|
|
2006.12.23:【書籍】ギャラリーフェイク
|
|
|
|
1992年から2005年まで「ビッグコミックスピリッツ(小学館)」に連載されていた漫画。
古今東西の様々なアートを題材に、ひと癖もふた癖もある登場人物を織り交ぜながら物語が展開する。
単なる漫画と侮れないのは、アート作品やアーティストについての含蓄も楽しめることであろうか。
漫画を読むだけで少し利口になったような気分になれるところが良い。
長期に亘る連載期間中に描かれた数々の作品の中に、建築家を題材にしたものも二つある。
一人はガウディ。もう一人はライト。
まぁ、巨匠と呼ばれる建築家の中から二人だけ選ぶとなった場合、無難な選択といったところか。
また、インテリアに関しても、アールデコが取り上げられている。
舞台は庭園美術館だ。
そして、都市の佇まいについて扱われたエピソードもある。
例えば、パリのパッサージュ、あるいは京都。
特に、京都について取り上げた、第20巻収録の「KYOTO POP」は、歴史的町並みを遺す中核都市の諸問題に鋭く切り込んでいて興味深い。
このエピソードの結末に描かれている踊りの師匠の言葉は、京都が抱える現状を実に的確に示唆している。
そしてそれは、京都に限ったことではない。
|
|
|
|
|
|
2006.12.16:手帳
|
|
|
|
いつも使用している手帳には、仕事などの予定だけでなく、その日行ったことや出来事といったこともメモしておくことにしている。
日記帳のように詳細を書き連ねる訳ではなく、項目を箇条書きする程度。
そもそも幼少の頃より日記をつける習慣は殆ど身につかなかったし、沢山書き込めるほど紙面の大きな手帳を使用している訳でもない。
以前から使っている手帳は、上着のポケットに違和感無く入る程度の小型のもの。
大判で分厚いシステム手帳の様なものは使う気になれない。
7年前から、高橋書店製の「No.77 ニューダイアリー3」という手帳を毎年使っている。
値段も手頃だし、170mm×85mmという大きさも使い勝手が良い。
手帳の中は、5.5mm間隔の横罫線を基本としたレイアウトになっているが、その罫線一段に文字を二列書き込むことにしている。
このくらいの密度であれば、小さな手帳でも結構色々なことが書き込める。
項目の羅列のみであっても、数年後に読み返してみると結構面白い。
色々書き込むことによるプライバシーやセキュリティ上の問題は?などと心配して頂ける人もいらっしゃるかも知れないが、心配無用。
他人が読めるような綺麗な字は書いていません。
|
|
|
|
|
|
2006.12.09:51C型
|
|
|
|
12月5日の読売新聞のコラム「緩話急題」に、51C型という間取りのことが少し触れられている。
タイトルは「小さく暮らす美しさ」。
家族構成や生活条件の変化にあわせ、小さな家に住み替えるという選択も良いのではないかといったことを示唆している。
短文ながら、なるほどと思わせる内容だ。
51C型とは、1951年に公営住宅の標準型として策定されたプランの名称である。
現在に至るまで間取りの概念として脈々と受け継がれているnLDKという形式の原点になったといわれている。
また、狭小空間でありながら寝食分離を具現化したことや、ステンレス製キッチンを標準採用したことなど、画期的な設計や仕様が評価されている。
前回(2006年12月2日)の雑記で、私が最初に住んでいた家のことについて触れた。
間取りの詳細は不明と書いたが、よくよく考えるとその骨格は51C型に類似していたのかもしれない。
まだ推測の粋を出ないが、諸室の配置に共通点が認められる。
|
|
|
|
|
|
2006.12.02:1番目の家・考
|
|
|
|
11月23日〜26日まで北海道の実家に帰る。
空港を降りたって眺める北の大地は、前日からの降雪でうっすらと雪化粧をまとっていた。
例年とは少々趣を異にする初冬の様相。
更に24日は、このまま根雪になるのではないかと思わせるような本降りの雪。
こうなると、おとなしく家の中で過ごすしかない。
ということで、暇つぶしに私の1番目の家の間取りを調べることにした。
住まいの履歴のページの中に掲載している2番の家Phase-1で紹介している通り、私が一番目の家で過ごしたのは生後僅かな期間であった。
従って、空間体験に関する記憶は一切無く、ましてや間取りを覚えている筈もない。
ということで、幼児期のアルバムを引っ張り出し、室内の様子が撮られている写真から図面を起こしてみる。
しかし、どうしても辻褄があわない。
親にも聞いてみるが、遠い過去の話。
両親にしてみても、この家で過ごしたのは短い期間であるため、記憶も曖昧にならざるを得ない。
とりあえず、建物形式が二戸一内部階段形式の壁式鉄筋コンクリート造3階建てアパートであったことは判った。
住戸はその2階部分に位置し、間取りは3DK。
南側は6畳の和室とダイニングキッチン、そして浴室やトイレ等のサニタリー部分が並ぶ。
北側は6畳と3畳の続き間の和室と玄関が配置されていた。
この続き間は三本引きの襖で間仕切られていて、1間半を開放することが出来た。
一方で、南北それぞれの6畳の和室は隣接しているにもかかわらず壁面により分け隔てられていた。
恐らく耐震壁だったのであろう。
そのほか、和室の畳の敷き方や押入の形状や開口部の形式等も写真から読み解くことが出来るが、さすがにサニタリー部分や玄関を撮ったものは無く詳細は不明である。
2番目の家に引っ越して以来一度も現地は訪ねていないが、地図等で調べる限りではどうやら建替えられているように読みとれる。
また、国土交通省で公開している「国土情報ウェブマッピングシステム」で調べてみると、1976年当時の空撮による外観を確認することが出来る。
トタン屋根を葺いた勾配屋根に集合煙突が付いていることまでは確認できるが、それ以上は不鮮明で外観の確認は困難である。
従って旧態を正確に把握することは、今のところほぼ不可能な状況だ。
|
|
|
|
|
|
2006.11.26:【DVD】東京スキャナー
|
|
|
|
都市を俯瞰した航空写真を見るのが好きだ。
「Google Earth」や「Google マップ」、「国土情報ウエブマッピングシステム」等々、ウェブ上で空撮画像を公開しているサイトがいくつかある。
あるいは、新聞に入る新築分譲マンションの折り込みチラシの中には、計画敷地周辺を俯瞰した航空写真を載せているものもある。
このようなものは、一日中見ていても飽きない。
そんな都市俯瞰画像大好き人間にとってはたまらないDVDが、この「東京スキャナー」である。
六本木ヒルズの中にある森美術館のオープニングエキシビジョンとして開催された「世界都市〜都市は空へ〜」展で上映された作品をDVD化したもので、森美術館のアートミュージアムで限定販売されている。
ハイビジョンカメラによる東京都心の空撮映像で構成されているのだが、押井守氏が監修ということで、どこか「機動警察パトレイバー」や「攻殻機動隊」のようなテイストが漂っているように思う。
上空高くから低空まで一気にズームインするかと思えば瞬時に別の場所に移動する映像のスピード感が何とも心地よい。
もっとも今であれば、「Google Earth」でもっと過激な視覚体験が可能なわけであるが・・・。
それにしても、東京の変貌ぶりは凄まじい。
ほんの数年前の作品であるにも関わらず、収録されている映像は既に情報としては古いものとなってしまっている。
例えば東京駅周辺では、この作品には収められていない超高層ビルが数本建設中だし、再開発のために数棟の建物が解体中である。
この解体中のビルの一つに入居していた建材メーカーの人と最近打合せをする機会があった。
その人が入社した頃にこのオフォスビルが竣工し、会社がテナントとして入居したという。
それが三十余年前のことだそうだ。
勤め人の歩みとしては長いスパンではあろうが、建築の歴史からすればあまりにも短いとはいえないか。
そのことは御本人も少々寂しげに語っていた。
|
|
|
|
|
|
2006.11.18:【書籍】風景学・実践篇―風景を目ききする
|
|
|
|
都市の風景について論じた書籍というのは、だいたい似たり寄ったりだと思っていた。
乱暴に括ってしまえば、混乱した日本の景観を嘆くか自嘲してみせるだけのものが殆どでなのではないか。
そこには何の前進も無い。
よって、この書籍を図書館の書棚に見かけた時も、そんなに期待を持てなかった。
しかし少しページをめくってみると何かが違う。
海外は勿論、現代の日本の風景に対しても、それを前向きに捉え新たな目利きの術を示唆する。
その文章が極めて美しく、知らず知らずのうちに引き込まれる。
しかも論じられている内容一つひとつがしっくりと腑に落ちる。
結局借りるだけでは気が済まず、購入するに至った。
一回読んでおしまいという本ではない。
風景を巡るその美しい言葉の羅列に身を任せるべく何度でも読み返したい書籍である。
「建築探訪」や「建築の側面、もしくはウラ」のページに載せている建築は、その殆どが建築ジャーナリズムに紹介されたことがない、あるいはその機会が少ない地味な存在である。
しかし、都市の大半を占めるそのような建物のデザインに対して自分なりに見立てを行うことで、何か別の「佇まい」が見えてくるのではないだろうか。
そんな気がしている。
|
|
|
|
|
|
2006.11.11:都市緑化の秋
|
|
|
|
右の画像は、散策中に偶然見つけたもの。
建物屋上のススキとツタ。
人為的な植栽か、それとも自生かは判らない。
ポールに絡みつく紅葉したツタが健気で微笑ましい。
そこに風情を添えるススキとのコラボレーション。
少々いびつながらも、都市の片隅にささやかな秋の佇まい。
有楽町にある東京国際フォーラムの地上広場に植えられているケヤキ群も徐々に紅葉している。
夜になると、わざわざ赤系統の照明を当てて紅葉を強調しているのだが、余計なことだと思う。
新緑の時期にも緑色の光で照らす演出を行っているが、不自然なこと極まりない上に不気味だ。
周囲の建築照明や街灯の中にひっそりと浮かぶ夜間の紅葉というのも、都市緑化ならではの風情であろう。
わざわざコストをかけて変にライトアップするよりも、そちらの方が良いように思う。
まあ、この辺は好みの問題ではあるが。
この広場のケヤキ。
施設の竣工当時は、都市の中に豊かな緑の空間を創出させたといった印象でとても好感を持てた。
しかし十年経った現在、それらの木々が何か痛々しく見える。
ケヤキの特徴であるたっぷりとした枝振りが見受けられない。
いずれも、地下施設との間の僅かな深さのピットに植えられ、床面は殆どを石材で覆われている。
更に、人とビル風が間断なく通り抜け、日照も十分とはいえない。
樹木にとっては過酷な空間なのかもしれない。
|
|
|
|
|
|
2006.11.04:鎌倉トタン展
|
※1:
ギャラリー夜景
|
|
|
|
鎌倉市で建築設計事務所を主宰する大沢匠氏のオフィスに併設されているギャラリー※1で開催されている「鎌倉トタン展」を見に行った。
鎌倉市内に散在する、外壁や屋根にトタンを纏った建築物を写真で紹介する個展である。
古都として捉えられがちな鎌倉市で、トタンに着目したというところが新鮮だ。
個展に合わせて開催された「トタンの道具学」というタイトルのトークショーも興味深い内容であった。
それまでは、トタン建築というジャンルに対する意識は無かった。
しかし、その視点で今まで自分で撮り溜めた写真を見直すと、なかなか面白い発見がある。
その多くは北海道の建物であるが、北海道も鎌倉に劣らぬトタン建築の宝庫かも知れない。
日本の佇まいに対する新しい視点を見出すことが出来た。
ニシン漁家建築のページに旧木村家住宅を追加した。
これを機会に、コンテンツを製作順から所在地順に並べ替えた。
順序を整理するほどのコンテンツ数でも無いけれど、南側から順番に並べることにした。
並べてみて改めて思ったのであるが、濃昼(ゴキビル)や浜益までが石狩市という住所であることに違和感を覚える。
かつてこれらの地は、厚田や浜益という独立した地名の下にあった。
それらが、近年の市町村合併により石狩市という住所の中に組み込まれた訳である。
しかし、個人的には石狩というと札幌の隣町というイメージがある。
それよりもずっと北の方に位置する集落までもが石狩市というのは、何かピンとこないのだ。
私が育った町である新潟県長岡市も、近年周辺市町村と合併したが、同様の印象を持つ。
|
|
|
|
|
|
2006.10.28:レンタルサイクル
|
|
|
|
散策目的で遠出をした際にレンタルサイクルサービスがあると非常にありがたいといつも思う。
数年前に喜多方を訪ねた時は、駅前にいくつもレンタルサイクルを扱う店が出来ていた。
早速借りて、市内は勿論少し離れた集落まで自転車で巡った。
それ以前に喜多方を訪ねた時には無かったように思う。
もっとも、まだ春浅い時期であったし、単に私が気づかなかっただけかもしれない。
以前泊まった新潟県長岡市のビジネスホテルでも、宿泊客向けに自転車を貸し出していた。
粋なサービスである。
チェックイン後、少し落ち着いてから借りる手続きをとった。
そして夜の市内を自転車で疾走する。
なかなか爽快である。
何せ勝手知ったるかつての居住地。
記憶をもとにその場に行けば、期待を裏切らぬ佇まいが残っているところがうれしい。
そして、市街地の規模が適切で、少し走り廻るだけで目的の範囲を概ね巡ることが出来るのもうれしい。
そんな街を、自分の日常生活エリアから遠く離れた場所に持ち得ているというのも、これまた今となってはうれしいことである。
その地の佇まいを直接感じながら、しかも程度なスピード感で彷徨することが出来るという点において、自転車は理想的なフィールドワークツールだと思う。
もちろん、人によってはそれがバイクであったりジョギングであったりするのだろう。
|
|
|
|
|
|
2006.10.21:【書籍】ニューハウス
|
|
|
|
月刊の住宅専門誌である。
創刊が1962年だから、現役の住宅専門誌の中では老舗ということになるのだろう。
更に、出版社のサイトに掲載されている沿革によると、前身の冊子まで遡ると1932年が創刊なのだそうだ。
別に定期購読もしていないし、そもそも最近あまり読んでもいない。
むしろ欠かさずに読んでいたのは高校1年から2年にかけての頃であった。
今でもやっているのかどうかは確認していないが、当時は「読者と考える住宅の間取り研究」という企画が毎号組まれていた。
有り体に言えば、読者相手の住宅間取りコンペである。
敷地形状と設計条件が提示され、それに従ってプランを考えて提出し、プロが審査。
その結果が二ヵ月後の紙面に掲載されるというもの。
当時、これに毎回応募していた。
何度か入選するが、残念ながら準佳作とか準々佳作といった下位の評価ばかり。
上位入選だと提出プランが掲載されるのだが、そのようなことは一度もなかった。
一番良い賞で佳作。
賞金は五百円分の図書券だったろうか。
しかし下位の評価であっても、入選者の名前と講評だけは掲載されることになっていて、それだけでも結構嬉しいことであった。
ちなみにこの月刊誌、当時は裏表紙が必ずミサワホームの広告だった。
その頃まではミサワホームにハマッていたので、この裏表紙も楽しみの一つであった。
ところで、「住宅メーカーの住宅」のページに、ようやくミサワホームのO型というモデルを載せた。
この雑記帳の場でも何度か言及した住宅モデルである。
実は結構前からある程度ページの体裁は出来上がっていたのだけれども、チマチマと修正や加筆を繰り返すうちに、収拾がつかない状況に陥ってしまった。
これではキリがないと、半ば無理やりUPしたという次第。
それはつまり、言及すべき内容が多岐に亘るすばらしいモデルであることの裏返しということにしておこう。
|
|
|
|
|
|
2006.10.14:再築システム
|
※1:
ミサワホームSIII型の玄関側ファサード
※2:
日本の住宅の寿命として平均26年という数値を提示しているデータがある。
約四半世紀であるから、件のSIII型は平均寿命は概ね全うしたと言えるのだろうか。
ちなみに本文にも記述したが、寿命と耐用年数は必ずしも同義ではない。
|
|
|
「住宅メーカーの住宅」のページでも紹介しているミサワホームSIII型※1が数棟並んで建っている場所が、近所にある。
そのうちの一棟が、いつの間にか除却され更地になっていた。
建設時期は定かではないが、このモデルの発表が1980年の1月ということを鑑みれば、現時点で概ね四半世紀は経過していたということになろうか。
四半世紀というと長いスパンの様に思えるが、それが住宅のこととなると話は別である。
日本の住宅の寿命が極めて短いことを改めて実感させられた※2。
ところで、状況はこのSIII型のみに留まらない。
ここ数年の間に、私の居住地の近所に建つ80年代頃に発表されていた住宅メーカーの住宅が除却されるケースが散見される。
それらはいずれも、耐用年数を超えて物理的な存続が困難な状況に陥っていたという訳ではない。
むしろ、目視で確認可能な範囲では旧態をよく維持していたように思う。
また、内装や設備の陳腐化ということであるならば、リフォームで対応する方策は幾らでもあるだろう。
つまり、住宅の性能や品質とは別次元の事情で取り壊しが余儀なくされているように思われるのだ。
例えば積水化学工業のセキスイハイムのように、自社設計施工の住宅について、解体・回収しリサイクルするビジネスモデルを構築しているメーカーもある。
「再築システム」と称するこの仕組みは、ユニット工法という住宅生産システムゆえに可能なビジネスモデルであろうか。
環境負荷低減ということを鑑みるならば、住宅メーカーが手掛けるいわゆる「工業化住宅」に関し、このような体制の強化がより一層求められるのではないだろうか。
|
|
|
|
|
|
2006.10.07:【書籍】図説日本の町並み
|
|
|
|
全12巻からなる「図説日本の町並み」という本が 第一法規出版から1982年に出版されている。
歴史的な町並みが残る国内の様々な集落について、豊富なカラー写真とエッセイ、そして学術的な解説が記載されている。
学生の頃から、国内の古い町並みを訪ね歩くことが好きだった。
そして出かける際には、図書館等でこの本に目を通し、あらかじめ色々調べてから目的地に赴いた。
という訳でとてもなじみの深い書籍なのだが、有用なので購入しようと思った時には既に絶版。
入手はあきらめていた。
ところがある日何気なく東京駅八重洲口の地下商店街にある古書専門店の前を通ったところ、通路に面したショーウインドウの中にこの本が全巻ディスプレイされていることに気づく。
書籍との縁と言ってしまうと何か良くありがちな話になってしまうが、まさか自分がそのような場面に出くわすとは思いもしなかった。
もっとも、今であればネット検索にて容易に入手出来る可能性もある訳で、そうなると何だか話がつまらなくなる。
でもって、もちろんその場で即購入。
全巻揃うと相当の重量なので店の人から郵送を薦められたが、すぐにでも読みたかったので持ち帰りにした。
紙袋を二重にして底が抜けないように店員さんが気を遣ってくれた。
しかし、あまりの重さに持ち帰る最中は少し後悔することになった。
|