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2009.07−2009.09
2009.09.26:浦安雑記

市内中央を流れる境川。川幅も周囲の風景も、8月22日に載せた写真とは全く異なる。


街の一角。手前の更地には、かつては背後と同じような建物が密集していた。この様な空白が、いたるところに見受けられる。

郷土博物館の中庭に「常設展示」されている昭和20年代の浦安の町並み。箱庭に人工的に再現された風景の記憶。

8月22日に書いた「浦安随想」の続き。
この時、市内を流れる境川河口の写真を載せている。 この川沿いを遡る様に進むと、写真1の様な風景へと変わる。 その間僅か3kmあまり。 全く雰囲気が異なることを視認して頂けよう。
前回も書いたが、浦安市はかつての海岸線を境に、風景が一変する。 今回書くのは、旧海岸線の内陸側。 一般に「元町」と呼ばれる界隈だ。
このエリアは、前回書いた「新町」と呼ばれる旧海岸線の外側にあたる埋め立て地域には見られない様相が連綿と広がる。 例えば、曲がりくねり複雑に交錯する街路、昭和半ばの雰囲気を残した商店街、銭湯、人ひとり通るのもやっとの迷路状の路地等々。
元町界隈の集落としての歴史は、中世まで遡るらしい。 そして近世においては、歌川広重の名所江戸百景「堀江ねこざね」に、描かれる。 恐らく境川を思われる川を挟んで左右に寄棟の茅葺民家が連なる集落の様子が、そこには描写されている。 それらの民家の建築的特徴は、市の有形文化財「旧大塚家住宅」に、名残を留める。

最近、そんな風景の中に、更地が目立つようになってきた。 いずれの敷地にも、その周囲にメッシュフェンスが設置されて立ち入りが禁止され、「市所有地」の看板が掲げられている。 木造戸建住宅が密集する状況や未接道宅地の解消を目的とした地区計画に基づく行政措置であろうか。 並行して、狭隘道路の拡幅事業も進行中だ。
迷路じみた集落の連なりは、情緒的には貴重な風景かもしれないが、防災の観点からすれば好ましいことではない。 消防活動困難地域の解消は、行政としても放置できぬ課題であろう。 それはそれで、必要なことだ。
これに伴い、元町地区の風景は近い将来激変するのかもしれない。 そして、元々の風景を物理的ないしは擬似的に確認出来るのは、その一部がイメージ再現された>市の郷土博物館の中庭のみという時代がやがて訪れるのだろうか。

時の流れと共に物事が変わって行くことは、抗うことの出来ぬ事象だ。 今ある風景だって、様々な変遷の集積体の一側面でしかない。 しかし、変わらないもの、受け継がれるべきものもある。
この界隈では、例えば浦安三社祭がその一つに該当しよう。 四年に一度、三日間にわたって元町地区全体を活況に包み込む壮大な伝統行事。 昨年、初めてこの祭りを観に行ったことは、この場にも書いた。 本当に素晴らしい祭りであった。 以前、浦安市内に住んでいた頃は、元町でこの様な行事があることは知らなかった。 なぜ気づかなかったのだろうと少々後悔している。
次回開催は、三年後。 今度は、宵宮からしっかりと観るべく、浦安を訪ねたい。

2009.09.19:東京マガジンバンク

今年に入ってから、ハウスメーカーの住宅に関する興味の対象が昭和40年代へと広がったことは、何度かこの場に書いている。
しかし、昭和40年代というと、もう40年近く前のこと。 関連する資料はそう容易に目にすることが出来るものではない。 古書専門店をネットや足で地道に巡って入手するか、図書館で探して閲覧することになる。
一応成果はあって、僅かながらも新たな情報を得つつあり、個人的な趣味の世界をそれなりに愉しんでいる次第。
そんなさなか、ネット上で色々と調べるうちに、「ニューハウス」という老舗住宅雑誌(2007年10月号をもって休刊)のバックナンバーが、東京都立多摩図書館にストックされていることを知った。 日本最大の蔵書数を誇る国立国会図書館にも、検索をかけた範囲ではムック以外の所蔵は無い。 なぜ多摩図書館に?と思ったが、同館では本年から「東京マガジンバンク」を開設し、雑誌の収蔵を強化しているのだそうだ。
保管されているニューハウスのバックナンバーで一番古いのは、1974年8月号。 ぎりぎり昭和40年代だ。 という訳で、片道2時間の道のりを費やし、同館を訪ねる。

蔵書は一年ごとの合本になっているのだろうと思い込み、一気に数年分の閲覧を申請したら、一冊ごとに独立した大量のバックナンバーがワゴンに乗って閉架書庫から運び出されてきた。 ちょっと驚いたが、とりあえずそのままワゴンごと閲覧室に持ち込んで閲覧。
月刊住宅誌であるから、掲載内容はハウスメーカーの情報に留まらぬ。 住まいに関わる多岐な内容が網羅されているが、その合間に載せられているハウスメーカーの広告だけでも、今の私には極めて貴重な情報源だ。 各メーカーからどの時期にどんな商品が発売されていたのか。 そしてそれらの商品の特徴は何か。 そんなことを知るのには、雑誌の中の広告は実に手っ取り早い。
雑誌のバックナンバーは極めて貴重な蔵書だから、当然貸し出し不可。 従って、必要箇所の複写を申請し、カラーコピーを持ち帰る。
今回は、掲載広告の確認を主目的にするという極めて乱暴な読み方をしてしまったが、その合間に目を通した記事は、いずれもとても深い内容。 昔の雑誌とはいえ、今でも十分ためになる情報、勉強になる内容が満載だ。 卒倒しそうになるくらいレアな記事にも出会えた。 その度に、ページをめくる手が止まる。

同館には、現在約10000誌の雑誌が収蔵されているそうで、ニューハウス以外にも様々な住宅関連、建築関連の雑誌のバックナンバーが有りそうだ。 それらの情報に触れるべく、今後頻繁に片道2時間の図書館通いを行うことになるかもしれない。

2009.09.12:水廻り
※1

1980年開催の第9回東京国際グッドリビングショーに出展されたハートコア。
下層の手前にランドリーユニット、裏面にはキッチンユニットを配置。 上部には、浴槽,洗面化粧台,便器をレイアウトしたサニタリーユニットが見える。 短辺方向の壁面には、縦長のホームオートメーション操作盤を装備。
パソコンの筐体にHDDを装着するかの如く、このカプセル化された設備ユニットを住宅に組み込む、あるいは交換することで、住宅建設の生産性や機能の更新性を獲得しようと構想された。

「間取り逍遥」や「住宅メーカーの住宅」のページでは、水廻りの配置についての言及を時折行っている。
居室を配置した残余に惰性で水廻りを置いただけの間取りというのは退屈だ。 居室の快適性を優先しつつ、水廻りがコンパクトに一箇所にまとまって配置されていること。 そして上下階に分散する場合でも、同一エリアにまとめられていること。 単に一箇所にまとまっていれば良いという訳ではない。 美しく、そして機能的にまとまっていることが好ましい。

こういった水廻りの配置に関し、昭和40年代から50年代にかけてのミサワホームは、徹底した拘りを持っていた様に思う。 それは、「住宅メーカーの住宅」のページに載せている同社のモデルの間取りを見ればお判り頂けよう。 とりわけ、ミサワホームA型二階建てミサワホームM型2リビングのそれは秀逸だ。

また、1980年に同社から発表された「ハートコア※1」は、水廻りを中心とした設備のコア化といった意味において到達点を示したものだと思う。
キッチンやユーティリティ、トイレを下層に、そして上層に浴室と洗面とトイレを一体化した空間を配置した二層構成の設備コア。 更には空調設備や熱源設備、そしてミサワホームG型でも採用されたホームオートメーション機能も装着。 当然のことながら、工場で100%製作し現地に移送して取り付けるだけという完全にユニット化されたコアであった。
1987年に開催された国際居住博覧会では、この継承型である「ハイテクコア」を搭載した試作モデル「フューチャーホーム2001」を出展。 更に、1989年に発売された同社のNEAT INNOVATERには、ハイテクコアの上層部分を発展させた実現型としての「ハイテクバスロボ」が装備された。

水廻りに関するコアシステムが実施モデルに標準装備されたことは画期的なことであったが、最近のモデルにその継承形と思しきディテールは見受けられない。 顧客にも現場にも好評ではなかったのだろうか。 むしろ、NEAT INNOVATER以降はこういった水廻りのコア化が後退したという印象を持つ。
最近同社が発表するモデルを見ると、上下階に水廻りを分散させたプランで、一階の居室の直上に平気でトイレや浴室を配置したものも見受けられる。 かつての同社では、少なくとも企画モデルでは絶対にやらなかったことだ。
これは、この会社の住宅に限ったことではなく、他社のプランにも散見される。 これらの室での行為音に対する遮音対策が如何なるものかといった技術的な問題以前に、まずプランとして美しいとは個人的には思えない。

とはいいつつ、水廻りについての価値観は随分変わった。 特に変わったのは、その広さであろう。 浴室も洗面室の標準サイズも、以前に比べてかなり大きくなった。 単なる機能だけではなく、それぞれの空間におけるアメニティの要求も高まってきた。
水廻りそのものの要求水準が、「コア」的な発想では対応しきれなくなったのかもしれない。

2009.09.05:書棚_2

新潟県長岡市在住の知人からDVDが届く。
内容は、今年の長岡花火のテレビ中継を録画したもの。 といっても、そこんじょそこらの花火中継番組と称したバラエティ番組とは全く違う。
花火の中継番組というのは、往々にして芸能人が雑談し、その合間に花火の映像を流すという構成が殆どではないか。 更には、花火自体の撮り方が稚拙。 やたらと視点を動かし、何が何だかわからぬ捉え方をする。 動画サイトに投稿された一般人の動画の方がよっぽど撮り方が巧いものもある。
ところが、送っていただいた長岡ケーブルテレビ(NCT)のそれは違う。 映像は花火の会場を映しっぱなし。 そして視点の移動も最小限に、花火の演出の緩急がよく判るように捉えることに意を汲んでいる。 コメントも、最小限。しかも的を得た花火の解説を行う。 まさに花火のための花火番組。 さすがは、長岡。 テレビ中継も、本格的だ。
ということで、極上の映像と解説を視聴して愉しみつつ、新たに購入した書棚に大切に収納している。

書棚を最近購入したことは、前回書いた。 前面の奥行きが15cm、背面が23cmのスライド式の書棚であることも、その時書いた。 この前面の15cmというのは、DVDやCDを収めるのにはちょうど良い奥行きでもある。
ということで、有効に活用している訳であるが、少し目算を誤ったのが、手持ちの書籍のサイズ。 大方23cm以内の幅に収まっていることは確認していたのだが、15cm幅を超える書籍の方が圧倒的に多いということまでは把握していなかった。
したがって、既に背面の棚は余裕が殆ど無いのに対し、前面はスカスカという状況が生じた。 これから書籍を購入する際は、幅15cm以下であることを条件にしよう・・・、って何か本末転倒だな。
とはいえ、数年ほど前から、意識的に書籍の購入は控えるようにしている。 いや、この様に書くと、書籍購入に可処分所得を大量に浪費する読書家であるかの様になってしまうが、決してそんなことは無い。 むしろ、購入したのは良いけれども、書棚のコヤシとなっているモノが大半というのが実情。 一回読んで終わりというものも無きにしも非ず。 それどころか、衝動買いしたのは良いけれど、半分も読まずに放置なんて本もチラホラ・・・。
そういった類のモノは古本屋に売るなどの措置をとるべきなのだろうけれども、今ひとつ実行できずに、イタズラにコヤシだけが増えてゆく。 資料的価値があるものは別として、数回読んだらオシマイというような書籍は、所有する必要も無かろう。
そう、図書館をもっと活用すべきなのだという、至極単純な事実に気づいた。 居住地と勤務地にある図書館の本館や分館を廻れば目当ての書籍は大体見つかるし、新刊のストックも多い。 図書館で何度か借り、それでも尚且つ手元に置いておきたい書籍のみを購入すればよいではないか。
それに期限が区切られている方が、きちんと読むというものだ。 買ってしまうと、いつでも読めると思って放置してしまう。
挙句に買ったことを忘れてしまい、再度購入してしまったという書籍を、今回の書棚入れ替えで一組見つけてしまった。 宮本常一の「空からの民俗学」という文庫本。 仕方が無いから、一冊は近くに出来たブックオフにでも持っていくことにしよう。

話は変わるが、「住宅メーカーの住宅」のページに二ヶ月ほど前に掲載した「ミサワホーム・F158」について、幾つかのことが新たに判った。 昭和40年代のハウスメーカーの動向を色々と調べるうちに知り得たことだ。
たとえば、モデル名称が「ハイリビング」であること。 そして、発表時期が1970年であること等。 それらの事項について追記し、一部構成を変更した。

2009.08.29:書棚

25日の午前6時37分頃に関東地方に出された緊急地震速報。 その時私は、朝食を終えてお茶を飲んでいる最中であった。
テレビの画面表示を見て最初に思ったことは、「“大きい地震”って、どのくらいなんだろう」といった程度。 「そういえば数年前にも結構強めの地震があったなぁ・・・」 「あの時は本屋にいたけれど、あのくらいの揺れが来るのかな」 などと呑気に考えながら、お茶を飲み続けつつ画面をボーっ見つめていた。
でもって、「ん?なかなか来ないじゃないか」 「震源が結構遠いのかな?」 「まぁ、とりあえず外部への避難経路を確保しておかないとね」などと思いついて、玄関扉のドアガードを外して鍵を開ける。

誤報と報道されるまでの間の行動といったら、この程度。 危機意識の欠落も甚だしい自分に気づく。
改めて考えて見れば、日ごろの備えといったら、水と食料の僅かな備蓄。 それと、5年前に発生した新潟県中越大震災に被災された方の話を参考に、介護用タオルを買い置きしてある程度。 心の準備というものが、全くなっていない。 今一度考え直さなくてはと、防災の日を前に反省する次第。
とはいえ、地震のことが頭の片隅に無い訳でもない。 だから、狭い家に住みながらも、意識的に腰より高い家具を購入しないことにしている。 それはつまり、収納効率が低い家具に囲まれていることを意味する。 書棚についても例外ではない。

ここから、ようやく表題の件。
今まで使用していた書棚は、通販で購入したディスプレイラックと呼ばれる形式のもの。 正面にフラップ扉が付いているので、書籍の収容状況が乱雑でも、扉さえ閉めてしまえば容易に隠蔽できるところが良いと思い、購入した。
しかし、暫く経って気づいたのだが、この形式のラックは、書籍を収容するには効率があまり宜しくない。 固定棚なので収容する書籍に合せた調整も出来ないし、奥行きも深い。 普通の書籍を納めるには何とも中途半端なのだ。
結局、前後二列に書籍を収め、更にその上に平積みしたりと、かなり強引な収容状況となってしまった。 本は探しづらいし、扉を開けた時の雑然さはいかんともしがたい。
更には積載荷重オーバーで、棚板も撓んでいた。 底板も撓み、全体的に歪みが生じてきたので、台輪の裏側にベニア板による補強まで施した。
とはいっても、そんなに多くの書籍を有している訳ではないから、詰め込み過ぎということではない。 一枚あたりの許容荷重が5kgなんて、少な過ぎだろう。
いや、そもそも、ディスプレイラックは書棚としての用途を想定したものなのか? 広告には、ラック内に雑誌を収容した使用例が掲載されているけれども、それはあくまでも使用例。 これはフラップ扉付の収納ラックであって、その中にたまたま本を収めてみただけですよと言われればそれまでだ。
でも、書棚で検索を掛ければ普通にディスプレイラックの情報に到る。 考え出すと訳が判らなくなるが、使用例を見て書棚に使おうと思い込み、書棚として購入してしまった私の落ち度ということであろう。
ともあれ、芳しくない状況のまま騙しだまし使い続けて幾年月。 そろそろ限界だ。

ということで、半年ほど前から新たな書棚を探していたのだけれども、なかなかコレといったものが見つからず、本棚から溢れた書籍が床に平積みされる状態となっていた。 雑然とした印象を隠蔽したいから、やはり扉付にはしたいけれども、ディスプレイラックはもう止めにしたい。 でも、ディスプレイラックのフラップ扉みたいに、書籍がディプレイできる機能があると良いな。 それに、棚板の許容積載荷重も一枚あたり20kg程度あって当然だ。 可動棚であることも当たり前。 あるいは、狭い家の中で収容効率を高めるには、スライド書棚が望ましいだろう。 更には、あまり仰々しいデザインはいやだ。 色は濃いブラウンが良いな等々、要求は高まるばかり。
全てに合致した商品など望むべくも無いと半ば諦めていたが、そんな折、新聞に折込まれていた一枚のホームセンターのチラシに目が留まった。 なんだかイメージしていたものに近そうな書棚が載っている。 早速、メジャーを持って店舗に赴く。
見た目は、広告で見るよりも良い感じ。 MDFに木目調オレフィンシート張りではあるが、そんなにチープな感じはしない。 スライド式の場合、前面も背面も奥行きが寸足らずという場合があるが、目当ての商品は、奥の方が幅23cmの書籍まで収容可能。 前の方も15cmまで収容できるから、手持ちの書籍は数冊の巨大本を除いてほぼ問題なく収容できる。
更に、前面の開き扉にはディスプレイ機能付き。 ホルムアルデヒドに関する区分がF☆☆☆というのが気になるが、とりあえずはそんなに過敏な体質でもない。 棚板一枚当たりの許容荷重も15kgは、少し厳しい。 値段も結構高いが、まぁ仕方が無いことか。
ということで、三台購入。 今のところ、なかなか良い感じではある。 書籍の乱積み状態も、とりあえずは小康を得た。

2009.08.22:浦安随想

市内中央を流れる境川河口近辺の風景

浦安市は面白い街である。 明確に二つの要素に分かれる。
一つは、古くからの漁村から発展してきた地域。 かつての漁村集落の構造を色濃く残し、ランダムな路地が張り巡らされた自然発生的な町並みが展開する。
そしてもう一つは、昭和半ば頃に始まった沿岸の埋め立てにより創出された全く新しい街。 そこには、近代都市計画学を駆使した極めて人工的な街区が広がる。 そんな全く異なる二つの街が、かつての海岸線付近を境に併置される。
どちらも面白いのと同時に、それぞれに異なる問題を孕みつつある様だ。

私は、人工的な街の方に一時期住んでいた。 道路は広く、緑地や公共施設も適切に整備され、いずれの建築物も新しくて小奇麗。
住み始めた頃はまだ開発途上で、埋立地の海側の方には立ち入り禁止地域が設定され、果てしなく連なるが如き鋼板製の仮設の塀で海と分断されていた。 その仮囲いの手前側にも広大な更地が広がり、その茫漠とした雰囲気に似つかわしくない巨大な都市計画道路だけが敷設されていた。
開発済みのエリアには、ハウスメーカーの戸建住宅や公団の集合住宅等々が計画的に配棟。 そこには何の破綻も矛盾もなく、全ては策定された計画通りの清潔な町並みが拡大しつつあった。
その広大な住宅地のエリアの西側には、巨大な鉄工団地を挟んで東京ディズニーリゾートが広がる。 都市計画に基づく明快な用途区分のもと、メリハリのある都市が形成されつつあった。
東京駅から電車で僅か20分弱の場所にこれだけのポテンシャルが形成されれば、人気が高まらない筈が無い。 人口はグングン増加し、そこに住む奥様方に対して「マリナーゼ」なる奇妙な呼称も生み出される。 もっともこの造語、実際に住んでいる人々にはあまり好評ではない様だ。
ともあれ、都市計画シミュレーションゲーム「シムシティ」の画面を見ているかの如く、更地に建物がどんどん建っていく。
巨大なマンションが連なる群景が、浦安らしさの一つとなった。

そんな全てが順風満帆に思えた都市の発展は、隣接する東京湾の最奥部に唯一残された干潟「三番瀬」の埋め立て計画の凍結により風向きが少し変わる。
元々この埋め立て事業を前提とした都市計画であったため、幹線道路の不足が生じ、交通渋滞や防災上の問題等が顕然化してきた。 急激なマンションや商業施設の増加も、近隣問題等を引き起こしている模様。
インフラの再整備もなかなかままならぬ中で、今後この地域がどのように進展していくのか少し気になるところではある。

そして外せぬのが、東京ディズニーリゾートということになろう。 個人的にはあまり興味は無いが、この巨大テーマパークの外周道路を走る時、ここが日本であることを一瞬忘れさせる。
最近オープンした東京ディズニーランドホテルは、まさにディズニーランダゼイションの極地。 いや、ディズニー自体の施設に対する表現として、この単語の使い方は誤用だ。 むしろ、各地に蔓延するこの手の施設に対する本家本元の渾身の応答といった凄みを、その外観から感じとることが出来る。
隣接する住宅地に建ち並ぶハウスメーカーの住宅の向こう側に、ビクトリアン様式のこの「宮殿」が見え隠れする光景も、浦安ならではの風景ということになろう。

もう一つの浦安の風景である、かつての漁村集落のエリアについては、また後日。


東京ディズニーランドホテル北側外観
2009.08.17:リノベーション
※1

地上5階建て。築40年前後は経過しているのだろうか。

8月8日から16日まで、北海道の実家に帰省。 実家近傍を散策していた際に撮った写真が左記※1
廃墟ではない。 リノベーション中の道営団地である。
クラディング及びインフィル部材を全て一掃。 外装仕上げも高圧洗浄によって剥がされ、躯体素地が露わになった完全なスケルトン状態にまで還元しての改修工事。 周囲には既に改修を終えた住棟もあるので、それらを参照しながら工事の概要を挙げてみると以下の通り。
とりあえずは、北面に共用廊下を増築。 今まで二戸一階段方式であったものを、片廊下形式に改める。 そのことによって、共同階段の数を減らし、かわりにEVシャフトを新設。 また、戸境壁の位置も変更して1フロアあたりの住戸数を減らし、一住戸当たりの面積を増やすようだ。 掲示されている施工業者と工事区分を見ると、外部建具はアルミサッシと樹脂サッシによる二重窓。 新たに施される断熱材は発泡ウレタンとなっているから、外断熱改修ではないようだ。 その他、設備系統も配線・配管含めて一新されるから、居住性は格段に向上することだろう。
果たして、ここまでの大掛かりな改修工事が、建替え工事よりもメリットがあるのかどうかかは判らない。 しかし、同様の一棟丸ごとのリノベーション事業は、実施例が増えつつある。

現場から実家までの途上には、三角屋根住宅※2の増改築事例が散見される。
住宅メーカーの住宅に載せている三角屋根住宅のページに、増改築のパターンを5つに分類して載せている。 その中の「大規模増築型」に属する面白い事例が幾つも見つかった。 実家が立地する住宅団地内の全ての三角屋根住宅について、その経年変化を確認してみると面白いかもしれない。
勿論、そんなことをしても、何の役にも立ちはしない。 しかし、趣味とか興味とは往々にしてそんなものではないか。 規格型住宅が、その開発者の手から離れ、そこに住む人と共にそれぞれの歴史を辿る経過におけるリノベーションの実態。 そこには、開発者が想定していなかった生活の知恵や棲むことへの信念が表出する。 そんなことに目を向けてみるのも、ストック重視型社会へのシフトを志向する昨今の住宅産業の状況下にあっては、それなりに意義のあることかもしれない。

※2

実家が立地する住宅地内の一角に群をなして建つ三角屋根住宅。
かつては道内のいたるところに、似た様な景観が見受けられた。
この界隈は比較的旧態を留めたものが多い。
2009.08.08:花火

今年も、各地で花火大会が開催される時期となった。 私の居住地周辺では、先々週の土曜日に隣町、そして先週の土曜日に地元の花火大会が開催された。

隣町の花火は、家のベランダから見ることが出来る。
打上げ場所からの距離は約3kmなので、まずまずの臨場感を愉しめる。 しかし今年は、風に乗って低い位置に常に雲が流れるコンディション。 少々大きめの花火の多くは雲の中で炸裂し、仄かな光跡を雲の表面に映し出すという状況。 それはそれで妖艶ではあったけれど、なんだか勿体無いなぁといったところ。

先週土曜日の地元の花火も、今住んでいる集合住宅の最上階の共用廊下から観覧。 打上げ場所からは結構離れているのだけれども、夜景を愛でつつの観覧となる。 それに、遠方に別の地域で開催されている花火も望むことが出来る。 見る位置によっては、地元の花火と微妙にオーバーレイして面白い。
しかし、今年は風の流れが悪く、煙に半分程度が隠れてしまっていた。 先々週の隣町と同様、あまり良い状態とはいえず。 しかも、途中で数十分間中断するハプニングまであった。

そして、8月2日と3日は新潟県長岡市の花火大会。
昨年、市内在住の高校時代の同級生の御厚意で、18年ぶりに観る機会を得たことは、この雑記帳の場にも書いた。 会場の至近にありながら混雑とは無縁という最上の場所で観覧させて貰っただけではなく、二日間にわたって久々に盛夏の長岡を満喫することが出来た。
今年は残念ながら観に行けなかったが、ウェブ上には早速、評価の書き込みや動画の投稿が散見される。 それらを観ると、昨年以上に素晴らしい花火であったようだ。
発表によると、観覧者数は両日で88万人。 実際には100万人を超えていたという噂も出ている。
疎覚えだが、私が住んでいた頃は、いくらなんでもこんなことは無かった。 花火が始まる少し前に会場に行っても、座る場所を確保することが出来た。 今はなかなか難しそうだ。 そして、市内や近傍の宿泊施設も、開催両日は未来永劫個人で予約を入れることは不可能らしい。
今現在の居住地からの物理的な距離のみならず、何となく長岡花火が遠いものになってしまった感が無きにしも非ず。 せめて、昨年体感した臨場感をウェブ上の動画に重ね合わせ、雰囲気のカケラを擬似的に堪能することにしよう。

今日は北海道の実家に帰省するため、飛行機に搭乗する。 進行方向左手窓側の席を確保しているので、昨年同様、離陸直後に東京湾大華火祭の花火を一瞥できるかもしれない。

2009.08.01:鰊番屋

「ニシン漁家建築」のページに、伊達家番屋を追加した。
この番屋を観たのは二年前の春先。 つい最近のことだ。 以前から観に行こうと思いながらも、ずっと先送りになっていた。
観に行くきっかけとなったのは、それより少し前に、積丹方面に久々に出向いたことによる。 その際、除却されてしまった番屋の事例に幾つか遭遇した。 例えば、美国の磯野家番屋や余市の大村家番屋。
磯野家番屋は、改めて訪ねるまで見つけることが出来ずにいた。 ようやく所在地を特定して現地に赴いたのであるが、既に時遅し。 更地になっていたという次第。
大村家番屋は、幾度かその前を通っていたのだけれども、いずれも車窓から一瞬眺めるだけという状況に留まっていた。
結局、双方とも写真を撮る機会も無いうちに、除却されてしまった。 この事実に慌て、浜益から増毛方面の番屋も改めて久々に観に行くこととし、その際に伊達家番屋もようやく観るに至った。

事情はわからぬが、この番屋、定期的にメンテナンスが施されている様だ。 私が訪ねた時は、正面側の屋根が最近葺き替えられたような新しい状況だったし、妻側壁面の下見板も一部張りかえられていた。 他の多くの番屋とは少々状況を異にするといった様子であった。

状況を異にするといえば、伊達家番屋のページに載せた画像も、今までの私の写真とは少々変わっていることにお気づき頂けようか。 いや、私個人の勝手な意識でしかないが、これまでは、番屋単体を捉えることに終始していた。 だから、漁労施設でありながら海との関係が希薄な写真ばかりとなっていることに気づいた。
そんな近視眼的な捉え方への反省から、海や周辺の集落との関係で写真を撮ることを意識してみた。 勿論、そのような撮り方が可能な立地条件であったという面もあるが。

ところで、「ニシン漁家建築」のページの更新は久々である。 何だかあまりにもニッチなテーマであったかなという思いから、更新が滞っていた。
しかし最近、このページに対するコメントのメールを頂いた。 留萌にある花田家番屋を実際に御覧になってニシン番屋に興味をお持ちになったとのこと。 番屋に対するシンパシーの様な面で共感できる内容のメールであった。
同じような視点で番屋を観る方がいらっしゃることを嬉しく思う。

2009.07.25:不可解なモデル
「住宅メーカーの住宅」のページに移設(2010.09.04)
2009.07.18:渡邊洋治

建築探訪のページに、建築家渡邊洋治が事務所兼住居として自らが建てたビルを載せた。
現在は親族が管理しているとのことだし、その存在が広く公表されているという訳でもないようだ。 したがって、所在地についての記載は最小限に留めた。

この建築家の作品を初めて見知ったのは、新潟日報という新潟県のローカル新聞紙上であった。 もう三十年近く前のことになる。
同紙では当時、県内に建てられたユニークな住宅を紹介する「お宅拝見」という連載を組んでいた時期があった。 その中に掲載された上越市に建つ「田中邸」が、初めて見た作品である。
この個人住宅、二階建てでありながら階段が無い。 廊下を全てスロープとし、その廊下に諸室を連絡させることでそれを成立させた。 外観もその内部空間に合せて傾斜した箱型のボリュームで構成されている。

記事を目にした時、この様な住宅の設計の仕方もあるのかと驚いた。 保管してあった当時の新聞記事の切り抜きを改めて読んでみると、この斬新な住宅が単なる新奇性を狙ったものではないという印象を持つ。
スロープに取り付く各室の配置や連携はとても自然で無理が無い。 記事の中にも、「無理なく自然に二階まで昇ることが出来て良い」という施主の声が書かれている。 スロープに面した壁面には、ニッチや小窓がランダムに配置されている。 そこに様々な物を飾って愉しむ住人の写真が載せられている。
一年のうちの決して短くない期間を雪の中で過ごさねばならぬ立地条件において、楽しい屋内空間の創出は配慮すべき大切な事項だ。 そして当然のことながら、個人邸への全面的なスロープの導入は、渡邊洋治の師匠の更に師匠にあたる、ル・コルビュジエからのインスパイアなのだろう。

とはいっても、そこにコルビュジエのようなスマートさは無い。 思いっきり重々しいのだ。 これは氏の他の作品にも共通している。 ピロティにしろスロープにしろ、何かとてつもない量塊が必死になって地面から浮遊しようとしているかのような印象を受ける。
これは、御本人が豪雪地高田の生まれであることと関係するのだろうか。 いや、雪国生まれだから必ずしも重たい建築しか構想し得ないということは無いだろう。 しかしながら、私自身、薄くて軽くて透明な建築というのがしっくりこないのは、性格や嗜好のほかに、北国生まれの雪国育ちということが影響しているようにも思う。 だから異様なくらいに重たい渡邊洋治の作風は、逆に共感が持てる。 ちょと癖が強い感が無きにしも非ずではあるが・・・。

2009.07.11:【CD】The Greeting

アーティスト:
McCoy Tyner
曲目:
M-1.Hand in Hand
M-2.Fly with the Wind
M-3.Pictures
M-4.Naima
M-5.Greeting
※1
所在地:
札幌市中央区南3条西5丁目三条美松ビル4F
(移転前:札幌市中央区南2条西5丁目)
創業:
1961年

札幌に住んでいた頃、JAMAICAという名称のJAZZ喫茶によく通っていた。 細長い店内は照度が極端に落とされていてほの暗く、壁面の所々に、「会話禁止」といった小さな注意書きが表示されていた。
もっとも、会話をする客など一人もいなかった。 どの客も、背中を丸めて腕を組んで壁にもたれかかりつつ、大音量で流れるJAZZに身を任せていた様に思う。 そんな雰囲気の店内で、私もコーヒー一杯で数時間粘って極上の音空間を堪能していた。 今思い返すと、煙草の煙がモウモウとたちこめる環境で、よくもまぁ平気だったものだとも思う。
ちなみに、私が通っていたのは、現在地※1に引っ越す前の店舗の頃。 今は、気軽に会話も愉しめる店になっているようだ。

そんな店で、マッコイタイナーが率いるセクステットによるこのライブアルバムを初めて聴いた。 衝撃的であった。 即購入しようと思ったけれども当時は既に廃盤。 以降、十数年に渡ってCDショップに足を運ぶたびにチェックしていたのだが、七年ほど前にようやくCDで再販された。 勿論、購入。
短いフレーズを繰り返す民俗音楽調のM-1。 熱いアフロナンバーのM-3とM-5。 M-4の超絶技巧のピアノソロ。
なんといっても圧巻は、M-2である。 フリーキーなイントロに始まり、凄まじいスピード感でパワフルに展開するその曲調は、「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」というよりは、「フライ・ウィズ・ザ・ハリケーン」いったところ。 テーマ部分が、A-A-B-C-D-Aの62小節と、かなり変則的で大掛かりな構成だけれども、ペンタトニックコードによるいつものマッコイ節が大炸裂で、迫力ある演奏が展開する。

歳をとってきたせいか、肉体の極限に挑むようなスピリチュアルな演奏というのは、聴いていると少々辛くなるところが無きにしも非ずだ。 しかし時折、そんな音の大洪水を存分に浴びてみたくなることもある。

2009.07.04:梅雨・雨傘・建築

全国的に梅雨模様。 唯一、北海道には梅雨が無いというが、この時期には蝦夷梅雨とかリラ冷えと呼ばれる梅雨のような天候がある。
一般的に梅雨というと、じめじめした鬱陶しいイメージということになろうか。 しかし私は、とある経験をきっかけに、雨空が好きになった。 雷雨やゲリラ豪雨は困るが、シトシトと降る雨の中、傘を差してあても無く彷徨することが結構好きだ。
そのきっかけとなった出来事については別の機会に語るとして、春夏秋冬、様々な気候を持つこの日本において、梅雨こそが最も日本らしい風情であると言い切ってしまおう。
私が理想とする家は、深い軒庇に面して縁側が設けられたすまい。 その縁側に坐るかゴロリと横になって、シトシトと降り続く雨を愛でる。 今現在の居住環境では望むべくも無いが、いつかそんな家に住みたいと思う。 今はそれを望めない替わりに、近場の公園に出向いて東屋の下で降雨を愛でる。 そうして、理想とする住まいの疑似体験を愉しんでいる。

ところで、公園までの移動の際には、傘を用いることになる。 これがまた良い。
降雨時に差す傘は「建築」だと言い切ってしまおう。
ジークフリード・ギーディオンは、その著「空間・時間・建築」の中で、建築の原初の形態として、木の枝に架かる簡易な屋根を示した。 雨風をしのぐ根源的なシェルターとしての建築。
あるいは、ハンス・ホラインは、「Non-physical Environmental Control Kit」と称して、建築空間を幻覚するように処方されたドラッグでさえも建築になり得るという概念を提示した。
ならば、傘も、携帯可能な「建築」的利器と見立てても良いではないか。 自らが持つ傘の下に「建築」空間を知覚する。 そんな自己完結的な悟りと共に、降雨の中を彷徨する。
雨粒が水溜りに描く水紋に極上のミニマルアートを感じ、木々の葉にあたる水滴が奏でる心地よいノイズに聴覚を潤す。 そしてしっとりと濡れて一層濃い緑を見せる木々に視覚を癒す。 梅雨時の風情は本当に素晴らしい。

細野不二彦の作品、「ギャラリーフェイク」第24巻所収の「湿度」というエピソードの結末に、以下の台詞がある。

この先100年も200年も経とうと、日本人がドライになることなど、きっとあるまいよ!・・・日本列島に湿度がある限り。

梅雨のあとに訪れる苛烈な季節までのほんの僅かな期間、日本ならではの風情を愉しみたい。

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