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雑記帳
2010.09−2010.10
2010.10.30:WM-D6C

シャープがパソコン事業から撤退していたという記事を目にしてからあまり時間がたっていないのに、今度はSONY。 カセットテープ対応のウォークマンの生産を停止していたとの発表があったのは、先週であったろうか。
このニュースには、二つの印象を持った。
一つは、まだカセットテープ対応のラインアップがあったのかということ。 そしてもう一つが、一つの時代が終わったのかなという想い。

※1


手元にあるWM-D6C
他の製品より一回り大きいが、そのかわりに色々な機能がぎっしりと詰まっている。

手元には、ウォークマンプロフェッショナル(WM-D6C)※1がある。
改めて調べてみると、1984年2月発売。 私が買ったわけではなく、オーディオマニアであった父親が購入したもの。 いつの頃か、譲り受けたものがまだ残っているという次第。
もっとも、ヘッドホンで音楽を聞くことが殆ど無いので、二十年以上にわたって使うことも無く、押入れの奥にしまわれているという状態。 久々に出してみたら、キャリングケースが少しカビていた。

父は、新製品にはすぐ飛びつくタイプであったので、結構その恩恵にあずかっていた。 二代目ウォークマン(WM-2)も買っていたし、ウォークマンの前身、プレスマンも有った。
脱線するが、国内初のCDプレーヤーであるSONYのCDP-101も購入していたが、いつのまにか私の持ち物になっていた。 親元を離れて五番目の家に住んでいた頃は、このCDプレーヤーとアンプ、そして父が自作したスピーカーを持ち込んで、音楽を愉しんでいた。 今よりずっと良い音響設備環境を享受していたといえるかもしれぬ。
その頃、父親は別の自作スピーカーを使用していた。 長岡鉄男のスワンと書くと、オーディオ好きの人はすぐ判るのだろう。 設計図を元に木工所にパーツの裁断のみを依頼し、あとは自分で組み立てて使っていた、と書けば、相当のマニアであることも判っていただけるのだろう。
もっと書けば、老舗の月刊オーディオ技術総合専門誌を半世紀以上にわたって欠かさず購読していたし、幾度かの引越しでも、それらを手放すことは絶対になかった。
いや、その専門誌だけではない。 購入した書籍はどんなものであろうとも、一冊たりとも捨てることは無かった。 狭い家が書籍で溢れかえっていたことは言うまでもない。
その反動か、私は結構書籍を捨ててしまう方であった。 今思えばとてつもなく貴重な、そして再入手困難な書籍がどれほどあることか。
後悔先に立たず。

話を元に戻そう。
二代目ウォークマンを初めて見たときは衝撃的であった。 その小ささだけではない。 デザインにも驚かされた。 今でも十分カッコいいではないか。
むしろ、公式サイトに載っている最終形のウォークマンよりもずっと斬新だ。

※2
2010年10月23日(土)の記載参照。

“「物」が面白い時代”という言葉が知人のブログにあった※2。 “物が輝かない時代”という言葉も載せられている。
二代目ウォークマンは、「物」が面白かった時代の典型例かもしれぬ。 そして、物が輝かない時代の産物として、現在のウォークマンがある。
そんな位置づけは、ウォークマンに限ったことではない。 住宅メーカーのラインアップにも、同様の状況を当て嵌められる事例が、とっても多そうだ。



2010.10.24:家族を容れるハコの現在
※1


出版社:
平凡社

発行:
2002年11月

※2
実際、その記述内容に違和感を持った別の編集者によって、続編的な位置づけで「「51C」家族を容れるハコの戦後と現在」という書籍が二年後に発刊されている。
同タイトルに関わるシンポジウムの記録を主軸に構成された内容。
上野千鶴子も参加しているが、前著で批判の的とした公団の51C型の開発に携わった鈴木成文にたしなめられて、少々しおらしくなっているという印象。
ただし、51Cに対する誤解は、私にとっても同様であった。

上野千鶴子著の「家族を容れるハコ 家族を超えるハコ※1」は、住宅にまつわる規範と実際の乖離という現実を切り口に、住まいの在り方に対する鋭い言説を展開した書籍だ。
出版された八年前に読んだ当時は、随分とラディカルな内容だなといった印象を持った※2。 しかし、住まいの規範が拠り所とする標準的家族像が移ろい始めている傾向は、既に否定できぬ事象でもあった。

最近ミサワホームが発表したJUST SMARTは、そんな状況を真正面から捉えた企画住宅だ。
そこで提案されているプランは、夫婦と子供二人といった平準的な核家族を対象としたものは殆ど無い。 あえてそこから外れる家族形態として実際に想定されるパターンを数種類設定し、それぞれに対応したプランを提案している。

例えば「母とくらす私」という間取りは面白い。 玄関に入ると、サンルームを兼ねた通り土間が正面に伸びる。 居室と屋外のバッファーゾーンとしてのこの縁側的空間は、使いようによってはとても快適な場所となり得るだろう。 更に、玄関の脇に接客空間にも使えるタタミルームがあるのも良い。

サイト上では16種類の間取りが提示されているが、いずれのプランにも共通する事項が二点。
まずはコンパクトであること。2LDKをメインに、1LDKから3LDKまで、いずれも床面積を68平米から97平米に抑えている。
もう一つが、プランの骨格。 いずれも、二つのパターンに拠っている。 つまり、センターコアと呼ぶ矩形のメインフレームに、マルチユニットと称するI型ないしはL型のサブフレームを組み合わせる2パターン。 その形式の中で、それぞれのライフスタイルに呼応した空間構成を提案している。 二つの基本構造から複数の間取りを作り出しているところが、面白い。

500棟の限定販売だそうであるが、しかし今後のハウスメーカーの商品は、このような今まで規範とされてきた家族像とは異なる暮らし方への積極提案が主流になるのではないか。
他のメーカーにおいても同様の傾向があるのかどうかは把握はしていない。 しかし「JUST SMART」が発表される状況というのは、住宅に対する価値観が、漸く「家族を容れるハコ 家族を超えるハコ」が示唆する方向にも拡散しつつあることの顕れなのかもしれない。



2010.10.21:都市と祭

休日の夕刻、近傍の町の商店街を歩いていた際に、一枚の張り紙に目が留まる。
その町の神社で、三百年の伝統を持つ三年に一度の例大祭が開催される旨を告知する内容のもの。 記載されているスケジュールを見ると、その日が本祭当日で、そろそろ御神輿が宮入りする時刻。
急遽、その神社へと向かう。

神社が面する通りは、片側一車線の狭い道路。 その両脇に建つ建物は、旧街道の面影を残すものも散見される。 沿道には、地域の人たちが集まっている。 いかにも、地元のお祭りといった雰囲気。
暫くして、町内各所を巡っていた御神輿が、白装束に身を包んだ担ぎ手達と共に戻ってくる。 二年前に観た浦安三社祭のものに比べると巨大な御神輿だ。 まぁ、浦安市の場合、揉み方が激しいから重量や大きさに制約があるのだろうな、などと考えていたのだけれども、それは早合点。 浦安のそれに勝るとも劣らぬ勢いで、指したり回したり放り上げたりの一連の揉みの動作が参道手前の狭い道路上で始まり、勇壮なことこの上ない。
その後、道路と、そして道路から20mほど奥まった鳥居の間で、宮入りをしようとする担ぎ手と、祭りの終了を惜しむ衆との押し合いが繰り返されることになる。 「攻防戦」ともいえそうな激しい押し合いの結果、御神輿が担ぎ手と共に道路に押し戻されると、また一連の揉みの動作が始まる。

ここで問題が生じる。
前面道路は交通規制をかけてはいるものの、路線バスのみは通行する。 周囲の道路は、かつての漁村集落の構造を継承する入り組んだ路地状のものばかりなので、一般車両ならともかく、バスの様な大型車両については代替えルートの設定が出来ないのだ。
暫くして、そのバスが近づいて来る。 「バスが通ります!」と警察官が呼びかけるが、狭い道路上で行われてる揉みが、そんなことで中断される訳が無い。 警察官も苦笑い。 バスを暫く止めることになる。
で、神社の鳥居に向かって御神輿が参道に入った隙に、バスを通す。 といっても、道路の両脇は人でごった返しているから、バスは徐行運転を余儀なくされる。 観客とのギリギリの離隔の中をゆっくりと、そして何とかバスが通過して去って行く。 すると、待っていましたとばかりに絶妙のタイミングで御神輿が道路へと押し戻されて来る。 見物客から歓声と拍手が沸き起こる。 再び揉みが始まる。
そこに今度は逆方向からバスがやって来る。 警官が呼びかける。 揉みは止まらない。 バスは暫し立ち往生。 そして再度御神輿が鳥居へ向かって突き進む。 その隙にバスを通す。 また押し戻される。 これの繰り返し。


写真1:
狭い道路上で繰り広げられる揉みの動作。 その周囲には見物客が溢れる。 普段は比較的交通量のい多い通りだ。
  

写真2:
激しい押し合いが繰り返されるうちに、陽は完全に暮れる。
御神輿の向こう側に鳥居。この鳥居を通過すると、宮入りとなる。

そんなことが一時間くらい続くうちに、道路の交通規制解除の時刻となる。 警察官達がその旨を呼びかけるが、一向に押し問答は終わらない。 沿道の観客からも、御神輿が鳥居向かってに突進するたびに、「行かないで!」「戻って来い!」の掛け声が飛び交い、激しい押し合いの末に再び道路へと押し戻されて来る。 「そろそろ規制を解除します!」と警察官が声を荒げる。 でも、その呼びかけも、熱気と歓声にかき消されがち。 そして神事は止まらない。
なにやら、車社会とのギリギリの相克の中でかろうじて伝統行事が執り行われているという印象。 で、無事宮入りを果たしたのと同時に、交通規制は一気に解除。 ハレの舞台は、何の余韻も無く日常へと戻ってしまう。 行き交う車に揺れる沿道の提灯が、どこか空しい。
似たような状況を、浦安三社祭の時も観た。 車の利便性が全てに優先される都市の寂しい現実を垣間見る想いであった。



2010.10.16:群別の蔵

群別の蔵について、ニシン漁家建築のページに引き続き、建築外構造物のページにも異なる内容でアップした。
一つの建物に関して、二つのページで紹介するのは初めてのこと。 とりあえず、ニシン漁家建築のページでは事実を淡々と、建築外構造物のページではグダグダな私情を綴ることで文章を書き分けたつもりだ。 というよりも、いろいろと考えるうちに文脈の違う二つの文章が出来てしまった。 いずれも、この建築に対する自分の信条や認識としては偽りの無い内容なので、両方とも挙げることにした次第。

更に、この雑記のページで言及しようものなら、三箇所でネタとして取り上げることになってしまうが、勢いで書いてしまおう。 閲覧して頂く側からしてみれば紛らわしいことこの上ないかも知れぬ。 しかしそれ程に思い入れのある建築でもある。
そんな個人的に特別な建築を、どのタイミングでサイト内のどこに、どのような体裁で掲載すべきか。 そのことに関しては、このサイトを構想し始めた当初からいろいろと考えていた。 とりあえずは、今年の十月でこの建築と出会ってからちょうど二十年が経過する。 二十年という時間の流れの区切りに大きな意味は無いけれど、ちょっとしたきっかけとして理由付けるには良いタイミングなのかも知れぬなどと思い、ページをまとめてみることにした。

ニシン漁家建築のページと建築外構造物のページの掲載した画像は、いずれも晩秋に撮ったもの。 しかし、春夏秋冬、それぞれに素晴らしい佇まいを見せてくれる建築であった。 この場には、厳冬期に訪ねた際に撮影した写真を載せておく。



2010.10.12:稲毛散策
※1
ホームコア75外観。

実際に人が住まわれている個人邸の外観写真をそのまま載せるのはまずいかなと思い、同モデルに関するメーカーの資料から外観写真を引用。
「住宅メーカーの住宅」に登録しているミサワホーム・コア350のページに掲載しているものとは別テイクの外観写真だ。
フラットな折板屋根ながらも、力強い鼻隠を先端に廻すことで、意匠性が確保されている。
<出典:ミサワホーム>

10月5日の書き込みの続き。

パイロットハウスに入選した集合住宅を暫し眺めてから、さて、これからどうしようということになる。 せっかく稲毛まで来たのだから、40年前の宴の後を観ただけで終わりではつまらない。 他に面白いものは無いかと辺りを見回すと、ちょっと匂う一角が目に留まった。
匂うといっても、実際にニオイがする訳ではない。 「何かがありそうだ」という雰囲気が漂ってくるのだ。 こういった感覚に捉われたときに、その方向に向かわない手は無い。

そちらの方に歩を進めると、有るではないか、昭和40年代プレハブ住宅。
50年代のものとは異なり、40年代のプレハブ住宅に興味が向き始めたのは最近の話。 だから、それぞれの家のメーカーや型式を判別出来るほどの知識は、まだあまり持ち合わせていない。 しかし、50年代以降のプレハブに見受けられる「商品性」という手垢にまみれていない即物的な印象が逆に新鮮なのは、いずれの事例にも共通している。
そんな40年代のプレハブ住宅が散見される住宅街の只中で、フと足が止まった。 目の前に建つのは、ミサワホームの「ホームコア75※1」。 5日の雑記にも書いた「コア350」を改良し商品化されたモデルだ。 同社の資料によると、1973年に発売されている。 だから、建てられてからそろそろ40年を迎えようとしていることになろう。 にもかかわらず、旧態を良く留めている。
「よくぞ、私が出会うまで大切に住み続けてきて下さった」などと住まわれている方に対して勝手に感謝しつつ、家の前を暫しウロウロする。 ハタから見たら、立派に不審者だ。
しかし、とある建築史家もおっしゃっている。 「ケンチクとは町に対する一種のシーンを演じる役者」である、と。 美しい言葉だ。 そして、全くをもって、その通りである。 であるならば、役者の演技を鑑賞することが、どうして咎められよう。
ということで、怪しまれない程度に適当に間隔をあけながらその個人邸の前を何度も行き来しつつ、そして凝視していると悟られない程度のさりげない視線を投げかけつつ、旧態を留める外観を堪能させて頂くことと相成った。



2010.10.08:配水塔

長岡市を中心に配布されているフリーペーパー「マイスキップ」の10月号が届く。
今月号の特集記事は、長岡市内の水道町に建つ旧中島浄水場の配水塔。 長岡造形大学教授で建築史家の平山育男氏が文章を書いている。
建築に関することが載っていると、つられて文章を書いてみたくなる。

長岡在住中は勿論この配水塔の存在は知っていた。
しかし遠望したことはあるものの、実際に施設を観に近傍まで寄ったことは無かったように記憶している。 観てみようという明確な意志をもって訪ねたのは、つい最近のこと。 長岡を離れて随分経ってからのことになる。
それまでは塔のみが印象にのこっていたが、実はその周囲にポンプ室などの浄水施設が並置されている。 それらを初めて見たときは驚いた。 驚いた理由は、以下の画像を見れば御納得いただけよう。


写真1:
配水塔と各施設。 異なるスケール同士が、古典的建築オーダーをまとうことで、違和感無く並置している。
  

写真2:
ポンプ室などの施設。外観からはその用途は想像できない。

しっかりと造り込まれたクラシカルな意匠がすばらしい。 それらの施設の意匠を前提に、改めて配水塔を観てみると、こちらの方にも古典的意匠のパーツが確認できる。
例えば、地上部の出入り口扉廻りに施された石造アーチ風のしつらえ。 壁面にも石積み風の化粧目地が施されている。 古典オーダーに従いながらも縦方向に間延びした角柱も、全体のプロポーションの中では破綻していない。 その柱の上には、アーキトレーブを表現したモールディングの装飾が手抜かりなく設置されていることも確認できる。


写真3:
配水塔足元の扉廻り。
  

写真4:
配水塔見上げ。柱頭やアーキトレーブを意識したモールディング。

なぜ、このようなクラシカルな意匠をまとうことになったのか。 軽く疑問には思っていたけれども、その理由が平山氏の文章で少し判ったような気がする。
この施設の設計者は、中島鋭治であるとのこと。 どこかで聞いた名前だなと思ったら、建築外構造物のページに載せている大谷口給水塔の設計者が、この人だ。 同じく古典建築の風貌を纏っている。
ということは、設計者のデザイン的嗜好が含まれていたのかもしれない。

大谷口給水塔は、上京して最初に住んだ家の近傍に建っていた。 そして長岡の配水塔も、以前は日常生活の中でよく見かけていたものだ。
遠く離れた二つのかつての居住地に、同一設計者によるモニュメントの存在。 そんな偶然の繋がりに少し驚く。
そしてその事実を、このマイスキップ誌の特集記事で知り得ることとなった。 あなどれない情報誌だ。

マイスキップの入手方法は、以下に記載されている。

アート日和MySkipの入手方法



2010.10.05:パイロットハウス

1965年5月、「オペレーション・ブレークスルー」と呼ばれる施策がアメリカの住宅・都市開発省から発表された。 自動車並みの生産性を住宅にも付与させようという試み。
これを参考に、日本でも1970年に旧通産省・旧建設省・日本建築センター共催で「パイロットハウス技術考案協議」が執り行われた。 目的は概ね同じ。 68社から95件の案が提出され、戸建住宅7件、共同住宅10件が入選。
これはアイデアコンペの類ではない。 実際に大量供給することを前提とした現実的なコンペで、入選作はモデルハウスの建設も行い、その妥当性を検証するという条件も課せられていた。 で、東京と大阪にてそれぞれ建設が行われたが、戸建住宅の入選案については、東京では板橋区の高島平に建てられた。 施工検証後、全ての入選案は好評のうちに販売されたと記録にある。
現存するならば実物を観てみたいものだと思い、当時の資料を元に高島平をくまなく探した。 しかし、いずれの入選作にもお目にかかることは出来ず。 徒労に終わった。
考えてみれば、40年前の出来事。 国内の戸建住宅の平均寿命を鑑みれば、物理的に存在するにはあまりにも過去のことになり過ぎた。
とはいっても、探し方が悪いだけかもしれないから、まだ諦めている訳ではない。

一方、集合住宅に関しても、同じ様に施工検証後に分譲されており、千葉県の稲毛に全ての住棟が現存する。
JR京葉線の稲毛海岸駅で下車し、東の方向へ約500m。 四角四面の同一規格による公団マンションが乱立する眩暈を覚える様な風景(写真1)の中に、ちょっと趣の異なる住棟群が並ぶ一角がある(写真2)。 一つの住戸を丸ごとユニット化して積層させたものや、大型PCaパネルを用いたもの等々、それぞれに意を凝らした生産方式に基づいている。
しかし、それらの技術開発がその後一般化されたかというと、否。 パイロットハウスは、国内の住宅に革命をもたらすような影響を与えるには至らなかった。


写真1:
埋立地に建ち並ぶ公団の集合住宅群。 線路沿いの高層棟のリノベーション住戸が一般公開中だったので、その見学の際に撮影した。
  

写真2:
集合住宅版のパイロットハウスが建ち並ぶ一角。物件名称は「パイロットホーム」となっている。 写真1とは異なり、一棟ごとにデザインが違う。

これは、集合住宅だけのことではない。 戸建に関しても同様だ。 入選した提案モデルの中で実際に商品化までこぎつけたのは、ミサワホームの提案モデル「ミサワホーム・コア350」と、ナショナル住宅(現、パナホーム)のパイロットハウスW型のみであった様だ。
国主導の住宅施策というのは、規模の割りに成果は今ひとつというものが少なく無いのではないか。 パイロットハウスの10年後に実施されたハウス55プロジェクトも同様の結末だ。
そして、最近推進している長期優良住宅に係る先導モデル事業もどうなのだろう。 当初は200年住宅などと、具体的な耐用年数を示唆するような呼称が与えられていたが、いつのまにか聞かなくなった。



2010.10.02:蔵のある家
※1
2010年9月11日の雑記参照。
※2
「GENIUS蔵のある家」と思われるモデルハウスの裏側外観。
近隣の位置指定道路と思しき道路がモデル裏手の直近まで伸びていたので、近づいてその外観を眺めた。

ミサワホームが1994年に発売した「蔵のある家」の販売戸数が、9月末をもって50000戸に達したという記事を目にした。
「蔵のある家」とは、特定のプランや外観を持つ規格型商品ではなく、同社が「蔵」、ないしは「KURA」と名付けた収納空間を組み込んだ住宅の総称である。
その収納空間が少々特殊なのは、天井高さが1.4m以下に抑えられていること。 それにより、延べ床面積に含めずに巨大な物入れスペースを確保することが出来る。 この容積不算入のテクニックは、今までも一般的にロフト等で使われてきたことだから、初めて「蔵のある家」の存在を知ったときも、特に斬新なことという印象は持たなかった。 むしろ、それが特許ということに違和感を覚えたものだ。

更には、「蔵」を組み込んだ家の外観は、あまり感心できないものも散見される。 高さ方向に間延びしたいびつなプロポーションとなる場合が多い。 あるいは、屋根裏に「蔵」を仕込んだ住宅で、和風なのに屋根勾配が妙に急で、違和感タップリというものもあった。
外観だけではない。 そもそも、大収納空間という存在自体に私は疑問を持つ。 この雑記の場でも以前書いたかもしれない。 収納スペースは多ければ多いほど良いというものではない。 収納スペースが増えた分、荷物も増えるというパラドックス。 豊かな収納スペースの確保が、家の中をスッキリと整理整頓された状態に導くという訳ではない。 死蔵される荷物(=ゴミ)をいたずらに増やすだけという危険性もある。 高いコストを負担して不用意にゴミ置場を家の中に作ることもなかろう。
かの宮脇檀も言っている。 「収納を増やしても家が綺麗にならないことは、道路を広くしても車が減らぬことと同じ。」と。
しかし、商品としての住宅の場合は、収納がたっぷりある方が魅力付けがしやすい。 買う側も、そのことをありがたがる。 だから、実際に有意であるか否かという問題とは関係なく、限られた条件の中で、いかに収納をたっぷりとるかがプランニングの要となる。 かくして、不要なモノで溢れかえる現代の日本的佇まいが保障される。

勿論、「蔵」をゴミ集積所と単純に結びつけるのは短絡しすぎている。 使い方によっては、とても有用な空間になり得よう。
それに、「蔵」の存在価値は収納スペースとしての機能のみではない。 天井高を抑えたその空間を住戸内に効果的に組み込むことで、複雑で変化に富んだ住空間を作り出すことも出来る。 単純に言えば、スキップフロアの導入だ。 成功例はそんなに多くも無い様に思えるが、例えば最近発表されたGENIUS彩日の家の様な面白い事例もある。

ちなみに、同社の高井戸本館裏手には、1996年に住宅では初めてグッドデザイン賞のグランプリを受賞したGENIUS蔵のある家のモデルハウスが現存する。 先日、同社のバウハウスコレクションを観にいった際※1に、本館の敷地外からその存在を確認した※2。 14年前のモデルが未だに建っているというのは、同社の中でもそれなりの立ち位置にあるということになるのだろうか。
私の見立てでは、そのモデルハウスが建てられている場所は、三十数年前にはミサワホームOII型のモデルハウスが建っていた。 このOII型を含めたO型シリーズも、50000戸建てられた実績がある。 ピーク時には年間5000戸建てられたという。 今でも全国津々浦々でO型を確認することが出来る状況からも、かつての勢いがうかがえよう。
同じ戸数実績でも、O型と蔵は異なる。 一方が規格(企画)型のモデル。他方が設計手法。 しかし、その驚異的な実績は、凄いことだと思う。



2010.09.26:【書籍】新建築

新建築が、9月号をもって創刊1000号を迎えた。 月刊誌で1000号というのはなかなかに凄いことだと思う。
そのことに因んだ特集企画の冒頭に、安藤忠雄の「これからの建築へ」という文章が載せられている。 建築を取り巻く現況から始まって、戦後から今日までの推移、そして今後の在りかたに至るまでのことが、見開き二ページの紙面上に一気に書き綴られていて、読んでいて心地よい。
但し、締めの部分に書かれた今後の在りかたに関する言及は、特に目新しい提言とは思えなかった。 逆に、その目新しいことでもない課題に対し、何らかの打開策が見えてこないところに、この業界の閉塞感が露呈しているようにも思う。

創刊1000号というのは、一冊丸ごと記念特集記事にしても良いくらいの快挙なのではないかとも思うけれど、意外とアッサリと済ませている。 あとは、通常と同様の近作の紹介。
その幾つかについて、好き勝手に印象を書き連ねてみる。

ROLEX ラーニング センター
設計:妹島和世+西沢立衛/SANAA

床も屋根もグニュグニュに起伏を繰り返す建築。 基本天井高3300mmでこの形態操作を施された内部空間は、結構圧迫感があるのではと余計な心配をしたりもする。
実際、内観写真を撮影する際、カメラマンはその点が強調されないよう、相当気を使ったのではないかといった雰囲気が掲載写真からヒシヒシと伝わってくる。
そんな屋内の構成や外観デザインからは、おおよそ平面プランは想像できない。 逆に、平面プランから空間を即座に想像することも不可能。 両者の印象が全く異なることに驚く。
プランの美しさと空間の素晴らしさは密接に関係していると信じて疑わぬ古風な人間にとっては、この乖離はとっても新鮮だ。

恵比寿のオフィス
設計:原広司+アトリエ・ファイ建築研究所

敢えてこの小作品を新建築誌に発表した意図が読み取れない。
都心の窪地という敷地与件への応答が、近隣に配慮した防音性確保と外構緑化って、斬新なことなのだろうか。 「都市地形によって生み出される建築形式」などという大上段なタイトルであらたまって解説するほどのこととは思えない。
それに、解説文にある「さまざまなかたちで利用できるオフィス」といっても、その平面プランは恣意性に満ち溢れている。
一体、この作品を通して御大は何を語りたかったのか。 深遠な建築なのかもしれない。 しかし、私の様な凡人には、掲載されている写真及び御本人の短い解説文からは、何も読解することが出来ない。
ということで今ひとつ腑に落ちず首を傾げていたら、そのあとに続けて同一設計者による台湾の巨大複合ビルが紹介されている。
こちらの方も、何だかなという印象。
携わったのが企画と設計監理で、大半の設計業務が現地の別の設計事務所によるというのであれば、御大が自分の名で敢えて新建築誌に発表するほどの建築なのか?。 解説文も、当事者意識の欠如を印象付けかねない言い回し。
外壁タイルの施工の粗さが写真でも判る。 タイル仕上げに関して当然施されるべきディテールも見受けられず、数年後には悲惨なことになっていないか心配にもなる。

和光大学E棟
設計:内藤廣建築設計事務所

不定形な曲面の外壁によって構成された建物。 まるで、ひしゃげた饅頭の様な平面形状。
その中に収められた諸室の配置は、何とも強引。 不定形な外壁ラインは、プラン的には何の意味も見い出せない。 まずは、不定形な外形ありきの計画という印象。
この人の作風って、こんなだったっけ・・・?と思う。 平面プランと構造形式、そして外観の洗練された合致が真骨頂だという印象を持っていたのだけれども、そんな様相は当該作品からは読み取りにくい。
御本人にもその意識があるのか、解説文の中で宗旨替えではないと釘を刺している。

入川亭・忘茶舟・空飛ぶ泥舟
設計:藤森照信

かの「高過庵」以降、もうこの人の場合は何があってもおかしくはないなどと思っている。 だから、茶室を湖に浮かべても、ワイヤで中空に吊り上げても、ふぅ〜ん・・・、という感じではある。
というか、これってインスタレーションの類であって建築ではないのではないか。
しかしこれに関しても、解説文の中で作者がしっかりと釘を刺している。 曰く、「小さくとも、本格的建築として認められているビルディングタイプは、世界の建築史上でも日本の茶室しかないのである。」
なるほど。



2010.09.21:酔月
※1
割烹「酔月」外観

札幌在住の知人のtwitterに、岩見沢の割烹「酔月」のことが書かれていた。 移転に伴い、77年の歴史を誇る建物での営業を終えるという。
今年の5月に初めて岩見沢市内を散策した際、この建物の存在を知った。 炭鉱業が興隆していた頃はステータスの高い料亭だったのだろうななどと思いつつ、道路境界ぎりぎりまで立ちはだかる総二階建ての威容を暫し眺めてた。 まさかそれから数ヵ月後に、移転の知らせを聞くことになるとは思いもよらなかった。
これを期にネットで少し調べてみると、以前は空知地方随一の高級割烹であったそうだ。 となると、内部はそれなりに意を凝らしたデザインが展開しているのであろうか。
こういった建築とは殆ど縁が無いのでよくは判らないが、今まで幾度かこの手の建物の見学会や一般公開に参加する機会を得てきた。 それらから受ける印象では、質実な外観からは想像できない粋な意匠が屋内に展開している事例が多い。 果たして、割烹「酔月」はどうなのか、気に掛かる。
いや、それ以前に、店が移転した後にこの建物はどうなるのだろう。 そのことも少々気になる。



2010.09.18:百尺ライン

地上31m(約百尺)の高さで、超高層建築物のボリュームやデザインを変える手法。 かつての都市景観を継承しつつ、その敷地に見合った高度利用を図る手立てとして、丸の内一帯の再開発事業に伴うプロジェクトでは既に幾つかの事例がある。
特に、三菱地所が手掛けた超高層オフィスビルにはその手法が強く押し出されており、街並みに一定の秩序を与えている。 建替えに併せて実施された街路の整備や商業施設の誘致等と相まって、そぞろ歩きが楽しい街区が形成された。 しかし、一つ一つの建物の個性が強過ぎる嫌いが無きにしも非ず。

一方、日本橋室町界隈にて同様の手法を用いて進められている再開発事業も、着々と進行中。 徐々に見え始めてきた全貌からは、丸の内界隈とは別の洗練が見受けられる。
その理由は、三井本館や三越本店本館といった歴史的建造物の保全。 そして、三井本館との見事な調和を実現した三井タワーという先例が、大きいのだろう。 31mラインさえ守ればあとは何でもアリ状態の丸の内界隈とは異なる秩序を、室町界隈に与えている。
今後更に幾つかの再開発ビルの建設が計画されている。それらが全て竣工した際に形成されるこの街区の景観が楽しみだ。


写真1:
中央通り南側からの景観。安物カメラで撮っているためか遠近が誇張されて圧迫感があるが、実際はこれ程ではない。
右手前が、室町東三井ビルディング。その奥に日本橋室町野村ビル。対面する三井本館や三井タワーと共に、31m軒高の基壇部が並ぶ。
  

但し、再開発区域の一番北側に完成しつつある日本橋室町野村ビルは、少々微妙だ。
他の多くの再開発ビルの事業主体が三井不動産であるのに対し、この建物はその名が示すとおり、野村不動産が手掛けるもの。 三井と同じことはやらないとばかりに、31mラインは守りつつも、独自のデザインを展開している。
三井不動産が手掛ける他の高層ビルの低層部分が、古典的な西洋建築のコードを応用しつつ現代的にまとめられているのに対し、野村ビルは様式不在。 分厚い石を積層させる表現を採りながら、しかし重厚感が希薄という不思議なデザイン。 それは、その石積みの壁面が、ガラスのカーテンウォールの表層にカサブタの如く張り付いているだけだからなのかもしれぬ。 あるいは、乾式固定であることを一目で視認させてしまうディテールのせいでもあるのかもしれない。
街路から遠望した際の景観的な秩序には貢献しつつ、しかし何とも不思議なデザインだ。


写真2:
日本橋室町野村ビル外観。高さ31mまでへばりつく石。
  

写真3:
室町東三井ビルディング外観。左手の建物も建替えの計画があるようだ。

一方で、その南側に完成間近の室町東三井ビルディングは、対面する三井本館を意識しつつ、筋向いに建つ三井タワーとの調和に配慮したデザイン。
従って、古典的な西洋建築の規範に拠っているが、そこはかとなく和の雰囲気も取り入れられているという印象だ。 フレーム内に多用された竪格子がその様な印象をもたせるのだろう。 和と洋が破綻無く納まりつつ、周囲の再開発ビルとの調和も図られている。
室町東地区における三井不動産による一連の再開発プロジェクトには、デザインアーキテクトとして團紀彦の名が挙がっている。 氏の曽祖父は、三井合名会社理事長で三井本館の建設にも深く関わった團琢磨。 世代を超えて一つの街区の都市デザインに携わるというのは、なかなかに得がたい好機会ということになろうか。

丸の内の三菱、室町の三井と野村。
旧財閥系デベロッパーが、それぞれの解釈で百尺ラインを意識した超高層を実現しているところが面白い。



2010.09.13:バウハウス_2

私が「バウハウス」という言葉を初めて知ったのは、1987年頃。 当時住んでいた札幌市内にあったINAXギャラリーで買い求めた同ギャラリーのブックレット「豊穣の近代建築[下村純一の眼]」による。
時はまさにポスト・モダンの絶頂期。 「レス・イズ・モア」をもじって「レス・イズ・ボア(より少ないことは、より退屈なことだ)」などといわれ、近代建築の思想が揶揄されていた時代。 そんな潮流の中にあって、近代建築を「豊穣の」と表現したタイトルが少し気になって、同ギャラリーで買い求めた。
近代建築が、決して「レス・イズ・モア」一辺倒ではなかったことを示す多様性に富んだ建築形態の数々。 その事実を鋭く捉えた下村純一の写真が多数収録されている訳だけれども、そんなブックレットの1ページに、「バウハウス校舎」が載せられていた。
ワルター・グロピウス作。1926年完成。
いま、改めてそのファサードを観ると、そこに古さは無い。 バブルと連動した狭義でのポスト・モダンが、あっという間に陳腐化したことを鑑みれば、時間への耐性があるデザインだといえる。

高井戸にあるミサワホームのギャラリー、「ミサワ・バウハウス・コレクション」を訪ねた時も、同様の印象を持った。
例えば、マルセル・ブロイヤーの椅子、ヨースト・シュミットの木彫装飾、アルマ・シードホフ・ブッシャーの積み木。 いずれも、経時への耐性がある。

そういえば、同ギャラリーには、グロピウスの設計によるマイスターハウスの模型や外観写真も展示されていた。 その展示の説明文の中に、この住宅に居住していたリオネル・ファイニンガーの言葉が記されていた。

『ここには、なにか本当の<空間>がある。』

琴線に触れる美しい言葉だ。



2010.09.11:バウハウス

このサイトではミサワホームのモデルについて幾つか掲載している。 だから、高井戸にある同社の本館にも足繁く通っているのだろうと思われる方もいらっしゃるかもしれない。 しかし、実は今まで一度も訪ねたことは無い。 東京で仕事をしているのだから、訪ねようと思えばいつでも可能だ。 にも関わらず出向いたことが無い理由は二つ。
一つは、同社の住宅に強い関心を持っていたのは昭和50年代であり、当時の居住地は長岡市であったという地理的要因。 そしてもう一つは、既にこの場に何度も書いているが、昭和60年代以降から今日に至る同社の商品群にはあまり興味が無いためである。

しかし、気になっていることはあった。
それは本館の向かいに建つ同社の総合研究所の存在。 そこに、同社のバウハウスコレクションを展示するギャラリーが設けられているのだ。
常設のギャラリーではあるが、いつも公開されている訳ではない。 年に一,二回催される企画展の会期中のみ開館する。 しかも、開催期間中であっても、土日祝と水曜は休館。更には完全予約制。
ということで、なかなか訪ねる機会を持てずにいた。

久々に同ギャラリーのサイトを観てみたら、今月の17日までの予定で企画展が催されている。 ということで、半日休暇をとって訪ねてみることにした。
予約の電話を入れてみると、名前と訪問希望日時と連絡先電話番号を尋ねられただけで手続きは終わった。 簡単である。
実は、電話を入れるにあたって、少々身構えていた。 なんといっても住宅会社の私設ギャラリー。 住宅の建築予定とか土地の有無とか建築予算といった商売に関わる諸々のことを怒涛の如く聞かれるのではないかと思っていた。 しかし、そういったことは一切無し。 ギャラリーを商売に結び付けようとする意図は全く無い純粋な文化事業であるようだ。
ちょっと好印象を持ちつつ、当日、高井戸に赴く。

京王井の頭線高井戸駅から環八沿いに徒歩約五分。 右手にコンクリート打放しの同研究所の建物が見えてくる。
通りを挟んで向かいには、本館。 積層するワッフルスラブをダブルコアが支持する明快な構成が美しい白亜の建物。 この建物の裏手には、かつてはミサワホームG型OII型A型二階建てといったモデルハウスが建っていた。
とはいっても三十年近く前の話。 今は全く別のモデルハウスが建てられている。 「三十年前に来たかったな」などと少々感傷に浸りつつ、総合研究所のエントランスに入る。
内線で連絡をとり、ギャラリーに案内してもらう。 扉を開けた途端、オッっと驚く空間構成。 最初にスタッフの方から鑑賞上の注意事項等を記載した簡単なリーフレットを手渡される。 あとはご自由にどうぞということで、殆ど貸切り状態のギャラリー内を二時間ほどかけてじっくりと巡り、コレクションを堪能。 落ち着いた雰囲気の中、目いっぱい眼福に授かった。
展示の内容も、展示方法もとても素晴らしい。 そんな質の高い企画展を、期間限定ながらも毎年開催し、無償で公開するというのは、なかなか大変なことだと思う。
そんな企業姿勢に少し感心した。



2010.09.08:和感

知人のブログにて、そのプロジェクトが景観を巡って問題になっていることを知った。
浅草の雷門の斜め向かいに計画中の「浅草文化観光センター」。 設計は、かの隈研吾。 その完成予想図を初めて見た時には、なにやらまた変な建物を計画しているものだなといった程度の認識であった。
問題となっているのは、その建物の高さ。 地上八階建ての建物は圧迫感がある上に、雷門に影を落とすので好ましくないということらしい。
関連するサイトを幾つか見て廻ったが、その多くが問題として言及しているのは、「高さ」であってデザインではない。 しかし、高さ批判をする人は、逆に低ければ何でもよいというのだろうか?
そうではないはずだ。
高い建物でもデザイン的に優れれば、新たな都市景観の形成に寄与することもあるし、逆に低い建物でも醜悪なものは目障りでしかない。 高さばかりを問題にする景観論争は空疎だ。

では、デザイン的にこのプロジェクトがどうかというと、なかなか微妙だと思う。 和風をある程度意識したのであろうが、一つ間違えればバラック然とした様相に陥りかねない危うい建築。
完成予想パースではなかなか判別つきかねるところもあるが、計画通りに完成した場合、雷門とどの様な関係を産み出すのか興味深くはある。

同じく隈研吾がデザインを手掛けたマンションが神楽坂に完成しつつある。
「パークコート神楽坂」。 700年の歴史をもつ由緒有る神社の建て替えに、マンション建設を絡めた再開発事業だ。
手掛けるのは三井不動産レジデンシャル。 敷地内に定借マンションを建設し、その地代を神社の経営基盤とする開発スキーム。
そのマンションと新たに建て替えられた神社の本殿は、素材も形も全く異なる。 本殿の方は、木の香漂う伝統的な意匠をある程度踏襲した建物。 一方のマンションは、タイルや金属手摺を多用した現代建築。 しかも規模も大きい。


写真1:
本殿(左側)に近接するマンション。
数種類の竪桟をランダムに並べることで和風を醸し出す手摺が特徴。
  

写真2:
境内の保存樹木と繊細な金属の意匠が、新たな調和を生成している。

そんな異質なものどうしが近接しながら、しかし違和感があまり無い。 それは、マンションの絶妙な外観デザインに拠るところが大きい。 本殿の建物意匠に迎合することなく、しかしそれでいて和の雰囲気のデザインを展開することで調和を図っている。
その真骨頂は、バルコニーに用いられている金属製手摺のデザインであろう。 近くで見ると結構強引なディテールであるが、遠目には、よしずやすだれを連想させる、そんな繊細な意匠が眼に心地よい。
現代的な素材とディテールで和感を醸し出すデザインを施し、歴史的空間との共生を試みる。 その点では、とっても成功していると思う。
この事例を見れば、規模だけを捉えた景観議論がいかに不毛であるかも認識できるのではないか。

勿論、こういった並置が発生しないことが一番望ましい。
しかし、過度に集積せざるを得ない現実には抗えぬ。そんな与条件のもとで一番望ましい解法を求めるにあたって主題とすべきは何か。 それが「高さ」だけであるならば、貧相な景観しか得ることは出来ないであろう。



2010.09.04:ノンセクション

「住宅メーカーの住宅」のページには、昭和40年代と50年代に分けて、それぞれの時期に発表されていたモデルを個別に紹介している。 しかし、個別ではなく小さなテーマで複数のモデルを同時に紹介する様なページも書いてみたくなった。 そんな内容について、別途「ノンセクション」という項をページ内に設けて掲載することにした。
とりあえず初回は、「ユニット住宅三題」というタイトルで、ユニット工法草創期を中心にした興味深いモデルについて掲載。

それと、かつてこの雑記の場に「不可解なモデル」というタイトルで載せた住宅についても、一部修正・加筆の上こちらに移動することにした。 このテーマで書けそうなモデルが他にも幾つか思いついたので、こちらに掲載することにした次第。
とはいっても、構想の中にある不可解モデルは、いずれもミサワホームばかり。 「また、ミサワホームかよ」という声が聞こえてきそうだが、否定はしない。 当時リアルタイムで興味を持っていたメーカーであることは、この雑記の場でも何度も書いている。 結果として、ミサワホームが多くなるのは、ある意味必然。 まぁ、この偏重は個人的嗜好ということで御容赦願おう。
他メーカーについても、一応構想はある。 それらについては漸次ということで。



2010.09.02:円形校舎_3

北海道内には前回8月16日に紹介した以外にも、興味深い事例が幾つかある。
例えば、小樽市立石山中学校。 小樽駅西方の小高い丘の上に建つ。 1957年築。 多くの円形校舎と同様、設計は坂本鹿名夫。 2002年に廃校。そのまま放置された状況で推移。 旧態は維持されている。
二棟が並列し、一方の最上階に体育館が設置されているのは、室蘭市立絵鞆小学校と同じ構成。 他方の棟は五階建て(塔屋を除く)と、異例の多層構成。 内部の螺旋階段は、さぞかしダイナミックなことだろう。
多くの円形校舎が、その後矩形の校舎を増設しているのに対し、この石山中学校は円形校舎のみのまま、閉校まで供用されていた。 純粋な円形校舎の事例という意味では大変貴重だ。
現在、建物を含めて敷地内は立ち入り禁止。 木々で覆われた小高い台地の上に立地するため、敷地周辺からその外観を確認することも出来ない。
残念なことではあるが、機会があれば現地を確認してみたい。

そして、南茅部町の古部小学校も現存する模様。
他の事例よりも一回り小さいこじんまりとした外観が興味深いが、これも実物を観るには至っていない。

北海道における円形校舎にほぼ共通しているのが、外部にバルコニーが廻っていないこと。 勿論、全てを確認している訳でもないし、既に除却されてしまったものについては、バルコニーがついている事例もあったのかもしれない。 しかし、前回紹介した分を含めた四事例にはいずれも無い。 また、7月24日の雑記に書いた沼東小学校にも設置されていないことが写真から確認できる。
一方で、最近関東で確認した事例には、いずれもバルコニーが全周に取り付いている。
この違いは何か。 地域性や気候との関わりがあるのだろうか。
ちょっと興味深い。

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