日本の佇まい
国内の様々な建築について徒然に記したサイトです
町並み紀行
建築探訪
建築の側面
建築外構造物
ニシン漁家建築
北の古民家
住宅メーカーの住宅
間取り逍遥
 
TOPに戻る
雑記帳
2008.07−2008.09
2008.09.27:HABITA_2
※1
公式サイト
MISAWA international

※2

モデルハウスのうちの一棟。
植栽計画も充実しているが、いきなりこんなに大きなケヤキを植えてしまって、十数年後どうなってしまうのだろうとも思う。

※3
新建材についても経年変化が有る。というよりも、新建材の場合の変化は劣化とほぼ同義だ。
天然素材の場合は、住まい方や維持管理の内容によっては経年優化も有り得る。

※4
当サイトの「住宅メーカーの住宅」のミサワホームの項参照。

9月9日の日経新聞の別刷り広告特集というかたちで、ミサワインターナショナル※1が6ページもの広告を出している。 同社が手掛けるHABITAブランドを大々的に紹介したものだ。 そこには「200年住宅」という文字が何度も登場する。
それもその筈。 HABITAは、今年の4月11日から5月12日にかけて国土交通省が公募した「超長期住宅先導的モデル事業」の当選ブランドである。 応募総数603件の中から採択されたのは40件。 その中に入ったのだから、なかなかのことなのであろう。

広告では、千葉県内の住宅地に4棟のモデルハウス※2を公開する旨の告知がなされている。 そのうちの3棟は同社のサイトでも紹介されているが、間取りは田の字を基本とした極めてシンプルなもの。 そして、無垢材や左官を基調とした内外装は、好みが分かれるところ。 また、これらが醸し出す経年変化についても、新建材が当たり前となってしまっている現況においては、十分な説明を要するのではないか※3

告知されていたイベント期間を避け、別の日に現地に赴いた。
何といっても、デザインと技術と経営のいずれに対しても強いリーダーシップを発揮して育て上げてきたミサワホームを、諸般の事情で退任せざるを得なかった創業者が、新たに立ち上げた住宅事業である。 しかも、そこで手掛ける住宅は、かつての手法と徹底的に異なっている。 地産地消、軸組工法、真壁構造、原価の公表、無垢材の使用等々。 一方で、派手なマスコミ戦略は以前と変わらないという印象。 いずれにせよ、70年代の同社に関心を持っていた者としては、やはり興味が沸かない筈が無い。
現地に建つ4棟のモデルハウスはいずれも、古民家を現代的にセンス良く再構成したというイメージが共通する。 かつて、ミサワホームが70年代に発表していたGOMASシリーズと呼ばれる商品群※4も、古民家的なテイストが付与されていた。 何となく、往時を髣髴とさせる外観デザインには好感を持てた。
建物に近づいて詳細を確認すると、「超長期住宅先導的モデル事業」の提案に盛り込まれていた「壁体内通気層」のディテールが確認できない。 どうやら、その辺りは今後の展開と言うことになるのであろう。
会社自体は、目下のところ地域工務店との業務提携による供給体制網の拡大を積極的に推進しているようだ。 その急激な体制拡大に対して実績がどの程度伴うのかは、今しばらく様子を見る必要がある様にも思う。

200年住宅に関しては、ハウジング・トリビューン誌の通巻352号に特集が組まれ、その中に村松秀一氏のインタビュー記事が載っている。 そこには、『「200年もつ住宅」ではなく「200年持たせるべき住宅」を』とある。
的確な提言だ。
耐久性や更新性といったハード面の整備やストック重視の社会環境構築といったことは、住宅の超寿命化に関する話題の中でよく語られる事項だ。 しかし、それらのこと以上に重要なのが、この概念であろう。
住む人や、あるいはその建物に関わる人に、この家を永く持たせようとする意志を持たせる住宅であること。 それがあって初めて、ハードや社会制度の整備が活きてくるのであろう。 その逆、つまり後者によって前者の意識が醸成することは過大には期待できない。 もっと言ってしまえば、後者が脆弱でも前者がしっかり持てれば、超寿命化は可能ではないか。
「200年住宅」、ないしは以前の「センチュリーハウジング」とう言葉や、それに伴う動向に違和感を覚えるのは、この辺りにあるのかもしれない。 つまり、現況は後者のことを一生懸命制度化しているのである。 あるいは、それが制度という枠組みの限界なのかもしれない。



2008.09.20:M1
※1


※1
関連サイト

セキスイハイムM1 Archives


※3
DOCOMOMO(ドコモモ)。
近代建築に関する調査や保存を行う団体。1988年に設立。

左の写真※1
小さい画像で恐縮ではあるが、しかし、等間隔に繋ぎ目が見えるフラットルーフの箱型の住宅が密集して建っていることには気づいて頂けよう。 これらは全て、1970年に積水化学工業から発表された「セキスイハイムM1(以下、M1)※2」と呼ばれるユニット工法の工業化住宅である。
なんだ、ハウスメーカーの住宅か、などと言うなかれ。 DOCOMOMO JAPAN※3による「日本のモダニズム建築100選」にも選定された、由緒正しき「建築」である。

ユニット工法とは、内外装や設備の殆どをユニット単位で工場で造り込み、それを現場に運んで組み合わせて家にしてしまうというモノ。 工場施工率を極限まで高めることで品質の安定を図り、且つ工期短縮も実現出来ることがメリットとされている。
実際には、僅かといえども現場施工が発生するから、そこでトラブルが起きれば元も子もないのが現実ではあるが・・・。 更にユニットという枠組みがもたらす制約について、当サイトのミサワホーム55のページでも少々触れている。

M1については、国内で商品化されたユニット工法住宅の草分けということ以外、個人的にはさほど関心は持っていない。 しかし、それが群体として密集している光景に出会い、少々感動した。
場所は、東京都下という程度に言及を留めておこう。

これらは恐らくは、積水化学工業によって開発・分譲された宅地なのであろう。 M1を中心に、後継のM2やM3と呼称されていたモデルと思われる住宅も見受けられる。 全く異なるメーカーの真新しい住宅も散見されるが、これは建て替えられたものであり、もともとはやはり草創期のハイムが建っていたのではないかと思う。
また、現存するM1の中にも改変著しいものが見受けられる。 ユニットに木造を増築したものや、防水対策のために従来の屋根の上に更に置き屋根を載せたもの等々。
なにせ、発売されてから既に四十年近くが経過しようとしている。 国内の住宅事情からすれば、建て替えや大規模修繕が行われてもおかしくない時期に差し掛かっているということであろう。
群体の中での個々の経年変化を比較してみるのも、なかなか面白そうだ。



2008.09.13:【書籍】新建築9月号
※1
反住器外観

竣工は、1972年。
釧路の市街地近傍に建つ。
奇抜であろうとする設計者の恣意性が少々鼻につかぬ訳でもない。しかし、私が訪ねた時点では外装のメンテナンスが行き届いており、大切に住まわれているという印象であった。

※2
詳細は、「住宅メーカーの住宅」の中の「ミサワホーム55」のページ参照。

※3
LCC
Life Cycle Costの略。
建物の設計,建設,維持管理,解体までの一連の経過の中で発生する総額費用のこと。

7月19日の雑記にも書いたが、この専門月刊誌で私が最初に読むのは「月評」だ。
原広司の月評が判読不能などと書いたが、今月号は面白い。
まずは、冒頭の<慣れた近傍>というコトバが琴線に触れる。 そして、おおよそ前号の作品の論評とは程遠い話が、限られた字数の中で次々と展開する。 文章としては興味深いけれども、やっぱりこれって月評とは言わないだろう・・・と思いかけた終盤部分になってようやく、前号の特集であった集合住宅のことにさらりと触れる。 しかも、それまでの一見関係なさそうな内容が一応は伏線になっているということで、月評としての体裁もかろうじて保たれているという次第。 そして最後は再び<慣れた近傍>の問題に戻って締めくくられる構成は、見事。
前号以前に頻繁に登場した、「ポアンカレ円板」だの「ユークリッド幾何」などといった数学を過度に展開されると私はお手上げなのだけれども、9月号のような文章であれば無理なく腑に落ちる。

作品の中では、入江正之+早稲田大学入江正之研究室の「実験装置+massia2008」が目に付く。
有体に言うならば、廃屋然とした歴史的建造物のリノベーション。 この手の仕事に携わるのって、とっても悩ましいのではないかと思う。 なぜなら、廃屋はそれだけで十分に美しいから。 何も手を加える必要はないし、手を加えようにも、長い時間の作用の中で変様し醸成されてきた美しいテクスチュアに、設計施工という一時の行為が対抗し得る筈も無い。 何もせずに崩壊過程を見守るのが一番だね、といった後向きな感想しか持つことが出来ないのだ。

藤本壮介の「house N」。
設計の基本骨格となっている、三重の入れ子構造からは、同じ個人住宅である毛綱毅曠(もづな きこう)の「反住器※1」を連想する。 勿論それは、二人とも北海道生まれだからということで強引に関連性を持たせようという訳ではない。 後者が道北の厳しい気候風土に対する強固なシェルターとして三重の入れ子を構想したのに対し、前者は都市と緩やかに繋がるための環境装置だ。 意図するところは全く異なる。
真っ白な四角い箱に四角い開口をランダムに穿いた構成はいかにも今風。しかし、そこに絡む植栽が心地よい空間を醸し出している。 まぁ、黒川紀章が言うところの「中間領域」ということになるだろうから、目新しい概念と言う訳ではないが。
1頁丸々使って矩計図も載せられている。 新建築誌における矩計図の読み方は、その空間の妙味を堪能することが第一義にあろう。 しかし私の場合、どうしても断熱とか防水といった面の脆弱なディテールが気になってしまう。 そしてそれが作品への関心を半減させてしまうのだ。

でも、続けて掲載されている同一作者による「final wooden house」は、そんなテクニカルな視点を一気に無化する力強さがある。
木材の万能性に着目した作品。 その着眼を鮮烈に建築化したという点で、なるほどこれはfinalな木構造かもしれない。
かつてミサワホームでは、建築に求められる全ての性能を一つの素材でまかなう「多機能素材」としてコンクリート系の建材を開発した※2。 といっても、全ての機能を満たすには至らなかった訳だけれども、その技術は今日にも活かされ、ハイブリッド外装材の一部として自社商品に取り入れられている。
しかし、なんと言うことは無い。 もっと身近なところに、「木」という多機能素材が有ったのだ。

三分一博の「WoodEgg お好み焼館」は、環境負荷低減に取り組んだ作品として、今月の誌上の中では異彩を放っている。
しかし、環境配慮型の建築というのは、線引きの判断が難しい。 結局のところ若干の寡多はあれども、建築行為は環境破壊行為以外の何物でもないのだから。
この作品にしてみても、暖冷房負荷削減を目的とした重力換気実現のために生じた29mという建物高さが周辺環境に及ぼす影響や、そのために使用量が増大したであろう鉄骨のLCC※3は・・・などと考え出すと堂々巡りに陥る。
そのためか、掲載されている解説も、環境配慮の工夫をしましたというレベルに留まっている。 工夫の結果としてどの程度の環境効率を実現しているのかといった点まで踏み込んではいない。 そこまでの言及は新建築誌の編集方針にはそぐわず、技術に重きを置いた他の専門誌でやってくれということなのか。



2008.09.06:【書籍】冷蔵庫で食品を腐らす日本人

書名
冷蔵庫で食品を腐らす日本人
著者
魚柄仁之助
発行
2007年8月30日

続編的な書籍として、「冷蔵庫で食品を腐らせない日本人」も発表されている。

何とも耳の痛いタイトルである。
そういえば、私の家の冷蔵庫の中にも、一体いつのモノかも定かではない調味料が眠っていそうだ。 今度、勇気を出して整理整頓をしてみなくては・・・。

本文の中で興味深いのが、冷蔵庫の大型化に伴い死蔵される冷蔵品も増えているということ。
これは、住宅の中における収納スペースにもあてはまる。 昨今の価値観では、収納量が多いほど住み良い間取り、好ましいプランニングという奇妙な評価指標がまかり通っている。 マンション業者やハウスメーカーの広告を見ても、やれ全室ウォークインクロゼット付きだの、玄関脇にシューズインクローク完備だの、果ては容積率に参入されない天井高を抑えた巨大収納スペースを配置だの、とにかく収納量の豊富さが売りの最前線として例外なく喧伝される。 しかし、その恩恵として部屋の中が常にスッキリと片付いているかというと、否。
収納スペースが増えた分、持物も増え、巨大な収納庫の奥には何年間も使用したことが無いモノ(=ゴミ)が蓄積される。 ゴミ置場の確保のために建築コストをかけ居室スペースを削る奇々怪々。
収納を増やしても部屋の中が片付かないのと、道路を広げても渋滞が減らないのは同じことと、建築家宮脇壇も様々な自著の中で述べている。
自省も込めて、まさにその通り。

話がそれた。
本書籍の中で、タイトルに直接関わる内容の記述は実をいうと少ない。 殆どは、数十年あまりの間に生じた日本人の食生活の変貌振りについて語られている。 いずれもすんなりと腑に落ちるし、博多弁と思しき言い回しを織り交ぜた文体も、なかなか良い。 そして様々な視点から語られる変貌と、冷蔵庫の中の死蔵品の増加は表裏一体なのであろう。

この書籍で一番印象に残ったのは、あとがきだ。 食の幸せって一体何だろうとシミジミ考えさせられる。
いや、考えさせられつつも、ポテトチップスをツマミにキンキンに冷えたビールを呷る休日の昼下がりが無上の至福であったりするのだが・・・。



2008.08.30:三角屋根_3
※1
三角屋根外観

本文の方で差し替えたのとは別のテイク。
以前の夏バージョンとほぼ同じ、真正面のアングル。

住宅メーカーの住宅のページに登録している北海道住宅供給公社の通称「三角屋根」について、外観写真2枚を差し替えた。 以前は真夏に撮った写真を掲載していたが、冬の画像にした。 植栽の緑に映える三角屋根も魅力的ではあるが、北の気候を配慮して創り出された住宅モデルであるから、雪景色こそがしっくりくると思う。

差し替えた写真は、以前のものと同様、私の実家から数十分歩いたところに建っている空き家。 今年の年始の帰省の際に撮った。 家を出る時は青空が広がる穏やかな天候であったのに、現地に到着して写真を撮り始めた頃には薄雲が広がりつつあったことが、差し替えた画像からも判別可能であろう。 更に、写真を撮っている間に雲はみるみると厚みを増して空一面を覆い尽くし、程なく雪が降り始めた。 そんな急激な天候の変わり目の狭間に撮った写真である。

周辺には同型の三角屋根が数多く建てられている。 降りしきる雪の中で暫し三角屋根の群景を眺めていたのだけれども、その中の一軒の屋根に積もった雪が、ある瞬間一気に地面に向かって滑り落ちた。 そして同じように、隣接するほかの三角屋根からも次々と雪が滑り落ちる光景が確認できた。 自然落雪を目的とした急勾配屋根の面目躍如といったところ。

「住まいの履歴」のページで紹介している「五番目の家」は、この三角屋根の家とは異なるが、同様に急勾配屋根の家であった。 私はその屋根の真下の部屋を個室として使用していたのだけれども、屋根に積もった雪が滑り落ちる際、その音が室内に轟いた。 建て替えられてしまった今となっては懐かしい音だ。 聴覚によって残された空間の記憶である。



2008.08.23:【書籍】磯崎新の「都庁」_2
※1
記事の部分のみスクラップ保管しているのだけれども、どの新聞社の記事なのかは判らない。
日付についても、記録していなかったために判らない。従って、記事の内容からの推定である。
見出しには、『賛成 反対 攻防は最大のヤマ場に』とあり、都庁移転に関する定例都議会の動向を伝えている。

この書籍については8月1日の雑記の場で少し触れた。 とはいっても、改めて読み返すと、図書館で借りる迄の顛末しか書いていないことに気づく。 これではチョット間抜けだろうということで、改めて少し書いてみたいと思う。

東京都庁舎が有楽町から新宿副都心に移転するという記事を目にしたのは、1984年9月21日の新聞の記事※1が最初であった。 載せられていた移転後のイメージ模型写真は、道路で分割された三敷地のうちの二区画に超高層のボリュームが一本ずつ配棟されたものであった。
その画像の刷り込みがあったという訳でもないのだろうけれども、新宿副都心というロケーションから当然のことながら超高層ビルディングタイプの庁舎が建つのだろうと思っていた。
程なくして指名設計コンペが実施され、提出案が建築関連の専門誌に一斉に掲載された。
私も、新建築の1985年5月号の特集記事で、その概要を読んだ。 当然のことながら、提出案の殆どは超高層ビル型であったが、その中で一点、中層案があった。 中層といっても高さは100m近くあるが、新宿副都心の中にあっては中層ということになろう。
初めてこの提出案の外観写真を目にした時の印象は、「何で、超高層じゃないの?」といったものだったように記憶している。 と同時に、その脇に掲載されていた設計骨子の短文を読み、超高層としない理由について妙に納得させられもした。

その後、「建築文化」誌の1985年6月号で大々的にこの中層案の特集が組まれる。 題して、「特別記事=違反の意味 東京都新都庁社コンペ「磯崎アトリエ案」の記録」
これを読んで、相当ショックを受けた。 とんでもない傑作が提出され、そして落選してしまった、と思った。

本書籍、「磯崎新の「都庁」」は、そのタイトル通り、この中層案の設計プロセスについて子細にまとめられている。
磯崎新アトリエの設計プロセスについては、例えばJA誌の「磯崎新 CONSTRUCTION SITE」に恐ろしいほどの密度で載せられているが、人間模様の描写に重きをおいた内容というのは、今まで無かったのではないだろうか。 その意味で、とても興味深い書籍である。
更には、実施案に選出され現都庁舎としてその威容を実現した丹下健三事務所の当時の動向や、磯崎と丹下の関わりも並記することで、臨場感が高まっている。
少々気になるのが、時系列がやや錯綜し過ぎかなといったところ。 コンペの実施過程が書き綴られる中で、一つのエピソードから過去へ現在へとポンポン話が飛ぶ。 恐らく、長大な取材や調査の中で知り得た情報を一つの物語としてまとめる中で、相当の推敲が繰り返された結果がこの構成なのだろう。
それだけの濃い内容でありながら、文体は極めて平易で親しみやすい。 好みに拠るだろうが、錯綜する時間軸のあわいにたゆたうのも、この書籍の愉しみ方かもしれない。



2008.08.18:domainの風景
※1

実家の近所にオープンしたパスタ専門店。 普通の戸建住宅の一部を改装し、玄関廻りに少々店舗らしいしつらえ。 美味しくて安いと、評判が良い。

8月9日から17日まで、北海道の実家に帰省。
実家は、昭和四十年代に造成された大規模な住宅地の一角にあり、周辺を森林で囲まれた結構恵まれた環境。 団地内にも保存緑地や広大な公園、散策路が整備され、散歩ルートには事欠かない。 そんな住宅地内を歩いていると、小さな店を構える家が目に付くようになってきた。
例えばパスタ屋、定食屋、洋菓子店、喫茶店、パン屋等々、殆どが食事の店だ。 表札の下に小さく店名を表示しただけの控えめなものから、店舗として結構それらしく造り込んだものまで、そのしつらえは様々。 また、予約が入った時のみ営業するところから、定休日を決めて定常的に営業する店まで、その業態も色々だ。 しかし、極々普通の戸建住宅地の一角に、住むことのみが目的であった住居の一部を使って店を構えているのは共通だ※1

そんな光景を目の当たりにして、ふと思い浮かぶのが、1984年にミサワホームから発表されたdomain(ドメイン)という商品。
在宅勤務や起業を想定し、それに対応した住居形式を提案したモデル。 一階の殆どをフリースペースとし、二階と三階に住居スペースをレイアウト。 発売時のキャッチコピーが「一家両得」。その後「一居六得」に改められた。
当時の広告には、熟年夫婦がdomainの一階部分に開設した喫茶店に人々が集って和やかに談笑しているイメージフォトが載せられている。 これを観た時は、絵空事のような印象を持った。
しかし、そこまで派手では無いにせよ、それに似た状況が、団地内のところどころで現実の光景となりつつある。

時代がようやくdomainに追いついてきたのかもしれない。
改めて当時のミサワホームの新進性に驚かされるが、少々事情が異なる点もある。
例えば、domainのようにわざわざフリースペースを想定していない住宅でも、融通無碍に店舗スペースを作り出すことが可能なこと。 そしてそれを可能にしたのが、新築当初は一緒に暮らしていた子供が独立し、空き部屋が増えたという事情もあるのだろうということ。 更には、恐らくは居住者が定年を迎え、家のローンも払い終え、悠々自適の中で半ば趣味と実益を兼ねて店を始めたといった背景があるのではないかということ。
そう、団地内の土地を購入した当時働き盛りであった人達が、大量に定年を迎える時期に差し掛かっている。 そんなタイミングの中で、domainの広告の光景が、そこかしこに顕れ始めてきているのかもしれない。

かつてニュータウンと呼ばれていた大規模造成団地が、シルバータウンとかオールドタウンなどと呼ばれつつある昨今であるが、そんな中においても、小さいながらも新たなる活気が醸成されつつあるようだ。



2008.08.09:北の古民家について
※1
「読者と考える住宅の間取り研究」というコーナーが設けられていた。

※2
書名
札幌の建物
<さっぽろ文庫 23>
著者
札幌市教育委員会
発行
1982年12月

「北の古民家」というページを新たに設けた。
ニシン番屋以外にも、北海道には興味深い古民家が散見される。 それらについても書き連ねてみようということである。
ホームページのタイトルが「日本の佇まい」であるにも関わらず、今まで細々と掲載してきた内容が北海道に偏在していることは認めざるを得ない。 今回のコンテンツ追加は、その傾向を更に強めることになろう。

話は変わるが、ハウスメーカーの住宅に対する興味を失った80年代半ばから暫くの間、広義の意味での建築に対する私の興味はゼロに近い状態であった。 昨年休刊になったニューハウス誌で当時企画していた、読者相手の間取りコンペ※1に応募するといったことは断続的に行っていたが、それ以前に持ち得ていた熱意は著しく減退していた。
そんな状況を変えるきっかけとなったのが、親から手渡された一冊の本である。 「札幌の建物」というタイトルのその書籍※2は、札幌市内に点在する明治から昭和初期にかけての古民家について記されていた。 これがちょっとした邂逅であったように思う。
その時住んでいた「5番目の家」のそばに建つ古民家も紹介されていたので見に行ったら、既に除却されていた。 建築に永続性が保障されない事実を初めて実感し、かなりショックであったことを記憶している。 と同時に、まだ間に合うかも知れないと思い立ち、市内中心部に散在する古民家を見て廻るきっかけとなる出来事でもあった。
そんなことがあって、北海道の古民家に対する愛着が生じたし、その後のニシン番屋への興味にも繋がった。

以降、二十年以上が経過した。
札幌市内中心部に限って言えば、それらの古民家は都市の更新の渦中でほぼ一掃されようとしている。 そんな現実を想うと、まだそれらが現役で散在する風景が残っていた最後の時期に札幌に住むことが出来たのは、個人的には僥倖であったと言えそうだ。
これから掲載を予定している事例は、多くが既に除却されてしまったものである。 だから、個人的には哀悼の意味を込めたコンテンツということになる。



2008.08.07:18年ぶりの夏_2

二日目の夕刻、S氏に車で長岡市役所庁舎前まで送ってもらう。 そしてそこで、色々とお世話になったことに深く感謝しつつ、別れた。 なぜ駅前ではなく庁舎前なのかというと、そこが正三尺玉打ち上げ場所の至近なのだ。
何せ、一日目の花火大会終了後は、帰途につく観覧客が殺到し、長岡駅構内でホームへの入場制限が敷かれるほどの大混雑に見舞われたらしい。 帰りの新幹線の指定席は確保していたけれど、混雑に巻き込まれて乗りそびれることが無いよう、一人で気ままに観ることにしたという次第。

小一時間ほど、市庁舎脇の通りに腰を下ろし、花火を堪能。 この時、別れ際にS氏が手渡してくれた折りたたみ式のクッションが大いに役立つ。 全く、どこまでも気が利く人である。
で、一回目の正三尺玉を真正面に見届けたあと、長岡駅に向かってゆっくりと歩き出す。 歩きながら残りの花火を堪能しつつ、確実に帰りの新幹線に乗り込もうと言う算段。
なるべく人混みを避けるため、主要道路から外れた小路をコースに選ぶ。 家々の間に見え隠れする花火もまたなかなかの風情。 怒涛のごとく打ち上げられる花火の素晴らしさに度々足が止まる。
どうやら、花火の鑑賞場所は、何も信濃川の土手沿いだけには限らないようだ。 会場の至近にありながら、喧噪とは無縁の落ち着いた観賞ポイントが、主要道路から一,二本奥まった小路のそこかしこにある。
そんな小路の一角で、路上に出した椅子に姿勢良く座り、独り静かに花火を見上げている高齢の女性の方がいらっしゃった。 どんな想いで観ているのだろう。 なんだかとても絵になる光景であった。
そして、ようやく市内中心部にさしかかった辺りで、派手な花火が打ち上がり始めた。 空一面を様々な色に染め上げる、「天地人」と名付けられたその花火、凄すぎる。 思わず心が震えた。目頭が熱くなった。来て本当に良かったと思った。
その後、二回目の正三尺玉やフェニックス花火を堪能しつつ、長岡駅に到着。 新幹線に乗り込んだ。

車内で二日間の出来事を思い起こす。
それぞれにがんばっている同級生達と自分とを比較して少々内罰的な感傷に陥りつつ、一方で、存分に堪能出来た花火大会の余韻にどっぷりと浸りつつ、そしてそんな機会を与えてくれたS氏に深く深く感謝しつつ、18年ぶりの夏の夜は、時速200km超のスピードと共に更けていった。



2008.08.05:18年ぶりの夏

今年も、全国各地で花火大会が開催される時期になってきた。 この季節になるといつも長岡市のことが頭をよぎる。
長岡市では、8月の1日から3日までの間、長岡まつりが行われ、その中で2日と3日の夜には「長岡大花火大会」が開催されるのだ。 信濃川中流域の広大な河川敷という絶好のロケーションにて打ち上げられる花火は豪快そのもの。 場所的な制約がないために、「正三尺玉」を筆頭に巨大な花火が惜しげもなく次々と打ち上げられる。 幼少の頃から高校卒業まで長岡に住んでいた者としては、その素晴らしさを忘れることなど出来る筈もない。

この地を離れてからは、一度だけ長岡花火を観に行ったことがある。 1990年の夏、一ヶ月ほどかけて国内を貧乏旅行している折りに寄ったのだ。 一日目は信濃川の土手で、二日目は、打ち上げ場所から東方に5km程離れた丘陵地帯に造成された新興住宅団地にて、市街地の夜景を愉しみつつ花火を堪能した。
以降、気になりつつも、宿泊場所が確保できなかったり仕事が忙しかったりで、機会を逃していた。

今年は、久々に土日の休日開催となるため、見に行こうかどうしようか考えているところであった。 ところが、御存知の方も多いだろうが、「長岡大花火大会」は、国内の花火大会としては有数のもの。 休日開催ともなれば、観光客の数も半端ではなく、宿泊場所の確保は至難のワザ。 半ば訪岡は諦めていた。
しかしそんな折、高校時代の同級生S氏から、泊めてやるから見に来ないかというお誘いのメールが入った。 こんなにありがたく、そして嬉しいことは無い。 この際、その御好意に大いに甘えさせていただくことにした。

8月2日早朝、JR東日本のフリー切符「土日切符」にて新幹線で新潟県入り。 新潟市内を少々散策した後、長岡市に移動。 長岡を離れてから何度かこの地を訪ねているが、いずれも秋か春。 盛夏の長岡は18年ぶりということになる。
S氏、そして同じく一年の時の同級生Y氏と3年ぶりに再会。 3人で、数年前に他界してしまった、これもまた一年生の時の同級生M氏の実家に赴き、お参りをする。 遺影には、高校の頃とあまり変わらないという印象のM氏の姿。 同級生が既に鬼籍に入っているというのが何だかとても複雑な気分。

その後、S氏宅で日も高いうちからお酒を飲み出す。 S氏曰く、「この日のためにとっておいた」というウィスキーは、みるみる無くなってゆく。
夕刻になり、打ち上げ場所の近傍へ移動。 その途中に、同級生N氏が経営する宝石眼鏡店が改装のために暫し閉店するとのことなので、誘われるがままに訪ねる。 店内で色々話しこんでいるうちに、花火大会の時刻になってしまった。 屋上で観ることを勧められ、3階建て店舗併用住宅の屋上に上がらせてもらう。 なんと、打上げ場所の至近距離。しかも真正面という絶好のロケーション。 思いがけず、最高に恵まれた場所で18年ぶりの花火を堪能することとなった。

「正三尺玉」は、その炸裂音の波動を全身で体感。 新潟県中越大震災復興祈願花火「フェニックス」は、観光写真等で紹介されるアングルそのままの状況を存分に堪能することが出来た。 とにかく素晴らしいの一言。
いや、実際に震災で苦労した人々にしてみれば、本当に感慨ひとしおの花火なのだろう。 そう、もともと長岡の花火大会は戦災復興祈念が発端であり、それに震災復興祈念が加わった。 そんな背景への理解や認識無しに長岡花火は有り得ない。
ちなみに、長岡の市章は「長」の文字に不死鳥の姿を重ね合わせたものだ。

そんな感慨に浸りつつ、1日目の花火大会が終わる。
S氏宅に戻る途中、FMながおかのオフィスに寄り道。 S氏は、局長と懇意にしているらしく、花火の感想などを親しげに語り合っている。 さすがに人脈が広い。 私も花火のコメントを求められたので、短文を書いて局長に渡すと、早速スタジオに回して放送中の番組の中で紹介して頂いた。 こういった地域との一体性、機動力、親しみやすさといったものが地域FM局のメリットであり強みであろう。 実際、先の震災の際に果たした情報媒体としての役割は、とても高い評価を得ているようだ。

思いがけぬオプションを体験させて頂きつつ、長岡の一日目が終わった。
長くなったので、以降のことは、また後日。



2008.08.01:【書籍】磯崎新の「都庁」

書名
磯崎新の「都庁」
著者
平松 剛
発行
2008年6月10日

この書籍の発刊を知り、図書館の蔵書有無をネット上で確認。 既に貸し出し中だったので、自宅近傍の分館での受け取りにて予約を入れておいた。 二週間後、貸し出し可能のメールが届く。

話が大幅にそれるが、メールを受け取った日は、いつもの勤務地とは別の場所で少々特殊な仕事をしていた。
建物のエキスパンションジョイントと呼ばれる部位に用いる床カバーの耐荷重性能試験を行っていたのである。 床カバーに用いるステンレス板に一袋20kgの砂袋を10個載せ、撓み量やその他性状を様々な条件で確認するというもの。
こう書くと、なんだか科学的なことをやっているように聞こえるかもしれないが、とんでもない。 砂袋を積んでは除去しつつ各種測定を行う作業を繰り返すという涙ぐましい単純肉体労働を、炎天下の中、汗にまみれながら黙々と行っていたのである。
午後2時に始めて、夕方6時に無事に試験終了。 替えの服に着替えて、早いけれど疲れたのでその日はそのまま帰宅。その途中で図書館に本を受け取りに行くことにした。

図書館の閉館は7時半。 当日いた場所の最寄りのJR駅からの移動時間は約50分。 余裕で間に合うなと思いつつ電車に乗ったとたん、沿線の駅で人身事故が発生。 運行が全面ストップ。 これはヤバイと思い、隣接する私鉄に乗り換えた。
大幅な迂回と乗り継ぎによる時間を浪費して図書館分館の近くの駅に到着したのが、7時20分。 ギリギリだ。 やむを得ず、暑い中を全力疾走。 こうなりゃ、意地でも借りてやるという気分。 せっかく着替えた服も汗でグショグショ、息も絶え絶えになりながら閉館前に分館に到着。 貸し出しカウンターで図書カードを差し出すと、「受け取り場所が違いますよ」と無情の一言。 そう、ネットで予約を入れた際に、幾つかある分館の選択を間違えていたのである。
疲労困憊・意気消沈の中、帰宅。

翌日、受け取り場所変更の連絡を入れ、後日書籍を無事受け取る。 ということで、余計な苦労をして借りた書籍であるが、それだけの価値がある内容であったということで締めくくることにしよう。



2008.07.26:平屋の住宅
※1
ミサワホームA型には二階建てのモデルもあった。 内外観共に、平屋モデルと二階建てモデルの相関性は乏しい。 全く別の発想の商品と考えるべきだと思う。

関連ページ:
ミサワホームA型
ミサワホームA型二階建て


※2
この雑記の場でも何度か書いているように、80年代半ば以降、ハウスメーカーに対する関心は急速に薄れた。
以降、4,5年前に至るまでの約20年間の戸建住宅産業界に対する知識は、殆ど無いに等しい。

※3
ミサワホームS型NEW平屋外観

<出典:ミサワホーム>

1983年頃発表された。 日本の住宅史上初の、シニア層をターゲットにした企画住宅といえるかもしれない。 各社から同様のマーケットを対象としたモデルが相継いで発表されている昨今の状況を鑑みると、その新進性に驚く。
内部は南側に設けられた開放感溢れる3室続き間と、北側の台所脇に設けられた小間が特徴になっている。

関連ページ:
ミサワホームS型NEW/SIV型

ミサワホームより、「SMART STYLE「A」HIRAYA」というモデルが発表された。 名称の通り、平屋の住宅である。
「A」という文字を冠する名称の平屋モデルから、かつて同社から発売されていた「ミサワホームA型※1」を思い起こす人は、そう多くないだろう。

「ミサワホームA型」は、1977年発売の平屋建ての企画住宅。 カラースキーム変更等のマイナーチェンジを除き、殆ど骨格を変えることなく長い期間に亘って同社の商品体系の中に組み込まれていた様だ。
「様だ」、などと曖昧な表記になるのは、80年代半ば以降の住宅産業界のことをあまり知らないからである※2。 それ以降、いつ頃までこのモデルが発売されていたのか、あるいはどんな変遷を辿ったのかを知る資料は持ち合わせていない。 しかし、同社の「ミサワホームO型」と並ぶロングセラーモデルであったことは確かだ。
当時のセールストークでは、一次取得者層向けのモデルということになっている。 平屋でグロスが比較的小さいからということか。 素直な組み立てではあるが、同時に安直でもある。 個人的には「ミサワホームA型」は、特定のマーケットしかターゲットになり得ないとは思えない。 よく言えば、あらゆる年代のあらゆる生活形態に対応し得る間取り。 悪く言えば特徴のない凡庸な間取りということになろうか。 いや、凡庸であることこそ大切なことだ。 ロングランが可能足り得た一番の理由はそこにあろう。

では、今回の新商品も同様かというと、少々違う。 二人暮らしを基本としたシニア層をターゲットとして絞り込んでいることは、ニュースリリースにも明記されている。 となると、「ミサワホームA型」というよりはむしろ、ほぼ同じ時期に発売されていた「ミサワホームS型NEW平屋※3」の類型という位置づけの方が適切かもしれない。

「SMART STYLE「A」HIRAYA」の特徴としては、階高の半分程度の床段差を付けてリビングと和室が連続する構成を、平屋の屋内空間に設けたことが挙げられる。 有り体に言えば、中二階とかスキップフロアということになろうか。 その床段差部分の下部は、「蔵」と名付けられた収納空間にあてがわれ、その上部に和室が配置される。
私は、同様の構成を、同社が5年ほど前に発表していた「庭の家」というモデルで体感した。 半層分の床段差により、お互いがある程度の独立性を確保しつつ穏やかに繋がる空間が実現しており、これはなかなか良い雰囲気であった。 特に、リビングに対して半層分高い位置の和室に座した時の微妙な浮遊感が何とも心地よかった。

「SMART STYLE「A」HIRAYA」でも同様の雰囲気を堪能できるのかも知れない。 しかし、事前に公表されていたプレスリリースに載せられた平面図からは、和室部分の天井高が随分低いのではないかという印象を持った。 半層持ち上げられているところに、北側の屋根勾配が迫っている。 で、正式発表された公式サイトを見ると、やはり低い。 そのためか、和室の内観を撮った画像も、結構低いアングル設定。 正座したときの目線に近いかもしれない。

但し、私は天井が低いことは悪いことではないと考えている。 というよりは、平準的な天井高のみで構成された住宅は退屈だと思っている。 それぞれの部屋の位置づけや広さ、そして他の空間との繋がり方に応じて適切な天井高が設定されるべきで、そのためには天井高の低い場所があっても良いのではないか。
このモデルにおいて、豊かな天井高が確保されたリビングと、そこに半層分浮き上がって繋がる和室の抑制された天井高が、どのような空間的メリハリを生み出しているのか。 その辺に少々興味を持つ。



2008.07.19:【書籍】新建築

「新建築」という老舗の建築専門月刊誌がある。
マトモに読まなくなってどのくらいの期間が経つだろう。 これでも、学生の頃は結構熱心に読んでいた。 学校の図書館の閉架書庫に丸一日籠もってバックナンバーを読みふける、なんてことも度々あった。
その時の読み方は邪道そのもの。 新建築の巻末には月評というコーナーがある。 前号に掲載された建築作品に対する論評を、何名かの建築家が担当して執筆するコーナーだ。 まずは、そこを読むのである。 その上で前号を開き、講評された内容を確認して愉しむ。ないしは、講評自体を自分なりに講評する。 なんだか、そんな読み方がクセになっていたように思う。
推理小説で結末を先に読んでしまうようなものだろうか。 バックナンバーのまとめ読みだからこそ可能な読み方ということにしておこう。

ともあれ、この月評は一年ごとに評者を変えながら脈々と続いている。 ところが、今年に入ってからその趣が少々変わったことに、久々に読んでいてたまたま気づいた。 その原因は、評者の一人である原広司。 かの京都駅や札幌ドームを手掛けた大御所であることは改めて述べるまでもないが、書いてあることがとにかく難しい。 難しすぎて、凡人の私には全く読解不能。 というか、これって月評なの?と思ってしまうくらい、何だか知らぬがブッ飛んでいる。
判らないと悔しいから、何度も読み返してしまう。 読み返しても理解に到達し得ないのが哀しいのだが、それでも健気に何度も読み返すついでに他のページにも目を通すことになる。 ということで、原広司の月評がきっかけで、今年に入ってから久々に結構それなりにこの専門誌に目を通す機会が増えている様な気がしている。

とはいっても、掲載されている建築作品の中で魅力を感じるモノは少ない。 紙の上に一筆書きでサラリと描いた落書きがそのまま現実のファサードになってしまっているという印象のモノが多い。 昨今の流行とはいえ、こんなモノで町中が溢れかえったら、つまらないなと思う。

そんな中でも、6月号の内藤廣の「建築の力」という巻頭論文は、何だかとっても勇気づけられる内容。 建築が本来持ちうる「力」を隠遁するようなデザインが溢れかえる国内の風潮の中にあって、実に爽快な文章だ。 もっとも、この論文とセットで掲載されている氏の作品「メディジン市ベレン公園図書館」は、その「力」の具現化を強く求められたプロジェクトであったのかもしれない。
7月号の隈研吾による巻頭論文も、相変わらず鋭い。 黒川紀章をメディア・アーキテクトと呼んだ磯崎新こそが、より器用なメディア・アーキテクトだと論ずる辺りは実に痛快。 でも、やはり、故黒川紀章の方がメディアへの露出は派手で印象に残りやすいものだった。 晩年にバラエティ番組等に頻繁に出演し、押さえるべきポイントをしっかり押さえて論陣を張りつつその場を湧かせるエンタティメントは、後にも先にも登場し得ぬ、凄い建築家像かもれない。

話がそれた。
別に月評と巻頭論文のみを読んでいる訳ではない。 一応は掲載作品にも目を通しているつもり。
7月号で紹介されている、「名古屋大学豊田講堂」の改修などは、見ていてとても楽しくなる。 巷に溢れかえる、四角い箱に四角い穴をボコボコ空けただけとか、CGをそのまま実物大にしただけといったモノよりも、この手の建築の方が私は好きだ。
同じ号の「高台の家」も、もっとディテールを見てみたいという欲求に駆られる作品。

ということで、建築関連の雑誌というと、日経アーキテクチュアくらいしか読まなくなってしまっている昨今の自身の状況を反省しつつ、たまには「新建築」等の類の雑誌で得られる情報や知識にも貪欲でなくては思う今日この頃。



2008.07.12:塵も積もれば

このサイトを開設してから丸二年が経過した。 開設時に高校時代の同級生から頂いた「細く長く」というアドバイスを念頭に、細々とではあるが更新を継続してきたつもりである。
試しにページ全てを合わせるとどの程度のデータ量になるのだろうと思って調べてみたら、意外にも7MBを超えていた。 今更大した容量という訳でもないが、文字を中心とし、用いる画像のデータ量をなるべく抑えるよう意識していたので、少々意外に思った。 文字通り、「塵も積もれば・・・」だ。

ちなみに各ページの作成には専用の製作ソフトの類は用いていない。 当初から全てテキストエディタで作ってきた。 ソフトに頼る程の凝ったレイアウトを組んでいる訳でもないし、この方が自分にとっては手っ取り早いからだ。
しかも、HTML構文についても、ちゃんとマニュアル本等を読んでしっかり勉強した訳でもない。 勤務先の社内ネットに開設している自分の所属部署のサイトを管理しているうちに何となく覚えてきたものだ。 つまり、我流に近い。 だから、見る人が見れば卒倒するようなソースの構成になっているのかも知れない。 アクセス権限が限定された環境化のサイトならそれでも良いのだろう。 しかし、エリア限定が無い場合は勝手が違うということを、今更ながらに感じている。
つまりは、我流の弊害である。 例えば、ブラウザによる表示の違い。 あるいは、表示文字の大きさを意識したレイアウト構成の配慮等々。 特に表示文字サイズについては、IEで言うところの「中」を想定しておけば良いのであろうと思い、それを前提にレイアウトを決めてしまっていた。 ところが、一番よく使われている表示サイズは「最大」との調査データがあるらしい。 試しに「最大」表示でこのサイトを見てみると、個人的には違和感が無きにしも非ず。 かといって、表示サイズを固定してしまうというのも、あまり好まれないという。 悩ましいところだ。
初歩的な点を含め、気付いたところをその都度可能な範囲で手直しをしてはいるが、今更レイアウトを抜本的に変える気にもなれない。

それと、この雑記帳のページは時系列順に更新するという点でブログ風ではあるが、ブログのシステムは用いていない。 他のページと同様、更新のたびごとにテキストエディタでチマチマとHTMLを組みなおしている。 ブログは日記という形態が基本だから、何か更新し続けなければというプレッシャーが生じるような気がしてしまうのだ。 わざわざプレッシャーに感じることを課すこともないだろう。

ということで色々ある訳だけれども、トップページにも謳っている通り、個人的な考えを徒然に書き連ねているだけのサイトなのだから、この際多少の問題は良しとしてしまうことにしておこう。



2008.07.05:江戸千家
※1

花月の間のしつらえ。

床の間の掛軸のことを考慮してフラッシュを使わなかったので、写真の映りはこの程度。

茶の湯の雅号をお持ちの建築家の方の紹介で、池之端にある江戸千家の茶室を見学する機会を得た。

幅員が狭い割に車の往来が多い公道に面し、ひっそりと表門が構えられている。 その控えめな佇まいは少々意外であった。 門を潜ると、そこは別世界。 一歩外側の喧噪から隔絶された静謐なアプローチが、前日の降雨によって柔らかな湿度を帯びて奥へと続く。

幾つかの茶室が敷地内に設けられているが、あまり余裕がある配棟とはいえない様だ。 しかし、手入れの行き届いた庭の中では窮屈さは全く感じない。 何せ、茶室自体が通常の住居のスケール感覚とはかけ離れている。 二畳とか三畳といった狭小空間に見合った天井高や各種ディテールが決定されている訳で、建築家・高松伸の言葉を引用するなら、「縮退したスケール」ということになる。 そんな微細な寸法設定と作庭を含めた敷地全体の構成が、何とも心地よい落ち着いた場を醸成している。 工業デザイナー・榮久庵憲司は、その著「幕の内弁当の美学」の中で、多彩な要素を極小空間に美しく納めて纏める日本固有の美意識について述べているが、ここにも同質の美しさが流れているような気がした。

そんな環境下に置かれた茶室の一つ、蓮華庵は、道庵囲いを内在させた三畳台目切りの構成。 躙口の脇に座り、その場に佇む。 ついでに茶道口の方にも廻って、半頭の気分で道庵囲い越しに茶室を眺める。 人工照明が最小限に抑えられた室内の様態は、形容詞を並べて表記するならば「暗い」「狭い」「低い」ということになる。 つまり、単純に言うならば一般的な現代住宅が禁忌していることが網羅されていることになる。 しかし、そこに不快な印象が入り込む余地は全く無い。 むしろ、昨今の住宅が失ってしまった空間の深度とでも言うべきものが、極小の閉域に凝縮されている。

一通り茶室を見学した後、「花月の間※1」と名付けられた広間にて家元のお手前でお茶をいただき、暫しお話を聞く。 面白いと思ったのは、茶室を構成する部材の幾つかは、寺や民家を解体する際に譲り受けたものだということ。 例えば、床柱に用いている木材や続き間の欄間。 良い物を取り合わせて空間を造りあげる数寄の精神の一端なのかもしれない。

アーカイブ
・次のログ
2008.10−

・前のログ



NEXT
HOME
PREV
since.2006.07.08