日本の佇まい
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雑記帳
2007.07−2007.09
2007.09.29:鉄骨階段
※1

工場の一角に積み上げられた残材。作為無き極上のアイアンアート。

国内でトップシェアを誇る鉄骨階段メーカーの工場を見学する機会を得た。
製作されているものの多くは、事務所やマンション等で使用される主に避難の用途に供せられる内部階段や外部階段。 ストックヤードに保管されている出荷待ちの製品の連なりが何とも壮観だ。
多くは、ある程度形状が標準化・ユニット化されたものであるが、それらに混じって特殊な形状のものも散見される。 例えば競技用スタジアム等の観客席に用いられる段床などは、その巨大さに圧倒させられた。

製図から製作まで一貫した体制がとられていて、工程ラインはきわめてシステマチックだ。 CADデータに基づき、厚手の鋼板が次々と正確にレーザーで切断され、溶接の工程へと送られていく。
各パーツの切断を終えた残材が工場の隅に積み上げられていたが、それが下手な現代アートよりもずっと面白い趣を醸し出していたのが印象的だった※1。 こういったものの発見が、工場視察の楽しみの一つであったりする。

この会社、「カイダン博物館」というタイトルのオリジナル文庫本を何冊か発刊している。 その内容は大半が会社の宣伝なのであるが、階段にまつわる面白い特集やエッセイも書き連ねられている。 建築や都市の中での階段の位置づけを改めて考えさせられる興味深い書籍であるが、非売品であるのが残念。

2007.09.22:8文字

気づかれている人は少ないと思う。 それに、あらたまって述べるようなことでもない。 更には、そのこと自体に深い意味がある訳でもないし、8という数字に拘る根拠も無い。
しかしながら成り行きで、「住宅メーカーの住宅」と「建築の側面」のページで紹介している各項目のサブタイトルは、全て8文字で収める様になってしまった。

この「日本の佇まい」のウェブサイトを開設するにあたり、最初に作ったのは「住宅メーカーの住宅」の「ミサワホームSIII型」であった。 そのサブタイトルが、「直方体の和風住宅」で8文字。 続いて作ったA型2階建てやM型2リビングも、それに倣って何となく8文字のサブタイトルを付けてしまった。 こうなると、それ以降のものも8文字で纏めたくなってくる。
それが「建築の側面」にも波及することになった。

しかし考えてみれば、例えば2文字の単語3つを1文字の接続詞2つで繋げば8文字である。 実際、「建築の側面」の各項目のサブタイトルの多くは、この構成で成り立っている。 8文字というのはタイトルとしてはまとめやすい構造なのかも知れない。

どうでも良いことではあるが、しかしそのような表現上の制約を科すことで、逆に主題を炙り出しやすくなるという面もある。 よって、まずサブタイトルが浮かび、それに従って本文を考えるというプロセスで製作したページも有る。
また、「建築の側面」に関しては、側面を見た際に8文字前後のことばが瞬時に浮かんでこない事例は、結局掲載対象にならない場合が多い。

2007.09.15:北海道滞在記
※1


美瑛にて。
このように風景を独り占め出来るのも、オフシーズンの良いところ。

※2
8月25日の雑記参照

9月8日〜10日の三日間、北海道に滞在。
渡道目的は学生時代の同窓生の結婚披露宴への出席。 同じクラスだった人と数名、同席することになった。 中には卒業以来初めて会う人もいて、なかなかに懐かしい。
披露宴は奇をてらわぬ型式で手堅く進行。
お陰で安心して見届けることが出来た。

翌9日は、親を連れだって富良野へ行く。 特に目的はない。 単なる観光だ。
富良野を訪ねるのは十五年ぶり。 前にも何度か書いたが、私はペーパードライバーなので、富良野まではJRを利用。 更に現地ではタクシーをチャーター。 ドラマのロケ地とか体験工房といった類の観光施設ではなく、風景をゆっくりと見たいという要望のみ伝え、あとは全てドライバーの人におまかせして、富良野と美瑛を廻る。
この地域の特徴的な景観となっている起伏に富んだ耕作地はその多くが収穫を終えていたし、有名なラベンダーの開花時期でもないので観光シーズン的には端境期というタイミング。 しかしその分、何処へ行っても観光客はまばらなので、落ち着いて風情を愉しむことが出来た※2。 で、帰路の電車の予定時刻までの四時間半、たっぷりと晩夏の北の大地を満喫する。

10日は雨天だったので、実家でゆっくり過ごす。
雨上がりの合間を縫って、実家近辺に散在する「三角屋根※1」を見てまわる。 今回は特に、築後三十年余の経過の中で施された増改築の状況を主眼としたが、改変に関して幾つかのパターンに類型化できそうだ。 「三角屋根」への興味がますます強まった。

2007.09.08:登録文化財
※1


ギャラリーとして再生された土蔵前の地面。 黒系玉石と苔と踏み石のさりげないコンポジションがささやかな情緒を醸し出す。

千葉県内に建つ、国登録有形文化財に指定された個人住宅を見に行った。
長屋門や、最近修復を終えてギャラリーとして再生された土蔵を従えた豪壮な主屋が、手入れの行き届いた広大な庭の中にゆったりと配棟されている。 このような環境を目の当たりにした時の感想としては、「今時こんな家に住めて羨ましい」というのが一般的なのではないか。
しかし、実態は決してそうではない。 この家の七代目に当たる人とは十年ほど前からの知り合いなのだが、老朽化が進んだ広大な屋敷の修復や維持管理について、初めて会った時から悩んでいらっしゃった。
文化財の登録を申請したのも、少しでも法的な保護を受けるためであった。 しかし、登録を受けるまでの行政サイドとの折衝には尋常ではない労力を費やしたという。 そして苦労の末に登録されても、支援措置は極めて限定されたものに留まる。 結局、建物を所有し続ける限り、維持管理や修繕にかかる殆ど全ての負担が個人に重くのしかかるのだ。
文化財に登録されたことや土蔵がギャラリーとして再生されたこと等は、メディアにも華々しく取り上げられる。 しかし、先祖から引き継ぐ形で大規模な不動産を個人所有するがための想像を絶する苦労は、報道されることはない。

そしてそれは、この住宅に限ったことではない。 所有者の良識と努力と忍耐でかろうじて維持されている個人所有の歴史的建造物は非常に多い。 厳しく、そして寂しい現実だ。

2007.09.01:寺巡り
※1

下足入れの前を陣取って昼寝をしている猫。

※2
びゃくしん(柏槇)
ヒノキ科の針葉樹。 建長寺の柏槇は、樹齢730年,幹周り6.5m,樹高13m。

何週間か前のことになるが、鎌倉市内の寺を見てまわった。 北鎌倉駅を降りて円覚寺と建長寺を観て歩き、その後バスを乗り継いで光明寺を訪ねる。 多少風があるとはいえ、外はうだるような暑さ。
光明寺では、本堂の昇降口に猫がぐったりと寝そべっていた。 しかも、わざわざ下足入れの前を陣取っている※1。 暑さのせいか、あるいは人慣れしているのか判らぬが、靴を出し入れするために人が近づいても全く動く気配が無い。 その図々しさというか太々しさが何とも微笑ましい。
外の暑さとは異なり、本堂の中は少し涼しい。 深い軒がもたらす影や風通しの良い空間が、涼をもたらすのであろう。

今回は主に三門(山門)を中心に見てまわった。 円覚寺の山門は、太い欅材を用いたしっかりとした造りと繊細な組物の構成が素晴らしい。
この門を観た後に建長寺の三門を観ると、少し縦方向に間延びしたプロポーションという印象を受ける。 また、仏殿の組物は少々過剰という印象。 境内に植えられているびゃくしんの古木※2に圧倒させられる。
光明寺では、普段は非公開の三門の2階に昇らせて貰った。 外周に廻っているバルコニーに出て、地上からはなかなか確認できない組物の詳細を間近に観ることが出来た。 本来、組物の一部として軒を支える構造部材であるはずの尾垂木が、ここでは単なる装飾材として納められているところが興味深い。 そのバルコニーからは相模湾が一望できて、なかなかの眺めであった。

2007.08.25:三角屋根
※1

現在の実家の近所に建つ三角屋根。空き家になって久しい。

住まいの履歴に、2.5番目の家と3番目の家を追加した。 久々というか、当サイト開設以来、このページの更新は初めてである。 あいも変わらず、あえて公開するほどの特筆するような住まいという訳ではない。

本文の方にも記載している通り、2.5番目の家は中央LDK型のプランだ。 これが当時の北海道における標準型間取りであったことは、以前から認識していた。 しかし、そのルーツが60年代に北海道住宅供給公社により大量供給されていた「三角屋根※1」に求められそうであるということには、最近気付いた。 勿論、これがオリジナルという訳ではなく、それ以前から類似の間取り形態はあったのだろう。 しかしそれを標準化・一般化したのは、この「三角屋根」ということになるようだ。
こうなると、この小住宅に俄然興味がわいてくる。 ということで、今年のお盆の帰省は、この三角屋根を観て廻ることに多くの時間を費やすこととなった。 現在の実家がある大規模住宅団地内にも、この三角屋根が群をなして建てられている場所が幾つかある。 同じ規格の住宅が並んで建つ光景は異様なものかもしれない。 しかし、いろいろな様式の建物が混在して雑然とした様相を呈している昨今の新興住宅地とは異なる落ち着いた端正な佇まいがそこには有る。 しかも、築後三十年近くの経過の中で施された修繕や改修により、ささやかな個性も付与されている。 その改修のされ方も、個々に確認するとなかなか面白そうだ。

北海道では開拓期以降、例えば擬洋風建築やニシン番屋等、特徴的な民家の形式が幾つか作り出されている。 しかし、寒冷降雪地という固有の地域条件にシンプルに対応し、そして標準的プランとして定着したのは「三角屋根」が初めてなのではないか。
三角屋根は、開拓以降の北海道が初めて獲得した独自の民家形式と言えるのかもしれない。

2007.08.11:電通本社ビル
※1

北側外観

陽炎が立ちのぼる炎天下の中にあってもなお冷厳な氷壁のごときファサードが、汐留の超高層ビル群の中に鎮座する。 扁平な平面形状がもたらす独特なプロポーションの外観は、見る位置によってその様相をガラリと変える。
北側の透徹なイメージ※1、刃のように鋭い西面、そして障子のような繊細さをみせる南面、ヌメっとした曲面を見せる東側。 それらが何の破綻無く一つの建物に納まっているのが不思議だ。
松葉一清は、その著「新建築ウォッチング〈2003‐04〉TOKYO EDGE 」の中で、この超高層建築のことを「刃渡り200mの日本刀」と表現した。 言い得て妙である。

都内に次々と建設される超高層ビルの中で最も美しいと思うものを挙げるとなると、なかなか難しい。 ずんぐりとしたプロポーションの表層を見事に美しくデザインしてみせた六本木ヒルズの森タワーや、群としての景観に配慮した品川インターシティなど、その候補が目白押し状態となる。 そんな中で、個人的な好みで敢えて選ぶとなると、この電通ビルになるように思う。
とても美しいのだけれども、統一性のカケラもない超高層ビルが乱立する混沌とした汐留の景観の中にあっては、その美しさも半減といったところであろうか。 それでも、隣接する超高層ビル群の狭間に見え隠れしつつ、鑑賞者の移動と共に刻々と変貌する表情を愉しむのも、この建物の鑑賞方法の一つであろう。

2007.07.28:地震

2007年7月16日に発生した、新潟県中越沖地震。
この時、私は休日出勤をしていた。 私の勤務先は東京都内にある建物の17階部分なのだが、ゆっくりとした周期の横揺れを感じた。 建物全体が鈍いきしみ音をたてて不気味であった。

程なくして、震源が新潟県の中越エリアと知り、愕然とする。 三年前に大震災があったばかりだ。 しばらくは、この地域で強い地震が発生することは無いだろうと思い込んでいた。
このエリア内にある長岡市の元住民としては、中学高校時代の同級生等々の安否が気になるところ。 しかし、不要な混乱や迷惑を避けるために、電話をかけることは控えた。 中には当日関東の方へ来ていた人もいたことを、後日、御本人のブログで知る。 何とかその日のうちに帰宅できたことが書かれていたが、帰路は不安で一杯だったことだろう。

最近私が体験した比較的強めの地震は、関東地区で2005年7月23日に発生した震度5弱〜強のもの。
その時は、浦安市内の本屋にいた。 少し強い揺れだなと思いながら、とっさに本棚から離れ、天井面に露出した設備機器やダクト類が落下しないか否かを目視する程度の余裕はあった。
揺れが収まると同時に若い女性店員が、「ただいま強い地震が発生しました。怪我をされた方や具合が悪くなった方はいらっしゃいませんか」と来店客に声を掛けながらフロアを巡回。 別の店員は、出入り口付近でテキパキと避難誘導を行っていた。 非常時の対応マニュアルが徹底しているという印象。 さすが、「三省堂」。 このような準備の有無が、店の評価を左右させることもあると思う。

2007.07.21:【書籍】重源/大廈成る

最近私が興味を持っているのは、重源である。
俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん) 。 齢六〇を過ぎて東大寺大勧進職に抜擢され、以降四半世紀に渡って、焼失した東大寺再建に取り組んだ鎌倉時代の高僧だ。

国家プロジェクトとして挙国体制で臨むべき大規模な事業を、当時大してメジャーでもなかった一人の僧に統括責任者の任が委託されたという状況も異常であれば、最終的には天皇家や鎌倉幕府をも巻き込みながら事業を着々と遂行した重源の手腕も驚異的である。 更には、そこで採用された大仏様(だいぶつよう)という建築様式の存在も異形である。

タイトルに掲げた二冊の書籍は、いずれもその重源について書かれたもの。 しかし、その描写は二冊で著しく異なる。
『重源』の方は、策略家として巧みに立ち回る姿が子細且つ冷徹に記述されている。 対して『大廈成る』の方は、諸問題に対して真摯に取り組む聖人としての重源が文学的に表現されている。 その辺りを対比しながら両者を読んでみるのも面白い。
恐らく、どちらの重源像も正しいのであろう。 相反する性格を包括するパワーを持ち合わせなければ成し得ぬ巨大プロジェクトであった筈だ。

2007.07.14:養蚕民家
※1

小屋裏の最上層。
小屋裏内換気のために頂部に一直線に設けられた小屋根から、自然光が降り注ぐ。 登り梁の採用は、養蚕を効率的に行えるよう、空間内の束や梁を極力減らすことを意図したものであろう。

神奈川県津久井郡津久井町にある久保田酒造を訪ねる。 といっても私は日本酒は苦手で、訪ねた目的はお酒の試飲や購入ではない。 日本民家再生リサイクル協会主催の「民家の学校」という講座で行われた現地でのワークショップに、OBとして参加する機会を得たのである。

古民家に関する様々な知識の取得を目的としたこの年間講座は、今年で8期目になる。 私はその一期生として2000年に受講していたことは、2007年5月19日の雑記でも少しふれた。 翌年も、実際の古民家の移築と再生に関わるワークショップに一年間に亘って参加する機会に恵まれ、なかなかに得難い経験を積むことが出来た。
そして今回、6年ぶりとなる講習会への参加と相成った訳である。

少し早めに現地入りし、母屋の内外を見てまわる。 小屋裏に昇ると、簀子状の床によって、大きな空間が3層に分割されている。 各層の天井高は低く、少し身をかがめないと頭を天井にこすってしまう。 居住の用途ではなく、養蚕のための空間であったことはすぐに認識できた。
最上層に昇ると、骨太の牛梁と登り梁によるダイナミックな小屋組が、僅かに差し込む自然光に照らされで黒光りしている※1。 古民家の魅力の一つだ。

ワークショップは、この母屋を教材に、調査方法を学ぶというものであった。 建物の採寸を行い、平面図や断面図や立面図を作成。 更には建物の倒れや沈下なども調査。
私は、小屋裏の断面を調査するチームに参加。 古民家の簡易調査は何度か携わったことがあるので、何とかなるだろうと思っていたが、かなり悪戦苦闘した。 普段CADばかり使っているから、手書きの図面が思うように描けない。 約三時間弱の調査であったが、ボロボロであった。 反省することしきりである。

調査のワークショップのあとは、前回の講座で出された課題の発表会。 私は、これにはオブザーバーという形での参加であったが、熱心な議論が展開する様子に感心した。 果たして八年前の自分はこんなに真面目だったろうかと、またまた反省させられる。

所用で中座せざるを得ず、チームを組んで屋根裏の調査を行った方々や、事務局の方々には大変失礼してしまった。 また、何かの機会が有れば参加してみたいと思う。

2007.07.07:一年経過

このウェブサイトを開設して1年が経過した。 その間の更新ペースは極めて遅々としたものだし、その構成も何がどう「日本の佇まい」なのか極めて怪しい内容となってしまっている。 随分と大仰なタイトルを付けてしまったものだと若干後悔しつつも、しかしそこは個人サイトの気楽なところ それに、掲載している内容は全て日本国内のものであるからして、とりあえず看板に偽りは無い。
という訳で、今後も身の丈の程に徒然と書き連ねていく予定である。

ところで、これを期に「建築外構造物」というページを新たに設けてみた。 5番目のメインコンテンツである。
建築以外の構造物や、かつて建築であったもの(=廃墟)等の掲載を考えている。 建築外であるからいろいろな事物が想定されるが、とりあえず「構造物」という条件を設けることにした。 それすらも外してしまったら、何でもアリになってしまう可能性があろう。
とはいえ、条件を設定するほどのネタを持ち合わせているわけでもない。 現況登録しているジャンルは、「廃墟」「給水塔」「産業施設」であるが、それぞれに関して深く追求したサイトは既に多数存在する。 それらのサイトのレベルまでは、とてもやることは出来ない。
また、廃墟関連のサイトの中には、不法侵入系や心霊系といったディープなものも散見される。 私はそちらの方向には一切興味が無い。 風景の中での廃墟の佇まいに惹かれるものがあり、今まで撮ってきた写真もそのような視点に拠っている。 更に個人的な嗜好を吐露するならば、その場合の風景とは北海道のみに限定されるのだ それが何故なのかといった自己分析を試みるつもりは、今のところ無い。

一年ほど前の雑記にも書いたが、「佇まい」とは何も建築だけのことではない。 建築以外の構造体、あるいは建築的な非建築物といった観点からの「佇まい」の在り様を、個人的に検証してみたいと思う。

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