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2011.07−2011.08
2011.08.27:【書籍】新建築2011年8月号

新建築誌の感想。 今回は、2011年8月号について。
今年に入って二回目の集合住宅特集。 熱心な読者という訳ではないのでよく判らないのだが、年に何回も集合住宅を特集することが今までもあったのだろうか。 それとも今、国内では集合住宅が旬なのか?などと思いつつ、あまり見る気がしないので、まずはその前後に載っている記事を読む。

東日本大震災 支援プロジェクトPhase2

そんな記事の中で目に留まったのが、宮城県女川町での坂茂のプロジェクト
三階建ての仮設集合住宅を同地にて着工したとある。 仮設住宅用の敷地確保が困難な立地条件の中で、多層コンテナ仮設住宅を提供しようとする試み。 その模型写真は、本文中にもある様に同じく坂茂の設計による「ノマディック美術館」を想起させる。 仮設という意味では同じであるが、こういった展開が有り得るのかと驚いた。

※1

滋賀県草津にて建設中の松下電器(当時)の社宅。
YNSU工法(八幡製鉄が新日本製鐵に替わったので、この時点ではSNSU工法に改称)が用いられている。 人工大地と呼ばれるスケルトン部分に住戸ユニットが挿入される様子が窺える。
<出典:新日本製鐵>

しかし私は、別の建築事例も連想した。
それが、YNSU※1。 1969年に東京国際見本市に出展された集合住宅のプロトタイプである。
Yは八幡製鉄(現、新日本製鐵)。Nはナショナル(現、パナソニック)。SUは、スペースユニットを意味する。 二社共同開発によるこの集合住宅は、女川町の仮設住宅と同様、ユニットを積層して建物を構成するもの。
違いは、坂茂のそれが、ユニット自体を直接千鳥に積層しているのに対し、YNSUは人工地盤を別途作り、そこに住戸ユニットを収容するという形式であること。 つまり、ユニットはクラディングとインフィルの機能のみを担い、サポートは完全に分離しているという訳だ。 手法としては面白いが、コスト的に厳しく、量産化、事業化を難しくした。
女川町の仮設住宅は、形式がシンプルなので低コスト化も追求しやすいのであろう。

集合住宅特集

でもって、集合住宅特集である。
凡人の私は、物事を単純に類型化しないと読解もままならない。 で、特集として載せられている作品をサラッと眺めてみると、概ね二つのタイプに分けられそうだ。
一つは単純な箱型のボリューム、あるいは、そんなボリュームを集積した形式。 もう一つは、切妻屋根型の一般的なイエの形を単純化したボリュームを組み合わせる形式。 大方がこの二種のいずれかに属するのではないか。
そんな乱暴な単純化の下、気になるのは前者の方。 URのリノベーション事例を除き、箱型ボリューム形式の殆どが同じデザインコードに拠っているという印象を受ける。 つまり、平滑な外壁面に様々な大きさの四角い窓をランダムに配列するという手法。 そのオリジナルは、SANAAがドイツに実現したツォルフェアアイン・スクールまで遡るのだろうか。 以降、類似した外観を持つ作品が、建築専門誌に掲載されないことは無い。 見せ付けられるこちら側は既に十分食傷気味で、もういい加減に止めても良いんじゃないかと思うのだけれども、この手のデザイン手法の採用はいつまで続くのだろう。
そんな中で気になった作品を二点。

HOUSING S/
設計:藤村龍至建築設計事務所

これも、平滑な壁面にランダムな開口配列によるファサードデザインの範疇に入るのだろう。 だから、第一印象は、「これもかよ・・・」といった程度であった。
しかし平面図を見て、ちょっとこれは面白いかもと思った。 ワンルームマンションというのは、その設計手法がほぼ定型化されている。 あとは立地条件や市場性に絡む経済的な論理で殆どが決定してしまう。 その定型を素直に受け入れつつ、しかし少しだけそれを撓めることで個性的な空間を創出する。 この作品は、そのようにして出来上がっている。 しかも、その撓める要因が、敷地固有の条件と密接に関わっている。 そこが面白い。
まずは、南側に広がる緑地の風情を居室にダイレクトに取り込むために、通常南側に設けるバルコニーを取りやめる。 替わりに、敢えて北側にバルコニーを移設。 そのことにより玄関前にバルコニーを兼ねたプライベートポーチが作り出される。 そして、通常のワンルームマンションでは望めぬ、南北二面採光を可能にした。 この操作が居住性にもたらす恩恵は大きい。 通風性の確保や、玄関廻りの防犯性の強化。そしてキッチン部分への採光の獲得、等々。 これらのことは、南側に豊かな緑地が広がることと、1フロアに2住戸しか納められない狭小敷地という固有の与件から導き出されている。
誌上には、最終案に至るまでの定型を撓めるプロセスの一部が紹介されている。 もっともっと、そのプロセスを仔細に見てみたい。 そんな気にさせる作品だ。

勝町旭町営住宅/
基本設計:神奈川大学曽我部研究室 他
実施設計:開建築設計事務所+アトリエ・クー 他

こちらはイエ型の分類になろうか。
周囲の家並みに配慮した住棟の形。 そして同じく集落の景観の構成要素である石垣の導入。 各棟の一階床面の一部を外構レベルと揃え、大きな開口を導入することで内外の境界を曖昧にしたプラン。
コミュニティの形成とか、周囲のコンテクストとの調和といったことを考える際の常套手段が素直に用いられていてホッとする。 果たして、それらの手法が功を奏して良質なコミュニティが醸成され得るのか否か。 そんな経年の移ろいに想いを抱かせる作品だ。

D' グラフォートレイクタウン/
設計:日建ハウジングシステム

ついでという訳では無いが、特集の中からもう一点。
ワンルームマンションのみならず、ファミリータイプのマンションも、すっかり定型化が深化している。 このプロジェクトも、その定型化の枠組みの中に在る。
まずは、敷地形状から導き出される法的に可能な最大のボリュームを確保する。 そして、定型化されたプランの中から地域性を考慮した売れ筋の住戸ユニットをそのボリューム内に配列する。 こうなると、残されたデザインの余地は共用エントランス廻り等の僅かな部分。
だからといって、そのことは卑下されることではない。 なぜなら、その様なプロセスに拠る集合住宅は、全国津々浦々に陸続と建てられ続け、そして今のところ滞りなく売れ続けているのだから。 そして、その是非はともかくとして、今日の日本の佇まいを形成するとっても大きな要素となっているのだ。
しかし、当誌にこの集合住宅が紹介されたのは、そんなこととはあまり関わりがなさそうだ。 エネルギー供給に関するエンジニアリングの先進性が掲載理由なのであろう。

集合住宅は、定型化への離反と従属の二極化のまま今暫くは推移するのではないか。
そして、前者は主に建築家、後者は組織事務所が担うという棲み分けも継続するのであろう。 しかし、後者にデザイン的な展望はあまり望めない。 あったとしても、それは枝葉の問題にしか成り得ぬ。 市場も、そこには大きくは期待していない。 逆に、それだからこそ後者の事業継続性が成立する。 そして、そこから外れるニーズに対して、前者の存在価値も持続する。
そんな業界の流れの中で、後者において今後可能な展開性は、導入するエンジニアリングの先進性による差別化なのではないだろうか。



2011.08.21:茨木家中出張番屋

8月13日から今日まで、北海道に帰省。 いつも通り、特に何かをするという訳でもなく、ゆっくりと休日を過ごす。
但し、今回は一つだけ予定を立てていた。 それが、小樽の祝津に建つ茨木家中出張番屋を観に行くこと。 昨年改修工事が実施され、旧態を取り戻した。 お盆中、何かイベントを企画していないかと予めネットで調べてみたら、8月20日に祝津・おさかな市・ワンディシェフレストランを催すとなっていた。 で、当日出向いたという次第。

番屋の正面には大漁旗が幾つも掲げられて華やかに飾り立てられ、屋内外はイベントの集客で活況を呈していた。
長らく空家となっていたこの番屋にとって、この賑わいはとっても久々のことなのではないか。 この地で鰊漁が興隆していた半世紀ほど前の時期以来のことかもしれぬ。 建築は用を為してこそ意味があるといったことを、この場で幾度か書いている。 この再生された番屋は、新たな用を得て生き生きしている。 そんな印象を受けた。
と同時に、ほんのちょっとばかり寂しさもよぎる。 それは、かつての状況を観ていたから。 忘れ去られたかのようにひっそりと佇む姿を、おおよそ四半世紀にわたって見つめてきた。 そんな様態にも味わいがあった。
勿論、それは個人的なシンパシーでしかない。 地域にとってのかけがえの無い貴重な「資産」を再生することで活性化の拠点にしようと発想し、そして実行した関係者の行動力はすばらしいと思う。
そんなことを考えつつ、私も屋内に入る。 建築的な興味のみで混雑する屋内をウロウロするのも迷惑だろうからと、珍しい三段のネダイや小屋組みなどを慌しく目視し、ソソクサと同番屋をあとにした。


茨木家中出張番屋
  

旧白鳥家番屋

そこから少し歩くと、旧白鳥家番屋がある。
こちらは16年前に修復工事が行われ、郷土料理店として活用されている。 修復工事が完了したばかりの頃は、外壁に使用された木材保護塗料がドギツく、新しい建物なのか古い建物なのか良くわからない状況になっていた。 それから幾年かが経ち、ようやく少しばかり落ち着いた風情を醸し出して来た。
しかし、落ち着いているのは外壁のテクスチュアばかりが理由ではない。 お盆休みの繁忙期のはずなのに店は閉まっている。 というよりも、久しく営業していないような雰囲気。 どうしたのかなと思って調べてみたら、昨年6月に閉店してしまったとのこと。
経営者の引退が理由らしいが、またしてもひっそりと静まりかえることになってしまった白鳥家番屋。 イベントで賑わう茨木家中出張番屋との対比が少々哀しかった。



2011.08.13:住宅メーカー私史28
−そして、現在へ。

2006年の正月明け。 変なことを思いつく。
興味が復活して以降、改めていろいろと確認したり考えてみた住宅メーカーのことについて、htmlの形式でまとめてみたら、どんな形になるのだろう。

といっても、個人サイトを立ち上げる気など毛頭なかった。 公開するのではなく、単にそれまでの自身の見聞を、WordとかPower・Pointといったソフトではなく、なぜかhtmlでまとめてみたくなったのだ。 既に何年も前から、勤務先の社内ネットに自分の所属チームのサイトを立ち上げて管理をしていたから、独学の自己流とはいえ、タグの組み方は最低限のことは一応判っているつもりであった。
ということで、以前も書いたように、ミサワホームSIII型について何となく作ってみる。 なるほど、自分の頭の中の認識をホームページの体裁にするとこうなるのかなどと、ちょっと面白くなる。
で、調子に乗って、同時期の同社の他のモデルについても作ってみた。 更には、ニシン番屋や実際に観て廻った建築についても作るうちに、それなりのページ数がストックされる。 とはいっても、公表する気などまるで無いから、作りっぱなしの自己満足のまま数ヶ月間放置していた。
しかし、フとアップする気が起きてしまった。 それが2006年の7月。 同月の8日、ちょうど6,7,8と数字もきれいに並ぶし、良いタイミングだ、などと訳のわからぬ勢いで披露して以降、細々と今日まで至っている。
きっかけがきっかけであったために、内容はやはりハウスメーカーのことが多いという感が無きにしも非ず。 「日本の佇まい」などと大上段なタイトルを付けた割には、である。 しかし、ハウスメーカーの住宅が軒を連ねる今日の住宅地の景観も、紛れも無くこの国の佇まいの一要素。 であるならば、看板に偽りは無かろう。

といったところで、ハウスメーカーの動向に対する個人的な関わりについて、その始まりから今日に至るまでを書き散らしてきた。
これで一旦完了となる。
改めて読み直してみると、ミサワホームのことばっかりだ。 さもありなん。 個人的な興味がそこに集中していたのだから、その事実がそのまま反映されることとなった。 今でも、同社が住宅産業の中で特異な存在にある(あるいは、「あった」)とする認識は変わっていない。

この私史は、当初全25回でプロットを組んでいた。 その後具体的に文を書く中で内容が少々膨らみ、28回ということになった。 あともう少し書けば30回になり、キリの良い数字にはなるのだけれども、無意味に引き伸ばす理由は無い。
それに、私史などといいながら、実はその内容は単にグダグダな私情に終始することとなってしまった。 そのことは、ある程度書き進めた段階で気付いた。 以降、この場に文章を掲載することがとっても恥ずかしくなったのだけれども、軌道修正もままならず、ズルズルと最後まで来てしまった。
もう少しその時々に住宅メーカー各社から発表された商品について言及してこそ私史であろうと反省するところしきり。 そういったことについては、改めて何らかの形で書いてみることにしたい。



2011.08.10:住宅メーカー私史27
−失われた時を求めて

昭和50年代に収集していた資料の一部が残されていたことは前回書いた。
しかし、その点数は極々僅か。 かつて大量破棄してしまったパンフレットの類そのものを取り戻すことはほぼ不可能だ。 時折ネット等で捜し求めるが、パンフレットが中古品として流通することなど、殆ど有り得ない。 あらためて、取り返しの付かぬとんでもないことをしてしまったものだと後悔することしきり。
しかし、古書店を介して当時の関連書籍を入手することで、その愚行の一部を埋め合わせつつある。

古書の検索に関して、昨今のネットの威力は絶大だ。 居ながらにして、全国の古書店に探索範囲を広げることが出来る。
しかし、だからといって目的の図書が容易に入手出来るという訳ではない。 どんなに検索機能が進化しても、やはり古書との出会いは一期一会なのだ。

入手が難しい書籍については、図書館にて閲覧することになる。 幸い、関東一円には様々な図書館が存る。 興味が復活して以降、失われた時を求めての図書館行却が始まる。
そんなことをしなくても、国会図書館に行けばあらゆる書籍がストックされているだろうと思われる方もいらっしゃるかも知れぬ。 確かに、それが法的に定められた国会図書館の役割でもある。 実際、私も利用する機会が最近は思いっきり増えた。
しかし、国会図書館の資料は原則全て禁帯出だ。 だから、借りて家に持ちかえってじっくりと読みたいということになると、国会図書館以外の図書館の蔵書状況も把握する必要が出てくるのだ。
ここ数年で、公立私立問わず、様々な図書館の図書貸し出しカードを所有することとなった。

こういった自分の行為をふりかえると、大量破棄の行為も、全く悪いことではなかったのかもしれぬ。
失ってしまった情報に対する知識欲や所有欲に突き動かされることによって、新たな事実を知り得たり、あるいは興味の範囲が広がりつつある。 かつての愚行については、その様なきっかけに繋がったのだと、自らの中で位置づけるしかない。



2011.08.06:自治会のお祭り
お祭り会場の俯瞰画像。
公園の中の欅や楠の木々が織り成す漆黒の闇の中に、会場が鮮やかに浮かぶ。
背後の遠方に都心の夜景。

居住地近傍でお祭りが開催される。
エリア全体の高齢化が進んでいるせいか、いつもは利用されることも無く閑散としている公園が、年に一度、非日常的なハレの舞台へと変貌する。 そのこと自体は毎年繰り返されている事象なのだけれども、今年は少々趣きを異にした。
まずは、会場の入り口に、3月11日以降暫くの間の状況を撮った写真が多数掲げられた。
今回の震災に関し、私の居住エリアは震源から遠く離れていたし、建物自体に影響が生じた事例も殆ど無かった。 しかし、外構やライフラインには被害が出た。 所々で液状化が発生し、水道の本管も破裂。
そんな状況を克明に捉えた写真の数々。 その中に、断水のために給水所の前で給水車を待って列を成す住民の姿を撮ったものもあった。 そういえば私も、寒空の下、ポリタンクを持ってその列の中に加わっていたことを思い出す。
液状化によって発生した沈下や地割れの部分は、まだ多くが仮復旧の状態。 周辺のマンション等も、建物本体以外の構造物が一部沈降したままといった箇所が未だ散見される。

そんな中で開催された自治会のお祭り。
スローガンとして、防災に強い街づくりのためのコミュニティの強化を・・・といった旨が掲げられていた。
防災、あるいは災害後の対応に際し、地域のコミュニティがきわめて重要であることを再認識したという声は、震災発生以降よく耳にする。 不動産関連の調査会社が実施したアンケートでも、その様な回答は多いと聞く。
コミュニティの可視化の一つとしての町内のお祭り。 そんな今年の祭りは、会場内で催される盆踊りに参加する人が多いという印象を受けた。 いつもは、参加者が少なく円環として完結することの無い盆踊りの輪も、今年は二重の輪が形成される盛況ぶり。 その周囲に建ち並ぶ屋台も賑わっていた。

「震災以降、人々の意識や価値観が変わった」といったことが、しばしば言われる。 本当にそうなのかと、ヒネクレ者の私は考えてしまう。 いつもの様に、一過性の現象で終わるのでは無いかと思いつつ、しかし既に五ヶ月近くが経過。 「人の噂も・・・」の七十五日も既に過ぎている。 にもかかわらず、様々なことが解決の方向性も見出せずに停滞したままだ。
そんな状況が、今年のお祭りに少なからぬ影響を与えたのかも知れぬ。

お祭りのみが地域コミュニティでは無い。 しかし、3月11日をきっかけに、今まで希薄であったコミュニティの在り方が変り、そしてそのことが継続し得るのか否か。 そんなことを考えさせられたお祭りであった。



2011.08.04:住宅メーカー私史26
−タイムカプセル
※1

手元に所持し続けていた、ミサワホームの二種のパンフレット。 なぜか、これらだけは手放すことが出来なかった。

興味は復活したものの、手元には当時の資料は殆ど残っていない。 奇跡的にミサワホームの二種類のカタログのみがあった※1
一つは、同社の自由設計住宅の中でも特にすぐれた事例を集めた作品集。 もう一つが、当時の同社の企画住宅のプラン集。 それ以外に大量に収集していたカタログ類は、以前も書いた通り、引越しの際にバッサリと捨ててしまった。
文字通り、後悔先に立たず。 とんでもないことをしてしまったものだと思いつつ、僅かな望みはあった。
それは、一箱のダンボールの存在。 長岡から新庄に引っ越す際に、住宅に関する書籍を押し込んだダンボール箱が一個有った筈だ。 新庄から更に北海道へ引っ越す際に親が捨てていなければ、まだそれが残っているかもしれない。
で、実家に帰った折、納戸の中を探してみる。 すると、有るではないか、当時のダンボール箱が。 まるでタイムカプセルを開くが如く、箱を開けてみる。 中には、当時買い求めた「ニューハウス」や「いま売れている住宅」、「ハウジング情報」等の書籍と共に、パンフレットの一部を保管したスクラップ帳も入っていた。 とても大切な宝物との十数年ぶりの再開。
かつて所持していた莫大な量の資料に比べれば僅かではあるが、ブランクを埋め合わせるには十分価値があるモノ達だ。 現在それらに対する扱いは180度変わり、書棚に大切に保管している。



2011.07.30:プレファブ

一級建築士の一次試験を受験した人から今年の試験問題を見せてもらった。 「計画」の問題を見てみると、懐かしい単語にまつわる事項から最新の建築動向まで幅広く出題されているという印象を持つ。
一次試験は、五つの選択肢から最も適切なもの、あるいは不適切なものを選ぶ出題形式。 その中で、選択肢の中に「プレファブ」に関する記述がある設問を見つけた。
本文をそのまま転載するのは宜しくないのだろうから概略で記述すると、この工法の特徴は施工の速さと品質の安定性であるという旨の表記。 果たしてこの選択肢は正か誤か。
試験において適切な判断を行うには、雑念を取り払って臨む必要が在る。 余計な知識が、かえって正確な回答の邪魔をするものだ。 しかるに私は受験者ではない。 その「プレファブ」に関する記述に対し、大いに雑念を展開する。

そもそも、「プレファブ」という記述はどうなのだろう。
プレファブリケーション(prefabrication)の略だから、確かに「プレファブ」と表記することが発音上は正しい。 しかし、ネットで検索を掛けてみると、「プレファブ」という表記で引っ掛かるのは大抵昭和40年代前半の資料なしいは情報。 それ以降は「プレハブ」の表記が一般的になる。
しかし、この「プレハブ」という表記も、昭和50年代後半辺りからはあまり使われなくなり、工業化住宅とか商品化住宅という表現が一般化。 主に仮設用途の製品にのみ、「プレハブ」という言葉が使われ続けている。

そのことを踏まえたうえで、「プレファブ」という表記をこの設問の出題者がどのような意図を持って用いたのだろうと考えてみる。 その意図によって、記述内容は正しくもなるし間違えにもなり得る。
「プレファブ」という記述が、国内における昭和40年代の状況を指し示す意図を持って表現されているならば、大きく間違った記述ではない。 しかし、あくまでもそれは目標、ないしは理想として掲げられていた特徴である。 メーカーによっては、生産体制の整備が受注に追いついていない場合もあったし、草創期ゆえの試行錯誤もあり、必ずしも品質面において万端とは言い切れぬ状況が当時は散見された。 そんな現況まで鑑みるのであれば、厳密には正確な記述とは言いがたい。
それでは、出題者の意図が、「プレファブ」と「プレハブ」を分け隔てるものでは無かったのならば、どうなるか。 その場合、取り敢えず年代的な絞込みは不問に出来る。 では、今現在の住宅市場において、設問に掲げるメリットがプレハブの特徴となり得ているのか。
それは否である。
理由は三点。
一つは、何を持ってプレハブとするかという定義が曖昧になっていること。 かつては明確に、プレハブ工法と在来工法という区別が有り得た。 しかし今は、工法の多様化や技術開発の進化に伴い、その境は曖昧になっている。 プレハブ工法のみが、施工スピードや品質の安定に優れているとは必ずしも言いがたい。
二つ目は、施工スピードや品質の安定に対してプレハブが強みを発揮できるのは、規格化による大量生産が基本的な前提であること。 顧客ニーズが多様化し、プランやデザインの標準化が必ずしも要求性能を満足する訳ではない昨今の状況において、プレハブという手法が最強且つ最適な手法とも言いにくい。
それを裏付けるようなハウスメーカーの動向もある。
例えば、「プレファブ」工法にて戸建住宅事業を始め、業界トップの立ち位置を堅持し続ける積水ハウスなどは、昨年より一部工場において「完全邸名別生産」なる呼称の体制を整備し、稼動している。 同社公表資料を読むと、これはプレ・ファブリケーションとは異なる新たな工業化住宅の生産手法であるという印象を受ける。
三点目は、仮に規格化による大量生産が可能な条件であったとしても、工場生産での完成率を100%にすることは出来ないこと。 必ず現場での施工や調整の要素が発生する。
だから、プレハブといえどもその品質は現場管理の在り方に左右されることを免れない。 そして工場での完成率を高めれば高めるほど、現場での精度もより厳密なものが求められる。
結局、プレハブであれ何であれ、建物の品質は現場管理がとても重要なのだ。

恐らく、試験自体においては、この設問は正しい記述として扱われるのであろう。 しかし、実態は必ずしもそうでは無いというのが、「プレファブ」を取り巻く現況である。



2011.07.27:水の中のバガテル

使用しているキーボード。
YAMAHA製。 1995年に発売されたもので、購入もその時期。
今はもっと高機能・高性能のモデルがたくさんラインアップされているのであろう。 でも、このキーボードにしても、私は全然機能を使いこなせていない。 それなりにリアルな音が出て、そして打鍵に関して正常に作動しさえすれば、今の私には十分だ。

坂本龍一の「aqua」という曲を練習していることは少し前に書いた。 とりあえず、怪しいながらも何とか通しで弾ける様になった。 勿論、御本人の演奏の様に美しく弾くことはとても出来るものではない。 でも、個人的にたしなむ程度に弾くのであれば、まぁこんなモンだろう・・・ということにしておこう。

で、次に何に取り組んでみようかなということになる。
譜面をパラパラとめくるが、熱心なファンという訳では無いので未聴の曲ばかり。 そんな中で、表題の曲が載せられたページに目が留まる。
1984年頃、サントリーOLDのCMに使われていた曲。 哀愁を帯びつつ躍動感のあるメロディーが印象的な作品だ。 2009年の国内ツアーでもソロ・ピアノで弾かれているが、四半世紀を経た演奏は、あまりにも美しい。 この曲に、こんな解釈の仕方が有ったのかと感嘆せずにはいられぬ深みと渋みのある演奏。
自分にも弾けるかなと思いつつ譜面を見ると、この2009年演奏のアレンジに似た構成。 それではと練習を始めるが、同じフレーズなのに繰り返すたびに微妙に異なるコードが与えられていたり、あるいは運指にとまどう複雑な音符の配列があったりで、かなり四苦八苦している。

ウィスキーをストレートでチビチビ飲みながらこの曲を弾いて愉しめる様になることが、当面の目標である。



2011.07.23:住宅メーカー私史25−再起動

長らく途絶えていたハウスメーカーへの興味が復活したのは、2002年の秋頃のこと。
きっかけは、長岡市に対する望郷にも似た感情の芽生えであった。 かつて暮らしていた時のことがやたらと懐かしくなってきたのは、歳のせいもあるのだろう。
様々な回想の中で、高町団地に頻繁に通ったことも想い出す。 そういえば現地でミサワホームを中心に、色々な家を観て廻ったよな。 あの頃は、本当に夢中だったな。 それらの家々は、今はどうなっているんだろう・・・。
こんなことを考えているうちに、興味の復活に繋がることとなった。 何とも安直というか、単純ではある。

しかし、復活したといっても、興味の対象は最新の動向ではない。 熱狂していた昭和50年代のことを懐かしむ、そんな状態であった。
で、ネット上で当時の情報を探すが、そんな折、住宅メーカー徹底研究というサイトに出会う。 内容を読んで驚いた。 自分と同じような視点で当時のミサワホームのことを捉えている人がいる・・・。
これで一気に興味の復活が本格的なものとなった。



2011.07.20:【書籍】メタボリズム・ネクサス

書名:
メタボリズム・ネクサス
著者:
八束はじめ
出版社:
オーム社
出版日:
2011年4月23日

勤務先で、若手社員からこの書籍を渡された。 「貸し付けられた」といった表現のほうが正確かも知れぬ。
曰く、「買っちゃったんだけれども、一級(一級建築士の一次試験)の勉強をしないといけないから先に読んで下さい」。 なるほど、この業界の人間にとっては、合格するまでは避けて通れぬ年に一度の一大イベントだ。 受験者にとって、試験勉強は今の時期の最優先事項だよね・・・などと思いつつ書籍を受け取るこちらの心境は、しかし少々曇りがち。
なぜなら、著者が八束はじめだから。
意義深い本を沢山出している。 そのテーマも興味深いものが多い。 しかし、この人の文章は、どうも性に合わないのだ。
理由はいくつかある。
まず、印象として、とにかく文中にやたらと注釈が多い。 例えば昔の著書だけれども、「逃走するバベル」なんて特にそれが顕著。 括弧書きの注釈が本文中に大量に挿入され、あるいはその注釈の中に更に注釈が付けられたりしていて、読みづらいことこの上ない。 そしてその注釈が、本文の記述に対する言い訳けがましい内容の場合が多い。
あるいは、文章の根幹として提示されるのキーワードの語感にも、今ひとつ琴線に触れるものが少ないという印象。
今回も、パラパラとめくると、「アルター・エゴ」とか「オーガニゼーション・マン」といったキーワードが出てくるが、やはり同様。 でも、以前のものに比べ注釈が少なくなっているようにも思えたし、何と言っても若手から読んで下さいと渡されてしまったからには、読まぬわけにはいかぬ。

ということで、読み進める。
「メタボリズム」という言葉をタイトルに冠していながら、内容は、その興隆の遥か以前の日本の近代建築史から始まる。 そこにどんな伏線が張られ、そして主題のメタボリズムにどう結びつき、そしてどんな展開を見せてくれるのだろうと思いつつ読む。
しかし、そんな抑揚の気配は一切感じられない。 事実とその所見の記載が、少々お堅い文章の羅列の中に淡々と進むのみ。 結局、読み終えてしまったあとにも、これといった読後感が無いという寂しい状態。
とはいえ、それは書かれていることが空疎ということではない。 単に、文章が性に合うか否かということだ。 凄まじい情報量だし、図版として用いられている写真もとても美しい。 それに、やはり60年代って凄かったんだなと、自分がリアルタイムで体験したことの無いその時代に改めて憧れを抱いたりもする。 更には、メタボリズムに対する自らの知見が如何に薄いものであったのかも認識させられることとなった。

このメタボリズムに関しては、六本木の森美術館で9月17日から企画展が催されるようだ。 会期になったら、久々に同美術館に赴いてみようと思う。



2011.07.18:小宇宙としての押入れ
※1

ニューハウス誌の間取りコンペに投稿していた図面。
当時は製図板なんて持っていないから、高校の図書室の大きな机の上で、三角定規を二枚組み合わせて図面を引いていた。

※2

丸大長岡店外観。
昭和27年2月開店の長岡最古のデパート。 この建物自体は、30年代半ばに建てられたもの。
現在は、「ながおか市民センター」という市の施設として利用されている。

原稿を書いてみませんかというお誘いのメールを久々に受ける。 書くテーマは、私が所有している過去の新聞記事等を確認する必要がある内容。
簡単に情報を入手できる世の中になってしまったせいか、今は全くやらなくなってしまったけれど、かつては結構マメに新聞のスクラップをしていた。 その量は半端ではないのだけれども、全く整理をしていない。 気になった記事を切り抜いて、それを巨大な書類袋に入れて、それで終わり。 何だか、切り抜いてしまえば保存した気になってしまうのは、悪い癖。
ともあれ、スクラップした記事を無造作に押し込んだだけの書類袋が、これまた無造作に押入れの中に幾つも押し込まれている。 「押入れ」とはよく言ったものだ。 その内側の圧倒的な「ミクロコスモス」は、襖一枚隔てて日常生活からは巧妙に隠蔽されている訳であるが、必要とあらば、その小宇宙の中を探索しなければならぬ。
「こんなものも仕舞いっ放しにしていたのか」と思わずにはいられぬガラクタを掻き分け、目的の書類袋とファイル数点を取り出す。 必要な新聞記事のスクラップは、その中のいずれかに入っている筈だ。

ところが探し始めると、ほかにも気になる記事が見つかってしまうのは世の常。 当初の目的物に辿り着く前に、別のモノについつい関心が移ってしまう。
例えば、バブル期の威勢の良い建築プロジェクトの記事に目が留まったり、あるいは新聞の切抜き記事に混じって6月25日の雑記に書いた、クリストのアンブレラ展のリーフレットが出てきたり・・・。

そんな中で、ビニール袋に入れられたトレーシングペーパーの束を手にする。 中から出てきたのは、かつてニューハウス誌に投稿していた間取りの原図※1。 「住宅メーカー私史19」に書いたが、高校生の頃、同誌で企画する読者相手の間取りコンペに応募していた時期があった。 その頃書いた図面がごっそり出てきたという次第。
よくもまぁ保管していたものだと我ながら感心する。 いや、保管などという大したものではない。 単に保管資料の中に偶然混じっていたために破棄されなかったというだけのことである。

忘れもしない。
これらの図面を描くためのトレペは、長岡市内の繁華街にあったデパート「丸大」※2の文房具売場で買い求めた。 そして投稿するための原図のコピーも丸大で頼んでいた。 今のように、至ることろにコンビニがあり、手軽にコピーが出来るような時代ではなかったのだ。
それにしても、当時は本当に夢中になって取り組んでいたんだよな・・・ と、それらの図面を見ながら感慨に耽る。

で、当初の目的の記事は勿論見つけたのだけれども、他に目移りがする資料がいっぱいで、肝心の資料の中身はまだ未確認といったところ。
従って、原稿の方もとりあえずラフに1600字程度を書きなぐった程度。 まだまだ調整と確認がたっぷりと必要な状態である。



2011.07.16:住宅メーカー私史24
−パルゼット
※1

大成建設のパルゼット。
1983年発表。 二重構造のPcaで断熱材をサンドイッチした、業界初の外断熱住宅。

※2
2011年2月26日の雑記「住宅メーカー私史07」参照。

当時の住宅地図を調べてみると、モデルハウスの名称は「新成パルコン(株)展示場」となっている。 ディーラーだったのだろうか。
更に、Google マップのストリートビューで確認すると、同モデルハウスは現地に現存。 但し、売却されて今は通常の住居として使用されている様だ。

1990年代前半。 両親が北海道に戻り、家を建てることになった。
私はと言えば、既に1級建築士の資格を取得していたとはいえ、独自に設計業務を遂行できる身分でもない。 親も親で、仕事の経験の浅い息子にはハナから期待などしていない。
「2×4あたりで建てようと思うんだが、どこのメーカーが良いかな?」などと聞いてきた。
なぜ親が構法として2×4を選択したのかは判らない。 もしもその時点でまだ私がハウスメーカーへの関心を継続していたら、その興味の中心であったミサワホームを、親の意向など関係なく強力に推したかもしれぬ。 しかし、当時はそういった意識はゼロ。 メーカーに依頼するのであれば、どこを選んでもソコソコのものが建つだろうなどと乱暴に判断。 それならばということで、大成建設の2×4住宅、パルウッドを薦めた。
かつて札幌の北海道マイホームセンター豊平会場を訪ねた際、同社のパルウッドのモデルハウスも観ていた。 特に強い印象は残らなかったたけれど、無難ではあるといった程度の印象を持っていた。

親はもう一社、2×4の老舗であるM社にも相談を持ちかけ、両社を比較。 パルウッドに決定した。
以降は、私も打合せに参加するため、時折北海道に赴く。 打合せには、若手営業マンとその上司の部長が常に出てきた。 何度目かの打合せの折、母親が、その時点で住んでいた山形県新庄市の住まいがコンクリートブロック造で、湿気に悩まされているという話題を出した。 すると部長氏が、「結露に関してはわが社も草創期のパルコンで・・・」などと話し始めた。
ひょっとしたら、この部長さんプロパーなのか。 ならば話が通じるかもしれないなと、パルゼット※1のことを私から持ち出してみた。
「結露対策といえば、80年代前半に御社で発表されたパルゼットは、その辺りの解決を目論んでいた点もあったんでしょうかね。」
「よくご存知で!」と、部長氏が驚く。
私は続けて、「いやぁ、パルゼットの発表は、それまでのコンクリート系プレハブの歴史の中では画期的な出来事だったと思いますヨ。」などとたたみ掛ける。 更に、小中学生の頃に同社のモデルハウスに頻繁にお邪魔し、住宅設計のイロハを学んだことなどを打ち明ける※2
部長氏の顔がほころぶ。 以降、パルコン談義に花が咲く。
その後の打合せが、極めて良好でスムーズなものになったことは、言うまでもない。 予期せぬところで、思いもよらぬことが役に立つものである。



2011.07.13:住宅メーカー私史23
−識閾下の呪縛

「あまり面白くないなぁ。」

設計演習という講義の何度目かの課題において、エスキスチェックを受けていた際に、担当教授が発した言葉。
寡黙な人であった。 私のスケッチを見るなり、数分間沈黙。 その後の第一声がこれであった。
更に、「動きが無い」「若々しさに欠ける」とだけコメントし、あとは何も言ってくれなかった。
言われたこちらも、絶句するしかない。

住宅街に建つ小振りな私設図書館を設計するという課題であった。 何が悪かったのだろうと、悩む。 提出したエスキス案は矩形に綺麗に構成していて、我ながら巧くまとまったと思い込んでいた。
以前も書いたとおり、私は小学生の頃からハウスメーカーのモデルハウスに入り浸り、住宅設計の初歩的なことは幾分かの予備知識を有していた。 だから、この課題以前の設計演習においても、例えば住宅の設計課題などは何の苦労も無く次から次へと案を作成していた。 プランを考えることが楽しくて楽しくて仕方が無かった。 設計のイロハも知らずに四苦八苦している周囲の一部の連中に対し、「何で建築学科に入ったの?」などと心の中で軽蔑しつつ、エスキス段階でボツにした自分の案を提供してやるなんてこともしていたし、提出案はいずれも結構高い評価をもらっていた。
ということで、少々有頂天になっていた面が無きにしも非ず。 そんなさなかに打ち落とされたキツイ一言。 強烈であった。

もう一度ゼロから考え直そうということで、過去に提出した課題分まで遡って見直してみる。
そこで気付いた。
私のプランの発想は、建物用途に拠らずハウスメーカー的なのだ。 良く言えばソツ無くまとまっているということになるのかもしれぬ。 しかしそれはつまり、凡庸で退屈であるということでもあろうか。
さもありなん。 小学生の頃に刺激を受けたのは、ハウスメーカーの間取りである。 そしてプラン作成の指南を受けたのも、大成建設のパルコンのモデルハウスに常駐していたセールスエンジニアである。 無意識のうちに、ハウスメーカー的なプランの考え方が心底染込んでしまっていたのだ。
既に関心は離れていても、思考は離れていなかった。 ということで、いかにそこから離れるかが以降の課題となった。
で、卒業制作を行う頃には、当時流行っていた脱構築主義に少々かぶれていた。 だから、ハウスメーカーから離れるという目的は、ある程度達成されたといって良いのだろう。
しかし、それが正しい方向性であったのかというと、微妙だ。 それに、ハウスメーカー的発想が例外無くつまらないものであるのかというと、それも違うと今は改めて思う。

ところで、その教授。 私が卒業した翌年、自らの設計で御自宅を建てられた。 内外共にコンクリートブロックの壁面が剥き出しの住まいである。
完成して間も無い頃、研究室に所属していた面々とお邪魔した。 その時、失礼ながらも私は思った。

「あまり面白くないなぁ」、と。



2011.07.09:【書籍】マンガ建築考

書名:
マンガ建築考 ―もしマンガ・アニメの建物を本当に建てたら―
著者:
森山高至
出版社:
技術評論社
出版日:
2001年3月5日

マンガやアニメの中に登場する建築や都市について、現実的な建設技術の観点から考察を試みた内容。

読み始めてすぐに少しばかり、シマッタ!と思った。
理由は二つ。
一つは、紹介されているマンガやアニメの中で原作を知っているものがあまり無いこと。 事前の知識があるのは、「エヴァ」と「けいおん!」くらい。 「パトレイバー」は、映画は見ているのでかろうじて話が通じるが、他は未見の作品ばかり。
そしてもう一つが、文体が「です・ます調」であるということ。 対談集は別として、この文体はあまり好きではない。

しかし、読むうちに二つの後悔はすぐに消散。
まずは、固くなりがちな建設技術に関わる解説を実に判りやすくまとめてある。 です・ます調の文体が、その簡明さを補完している。 そしてその判りやすい文章によって、原作が判らなくても状況がイメージしやすい。 ひょっとしたら原作からは著しくかけ離れた建築物や構造体をイメージしてしまっているのかもしれぬ。 しかし、それは個人の想像力の問題。 機会あらば原作を読み、自分の中で作り上げたイメージとの差異を確認してみるのも面白そうだ。

一方で、元ネタを知っているものについては、意見もある。
「けいおん!」の平沢家のインテリアが色彩に富んでいるからといってルイス・バラガンと結びつけるのは、ちょっと安易であろう。 仮にアニメ製作サイドにもその意識が有ったとして、バラガンの色そのものを持ち込まなかったのは正解。 絵的な配慮もあったのだろうが、あの色彩はメキシコだからこそ成り立つものであることは、改めて述べるまでも無い。 日本における日常を描くシーンの背景にあって、バラガンを意識しつつ調律したとするならば、適切な色彩設定だ。
・・・などと書いても、アニメを見ていない方には訳が判らぬことだな。

ともあれ、侮れぬ建築知識も散りばめられていて、それでいて気軽に読める一冊だ。



2011.07.06:【書籍】地球家族

書名:
地球家族―世界30か国のふつうの暮らし
著者:
マテリアルワールドプロジェクト
出版社:
TOTO出版
出版日:
1994年11月10日

坂本龍一の音楽というと、熱心に聴いていたのは中学や高校の頃くらい。 今でも、「音楽図鑑」って傑作だよなと思いながら時折聴くことはあるが、以降の作品について知っていることは断片的な状況に留まる。
しかし、以前もこの場に書いたが、2009年の国内ツアーはとても気に入っていて、DVDを購入している。 その最後に収められている「aqua」という曲が、特にお気に入り。 こんな美しい曲を自分で思う存分弾けたらいいよな・・・などと思いつつ何度も映像を見ているうちに、とあることに気づく。
「そういえば、俺もキーボード、少しは弾けたんだっけ?」

そう、これでも一応、五歳から十三歳までヤマハのエレクトーン教室に通っていた。 ヤマハのエレクトーン音楽能力検定の6級までは取得した。 6級を取った時点で、そのとき通っていた個人レッスンの講師から、次の様なことを言われた。
「6級まではアマチュアコースだから、時間さえかければ誰でも取れる。 これより上の級は、プロを目指す人のためのものだ。続けるには、相当の覚悟が必要になる。」と。
暗に、君にはその能力が無いからもうこの辺で止めておけと言われていることが、十三歳なりに理解できた。 で、根性の無い私は、それでアッサリとやめてしまった。
以降は、高校の頃一時的にバンドに所属していた以外は個人的な趣味のレベルで時折弾いていた程度。

エレクトーン教室に通い始めた理由。 それは能動的なものではない。
オーディオマニアであった父が、楽器が弾けるって豊かなことだと考え、自分には無いそのスキルを息子に託したといったところ。 そのことは近年になって聞かされたのだが、そんな親の想いに応えられる能力も努力する心構えも、私には備わっていなかった。
申し訳ない限り。

ともあれ、そんな経緯があって今でも手元にキーボードが有る。 社会人になってから購入したものだけれども、既に十数年前の代物。 しかも、長らく押入れの奥に放置状態であった。
動くかどうか不安に思いつつ久々に取り出して確認すると、FDD以外は正常に作動する。 ということで、これまた久々に近所の楽器店なんぞに赴き、坂本龍一のピアノ楽曲の譜面を購入。
長いブランクのためにすっかりおぼつか無くなってしまった運指と、そして衰えてしまった読譜力にもどかしさを感じつつ、目下「aqua」を練習中。

・・・などと、タイトルと全く関係ないことをツラツラと書いてしまった。
言いたかったことは、家の中の物入れに普段使わないモノが堆積される状況。 とりあえずは、キーボードを事例として挙げたが、あらためて押入れの中を見ると、それだけには留まらない。
そしてこれは横着な私だけのことではなく、現代日本において多く見受けることが出来る佇まいの側面なのではないかということ。

そこで、この書籍である。
世界各国の家庭の中にあるものを全て家の前に出して陳列し、その家族とともに撮影した写真を掲載したもの。 それぞれの国柄が良く顕れており、読んでいて面白い。
その中には日本の事例も載せられているが、初めてその写真を観た時は結構衝撃を受けた。 陳列された夥しいモノの数々。 断捨離という言葉が流行る背景となる佇まいの在りようが、見開きで載せられた一枚の写真において如実に物語られている。
キーボードを出すにあたって押入れの中を覗き込んだ際、初めてこの書籍を読んだ時の印象が蘇ってしまった。



2011.07.03:住宅メーカー私史22
−関心と意識の隙間に
※1

提出した図面(部分)。
断面図といっても正確なものではない。 同商品の広告に使われていたイメージ断面図をベースに書いたものである。

学生時代は札幌で過ごした。
だから、中学生の頃憧れていた豊平の北海道マイホームセンターに行こうと思えばいつでも行くことが出来た。 しかし、在住中一度も行ったことは無い。 行こうという気すら起きなかった。 あれほど熱狂していたハウスメーカーへの関心も皆無であったし、その中心に有ったミサワホームについても同様。
当時の関心は、北海道内に明治中期から昭和初期にかけて建てられた古民家にあり、その中でもニシン番屋に深くハマッていた。 ハウスメーカーとは全く異なる分野である。 既に、ハウスメーカーの住宅に興味を持っていたことなど、遠い過去の出来事でしかなかった。

学校で二年目の後期から、設計演習という講義が始まった。 毎回、建築用途とその設計与件が提示され、それに対して自分なりに設計を行うという内容のもの。 その最初の課題は、「自分の好きな住宅を描いてくる」といった類のものであった。
この場合、著名建築家の話題の最新作とか、評価の高い古今東西の住宅作品といったモノを描いて提出するのが定番。 実際、他の提出図面は、大方その様なモノであったように思う。

しかし私は、ミサワホームO型を題材にした。
提出用紙として渡されたA2のケント紙に、O型の断面図を大きく描き、そして余白に外観パースを描いて提出した。※1
ハウスメーカーの商品化住宅を題材にするなど、課題の趣旨からしてあり得ぬことであったかもしれぬ。 どんな評価が返ってくるかと思っていたけれど、いまだに手元に保管している提出図面には、教授が赤鉛筆で書き入れた「+」の評点がある。 評価の段階構成がどの様なものであったのかは覚えてない。 でも、「+」なのだから、きっとそんなに悪い評価ではなかったのだろうということにしておこう。

建築設計に関する初めての講座である。 まずは自分の原点に戻ろうという気持ちがあり、題材の選択に迷いは無かった。
つまり、既に関心はゼロでありながらも、意識のどこかにミサワホームO型がこびり付いていたということになる。



2011.07.01:住宅メーカー私史21
−フェアウェルがいっぱい

春先、受験を終えて久々に家に帰ると何やら慌しい。 帰ってきた私を見るなり母親は「引っ越すことになったから」と告げた。 父親の仕事の都合で、山形県の新庄市に転居するという。
「新庄?ドコだよ、ソコって」などと思いつつ、しかし転居まで殆ど日数が無い。 私も荷物の整理を始める。
長年住んできた長岡市を離れることに対する特別な感慨は沸かなかった。 突然のことであったし、慌しかったということもある。 しかしそれ以上に、これは今までの自分を綺麗さっぱり清算し、リセットする良い機会かもしれないなどという、意味不明ながらも変に前向きな感情があった。
リセットするためには、今まで所持していたものは極力破棄してしまおうと思った。 そこで、その後十数年経ってから思いっきり後悔する愚行に走ることとなる。 そう、それまでストックしてきたハウスメーカーに関する資料の大量破棄である。 よくもこんなに集めたものだと言わんばかりの大量のパンフレットの類を惜しげもなく捨ててしまった。
そこに、何のためらいも迷いもなかった。 興味を失ってから暫く年数が経っていた当時にしてみれば、それらは何の意味も持たぬ印刷物でしかなかったのだ。 結局、スクラップ帳三冊と数種類のパンフレットを除き、他の不要物と一緒にバッサリと破棄。
そして大した判断基準も無く残した極々僅かな資料も、他の書籍類と一緒にダンボール箱の中に押し込み、近年ハウスメーカーへの関心が復活するまでの十数年間、ずっと実家の押入れの奥に放置することとなった。

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