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雑記帳
2008.04−2008.06
2008.06.28:東京中央郵便局
※1
東京中央郵便局夜景

昨晩撮影した。
この建物の写真を撮ったのは、今回が初めて。 いつでも撮れると思っていたし、撮ろうと思った時には、外装タイル剥落対策として道路に面した外壁全体に養生ネットが張られてしまっていた。 この画像が、ややソフトフォーカス気味なのも、ネットのせいである。

JR東京駅前の東京中央郵便局※1が建て替えられるという記事を目にした。 ついにその時期が来てしまったか・・・というのが正直な気持ちだ。

この雑記帳の場で、歴史的建造物の存続に関連して、「建築は用を為してこそ意味がある」という類のことを何度か述べた。 しかしだからといって、用が無くなったから即刻除却してしまうべきだとは思っていないし、そう単純に割り切れるものでもない。 それは、このサイトのところどころで、古建築や除却間際の建物に対する未練タラタラな文章を書き綴っていることからも御察し頂けよう。
歴史を積み重ねてきた建物が無くなってしまうというのは、やはり寂しい。 しかしながら、単なる懐旧に拠った「残して欲しい」とか「建替えには反対だ」といった発言に与する気にもなれない。

なるほど、「残せ」と言うだけなら簡単だしタダだ。 しかし、2007年9月8日の雑記でも紹介したが、文化財に登録された住宅を個人で維持している所有者の方の忍苦といった事例を思えば、安易に言えるものではない。 あるいは、細野不二彦の作品「ギャラリー・フェイク」第20巻収録の「KYOTO POP」の中で、以下のような場面がある。 京都市内にて、開発業者に売り渡される町家の所有者と、それを良しと思わぬ隣接旅館の宿泊者の会話。
「そ、それではしかし・・・ 旅館の風情が・・・台無しに・・・」
「なら、旦那さん方、買うてくれはります?この土地」
「そ・・・それは・・・」
一方的に保存せよと言い寄ってくる第三者の無自覚な独善性と、それに対して建物所有者が多かれ少なかれ抱くであろう感情の一部が巧く表現された一節だと思う。
歴史的建造物の保存は、本当に難しい。 残すための維持・管理、あるいは修復費用をどのように捻出するのか。 あるいはどのように活用していくのか。 その辺の具体的なビジョン無き保存要望運動には、一抹の空しさと無責任さを感じる。

話がそれた。
今回の建て替え案では、とりあえず吉田鉄郎設計による現在の低層建物のイメージは踏襲されるらしい。 ブルーノ・タウトが絶賛したと伝えられる現況建物のデザインを基壇として扱い、その上に超高層が建てられるのだそうだ。
この手法は、東京中央郵便局が立地する丸の内地区において、前例がいくつも有る。 同一手法により形成される群景が、丸の内街区の特徴であり魅力であろう。 その中にあって、今回の建て替え計画がどのような位置づけを為し得るのか。 建て替えられてしまうのであれば、むしろその辺に興味を持ちつつ、今後のプロセスに注目して見たいとも思う。



2008.06.21:浦安三社祭

この前の日曜日のことになるが、浦安市の三社祭を観に行って来た。 かつて漁師町であった頃は「暴れ神輿」の異名をとった、四年に一度開催される規模の大きな祭りであるが、観るのは今回が初めて。 クライマックスは、市のメインストリートとなる柳通りに各町内の御神輿がくりだすところだろう。 幾つ出ているのか数えるのも野暮なほどの大量の御神輿が、「まえだっ!」ないしは「まいだっ!」という浦安独特の掛け声と共に、次々と目の前を通る。
大通りの半分の車線に交通規制をかけての渡御であるが、すぐ脇の車線を路線バスや車が間断なくすれ違う状況が、現代の祭りといった風情か。 そして、大通りにおける全ての渡御が終了した途端、一気に規制が解除され、四年に一度の「ハレ」の舞台は何の余韻もなく日常の幹線道路に戻ってしまうのが少し寂しい。 伝統文化と車社会の哀しき相克。
しかし、その後各地域に別れて小路に分け行った渡御は、更に盛り上がりを見せる。 宵の口に合わせて灯された路地沿いの提灯に照らし出される幻影的な御神輿と、非日常的な熱気とが渾然一体となった雰囲気を存分に堪能した。 そしてその後数日間にわたり、「まいだっ!まいだっ!」という掛け声が脳内をループして離れない自分が居た。

少し気になったのが、沿道の高層建物から見下ろすように見物する人が多かったこと。 祭りのことは良く分からぬが、祭事中の御神輿って神様が降臨しているのではなかったか。 それを見下ろすのってまずいのでは?と思ったがどうなのだろう。 勿論、上から見るとさぞかし壮観なのだろうけれども、何となくそんなことが気になって一人で勝手に自主規制。 いや、俯瞰的な視座以上に私の視線が欲したのは、各御神輿のディテールである。 それぞれに意を凝らした意匠に目を奪われ、俯瞰的な観測への欲求など何処かに消えてしまった。

※1

基本的には古建築の意匠に拠っているが、特に印象に残ったのが、左に提示した画像のもの※1。 金色や漆黒に塗装され、きらびやかな飾り金物を纏ったデザインが多い中で、この御神輿は素木風のイメージを大切にした造り。(実際には塗装が施されているが・・・) 更に屋根を支持する組み物が凄い。 肘木を幾重にも千鳥で配列した繊細なもので、四隅の尾垂木のプロポーションも美しい。 そして、鳥居は明神系の形。 この鳥居に関してはどの御神輿も明神系で、神明系のものには一つもお目にかかれなかった。 何故なのだろう。 御神輿の各部位の意匠や、その由来を調べてみると面白いかも知れない。



2008.06.14:そこにあったのか、G型
※1
といっても勿論、見ず知らずの方がお住まいの家のなのだから、外観を眺めるのみなのだけれども。
※2

手前に水田、背後になだらかな丘陵という風景の中に建つG型。 販売時期から察して、恐らく築後四半世紀は経過していると思われるが、改変の手が加えられることなく、オリジナルの形態が良く維持されている。

NHKの連続ドラマ「バッテリー」の第八話の中に、ミサワホームG型という住宅が映っていたという情報を頂いた。 事情を知らぬ人にしてみれば、だからどうした?ということになろう。 しかしこの住宅、知る人ぞ知る超希少モデルなのだ。 1979年から80年代半ばにかけて発売されていた同社の最高級企画型モデルにして、日本のプレハブ住宅史的にも相当ハイレベルな住宅。 当然のことながら高額であり、なかなか実際に建っているところを観る機会には巡り会えない。 私も、27年前に北海道でモデルハウスとして建てられていたものを観たのが唯一。 実際に人が住んでいるG型を観たことは、今まで一度も無い。 ドラマのことを教えて頂いた方の言葉を借りるなら、まさに、「どこにあるのか、G型」なのだ。

このドラマは見ていなかったので、残りの第九話と最終話をビデオに収めてチェックしたところ、最終話の中でもG型を確認することができた。 いや、映るかも知れないと意識して見ていなければ気が付かなかったであろう。 ほんの一瞬、画面の風景の中に、建物のやや背面を捉えるアングルで映っていたのだ。 こうなると、いてもたってもいられない。 ネット検索でロケ地を紹介したサイトを見つけだし、更にドラマの映像を元にGoogle Earthで事前調査。 大方の場所の目処をつけて現地に向かい、27年ぶりの再見※1を果たした。 田園風景の中に堂々たる佇まいで鎮座する様は、素晴らしいの一言※2

こう書くと、何を一人で盛り上がっているのか、と思われる方もいらっしゃるかも知れない。 しかし、当時のプレハブ住宅は決して侮れないと真面目に考えている。 高品質な住まいを安定的に大量供給するという使命のもと、先進的で個性的なプレハブ住宅が数多く商品化されていた。 その内容は、晦渋な作風で建築ジャーナリズムを賑わす一部の建築家の奇天烈な住宅作品の質を確実に凌駕する。 日本の住宅史においても特筆すべき時期であったといって良いと思う。 にも関わらず、なぜか低く取り扱われているような気がしてならない。 「日本の佇まい」というタイトルの下、「住宅メーカーの住宅」というページを設け、当時のプレハブ住宅について自分なりに書き綴っているのも、そんな状況への疑問が理由の一つだ。



2008.06.07:GALLERY A4
※1
所在地;
東京都江東区新砂1-1-1
竹中工務店東京本店1F

公式サイト

※2
2008.5.31の雑記参照
※3
モデュロール
ル・コルビュジエが、人体の寸法と黄金比の組み合わせから編み出した数列。 自ら設計する建築の各部位の寸法を設定する際に基本モジュールとして使用した。 ここで、人間が手を挙げた時の床から手の先までの高さは、2260mmと定められている。
※4
公式サイト内に掲載されている。

『坂倉準三・前川國男「木造モダニズム」展 −昭和初期の住宅に見るものづくりの記憶−』を観に、GALLERY A4(ギャラリー エー クワッド)※1に行って来た。 このギャラリーは、竹中工務店東京本店内に開設されているもの。 その社屋は、何とも微妙なテクスチュアのPCa版を外装に用いている。 しかし全体のプロポーションは、いかにも竹中といった感じの洗練されたもの。 透明感溢れるエントランスを入ると、豊かな吹抜け空間を伴ったホールの右手にギャラリーが設けられている。

今回の展示は、坂倉準三と前川國男がほぼ同時期に手掛けた住宅作品に見受けられる「木造モダニズム」がテーマ。 ギャラリーを入ってすぐの所に、「前川國男邸復元報告書」が置かれていた。 発行は先日訪ねた江戸東京たてもの園となっているから、園内のミュージアムショップかライブラリーに寄れば観ることや入手することが出来たのかもしれない。 報告書には、実施設計時と移築修復後の図面が両方載せられていて、新旧の異なる点についても言及されている。 園内で会った図面を広げていた学生さん※2も、この資料を観れば良いのに・・・などと思いつつ、内容を確認する。
図面に記載された寸法から、サロン(居間)の吹抜けの中にロフト風に設けられた二階部分の1階床からの高さが、ル・コルビュジエが提唱した寸法体系「モデュロール※3」の近似値であることを確認。 このことに関しては、旧宅を訪ねていた際、その場で自分の腕を上方に伸ばしてみて、二階の床板に指先が届いたので、これはもしかしてと思っていた。 そう、私が手を上げた時の床から指先までの高さは、「モデュロール」で規定された同一姿勢での数値とほぼ同じなのだ。 だから何だという訳でもないが・・・。

ギャラリー内では、木造軸組を見せた自邸の模型や図面等々と共に、前川國男デザインの日本相互銀行の椅子も展示されていた。 とても座り心地が良さそう。 市販されていないのだろうか。 更に奥に進むと、坂倉準三設計の旧飯箸邸に関する資料も展示されている。 移築するための実測調査に基づいて描かれた几帳面な図面に感動した。

この「木造モダニズム」と、ミース・ファン・デル・ローエの関係について、建築史家の藤森照信が寄せた文章※4も掲示されていた。 そこに書かれている推論が事実だとするならば、面白い。



2008.05.31:江戸東京たてもの園
※1
都立小金井公園の中に設置された、1993年3月28日開園の博物館。 江戸から昭和初期にかけての27棟の建築物が静態保存されている。

公式サイト

※2
会期: 2008.3.28〜6.1
※3
著者
中川 武 西本真一
出版
彰国社
発行
1987.5.20
※4
前川國男旧自邸外観

建築家本人の設計による自邸である。 豊かな吹抜け空間を持つサロンを中央に配し、その左右に諸室が配置されるシンプルな構成を、本棟造りを想起させる大らかな切妻屋根が覆う。

小金井市にある江戸東京たてもの園※1に行って来た。 江戸時代から昭和初期にかけての建築物を移築・保存し公開している施設である。 この際、若干の恥を忍んで告白するなら、15年前の開園以来、この施設を訪ねるのは今回が初めて。 その言い訳は、幾つかでっち上げられる。 例えば、「手厚く保存・管理されているのだから、いつでも観ることが出来るじゃないか」とか、「静態保存された建築なんてヌケガラみたいなモンで、観たって面白くねぇ」等々。 しかし、学術的側面から観た静態保存の意義や、その保全に係る労力を思えば、こんなことは言い訳にならない。 そう、本当の理由は、出かけるのが面倒であったというだけのこと。 単なるズボラである。
それでも今回足を運んだのは、「開園15周年記念特別展 日本の建物」という企画展に興味を持ったからだ。 約1年に亘って、4期に区切って木造建築に関する様々な展示を行うという壮大な企画の第1期※2を観に、当地へ赴いた。

展示の中では、サイバー大学教授・西本真一による歴史的建造物のドローイングが特に印象に残った。 「建築様式の歴史と表現―いま、日本建築を劇的に※3」という書籍の中に縮小画像で載せられているのを見知っていたに過ぎぬ超細密ドローイングの実物は、凄まじい迫力があった。
また、「新たな木の表現へ〜最先端の木造建築〜」と銘打って国内の著名建築家5名の木構造プロジェクトを展示したブースもあった。 とりわけ模型にて展示されていた巨大宗教施設のプロジェクトは、木でやる必然性が読みとれない。 構造体といえば木以外に選択肢が無かった時代に、その物性と真剣に対峙することで創り出された建築物に比べると、伝わってくる「何か」が希薄だ。

特別展を観たあと、屋外常設展示施設に移動。 保存建物の一つ、建築家・前川國男の旧自邸※4に足を運ぶ。 狭い玄関を通って至るサロン(居間)は実に心地よい空間。 部屋の中では、数名の若者がスケッチブックを開いて黙々と内観のスケッチに勤しんでいた。 年月を経ても色褪せぬ、あるいは世代を超えて魅了され続ける空間の質が、そこには確実に在る。 その質を堪能すべく、しばしその場に佇んだ。
戦時中という困難な状況下で、これだけの豊かな空間を創造し得たパワーは一体何だろうと想う。 いや、そんな時代の中にあってこそ、自宅の設計というフィールドの中に自らの建築信条を徹底的に追及し得たのだろうか。 今さらながらに、巨匠の凄味に触れることが出来た気がした。

外に出ると、垣根越しに図面を広げて外観を観察している学生さんがいた。 聞けば、学校の課題でこの家の模型を造るために、実物を確認しているのだという。 その図面は、前川事務所作製の実施設計図面の青焼き。 少し見せてもらうと、実物と違う点が散見される。 例えば、玄関からサロンに至る偏心回転ドアの吊元位置。 あるいは、階段の納りやキッチンに至る建具の位置や形状等々。 「実物と図面に異なる点が一杯あって大変ですね」と声をかけたら、「図面通りに模型を造ります」と返答してきた。 それじゃ、現地調査の意味が無いじゃん・・・と思ったけれど、それを口に出す立場では無い。 ともあれ、それらの部位が施工の過程でいかなる事情で変更されるに至ったのか。 そんなことに想いを馳せながら観てみるのも面白い。 また、図面を観ることによって気がつくことが出来たディテールも数カ所有った。 初見にも関わらず、良い機会に恵まれたと思う。



2008.05.24:【CD】Octet

アルバムタイトル
Octet・Music for a Large Ensemble・Violin Phase

曲目
M-1:Music for a Large Ensemble
M-2:Violin Phase
M-3:Octet
※1
放送期間 1981年4月7日−1986年3月18日
※2
デスクトップミュージック(Desktop Music)の略称。 パソコンと電子楽器を接続して演奏する音楽。

かつて坂本龍一がDJを担当していたNHK・FMのサウンドストリート※1でその一部が流されたのを聴いて、この作品の存在を知った。 短いフレーズを複数パート設定し、それぞれのパートを反復しながら微妙に変化させ続けることで複雑で緻密な音空間を構成するミニマルミュージックと呼称される作品だ。
作曲者であるスティーブ・ライヒの場合、その変化の手法は主に二つある。 一つは、各パートの演奏速度を微妙に撓ませるフェイズ・シフティングといわれるもの。 速度が変わることで生じる各パート間の音の微妙なズレを計算し尽くした上で、楽曲が構想される。 そしてもう一つは、構成される各フレーズの音符を少しずつ増やす方式。
いずれも、ドラマティックな抑揚はあまり無い。 複雑で緻密な音の羅列が微細且つ持続的な変化を伴いつつも淡々と、そして正確無比に紡ぎ出される。 それを自動演奏ではなく、生楽器を実際に人間の手で演奏するところが凄いし面白い。 DTM※2による再現演奏で有れば、魅力は半減かも知れない。

このアルバムにおいて、M-1と八重奏の表題作M-3は、後者の手法を駆使している。 フルートやピアノによる中高音域のキラキラとした繊細な音色と、弦楽器による安定した中低音域の組み合わせが、何とも心地よい。 そしてM-2は、バイオリンの多重録音によるフェイズ・シフティングの作品。 ライヒは、同様の手法を駆使した作品をこのほかにも多数発表しているが、その中でもこの「オクテット」は完成度が非常に高いと思う。

後に新訂版として「Eight Lines」が発表されている。 個人的には「オクテット」の印象が強いせいか、あまり良い改作とは思えない。 近年、更に再演奏された「Eight Lines」が発表されているが、そちらの方は未聴である。

ライヒのコンサートで、「オクテット」よりも更にフォーメーションを拡大した「18人の音楽家のための音楽」を観たことがある。 演奏時間が一時間前後に及ぶ大作であるが、ライヒの作品は聴覚だけでなく視覚的にもとても興味深い。



2008.05.17:階段
※1
旧五番館B館外観

外壁に沿って内部階段が設けられている様子が、ファサードからも確認できる。 また、その平面プランの構成を巧みに外観デザインに活かしている。

設計
(株)坂倉建築研究所
施工
伊藤組土建(株)
所在地
札幌市中央区北4条西3丁目
竣工
1990.06


※2
栄螺堂(さざえどう)
参詣路に見立てた経路を内在させた仏堂。 群馬県太田市の曹源寺や青森県弘前市の長勝寺等に現存。 会津若松の正宗寺の栄螺堂は、三層の二重螺旋構造による特異な形態を持つ。

日本のデパート建築の草創期において、階段は重要な役割を担っていたと思う。 例えば、日本橋三越本店の壮麗な吹抜けの中に配置された階段は、店のステータスを表徴する場として機能し、今も健在だ。 上野松坂屋本館の階段も、手摺に豪華な大理石が使われ、天井には華やかな装飾が施されている。 三越本店とは異なり、その配置は建物の端の方になっているが、その替わりに外部に向けて大きな窓が穿たれ、眺望が愉しめる空間になっている。 他にも多くの事例が挙げられようが、アールデコを基調に据えることが定法となっていた当時の百貨店建築の中でも、とりわけ階段は華やかな空間装置として位置づけられていたのだろう。

ところが、時代を経るに従って、その扱いは徐々に低くなって来たのではないか。 現在新たに建てられる百貨店の場合は、避難経路の用途として建物の隅に法律で規定されるぎりぎりの形態や仕様で設けられるに留まる例が殆どではないか。 更に、バリアフリーだとかユニバーサルデザインといったスローガンのもとに、その扱いは更に貶められている。

勿論、現在の昇降の主流はエスカレーターないしはエレベーターである。 更に、商空間における諸施設の扱いは経済原理により正確に規定されるから、自ずとその枠組みの中で階段の扱いも決定される。 しかし、法的に一定の容積を占めざるを得ぬ階段を、非常時の用途のみに限定することは、逆に不経済な側面もあろう。 商空間としての優先事項に則しつつも、設置が必要条件の階段をもっと活かさぬ手は無いはずだ。 といっても、その用途は有事の際の非難経路であり、平時の使用は法的に制限される。
しかし例えば、近年造られた札幌の旧五番館B館(現札幌西武ロフト館)※1の階段は面白い。 建物の外周三方を巡るように配置された豊かな吹抜け空間を伴ったその階段は、坂の無い平坦な札幌の市街中心部に人工的な坂道を造り出したといえるだろう。 あるいは、層状に連なる消費性の空間を螺旋状に巡礼する昇降装置、いわば現代の栄螺堂※2などという見立ても可能かもしれない。 それでなくても、一商業施設としての固有性を主張する場として、とても有意な空間だ。



2008.05.10:おひるね畳

川越に本拠を構える岡田畳本店から、「おひるね畳」という商品が発表された。 いわゆる置き畳であるが、ホームセンター等で売られている一般的なモノとは訳が違う。

その違いについては、実際に同社のホームページを観て頂いた方が手っ取り早い。 特に面白いのが、その大きさだ。 通常市販されているモノは、大方が半畳サイズで縦横比が同じ。 しかし、「おひるね畳」は幅72.5cm長さ121cm。 なかなか微妙な寸法であるが、昔の単位に置き換えると、2尺4寸×4尺。 開発に携わった方の話では、ベビーベッドに近似した寸法なのだそうだ。 置畳みは移動させることを前提とした商品だから、当然のことながら重さの制約が生じる。 ここでは8kgに抑えながら、商品性としてのターゲットに幼児を選定することで、他とは違う寸法系が成立したのであろう。
しかし勿論、幼児専用でなくても良い。 長手方向に二枚並べれば、大人の昼寝にも使える。 市販されている一般の置き畳は、三尺を一割程度欠いた寸法が殆どだから、背の高い人の場合、寝そべるには二枚並べても少々寸足らずになってしまう。 こう書くと、なんだか昼寝専用畳みたいになってしまうが、勿論、商品名がそうだからといって用途を限定する必要も無い。
そして、幅方向についても、例えば押入の奥行きの有効寸法を考えた場合、72.5cmというのは、無理なくしまうことが出来る寸法な訳で、なかなか考えられている。 商品としての魅力は十分であるが、あとは、8kgという重量をどう捉えるかということになろうか。 また、この重量ゆえに、置いた際の安定感は十分なので特に畳の裏側に滑り止めは設けていないという。 この辺りは、想定する使用方法を鑑みた上で、個別にどう評価するかということになろう。

こう書き連ねると何やらまわし者みたいだが、特に営利が絡む関係は無い。 仕事とは別に何度か私的に同社の工場を訪ねているのだが、畳に対して真面目に取り組んでいるという印象を持っているが故に、取り上げてみた次第である。

岡田畳本店では、川越市の本社二階にショールームを設け、様々なワークショップを企画している。 更に、坐る文化研究所との共催で、様々なイベントも開催している。 2007年6月30日の雑記帳に書いたシタールのホームコンサートも、その一環で行われたもの。 同社のHPのワークショップのページにも、その時のことが紹介されている。 私が書いた雑記帳の文章だけでは当日の雰囲気が判らないという方、あるいは坐る文化研究所の活動内容について知りたい方は、そちらも御覧になって下さい。



2008.05.03:【書籍】新・都市論TOKYO

書名
新・都市論TOKYO
著者
隈 研吾
清野 由美
出版社
集英社
発行
2008.01.07
関連サイト
集英社新書WEBコラム
※1
イノセンス
2004年に公開されたアニメ映画。 士郎正宗原作の攻殻機動隊の世界観を見事にアニメ映像化した「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の続編として作られた作品。

押井守は、その作品「イノセンス※1」の中で、都市について登場人物に以下のように語らせている。

「生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら、社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならないし、都市は巨大な外部記憶装置って訳だ。」

面白い都市論だと思う。 しかしながら東京に限って言えば、その機能は大いに不全を来たしていると言えよう。 堆積し継承されるべき記憶は、個々の利欲によって常に上書きされ続けている。 つまり、「外部記憶装置」という以前に、単に「欲望表徴媒体」なのだ。

本書は、そんな渦中における都内のトレンド数カ所について、そこに孕む諸問題や現象に鋭く切り込んでいる。 難しい事柄を判りやすく表現しつつ的確に指摘する隈研吾の文章は、どれもが素直に納得でき、読んでいて心地よい。 そしてその言説を補完するように、清野由美との対談形式で実際に現地を巡りつつ、それぞれの場所についての論評を載せている。

本書では触れられていないが、都市の諸問題の端的な一例として、マンション建設に絡んで生じる近隣住民との軋轢がある。 事業収支の帳尻合わせのために法的に許容される最大容積を確保したマンションを計画する開発業者に対し、景観や環境の観点から計画規模の縮小を求める近隣住民が建設反対運動を起こす構図は、全国いたる所で頻発している。 この辺りをテーマに掲げた場合、御両人はどのような議論を展開するであろうか。 また、大規模再開発であった東京ミッドタウンについて、この書籍ではあまり触れられていない。 著者が当事者側の一人であったためであろうか。 さらりとかわして終わらせてしまっている。 先行した六本木ヒルズと結果的に似た事業になったとはいえ、土地取得のプロセスは全く異なるし、六本木ヒルズの動向からフィードバックされた事業計画の策定内容もあるでのはないか。 その辺りを含めた踏み込んだ比較論を展開して貰えると、より面白かったかも知れない。 そして、「ヒルズ」といえば、表参道の事業もある。 人気スポットの老朽化に伴う建替えに係る当該プロジェクトの位置づけや普遍性は如何に。 あるいは、全くの白紙からの開発事業である埋立地、例えばお台場もテーマの一つとなり得るだろう。 都市を検証する題材は無尽蔵だ。

ところで、本書に取り付けてある帯に、本文の一部が載せられている。 そこには、

「とっても洗練されている。とってもスタイリッシュである。とっても居心地がいい。とっても安全だ。で、それがどうしたの?」

とある。 なかなか挑発的な言葉だと最初は思ったけれど、しかしよくよく考えてみると、建築家からその拘りを取り除いたら一体何が残るのだろう。



2008.04.26:間取りと外観
※1
書名
日本のすまいI・II・III
出版社
勁草書房
発行
1975〜80年

備考
蛇足だが、冒頭で提示したとあるメーカーとはセキスイハウスではない。

とある住宅メーカーの新聞折込みチラシの中に、「同じ間取りでも外観はこんなに変えられます!!」と書かれたモノが目に留まった。 提示された一つの間取りに対して、CGで描かれたリアルな6種類の外観パースが載せられている。 それらは、南欧風、北欧風、レイトモダン、クラシカル、和風等々、多種多様だ。 同じプランでここまで異なる外観が作り出せるものかと感心する一方、何か違和感を覚えずにはいられない。 間取りに関係なく成立する外部ということに素直に納得できないのだ。 こんな気持ちが生じるのはなぜだろう。

外観だけではない。 インテリアだって、同じ間取りから様々なデザインが成立可能である。 売れ筋のカラースキームを何種類かパッケージ化し、更にオプションパーツを多種用意して任意の組み合わせを可能にすることで、様々な顧客ニ−ズを包括する商品戦略は、昔から住宅メーカーでシステム化されてきた。 それを外観デザインにも拡大したと考えれば良いのかもしれないが、本当にいいのか?と思ってしまう。

「住宅メーカーの住宅」のページに登録しているセキスイハウスの「グルニエのある家」の中で、「共通の平面形式を採用しながら、全く異なる内外観を実現しているところが面白い。」と書いた。 この記述と上記の疑問は矛盾しそうだが、そうではない。 この場合、共通なのは形式であって間取りそのものではない。 共通の形式性を持ちながらも、個々の商品性に応じ、間取りや内外観のディテールに巧みな調整が図られていたと思う。 少なくとも、戸建住宅という建築用途においては、その調整が最低限のデザインの良識ではないか。

西山夘三は、三冊組みの大著「日本の住まい」※1の中で、以下の様に述べている。

「メーカーたちの宣伝合戦の中で、住宅の本質的性能とあまり関係の無い「外観」がさも意味ありげに取り沙汰され、よりよいすまいを求める国民の意欲があらぬ方向にみちびかれていく」

私が抱く違和感の理由の一部を的確に説明して余りある一文である。



2008.04.19:田上義也と北海道

この雑記帳の場でも何度かとりあげている「匠の学校」に出席。 鎌倉在住の建築家、大沢匠氏が御自身のアトリエで開催している私塾だ。 今回は、「田上義也と北海道」というテーマで私のほうでまとめた資料を発表させて頂いた。 田上義也(たのうえよしや)。 北海道を拠点に、齢92に至るまでの間、800余の建築作品を創り出した建築家である。 この建築家に対する私の印象は、大方の評判と同じく「蝦夷ライト」であった。 かのフランク・ロイド・ライトのデザインを器用に真似て住宅を設計した人といった程度の認識だったのだ。 しかし、今回資料をまとめるために色々と調べるうちに、そういった印象は薄れていく。 そして、実に興味深い人生を歩み、華麗な業績をのこした人物であることを知ることになった。 かつて札幌に住んでいたころに、このように田上について勉強するきっかけを持っていればと少し後悔する。 当時は、まだ田上が手掛けた小粋な洋館が市内の円山地区を中心に幾つか現存していた。 しかし、大して興味も沸かなかったので、近傍を訪ねても素通りしていたのだ。 今になって改めて見てみたいと思っても、そのうちのいくつかは除却されてしまい、既にこの世に存在しない。

「匠の学校」の終了後、大沢夫妻と次回の打合せを行う。 いや、打合せの筈がいつものように脱線してしまい、美味しい手料理とお酒を頂きつつ建築談議に花を咲かせることとなった。 今回は、建築空間における真行草の話で盛りあがったが、とても楽しく充実したひと時だった。



2008.04.12:アニメと町並み
※1
1993年5月5日、テレビアニメとして放映。 原作は、氷室冴子。 続編がドラマ化されている。
※2
サイト:
海がきこえるを歩く
※3
1988年〜1991年の間、講談社の週刊モーニングにて連載。 後にドラマ化されている。

町並み紀行のページで紹介している富山県の城端に人気が集まっているという記事を目にした。 この地を舞台にしたアニメ「true tears」に魅了された視聴者が、ロケ地の巡礼に訪れているのだという。 どんなきっかけであれ、町並みに対する興味を持って貰えるというのは良いことだと思う。

私はこのアニメは未見だ。 しかし、恐らくは同じ系統ということになるのであろう作品として、「海がきこえる」※1がある。 かのスタジオジブリが製作したアニメだ。 有り体に言ってしまうなら、清廉潔白青春恋愛物語ということになるが、作品全体に流れる何ともいえぬ空気感に惹かれ、その舞台となった高知まで実際に出向いたことがある。 その時は、こんなことをするのは私くらいなものだろうと思っていたが、とんでもない。 作品の中で描かれた場所を子細に巡り、HP※2で詳しく紹介している方がいらっしゃる。 その行動力には驚嘆する以外に無い。

アニメではなく漫画だが、尾瀬あきら著の「夏子の酒」※3でも、私の育った長岡の町並みが時折描かれていた。 この漫画の連載時期が、ちょうど私が長岡を離れて間もない頃だったので、背景に長岡市のリアルな描写を見つけ、ホロリときたことがあった。

この様に、実在の街を舞台とした作品は他にどのようなものがあるのだろう。 そして、それらの中で、それぞれの町並みはどの様に描かれているのだろう。 その辺りを主眼にアニメ作品を観てみるのも面白いかも知れない。



2008.04.05:【書籍】住宅アンソロジー 1981-2000

書名
住宅アンソロジー 1981-2000
著者
日経アーキテクチュア+松浦隆幸
発行
2008年3月31日
※1
「都市・建築・芸術の総合誌」として、1965年1月に創刊された月刊誌。 SDは、スペース・デザインの略。 編集は、鹿島出版会。 2000年12月をもって一時休刊。
※2
月二回発刊される総合建築情報誌。 書店では販売されていない。

SD誌※1の1988年1月号の中で建築家原廣司は、「建築はひとえに新しさをもって評価されねばならない」と述べている。 同じ文中で、それが「一気に単純化」した「無意味な自明性」と断ってはいるが、ここで言う「新しさ」とは、単に時系列上の新旧を指すのではない。 新進性とか前衛性といった言葉に置換し得る「新しさ」ということだろう。 そして、時を経てもなお竣工時の「新しさ」を保持していることも、評価としては大切だと思う。 更に個人的な嗜好を介在させるとするならば、経年により醸成される「何か」を宿していること、あるいは醸成されつつある建築であることも加えたい。 その「何か」について適切な言葉を見出すには至っていないのだけれども、とりあえず「経年優化」とか「古美る」という言葉がそれに近いかも知れない。 ともあれ、新築時の様態によってのみ建築を評価するのは、片手落ちだ。 冒頭の原廣司の文言を援用するならば、「建築はひとえに経年をもって評価されねばならない」というのが建築に対する私の想いである。

そんな意味において、この書籍はとても興味深い。 80年代から90年代にかけて話題をさらった先駆的な住宅のその後について、住人や設計者への取材を織り交ぜながらまとめている。 基本的には、日経アーキテクチュア誌※2の2007年7月24日号の特集「有名集合住宅その後」と、2007年9月24日号の特集「挑戦の家、その後」の内容を再編集し、更にそれらと同時代に発表された他の作品を紹介するページを加えた構成。 読み物としてとても面白いが、紹介されているいずれの住宅についても、実際に住んでみたいという気が起きないのがなかなか微妙なところだ。 そして少々気になるのが、「住めば慣れる」という住民の言葉が書籍中に何度か出て来ること。 この言葉ほど、建築家の存在意義や、あるいはその建築に込めた建築家の想いを封殺する鋭利な表現は無いだろう。

いずれにせよ、建築ジャーナリズムは、新しい建築の紹介だけではなく、それらの建築が辿る変容に対してももっと積極的であるべきだと思う。

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