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2011.09−2011.10
2011.10.29:紙媒体

巷で“自炊”が流行っている。
ここで言う“自炊”は従来の意味ではなく、書籍を裁断してスキャニングし電子データ化する行為を指すネットスラング由来のコトバ。 会社でも、私物の小型アイロンと裁断機、そしてスキャナを持ち込んで業務時間外に自炊に勤しんでいる御仁がいる。

自炊の需要がそんなにあるならば、例えばハウスメーカーやマンションの管理会社などは、自身の顧客相手に自炊代行サービスを事業化すれば、結構安定した市場を確保出来るのではないかなどと思う。
勿論、事業として成立させるためには、著作権の問題や利益率の多寡等々、クリアすべき課題は多そうだが・・・。

ちなみに、私はこの自炊に手を染める気にはなれない。 どんな書籍であれ、紙媒体の情報として物理的に保管したいと思う。
このことに関し、知人が自らのツイッターで良いことを言っていた。 引用しようと思って検索をかけたが、みつからない。
確か、本を読むということは、単に知識を得るだけではなく、書籍を手に持った時の重量感や触感も含めて堪能することなのだといったツイートだったと思う。
その通りだと思う。

古書であれば、そこにカビ臭さであるとか、書籍そのものの損傷や紙の劣化といった要素も加わる。
自分がこの世に生を受ける以前に発刊された書籍で、目的とする情報が記載された年季の入った古書に接すると、よくぞ私に出会うまで残っていてくれたなどと、変な感慨が沸き起こる。 あるいは、古本市場に出してくれた元の所有者や、あるいは流通させてくれた古書店に感謝しつつ内容を堪能することになる。
そういった感覚は、電子化されたデータでは希薄になるのではないか。
最近、昭和30年代後半から40年代にかけて発刊された住宅に関する古書を入手する機会が増え、そのことをより強く実感するようになった。

もちろん、紙媒体だって有史以来のものではない。
紙が発明される以前は、石とか木とか粘土板等が媒体として使われていた訳で、それが紙に取って代わった時は、電子媒体に対する私の捉え方と同じ様な感覚を持った人がいたかもしれぬ。
それに、電子書籍の一般化により、一期一会的な状況に留まる古書との出会いの在りかたも劇的に変化するかもしれない。 そうなったらそうなったで、自らの価値観を変えていくしか無い。
しかし、今しばらくは、物理存在としての書籍を愛でる気持ちを大切にしたいと思う。



2011.10.26:新しい住まいの設計
※1

購入した「新しい住まいの設計」のバックナンバー二冊。
左が1963年発刊。右が1965年。
編集年の違いで、雑誌名とサブタイトルが逆転している。

昭和40年代のプレハブ住宅に興味を持つようになってから、当時の書籍を入手する機会が増えた。 といっても、書店に置いてある筈も無く、もっぱら古書を購入することになる。
この場合、ネットの検索システムはとっても有用だ。 全国の古書店の蔵書状況を、自宅に居ながらにしてある程度調べることが出来る。
しかし、ある程度の年代モノの古書は、その内容に拠らず凄いプレミアが付いている場合がある。 だから、目的に該当すると思われる古書を見つけからといって、手当たり次第購入出来る訳ではない。 そんな潤沢な資金など持ち合わせていない。 それに、定価の数十倍の価格が付いていたりすると、さすがに足元を見られているようで癪に障る。 更には、別の古書店で、同じ書籍がとても良心的な値段で販売されている場合だってある。
ということで、いろいろと留意しつつ購入することになるが、そんな中で最近入手した古書に、表題の雑誌のバックナンバーがある。

創刊が1960年。 モダンリビング誌と並ぶ老舗住宅専門月刊誌だ。
ところで、私が入手した創刊間も無い頃のバックナンバーは書籍のタイトルが微妙に異なっていて、「サンケイ家庭版」となっている。 で、サブタイトルとして「新しい住まいの設計」と表記されている※1
調べてみると、第18号まではこの体裁だ。 19号以降、メインタイトルとサブタイトルが逆転。 「新しい住まいの設計」という表記の傍らに小さく「サンケイ家庭版」と表示されるようになる。
更に、この「サンケイ家庭版」が表記されなくなったのは、いつ頃からなのだろう。

当時の同誌で面白いのは、グラビアや広告以外の各ページのフッターに、生活に関する豆知識が一文ずつ載せられていること。 その内容は料理から医学、掃除のコツ等々、多岐に及ぶ。
幾つか引用してみよう。

かつお節の虫よけには,新聞紙にくるみ,灰の中にうずめる。
黒砂糖はビタミンB1・B6・カルシウム,カリウムなどを含み血液の酸性を防ぎ糖代謝のビタミンを含む。
赤インクのしみ抜き法は米のとぎ汁が有効。

住宅専門誌でありながらタイトルに「家庭版」と掲げているための拘りなのだろうか。
書籍の入手目的は40年代のプレハブに関する情報収集であったが、このフッターの書き込みも、なかなか面白い。

そんな同誌も、今では「SUMAI no SEKKEI」というタイトルに変わっている。
単にアルファベット表記にしたというだけでなく、“新しい”という表示が取れてしまった。 もう、住まいには新しいことなど無いということなのだろうか。 あるいは、新味の追求に住宅設計の価値は無いという意図なのだろうか。
時代と共に、住宅専門誌の位置づけも内容も変容するのは当然のこと。 機会あらば、最新号と今回入手した約半世紀前の内容を比較検証してみるのも面白いかもしれない。



2011.10.22:【書籍】新・ムラ論TOKYO

書名:
新・ムラ論TOKYO
著者:
隈研吾
清野由美
出版社:
集英社
出版日:
2011年7月15日

隈研吾と清野由美による都市を題材にした対話形式の著作。
同じコンビによって三年前に「新・都市論TOKYO」という同様の形式の新書が発刊されている。 この場でも、2008年5月3日に読書感想を書いた。 その際、都市を検証する題材は無尽蔵だと記した。 だから、都内の別のエリア(題材)を対象に続編が出るかもしれないと思っていたら、この書籍である。
とはいえ、単なる続編ではなく、別の切り口で東京について語ろうという意志が、タイトルに顕れている。

「ムラ論」。
東京における“ムラ”とは一体何だろう。 読む前に自分なりに考えてみた。 何だか全く結びつかない概念である様にも思える。
いや、東京にも村が無い訳ではない。 奥多摩の山中にて、廃村じみた集落(というか、廃村にしか見えない)を訪ねたこともある。 しかしまさか、そんなことがこの書籍のテーマではなかろう。
前著にも、都心のトレンドスポットに“村”の概念を当て嵌めた言及がある。 その発展系なのかもしれぬと思いつつ、どんな言説を展開するのか興味を持ちながらページを捲った。
最初に、序説として隈研吾による“ムラ”論が綴られている。 歯切れ良い文章で、その内容は期待を裏切らない。

しかし、その後の本題はちょっと単調という印象。
戦後から脈々と醸成されてきた商業エリアに進行中の再開発事業に対しては、予想通りの批判的な切り口のみの展開。 あるいは別の章では、著者の幼少期の印象が絡みついた言説に終始。 更には、萌えの文化に纏わるユルユルな実況中継がダラダラと続く章。
前著の様な勢いやスピード感、そして何にも増して目からウロコの新しい発見が文章から見出せない。 但し、以前の“村”とは異なる“ムラ”の形成という状況が、今後の都市を考える上での題材になり得ることは、何となく判ったような気もする。
果たして都市が、あるいは建築家達の構想が、そんな方向に進んでいくのか。 そういった動向に関心を払ってみたい、といった程度の読後感に留まる書籍であった。



2011.10.20:ニッポン建設映像祭
※1

中銀カプセルタワー外観。
上映された動画の中には、カプセルを取り付けている様子も記録されていた。
個人的には、滋賀県で組み立てられたカプセルが、全く養生をされることも無くトラックで東京まで運ばれる映像が妙に印象に残った。

森美術館で開催中のメタボリズムの未来都市展関連イベント「ニッポン建設映像祭」を観に行った。
メタボリズム興隆期における国内の代表的建築作品の建設現場を記録した映像を紹介するというもの。 代々木体育館、出雲大社庁の舎、中銀カプセルタワー※1、大阪万博会場、そしてエキスポタワーの施工中の動画が流された。
設計者がメディアに登場することは良くある。 それに比べると、施工現場のことがクローズアップされることはあまり無い。 そういった意味では、いずれもとても貴重なものだ。
現在の品質管理や安全管理の常識から考えれば、卒倒してしまいそうな場面も散見された。 しかし、そんなことも含めて、上映された五編の映像はいずれもとても興味深い内容であった。

主催は、アンダーコンストラクション・フィルム・アーカイブ(UCFA)と森美術館。
UCFAは、散逸するこういった史料的価値の高い映像のアーカイブ化に取り組んでいるという。 人知れず埋もれ、そして経年劣化に晒されている貴重な情報の発掘と収集。 とても大切だし意義深いことだと思う。

前々回、不動産広告の新聞折り込みチラシに載せられている航空画像にも、郷土資料的価値が発生する可能性があると書いた。 専門メディアだけではなく、様々な事象の中に建築や都市に関する史料的価値の高い情報が埋もれているものなのかもしれぬ。



2011.10.15:図書館三昧_4
※1

栃木県立図書館のエントランス廻り見上げ。
開口部の周囲に設置された袖壁やバルコニー手摺、そして庇等に施された形態操作が、外観に表情を与えている。

宇都宮市内を散策したことについて前回書いたが、その際、栃木県立図書館※1に寄った。
内外観ともに、敷地の高低差を巧みに活かした建物。 その設計者や施工者については、ネットで調べてみてもなかなか情報を得ることが出来ずにいた。
ならば、実際に図書館に赴けば何か判るかも知れないと思った。

そんなことをしなくても、国立国会図書館に行けばあらゆる書籍や資料がストックされているのだから、色々と調べられるのではないかと思われるかもしれない。 ところが、必ずしも目的の情報に辿り着けるという訳ではない。
確かに国会図書館の蔵書は凄い。 しかし、原則全てが閉架書庫に保管されている。 利用者は館内の端末にて蔵書を検索し、目的の書物を探して閲覧を申請しなければならない。
だから、検索に引っ掛かる様なキーワードを思いつくか、あるいは書物の名称をあらかじめ知っていなければ、蔵書に巡り会うことは出来ない。

だが、開架書庫が充実した図書館であれば、状況が変ってくる。
目的とするジャンルの書架を直接巡ることで、思いがけぬ書籍や資料に出会うこともある。 「思いがけない」がゆえに、検索では引っ掛かりにくいのだ。
ということで成果はあって、栃木県立図書館の概要に関わる資料を同館内で見つけることが出来た。 この図書館については、いずれ建築探訪のページに載せたいと思っている。

一応ダメモトで館員に内観の写真撮影が可能か聞いてみた。 許可申請が必要との回答。 まぁ、良くある普通の応対だ。
かつて別の公立図書館で、軽い気持ちで撮影したい旨申し出たら大袈裟な手続きを行うことになり、更には厳重な監視の下で撮影するハメになった。 そのことは、2010年4月29日の雑記にも書いたので繰り返して書きはしないが、同じ様なことになっても面倒だ。
それに、私の撮影のセンスと携帯していたコンデジのスペックでは、栃木県立図書館の内観の特徴を撮り収めることは、まず不可能。
そんな魅力のある構成の内観なのだけれども、竣工は1971年。 なかなかに年季が入っているという感は無きにしも非ず。 近傍では、大高正人の傑作、栃木県庁舎議会議事堂が除却され、跡地には芝生広場が空疎に広がっている。 栃木県立図書館も同時期に建てられた施設なので行く末が気になったが、12月から耐震改修に入るという。
延命が図られるようだ。



2011.10.13:徒歩の視点、自転車の視点

10月8日〜10日の三連休。
特に予定は立てていなかったが、静岡にでも行ってみようかと漠然と考えていた。 なぜ静岡かというと、市内にミサワホーム55事業認可後に初めて整備されたタウンハウス「フレッシュタウン川合」が現存するから。 最近、その場所を特定。 いずれ観に行こうと思っていた。
それでなくても、静岡市内は、かの磯崎新のグランシップが竣工した際の内覧会に出向いた折に少々巡った程度で、じっくりと散策したことが無い。 よい機会だと思い立った次第。
でもって9日、気合を入れて早起きをして東京駅に行くと、東海道新幹線が車両トラブルで運休との放送が流れている。 どうしたものかと暫し考え、急遽宇都宮に行き先を変更。 移動時間や運賃がほぼ同じという、あまりにも安易な方針変更。 しかも、後で知ったのだけれども、運休区間は名古屋―新大阪間のみであったようだ。 ということは、早とちりな方針変更でもあった訳だ。
しかしながら、そこは一人旅の気軽なところ。 東北新幹線にて宇都宮に赴く。

仕事以外で同市を訪ねるのは三回目。
最初は1990年代半ば。 大谷石で有名な大谷地区の散策を目的とした。
二回目は、2007年の2月。 大高正人設計による栃木県議会棟庁舎が解体間際だとの情報を聞き、慌てて観にいった。
初回は路線バスと徒歩。 二回目はレンタルサイクルを利用しての散策であった。 こういった場合、一般的にはレンタカーを利用するのだろうか。 しかし何度も書いているように、私は完璧なペーパドライバー。 その選択はありえない。 逆に、街の散策に車など邪道だと開き直り、徒歩か自転車か公共交通機関の利用と相成るのが常。

今回もレンタルサイクルをと思い、到着後、駅近傍の施設に赴く。 手続きをしようとしたら、身分証明書の提示を求められ愕然とする。 当日は一切持ち合わせていなかった。 これも、急遽行き先を変更する行き当たりばったりな行動のせい。 やむなく、徒歩による市内散策と相成る。
宇都宮まで移動中の新幹線の中では、時間と体力に余裕があれば久々に大谷辺りまで自転車で行ってみようかなどと考えていたが、その計画はあえ無く頓挫。 やや気落ちしつつ、駅周辺をトボトボと歩き始める。
とはいえ、徒歩には徒歩の良さがある。 自転車だと広範囲を巡ることが可能なため、ついつい欲が出てしまって様々な場所に向うことになりがちだ。 結果、個々のエリアの観察が疎かになる。 しかし、徒歩の場合は行動範囲が限定される。 その分、個々の佇まいをじっくり鑑賞しようという気になる。
あるいは、現地の図書館に寄って郷土資料等の調べものに時間を費やしたり、あるいは市内のお店でゆったりと食事に時間をとることも出来る。 ということで、自転車を利用していたのでは見えてこなかったであろう様々な事象をゆっくりと堪能する一日となった。

成果の一つという程でも無いが、栃木県保健福祉会館の写真を取り直したので、建築探訪のページの画像を差し替えた。



2011.10.08:レーベン長岡
※1
新潟県長岡市を中心に、県内各所にて配布されているフリーペーパー。
地元の歴史や文化、そして人物やアート等を取り上げている月刊情報誌。

寄稿した文章が載せられた「マイスキップ※1」の10月号が届いた。 今回私が書いたのは見開きの特集記事。 内容は、長岡駅大手口界隈の70年代から80年代の様子を振り返るというもの。
記事を企画した編集担当の方は、長岡市内でアトリエZenを主宰するアート作家。 創作活動とは別に、アートイベントの企画やコーディネート等も行っていらっしゃる。
そんな仕事の中の一つに、FATOというカフェに併設したギャラリーのコーディネート業務があるのだそうだ。 長岡駅から徒歩五分程度の場所に建つ「レーベン長岡」というマンション内に構えられているお店。
私はまだ訪ねたことが無いが、しかしこの物件名称はなぜか聞き覚えがあり、少々気になっていた。

その理由が、最近になって判った。
何と、この物件の分譲時のチラシを保存していたのだ。 建築探訪のページに載せている「団地・集合住宅」の項のネタを探すために古いスクラップ帳を眺めていた折、そこに保管していたチラシの一つが、同物件であることに気付いた。 確認してみると竣工が1984年9月30日ということだから、もう27年以上前のチラシだ。
特に興味深いデザインのマンションという訳ではない。 むしろ、片廊下形式の凡庸な集合住宅である。 にもかかわらず広告を保存していたのは、当該物件周辺の空撮画像が載せられていたため。
この場に何度も書いているが、私は都市の俯瞰画像を見ることが大好きなのだ。 そんな趣味は、当時においても同様であった。 普段見ることの無い空からの市街地の様子に興味を持ち、保管することと相成った。
残念なのは、航空画像のところだけをスクラップしていたこと。 その頃の悪い癖で、お気に入りの写真とか図版の箇所だけを切り刻んでスクラップ帳に入れてしまうのが常であった。 今だったらそんなことはせず、原型のチラシのまま保管するのだが・・・。
しかし、そこにあるのは紛れも無い27年前の長岡市街地の状況。 今となってはなかなか貴重な映像記録である。 ということで、この場に転載することにしよう。


市内在住の方であれば、現存せぬ建物をこの画像の中に見つけ、懐かしんだり愉しんだりすることが可能なのではないか。
あるいは、当該物件「レーベン長岡」の立地場所についても一目瞭然であろう。 機会あらば、一階にあるカフェを訪ねてみるのも良いかと。

不動産広告において、こういった航空画像を掲載する事例はとても多い。 いずれも近い将来、とても貴重な郷土資料になり得るかもしれぬ。



2011.10.06:無印良品の家

無印良品の有楽町店に行く。
お目当ては、「無印良品の家」のモデルハウス。 それ自体への興味というよりは、店舗内に設けられているという様態を実際に観てみたいという気持ちから、歩を向けた。
エスカレーターで二階に昇ると、真正面にモデルハウスが見える。 二層の吹抜けの天井の高い空間に、二階建ての住宅がそっくりそのまま建てられている。 家造りへの興味が無い来店客にも、必ずこのモデルハウスの存在が視認されることになる。 あるいは、無印良品が住宅事業をやっていることを知らない人にも、強力にアピールすることが可能である。
無印良品の雑貨を購入する目的で店を訪れ、たまたまモデルハウスが目に留まったことがきっかけで「無印良品の家」を建てることになったという家族が続出するかもしれない。

ということで、期待できる集客力は総合住宅展示場の比ではない。
総合住宅展示場を訪ねるのは、住まいを建てたいという明確な意志を持つ人が大半だ。 稀に、建てる意欲もないのに単なる住まいへの興味だけで施設内を徘徊するかつての私の様な人間もいるかもしれぬが、いずれにしても、来訪者はある程度限定される。
商業施設内モデルハウスが今後普及すれば、既存の総合住宅展示場にとっては大きな脅威となろう。

但し、店舗内モデルハウスにも弱点がある。
それは、リアリティに少々欠けること。 屋内空間に展示されることで、何となく舞台の背景か映画のセットの様な印象を受けてしまう。 それに人工照明の下に置かれているので、実際の様々な天候における外装材のテクスチュアが確認出来ない。 この二つのために、言葉として何だか変であるが、「モデルハウスの実大モデル」を観ているという感覚になる。
既存の店舗内の一部をあてがって展示したためにこの様なことになっている訳であるが、今後新規店舗等で展開する場合には配慮が必要なのではないか。 例えば、半屋外的なモデルハウス展示想定スペースをあらかじめ設定するとか、展示スペース近辺に外光を多く取り入れることが出来るようにする等々。
ともあれ、「無印良品の家」の試みが、今後の住宅市場にどんな影響をもたらすのか。 少々楽しみではある。



2011.09.30:建築の祭典

東京国際フォーラムを中心とした丸の内地区で開催されている、国際建築家連合によるUIA2011東京大会第24回世界建築会議。 そして六本木ヒルズの森美術館で開催中のメタボリズムの未来都市展
何やら大きな建築のイベントが二つ、都内で同時並行開催中である。

東京国際フォーラムの所々にデカデカと掲げられた明朝体の“建築”の二文字に心なしかトキメいてしまうのは、かつて建築学徒であった者の哀しき性か。
そのガラス棟のカーテンウォールには、有名建築の外観を単純なポリゴンに置換したポスターが並ぶ。 カラースキームも含め、とっても良い出来。
流石に建築のイベント。 巨大なカーテンウォールを活かした優れたデザインの仕掛けは、建築関係の大イベントが開催されていることを一般人にもアピールすることに成功している・・・と思う。

一方の森美術館は、久しく足が遠のいている。
前回訪ねたのが、アーキラボ 建築・都市・アートの新たな実験展だから、2005年のことになる。 この時初めて、ダニエル・リベスキンドの「シティ・エッジ設計競技案」の模型の実物を拝めて感動した記憶がある。
今回の展覧会は、久々に行ってみたいと思う内容が満載。 興味深いパブリックプログラムにも参加申し込みをした。
しばらくは、六本木を訪ねる機会が増えそうだ。



2011.09.27:浦安逍遥

9月4日に放映されたテレビ東京系列の「完成!ドリームハウス」。 紹介された二件の内の一つは、浦安市内の9坪の土地に建築面積5坪の住宅を建てるというもの。
浦安はかつて住んでいた街でもあるので、ちょっと興味が沸いて番組を視聴した。 そしてテレビに写る現場周囲の風景から、場所についてのおおよその見当も付いた。
で、後日現地に赴くと、予想していたエリアにてこの家を発見。 見通しが利く直線の公道が交差する角地という立地条件のため、見つけ易かったということもある。

現場は、隣に三棟のミニ開発戸建が建ち並ぶ。
それらに隣接した角地でありながら、三棟を分譲した開発業者が手を出さなかったのは、敷地面積の狭さのためであろうか。 もしもそんな経緯だとするならば、その敷地はミニ開発戸建の事業用地としても見放された狭隘土地ということになる。
そんな厳しい与件を逆に活かすのは、建築家の職能の一つであろう。 結果として完成したその家は、あきらかに周囲の家並みとは異なった個性を放っている。

あまりジロジロ観察していると御近所から怪しまれそうなので、サラっと外観を眺めるのみに留め、すぐにその場を去る。
で、その周辺をあてもなく散策。 場所によっては東日本大震災による液状化の被害を受けた住宅が散見される。 5坪ハウスの周辺は目視の範囲では被害は無い様であるが、その近傍には沈下により傾きが生じたままの家が集中するエリアもあり、埋立地の危うさを実感する。

そんな界隈には、昭和40年代のものと思しきプレハブ住宅も散見され、見つけるたびについつい足が止まる。
当時のプレハブ住宅は、構造形式の違いによる差異以外にメーカーごとのデザインの違いが殆ど見出せない。 どこのメーカーのどのモデルなのかということを判別出来る様になるためには、まだまだ知識が不足している。
ただし、一つの傾向に気づいた。 それは、いずれも建てられてから40年近くになる経年の中で、しっかりメンテナンスが行われている事例と、そうでない事例にハッキリと分けられることだ。

「長期優良住宅」という言葉がある。 それを実現するべくメーカーや工務店から華々しく喧伝されている特別な技術や仕組みは、実はあまり大きな意味をなさないのでは無いかと思う。
そんな事々よりも、適切なメンテナンスを適切なタイミングで確実に実施すること。 それが、優良なストックを醸成する必要条件なのだという事実を、昭和40年代プレハブの現況が如実に物語っている。



2011.09.23:新・間取り考

ハウジングトリビューン誌のVol.415の特集に表題の文字を見つけ、思わずページをめくる。
何度か書いているけれども、私は住宅の間取りを見たり考えたりすることが大好きだ。 広告などの中に気に入った間取りを見つけようものなら、一日中それを眺めていて飽きることが無い。
しかるに、「新・間取り考」とは何ぞや・・・。

最初に、有識者数名の間取りに纏わるインタビュー記が載せられている。
読み始めて、ガッカリ。
記事の中には、世間の耳目を集めた凶悪犯罪の舞台となった家の間取りを載せて、こういったプランりは宜しくないといった言説を展開しているモノがある。 その間取りは家族の関係を崩壊させるとまで書いているが、眉唾だ。
間取りそのものが、個々の家族の生活様態に著しい影響を及ぼす力なんて、そんなに備わっているものではないと私は考えている。 仮に有ったとしても、それは副次的なものに過ぎぬ。 あくまでも主体は家族の側にある筈だ。
こんな書き方をしてしまうと、まるで建築家の職能を否定してしまっているみたいだが、それも違う。 建築家の役割に、住み手の暮らしに対する意志をデザインすることが含まれているのは間違えない。 でも、その意志の範囲を超えた諸問題を間取りで解決するなんてことは、建築家の芸当ではない。 建築家は神様ではないし、ましてや詐欺師でもないのだ。
そして、家が変われば自分達も変わることが出来るなどという希望的観測も、家造りの際に往々にして陥りやすい錯覚でしかないことを認識する必要もあろう。 やはり、主体はヒトの側なのだ。
この記事以外にも、例えば古民家の形式を礼賛するものなどもあるが、それは単なる懐旧であって、どこが「新・間取り考」なんだ?という思いに駆られる。

と、記事に失望しつつページをめくり続けると、今度はハウスメーカーの最新モデルの紹介となる。 間取り特集だけあって、プランがクローズアップされ、外観やインテリアの図版が極めて限られているのは、最近の住宅雑誌の傾向と一線を画していて、ちょっと痛快。

そんな中で、大和ハウス工業のHAPPY HUGモデルIIに目が留まる。 私の個人的な間取りの好みが、各所にツボを押さえて備わっているところが心憎い。
一階中央に据えられた和室。その南側に配置された縁側と土間。 その土間が玄関から伸びる通り庭的な扱いになっているところは実に巧み。 玄関から直接アクセスできるキッチンも動線的には理にかなっているし、更に水廻りとの連携も家事動線に配慮されている。 そして和室を取り囲むように「みんなのイバショ」と名付けられた二種の異なる空間を配置してある点も面白い。 リビングとかダイニングといった室用途を限定しない融通無碍な生活シーンの展開が可能な提案だ。
二階は、一階和室上部の吹抜けに囲うように、夫婦と子供が微妙な距離を保ちつつ向かい合える構成。 上下階のトイレの位置がピッタリ一致していることも、個人的にはツボだ。
久々に、モデルハウスが有ったら訪ねてみたいという気にさせる間取りである。

他にも、旭化成ホームズのヘーベルハウス そらのま+も、興味深い。 細かなところまで良く練られたプランだと思う。
詳細は、長くなるのでまた別の機会に。



2011.09.17:【書籍】新建築2011年9月号

“エコロジーやエネルギー問題が大きなテーマとなった今日ですら、大方は新しいテクノロジーの開発によってこれらの問題を解決できると信じている。 しかし、真の問題解決はテクノロジーの開発にあるのではなく、技術万能近代主義的思想を変えることにこそあるのではないか。”

新建築誌の9月号に収録されている伊東豊雄の文章の一部。
いきなり引用したのは、今号が、この文節の中で提示されている二項対立そのままの様態を呈しているという印象を持つため。
前者の「テクノロジーの開発」に依拠した取り組みに関し、日建設計の「ソニーシティ大崎」が当て嵌まることは言うまでも無かろう。 三分一博志による二作品も、日建設計のそれとは手法が全く異なるが、環境制御の技術的解法をデザインの手掛りにしている点では、前者に属するのではないか。
一方、後者の「技術万能近代主義的思想を変えること」は、それこそ伊東豊雄御本人の三作品や妹島和世の作品が志向する事項なのであろう。 しかるに、両氏の作品にその片鱗を見出すことは可能であろうか。
なるほど、そこに実現されているのは、とても斬新なデザインだ。 しかし、環境制御のための新規技術開発をモノの見事にデザインに昇華した「ソニーシティ大崎」を最初に見た後では、「だから、何?」といった感想しか持てない。
勿論、「ソニーシティ大崎」にも疑問はある。 いろいろな技術を駆使したことは素晴らしいけれど、それによって如何ほどの成果が挙がったのかという点の言及が殆ど無い。
三分一博志の作品も同様。 「環境問題解決のために、とにかく一生懸命がんばってみました」という報告に留まっている。
これは編集の仕方の問題でもある。 この手の作品の価値判断には、経年における環境効率の評価を伴う必要があろう。 であるならば、初物の掲載に拘る新建築の編集方針では、本当の価値を伝えることには限界が生じる。
とはいえ、「ソニーシティ大崎」の試みは大きな一歩。 21世紀における巨大建築が喫緊に取り組まねばならぬ課題に対し、技術面で果敢に臨んだ傑作だと思う。

今号では、この「ソニーシティ大崎」を最初に紹介し、そして一番最後に槇総合計画事務所の「ワールド・トレード・センター タワー4」を掲載している。
この構成によって、もう一つの対立軸が発生しているという印象を持つ。
「ワールド・トレード・センター タワー4」は、デザイン手法的にも建設技術的にも、そして不動産事業的にも20世紀に開発され磨かれたテクノロジーの駆使に留まる。
巨大建築に関し、新しい世紀における在り姿を提示しようとした作品と、前世紀の手法に依拠した作品の並置。 新旧の対比を最初と最後に示し、その間にテクノロジーの位置づけに関わる対立軸を挟み込むという、二重の二項対立による作品紹介の組み立て。 勿論これは私の勝手な解釈だけれども、編集サイドにそんな意図があったとするならば面白い。 そして、その二種の対立事項の双方に「ソニーシティ大崎」が関わっているところに、今号におけるこの作品の位置づけの大きさを見て取ることも出来る。



2011.09.15:トラス
※1

旧栄小学校の体育館の屋根架構詳細。 木構造のラチス格子と円を伴う鋼材トラスによるハイブリッド構造。

長岡市を中心に配布されているフリーペーパー「マイスキップ」の9月号が届く。
ページを捲ると、県内に現存する旧栃尾市立荷頃小学校で開催されたワークショップに関する記事が掲載されている。 会場となった体育館の内観写真に思わず目が留まる。
屋根を支える架構の鋼製トラスが、とっても繊細だ。 果たして、構想段階において美しさという点が介在する余地が有ったのか否かは知る由も無い。 単に、与件に応じて実施された機能的・技術的な対処の結果でしかないのかもしれぬ。 しかし、圧倒的な荷重を骨太の架構でガッチリと受け止めるというよりは、細い断面の構造材の集積によってフワリと受け流しているといった印象。 そんなところが美しい。
と書いても、実際の写真を載せなければ、何が何だか全く判らないところが申し訳ないのだが・・・。 まぁ、機会があれば現地に赴いて実物を堪能し、ついでに写真にも収めてこの場に紹介することにしたい。

手元に写真がある事例としては、例えば、北海道の旧美唄市立栄小学校なども、手法はまるで異なるがなかなか個性的だ。
廃校となり、今はアルテピアッツア美唄というアートスペースに転用されている。 その体育館の屋根架構を撮ったのが左の写真※1。 斜材を、両側から鋼板で作った正円で挟み込むディテールが確認できる。 力の伝達においてどの様な機能性があるのかよく判らないが、この形態はここの体育館で初めてお目にかかった。
そして、同じ北海道内だと増毛町立増毛小学校の体育館の木製二重梁トラスも素晴らしい。

増毛小学校の開口が1936年。旧栄小学校が1950年。そして旧荷頃小学校の体育館も昭和初期頃の建築なのだそうだ。 こういった時期における学校の体育館に用いられる屋根架構は、色々と追求する価値があるのかもしれない。



2011.09.11:総合住宅展示場

前々回、家電量販店内にモデルハウスが建つ今までに無かった光景が普通になるかもしれないと書いた。 しかし、特定の敷地に各メーカーのモデルハウスが建ち並ぶ総合住宅展示場という全国津々に散見される風景も、半世紀前には存在しなかった。
勿論、博覧会形式で実施されることは、それ以前にもあった。 しかし、常設の展示場となると、1966年に大阪市に開設された「ABCモダン住宅展」が国内初なのだそうだ。 その名称から判るように、主催は朝日放送。 1980年代前半に私が頻繁に通った長岡市内の「NST長岡ハウジング」も、新潟総合テレビが主催。 また、中学生の頃の帰省の折に何度か訪ねた札幌市の「北海道マイホームセンター豊平会場」も、北海道新聞社や北海道文化放送が共催している。 この様に、マスコミ関係の会社が住宅展示場を運営する事例はとても多い。 事情はよく判らぬが、遊休地の活用といったところなのだろうか。
面白い例だと、「なんば大阪球場住宅博」。 1990年代に、使用されなくなった大阪球場のグランドに開設されていた。 あるいは、「東京ハウジングフェア新宿西口会場」。 こちらは、現在の東京都庁舎が建つ以前の敷地内に開設されていた。 スタジアムのスタンドや、あるいは超高層ビル群に囲まれてモデルハウスが建ち並ぶ状況。 なかなかに不思議な風景であるのと同時に、極めて日本的な光景でもあったのかもしれない。

総合住宅展示場の現況は、本来の機能から逸脱あるいは不全を来たしていると思う。
理由はこの場にも何度か書いているが、展示されているモデルハウスが例外なく豪華すぎること。 これは、他社よりも見栄えの良いモデルハウスを造ろうと競い合う結果なのだろう。 しかし、そんなモデルハウスを観て、しっかりとした価値判断が下せる来訪者が一体どれだけいるだろうか。 こんな状況が続くのであれば、総合住宅展示場への出展という販売手法は廃れていくことにならないかとも思う。
それでなくても、住宅メーカーの販売手法は多様化している。 ネット販売もその一つだし、メーカー独自に試泊可能なモデルハウスを運営するという形態も増えている。
あるいは最近、無印良品が同社の有楽町店内に「無印良品の家」のモデルハウスを新たにオープンさせた。 同社の雑貨を購入するついでに気軽に見学することが可能だ。
数年前から実施されている無印良品によるこの試みは、家電量販店内にモデルハウスが建つ状況へと進展して行くのかも知れない。 そういった流れの中で、半世紀近くにわたって続いてきた総合住宅展示場ビジネスは、今後どのような展開を図っていくことになるのだろうか。



2011.09.08:クボタハウス

家電業界と住宅産業について、昨日に続いて何か書こうと思っていたら、 「商号の使用差し止めをめぐり 三洋電機が旧子会社の三洋ホームズなどを提訴」 というニュースが入ってきた。
三洋ホームズは、三洋電機グループの住宅メーカーであった。 その三洋電機がパナソニックの完全子会社となる。 パナソニックには既にパナホームという住宅部門があるため、三洋電機が三洋ホームズとの資本提携を解消。
今回の件は、そんな経緯に伴う事象とのこと。

このニュースを機に、三洋ホームズの前身がクボタハウスであることを知った。 クボタハウスは、鉄骨プレハブ住宅を事業展開してきた業界の老舗。 そんな同社が三洋電機の傘下となったのは、2002年のこと。
前回書いたヤマダ電機によるエス・バイ・エルの子会社化以前に、家電業界による住宅メーカーの子会社化事例が有ったということになる。 三洋ホームズに社名を改めて以降、全ラインアップにオール電化や太陽光発電システムを標準搭載する等、三洋グループならではの住宅事業を展開したのだそうだ。 そんな業務展開も、今般のヤマダ電機の動きとダブる。

クボタハウスは、もともと久保田鉄工(現、クボタ)の子会社であったのだが、更に遡ると八幡エコンスチール(現、日鐵住金建材)の八幡エコンハウジングに辿りつく。
クボタ傘下となったのは、1969年2月。 ちなみに現在は、LIXIL傘下にある。 ということは、様々な親会社の元を転々としてきた歴史を持つ会社ということになる。

私が知っている同社の製品体系というと、クボタハウス時代のものになる。 1983年発表のGXシリーズ「サンモアルーフのある家」あたりが印象に残っている。
同商品は、洋風の寄棟屋根タイプと切妻屋根タイプ、そして和風の寄棟屋根タイプの3種類があった。 洋風切妻タイプは、二階に設けられたサニタリーゾーンが充実。 和風のものは、建築家・菅家克子をデザイン監修に起用したモデルであった。
また、1970年には、建設・通産両省と日本建築センター共同主催で実際された先導的住宅モデル事業「パイロットハウス技術考案競技」にも入選。 技術開発への高い志向が伺える。
しかし、そういった過去からの技術の蓄積や、あるいはメーカーとしてのアイデンティティといったものが、経営主体がいろいろと変ることによってどうなっているのだろうとも思う。



2011.09.07:SXL

ヤマダ電機によるエス・バイ・エルの連結子会社化。
こんな記事の見出しを目にした時は少々奇異に思えたが、スマートハウスビジネスの強化と説明されれば何となく納得も出来る。 創エネにカーボンフリーにスマートグリッド・・・。 最近の住宅を取り巻く状況は、環境制御技術の導入に関わる話題ばかりが幅を利かせている。 そんな状況に沿う形で家電量販店が住宅産業に進出するというのは、自然な流れなのかもしれぬ。
ヤマダ電機の今後の展開によっては、同業他社も似た行動をおこす可能性があろう。 家電量販店の敷地内に、子会社化した住宅メーカーのモデルハウスが建つ。 従来は有り得なかったそんな光景が日常的なことになる日も、そう遠くは無いのかも知れぬ。
こうして、住宅産業に関わる主体は、建築の側から異業種へとシフトしていくのだろうか。

ところで、エス・バイ・エルは、1964年2月から暫くの間、ミサワホームと業務提携していたことがある。 その際にミサワホームのノウハウを学ぶことで、今日の礎を築いたと言われている。
勿論、模倣に留まるのではなく、独自の商品開発や技術開発を脈々と行ってきた。
例えば、同社が採用する木質パネル工法は、ミサワホームのそれとは全く異なる進化を遂げている。 そして、そこに導入されている壁体内換気システムも、ミサワホームには無いディテールだ。
デザイン面においても、当初はミサワホームの二番煎じの感が否めなかったが、その後、特に和風のテイストに関して独自の進展を図ってきた。
そういった業務の積み重ねによって、ミサワホームが圧倒的なシェアを誇る木質系プレハブの中で、着々と事業を継続させてきた経緯がある。 今回の子会社化においても、案外ヤマダ電機から様々なノウハウやビジネススキームを逞しく吸収しつつ、更なる独自の発展を遂げることになるのかも知れない。



2011.09.03:プレファブ_2
※1
大仏殿は後に再び焼失し、現在観ることが出来るのは江戸期に再建されたものである。
構造形式は旧態が踏襲されているが、様式や規模は改変されている。
南大門も昭和初期に解体修理が行われ、見え掛りとならない部位に鉄骨補強等の措置が施されたが、こちらは旧態を良く留めている。

国内において、プレハブ工法を用いた建物というのは、どこまで遡ることが出来るのだろう。
近代以降の建築史の教科書を紐解くと、前川國男のプレモスという語句が必ず出てくる。 同じ時期に、浦辺鎮太郎のクラケンであるとか、田辺平学のプレコン、住宅営団の組立住宅といったプレハブを指向する工業化住宅も開発されている。 しかし、施工戸数実績としては、プレモスが代表格ということになるのだろう。
とはいえ、本格的な事業化という意味では、その後の公営住宅におけるティルトアップ工法や大和ハウス工業のミゼットハウスを待つことになる。

しかし実は、もっともっと時代を遡って鎌倉時代にプレハブ工法とも言える施工方法に拠る建物が実現している。
といっても、住宅ではない。 東大寺の大仏殿及び南大門※1。 つまりは、公共建築である。
そこで用いられたプレハブリケーションの手法。 それは、ディテールの共通化によってパーツの種類を極限まで集約することと、それによって可能となるプレカットの導入ということになる。
鎌倉時代において、大勧進職という名誉職的な称号を得たのみの一人の僧が、国家の組織的支援の保証も無い状況下で巨大な公共建造物の再建を実現するために編み出した建築生産技術。 その辺りは、佐藤隆久の論文「東大寺南大門における部材寸法の規格化について」や、伊藤ていじの著作「重源」などに詳しい。 今では、こういった類の手法は大して特殊でもないが、鎌倉期の寺院建立においては結構画期的なことであったのではないか。
しかし、大仏様(だいぶつよう)または天竺様(てんじくよう)と呼ばれるこの様式は、その大勧進職を務めた高僧・俊乗房重源一代の手法として完結したと言われる。 あまりの先進性が、一般化されるに及ぶ評価を得るには至らなかったのかもしれない。
けれども、そこで実行されたサイトプレハブ的な建築生産技術の発想は、何らかの形で以降の中世から近世に至る様式に影響を与えなかったのか。 あるいは、更に過去に遡ることが出来るのであろうか。
その辺りは、機会があれば調べてみたい。

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