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住宅メーカーの住宅
企画型工業化豪邸:ミサワホームG型
1.概要

1978年4月に東京晴海で開催された第5回東京国際グッドリビングショーに出展。同年9月に発売された。
当時同社で主力商品として構成されていた企画住宅群の中の最上位モデルになる。



2.外観:伝統的日本家屋の現代的解釈
※1
主に長野県の中南部地域に分布する民家の形態。 切妻、妻入り形式で、棟先に「雀踊り」と呼ばれる装飾や懸魚がつく。

写真2:
本棟造りの例。 長野県上伊那郡辰野町の小野家住宅外観。

※2
急勾配の切妻屋根が特徴の多層民家。 屋根の形態が合掌した時の手の形に似ていることから、この名称がつく。

写真3:
白川郷の合掌造り民家


写真1:外観*1

2階の開口部の配列を見ると、中央部分が約半層分高くなっていることが判る。 そして、その2.5階部分をも覆う切妻の大屋根が、ゆったりと被せられている。 信州地方の本棟造り※1や岐阜を中心に豪雪地帯に広く分布した合掌造り※2を想起させる堂々とした構成だ。 更には越屋根が載せられることで、全体が引き締められている。

中央の2.5階部分の下部には、そのまま1.5層分の高さを持つ2間幅の大きな出窓形式の開口部が設けられている。 その大きな開口部の内側に豪放な吹き抜け空間が設えられていることが、外部からもうかがい知ることができる。
窓廻りのディテールの扱いやフラワーボックスのデザイン、あるいは総二階建ての構成等に他の商品群との共通性を持ちながら、最上位モデルにふさわしいステータス性と新進性が、伝統的日本家屋の現代的な解釈の中に巧みに表現されているといえよう。



3.内観

両開き形式の玄関ドアを開けると、片側の全面に重厚な造り付け収納家具が並ぶ。 そして正面に奥行きの浅い全面ガラス張りの坪庭がアイキャッチとして設置されている。 この坪庭は、脇に設けられたスリット状の開口部から北側の柔らかい自然光が差し込む構成。 ステータスを演出する最初の場面として、しっかりとした造り込みがなされている(写真4)。


写真4:玄関ホール*1

写真5:吹抜けホール*1

そして、坪庭の前を通り最初に入る空間が、外観からもその存在が確認できる壮大な吹抜けホールである(写真5)。 吹抜けの規模こそ南側が1.5層、奥側が2層分の高さであるが、そこに2階への折返し階段と、更に2.5階に至る直進階段が設けられることで、垂直性が意識された空間になっている。
また、南側壁面は、外観の特長にもなっている全面ガラス張りの開口が設けられることで、その規模以上に豊かな広がりを持つ空間となっている。 企画型の住宅としては破格な構えであり、このモデルの一番の見所だ。

この吹抜けホールの両脇にリビングルームと和室が接続する。 和室は独立性を高めたフォーマルなしつらえ。 リビングルームは吹抜けホールとの一体性を意識した構えだ。
更に、リビングルームの奥にダイニングキッチンが設けられている。


図面1:各階平面図*1(G57-2W-Tタイプ)

二階は四つの個室とサニタリースペースで構成される。
個室はホールにより両翼に二部屋ずつ振り分けられ、更に隣接する二部屋の境界には収納スペースが配置されることで、プライバシー性が高められている。
また、サニタリー部分は十分な余裕をもって計画されている。
更に約半層分昇る形で、吹抜けホール上部の部屋に至る。 建物の中央部最上層に位置するこの部屋は、例えば別項のミサワホームM型2リビングのそれとは異なる性格の余暇室的な位置づけが可能な空間であろう。 吹抜けホールと共に、このモデルの固有性を表徴する場所である。



4.最上位モデルの意味
※3

写真6*2
札幌市内の大規模住宅展示場「北海道マイホームセンター札幌(豊平)会場」に、G型が出展されていた。
写真は、1980年頃の同施設内の様子。 中央にG型が確認できる。

※4

写真7*1
「みちのくの家」のリビングルーム。
隣接する和室を含め、35畳弱の広さを有する。 屋根形状に合わせて設けられた勾配天井による吹抜けが、破格の空間を造りだしている。

あらゆる観点から徹底的な考察を行い、不特定多数の購入者が望む以上の内容を十全に網羅することが、企画住宅の身上である。 そして、単なる規格型住宅との大きな差異でもある。
しかし、高額住宅を求める層が、出来合いの企画住宅という状況に満足することは少ないであろうことが想定されよう。 また、大量生産大量供給という工業化住宅が本来持つ仕組みの中で、高額所得者という希少なマーケットをターゲットにした商品開発そのものの是非ということも、当然鑑みるべき側面ではあろう。
実際、私がこのG型の実物を屋内も含めて観る機会を得たのは、札幌市内の住宅展示場※3においてのみである。 それ以外で、このG型が実際に建っているところを観たことは、今のところ一事例のみだ。 当時の他の商品群が全国いたるところで容易に確認出来ることを鑑みるならば、少々寂しい状況である。

これはつまり、高級住宅路線と企画住宅は相容れない要素ということの顕れなのかも知れない。 勿論、だからといってG型の開発やその存在が無意味なものということではない。 それは、住宅メーカーにおける高額モデルの位置づけに関わることである。

手元に昔のミサワホームのパンフレットを保管している。 「フリーサイズ」という題の付いたその冊子は、その名の通り、当時のミサワホームによる自由設計住宅の作品集だ。 冒頭に紹介されている「みちのくの家※4」と名付けられた豪邸の解説文中に、以下の記載がある。

“豪邸”と呼べるような大きな家を建てるお客さまは、現代ではそう多くはありません。 しかし、だからといって、住宅メーカーが、“豪邸”を建てる能力を持たなくていいということにはなりません。 なぜなら、その能力を持ったメーカーが、敷地や予算などに合わせてふつうの広さの家を建てるのと、工法や技術の面でそもそも“豪邸”を建てる能力のないメーカーが建てるのとでは、できあがった家の“格”が違ってくるからです。

正論である。
この考え方を、企画住宅という枠組みの中で推し進めた結果が、このG型に反映されているのではないか。 従って、営業成果的な側面は開発課題の主要項目では無かったのかもしれない。
あるいは敢えてその意味を求めるとするならば、それはG型の開発で得た(あるいは実証された)ノウハウの他商品群への展開ということになろう。
更には、高級モデルも用意しているという会社としてのステータスも、当然存在価値の中に含まれよう。

そのような位置づけが可能なG型は、その後1983年頃まで当時の企画住宅群の一つとしてラインアップされる。 しかし、他の企画住宅の様なモデルチェンジは行われず、後継モデルも造られることは無かった。
1981年頃に、ミサワホームGII型というモデルが発表されている。 しかしこれは、G型の廉価版として現実的なレベルへの大幅なスケールダウンが図られており、後継モデルとは言い難い。
つまりG型は、至高にして孤高に存在した工業化住宅という評価が可能であろう。



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引用した図版の出典
*1:ミサワホーム
*2:北海道マイホームセンターの広告

2007.09.08/記
2008.06.14/文章一部改訂
2009.09.14/文章一部改訂,画像一部差替