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雑記帳
2012.01−2012.02
2012.02.26:新庄駅前

建築専門誌に掲載されているJR旭川駅の新しい駅舎の夜景写真を見ていた折、山形県の新庄駅のことを思い出した。
全く異なる意匠の建物であるが、同じく夜景が印象的な駅舎である。

山形新幹線の延伸に合わせて、新庄駅が建替えられている。
設計は、山下和正。 それまでの、いかにも国鉄の地方駅といった印象の駅舎から、全面をガラス張りとした端正な建物に変わった。
単に駅の用途だけではなく多目的ホールも併設され、地域の拠点的な公共施設としての機能も担う施設として面目を一新。

建替えられて間もない冬期に、この地を訪ねた。
シンシンと雪が降る夜間に、駅前の目抜き通りの奥からこの駅舎を臨んだ時の風景が印象に残っている。 豪雪地ゆえに、人と車が通るところ以外はうず高く雪が積もり、雪に埋もれた通り沿いの二〜三階建ての家屋は、いずれも闇の中に重く沈んでいた。
そんな風景の中にあって、駅舎内の電球色の灯りが、ガラスごしにやさしく仄かに滲み出ている。 それこそ、雪原の中に作られたかまくらの中に点された灯りの如くであった。

設計者が構想段階において、建物のこの様な見え方を意識していたのかどうかは定かではない。 しかし、その光景を目の前にして、夜景としても、この建物が駅前周辺の拠点となっていると思った。
その後、この地の駅前がどのように変わっているのか、あるいは変わっていないのかは、訪ねていないので判らない。 駅舎のデザインに牽引されるかたちで、刷新されているのか。 あるいは、他の多くの地方都市の駅前と同様、郊外型大規模商業施設の進出により、ポテンシャルの低下を招いているのか。

駅舎の更新と、そのことに起因する駅前既存市街地の変容の有無というのは、町並み鑑賞の上で押さえるべきポイントの一つなのかもしれない。



2012.02.22:メーカー住宅私考_03
−招き屋根

宮脇檀が語る旅行指南の中に、「移動も大事な旅の部分−寝るな、しゃべるな、本読むな」というものがある。
会話の無い旅行が豊かなのかどうかは微妙なところ。 でも、それは旅の目的次第。 少なくとも、建築探訪を目的とするならば、目当ての建物のみならず、そこに至る途上の風景にも注意を払うべきという主旨には、賛同できる。
いや、旅行の時だけではない。
風景は一期一会。 その日の天候や時間といった外的要因のみならず、自身の体調や感情や興味の持ちよう等の内的要因によっても、同じ風景であっても異なる見え方がするものだ。 であるならば、車窓からの眺めを観察するという点においては、通勤や仕事の移動等で頻繁に利用する電車に載っている際にも実践すべきことなのかもしれぬ。
とはいえ、私は意志の弱い人間。 ごく日常の移動となると、見慣れた風景ということで関心も薄れる。 で、電車特有の揺れと車内に差し込むうららかな日光などに誘われて、ついウトウトしてしまうこともしばしば。
まぁ、そんなうたた寝の一時に至福を覚えることが出来るのも、日本がまだ平和で治安が良いことの顕れではある。

でも、その日は違った。
日ごろ見慣れている筈の風景がなぜかとっても気になり、窓の外をひたすら凝視。 結果、とある住宅の存在に気付いた。
散々観ている景色の筈なのに、なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
やはり、風景は一期一会。 後日、その場所を改めて訪ねることになる。

※1

車窓より見つけた“招き屋根”の外観。

そのモデル名称通り、招き形式の屋根を載せている。
同時期の同社のラインアップは、この他に「片流れ屋根」「大屋根」「越屋根」等、屋根形態を名称としたものが多い。

目的物は、ミサワホームの“招き屋根※1”と名付けられた住宅。 同社の草創期のみならず、その前身である三沢木材時代において発表されていたモデルだ。
1965年に開催された第5回朝日新聞プレハブ住宅展に、この“招き屋根”が出展されている。 だから、私が出会った事例も、その前後に施工されたものである可能性が高い。
いや、この際そういった正確な建築年の追及は、あまり意味を為さない。 国内における戸建プレハブ住宅産業草創期の事例が、標本等ではなく、実際に人が暮らす現役の住まいとして現存している。 そのことだけでも、今となってはとても貴重な事象である筈だ。 しかも、旧態を極めて良く保持した状態において、である。
「よくぞ私が見つけるまで建っていてくれたね。」などと心の中でその家に話し掛ける。 出来ることなら、そんな感慨に浸りつつ、心ゆくまでずっとその外観を鑑賞していたい。 でも、それでは第三者から見れば単なる不審者だ。
哀しきかな、その観察対象物は、全く見知らぬ御仁の所有物。 ほんの数刻だけ眼福に授かったのち、そそくさとその場を立ち去るしかない。
個人住宅の建築事例を見て廻る際に、常につきまとうジレンマである。



2012.02.19:今和次郎採取講義展

パナソニック汐留ミュージアムで開催中の今和次郎採取講義展を観に行ってきた。
考現学の創始者として、社会のあらゆる事象を調査の対象として追求したその活動の一端を展示。 中には、こんなモノまで・・・とあきれてしまうものまでコト細かに調査された資料等も展示されていて、とても面白い。
そして、興味深いのはそんな調査内容だけではない。 いずれの資料も、調査したことを如何にビジュアルに表現するかという点に相当意が払われていること。 そのために描かれたスケッチの数々を観ると、絵を描くことが好きな人だったのだなと瞬時に判る。

今和次郎の存在を初めて知ったのは、1989年のこと。 山形県新庄市にある旧積雪地方農村経済調査所の本庁舎を観る機会を得たことがきっかけであったことは、この雑記の場にも以前書いた。
今和次郎が基本デザインを担当したといわれるこの建物は、現在は綺麗に修復されて雪の里情報館として公開されているが、当時は存続も危ぶまれる古ぼけた非公開施設でしかなかった。 屋内を建物管理者の案内で一通り見学し、そして今和次郎とこの建物の関わりについて説明を受けた。 しかし、当時は今一つピンと来なかった様に記憶している。
その後、改めてこの調査所の研究活動と今和次郎の関わりについて調べる機会があり、豪雪地帯における冬期の生活改善に向けた氏の取り組みについて少々興味を持つことになった。
会場には、その時提案されたモデル住宅の模型も展示されている。 降雪期に居住空間が雪に埋没することが無いように考えられた高床式の住居形態は、現在でもよく使われている手法であり、先見性に驚かされる。

不勉強で知らなかったのだが、氏の弟は画家として活動されていたのだそうだ。 その作品も何点か展示されていたが、雪国の情景をしっかりと捉えたエッチングが印象に残った。



2012.02.16:メーカー住宅私考_02
−NEAT INNOVATOR
※1

NEAT555外観

翌年発売された“NEAT INNOVATOR”は、このプロトタイプとほぼ同様の外観を持つ。
1ユニットの長辺方向の全面を開口部にした“パノラマウィンドー”や、露出した屋根のフレームが、斬新なデザインを実現。
その屋根フレーム部分は、中央が総ガラス張りのペントハウス。そして左右にルーフバルコニーが設けられている。

この外観からは、1979年に同社がハウス55プロジェクトのプロトタイプとして筑波に建設した“実験住宅第7号”の外観を髣髴とさせる。


実験住宅第7号外観

中央に玄関を配置し、左右に居室をレイアウト。その居室に大胆に開口部を穿った左右対称の南面ファサード。 そして、妻面の開口部と壁面の構成を見ても、NEAT INNOVATORとの共通性がある。
あるいは、ハウス55プロジェクトの体系に中に位置するNEAT INNOVATORは、この実験住宅第7号ののち十年を歳月を経て実現した発展形とも言えるのかもしれない。

1985年以降に発表されたモデルで、リアルタイムに興味を持ったハウスメーカーの商品というのは極めて限られる。
ミサワホームが1989年に発表したこのモデルは、そんな限られた事例の一つ。 先行して1988年に東京・晴海の国際見本市会場で開催された「88'グッドリビングショー」に、NEAT555という名称でプロトタイプが出展されている※1
新聞広告で、このモデルの存在を初めて知った時の印象。 それは、そんなに悪いものではなかった。 というよりも、久々にミサワらしいモデルかも、と思ったものだ。
ユニット工法であることをすぐに読み取ることが出来る外観。 つまり、ボックスを積層させた構成原理が単純明確に顕れている。 それでいて、決していびつではない外観。 かといって平準なデザインに収まっている訳ではない。 とっても斬新だ。
つまり、ユニット工法の強みである生産性を追求しながら、それでいて先進な意匠性も獲得したモデル。 そんなことを、広告に載せられている外観写真を見ながら考えた。

当時の広告には、以下の様な文章が添えられている。

海が大好きな人なら、家に海をもちこんだっていい。
パーティが3度の飯より好きなら、家にお祭りをもちこんだっていいじゃないですか。
私ですか?私なら家にゴルフコースを作りますね(笑)

バブル経済の中を疾走する当時の日本の勢いそのままの文章という印象だ。 そんな時代背景と共に、このモデルが在ると言えよう。
間取りも、大味と思えるくらいに余裕のある構成となっており、より豪華に、より広くという当時のメーカー住宅の動向に合致している。 コンパクト且つ美しく諸室をまとめることに意を尽くしていたA型二階建てSIII型の頃とは思想そのものが全く違う。

ちなみにこのモデル、1990年に放映されたフジテレビ系列の24時間テレビ番組「スーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90」中で、施工中継が行われたのだそうだ。 基礎工事完了時点から24時間以内にNEAT一件を施工し完成させてしまおうという試み。 その様子が随時番組内で中継された。
当然ながら、番組放映時間内に建物は完成。 家具備品が持ち込まれ、ホームパーティを開催するというパフォーマンスまでが、手抜かり無く演出されたそうだ。
基礎工事を除いてたったの一日で家を完成させるというイベントの発想は、工場完成率90%のユニット工法住宅だから可能なことであろう。 私はこの番組は観ていなかったが、こういったメディア戦略はミサワホームならではの巧いところといえそうだ。
遡ること約20年前、同社が開発したホームコアというモデルにおいても、日本建築センターでの各種性能試験の実施状況をテレビ中継するという試みを実行している。 概要は、ミサワホーム・ホームコアのページでも少し触れているが、この辺りには、同社の派手な広報戦略の一貫性を感じる。



2012.02.11:水上彷徨
※1
廃れている、と一言で印象を述べてしまうことは安易である。
勿論、この地の温泉街としての活気のピークは恐らくは昭和の半ば頃のことで、そんな時代の名残が所々にこびり付きつつ、しかし何処か寂しい雰囲気が漂っていることは否めない。 しかし、そんな状況に手をこまねいている訳でも無さそうだ。

通り沿いには、「交流館」という名称を冠した観光スポットが作られ、あるいは空き店舗を利用した地域のコニュニティ拠点が整備されるなど、活性化に向けた試みがそれなりに展開している。

そういった手法は決して目新しいものではない。 しかし、そんな動きに呼応して、ゆっくりではあるものの、通り沿いの新陳代謝が進行している様だ。
そんな新旧の対比を見て巡ることも、旅行者の視線としては面白い。

前回の続き。 水上温泉滞在中、当然ながら近傍も散策する。
温泉に関係する施設以外で気になる建物に幾つか出会えたので、以下に簡単に報告したい。

・みなかみ町観光会館

鄙びた・・・というよりも、やや廃れた雰囲気が漂う温泉街のメインストリート“ふれあい通り”をそぞろ歩き※1
その途上、何の気なしに歩を向けた脇道の先に、二本の奇妙な塔の様なモノが見える。 何だ、アレは・・・と、そちらの方に向かうと、そこにはコンクリート打ち放しの巨大な建物が横たわっていた。
外壁面が複雑に雁行し、更にそこに出窓や最初に目に留まった搭状のパーツ等のディテールが絡まることで、全体像の把握が困難な不思議な造形を呈している。 どんな設計者の手による仕事なのだろうと、来歴を確かめるべく定礎を探す。 しかし、そこには竣工年月と発注者、そして施工者の名称が刻印されるのみ。 WEBで検索を掛けてみたけれども、設計者の情報に辿り着くことは出来なかった。
用途はコンベンションセンターの類いだが、「東京芸術大学卒業・修了製作収蔵事業」なるものも行っていて、アートを活用した地域おこしの一翼を担っている様だ。 そんな活用のされ方も含め、気になる建物である。


写真1:
みなかみ町観光会館外観。
見る位置によって表情が刻々と変わるコンクリート打ち放しの壁面の連なり。 背後の山並みに違和感無く溶け込んでいる様にも見える。
  

写真2:
写真1の右端部分から眺めた外観。
出窓や、右端の搭状の造形が、外観を複雑な構成にしている。
竣工は1970年11月。 施工は、萬屋建設(株)をチャンピオンとするJV。

・上の平浄水場

みなかみ町観光会館の脇を通る国道291号から分岐して坂道がある。
そこを少し昇れば、建物の全景を俯瞰できるかもしれないと、その道路を進む。 しかし、屋根に雪が積もっているせいもあって、全体像の把握はなかなか困難。
その上り坂の先に、ミサワホームS型NEWが見えた。
同社が1980年代に発売していた全国津々浦々どこにでも建っている規格型のモデル。 事例は散々観ているので、別に珍しくも何とも無い。 にもかかわらず、ついつい足が向いてしまうのは我ながら悪い癖。 しかし近づいて確認するその外観は、鬼瓦部分が洋風の棟飾りとなっているところが標準外。 施主の何らかの拘りなのだろう。
面白い事例との遭遇に、やっぱり取り敢えずは歩を向けてみるものだなどと思いつつ、更にその先に浄水施設が見える。 その本庁舎は、パラペットやバルコニーに見受けられる分厚い水平ラインが何とも強固な様相の外観(写真3)。 他の降雪地域と同様、この地の今年の積雪量も例年より多いのだそうだが、そんな降り積もった雪に負けぬ力強さが漲っている。
昨今もてはやされている薄くて軽いイメージの建築よりも、この様に苛烈な外部環境に抗って屈強に存在する様相の建築の方が、私は好きだ。


写真3:
上の平浄水場内の施設。
コンクリート打ち放しの分厚い水平ライン。 そしてそれを貫く同様に打ち放しの柱の列。
単純ながらも強度が漲る構成。
  

写真4:
成田山分院水上寺の山門。
白一色の雪景色との対比が鮮やか。 恐らく他の季節においても、周囲の緑とのコントラストによって、それなりの風景を作り出すのであろう。

・成田山分院水上寺

浄水場施設に向かう途中、進行方向左手に異様な山門が目に留まった(写真4)。
如何なる発想に基づくのであろうと思わずにはいられぬ独特のカラーリング。 白一色の雪景色の中にあって、その派手さが際立つ。
そんなキッチュな佇まいに吸い寄せられるように、歩を向ける。 いや、この様に人の脚を自然に境内へと向かわせることこそが、この彩色の目的か。 であるならば、私もその術中にすっかりハマッた一人ということになる。
もっとも、「あおによし」などという言葉があるように、古代においても寺院建築は絢爛な彩色が施されるものであった訳だし、その華やかさは江戸期に極まったという面もある。 だから、特別この山門が異様という訳でもない。
ともあれ、山門がこれならば本堂もさぞかし凄いのだろうなと思いつつ参道の階段を昇る。 しかし、山門の派手さにすっかり当てられてしまった後では、結構普通に見えてしまった。 その本堂を背に眺める温泉街と山並みが織りなす風景が、なかなかに素晴らしかった。



2012.02.07:水上温泉
※1

水上館の外観。渓流に沿って右手に見える全ての建物が当該ホテルの施設。
増改築のプロセスがそのまま外観に反映されるが如く、様々な意匠が折り重なる。


※2

水上温泉内の別のホテル。 久しく営業は行われていない様だ。
渓流の岩場の上に懸造り風に作られている点や、あるいは正面やや左側に並ぶポツ窓など、なかなか味がある。
背後に見えるのは、別のホテルの自走式駐車場。

休暇をとって、水上温泉に二泊三日滞在。ひたすら湯を堪能し、のんびりと過ごした。
宿泊先は水上館。 この地の施設としては随一の規模である様だ。 利根川・・・とはいっても水源に近い上流であるために渓谷の趣を呈する川沿いに、幾度も増改築を重ねたと思われる施設が巨艦の如く建ち連なる様は、何とも圧巻であるのと同時に異様でもある※1。 果たして、今現在の姿に至るまで、どの様なプロセスを経てきたのだろう。 そんなことを想像してみるのも面白そうだ。

周囲には、同様の温泉併設の宿泊施設が連なる。
それらの意匠からは、いずれも昭和半ばのある期間に集中して建てられたか、若しくは増改築が施されたのであろうことを読み取ることが出来る。 何がきっかけであったのかは色々と想像もつくが、ともあれ、競い合う様に設備投資が繰り広げられたのであろう。 結果として、今となっては少々くたびれ感が漂う意匠の中高層建物が累々と建ち並ぶに及んでいる。
この地に初めて温泉施設が作られた頃には有していたであろう深山幽谷な風情など、もはや見るべくも無い。 しかし、かつてのそんな風情を侵食し覆い被さる様に中高層建築物が建ち並ぶ様相こそが、現代の温泉街の典型的な佇まいといった面もあるのではないか。 そして私も、そんな建築群の一画のほんの片隅を、正味二日間シェアしていた訳だ。

そんな温泉街の建物の中には、営業をやめたのか、あるいは久しく営業を行っていないと思われる施設も散見される。 廃墟然としたそれらを窓越しに眺めながら湯に浸かることが風流なのか否かはとても微妙なところ。
しかし、そんな建物も含め、この地に建つ宿泊施設の意匠の多くは、いずれも今となってはなかなかに得がたい味わいを有している※2。 競い合う様に次々と建設が進められる中で、他者よりもより個性的にという意志の顕れであろうか。 その意匠を観察して巡るのも、温泉旅行の愉しみ方かもしれない。



2012.02.04:旭川駅前

JR旭川駅が建替えられて供用を開始。 内藤廣設計によるその駅舎の概要が、多くの建築専門雑誌の1月号に掲載されている。
その殆どに共通するのが、夜景の外観写真を採用していること。 外装のガラスのカーテンウォールを介して屋内の照明と共に、プラットフォームを覆う巨大な屋根を支える独特な構造体の群景が浮かび上がる。 洗練されたディテールとフォルムの構造体を連続させることで、空間に秩序と美しさを与える手法は、この設計者の一つの作法であろう。
そんな屋内空間の特徴を外観から捉える上で、この作品の場合、夜景は極めて有効といったところか。 GA誌などは、昼間の撮影において何とか屋内の構造体の特徴を捉えようと腐心したと思われる写真を冒頭に載せている。 しかし、併せて夜間に撮った写真も掲載しているのは、やはり夜景は外せないという判断なのだろう。

既存市街地の目抜き通りからも、その美しい構造体を望むことが出来る様だ。 幾つかの雑誌には、そんな状況を捉えた写真も載せられている。
もはや、駅前にそれぞれの地域らしさなど存在しない昨今。 当然ながら旭川の市街地の現況もその例外とはなり得ぬ訳だけれども、そんな無個性な街並みの中に新たな風景を醸成する要として、この構造体は時を越えて有効に作用することになるのかもしれない。
そして、その様な視覚的効果が周到に企図されたであろう駅舎のプランは、市街地の構造をよく汲み取って練り上げられていることが、掲載されている平面図からも読み取ることが可能だ。 経時への耐性を鑑み、奇をてらったデザインを採用しないことも、この作者の作法の一つと勝手に解釈している。 そんな作法を守りつつ、駅前の既存市街地への応答が、極めて巧みに実現されているという印象だ。

とはいえ、これは紙面からの印象。 実物を観てみないことには本当のところは判らない。
今後、駅前広場も整備される予定らしい。 その広場と一体になった時、既存市街地との関係も含めて、この駅舎の魅力がどの様なものになるのだろう。 紙上の配置図を見る限りにおいては、既存市街地に対して広場の奥行きが深すぎて、間延びした印象にならないかという気がしなくも無い。
そういえば、久しく同地を訪ねていない。 機会を捉えて出向いてみたいと思う。



2012.02.01:メーカー住宅私考_01
−チューダーヒルズ
※1

三井ホームのチューダーヒルズ。
外観はイギリスのチューダー様式、内観はアメリカンスタイルで統一。 そんな折衷様式から、チューダーヒルズという造語による商品名がつけられたのだそうだ。
その様式の再現性については、どう解釈して良いのか微妙ではある。
しかしそんなことは別として、13.5寸勾配屋根を組み合わせた外観は巧くまとまっているし、内観デザインも当時の同社最高額モデルにふさわしい実に豪華な内容となっている。


※2

同、コロニアル'80外観。
名称の通り、1980年に発売。
内観構成は、多くのハウスメーカーが手を染めた(あるいは今も手を染めている)、南面中央に玄関やホールを配置し、左右に居室を振り分ける形式。
しかし、さすがに三井ホームの場合は、同じ手法でも出来栄えに格の違いが如実に顕れる。

昨年前半、「住宅メーカー私史」というタイトルの連載を28回にわたってこの場に不定期に書き連ねた。
改めて読み直してみると、「私史」というよりはグダグダな「私情」といった趣きだ。 もう少し、その時々に発表されたハウスメーカーの商品について言及すべきであったなと思う。 ということで、「メーカー住宅私考」というタイトルで、そんなことについて改めて書いてみたい。
そうすると、住宅メーカーの住宅のページとの区別は?ということになりそうだ。 こちらの方には、向こうのページに載せるほど興味や思い入れを持っている訳ではないけれども、少し言及してみたいと思うモデルについて、時系列という枠組みを外して気楽に書き散らしてみようといったところ。 ここで書いた内容を踏まえて、「住宅メーカーの住宅」の各ページの改定を行ったり、あるいは新たなページを作るということもあり得るかも知れない。

でもって、初回は三井ホームのチューダーヒルズ。
三井ホームが1982年発表したこの商品を、昨年1月から復刻販売していたことを最近知る。
公式サイトのコンセプトページに掲載されている外観写真は、懐かしいという印象だ。 しかし、しばし眺めてちょっと違和感を覚える。
「何か、安っぽい・・・」
発売当時のことはリアルタイムに覚えている。 その豪華さに震撼したものであった。 でも、何か当時と印象が異なる。
何故だろうと思い、かつて広告などに用いられていた外観写真※1と比べてみて、原因がすぐに判った。 公式サイトに載せられている事例は、サッシの表情が薄っぺらなのだ。 かつてのそれは、部材断面にくり型が幾重にも施されている。 サッシの表情一つでここまで印象が変るものか。 「開口部を制するものは建築を制する」と述べた著名建築家がいたが、まさにその通り。
・・・と思って、サイト内の写真をよくみると、復刻モデルではなく1985年の竣工事例と記されている。 当時の広告等に掲載されていた外観写真のモデルは、実際に建てられるモノとは仕様が異なっていたということか。

復刻モデルは、このチューダーヒルズの他に、コロニアル’80※2とハートレーがラインアップ。 三つあわせて、エクスクルーシブという商品名を冠している。
このうち、ハートレーというモデルの存在は知らなかった。 調べてみると、1985年発表のモデル。 「住宅メーカー私史」で記している通り、かつて私がハウスメーカーに関心を持っていたのは1984年頃まで。 このモデルは、ちょうど関心を失った時期のものであり、従って知らないのは当然。
しかし、本当にものの見事に1985年を境に関心が途絶えたのだなと、今更ながらに実感する。

チューダーヒルズは、建築費の面では当時の同社の最高級モデルである。
ハウスメーカーの最高級モデルは、それぞれの会社が思い描く住まいの理想が顕れていて、比較してみると面白い。 例えば、ナショナル住宅産業(現、パナホーム)が1983年に発表したソラーナは、当時の松下グループの総力を結集させた最先端技術で家の中が埋め尽くされていた。 1979年発表のミサワホームG型は、豪放な空間構成を先進技術で満たしつつ、更には和の情緒も付与。そして、同社の標準パーツのフォーマットに則ることで工業化住宅としての拘りも持ち合わせていた。
では、三井ホームの場合はどうか。
コロニアル’80も、最高級モデルという位置づけに関してチューダーヒルズに劣ることは無い。 甲乙付け難い二つのモデルに共通して見受けられるのは、「洋風」の佇まいではなく、「洋館」の風格。 日本の住まいでありながら、そこにあるのは日本的なるものの徹底的な排除である。 あくなき欧米指向。
しかしながら、両者ともそれぞれの名称に冠している建築様式、つまり「チューダー」や「コロニアル」の様式に則ったデザインであるかというと、なかなか微妙ではある。 「洋館」というコードのもと、何でもあり状態になってはいないかという印象も無きにしも非ずだ。 そんなところは、極めて日本的といえるのかもしれない。



2012.01.26:千城台散策_4
※1

千城台団地内の一画に計画された商業ゾーン。
シャッターが降りた区画が並ぶのは、休日の昼下がりだからという訳では無さそう。 既に何年も前から営業を行っていない様に見受けられる店舗が殆どだ。


※2

実家がある団地内に配置されている商業ゾーンの一つ。
シャッターが降り、その前に雪が降り積もったまま放置されている。
着実に稼動している自動販売機との対比が、どこか空しい。

千葉市内の大規模な住宅団地、千城台について、過去三回この場に書き散らしている。
昭和40年代から50年代にかけての住宅メーカーのモデルに興味がある私にとって、この街は面白い場所だ。 当時の様々なメーカーのモデルがまんべんなく建っているという印象がある。
勿論、これは何も千城台のみの事象という訳ではあるまい。 同時期に開発された国内の様々な大規模団地において、同様の状況を確認することが出来るのであろう。
しかし、そんなエリアの一つとして千城台は探求の価値がある。 他の団地の追求は、千城台の全ての街路を踏破してから考えてみたいと思う。

ということで、千城台通いが続いているのだけれども、気になることは40年代プレハブ住宅建築事例以外にもある。
例えば、団地内に散在し、そして今後も増え続けるのであろう空き家の問題。 対策を施すべきそんなストックを内部に保留しつつ、新規造成される住宅地や建売住宅という新たなフローが、団地エリア外周に増殖している。
あるいは、団地内に計画されたサブセンター的な商業施設の閑散とした状況。
この二つは、昭和40年代に開発された大規模住宅団地の多くに見受けられる事象なのではないか。

千城台においては、東側のエリアにメインストリートに面する形で、二階建てV字型配棟の商業施設が立地している。
しかし、連なる店舗の区画の多くは、シャッターを降ろしたままの状況となっている※1
モノレールの開通と共に、この商業施設とは異なる場所に、駅が整備された。 その駅前に進出した大規模商業施設の影響が大きいのだろうか。 あるいは、車を利用して郊外の巨大ショッピングモールに出かけるライフスタイルの定着も、この様なサブセンターの位置づけの低下を招いているのかもしれない。

私の実家が建っている北海道内の大規模住宅団地も、昭和40年代に造成が行われ、サブセンターが各所に計画的に整備された。 しかし、いずれのエリアの場合も、シャッターが降りた店舗が連なる状況に陥っている※2
私の実家の近傍に整備されているサブセンターも、一軒の小さなスーパーが辛うじて営業を存続させている状況。 そこが閉店したら、確実に買い物難民になってしまう。

昭和40年代に造成された大規模住宅団地、いわゆるニュータウンの多くは、シルバータウン化の渦中にある。
同じ様な年齢層の家族が一気に入居し、そして一気に高齢化が進む。 今はまだ車を運転できる家族がいる家庭でも、これから数年先にはどうなるか判らない。 その時、徒歩圏内に整備されているサブセンターの役割が、再び重要になってくるのだろうか。



2012.01.21:長岡駅前
※1

左の画像※1
視認しづらいかもしれないが、長岡駅の大手口側を俯瞰のアングルで撮ったものだ。
撮影したのは、恐らく私の父親。 で、撮影場所は駅前のビジネスホテル“ホテルニューグリーンパル(現、ホテル法華クラブ)”と思われる。
画像が見えづらい理由は、あまりにもサイズを縮小して載せてしまっていることもあるが、それ以外にも、屋内からガラス越しに撮影しているせいもある。 建物の防火に関する法律上、細い鉄製の網を入れたガラス(網入り磨きガラス)が使用されていて、その細かい網目が写り込んでいるのだ。
更には、その外側の風景にも要因がある。 そう、駅舎の手前の何やらゴチャゴチャした箇所。 これは、駅前に建っていた長崎屋の店舗建物を解体しているところなのだ。
写真の整理中にたまたま見つけたのだけれども、過去の事象を確認する上で、今となっては結構貴重な画像かもしれぬ。 実は、こういった類の写真が、各家々に人知れず眠っていたりするのだろうな。

掲載にあたってトリミングしたために写っていないが、元の写真には1997年2月2日の印字がある。 当時、市内最大の売り場面積を誇っていた同デパートの閉店が1995年だから、その後あまり期間を置かずに建物の除却が実施されたことになる。
以降、今日に至るまで、何らかの施設が建てられることもなく、駐車場として利用されるに留まっている。 駅前という、本来好立地である筈の場所であるにも関わらずだ。 多くの都市で見受けられるのと同様、長岡でも、商業地としての駅前のポテンシャル低下は著しい。 そのことを如実に顕している事象と言える。

歴史を顧みる上で“if”は御法度なのだそうだ。 然るに私は歴史家ではない。 この写真からどんな“if”を展開しようとも、咎められる筋合いは無い。
例えば、上越新幹線開業に伴う駅施設再整備が実施された80年代前半の時点で、長崎屋が閉店し建物が除却されることが見込まれていたならば、その整備内容にどんな影響を与えていただろう。 跡地を取り込んだ駅前広場拡張工事が行われ、駅構内の商業施設のレイアウトも、現況とは全く違うものになっていたかもしれない。
あるいは、長崎屋閉店後の店舗を、駅近傍に現在建設中の市の施設“アオーレ長岡”の使途に転用していたらどうなっていただろう。
アオーレ長岡の敷地には、もともと石本建築事務所設計の長岡厚生会館と、日本におけるランドスケープデザインの先駆者、池原謙一郎設計のセントラルパークが有った。 それらをなぎ払うという大胆な行為の上に、隈研吾設計の新たな施設をわざわざ建てる必要も無かったかもしれない。 それに、駅前周辺の商業用地としての位置づけも今とは異なっていたかもしれぬ。
仮にアオーレ長岡の代替え施設として長崎屋店舗をコンバートするならば、どんなプランがあり得ただろう。 デパートの用途であったがために、間仕切りの少ないまとまった均質空間が幾層にも積み重なっていた。 だから、様々なパターンが想定可能であろう・・・といったことを際限なく想像してみる。
何気ない一枚の風景写真にも、そこから様々な展開を愉しむことが可能だ。



2012.01.15:車と住宅_2
※1
同じ西新宿では、東京都庁第二本庁舎が建つ敷地に、かつて住宅展示場が設置されていた時期もあった。
展示場の名称は、「東京ハウジングフェア新宿西口会場」。 1984年4月の時点で17社のモデルハウスが展示されていた。
80年代半ばといえば、既にモデルハウスが現実離れした豪華路線に突き進んでいた時代。 そんな住宅が、副都心の超高層ビル群に囲まれて整然と並ぶ光景もまた、現実離れしていた。

車と住宅の新たな関係について少し前に書いた。
しかし、昭和40年代にもそんな動向があった。 とはいっても、展示場の話。
新宿に、住宅と車の両方を展示する施設が存在した。 場所は、現在ハイアットリージェンシー東京が建っている辺り。 そこに「小田急住まいと車の新宿総合展示場」という展示施設が設置されていた※1
名称の通り、運営していたのは小田急電鉄。 設営期間は判らぬが、1970年2月発刊の住宅関連雑誌に広告が載せられている。
キャッチコピーは、「住み心地、乗り心地をお試しください」。 広告には、住宅メーカー7社のモデルハウスと、自動車販売のディラー1社が紹介されている。 施設の広さを活かし、モデルハウスの見学と自動車の試乗の両方が行えるという。

住宅の新築時、車も買い換える、あるいは新たに購入するケースは少なくないらしい。 莫大な資金を伴う住宅建設に比べれば、車の購入など些細な投資でしかないといった意識がはたらく様だ。 この展示場が、そんな消費者心理を突いた事業だったとするならば、鋭いことになる。
同様の運営形態を採った展示施設は他にもあったのだろうか。 あるいは、これとは別の異種の組み合わせを行った展示形態はあったのだろうか。
住宅展示場というのも、なかなかに奥が深いものである。



2012.01.09:札幌駅前
※1

実家の近傍を散策中に撮ったアカゲラ。

年末年始は、いつもの通り北海道の実家に帰省。 晴れれば実家の周辺を散策し、雪が降れば家の中でゆっくり過ごす。 これも、いつもの通り。
家の周囲は散歩コースに事欠かないと、以前も書いた。 長靴を履いて、フンワリと降り積もった新雪を踏みしめつつ、近傍の林の中を気ままに散策。
カタカタと樹を叩く音に上空を見上げれば、アカゲラが枝にとまっている※1。 その傍らでは、エゾリスが器用に枝から枝に移動している。 また、目線を足元に落とせば、キタキツネのものと思しき足跡が視界を横切っていたりする。
日々、無味乾燥な人工物に囲まれて生活している私にとっては、こんな光景を目の当たりにするだけで、十分リゾート気分である。 リゾートとは、せわしく観光スポットを巡ることではないといったことを、宮脇壇が何かの本に書いていた。 まったくその通り。
私は私なりに、ゆったりと北の大地を満喫する。

※2

旧五番館の二敷地に挟まれた仲通りに立つ街灯。
そこには、建物の外観の特徴に起因して命名された「赤れんがストリート」のサインが空しく残されている。

※3
北側外観。
道路から建物を後退させて地上部に広場を設置。 そこにサンクンガーデンや二階のデッキに至る階段等を設けて商業建築としての賑わいを演出。

しかし、その広場部分は現在は巨大な風除室が設けられ、その機能を失っている。 また、二階に至る階段も基本的には立ち入り禁止。
二階のデッキが有効に活用されたことは見たことがない。 もしかすると、道路の向かいに後年建てられたそごうデパートの二階レベルに廻されたぺデストリアンデッキとの接続を、その計画当初から構想していたのかもしれない。

とはいえ、時折札幌にも出向く。
駅の南口に降り立ち眺める風景には、若干の違和感を覚える。 そう、駅前に建っていた筈の二棟の建物が除却され、空疎に更地が広がる。 いずれも、五番館というデパートの跡地。
一方の敷地に五番館が開業したのは、1906年。 その当時はアーチを連ねたファサードが特徴のレンガ造の建物であった。
以降、1956年にその赤レンガの店舗を除却。 高層化され凡庸な建物に変わってしまったが、1990年に別棟の増築と既存棟の改築を実施。 その際に、坂倉建築研究所の設計によって、両棟とも開業時のイメージを踏襲した赤レンガ積み風の外観を持つ建物になった※2
特に愛着を擁く建物であった訳ではない。 しかし、商業建築という枠組みの中で、やや直截ながらも歴史性や地域性に配慮した意匠が施されているという点では好感を持っていた。
今後、跡地に建設が予定されている家電量販店の建物は、どんな外観になるのだろう。

思えば、ここ十年余りの札幌駅前周辺における商業施設の変容は著しい。
駅の脇に鎮座する、そごうがキーテナントとして入居していた建物には、ビッグカメラ等の量販店が店舗を構えている。 五番館は取り壊される相当前から既に西武百貨店に変わっていた。 そして駅ビルの建替えに併せて、旧そごうに対面するように大丸がオープン。 駅ビル内にも巨大な商業施設が設けられ、大いに賑わっている。 こんなに様子が変わるなど、かつては想像も出来なかった。
しかし、そんな中で一件、札幌東急百貨店※3だけは変わらずに営業を続けている。 1973年10月にオープンしたこの建物が、石本建築事務所の設計に拠るものであることを知っている人は、どのくらいいらっしゃるだろう。
雁行して二基並べられたシースルーエレベーターや、円柱の下端を斜めに削ぎ切りした時計塔、あるいは小振りながらもサンクンガーデンを設置する等、個性的な建物という印象を、当時から持っていた。 80年代後半に増築が行われているけれども、その増築部分も開業当初の意匠をそのまま踏襲。 駅前に唯一残る70年代から続く百貨店建築として、今後も営業を継続してほしいなどと、勝手な想いを持つ建物である。

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