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住宅メーカーの住宅
昭和住宅史の奇跡:ミサワホームOII型/O型NEW
1.概要:企画住宅の先駆モデル

このモデルの主要テーマは三世代居住。
当時既に進行していた核家族化に対する反省と近い将来訪れる高齢化社会に対して住宅が出来ることをメーカーとして積極的に検証した成果がプランや仕様を固定した規格型の住宅として結実。 「主張のある家」というキャッチフレーズのもと、従来の「規格」住宅を超えた「企画」住宅として登場した。

OII型の前身にあたるO型の発表が1976年9月。 正式発表に先立ち、同年4月に東京晴海で開催された第4回国際グッドリビングショーにプロトタイプモデルが出展されている。
その公開は大きなインパクトを持って捉えられ、発売開始後は爆発的なセールスを記録。 販売結果検証を踏まえ、基本骨格を堅持しつつ1979年3月にOII型、1980年3月にO型NEWと、改良や新提案を加えたモデルチェンジを実施。 以降のバージョンを含め、日本中いたるところにO型が建てられ、その数はシリーズ累計で約5万戸に上った。 今でも各地にその所在を確認することが可能だ。

その画期的な内外観意匠や工業化住宅としての多岐にわたる先進技術の導入、そしてその結果としての商業的成功と以降の住宅市場に与えた影響。 それらを鑑みると、昭和の住宅史の1ページを飾るにふさわしい「作品」と位置付けられるモデルである。

2.外観:和洋融合の総二階
※1
外壁からの熱損失を抑えるためには、建物の外表面積が少ない方が有利になる。 総二階建てはその意味で有効な形態だ。
敷地の高度利用という観点のみならず、省エネ対策という目的からも、当時のミサワホームでは総二階建てモデルを積極的に展開した。
更に、省エネ性能向上を目的に外部開口に複層ガラスが標準装備されたことも当時としては特筆すべきことである。

※2

写真2:玄関側立面*
白壁、開口部の配置、木調の化粧軸材等のバランスが美しい。

写真1:外観*

和風と洋風が美しく融合したデザインだ。
全体のプロポーションや大きな開口、そして二階に設けられたフラワーボックス等は洋風の要素として捉えられる。 一方、木調に仕上げられた開口部廻りの鋼製の飾り柱やシャッターケース、そして胴差等の配列と白壁の対比は、伝統的な真壁構造の日本家屋を想起させる。 更に、寄棟屋根に載せられた越屋根の存在も、和感を補完すると共に、外観の特徴となっている。

敷地の有効利用とエネルギー消費の効率化※1という観点から、1階と2階が同じ面積のいわゆる総二階建てが採用されている。 現在では珍しいことではないが、総二階という単調なプロポーションを如何に美しくデザイン処理するかと言うことは、当時としては冒険であった。 処方として、1階より2階の方が出っ張るオーバーハングを随所に採用し単調さをカバー。 また、そのオーバーハングによって更なる敷地の効率利用が可能になった。 加えて、前述の木調の軸材のレイアウトやフラワーボックスの配置も、単調さを避けるための重要な要素となっている。

これらの形態処理を、すべての面に統一して適用。 どの方角から観ても美しい外観が創り出された※2

3.内観:崇高性と効率性
3-1:大黒柱
※3

写真3:玄関ホール*

※4

写真4:二階ホール*

玄関から屋内に入ると、ホールの正面に約45cm角の大黒柱がそびえ、その横に力桁形式の階段が寄り添う個性的な空間構成が一気に視界に飛び込んでくる(写真3※3※6)。
この大黒柱は構造体ではない。 そもそもミサワホームが採用する木質パネル工法は、モノコック構造の壁面によって諸応力を分散する方式であり、柱や梁を必要としないのだ。 にもかかわらず大黒柱が設けられたのは、想定される三世代居住の心の拠り所としての精神的もしくは視覚的な象徴性や崇高性の付与が意図されたのであろう。
また、柱側面に階段の段床を照らすフットライトを組み込み、あるいは設備系統の各種配線配管を内蔵する等、旧来の設置事由には無かった現代ならではの諸機能がそこに備えられた。

この大黒柱を真横に眺めながら階段を昇りそして振り返ると、今度は写真4※4の光景が広がる。
大黒柱が貫く吹抜けを囲むホールが線形に広がり、更に大黒柱の頂部にはロフトを配置。 このロフトは外観の特徴である越屋根の直下にあたる。 つまり、外観の特徴がロフト部分の天井高確保に寄与している。
ここでも、大黒柱は構造的にロフトを支えている訳ではない。 しかし、視覚的にロフトを受け止めるパーツとして位置付けられよう。 空中に浮かぶロフトは、単純には収納スペースではあるが、何か不可侵の象徴的な場所というイメージも帯びている。 屹立する崇高な柱を仰ぎ見るとその頂部に象徴的空間が載冠し、そこが越屋根として外観意匠に特徴と尊厳を与える。 内外観個々の機能的要請と意匠との見事な一致をそこに見い出せよう。

3-2:中央貫通田の字型間取り

プランを見てみると、一階においては大黒柱を据えた玄関ホールとその奥の独立キッチンによって形成される東西軸が、8畳を基本とする二行二列の田の字型平面プランの中央を貫いて南北に振り分ける中央貫通田の字型とでも呼べそうな基本構造をなすことが、図面1にて確認できる。 二階についても、写真4のホールを中心軸に同様の構成に則っている。
上下階双方ともこの東西軸に動線を集中させ、それを挟むように諸室を配置。 これによって三世帯居住における各居室の独立性やプライバシー機能を確保しつつ効率的な間取りが実現された。


図面1:各階平面図*(Onew44-2W-EXタイプ)

この明解な構成は、プランバリエーションの展開においても有効だ。 中央の貫通軸を拠り所に、南北の各室を8畳以外の任意の広さに変え、更に玄関位置を東西反転もしくは南面に転回させる組み合わせによって敷地や予算等の条件に柔軟に対応する複数の規格プランの創出を可能にした。

このプラン形式の採用は、同モデルが初めてではない。 ルーツを遡ると同社が1969年に発表したホームコアという平屋建てモデルに辿り着く。
販売価格について、当時の市況における同規模の住宅の半額にあたる100万円を目指すという開発テーマのもと、生産面や工法面での徹底した合理化に纏わる技術検証の結果編み出されたプラン形式。 そこでは、玄関や水廻り等の非居室用途を纏めた線形の空間を中央に配置し、その両側に二部屋ずつ居室を連結する構成が採用されていた。 その形式が、時を超えて三世代居住のための余裕のある居住空間を低コストで実現することを目的としたモデルに発展的に継承。 更にこの流れはその後の業界全体の商品開発にも波及し、軸性の南北転換等の拡張を経ながら今現在においても類似プランが各社の商品の中に散見される状況が継続している。

4.諸室の仕様
※5

写真6:洗面化粧台*
この当時、同社から発表されていた他企画モデルの多くにも、この画像と同様の茶系の人造大理石を用いた洗面化粧台や浴槽が採用されていた。
※6
写真3の階段下部の影になっている部分が、半地下階への階段が設置されている箇所。 大黒柱の裏側から階段を降りる。
   

1階は、二行二列の南側の二升を連結してリビングダイニングルームに充て、三世代の団欒や余暇を満喫するホームパーティー等にも余裕で対応できる豊かな空間を形成。 また、北側の二升はそれぞれ和室とサニタリースペースを配置。 和室は床の間の扱いが位置・形態共に変則的ではあるが、絞り丸太の床柱を備えたフォーマルな設えとしていた。


写真5:リビングダイニングルーム*

サニタリー廻りについては、三世代居住の想定から洗面化粧台に人造大理石製のシンクを二つ並べて設置※5。 更に、階段を昇った2階正面のスペース(図面1では、2階ホール右端部分)にサニタリーをオプション対応で配置可能にする等、水廻りの考え方も当時としては破格な仕様であった。

2階はホールに接続する四室それぞれの出入口を、吹き抜けを介して距離感を持って配置することでお互いの独立性を高めプライバシーに考慮。 三世代居住における日常生活の快適性確保を可能としている。
そのうち1室は和室だ。 タンス置場や押入、そして2間幅の造り付け家具を設置。 収納に主眼をおいた実用的な和室とし、1階の和室とは異なる性格を与えている。

このように、三世代分の居住空間を確保しつつ、団欒にも来客にも余裕で対応が可能という間取りが実現した。
更に余裕を追求するため、半地下室の設置も対応可能なプランにもなっている。 この場合、力桁形式の階段の直下に地下室に降りる階段を設ける※6。 サンクンガーデン形式とすることで自然光の取り入れも可能とし、余暇室的な用途が提案されていた。

しかし、いくら余裕有る空間構成を提案してもその分販売価格が高ければ意味はない。 ここでは、プランや仕様の規格化や生産・施工における効率性の確保等、工業化住宅ならではのメリットを徹底的に追求することでコストの低減が図られた。
当時の販売資料に載せられた宣伝文句の中には、「同じ価格で1部屋多い家」と謳ったものもあった。

5.奇跡の時代背景

かつての工業化住宅は、廉価で高品質な住宅を大量供給するという開発者側の確固たる目標ないしは使命感を伴った熱意が具視化されていた。 あるいは、工業化住宅が本来的な意味においてその意義を発揮し得たのは、そのような社会的要請が存在した1970年代から80年代半ばの間のことであったのかもしれない。
これは、O型が開発され、何度かのモデルチェンジを経て、別ページに示すO型Childに至るまでの時期とほぼ重なる。 O型シリーズが爆発的に売れたのには、そのような時代背景との蜜月があったことは間違いない。
しかしそれ以上に、近い将来を見据えた住空間の在りかたを積極的に提案するとともに明快に具現化し、更にそこに日本的情緒の現代的な解釈を試みたデザインを融合させたところに、他の工業化住宅との圧倒的な差異があった。
そこに、このモデルを昭和の住宅史における奇跡と位置付けて良い価値がある。

ここに掲げたOII型及びO型NEWは、同シリーズの中でも初期の商品開発目的を踏襲しつつ、更なる進化及び新規提案が盛り込まれた完成形として個人的に甲乙付け難いモデルだ。 以降のモデルチェンジにおいては、その時々のニーズに応じ商品企画方針に微細な調整・変容が施されつつ進展が図られた。 その概要については、別項に記載する。



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*引用した図版の出典:ミサワホーム

2006.10.21/記
2016.07.02/文章・構成改訂