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雑記帳
2011.05−2011.06
2011.06.25:クリスト
※1
1991年10月に日米同時開催されたアートプロジェクト。
広域にわたって莫大な数の巨大な傘が立てられた。

「梱包の芸術家」と呼ばれるクリストによるアンブレラ・プロジェクト※1が茨城県で開催されたのは、もう二十年前のこと。
知人に誘われて現地に観に行った日は、あいにくの雨。 自らも傘をさしつつ、19kmにわたって田園風景の中に累々と並ぶ巨大な傘の群景を鑑賞して歩くことと相成った。

  
  

その途上、犬の散歩をさせている老人とすれ違う。 おもむろに話しかけてきた。
「この犬はな、クリストに頭を撫でて貰ったんだ」。
誇らしげに語る、その老人。
なるほど、広域に及ぶ大規模なアートワークは、地域住民とのこうした地道な交流に製作者が積極的に関わることで実現したことなのだと実感した。
しかしながら、そういったプロセスを経て開催されたプロジェクトは、会期後は一切の痕跡を残さずに綺麗サッパリ撤去され、元の風景に戻されてしまう。 そのことによって、記憶は鑑賞者の中に強烈に残される。
そして、規模の大きい「梱包」の現場を目撃すると、クリストの名前を思い出すことになる。

以下の写真は、長期修繕計画に伴う改修工事実施中の東京国際フォーラム。 ピロティ空間の列柱が、修繕のために養生シートで覆われている。
勿論これはクリストの仕事ではないし、あるいは氏が今までに実現してきた「梱包」作品とは比較にならぬほど小規模で、且つ部分的なものでしかない。 しかし、どことなくその作風を連想させる。 そして、そんな「梱包」の現場に出会うことで、これまた強引な連想であるが、氏の二十年前のプロジェクトを思い出すことになった次第。

  



2011.06.21:住宅メーカー私史20
−高校教師の家

通っていた高校の教師の自宅が結構近所にあることは、入学して間もなく知った。 国語を担当し、そして生活指導の任にも当たっていた。 家の前はよく通っていたので、建替え工事が始まった時も、すぐにそのことを知ったのは当然の成り行き。
しかし既存の家の取り壊しが完了し、新たな家の建設が始まるに至り、それがミサワホームであることを知ると、少々興味が沸いてきた。 既に住宅メーカーへの興味を殆ど失っていた時期ではあったけれども、やはり少し気に掛かる面はある。 工事の進捗状況を、現地の前を通るたびに確かめていた。 というよりも意識的に、前の道路を通るようにしていたかもしれぬ。

完成時点でオープンハウスが開催されることとなり、勿論見学に行った。 総二階建てで、外観の雰囲気はミサワホームAIII型にやや類似。
間取りは今でも概ね覚えている。 北側の道路に面して立面の中央に玄関を配置し、向って右側に和室、左側に水廻りをレイアウト。 南側は、リビングルームとダイニングキッチンがバッファーゾーンを介してコの字型に緩やかに繋がる。 一階部分は、そんな平面プラン。
このコの字の連なりというのが何とも心地よかったように記憶している。 リビングとダイニングキッチンは視線が錯綜しない程度に独立しつつ、しかし緩やかに繋がることで、それぞれの場所に居る者同士の気配は感じ取れる。 そんな微妙な構成が印象に残った。
別に、これが自分にとっての最も理想的なプラン形式だとは思っていないけれど、でも、こういった構成方法もアリかなという気持ちは、今でもある。

後日、その教師に「観に来たんだってな」と声を掛けられた。 素直に、コの字型LDKの印象を述べたところ、判った様な、よく判らないような、そんな表情を返してきた。
それから約四半世紀が経過する。 少し前に長岡市を訪ねた際に、久々に家の前を通ってみた。 竣工当初の状況が良く維持されている。 今でも大切に住み続けられている様だ。



2011.06.18:【書籍】頭のよい子の家にある「もの」

書名:
頭のよい子の家にある「もの」
著者:
四十万 靖
出版社:
講談社
出版日:
2011年3月30日

同じ筆者の著作に、「頭のよい子が育つ家」という書籍がある。 発刊当初からその存在は知っていたが、タイトルを聞いただけで「胡散臭い」という先入観を持ってしまった。 従って、未読である。
この著者は、「頭のよい子」という語句を冠した書籍を既に何冊も世に送り出している。 つまりは、商業的には成功しているということなのであろう。
ともあれ、「読まず嫌い」ではどうしようもない。 たまたま表題の書籍を読む機会を得たので、目を通してみる。

タイトル通り、一流大学に通う学生の幼少時代の思い出の「もの」について書き綴るという体裁で、多数の事例が載せられている。
しかし、先入観が邪魔をする。 あまり面白く読み進むことが出来ない。 それでも暫し目を通すうちに、あることに気付いた。
大事なのは「もの」それ自体ではない。 子育ての過程で、その「もの」を通じて親子がどんなコミュニケーションを繰り広げたのか、あるいは共有の体験を積み重ねたのか。 そこが重要なのだ。
実際、あとがきでもそのことに触れられている。 “「頭のよい子たちの『もの』との関わり」についてまとめた・・・”と。
ならば、タイトルもその様につけるべきだ。 でないと、勘違いする読者もいるだろう。 この本を読んで、そこで紹介されている「もの」が子供の頭をよくすると思い込んで、同じ品々を買い漁るために奔走する愚は避けねばならぬ。 重要なのは「関わり」であって、関わる対象としての「もの」自体に無条件に御利益が備わっている訳ではない。
それにしても、これは実に都合が良いというか便利なテーマだ。 学生達の証言を元に、「もの」と「頭のよい子」をつなぐ「関わり」のストーリーを組み立てさえすれば、森羅万象ありとあらゆる「もの」がネタとなり得る。 つまり、著者にその意思が有るか否かは別として、この書籍は売れる限りにおいては永遠に続編の製造が可能である。
視聴率がキープされ続ける限り、ありとあらゆる食材を健康に良い「もの」として紹介し尽くした「おもいッきりテレビ」の様に・・・。

ところで、「頭のよい子」とは何だろう。
「頭のよい子」と「良い子」が必ずしもイコールでないことには留意が必要であろう。



2011.06.16:住宅メーカー私史19
−ニューハウス

ハウスメーカーの住宅への関心が失望に変わる過程を、何度かに分けて書いた。 しかし住宅への興味が全く失せてしまった訳ではない。 小学校の高学年から中学時代にかけて、住宅にどっぷりとハマッていた身としては、そう易々と縁を切れるものではないといったところ。
そんな趣味としての住宅との微妙な関係にあった時期に、「ニューハウス」という住宅専門の月刊誌を購読していた。
今は休刊してしまっているが、創刊が1962年。 前身の冊子まで含めると1932年まで遡るという、老舗の住宅専門雑誌であった。

購読していた当時、同誌では「読者と考える住宅の間取り研究」という読者相手の間取りコンペを毎号で企画していた。
毎回、敷地形状と設計条件が提示され、それに従ってプランを考えて提出。 プロが審査して、その結果が二ヵ月後の紙面に掲載されるというもの。 それにいつも応募していた。
殆ど入選していたが、応募者数が毎回どの程度であったかによって、それが凄いことなのか否かが異なってこよう。 その辺が実際にどうであったのかは判らぬが、しかし入選したといってもいつも下位の賞に留まっていたから、やはり大したことではなかったのだろう。
しかし、下位の評価であっても入選者の名前と短い講評だけは掲載されることになっていて、それだけでも結構嬉しかった。 そのことがモチベーションとなって、ある期間毎回応募していたという次第。
エスキスや応募図面の作図は、放課後、学校の図書室でやっていた。 もう、四半世紀近く前のことになるが、その時のことを覚えている同級生もいるかもしれない。

ニューハウスには、ハウスメーカーの最新作も掲載されるし広告も載るから、一応は目を通すことになる。 しかし、質は高くても心を動かされるものは無かった。



2011.06.12:震災とマンション
※1

開催日:
2011年6月11日
場所:
明海大学浦安キャンパス
主催:
一般社団法人 日本マンション学会

シンポジウム「東日本大震災によるマンションの被害実態と対処方法」を聴きに行く※1
会場は、浦安市の明海大学。 浦安市内で震災に伴い広域にわたって発生した液状化の状況及び、仙台と浦安でのマンションの被災状況の報告が主だったプログラム。

最初は、浦安市長による報告。 その際、市内における液状化発生時の動画が流された。 ネット等に別途投稿された動画は見ていたが、改めてその凄まじさに驚く。
私が現在住んでいる場所も、埋立地。 地震時の液状化発生については認識していたつもりであるが、正直甘く見ていた。 幸い、被害は限定的なものに留まったが、しかし条件によっては、ここまで凄いことになってしまうのか。 埋立地に住むことのリスクを思い知らされる。

続いて、仙台におけるマンションの被災状況報告。
除却を余儀なくされる様な大破事例は数例に留まるという。 その僅かな事例は、いずれも新耐震基準施行以前のもの。 更に、1978年の宮城県沖地震でも被災していたものだという。
それ以外の多くの被害事例は非構造壁部分に限定され、主要構造体に破壊が生じたものは無かった様だ。 こうなると専門家の評価では、マンションは高い耐震性を有するということになる。 しかし、住んでいる人々はそうは考えない。 報告者の、「マンションは構造体か、それとも住まいか」という言葉が、耳に鋭く突き刺さった。
非構造壁のダメージ低減は、今後の課題であろう。

浦安市における状況。
建物本体の影響は少なく、非構造壁部分の破壊事例も限定的。 但し、液状化に伴う地盤沈下による外構廻りの被害とライフラインの分断が報告された。
地震保険は、建物本体が対象であり、敷地内の外構部分には適用されないという問題の提示。 あるいは、そもそも地震保険自体が戸建を想定した仕組みとなっており、集合住宅に固有の事情が必ずしも反映されていないことを知る。

被災状況の程度に拠らず、復旧・修繕には区分所有の足枷が付き纏う。
これは、阪神淡路大震災の時もクローズアップされた。 それから15年以上が経過して、関連する法令の改正は遅々として進んでいない。 結果、同じ問題が繰り返されることとなった。
この足枷の中で個々に対処するためには、強力なリーダーシップとコミュニティの存在が必要だ。 しかし、そういったものが無くても円滑に対処がなされるシステムが整備されないと、同じ状況は有事のたびに発生することとなる。

シンポジウム終了後、キャンパスから駅までの道すがら、液状化による建物被害が発生したエリアを観て廻る。
自力で建物の傾きを修復した戸建住宅や、除却され更地となってしまったアパート等、震災後の対処は何らかの形で少しずつ進展している様にも見える。 しかし、目視でも傾きが明瞭にわかる建物はまだ多く、そしてインフラの復旧も仮の状態。
復興には、数年のスパンを要するのかもしれない。



2011.06.11:【書籍】新建築2011年6月号

新建築誌の感想。
今回は、2011年6月号について、以下に。

特集:保育のための空間

この用途の施設に求められるものは何であろう。 大人が子供のためを思っていろいろと空間を構想したところで、彼らのイマジネーションは、そんなモノをいとも簡単に突破してしまうのではないか。 敢えて恣意的な設えを用意しなくても、子供は与えられた空間の中で大人の想定を軽々と超えた活用を展開するのではないか。 自分の幼稚園時代を振り返って、そんなことを想う。
私が通っていた幼稚園は、何の変哲も無い四角四面のRC造の建物であった。 しかし、例えばそれまでに体験したことの無い稀有壮大な屋内空間に思えた遊戯室。 あるいはその脇にある謎めいた倉庫への出入り口。 はたまた、同じ敷地内に建つ小学校の校舎へと繋がる渡り廊下の不可侵性等々・・・。 今思えば、なんと言うことも無い平凡なそれらの空間の中を、日々無邪気に冒険していた様に思う。

映画「イノセンス」の中に、以下のセリフがある。

「子供は常に人間という規範から外れてきた。
つまり、確立した自我を持ち自らの意思に従って行動する者を人間と呼ぶならばね。
では、人間の前段階としてカオスの中に生きる子供とは何者なのか。」

そんな「子供」のための場所を計画するにあたって、建築に出来ること、あるいはやらねばならぬことは何なのか。 そんなことを考えつつ、特集ページをめくる。

Ring Around a Tree ふじようちえん増築/
設計:手塚貴晴+手塚由比/手塚建築研究所

見開きで掲載された外観写真は迫力がある。 大人が構想するところの子供達が喜びそうな楽しげな空間が、ものの見事に実現されている。 極限まで薄く抑えられた幾層もの床面が軽やかに欅の木の廻りに浮遊するかの如き設えも、建築作品として魅力的だ。 遊具の様な建築。あるいは建築の様な遊具といったところになろうか。
しかし、子供のための施設という現実を鑑みた場合、少し不安にもなる。 それは安全性。 段差だらけで、壁面もガラス張り。 単純には、安全性のセオリーから大いに逸脱している。 とはいえ、壁面に用いたペアガラスは菱ワイヤ入りの様だし、床仕上げ材の選択などにも一定の配慮は見受けられる。
解説にも安全の捉え方について触れられている。 安全性を徹底的に追求することが必ずしも子供のためになるのではないという、施主も含めたギリギリの判断の中で施設が実現した様だ。
「カオスの中に生きる子供」は、大人が与える空間の意図など簡単に突破してしまう。 であるならば、保育のための空間における設計者の役割の多くは、恣意的な空間操作の妙味の追求では無い。 子供達にとっての安全の在りようをどう捉えるかということに対する認識を建物管理者と十分共有する設計プロセスの重視なのではないか。
至極当たり前のことの様ではあるが、しかし学校建築における事故発生事例の多くが、安全の有無そのものではなく、その捉え方に対する認識の共有と継続が欠如していたことに起因している様に思える。

キッズタウン東十条保育園/
設計:田口知子建築設計事務所

安全の在り方という点においては、この作品もポジティブな捉え方に基づき空間を形成している。 私は、これで良いと思う。というよりも、こうあるべきなのではないか。
JRの操作場に面するという立地条件に対応し、そちらに面するファサード全面にバルコニーを配置。 緩衝帯の機能を持たせるべくアルミ製可動ルーバーを設けている。 車両通行時に発生する鉄粉に起因するもらい錆対策は大丈夫かなどと余計な心配をしたりもする。

同志社国際学院
/設計:高松伸建築設計事務所

一瞬、今まで(あるいは、遠い過去)の氏の作風とはガラリと様相が変っていて驚く。 しかし、良く見るとやはり高松建築である。
顕著なのがエントランス廻り。 そこに明確に形成された斜め45度の軸性と、その軸線上に配置された階段による垂直性の交差。 更には、厳密ではないものの、その軸に沿った左右対称な空間の配置。 あるいは豪快に弧を描くキャノピー。
こういった力強い形態操作をやってのける建築家って、今の日本には少ないと思う。 あまりにも力強すぎて、例えば140ページ下段のエントランス廻りの外観写真などは、子供達の存在を遥かに凌ぐ圧倒的なスケール感をもって建築が鎮座するといった趣き。 まぁ、ここらへんも高松建築ならではといったところか。
「待つ建築」とタイトルが付けられた短い解説も、久々に氏らしい文章という印象。
但しその内容は、かつてくにびきメッセを発表する際に提示した概念と何ら変らないのではないか。 がんじがらめの設計与件の隙をついて、そこに作家性を徹底的に注入し、建物をアイデンティファイしようとする試み。 くにびきメッセの場合は、それが「交流ホール」という単純幾何学立体が浮遊する巨大吹抜け空間に結実した。 それがコンベンション施設に相応しい空間なのかというと微妙な気もするが・・・。
今回の作品の場合は、色彩やキャノピー等が、それに当たるのだそうだ。 しかしそれらについても、氏が言うところの「不可測性を回収する能力」を持ち得て教育施設としての空間に有効に作用しているのか否か。 それを紙面から読み解くことは、私には難し過ぎる様だ。



2011.06.06:俯瞰画像
※1

二棟並んで建つミサワホームSIII型の俯瞰画像。
実は、左隣にもかつてはSIII型が建っていた。
数年前に今の家に建替えられてしまったのだが、三棟並んでいた時は、結構壮観であった。

知人のブログに、映画版「もしドラ」の予告編映像の中に、ミサワホームGII型が写っていたという書き込みが有った。
早速、映画の公式サイトで確認すると、なるほど確かに写っている。 とはいえ、ほんの一瞬。 よくもまぁ気付いたものだと感心する。

以前もその知人から、同じく野球をテーマにしたTVドラマの中でミサワホームG型(GII型ではない)を見つけたと紹介して頂いたことがあった。
GII型とは異なりG型はヴィンテージモデル。 モデルハウス以外に実物を観たことは一度も無かった。 機会あらば是非と思いつつ、高額モデルゆえに実はモデルハウス以外に建築された事例が無いのではないかとすら思っていた。
そんな折に、この実在情報。 いてもたってもいられなくなった。 日本のどこに建っていようとも必ず場所を特定して絶対に観に行ってやると思い、ネットで調査。 結構簡単にロケ地を割り出すことが出来た。 さっそく出向くに至った顛末については、2008年6月14日の雑記にも書いた通り。

今回写っているGII型は、同社のO型ほどではないものの時折見かけることがある。 だから、G型の実在情報ほど興奮することでもないが、俯瞰アングルで眺める光景というのが新鮮であった。
なるほどこの様に見えるのか、と思いつつ、入り母屋と兜形式をミックスしたような屋根形状は、やはりイビツ。 しかし、知人がブログで述べる通り、一目でソレと判る個性が有る。

私も、俯瞰的なアングルで同社の同時期のモデルを幾つか観る機会を得ている。
例えば、左の写真※1ミサワホームSIII型。 二棟並んで建っているが、緩勾配の方形屋根の頂部に三角柱を横倒しにした様にソーラーシステムのユニットが載っている様子がよく判る。



2011.06.05:住宅メーカー私史18
−高校近傍のモデル
※1:写真1

長岡市内に新たにオープンしたミサワホームの「我が間ま住宅」のモデルハウス。
チラシには、「ファミリーステージとスカイテラスのある家」と銘打たれている。
6LDKの豪華な間取り。
「ファミリーステージ」とはリビングルームに連続した洋風の茶の間のこと。 また、「スカイテラス」は玄関ポーチ上部のバルコニーのことを指す。

※2:写真2

「二つのリビングがある家」の外観。
ミサワホームGII型やO型の49坪タイプもそうであるが、同社の当時の開口部デザインは、単純に3列並べると大概破綻する運命にある様だ。
このモデルの南面ファサードも例外ではない。
いびつさを何とか取り繕うと余計に手を加えて更にデザインを劣化させているという印象すらある。

※3
2011年5月21日と2011年4月9日の雑記参照。

1984年10月、長岡市内の幸町とは別の場所にミサワホームの新しいモデルハウスがオープンした旨を告知するチラシが、新聞に折り込まれてきた。 カラー刷りのもので、内外観写真や平面図等が掲載されていたが、それを見て大いに落胆した。
モデルの形態は「我が間ま住宅」と銘打っている。 つまり、自由設計の一事例としてのモデルハウス。 内装がお定まりの茶褐色とホワイトのツートンカラーなのは、まだ良い。 問題は、外観だ※1。 それまでの企画住宅群の開発で培ったディテールがそこかしこに用いられているが、無残の一言。 企画住宅では絶妙なデザイン構成要素となり得た各パーツが、使い方によってはこんなにグロテスクなものになってしまうのかと唖然とした。 プランも凡庸。
従って、モデルハウスの立地が通っていた高校の近所であったにも関わらず、在学中一度もそのモデルハウスを訪ねたことは無い。 行く気すら全く起きなかったのは、かつて頻繁に通いつめた幸町のOII型のモデルハウスのことを思い起こせば、雲泥の差、隔世の感。

しかし、グロテスクな事例はこれだけに留まらぬ。
写真2※2は、「二つのリビングがある家」と名づけられた同時期の建築事例。
好みの問題は勿論あろう。 しかし、ほんの数年前まで、同社から次々と発表される企画住宅シリーズの洗練されたデザインに酔いしれていた私には、どうにも耐え難く、そして哀しくなる意匠であった。
厚化粧の化け物。
それ以外の印象を持つことは出来なかった。
プランも、単にリビングが二つあるというだけで、M型2リビングの様な住文化を先導しようという強いメッセージ性を読み取ることは出来ない。 こんなモデルが、最新事例として同社の総合カタログや住宅専門誌に登場するのは、ちょっと理解できぬ出来事であった。

更に、かつて北海道マイホームセンターで現実性が希薄という印象を持った二つのモデルハウス※3が、同社の新しい商品体系であるセンチュリーシリーズの中に組み込まれ、広告等に登場した。
これにも違和感を覚えた。
実際に提案する商品として、非現実的なモデルハウス仕様のものをそのまま流用するというのは如何なものか。 たとえそれが、自由設計を基本とした商品体系の中の一事例という位置づけであったとしてもだ。

こういった動向を目の当たりにした辺りから、住宅メーカーへの興味の陰りは、一気に失意のレベルへと変わった様に思う。
勿論これは、ミサワホームの路線変更のみが原因ではない。 確かに主要因ではあったけれども、住宅産業そのものが、何か自分の嗜好とは別の方に向かう。 ちょうどそんな時期であったのかも知れぬ。



2011.06.02:住宅メーカー私史17 − 陰り
※1

ミサワホームAIII型のオープンハウスを告知した1984年頃の新聞折込みチラシ。
開催場所は、長岡市の高町団地。
「耐雪住宅発表会」という見出しに、地域性が表われている。

関連サイト:
ミサワホームAIII型


※2
ミサワホームChild外観

1984年5月5日発売。
安全面や情操教育や孤室化の防止等、住まいの中での子育てに関わる提案が多数盛り込まれたモデル。
そのデザインは、それまでのミサワホームの企画住宅シリーズのデザインとは大きく異なっている。

小学生のころから熱狂していたハウスメーカーへの興味が薄れ始めたのは、1984年頃からのことになる。
理由としては、前回書いた現実離れしたモデルハウスの乱立への疑問や、あるいは更にその前に書いた、インテリアに関するメーカー間の差異の希薄化などの影響がある。
しかし決定的であったのが、この1984年前後の辺りから、ミサワホームが発表する新商品に魅力を感じにくくなったことだ。
例えば、1983年発表のミサワホームAIII型※1SW型などは、確かに質は高いけれども、とりたてて印象に残るモデルではなかった。 それ以前の、M型2リビングSIII型などは、開発者側の明確な設計思想がものの見事に空間化されていた。 その思想と空間を読み解くことがとても面白かったし、あるいは両者の完全な一致に酔いしれもしていた。
それが、1984年以降の発表作にはどうも希薄になった。 確かに、それ以降も主張のこもったモデルは発表されている。 例えば、子育てをテーマの真正面に据えたミサワホームChild※2などは、いかにも同社らしいモデルだ。 しかし、このモデルに関しては、デザインがしっくりこない。 そこに、ミサワならではの斬新で独創的な意匠の妙を読み解くことは出来なかった。 当時流行りつつあった、いかにもありがちなデザイン。

更に追い討ちをかけたのが、「我が間ま住宅」である。
同社の自由設計住宅の呼称として、「わがまま」をもじったと思われるこんな名称が使われるようになった。 同じ時期に、かのミサワホームG型がラインアップから外れ、かわりに高級な自由設計住宅事例の総称に、このミサワホームG型という言葉が使われるようになった。
従来の企画住宅路線から、自由設計への軸足のシフト。
その際に発表された事例が魅力的ならば、何の問題も無い。 しかし、それまでの企画住宅商品群に見受けられた主義主張が見えて来ることの無いそれらのモデルに魅力を見い出すことは出来なかった。

路線変更は、市場ニーズを考えれば避けて通れないことであったのだろう。
それまでは、住宅メーカーが住宅の在り方や住まい方を先導する時代であった。 顧客は、メーカーが示した提案や主義主張の中から共感できるモデルを選択し、購入する。 そんな構図が、住宅産業という業態が国内に興って以降、住宅市場の一部において連綿と続き、そして進化し続けてきた。
しかし、市場が成熟するにつれ、立場は逆になる。 住まい方に対して主張を持ち始めた顧客のあらゆるニーズに応える技術の構築。 それが求められるようになる。
そんな中で、メーカーの個性は拡散する顧客ニーズの影に潜み、発表される建築事例から、それぞれのメーカーならではの主義主張は見えなくなる。
今現在、その流れは更に進んでいると考えてよいのだろう。 更に拡散し、そして個々に深化する顧客ニーズに対し、建築家やハウスメーカー、あるいはビルダーといった境界すら曖昧なものになってきているのが現況ではないか。



2011.05.29:【書籍】危ないデザイン

書名:
危ないデザイン
出版社:
日経BP社
出版日:
2011年2月28日

十数年前、「オフィス北極星」という漫画が週刊モーニング誌に連載されていた。
訴訟社会と化して久しいアメリカを舞台に、リスクヘッジのマネジメント会社を経営する日本人を主人公とした物語。 とあるエピソードの中で、ホテルのロビーの床が滑りやすい仕上げになっていて、もしもそこで来訪者が転倒したら訴訟沙汰になるという下りがあった。
これを目にした時は、「そんな無茶苦茶な・・・、全くアメリカという国は・・・」などと思ったものだ。

しかし、これは当時の私の認識不足。
日本でも床の防滑対策が一般化していて、滑り抵抗値という考え方が浸透。 公共性の高い空間における設計時の仕様選定としての常識だ。
とはいえ、湿潤時や床面の勾配によっては、リスクの発生は避けられない。 それに、抵抗値が高い素材は汚れが付着しやすく、頻繁な清掃が必要になるという傾向もある。 あるいは、敷地内外の床仕上げの滑り抵抗値があまりにも異なり過ぎると、それも転倒の原因になってしまう。 敷地外はコントロールが難しいため、なかなか悩ましい。
つまり、滑り抵抗値も万能ではない。

本書は、そんな床仕上げに起因するトラブル事例を含め、建築に関わる様々な危険について紹介している。
読んでいるとだんだん気が滅入ってくる。 果たして、どこまでが設計者や施工者、あるいは建物管理者の責任で、どこまでがユーザーの自己責任なのかとも思えてくる。
現実的には、ユーザー側の自己責任は不問に付される傾向にある。 そんな風潮が更に進めば、ユーザーは自らの判断で危険を回避することも無くなってしまうし、危険であるか否かの判断すら出来なくなってしまう。 そういった環境で育った人間が、新たなユーザーとなり、あるいは設計者になるという悪循環。 この連鎖を絶つためには、安全対策が如何に在るべきなのか。
そんなことを考えながら読む必要がある書籍だ。



2011.05.26:【書籍】新建築2011年5月号

新建築誌の感想。
今回は、2011年5月号について、以下に。

特集:東日本大震災──3.11から50日

今月号も東日本大震災に関する記事が多く、建築に携わる様々な識者がそれぞれの立場で寄稿している。
言説を通して、震災後の重い課題に如何に立ち向かっていくのかを考えることはとても大切だ。 しかし、被災地において早急に求められるのは、百の言葉よりも一の行動。
そんな意味において、特集の中で報告されている坂茂の取組みは素晴らしい。 国内外で華々しく活躍し、既に押しも押されぬリーディング・アーキテクトの一人である氏が、被災者支援、復興支援といった地道な活動にも積極的且つ継続的に取組む姿勢は、素直に尊敬できる。 いや、尊敬しているだけではいけないのだが・・・。

特集の中に、「建築設計にたずさわる若者へのメッセージ」と題して大御所五人による提言が載せられている。
萎縮するなという趣旨は、確かにその通り。 御本人達の立場としては、言わなくてはならぬことであろう。
であったとしても、やはり震災の影響は小さくは無さそうだ。
建築は、国勢(あるいはもっと卑近には、経済動向)と密接に関わらざるを得ない。 例えば、バブル崩壊前後で建築の潮流がガラリと変わったことについては、言を要しない。 では、果たして今回の震災によって、また変わるのか否か。 変わるとしたら、どのように変化するのか。
一応この業界の辺境にホンの少しだけ足を突っ込んでいる者として、気にはなる。

月評

内藤廣の月評の冒頭に記された内容と同じ想いを持つ人は、多いのではないか。 私もそうである。
メディアを介した映像とはいえ、自然の脅威をまざまざと見せつけられた後に、脳天気に他人様のデザインを好き勝手にどうのこうの言う気にもなれぬ。 というか、そういったデザイン一つひとつが、何かちっぽけで空しいものに思えてしまう。
一体、デザインとは何だろう。 最近のトレンドの一つは環境配慮だ。 「地球に優しいデザイン」などと、改めて勘違いも甚だしいし傲慢なことこの上ない。 しかもその手法は、場合によっては何かの事業を推進するためのクリシェと化している面もある。
震災発生直後に「天罰」発言で物議を醸した知事がいた。 ものには言い方というものがある。 しかし今まで当然としてきた価値観を反省してみることの必要性は、これも言を要しない。

同じ月評の中で、山梨和彦もビルディングデザインにおけるクライテリアを再考する必要性について言及している。 おそらく、様々な分野で同じような検証の実施が必要になってくるのであろう。
それにしても山梨和彦の文章は、震災に対する所見で占められ、殆ど月評の体裁を成していない。 本来ならば、前述の特集欄に載せるべき文章であろうとも思う。 前月号に掲載された作品の多くが身内の仕事なので、評しにくいという事情もあるのだろうか。

駅前広場 作品4題

脳天気に他人様のデザインを・・・ とは言いつつ、それでは本に目を通す意味が無いので、震災とは意識を切り離して紙上を改めて眺めてみる。
駅前広場の整備に係る作品が4題掲載されている。

JR博多シティ(設計 博多駅開発設計共同企業体)は、巨大で複合的な施設を、既存部分との取り合いも調整しながら収めるその手腕が凄いと思う。
しかし、誌面における解説の多くは、そういった様々な関係の調整に多くが割かれており、デザインについての言及は少ない。 唯一、竪マリオンの多用で和感を出したとあるが、あまり必然性のある形態操作とは思えない。
それはつまり、もしもこの作品が博多以外の中核都市に建っていたとしても、全然不思議ではないという印象に繋がる。 そもそも全国津々浦々に及んで既に十分に均質化が進み、地域性など過去の事象でしか無い昨今。 市域の中心にある建物だからといって、その地域らしいデザインなるものが介在する余地など無いということなのか。 あるいは、駅施設の設計においては、さまざまな与件の調整が主であり、デザインはオマケの要素でしかないのか。

そんなことを考えながらページを捲ると、川崎駅東口駅前広場(設計・監理 川崎市まちづくり局/日建設計シビルデザイン・アーキテクト/安田アトリエ)の巨大なガラスルーフの全景が見開きで目に飛び込んでくる。
何となく、高松伸のアンビルドプロジェクト「クリスタルモノリス」を想起させた。 もしもこのプロジェクトが実現したら、川崎駅前の大屋根を更に拡張したイメージになるのだろうか。
川崎駅といえば、駅構内コンコースの印象的な大階段を降りて、更に地下街へと至る明確な軸線があった。 それが、今回のルーフの設置で更に強化されたという印象。
そう捉えるならば、これは川崎駅という場所ならではのデザインということになる。

更に、熊本駅東口駅前広場 暫定形(設計 西沢立衛建築設計事務所)。
息の長い事業である。 完成までの経時に対するデザインの耐性に注目してみたいプロジェクトだ。
設計者の解説に、「熊本の強い日差し」に対応して不定形な屋根の連なりが導き出された旨が記されている。 であるならばこの作品も、作家性を保持しつつ地域性も考察したデザインプロセスを経ているということになろうか。

市域の拠点である駅前に求められるデザインに関し、今更ながら改めて「地域性」という視点で観てみるのも面白いかも知れぬ。
例えば、既存市街地の構造にしっかりと呼応しながらも、優れたデザインゆえに周囲の街並みから浮いてしまっている岩見沢駅。 渋谷のド真ん中に建っていたって全然違和感が無さそうな京都駅。 建築史的には価値があったとしても、何で皇居に対面する東京の玄関口(つまりは日本の玄関口)に西洋古典建築の猿真似?とう乱暴な意見も有り得る改修中の東京駅舎。 逆に、ローカル路線の無人駅等で、何の変哲も無い駅舎(というよりも、小屋)が、いい塩梅に地域に馴染んでいたりもする。

実践学園中学・高等学校 自由学習館
/設計 古谷誠章+NASCA

敷地与件から生じた不整形なボリュームの中に、必要な機能を確保可能な最適形状でレイアウトし、残余をサービス動線にあてがう手法は、新しいものではない。
しかし、その手法によって作り出された空間は、平面図からは読み解けぬほどに変化に富んでいる。 逆に、複雑に見える空間構成ながらも動線計画や室の連携はスムーズだ。
巧みな構成だと思う。

震災の話に戻ってしまうが、学校建築に求められる機能として、防災拠点としての役割は、今後一層重要になるのだろう。 そういった要求の中で、学校建築の形式がどのように変容していくのか、あるいは事例が出てくるのか、注目してみたいとも思う。
一方、超高齢化社会への不可逆な流れの中で、ストックを含めた学校建築の在り方も変っていく筈だ。
この建築用途の形式を巡るテーマは、尽きることが無い。



2011.05.23:国立国会図書館

国立国会図書館に行く。
入館すると、おびただしい量の蔵書検索端末がズラリと並んでいるのだが、その半数近くの電源が切られて使用中止になっている。 節電対策なのだろう。 それでも、端末を使うために並んで待つようなことは無かった。 今迄が余裕が有り過ぎたということか。

国会図書館の場合、端末で閲覧を申し込んでから実際にカウンターで目的の書籍を受け取るまで、20分程度を要する。 また、コピーも申請してから仕上がるまで15分程度を要する。 だから、閲覧したい資料が多い場合は、効率よく立ち回らないと待ち時間だけをいたずらに浪費することとなる。
対処方法は人それぞれであろう。 私は、借りられる最大冊数であるところの3冊を一度に申請するのではなく、小出しに行うことにしている。 つまり2冊頼んでおいて、時間差で更に1冊を申請する。 それを交互に繰り返すことで、待ち時間を有効に使うというやり方。
だから、端末を利用する機会が多くなる。 それでも、並んで待つことは無かった。

節電といえば、館内には空調が入っていなかった。 排煙窓を開けて外気を取り入れることで温度調整を行っているが、蒸し暑い。
しかも新館は首都高に面している。 だから、新館の閲覧室は場所によっては交通騒音が間断なく入ってきて、落ち着いて書籍に目を通すことが出来ない。 また、国会議事堂の隣という場所柄、様々な団体のシュプレヒコールが聞こえてきたりもする(これは窓を閉じていても同じ)。
空調に頼らない屋内温湿度環境を維持するには、なかなかに厳しい立地と言えそうだ。 但し、皇居の森から柔らかな風が流れてくる場所もある。
利用する側も、広い館内の各部位の特性を把握した上で立ち居振舞う必要がありそうだ。

ところで、建築探訪のページに「市川市の耐震補強マンション」を先週アップした。
今回、国会図書館で色々と調べる中で建物の正式名称が「ハザマ行徳社宅」だと判ったのでタイトルを改めた。 建築年も追求したかったが、判ったのは1973年から1975年の間に建設されたということまで。
調べ始めると、様々なことが気になって来るものである。



2011.05.21:住宅メーカー私史16
−NO,Thank You!
※1

ミサワホームの北海道限定モデル、「オーロラ」の外観。
後にこのモデルは「センチュリーM3 吹き抜けリビングとベイウィンドウのある家」と改称される。

幸町のO型NEWエクストラ仕様のモデルハウスは、程なくしてOIII型サンロフト仕様に改修された。 既存の基礎や一、二階部分は殆どそのままに、屋根形状だけサンロフト仕様に取り替えられて新たにオープン。
急勾配の寄棟屋根を載冠することで三階建てとほぼ同様のボリューム感を持つ建物が、半階分嵩上げされた基礎の上に建つ様は、当時の平準的な住宅のレベルを遥かに突き抜けていた。 内部も、オプション品や豪華な什器で埋め尽くされ、どこまでが正規の仕様なのか判断するのが難しい有様。
現実離れした世界が展開する状況に、だんだん違和感を覚えるようになった。

同様のことは、札幌の北海道マイホームセンター豊平会場を再訪した時にも感じた。
各モデルハウスは豪華合戦を露骨に展開。 これって、どうやって住むのよ?と言わずにはいられない非現実的なプランのモデルハウスが軒を連ねる。
ミサワホームについても例外ではない。 かのミサワホームG型が取り壊され、新たに「オーロラ※1」という北海道独自のモデルが建てられた。
それはもう、住宅というよりはショールーム。 広大なリビングを覆う巨大な吹き抜け。 実際には生活しづらそうな個室群の配置。 このまま建てて、普通の日常生活が送れる家族ってそうそういないだろうなと思うし、そもそもこの通りに建てたら一体幾らかかるのだろうと心配にもなる。

この「オーロラ」に限らず、そんなモデルで展示場は埋め尽くされていた。
家造りを夢見るためのテーマパーク。 これはおかしい。何かが違う。 住宅展示場の本来の役割は、こうでは無い筈だ。 そんなことを一旦意識し始めると、モデルハウス巡りが徐々に空しいものになってくる。
そして、中学を卒業する頃には住宅展示場を訪ねることは殆ど無くなってしまった。



2011.05.16:茶褐色について

住宅メーカー私史15の中で、茶褐色と白を基調としたインテリアのワンパターン化について述べた。
しかし私は、このカラースキームが嫌いではない。 むしろ、好きである。
自宅の中に入れている家具にしても、全てダークブラウンだ。 ソファ、書棚、テーブル、テレビボード、パソコンラック、洗面室に設置している幅150mmの隙間家具・・・。 別々に購入しているから微妙に色合いは異なるが、とにかくダークブラウン。
濃い色というのは、ホコリが目立ちやすくて掃除が大変なのだが、そういったことはこの際関係ない。 色の選択で、ダークブラウン以外の発想というのは無い。

服装にしても、似たような傾向。 例えば、濃紺のスーツとかは着用しないし、そもそも一着も持っていない。 基本は、やはり茶系。 そして場合によってはウォームグレイだ。
ところが、これが問題となる。 デパートの紳士服売り場とか紳士服のチェーン店とかに行ってみると良い。 置いてあるのは、濃紺か濃灰ばかりだ。 茶系のものは殆ど無い。 かくして、通勤時には電車の中も街中も、それらの色で埋め尽くされる。 これは、ニーズの問題か。それとも流通の問題なのか。 ともあれ、服を買おうと思う時、個人的にはいつも困っている。
別に、それが嫌いだとか、抗いたいとかいう訳でもないし、基本的には何事にもポリシーの無い無節操な性格ではある。 しかし何となく、好きな色は茶褐色ということで日々が推移している。



2011.05.14:住宅メーカー私史15
−すべてが同じ色に染まっていく
※1

1980年発売の、ミサワホームM型2リビングのファミリールーム。
床や開口廻りの額縁等の木部は、濃い茶系の色で統一されている。

※2

1981年に積水ハウスから発売されたフェトーのある家≠フリビングダイニングルーム。
※1の内装と似た雰囲気のカラースキーム。

長岡市幸町のミサワホームO型NEWのモデルハウスが、追加設定されたエクストラ仕様という最上級仕様に対応して建替えられた。 発売時期から察すると、1982年頃のことになる。
OII型からO型NEWへのモデルチェンジの際は、屋内の模様替えのみであった。 しかし、エクストラ仕様への対応の際には、基礎から全てやり直された。 建替え後のモデルハウスは、基礎の高さが1.2mくらいと通常よりも高くなり、まるで半地下の上に本体が建っているかのような印象。
なぜこの様なことをしたのかは定かではない。 冬期の積雪を考慮したものか、それとも隣接する両側の区画に建つ他社のモデルハウスとの差別化を図る意図があったのだろうか。 かさ上げされて屹立するモデルハウスは、なるほど堂々としていた。
このエクストラ仕様は、建具や造作、そして造り付け家具等の木部が全て濃い茶褐色でカラースキームが統一されていた。 それまでの仕様は、造り付け家具が茶褐色でも、他の造作等が木の本来の色を生かした明るい茶系であるなど、統一感に欠けていた。 それが、エクストラ仕様で一気にシックでエレガントな装いへと変身。 カラースキーム一つで、こんなにイメージが変わるものかと驚いた。
内部に置かれた什器の類も同様の色で統一されていて、エクストラ仕様の高級感を補完していた。

このエクストラ仕様に前後して、同社の他のモデルも同様のカラースキームが一般化した※1。 つまり、濃い茶褐色の木部にホワイトの壁と天井によるツートンカラー。 床もブラウン系のカーペットか、同様に濃い茶褐色のフローリングが敷き詰められた。 微差はあるものの、内観についてはどのモデルも似た印象。 そんな状況が展開するに至った。
そしてそれはミサワホームのみに留まらない。 以前書いた高町団地でのオープンハウスで、積水ハウスの「フェトーのある家」を観に行った時のこと。 そのカラースキームは、やはりダークブラウンとホワイトのツートンカラー。 ディテールに違いは有るけれど、何やら既視感に襲われる※2
気のせいだろうと、同時期に開催されていた別のメーカーの分譲住宅を観に行くが、そこでも似たような内装が施されていた。

色彩を統一することは、インテリアをソツ無くまとめる上では有効だ。 それにカラースキームにも流行り廃りがある。
しかし、猫も杓子も似たようなカラー選択がなされている状況は、素直に肯定は出来なかった。 どこか、メーカー間の差異、あるいは個性が希薄になっている。 そんな印象を持ち始めるようになった。



2011.05.08:テレビ/札幌/地下道

連休の北海道への帰省中、実家のテレビが壊れる。
一応映像は写るが、画面全体がボケ気味で、発色も悪い上に縁の方の画像が歪む。 地デジ対応は、親の意向でブルーレイディスクレコーダーの購入のみで対処し、テレビは壊れるまで今までのブラウン管のものを使うことにしていた。 しかし、そのテレビが限界に差し掛かり、買い替えを余儀なくされた。 「ちょうど良いタイミングだったかもね」ということで、地元の電気店や札幌市内の家電量販店を見て廻る。
いずれも、関東で騒いでいるところの節電など、どこ吹く風。 街も店内も燦然と照明で輝き、展示品は全てが電源を入れられてフル稼働。 電力会社が異なるのだから当然のことなのかも知れぬが、どこか別世界。
商品を見て廻っていて気づいたのだが、全体に薄型テレビの値崩れが起きているという印象。 型落ちかと思ったらそうでもない。 店員に聞くと、エコポイントと地デジの駆け込み需要を当て込んで増産したが、震災の影響で買い控えというか自粛が蔓延し、値崩れが起きているとのこと。 表面上は影響が無くても、市場には確実に影響が出ているということか。
ともあれ、一台購入と相成った。

それにしても、量販店を巡って移動する際に視覚に入る札幌市中心部の風景は、以前にも増してつまらなくなったという印象。
駅前通りの中央分離帯に茂っていたハルニレの並木も、その道路の直下に整備が進められた地下歩行空間の工事のために殆どを伐採。 地下に自然光を落とすためのトップライトが点在するだけの無味乾燥な光景に堕している。 調べると、並木の植樹は昭和48年とのことだから、そんなに歴史がある訳ではない。 それでも、札幌駅前の貴重な景観構成要素として定着していた。 地下歩行空間整備完了に伴って、今後地上部分がどのように整備されるのだろう。 つまらない街並みの中でも、その点には興味を持つ。
あるいは、その地下歩行空間。 整備によって、札幌駅からすすきのまでが地下で一直線に繋がった。 人の往来は途切れることが無く、有効に利用されているという意味では、公共工事としては妥当であったと言えるのであろう。 しかし、人の流れに大きな変化を与えたこの空間の完成が、市街地の様相に今後どのような影響を及ぼすのか、あるいは何も変わらないのか。 そういった点にも興味を持つ。

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