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2012.03−2012.04
2012.04.28:秩父彷徨_2

再び、秩父へ。
目的は、以前書いたとおり。 駅からさほど離れていない場所に建つ二つの公共建築をじっくり堪能しようというもの。
一つは、旧秩父市役所庁舎。そしてもう一つが秩父宮記念市民会館。 双方とも、昨年の震災の影響で使用禁止措置がとられ、更には建替えも検討されている。
何度も書いているが、建築は用を成してこそ意味がある。 その機能を失ったものを無理やり延命して欲しいと情緒のみで訴えるような行為に与することに興味は無い。
しかし、本当に用を成さなくなったのか。用を復活する合理的な方法は無いのか。 除却すること、あるいは建替えることが最善の選択なのか。 そのあたりの検証は十分に行った上での判断は望まれる。
二つとも、そう思わせるに十分な、優れた建物だ。

内部空間に立ち入ることが出来ぬ分、建物周囲を徘徊し、外観を存分に愛でる。 ハタから見たら不審者以外の何者でもないかもしれぬが、そんなことは意に介しない。 存分に網膜とコンデジにその外観を焼き付けた後、市立図書館へ。 郷土資料コ−ナーにて、この二つの建物のことを色々と調べる。
で、一通り最低限の目的を満たした後、どうしようかということになる。 駅前の観光案内所にはレンタルサイクルも用意されていたが、何となく自転車ではなく徒歩で街中を散策してみたいという気分。 えいがままよと、歩の赴くまま、市中を散策。 旧街道沿いの雰囲気を残す古民家や小粋な近代建築が所々に散在し、観る目を和ませた。

建築探訪のページに載せた秩父市役所大滝総合支所は、今回ではなく、前回秩父を訪ねた際に撮ったもの。
奥秩父にある栃本集落に向う途上、大滝地区でバスの待ち時間が二時間半ほど発生。 それで、あても無く周囲を散策していた折、この建物が視覚に飛び込んできた。
事前の知識も無く、いきなりこの様な「オッ」って思える建物に出会えること。 これだから、見知らぬ町の散策は侮れない。

2012.04.25:メーカー住宅私考_08
折りたたみ式の住宅

※1

日本テラピン社のテラピンパックホーム。
その外観からは、折りたたみ式のユニット構法であることを見出すことは難しい。

ユニット構法系の住宅は、工場でその殆どを造り込むことで現場作業を極力減らし、品質の安定や施工性の向上を図っている。
しかし、弱点もある。 あらかじめ工場にて精度の高い造り込みが行われれば行われるほど、現場における精度もより高いものが求められる。 ちょっとしたミスが大きな瑕疵に繋がるリスクを孕んでいる。
更には、運送にも欠点がある。 工場でその殆どを作りこんだユニットを運ぶ訳であるが、居室という性格上、その中身は殆どが空洞である。 つまり、ユニットの輸送は大量の空気を運ぶのにも等しい。 パネル工法や軸組み工法に比べ、ロスが大きいと言えよう。
その欠点を補う手法として、折りたたみ式のユニット構法を採用した事例がある。 それが、日本テラピン社のテラピンパックホーム※1。 イギリスのテラピン社から導入した工法で、1971年頃に発売された。
床や屋根といった水平スラブ面の間に壁を倒した状態で輸送。 現地で壁を起こすことで、居室フレームを成す仕組みであったようだ。

同様の構法は、例えばミサワホームにおいても、後のミサワホーム55へと繋がる基礎研究の一環として折りたたみ構法の開発が進められていた時期がある。 1974年には実大部材による検証を行うなど踏み込んだ研究開発が行われていたが、最終形にこの構法が採用されることはなかった。
日本テラピン社も、主に店舗や事務所といった非住宅系用途での事業展開がメインで、住宅における推進は限定されたようだ。
この系統の構造というと、大規模な例では、なら100年会館のパンタドーム構法が挙げられよう。 しかし、特殊な構法という位置づけは今も昔も変らぬようだ。

2012.04.22:【書籍】橋と日本人
書名:
橋と日本人

著者:
上田 篤

出版社:
岩波書店

出版日:
1984年9月20日

私が長岡に住んでいた頃、居住地近傍に山北用水という農業用水路が流れていた。
用水路といっても小さなものではなく、その幅は10m弱はあっただろうか。 農繁期には深々と水を湛え、近隣市を含む広範の農地に水を供給していた。
幼い頃、その用水路のソバで遊ぶことがシバシバであった。 で、「危ないから、近づいちゃいけません」と親に叱られることもシバシバ。
まぁ、当然のことだ。 誤って転落すれば、生死に関わる。 そんな危険な公共インフラが家のすぐ近に在ることは、親にとってはとても気がかりなことであっただろう。

その用水路に、冬期間限定で架かる橋があった。
そう、雪の橋である。
農業用水路であるから、農閑期には基本的に無用途。 で、格好の雪捨て場となる。
除雪により発生した雪が次々と投げ込まれ、やがて用水路を横断するように雪がリニアに堆積する。 そうして、冬の間だけ対岸とのショートカット経路が出来上がる。 さすがに車の往来は無かったが、人が通るには十分であった。

雪の投げ込み方にルールなんてあろう筈も無い。 しかし、暗黙の了解でリニアな形状に積層させて対岸と繋げるべく、近所の住人皆が意識して雪を投げ込んでいた。
橋を架けようという共通認識。 たとえそれが、決して恒久的なものとはなり得ず、春になれば必ず消失してしまうということが判っていても毎年繰り返される架橋行為。
そこには、無常観の様なものが深層心理として通底していたのだろうか。

恒久的であることをハナから断念した橋。 そういった橋は、いにしえより形態や材料を変えて全国津々浦々に架けられてきた。
前述の雪の橋とは少々意味合いは異なるものの、驚くほど多様なそれらの事例について、そこに込められていた日本人の心情についての考察も含めて記述されているのが、この書籍である。 なるほど、日本人にとって橋の存在は極めて特異なものであるようだ。
しかし、そんな意識も今では相当希薄になってきているのではないか。 本書で指摘されている通り、こんにちの橋は、地盤面に敷設される道路の延長でしかないものが大半だ。 しかも、安全で恒久的なものが望まれる。
さもありなん。 移動手段としての車の利便性が何物にも増して優先される世の中である。 結果として、本書に載せられている類の橋は急速にその数を減らし、僅かに残る事例も、観光資源としてフェイクと化したものが殆どなのかもしれぬ。

かつての居住地における雪の橋。 これも今は造られることは無い。 用水路が暗渠化されたためだ。
現在その地上部は、「マイロード長岡」と名付けられた散策路になっている。

2012.04.18:メーカー住宅私考_07
回転する住宅

※1

フューチャーホーム2001外観。
系統的には、同社が1985年に発売した、ミサワホーム・エイトの発展形と見なせるだろうか。
ファサードは四面とも基本的に同一。 但し、ちょうど写真の裏側にあたる面のみ、二階中央のバルコニー部分に「ハイテクコア」がオーバーハングして装着された状態となっている。

※2
画像は、「ハイテクコア」ではなく、「ハートコア」。
遡ること七年前の1980年に開催された第9回東京国際グッドリビングショーに同社が出展した設備コアユニット。


フューチャーホーム2001に設置されたハイテクコアは、これにほぼ近い形態のものと思われる。
キッチンや浴室といった各種水廻り部分をはじめ、空調等の住宅設備機器一式が全て組み込まれている。 パソコンの筐体に各種デバイスを装脱着するかの如く、このカプセル化された設備ユニットを住宅に組み込む、あるいは交換することで、住宅建設の生産性や機能の更新性を獲得しようと構想された。

1987年のゴールデンウィーク期間中に東京の晴海で開催された国際居住博覧会。 そのイベントに、ミサワホームから「フューチャーホーム2001」というモデルが出展された。
正方形平面の二階建てのボリュームの上にガラス張りの方形屋根が載る。 外壁面の四隅に大きくコーナー開口を取り、中央にも縦長の開口部が付く。 そしてその開口部の二階には、出幅の大きいバルコニーが設けられている。 四面ともファサードデザインは基本的に同じ。 80年代のミサワホームのデザイン手法が先鋭的に現れた外観だ※1

残念ながら間取りが判る資料は、断片的なものを除いて手元には無い。 従って、内部構成の詳細は判らない。
但し、内外観写真や、このモデルについて紹介した記事等により、ある程度の概要を知ることが出来る。 建物は三層からなり、各層にそれぞれ「医」「職」「住」というテーマを与えて、それらに関わる同社の様々な技術を紹介する、文字通りの「パビリオン」となっていた様だ。

一階部分のテーマは「職」。
内観は、間仕切りの無い大きなワンルーム。 その中に、在宅勤務や職住一致を想定した住まい方を実現するために同社が開発した様々なアイテムや技術が展示されている。 中央には、それらのアイテムを制御する操作盤を組み込んだ太い柱が一本立つ。

二階は「住」。 快適な暮らしを実現するための様々な技術が展示された。
内観写真をみると、リビングやダイニング、そして寝室などが大きなワンルーム空間の中にゾーニングされている。 そして、その一体空間の中に少々偏在するように、水廻りを一つのユニットにまとめた「ハイテクコア※2」が置かれる。 中央には、一階と同じく太い柱が一本。

三階は「医」。 暮らしの中での健康増進に関する様々な同社の研究開発をテーマとしていた。
外観においても確認できる総ガラス張りのガラス屋根に覆われた空間。 そのガラス部分は二重構造になっている。 二枚のガラスの間に、ビーズ状の発泡ポリエチレンを空気圧を用いて充填または除去することで、日射や外気温に対する室内環境の制御を行えるようになっている。 大掛かりでユニークな機構ではあるけれども、実効性は低そうな印象。 室内環境維持ならば、もっと単純で簡易なやり方があろう。
しかしこの機構、実際に採用された事例が国内に少なくとも一軒存在する。 それは、同社の創業者の自宅。 御本人のブログで紹介されていた。 なかなかに維持管理が大変らしいが、むしろそんな欠点の検証や改善点の抽出を愉しんでいらっしゃる様子。 根っからの技術者なのだな。

ところで、一階と二階に存在する中央の太い柱。 内観写真で確認する範囲では、とても邪魔な存在に見える。
デモンストレーション住宅なのだから、構造的には柱を設けない計画も有り得た筈だ。 にもかかわらず設けられた柱。 これは、同社の代表的モデルであるミサワホームO型の大黒柱を意識した面があろう。
しかしそれ以上に、この「パビリオン」にはどうしても必要な柱であった。 というのも、このモデルはこの柱を中心軸に建物全体が回転する仕掛けになっていたのだ。 最速で40分間、通常は約半日で180度回転するという。
法的には実現性の低い仕掛けではあるが、博覧会に出品する試作モデルとしては、それなりに面白い機構だ。

2012.04.14:【書籍】地図を愉しむ東京歴史散歩
書名:
地図を愉しむ東京歴史散歩

著者:
竹内 正浩

出版社:
中央公論新社

出版日:
2011年9月25日

その多寡やスピードの違いこそあれ、少なくとも国内において変化から免れて存在し得る都市は無い。
仮に変らぬ都市があるとしたら、それは既に廃墟か史跡である。 いや、それすらも、定常的に作用する苛烈な外部環境や、あるいは観光地化という経済原理の介入等々により、決して不変ではありえぬ。

季節が流れる、城寨が見える
無疵な魂(もの)など何処にあろう

稠密であればあるほど、都市の変貌は速い。
なぜならば、都市とはヒトの欲望の表徴媒体なのだから・・・と、これは以前も書いた。 しかし、その時の文章には誤りもありそうだ。
個々の利欲に従い常に上書きされる都市の様相に記憶が保全される余地などまるで無いといった様なことを書いたが、必ずしもそうとは言い切れぬようだ。
上書きを行う側の人間だって、死に至った際、それまでに取得した大量の経験や知識を無に帰す一方で、最小限の遺伝子を残す。 あるいは、存在このかた死に至るまで、あらゆる機会に模倣子を伝播する。
それと同様、都市も、その一部が上書きされることで過去の様相が徹底的に破壊されたとしても、それでもなおそこには何らかの記憶が沈着する。
そんな都市の痕跡について紹介したのがこの書籍である。 なるほどそれらの事例からは、都市が過去と断絶して存在することなど在り得ぬことを知ることが出来て興味深い。
都市はやはり、"巨大な外部記憶装置"なのだということになりそうだ。

街をそぞろ歩きしていて時折見い出す小粋な佇まい。
それは、変り続ける都市が析出した痕跡の沈着と堆積のあわいに、たまさかに影向した秘めやかな事象ということになろう。
外部記憶装置が紡ぐその光景との出会いは一期一会。 それゆえに、その褪色した佇まいに価値を見出せる。 永続性を保証されないがゆえに感得可能な一瞬の明滅である。

2012.04.07:長岡文化創造フォーラム

長岡駅前に、市役所機能の一部等が入る複合公共施設アオーレ長岡がオープンした。
実物はまだ拝むには至っていない。 しかし、写真で見る限りは、隈研吾事務所ならではの作品という印象。 竪格子を全面に採用した馬頭町広重美術館辺りに端を発した独創的な外装材の扱いは、様々な手法の展開をみせつつ枯渇する気配がまるで無い。
アオーレ長岡においては、杉板パネルが多用されているが、テクスチュアが十分に引き出されながらも何処か現実感を欠く。 そう、CGそのままを見るような不思議な感覚。
その微妙な外装の扱いこそが、現在の隈研吾の真骨頂なのだろうけれども、御本人が「パラパラとした世界」と言い表すそのデザイン手法を実現するにあたっては、部材の固定方法がポイントとなる様にも思う。 その辺のディテールがどうなのか。
訪ねて確認してみたいと思うが、いつになることやら・・・。

同施設オープン時の記事が、地元紙に掲載されている旨、市内在住の方のブログに紹介されていた。
建設された敷地は、近世においては長岡城の二の丸が定められていた。 以降、市域の拠点として、用途と施設を変えつつ機能してきたその場所の歴史を端的に紹介した記事らしい。
全文を確認するには及んでいないが、果たしてその記事の中に、未完に終わったプロジェクトについての言及はあるのだろうか。 それは、1996年頃に建設計画が持ち上がった表題のプロジェクト。 アオーレ長岡と同様、既存のアリーナ施設とその南側にある都市公園を除却した上で、新たにコンベンション施設を整備しようというもの。
設計コンペが行われ、岡部憲明のプランが実施案として選定された。 メイン用途を地上高くに持ち上げ、直下の大部分をホールとする野心的なプランは、当時の建築系専門誌にも紹介された。
しかし、既に類似用途の施設が市内に存在する状況にあって、新たな施設を建設することの是非は、大いに議論になった様だ。 曲折を経て、結局実現には至らず。
しかし、設計者が岡部憲明である。 もしも実現していた暁には、魅力的なディテールが満載の建物になったのではないか。

それから十数年を経て完成したアオーレ長岡。 用途はより複雑化し、当然ながら在り姿は全く異なる。
商圏の郊外拡散に伴う旧来の中心街のポテンシャル低下は、全国各地に見受けられる事象であるが、長岡も例外ではない。 時折訪ねる長岡市街地の様相は、在住していた頃とは隔世の感がある。 そんな街中の活性化の役割を期待されている面が多分にある様子だが、果たしてどうなるか。
同施設に限らず、賑わいを取り戻すことを目的とした様々な施策が近傍で進行し、あるいは完成している。 それらを含めた市街地の今後の動向には、元長岡市民として少々注意を払ってみたいと思う。

2012.03.31:メーカー住宅私考_06
浮揚する住宅

※1

施工中のフジタハウス。
二階部分をリフトアップしている状況。 正規の位置まで上昇させた後、その下部に一階を施工する。

リフトアップ工法という建設技術の呼称は、東京スカイツリーのゲイン塔施工をきっかけに、結構ポピュラーなものになったのではないだろうか。 同工法を用いた大掛かりな事例となると、例えば大阪の梅田スカイビルなども、施工中には結構話題になった。
しかし、この工法が用いられるのは大規模なプロジェクトばかりではない。 ハウスメーカーの住宅にも取り入れられた事例がある。 それが、フジタ工業(現、フジタ)が手掛けていた木質系の戸建住宅「フジタハウス」。

基礎工事が完了すると、その上にまずは二階部分を作り始める。 そして屋根まで含めた二階が完成したら、四隅に設置した揚重機により正規の二階の高さまで持ち上げる※1。 リフトアップが終わった後、その下に一階を造るという流れ。
木質系プレハブであるが、床組みだけはS造。 なぜ鉄骨かというと、リフトアップする際の強度確保のためなのだろう。 そしてそのことが、建物完成後も上下階の遮音性向上や、建物自体の耐震性向上に寄与する。
しかし、この工法の一番のメリットは施工性。 高所作業が減るし、地上でまかなえる作業が増えることによる効率性アップが期待できる。 一方で、外観デザインやプランニングといった意匠面については、逆に制約も多いのではないか。
そのせいか、類似工法の他社事例は今のところ把握できていない。 だが、ユニークな工法である。
前面道路の幅員が乏しい狭小敷地等で、クレーン等の大型工事車両の進入が困難な立地条件の場合に応用が効きそうだ。 その様な条件がますます増える昨今、検証してみても良い工法かも知れぬ。

1969年頃から発売をしていた様だ。 その後、いつ頃までこの工法を用いた住宅事業を展開していたのかは判らない。 しかし、1973年に発刊された住宅雑誌の中には、広告を確認することが出来る。

2012.03.25:秩父彷徨

昨年の五月ごろ、高校の時の同級生が自らのツイッターの中で、仕事で秩父に出張する旨を呟いていた。
「秩父かぁ、行ったこと無いな・・・。」と思い、街並みはどんな雰囲気なのだろうと、ストリートビューを観てみる。 で、市内中心部に建つ秩父市役所と秩父宮記念市民会館が目に留まった。 すこぶる格好良い。 これは観に行かなければと思いつつ、怠惰な性格が災いし、実行に移さぬままでいた。
これとは別に、日本民家再生協会が発行する会報誌の最近の記事に、秩父エリアの最奥部の山中にある栃本という場所のことが紹介されていた。
なかなか魅力的な景観を持つ山岳集落だ。 はたまた、これは観に行かなければということで、ようやくスイッチが入った。

普通の人ならば、車で出かけることだろう。 しかし、この場に何度も書いているように、私は完璧なペーパードライバー。 それでなくとも、目的地までの過程の風景もじっくりと堪能したいとなると、公共交通機関に頼ることとなる。
ネットで色々調べ、栃本に至る交通手段を確定。 その途中で秩父市内の散策も行おうということで、現地に向う。

居住地から電車を三回、路線バスを二回乗り継いでの栃本入り。 その途上の風景も含め、訪ねる価値が十分にある集落であった。

帰路のバスが来るまでの数時間、集落内に滞在。 途中、昼食をとる。 周囲にコンビニや食堂がある筈も無い。 小さな物販店は一軒あったけれど、休日のためか営業しているのか否かも不明。 当然そんな状況はあらかじめ想定しているから、非常食としてストックしていた賞味期限切れ間際のカロリーメイトをポケットに忍ばせておいた。 集落内の小径の傍らに腰を降ろし、それをボソボソと食べる。
前面には、30度近くの勾配はあろうかという斜面地が広がり、遥か下方の谷底に 向って落ち込んでいる。 その谷底から吹き上がってくる風は、僅かに春の気配。 何ともまったりとした幸せな気分に浸りつつ、その場に佇む。

そして、帰路。 秩父市内も散策。
目当てであった二つの建物は、やはりタダモノではない風貌。 しかし、いずれも周囲にロープが張られ、立ち入り禁止になっている。 建物そのものの使用も中止となっている。 後で調べてみると、一年前の震災の影響で危険な状態にあり、建替えも検討されているそうだ。
これは大変。 そんなことになる前に、もう一度しっかりと建物を堪能するために現地を再訪しようと思う。

文中の画像は、栃本集落内で撮ったもの。 集落そのものについては、別途、街並み探訪のページにて報告した。

2012.03.24:聴覚による空間認識

前回、あまり映画は観ないと書いた。
確かに、映画館に足を運ぶことは殆ど無いけれど、それでも最近珍しく映画館に行く機会があった。 目当ては、『けいおん!』の映画版。
この手の映画の場合、TVアニメシリーズで散々大風呂敷を広げておいて、続きは映画館でというパターンが往々にしてあると聞く。 しかし、この作品に限っては、それはありえない。 なぜなら、TVシリーズは主要登場人物達の高校卒業によって取り敢えずは美しく完結したから。 いや、逆に完結したがゆえに、更に映画で何をやるの?といった感があったのだけれども、そんなことへの興味も含めて映画館に向うこととなった。

しかし、当日券を買い求めたチケット売り場で、いきなり興醒めしてしまう。
なにやらポイントカードの様なモノが手渡されたのだ。 そこに入場券の半券を二十四枚貼ると、オリジナルグッズが貰えるらしい。
熱心なファンならば、そのポイントカードを埋めるべく何度も映画館に足を運ぶのだろう。 しかし、全ての入場者がそういった嗜好を持つ訳でもあるまい。 二十四回も観に来いなどという露骨な商業主義に白けてしまう向きがいることも、企画者側は考えるべきだね。

とか言いつつ二度観てしまったのは、それなりの出来栄えだったから。 恐らく、TVシリーズを観ていなかった人にも判りやすい組み立てになっていたと思うし、TVシリーズを見知っている身にとっても十分愉しめる内容であった。
その内容について、この場に書き散らすつもりはないが、印象に残ったことを一つ。
それは、音響効果のこと。 TVシリーズには無かった、あるいは私には聴き取れなかった音の描写が映画版には有った。
例えば、映画の主要舞台である校舎内の板張りの床が軋む音や、廊下と教室の間仕切壁に設置された連窓が風にバタつく音。
床の軋み音は、歴史を経た校舎の描写としては有り得る表現なのだろうが、ちょっと違和感を覚えた。 なぜなら、設定されている校舎のモデルは豊郷小学校。 確か、鉄筋コンクリート造の筈である。 床板が軋むってどういうことだ? 直張りではなく、コンクリートスラブの上に下地を組んだ二重床なのか? あるいは、主要構造体の殆どをRCとしつつ、界床のみ木造とした混構造なのだろうか? 同小学校を訪ねたことは無いので、実際に校舎がどんな造りなのかは判らない。 でも、そんなことが気になった。
一方の連窓の方。 映像からも、それが木製建具であることは視認できる。 しかし、そこにバタつき音が加わることで、より質感がリアルになった。

聴覚による空間認識。 そんなことを考えさせられもした映画であった。

2012.03.20:鉄道員

本文中に貼った画像は、文の内容とは無関係。 単に散歩がてらに撮った写真。 真冬の冷え切った大気の中に透徹な表情を見せる、東京駅八重洲口前の超高層オフィスビル。 今迄この場では、文章と画像は一体不可分の関係で扱っていて、こういったレイアウトを試みたことは無かったのだけれども、まぁ、気まぐれです。

「Yamazaki 2002」を練習している旨を少し前に書いたが、取り敢えず何とか弾ける様になった。
所有する5オクターブのキーボードだと弾けない音域が発生するとも書いたが、例えば、音符が低音域に差し掛かる直前の休符の箇所でキーの設定を1オクターブ下げる等で何とか対応している。 運指がある程度スムーズになると、そのくらいの操作を行う余裕は出てくるといったところ。

で、次の曲ということで選んだのが表題の作品。 これも坂本龍一の作曲。 同タイトルの映画に使われたテーマ曲だ。
浅田次郎原作の同小説が映画化されたのは1999年。 私は映画を観ることは殆ど無い。 しかし、TVで偶然この映画の予告を観て少々興味を持ち、映画館へと足を運んだ。
興味を持ったのは、映像の中に出てきた志村けんの存在。 なんだかとてもシリアスに炭鉱夫を演じていて、印象に残った。
コメディアンとは異なる一面に興味を持った訳だけれども、実際にはそんなシーンは予告編CMの部分のみ。 他は酔っ払っている場面ばかり。 御本人が至極真面目にその役を演じていることは、スクリーンからヒシヒシと伝わって来る。 でも、泥酔シーンは、まるでコント。 場内の所々から、クスクスと笑い声が漏れてしまう辺りが少々哀しいところであった。
そのうえ、登場シーンは極僅か。 挙句に、炭鉱事故で敢え無く帰らぬ人となってしまう。 だからといって、あまり意味をなさぬ端役ということではないのだが、しかしこの作品、ストーリーを動かすために“死”という事象に頼り過ぎているというきらいがある。 結末までもが、人の死によって締め括られる。 しかも、随分と都合の良いタイミングでのあまりにもカッコ良すぎる死であった。
出演者達の演技とか、あるいは北の大地の美しい風景等、映像は見どころ満載だけれども、ストーリーはちょっとネ・・・というのが当時の印象であったように思う。
で、この文章を書くために久々にビデオを観たのだけれども、かつての様に冷めた目で見続けることは出来なかった。 特に、終盤の父と娘が言葉を交わすシーンには、おもわずホロリと来てしまった。 歳のせいだろうか。 随分涙もろくなってしまったものだ。

そんな映画の最後に、このテーマ曲が流れる。
当時は大して印象にも残らなかったけれど、ソロピアノ用にアレンジされたテイクを改めて聴くと、とても美しい。 しかも、なんだか簡単そうだよなと思って取り掛かったのだけれども、甘かった。 なかなか単純ではないのが坂本作品。
その曲調から、冬の間に弾けるようになりたいなと思っていたのだけれども、もう春がそこまでやって来ている。

2012.03.17:メーカー住宅私考_05
その形を纏ったそれではないモノ

※1

ミスターO型施工事例の俯瞰画像。 トレードマークである腰屋根が付いていない。

越屋根の無いミサワホームO型。
1980年代半ばに、そんなモデルが同社から出されていたことは覚えているし、実際に幾つかの事例も観ている。
そのモデルの名称が「ミスターO型」であることを最近知った。 発売は1985年1月。 同年の3月下旬までの期間限定販売。 更には販売戸数も7000棟に限定されたモデルであった。

このモデルに無いのは越屋根だけではない。
越屋根同様、O型のアイデンティティである筈の玄関ホールの大黒柱も取りやめられ、その頂部に配置されるロフトも無し。 更には造付け家具の類も全て取り外されている。
ここまで仕様を削ぎ落とす目的は、コストダウン。 結果として、坪単価は25万円(当時)也。
安価で高品質なモデルの大量供給を目的に実施された80年代の国家事業「ハウス55プロジェクト」で実現したミサワホーム55より更に安い単価だ。

しかしだからといって、ハウス55が無意味なプロジェクトであったということにはならない。
既にある仕様を削ぎ落として低コスト化を図った家と、当初から低コストを念頭に新規開発された家では、たとえ同等コストであったとしてもその出来栄えは全く違う。
ミサワホーム55は、内外観共に決してチープなものではない。 低廉モデル実現のために、生産方式まで遡って開発された諸技術の成果が確実に形となって現れている。
一方のミスターO型は、確かに安い。 しかしそこにあるのは「O型の形を纏ったO型では無いモノ」でしかない。
果たして、どちらがより豊かな住まいであろうか。

同時期に、ミスターS型も同社から発売されている。
ミサワホームS型NEW の外観からバルコニーや化粧胴差等を取り外し、標準設定されていた屋内設備も極限まで削ぎ落としたモノであったらしい。
こちらの坪単価は、27万円。 しかし、最小限に施された化粧外装材すら取り外したS型NEWの外観というのは、想像するだけでおぞましい。
幸い私はミスターS型は未見だ。 今後も拝む機会にブチ当たることが無きよう、祈るのみだ。

削ぎ落とすだけ仕様を削ぎ落とし、もはやソレ自体では無くなってしまったモノに、「ミスター」の呼称を与えるセンス。 そこには皮肉か、あるいは自嘲が込められていたのだろうか。
この様なモデルが発表される背景。 それは、当時の建設市場が「冬の時代」と呼ばれる程に低迷していたことと無関係ではあるまい。

翻って、今現在の業界の状態はどうか。
その全てを把握している訳でもないが、決して良い状況ではない。 そんな中で跋扈しているのは、バリューエンジニアリングという都合の良い言葉の下で繰り広げられる血の滲む様なコストダウン、あるいはカットダウン。
そこに見出せるのは、ミスターO型の風景でしかない。 果たして、業界総“ミスターO型”化の向こう側に拓ける展望は、如何に在る哉。

2012.03.11:西千葉駅前

駅側から眺めた外観。
店舗が並ぶ一階部分が、斜めに取り付く前面道路に沿って張り出している。 二階はほぼ矩形。但し、手前側は接道の関係で斜めにカット。
右手妻壁頂部にアーチ状の意匠。


二階左側の壁面部分。 表面のモルタルが剥落し、木摺り下地が露出している。
下地の上に、かつては「葉」の字を表示していたのであろう草冠部分の切り文字が傾いて取り付く。 更に右側に「ス」「ト」「ア」の文字が並ぶ。


西側の区画の下屋部分。

JR西千葉駅南口の左手に、年季の入った建物が建つ。 総武線の車窓からも確認することができ、通りすがりにいつも気にはしていた。
西千葉ストアーと呼ばれるこの建物について最近ネット検索をかけたところ、東日本大震災の影響で半壊との記述が目に留まる。 これは大変とばかりに、現地を訪ねた。

とりあえず損壊は一部に留まり、全景は保持されていた。
駅を出てその建物を眺めれば、大小さまざまな看板に覆われた外壁の妻側頂部に、微妙に左右非対称のアーチ状の意匠が載冠する。 かつては、駅前広場に向けた商業施設の顔として辛うじて機能した設えであったのだろう。
その商業用途は一階のみ。二階は共同住宅になっている。 二階は恐らく無人。 一階も、幾つか区画されている店舗の中で営業を行っているのは二区画のみ。
屋内を巡ることが出来ないので、内部構成は外観から読み取るしかない。

二階は、桁行方向の開口部の配列から、一間半毎に界壁で区画されていると思われる。 恐らくは、四畳半か六畳といった広さのワンルーム住戸を中廊下を介して南北に数戸ずつ配置。
その基本グリッドをベースに、敷地形状から生じる不整形な部位を台所やトイレ等の共用スペースにあてがっているのではないか。
一階部分は、住宅地図で確認すると桁方向に分割された短冊状の区画が表現されている。 だから、二階と同様のグリッドを用いて1スパンか2スパンで区画する形式をとっていると思われる。 但し、斜めに接する前面道路に向って下屋が張り出しているため、実際の状況は不明瞭。

一部損壊している箇所というのは、一番西側の区画の下屋部分。 屋根がほぼ崩落してしまっている。
道路に沿う外壁面の所々に、倒壊の危険性について告知する表示もある。 まだ一部は供用されているものの、耐久性の面ではなかなか厳しい状況にあると言えそうだ。
建物の来歴については、判らない。 一部損壊している箇所というのは、一番西側の区画の下屋部分。 屋根がほぼ崩落してしまっている。
道路に沿う外壁面の所々に、倒壊の危険性について告知する表示もある。 まだ一部は供用されているものの、耐久性の面ではなかなか厳しい状況にあると言えそうだ。
建物の来歴については、判らない。

時を経る中で、周囲の様態とは異なる位相の中に取り残されたかの様な空間、あるいは群景。 そんなエリアに対して、“止界(とかい)”などという言葉を思いついたのは、学生時代のこと。
時間の流れが止ってしまったかの如き空間、あるいは、周囲の変容に呼応する意志を断念してしまった様なエリア。 以降、そんな「都会の“止界”」を捜し求めて時折街中を彷徨することがある。
あまり展望のある探求とも思えないから程々に留めるべきと思いつつ、しかしそういった場所には強く惹かれる何かが備わっている。 この西千葉ストアーは、そんな事例の一つだ。 時を経る中で、周囲の様態とは異なる位相の中に取り残されたかの様な空間、あるいは群景。 そんなエリアに対して、“止界(とかい)”などという言葉を思いついたのは、学生時代のこと。
時間の流れが止ってしまったかの如き空間、あるいは、周囲の変容に呼応する意志を断念してしまった様なエリア。 以降、そんな「都会の“止界”」を捜し求めて時折街中を彷徨することがある。
あまり展望のある探求とも思えないから程々に留めるべきと思いつつ、しかしそういった場所には強く惹かれる何かが備わっている。 この西千葉ストアーは、そんな事例の一つだ。

2012.03.04:メーカー住宅私考_04
セキスイハイム

※1

セキスイハイム・グロワール外観


※2

セキスイハイム・アバンテ外観

積水化学工業のセキスイハイムの一面カラー広告が新聞に掲載されていた。 最新モデルの外観写真が堂々と載せられている。
それを見て、何やら変な感慨が沸く。 「ハイムも随分と進化したものだなぁ」、と。

私が初めてセキスイハイムを観たのは、1980年頃のこと。 長岡市の幸町にあった住宅展示場に建てられたモデルハウスを観に行ったのが最初である。
恐らくは、ハイムM3-SRII型という冬期の積雪が1.5mを超える地域向けのモデルだったのだろうと思う。
その印象は、あまり良いものではなかった。 後に知ることとなった最初期モデル、セキスイハイムM1のようなユニット住宅ならではのラディカルさがある訳でもない。 それどころか、逆に何とか住宅らしく見せようと中途半端に装って破綻している。 そんな印象しか持てなかった。
こんな住宅が売れるのかとすら思っていたけれども、意外なことに市内の各所に確実に建設事例は増えていく。 何故に?と思ったけれど、当時は、フラット屋根が豪雪地帯のニーズにマッチしたのと、ユニット住宅ならではの施工の早さが評価されているのだろうなどと勝手に解釈していた。

同社のラインアップに変化が現れたと思うようになったのは、1982年11月3日発表のセキスイハイム・グロワール※1辺りからであることは、以前もこの場に書いた。 このグロワールは、デザイン監修に建築家の山下和正を起用して開発された商品。 全面に煉瓦調磁器質タイルを纏った外観は、ややハリボテ感があるものの、それまでのラインアップとはデザイン面において天地の差があった。
正式発表に先行し、同年4月28日から東京晴海の国際展示場で開催された第7回グッドリビングショーにおいて、「ビッグ・ブラウン・ハイム」という名称で同商品のプロトタイプが公開された。 高級感を指向した初めてのユニット住宅ということで、そのインパクトは小さくは無かったことであろう。

更に、1983年4月に同社からセキスイハイム・アバンテ※2が発表される。 このモデルも、従来のユニット住宅には無い意匠性を持ち合わせており、且つそれがユニット住宅ならではのデザインでもあった。
同年の9月6日に、トヨタ自動車(現、トヨタホーム)からトヨタホーム・アスペンが発表されている。 同様にユニット住宅であるが、こちらも優れたデザインを実現している。

そんな動向を追ってみると、ユニット住宅における転換点は少なくとも三回あったと言えそうだ。
一つは、セキスイハイムM1が発表された1970年。 それまで、建築家たちの個別プロジェクト単位の実作や、あるいはハウスメーカーやゼネコンの試作に留まっていたユニット住宅が、初めて住宅産業の商品として登場した。
そして二つ目は、オイルショック前後。 セキスイハイムの成功に刺激されて、後続メーカーが雨後の筍の如く現れたが、この経済混乱をきっかけに一気に淘汰された。
そして三つ目が、この1983年。 それまでは、どちらかというと高い工業化率を全面に押し出していたユニット住宅が、デザイン性へと軸足をシフトした。
この場に何度も書いているが、1985年以降は、住宅メーカーに対する関心が薄れたため、その後現在に至るまでの動向は良くわからない。
しかし、デザイン性の深化が確実に推し進められたのであろう。 今回見た積水化学工業の新聞広告は、そのことが如実に顕れている。

2012.03.01:Angel's share
※1
・・・と書きつつ、実はもう一台、小さなシンセサイザーが手元に有ったりする。

1978年発売のアナログのモノフォニックシンセサイザー。 かつて、なけなしの貯金を叩いて購入したのだけれども、今ではiPad上で擬似的に操作が可能な専用アプリが、二桁異なる廉価な値段で売られているのだそうだ。

最近練習している曲は、「Yamazaki 2002」。 これも、坂本龍一の作品。 「水の中のバガテル」「Daer Liz」と来て、更にこの曲となると、サントリーウイスキーのCM曲ばかりじゃないかということになるが、確かにその通り。 練習をするには、まずは弾きたいという単純な動機が必要。 たまたまそんな気分にさせる曲が、ウイスキーのCM曲だったということにしておこう。
それに、確かにウイスキーは好きな酒類ではある。 でも、好きだけれども、昨今はやりのハイボールなんかは試す気にはなれない。 それ以前に、水で希釈するとか、氷を入れるなんてことも許せなくて、とにかくストレート。 あの芳醇な香りと味わいに異物を加えるなんて、とてもじゃないが勿体なくて私には出来ません。 この「勿体ない」という心情が理解できぬ人は、是非ともニッカウヰスキーの余市工場を訪ねることをお勧めします。 同工場内の古蔵の中に入って、そこに染み付いたエンジェルシェアが放つ極上の芳香に包まれてみれば、きっとウイスキーに対する価値観が変わるはず。

話を「Yamazaki 2002」に戻す。
この曲、音域が広過ぎて私が所有する61鍵のキーボードでは弾けない音が生じてしまう。 今まで取り組んだ曲は、キーを1オクターブ下げる等の対応で何とかしのぐことが出来た。 しかし、この曲は無理。 特に、終盤の重低音で締めるところが弾けないのは、なかなかにつらい。 となると、ちゃんと88鍵揃ったキーボードを買わなきゃならないかということになるが、何台もキーボードを置けるほど豊かな住宅事情の中に身を置いている訳でもない※1。 どうしたものかと思いつつ、同時に最新のキーボードの動向も少々気になったので、久々に楽器店なんぞに赴く。

様々な商品が陳列されている。 もし購入するならばどれが良いだろう、などと迷いつつ店内を徘徊。 その間中、商品として陳列されている電子ピアノに向かい一心不乱に演奏し続けている客が一人いた。
最初のうちは、「うるさいなぁ、これじゃそれぞれのキーボードの音質も満足に確認出来ないじゃないか。いい歳して、少しは周囲のことを考えるくらいの分別を身につけろよ。」などと思ったものだ。
しかしながらその御仁、やたらと巧い。 見た目は普通のサラリーマン。 そして恐らく私と同年代。 きっと、幼い頃からピアノに触れて来たのだろうな。 で、現在住んでいる家は、思う存分弾くことが少々憚られる環境。 なので、こんな場所で欲求を満たしている、といったトコロなのかもしれない。
まぁ、実は私自身の音に関する住環境が、そんな状況でもある。 家で弾く時は、近所迷惑を鑑みてヘッドホンをして演奏することが多い。 だからといって、楽器店に来てガンガン弾こうとは思わないけれどもな。 その理由は、単純。 下手くそだからだ。

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