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2009.10−2009.12
2009.12.26:再解釈の愉しみ

住宅メーカーの住宅のページにミサワホームのS型NEW及びSW型を載せた。 いずれも、昭和50年代に同社から発売されていた企画型住宅だ。
このサイトを開設した当初は、この二つのモデルについて作成する予定は無かった。 これだけではない。 先行モデルであり、既にこちらのサイトでも掲載しているS型やSII型についても作成予定は無かった。 理由は単純。 当時の同社の商品体系の中では興味が沸かなかったモデルだからだ。 本文にも書いたが、中庸なのである。 だから、能書きの一つの書きようも無い。
敢えて挑むなら、その中庸ぶりを手掛かりにするしかない訳だけれども、そこまでして書く程のことでもない。 だから、当時同社でS型系列としてラインアップされていたモデルについては、開設時から掲載しているミサワホームSIII型以外は作るつもりはなかった。

この系列の商品群に対する印象が少し変わったのは、昭和40年代の住宅産業への個人的な関心の広がりと関係がある。
当時の住宅関連書籍の中で見かけたミサワホーム・コア350の平面図に、キッチン廻りの二重の垂壁の存在を確認した。 これをきっかけに、このモデルが公表された1972年から1983年発売のSW型までの同社の商品群の一系列に、一つのストーリーが思い浮かんでしまった。
勿論それは、個人的な思い込みでしかない。 しかし、30年近く前の出来事。 再解釈を試みるのも面白い、そんな事象になりつつあるといってよかろう。 とある著名建築史家も、「歴史家の数だけ説がある」という旨、何かの講演会で言っていた。 ならば、一個人の勝手な思い込みを自己のサイトに提示するのだって良いではないか。
あるいは、最近は間取り図が住宅の魅力を伝える媒体として成立しにくい状況になりつつあるようだ。 私は最近めっきり読まなくなってしまったので認識も無かったが、住宅専門誌から間取り図の掲載が減りつつあるということが、知人のブログに書かれていた。
少なくとも、住宅メーカーやビルダーが供給する住宅については、売りやすさであるとか、あるいはそこそこに快適に暮らせるプランの定型化が進み、間取りの優劣が価値判断指標になり得なくなっている面はあろう。 以前も書いたが、プランニングに際し、過去の販売結果やマーケティングからのフィードバックに基づいて、定型をベースとした枝葉末節な微調整のみを延々と繰り返す作業を経験したこともある。 そこには、間取りによって新たな住生活を先導する気概も機会も、もはや存在しない。
であればこそ、プランが力を持ち得ていた時代の住まいについて、その間取り図の在りように拘ってみたいとも思う。

ということで、間取り図から導き出された物語の流れを紐解きつつ、S型以前のことも含めてS型系列の最終モデルであるSW型までを書き連ねてみたという次第。



2009.12.23:トヨタホーム

12月21日、愛知県豊田市に出張。
最近、たて続けに出張の予定が入ったが、単なる偶然。 いずれも、建物の外装に用いる部材の性能試験立会いが目的。
今回は、マンションのバルコニー等に設置するアルミ製手摺とパーティションの強度試験立会い。 東京から豊田市というのは、なかなかに微妙な距離なのだが、日帰り出張となった。
豊田市を訪ねるのは初めてのこと。 豊田駅からは、メーカーの担当の方の車で試験を実施する工場まで案内していただく。 途中、黒川紀章建築都市設計事務所の設計による豊田スタジアムと、その近傍の豊田大橋を眺める。 一瞥するだけに留まったが、そのデザインはどことなく甲殻類の巨大生物といった印象。

※1

これは、1984年にマイナーチェンジされたオークNEWの外観。 方形屋根や、左手妻側に台形状に張り出した玄関部分が、ややもすると箱の積層体という印象に陥りがちなユニット工法らしからぬ雰囲気を与えている。

※2
1950年6月に、コンクリート系プレハブ工法のユタカプレコンを事業化しているが、本格的な住宅市場参入は、1977年ということになるようだ。

※3
「住宅革命進行中−積水化学−ハイムに賭けるフロンティア集団<弘済出版社>」の記述による。

これ以外に目についたものというと、トヨタホームのオーク※1という規格型戸建住宅。 1982年2月に同社から発表されたモデルだ。
私は今まで、関東一円にて実物を観る機会は一件に留まっていた。 しかし豊田市内では、移動中の車中から何件も確認することが出来た。 さすがはトヨタ自動車の本拠地といったところか。

トヨタ自動車が、ユニット工法による住宅をひっさげて業界に参入したのは、1977年2月※2
この時期のユニット工法住宅の状況というと、先駆メーカーである積水化学工業(以下、「ハイム」)の成功を受けて、後続メーカーが次々と現れていた。
しかし、この工法特有の巨大な先行設備投資の必要性や、オイルショック等々の影響で、その殆どが数年で脱落。 結果、ハイムのシェアは1978年で86.1%※3という完全に独り勝ちの状態となっていた。
そんな中での新規参入。 後発であるためか否かは判らぬが、明らかにハイムとは異なるアプローチでユニット住宅に挑んでいたという印象はある。
つまり、ハイムがユニット工法ならではの直線的で機械的なイメージを全面に押し出すことで成功したのに対し、トヨタホームは住宅らしさの付与に重点を置いていた様に思う。 最初期モデルであるJA型にしても、事前の知識無しにそれをユニット工法と外観目視で判断することは、なかなか難しい。 とはいえ、「天下のトヨタにしては・・・」というレベルであったのは、当時の大方の評価の通り。
そんな同社が、ようやくその名に恥じぬモデルとして完成させたのが、このオークであったのではないかと思う。 プランニングについても、内外観デザインについても、いびつな点は散見される。 しかし、ハイムとは異なるユニット住宅としての方向性を、そこに見出すことが出来よう。
もっとも、個人的に好印象を持てるモデルとなると、1983年9月発表のアスペンまで待つこととなる。 この辺りについては、また別の機会に書いてみたい。

出張の目的である試験については、メーカーサイドの担当者が実に手馴れていて、段取り良くスケジュールがこなされた。 試験設備も充実している。 それに、試験を行いながら、補助で携わる若手にしっかりと指導を行っている様子にも好感が持てた。
初めて出向いたメーカーではあったが、こういった会社は、技術力に関しては信用して良いのだろうと思う。



2009.12.19:【書籍】「住宅」という考え方

書名:
「住宅」という考え方−20世紀的住宅の系譜−

著者:
松村秀一

出版:
東京大学出版会

発行年月:
1999年8月

※1

著者:
積水化学工業株式会社住宅事業本部 住宅事業本部20周年記念誌刊行委員会

出版:
積水化学工業

発行年月:
1990年3月6日

※2
積水化学工業が1970年に発表したモデル。
国内における量産型ユニット構法プレハブ住宅の草分け。
そのラディカルな内外観が話題を呼んだ。
その外観については、下記※3の後継モデル参照。

日本の住宅の歴史をまとめた書籍や資料は沢山ある。 しかし、その中に戦後の住宅産業という括りまで含まれたものとなると、ある程度限られる。
学術的に探求している専門家や評論家も数少ないようだ。 表題の書籍の著者は、その分野も研究対象としている数少ない専門家のひとり。 この書籍以外にも、多数の住宅産業に関する著作がある。

例えば、積水化学工業の社史「ユニット住宅の世界」※1にも、論文を寄せている。
社史全体の半分近くを割いて展開するその内容は、海外のプレハブ住宅の流れに始まり、国内における1960年代から1980年代にかけてのハウスメーカーの歴史。 だから、同業他社の動向や実績も仔細に綴られるという、一企業の社史としては異色の体裁に仕上がっている。 勿論、残り半分強に記述される社史としての本題、つまりセキスイハイム※2の開発史もとても興味深い。
とても魅力的な内容だけれども、社史だから市販はされなかったのだろう。 私は、図書館で目を通すに留まっている。

話がそれた。
表題の書籍は、著者があとがきで「英雄的な建築作品の世界からはみだしたような」と表現する住宅を中心に纏められている。 そこがとっても面白い。
特に面白いと思ったのは、最終章の「そして名もなき住宅たち」だ。 国内における戸建プレハブ住宅の草分けであり、販売実績からもはや現存しないと考えられていた「セキスイハウスA型」の廃墟を発見したことだとか、昭和40年代に開発されたプレハブ住宅団地の現況を観にいったこと等が書かれている。
建築業界のみならず、一般の人々にもあまり価値を理解して貰いにくいハウスメーカーへの熱い想い。 著者が一番書きたかったのは、実はこの章なのではないか、などと思う。

あとがきのエピソードにも共感できる。 外出先でメーカー住宅を見かけた際に、同行者にそのメーカー名と商品名を語っても、なかなか会話が成立しないという。
私もそうだ。 つい最近も外出先で同様のことをしたら、怪訝な顔をされてしまった。 まぁ、そうなることはわかっているのだけれども、言わずにはいられない。

※3

コンテナを積み重ねた様な外観。 実際の工法も、その様な形式による。

言わずにはいられなかった、そのメーカー住宅の写真を添付しよう※3
前述の積水化学工業のセキスイハイムだ。 遠目には最初期モデルの「M1」かと思ったが、直近で仔細に確認すると後継モデルの「MR」だった。 両者には外観目視でも判別可能な微妙なディテールの違いがある。 ・・・って書いても、「だから何だというのだ」と呆れられてしまうのだろうな。
いや、しかし、それなりの年月を経ることによって、なかなか味な風貌を呈しているではないか。 経年が事物に「何か」を孕むこと。 工業化住宅とて例外ではない。

話は変わるが、住宅メーカーの住宅のページに掲載している「ミサワホーム・コア350」について、図版や文章を一部改訂した。 また、申し訳程度に併記していた同社の「ホームコア」についても、改めて独立したページとして作りたいという気になってきたので、こちらのページからは一旦削除することとした。
趣味としてリアルタイムに追求していた昭和50年代のメーカー住宅と異なり、昭和40年代については今年に入ってから興味を持ち始めた。 従って、掲載した後にも新たに知る事項が色々と出てくる。 いや、40年代の資料に目を通す過程で、昭和50年代についても、新たに知り得ることとなった事項もある。 だから、この様なチマチマとした改訂が、住宅メーカーの住宅のページ全体にわたって、今後も発生するかもしれない。



2009.12.12:団地再生
※1
リノベーションを実施した住棟のうちの一棟の外観。
外部に新たに配置した共用排水竪管を隠蔽するために設けられたルーバー(向かって左側の黒い縦帯の箇所)が、外観デザインのアクセントとなっている。

UR都市機構が実施する団地リノベーションの試施工モデルを観に行ってきた。
場所は、東京都東久留米市のひばりが丘団地。 昭和35年から入居が始まった総戸数約2700戸(当時)の規模の大きな団地だ。 段階的に建替え事業が進められているが、その一角に残る三棟を利用して、URが開発あるいは共同開発してきた様々なリノベーション手法について、実際に試施工を実施。 その成果の一般公開に参加したという次第。

もともと一住戸当り35平米の2DKという規格化された画一的な空間を、様々なアイディアを駆使して今風の多様な住戸形式に作り変えている。
例えば、戸境壁の一部を取り払って隣接住戸どうしを連結して面積を二倍にした住戸。 上下階の床をぶち抜いて、メゾネット形式にした住戸。 あるいは、高齢者が住むことを想定した住戸提案や1.5層住宅等々。 詳細は、URのウェブサイトを観てもらった方がよかろう。
かつての典型的な四角四面の団地が、ちょっとした要素の付加で、現代的な表情を纏うこととなった外観※1も、なかなか良い。 要素の付加といっても、単なるデザインではない。 リノベーションのために生じる諸条件や要素を巧くデザインに活かしている。

※2
比較のために旧態が残された住戸の内観。

これらは、技術開発という範疇で捉えるならば、実に意欲的で魅力的な提案だ。
しかし、あくまでも開発レベルの話。 URが持つ大量のストックに対して、広く展開するとなるとなかなか厳しいのではないか。 ネックは当然のことながら、コスト。
私も、リノベーション事業の企画に携わったことがある。 実際には、オフィスビルから賃貸マンションへのコンバージョンであったが、事業主の興味の対象は、最小限の投資でいかに収益率を上げる用途変更が可能かというところにあった。 これは当然のことだ。 しかし、厳しい予算の中で一定の居住水準を満たす改修を行うことは、かなり難しい。 結局、文字通りの企画倒れという案件ばかりであった。
コストという現実とは別に、建替えと比較した場合の環境負荷の低減についてもしっかりと検証・評価する必要があろう。
建替えではなく再生を選択する際のクリシェとして、この環境負荷低減性が大きく掲げられる。 しかし、既存躯体という足枷せの中で居住性能を上げるために、実は無理や無駄が生じることは無いか。 全部壊して一から作り直した方が、かえって環境負荷が少ないなんてことがあるかもしれない。
実際、試施工を行った住棟も解体を前提としており、ゆくゆくは建替えを行うようだ。 果たして、リノベーションが建替えに勝る確固たるメリットは何か。 その辺の方向性がしっかりと定まっていないと、事業の積極展開は難しかろう。

見学会の最後に、アンケートへの記入を求められた。 そのアンケートの中には、見学した中で実際に住んで見たいモデル住戸を選択せよという項目があった。
これには少し悩んでしまった。 私が一番住みたい住戸。 それは、見学途上で見せてもらった、全く手をつけていない旧態のままの住戸※2であった。
程よく飴色に変色した木部の造作。 いい塩梅に煤けた左官仕上げの内壁。 パテでガラスを固定した極細のスチールサッシ。
今となっては、住みこなすことはなかなか難しいだろう。 しかしその空間は、新建材に囲まれたリノベーション住戸には望むべくも無い味わい深いテクスチュアによって満たされていた。
勿論、見学会の趣旨からいって、そのことを正直に書く訳にもいくまい。 無難なところで記入しておいた。



2009.12.06:金沢21世紀美術館

※1
氏の著書「原・現代住宅再見」の中に、その記述がある。

※2
同誌2003年5月26号の特集「がっかり建築」の中で記事になっている。

12月3日〜5日まで富山に出張。 とあるプロジェクトで採用する幾つかの部材に対する各種試験実施立会いを目的に、某サッシメーカーの工場に赴く。
正確には実際の出張は3日と4日の二日間。 5日は試験の都合で生じたオマケ。 富山県内といっても石川県寄りに工場が立地するため、宿泊先は金沢市ということになった。

金沢市内の建築としてすぐに思い浮かぶのは、金沢21世紀美術館。
しかし、実は私はこの手の建築は好きではない。 建築は、厳しい外部環境に拮抗して力強く屹立するものだと思っている。 だから、薄かったり軽かったり透明であったりといったイメージの建築は、観てもピンと来ない。
「この手の建築」と一括りにしてしまうことには異論もあるかもしれないが、例えば「せんだいメディアテーク」。 竣工したばかりの頃に開催された内覧会に参加したが、コンペ時のイメージは微塵も見出せない。 メッシュ状の不定形なチューブにより極薄のスラブをフワリと浮かせる構想を実現しようとした苦労は散見されたけれども、そこにあるのは重厚長大な鉄骨による量感溢れる表現。
結局、「この手」の建築手法には無理や限界があるのだという確信が、この時私の中に定着した。
金沢21世紀美術館の設計者の一人である妹島和世の過去の発表作にしても然り。
初期の作品「PLATFORM」は、藤森照信をして「非在の境地に達している」という婉曲的な表現で、現況が結構微妙な状態におかれているであろうことが示唆されている※1
また、日本建築学会賞作品賞を受賞した岐阜県立国際情報科学芸術アカデミーマルチメディア工房についても、メンテナンスが追いつかず悲惨な状況になっていることが、かつて日経アーキテクチュア誌で大きくとりあげられた※2
私も、「調布駅北口交番」や「ひたち野リフレ」、「パチンコパーラー I 」等々を実際に観ているが、あまり印象に残るものは無かった。

ということもあって、金沢21世紀美術館にも大して期待はしていなかった。
業界のお偉方が口を揃えて絶賛するからみんな有り難がっているだけじゃないの、などと高をくくっていた。 まぁ、実物を観ずにグダグダ言ってもしょうがないし、折角久々に金沢に来ているのだから、とりあえず観に行ってみよう。 竣工して暫く経っているから、結構悲惨な状況になっているかもね、などと半ばそれ以上はひやかしで現地に向かう。

見に行ったのは、出張二日目の夜十時少し前。
出張の行程を全て終え、取引先との会食も終えた後、夜の金沢でも散策しようかと独り足が赴くままに市内を彷徨している折に寄った。 だから、初めて観る同施設は夜景ということになる。


写真1:外観夜景

不覚にも、美しいと思ってしまった。 それまで持っていた「この手の建築」という括りでの先入観が一気に崩れ去った。
近接する兼六園や金沢城址の闇に向かって柔らかな光を発する透徹な意匠が、目の前に仄かに浮かび上がる。

翌日の昼過ぎ、再度現地に向かう。
内部は沢山の入場者でにぎわっていた。 無料で往来できる「交流ゾーン」には人々が自由に佇み、そこから見え隠れする有料の「展覧会ゾーン」も多数の観覧者が往来している。 これだけでも公共施設としては大成功だろう。
それに、内外共に竣工後五年も経っているとは思えぬほど綺麗であった。 管理が行き届いているのか、それともディテールがしっかりしているのか。 両方なのだろう。
外壁のガラス下端の床面に設けられた空調吹出しのスリットも、専門誌等で見た断面詳細図では強引に思えた。 これを図面通りに施工した建設会社の施工管理には驚かされるが、しかしその苦労とは裏腹に、ホコリが溜まってすぐに機能しなくなるのではないかと心配した。 しかし、掃除がしやすいようにメッシュが設けられている。 だから12月のこの時期でもガラス面が結露することなく、外部のランドスケープを愉しむことが出来た。 勿論、小さな結露受けもちゃんと設けられている。
ほかにも、間仕切り壁面の出隅の納め方や区画用の防火扉のディテール等々、繊細に見せるための配慮が満載だ。
それを実現した設計及び施工上の執念には驚嘆するしかない。


写真2:「交流ゾーン」の一角
  

写真3:外壁下端詳細

いままでの自分が、食わず嫌いであったことを認識せざるを得ない。 そんな建築鑑賞と相成った。



2009.11.28:柏崎雑記

新潟県柏崎市に日帰り出張。 目的は、風洞試験立会い。
建物に採用する外装部材が風に起因する騒音を発生しないか否かを、人工的に風をあてて試験をしてみようというもの。 で、その風洞試験施設として、柏崎にある新潟工科大学の設備を利用することとなり、出張と相成った次第。
東京から新潟県内への交通機関は極めて発達している。 従って、図らずも日帰り出張が可能になってしまう。 上越新幹線で長岡駅まで行き、そこから信越本線に乗り換えるというルート。 その長岡駅では、久々となる現地の空気を深呼吸する余裕も無く慌しくホームを移動するのみ。
その際、平静を装うと勤めつつ、しかしどうしても顔がほころんでしまう。 長く住んでいた街である。 たとえ、三代目道産子であろうとも、あるいは長岡弁が全く身につかなかったとしても、やはりこの街は特別な場所なのだと、改めて思う。
でも、とりあえず時間がない。 感傷に浸る暇も無く、柏崎に向かう。 途中の越路町で、車窓から宝徳稲荷大社の本殿を左手に眺め、「鰹木が異様に多いな」などと思いつつ柏崎に到着。 更に駅前から車で十数分。大学に到着する。

キャンパスは、高低差のある敷地を巧く利用した配棟計画が印象的。 手前側に広大な駐車場が整備されているが、学生専用のもの。 そりゃまぁ、車通学が主流になるのだろうなという様なロケーションに位置する。 開学が1995年とのことで、施設はとても新しい。
風洞試験室には数名の学生さんと外装材メーカーのスタッフの方々がスタンバイをしていて、早速試験に取りかかる。
あまり思わしい結果が得られぬまま昼となり、ファミレスでも探して昼食をと勧められるが、周囲はのどかな田園地帯。 どう見てもそういった類の商業施設が近場に有りそうな立地ではない。 「利用して構わないなら学食にしましょうよ」と答えて、皆で学食に向かう。 学食なんて十数年ぶり。 なんだか少し嬉しくなりつつ、390円の日替わり定食を頂く。 二層吹き抜けの開放的な空間が心地よい学食であった。
食事を終えて実験施設に戻る途中、建築学科の製図室の脇を通る。 私が学生の頃の製図室といえば製図台がずらりと並んでいたけれど、今はどうなのだろうと思って少し覗いてみたら、普通の机が並ぶのみ。 その机に、製図板を持ちこんだり、パソコンを持ち込んだりして、思い思いに製図に勤しむようだ。 隔世の感を抱く。 実験施設の脇の予備室には、使われなくなったドラフターが数台ホコリにまみれて放置されていた。

でもって、休憩の後に試験再開。 やはり芳しい結果は得られず。
試験実施は形式的な通過儀礼ではない。 結果如何によって、ダメなものはダメと言うことが必要になる。 そういった役回りは慣れていないが、毅然とその旨を伝える。 再試験のための改善方法について後日打合せを行うことを確認し、その日の予定を全て終了。

帰途も、時間的余裕は無し。 しかも、柏崎から長岡までの列車に遅れが生じたため、乗り換えの長岡では、新幹線ホームまで猛ダッシュを余儀なくされる。 車窓から一瞬、長岡の市街地の風景を一瞥するに留まる。
「今度出張する時は長岡に一泊させろよな」などと趣旨と目的を取り違えつつ、しかし一方で長岡への想いが募る出張であった。



2009.11.21:都市の佇まい

録画しておいたドラマ、実写版の「サザエさん」を観る。 11月15日に放映されたものだ。
録画してしまうといつでも観られるからといって放置してしまうという、よくない癖を持っていることは以前も書いた。 でも、今回のドラマの出来は結構評判が良い様子。 それに、実写版において磯野邸がどの程度リアルに造り込まれているかということに興味もあった。 ということで、それほど遅滞無く視聴することと相成った。

磯野邸については、既に様々な謎本の類で想定間取りが公表されているし、長谷川町子美術館にも模型が展示されているそうだ。 実際に、アニメでは具体的な間取り設定の下に家の中での各シーンが描かれていることも良く知られている。 明治の中頃に登場し、大正から昭和初期にかけて広く普及した中廊下プランによる典型的な日本家屋の形式が踏襲された構成だ。
ドラマでは、想定間取りと少々異なるのではないかと思われる箇所が散見されたものの、概ねリアルに再現されていたと思う。 この辺りは、視聴者からの突っ込みを受けないためにも、製作者サイドとしては力を入れたところなのではないか。
私は、この手の間取りの家に住んだ経験は無いが、どこか懐かしい印象を持つのは、日本人だからなのだろう。 かつての中流階級の生活の場として、平準的な都市近郊型の住宅が形成されている。

しかし今となっては、平屋といえども、まとまった敷地面積を持つ都心部近郊の戸建住宅。 それなりの資産価値があることになるらしい。 庶民には手に届かぬ恵まれた住宅事情。 遺産相続にはひと悶着がありそうだなどと予想する筋もある。
いや、いたずらに資産があると、相続税対策も大変だろう。 場合によっては土地を手放すことも有り得よう。 そうなると、ゆくゆくは購入した開発業者によって敷地が細かく分筆され、何棟ものミニ戸建が密集して建てられる可能性も出てくる。
まぁ、こんなことを考えだすと、「サザエさん」のイメージから遠のくが。

※1

都内某所のミニ開発戸建。
最初にこの前の道路を通った時は、樹木が生い茂る広大な庭の奥の方で、古めかしい日本家屋が取り壊されている最中であった。
そして一年後に再度訪ねた際の状況が、この写真。
一つの敷地を十一に分筆し、間口二間幅の三階建て住宅が建ち並んだ。

しかし、そんな事情を背景とするミニ開発※1がそこかしこに確認されるというのが、都市の現況。
ある程度の広い敷地を持つ、いわゆる「お屋敷」がいつのまにか取り壊され、そこに数棟の細長い戸建住宅がびっしりと建ち並ぶ光景。 「庭付き」などという言葉はそこにはない。 敷地境界と住棟の僅かな「隙間」を専有するだけの住まい。 果たしてそこまでして「戸建」である必要があるのかとも思えてしまうが、需要は確実にある。
現代の日本の都市における幾つかの典型事例の中の一つ。 かつての「磯野邸」も往時の典型例であった。 都市の典型的佇まいの在りようは、不動産事業を介して置換されつつ、時を超えて繋がるのだろうか。

話が飛躍してしまった。
ドラマの方は、大方の評価通り、良かったと思う。 片岡鶴太郎演じる波平が、キャラクターのイメージを守りつつも結構コミカルで、印象に残った。



2009.11.14:八日市場随想

町並み紀行のページに千葉県匝瑳市の駅前中心部、八日市場界隈の町並みを載せた。 この地は数回訪ねているが、いずれも市内にある飯高壇林とよばれる歴史的建造物を見に行くことが目的であった。

飯高壇林(いいだかだんりん)。
日蓮宗の教育と研究を目的とした、今でいうと大学のような機関。 その歴史は1580年まで遡る由緒正しき施設だ。 1874年の施設廃止以来、時間が止まったが如く旧態を留めて現在に至っている。
その施設の中にある1651年建立の講堂の修復工事が1997年から2002年にかけて行われ、その現場が工事の進捗にあわせ何度か一般公開された。 ふだんあまり目にする機会のない国指定重要文化財の修復現場ということで、公開のたびごとに訪ねた。

※1
「とち」は、木偏に羽と書く
板葺き屋根の一種。
屋根葺きに用いられる板材の各パーツが最もぶ厚い工法。

※2
雨の日に屋根工事の見学なんて大変だなと思われる方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、文化財の大規模な修復工事は、その建物全体を仮設建物ですっぽりと覆った上で行う。
だから、雨天でも問題なく見学することが出来た。
それに、当日は屋根工事だけではなく、壁面の左官工事や造作材の漆塗等の工事も並行して行われていた。
それらの見学会も催された。

屋根のとち葺き※1を行っている最中の見学会が2001年11月10日に開催された。
当日の天候は雨で、見学を終える頃には土砂降りとなってしまった※2。 ペーパードライバーの私は、駅から遠く離れた現地まで一日数本の路線バスを利用して赴いていたのだが、帰路のバスが到着するまでの待ち時間は二時間余り。 他の参加者は自分の車で三々五々帰っていく。 当日の参加者に知り合いはいなかったので、土砂降りの雨の中、一人だけその場に取り残されることとなった。
仕方がないので境内に建つ別の建物の軒下で雨宿り。 初秋の雨は冷たく骨身にしみる。 何となく心細くもなってくる。 しかし暫くしてフと辺りを見回すと、何とも奥ゆかしい光景が広がっていた。
境内に鬱蒼と生い茂る樹齢数百年の杉や椎の木を透過した雨粒が水煙となって辺りに立ちこめ、さながら長谷川等伯の松林図屏風の如き様相を呈していた。 寒さなど忘れ、その光景に見入った。
何度も書いているが、風景は一期一会。 雨の中に独りとり残され、そしてバスの待ち時間があったからこそ出会えた風景だ。
そしてこれも以前に書いたが、この体験以降、雨空の下での散策が好きになったように思う。

そんな体験をもしながら何度か訪ねた匝瑳市であるが、そのたびに駅前の商店街もそぞろ歩きすることになる。 何かがありそうだと予感させつつ、実際にはその何かの僅かな残照を確認するに留まる町並みに少々のもどかしさを毎回覚えたことは、町並み紀行のページにも書いた通り。
ちなみに、ここの市庁舎の設計は、故川島甲士によるということを、最近知った。 いずれ、建築探訪のページに載せたいと思う。



2009.11.07:木材会館
※1

設計:
日建設計

建築年:
2009年7月

所在地:
東京都江東区新木場1-18

JR東日本京葉線の新木場駅近傍に建つ。 この建物については、二つの誤解をしていた。

一つ目の誤解は、隣接して既に建つNECソフト本社ビルの別棟新築工事だと思っていたということ。
写真の右手に建つのが、NECソフト本社ビル。 その近接ぶりを視認して頂けよう。
あまりにも近接しているので、てっきり本社機構拡充のために別棟を増築したのだろうと勝手に考えていたのだ。 「増築するならば、少しは既存建物との調律を図るくらいの配慮が必要だろうに」などと思っていた。 たとえ既存建物のデザインが、ずば抜けて優れている訳では無かったとしてもだ。
しかし、この建物が一斉に建築専門誌に登場するに及んで、別棟ではなく独立した全く関係の無い建物であることを初めて知った。 知ったからといって、景観の断絶に対する違和感が払拭されるわけでは無いが。


写真1:外観※1

※2

設計:
MDS一級建築士事務所

建築年:
2002年11月

所在地:
東京都江東区新木場1-1-1

二つ目の誤解は、その表層に使われている素材。
「何だか木みたいなテクスチュアの外装材を採用しているな。」
「新木場だから、そうしたんだろうな。」
「でも、木粉入り樹脂成型板みたいな合成木材の類なんだろうな。」
などと高を括っていた。 でも、それは本物の木であった。

いずれの誤解も、電車の中から遠目に一瞥するのみに留まっていたために生じたものだ。
ということで、機会をみて新木場駅で下車。 建物近場まで足を運んだ。
前面の広場には、若い男女が一組、ベンチに座って佇んでいる。 「邪魔かもしれないけれど、私も前面の建物を観たいんでね。ちょいと失礼するよ」と、心の中でつぶやきつつ、彼らには構わずズケズケと広場の中央に進む。
しかしこれも第三の誤解であることを、数分後に知る。 彼らは同じ目的だったのだ。
太陽が雲に遮られて少し翳ってしまったため、天候が回復するのをベンチに座って待っていたのだ。 雲が流れ去ってファサードに陽が当たり始めた途端、高級そうなカメラを携えて辺り一体を徘徊しつつ外観写真を撮りまくり始めた。 より綺麗な建築写真を撮るべく、その瞬間を待っていたのだろう。 気持ちはよく判る。
同類なら気にすることは無い。 私も安物の小型デジカメを構えて写真を撮りつつ、そのファサードやディテールを暫し堪能する。

耐火建築物の外装に木を用いることは法的には様々なハードルがあったのだろう。 結果として実現したそのファサードは、単にデザイン的な面白さとは別に、屋内温熱環境向上や使用エネルギー量の削減といった面で高い効果が期待されるのではないか。
しかし、木のテクスチュアには経年変化が付き纏う。 経年で木そのものが銀灰色に褪色した時に、果たしてこのファサードがどのような雰囲気になるのか。 そして雨や紫外線が当たりやすい部分とそうでない部分で褪色の度合いも異なってくるだろう。 それが、どんな様相をファサードに付与するのか。 その辺が、興味深いところでもある。

ところで、木を積極的に用いた建物というと、この界隈には王子木材工業本社ビル※2という先例がある。
ガラスのカーテンウォールと木パネルのダブルスキンで外壁を構成。 木パネルは屋内側の配置だが、木の表情を外観に活かしたデザインを実現すると共に、年間暖冷房負荷低減にも効果を挙げているのだろう。



2009.11.04:北の国から

10月31日から11月3日まで、北海道の実家に帰省。
特に目的があった訳ではない。 日ごとの煩わしさから逃れてゆっくりと過ごしたかった次第。

10月31日。
羽田発の早朝の飛行機に乗るため、午前5時頃家を出る。 前日は、午後11時過ぎまで会社の上司とサシで飲んでいたので、少々つらい。 飛行機の中では爆睡だなと思ったけれども、席が窓側だったのでそうもいかない。 前にも書いたが、私は風景を俯瞰することが大好きだ。 若干の睡魔に襲われながらも、秋の日本列島を上空から愛でつつ、北の大地へと向かう。
二ヶ月半ぶりの実家周辺は、すっかり晩秋の風情。 とりあえず何もする気が起きず、家の中でゴロゴロして過ごす。
ところが、夜になって浴室で異常を見つける。 ユニットバスなのだけれども、壁パネルの入隅ジョイント目地下端と床面の隙間から水が滲み出している。 天井の点検口を開けて天井裏を覗いてみたけれども、天井フトコロ内の配管に漏水の形跡は無し。 となると、天井裏から混合水栓までの給水管立ち下げルート上に漏水箇所があるのだろう。 しかし壁点検口は無いので確認しようがない。 しかも仮にそうであったとしても、その水が壁の入隅部から出てくる原因は思いつかず。
親に確認すると、二日くらい前から床が常に濡れていて変だとは思っていたと言う。 これは絶妙なタイミングでの帰省だったのかもしれないなと思いつつ、しかし壁の内側で何が起こっているのかも分からず、水道の元栓を閉じて漏水を止めるのみにその日は留まる。

11月1日。
設備業者に連絡。 日曜日であったが、その日のうちに見に来てくれた。 やはり配管立ち下げ部分からの漏水だろうとのこと。 ユニットバスを構成するパネルが床勝ちで納まっているため、滴下した水が床の端部を伝わって入隅部の僅かな隙間から滲み出てきているのではないかとの説明。
補修には洗面室側の壁の一部を取り払って行うことになると言う。 点検口の類が無いのだから仕方が無い。 設計図書を確認すると耐力壁では無かったので、存分にどうぞということで補修をお願いする。 結果として最小限の穴あけで漏水箇所を特定。 補修及び復旧をして頂いた。
今の家は築15年。 外壁の補修を6年前、給湯器の交換を4年前に行っているが、今後も様々な修繕が必要になるのだろう。

11月2日。
目覚めると、不思議な天気。 東側は冴え渡る秋の青空。 西側は真冬の様な鉛色の厚い雲に覆われている。 地面には、粉砂糖をまぶした様に薄っすらと雪化粧。 空からは、時折チラホラと雪が舞い落ちる。
妖艶な空模様に誘われ、朝食の後片付け(帰ると一応これくらいの手伝いはやっている。)もそこそこに外出。 紅葉を堪能するには少しタイミングが遅かったが、冬の匂いを僅かに孕んだ冷涼な大気に包まれつつ、数時間かけて付近一帯をじっくりと散策。
午後は、曇りがちの天気だったので、家の中でおとなしく過ごす。 書斎の書棚に「白い国の詩」という東北電力発行の文化情報誌のバックナンバーが数十冊程あったので、それらに目を通して時間をつぶす。 実家が山形県新庄市にあった頃のものなので、1990年前後のバックナンバーになる。 いずれも、とても興味深い特集を組んでいる。 今も発行しているのかなと思って調べてみたら、年二回の発行という形態で継続している様だ。

11月3日。
冷え込みが厳しく、庭先には一面に霜柱が立っている。 しかし、予報とは異なり、まずまずの晴天。 昨日と同様、冬の装備で家の周囲を散策。 なにせ、住宅地から一歩外れれば、雑木林が広がるロケーション。 散歩場所には事欠かない。 コナラの落ち葉が積もる林の中の小径を、気が向くままに歩く。
もう、すっかり冬の一歩手前だなと思うけれども、週間天気予報では、また少し気温の高い日が戻ってくるとのこと。 そういった一進一退を繰り返しつつ、やがて冬が訪れる。 二ヵ月後の年末年始の帰省時には、この辺り一面が銀世界になっているのだなと思うと、一年って本当に早いものだと実感する。

ということで、思ったより天候に恵まれ、それなりに晩秋の北の大地を満喫出来た四日間であった。



2009.10.31:【書籍】建築知識

建築知識10月号の特集は、「設計事務所・工務店の[集客力]を高める方法」とある。 「大不況時代に打ち克つ戦略を徹底解説」するのだそうな。 特別付録として、「今日から始める![営業]基礎講座」というDVDまで付いている。
自営業でもなければ営業職でも無い私には、余り関係ない知識にも思える。 しかし、いつ何時どうなるかも不確定な世の中。 ということでページをめくってみると、Q&A形式でなかなか面白いことが書いてある。

例えば、「ブログを毎日更新すると仕事が獲れるか?」という問いに対する回答が、「結構獲れる。」なのだそうだ。 でもって、アクセス数アップのためのブログ作成のコツが記載されている。 曰く、「ブログの命は更新頻度である。」「内容を厳選するより更新頻度を増したほうが読者は増える。」
そうなのか〜。
しかし、その根拠が芸能人のブログというのが、少々解せない。 一挙一動が商品価値となり得る芸能人であれば、確かに内容よりも頻度ということは有り得よう。 でも、設計事務所や工務店の場合はちょいと勝手が違わないか?

更には、ページ構成の理想形として、「写真多め、文字短め」とも書いてある。 「文字だけの長文ブログは(中略)最悪だ。」とまで言い切っている。
最悪、なのか・・・。
私のサイトの各ページは、長文ではないけれども文字中心だから、「最悪」なのだな。 でも、画像に短くて軽いコメントを添えただけのサイトは見ていてもあまり印象に残らない。 載せた画像に対して、掲載者がどんな想いや所見を持っているのかといったところに興味が向く。 いや、画像なんて無くたっていい。 何らかの事象に対し、コメントや薀蓄が書き綴られている方が面白いし印象に残るし、あるいは勉強になる。
とはいえ、そういった価値観は、古風なのかもしれない。 それに、サイトの開設目的も様々だ。 営業ツールとして考えるならば、同誌の記載内容が正しいのかもしれない。

別のページでは、「ハウスメーカーの間取りのトレンドが知りたい」という問いに対し、「ハウスメーカーのプランや仕様には、設計者や工務店が学べることが多くある」とある。
これは正論だと思う。
よく、「ハウスメーカーのプランなんてつまんねぇ」という声を聞く。 確かに退屈な事例も多い。 しかし、時代のトレンドを掴むべく彼らがマーケティングに費やす執念は凄まじいものがある。 同じページに書かれているように、「生活者が望む最大公約数の姿」を求めて、並々ならぬ労力を注ぎ込む。
これは、とあるデベロッパーの販売部門と打合せをしていてイヤというほど実感させられた。 マンションの設計であるが、「この計画地でこの価格設定なら、ここの壁をあと5cmずらした方が売れる」とか、「こっちの部屋の広さを0.1畳削って、こちらの納戸を広く取る方が、このエリアでは高く売れる」いった言葉が頻繁に交錯する。 それらは過去の販売実績の動向分析から綿密に導き出された確固たる根拠の伴った指摘なのだろう。
ここまで来ると、いったいプランニングって何?という気もしてくる。 しかし、そこには確実に「リアルな生活の縮図」としての間取りが垣間見えるのではないか。

同誌ではこの特集以外にも、巻末の方に「現場の矜持」という連載を組んでいる。 その道一筋に修練を積み重ねてきた職人達へのインタビュー記事。 そこで発せられる言葉はいずれも深く、そして重みをもっている。



2009.10.24:空から日本を見てみよう

私はテレビをあまり見ない。 平日などは、朝の通勤前に時計替わりに点けておく程度。 時折、ツボにはまった番組を見ることもあるけれど、そんな番組は極々僅か。

しかし、久々に見てみようかなと思える番組が始まった。 テレビ東京で放映の、表題のタイトルの番組だ。
といっても、改めて調べてみたら、テレビ東京系列局って限られているのだな。 「見られないのに紹介されたって面白くねぇよ」って方は、公式サイトをご覧ください。
私も確認のために公式サイトを覗いてみたら、ナレーターの一人が伊武雅刀とは気がつかなかった。 でもって、とりあえずタイトルにある通り、空撮映像を基本とした探訪系番組。
私は、空撮映像が大好きだ。 この手の画像を一日中見ていても飽きないことは、以前もこの場に書いた。 そんな私にはたまらない番組になりそうだ。

基本は特定のエリアを空撮で巡ること。 とにかく淡々と空撮映像が流れ、伊武雅刀と柳原可奈子の掛け合いによるナレーションが入る。 そして時折、面白いスポットを地上に降り立って紹介するという趣向。 更には、ビルの屋上に一軒家を建てた「屋上ハウス」の事例や、先端が鋭角状の平面形態を持つ「トンガリ物件」の紹介等も織り交ぜられる。
初回は、二時間のワイド版。 東京湾岸を巡るというもの。 番組の最後の方に出てきた豊洲辺りの風景は、ナレーションにもあった通り、いつの間にこんな風景になったのだろうと思うほど、超高層建築物が林立する。

そんな豊洲の一角に住む知人宅のバルコニーから撮った夕刻の風景を載せておこう。 たまに観るのならば良い眺めかもしれないけれど、毎日観たいとは思わないな。


二回目の放送は、東京駅を基点に山手線沿いを反時計廻りに巡るというもの。 私の日々の通勤ルートでもある訳だけれども、空からの視点はやはり新鮮。 それに、初めて知ったことも多数あった。
しかし、途中まで見ていて少々不安になる。 「こんなにゆっくり紹介していては、とてもじゃないけれど、時間内に山手線を一周できないよ・・・」と。 実際、結局恵比寿駅界隈までで終了。残りは別の機会にということになった。
全体の四分の一程度しか巡れなかったのだけれども、これはこれで良い。 急いで全行程を紹介する必要など無いではないか。 個々のエリアの映像をゆったりと堪能できる欲張らない構成も、この番組の魅力であろう。



2009.10.17:祝津雑記
※1

著者:
樋口英夫/矢島睿

出版:
マリン企画

発行年月:
1980年9月

半分から下の写真はどこの海岸だろう。 砂浜は水揚げされた鰊で埋め尽くされ、その廻りに「モッコ」と呼ばれる道具を背負い、その中にニシンを詰んで倉庫へと運搬する人々が集まっている。 上半分は、屋根葺材が一部剥落した状態で寡黙に佇む無人の青山家出張番屋。
この書籍が発行された八年後に、私も初めてこの番屋を観た。 その時の写真を「ニシン漁家建築」のページに載せているが、その時点では、屋根葺き材が落ちた手前の部分は構造体も含め殆ど滅失していた。

写真家・樋口英夫の著作の中に、「日本のにしん漁」という写真集がある。
その表紙には、降雪の中に寡黙に佇む青山家出張番屋の廃墟と、豊漁で沸くかつてのどこかの漁場の写真が並掲されている※1。 あまりにも対照的なその二つの写真は、北海道におけるニシン漁の歴史そのものを実に端的かつ詩的に物語っている。
書籍中に掲載されている画像は、いずれもその撮影意図がしっくりと腑に落ちる。 但し、その内容は決して「もののあはれ」のみではない。 ニシン漁の技術、習俗、歴史等々、そこにまつわる様々な側面をまとめた資料的価値の高い写真集だ。

表紙に載せられた青山家出張番屋は、私もかなり感情移入していた。 小樽市祝津に建つこの番屋を初めて観た時は、既にその半分が滅失した状態。 そしてその横に、小樽水族館に併設される「祝津マリンランド」という遊園地が隣接する。
歓声が響き渡る享楽施設の脇に寡黙にたたずむニシン番屋の廃墟。 全く異なる二つの世界のあからさまな併置。 そんな状況に心打たれた。

見渡せば、その周囲にも似た境遇の番屋が散在する。
小樽水族館の広大な駐車場に飲み込まれそうになりながらも、その脇にひっそりと建つ白鳥家番屋。 泊村より移設された公開施設、田中家番屋に至る坂道の脇に、誰にも見向きされない近江家番屋。 これらのエリアに向かう途上に、これもひっそりと建つ茨木家番屋と、青山豊井出張番屋倉庫群。 更にその手前に茨城家の本宅と倉庫群。
マリンリゾートとして賑わうエリアに、かつての漁村集落の残影という、もう一つのレイヤが重なる。 これは何だか凄い場所だと気付く。
通りすがりに偶然見かけた寿都の佐藤家住宅がきっかけで持ちつつあったニシン番屋への興味が、これを機に一気に深まった。

以降、暫しの時がたち、その経過と共に状況も変化する。
白鳥家番屋は郷土料理店として再生したものの、動態保存の代償として、内部は一部を残して原形を留めぬ程に改変される。 青山家出張番屋と青山豊井出張番屋倉庫群は除却されてしまい、既にこの世に存在しない。 そして、このエリアに限らず、北海道の日本海沿岸に広く散在するニシン番屋を取り巻く状況は、大方が消失の方向にある。
用を成さなくなった建物が消え行くことは仕方が無いことであるが、記憶や記録には残されるべきだ。 そんな考えも込めて、微力且つ薄い内容ではあるが、個人的な想いを「ニシン漁家建築」のページに書き留めておきたい。



2009.10.10:酒田逍遥
※1
備考

設計:
谷口建築研究所

建築年:
1983

所在地:
山形県酒田市飯森山2−13

山形県の酒田市。
日本海に面するこの地を訪ねたのは、過去三回。

最初に訪ねたのは、1989年3月。
学校の春休みを利用して、その頃JRで扱っていた東北ワイド周遊券というフリー切符を利用して東北各地を廻っている折に寄った。
駅に降り立ち、広場の観光案内板を見ると、土門拳記念館が記されている。 建物の存在は知っていたが、酒田市にあるという認識は無かった。 駅からは結構離れているのでどうしようかと思ったが、とりあえずは、山居倉庫や本間家等、市街地に散在するお定まりの観光スポットを素直に巡る。 巡りつつ、その途上で目に留まった古民家を写真に撮るが、特に塔状の不思議な形をした洋風の建物が印象に残った。
そして数時間そぞろ歩きした後、土門拳記念館に向かう。 それまでは、建物に対する興味の対象は古民家や集落が中心で、現代建築にはあまり関心を持てないでいた。 しかし、この土門拳記念館(写真1)※1を目の前にして初めて、「建築」の空間を知覚した様に思う。 「建築」と「単なる建物」の違いを、その居住まいが深く静かに語りかけてきた。


写真1:土門拳記念館

※2

出版:
朝日新聞出版

発行年月:
1989年5月

その後まもなくして発刊された松葉一清著の「幻影の日本 ― 昭和建築の軌跡※2」の中では、この建築について「塗り込められた日本」という表現で言説を展開している。 的を得た言葉だと思った。
内外観に通底する印象は確かに「日本」であった。 そして前面に配置された大きな池の存在も、その雰囲気を補完する。
まだ春遠い東北の空には、鉛色の雲が重く覆い被さる。 その隙間から時折差し込む僅かな陽の光が水面を微細に照らし、そこに数羽の白鳥が静かに佇む。
記憶の美化もあろう。 しかし、とても静穏な光景であった。

※3
備考

設計:
池原義郎建築設計事務所

建築年:
1997

所在地:
山形県酒田市飯森山3-17-95

二度目の訪問は2000年2月。
JR東日本の「土・日きっぷ」というフリー切符を利用して出かけた。 山形県内の周遊が目的であったが、酒田市にも寄り、土門拳記念館と、その近傍に建てられた酒田市美術館※3を見学。 駅前で路線バスを調べたところ、日に数本の循環バスの中に酒田市美術館の前を通る便があることを知る。 その循環バスに乗って現地に向かった。
酒田市美術館は、杉板型枠を用いたコンクリート打ち放しの外壁にクラックが散見されて少々興ざめ。 しかし屋内は、練り尽くされた緻密な造作が折り重なるように展開する。 職員の承諾を得て写真を撮ろうとしたが、ディテールの洪水状態にアングルを決めようにも決められなかった。
その設計密度に驚嘆しつつ、いつもの悪い癖で展示品には目もくれず建物自体の納まりばかりを見て廻るが、その途上でバケツと雑巾を持って歩く職員に会う。 窓に生じる結露水を拭いて廻っているのだ。
外壁面に穿たれている開口に用いられているガラスはいずれも単板。 だから、この時期はガラス面が結露して大量の水滴がその下端に溜まるので拭いて廻っているのだ。 聞けば、毎日二回は全ての窓を拭いて廻っているという。 そのことを見越してか、開口の下端には大きな結露水受けのレールが通っているが、発生する結露水量は想定を遥かに超えていたという次第。
展示室以外のスペースの外壁面は、眺望を楽しむためにガラスが多用されている。 結構な重労働だろう。 更には、その結露のために折角の眺望も愉しめないとなると、何だかな・・・といったところ。

美術館を後にして、近傍の土門拳記念館に移動。
最初に訪ねた時とほぼ同じ季節に酒田を訪ねたのは、その時の体感を再度堪能したかったからだ。 しかし、状況は大いに異なっていた。 前面の池には、その水面全てを覆わんばかりのおびただしい数の渡り鳥でごったがえし、喧騒に支配されていた。
やはり風景は一期一会。 同じ場所、同じ時期だからといって、同じ風景に出会えることは稀だということだ。
私自身の心の問題もあろう。 前回は、時折雪がちらつく長い道のりをトボトボと歩いてようやく辿り着くという、半ば巡礼じみたプロセスがあった。 こういったプロセスの有無で、同じ風景を眺めても見え方が異なってくるのではないか。

三度目の訪問は、2006年10月。
前回同様、土・日きっぷを利用。 主な目的は、最初の訪問で見つけた不思議な搭状建物を再見すること。 あらかじめネットで調べて、駅前にレンタルサイクルのサービスがあることを把握していたので、到着してすぐに借りる手続きをとり、目的地へと向かう。 現存するかという不安があったが、ちゃんと建っていた。
その時改めて撮った写真を、建築探訪のページに載せたという次第。



2009.10.03:不可解なモデル_2

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