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雑記帳
2012.05−2012.06
2012.06.30:東京スカイツリー

規模に比して短辺方向の幅に余裕が無い敷地形状の中で、精一杯つま先立ちをして高さを誇っているかの如き危うい姿。
それが、計画案が公表された頃からこの塔に対して持つ印象であった。
その余裕の無さは、なにやら今の日本そのものを表徴しているように思えてしまうのは、ヒネクレた物の見方であろうか。
あるいは、その足元に広がる商業施設。
敷地目一杯に建ち尽くすその様態が、21世紀初頭の代表的なプロジェクトと位置づけられるであろうタワーの基壇としてふさわしい構えかというと、それもなかなかに素直に肯定出来ない。 これまた、ひねこびた視線ということになってしまうのだろうか。
しかし、例えば東京タワーのロケーションと比べてみるとどうだろう。 増上寺の境内から続く鬱蒼とした木々の連なりに面して四脚を降ろし、そして天空に向って優雅にそそり立つその姿と比較すると、東京スカイツリーはどこか薄ら寒さを感じてしまうところが無きにしもあらず。

とはいえ、近場で見るその塔は、流石に迫力がある。
仕事での移動途上、乗り換えのため押上駅の改札外コンコースに出る。 その通路に面して、東京スカイツリータウンへの出入口がいつの間にやら整備されている。 時間にやや余裕があったので、それでは少しばかりと商業棟の屋上広場へ寄り道。
広場に佇む群衆は、その多くが同じポーズをとっている。 つまり、眼前に屹立するスカイツリーを仰ぎ見る姿勢。
私も同様に、自然と視線がタワーの上部へと向う。

設計にしろ施工にしろ、本当に大変だったのだろうなと素直に思う。 いや、それ以前の事業策定の段階からして、相当大変であったに違いない。 その成果が現実のものとして目の前に天高く立ち上がる光景には、やはり単純に感動する。
数刻、その姿を眼に収めた後、混雑する商業施設をそそくさと通過して再び押上駅へ。
しかし、施設から駅まで、全く外部に出ずに往来できてしまう建物そのものの自己完結性が、周辺地域への経済波及効果といった点ではどうなのかとも思う。 う〜む、どうしてもヒネクレたものの見方になってしまうな。

※1
ここで逓減率という言葉を用いて良いのか自信が無いが、五重塔などの層塔の初層部分に対する最上層の幅寸法の割合をこの様に呼ぶ。

ヒネクレついでに、このタワーを記事として取り上げた建築系の雑誌についても少々。
ここで改めて述べるまでもなく、東京スカイツリーは底辺の正三角形平面から頂部の正円形平面に至るまで、連続的に変化しつつ窄まる形態を採用している。
つまり、部位によって逓減率※1が微妙に異なる。
従って、左右の逓減率が異なって見える場所から眺めた場合、若干傾いている様にも見える。 勿論、塔自体の中心軸が傾いている訳ではないが、そんないびつな形状を載せた雑誌は殆ど無い。 いずれも、左右対称な逓減率となるアングルからの整形な外観を載せている。
そういった写真も勿論大事だけれども、しかし、視点によって逓減率が左右非対称となることで微細ないびつさを伴うことも、このタワーの魅力だと思う。 そんな写真をもっと沢山掲載して欲しかったね・・・などと思う辺りも、やっぱりヒネクレた見方なのだろうか。



2012.06.23:【書籍】二畳で豊かに住む
著者:西和夫

発行: 2011/3/17

出版社:集英社

紹介されている内容は、全てが二畳とは言えないまでも、とりあえずは狭小空間。 何らかの経緯でそういった空間に住む、あるいは住まざるを得なかった著名人達の動向について、淡々とその事実が述べられる。
しかし、タイトルに沿った内容とするならば、その事実の中にどの様な豊かさが伴っていたのかという著者の所見をしっかりと書き記すべきであろう。
そういった掘り下げを、文章から読み取ることは出来なかった。
タイトルを見て、清貧なシンプルライフによって成立する豊かさについて事例を交えながら深く考察されているのだろうなという先入観を勝手に持ってしまった私が安直だったということなのだろうか。
内容に即すなら、「著名人が住んだ狭い棲家」といった程度のタイトルが適当という印象を持つ。
ということで、腑に落ちぬまま読み終えることと相成った。

住むことに対する豊かさの在りようは、個々人によって様々だ。
例えば本書のあとがきで、インターネットカフェは狭小空間だが豊かとはいえないといった記述がある。 しかし、生活するために必要な事々を全てアウトソーシングで賄い、自身はインターネットカフェに泊り込むライフスタイルに無上の豊かさを見いだす人もいるかもしれぬ。 なぜならそこには、自らに纏わりつく様々なしがらみや、そしてなかなかに絶ちがたき所有欲から解放された自由があるのだから。 この場合、その人は二畳どころか、条件によってはもっと狭小な空間で豊かに住むことを実践していることになろう。
あるいは、同じあとがきの中で、かつての下町の狭い長屋暮らしがコミュニティが醸成されていて豊かだとする下りがある。 これについても、本当に当時の人々は、それを豊かなことと無条件に自覚していたのだろうか。
狭隘な居住空間にあっては、互助の体制によって生活を補完し合うしかない。 必要に迫られてのコミュニティの形成。 かわりにプライバシーは殆ど望むべくもない。 そんな環境からの脱却こそが豊かさの実現と考え、邁進してきたのが近代以降の日本だったのではないか。
結果、持ち家だけを取り上げれば、他国と比較しても決して狭くはない平均延床面積を獲得するに至った今日の日本の住宅事情。 願望はある程度充足したものの、その過程で切り捨ててきた様々な事象に対して逆に懐古の念を持つのは良くあること。
そんなニーズにしっかりとアピールする意味において、この書籍のタイトルの付け方は実に巧みだ。 でも、その命名の巧みさ以上のことを本文から読み解くことは、私には難しい書籍であった。



2012.06.17:浦安三社例大祭

浦安三社例大祭が、15日夜の宵宮に始まり、神輿の渡御が16日と17日の二日間に亘って盛大に催された。
かつて同市に居住していた際は、この様な祭りがあることは知らなかったし、知っていたとしても大して興味は沸かなかったであろう。
しかし前回四年前の最終日、何の気なしにこの祭りを観に同市に赴き、すこぶる感動した。 浦安独特の「まいだ!まいだ!」の掛け声が脳内をループして止まらぬ日々が暫く続いたことは、以前もこの場に書いた通り。
それから四年。
この四年というのは、なかなかに微妙なスパンではある。 いや、どんな間隔であれ、時間の推移というものは神妙な気持ちを喚起するものなのかもしれぬ。 もうそんなに経つのかという想いと、まだそれしか経っていないのかという相反する感覚。

四年前の一日目は、ちょうどミサワホームG型の実在情報を得て、それを観に全く別の場所に赴いていた。 なかなか観る機会に恵まれぬ高額希少モデルを拝めるとあって舞い上がり、三社祭どころではなかったのだ。
でもって、四半世紀ぶりにG型と対面。 初めて訪ねる土地で、不審者と訝しがられるかもしれぬことなど意に介さず、全く見知らぬ人が住まわれているその住居を食い入るように凝視し、独り勝手に眼福にあずかっていた。
それから四年が経つ。 ほんの少し前の出来事の様にも思えるし、遠い過去のことの様にも思えるし・・・。

前回は、このG型再見の感慨も覚めやらぬ翌日、何の予備知識も無いまま浦安の三社祭を訪ねた。 でもって訳も判らぬままに、その勇壮さと豪放さとカッコ良さに感動しまくっていた訳だけれども、今回はちゃんと渡御ルートを把握。 その上で現地に向う。
しかし、そんな事前確認は大した意味をなさぬ。 夥しい数の神輿が群を成し、エリア一体に溢れる。 そしてあらゆる場所に「まいだ!まいだ!」の掛け声が轟き、様々な地点で“地すり”と呼ばれる浦安特有のパフォーマンスが多発的に繰り広げられる。
市内の元町地区全体が、二日間限定の非日常的ディスコテークと化す。 私は単なるヨソ者にしてただの傍観者でしかないけれど、そんな現場を大いに楽しんだ。

さて、次回は四年後の2016年。 その時私は、そして私を取り巻く状況はどうなっているのだろう。
いや、自分のことだけではない。 日本は、はたまた世界は・・・。
惰性で連続する淡い日常とは異なり、時間をおいて定期的に訪れる非日常的事象は、やはり何処か神妙な気持ちにさせるものがある。



2012.06.13:メーカー住宅私考_10
−高額路線メーカーの廉価モデル

都内の高級住宅街や大使館街をそぞろ歩きしていると、日本ホームズが手掛けたと思しき豪邸に時折出会う。
分厚い鼻先と深い軒の出が作り出す水平ラインを主要素としたゆったりとした洋館。 それが、このメーカーの住宅における外観上の特徴という印象を持っている。

1964年設立。
その当初から2×4工法を導入していた。 国内で2×4工法がオープン化されるのは十年後の1974年のことだから、住宅メーカーのみならず、国内におけるこの工法の草分けと言える。
1967年には、コンコアと称する鉄骨造のサイトプレハブ的な工法を開発し一時期商品化していたが、基本的には2×4工法を用いた高級洋風住宅路線を歩むことになる。
設立以降、80年代半ばまでの累計受注戸数は5000戸程度。 当時の年間着工戸数が300戸前後というから、同時期に設立されているミサワホームなどと比べると、桁が二つほど違う。
しかしそれは、富裕層を主なターゲットとして業務展開していたため。 そのことは例えば、四棟の邸宅を余裕を持って配棟した「六本木ビレッジ」と称する独自の住宅展示場を東京西麻布の大使館街に構えるといった営業スタイルからも読み取れよう。
だから、単純な数字比較は意味を為さぬ。

とはいえ、廉価モデルの提案が無かった訳ではない。 1983年に発表された都市型住宅モデルがそれである。
外観は、冒頭に述べた同社の特徴である深い軒の出が省略されている。 狭小敷地への対応を想定したものであろうが、そのために、同社らしいデザインが失われている。
しかし、一階部分に45度角度を振って張り出した下屋を設けることで外観デザインに表情を与え、単調さを回避している。


NTVハウジングスクエア新宿モデルハウス外観。
日本ホームズらしさは見い出せない。 しかし、二階開口部を深く面落ちさせて納めることにより、薄っぺらでチープな印象とならぬよう配慮されている。
平面図

この形態操作も狭小敷地を意識してのものであろう。 下屋部分はリビングルームの一部であるが、そこに穿たれた大きな窓は、角度が振れることで近隣や前面道路からのダイレクトな視線をいくばくか避けることが可能となり、プライバシーもある程度確保される。
そしてこの形態操作が唐突な印象にならぬのは、他にも45度デザインが展開されているため。
例えば、玄関の脇にも45度の斜めラインを持つ三角の出窓が設けられ、それが玄関ホール奥の階段や壁面廻りの45度のラインと関連付けられ、住まいの顔としての玄関廻りの設えを調律している。 そして、その斜めのラインが、階段中踊り場の出窓にも関連付けられているという念のいれよう。
整形な空間に角度を振った壁面を挿入すると、無駄なスペースが出来やすいのだが、ここではそのような破綻は見受けられない。 巧みなプラン構成となっている。

特徴は、斜め壁の導入のみに留まらない。
キッチン廻りの余裕のある設え。 この設計は、チマチマとした狭小ローコスト住宅だけを手掛けるメーカーには出来ない発想だろう。
面積に制限があるからといって、せせこましく諸室をレイアウトするのではなく、ゆとりをもたせる考え方。 正統派高級洋風住宅路線を歩む同社の矜持であったのだろう。



2012.06.09:小樽駅

小樽駅が創建当初のイメージにリニューアルされ、更に商業施設も整備された。
しかし、両者とも期待したほどではなかった。
大きな吹抜けを伴う改札外コンコース部分は、なるほど綺麗に整備されたし明るくなったけれども、単なるイメージ再現であるため、どこか薄っぺらなフェイク感が漂う。
商業ゾーンの方は、幅の狭い通路に沿って窮屈に幾つかの店舗が押し込められている。 その通路の末端は行き止まりで、トイレがあるのみ。 回遊性が無いため、トイレを利用する人や各店舗を行き交う人々の動線が錯綜し、ゆっくりと買い物や食事を愉しむという雰囲気からは程遠い。
長く滞留する場所では無さそうだということで、そそくさと駅の外に出る。
外に出てまず目に飛び込んでくる駅前広場は、あいも変わらずバスとタクシーと一般車両と歩行者の動線が錯綜する雑然とした雰囲気。 駅舎内の商業ゾーンといい、小樽駅は未整理な動線計画の放置をアイデンティティとするつもりなのか?などと思う。
しかし、広場の先に伸びる駅前通りの悲惨さに比べれば、そんなことは大した問題ではない。

駅前通りは、近年になって拡幅されている。
その事業は、元々通り沿いに建っていた市指定の歴史的建造物の幾つかを除却してまで実施された。 以降、歴史的建造物に取って代わって新たに建てられた通り沿いの建築群が織り成す風景のチープさは、悲惨を通り越して凄惨ですらある。
しかし、これも特別目くじらを立てることでは無いのだろう。 渋滞が減り、古臭い建物(=歴史的建造物)が排除され、デザイン不在だけれども取りあえずは真新しい建物が建ち並び、みんなとっても喜んでいるのだろうな。

でも、そのことを全然喜べない私はどうするかというと、一本裏手の通りや、そこから分岐する路地裏などに避難することとなる。
凄惨極まる表通りからほんの少し裏手に入っただけでも、味わい深い佇まいがそこかしこに残っている。 あるいは、表側程ではないにしろ、ゆっくりと変わりつつあるから、訪ねるたびに新たな風景に出会えたりする。
そこが小樽の面白いところであり、まだ暫くはそんな佇まいを求めての散策を堪能出来るのではないかと思ってはいるのだが・・・。



2012.06.02:【書籍】ソムリエ
書名:ソムリエ

原作:城アラキ

漫画:甲斐谷忍

監修:堀賢一
出版社:集英社

定食屋に入る。 注文をしてから店内を見渡すと、マンガの単行本がドッサリと収められた本棚が隅にある。 何か面白い本はあるかなと物色していたら、この作品が目に入った。

ワインは好きだけれども、せいぜいスーパーやコンビニで安売りしているヤツを買ってきて「あまり美味しくないね。でも、値段相応だよね。」などと思いながら飲むのが関の山。 しかも、使用するワイングラスは100円ショップで購入したモノ。
ということで、知識も拘りも全く無い。
ソムリエといえば、そんな無教養な輩を相手に独特な語彙を駆使して能書きを捲し立てながら訳の判らぬワインを押し付ける職業、というのが今まで持っていたイメージ。 そんな職能をネタに、どのように商業マンガとして成立させているのかと興味を持ち、一冊手に取る。
まぁ、他の多くのマンガと同様、主人公の能力はずば抜け過ぎている。 味も確かめずに、色や香りだけで銘柄はおろか製造年まで簡単に当ててしまうなんて、現実にあり得るのだろうか。
なんだかね、出汁やスープの味をちょっと確認しただけでその組成を判別してしまう「美味しんぼ」であるとか、あるいは、絵画や焼き物を一瞥しただけで真贋を見分けてしまう「ギャラリーフェイク」とか、とかくマンガの世界は超人揃い。
それでもこの手のマンガを読んでしまうのは、結構薀蓄も語られているから。 美味しんぼの方は、いつの頃からか政治的発言が増えて興醒めしているのだけれども・・・。

ともあれ、自分には決して到達不能な能力をもつ主人公の存在に惹き込ませ、同時にバランスよく薀蓄を振りまくことで、教養充足欲にも軽く応える。 大人向けマンガの典型パターンの一つだね、とか思いつつ一気に一冊読んでしまったのは、原作の巧さと、そしてその原作の雰囲気にピッタリと合致した作画の妙なのだろうな。
ワインに纏わる人間模様の描写が秀逸。 基本一話完結だけれども、いずれも心地良い読後感を与えてくれる。
食事を終えてから、そのままブックオフに向ったことは言うまでも無い。 文庫本全六巻を半額にてまとめ買い。 自宅に持ち帰り、これまた一気に読了。
結末は良くありがちなパターンなのかも知れないけれど、私にとっては十分満足できるまとめ方であった。

※1
お年寄りに限らず、登場人物の表情や仕草など、いずれも繊細に描かれている。
漫画家のプロフィールをネットで調べてみると、影響を受けた漫画家の一人が上條淳士とある。
なるほど。 確かに画風には共通項が見受けられる。
私もリアルタイムで「TO-Y」を愛読しておりました。

※2
でも、61話では、黒川紀章の沖縄の作品がさりげなく出てきているね。

作画については、特にお年寄りの描写がとても印象的※1
でもこの漫画家、建築に関してはあまり知識は無かったようで。 第6話以降の暫くのエピソードにおいて、主人公が勤めるパリのレストラン「Monceau」のエントランス上部アーチの描写が、石組みの規範から外れている。 Monceau編の最終話である23話に至って漸く修正されているけれど。
まぁ、ワインの知識がゼロな分、こんなことにケチを付けるくらいがせいぜい。 ハイ、嫌な性格です※2

調べてみると、かつてTVドラマ化もされたらしいけれど、生憎わたしはテレビを殆ど見ないので存じませんでした。
そして、マンガ自体も連載されていたのは十年以上前。 だから何だという訳でもないけれど、こんな素敵な作品に今頃になって出会えるとはね。 ソムリエに対する印象も少し変わったかも。
定食屋のおかげです。



2012.05.30:アオーレ長岡_2
※1

会期:
5月12日〜21日
会場:
CoCoLo長岡店 2階イベントホール

前回の続き。
長岡駅中の商業施設CoCoLoのイベントコーナーで開催中の“新幹線長岡駅誕生前後の大手口と東口の変遷写真展※1”を見る。
で、会場にてマイスキップの編集に携わっている方々に会う。
これも、突如訪岡を思い立った理由。 同誌で企画した記事とも関連がある写真展を訪ねておきながら、挨拶も無しという訳にはいかぬだろう。 ということで連絡を入れたところ、突然であったにもかかわらず「“軽く”飲みましょう」と言って頂き、同会場が集合場所となった次第。
場所を変え、おいしい食事とお酒を“しこたま”愉しみながら色々と話を伺う。 情報誌の記事のことや編集作業のこと、あるいは編集長が製作に関わった映画「この空の花」のこと等々。 そんな話を聞いていて、この人達だからこそあの情報誌が成立するのだなという、至極当たり前なことを改めて実感する。

夜も更け、場所を改め雰囲気の良い喫茶店へ。 カウンター席に座り、はたまた色々と話し込む。
何の気なしに「アオーレ長岡が完成して何か変りましたか」とマスターに訊ねてみたところ、なかなか手厳しい意見。
曰く、

賑わっているのは、施設とその周囲のごく一部。
人の流れが変わり、その影響で更に閑散としてしまっているエリアもある。
賑わいは短期的なもの。一年経てば、もとの市街地に戻っている。

等々・・・。

つくること自体が正義ではなくなった時代における建築の在りようについて再び考えさせられる。
「つくることの正義」に依拠したプログラムに基づくアオーレ長岡は、しょせんはその正義が喪失した時代との軋轢を生じさせる存在としか成り得ぬのか。 そして「負ける建築」とは、そんな軋轢を隠蔽し、楽観的な今後の見通しを一時的に擬態してみせる方策でしかないのか。
別にその場で深刻に悩んだ訳ではないし、悩まなきゃならぬ立場でもない。 しかしそんなことを考えつつ、気がつけば既に日付を跨いで一時間弱が経過している。 ではそろそろということで、お開き。

宿泊先のホテルの前で編集部の方と別れ、エントランスに入ろうとしたが、視線の先にアオーレ長岡が見える。 「そういえばこんな夜更けに市街地を歩いたことなんて無いよな」ということで、酔い覚ましも兼ねて、独り再び同施設へと歩を進める。
ナカドマは深夜も開放されていて、仄かな照度でライトアップされている。 昼間とは異なる雰囲気は、それはそれでなかなか良い。

写真1:
アオーレ長岡の夜景。
コンデジの自動設定でやや明るめに写っているけれど、実際はもう少しほの暗くて良い雰囲気。
  
写真2:
同、ナカドマの巨大な吹抜けの見上げ。

治安面はどうなんだと思ったけれど、広場に進入する経路と広場全体への視野を確保した絶妙な位置に守衛室が配置されている。 これも、運用を鑑みたこの建物のゾーニングの妙なのだろうな。
器としての建物そのものは、とっても良く練られた質の高い設計となっている。 つくる側としては、その正義の如何によらず、与えられた条件の中で最適な建築を提示するしかない。 器としての優劣と、器そのものの存在意義は無関係ではあり得ないけれど、一緒くたにしてしまっても本質を見逃すことになろう。
結局、“建築に何が可能か”ではなく、“建築を如何に使うか”なのだろうな・・・などと、酔いと睡魔が交互に襲う脳内にあっては、蒙昧な思考が空しくループするのみ。 数刻で切り上げ、ホテルに戻る。

既に日は跨いでいるけれども、編集部の方々のおかげでとっても有意義な一日となった。 長岡での二日目については、別の機会に改めて書いてみたいと思う。



2012.05.26:アオーレ長岡
※1
長岡に来ることを“来岡(らいおか)”と言う。 だったら、訪ねることは“訪岡”と言うのだろうと勝手に思い込んでいて、この場でも時折使っている。
しかし、どうもその様な言い方は一般的ではないらしい。 思い込みで勝手に言葉を造ってはいけないなとは思いつつ、実際どうなのだろう。

建築業界に携わる誰もが実感している現実を、新建築3月号の月評にて山崎亮は実に端的に表現している。

“つくること自体が正義ではなくなった時代”

併せて、“今、建築に何が可能か”とも書いている。
かつては、個人や団体、あるいは地域の権勢を表徴させる媒体となり得る建築だからこそ可能な明確な大義があった。 だから、誰からも疑義を持たれることも無く、「つくることの正義」が支持された。
しかし、それが建築から剥がれ落ち始めたのはいつの頃からであろうか。 取って代わる新たな大義が与えられることも無く、「つくることの正義」が失われて幾年月。
隈研吾が提示した“負ける建築”という概念は、そんな時流と密接に関わっていることは、改めるまでも無い。

その隈研吾が、新潟県長岡市に表題の巨大公共施設を設計した。
市役所機能、アリーナ施設、各種交流施設等が入る複合建築。 その機能や用途、そして停滞する駅前の商店街活性化が目的に含まれていること等からは、既に過去の思想であるところの「つくることの正義」に依拠したプログラムと言える。
そんなプロジェクトを、“負ける建築”とどう折り合わせるのか。 そしてその公共建築が長岡に対して何を可能にしているのか。
そんなことへの興味と、そして他の幾つかのきっかけが重なり、突如訪岡※1を思い立った。

5月19日昼過ぎ。 抜けるような快晴にやや高めの気温。
まずは、施設の大きな特徴ともいえる“ナカドマ”と呼ばれる巨大な半屋外広場に歩を向ける。
広場の大半を覆うガラス屋根から差し込む太陽光は、豪放なトラスや千鳥配置された木パネルによって拡散され、ザックリとした粒子となってシャラシャラと地上に降り注ぐ。 気候や天候の条件もあろうが、その光の加減がすこぶる心地よい。


写真1:
駅前のメインストリート側からみた外観。
中央上部にガラス屋根が被さり、その下がナカドマと呼ばれる半屋外空間となっている。
  

写真2:
ナカドマの吹抜けに面する三階のデッキ部分。
外観を特徴付ける千鳥配置の木パネルは、壁面のみならずガラス屋根面にも浮遊する。

広場に置かれた椅子に座って、暫しその場に佇む。 無目的に滞留できる心地よい広場というのは、今まで長岡の市街地には無かったのではないだろうか。 そのことだけでも、この施設は意味がある。 こういった場所の存在が、閑散とした街中に再び人を向わせるきっかけとなり、そして再活性化へと繋がるのかもしれない・・・と言うのは、つくる側の論理。 しかし、そんな可能性を漠然と思わせる。

席を立ち、施設内を少し歩き廻る。 そこかしこに、ゾーニングに細心の配慮がなされている状況が見受けられる。
また、外装についても、金をかけるところはかけ、そうでないところは徹底的に削ぎ落としている。 当施設の外観上の最大の特徴であり、且つその取り扱いについて賛否が分かれているといわれる木パネルの外装材も、仮にそれを取り外せば随分とあっさりとした凡庸な外観になるはずだ。
実際、建物の背面(南側)に廻ってみればよい。 表側との落差に愕然とする程に無表情なローコスト仕上げである。


写真3:
建物の裏手(南側)の外観。
簡素にまとめているが、白一色の壁面に対し、開口部のダキ側面部分のみ黒色とし、出隅で色を見切っている。 それだけの操作で、開口部廻りがシャープに引き締まる。
右手背後の茶色の建物が、宿泊に利用したホテル。
  

写真4:
そのホテルから撮ったアオーレ長岡の俯瞰写真。 アリーナ施設部分の屋根に施された屋上緑化も千鳥配置にこだわっている。
それにしても、正面側(北側)の配棟に余裕を持たせた分、他の面は敷地境界ギリギリまで窮屈に押し込んだという印象。

こういった事々から考えると、「つくることの正義」に基づき策定されたプロジェクトが、“負ける建築”に置換されて巧く実現しているという印象。
さすが、リーディングアーキテクトの仕事は凡人が遠く及ぶところではありませぬ。
負ける建築によって(市街地再活性化という)勝ちを取る。 市街地の今後の変容に期待が持てるね・・・などと、安易極まりない楽観的な気分に浸りながら施設を後にする。

で、長岡駅中の商業施設CoCoLoの中に新設されたイベントコーナーへ。 新設といっても、空き店舗の活用というのが、駅前中心街の厳しさを物語る。
そのイベントコーナーで、地元情報誌マイスキップにて私が寄稿した企画記事欄に写真を提供して頂いた方の写真展が開催されているということで見に行った。
これも、突如訪岡を思い立ったもう一つの理由。

長くなったので、後半は後日。



2012.05.21:長岡市立劇場
※1


中央の巨大な白一色の建物が長岡市立劇場。
やや右手のこんもりとした緑の背後に見える白い四角の部分も当該建物。

そりゃ、確かに長岡の花火は素晴らしい。
でも、それを題材に映画を作るって、どんなモノが出来るんだ? しかも監督が大林宣彦って、“転校生”の長岡版でもつくるのかネ? 長岡の市街地は扇状地だから尾道の様に絵になる坂道は少ないと思うけれど、替わりに信濃川の土手で花火をバックに清廉潔白青春恋愛模様でも撮るのだろうか・・・
といったところが、最初に“長岡映画”を製作するという話を知ったときの印象。
しかしその後、毎月届く地元情報誌「マイスキップ」に映画製作過程の記事が連載されるようになり、大して興味が無くても定期的に情報に接することとなる。 更に、関東での封切前日には、読売新聞の夕刊にもレビューが載る。
何だかそれらの記事にそそのかされる形で、上映館の一つ、有楽町スバル座に出向くことと相成った。

少し前にも書いたが、私は映画を見に行くことは殆どない。 だから、この映画館を訪ねるのも初めてのこと。
三菱地所が設計した1966年のこれといって特徴の無いオフィスビルの中に映画館が入っていて、「こんなところに映画館があるんかいな」と戸惑う。 とりあえず屋内に入ると映画のポスターが張ってあって一安心。 当日券を買い求め、館内に入る。
後で調べると、開館はオフィスビルの竣工と同じ1966年。 以降、修繕や改修がどの程度行われているのかは知らないが、音響効果を鑑みたのであろう微妙な曲面を伴う天井仕上げ面は、下地ボードジョイント部と思われる箇所の多くにクラックが散見される。 結構それなりに年季を帯びたクタビレ感が漂っている訳だけれども、椅子の座り心地は悪くない。
てな訳で、目的の映画「この空の花」を見る。

感想は・・・、何だか凄まじいナといったところ。
スクリーン上に展開する世界は時空も虚実も軽く飛び越え、そして夥しい量の要素が鋭利な断片と化して乱舞する。 凡人の私は、そのピースを懸命に拾い集め、自らの貧弱な価値観の中で何とか秩序立てようと試みる。 しかし、映像の圧倒的な力の前にあっては、それは大した意味を為さぬ徒労。 怒涛の160分の後、スタッフロールの背後に天地人花火の映像を眺める頃には、モヤモヤとした虚無が全身にドップリと覆いかぶさっていた。
しかしながら元市民としては、過剰に融通無碍なその映像のところどころに懐かしい市内の風景を見い出すことで、疲弊した視覚を暫し鎮めさせることも可能であった。
そんな風景の一つである信濃川の土手のシーン。 その背後に、白亜の建物が時折写る。 それが表題の建物(・・・って、漸く本題かヨ)。

設計は日建設計。 用途は名称そのままに劇場である。
座席数1500の大ホールと平土間の小ホールを併設。 私は双方でエレクトーンを演奏したことがある。
大ホールの方は幼少のみぎりのこと。 市内のヤマハエレクトーン教室の合同発表会で、生徒が一曲ずつ演奏を披露するというイベントに参加する機会が何度かあったのだ。 で、小ホールの方は、個人レッスンのセンセイが主催した似たようなイベント。
ということで、在住中の空間体験を持つ建物が年々減りつつある長岡市において、その記憶が残る数少ない建物の一つだ。
調べてみると、開館して来年で四十年を迎えることになる。 それなりに時間を経た建物ということになるけれども、その外観は近代建築の規範に深く依拠している。 より簡素に、そしてより清楚に・・・。 そのことは、内観にも貫かれている。
市内には、類似施設として信濃川の対岸に伊東豊雄設計の長岡リリックホールが建つ。 こちらがプロジェクト進行当時の新進の建築潮流に乗った内外観であるのに対し、長岡市立劇場は時流と無縁に経年への耐性を保持して堂々と建つという印象。
映像の中に写るその姿を見て、ちょっと気にかかる建物だと改めて思った。

で、この建物の写真は?というと、左図※1しか無い。
19日と20日の二日間、突然思い立って長岡を訪ねた際に宿泊先のホテルの部屋の窓から撮影したもの。 開放制限付き竪軸回転窓を開け、その僅かな隙間から無理やり腕を外に出して安物コンデジの5倍ズームで撮影したシロモノ。 だから明瞭性に欠けるけれど、とりあえず載せる。
プレーンな装いの雰囲気は視認可能だろうか。 これ以外に今まで撮ったことは無い。
在住中を含め、そこに在って当然という日常的な風景の一部でしかなく、写真を撮るという感覚を持つことが無かった。

長岡での二日間については、また別の機会に書く。



2012.05.17:旭川駅
※1


旭川駅プラットホーム上屋を支える四叉柱。

※2


恒久的な歩行者天国として国内で初めて開設された「旭川市平和通買物公園」から旭川駅を望む。 通り沿いの街路樹と、四叉柱が折り重なり、アイストップとして機能すると共に、大きなガラス面によって、背後の山並みへの視線も遮られることはない。

5月9日の雑記に書いた八條市場に遭遇したのは、少し前のゴールデンウィーク期間中のこと。
実家へ帰省した際、旭川に出かけた。 その折、同施設に出会った訳だけれども、同市を訪ねた目的は、新装成った旭川駅を観ることでもあった。

札幌駅発の特急スーパーカムイを降車し見渡すプラットホームには、四叉柱と名付けられたストラクチャーが連なる※1。 その群形は確かに美しい。
高架のプラットホーム全体を屋根で覆う形式は札幌駅と同様であるが、常に薄暗くて閉塞感が漂う札幌駅と比べると、その差は歴然。 四叉のストラクチャー上部に大きくトップライトを穿ち、そして壁面の殆どをガラスのカーテンウォールとしているためであるが、それによって市街地への眺望が確保されていることも、札幌駅には無い良さだ。 そんなプラットホームを含め、駅施設全体は丁寧且つ誠実にプランニングされているという印象。
既存市街地の街路との関係性等、岩見沢駅舎と共通する要素も多い。 多くの道内の中核都市と同様、旭川も碁盤目の街路によって構成されている。 その直線状の街路の所々から、アイキャッチとして旭川駅舎が望める※2
なるほど、新生旭川駅は、既存市街地に新たな景観を提供すると共に、この市街地に不可欠な風景として定着、醸成されることになるのであろう。

ちなみに旭川駅には駅裏が存在しない。
こんにちの駅の姿となる以前においても、複数敷かれた線路の向こう側には忠別川の流れがあるのみであった。 現況は線路が取り除かれ河川との間に更地が広がる。
いずれその更地も整備され、川に近接する立地特性が活かされた駅舎となるのであろう。



2012.05.13:メーカー住宅私考_09
−高額モデルの販売実績
※1


ミサワホームG型※1
このモデルについては、既に住宅メーカーの住宅の項にて独立したページを設けて言及している。 とはいっても、持ち得ている情報が少ないから、限定された内容しか書ききれていない。
別にG型以外の同社のモデルに関する情報を潤沢に持っているという訳では無い。 しかし、G型については輪をかけて情報が乏しい。
なぜなら、G型が高額希少モデルであるからだ。 販売されていた70年代後半から80年代前半において、その価格は3000万円前後。 現在の貨幣価値に換算すると、どの程度になるだろうか。
ということで私自身、実物を観る機会には今のところ二回しか恵まれていない。 一つは中学生の頃。 札幌に開設されていたモデルハウスにて内外観を堪能したことは、住宅メーカー私史にも書いた。
もう一つは近年になってからのことで、これについても2008年6月の雑記に書いたが、実際に人が住まわれている事例。 当然のことながら外観のみの確認ということになる。 建てられてから三十年前後は経っているであろうにも関わらず、原型を極めて良く保持していた。 住んでいる方のこの家に対する愛着や誇りが伝わってきて少々嬉しかった。
とりあえず今のところ、この二例だけ。

高額モデルであるために、同社のベストセラーモデルであるミサワホームO型の様に全国津々浦々にてその存在を確認出来ることとは大いに状況を異にする。
しかし最近、80年代に発行された雑誌の中に興味深い記事を見つけた。 当時流行っていたホームオートメーション(以下、HA)導入に関する内容であるが、このG型について触れられている。 このG型がHAを搭載した先駆モデルであったために言及された様だ。
その記事の中で、G型の着工実績が1979年1月の発売以来、1982年1月時点で約600戸と記されている。 更には、HA搭載仕様が300戸、非対応仕様が300戸となっている。
累計で約5万戸が建てられたといわれるO型に比べると桁の違いは歴然。 しかし、それはモデルの立ち位置が違うので当然のこと。 G型は当時の同社の最高峰モデルなのだから。 むしろ600戸も売れていたということに驚く。
その中のどの程度が現存し、あるいは旧態を良好に留めているのだろうか。 いずれにせよ、G型が三年間に600戸も建てられたというのは、少々興味深い数字である。



2012.05.09:八條市場

旭川市には、共通の建築形式を持つ市場が市街地に幾つか散在する。 その形式は、概ね次の通り。

ある程度まとまった数の住戸を有する長屋を二棟、一間半ほどの離隔をもって向かい合わせに並べ、一つの屋根で覆う。 二棟の間に形成された線形の空間は、その両端を出入り口とし、一般に開放された共用通路とする。 その共用通路に面する各住戸の一階部分を店舗の用途にあてがうことで商業施設を成す。

北海道のほぼ中央に位置するこの中核都市は、四季を通じた寒暖の差が極めて大きい。 そんな厳しい気候条件にあって、全天候型ともいえるこの市場の形式は、地域性に見合った合理的なものであったのだろう。
興隆期には、三十を超える同様の施設が設けられたという。 やや乱立の感がある中で、それぞれにファサードデザインに意を払うことで差異化を図り、商業地に彩りを沿えていた。
とはいえ、そのピークは昭和初期のこと。 現在も幾つかの市場が現存するが、空き区画の増加や施設そのものの老朽化等、なかなかに厳しい状況にあるようだ。

そんな旭川市内の市場建築の一つが、表題の名称を冠した施設。
遠目にもその用途と視認し得る、この建築形式の特徴を良く顕した外観。 つまり、シンメトリカルなファサード。その中央一階部分に共用通路の出入り口。そして奥行きの深い配棟。
その正面側立面は改変が著しいが、かつては洋館のイメージを意図したデザインでまとめられていたのであろうことが容易に想像できる。


写真1:
八條市場正面側外観。右手側面の白い外壁部分も当該建物。
間口に対して奥行きが深い配棟であることが判る。
  

写真2:
写真1とは逆側の外観。 意匠的な配慮は無く、またアシンメトリー。
中央の開口の向こう側に、正面側出入口から差し込む外光が見える。

屋内に入ってみると、殆どの住戸が空家となっているためにひっそりと静まりかえっている。 外光は、通路両端の開口から僅かにもたらされるのみ。 深い闇の中に差し込む絞り込まれた外光は、どこか神々しくもある。 狭い通路の上部を見上げれば、屋根の頂部まで高く吹き抜けており、その断面が建物の奥まで貫通している。
強い垂直性と軸性。 そして闇と静寂。 そこにあるのは、あきらかにバシリカの空間秩序。 しかも、時間が凍結したまま何十年も経っているかのような、そんな様態だ。
以前もこの場に書いた“止界”という言葉が思い浮かぶ。
とうの昔に何処かに置き忘れてしまった筈の、建築空間に対する畏敬ないしは畏怖の様な感情が体内に一気に湧き上がった。 まだまだ、こんな感覚に囚われる現場に遭遇する機会が有るのだな。


写真3:
屋内の共用通路の途上。
正面の光の向こう側は、交通量の多い幹線道路が通る極々日常的な風景が広がる。
光の向こう側とこちら側は、全く位相の異なる世界。
  

写真4:
正面の二階部分の開口から屋内に差し込む光。

ともあれ、かつて旭川市内に多く散在し、そして今も幾つかが現存する市場建築。 遅まきながら、少し追求の価値がありそうだ。



2012.05.06:Things Ain't What They Used To Be

長岡の情報誌「マイスキップ」の5月号に、私が執筆を担当した記事が掲載された。
今回も、見開きの企画特集記事。 内容は、長岡駅の東口広場界隈の80年代から今に至る推移のようなもの。
長岡駅に関しては、過去二回、同誌の特集記事にて書く機会を得ているので、これで三度目ということになる。 まさか、駅周辺のことで三回も書くことになるとは予想もしなかった。 これも、関連する貴重な写真を提供して頂いた市内在住の方の御好意と、そして編集部の企画力が可能にしたこと。 私は単に所定の文字数を埋めた原稿を書いたに過ぎぬ。

とはいえ、今回取り扱った東口は少々難しかった。 なぜなら、東口が、いわゆる駅裏という立ち位置を持った場所であったから。
個人的なその捉え方は、以前と今とではまるで違う。 かつては、うらぶれた雰囲気が好きでは無かった。 80年代に入って、駅前広場周辺の古い建物が取り壊され、新たな建物が次々と建設される光景をワクワクしながら眺めていたものだ。 しかし、新旧の交代がある程度進むと、何かが違うなという感覚を持つようになる。
失って気づく、かつての魅力。 勝手なものだ。
単なる懐旧で物事を捉えてはいけないと思いつつ、しかし懐旧と切り離して割り切ることも容易ではない。 そんなブレた想いを持たざるを得ないところが、実は駅裏の駅裏たるところなのかも知れぬ。
そこら辺に切り込んだ文章が書けたら面白いのだろうけれども、なかなかね。

かつてと比べると、確かに東口は変わった。 しかし、私にとっては変わらぬ風景もある。 それは、駅前通りの向こう側に、長岡高校の巨大な体育館が鎮座し、更にその背後に東山丘陵が連なる風景。 幼少の頃より、この構図だけは変わっていないなという気がする。
別に、今後も不変であって欲しいなどと強く望みはしないけれども、しかし自身にとって長岡を長岡たらしめている風景が、どんどん減っているのも事実。 長岡を離れて四半世紀以上が経過するのだからそれは当然のことなのだけれども、しかしだからこそ思わずにはいられぬこともある。
「昔は良かったね」と。

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