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2007.10−2007.12
2007.12.22:フォトムジーク

掲題の曲が、高校時代の同級生のブログに紹介されていた。
作曲は、坂本龍一。 かつて御本人が担当していたNHK FMの「サウンドストリート」のテーマ曲。
懐かしく思い、番組を録音したカセットテープを探してみた。 しかし、なにせ四半世紀以上前の録音。 カセットの整理や保管がいい加減であったり、他の番組を上書きしてしまっていたりで、見つけ出せなかった。
今のところこの曲が収録されたアルバムは無い様なので、オリジナルを聴く術は今の私には無い。 しかし、独自の演奏データを公開しているウェブサイトが幾つか有るようだ。
その「再現フォトムジーク」のリアルさには驚かされる。 改めて聴いてみて、途中で数小節に渡って2拍おきにコードが目まぐるしく変わる箇所に気づいたが、その進行具合が何だか凄い。
といっても、その辺りの音楽的な知識が皆無の私には、どんなコード進行なのかは解析不能。 判る人が聴くととても面白いのだろう。 ずぼらな私には、判別できるように勉強しよう努力する気概が全く湧かない。 何だか凄そうだと思いながら愉しんで聴ければそれだけで十分ではないか・・・と受け止めておこう。

今の時期に聴いたためでは無いのだろうけれども、冬の風情が良く似合う作品だと思う。 間違っても、真夏の炎天下をイメージさせる曲調とは、個人的には思えない。
冬といっても、雪が降らない関東で聴いてもあまりしっくりこない。 北国生まれの雪国育ちのためだろうか。 日常生活に雪が無い冬を過ごすようになって暫く経つが、未だにそんな冬には違和感がある。 少々寒い晩秋がダラダラと続き、そのまま春が来てしまうような感覚だ。

しかしながら、とりあえず来週の今頃は、北の大地で雪を踏みしめながら冬を実感している予定だ。 その際の脳内音楽は、恐らくこの「フォトムジーク」なのではないかと思う。

2007.12.15:三角屋根_2
※1

冬期の三角屋根の群景。 三角屋根は積雪期の風情が似合うと思う。

※2
鎌倉時代の僧。
四半世紀に渡って、焼失した東大寺再建に取り組んだ。
2007年7月21日の雑記参照。

住宅メーカーの住宅のページに北海道住宅供給公社の通称「三角屋根※1」を新たに載せた。
この雑記帳の場でも何度かとりあげた住宅である。
今年の私の興味の対象は「重源※2」と、この「三角屋根」であったといって良い。
双方に関する文献を求めて図書館に通う休日が多かったが、それなりに楽しい日々を過ごせた。

その三角屋根であるが、このウェブサイトのどのカテゴリーに入れるべきか少々迷った。
このウェブサイトは今のところ五つのカテゴリーをメインに構成しているが、いずれにも微妙に属さないのである。
住宅のことなのだから、「住宅メーカーの住宅」に入れても良いのだが、このページの対象範囲は民間のハウスメーカーをイメージしている。
住宅供給公社は少し毛色が異なろうと、当初は思った。
「建築探訪」のページでも建築家が設計した住宅を掲載しているから、こちらに載せる選択もある。
しかし、このページで指向しているところの「建築」とも明らかに異なる。
であるならば、昭和中期に成立した「北海道独自の民家」と位置づけて、時代は異なるが同様に固有性の高い民家形式であった「ニシン漁家建築」の項に番外編として入れるのも有りだ。
しかしそれは、かなり強引なこじつけである印象を免れ得ない。
結局、ページ構成が「住宅メーカーの住宅」の他のコンテンツと同じ体裁になったので、「住宅メーカーの住宅」の項に入れる方向で落ち着いた。

北海道独自の民家とは言ったが、書籍「昭和の日本のすまい」※3には、秋田県の八郎潟にも似た外観の住宅が群をなして建てられた写真が掲載されている。
写真の撮影時期は昭和48年なので、三角屋根の建設時期とほぼ同じだ。
八郎潟のものは、窓の配置から鑑みると、間取りは大きく異なるようである。
しかし、両者の間に何らかの影響や関連があった可能性もあろう。 少々興味深い。

※3
2007年10月6日の雑記参照。
2007.12.08:六本木ヒルズ森タワー
※1

右側が六本木ヒルズ森タワー。 左側に見えるのは、六本木ヒルズレジデンス。
この写真の撮影後、手前の土地にマンションが建てられたため、今はこのアングルでは六本木ヒルズを眺められない。
※2
会期:
2003年4月25日〜9月21日

建設途中のこの建物を初めて観た時は、随分プロポーションの悪そうな超高層建築が造られているなと思ったものだった。 1フロアあたりの面積が、国内の他の超高層ビルとは比較にならないほど広いために、スレンダーなイメージとは程遠い。 また、表装のカーテンウォールも随分無表情で、ディテールの処理に細心の注意が払われた繊細な表層デザインが施される事例の多い昨今の超高層ビルのデザインに比べると、異様だ。 更に、全景が円筒形。
これは、巨大なだけで大して美しい建物にはならないのだろうなと思っていた。

しかし、上棟してみると、建設途上の印象を裏切り何やらどっしりとした風格の外観となった※1。 複数の曲率で構成された極太の円筒形のボリュームに燻し銀に輝く外装材を纏った構成は、あたかも全方位を睥睨するような威圧感たっぷりのシンボリックな存在だ。
そんな超高層ビルが、都心の中央に鎮座する。

都心とはいっても、周囲の広範なエリアには低層の建築物が地表面を覆い尽くすように建ち並ぶ。 従って、様々な地点からその威容が確認出来る。
例えば、木造住宅密集地からの眺め。 あるいは幹線道路に架かった歩道橋上や建物が除却された更地の狭間から等々。
異質なものが混在する東京のダイナミズムを更に拡張させた光景が様々な地点に展開する。

しかし、異質なものの混在状況は、再開発エリア内部にも展開している。 同一デベロッパーの手による同一エリア内の同時期プロジェクトにも関わらず、構成される建物群に統一性は全く見受けられない。
既存の混沌を肥大化させただけの状況が、同時期に展開した他の再開発事業との差異を消失する。

施設オープン時、最上階に設けられた「森美術館」で、「世界都市〜都市は空へ〜※2」と銘打った展覧会が開催された。 都市をテーマとし、東京をはじめ、世界8都市の精巧な巨大模型や映像等で構成された。
他の都市の模型と比較すると、東京は低層建物が地表面を覆い尽くし、高層建築が明らかに少ない。 東京は狭いだの余裕がない等々と言いながら、実は上空にまだまだ広大な空間があるではないかという気にさせられる。 そして、美術館の外周に設置された「東京シティビュー」と名付けられた展望室からの360°の眺望は、その気分を更に補完する。 低層集密な街並みを一掃し、超高層の街区に一新する森ビルの仕事の正当性をプロパガンダするにはうってつけの仕掛けではないか。
そんな意図の有無とは別に、日常の中で建築や都市に興味を持つ機会の少ない人々に、都市の在りようを意識させる場となったのだろう。

この他にも、村上隆デザインによる六本木ヒルズのキャラクター「ロクロク星人」や、館内に坂本龍一作曲のテーマ音楽「The Land Song-music for Artelligent City-」を流す等、開設当初のこの建物は、ハードのみならずソフト面での仕掛けも鮮烈であった。
その結果として、様々な話題を提供する建物となった。 しかし、建物自体はそんな話題をも取り込みつつ、堂々としたモニュメントとして首都に君臨し続けるのであろう。

2007.12.01:スターハウス
※1

外観事例

※2

芝浦アイランドケープタワー外観

主に公営住宅として建てられたY字型平面を持つ形式の団地。 中央に階段室や諸設備がコアとして配置され、そこから三方向に分岐するように住戸が配置される。 原初の形式は、一方向に一住戸が納められ、各階3住戸を配置した5階建て※1。 それぞれの住戸は、コアと一面が接するだけで、他の三面は外壁。 よって通風や採光に関し、通常の板状の住棟に比べると好ましい環境を獲得できる。
板状の画一的な住棟が並ぶ単調な風景の中に変化をもたらす効果もあった。 一方で、両翼の住戸は南面住戸がもたらす日陰の影響を受けやすい。 また、微妙な角度で隣接住戸が見えてしまうプライバシー上の問題もある。 更には、表面積が大きい分コスト高であったり、住戸数確保の面でも効率が高くない等のデメリットもあると考えられる。
そのためか、公営住宅においてこの形式の住棟が建てられた期間は極めて限られており、またその多くが建て替えの時期に差し掛かっている。
例えば、スターハウスが群を為して建てられていた千葉県内の公団前原団地も、最近その全てが建て替えられてしまい、見る影もない。

いずれ、スターハウスは国内から無くなってしまうのであろうと思っていたが、調べてみると、形式や規模を変えつつ建てられ続けているようだ。
例えば超高層マンションにおいては、大阪に建つベルパークシティ。 東京でも、芝浦アイランドケープタワー※2が一年ほど前に完成した。
かつての建築形式が、今後どのように継承されて行くのか興味深い。

2007.11.23:美味しんぼ
※1
ニフティ株式会社が運営していたパソコン通信サービス。

※2
共通の趣味や話題について会員同士でコミュニケーションを図るためのニフティサーブ内のサービス。

11月17日に放映されたドラマ「土曜プレミアム 『新・美味しんぼPART2』」の録画を観る。
今回は四つのエピソードで構成されていたようだ。 最後のエピソードは、原作では単行本第76巻所収の「雄山の危機!?」というタイトルのもの。
四半世紀近くに渡って連載され続けている漫画ゆえ、原作の全てを読んでいる訳ではない。 しかし、私が今まで読んだ同作品の中では最高傑作だと思うエピソードだ。
主題である食の話題を中心としながら、連載初期から一貫している親子の複雑な人間模様を、より深く描いている。 そのストーリーの展開もさることながら、登場する人物に個々のキャラクターを十分に演じさせた漫画のプロットも秀逸だ。 そしてメインデッシュとして登場するマトン料理も、是非とも食してみたいと思う一品である。

このエピソードだけで十分愉しめる二時間枠のドラマを制作出来たのではないかと思う。 原作四つは詰め込み過ぎの上に消化不良という印象を持った。
とはいっても、普段ドラマを観ない私の印象は、一般的なものとは思いっきりズレているかもしれない。

マトン料理といえば、羊肉は北海道では一般的な食材だ。 ところが私が東京に引っ越したばかりの頃は、近辺を探しても羊肉は扱われていなかった。 ラムとマトンの混同による誤解もあってか、関東では不当に低い評価を受けていたようだ。
この状況を不便に思っていたのは私だけではなかった。 旧ニフティサーブ※1の「北海道フォーラム※2」では、関東でラム肉やジンギスカンのタレを売っている店の情報が切実な想いを持って取り交わされていた。
「美味しんぼ」の中でも、マトンを用いたジンギスカンは扱いが低い。 ラムを使えば問題ないし、マトンも適切に処理を施せばとても美味しいと思うのだが。 しかしながら、今では一般のスーパーでも売られる様になってきた。 そして羊料理を扱う店も増えていて、とても嬉しい。

2007.11.17:庁舎の更新
※1
移転予定地には、現在長岡厚生会館という公共施設が建っている。
この敷地では、十年ほど前にも新たな公共施設への建て替えが策定され設計コンペが行われていた。 「長岡文化創造フォーラム」と称したそのプロジェクトは結局中止。 今回、再び再開発計画が持ち上がった次第。
この時は、岡部憲明氏の案が選ばれた。

厚生会館の俯瞰画像

中央の建物が厚生会館。
両脇の公園と、左手前に広がる公園が対象敷地。

結構前の話だが、商店街の中にあった中規模のスーパーマーケットが閉店したのを受け、市役所に転用された事例の記事をみた。
場所は、大分県杵築市。 スーパーマーケットという核を失った商店街にとっては新たな活性化のきっかけになるだろうし、手狭であった役所の執務環境改善の面では行政にとってもメリットがあったのだろう。 更にはそれを、リノベーションによって成し遂げ、コストや環境負荷の面でもメリットを追求できただろう。 何よりも、スーパーマーケットならではの大空間が、複雑な組織機構を持つ行政が使う空間に適している点が面白い。 もともと豊富な駐車スペースも確保されていたため、市民の利用の面でも便利になったそうだ。 ハコモノ行政といった批判が多い中で、何やらとても好ましい事例に思えた。

先日訪ねた長岡市でも、市の中心部から少々離れた場所に建つ市役所を、既存市街地に移転※1する計画が進められている。 しかしながらこちらの方は、庁舎を新たに建てると共に、周辺一帯を含めた再開発が行われる予定。
地元のbbs等では、その概要を巡って賛否双方の意見が取り交わされているようだ。 しかし、これはネット上の話し。 一般市民の関心はどうなのだろう。
既に広報等を通じて告知され、設計コンペも行い今月中に審査が終了する見込み。 移転は既成事実化している。 更に、最近行われた市長選挙は、改めて信任を得たと行政サイドが理由付けるには十分な開票結果であった様だ。 今の状況では、計画は粛々と進められるのだろう。
市のHPに掲載されている設計コンペの募集要項を観ると、計画建物がかなりの規模になる様子が見てとれる。 果たしてこの大プロジェクトが、停滞する既存市街地の活性化につながる起爆剤となり得るのか。 あるいは、投入されるであろう莫大な税金に見合うメリットを市民が普遍的に享受できるのか。 元住民としては気になるところである。

勿論私は意見を言う立場ではない。 しかし、プロジェクトが円滑に進行する前提のもと個人的な興味を一点だけ述べておこう。 それは、コンペ要項に記載されている設計条件の一つである「広さ1500平米の屋根付き広場」である。 果たしてどのように実現されるのか。 この点には注目したいと思う。 豪雪地帯の冬を知らない人に適切な提案が出来るのだろうかと、一抹の不安を覚えもするのだが・・・。

2007.11.11:新潟彷徨_2
※1
小泉武夫著の「不味い!」という書籍の中にも、ホテルの朝食が言及されている。
特に、朝食の定番である鮭は、焼くと手間が掛かるので大方は蒸しているのだそうだ。 蒸すと旨味が抜けてしまって不味いとの指摘なのだが、今回食したホテルのバイキングの鮭の切り身も、パサパサの味気ないモノだった。

※2

見附市本町三丁目の町並み。 今風のアーケードが連なる商店街の東端の僅か百数十メートルの間に、切妻の妻入り住戸と雁木が連なる風景が残されている。

※3
地元の新聞「新潟日報」で記事として取り上げられたため、知るに及んでいた。 1983年3月21日の記事で、「「ハウス55」県内に上陸」と見出しが付けられている。

※4

土手の上より見た県内初のミサワホーム55。 四半世紀前に、国家プロジェクトとして開発された住宅である。
軒の真っ赤な塗装は改修によるもの。 もともとは木調の塩ビシート張り仕上げである。 また側面の赤い部分も増築である。 ここも、もともとは凹状のアルコーブで、玄関が設えられていた。 現在は、店舗への出入りのため、リビングの窓であったところを出入り口にしている。

昨日書いた新潟彷徨の続き。

翌朝目覚めると、外はどんよりとした曇り空。 相変わらず、遠出した時の天候には恵まれない。
と、めげても仕方がない。 三十分ほど市内を散歩してから、宿泊したホテルのお世辞にも美味しいとは言えぬモーニングバイキング※1を摂り、隣町の見附市に向かう。

元新潟県民でありながら、見附市を訪ねるのは初めて。
雁木のある町並みを見ようと思ったのだけれども、目的地までは駅から直線距離で約2.5km。 歩いて真っ直ぐ向かう筈が、いつもの癖で面白い風景や建物を見かけては寄り道を繰り返してしまう。 挙げ句の果てに道に迷ってしまい、なかなか辿り着けない。
結局、奇跡的に残された僅かな雁木の町並み※2をゆっくり堪能する時間が殆ど取れなくなった上に、帰路は駅まで小走りを余儀なくされる。 何せ地方の在来線。 予定の電車に乗り遅れると暫く時間が空いてしまう。 普段の運動不足が祟ってヘトヘトになりながら、次の目的地、小須戸へと向かう。

小須戸も、最寄り駅から直線距離で3km弱。 どうして信越線はわざわざ既存市街地を避けて駅を設けているのだろう?と思いつつ、徒歩で現地へ向かう。
かつては水運で栄えたそうだが、ここも集落としての特徴的な風景は消滅途上にある。 その最終段階に立ち会えたといったところか。

その後、新潟駅に行く。 二つの集落で合わせて15kmくらい歩き回っただろうか。 以前だったらこの程度は全く平気だったのに、すっかり体力が衰えている。
結構疲れたので予定を繰り上げて東京に帰ろうかと思ったが、そこは貧乏性の哀しい性。 せっかく来たのだから新潟市内も少し散策しようと、あらかじめ調べておいた駅前のレンタルサイクルの受付に足を向けている始末。

借りた自転車で駅前を少しだけ廻る程度に考えていたのだけれども、ペダルを漕いでいるうちに、フと思い立って信濃川の堤防沿いに向かう。 知っている人は殆どいないだろうし、知っているからどうという訳でもないが、新潟県内で初めて建てられたミサワホーム55が堤防沿いに建っているのだ※3。 既に四半世紀前の建築であるが、現存していた※4。 しかも、店舗に改修されている。 屋内に入ろうと思えば入れる訳だ。 「住宅メーカーの住宅」のページでもこの住宅について紹介しているが、実は内部まで見る機会を得たことは一度もない。 これはチャンスと思ったが、考えてみれば店舗に転用されているのだから、内部の改修も著しい筈だ。 旧態を確認するべくもないだろう。 時間的な余裕も無いので、次の機会の楽しみとすることにした。

この店舗の辺りまで来ると、信濃川の対岸に長谷川逸子設計の新潟市民芸術文化会館や、佐藤武夫設計の新潟県民会館が見える。 自転車だと大した距離ではないので、橋を渡って近場まで赴く。 文化会館の計画時に設けられたペディストリアンデッキのデザインが秀逸。 特に、デッキを軽やかに持ち上げている印象の橋脚が良い。 これらの施設に隣接する白山公園の向こう側に建つ三角屋根を冠したダイア建設の真っ白なマンションの設計は、黒川紀章である。
更に、土手沿いのサイクリングロードを走り、朱鷺メッセへ向かう。 文句無しに美しい建築作品だ。 巨大な建物を繊細且つ華麗に纏め上げる手腕は、凄いとしか言いようが無い。 暫し対岸よりその外観を見て佇む。

といった流れで、二時間ほど市内を自転車で駆け巡った後、帰路へと就いた。 今回廻った場所の個々の詳細は、また別の機会に纏めたい。

2007.11.10:新潟彷徨
※1
JR東日本会社線の広範囲を対象とするフリー切符。 利用は文字通り土曜と日曜の二日間のみに限定されているが、新幹線や特急の自由席も利用できる。 更に4回まで指定席乗車も可。 利用日の前日までに購入する必要がある。

※2

散策途中で見つけた側面物件・・って程でも無いが、建築の側面にささやかな秋の装い。

※3
家々の道路に面した側に下屋を設けて連続させ屋根付きの歩行空間を形成したもの。 積雪地域において、降雪期の歩行空間の確保を目的に設けられた都市設備である。 地方によっては「こみせ」と呼ぶところもある。

11月3日と4日の二日間、新潟へ行く。
特に目的があった訳では無い。 久々に、何の予定も入っていない土日であった。 少し遠くに出かけようかと、前日の夕刻に天気予報を確認したところ、新潟方面の天気は悪くなさそう。 それではと思い立ち、JR東日本の土日限定フリー切符である「土日切符※1」を購入。 新潟へ向かった第。

まずは長岡駅で下車。 迷わず、「建築探訪」のページでも紹介している丸専デパートに向かう。
再開発が決定し、除却工事が始まるらしいということはネットで掴んでいた。 以前訪ねた際に、見納めのつもりで十分その外観を目に焼き付けておいた筈なのだが、再度見られるかもしれないと思うと、いてもたってもいられない。 人によっては、何故こんな建物に・・・と思うだろう。 ただ、ネット上で調べる限りにおいては、石本建築事務所の設計と記載した資料もある。 こう書くと、見る目が変わる向きもあるのではないか。
ともあれ、駅前のメインストリートに面した表側ではなく、裏側の圧倒的なコンクリートの量塊に数年前から魅了されてきた。 表側は、除却工事に向けて歩道沿いに仮囲いが設けられ、上部は足場で覆われていた。 そして、愛する裏側は除却工事が始まって間もない状況。 瓦解してゆく過程を前に、暫し立ち尽くす。

その後、市内を散策※2。 なにせ、勝手知ったるかつての居住地。 小春日和の昼下がりの陽気の中、気の向くまま歩を進める先々で、淡い記憶の痕跡を確認する。
その過程で、かつて写真に納めた側面物件も観て廻る。 「建築の側面」のページに掲載している長岡物件No.01は、その前面に巨大なマンションが建設中。 既にその側面の観察は不可能だ。 No.04も、その壁面はきれいに改修されていて、美しい赤錆は抹消されていた。 先週UPしたばかりのNo.05は、改めて眺めてみて別の要素も見えてきた。 加筆すると話がくどくなりそうなので、特にページを更新するつもりはないが・・・。

夜、再度丸専デパート除却現場へ向かう。 一部が瓦解したボリュームが闇の中に浮かぶ。 昼間とは異なる鬼気迫る様態に圧倒させられた。
若干の感傷に浸りつつ、そのまま市内中心部を彷徨。 所々に現存する雁木※3の何とも言えぬ優しい佇まいにホッと一息つく。 市街地にまだ雁木が散在するところが何とも嬉しい、などと思っていたら小雨がぱらつき始めた。 予報とは異なる空模様。 明日の天気を気にしつつ、ホテルに戻る。

翌日については、また後日。

2007.11.02:住まいと家族
※1
株式会社アスコット
公式サイト

ルーフバルコニーに「はなれ」を設けた賃貸マンションが、株式会社アスコット※1から発表された。
開発の背景としてターゲットにした「非同期な生活者」なる言葉が面白い。 社会の最小単位と言われてきた「家族」にすら束縛されない個の空間の積極的な提案。 あるいは、家族と称する制度上の枠組みとは異なる人間関係をターゲットにした住まいとも言えそうだ。

11月1日の読売新聞に、「「減築」リフォームに注目」と見出しが付けられた記事が載せられていた。
文字通り、増築の逆。 家族構成に合わせ、家の面積を敢えて減らす方向で住まいの改修を進める取り組み。 一世帯あたりの構成家族数の減少や高齢化の流れの中では自然な需要であると思う。
以前にもこの雑記の場で書いたが※2、同紙の昨年12月5日号に「小さく暮らす美しさ」と題するコラムが掲載されている。 あえて小さな家に住み替える選択肢を示唆したものだが、同じ発想だろう。

最近は幾つかの住宅メーカーから、夫婦二人のみで住むことを想定した商品が発表されている。
例えば、三井ホームの「モア・ストーリー」、パナホームの「ふたりスタイル」等々。 多くは団塊世代層の定年退職後の住処としてターゲットを設定しているようだ。
そのルーツを求めると、ミサワホームS型NEW平屋建て※3まで遡るのかもしれない。 1983年の時点で、そのような商品企画を行っていた先見性に驚く。

家族や人間関係の在り方の変容に伴い、規範として一般的に認識されているところの住まいとは少々趣を異にする型式が、徐々に増えている。

※2
2006年12月9日の雑記参照

※3

ミサワホームS型NEW平屋建て外観 <出典:ミサワホーム>
2007.10.27:骨董市
※1

入手した旅茶籠。 左上の野点籠の中に茶碗と棗、その右隣の茶筅筒の中に茶筅と茶杓を収納する。

都内で開催された骨董市に出かける。
骨董には縁も無い上に、良し悪しを判断する審美眼も知識も持ち合わせていないので、時間をかけて骨董市を観て廻るのは初めて。 今回は、茶道の心得のある建築家の方に案内して頂きながら大規模な会場内を巡った。 様々な道具の用途や使い方等を教えて貰ったが、奥の深い世界である。

そんな中で、携帯用茶道具※1が目に留まった。
小さな野点篭の中に茶碗と小棗、そして竹筒の中に茶杓と茶筅が入っている。 茶杓は折りたたみ式で茶筅の柄の部分に収納。 また茶碗は、黒楽茶碗風の渋い品。 極小の空間にお茶の世界が詰まっているのが面白い。 茶道に関しては袱紗捌きひとつ満足にできぬ身なれど、伝統的文化の一端としての具体的事物を日常生活の中に置くことは無駄ではないだろうなどと都合の良い理由を付けつつ、値段も手ごろだったので衝動買い。
茶道具は使ってこそ意味がある。 これを機会に、たまには茶を点ててみようとも思うが、単なるお飾りになる可能性も無くは無い。

会場を廻っていて思ったのだが、私は家具や漆器よりも、香合や水差しといった小物の方に興味が向くようだ。 雀とか柿の形をした具象的なものから抽象的なものまで、技巧を凝らした魅力的な香合が散見されたが、小さな物なのに凄い値が付いていて手が出せなかった。

2007.10.20:住宅メーカーと建築家
※1
近年でも、例えば鈴木エドワードとダイワハウスによる、EDDI's Houseが挙げられようか。

※2

ハイムグロワールの外観
<出典:セキスイハイム>

故黒川紀章が、ハウスメーカーであるダイケンホームの一商品のデザインを手掛けていたと前回書いた。 同時期において、建築家がハウスメーカーの住宅デザインを手掛けていた例は他にも有る※1
例えば、積水化学工業から1982年4月に発売された「ハイムグロワール※2」に山下和正。 クボタハウスの「GXシリーズ和瓦」に菅家克子。 イワタニハウスの当時の一連の商品群に奥山陽子。
ハイムグロワールは、それまで無機的な印象の強かったユニット工法のプレハブ住宅に対し、高級感あふれる情緒の付与をある程度成し遂げた。 また、当時のイワタニハウスは、名称に「洋館」を含むモデルを6種発表していた。 1976年に発表された「木の洋館」を皮切りに、「白い洋館」「四季の洋館」「合歓の洋館」「緑の洋館」そして、住宅メーカーの住宅のページでも紹介している「向日葵の洋館」である。 これらのシリーズのデザインは、全て奥山陽子によるものだ。

過去の資料を見ていると、精彩を欠いていた住宅メーカー(上記のメーカーがそうであった訳ではない)のラインナップが、ある時期突然向上する事例を時折見かける。 もちろん、その逆もある。 その背景には、案外このような社外の建築家によるデザインコンサルの存在が大きく影響しているのかもしれない。

2007.10.13:メティエ
※1

ツーバイフォー工法の住宅なので、外装に見えている柱や梁や合掌は表層に施されたパターンである。
<出典:ダイケンホーム>

手元に建築家の講演会の招待状が一枚ある。 青山にある梅窓院にて開催予定のその講演会の題名は、「ともいき仏教から共生の思想へ」。 ところが昨日、急遽中止の連絡が入る。 どうしたのかなと思っていたら、程なく講師本人の死去が伝えられた。
各メディアで大きく取り上げられているので、改めて述べるまでも無い。 講演予定であった建築家の名前は黒川紀章。

御本人を直接見たのは、もう八年くらい前になろうか。 横浜にある前川國男設計の神奈川県立音楽堂一帯の再開発計画が持ち上がり、保存か解体かをテーマとしたシンポジウムにパネラーとして参加しているのを見に行った時が最後。
確かその時の氏の発言は、「東京文化会館ならともかく、前川作品だからといって何でも残せば良い訳ではない。保存・再開発双方の具体的な提案を募るべく、国際コンペを実施すればよい。」といった様な内容だった。 歯切れの良い前向きな提案に、会場からは拍手が沸き起こった。
それより二年ほど前、氏の単独の講演会も聴きに行っている。 建築家の講演会は、最初に自らの建築信条を軽く述べ、その後にスライド等で自分の作品を紹介しながらその信条を補完するパターンが一般的であろう。 この時もその予定だったようだ。 ところが、最初の話の部分が延々と続き、スライドによる説明時間が無くなってしまった。 その間、約二時間半。 しかし、聞いている方は全く飽きることがなかった。 それどころか、どんどん引き込まれる話であった。
人を惹きつける話術において、ずば抜けた能力の持ち主であったといえるだろう。 嫌味や皮肉ではない。 必要であり大切であり、また素晴らしい才能だと思う。

このウェブサイトの内容に強引に結びつけるとするならば、黒川紀章はハウスメーカーの住宅のデザインも監修していた。 ダイケンホームが80年代前半に発表した「メティエ」というモデルである※1
ハーフティンバーをモチーフにした外観。 内装は、白を基調とした壁と天井に、ピンク色のカーペットを敷き詰めた床。 リビングの壁には金モールが3尺間隔で縦方向に埋め込まれ、和室の襖には御所車が描かれる。
あまり感心できるデザインとは思えなかったが、それは好みの問題。

ハウスメーカーの商品から海外の都市計画に至るまで、その守備範囲はとてつもなく広い建築家であったと思う。

2007.10.06:【書籍】昭和の日本のすまい

明治期辺りから近年にかけての日本の住宅史を写真や図版で体系的に扱った書籍は多い。 しかし、貴重な写真がこれほど大量に網羅された書籍はめずらしいのではないか。 そこには、戦前から高度成長期にかけての様々な日本の住宅様式や町並みの写真が載せられている。 北海道住宅供給公社の「三角屋根」の最初期モデルやニシン番屋の写真まであるのには驚いた。 そして多くの写真には、そこに暮らす人々の姿が生き生きと、あるいは冷徹に写し込まれているところも魅力のひとつ。 更には、西山夘三の几帳面なスケッチもところどころに添えられている。 パースペクティブを誇張した京町屋の鳥瞰図などは、表現方法としてとても魅力的だ。
激動の時代を、住まいと暮らしの視点から捉えた価値のある写真集だと思う。

この書籍を編集した「西山夘三記念すまい・まちづくり文庫」は、住宅や町並みに関して西山夘三が遺した膨大な資料の保存と公開に取り組んでいるNPO法人。 初めて知ったのだが、積水ハウス総合住宅研究所内に「西山文庫」を設置し、ここを拠点にさまざまな活動を展開しているそうだ。

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