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住宅メーカーの住宅
ユニット系の先駆:セキスイハイムM1
1.グッドリビングショー
※1
右隣のJ-7区画には、別ページに記載の、ミサワホーム・ハイリビングが展示されていた。
その他にも、ナショナル住宅建材のSNUS-NSEや、第一開発のDIKGP-1といったユニット工法を用いた集合住宅モデルも展示された。
この二例も含め、同会場の約1/3のモデルがユニット工法によるもでであった。 この時期が、工業化住宅の中でユニット工法の開発が最も興隆していたのかもしれない。
そんな時代の流れの中に、セキスイハイムM1も位置する。

1970年、東京晴海で開催された第一回東京国際グッドリビングショー(以下、GLショー)に、奇妙な形をした住宅が出展された。
幾つかの箱を組み合わせただけの、無機的な外観。 勾配屋根も無ければ庇も無い。 ワインレッドに彩色された妻壁が、その異色ぶりを文字通り補完していた。


写真1*1:GLショー出展モデル外観

このモデルが出展されたのは、広大な会場内の北西の一角に設けられた「住宅特設展示場」と名付けられたエリア。 そこには、幾つかの建設会社や住宅メーカーがモデルハウスを連ねた※1

開催前、他のモデルハウスが着々と工事を進める中にあって、このモデルが建つ筈のJ-8区画は、基礎工事が終わったまま暫くの間放置された状態であった。 果たして期日までに完成するのかと周囲の関係者を訝しがらせたその区画に、開催直前になって巨大な箱を搭載した大型トラックが複数台到着。 そしてクレーンによって箱が次々と基礎の上に積み上げられ、忽然と一件の戸建住宅が現出した。
それぞれの箱は、住戸の完成形を道路交通法上運搬可能な最大寸法に等分割してモジュール化し、別の工場でその内外を殆ど造り込んだもの。 だから、現場に運んで箱を組み合わせるだけで、殆どの施工作業が終わってしまう。 いわゆるユニット工法と呼ばれる手法によるこの住宅は、積水化学工業が開発を進めてきた現実的な事業を想定した試作モデルであった。



2.開発の経緯

写真3*1
施工風景

同社が住宅産業への進出を決定したのは、1967年10月。
開発プロジェクトに選抜されたメンバーは全員、建築は専門外であったという。 まったくの異業種への挑戦であったことは、全員二級建築士の資格を取得することが初期の目標であったというエピソードからも窺い知ることが出来る。 とりあえずは、1960年に同社から分離独立していた積水ハウスに出向し、住宅のイロハを学ぶところからスタートしたという。
具体的な開発は、建築家・大野勝彦との協働で進められ、同氏の構想をベースに、二年後の1970年1月には、ユニット工法による試作第一号を完成。 更に第二号モデルを介して、同年5月に開催されたGLショーへの出展を実現した。 この晴れの舞台に展示されたモデルは、試作第三号であった。

そして1971年2月、東京に「セキスイハイム」という名称で第一号モデルハウスをオープン。 事業を開始。


写真2:セキスイハイム外観事例*1

その新奇性が業界内の予想に反して市場に受け入れられた。 翌年度には事業採算ラインとして設定されていた3000戸以上の販売実績を達成し、以降順調にその業績を拡大する。



3.ユニット住宅の問題構成

こうなると、当然のことながら追従メーカーが現れる。
いや、全てを「追従」という言葉で括るのは語弊がある。 同時期において、幾つかのメーカーがユニット工法住宅の開発を行っていた。
例えば、小堀住研の「コンボス-U」、大和ハウス工業の「DIOS」、ミサワホームの「ヘリコ」等々。 これらは試作モデルであったが、1971年以降、事業として商品化されたユニット工法住宅が、異業種の新規参入も含め、続々と発売される。
その全てについて把握は出来ていないが、確認できた範囲で1970年代に発表されていたモデルを列記すると、以下の通り。


写真4*2
大和ハウス工業のユニット住宅UH-2


写真5*3
ヤクルトハウジングのヤクルトホームF1シリーズ

※2
この制約に関しては、ユニットの組み合わせ方法やユニット自体の工夫により、現在ではかなり改善されている。
1970年 日本テラピン テラピンパックホーム
1971年 小堀住建 コボリコンポスU-71
1973年 永大産業 永大ユニットハウス大地
1974年 大成プレハブ エイトワン
大栄住宅 大栄ウッドホーム
大和ハウス工業 ユニット住宅UH-2
日立化成工業 日立化成ハウスSH-1
1975年 カネボウハウジング カネボウハウスユニットハウス
段谷産業 ダンタニコーム
東芝住宅産業 東芝ユニット住宅
ニッセキハウス工業 Uシリーズ
1976年 ヤクルトハウジング ヤクルトホームF1シリーズ
1977年 トヨタ自動車 トヨタホームJA型

しかし、多年にわたってユニット工法の事業を継続できる企業は、そう多くは無かった。
1980年代前半で事業を継続していたのは、積水化学工業の他には、トヨタ自動車、クボタハウス、ダイワハウス工業くらい。 1981年にミサワホームも新たに参画するが、継続企業が数社に留まる状況は、今日まで続く。

要因については、いろいろ語られている。
工場生産率を高めるための多大な設備投資の必要性。 狭隘な道路に面する敷地や、狭小敷地、変形敷地への対応の困難さ。 そして、デザインやプランニングの制約※2
特に三点目の要因は大きいだろう。 箱を積むという工法が免れ得ぬ、無機的な外観。 そして、プランの方には、道路交通法の制約が常につきまとう。 特に制約となるのが、一つのボックスの短辺方向の長さだ。 2.5m以内に抑えなければ、公道の運搬に際して個別の許認可が必要になる。 しかしこの2.5mという寸法は、慣例的な日本の住宅のモジュールに微妙に合わない。 6畳間を作るには三尺(約2.7m)が必要で、少しだけ足りないのだ。 かといって、二尺(約1.8m)を基本モジュールにすると、輸送効率が下がり生産性やコストに影響する。

「セキスイハイム」においても、尺のモジュールと微妙にずれるユニットの中に、無理矢理六畳間(正確には、畳を六枚敷いた部屋)を計画した事例が見受けられる。


図面1:セキスイハイムのプラン事例*1

図面1はその一例。 GLショー出展モデル(写真1)の平面プランになる。
当時のセキスイハイムの一つのユニットは、短辺2.4m、長辺5.6mを基本モジュールとしていた。 即ち、図面1の間取りは、一階に四個、二階に二個のユニットを連結することで成立している。 二階に設けられた和室は一つのユニットの中に納めているため、短辺方向の幅が通常の約2.7mではなく2.4mであることが判る。

この様に、伝統的な尺のモジュールに乗らないボックスの組み合わせの中に間取りを形成しようとすると、どうしても無理が生じる。 この足枷せが、多くのメーカーをユニット工法から撤退させ、他の工法へシフトさせる大きな要因となったのだろう。



4.M1の特異性
※3

写真6:*1
セキスイハイムM2外観

そんな経緯の中で、積水化学工業としても、「セキスイハイム」の次の一手については色々と考えるところがあったようだ。
1974年5月に、後続モデルとしてセキスイハイムM2※3を発表する。 ユニット住宅的なイメージの払拭に努め、高額路線を志向したモデル。 軒の出の深いフラットルーフと引戸形式の雨戸の採用により、確かにそこには今までのモデルには無い住宅らしさが備わっていた。
このM2の発売を期に、単に「セキスイハイム」と呼ばれていた最初期のモデルに、M1という名称が与えられた。 この「M」は「モデル」の意味である。
セキスイハイムM1はその後、1978年のセキスイハイムMR、1980年のセキスイハイムMR-NEWに引き継がれるロングセラーモデルとして同社の主要ラインアップに据えられた。

このM2は、残念ながらM1ほどの販売成果は得られず、短命のモデルに終わった。
この時期、M2でもなく他社のモデルでもなく、M1が突出したセールスを獲得できたのはなぜか。
恐らくは、ユニット住宅の制約を敢えて逆手にとることに特化した点が大きかったのではないか。 ユニット工法であるが故に派生するデザイン。 それはつまりユニット工法であるから可能なデザインでもある。
その点を徹底的に追求したモデルが、発売当時の時代における住宅市場の特定層に確実に支持された。

※4
ユニット同士のジョイントが天井面に露出している。また、天井高さは洋室が2250mm、和室が2195mm。この辺りも、ユニット工法による生産性を重視した割り切りが見受けられる。

写真8*1
ハイム・グロワール外観


写真9*1
ハイム・アバンテ外観

写真7*1:セキスイハイムM1の内観※4

そこには、時代との蜜月が確実に成立していたのだろう。 しかし、マーケットは限られる。 実際、1980年半ば以降の同社の動向は、意匠性の追求へとシフトした。
例えば、建築家・山下和正を起用してデザインされた1982年4月発表のハイム・グロワール。 そこには、ユニット住宅のイメージを払拭する重厚な内外観を実現しようとする取り組みが散見される。
更には、予備知識が無ければユニット工法には見えぬ、1983年4月発表のハイム・アバンテ。
そんな流れを鑑みるならば、特異な時期の特異なモデルとして、このセキスイハイムM1が位置づけられよう。 そしてその特異性により、住宅メーカーの「商品」として唯一「DOCOMOMO Japan」に選定されるという栄誉を得るに至った。



 
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引用した図版の出典:
*1:積水化学工業
*2:大和ハウス工業
*3:ヤクルトハウジング

2010.07.10/記