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2011.12.27:Construction Site
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早朝の通勤途上に撮影。
左側に、外観が見え始めた東京駅の南側ウィング。
右手に、東京中央郵便局。その清楚な白亜の外装は、かつてタウトが観た光景そのままなのだろうか。
逆光のため不鮮明だが、朝日を受ける背後の超高層ビル群との対比が風景としてなかなか面白い。
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左の写真は、東京駅界隈を撮ったもの。
道路を挟んで復元工事が進行中の二つの歴史的建造物の外部足場の一部が外され、装いも新たな姿が部分的に見え始めている。
一つが東京駅の南側のウィング。もう一つが東京中央郵便局。
大正初期および昭和初期に完成した建物が、真新しい姿でそそり立つ。
しかも、平成に入ってから雨後の筍の如く次々と建てられ、そして今も続々と建設中の超高層オフィス群の足元に、である。
この場合、元号で時代を区切ることの必然性はあまり無い。
しかし、とりあえずは三つの時代の建物がピカピカの状態で遭遇する状況。
なかなかに不思議な光景ではある。
真新しいといえば、私のかつての居住地である長岡市においても、駅前に二つの新しい施設が完成あるいは姿を見せつつある。
駅の大手口広場に掛け渡されたペデストリアンデッキと、その近傍に立地する市の複合施設「アオーレ長岡」。
前者は最近完成し、供用が開始された。
知人のブログにて、建設中の時点から、その状況が時折紹介されている。
刻々と姿を変える現場の進捗は、拝見していてとっても面白い。
完成した実物はまだ直接観ていないので何とも言えぬが、三本のデッキが跨る城内通りからの眺めは、結構圧迫感があるかもしれない。
けれども、光の軸線が中空にフワリと浮かぶ夜景はとても美しくも見える。
「アオーレ長岡」は、かの隈研吾がコンペを勝ち取り施工が進められているプロジェクト。
これも、知人のブログに拠ると、外観の特徴になっている千鳥配置された杉板パネルが、その姿を見せつつある様だ。
素材感が十分に引き出されながらも、CGを見ているかの様な現実感の欠如を感じさせる不思議なデザイン。
そんな印象を持つのは、氏の他の作品の外装パーツの扱いと同様。
しかし、竪方向に山型の凹凸を伴って連なるその木パネルは、これからの降雪期、氷雪の付着や落下といった弊害を生じないのかと、ちょっと心配にもなる。
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2011.12.22:車と住宅
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※1:
ペーパーハニカムパネルを主要構造体とする住宅の開発は、前例がある。
建設・通産両省が主催した「新住宅供給システムプロジェクト(通称“ハウス55”)」に採択されたモデルがそれ。
竹中工務店、新日本製鉄、松下電工の三社による企業グループ(TOPSグループ)により提案された。
写真は、そのTOPSグループによる実験住宅の外観。
実用化段階では、床版のみに使用されることとなり、1982年1月、ナショナル住宅産業(現、パナホーム)から「ナショナルハウス55」という名称で発売される。
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私は、車には全く興味が無い。
だから、例えば東京モーターショーなどは、観に行ったためしが無い。
しかし、今年開催された同イベントは少々趣が異なっていた様だ。
その内容を後になってから知り、行ってみても良かったかななどと思っている次第。
その異なる趣とは、モーターショーとはおおよそ無縁である筈の住宅関連の展示がなされたということ。
一つが、積水ハウスの出展。
展示内容は、EV(電気自動車)を核としたスマートハウスの提案という、取り敢えずは時流に乗ったもの。
とはいえ、住宅メーカーが同イベントに出展するのは初めての試みという意味では、画期的なことなのであろう。
もう一つは、日産自動車。
同様に、EVとスマートハウスをテーマとした出展を行った。
面白いのは、スマートハウスも日産がデザインしてること。
NSH-2012という名称がつけられたその住宅は、ペーパーハニカムパネル※1を主要構造体としたピロティ形式。
細い柱によって中空に持ち上げられた八角形断面を持つワンルーム空間は、何やら60年代に建築家やハウスメーカーが発表した未来指向のカプセル住宅を髣髴とさせる。
勿論、かつてのそれらの殆どがそうであったように、NSH-2012も現実的な商品化を念頭においたものではなく、デモンストレーションを前提としたプロトタイプであろう。
しかし、生産手法に関する新進性への挑戦という気概を60〜70年代に置き忘れてきてしまったハウスメーカーに変わって、自動車メーカーが、EVを核とした新たな住まいの在り方やデザインを提案するという状況が、とても新鮮だ。
ひょっとしたらそう遠くない将来、日産自動車から建築家やハウスメーカー顔負けの凄く斬新なデザインの住宅が商品化・発売されることになるのかもしれない。
1960年代は、事業化を前提とした住宅生産の工業化が一気に進展し、住宅産業という業態が興隆したという点において、日本の住宅史の1ページに記されて良い時期であったと思う。
それから半世紀を経た今、今度はスマートグリッド+電気自動車という組み立てを中心に、環境ビジネスやエネルギー需給の新たな枠組みに絡む形で、住宅史に新たな事象が追加されつつある様にも見える。
そんな様相は、この東京モーターショー2011のみならず、既に各所で胎動している。
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2011.12.17:MUSIC LIFE
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久々に押入れからキーボードを引きずり出し、幾つかの曲を練習していることは、2011年7月6日と27日の雑記に書いた。
で、新たに弾けるようになった曲は以下の通り。
・Aqua
・水の中のバガテル
・Asience
・Daer Liz
・夕日の綺麗なあの丘で
前4曲は坂本龍一の作品。
弾けるといっても相当怪しいレベル・・・というよりは、レパートリーなどと言うのも憚られる状況ではある。
特に「Daer Liz」は、オフィシャルスコアにて指定されているテンポでは、とてもじゃないけれど速過ぎて弾けない。
それに、別の市販スコアの中には、1986年のメディアバーンライブで演奏された中間部のインプロビゼーションを採譜したと思しきものもある。
そこまではチャレンジする気にはなれない。
これら4曲のほかに、「フォトムジーク」という曲にも挑戦しているのだけれども、これは挫折しかけている。
NHK-FM「サウンドストリート」の1982年1月12日放送分のオープニングにて披露された御本人のピアノ演奏。
それを忠実に採譜したものが過去のキーボードマガジン誌に掲載されていることを知り、国会図書館の蔵書にてバックナンバーの該当箇所をコピー。
この雑誌に目を通すなんて、中学生の頃以来。
ともあれ練習を始めたのだけれども、曲の後半はともかくとして、前半のアルペジオ主体の箇所がどうにも難航。
もともとリズム感が著しく乏しい私にとって、微妙な揺らぎを伴う分散和音の連なりは、とっても難しい。
今のところ、弾けるようになった箇所を無理やり繋ぎ合わせて騙し騙し演奏して満足してしまっているところが無きにしも非ず。
5曲目は、坂本作品ではない。
かの「けいおん!!」のサントラの一曲。
同アニメの二期第二十話の終盤のシーンにて不覚にもホロリとしてしまった視聴者の一人としては、その場面で使用されたこの曲は弾いてみたいと思った次第。
私は耳コピーは出来ないので、ネット上に公開されていたピアノ演奏用のアレンジ譜面を入手。
サビ部分の3オクターブ近い音域のアルペジオ(原曲とはかなり異なるアレンジだと思う)には苦戦したけれど、危なっかしいながらも何とか弾けているといったところ。
久々にキーボードを引っ張り出したきっかけ。
それは、坂本龍一が2009年に行った国内ツアーでのピアノ演奏を観て、なんだか良いなと思ったことが大きい。
そのDVDを繰り返し観ているうちに、そこに収録されている「Aqua」と「水の中のバガテル」について、弾けるようになってみたいという気になった。
それと、アニメ「けいおん!」の影響もあると白状してしまおう。
このアニメの存在を知ったのは、動画サイトにアップされていたYMOの音楽とこのアニメのシーンを組み合わせたMADであった。
そこに映し出されている映像の断片を観て、最初は単に「萌え」のニーズに露骨に迎合したアニメくらいの印象しか持てなかった。
しかし、楽器演奏のリアルな描写を観て、こいつはタダモノじゃなさそうだと思い、今年に入ってからCSで放映された再放送を視聴。
実際、タダモノではなかった。
ストーリー自体は、女子高の軽音部の緩やかな日常を描いたもの。
ちょっと都合が良すぎる流れも一部には無くもないが、喜怒哀楽といった抑揚を殆ど伴わぬ日常が穏やかに書き綴られている。
そんなストーリーをアニメ作品として成立させるのって、結構凄いことだと思う。
それを可能にするのが、きめ細やかな描写への拘りなのであろう。
例えば、ヴォーリズ設計の豊郷小学校をモデルにして校舎の設定を行い、校内の様々なシーンを手抜かり無く描写している辺りも、その一つ。
私の高校時代は、このアニメの様なホンワカとした空気感はあまり無かった様に記憶しているけれど、そんな自身の当時への懐旧も含めて鍵盤に触れている面もあると思う。
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2011.12.13:千城台散策_3
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前回(12月1日)、千葉市の千城台にて、松下住宅産業(現、パナホーム)が1965年に発表したR2N型と思われるモデルが散見されるエリアが有ったと書いた。
で、国土交通省がWEB上に公開している「国土情報ウェブマッピングシステム」にて、1974年に撮影された同地の航空画像を見てみる。
当時の千城台の状況を確認したかったのだ。
勿論、画像では個々の住宅の詳細までは判別できない。
しかし、該当エリア一帯に、フラット屋根を載せた同じような雰囲気の住宅が並んでいる様子は確認できた※1。
現状では散在するに留まるR2N型が、当時においては一つのエリアに群をなして建てられていた可能性を、画像から読み取ることが出来る。
40年弱というタイムスパンは、住まいの改修や建替え等、街並みの様相を随分と変化させる。
即ちそれは、日本における住まいのライフサイクルの短さを如実に物語る訳でもあるが、そういった確認を行う上で、同省のデータはとても有用だ。
でもって、同じように類似規格の住宅が並んでいる箇所は無いかと航空画像を探してみると、それらしき場所を二箇所見つけることが出来た※2。
その画像撮影時点から37年を経た同エリアの現況について確認してみようと、Google マップのストリートビューを見て驚いた。
僅かではあるが、旧態を留めた相当古い平屋建てのプレハブ住宅が現存している。
いてもたってもいられず、現物を確認するために再度千城台に赴き、そのエリアへと向う。
一見すると、大して築年数を経ていない今風の住宅が並ぶ普通の風景が広がるのみ。
しかし、個々の建物を仔細に観察すると、平屋建ての古いプレハブを原型に、そこに増築を行ったり改修を施した事例が多数あることを確認できた。
そしてそれらに埋もれる様に、旧態をよく留めた平屋建てプレハブ住宅も数件建っている。
旧態を留めたそれらと、そして増改築が施された近隣の住宅に残る痕跡を繋ぎ合わせれば、かつてのこのエリアの風景が何となく見えてくる。
そう、プレハブ住宅草創期にあたる昭和40年代初期の平屋建てプレハブ住宅が群をなして建つ風景である。
それらはいずれも二種類のモデルに拠っている。
一つが、前述の松下住宅産業のE型という平屋モデルであることは、外壁パネルのジョイント部等の各パーツのディテールから判断できる。
しかし、もう一つの型式がどこのメーカーの何というモデルなのか判らない。
緩勾配の切妻屋根の妻面瑞縁と同面で矢切りパネルを張り降ろし、そして開口部以外の外壁面には半間ごとにゴツい外壁パネルジョイントパーツが配置されている。
帰宅して改めて手持ち資料を捲ってみると、その特徴と合致するモデルは、積水ハウスが1965年7月に発表したE型ということになりそうだ※3。
どちらとも、図らずも同一名称。更にはその内容も平屋建てのローコストモデルという妙な符合。
松下住宅産業のE型は、同社が同時期に発表していた他のランアップと共通のディテールに拠っている。
しかし積水ハウスのそれは、今日まで脈々と継承され発展し続けてきた「B型システム」と呼ばれる架構形態とは異なる構造形式を用いた独立したモデルであった。
それにしても、プレハブ住宅草創期のモデルを実見できるとは、個人的には大感動だ。
よくぞ残っていてくれた、あるいは新築時の原型を維持し続けて下さったなどと、一人で勝手に感慨に浸る。
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2011.12.07:ホームコア、再び
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某独立行政法人の理事長が、とある集合住宅の建設現場を視察することになった。
環境配慮技術を主眼に見学したいとの意向。
で、少々関わりがあるプロジェクトの現場であるというだけの理由で、説明員として私も現場に赴くこととなった。
全く乗り気になれぬまま、氷雨が降りしきる中、現場事務所の外で来訪を待つこと数刻。
黒塗りの高級車(車には全く興味が無いので車種とかは判らない)にて独立行政法人様御一行が到着。
運転手がうやうやしく開けた扉の奥から出てきたのは、何とも上品な初老の紳士。
数名の部下を侍らせつつの堂々の御登場である。
きっと様々な所に天下っていい想いをしているのだろうな・・・ などと勝手に思いつつ、現場担当所員と共に現場内を案内する。
しかし、説明しても反応が今ひとつ。
何だか、建設現場のことを知っていらっしゃるのかも怪しい、そんな雰囲気の人だ。
案内するこちらはだんだんやる気が失せてくる。
「ひょっとして、単なる思いつきの物見遊山か・・・。いい身分の爺さんだ・・・。」
そんな折、フと目を向けた窓の外の風景に、思わず身体がカァ〜っと熱くなった。
その視線の先に、ミサワホームのホームコアが建っているではないか。
1969年に同社から発売された、3DKの平屋建てモデル。
生産方式の徹底した工業化と効率化により、建築工事一式100万円という当時においても破格な販売価格を実現した規格型住宅である※1。
千葉県内でも同モデルの実物を拝む機会に恵まれたことは、2010年11月30日の雑記に書いた。
それから約一年後、今度は東京都内で出会うこととなった。
しかも今回は建設中の現場から俯瞰の視線で眺めることが出来る※2。
思いっきり感動しつつ、しかしその感動を共有できる人間が、その場にいる筈もない。
平静を装い、感動を独りで噛みしめるしかない。
一方で、ほんの数分前までの怠惰な気分は一転。
理事長に対する心情も、180度急変することと相成った。
「よくぞ視察の対象としてこの現場を御選択いただきました!」
ゲンキンなものだ。
しかし、さもありなん。
こんなことでもなければ、この地のこのホームコアに出会うことなど有り得なかったのだから。
説明会終了後、今度は直近にてホームコアを観察。
どうやら既に空き家となっている様だ。
それに、バス停のすぐそばに立地している。
だから、バスを待つふりをすることで、御近所から不審に思われることも無く外観の凝視が可能。
氷雨が降り続ける中、視線の享楽に授かる数刻を存分に堪能した。
まぁ、こんなことをツラツラと書いても、だから何なのだということになってしまうのだろう。
しかし、趣味とは往々にしてそういうモノだということにさせて頂くことにする。
国内における黎明期のプレハブ住宅。
そこでは、工業化によって低廉で高品質な住宅を大量供給しようという確固たる理念に燃えつつ技術開発が進められる姿があった。
そんなかつての高い志向に対して敬意を払うことがどうして憚れようか。
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2011.12.03:SXL by YAMADA
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週末になると怒涛の如く入ってくる新聞の折り込みチラシ。
大半は目を通すことも無くリサイクル回収用の紙袋に放り込まれることになる。
しかし、そんな中でヤマダ電機のチラシに目が留まった※1。
新聞の見開きと同じ大きさの紙面の多くを、ヤマダ電機とエス・バイ・エルのコラボレーションによる住まい造り提案の告知に割いている。
「SXL by YAMADA 誕生」などと銘打っているが、その内容は今ひとつ新味が無い。
既に手垢が付き始めているスマートハウスと称する住提案の必須アイテムが羅列されているのみ。
エス・バイ・エルにて新築する際、HEMSから太陽光発電システム等々、そして電気自動車に至るまで、全てヤマダ電機がお世話します。
その際には各種特典を御用意致します、といったところか。
調達される電化製品の内容こそ異なるものの、似たような事業スキームは既に四十年以上前からある。
例えば、二番目の写真※2は建築画報の1969年5月号にて組まれた特集「これからのプレハブ住宅」の中の1ページ。
東芝住宅産業が発売する「東芝メイゾン」という住宅の記事の一部。
照明や空調、そして給湯機器からインターホンまで、東芝グループの製品が具体的な品番まで伴ってこれでもかと羅列されている。
その意図するところは、上記のヤマダ電機のチラシの内容とそんなに変わりは無い。
それに、異業種からの参入という面でも似ているといえば似ている。
もっとも、ヤマダ電機の場合は、エス・バイ・エルの連結子会社化。
東芝住宅産業は、日商ハウス※3からの業務譲渡による参入という違いはある。
しかし、既に事業化されている技術を取り込んでの参入という点では同じであろう。
こう書いてしまうと、何の進歩も無いかの様に思えてしまう。
しかし少々事情が異なる点が、少なくとも二つはある。
一つは、家電品の広告にハウスメーカーの住宅が掲載されるということ。
今の時期、コタツでも買おうかとチラシを見た人が、エス・バイ・エルのことを知ることにもなる。
同社にとっては、この広告効果は絶大であろう。
そしてもう一つは、スマートハウスの進展性。
それは、個々の新築住宅に同社の製品を組み込むといった単体の話には留まらぬ。
スマートグリッドないしはスマートシティと称する広大な市場への発展が見込まれる。
ヤマダ電機が、シナリオをどこまで描いているのは知る由も無い。
しかし、SXL by YAMADAと称して今後どんな進展をみせるのか、少し気に留めてみたいと思う。
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2011.12.01:千城台散策_2
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部材の強度試験実施のため、千葉市内にある取引先の工場に向う。
JR千葉駅から車で約30分。
なかなかに凄い立地ではあるが、工業団地内に位置している。
その工場に向う途上の車窓から、ちょと気になる風景を目にした。
ある程度の築年数を経た二階建て共同住宅が複数棟連なる光景。
後で調べてみると、1972年に建設された千葉市営住宅千城台第6団地。
第6ということは、他にも同様の市住が同時期に近傍に建てられている筈。
これも調べてみると、千城台という大規模な住宅地の中に、1966年建設の第1団地から始まって、1972年の第7までが建てられている。
興味が沸いたので、観に行くことにした。
第6団地のほか、千葉モノレールの千城台駅周辺に散在する第2、第3、第4団地も観て廻る。
いずれの団地も、第6団地と同じ形式の二階建て住棟が連なっていた。
住棟は、連棟式※1と階層式※2の二パターンがある。
これは、建築探訪のページで紹介している北広島道営住宅高町台団地と同様だ。
全面的にPCaを用いている点も共通しているが、外観は大きく異なる。
北広島団地では屋根に勾配が付いているが、千城台の場合は陸屋根だ。
それに、階層式については、前者が内部共用階段形式なのに対して後者は開放性の高い階段となっている。
降雪や防寒に対する留意の要否の違いであろうか。
千城台の階層式の外部階段を見上げると、屋根部分はワッフルスラブとなっていた。
壁面も同様に、格子状リブ付きの薄肉PCaなのだろうか。
その辺は外観目視では確認することは出来ない。
これらの団地を巡る途上の住宅地内では、昭和40年代のプレハブ住宅も散見された。
さもありなん。
千城台自体が、1965年に開発が始められた大規模住宅団地である。
気のせいかも知れぬが、松下住宅産業(現、パナホーム)が1966年に発表したR2N型というモデルが比較的多く見受けられる。
しかも、数棟が近接して散在する場所もある。
同社が建売分譲を展開したエリアだったのだろうか。
ライフサイクルが短い日本の住宅事情の中にあっては、結構珍しい景観事例かもしれない。
あるいは、明らかに昭和40年代のプレハブ住宅なのだけれども、どのメーカーのものなのか判別がつきかねる珍しいディテールを採用した事例にも出くわした。
追求すればするほど、調べなければならぬことが増える。
昭和40年代プレハブへの関心に対し、ネタはなかなか尽きそうにも無い。
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2011.11.26:テクノポリス
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前回書いた「ネオポリス」という言葉からは、表題の語句を連想する。
そして私と同じ世代であれば、この語句から更にYMOの名曲「TECHNOPOLIS」を連想する人も多いのだろう。
しかし、長岡市民(あるいは、元在住者)にとっては別の意味も持つ。
そう、1970年代半ば頃から長岡市西域の丘陵地帯を中心に策定された長岡テクノポリス構想。
旧通産省主導で1983年に制度化された高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)にも組み込まれた大規模な公共事業である。
その中の主要な計画が、長岡ニュータウンの造成ということになるのであろう。
当時の市の広報誌には、これらのことが華々しく紹介されていた。
その記事を読むたびに、とてつもない未来都市が市内に実現しつつあると、ワクワクしていたものだ。
それこそ、1960年代のメタボリスト達が構想していた様な世界(といっても、当時はメタボリズムなんて知らなかったけれども・・・)、あるいはYMOの「TECHNOPOLIS」の曲調が似合う様な街が出現することを夢想していた。
で、1983年9月からニュータウン内の宅地の第一期分譲が始まった。
「長岡ニュータウン住宅祭」と銘打ち、45区画に29の企業による建売住宅が建てられ、同月15日から24日の期間、華々しく販売が行われた。
これは観に行かなければということで、当時の居住地からは遠く離れていたものの、自転車を漕いで出かけることにした。
しかし、進めど進めど目的地は見えてこない。
いつしか、周囲は思いっきり人里離れた丘陵地と化す。
それでも、そんな周囲の風景に不釣合いな、やたらと立派な新設の道路が一本通されている。
その道路の先に未来都市が在ると期待を膨らませつつ、突き進む。
そうして漸く辿り着いた現地を眺めた第一印象・・・、それは思いっきり拍子抜けなものであった。
目の前に広がるのは、単なる普通の新興住宅地。
造成されたばかりの広大な宅地の一画に、建売用の凡庸な住宅がポツポツと建ち始めている程度。
こんな陸の孤島然とした場所が、今後「TECHNOPOLIS」の曲調そのものの街へと進展するのだろうか?
そんな違和感を持つに留まりつつ帰途について以降、再度この地を訪ねたことは無い。
テクノポリス法に基づく開発事業は、長岡も含め全国26の地域が指定されたのだそうだ。
個々の内容は把握していないが、現在、それぞれがどの様な状況にあるのだろう。
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2011.11.24:ネオポリス
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昭和40年代のプレハブ住宅に興味を持って以降、情報は主に当時発刊された書籍から得ている。
で、居住地近傍を散策中、書籍に掲載されていた事例と類似の外観をもつ住宅を見つけては、「これは何処のメーカーの何型だろう」などと推察する。
そんなことを繰り返している。
得ている情報が乏しいこともあるが、当時のプレハブ住宅はメーカーごとの特徴が少ないという印象を持つ。
だから、パーツに見受けられる差異を手掛かりに推察する程度に留まっている。
差異として挙げられるのは、例えば軒先のディテール。
あるいは、乾式外装パネルのジョイント部の納り等々ということになる。
しかし、推察に留まるだけでは面白くない。
確度を上げるためにはどうしたらよいか。
その場合、メーカーが開発して分譲した住宅地を訪ねるというのは、良い手段だと思う。
で、ネオポリスである。
全国各地に、この名称の付いた住宅団地がある。
開発したのは大和ハウス工業や、その子会社の大和団地。
であるならば、同社が昭和四十年代に開発したネオポリスを巡れば、当時の同社のモデルを確実に確認することが可能であろう。
同社の社史によると、関東にも数箇所のネオポリスがある。
そのうちの一つ、所沢ネオポリスを訪ねることにした。
西武新宿線新所沢駅から、休日の昼間は一時間に二本程度の路線バスで約二十分。更にそこから徒歩で十五分弱。
他に循環バスもあるが、それは一日に四本。
車無しの生活は有り得ないのだろうな。
そんな公共交通事情の現地に到着。
期待通り昭和四十年代の同社のラインアップが多数現存。
写真では掴みにくい個々のモデルの雰囲気を存分に確認することが出来た。
所沢ネオポリスが開発されたのは1969年11月。
だから、団地内に建てられた最初期の住宅は、既に築四十年余りが経過していることになる。
以前も書いたが、これだけのタイムスパンは住まいに三つの様態を与える。
つまり、旧態を維持しつつ綺麗にメンテナンスが施されているケース。
その時々の生活の状況に合わせ、徹底的に改変が加えられているケース。
そして、原型を保ちつつも、殆どメンテナンスを受けることも無く経年劣化が進んでいるケース。
一つ目のケースは、住人自身の住まいに対する深い愛着と誇りを感じ取ることが出来て嬉しくなる。
逆に二つ目の事例は、住まいとは何かということをしみじみと考えさせられる。
そして三つ目については、それはそれで味わい深い。
錆付いた鋼製の外装パーツ群。そして、少々くたびれた乾式外壁パネル。
それはそれで経年変化の味わいみたいなものが表出している。
そんな個々の様態を確認して巡ってみるのも、四十年代プレハブ住宅の鑑賞方法の一つかも知れぬ。
そうやって鑑賞していると、どのパターンにおいても共通して感じられる、今の住宅メーカーには無い豊かさが見いだせる。
それは、商品性におもねった妙な様式を纏っていない清さである。
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2011.11.19:図書館三昧_5
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※1:
新たにオープンした千代田区立日比谷図書文化館夜景。
60度の鋭角のコーナー部分が、日比谷公園の闇を切り裂くかのごとく立ち上がる。
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建築探訪のページに載せている東京都立日比谷図書館は、2009年4月に閉館。
その後、東京都から千代田区に施設が移管されて改修工事を実施。
11月4日に千代田区立日比谷図書文化館※1として新たにオープンした。
平日は午後10:00まで開館。
仕事帰りにも余裕をもって寄ることが出来るし、ちょうど帰宅ルートの途上でもある。
で、早速仕事帰りに立ち寄ってみた。
日比谷公園の闇に向かって三角柱の明かりが浮かび上がる。
そんなイメージは以前と変わらぬ。
但し、ガラス張りの外壁面から漏れる光そのものの質感は、少々変わった。
都立図書館であった頃は、サッシの内側に和紙を張った障子が組み込まれ、その障子を通して屋内の蛍光灯の明かりが柔らかく滲み出ていた。
あたかも巨大な行灯の如くであったが、改築された建物から障子は一部を除き殆ど排除された。
そして、蛍光灯に替わって電球色の照明の光が、嵌め殺しのガラスを介して直接周囲に拡散している。
とはいえ、極めて強い形態によって構成された建物。
全体のイメージが大きく変わった様には見えない。
それは、内部も同じ。
旧態を巧く活かしつつ、品良く落ち着いた雰囲気に仕上げられている。
蔵書の検索端末が置かれたスペースの窓廻りには、吹寄せ格子の内障子が開口部に嵌っていて、かつての雰囲気を踏襲している。
その窓に近づいて確認すると、外側のサッシは嵌め殺しの複層ガラス。
内障子の設置を一部に限定したのは、複層ガラスによって外部開口廻りの温熱環境制御がある程度期待出来るからということなのだろうか。
あるいは、日比谷公園の緑を積極的に館内に取り込もうという意図もあるのかもしれない。
但し、夜間に訪ねたので公園との関係性はよく判らない。
今度、昼間に訪ねてみることにしよう。
平面が正三角形を成しているから、諸空間は基本的に60度の角度を持って連携する。
この60度というのは結構クセ者だ。
直角以外の角度で構成されるこの施設内を移動していて、方向感覚を惑わされた体験をお持ちの方は多いのではないか(私だけか?)。
そのことに配慮したと思われるサイン計画は、屋内の雰囲気を損なわぬ控えめなデザインながらも、良く考えられている。
地下階に降りると、以前と同じ場所にレストランがある。
かつては、いかにも公共施設の食堂というイメージであったが、その頃とはかけ離れた結構おしゃれな設え。
でも、メニューや値段の方も、以前とは結構かけ離れている。
区立図書館ながら、区内在住・在勤者以外でも利用が可能なようだ。
建築コーナーの開架には、借りたい書籍が幾つか並べられていた。
今度訪ねた際に利用登録をして、早速借りてみようと思う。
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2011.11.16:中野逍遥
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※1:
ホテルワールド会館外観。
左手背後に見える建物は、中野ブロードウェイ。
※2:
中野ブロードウェイ三階通路の吹抜け部分。
松葉一清は、その著「TOYKO EDGE」の中で、通路天井を青空に仕立てる当時のショピングモールの流行をパロディー化した“二重の偽りの青空”と評している。
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中野5丁目界隈で飲む。
考えてみたら、上京してからというもの、このエリアで飲食というのは初めてのこと。
路地状の道路と低層建物が周囲一帯に面として広がり、どことなく懐かしい雰囲気を醸し出している。
こんな場所が未だに残っているのだな・・・と、少々嬉しくなった。
でもって、次の休日の昼下がり、再度現地を訪ねる。
夜とは異なる風情を堪能してみたいと思った。
基本的に、こういったエリアにおいて、個々の建物の意匠は大した意味を為さない。
景観の印象を決定付ける要素は、夥しい量の看板の類であろう。
建物のファサードはその背後に完全に沈んでいる。
あるいは、意匠性の欠落そのものが、ここでは風景として重要なのかもしれぬ。
そんなことを考えつつ、あても無く彷徨うその先に何やら凄い「意匠」が見えてくる。
近づけば、それはホテルと商業施設の複合ビル。
名称は「ホテルワールド会館」。
オレンジ色のタイルが張られた巨大な亀甲模様が強烈なファサードを形作っている※1。
その亀甲の連なりは、実は階段のささら。
各テナントへのアクセスを考慮して前面に複数設けられた外部階段を、巧くデザインに取り込んでいる。
更に、個々の六角形の中に店舗の看板を組み込むことで、サイン計画も成り立たせている。
そして、その亀甲部分のオレンジ色と、塔屋の緑色が織り成す対比も侮れない。
入居している店舗は、入ることを躊躇してしまう様な名称が多い。
また、上階にある筈のホテルも、営業しているのか不明。
ちょっと不思議な建物である。
周囲一帯を巡った後、中野ブロードウェイの三階にも行ってみる。
天井に施された青空の設えは、言われているように確かに何ともチープ※2。
但し、タイトな階高設定の中で、二層吹抜けのこの空間は結構貴重。
吹抜けとなっていない部分の通路は、私が上方に手を伸ばすと楽に指が届いてしまう天井高。
ということは、2300mmに満たない。
最近の商業施設の感覚からすると、かなり圧迫感がある。
だから、部分的とはいえ、この吹抜け空間の配置は大正解。
そんなフロア内は、確かにサブカルの聖地の名に恥じぬ様態。
その中心施設は、「まんだらけ」ということになるのだろうけれども、マンガ本だけではなく建築関連の古書も少量ながら扱っていて驚いた。
同じフロアにあるオーディオ専門店では、ROLANDのJUPITER-8の現物に初めてお目にかかった。
かつては100万円近くしたシンセサイザー。YMOも使用していたんだよな・・・などと感慨深く眺める。
ということで、じっくりと見て廻れば面白いものが色々とありそうだ。
でも、とてもじゃないがキリが無い。
程々に館内を巡った後、外に出ると既に宵の口。
意匠不在の建築群は更に背後に潜み、そして灯りが点された看板によってエリア一帯が満たされ始めていた。
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2011.11.12:【書籍】新建築2011年11月号
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新建築誌の感想。
今回は、2011年11月号について。
軽井沢千住博美術館/
設計:西沢立衛建築設計事務所
いままで、この様な形態の美術館が存在しただろうか。
とっても魅力的な作品。是非とも現地に赴き実際にその空間を体感してみたいと思う。
でも、床面の誘発目地納りはちょっと疑問。
59ページの写真では案の定、左下手前に伸びる誘発目地が唐突に途切れた箇所からクラックが発生している状況が確認できる。
材料というのは素直なものだ。
基本的セオリーから逸脱したデザイン優先の措置が、必然的な結果を導き出している。
些細なことだけれども、しかしながら、この様なことに意を払うディテールへの配慮の有無が、空間の質に大きな影響を与えることだってあると思う。
代官山の引き戸ビル/
設計:手塚貴晴+手塚由比/手塚建築研究所
空調に頼らずに過ごせる日数が意外と多い気候に呼応した外壁全面への引き違いサッシの導入。
日々、嵌め殺し窓と金属パネルによるカーテンウォールによって密閉された空間で仕事をする身にとっては、とても心地良さそうな空間にも見える。
しかし、断熱性能が期待出来ぬ透明網入りガラス単板のスチールサッシのみによる外装構成では、かえって室内温熱環境は厳しくなろう。
その緩和と、そして降雨が比較的多い気候への配慮を併せて考えると、本当は庇の出幅がもっと欲しいところなのではないか。
敷地条件や設計与件、そして見え掛りのスラブ厚さを極力抑える拘りのためには、この寸法がギリギリであろうことは容易に想像が付く。
しかし今の状況では、二,三階外部側のガラス面の清掃にも苦労しそうだ。
snow peak Headquarters/
設計:大成建設一級建築士事務所
巻末の作品データのページに庇先端のディテールが載せられている。
掲載趣旨は、極めて薄い庇先端のプロポーションを伝えることなのだろうけれども、私はそれとは別に防水端部納りが気になってしまう。
天下のスーゼネでもこんな安易な納りを平然とやってしまう上に、あられもなく公表してしまうのかと、ちょっと新鮮に思えた。
その防水端部押え金物の更に外側は、軒先に向って排水勾配をとった塗膜防水。
頻繁なメンテナンスの実施が無い限り、繊細な庇先端が水汚れで真っ黒になるのは時間の問題なのだろうな。
その時、極薄のスラブの魅力は維持され得るのだろうか。
共栄鍛工所 新鍛造工場/
設計:北園空間設計
124,125ページ見開きの写真は、私の個人的な好みに合致するとても美しい佇まい。
外壁に落ちる庇の影の具合がちょうどよい塩梅のタイミングを捉えた編集サイドの写真撮影も、作品の魅力を十分に引き出している。
どんな意図やプロセスによってこの建物が編み出されたのだろうと興味を持ちつつ解説を読むと、屋内用途から要求される遮音対策についての言及に終始するのみ。
ちょっと物足りない気もするけれど、しかし、遮音にまつわる様々な技術的解決手段によって生じる形態が、そのまま外観構成要素となって顕れていることは判った。
それでいてこの美しさ。
数少ない構成要素が、個々に絶妙なプロポーションを与えられつつ建物全体を美しく形づくる。
要求性能に対する解法技術と形態操作の見事な統合。
これこそが「建築」だよな、などと思う。
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2011.11.09:ぎこちない和風
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※1:
チャイルダーSX3 NEW外観。
これは広告などに使用された画像からの引用だが、私が観た事例もこれと全く同じ型式のものであった。
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居住地近傍を散策していた際に目に留まった戸建住宅。
それがミサワホームのセラミック系の住宅であることはすぐに判った。
しかし、初めて観る形式の外観。
私が知らないということは、1985年以降に発表されたものだなと思い、家に戻って資料を確認すると、チャイルダーSX3 NEWという名称のモデル。
発表されたのは1987年。
資料の中には、「和風や伝統志向の根強い地方都市の住宅購入層をターゲットに商品開発された」とある。
左に掲載した同モデルの外観写真※1を見て、和風のニーズを満足させるデザインと解釈するのはちょっと無理があるいう印象を持つのは、私だけではあるまい。
しかし、開発者側の立場を想像してみれば、和風への志向を謳う気持ちは理解出来なくもない。
例えば、開口部の周囲に廻された木調の化粧枠(上枠は雨戸シャッターケースを兼ねる)と白壁の対比により真壁的なデザイン要素を付与している点。
あるいは、勾配屋根や下屋の配置等々、和感を醸す要素を取り込もうと意を汲んだのであろうパーツが、所々に散見はされる。
しかし、その意図が意匠としてしっかり成立しているかというと、やはり、否。
そもそも、「チャイルダーSX3 NEW」は、ミサワホーム55を源流とする商品体系の中に位置するモデル。
別のページで述べているが、このミサワホーム55は、低廉で高品質な住宅を大量に供給することを可能にする建築生産システムの構築を目的とした通称「ハウス55プロジェクト」という官製の先導モデル事業に採択され開発されたもの。
その様な経緯を背負うモデルに、商品性として何らかの既存建築様式(ここでは、和風)を付与すること自体が、中途半端なデザインにならざるを得ない。
和風に徹するならば、既存の枠組みを破棄し、商品性への特化が強化可能な新たな枠組みを開発しなければならぬ。
しかしその方向に進めば、ハウス55という大前提に影響を及ぼすことになる。
工業化と商品化の狭間、あるいは両者の相克。
そんな中で揺らぐモデルとして、この「チャイルダーSX3 NEW」が位置づけられそうだ。
だから見方によっては、特定の条件下で和風を志向したものと認めることが出来るし、一方で一般的にはどう見ても和風とは視認出来ぬモデルということにもなる。
1987年という時代背景もあろう。
バブル経済を疾走する当時は、付加価値や差別化、あるいは大型化が幅を利かせており、ハウス55という思想自体が既に陳旧化していた。
実際にこのモデルを観てみると、そのことがよく判る。
そこには、このモデルの系統における最初期モデルであるミサワホーム55の様な清さが希薄だ。
同じ枠組みを維持しつつ、そこに和風という既成の様式を纏わせようと形態操作したプロセスが如実で、そのことが、どこか“擬態”という印象を拭えないことになる。
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2011.11.05:後の祭り
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※1:
1959年竣工。
一階に非住宅。二階から四階に共同住宅が計画された市街地共同住宅。
隣接して、第一共同住宅(平和ビル)も建てられていた。
二棟の市街地共同住宅が並ぶことで、根岸道路に面した側のみとはいえ「街区型」風の景観が形成されていたが、こちらも現存しない。
※2:
1961年竣工。
街区全体ではないが、敷地の中でコの字型に住棟を配置している。
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先週のことになるが、久々に私用で横浜市の関内に出掛けた。
目的は、建築探訪のページに登録した神奈川県警察本部・尾上町分庁舎の備考欄に載せる市街地共同住宅の写真を撮るため。
市街地共同住宅とは、低層部に地権者の店舗や事務所等の非住宅、その上に公営住宅を積層させる、いわゆる「下駄履き住宅」形式の共同住宅。
関内地区において、同様の形式の建物は五十数棟建設されたという。
その幾つかが、現存する。
同分庁舎近傍に散在する市街地共同住宅のうち、掲載の目的にもっとも合致する事例と考えたのは、長者町二丁目第二共同住宅※1であった。
しかし、過去にこの物件を撮影したことは無かったので、現地に出向いた次第。
ところが残念なことに、既に建物は除却済み。
新たなマンションが施工中という状況であった。
建て替え時期が近づいていることはネットで掴んでいたので、事前にストリートビューで現存することを確認した上で現地に赴いたのだけれども、タイムラグであろう。
こんなことになるのであれば、もっと早くに訪ねて撮っておくべきだったと後悔しても、後の祭り。
替わりに、同じエリアに建つ若葉町市街地住宅※2を撮影。
備考欄に使用することとした。
そのうち撮影しようと思っていながら、なかなか実行するに至っていない物件は多々ある。
都市の変貌のスピードは速い。
のんきに構えていると、同様の後悔を繰り返すことになる。
少し危機感を持って、それらの物件を観て廻ろうと思う。
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