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2007.01−2007.03
2007.03.31:品川駅界隈
※1

品川グランドコモンズ
隣棟間隔が殆どとられずに建て込まれた超高層ビル群の「壁」。 2000年から2003年の間に一気に建設された。

22日に国土交通省から公示地価が発表され、その概要が新聞紙上等で公表された。 読売新聞では毎年、この公示地価を列記するページに東京都心の空撮画像を掲載している。 今年は品川駅界隈の超高層ビル群。
付近一帯の大規模再開発プロジェクトとして先行し、比較的高い評価を得た品川インターシティや、それに隣接する比較的評価の低い(?)品川グランドコモンズ※1等が建ち並ぶ一帯だ。 少し離れた運河沿いに、その乱立ぶりと熾烈な販売競争が「湾岸戦争」などと呼ばれた超高層マンション群も見える。
いずれも、ここ十年の間に作られた超高層建築物であるが、それらが写し込まれた画像を見ていると、若干のめまいを覚えそうになる。 土地のポテンシャルにモノを言わせた敷地のバラ売りとグランドデザイン無き混沌とした再開発行為。 日本が初めて獲得した超高層ビル群による美しい都市景観という印象であった品川インターシティですら、もはやその混沌の中の一要素にしか視認され得ない。 松葉一清氏は、その著「新建築ウォッチング2003-04 TOKYO EDGE」の中でこの状況を、「東京の都市づくりを、賽の河原の石積みに止めおく」と表現しているが、言い得て妙。 唯一の救いは、インターシティとグランドコモンズの間に施された全長約400mの緑地帯「品川セントラルガーデン」の存在か。 都市の救世主は、建築家ではなく造園家なのかもしれない。

2007.03.24:春告魚
※1
メバルのことを指す場合もあるらしい。 ちなみにニシンは漢字で魚偏に非とも書く。 「魚に非ず」という程に、かつての北海道においてはニシン漁は重要な産業の一端を担っていた。

※2
「くき」と読む。 春先、ニシンが産卵のために大群を成して岸に押し寄せる様子を言う。 または、白子により一帯が乳白色に染まる現象を指す。 北海道における群来の記録は1950年代で途絶えていた。

※3

「ニシン漁家建築」のページでも紹介している「旧木村家番屋」。 背後に鉛色の冬の日本海。

北海道ではニシンを「春告魚」と書く※1。 春の兆しと共に、かつては大量のニシンが北海道沿岸に産卵のために回遊した。 そんな季節の風物を指して、この詩的な表現が使われるようになったらしい。

そんな道内では、今年は久々にニシンが豊漁なのだそうだ。 豊漁といっても、かつての様な活況は望むべくもないのだろう。 しかし、このところ数年に一度の割合で、場所によっては小規模な群来※2が確認されているらしい。 漁獲高の無量から無への凋落という異常な状況が改善する兆しであるならば喜ばしい。

その無量から無への変節の渦中で、多くのニシン漁労関連施設※3が無用の長物と化した経緯は、過去の雑記にも書いた。 そしてその多くが廃墟と化している現況も、「ニシン漁家建築」のページで紹介している通り。
しかし廃墟となったが故に、一部は現在まで遺ったともいえる。 そしてある程度の旧態を、曲がりなりとも物理的に確認可能である訳だ。
もしもニシン漁が往時と同様に現在まで継続して活況を呈していたならば、番屋建築は業態に合わせて旧状を留めぬほどに改変されていたかもしれない。 あるいは全く異なる建物に建て替えられた可能性もあろう。 歴史にまつわる皮肉と偶然に思いを馳せずにはいられない。

また、ニシン番屋を訪ね歩くために利用する海岸沿いの国道は、無用の長物と化した番屋の除却によってその用地が確保された。 番屋を観に行くために、おびただしい数の番屋を壊して造られた道路を通る。 これも、歴史の皮肉だろうか。

2007.03.17:【書籍】集合住宅の時間

2月11日の雑記にも記したジュンク堂書店池袋本店で催されている「JUNKU連続トークセッション」を再び聴講して来た。
今回のテーマは、「集合住宅の時間」。 講師は、同名の本を出版している大月敏雄氏。 国内の様々な集合住宅について紹介する内容であった。
この手のテーマは十分手垢にまみれているのではと思っていたが、それはとんだ認識違い。 またしても新たな知識を得る機会となった。 集合住宅はジャンルとして相当奥深い。
考えてみれば、公共と民間,RC造と木造,分譲と賃貸等々、その形態と組み合わせは実に多種多様。 私の貧弱な見聞など到底及ぶところではない。 そんなバラエティに富んだ様々な集合住宅について、大量の事例写真と共にテンポ良く解説がなされた。
そして講義は、単なる物件の概要紹介だけには留まらない。 各事例に内在する住まいを巡るテーマや課題についても浮き彫りにするところがとても面白かった。

書籍も、講義のテンポの良さをそのままに構成されている。
タイトルに「時間」という言葉が入っているのは、単なる個々の建物の紹介だけではなく、それらの建物が経てきた変遷について触れられているためであろう。 例えば、増改築の過程などについて言及されている。 更には、マンションにおけるコミュニティの発生の在り方についても述べられているところが興味深い。

過剰に集積して住まざるを得ない都市の状況下にあって、集合住宅という建築形態は、好む好まざるに関係なく日本のたたずまいの中で重要な位置づけを為している。 いずれ何らかの形で、当サイトでも集合住宅について取り上げてみたいと思う。

2007.03.10:火鉢を囲んで建築の歴史

昭和の暮らし博物館で、今年も土曜夜間講座「火鉢を囲んで建築の歴史」が始まった。
毎年二月から三月の時期に開催されるこの催し。 今年で八年目になるそうだが、私は2001年から受講している。
戦後まもなく建てられた木造住宅の二部屋の続き間の和室が会場。 火鉢を囲むというよりは、和室のキャパシティの豊かさを十二分に実感出来る状況下で、近代の建築の歴史を中心とした講座が繰り広げられる。

館長の小泉和子氏は生活史の研究をされている方で、著作も多数。
私は、施設の名称にもなっている「昭和のくらし博物館」と題する書籍を持っている。 そのタイトル通り、昭和時代の生活道具の紹介を中心に内容が構成されている。 そこには、道具を実際に使用している日常生活の様子を捉えた写真が多数掲載されている。 まるで、昔から当該書籍の出版を前提に写真を撮り溜めていたのではないかと思わせる程である。 私よりも、母や祖母の方がこの本に対する評価は高い。 当然といえば当然か。

現在の居住地からは少し離れているので、通うには少々気合いがいる。 今回計画されている全四回のうち、既に一回は欠席になってしまうのだが、他の講座には出席したいと思っている。
ちなみに、全然更新していない「住まいの履歴」のページに記述している番号に従うならば、7番目の家となる私の住まいは、この博物館の近所であった。 1993年4月〜1995年5月まで住んでいた。 既に十年以上も前のことになるが、ついでに周囲を散策して当時を懐かしむ目的もあって講座に申し込んでいる面もある。

2007.03.03:ミサワホーム55補足
※1

この棟は現在空き家になっている。
窓廻りの化粧柱や軒化粧材の表面仕上に用いられた木目調塩ビシートの退色具合に、時の流れを感じる。

※2
実物大試作モデルで様々な検証を行ってから商品化するプロセスは、資本力を持つ住宅メーカーならではの強みであろう。 ミサワホームに関しては、当時の最高級規格モデルであるG型についても、商品化の1年近く前から試作モデルを作っていた事実を示す資料を最近発見した。

「住宅メーカーの住宅」に「ミサワホーム55」を追加した。
このモデルの発売は1981年の1月であるが、当時私は新潟県の長岡市に住んでいた。 発売前後には、地元の新聞である「新潟日報」に何度か記事にされている。 右の画像は、そんな記事の中の一つ。 県内の第一号となった施工現場を写真付きで紹介したもの。
記事によると、当時は新潟県は販売対象地域外。 施主は東京で打合せや契約を行い、建築を実現したそうだ。

このモデルについては発売当初はあまり感心出来ずにいた。 当時としては斬新過ぎる面があったのだと思う。 あるいは本文の方にも書いたが、ユニット工法による間取りに対する違和感が拭えなかった。 同時期に発表されていた同社の木質パネル工法による規格型の商品群に共通して見受けられた、練り尽くされた緻密なプランを堪能する状況からは程遠い印象であった。
プランはともかくとして、モデルそのものに対する評価が変わってきたのは数年前であったろうか。 ミサワホームタウンとして開発された千葉県内の住宅団地内で、このモデルが群を成して建てられているところを見てからである。 同じ規格の家が連なる光景は、本来異様なものかもしれない。 ところが、年月を経て豊かに成長した植栽群の中に石積調の分厚い白壁が連なる様は、とても重厚で端正な佇まいであった。 薄っぺらなサイディングを身に纏った住宅が建ち並ぶ昨今の住宅団地と比較すると、非常に豊かで美しい景観が掲載されていると思った。

私の現在の居住地近傍にも、数棟並んでこのモデルが建てられているところがある※1。 その中には広いリビングルームを店舗に改造した住戸もある。
そして、それらとは少し離れた場所に、当時のラインアップとは明らかに異なりながら、その外観構成要素が初期ミサワホーム55と殆ど同じ住宅も建っている。 国土情報ウェブマッピングシステムで調べると、1979年に撮影された航空写真の中に、この住宅の存在を確認できる。 つまり、商品化の一年以上前に建てられたプロトタイプモデル※2。 興味深いその住宅には、現在も人が住んでいる。

いわゆる工業化住宅メーカーは、廉価で高品質な住宅の大量供給という確固たる目標若しくは使命感が、かつてはあった様に思う。 あるいは、工業化住宅が本来的な意味においてその意義を発揮し得たのは、そのような社会的要請が存在した70年代から80年代半ばまでの間だったのかもしれない。 ミサワホーム55の開発時期もこの期間に重なる。
しかし今は、多様化するニーズに適格に応える技術が要求される時代。 各メーカー固有の技術やデザイン指向は顧客の様々な価値観の背後に沈み、明確に見えてこない時代であるように思う。 そんな状況下であるがゆえに、住宅の技術革新や新たな住空間の創出への熱意や息吹を力強く具現化したハウス55が、逆に興味深いものに見えるのかもしれない。 更にいうならば、「住宅メーカーの住宅」のページでこの時代のモデルを扱うのも、その辺に理由がある。

2007.02.24:国立新美術館
※1

東京シティビューからの俯瞰。(2005年11月撮影)

1月21日に開館した巨大な美術館。 オープン後の現地には、まだ赴いていない。 施工中の状況を、六本木ヒルズの森タワー最上階にある「東京シティビュー」と名付けられた展望施設から俯瞰したのみである※1
設計は、ここ数日建築とは別の話題でマスコミを賑わす黒川紀章。

外観の特徴である波のようにうねるガラス張りの外壁は、この設計者の他の作品でも確認出来る。 しかし、この美術館でのうねり方は半端ではない。 その表層をメンテナンスや日射遮蔽を考慮したと思われるガラスルーバーが覆い、うねりが更に強調されている。
向かって右手のメインエントランス部分に採用されているガラス製の巨大な三角錐も、他の多くの作品に採用されているデザイン。
こなれた手法を駆使しつつ応用・発展させて纏めた印象で、その辺は巨匠の力量や余裕とでも言うべきか。

新建築2007年1月号に掲載されている平面プランを見ると、とても整理されていて綺麗な印象。 整然と並べられた展示室と、その展示室に付随するサービス諸室の連携や動線は極めてスムーズで無理がない。 しかし、あまりにも整然としているため、例えば1階や2階のプランは、あらかじめ用途を知らされていなければ、コンベンション施設かと思わせるほどだ。 もっとも、美術館もコンベンション施設も、モノを展示して集客する意味では用途的に同義となろうか。
同義であったとしても、例えば規模の小さい美術館の場合は、動線の引き延ばしや迂回等の空間操作によって展示室どうしの間に物語性を演出した事例が多く確認される。 それが巨大美術館ともなると、動線の明瞭性が優先事項となるのだろうか。 勿論これは平面図を見ての印象でしかない。 当然ながら、動線を含めた空間の妙味は実物を体感しないと判らない。

2007.02.17:【書籍】住宅の工業化は今

前回(2007.02.11)の雑記でも少し言及した新建築1984年4月臨時増刊。
当時の主要住宅メーカーについて、その主力モデルの解説や生産体制や商品開発手法等が仔細に記述されている。 面白いのは、著名建築家が住宅メーカーをレポートしている点だ。 実に新鮮というか、新建築誌ならではの企画であろう。 そして、建築家にとっては殆ど異分野ともいえる住宅産業の論評に対しても、各人の個性がはっきりと顕れているところが面白い。

例えば、出江寛による歯に衣着せぬクボタハウスの住宅展示場レポート。 ナショナル住宅に対しても哲学的思索を展開する北川原温。 アーリーアメリカン調のデザインを採用した積水ハウスの製品に対し、丁寧に疑問を投げかける内井昭蔵。 この辺りまでは、印象論に留まっている感がある。
意外であったのが、宮脇檀のトヨタホームに対するレポート。 他の住宅メーカーの動向を提示しながら最新モデルから企業体質まで鋭く論評している。 普段から住宅メーカーを研究していなければ書けない文章だ。 個人住宅を多く手がける建築家の職責として、住宅メーカーの把握にも努めていたところは流石である。
そして、東孝光によるミサワホームのレポートもすばらしい。 宮脇檀のレポートと同様、主力モデルの解説から生産体制や商品開発の特徴に至るまで、その所見がきっちりとまとめられている。

これらのレポート以外にも、解説に用いられる図版が詳細である点が、この書籍の特徴である。 平面図や矩計図には寸法や仕様が記入されており、一般的な住宅雑誌とは異なる建築専門誌としての差別化が図られている。

果たして、現在の住宅メーカーに対し同様の企画を行ったらどんな内容になるだろうなどと、別の興味も沸いてくる。

2007.02.11:昭和モダン建築

昨日、ジュンク堂書店池袋本店で「昭和モダン建築を10倍楽しむ法」と題するトークセッションが開催され、聴講してきた。 「昭和モダン建物巡礼/西日本編」と名付けられた書籍の著者である磯達雄氏と宮沢洋氏が、書籍の中で中心的に扱っている1960年から70年代の建築をより楽しく鑑賞するためのコツを披露する企画。
渡されたレジュメに記載されていた10倍楽しむ法は以下の通り。

1.すぐ行く。
2.遠くから眺める。
3.段差を楽しむ。
4.構造に驚く。
5.設備に感心する。
6.細部を味わう。
7.トイレも覗く。
8.おみやげを手に入れる。
9.本を読む。映画を見る。
10.語り合う。

なかなかに目からウロコである。 2,4,6,7あたりは私も建築を見る際のポイントとしてある程度心得ていたが、3.や8.などは目新しい。 1.はなかなか実行しづらい場合もある。
そして、10.は私の場合あまり無い。 基本的に建築を見て歩くときは、独りと決めている。 というのも、私にとって建築を見るために目的地に赴く行為は、目的の半分程度を満たす体験に過ぎぬ。 目当ての建物を見た後の、付近一帯のそぞろ歩きが残りの目的で、実はそちらの方が重要なのだ。 歩き廻る過程で、当初の目的としていた建物以外に、印象的な建物や風景を見つけることが楽しみなのである。 で、勝手気ままに彷徨するには独りの方が都合が良い訳だ。 独りだから、語り合う行為は伴わぬ。
そして、上記の十項目とは別の私なりの楽しみ方もある。 あえてそれを11番目とするならば、「風化具合を愛でる」となる。

それにしても、ジュンク堂書店池袋本店は品揃えがすばらしい。 建築関連の専門誌についても例外ではない。
講演会に先立って、建築専門雑誌のバックナンバーのコーナーに立ち寄ったところ、「新建築1984年4月臨時増刊 住宅の工業化は今」という書籍を見つけ、購入した。 タイトルの通り、当時の工業化住宅の状況についてまとめた臨時増刊号である。
専門誌らしく、寸法や仕様が記載された平面図や矩計図などの図版が多数掲載され、更に生産体制や商品開発手法などについても詳細に記述されている。
当然、ミサワホームについても言及されている。 当時の主力モデルの一つである「O型チャイルド」の矩計図などは、個人的には非常に感動モノである。 また、「ミサワホーム55」の記述もある。
実はこのモデルに関し、昨日「住宅メーカーの住宅」のページに登録を予定していた。 しかし、この書籍を読んで記述内容に変更を要する部分が見つかったので急遽延期。 文章の手直しを行うことにした。 その代わりといっては何だが、「建築の側面、もしくはウラ」のページに、新潟県長岡市で採取した側面を載せた。

2007.02.10:YMO
※1
1983年の「散開ライブ」をベースに作成された映像作品「Y.M.O PROPAGAMDA」に、ライブで使用したセットが炎上する中でライディーンを演奏するシーンがある。

※2

キリン本社ビル外観

キリンラガービールのCMにてYMOの再結成が話題になっている。 しかも初期の名作「ライディーン」の新バージョンを演奏しているとなると、往年(?)のYMOファンにはたまらないであろう。 とはいえ、大方の評価と同様、随分丸くて穏やかなライディーンだナとの印象を持つ。 そしてCMの映像は、荒涼とした砂丘をイメージしたセットの中での演奏となっているが、炎上するネオクラシズムなセットの中で演って欲しかった※1などと思う辺りは、懐旧的な感傷が伴っているといったところか。

恐らく私はYMOをリアルタイムで聴いていた最も若い年代に属するのだと思う。 公式サイトのCM動画を見て何だかとてもなつかしくなり、押入れの中に眠っている、かつて買い求めたアルバム(カセット)を取出して久々に聴いてみる。 四半世紀以上前の音にも関わらず、古さを感じさせないところが凄い。 という訳で、この文章もYMOを聴きながら書いている。 やはりオリジナルの鮮烈なライディーンの方が、イメージに合っている気がする。

強引に建築ネタに繋げるならば、キリン本社ビル※2はかの高松伸の設計。
八丁堀に建つ地下2階地上11階建ての建物の外観は、第一印象としては凡庸である。 しかし、近づいて細部のデザインを確認すると、そのこだわりようにゾクッとさせられる。
竣工して間もない頃、鳥居坂のTNプローブで「高松伸−オフィスの誕生−展」と銘打った個展が開催された。 キリン本社ビルの各部位に採用された金属のディテールそのものを、透明なアクリルに封入して展示する意外性に満ちた展覧会であった。

2007.02.03:悪い景観100景

「美しい景観を創る会」なる団体が独断で選定しウェブ上に公開・酷評している「悪い景観100景」が話題になっている。
反応は様々だが、この団体にしてみれば賛否いずれにも意を介すつもりは無かろう。 景観に対する関心の喚起が目的なのだから、批判であれ何であれ、意見が噴出すればするほどこの企画は成功したとの自己評価が下せるのだから。 しかし、意見が噴出すればするほど、普遍的な「美しい景観」の在りようが提示困難である事実も同時に露呈する。

例えば昨年12月、国立市の議会で「国立の美しい景観と住環境を守り育てるまちづくり条例」という条例案が否決された。 国立市といえば、「大学通り」のマンション建築紛争で一時期話題になった。 恐らくは、類似の紛争の再発防止を目的に策定が試みられたのだろう。
にもかかわらず否決された事態は、景観を巡る問題が一筋縄では済まない状況を物語っている。

今後「美しい景観を創る会」では、各地でシンポジウムの開催を予定しているようだ。 理想論や抽象論に終始すること無きよう願いたいものだと思う。 名指しで「悪い景観」をあげつらう大胆極まりない手段に出た以上、具体的で実効性のある成果を出して頂きたいものだ。

2007.01.27:中銀カプセルタワー
※1

中銀カプセルタワー外観

※2
1969年〜1971年の3年間に亘って開催された。

老朽化に伴う建て替えを巡って最近話題になっている※1。 カプセル工法の採用によって企図された新陳代謝は一度も実行される機会もなく、その生命を終えてしまうのであろうか。
竣工が1972年。 この年は、ミサワホーム総合研究所から「プレハブ住宅国際設計競技」という書籍が出版されている。 ミサワホームの主催で開催された、プレハブ住宅をテーマにした国際デザインコンペティション※2の提出案をまとめた作品集である。 最近、古書店で入手した。 プレハブが創造する新しい住宅像といった雰囲気の提案で紙面が埋め尽くされている。 中には、中銀カプセルタワーを彷彿とさせるような提出案も散見される。

ミサワホームでは、1969年に「ヘリコ」と呼ばれるカプセル住宅を開発し大阪万博に出品している。 その二年前のモントリオール万博では、モシェ・サフディの設計による「アビタ67」というユニット工法の集合住宅が造られた。 積水化学工業のセキスイハイムM1が商品化されたのも1970年。 カプセル、ないしはユニット工法の黎明期にして黄金時代といったところであろうか。

そんな時代背景を色濃く反映させた建築作品である点において、中銀カプセルタワーはとても貴重な「歴史的建造物」であると言えよう。 しかし、他の歴史的建造物と同様、その保全に向けた現実はなかなか厳しいようである。

2007.01.20:住友不動産三田ツインビル

建設中から気になっていた超高層ビル。
外壁に真っ赤なタイルを使用。 更に、黒で統一された金属製の外装との対比が鮮やかだ。 グレー系の外装色を採用する事例が多い中で、文字通り異色の色使い。
このような大胆な色使いは海外の建築家によるものかなと思っていたら、意外にも日本の組織設計事務所の仕事。 しかも、その色のイメージが「トマトジュース」であると、日経アーキテクチュア誌の2006年12月25日号で知った。 とても面白い。
料理漫画の先駆的作品である「美味しんぼ」の連載初期のエピソードの中に、トマト色の焼き物に挑戦する陶芸家の話があったのを思い出した。 そのタイトルが「大地の赤」
この建物も同じように、周囲の豊かな緑地に呼応させるべく大地の色としてのトマト色を選択したのだそうだ。 個人的には、トマトジュースよりももっと良い色に仕上がっていると思う。

幹線道路を挟んだ向かい側の近隣敷地に同時期に建てられたホテル「ヴィラフォンテーヌ東京三田」も、ほぼ同じデザインで外観が統一されている。 近隣敷地でありながら規模も用途も異なる場合、同じディベロッパーによる同時進行のプロジェクトであっても全く異なるデザインで計画されてしまう場合が往々にしてある。 ここではそのような愚に陥らず、混沌とした街並みの中にささやかな調和をもたらしている。

2007.01.13:三菱一号館

2006年11月26日の雑記に、東京の丸の内でオフィスビルが数棟解体中であると書いた。 跡地には、三菱地所による再開発が計画されている。
その計画の一環として、かつてその地に建っていたジョサイア・コンドル設計の三菱一号館が復元され、美術館の用途に供する予定なのだそうだ。 この話を聞いたとき、私は単純に「三菱地所もなかなか粋なことをやるね」と思った。 しかし、月刊誌「東京人」の二月号の中で、この計画に対して批判的な記事を目にした。 世の中いろいろな考え方があるものだなと思いつつネット検索をかけてみたところ、意外にも同様の批判意見が多い。

かつて自らの手で名建築を取り壊しておきながら、今更レプリカ造りに勤しむとは何事だというのが、批判的な意見にほぼ共通する趣旨のようだ。
気持ちは分からぬ訳でもない。 しかし改めて述べるまでもなく、歴史的建造物の保存に関わる問題は極めて難しい。 また、建築は用を為してこそ意味がある。 元々の用を為し得なくなったモノを如何にして存続させて行くのか。 その具体策のビジョンも無く、単に懐旧や情緒を論拠とする保存要望を唱えても、成就する可能性は極めて低い。 そんな現実を鑑みるならば、たとえ復元保存であれ表層保存であれ、物理的に形が継承されるのは御の字ではないかと思う。
いや、御の字ではあるのだけれども、新たに作られる超高層オフィス棟と復元三菱一号館のバランスは、少々きわどいところが無きにしも非ず。

2007.01.06:建物高さ

気温と湿度が下がると大気がクリアになり、都心部からも富士山が良く見えるようになる。 今年も、そのような季節になってきた。
で、某所から撮った写真が右のもの。 手前に見える超高層ビルの連なりを邪魔と見るか否かは人それぞれであろう。 個人的には、これはこれで趣きがあると思っている。 高層建築群の背後に富士山が泰然と鎮座する構図はとても現代的だし、大都市ならではの風情ではないだろうか。

「眺望の保全に関する景観誘導指針」なるものが東京都で運用されている。 国会議事堂や迎賓館等の周辺景観維持が目的らしい。 ポイントはこれらの背後に建てる建物の高さ制限にあるようだ。
しかし、低ければ何でも良いのだろうか? 高さが抑えられていても意匠的に優れぬ物は目障りだろうし、周囲から突出したボリュームでもデザイン的な配慮に秀でていれば景観形成に寄与する新たな要素となり得る。
例えば、JR浜松町駅から西方向を観た時に、増上寺の背後に六本木ヒルズの森タワーがそびえる光景は、なかなか面白い。 本堂の大きな瓦屋根に、甲冑をイメージしたといわれる森タワーの意匠が不思議な調和を見せていて、東京らしい新たな風景を造り出しているように思う。

デザインまで問うと主観が入らざるを得ないので、法律には馴染まないかもしれない。 あるいは、高さ制限といった物理的尺度による判断基準の方が開発業者にとっては対応しやすいかもしれない。 しかし、本当に景観を考えるならば、本来必要なプロセスの筈だ。

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