別に古民家の実測調査に参加することがある。
最近携わった対象物件はとても大規模なもので、平面図作成のみの基本的な調査といえどもとても一日で片付くものでは無い。 ということで一泊二日の日程を組み、近傍の旅館に素泊まり。 夕食は、調査のリーダーを務める設計事務所所長の親戚がたまたま近所に住んでいるということで、その御宅にお世話になることとなった。

こういった場合の常で、訪問先の間取りをついつい気にしてしまう。
訪ねた御宅の一階は田の字型を少々崩した形式。 北東に玄関とホールと折返し階段。 北西を水廻りで固め、南西にリビングダイニングルーム。 南東に半間の床の間と一間の押入れが付く和室、と書けば、間取りに興味がある方であれば概ねどんなプランなのか把握して頂けることであろう。
二階の間取りは、実際に観なくても一階の構成と総二階という条件から容易に推定可能。 つまり、階段と納戸が設けられた北東部分以外は6畳ないしは8畳の居室がL字に三つ配置されていると思われる。

良くあるパターンだなと思いつつ、いかにも昭和50年代のハウスメーカー的な雰囲気なので家族の方に話を伺うと、設計施工は三井ホーム。 数年前に中古住宅として購入。 入手時点で築後30年弱であったとのこと。
当時の同社は、ヨーロピアンシリーズとかアメリカンシリーズと銘打った欧米諸国の住まいのイメージを内外観に取り入れた商品体系を組んでいた。 欧米の特定エリアの固有名詞を名称に冠した個々のモデルが、本当にその地域の住宅様式に則っているのか否かということにはあまり興味は無い。 しかし、様式ないしはそのイメージを住宅に纏わせることを企図した商品化住宅の先駆例である。
訪ねた御宅はそういった系統とは異なる住まい。 同時期に「ベストプラン」とか「マイプラン」と称していたベーシックな商品体系の中の一つなのかもしれぬ。
購入後に特にリフォームはしていないが、それでも全く問題なく暮らせているとのこと。 施工が確かなものであったのと同時に、前所有者が丁寧な住まい方をされていたのであろう。

蛇足だが、夕食後の団欒の折、今回の調査に同行していた初対面の若い建築家がトイレを借りたいということでその場所を家人に訊ねた。 その様子を見て、せひらあやみ著の集英社オレンジ文庫「建築学科のけしからん先生、天明屋空将の事件簿※1」を思い出してしまった。
その作品の中で主人公の天明屋は、建物の中に入ったらすぐにトイレの位置が判るのが建築家の数少ない取り柄だといった旨の発言をしている。 このラノベを読む以前から私もその様な意識を心の片隅に持っていたし、そんなつまらぬ拘りを少々持ち続けて立ち振る舞ってきた面がある。 そしてそれは他人の家を訪ねた場合に限らぬ。 例えば居酒屋、駅、美術館、デパート・・・。 どんな建築用途であっても然り。 建築を生業とする者ならば訊かずとも概ね把握し、若しくは予測してナンボ。 判らない場合でも安易に訊ねない。 サイン表示を確認し滞りなく目的地に向かう。 それが出来ない場合は、よほどその建物の計画が酷いか、サイン計画が杜撰なのだということにしてしまう。
という訳で、「この家の間取りの場合、普通だったら玄関横の折返し階段の脇でしょう」と心の中で呟くのであった。

2017.10.12:掲載予定であった四年前の文章
※1

勝鬘院の多宝塔。
方形の初層と円形の上層が直接ぶつかる動的な意匠。

「建築探訪」の団地・集合住宅の項に、高松伸建築設計事務所の作品「パレロワイヤル夕陽ヶ丘離宮」を追加した。 そこに載せる予定の文章は実は四年ほど前に既に書きあげていて、そのままずっと放置していた。 で、今回ページを作製するにあたり改めて目を通していたらどんどん手を加えたくなり、最終的には全く異なる文章を載せることとなった。 ということで、手を加える前の四年間放置していた文章をこちらに掲載しておく。

総戸数21戸という小規模な都心立地の高額物件。 この条件において、市場ニーズに沿った順当な不動産企画を行う場合、単純には巷で良く言われるところの「デザイナーズマンション」に依拠するという方針が容易に導き出されることになろう。 しかし、通常のこの手の不動産事業と状況を異にする事項が一つ。 しかもそのたった一つの条件が極めて重大な意味を持つ。 つまり、敷地の東側に勝鬘院の境内が広がること。 とりわけ、当該建物敷地に近接して、同院の多宝塔※1が建つ。 やや異形の意匠を跨うこの古典建築。 そしてその周囲に散在する由緒正しき伝統的建造物の数々。 そんな歴史と格式に満ちた場に対峙して、どのようなマンションを建てるのか。

凡庸な発想に基づくならば、和風の意匠を纏う建物を企画することとなろう。 しかし、集合住宅という住戸が積層する板状構造体において、伝統的情緒が如何ほどに反映し得るものか。 自ずと中途半端なものとならざるを得ぬ。 ここで採用された意匠は、その様な安易な伝統への迎合ではない。 新古典主義の現代的、ないしは個人的な解釈に基づくディテールに拠っているという見立てが可能なのであろう。 とはいえ、そこに直截な引用は全く存在しない。 独自の意匠に拠りつつ、しかし範をその様式に求めている。 つまり、外観の要に配した強固な列柱。 左右対称にまとめた全景。 肥大した塔屋による垂直性の強調等々。 特に塔屋部分の工作物は、機能的には全く不要。 しかし、全景のプロポーションの調整には必須の要素であろう。 二本配置された避雷針も、本当に必要なものではなく、対称形を強調するための処置であったのかもしれぬ。

多宝塔というやや奇妙な伝統的意匠に対し、西洋の新古典主義の再構築を試みた異形のデザインをぶつける。 結果としての双方を含む景観には、安易な迎合では得られぬ心地よい緊張感が生まれているようにも思う。 つまりは、この場所に中規模の集合住宅を建てるのであれば、このデザイン以外に在り得ぬと有無を言わせず納得させる力強さ。 単なる「デザイナーズマンション」の枠組みには収まらぬ作品性が、そこには在る。

2017.10.05:月ロス

7月に入って間もない頃、巷で「月ロス」という言葉が散見された。 7月2日にもこの場に書いた「月がきれい」というオリジナルテレビアニメ作品が最終回を迎えてしまい、喪失感にみまわれている心理状態のこと。 他でもない、私もこの症状に深く罹患し十分に癒えること無く今に至っている。

意表を突くひねくれた展開も無ければ、登場人物が突如荒唐無稽な超能力を獲得することも無い。 あるいは訳の判らぬ萌え要素も無い。 淡い日常をただただ美しく、優しく、丁寧に、繊細に、そして時折切なく。 そんな、実はとても演出が難しい物語をじっくりと描写し尽くした各話はいずれも印象深い。 否、描写だけではない。 各場面における声優陣の感情表現も、そして挿入される音楽も実に見事なものであった。
終盤は特に秀逸。 すれ違いと仲直りを微細な表情や仕草でしっかりと表現した第10話。 子を想う親心を、厳しさも優しさも含めて深くしみじみと描いた第11話。 そして迎えた最終話は、各話に散りばめられていた伏線以上のエピソードをさりげなくしっかりと描き切って、心にしみる恋物語は美しく完結してしまった。
それがための「月ロス」。 お蔭で、昨年かなり嵌っていた「君の名は。」ですら今では個人的にすっかり霞んでしまっている。 我ながら何とも呆れてしまう無節操ぶり。

ともあれ、この様な素敵な作品を堪能させてくれた製作者への敬意と感謝の意を込めて、通販サイトのBlu-ray Disc購入予約ボタンを押した。
届いたBDを改めて鑑賞していて、この作品のもう一つの魅力に気づいた。 それは、美しい日本の佇まいがそこかしこにしっとりと描写されていること。
怒涛の如く舞い、そして散る桜の花。 伝建地区の風景。 神社に参拝する際の一連の作法。 祭りの躍動的な舞いと、その練習風景・・・。
ストーリーが展開する中でごく自然に挿入されるそれらの光景を眺め、「日本って本当にいい国だな」としみじみ思いつつ極上の作品を何度も繰り返し鑑賞するのであった。

2017.10.01:古民家カフェ

休日、何となくテレビを眺めていたらカフェを紹介する番組が始まった。 「どうせ、スイーツを食して内容の無いコメントを述べて騒ぐだけの益体もない番組だろう」と高を括ってすぐにチャンネルを切り替えようとするが、そのリモコン操作の手が一瞬止まる。 出演者がいきなり「竿縁天井」という言葉を発したのだ。 でもって、画面には竿縁天井を背景にその単語と短い解説文。 更に続けて「こちらは根太天井だ」とか「野地板現しだ」というセリフ。 そして勿論その文字表記と解説文も画面に現れる。 普通の店舗紹介番組とは少々違うかもネと思い見続けると、結構建築に関することも取り上げている。
番組表を確認してみると「ふるカフェ系 ハルさんの休日」というタイトル。 古民家を改修して営業している各地のカフェを、ややフィックションを織り交ぜつつ紹介するという趣向のEテレの番組。 店のメニューは勿論、そのカフェが立地する地域の歴史や建築的な考察等を軽めながらもバランスよく織り交ぜ紹介する番組らしい。 私が視たのは再放送で、平日に放映日程が組まれている。
その番組の中で、古民家カフェ巡りを趣味とする主人公の真田ハルという青年が、訪ねたカフェの様子を番組のタイトルと同じ名称の自身のblogにアップするシーンがある。 そのblogが画面に映し出されてカフェや地域の歴史を紹介する演出が面白い。 更に、そのblogが実際に番組公式サイトに掲載されているところも面白い。 例えば梁に抱きついたり噛付いたりと、真田ハルを演じる渡部豪太の演技がやや過剰という気がしなくも無い。 しかし、建築鑑賞とは何も視覚のみで堪能するものではないのだから、それはそれで良いのかも知れぬ。 ついでに、JAZZ調にアレンジされたYMOの「君に、胸キュン。」が挿入曲として流されるのも良い。
ということで、元々の民家(あるいは蔵)の特徴や歴史、あるいはその地域の特性を軽く知るにはそれなりに有意かも知れぬ。 視聴し続けても良い番組かなと思っていたら、9月末で最終回を迎えてしまった。 ま、以前も中断した時期があった様なので、再復活を気長に待つことにしようか。

2017.09.22:製図道具

長岡を中心に頒布されている月刊情報紙「マイスキップ」が今月号でめでたく200号を迎えた。
私は、2010年4月発刊の第111号以降、1000文字程度のコラムから3600文字前後の見開き特集記事まで、執筆の機会を36回得て来た。 そのほぼ全てが建築や街に纏わること。 建築にしか興味が無い、しかもその興味の範囲自体も著しく狭く偏っている私が書けることなんてたかが知れている。 とは言え地域情報紙なのだから、その地域と何らかの関わりのあること、あるいはその地域の方々が読んで興味をもって貰えることを書かねばならぬのだろうけれど、そんな術は私には無い。 かような私に寄稿の機会を幾度も授けて下さったというのだから、なんとも鷹揚な話ではある。 そういえば、最初の寄稿のきっかけも、市内の中心部に建つ一つの建物であった。
以降、例えば地域とは何ら関係の無い国内のプレハブ住宅の歴史みたいなものを連載したこともありました。 更には勢い余って池原謙一郎が市内にて手掛けた今は亡き「長岡セントラルパーク」について原稿を書いたこともあったが、その際はさしもの編集担当の方も御自身のブログの中で、「きわめて地味な特集記事ながら、商業主義の時代にあってこういう特集こそハードボイルド」と評していらっしゃいましたか。
そっか、私の文体ってハードボイルドだったのネ。 てっきり、ラノベだと思い込んでおりました・・・。
閑話休題。
ともあれ、私がこの世に生きた証がこうして物理媒体に残るというのは、とってもありがたいことだ。 これは大袈裟なことではない。 ネット上の電子情報の脆さ儚さを思えば当然のことである。

そんな同紙に長らく連載されている佐藤秀治氏の人気コラム「時の忘れもの」が今月号で取り上げているのは製図道具。 紙面には烏口やコンパスといったかつて良く使われていた製図道具が並ぶ。
恥ずかしながら私は烏口を使ったことは無い。 しかしそれでも一応手書きで図面を書いていた恐らく最後の世代に属する。 学生の頃は、高松伸のマネをして9Hから2Bまでの鉛筆を並べて自己満足に浸りつつエスキスドローイングに励んでいた。 バイト先の設計事務所でもロットリングを用いて黙々とインキング作業に勤しんでおりましたか。 仕事に就いた当初も、勤務先にはドラフターがずらりと並んでいた。 それが程無くしてCADに取って代わられ、そして更にBIMに移行しつつある昨今。 紙面に載せられた製図道具たちは、確かに「時の忘れもの」なのであろう。
しかしそれでもなお、氏が紙面に書かれた「手作業の技術のイロハを知っているか否かが大きい」という言葉に同感である。 手書きの経験の有無が、CADやBIMで作図した図面やプレゼンパースの仕上がりに違いを生じさせる・・・などと古風で頑迷な妄想に囚われて疑わぬところ、無きにしも非ず。

2017.09.16:メーカー住宅私考_79
実験住宅第7号


ミサワホーム55の開発過程で施工された実験住宅第7号の外観。延床面積は127.58平米。


実験住宅第7号の施工方法概念図。 ユニット工法が用いられている。

「住宅メーカーの住宅」のページに載せているミサワホーム55は、資料によるとその開発過程で11棟の試作住宅が作られた。 その中の「実験住宅第7号」が建てられたのは、1979年。 モデルの施工期間は3月6日から3月31日。 商品化される約二年前のことになる。 場所は茨城県つくば市立原2。 そこは現在、一般財団法人ベターリビングつくば建築試験研究センターの敷地となっている。 この施設には、建築部材の各種性能確認試験実施等の仕事で何度かお邪魔している。 既に「実験住宅第7号」は現存しないが、そこにかつて同モデルが建っていたという事実は個人的にはなかなか感慨深い。

プランは、非居室用途を中央部分に集中させてその両翼に居室を配置する形式。 同社が1969年に発表した100万円住宅「ホームコア」の骨格を継承し、その後1977年発表の「ミサワホームA型二階建て」、更に1989年発売のNEAT INNOVATORへと引き継がれる中央コア型の進化過程の中に位置付けられそうだ。 両翼の居室ゾーンは、それぞれ構造耐力を負担する二つのユニットを南北に離して並べ、その離隔部分に双方を接続するパーツを挿入して一つの空間を形成する。 これは、1970年に実施された住宅の生産性に関する国の先導モデル事業「パイロットハウス技術考案競技」において採択された同社の提案モデル「コア350」で示されたジョイントスペースの発展形と解釈できようか。 そして中央北側の一階と二階に設けられた水廻りは、同社がその時期に開発を進めていたハートコアと思しきレイアウト。 住宅生産の工業化について当時の同社が研究開発を進めていた様々な技術が導入されていることを平面プランから容易に読み解くことが出来て興味深い。

そして外観デザインは、いかにも未来住宅といった趣きの斬新なもの。 同年代に新進気鋭と評された売出し中の若手建築家達が競って発表し建築ジャーナリズムを賑わせたアバンギャルドな住宅作品に劣らぬ先進性を持ちながら、しかしそれらの作品に往々にして見受けられる奇天烈さは皆無。 プランの骨格や構造形式を素直に反映させつつ端正に纏められた姿がそこには在る。

このモデルに雁行の要素を組み入れて内外観に動的な魅力を加えた実験住宅第8号が同じ年に千葉県内に建てられた。 実験住宅第7号は、施工性や温熱環境や遮音性といった住まいの基本性能の確認が主だった目的であったが、第8号モデルは居住性の確認ということで実際に人が住むことを前提に建設。 近年まで現存した。

2017.09.07:住まいの履歴考

知人が御自身のブログの中で、幼少の頃に関わりのあった住まいの平面プランについて考察を行っている。 その記憶力と推察力には驚かされるばかり。 昭和半ばの一般的な連続住宅の事例を知る上でとても興味深い試みである。

このサイトにおいても、「住まいの履歴」というページにて私が今まで住んできた家の間取りを紹介している。 その中で、最初の家については生まれてから僅かな期間しか住んでいなかったので、全く記憶に残っていない。 そのため当該ページでも紹介するに至っていない。
しかし、以降に住んだ家の多くが既に取り壊されている中で、一番目の家は現存する。 三階建て四スパンのRC造の集合住宅。 記憶の無いこの建物を数年前に訪ねたことは以前もこの場に書いた。 その時の外観目視及びアルバムに残る内観写真から、概ね公営住宅標準設計51c型に類似することが推察可能。 但し、51c型より一回り広い。 南北二つの居室の広さは4.5畳ではなく6畳。 そして51c型では物置となっている玄関脇のスペースは、3畳の居室に置き換えられ、北側の6畳の居室と続き間になっていた。 即ち3DK。 ここまでは概ね掴んでいたのだが、親の話ではこれとは別に玄関脇に石炭庫や造り付けの下足入れがあったとのこと。 更には南面する水廻りゾーンの浴室やトイレや洗面所のレイアウトも不明。 ということで詳細は判らぬままであった。
そんな折、最近になってプランをネット上で見つけた。 当該住棟は今は某国立大学の留学生用宿舎に転用されており、数年前に行われた外壁修繕工事の入札に際しての資料が同大学のサイトに公表されている。 その資料の中に平面図が添付されていたのだ。 別の大学公表資料の中には、内観写真を添付したものもある。 外部アルミ建具の内側に取り付けられた木製サッシが、ひょっとしたら以前のものがそのまま使われているような雰囲気。 過ぎ去った年月を思えば内外観共に旧態をほぼ残しているのは奇跡的なことで、記憶に無いながらも少しだけ嬉しくなった。

今回入手した資料を基に、いずれ「住まいの履歴」に既載の二番目以降の住まいと同様、パースを起こして掲載することになろう。 何時のことになるかは判らないけれど・・・。

2017.09.03:ボーカロイド雑記

8月31日の早朝、朝刊を読んでいてページを捲る手が突然止まった。 そこには初音ミクが大きく描かれた見開きの全面カラー広告。 出稿意図はすぐに了解出来た。 そう、同日は初音ミクの生誕十周年。 10回目の16歳の誕生日である。 ボーカロイドのことを知らぬ人には恐らく何の広告か戸惑うのだろうが、しかしそんな人たちにとっても十分印象に残るであろうインパクトのある構成。 その中に小さく、「すべての創造に、感謝をこめて。」という短いキャッチコピー。 私は動画サイトにアップされているボカロ作品を時折聴く程度で、ボカロに纏わる創造には全く関わっていないし、そもそも創造するための何物も持ち合わせてはいない。 しかしここ数年、恐らく聴く音楽の半分くらいはボカロ曲。 だから、広告を観て少々感慨が湧く。

同日は、初音ミクのシルエットに似ているという理由で、千葉市の公式サイトに掲載されている市章も一日限りの初音ミクバージョンに。 千葉市もなかなか粋なことをする。 報道によるとアクセス数が普段の22倍を超えたというのだから、ミクさんの影響力、侮りがたし。 えぇ、私も(恐らく初めて)アクセスしましたとも。
また同市美浜区に立地する幕張メッセでは、9月1日から3日にかけてマジカルミライ2017が開催。 ボーカロイドのライブと企画展を併催するこの大規模なイベントも、今年で5年目。 2日にTOKYO MXでその模様が放送された。 ライブ中継も放映され私も視聴。 様式としてすっかり完成し、そして安定したという感がある。

さて、そんな私はといえば、最近般若心経を暗唱出来るようになった。 宗教建築に若干の関心があっても宗教そのものには全く興味を持っていなかった私が突然改心したという訳ではない。 あるいは宗教にすがりたい程の悩みを抱え込んでしまったという訳でもない。 何がきっかけかと言えば、それも初音ミク。 様々な曲調に合わせて初音ミクが般若心経を諳んじる作品が動画サイトに多数公開されている。 ジャンルは実に多彩。 ロック、レゲエ、テクノ、フォーク、ボサノヴァ・・・。 結構本格的なそれらの伴奏に合わせて機械ヴォイスが淡々と詠みあげるそのギャップがなんとも面白く、繰り返し閲覧しているうちに何となく覚えてしまった。 つまりは、門前の小僧・・・ならぬ、ボカロ前の中年、習わぬ経を詠む、といったところ。
不思議なもので、その短いテクストに込められた意味も世界観もよく知らぬのに、心の中で諳んじていると何となく気分が安らぐ様な気がする。

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