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雑記帳
2018.10.17:目的地までの過程も愉しむということ
※1

倶知安駅前の石蔵倉庫外観。
切妻屋根のボリュームを持つ妻入りの二棟の石蔵を連結した様な形態によってギャンブレル屋根を思わせる外形ラインを持つファサードを形成している。
果たして内部の架構形式はどの様になっているのだろう。

※2
この言葉については、2012年2月22日の雑記でも少々触れている。

ニセコ町に土地を見に行きませんかとのお誘いmailを受け取る。
同町の土地を購入し、その土地に古民家移築再生を希望する人から相談を受けた建築家の方より頂いた案内である。 私は不動産鑑定の有資格者でもないし、土地を見たところで何のお役に立てる訳でもない。 お誘いの意図を掴みかねつつ、しかしそのmailを読み終えると同時に北海道行きの飛行機の予約を入れていた。
即決の理由は順不同で以下の通り。

1.
ニセコを訪ねるのは11年ぶり。 その間、同地は国際的なリゾート地としてのポテンシャルを上げ、街は多く変わったと聞く。 その変貌ぶりと実態を見てみたい。
2.
そもそも秋の北海道が大好きでこの時期いつも帰省している。
3.
期限切れ間近のマイレージの消化。
4.
どんな敷地なのだろう。またどの様な民家の移築を考えているのかという興味。
5.
とってもお世話になっている建築家の方からのお誘い。断る理由などあろう筈が無い。
6.
あわよくば、前回同町を訪ねた際に見掛けたちょっと変わった戸建て住宅を再訪したい。

これだけ理由があれば十分だ。
ということで、11日の夕刻から14日までの間、渡道。 12日の午前中、JR小樽駅にて御一緒する。 そこで待ち合わせた訳ではない。 しかし約束した時刻にニセコ駅に到着しようとすると、小樽で乗り換えとなるその列車に乗車するしかない。 左程に、小樽から先の列車の本数は限られている。

二両編成のその列車に乗車し氏を待っていると、車窓越しに氏の姿が一瞬見える。 しかしなかなか車輛に乗り込んでこない。 乗り継ぎ時間もあまり無いのにどうしたのかナと思ったら、ドアが閉まる直前に乗り込んできた。 そして私を見るなり「ここのプラットホームの上屋の構造は面白いネ!」と少々興奮した面持ちで話し掛けて来た。 え?っと思い車窓から見てみるとなるほど確かにそうかもしれぬ。 古レールを再利用した架構は減ってきているとはいえ、それほど珍しくはない。 しかし、小樽駅におけるそれは、小屋組みの架け方がちょっと珍しいかもしれぬ。
今迄散々同駅を利用していながら、全く気づかなかった。 汗顔の至り。 そのことに一発で気づいた氏は、やはり凄いと感心する。 目的地に至る途上においても常に風景に対する視覚を研ぎ澄ますこと。 こうあらねばと思いつつその列車の終着、倶知安駅に到着。

ニセコへは、そこから更に長万部行きに乗り換えねばならぬ。 その待ち時間は25分程。 少し駅前の様子でも眺めてみようかと改札を出て周囲を見回す。
すると見つけてしまった。 ちょっと変わった石蔵を。 元々二棟並列配置された蔵をいつの頃か一体化して一棟に纏めたかの如きちょっと不思議な外観※1。 矢も盾もたまらぬ。 小走りで石蔵に向かい写真に収め、暫しその外観を堪能。
復路は全力疾走。 ギリギリ発車時刻に間に合う。 でもって、その「釣果」を氏に披露。 「おぉ!これは面白いネ、目聡いね。」とお褒めの言葉を頂き、単純にも少々浮かれてしまう。

ともあれ、行程の途上の風景も楽しむこと。 それは例えばこの場でも幾度か引用している宮脇檀の以下の言葉※2

“移動も大事な旅の部分−寝るな、喋るな、本読むな”

ということである。
ニセコ町での事々は、また後日。

2018.10.10:メーカー住宅私考_98
2リビングの現在

少し前になるが、住戸内にリビングを二つ用意したマンションが関西で販売され話題になった。
といってもそれは基本プランとして設計されたよくある妻側4LDK住戸の一部を組み替えるメニュープランの扱い。 住戸の妻壁に面する二つの個室を統合し、通常の南面リビング(以下、リビングA)とは別にもう一つのリビング(以下、リビングB)を設えるといったもの。
南面のリビングAが、キッチンやダイニングルームと一体になった普段使いのLDKであるのに対し、リビングBは用途の兼用が無い純粋なリビングルーム。 しかも、リビングBの長辺が接する住戸内廊下との間仕切り部分が壁では無く全面引き戸となっている。 その引き戸を全て開放すれば、廊下と一体となった室の使用が可能。 更には廊下を介して玄関と直接繋がるパブリックな活用を示唆する。 このことによって二つのリビングの空間としての性格の違いが明確化され、それぞれにおいて異なる使用目的に供することが可能な仕掛けとなっているところが面白い。

リビングを二つ用意した住まいというと、ミサワホームが1981年に発表したミサワホームM型2リビングが思い浮かぶ。
当該モデルについては、このサイトにおいて何度も言及している。 週休二日制の定着と共に増加する余暇を愉しむ住まいの在り方として、「余暇室」と名付けた二つ目のリンビングをプランに組み込んだ企画型住宅。
その「余暇室」の活用事例としての優雅なホームパーティーのシーンが、同モデルの販売資料の表紙を飾った。 あるいは、アトリエやリスニングルーム等、様々な「余暇室」の活用方法が積極的に提案され広報戦略のなかに取り入れられた。 来たるべき社会に対するビジョンを明確化し、それに対応した住まいの在り方を積極的に提案・先導する姿勢は、当時のミサワホームならでは。

しかし、昭和後期に華々しくデビューしたこのM型2リビングは、やや早過ぎるモデルであった感が無きにしも非ず。 実際に、余暇を多彩に楽しむもう一つのリビングというプラン形式が一般化若しくは一型式として定着するには至っていない。
それは「リビングルーム」そのものの用途や位置付けが、当時は曖昧なものとして捉えられるに留まっていた点が大きく影響していたのではないか。 テレビに誘引されるかの如く家族が何となく集まるだけの団欒とも言えぬ団欒のための部屋。 そんな空間が二つあっても持て余すだけといった類いの評価が、何となくこの先進的モデルに向けられていたのではないだろうか。
あるいは、家族が集うことを前提としたその空間に佇む筈の家族そのものの人員構成数も減少の一途。 両親に子供二人という平準的家族像と現実が乖離して久しく、ために「リビングルーム不要論」や「個室群住居」といった言説や事例がいよいよ住まいの形式として深く浸透し一般化するのかと思いきや、昨今の状況を見ているとそうでもないらしい。 逆にリビングを自然に活用する暮らし方が、定着しつつある。 それは例えば、「リビング学習」という言葉にも象徴されよう。 子供はLDRのダイニングテーブルで勉強し、その傍らで親達が思い思いに極々自然に寛いでいる。 彼らにとって自室は専ら就寝の用途に供するだけの文字通り「寝室」。 宅内での日常生活の場としてリビングを普通に使いこなす暮らし方の定着が、二つ目のリビングのニーズを高め得るのかもしれぬ。

しかしそのことが、時代がM型2リビングに追いつきつつあることを意味している訳では無い。 同モデルが描いた「余暇室」という名の二つ目のリビングと、冒頭の「リビングB」とでは、その指向するところが少々異なるという印象だ。
それは例えば、文中の画像の如く「与えられた」余暇に対してちょっと背伸びをした豊かな生活を演出するのではなく、「当然なもの」として存在する余暇を等身大で愉しむ空間としての二つ目のリビングの存在。 1980年代の先進的な住まい方提案が、時を経て目的や形を変えて今後進展し得るのかもしれぬ。
もっともそこには、平均世帯人員数の減少に関係なく、販売住戸に関し四人家族をターゲットとしたいわゆるファミリータイプと同等のグロスを維持しようとする供給者側の思惑が見え隠れせぬ訳でもない。 だが、それは蛇足ということにしておこう。 連綿と続く平準的な妻側4LDKプランの圧倒的な販売実績と、それ故に派生プランという位置づけに留まらざるを得ぬ2リビング型式の現時点での限界でもあるのだから。

2018.10.04:Cells at Work!

ひと月ほど前に初めてPET検査を受けた。 その結果が届く。 異常は認められずとの所見。
その診断書に添付された陽電子放射断層撮影による自らの身体の断面画像は、幾ら凝視しても何が何だか良く判らぬ。 むしろ昨年受けた脳ドッグの検査後にその場で見せられたMRIの3D画像の方が生々しくてインパクトが大きかったですかね。

ともあれ、よく判らぬその画像を眺めていると、少し前にもこの場で言及した体内細胞擬人化アニメ「はたらく細胞」の各シーンが思い浮かぶ。 断面として映し出された自らの体内で、作中に描かれた様々なエピソードが同時多発的に繰り広げられているのだと思うとなかなかに感慨深い。
勿論、現実の体内で起きている事々は、アニメの中で擬人化されたそれらとは全く異なる姿をした各種細胞達が、これまたアニメの中での表現とは全く異なる形で自らの役割を忠実にこなしている。 そして体内そのものも、作品で描かれた巨大都市か化学プラントの如きそれとは様態を異にする内宇宙が広がっている訳だ。 そのことが判っていても、何となく個々のキャラクター達の立ち居振る舞いが想起されてしまう。 それを想うにつけ、身体をいたわらなくては、不摂生は避けなければとしみじみ思う次第。
この作品は先月末で最終回を迎えたが、好評であったらしく早くも今月から東京MXで再放映される。 途中回からしか視聴していなかったので、初回からしっかりと見直そうと思う。 何せその内容は、NHK Eテレで放映されても何ら違和を生じぬであろうとてもためになるコトばかりですからね。

ところで、登場する免疫細胞の一つ「B細胞」役の声優さんが、かの「月がきれい」の主人公、安曇小太郎君を演じた方と同じということを知った時には、ちょっと驚いた。 芯の強さを垣間見せつつも基本的に控えめで落ち着いた雰囲気の小太郎君に対し、明るく闊達な青年という印象のB細胞。 そんな真逆のキャラクターをものの見事に演じ分けている。 と思ったら、「マクロファージ」役と小太郎君の母親役も同じ声優さんですか。
まるで別人じゃありませんか。
キャラクターに合わせた声色の使い分け。 大したものだ。 その高い技能とプロ意識に感心すると共に、恐らくはそういったところを作品間で比べてみることも、アニメ作品を視聴する際の愉しみ方なのであろう。

プロ意識といえば、作中に登場する細胞達の台詞にも、そのことに纏わる名言が多い。 例えば最終回第13話「出血性ショック(後編)」の中で、その絶望的な状況下においてなお赤血球が毅然と発した以下の言葉

“私は最後まで酸素を運ぶよ。それが私達の仕事なんだから!”

などは、実にしびれます。 泣けてしまいます。 私も、この意気をもって日々の業務にあたらなくては・・・などと、これまたしみじみと思う次第ではあるのだけれども。

2018.09.27:去りゆく施設に纏わる身体的な記録
本文中の画像は、同センターの東側外観。 栖吉川の対岸の土手から撮ったもの。
合理的な構造躯体フレームと、その内側に嵌められた画一的な帳壁に拠る組み立てを立面の基本としつつ、二階左手のオーバーハングしたボリュームや最上階のプラネタリウムのドーム等を配置することによって、全景に「動き」を付与している。
ドームの右手にみえる外部階段の屋根の扱いがちょっと面白い。

恐らく全国に同様ないしは類似の名称を冠した公共施設が幾つも存在しているのであろう。 そしてこれまた恐らく、いずれも同じ時期に整備方針が策定され、そして建てられた。
似た名前を持ちそして供用されつつ、その中身や建物の形態について共通項ないしは雛形を持つのか否かは追求していないので判らぬ。 しかし、新潟県長岡市に建てられたそれは、幼少から青年期までその地に育った者として、それなりに縁のある施設でもある。

長岡市青少年文化センター。 JR長岡駅の東口から延びる駅前通りを東進すること暫し。 市内を流れる一級河川、栖吉川と交わるその手前にこの施設が位置する。
1969年にオープンしたこの公共施設の中で即座に思い浮かぶ用途といえば、最上階に設けられたプラネタリウムと一階の一部にスペースがあてがわれた科学コーナー。 とりわけ後者は、卑近と思いつつも「レトロフューチャー」という言葉以外の適切な表現を見い出せぬほどに、その印象に満ち足りた空間である。 ネットで調べれば、その概要を紹介するサイトが幾つか引っ掛かるのでここでは特に多くは言及せぬ。 しかし、高度経済成長期に指向された輝ける近未来への夢や希望を大いに膨らませる科学や技術に纏わるビジュアルな体感装置が並ぶそのスペースは、間違いなく同館の象徴として位置づけられ今日まで存続してきた。
この施設を中心に、確かにそこは青少年にとって文化の啓発の拠点として在り続けたのであろう。

そんな同施設が来年三月末をもって閉館することを知ったのは、同市を中心に発行されている地域情報誌「マイ・スキップ」の9月号の特集記事。 同記事には、閉館の理由として「老朽化」という言葉が載せられている。
老朽化。 長く供用され続けてきた施設の廃止に係るクリシェとして、これほど便利で普遍性を帯びた言葉は無い。 果たして、ここで言う老朽化が、建物そのものの物理的な問題を意味するのか、それとも施設の運営目的そのものを指すのか、あるいはそれ以外の事情に拠るものなのか。 そのことまでは記事の中で具体的に触れられてはいない。 ともあれ、これも時代の流れ。 また一つ、思い出がギッシリと詰まった街の中から物理存在が姿を消す。

同施設に関する個人的な思い出は、前述のプラネタリウムや科学コーナー以上に、併設されていた屋内温水プールに在る。 小学生の頃、同プールにて運営されていたスイミングスクールに通っていたのでそれなりに馴染みが深い。
取敢えずは厳しい指導の下に鍛錬に励んでいたためか、あるいは小学校卒業を機に退会して以降同施設を利用したことが無かったせいか、空間に対する記憶はあまり無い。 マイ・スキップ紙の記事に添えられた内観写真を見て、「こんなだったかな?」と思う程度。 しかし、外壁面に大きく穿たれたガラスブロックの開口から燦々と差し込む自然光に満たされた水の中を泳ぐ感覚は、まるで宝石の内面を揺蕩う様な気分であったことを朧げに覚えている。
ちなみに、私の左足の甲には同プールの監視員控え室の出入口扉に激突した際に負った小さな傷の痕跡が未だにうっすらと残っている。 施設が閉館し建物が除却されることになったとしても、身体に刻印され数十年経っても消えぬその痕が、建物が存在したことの間接的な証として私の生ある限り遺り続けることとなろう。

2018.09.21:メーカー住宅私考_97
第一木工−グリーンゲイブルズ

第一木工(現、GLホーム)のモデルについては、「住宅メーカーの住宅」のページに一例載せている。 1981年に発売されたギャラリーIIという名称のそのモデルは、スキップフロアを基本骨格に据えて半地下室から屋上バルコニーまで6層で構成される住空間を提案したものであった。
その流れに与しつつ、間口が限られた狭小敷地への対応を試みたと思われる商品が、1985年発売のこのグリーンゲイブルズになる。 建物全体を南北に分け、それぞれを半層ずつずらして階段で繋げる構成はギャラリーIIと同じ。 しかし、建物間口を抑えて狭小敷地への適応性を高め、更に最下層をインナーガレージにあてがうことで土地利用効率を高めているところが異なる。

モデル名称にちなんで、広告のキャラクターには赤毛のアンを起用。 そして外観も、緑色の屋根葺材と白いサイディングとの鮮やかな対比によって赤毛のアンの家の要素をイメージの中に組み込むことを狙った様だ。
田園風景の中にゆったりと建つ赤毛のアンの家を、スキップフロアを駆使して都市型住宅に置換するという発想。 若しくは、厳しい都市居住の条件下にあって物語の世界にすがることで商品に独自性を付与しようというやや物哀しい現実。
ともあれ、本家とは全く縁が無いのであろうスキップフロアの導入により、通常のフロア構成とは異なる変化に富んだ内部空間を獲得している。

広告等で紹介されている代表プランは、北側接道を想定したもの。
その前面道路に面して半地下状となったインナーガレージを設置。 脇に取り付く外部階段を半層昇って玄関に至る。 玄関を開けると、横に北向きのリビングルームが接続。 このリビングはちょうど半地下のインナーガレージの直上に位置する。 北側リビングというのは変則的であるが、玄関が北向きであることを鑑みるならば、接客動線の効率化を優先させた割り切った考え方。 この北向きリビングの南面に大きな開口が穿たれ、半層下がった(つまり地盤レベルの)南面ダイニングキッチンに連携する。 スキップフロアを活かして独立性と空間の広がり、そして北向きリビングに南面の採光を取り込む空間操作が巧みだ。 これらLDK空間の上に、建物中央に設けた階段を介して南北に半層づつずれながら個室が連なり、最上階のルーフバルコニーに至る。
広告に載せられた「敷地が狭いからってあきらめないで」というキャッチコピー、あるいは同じく広告上のモデル名称に添えられた「Little&Rich」という言葉そのままに、限られた屋内に階段の昇降による変化を与えることで狭隘さを払拭すると共に商品としての魅力付けを行い、日常生活への豊かさを確保する。 そんな個性的な内部空間ではあるが、都市型狭小住宅においてこの様な手法は現状特殊解という位置付けであろう。

2018.09.13:藤森建築二題

八月上旬に掛川を訪ねた折、現地で会った知人から当サイトについて「静岡が空白地帯ですよネ」との感想を頂いた。 なるほど確かにそうだ。 と同時に空白なのは何も静岡エリアだけではない。 傾向として西日本が弱い。 これは今までの居住地や勤務地と大いに関連する。 とりわけ九州がなかなかに寂しい状況で、そのうちゆっくりと各地を訪ねてみたいと思っているところではあるのだが。
閑話休題。 本人に向かって空白地帯と言い放ったからにはその発言の責任を取って貰いましょう・・・などと手前勝手な理由を付けた訳では無いけれど、取り敢えずは空白を少しでも埋めるべく車で方々案内して頂いた。 その際、藤森照信の作品も二題拝見する。

いずれも美術館。
その一つが、掛川市内に建つ「ねむの木こども美術館」。 道路を挟んで向かい側に整備されている駐車場に車を止めて見上げる外観は、なぜか建物の裏側。 これはアプローチ経路の設定として如何なものかと怪訝に思いつつ、建物にアクセス。 館内で受付を済ませると、なぜかそのまま奥の扉から一旦屋外に出て展示室に向かうように指示される。 これまた腑に落ちぬまま扉を開けると、そこにはなだらかな傾斜を伴う地被で覆われた庭がゆったりと広がる。 その広場を目一杯迂回するようにUの字の小路が取り付き、来館者はそこを歩いて展示室に向かう。
美術館における動線の延伸は、作品に対峙する気分に切り替えるための常套手段。 一旦外に出して大きく迂回する通路を巡らせ、その際に視点の移動を伴う建物の「表側」の外観を堪能させる仕掛けはとても面白い。 恐らく安藤忠雄であれば、通路に沿って目線をはるかに超える高さのコンクリート打ち放しの塀をめぐらせ、容易に対象物が臨めぬように造作。 巡り巡って辿り着く寸前に一気に視界を開放する演出を企てるのであろう。 しかしここではそういった作為は一切無し。 あっけらかんと全てを現わしつつ、小路を巡る際の視線の移動に伴う外観の様々なアングルを存分に愉しませてくれる。
但し、その際に臨む建物全景は他の藤森作品とは趣を異とし、ややメルヘンチック。 それは建物用途に沿った対応に基づくものなのだろうか・・・などと思いつつ展示室へ。 展示作品はいずれもとても素晴らしい。 そして展示空間は、それらに抗わぬ雰囲気を醸しつつ、しかし藤森照信の世界で満たされていた。

もう一つ、浜松市に立地する「秋山不矩美術館」も訪ねる。
ちょうど特別展「藤森照信展」が開催中。 一本の丸太から荒々しく削り出した建築模型が新鮮。 そして各種素材のディテールに関する展示も興味深かった。
しかし、美術館としての館内の動線計画にはちょっと首を傾げることに。 特に一階展示室と二階展示室の連携は少々如何なものかと思う。 あるいは館内の所々に「音が響く空間なので鑑賞は静かに」といった注意書きの張り紙。 左官や自然素材で仕上げられた柔らかな雰囲気の屋内空間は、しかし音響面では決して柔らかなものでは無いらしい。
一方、外部のざっくりとした土壁風の仕上げは流石、と思う。 ツルツルピカピカな均質の仕上げが主流の世の中にあってこの質感を出すことはなかなか難しい筈で、それを大きなスケールで実現していることに驚く。

藤森建築はとても不思議だ。 どこかで見たことがある様な懐かしさを帯びつつ、しかしその参照先を見い出すことは不可能。 あるいは内外観共に素朴もしくは粗野な印象にて貫かれている様でいて、しかしそれを建築作品として成立させるために実は周到な検討が行われ、あるいは結構無理もしている。
緻密に仕組まれた質朴さ。 二つの美術館建築に触れ、更に藤森照信展を見てそんなことを考えることとなったが、そのきっかけを与えてくれた知人に感謝します。

2018.09.05:ゴードン・マッタ=クラーク展
※1
「徘徊と日常」のページで2018年2月18日に当該「アート」について書いた。
※2

ダンボールを用いて作られた1/8スケールの同模型の一部分。
会場は基本的に撮影可。そしてネットへの掲載も可ということで、ここに載せる。
※3

建物調査のため、界壁に円形の孔が開けられた文化湯内観。
同調査は、まだ生活感の痕跡を有する代官山アパートを子細に見学出来る貴重な機会であった。

東京国立近代美術館にて開催中の掲題の企画展を観た。
この作家のことは、同館のサイトに載せられた企画展の概要にて初めて知った。 そこには、「スプリッティング」と名付けられた代表作の画像が載せられている。 それは何の変哲もない一軒家を縦方向に真っ二つに切断したもの。 これを「アート作品」と受けとめて良いものなのかと訝しく思う。
果たして展示されている内容は、第一印象としてのこの訝しさそのままのものなのか。 それとも別の何かを見い出すことが出来るものなのか。 そんなことへの興味から、同展に足を運んだ。

同館最寄りの東京メトロ東西線竹橋駅のコンコースのタイル壁面に施された「テープアート※1」は未だ顕在。 こちらの方がよっぽどアートとして判り易い。 この際、大々的に行われている構内の改修に関し、この仮設の「作品」を活かしたインテリアで纏めても良いのではないかなどと勝手なことを考えながら、美術館に到着。 最初の展示室に足を踏み入れる。
その途端、サイトを観た際の第一印象は覆された。 最初に目に飛び込む「サーカスまたはカリビアン・オレンジ」の巨大再現模型※2はとても見応えがあった。 解体間際の事務所ビル内の界壁および界床の所々に円弧のカッティングを施す。 それによって何の変哲もない事務室に新たな視野や採光がもたらされ、そこに崇高な空間性を付与する試み。 解体されることが前提の建物であるが故に構造的与件を不問とした工作が可能であり、と同時にそれは期間限定のインスタレーションの域を超えることは無い。 それでも、その発想や取組みはとても面白い。

円弧による穿孔というと、かつて同潤会代官山アパートの建て替えに伴う住人退去直後に実施された建物調査に同行する機会を得た時のことを思い出した。 その際、団地内の銭湯「文化湯」の男湯と女湯の仕切り壁に円形の巨大な孔が穿たれた※3。 それによって界壁の構造が煉瓦積みであることを見知った訳だけれども、しかしそのカッティングによってそこに新たな空間性が獲得されていた訳ではない。 それは単なる躯体調査の一環で行われた穿孔に過ぎぬ。 建物の形態や特徴を捉え、そこに施すカッティングによって如何に空間を変容させるか。 その意識の有無が、アートと調査の境界を分かつ。

そんな視点で他の作品も観て廻ったが、その多くは極めてアナーキーな活動。 恐らく作者がまだ若かったから、あるいは70年代という時代が、その様な行為の実行と、そしてその行為を許容する余地を持ち得ていたのかもしれぬ。 その後御本人が歳を重ねそして何かと窮屈な現代において同様のことが可能かといえば、なかなかに難しかろう。 若くして亡くなられたこと、そしてそれが故に活動期間も極めて短かいものに終わってしまった訳だけれども、果たして今も健在であった場合どの様な創作活動を展開していたことだろう。

ともあれ、作者が建築や都市にそそぐ視点や行為はいずれも鋭く、そして意外性に満ちている。 事前の印象とは異なりとても興味深い個展であった。

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