日本の佇まい
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雑記帳
2006.07−2006.09
2006.9.30:すべてが同じ色に

画像1

※1
士郎正宗原作の漫画のパラレルワールドとして製作されたTVアニメシリーズ。
stand alone episodeと、complex episodesという二つの系が互いに伏線を提示しながら、一つのストーリーへと完結して行く構成が秀逸。

2ヶ月ほど前に撮った写真であるが、妖艶な雰囲気の夕刻であった。
とはいっても、年に数回、このような光景を目の当たりにすることがある。
「すべてが同じ色に染まっている」とは、攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX※1第6話の最後の方に出てきたセリフであるが、まさにその様な風景だ。
作品の中でセリフが述べられたシーン自体も、この写真と同じようなイメージの背景が描写されていた。

気象条件が、人工物に溢れる都市の風景を一変させることがある。
この夕暮れ時以外にも、例えば雪が降った時などもそうだ。
多種多様の色彩が混在する雑多な風景が、一瞬のうちに水墨画の様なモノトーンの世界へと変貌する。
建ち並ぶ超高層ビル群や幹線道路は、さしずめ雪景山水図の中に描かれる岩山と水流の如き静謐さを醸し出す。

日常目にする都市景観に気象条件のレイヤを重ねて別の次元に見立てるというのも、佇まいの鑑賞方法の一つかもしれない。
実際、作品の中における「すべてが同じ色に〜」というセリフは、単にその時の景色について述べたという以上に、物語の根幹を成す「STAND ALONE COMPLEX」という社会現象の見立てでもあった。



2006.9.23:鰊番屋の現況
※1
ニシン漁家建築の中で紹介している青山家出張番屋も、ダイドコロ部分が荒廃著しい状況であった。
大人数を収容する大空間であるダイドコロは、個人で住む居住スペースとしてはもてあましてしまう部位ということなのであろう。

※2
6.の事例の中で、大切に住み続けられている番屋の一つ
古平の鰊番屋

竣工:1912年
棟梁は、岡田家煉瓦蔵の補足の項で紹介している旧八反田家番屋と同一人物であるとの記録が残されている。
確かな施工技術と住人の適切なメンテナンスが、美しい状態を保っているのであろう。
なお、この左隣にも一件、大切に住み続けられている番屋がある。

2006.7.15に引き続き、鰊番屋に関する補足の第二段。

鰊漁家建築のページには、今のところとりあえず5件の建物を紹介している。
最初にこの5つを選んだ理由は、鰊漁労建築の現況を示す上で特徴的なものであると考えたためである。
特徴的な現況とは以下の通りである。

1.
郷土資料館等の公共施設として修復,公開
=浜益の白鳥家番屋
2.
文化財に指定され個人で管理
=佐藤家住宅
3.
商業建築等、異種用途として再生・活用
=小樽の白鳥家番屋
4.
荒廃,廃墟化,もしくは除却
=旧青山家出張番屋
5.
主屋が除却され、附属建築物のみ残存
=岡田家煉瓦蔵

更にパターンを挙げると、

6.
現在も住居として使用されているもの

ということになりそうだ。
現在遺る鰊漁労建築の現況は、概ねこれらのいずれかのパターンに属しているように思われる。

残念ながら一番多いパターンは4である。
しかも近年、除却のペースが速まっているような印象を持つ。
ニシン漁が事業として成り立たなくなってから半世紀以上が経過し、廃墟として放置された漁場建築の物理的な存続は限界の域を超えて既に久しい。
鰊大尽の夢の跡と言えば若干の風情も見い出せようが、しかし文化的側面から考えるならば非常に惜しい状況といえる。
2の事例はあまり多くない。
また、1に関しても、その殆どは何らかの文化財に指定されている。
3の場合、飲食施設や宿泊施設への転用が見受けられる。
6は、改修著しく原型を留めないケースと旧態を維持しているパターンがあい半ばといったところ。
改変著しい事例の場合、傭漁夫のスペースであったダイドコロを除却する傾向にある。
そして、もともとオーナーの居住スペースであった座敷と土間のみを活用して住居としている※1
旧態を維持しながら大切に住まわれている例※2は、個人での管理は並大抵のことではないと思う。
年数を経ている上に規模が大きく、必ずしも現代の日常生活にフィットする建築形態という訳ではないからだ。
建物への愛着や文化的価値に対する認識や誇りが無ければ出来ることではないと思う。



2006.9.16:なぞの転校生
※1
画像1

幼少の頃のものとはいえ、あまりの稚拙さに少し愕然としてしまう。
もう少し絵心があったという認識を持っていたのだが・・・  他に、外観パースや平面図も描いている。
曲りなりとも現存する私の最初期の設計図書(笑)ということになろうか。

※2
画像2
O型2階ホール

<出典:ミサワホーム>
広告等に載せられる時計の時刻は大抵10時10分を指しているが、この大黒柱の時計もそうである。
それが画像1では3時に変換されているところが少し微笑ましい。

ミステリチャンネルで、「なぞの転校生」が放映されている。
かつてNHK総合テレビで制作されていた「少年ドラマ・シリーズ」の一つで、1975年に放送されていた作品である。
リアルタイムで観ていたのが30年以上前ということもあり、ストーリーや映像の記憶は極めて断片的だ。
しかし、その記憶の断片が画面上の所々に出てくるため、とても懐かしく見ることが出来る。

当時はまだ幼少期であったが、柄にも無く小説を書くことが趣味だった。
この「なぞの転校生」に影響を受けて書いた小説もあった。
その中に描いた挿絵が画像1※1である。
折り返し形式の階段に挟まれるように時計付きの大黒柱のようなものが設けられていることが確認できよう。
物語の中の登場人物の一人である転校生が住む家の描写の項に載せたものだ。

この絵自体も、当時ミサワホームから発売されていたO型のTVCMからの影響なのだ。
画像2※2はO型の2階部分のホールである。
吹抜けの階段ホールに大黒柱が貫く特徴が良く捉えられた画像である。
画像1と同じように大黒柱に時計が設置されている。
CMの中にも似たようなアングルの場面があった。
8月12日の雑記にも書いた通り、このCMには深い感銘を受けていたこともあり、挿絵として小学生なりに模倣したのであろう。

ちなみに物語のあらすじは、「コンビナートからの重油流出事故による海洋汚染に憤りを感じる主人公が通う小学校に転校生がやってきて、実はその転校生が宇宙人で、彼の技術により事故再発防止が図られた。めでたしめでたし」といったもの。
なんとも社会派ではないか(爆)
コンビナートからの重油流出というのも、その前の年に瀬戸内海で実際に発生した大規模な事故のことがベースになっていた。
同時に、「なぞの転校生」のOPが石油タンクが並ぶ臨海工業地帯の空撮画像であったことも影響していたのだと思う。



2006.9.2:向日葵
※1
ミサワホームでそのような試作モデルが作られたことがあった。

※2
O型サンロフト外観

<出典:ミサワホーム>

屋根の頂部に猫の耳のようなハイサイドライトが設置されている。
このハイサイドライトからロフトを介し、北側の居室に南面からの採光をもたらしている。
8月12日の項に掲載したO型の外観と比較すると特徴が明瞭である。

住宅メーカーの住宅」の項にイワタニハウスの「向日葵の洋館」というモデルを追加した。
このモデルが発表されたのは1983年か84年頃であったと思う。
向日葵というネーミングだからといって、植物のひまわりの様に太陽の動きに従って建物が回転するといった大がかりな仕掛けが施されている訳ではない※1
日照を最大限屋内に取り込むという商品テーマのイメージを明確化させる意味で、向日葵という単語が採用されたのであろう。
このメーカーからは同じ時期に、「四季の洋館」とか「合歓の洋館」といった詩的な名称のモデルが発表されていた。

ミサワホームが評価軸となってしまうのだが、向日葵の洋館の平面形状は、ミサワホームM型2リビングとの共通性が見出せる。
また、ハイサイドライトからの採光をロフトを介して北側の空間にもたらす手法も、ミサワホームO型サンロフト仕様※2に通じるものがある。
そんなことを手掛かりに文章を書き連ねているうちに、制作中であったミサワホームO型よりも先にこちらの方がまとまってしまったので、先行して登録することにした。

ちなみに、ページをまとめるまで知らなかったのだが、既にこのメーカーは事業を終了していた様だ。

2番目の家に引っ越して以来一度も現地は訪ねていないが、地図等で調べる限りではどうやら建替えられているように読みとれる。
また、国土交通省で公開している「国土情報ウェブマッピングシステム」で調べてみると、1976年当時の空撮による外観を確認することが出来る。
トタン屋根を葺いた勾配屋根に集合煙突が付いていることまでは確認できるが、それ以上は不鮮明で外観の確認は困難である。
従って旧態を正確に把握することは、今のところほぼ不可能な状況だ。



2006.8.26:アルテピアッツァ美唄
※1
展示室

教室二部屋を連結している。
右手の間仕切壁の向こう側にある廊下の天井も取り払われ、教室と一体となった小屋組みを見ることが出来る開放的な空間構成。

※2

宝水ワイナリーの主要施設からの眺め。
手前の濃い緑の部分が葡萄畑

22日に書いたサマーセミナー交流会の三日目の続き。

20日の午前中訪ねた「アルテピアッツァ美唄」は、廃校になった旧美唄市立栄小学校を活用した芸術文化交流施設。 同市出身の彫刻家である安田侃(やすだかん)の彫刻が敷地内の広場や校舎内に多数展示されている。
この施設は周辺道路の何処からでも敷地内に入れて、しかも無料。 更に、いずれの作品も自由に触れることが出来る。 著名彫刻家の作品を配した施設としては異例であろう。
教室を利用した展示室は天井を取り除きトラスの小屋組を露わにした空間操作が秀逸。 控えめな彫刻の配置の雰囲気も好印象※1。 体育館も展示空間として活用されているが、屋根部分の構造形式が少し珍しかった。

類似施設と言えるイサムノグチ監修のモエレ沼公園は、スケールが大きすぎて茫漠とした印象がある。 それに比べると、この施設は規模が適切で心地よい空間に思えた。
行政主導による古建築の再生・活用というのも意義深い。

午後はワイナリーを3カ所廻る。
聞くところによると、北海道のワイン生産は第三世代に入っているらしい。 一世代目は海外から輸入したワインのブレンド。 二世代目は、同じく海外から輸入したワイン生産用果汁を使用した醸造。 そして三世代目は、自分の農場で栽培した葡萄で醸造する文字通りのワイナリーの生産形態であるとのこと。
今回廻った、山アワイナリー, 宝水ワイナリー,中澤ワイナリーはこの第三世代に属する。 ちなみにいずれの施設も、今回のセミナーを企画した武部建設が建設を担当した古民家の移築・再生による建物。 葡萄畑が広がる風景※2を眺めながら試飲を愉しむ。

そんなこんなで北の大地の夏を堪能し、20日の深夜に東京に戻る。
家に着くと、8月13日に発生した関東一円の大停電の影響で家電製品のタイマー等の設定が全て初期状態に戻ってしまっていた。 地元のbbsを廻ると、EV内への閉じ込め等、色々と大変であったようだ。



2006.8.22:北海道滞在記
※1
「超芸術トマソン」(赤瀬川源平著:ちくま文庫)参照。
同書に「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」と定義されている。

※2
トマソン物件のひとつ。
隣接建物の側面に残された除却建物の側面のこと。
何とも不穏なネーミングだ。
以下の写真は小樽市内で見かけたもの。

8月12日から20日の間、北海道の実家に帰省。

14日、勤務先の同僚数家族が由仁町にある古山貯水池自然公園オートキャンプ場に渋滞を乗り越え遠路はるばるやってくる。
実家からあまり離れた場所でもなかったので、墓参りのついでに合流。 久々にキャンプの雰囲気を堪能した。

15日と17日は札幌駅周辺と小樽市内を散策。
トマソン物件※1で言及されている原爆タイプ※2が散見された。 既に様々な形で論じられており目新しい概念ではないのだが、側面物件の一つの現象として外せない事項の一つであると思う。

18日から20日の三日間は、日本民家再生リサイクル協会と北の民家の会共同主催の「『 民家の学校 』サマーセミナー交流会」に参加。
一日目は札幌市内の歴史的建造物を見て回り、二日目は北海道開拓の村を散策。 建築関連NPOが手掛けるイベントは、非公開部位の見学や専門家による解説といった特典があるので、既知の建物巡りであっても侮れない。
三日目は、岩見沢方面を巡る。 その中の一つ、「アルテピアッツァ美唄」はとても良い雰囲気。 詳細は、また後日。



2006.8.12:ミサワホームO型
※1
O型外観

※2
他にセキスイハウスの「寄棟の家」と積水化学工業の「M3」が建っていた。

住宅メーカーの住宅」のページの開設意図からするならば、70年代のミサワホームに言及する以上、同社の「O型」というモデルを取り上げないわけにはいかない。
1976年に発表されて以来、住宅市場において圧倒的な支持を受け、日本国内至る所でこの住宅を確認することが出来る状況に至らしめたモデルであった。 他社が開発する規格型住宅に及ぼした影響も大きく、昭和の住宅史の1ページを飾るにふさわしい作品といえよう。

個人的なことを言えば、私が建築に興味を持つきっかけとなったのも実はこのO型である。 小学生の頃、O型のTVCMを観たのが全ての始まりであった。
そのようなモデルであるが故に、なかなか文章にまとめにくく、未だ掲載する状況にはない。 記述すべき魅力や特徴の要素が極めて多岐にわたっているのだ。
別に期限を区切っているわけでもない。 場合によっては、この雑記帳の場を利用しながら徒然にまとめてみたいと思っている。

ちなみに、トップページの「住宅メーカーの住宅」の項にも掲載している右記の画像※1は、このO型だ。 かつて新潟県長岡市にあった住宅展示場「NST長岡ハウジング※2」の中に建っていたモデルハウスを撮ったものになる。



2006.8.5:九州探訪記
※1
志免炭坑竪坑櫓

所在地:
福岡県粕屋郡志免町
竣工:1943年
高さ:48.6m

「建築探訪」のページに大牟田の建築を掲載した。
訪ねたのは2006年の2月初旬。 とある用事がきっかけではあったが、九州を訪ねるのは初めてであった。

用事を済ませたあと、市内のホテルに一泊。 翌朝目覚めると、外は本降りの雪。 一瞬、ここは本当に九州か?と驚く。
仕方がないので、ホテルの中で過ごしていたら徐々に天候が回復。 幸いにもチェックアウトする頃には晴天となり、当初の予定より遅れてしまったが、市内散策を始める。
重厚長大な工場群が織りなすインダストリアルスケープに圧倒され、その近傍の工場跡地に再開発された大規模商業施設に景観の断絶を覚え、古くからの市街地の木造アーケード商店街にホッと一息つく。 狭い範囲に様々な佇まいを発見することができ、じっくりと散策を愉しみたい街並みであった。

しかしそこは貧乏性の悲しいところ。 限られた時間内で可能な限り観て廻ろうと、事前にWEB上でいろいろと調べて細かく段取りを組んでしまっている始末。 その計画に沿って粛々と大牟田から博多に移動し、志免炭坑の竪坑櫓(たてこうやぐら)※1へと向かう。
昼下がりの冬の穏やかな陽光に照らされたその構造物の佇まいは、見に来る価値があったと思わせるのに十分な存在感であった。 一般的な建築をイメージする際の寸法系とは趣きを異にする圧倒的な土木のスケール。 建築的な意匠を強く意識したと考えられる独特の構成的なデザイン。 あるいはむしろ、そのような表現が意味を持たぬ程に、それはあまりにも物質的であった。

隣接して公共の福祉施設と公園が整備されている。 お陰で、すぐそばまで近寄ってこの構造体を観察することが出来たのだが、何か調子が狂う。 荒涼とした広大な更地の中に孤絶の状態で佇む様子をイメージしていたからだ。 恐らく数年後には、残された更地の部分も含め、綺麗に整備されるのであろう。
そうなる前に観ることが出来たのは、個人的にはとても良かったと思っている。

極めて建築的な外観を構成しているが、これは建築ではなく土木構造物である。 従って、「建築探訪」のページに載せる訳にはいかない。
しかしながら考えてみれば、「佇まい」とは何も建築だけのことではない。 この竪坑櫓のような「建築的な非建築物」についても折を見てまとめてみたいと思う。



2006.7.30:変貌と儚さの狭間
※1
既に掲載済みのものでも、東京都物件No.1は除却。 東京都物件No.2は外壁にサイディングが張られ、小綺麗な建物になっていた。

※2
まさに解体中

長い梅雨が終わり、久々の青空。 風も適度に有り、湿度も低めの爽やかな初夏の陽気。 久々に「建築の側面」のネタを求めて散歩がてら街を巡り歩く。

驚いたことに、数ヶ月前に撮った「側面物件」が除却もしくは改修されている事例に幾つか出会うこととなった※1。 都市の変貌のスピードは早い。 中には、解体中というものもあった※2。 そのうち撮ろうと思っていると、アッという間にこの世から消えてしまう。 都市の建築は儚いものである。
勿論、除却によって隣接建物が新たな側面物件となる。 一度歩き廻った場所も再度確認する必要がある。



2006.7.29:【書籍】幕の内弁当の美学

書名:
幕の内弁当の美学―
日本的発想の原点

著:
栄久庵 憲司

出版社:
朝日新聞社
(2000.2.1)

雑記帳だから、読書感想文というのも良いであろう。

幕の内弁当について研究されている人の講義を聴く機会があった。 その時に紹介していただいたのがこの書籍。
幕の内弁当一つでここまで書くか? と思わずにはいられない一冊。 それだけでお腹が一杯になってしまいそうな文章の勢いである。
しかし、この食事の一形式が日本の伝統文化の表徴であることを説明する各文章は歯切れ良く、またテンポも良い。 そして、普段あまり意識することもなかった幕の内弁当の奥深さの一端にも触れることが出来る。

一方で、果たして幕の内的なる物が日本固有の文化であるのか否かは別途検証が必要にも思う。



2006.7.22:工業化住宅
※1
Mega Silo

※2
まだ未登録であるが、「住まいの履歴」のページで今後紹介予定の「3番目の家」を退去する際、一気に処分してしまった。
その頃は、ハウスメーカーの住宅への興味を失っていた時期であった。

住宅メーカーの住宅」というページを設けている。 70年代半ばから80年代半ばに各メーカーから発表されていた規格型の住宅モデルを再考してみようという試みだ。

製作のきっかけとなったのは、書体デザイナー平木敬太郎氏が開設しているウェブサイト※1。 この中に「メーカー住宅徹底研究」というコンテンツが登録されている。 これを観て、ナルホドこの様な内容もコンテンツになり得るのかと新鮮な驚きを感じた。

ということで、乏しい現存資料と拙い記憶をたどりながら各ページをまとめているので、公式見解との食い違いや思い込みも多々有るものと思う。 現況登録しているのはミサワホームのみ。
当時最も興味を持っていたメーカーなので、ページを作り易いというのが理由である。



2006.7.19:石上さま例祭
※1
大沢氏が主宰する私塾である「匠の学校」のイベントの一環として企画された。

※2
そういえば、レンズ付きフィルムを買うのなんてずいぶん久しぶりだ。


写真の説明
中央の船に神輿と宮司さんが乗り、右の船は御囃子を担当する人々が乗り込む。
左の船の役割は不明。
その前にいる泳ぎ手の人々と共にかなり沖合いまで移動し、なにやら祭事を執り行っていた。
その辺の詳細についてはよく判らない。

鎌倉市で建築設計事務所「O設計室」を主宰する大沢匠氏からのお誘い※1で、「石上さま例祭」というお祭りを観に行った。 開催日である海の日にふさわしい、海の祭りである。

実は、地域の伝統的な祭事の一部始終を観るというのは初めてのことであったかもしれない。
長谷寺のそばにある御霊神社で、厳かにその祭りは始まる。 とはいっても、境内に入る鳥居のすぐ外に江ノ電が行き交うところが鎌倉らしいところか。 時折、電車の走行音に祝詞がかき消されつつ、粛々とプログラムが進む。 そして祝詞と神楽が終わり、トラックに載せられた神輿が、車一台が通るのもやっとの幅員の道路を御囃子と共にゆっくりと由比ガ浜へ向かう。

うかつにもカメラを持って行かなかったので、途中のコンビニでレンズ付きフィルムを購入※2。 海岸に出てからの様子は何枚かカメラに収めたが、祭りの写真を撮るなんてのは初めてのことなのでこの通り。 なかなか臨場感を写しこむのは難しいものだと思った。


規模があまり大きくなく、どちらかというと地味な印象の祭りであった。 また、見物客もまばらであった。
しかし、過度に観光目的化していない地域に根ざしたこのような祭りこそ大切であるように思えた。 そして、これもある種の「日本の佇まい」の一つといって良いのであろう (などと言ってしまったら、何でもかんでも「日本の佇まい」になってしまいそうだが・・・)。



2006.7.15:ニシン御殿
※1
佐藤家住宅正面

1995.5.4撮影。
一階が和風、二階が洋風の構え。

※2
これ以前の鰊番家の知識といえば、せいぜい小樽市の祝津に移築・公開されている鰊御殿(旧田中家住宅)の存在くらいのものであった。
ちなみに、トップページの「ニシン漁家建築」の項に掲載している画像は、冬季に撮影したこの田中家住宅の遠景である。

※3
当初は建築的な興味よりも、むしろ巨大木造建築物が鄙びた風景の中に点在するという現象に興味を持ったように思う。

鰊漁家建築」というページを設けている。
鰊番屋という、北海道の日本海沿岸を中心とした特定地域に固有の建築形態について取り上げるのは唐突かもしれない。
しかし、ニシン漁が衰退して以降、多くが廃墟と化し滅失の直前におかれる状況を鑑みれば、たとえそれが個人的な記録であっても、それなりに開設の意義はあるだろう。

この形式の建物に興味を持つきっかけとなったのは、1988年8月8日のことであった。
友人数名とキャンプに向かう途中、ページ内でも紹介している佐藤家住宅※1を車の中からたまたま見たのが始まりである※2
漁村集落が点在する鄙びた海岸沿いの風景の中に、突然この豪壮な木造建造物が鎮座する様が視界に飛び込んできた時は、事前の知識がなかったこともあり、かなり衝撃的であった。
それより少し前から興味を持ちつつあった擬洋風民家の要素が、その巨大なボリュームの中に見事に構成されている。
その建築的な美しさと、そしてその置かれている立地条件や歴史的背景に興味を持つに至った※3

以来20年弱になるが、各地を訪ねるたびに、その数が減ってしまっている。
仕方がないこととはいえ、寂しい現実である。



2006.7.8:ウェブサイト開設

「日本の佇まい」というウェブサイトを開設してみた。 建築関連を主体とした個人的な趣味でコンテンツを構成している。
大して交友関係が広い訳でもない単なる一般庶民が、これまた大した意図もなくサイトを立ち上げることの意味については、作成中常々考えるところが有った。 しかし、今までの見聞をウェブサイトという体裁にしてみるのも良いのではないかという程度の気持ちで、徒然に書き連ねてみたという次第。 実際、まとめようとすると再確認を要する事柄も生じ、それはそれで結果として記憶を補完することになるというメリットもある。
とはいいつつ、「日本の佇まい」などと大上段にタイトルを構えた割には随分内容が偏向していることは印象は否めない。 何がどう「日本の佇まい」なのかも怪しいコンテンツ構成ではあるが、まだ幾つかの構想がイメージの中にある。 イメージにあるだけで全然手が動かないのだが、おいおい拡充できればと考えている。

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