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2012.07−2012.08
2012.08.30:メーカー住宅私考_14
−展開する住宅
※1
ユニット工法の事例としては、積水化学工業のセキスイハイムM1のページ参照


※2
2012年4月25日の項、参照


※3
ユニットの展開概念図

ユニット工法の住宅の特徴はこの場に幾度か書いている。
道路交通法上運送が可能な大きさの箱を幾つか用意し、そこに住宅としての内外装及び各種設備を可能な限りあらかじめ作り込んでしまう。 そしてそれらを現地に運んで組み合わせれば、家一軒がアッという間に出来上がる※1
とても効率的な工法の様に思えるが、しかし非効率的な面もある。
それは、輸送にかかるロス。 ほぼ完成した居室という殆ど中身がカラッポの、文字通り“空間”を運ぶ訳だから、空気を移送させているにも等しい。

では、現場施工の省力化を図るユニット工法のメリットを活かしつつ、輸送の効率性も高めるためにはどうしたら良いか。
手法としては、以前紹介したテラピンパックホーム※2の様に、輸送時にユニットを折りたたむ方式がある。
しかし、更に突き詰めた事例を最近知った。 それが、倉敷レイヨンと近畿車輛によって1965年に建てられた試作住宅、PH-1。 一つの箱の中にボックスやパネルを入れ子状に詰め込んで輸送し、現地で展開する工法が試みている。 それによって、空気を運ぶ状況を回避しているのだ。
展開の手順は概念図※3を見て頂いた方が判り易いであろう。
敷地にボックスを据付け、外箱を上部に引き上げると、住宅二層分のボリュームとなる。 そして、引き上げられた二階のボックスに組み込まれた床や壁を外周に向って引き出し、そして屋根を掛けるとピロティ形式の家一軒が出来上がる。
その外観は、浮遊感溢れる軽やかなもの。 平面プランも、工法の特徴をそのまま顕わした中央コア型。
技術的には面白い発想ではあるが、しかし居住性に関しては今一つ工夫を要するといった評価であった様だ。

こんにちの戸建住宅におけるユニット工法において、この様な形式を採用したものは見受けられない。 複数の空箱を何台ものトラックに連ね、建設地に運んで一気に合体させる形式が一般的である。 輸送のロスはあるものの、物事を単純に運用するためにはこの方が効率的ということなのだろう。
実際、全ての要素を一つの箱に詰め込む方式は、現場でパーツを展開する際の施工に高い精度が要求され、且つその精度が住宅そのものの性能に著しい影響を及ぼすであろう。 それに、個々のパーツに軽量化が求められるだろうから、構造体としての剛性の面でも制約があろう。 更に、輸送前の工場での造り込みに関しても、スケルトンはともかくとして内外装の取り付けには、有る程度の限界もあるのではないか。
結果、効率性の面で中途半端にならざるを得ない。 それがこの工法の限界であり、広く一般化するに至らぬ理由なのかも知れぬ。



2012.08.25:水と夢

お盆の帰省といっても、特に何かをする予定を立てている訳でもない。 かといって何もしないと体がなまってしまう。 ということで、実家の近場にある市民プールに出向く。
7コースが用意された25mプールと幼児向けプールが設置されている。 夏休みのプールといえば、小中学生や、あるいは家族連れでごった返しているのかと思いきや、いつ行っても閑散としている。 今回私が訪ねた際は、幼児向けプールにて親子が一組遊んでいるのみ。
ということで、25mプールを独り占め状態。 他人を気にせずに自分のペースで泳げるというのは、なかなかに都合が良い。
でもって、泳いでいる時というのは何故か思念が広がるものだ。 この閑散とした状況について、四角四面の次亜塩素酸塩水溶液の中をたゆたいながら考えてみる。

プールが立地するのは、昭和40年代に北海道住宅供給公社によって造成されたニュータウンの一画。 国内において同時期に造られた多くの類似のニュータウンと同様、オールドタウン化と呼ばれる状況が進んでいる。 その実態が、このプールにも顕れているのだろう。
恐らく、かつては全てのコースがイモ洗い状態になるくらいに賑わっていたのではないか。 それが今では、利用する人も殆どいなくなってしまった。 にも関わらず、数年前に入場料が有料化された以外は当初のままの行政サービスが空しく継続する。
しかし、いつまでも手をこまねいている訳にもいかぬだろう。 利用状況の推移を鑑みた上で、いずれニュータウン内にもう一箇所ある同規模の施設と統廃合されるか、あるいは両方とも廃止されてしまうかもしれない。
そうなると、実家の近場で気軽に泳げる場所が無くなってしまうな。 どうしよう。
というか、会員登録しているジムのプールにもっと通わなきゃいけないヨナ。
あれ、前行ったのって何時だったっけ? 会費も安くないのになぁ・・・。
とはいえ、一番安い平日夜間会員だしな。 仕事の後のヘトヘトの体でジムに行くのって、歳のせいか最近結構きついんだよな。
えぇい!、ジムの会費といい、殆ど観ないCATVの受信料といい、無駄使いが多いぞ。 少し私生活のリストラをせねば・・・。

・・・水泳という、重力から開放された単調な動作の繰り返しの中で、いつしか身体性は喪失し、意識のみが水面を漂う様な夢心地の感覚となる。 そんな水の空間の只中で、思念はユルユルと横滑りし続ける。

自然が夢の空間を準備する物質、
それは水である。 <ガストン・バシュラール>



2012.08.20:郷土資料の可能性

お盆休みはいつもの通り実家に帰省。
自室に入ると、ダンボール箱に何やらどっさりと古ぼけた紙が積み上げられている。 見れば、幼稚園や小学生の頃に私が描いた絵画・・・というよりも落書きの類い。 律儀なことに、幾度かに及ぶ引越しにもかかわらず、その殆どを保存していたのだそうだ。
保管していたのか、単に捨てなかっただけなのかは微妙なところ。 ともあれ、家の中の不要物をなるべく処分したいので、それらについても仕分けをしてくれというのが親の言い分。
で、既に忘却の彼方にあるそれらの“作品”に一通り眼を通したのだけれども、そこからは一定の印象が見えてくる。 例えば、幼稚園児の頃に描いたものは筆致も画風も様々で、我ながら面白いと思えるものが多い。 それに比べ、小学校に上がって以降のものは、何だかつまらない。
その違いは何かといえば、描きたいもの、あるいは印象に残ったことをのびのびと描けているか否かなのだろうな。

中には、新聞の折込チラシやデパートの包装紙の裏側に描かれたものもある。 そんなものまで後生大事(?)にとってあることが驚異的なのだけれども、それはそれで別のお面白さがある。
それは絵が描かれている裏側ではなく、表の印刷面の方。 そこから、様々なことを知ることが出来る。
ローカルな話になってしまうけれども、例えば文中の画像は、かつて駅前通りで営業していたイチムラデパートと大和デパートの包装紙。 かつては、こんなデザインだったのね。
いずれも、裏側は私の描いた落書きで埋め尽くされています。
イチムラデパートに関しては、店舗を増改築する以前の旧建物の外観パースが載せられたチラシなんかもあって興味深い。
あるいは、同様に今は無き長崎屋駅前店の地下一階に入っていた松電ストアのチラシ。 そこからは、同店の本拠地が長野であることを知ることが出来た。
他にも、「キャバレー新世界」なんていうビラまであってね。
市内の東坂之上一丁目に立地。 「東京・浅草新世界姉妹店」とか「アルバイト嬢募集、月給10万円以上20万円まで」などと書かれているけれども、今でも在るのだろうか?

こういった事々って、実は当時の習俗を知るうえで、それなりの郷土資料となり得るのかもしれないと思うのだけれども、どうだろう。
ということで、貴方の家にもお絵かき用の裏紙として利用されたチラシの類が、幼児期の“作品”の保管という名目でどこかに仕舞われたままになっていませんか。 そこには、ささやかな史料的価値が埋もれているかもしれません。



2012.08.11:図書館三昧_6

このタイトルで文章をアップするには久々になる。

昭和40年代のプレハブ住宅に関して調べる上で、当時の住宅関連雑誌は極めて有用だ。 とはいっても、ネット上に古書が出回る以外は入手はほぼ不可能。 だから、読みたいとなると図書館の蔵書に頼ることとなる。
この場合、国立国会図書館や都立図書館の蔵書は極めて充実している。 しかし、双方とも閉架書庫に保管されているため、閲覧には手続きや時間を要して効率が悪い。
更にその手続きにあたっては、端末で蔵書を検索して書物を探さなくてはならぬ。
つまり、あらかじめその存在を知っていなかったり、あるいは検索に引っ掛かるキーワードを思いつかなければ永遠に出会えない書物もあり得よう。

その点、日本建築学会図書館は良い。
建築関連雑誌のバックナンバーの蔵書はすこぶる充実しているし、その多くが開架書庫に保管されている。
従って、書棚の前で片っ端からページを捲って情報を収集することが可能。 あるいは、それまで存在を知らなかった雑誌に出会うことも期待出来る。
目的とは異なる情報に偶然触れ、そこから更に別の情報へと視野が広がる愉しさ。
例えば、プレハブ住宅について調べているさなか、偶然ススキノアパートについて紹介した雑誌に出くわしたりとかネ。
この集合住宅については、外観目視のみで建築探訪のページの文章を書いた。 つまり、内観については推測のみに留まっている。
でも、掲載されている図面によって内部構成も把握することが出来た。 推察は大きくは外れていなかったけれど、新たに知り得たことも有るので、気が向いたら文章を調整することにしよう。

ともあれ本当に宝の山で、出来れば一日中篭っていたい図書館ではある。
しかし、開館は平日のみだし学会員じゃないと基本的に入館出来ない。 非学会員は、学会員の紹介状と300円を携えて受付で手続きを取らなければならぬ。
これが面倒なので、お宝の山と知りながら今まで利用することが無かったのだけれども、随分と敷居の高い図書館ではある。 情報を求めるヒト全てに分け隔てなく書物を公開してこそ図書館ってもんじゃねぇか・・・とか思いつつ、しかしそれは運営形態に拠りけり。 特定団体の図書館なのであって公共図書館では無いのだから。
それでは学会員になれば良いかと思い、同団体のサイトで確認してみると、入会にも紹介状が必要だし、会費もそんなに安くはないみたいだ。
どうせアカデミックなこととは無縁だし、宝の山とはいえ図書館を利用するためだけに会員になるってのもねぇ。 まぁ、会費が安くはないとはいっても、殆ど視聴していないにも関わらず惰性で払い続けているCATVの受信料に比べれば、それ程でも無いのだけれども・・・。



2012.08.07:【書籍】新建築2012年7月号

久々且つ恐れ多くも新建築誌の感想を以下に。
今回は少し遅くなったけれども、先月号について。

清水建設本社/
設計:清水建設

8月1日の主要新聞にこの建物の供用開始を伝える一面広告が載せられた。 曰く、「お江戸のエコライフをしのぐ、超環境オフィスが誕生しました。」とある。
違和感を覚える文節だ。
江戸のエコライフを如何なるものと解釈し、そしてこの本社ビルがどの様にそれを凌いでいるのだろうか。
CO2排出量に関し広告中の文章には、「東京都にある事務所ビルが排出する2005年度の平均値」に対し「62%削減できる見込み」とある。 江戸時代との比較じゃないジャン・・・などと馬鹿げた突っ込みをするつもりは毛頭無い。 しかし、ここで謳われている環境配慮技術は内向きなものに留まる。 つまり建物屋内におけるエネルギー消費量の削減。 江戸のエコライフと比較する上での評価指標は、果たしてそれだけであろうか。
確実に進行している都市のヒートアイランド化のことを思えば、そろそろ別のベクトル、つまり、外皮の外部側に対する環境負荷低減も考えなくてはならぬ時期であろう。 このことは、この作品に限らず同号に載せられている環境配慮を謳った他のプロジェクトにも共通して指摘できることではある。 具体的な技術的解法としては、例えば同誌2011年9月号にて紹介されたソニーシティ大崎のバイオスキンなどが挙げられるのだろう。
そういえば、結局あの外装設備の効果ってどの程度のモノなのだろう。 そういった経年における評価のフォローも、こんにちの建築ジャーナリズムには求められると思うのだけれども。

丸の内永楽ビルディング/
設計:三菱地所設計

何の前知識も無く、竣工間際の当該建物の前を通った時は、「なんじゃこりゃ」と思ったものだった。
とにかく豪華で豪勢。 建物数層分の高さを誇りつつ屹立する金属製の巨大な列柱。その柱が支える豪放な庇。そしてその下の壁面に張り付くピカピカに磨き上げられた天然石等々。 挙げればキリが無いけれども、貧乏人の私には近寄りがたき別世界が眼前に広がる。そんな印象であった。
しかし、暫し見ていると、別の様相も見えてくる。 「何か、単にゴテゴテとやり過ぎなだけじゃねぇ?」
結果として、低層部の軒先高さ31mラインさえ守れば何でもアリ状態のデザインの混沌が、71ページに載せられた大名小路沿いの景観に顕れている。

渋谷ヒカリエ/
設計:日建設計・東急設計コンサルタント共同企業体

7月号には、冒頭に二つの建築論壇が載せられている。
一つが、国内における超高層建築の先駆けである霞が関ビルディングの実現に向けた取り組みに関する「超高層への挑戦から50年」。 もう一つが、森ビルが目指す超高層街区を基本とした今後の都市像に向けた提案。 これらに併せて幾つかの最新の超高層プロジェクトが複数掲載されている。 この一連の流れは、読み物としてとても面白い。
でもって、渋谷ヒカリエ。
未知の高さに対する技術検証が主要課題であった霞が関ビルディングの時代と比べたその進展ぶりは、経年を持ってすれば当然のこと。 とはいえ、複雑な与件を適切に処理し、それを建物の内外観に巧みに顕した作品の出来栄えは、改めて隔世の感を覚える。
今後、近傍で長期に亘って実施される再開発事業に伴い、複数の超高層ビルの建設が計画されている。 それらがどの様な外観を纏うのであろう。 先行したヒカリエとの関連性に配慮されたものとなるのだろうか。 その辺りの配慮の有り無しが、この地区の再開発事業と、都心の他の再開発事例との差異の有無に直結すると思う。

アオーレ長岡/
設計:隈研吾建築都市設計事務所

「負ける建築」を提唱する建築家が手掛けた巨大な公共施設。 果たしてどんな解説を展開するのかと思いきや、随分あっさりした短文が掲載されるに留まっている。
タイトルは「ハコの反転」。 まぁ、今回の作品に関して今までの言説との整合性を図るためには、付けざるを得ないタイトルであるし、本文もその路線で書かなければならぬのであろう。
しかし、その文章の前半は設計コンペ開催時の要項の概略を語ったものでしかない。 それをもって反転というならば、成果はコンペ実施要項策定者のものであろう。 後半のマテリアルの話も、半屋外広場の頭上を漂う木パネル(図面をみると“パタパタ”という名前らしい)の更に上部に覆いかぶさる巨大鋼製トラスの圧倒的な存在の前には、何が反転なのかを曖昧にする。
例えばコンペ要項に規定された「広さ1500平米の屋根付き広場」を巧みに具現化した“ナカドマ”や、“パタパタ”自体の意匠的な面白さなどは否定されるものでは無いのだから、もう少し踏み込んで説明して欲しかったという気もする。
とはいえ、この建物に対する私の興味は、反転の有無ではない。 総工費約120億円を費やして既存市街地の只中に整備されたこの建物が、今後周辺にどの様な影響(効果)をもたらし得るのかにある。
ところで一階平面図を見ると、東側の幾つかの隣接建物がアオーレの敷地側に越境しているのね。

空屋町屋プロジェクト/
設計:バスアーキテクツ

冒頭に東京都心における再開発を含む超高層建築プロジェクトを複数載せつつ、並行して地方の小さな再開発の仕事も紹介する。 これも、7月号の編集の面白いところだと思う。
どちらのプロジェクトが興味深いかと問われれば、両方と答えることになる。 しかし敢えて共感できる方を選択するとなれば、後者ということになろうか。 やはりどこかホッとさせられるものがあるのは、本来あるべき人間と建築の関係の在りようがそこに顕れているからなのかも知れぬ。
もっとも、掲載されている改修工事実施時の写真からは、「大改造!!劇的ビフォーアフター」ばりの大改造が施されている状況が見てとれる。 現行法への適合等の諸条件に対応するために不可避なことなのだろうけれども、僅かなスケルトンのみを残し、他は徹底的に換骨奪胎された状況が、本当にストックの活用と言って良いレベルなのかは微妙にも思える。
しかしながら、この事業には補助金を活用したしっかりとしたスキームが組み立てられている。 理想論や牧歌的なものではなく、現実を踏まえたプロジェクトであるところに、今後の応用・展開や継続性が見出せるようにも思う。



2012.08.04:メーカー住宅私考_13
−静かな始まりから大きな変革へ
※1

トヨタホームJA型外観


※2

トヨタホームオーク外観


※3

トヨタホームアスペン外観

1970年代、トヨタ自動車が住宅産業に進出するという話題は、業界を騒然とさせたらしい。
それが如何程のものであったのかは、私は知るに及ばない。 しかし、天下のトヨタである。 それまでの住宅産業界の勢力地図をガラリと塗り替えるほどのインパクトがあると思われても当然であったのだろう。
業界全体が固唾を呑んで見守る中、1977年2月8日に初の戸建住宅商品が同社から発表される。
名称は、トヨタホーム・JA型※1。 そのモデルを見た多くの関係者はホッと胸を撫で下ろしたというのが、当時の業界の一般的な反応であった様だ。
理由は、写真を見て頂ければある程度お判り頂けよう。 最先端の自動車製造技術を応用・駆使した革命的な住宅が登場するかもしれぬという期待を裏切るひどく凡庸なモデルである。
当時の資料を調べてみても、同年2月から7月末までの販売実績は33戸。 しかもそのうちの12戸は同社の自動車販売代理店のモデルハウスとのことだから、随分と静かで地味なデビューといえる。 同社としても、鮮烈なデビューをもって業界に殴り込みをかけるという様な血気盛んな意識は希薄であった様だ。
それは、7年後の1984年4月に発刊された新建築誌別冊「住宅の工業化は今」に掲載された宮脇檀による同社のレポートからも読み取れる。 車の生産ラインと同様、先進の機器を導入して怒涛の勢いでシステマチックに現場供給部材が作り出されているのかと思いきや、のんびりとした手作りの様な状態で生産が進められていると述べている。
本業はあくまでも車であり、住宅は副次的な取り組みという位置づけであったのだろうか。

しかし、改めて「JA型」に始まる同社の動向を見直してみると、ぶれることの無い一つの方向性が見えてくる。 それは、ユニット工法に拘りながらも、その工法らしからぬ住宅を作ろうという流れだ。
「JA型」にしてみても、そこから直ぐにそれをユニット工法と視認することは難しい。 寄棟屋根を載せ、下屋を配した外観は、パッと見た目には軽量鉄骨軸組み工法系の住宅の様に見える。
その後、1982年2月4日に発表されたトヨタホーム・オーク※2も同様だ。 瓦葺きの方形屋根を載せ、玄関廻りを台形平面に出っ張らせ、外観に変化を与えている。 ユニット工法を手掛ける他の多くのメーカーのモデルに見受けられる無機的な印象は、そこには無い。
1983年9月6日発表のトヨタホーム・アスペン※3は、日本におけるユニット工法が初めて獲得した住宅らしい内外観を持つモデルと言えるのではないかと思う。 このことは幾度かこの場に書いているが、外観のみならず、内観もユニット工法特有のモジュールの制約を感じさせぬ自然な間取りを実現している。

国内の住宅産業におけるユニット工法の動向を大観すると、無機的な立方体の集積というユニット工法ならではの表現を即物的に採用した積水化学工業のセキスイハイム・M1が始原である。 その事業的成功を受けて、雨後の筍の如く後続メーカーが参入。 手法的にはハイムM1を踏襲する。 しかし、1970年代初めのオイルショックという経済混乱に伴い多くが淘汰。
トヨタ自動車の参入は、そんな淘汰の時期であるところが異色であり、そしてそのデザイン手法もM1的なものの踏襲ではなかった。 そういった意味では、後追いではない独自の歩みを続けてきたメーカーであるといえそうだ。

そして今、状況は同社にとって追い風となりつつある様にも思える。
日経アーキテクチュア誌の2012年7月25日号の特集は、「住宅と電気自動車が融合するGLDK」。 GLDKの“G”は、ガレージのこと。 電気自動車が、住宅様式やライフスタイルに大きな変革をもたらそうとしている動向が記事となっている。
住宅と車。 その双方に実績とノウハウを持つ同社にとって、この流れは大きなチャンスとなり得よう。



2012.07.28:時層色環
※1

外壁の塗装面をサンドペーパー等で擦ることにより、それまでに塗り重ねられてきた様々な色を年輪のように表出させたもの。
これによって、過去の塗装の履歴や色の流行り廃りを調べることが出来る。

先週、北の古民家のページに太刀川家住宅店舗をアップした。
その冒頭に載せた外観写真を御覧になって、コイツが載せる他の写真と少し趣きが違うなと思われた方もいらっしゃるかもしれぬ。
そう、人が写っている。 いつの頃からか、人や車を極力排した状態で建築を写真に収めたいという、あまり意味の無いことに時間と労力を注ぐ癖が付いてしまった。 しかし、この写真を撮った1987年頃は、そんなくだらない拘りは一切無し。
でもって、同ページ中段に配置した写真。 こちらは1990年の夏に撮ったもの。 一階部分が閉まっているじゃねえかということになるが、それは早朝に撮ったため。
この太刀川家は北北東向きに建っている。 だから晴れた日に写真を撮ろうとすると逆光になってしまい、当時私が所有していた安物カメラではきれいに外観を撮ることが出来ない。 で、モロに逆光とならない早朝に訪ねて撮ったのだけれども、当然ながら一階部分は営業時間ではないために閉まっていたという次第。 右手前の路駐も邪魔だったのだけれども、こればかりはどうしようもない。

ということで、その後も90年代は幾度か函館を訪ね、そしてその度に太刀川家にも歩を向けてはいたのだけれども、未だにコレといった写真が撮れずにいる。
では、いま改めて訪ねてみたいかというと、ちょっと微妙だ。 以前と同じ様な心持ちで散策するには、随分と市内の様子は変わってしまった様だ。 何か、「昔は良かったね」と溜息をつくのが関の山となるかもしれなくて、同地に赴くことをちょっとばかり逡巡してしまう。
6月9日にアップした「函館の洋館」のページで、文章の終盤の下りが微妙な表現になっているのも、そのせい。

ネットで見る限り、太刀川家の洋館の方も、その外壁が以前のイメージとは随分と異なる濃い緑色に塗り替えられた様だ。
勿論これは好みの問題でしかない。 しかし、少し色が落ち着くまでは、訪ねるのを待った方が良いかもしれないといったところ。
とはいえ、この外壁色について、函館に建つ古民家に関してはあまり気に留めていない。 その時々によって、様々な色に塗り替えられてきた歴史があるのだから。
それが時層色環※1を豊かなものにしている訳だけれども、今現在の太刀川家の洋館の外壁色も、後世の人が壁面の擦り出しを試みた際、その色環に21世紀初頭の層として彩りを添えることになろう。



2012.07.22:ヒカリエ
※1

どこかで似たような機能の空間があったなと思ったら、六本木ヒルズのメトロハットがそれだ。
地下と地上を繋ぐ同様の円筒形吹抜け空間。
スケールはアーバンコアの方が上回るものの、動線処理の円滑化と主要出入口の構えのデザイン手法として、有効なのかもしれない。

>

新建築の7月号を観て愕然とする。
竣工した「ヒカリエ」が掲載されているではないか。
以前、無目的に渋谷駅界隈を散策したのはいつのことだったろう。 確か、副都心線の渋谷駅が開業して暫く経った冬であった様な気がする。
その頃はまだヒカリエは着工していなくて、同敷地は旧東急文化会館が除却された後の更地が広がる状態であった様に記憶しているのだが。

勿論、仕事で渋谷駅に向うことは有る。
でも、せいぜい電車の乗換えに使うくらい。 駅構外に出て、街中を移動する機会は全く無かった。
それに、私用で訪ねたいと思う街でもない。 WAVEやリブロやLoft等々を巡ったのは過去のこと。 今となっては、渋谷に行かなければ用を足せぬような特別な理由や動機付けも無い。
ということで随分ご無沙汰していたらこのありさま。

渋谷駅界隈は、大規模な再開発が進行中だ。
全ての事業の完了には十年以上の期間を要するというから、今後暫くは常に駅周辺の何処かで大掛かりな工事が実施されている状況となるのだろう。 この界隈一体の風景は、日々変わり続けることになる。
そんな一端を確かめることとヒカリエ見学を目的に、久々に同地を訪ねた。

副都心線側からアプローチした際のヒカリエのメインエントランスとなる“アーバンコア”に向う。
地下3階から地上4階までを貫くこの円形の垂直空間は、地形の高低差を有し、都市施設が各層に分散する渋谷駅界隈にあっては、縦方向の動線を円滑に処理する上で確かに有用に思える。 吹抜けの所々に施されたディスプレイも、エスカレーターでの昇降を楽しいものにしている※1
しかし、エスカレーターを昇りきった四階部分は何やらとってもアッサリとしていて少々拍子抜け。 地下で接続する副都心線渋谷駅のコンコースを覆う歪な卵形のボリュームや、あるいは同ビル中層階の劇場部分に施された巨大な球形の設えに関連付けて、例えばドーム状の天井があっても面白そうだけれども、そういった形態操作は一切無し。 平らな天井が広がるのみ。
そのアーバンコア四階部分からは、渋谷駅東口一帯への眺望が楽しめる。 そしてその足元には、渋谷駅に向って新しい跨道橋が伸びている。
このデッキも新建築の7月号に掲載されていて、設計にあたった内藤廣の文章が載せられている。 曰く、「まだその半分の役割しか果たせていない」とあるけれど、確かにその通り。 紙面に載せるには時期早々と思えてしまうのは、長丁場な再開発における先行工事のため。 中途半端な状況に置かれているその構造体が、今後変貌する風景の中でどの様な立ち位置となるのだろう。
今のところ、アーバンコア最上部から見下ろす跨道橋の屋根面は、随分と殺風景。 グレー色のシート防水の中央に無機的にベンチレーターが並ぶのみ。 今後、ヒカリエ以外にも近辺で幾つかの超高層ビル建設の計画がある訳で、このデッキは見下ろしの視線に晒される機会が多くなる筈。 そんなことへの意識や配慮が欠如してしまっているという印象だが、それについても、今後の周辺の再整備に伴ってどの様な設えとして位置づけられことになるのだろう。
そのデッキの北側では、以前の跨道橋が解体中。 都市の新陳代謝は確実に進んでいる。

アーバンコアの四階から屋内に入ると、専門店が並ぶ商業ゾーン。
少々窮屈ということ以外には、特にこれといった印象に残らない。 ありふれた商業施設に思えてしまうのは、この手の店舗で買い物をするという習慣が無いせいか。
魅力的な専門店が多いのかもしれないけれども、殆ど素通りの形でフロア南端の青山方面出入口から外に出る。
そこはヒカリエの裏側。 四階部分の出入り口なのに、ワンフロア分の外部階段を降りると公道に接続する。
このエリアの地盤面の高低差を改めて実感する。 建物との整合性確保に設計者は苦労したのだろうな。

そういえば、近傍に東京都住宅供給公社の美竹ビルが建っていたよなと、思い出したようにその敷地に向う。
各住戸のバルコニー面のデザインが結構面白い集合住宅で、久々にその外観を堪能しようと思ったのだけれども、はたまた愕然とする。 既にその跡形は無く、高層マンションに建替え中であった。



2012.07.19:メーカー住宅私考_12
−第8号居住実験棟
※1

そのプランのまま商品化しても良かったのではないかと思うのだけれども、コスト的な面で難しかったのだろうか。
実際に商品化されたミサワホーム55のプランについては、「住宅メーカーの住宅」のページで言及している通り。
様々な制約の中で、十分に練り切られたものという印象ではない。

かつて、千葉県の浦安市に住んでいた。
引っ越して間もない頃、周囲を散策していて、その家の存在にすぐ気付いた。
「あぁ、ここに建っていたのか・・・。」
ミサワホームの関係者でも無いのに、その住宅の来歴について瞬時に分かる者など、恐らくそう多くはいないだろう。 同社が、1981年にミサワホーム55を発売する三年前に建てた、そのプロトタイプモデル。 第8号居住実験棟だ。
当時、住宅関連雑誌にて紹介記事を読んだ記憶があり、その外観を覚えていた。

雑誌で写真を見た時も、そして初めて実物をみつけた時も、その外観にはあまり感心出来なかった。 ユニット工法がもたらす制約と、そこに同社がそれまでに培ってきた木質パネル工法において洗練させてきたデザインを何とか整合させようとして破綻している。
そんな印象は、今でも変わらない。 しかし、この住宅の存在意義は決して小さくは無い。
珪砂を主原料とした“PALC”と呼ばれる外装パネル用新素材の研究や、カプセル工法による建築生産システムの構築等、ミサワホーム55の発表に向けたおよそ十年に及ぶ技術開発の、ほぼ最終段階における居住性検証を目的とした試作住宅。
「第8号」と名付けられた通り、その開発過程において八番目に建てられた試作モデルである。
そこには、同社のそれまでの、あるいはその時点で開発途上にある様々な技術がぎっしりと集約・実現されていた。
それらの事々に関する言及は、別の機会に持つことにしよう。 しかし、そのような技術面とは別に、平面プランの美しさには大いに惹かれるものがある※1
単に、それ自体が美しいというだけではない。 同社草創期のモデル、ホームコアから脈々と流れる設計思想が、ものの見事に一つの型として洗練を極めつつ、動的な妙味も加えられて結実していることが読み取れ、興味深いのと同時にとても意義深くもある。
その空間を体感してみたい、あるいは実際に住んでみたいという気にさせる間取りというのは、そうそう滅多に出会えるものではない。

このモデルが建てられた時代。 それは、住宅そのものの生産性に関わる各種技術開発が大いに進展した時代であった。
だが、今は違う。
勿論、かつてとは異なる新規研究開発テーマは目白押しだ。 例えば、スマートハウス。あるいはLCCM住宅等々。
しかしそれらはいずれも、住宅そのものの生産技術というよりも、その周辺技術や異業種の技術との提携に依拠したものが多い。 もはや、住宅そのものの生産性や意匠性のみで先進性を帯びようとすることは、枝葉の追求でしか無くなってしまったのかもしれぬ。
そんな状況において、未だその様な先進性に向けてしのぎを削ることが可能であった幸せな時代の試作住宅が、その物理存在を終えること。 それが何やら象徴的な出来事などという捉え方は、考え過ぎであろうか。
しかし、自分にとって特別な位置づけにある住宅への一方的な哀悼の意を込めて、大いにそんな妄想を繰り広げることにしておこう。
70年代後半における同社の最新鋭の住宅を建替えるのだから、今度は現時点における同社の最先端の家が建つのであろうことを期待しつつ・・・。



2012.07.14:メーカー住宅私考_11
−異種産業からの参入

ヤクルトホームTH-30型。
商品名が「F1シリーズ」と記載された資料もある。



ヤクルトホームTH-5WD型

現在、その分類はあまり意味を為していないのかもしれない。 しかし、プレハブ住宅の草創期においては、構造形式から大きく四つの分類が一般的に用いられていた。
すなわち、木質系、鉄骨系、コンクリート系、ユニット系である。

木質系は、材木会社や製材メーカーからの参入が多い。
トップのミサワホームも、もともとは三沢木材から始まっている。 建材メーカーとして名を馳せる永大産業も、もともとは合板の製造業から始まっているが、一時期木質系の住宅を発表していた時期がある。
鉄骨系は、鉄鋼メーカーの参入が目立った。 鉄骨系プレハブの開発自体が、朝鮮動乱特需以降の鉄鋼需要開拓の対象として住宅に白羽の矢が立ったという側面がある。
従って、草創期においては、八幡製鉄の八幡エコンハウジング、日本鋼管のNKホームなどが名を連ねる。 鉄骨系プレハブの先駆メーカーである大和ハウス工業も、その筆頭株主は富士製鉄であった。
コンクリート系は、ゼネコンの参入が多い。
日本住宅公団(現、UR都市機構)が手掛ける団地の施工に係る標準化工法の開発に端を発し、戸建住宅へと応用された流れがある。
流れとしては、いずれの工法についても何となく自然ではある。

しかし、ユニット系だけは、少々趣きを異にする。 様々な業界からの参入が相次いだ。
今回書くヤクルトゼネラルハウス工業も、その一例。 その名の通り、あまりにも有名な健康飲料製造メーカー「ヤクルト」がユニット工法の住宅を手掛けていたのだ。
設立は1971年。 当時の住宅関連雑誌などを読むと、ヤクルトの個配や販売業務を担当するスタッフ「ヤクルトレディー」の販売網を活かして住宅を売ってみてはという発想だったなどと紹介されているものもある。 その真意は定かではない。
工法としては、アメリカのゼネラルエレクトリック社の「GEモジュラーハウジングシステム」を導入。 1973年より、ヤクルトホームという名称でいくつかのタイプを発売した。
その間取りを見ると、他メーカーのユニット工法の住宅とは少々雰囲気が異なる。 日本の道路交通法に則ったルームユニットの輸送を可能とするため、ユニットの短辺を2.5m以内に収めることがユニット工法の必須条件であることは、この場に何度も書いている。 しかし、ヤクルトホームの間取りからは、そのモジュールが見えてこない。
どんな寸法体系が採用されているのかと当時の資料を調べてみると、記述がいろいろである。 モデルによって異なっていた様であるが、いずれも短辺寸法が2500mmを超えているのは同じ。
これだと道路交通法に対応出来ない。 そうなると、ルームユニットを工場から建設地への輸送にあたって、いちいち道路管理者に通行許可の申請を行う必要が生じる。 運用的には相当制約が発生することになるが、果たして事業としてどの程度汎用性があったのだろうか。
当時の住宅雑誌の中には、道交法を超える巨大なルームユニットが、専用の巨大なトレーラーで輸送されている状況を捉えた写真を掲載しているものもある。 初期設備投資も結構凄かったのではないかと思う。

積水化学工業のハイムM1以降、雨後の筍の如く参入してきた後続メーカーの多くが事業を継続できなかったのも、実はユニット工法の生産システムの宿命である初期設備投資の大きさにあったと言われている。 採算分岐ラインとなる受注戸数も、当然、他の工法に比べて高い設定となる。
そんな足枷せと、そしてユニット工法自体が持つプランやデザインの制約が、事業継続のハードル自体も高いものにしていた。

1978年発刊の住宅関連雑誌に、ヤクルトホームがニッセキハウス工業の広告として掲載されているものがある。 同年5月26日に両社の業務提携が成立し、ヤクルトホームの販売網がニッセキハウス工業に引き継がれたことの顕れであろう。
さすがのヤクルトも、多年にわたる事業継続は難しかったようである。



2012.07.09:販売センターでの一日

とあるマンション販売会社より、販売を開始して間もない物件の販売業務支援依頼が来る。 新しい技術をいくつか導入したプロジェクトであるため、その説明サポート係として販売センターのモデルルームに一日張り付いて欲しいとのこと。
で、久々の“正式な”休日出勤と相成った。

向かう場所は、今まで訪ねたことが無いエリア。 降り立った駅前の雰囲気は、どこにでもある平凡なもの。
しかし、目的地の販売センターまでの途上、凡庸な街並みの奥の方から何かが匂ってくる。 時間にはやや余裕があったので、その“嗅覚”に従い、匂う方向に寄り道。 すると建っているではないか、ナショナル住宅産業(現、パナホーム)のR2N型。
1966年に発売されたそのモデルが、五棟寄り添うように群をなして建っている。 恐らくは、かつて同社が手掛けた建売住宅なのだろう。 いずれもメンテナンスが行き届いていて旧態を美しく留めている。 年月を経た住まいが大切に住み続けられている風景に出会うと、何だか嬉しくなってね。 サラリとカメラに収める。
周囲に目を向ければ、同時期に発表されていた他社モデルも散見される。 歩き回れば結構面白いエリアなのかもねと、暫しそれらを愛でながら販売事務所へ。
通用口から中に入ろうとしたら、その向いに積水ハウスが1978年に発表した「グルニエのある家」が建っているではないか。 これも、新築時の様態をそのまま留めつつ、綺麗に住み続けられている。

こいつは早朝から良いこと尽くしだなと、少々上機嫌で事務所内に入る。 が、そんな気分は、スタッフルームに入った途端、一気に消散。
販売センターって体育会系のノリなのね。 さもありなん。 マンションは売れてナンボの世界。 販売センターはその最前線である。 生半可は通用しない。
軍隊調の朝礼及びミーティングに戸惑いつつ、販売センターの開場と同時に持ち場に就く。 とはいえ、来客でごった返す場内でテキパキと接客をこなす販売スタッフの女性陣の的確極まりない説明ぶりに、私の出る幕などまるで無い。 邪魔にならぬよう、技術関連展示コーナーの隅の方でおとなしく立っているのがせいぜい。
でも、デスクワーク中心の日々を送る者にとって、ずう〜っと立っているというのは物凄く苦痛なもので。 客足が途絶えた隙に、モデルルーム内のリビングルームのソファにドップリと腰を下ろしてガクガクになった膝を休めることシバシバ。
小休止の視線の先には、窓を介して事務所の向いに建つ「グルニエのある家」が見下ろせる。 俯瞰した際の3.5寸勾配の寄棟屋根はボリュームたっぷりだね・・・などと業務に関係のないことで暫し和む。
しかしその間も、販売スタッフの面々は別フロアの商談コーナーで各種相談に応じている。 託児コーナーでは、来訪者が連れてくる幼児の面倒を専門スタッフがつきっきりでみている。
この人達って、いつ休憩するのだろう?と思う。
休日ということもあるのだろうけれども、売れ行きが好調なマンションの販売事務所の業務がとても大変なものであることを目の当たりにする機会となった。 まぁ、大変といっても、売れてナンボなのだからとても喜ばしいことなんだろうけれどもね。



2012.07.07:長岡雑記

建築探訪の団地・集合住宅の項に、長岡市の「タウンハウス中島」を追加した。
冒頭の外観画像に、写真ではなくパースを載せている。 これは、この集合住宅の特徴を示すには、地上レベルから撮影した写真よりも俯瞰パースの方が適切であろうと考えたため。
とはいっても、勿論私が描いたものではない。 この集合住宅が販売されていた1970年代後半の新聞折り込みチラシに掲載されていたもの。
マンションといえば四角四面の単純な事例が多い中、中庭を有する徹底した雁行プランが結構珍しいなというのが、このチラシが目に留まった際の印象。 で、今まで破棄することも無く、30年以上にわたってずっと手元に保管していたという次第。
こういったものをトリミングして掲載するってことは著作権上どうなのかよく判らないけれど、とりあえずは、本文の内容を補完するための“引用”ということにさせて頂く。 商用利用という訳でもないしね。
ついでに、この様なチラシを後生大事に保管し、時折眺めては愛でている奇特な人間がいるという報告も兼ねるということでお茶を濁しておこう。

しかし、チラシを保管し続けるほど気に留めていながら、実物を拝みに現地に赴くことは今まで一度も無かった。 で、今年の五月に長岡を訪ねた際、宿泊先のホテルのレンタルサイクルを利用して当該物件に向った。
外観、そして周辺のロケーションもイメージしていた通り。
ということで、実物確認の上、掲載に至った。

当然のことながら、自転車を借りたのは当該物件視察のみが目的ではない。 これ以外にも、思いつくままに市内随所を走り回った。
例えば、タウンハウス中島の近傍には、柿川という河川が流れている。 市内中心部を蛇行しながら流れるこの小さな河川に架かるコンクリート造の橋の親柱に関し、個性的な造形が幾つか目に留まる。 風化したコンクリートのテクスチュアも美しい。
設計者やそのデザイン意図などの詳細は後でネットにて調べることにして、とりあえずは軽く写真に収めるべく柿川を巡った。
しかし、後日ネット上を探してみても、なかなか詳細な情報が見つけられない。
無いとなると益々興味が沸いてくるのは人の情。 国会図書館や都立図書館は、各地の郷土資料も充実している。 だから、機会を見て情報を探してみようかな・・・などと思っていたら、昨日、地元情報紙「マイスキップ」の7月号が届く。
特集記事を見てビックリ。 柿川について紹介されているではないか。 同河川に架かる橋の名称やその架橋年までもがリスト化されている。
素晴らしい・・・、というか、ホント偶然。
幾つかの橋の親柱の写真も掲載されているけれど、この際、次回は是非これらの親柱に特化した特集をお願いします・・・なんて、それじゃ他力本願だな。

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