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2025.11.20:床の間
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愛知産業大学准教授の竹内孝治氏より、学芸出版社が開設するサイト「まち座」にて「マイホームの文化史」と名付けた連載を始めた旨、御紹介頂いた。
今後の言説の展開がとっても楽しみだ。
同名の書籍の刊行も予定されているそうで、詳細は当該サイトを御覧頂きたい。
初回は床の間が扱われていて、浜口ミホの「日本住宅の封建性」を取り上げている。
浜口ミホをはじめ、戦後間もなく頭角を現し始めた建築家ないしは学識者達が、床の間等の日本の伝統的な設えを否定する言説を展開していたことを知ったのは、佐藤泰徳が主宰する日本プレハブ建築研究所編纂の「いま売れている住宅1983年版」を読んだ時であった。
住宅メーカー年鑑の体裁をとった書籍で、発刊されて間もない頃に書店で目に留まり、その情報量に驚き食指が動く。
価格は2500円。
LPレコード一枚分の値段だ。
当時の私には極めて高額な買い物ではあったけれど、なけなしの貯金を崩して入手した。
各ページに詳述される各メーカーの最新の住宅情報に眼福を味わいつつ、書籍の冒頭、第一章に書き連ねられた「悪い住宅をつかまされぬためのアドバイス」と題する一稿にも目を通す。
そこでは、
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戦後わが国の建築界を主導した建築学者や流行建築家が、日本の住宅が軍国主義ないし帝国主義を産み育てた温床であるとして、いっせいに日本の伝統的住宅建築を攻撃
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したとし、その動きに対し、
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私たちの祖先が残してくれたもろもろのものを、私たちの知恵によってそのときそのときのモダニズムを取り入れ、より理想的なものに育てていくべきであって、玄関や床の間は軍国主義・帝国主義的なものであるなどと一方的観念論で排撃するのは間違いというものでしょう。
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と否定している。
その上で、新進気鋭の建築家たちが設計した玄関や床の間が無い住宅作品に対し、それらが居住性を著しく欠いたものとして悉く批判を展開。
例を挙げれば、篠原一男の「からかさの家」、菊竹清則の「スカイハウス」、吉坂隆正の「ヴィラ・クゥクゥ」等々、建築の教科書に必ず登場する作品がバッサバッサと「排撃」された。
多感な時期にそれを読んでしまったから、建築家とはトンデモない大悪党であって、住宅に関してはハウスメーカーが正義の味方なのだとすっかり刷り込まれてしまいましたか。
でもそれから数年後、大学に進学して建築を学び卒業制作に勤しむ頃になると当時流行っていた脱構築主義のうわべに嵌まりかけていたのだから、何とも染まりやすい単純な性格だと我ながらあきれてしまう。
しかし、往時の伝統批判論に距離を置く価値観はそんなに変わった訳でもなく、従って「日本住宅の封建性」も未読である。
「まち座」に載る竹内先生の論稿に接し、機会あらば76年前の言説に触れてみようかなどと、これまた単純に食指が動きかけてしまうのであった。
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2025.11.14:80年代後半以降
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「住宅メーカーの住宅」に、三菱地所ホームの「LEEの家」を登録した。
何度もこの場で触れているが、私の住宅メーカーへの関心は1970年代後半に始まり、80年代半ばで一旦途絶えている。
関心が薄れ始めるとあっという間だった。
以降は完全に無関心。
2002年の秋に興味が復活するまでの間に知ったモデルといえば、広告などで偶然目に留まった数例に過ぎぬ。
例えば、かつて住宅に興味を持つきっかけとなったミサワホームO型の後継モデルとして1987年4月に発表された「CHYLDER O2」ですら、その存在を知ったのは関心が復活した後。
それまでは、一切知らなかった。
当該モデルのほんの数年前に先行して発表されていたO型Childについては、当時つぶさに情報を収集していたことを鑑みれば、我ながら驚くほどの関心の急速冷却っぷりだ。
「LEEの家」が発表されたのは1986年。
従って、このモデルについても近年まで知るに及んでいなかった。
リアルタイムで空間体験も伴って強く印象に残っているモデルと、近年になって資料を通して知り得たモデルとでは、当然ながら受け止め方も理解の深さも異なってこよう。
後者に纏わる言及は、「生兵法はナントヤラ」のリスクも伴う。
しかしそこはそれ、「歴史に纏わる説は人の数だけ存在する」と、ある高名な建築史家の先生も仰っていました。
80年代半ばが既に歴史の範疇に属するのか否かは分からないけれど、一個人が自身のサイトに何を書こうと、どうなるものでもなかろう。
むしろ、体感の記憶がないからこそ、資料から読み取れる事々も多いのではないか。
そんなふうに開き直りながら、ページを纏めてみた。
関心が復活したと言っても、その対象がかつて熱狂していた時代を中心にその前後の期間に留まる嗜好は今も大きく変わりはしない。
とはいえ、復活から既に四半世紀近くが経とうとしている。
早いものだ。
その間に各社から発表されたモデルを改めて検証してみると、違った見方や新たな関心が芽生えることもある。
例えば、ミサワホームO型の後継モデルとして2003年に発表された「O-type kura」などは、当時は「こんなのはO型でも何でもない」とバッサリ切り捨てていたが、改めて当時の資料に接してみると興味深い点も見えてくる。
そんな訳で、関心を失っていた期間やそれ以降に発表されたモデルについて、「LEEの家」と同様に何か書いてみようかとも思うのだけれども、これがなかなか。
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2025.11.07:愉しみの見い出し方
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入院した際に過ごした病室に付随したシャワーブースを利用しようと折戸を開けてみると、床面に独特の細かい目地模様。
TOTO製の「カラリ床」であった。
目地が水を円滑に排水口へと誘導し、使用後の湿潤状態を早々に解消する床材。
ショールームの展示品を眺める機会はあったけれど、実際に使用するのは初めてだ。
効果は如何ほどかと確認してみると、水滴がまるで意思を宿したかの如く目地に沿って水下に向かってヒョコヒョコと移動してゆく。
円滑な排水性能になるほどナと関心する。
目視で滞水が確認されなくなるまでの時間も、そして湿潤が気にならぬ状態になるまでの時間も確かに短い。
商品名に偽りはなさそうだ。
一体、どなたがどの様なきっかけでこの様なアイデアを閃いたのか。
そしてその閃きを具現化するため、様々な目地の形状が試され最適解が割り出されたのだろう。
勿論その過程で、生産性や製品として確保すべき性能の安定性、そしてデザイン性やコストなども検証され、漸く商品化に至る。
その過程に暫し想いを馳せる。
私が過ごした病棟の竣工は約十年前。
その当時からカラリ床のラインアップはどの様に変わっているのかと調べてみると、機能的に更なる進化を遂げている様だ。
例えば温かみや柔らかさ等の触感の向上。
技術って本当に面白い。
過ごした病室が東京タワービューであったと少し前に書いた。
デイルームからも同じ方角の眺望がよりワイドに愉しめる。
それが文中の画像。
東京タワーをはじめ、麻布台ヒルズから虎ノ門ヒルズ、そして愛宕ヒルズ等々、森ビルによる一連の大規模面開発がパノラミックに展開する。
麻布台ヒルズを直近に眺められるならば白井晟一設計のノアビルも見えるかなと思って探して見たら、ちょうど背面が拝めて思わず刮目する。
・・・などといった事々に愉しみを見い出しながら入院期間中を過ごした。
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2025.10.31:動線の価値
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大腸の内視鏡検査を受ける。
今年は、医療機関にお世話になる機会が多い。
年間医療費が例年とは異なる桁数となろう。
検査を受けるのは三年ぶり。
前回は、歳も歳だからそろそろ受けておきましょうと、年に一度の定期成人病検査の際に薦められ、某総合病院(この前手術のために入院したところとは異なる)を紹介された。
一度受検すると定期的な検査を勧められるのは、常。
そんな経緯で今回も同じ病院で受検する。
二回目だから院内の様子は勝手知ったる・・・の筈だったが、フロアレイアウトが大幅に変えられていた。
より効率的で快適な医療サービス提供の一環としての模様替えかなと思ったが、どうもそんな様子ではない。
受検された経験をお持ちの方は御存じかと思うが、内視鏡検査は事前準備に二時間程度を要す。
前回は、その処置のための完全に独立した個室に案内され、トイレが直近に配されたその小部屋でリラックスしながら黙々と準備に勤しんだ。
しかし今回は、消化器系の広々とした待合室の隅の壁際に高さ1.4m程のパーティションで一人分のスペースが区画されただけのブースに変わっていた。
パーティションの上部は抜けているから、混み合う待合室の様子が直に伝わってくる。
耳が遠い患者と看護師同士の大声の会話。
順番待ちの患者の名前を連呼する声。
館内放送等々、落ち着いて準備に勤しむ環境とは程遠い。
挙句の果てに、うめき声が聞こえてきた。
何事かとパーティション越しに確認してみると、手術を終えた患者が、全身麻酔から醒めぬ状態でベッドに横たわったまま運ばれている。
余程大掛かりな手術だったのだろうか。
意識がないにも関わらず漏らす苦悶の声が、徐々に近づき、そして術後回復室へとフェードアウトしてゆく。
普通、不特定多数が滞留する待合室内を通すものか?と唖然としつつ、自身が少し前に受けた治療のプロセスがフラッシュバックする。
といっても私の場合は部分麻酔(のまま四時間)の手術であったが。
ともあれ、事前処置が終わり検査着に着替える段階となるが、その更衣室がこれまた随分と離れた場所にある。
待合室を出て廊下やエレベーターホールを抜け、更にラウンジの様な大広間を通った先にある更衣室まで手渡された案内図を頼りに歩を進め、そしてあまり格好いいとは言えぬ検査着を身に着けて来た経路を戻る。
前回はこんなことは無かった。
検査のプロセスに合わせた動線計画のもと、しっかりと諸室配置がなされていた。
一体如何なる事情による改悪か。
出鱈目な状況に、だんだん気が滅入ってくる。
そうして検査は終了。
後日、特に問題は無いとの結果が届き、一安堵。
また三〜五年後に検査をしましょうと伝えられた。
しかし、動線計画が滅茶苦茶な建物はあまり再訪したくない。
ストレスが溜まるだけだ。
別の病院を紹介して貰おうか。
とは言え、今回の状況は、院内の大規模なレイアウト変更途上の一過性のものなのかもしれぬ。
再び訪ねた際には、今回とは異なる様相。
即ち、先進の諸室配置に生まれ変わっている可能性もあろう。
それを確認してみたくもある。
どうしたものか。
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2025.10.24:本は紙でしょ
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建築探訪のページに追加した「オリエンタルモーター豊四季事業所事務棟」を現地に赴いて実際に観たのは、既に十年前。
いつの間にか、半ばそれ以上は忘却状態となっていた。
ふいに思い出したきっかけは、古書店にて購入した新建築誌の1968年10月号。
入手目的はこの号に載る大高正人設計の千葉県立中央図書館の記事だったが、勿論他のページにも目を通す。
その際、当事務棟の竣工を紹介する小さな記事に目が留まった。
そこに載る外観画像をみて、そう言えば以前観に行ったナ、などと呑気に思い出した次第。
こうした機会があるから、やはり本は紙媒体であるべきなのだ。
電子書籍は往々にして目的のページだけを検索して表示するが、物理存在としての紙媒体はページを捲る過程が思いがけない情報との遭遇を生む。
一年ほど前からハマっている漫画に、アンギャマンの作品「ラーメン赤猫」がある。
人間社会で自立して働く意思を持った猫達がラーメン屋を営む物語。
直近のエピソードに、本好きの猫が登場する。
読み散らかした本を乱雑に放置する癖を飼い主に咎められ大喧嘩。
家出して、以前から縁のあるラーメン赤猫に押し掛ける。
店を少々手伝いながら、片っ端から文字媒体に接する姿に経営責任者の猫が電子書籍を勧めると、「本は紙でしょ」とジト目で一蹴。
その一コマを目にした際、我が意を得たりと思った。
街歩きだってそうだ。
確かに、Googleストリートビュー等のデジタルツールは便利だ。
居ながらにして遠隔地の風景を画面に映し出せる。
しかし建物や風景は、実際に訪ねた際の気象や雑音、そして匂いや手触りといった視覚以外の感覚器に作用する様々な物理現象とともに印象に刻まれ記憶に残る・・・、何てことは言わずもがな。
閑話休題。
かつて同事務棟が立地するエリアを仕事で訪ねたのは、確か真夏の蒸し暑い日だった。
業務を終えた夕暮れ時、帰宅ラッシュでざわつく幹線道路沿いを歩きながら、この建物に向かった。
そんな、実際に訪ねた際の周囲の雰囲気を思い出しながら、既に現存せぬ当該建物に関するページを組み立ててみた。
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2025.10.14:メーカー住宅私考_210
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「徘徊と日常」のページに婉曲的な書き込みを行ってしまったが、手術のため数日間入院した。
案内された病室は東京タワービュー。
しかし私の勤務先からも日常的に目に留まるから大してありがたくもない。
入院中の鈍重な心持ちを和らげる作用は限定的。
なので、最近古書店にて入手したミサワホームの50年史を読み耽って気を紛らわす。
同社では、2007年にも40年史を社内資料として刊行している。
こちらも別途入手しているが、形式的で退屈な社長の挨拶文を顔写真付きで巻頭に飾るとか、あるいは各年度の業績や会社規模の推移、そして役員の就任履歴等々といった社史にお定まりのネタは一切載せられていない。
「技術開発史」と銘打ち、各年の技術及び商品開発の成果の記録のみに徹している。
そんな尖った資料を二冊組で編纂できるのは、先進の技術開発に矜持をもって取り組み続けてきた同社ならでは。
極めて貴重な情報満載の各ページに目を通す際は、いつも極上の至福に満たされる。
今後もこの体裁に拘って節目ごとに資料を編纂し続けるのだろうなと思っていた。
だから、「REGACY」とのタイトルが付けられた50年史を手に取った際には少々違和を持つ。
40年史と同様の記述を中心としつつも、概ね一般的に見受けられる社史に近しい体裁をとる。
十年で随分丸くなったものだな、などと思いつつ、しかし勿論それは編纂目的に拠ろう。
即ち、創業半世紀という節目への意識。
個人的には技術史に強い関心を持つが、そこで語られる事々は、社内外の動静と併せて読み解く中でより理解も深まろう。
術後については、正直良く判らぬ。
偶然に偶然が重なって判明した自覚症状無き循環器系の疾患に対する外科的処置だから、体調が何か著しく改善したとの実感は全く無い。
とは言え、通常の検診では見つかりにくい爆弾同然のリスクを低減出来たのだから、不幸中の幸いと考えなければ。
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2025.10.07:個人サイトの良いところ
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このサイトの運営に利用しているプロバイダから、10月1日以降SSL/TLS対応を導入する旨の連絡があった。
試してみると、確かにアドレスの最初をhttpsにしてみてもアクセス出来るようになっていた。
来年の6月末まではhttpとhttpsどちらも有効。
以降は、後者に自動的にリダイレクトされるようになるのだそうだ。
両者で何が違うのか、その根本すら判っていないのだけれども、世の大半はhttps。
だから長いものに巻かれて何ら問題は無いのだろう。
というよりも、このような措置がとられるのだから、利用しているプロバイダは今暫くはサービスを継続するものと思われる。
数多のプロバイダ事業が次々と終了する御時世にあって、個人的には取り敢えず一安堵。
ユーザー側の対応として、絶対パスで設定しているサイト内リンクを相対パスに改める必要があるのだそうだ。
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※1:
当サイト開設時のトップ画面。
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今は相対パスを基本としているが、サイトを開設※1してから暫くの間は、絶対パスで組んでいた。
それらの修正作業と併行して外部リンクも確認してみると、切れてしまっているものが多数。
むやみやたらと貼るものでは無いなと思う。
こうして過去ファイルに目を通していると、当然自身が書き記した文章にも気になる表現が多々見つかってしまう。
こっそり改めるべきか、それとも記録としてそのままにしておくべきか。
否、前者の対応に手を染め始めると永遠に収拾がつかなくなりそうだ。
ほんの数年前の文章でも、なんだこの書き方は?と気恥ずかしくなってしまう下りが散見され、自身の作文力の無さに嘆かずにはいられぬ・・・って、今更だけど。
あるいはそれ以前に、HTMLのコードにも怪しい点が見受けられる。
もっと合理的な組み方があるのではないか・・・等々、抜本的な見直しも必要なのだろうけれど、そう思いながらズルズルと幾年月。
気が付けば、開設当初は予想だにしなかった量のファイルが無為に蓄積されるに至ってしまった。
この際、テキストエディタでのHTML手打ち入力をやめて、ちゃんとホームページ作成ソフトを導入すべきか。
あるいは逐一AIに添削してもらおうか。
はたまた、レスポンシブWebデザインへの対応は・・・等々、いろいろある訳だけれども、取り敢えずはSNS疲れと無縁の気楽さが非営利の個人サイトの良いところ、としておこう。
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