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2008.01−2008.03
2008.03.29:桜

26日、仕事の打ち合わせのための外出途上で桜並木を通る。 桜は三分咲きといったところ。 この暖かさならば週末には満開であろうか、などと思いつつ訪問先に向かう。
打ち合わせ内容は、住居内の温熱環境向上に向けた新換気システムの検証にあたっての流体シミュレーションの実施方法といったもの。 設備の専門でもない私が何でこんなことをと思いつつ、何事も経験である。
打ち合わせを終え、帰路に同じ並木道を通ると、様子は一変。 一気に開花が進み、一部では五分咲き程度のところもある。 少し時間に余裕があったので、並木道沿いに設けられたベンチに腰掛け、桜を堪能。 平日の東京の空をゆっくり眺めるのも久しぶりだ。 行き交う人々もまばらであったため、思いがけず落ち着いた花見の機会を得ることが出来た。

そういえば、もう何年も花見のシーズンに桜の名所といわれる場所に近づいたことが無い。 というか、意識的に敬遠している。
特に休日は、宴席に興じる群集の喧騒を拝むことになるだけだ。 そして飛び交う嬌声に混じって、バーベキューだか何だかの食材の焼け焦げる匂いと煙が辺り一面に拡散し、風情のカケラも無い。 ならば人が少ない早朝に出向けばよいかと言うと、そうでもない。 今度は、不法投棄された宴席の残飯を漁り嬌声をあげるカラスの群れを拝むことになる。
細野不二彦著の「ギャラリーフェイク」24巻収録の「花観る人々」の中で、花見の在り様について「桜が泣いている・・・」という台詞がある。 同感だ。

2008.03.22:【書籍】鳥瞰図絵師の眼

住設機器メーカーのINAXは、東京,名古屋,大阪に「INAXギャラリー」という施設を設け、建築に関わる様々な企画展を開催している。 そして企画展の図録として「INAXブックレット」を刊行しているが、永いギャラリーの歴史の中で、その巻数とジャンルは極めて多岐に及び、貴重な資料として価値のある書籍である。
表題の書籍は、そのシリーズの中の一冊で、2001年に開催された同題の展覧会に合わせて発刊された。 タイトルにある通り、空から俯瞰した風景を題材としたアーティストとその作品について、古今東西の事例がまとめられている。 現代の作家として、細密な都市鳥瞰図を手掛ける石原正氏も取り上げられている。

都市の俯瞰画像を見ることが大好きであることは、2006年11月26日の雑記にも書いた。 そんな私にとっては、石原正氏の作品はとても魅力的だ。 いや、魅力的という以上に驚異的である。
空と地上からの綿密な現地調査に基づき、建物一つ一つのデザインを正確に最大限漏らさず作品の中に表現している。 例えば小さな戸建住宅の窓から、ビルの屋上の設備機器類に至るまで、その正確な描写は徹底している。 それを、マンハッタンや京都や鎌倉等々、都市のスケールで描ききっているのだ。
試しに、それぞれの都市の中に描かれている建物の中で私が知っているものについて確認してみると、外形から窓の配置まで、恐ろしい程に正確な描写が施されている。 そんな製作過程を経て創り出された俯瞰図は、空撮画像では表現し得ぬ極めて美しい作品として成立している。

残念ながら数年前に御本人は他界されているが、フォロワーと目される方々がいらっしゃる。 中には、ブログにて自らの作品の制作過程を公開している方もいらっしゃる。 ブログの活用方法として、とても面白い。

ところで、東京のINAXギャラリーには、隣接して書店が併設されている。 建築関連の書籍を中心に扱っているが、品揃えがとても充実している。

2008.03.15:混構造
※1
現、「雪の里情報館」
所在地:
新庄市石川町4番15号
※2
提案は甲乙の二案が提示された。 甲案は、旧来の民家の部分的な改修を提示したものであった。

上図は今和次郎が描いた乙案の外観パース
居住空間の床レベルを地上から高く持ち上げているため、外部から屋内に直接アプローチする外部階段が右手妻面に設けられている。 持ち上げられた居住スペースの下に出来た空間は作業スペースとして構想され、その部分の採光のための開口部は積雪を考慮して全て高窓。
※3
1989年作品。
私は未見。

降雪地域の住居形式として、高床式の普及率は結構高い。 基礎の設定高さを平均的な積雪深度に合わせて持ち上げることで、降雪期における家の周囲の雪除けにかかる労力低減を図る工夫である。
言い方を替えれば、一階を鉄筋コンクリート造とし、二,三階を木造等の別の構造形式とする混構造の三階建て住宅。 通常、一階は車庫や物置の用途に供し、二,三階を通常の住宅とすることが一般的。

この形式のルーツは、昭和初期まで遡ることになりそうだ。
まずは、1月12日の雑記にも書いた今和次郎(こん・わじろう)。 山形県新庄市にある「旧積雪地方農村経済調査所(以下、雪調)※1」からの依頼で策定した雪国農村住宅の改善に向けたモデルプラン(乙案)※2で、この形式を提案している。
計画では、積雪時を考慮して日常の生活スペースを地上七尺五寸に持ち上げ、その下に屋内作業スペースを配置。 そして、その上に二層分の日常居住スペースを配置することで冬季間の居住性能の向上を図っている。 また、急勾配屋根を採用し、屋根の雪下ろしの労力低減も提案されていた。 昭和9年という段階においては、相当ラディカルな提案であったといえよう。
ところが、これより二年前の昭和7年に、南魚沼郡大崎村(現南魚沼市)において校長職に就いている建主の独自の工夫で、同様に高床式の自宅が建てられていた。 傾斜角50度という急勾配屋根を採用し、屋根面の積雪を自然流下。 地上部の落雪エリアには、融雪と鯉の養殖を兼ねた池を配すという工夫まで施されていた。
今和次郎自身も、昭和12年2月に行われた雪害地方視察旅行に同行して実際にこの建物を見学し、

「一同があっけにとられて、この校長先生の有意義な考案に打たれたのであった。」

と、「今和次郎集 第二巻 民家論」の中で述べている。
今和次郎が凄いのは、自らが提案した案に類似した住宅が先行して実現していることを知ると、それに感嘆するだけではなく、その有用性について学術的な側面から実証を試みたところにある。 昭和13年、雪調構内に乙案をベースにした実験住宅を建て、実際に農家の人に住んでもらい、居住性能試験を実施したのである。
残念なことに、この試みは入居者の辞退により短期間で終了。 映画「砂の上のロビンソン)※3」と同様、モデルハウスの中で理想的な生活を演じることが負担になったのであろう。 このことについて、今和次郎は前述の「民家論」の中で以下のように述懐している。

「経済よりも、科学よりも、習慣、特に対社会の中における慣習というものに負けたのだ。しかし、農村の社会生活というものに含んでいる魔力を知ることが出来たのである。慣習の分析である。それを十分にやるのでなければ生活改善の仕事をやる資格がないことを痛感させられたのであった。」

冷静で謙虚な分析だ。

話がそれた。
雪調におけるこの取り組みは、形を変えつつ、現在の高床式混構造住宅に繋がっていると思う。 しかし、この住宅形式は以下の二つの理由で岐路ある。
一つは、ユニバーサルデザインの問題。 居住階の床が高く持ち上げられている訳であるから、家の出入りには階段の昇降を要することとなる。 それが足腰の弱った居住者には負担となる。
もう一つは、混構造に対する構造解析上の妥当性判断の問題。 昨年改正された建築基準法に基づく構造計算に係る建築確認審査の厳格化(というか、混乱)により、高床式住宅の構造計算から確認認可までのプロセスが極めて煩雑になった。 そのため、現行法の下では実現が困難な構造形式という位置づけになってしまっている。 現に、昨年4月の雑記に書いた北海道内のハウスメーカーが、事業を停止して自己破産手続きに入ると先週発表したが、その理由の一つに、同社がこの混構造による高床形式の住宅建設をメインに据えていたことが挙げられている。 建築確認行政の混乱による着工件数の減少が、財務悪化の一要因になったという。

2008.03.08:モデルルーム

戸建て住宅のモデルハウスに関し、現実と乖離したテーマパーク的な状況ということについて2月16日に書いた。
マンションの場合はどうだろう。
実際に分譲する住戸の代表的な間取りをモデルルームとして公開するから、宅建業法上、実物と寸分違わぬ正確な造り込みが求められるし、オプションを付加する場合は、その旨を明確に表示する必要がある。 しかし、だからといって戸建ての場合のように現実から乖離することがないかというとそうでもない。 いや、戸建ての場合に勝るとも劣らぬ状況が散見される。 例えば、以下のような例がある。

目的とする販売事務所に出向くと、そこには事務所というよりはパビリオンといった体裁の豪華な施設が建っている。 中にはいると、これまた豪華なウェルカムホールが広がっている。
その奥のサロンのようなところに通され、とりあえず受付を済ませるが、すぐにはモデルルームに案内して貰えない。 まず事務所内に設置されたシアタールームの様な所に連れて行かれるのだ。 暫くすると派手な映像と音響によるプロモーションビデオが始まり、それが終わるとスクリーンが壁内に格納され、背後に巨大で精巧な外観模型が出現。 近寄ると模型が回転し始め、これもまた派手なライトアップによる演出が始まる。
そんなアトラクションを経てからようやくモデルルームに辿り着くと、中はオプションだらけ。 オプション表示さえすれば何でもありの状態で、何が正味なのか判別することは難しい状況。
更には、隣接して外部デザイナーに委託して造らせた提案型のモデル住戸も併設されている。 差額を上乗せすれば、同様に作り替えることが出来るという仕組み。 しかし、なにせデザイナーのプロデュース。 ぱっと見た目には斬新で目を引くけれども、永く暮らすには如何なものかという部位が散見される。 販売サイドにしても、提案型モデルの契約に積極的であるかは疑わしい。 どちらかというと客寄せパンダとしてのインパクトを期待しているという位置づけが強いのではないか。 つまり、これも一種のアトラクション。
用意周到に配置されたこれらのイベントを全て巡った後には、数冊に及ぶ豪華なパンフレットの入った巨大な手提げカバンを手渡される。 もう、販売事務所を後にする頃には夢心地だ。 夢を見せるだけ見せて売ってしまえといったところ。

勿論、これは極端な例であって、全てのマンションの販売手法がこうだという訳ではないだろう。 何せ、販売経費もバカにならないし、当然のことながらそのコストは全て販売価格に転嫁される。 だから、事業収支上のバランスから、ある程度の規模のプロジェクトでないと可能な演出も限られる。
それに、高い買い物だ。 顧客の側もいくつもの販売物件を巡って慎重に比較検討を行っているであろう。 派手な演出に辟易とする人もいるだろうし、そんなことには誤魔化されないだけの審美眼を備えているかも知れない。 いや、逆に競合物件と比較されるからこそ、豪華絢爛な仕掛けが必要なのか・・・。
いずれにせよ、契約前に一方的に見せつけられる夢の代金は決して安くはないということになろう。

2008.03.01:二百年住宅

最近、二百年住宅という言葉を良く目にする。
政府は、その普及に向けた税制優遇措置を含む各種制度の策定に入っているし、二百年の高耐久を謳った住宅を発表するメーカーや工務店も現れてきている。
しかし、家の長寿命化は、それ自体の耐久性のみで実現するわけではない。 もちろんそれが必要条件であることは言うまでも無いが、加えて住む人の継続的かつ適切な維持管理の実施や世代を超えて住み継ぐという意思、そしてそれを可能にする社会環境の整備等が一体になって初めて可能なことであろう。
建築のみの問題として長寿命化を捉えた制度として、既にセンチュリーハウジングシステムがある。 1980年に旧建設省が打ち出した100年間快適に住むことを可能にした耐用年数の長い住宅を供給する仕組みや制度であるが、これによって日本の住宅の平均寿命が長くなったとはいえない。
もっとも、この平均寿命の捉え方にも問題がある。 日本の住宅の平均寿命は30年前後とされているが、30年経ったからといって必ずしも全く住めない状態になっているという訳ではない。 まだ住み続けられる性能を保持しているにもかかわらず、住み手の事情で除却せざるを得ない場合が往々にしてある様に思われる。

もう一つ。
実は日本には既に二百年住宅といえる住宅が各地に散在しているのだ。 いわゆる「古民家」と呼ばれるものだ。
現代生活に合わせた若干の改修と丁寧なメンテナンスを行えば、まだまだ十分長く使える古民家は少なくない。 しかしながら残念なことに、きわめて貴重な資源でありながら次々と滅失してしまっているのが現状だ。 二百年住宅の目指すところがストック型社会への転換ということであるならば、「古民家」の再生や維持に対する補助の法制化というのも必要なことなのではないだろうか。

2008.02.23:【書籍】探訪 北越雪譜の世界
※1
江戸後期の雪国の生活を記した文学作品。 新潟県魚沼郡に居を構えていた鈴木牧之の作。 初の豪雪地の紀行文としてベストセラーになった。

「北越雪譜※1」という作品の存在は知っていたが、読んだことはなかったし興味も無かった。 雪国の風情や文化・慣習を風流に描いた古文書なのだろうといった程度の認識だったのだ。
しかし、1月12日の雑記に書いた旧積雪地方農村経済調査所(以下、雪調)と今和次郎の関わりについて色々と調べるうちに、この古文書についても少し読んでみた方が良さそうだという気になった。 雪調は、疲弊した雪国の農村経済改善のための各種調査研究を行った機関。 その設立経緯に関する資料の中で、必ずといって良いほどこの「北越雪譜」の序文の一部が引用されている。
どうやら、江戸時代のこの文学作品に対し、著しい勘違いをしていたようだと認識するに至った。 そんな折に巡りあったのが、この書籍である。

本編と別冊の二組で構成される、いわゆる豪華本の類に属する書籍ということになろうか。 本編の方では、「北越雪譜」の心象風景を現代的に解釈してみせたかの様な北井一夫の写真と辺見じゅんの紀行文で構成。 別冊は、「北越雪譜」の現代語訳とその解説、及び北越雪譜の舞台となった新潟県に在住する専門家や学者による北越雪譜にちなんだ様々な分野の小論文が掲載されている。

かつて新潟に十数年住み続けていたにも関わらず、その地域の文化や因習といったことには無関心だったし、今でもまるで分かっていない。 それは少々寂しいことなのではないかと最近思うようになってきた。
これは歳のせいもあろうが、ともあれ、新潟ということのみならず、雪国について省みる、あるいは考えてみる上でとても貴重な内容が網羅された書籍であると思う。

話は少し変わるが、建築家大沢匠氏が主催する鎌倉の設計事務所「O設計室」を先日訪ねた際、アトリエに保管している木製の道具(右図)を紹介していただいた。
それが木鋤(こすき)であることは瞬時に分かった。 一枚板で作られたスコップで、雪国の代表的な民具。 まさか関東で見る機会に恵まれるとは、思いもよらなかった。 かつて子供用の小さな木鋤をあてがわれ、雪かきの真似ごとをしていた幼い頃の記憶がよみがえった。

2008.02.16:住宅展示場
※1
分譲中の公開物件は別。 実際にそのまま売るものだから、現実的な仕様やプランが確認できる。
それと、マンションのモデルルームは時折見に行くことがある。
※2
だから、「住宅メーカーの住宅」のページでとりあげている住宅は、70年代半ばから80年代半ばにかけてのものが中心である。

住宅展示場のモデルハウスを特別価格にてお譲りしますという新聞の折り込みチラシが目にとまった。 別のモデルに建替えるため、今まで使用してきたモデルハウスを格安で販売するというものだ。 ユニット工法を採用した住宅なので、他の工法に比べると移築が容易なために可能なサービスであり、この住宅メーカーは、昔から時折この様な広告を出している。
チラシに掲載された販売対象モデルハウスは二件。 一方は延床面積71.59坪の二階建てで譲渡価格が税込1100万円。 他方は、三階建て107.17坪で1500万円というから、なるほど破格である。 移築する先の敷地が別途必要とはいえ、この格安販売というイベントがもたらす宣伝効果は絶大であろう。

このメーカーは、モデルハウスのみならず、実際に人が住んでいたかつての自社製品のリサイクル活動にも取り組んでいることは、この雑記帳でも以前少し触れた。 用を成さなくなったからといって、解体して大量の産業廃棄物として処理することを思えば、いずれの行為も好ましいことなのかもしれない。 もっとも、再築に要するエネルギー消費量も含めたトータルで検証しないことには、環境負荷への本当の影響は評価できないが・・・。

ところでこのチラシには、敷地形状に合わせて譲渡するモデルハウスのプラン変更も可能となっている。 そして変更プラン例が提示されているのだが、そのプランは「変更」というよりも「減築」である。
そう、モデルハウスのプランのままでは現実的な生活にはそぐわないであろう部位が散見される。 例えば、バランスを欠いた広大な玄関や巨大な吹抜けを伴った豪華な玄関ホール、あるいはフリースペースという名の剰余スペ−ス等々。
「一般的」という言葉を用いるのはこの場合非常に抽象的になってしまうが、その「一般的」と表現するところの普通の生活を想定した現実的な間取りに調整する必要があり、それが譲渡にあたってプラン変更対応にも応じるというサービスを付加せざるを得ないこととなる。 もちろん敷地条件への対応は必須とはいえ、むしろそのことよりも、モデルハウスと現実との乖離という実態の方が大きい様に思う。

考えてみれば、最近私は住宅展示場のモデルハウスに足を運んだことが無い※1。 理由は、昨今の住宅メーカーの住宅にあまり興味が持てないということもあるが※2、それ以上に、現在の住宅展示場が如実にテーマパーク化しているためである。 そこから標準的な個々のメーカーの仕様であるとかセンスや能力を判断することは困難であろう。
本来、住宅展示場の機能は、その判断の場を住宅購入予定者に提供することにあった筈だ。 しかし既にそんな本来の目的のための施設という前提は崩れ去って久しく、見た目の豪華さを強調する非現実路線に向けたメーカー間の競争激化は留まるところを知らぬ。 もはや暮らしの夢を愉しむテーマパーク、あるいは信頼できそうな営業マンに出会うためだけの場。 それが、こんにちの住宅展示場である。
もっともそんなことは購入予定者は重々承知済みなのか。 あるいは、そんな現実離れした豪邸を並べて華々しさを演出しなければ、展示場としての集客量にも支障が生じるのかもしれない。

四年ほど前に行われたプレハブ住宅に関するの講演会の中で、とある大手住宅メーカーの幹部が、住宅展示場にモデルハウスを建てて宣伝するという手法は岐路を迎えているといった旨の発言をしていた。 そこには、このような背景があるのかもしれない。

2008.02.09:木を見て森を見ず

「町並み紀行」というコンテンツを新たに加えた。 町並み、つまり建築単体ではなく群景としての佇まいについても書き連ねてみようというページである。

ウェブサイトのタイトルを「日本の佇まい」と定めた初期の段階から、今まで訪ね歩いた町並みについて取り上げてみたいと思っていた。 しかし、なかなか纏めることが出来ず今日まで時間を費やしてしまった。
理由は二つ。
まず、町並みについての文章が書きにくいということ。 今まで公開している各ページをお読みいただいて印象をお持ちの方もいらっしゃると思うが、私の文章はどうにも「木を見て森を見ず」なのだ。 書いている本人がそう感じているのだから間違えない。 どうでもよい細かなところをチマチマといじくりまわす様な文章は、現在私が就いている仕事の影響も有ろう。 もう十年以上もそんな傾向の仕事ばかりに携わっているから、物事をトータルに見回すことが出来なくなっているのかもしれない。 町並みという広範な事象を相手にすることは、枝葉末節な思考回路には難儀なことだと気づいた次第。
そしてもう一つの理由は写真である。 文章と同様、今まで撮り溜めた写真もどちらかというと木を見て森を見ずな傾向にある。 改めて見てみると、建物単体とか個々建物のディテールといったものが多く、町並みの特徴そのものをしっかりと捉えた写真が少ない。 勿論これは救いようの無いセンスの欠如が一番の原因ではあるが、対象とする町並み側の事情もある。 群体としてのまとまった景観が保持されている町並みは既に希少になって久しく、アングルの制約は避けようがないのだ。

と、言い訳を書き連ねても前進は無い。 今後どのように進展し得るかも定かではないが、「佇まい」として外せない要素である「町並み」についても徒然に書き足していこうと思う。

なお、掲載する町並みの中には、訪ねてから既に二十年近くが経過している場所もある。 日本において、二十年というスパンは風景そのものを根本から変えてしまうには十分な時間である。 あるいは、物理的な風景は変わらなくても雰囲気が変容している可能性はより高いと言えよう。
従って、記載内容と現況に著しい乖離が生じている可能性がある地域についても載せることを、あらかじめお断りしておく。

2008.02.02:【CD】アトランティス
アルバムタイトル:
Atlantis

アーティスト:
McCoy Tyner(Piano)
Azar Lawrence(Sax)
Guilherme Franco(Percussion)
Joony Booth(Bass)
Wilby Fletcher(Drums)

M-1;Atlantis
M-2;In A Sentimental Mood
M-3;Makin' Out
M-4;My One And Only Love
M-5;Pursuit
M-6;Love Samba
M-7;Naima

雑記帳だから、音楽CDを聴いた感想を書き連ねてみるのも良いだろう。 ということで第一段は、JAZZ界の巨匠、ジョンコルトレーンの黄金期を支えたピアニスト、マッコイタイナーが1970年代に発表したアルバムの中から、「アトランティス」。

この時期にマッコイタイナーが発表したアルバムは数多いが、いずれも名作である。 その中からこれはというものを選ぶのは非常に難しい。
いや、難しいのは、どれも素晴らしいからということとは別に、手法がいずれも殆ど同じというところにもある。 例えば、左手の力強い四度重ねのコード。 ピアノは鍵盤楽器であると同時に打楽器でもあるということを認識させられる。 そして右手は超高速のペンタトニックスケールの音の羅列。 殆ど手癖といっても良いこのパターンが、モーダルな曲調の中で壮大且つ豪放に展開する。
この時期のどのアルバムでも聴くことが出来る独特な形式だ。 有り体に言ってしまえば、ワンパターンということになってしまうのだが、なぜかどれも引き込まれてしまう。

ともあれ、そんな時期に発表されたアルバムの中の一枚である。
ギリシャ建築のオーダーに基づく神殿から津波が押し寄せてくる様な図柄が載せられたジャケットは、表題作の「アトランティス」をイメージしたものだろう。 しかしその構図は、収録されている各曲に展開する強烈な音の洪水状態をも暗示している様に思う。

表題作のM-1は、叙情的なイントロに始まって、勇壮でやたらと格好いいテーマに引き続き、怒濤のソロが繰り広げられる。 この時期の典型的なマッコイスタイルの作品だ。
M-4は、スタンダードナンバーもマッコイにかかるとここまで料理されてしまうかと思わせるような勢い。 ちなみに、このアルバムの15年後に発表された「Things Ain't What They Used To Be」の中にも、ジョージアダムスとのデュオによるこの曲が収められている。 こちらの方は穏やかで優しくて温かみのあるサウンドでしっとりとまとめている。 演奏形態のフォーメーションが異なるとはいえ、その変節には時の流れを感じずにはいられない。
M-5は、このアルバムの中で私の一番お気に入りのナンバーで、モード奏法を得意とするマッコイの真骨頂が存分に堪能できる。
M-6は、パーカッションが少々喧しい様にも思えるが、コード進行の美しい高速サンバだ。

本当は、音量を思いっきり上げてその音の洪水に身を任せてしまう様な聴き方をしたいアルバムであるが、現在の私の住宅事情ではなかなか難しいところが少々哀しい。

2008.01.26:HABITA
※1
モントリオール万博の関係者の宿泊施設として建てられた集合住宅。
コンクリート製のボックスを積み木のように組み上げた外観が特徴。

※2
公式サイト
MISAWA international

※3
商品紹介のページ
出居民家

※4
ミサワホームMII型増設プランの外観

<出典:ミサワホーム>

HABITAという言葉には、何やら昔懐かしい印象を抱く。 モシェ・サフディが1967年のモントリオール万博において設計した「アビタ67※1」という集合住宅のパビリオンを連想するためだ。

そのHABITAという文字が、日経アーキテクチュア誌2007年12月24日号で目に留まった。 ミサワホームの創業者である三澤千代治氏が、退任後に新たに立ち上げたミサワインターナショナル※2を取材した記事である。
記事のサブタイトルには、「原価主義で行こう」とある。 敢えて原価を公表してコスト構成を明確にすることで、顧客は適正価格を知り、施工者側にも一定の利益の確保を可能とするビジネスモデルを構築するという。 そして、40年前に自ら編み出した木質パネル接着工法で現在のミサワホームを作り上げた人物が、今度は大断面木構造で住宅市場に挑む。 その構想力や実行力には脱帽である。
公式サイトのプレスリリースによると、当面は地域工務店との提携を推進し、2011年度までに一万棟の住宅供給体制を整備することを目標に掲げているが、その実現性については何とも判断しがたい。

ところで、HABITAの具体事例としてサイト内に呈示されている「出居民家※3」のデザインは、どこかかつてのミサワテイストを感じさせるのは先入観のせいだろうか。 おおらかな吹抜け空間を包み込む招き屋根や、窓の位置や形状がしっかりと整理されたファサードは、ミサワホーム草創期の商品群に通じるものがある。 あるいは、1980年代前後に発表されていたミサワホームMII型の増設プラン※4やMIII型を彷彿とさせる。
間取りは田の字型を基本にしたシンプルな構成。 ずいぶんスッキリとシンプルにまとまっているなと思ったら、押入れ等の収納が一切無い。 そもそもがスケルトン売りをイメージしているので、他は個々の条件に応じて追加するということなのであろう。
現在、千葉県東金市に出居民家のモデルハウスが建っているそうだ。 機会があれば観てみたいと思う。

2008.01.19:小堀遠州

少し前になるが、銀座松屋で開催していた小堀遠州「美の出会い」展に行ってきた。 昨年10月27日の雑記で書いた骨董市の会場を案内してくださった、茶道の雅号をお持ちの建築家の方のお誘いである。

待合せ時間までの間、周辺を散策。 途中、建築の側面のページに登録している東京都物件No.06の現場にも立ち寄る。 実は東京都物件No.06は銀座に立地しているのだが、その前面の更地であった敷地には、現在マンションが建設中。 ということで、ページ内で紹介している側面を観ることは、今となってはもう不可能。
この様な現場に立ち会うと、風景は一期一会だし、視認可能な都市の諸現象は一過性のものである場合が多いということを再認識することになる。

でもって、待ち合わせ場所で合流。 早速会場のある八階に向かおうとするが、店員が何か叫んでいる。 曰く、「会場が混雑しているために現在入場制限を実施しています。観覧ご希望の方は階段に並んでお待ちください。列の最後尾は現在五階になります。」 休日の昼下がりで、しかも会期が翌日迄という状況だからある程度覚悟はしていたものの、予想以上の混雑振り。 それでも、10分待ちで会場内に入ることができた。
しかしそれからが大変。 展示品を見ようにも、人だかりで容易に近づけない。 仕方が無いので、ディスプレイに沿ってかろうじて出来ている人の流れに乗り、展示品の前を囲っているガラスにへばりつく様に横移動。 そんな状況だから、落ち着いて鑑賞するなんてものじゃない。 それぞれの茶器が、どのように「遠州好み」なのかも理解できぬまま、会場を後にすることとなる。
それでも、繊細な施釉を纏った棗や、個性的な意匠の茶碗など、よく判らないなりにも眼福に預かることが出来たということにしておこう。

とはいえ、メジャーな人物やテーマを扱う展覧会は、休日に観に行くものではないと、つくづく思う。 これは今まで何度か経験していることであるが、しかし平日に観覧することもなかなか難しい。 悩ましいところである。

会場内には、プラチナの茶室なるものも展示されていた。 文字通り、その殆どをプラチナ箔で仕上げた3畳台目の原寸の茶室である。 一瞬、出江寛の「トタンの茶室」を思い出す。
物性が醸し出すテクスチャがダイレクトに身体に伝わる狭小空間においては、素材の選択はより慎重であるべきだなどと、柄にも無くもっともらしい偉そうな感想を抱いた。

2008.01.12:今和次郎
※1
所在地:
山形県新庄市石川町4-15
竣工:
1937年

こん・わじろう(1888年〜1973年)。
考現学を提唱して幅広い研究を進めた人物として名高いなどということは、あらたまって私が述べるまでのことではないだろう。 しかし、その多岐にわたる仕事の中で、建築の基本デザインを行い、その幾つかが現存することを知る人はあまり多くないかもしれない。
その一つが、山形県新庄市にある「旧積雪地方農村経済調査所※1」。 日本雪氷学会の会員であった私の父親が、「学会ゆかりの施設を見せてやる」と言って案内してくれたのが、この建物との出会いであった。 1989年のことになる。
当時は一般には非公開で、建物内外とも少々うらぶれた雰囲気であった。 しかし、管理者の方から今和次郎がデザインした建物である旨を聞かされ、驚いたという次第である。
右の画像は、同施設の屋根に設けられた、ドーマ・ウインド部分。 外観意匠の特徴となっている。

この施設の価値は、内外観デザイン以上に、その存在自体にあると思う。 昭和初期に豪雪地で始まった雪害克服運動の中心地に、その運動の成果として築かれた研究拠点が遺されるというのは歴史的にも建築的にも重要なことであろう。 この施設で行われた、窮乏する豪雪地の農村経済基盤改善に向けた各種研究活動と、それに関わる今和次郎の仕事には、興味深いものがある。

現在この施設は、「雪の里情報館」として公開されている。

2008.01.05:年賀状
※1

正月。 年賀状が届く。 それぞれに意が凝らされていて、見ていて楽しい。
私から送ったモノについては、「手を抜いたな」と思われている方も、ひょっとしたらいらっしゃるかもしれない。 確かに、製作時間は構想からプリントアウトまで含めて一時間も掛かっていないから、例年の制作時間(というか、いつもの年の場合は、製作日数)の比ではない。 しかし、まぁ、時間と手間を掛ければ良いと言うモノではないということにさせて頂きましょう。

今回使用した画像※1は、埼玉県内の古民家の障子戸を撮ったモノ。
ハッと息をのむ光景だった。 陰影礼賛などと言ってしまうと手垢にまみれた表現になってしまうけれども、よしんばそれに近い情景であった。 繊細なダブルグリッドの向こう側に落ちる軒先の影と植栽の気配。 現代の日本家屋が失ってしまった空間の質がそこには在った。
暫し正座して、その場に佇む。 いや、このような場に接すると、無意識のうちに正座して静かにその佇まいと対面したくなるものである。 そんな日本人としての深層意識を大切にしたいと思いつつ、カメラに納めた。
昨年の私のベストショットである。 だから年賀状に使用することに迷いは無かったし、載せた紙面にチマチマと手を加える必要も無かった。 それ故に、例年とは異なり「シンプル」な構成になった、と言い訳をしておくことにしておこう。

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