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2015.02.24:だましだまし
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長岡の情報誌「マイ・スキップ」誌の二月号にプレハブ住宅に関する記事を書いた。
これについては、以前から何度か編集部の方から不定期連載のお話を頂いていた。
でも、プレハブですからね。
趣味について書くのだから本人はスコブル楽しいけれど、読まされる方は面白くもなんともないネタなのではないか。
ならば興味を惹きつけるべく巧く文章を纏めりゃ良いのだろうけれど、私にはそんな才能は微塵も無い。
それに長岡に関わる情報発信を編集方針に据える同誌のネタとして適切とも思えぬ。
だから、数年前に初めてこのお話を頂いた際には、替わりに「まちかど逍遥」と題する短期連載の軽いコラムを書いた。
長岡市内の街中の何気ない風景について軽く書いたモノ。
これならば、同誌の編集方針からもそれほど逸脱しないだろうということで、だましだましお茶を濁した。
「だましだまし・・・」などと書くと聞こえが悪いかもしれぬ。
しかし、この「だましだまし」こそが大切と、養老孟司と隈研吾もその対談集「日本人はどう住まうべきか?」の中で語り合っている。
勿論、この「だましだまし」がいつでもどこでも、あるいはいつまでも通用する訳ではない。
折角お話を頂いているのだし、しかもその内容は私の趣味嗜好に配慮されたもの。
だから、とにかく一回くらいはと思い、何でこんなネタを記事にするのかという言い訳も含め、そしてホンの少しだけ長岡のことも絡めつつ国内のプレハブ住宅草創期の軽い概要について所定文字数をしたためてみた。
当初の打合せ通り、不定期連載である旨が紙面に明記されてしまった。
しかし、不定期ってのは不定期であって、それ以外の何物でもありませぬ。
果たして今後、どうなりますことやら。
取り敢えずは「だましだまし」といったところで・・・。
月初めに発行される月刊誌なので、二月号は今しばらくは市内を中心に公共施設や商業施設等にて入手可能かと思います。
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2015.02.18:龍と旭日旗と温泉街
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※1:
らせん状のスロープによって構成されるこの異形の建物に関し、正面という概念は成立しない。
しかしここでは便宜上、接道状況に対する正面方向といった程度の意味で用いている。
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前回書いた沼津逍遥の続き。
沼津まで来たのならばついでにと、熱海駅に移動し伊東線に乗り換えて数駅先に向かう。
そこに、かの渡邊洋治が手掛けた嶺崎医院が建つ。
別名、龍の砦ないしは龍の籠。
近傍の人々には怪獣病院などとも呼ばれていた医院併設住宅。
改めて書くまでも無いが、これらの呼称は全てその異形な外観に起因する。
最寄駅にて降車し踏切を渡って暫し歩を進めると、山の端に寄り添うその外観が遠くからも確認出来た。
永らく空き家同様の状況であったそうだが、所有者が変わってメンテナンスが施され、可能な範囲で管理も行われている様だ。
私が訪ねたのは、建物正面※1がちょうど逆光となる時間帯。
全面銀色塗装の外壁のギラツキと相まって、あまり綺麗な写真を撮ることが出来ない。
だからといって少しでもまともな写真を撮ろうと周囲をうろつく気になれなかったのは、屋上にハタメク旭日旗のせい。
予期せぬ設えに余計なことを邪推してしまい、撮影はおろか外観を堪能することもソコソコにソソクサと駅に引き返すことに。
否、それでなくとも訪ねた対象は個人が所有される個人住宅。
外観をちょっと愛でつつ少々撮影を試みるくらいが許容範囲。
それ以上の行為は差し控えるのが常識であることくらいの分別はわきまえております。
駅に戻る途中、改めて振り返ってその建物を遠望すれば、旭日旗が建物の存在感を更に強調する。
後で調べてみたら、それは特定の思想のプロパガンダを目的としたものでは無いらしい。
トグロを巻く龍のイメージと同時に軍艦のメタファも形態操作に組み込まれた建物に対する愛情、ないしは「鬼軍曹」の異名をとった設計者への敬意の顕れなのでしょうかね。
その様に考えてみれば、確かにこの建物の頂上には日章旗ではなく旭日旗こそが似合っている。
帰路の途上、乗換駅の熱海で途中下車。
駅前を散策してみる。
国内の多くのメジャーな温泉街がそうである様に、昭和半ばあたりに迎えたのであろうピーク期の雰囲気から脱却出来ぬままといった風景が哀しく広がる。
駅舎の建替えが予定されており、数年後には駅自体の雰囲気は一変するのであろう。
そしてその変容が周辺に影響をもたらし得るのか否か。
同様に、ポテンシャル低下を招く既存市街地の中で駅舎だけが近年真新しく改められた地方中核都市は多い。
駅を改める行為は都市の活性化に繋がり得ると、内藤廣はその著「建築のちから」の中で述べている。
果たして本当か。
あるいはその具体的成果は如何に。
強い関心を持つ訳ではないけれども、幾つかの事例についてそれとなく観察してみたいと思う。
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2015.02.10:沼津逍遥
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沼津を訪ねたのは、駅前に建つ興味深い建築の存在について某サイトで知るに及んだため。
実見したいと思い、次の週末早速現地に赴く。
期待を裏切らぬ素晴らしいその建物の名称は、城内服飾文化学院。
アプローチ脇に据えられた館銘板の裏側に設置された定礎には、設計者として大谷幸夫と沖種朗の名が刻まれている。
休日のため入館は出来なかったが、スキの無い外観意匠を暫し堪能する。
その後、駅前でレンタルサイクルの利用手続きを取り、市内を彷徨。
その際、もう一つの目的地、菊竹清訓設計の芹沢光治良文学館を訪ねる。
展示品には興味が沸かぬ。
視線は建物内外観の意匠に注がれるのみ。
屋内を撮影したいと思い、可能か否か館員の方に確認すると意外な返答。
「建物の見学が目的ですか?」
「え、えぇ、そんなところです。」
「では、本日は閉館している二階の企画展示室や屋上も御覧になりますか?」
「え!それは願っても無いことです。宜しくお願いします。」
ということで、建物の解説付きで館内をくまなく案内して下さった。
何せ菊竹作品だからこの手の来館者が少なくないのでしょうね。
解説無しでは知り得なかったであろう様々なディテールを存分に味わうことが出来た。
係員の方に大感謝。
良い気分に浸りつつ、そして間近に雄大にそそり立つ富士山を愛でつつレンタルサイクルを漕いで市街地に戻る。
途上、沼津市庁舎が目に留まる。
巨大なピロティ棟のデザインがちょっと只者ではない。
恐らく近年改修が行われてしまったのであろう外装が少しチープだが、形態処理の魅力を減じてはいない。
定礎には1966年に竣工したことと当時の市長の名前があるのみ。
後で調べてみたら、石本建築事務所の設計であった。
これ以外にも市内には多数の興味深い建物が散見された。
個々について調べて再訪し、改めて鑑賞することにしたい。
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2015.02.03:トイカメラ風
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前にも書いたけれど、私はカメラを購入するにあたっての選定に関しては全く無頓着。
ポケットに違和感無く収まる程度に軽く薄く小さくて、そしてそこそこ普通に綺麗に撮ることが出来れば十分だ。
否、この「そこそこ」とか「普通に」といったところが実は大変であり、奥深いトコロではあるのだろうけれども・・・。
無頓着とか言いながら、しかし気に食わぬこともある。
それは、変な機能がやたらと多いこと。
その一つが、多種多様な撮影モードの搭載。
例えば魚眼レンズ風とか、レトロ調、モノクロといった類。
設定一つでソレ風の写真が撮れるという機能だが、普通に撮れれば良い私にとっては全くをもって余計。
もしもそんな画像が欲しいのであれば、画像処理ソフトで加工すれば事足りることだ。
だから、使ったためしがない。
ところが最近、知人のブログにて「デジタルハリネズミ」なるクセのあるデジカメで撮影した風景写真を多数見る機会があった。
独特な写り方をするモード設定のみに特化したコンデジ。
私の価値観からすれば最も遠いところにある筈のカメラなのだけれども、載せられている写真はいずれもとっても味わいがある。
勿論、御本人のセンスもあろう。
しかし、こういった写真撮影も悪くはないカモね、などと単純な私はすぐに気分が移ろってしまう。
で、所持している安物デジカメに搭載されている「トイカメラ風」なるモード設定を用いて撮影を試みてみることに。
面白いもので、ソレ風の写真を撮ろうとすると今迄とは違った感覚で被写体を探そうとすることになる。
同じ道を歩いていても、向ける視線が異なってくる。
カメラのモード設定の切り替えが、自身の視覚の嗜好に影響を及ぼすのであろうか。
この感覚の切り替わりは、あとで画像を加工することとは別次元の楽しさがある。
余計と思っていたこの機能を少し活用し、街中を徘徊してみようか。
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2015.01.27:メーカー住宅私考_51
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※1:
但し、過去の住宅関連雑誌等に目を通すと、更に以前に二階建てを実現している事例がある様だ。
この辺りは調べてみる価値があると思っている。
※2:
ネットで確認すると同名の会社が存在する。
しかし本文で言及しているメーカーとは無関係。
ここで紹介する日商ハウスは、商社の日商(現:双日)の直系会社として住宅事業を展開していた。
1970年頃、東芝住宅産業に住宅部門を譲渡している。
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国内草創期のプレハブ住宅は、全て平屋建てであった。
当然二階建てのニーズはあったのだろうけれども、当時の技術では応えることは難しかった様だ。
二階建て商品の最初の事例は、積水ハウスが1962年に発表した2B型になる。
といっても、その形式は平屋のモデルを単純に積み重ねた総二階。
だから、プランニングや外観デザインには制約が多く、商品性という面ではなかなか厳しいものがあった。
総二階ではなく、一階の上の任意の位置に任意の広さの二階を配置することが可能なプレハブ住宅を初めて商品化したのは、ミサワホームだと言われている※1。
1963年に向ヶ丘遊園で開催された第三回朝日新聞社主催プレハブ住宅展に、二階建てモデルを出展している。
その会場の様子は、積水ハウスの30年史に掲載されている写真にて確認が可能だ。
そこには確かに、平屋建ての各社のモデルが並ぶ会場内に、二階建てのミサワホームのモデルが一際目立っている。
しかし、その写真の中にはもう一つ、別のメーカーの二階建てモデルが建つ。
それが、日商ハウス※2のSKP-9型。
軽量鉄骨構造のプレハブだが、外装の一部にラワン材を竪羽目張り仕上げをアクセントとして用い、広々としたベランダを二階に設ける等、同時期の同じ構造のプレハブ住宅の外観デザインとは一線を画していた。
幾つかのプランバリエーションが用意されていたが、一階の構成はバラエティに富んでいる。
しかし二階の間取り構成は、一階のプランに関わらず殆ど同じ。
いずれも中央に直進階段があり、その左右に6畳程度の広さの居室が配置される。
そんな固定された骨格を持つ二階部分が一階のプランの都合で様々な位置に移動し、外観バリエーションにも変化をもたらしていた。
ちなみに、任意の位置に二階の設定が可能な二階建ては、その後積水ハウスも1965年に実現している。
更に、1966年にはナショナル住宅(現、パナホーム)のR2N型、1967年のダイワハウス工業の二階建てのB型等、この時期以降、二階建てのプレハブ住宅が各社から続々と発表されるようになった。
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2015.01.20:【書籍】藤森照信×山口晃 日本建築集中講義
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著者: 藤森照信 山口晃
出版社: 淡交社
発売日: 2013年7月24日
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藤森照信の文章で最初に読んだ論稿は何か。
良く覚えていない。
でも、石井和紘設計の破天荒な店舗併用住宅「ジャイロ・ルーフ」について新建築・住宅特集誌の1987年10月号に載せられた論評などは私にとっては初期のモノという記憶がある。
サブタイトルは「奇蹟にようなエイズのような」。
その文体は、建築家による厳めしくて晦渋な文章が多かった当時の建築専門雑誌上にあってはかなり異質という印象でしたかね。
しかし、決して軽いとか浅いということではない。
論評すべき点を的確に押え、それでいて判り易く、更には読者をグイグイ引き込む文面。
これこそが「良い文章」というものなのだろう。
簡単なことを小難しく書き並べることはたやすいけれど、難解なことを簡明に表現することは難しい。
その難しいことをコトも無げに安定的にやってのける人。
当時持ったこの印象は、今でも変わらない。
否、文章だけではない。
おしゃべりの方も同様だ。
何度か講演を聴いているが、判りやすくそして飽きさせない語り口。
何年か前に東京大田区の昭和の暮らし博物館で開催された建築史の小講座では、壁に映し出された映像を説明する際、指棒が無いからと傍らに展示してあった布団たたきで代用して講義を進めておりましたか。
そんな姿に全然違和感が無いのだけれども、実は最高学府の名誉教授にして建築家としても華麗な受賞歴を持つ凄い御仁。
でもって、この書籍である。
題名を見た際の第一印象。それは、「集中講義」かぁ・・・であった。
国内の著名な歴史的建物について語るということだけれども、この本の厚さでそれをやるんだったら確かに集中講義になるよナ。
でも、詰め込み式にぎっしりと薀蓄を披露されてもかなわんナ・・・といったところだった。
しかも、著者としてもう一人、山口晃という画家の名前が挙がっている。
怒涛の薀蓄の狭間にイラストが挿入されるのかな?。
ということで、タイトルと著者を見ただけで内容を半ばそれ以上把握したかの如き錯覚に陥ってしまったのだけれども、それでも藤森照信である。
どんな集中講義なのか興味が湧く。
更には表紙に載せられている山口晃が描いた藤森照信が、思いっ切りラフな筆致なのにあまりにも似すぎている。
これに引っ掛かって読むことと相成った。
その内容は、タイトルから受けた第一印象とは大きく異なる。
決してお仕着せの詰め込みではない。
むしろ雑談に近い雰囲気で名建築を眼前に両名が語り合う。
それでいて、個々の専門分野の知見から所々に鋭い指摘が織り込まれる。
更には山口晃による訪問記の様な挿絵及び漫画がとっても良い。
なる程これは確かにある意味「集中講義」だナ・・・という読後感を得ることが出来る、そんな書籍であった。
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2015.01.12:建築は知っている
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※:
文中の画像は、新千歳空港ターミナルビルに昨年末オープンした「雪ミク スカイタウン」内に併設された雪ミクミュージアムに展示されている等身大のフィギュア。
ツインテールの下端を床支持のつっかえ棒で目立たぬように支えているのがちょっと哀しかったですかね。
ま、そういったディテールを気にすることは野暮なのでしょう。
でも、YAMAHA製シンセサイザーDX-100のフロントパネルをリアルに再現した袖部分のディテールも、至近にて拝むことが出来ました。
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1月3日にNHK Eテレで放映された「建築は知っている」の録画をみた。
ランドマークから見た戦後70年異色の文化史と銘打ち、各時代を代表する建築の概要とその作品を取り巻く社会的な背景について判り易く、そして的を得た紹介を行った番組。
恐らくはNHKならではなのであろう豊富且つ貴重な映像も見ごたえ十分。
70年分の時代の流れを七つの章に区切り、90分の番組構成にメリハリを与えていた。
各章は、それぞれの時代を端的に表すタイトルを付けている。
例えば、「焼け跡からの飛翔」「熱狂の中心で」「断絶の時代」等々。
番組中、章の切り替えの際に、それぞれのタイトルを表示した画面が挿入される。
その構成は、無地のバックに白抜きの巨大な明朝体を矩折りにレイアウトしたもの。
まるでエヴァンゲリオンみたいだネ、などと思う。
そのエヴァについても、90年代半ばの時代背景としてTVシリーズの映像が番組内に挿入される。
あるいは80年代初頭に関してはYMOの音楽が流れる。
時を経て、これらは確実にそれぞれの時代の表象として不動の地位を獲得しているのであろう。
ならば、今現在の建築や社会状況を後の世に改めて顧みるとしたら、いかなる事象が用いられるのか。
個人的には、初音ミクなんだろうななどとと結構真面目に思っていたりする。
番組の最終章で、ナビゲーターの藤村龍至は今の時代における建築の一つの流れとして、建物を実現するプロセスにおけるユーザーとの合意形成に向けた市民参加型ワークショップをコーディネイトする建築家像を提示している。
戦後から高度成長期終焉迄の間続いた、国家の威信を象徴する建築作品を築きあげる超絶した立ち位置の建築家像とは明らかに異なる姿がそこには在る。
一方、初音ミクを取り巻く一連のムーヴメントも、ネットというインフラを介しつつ様々な層による多様な立場での参加を可能とする構造が、オリジナルから二次創作に至るまでの幅広い創造の世界の進展を編み出している。
結果、プロの音楽家という一握りの卓越した才能を有する者による音作りとは異なる世界が、既に10万曲以上ともいわれる楽曲数を伴ってもの凄い勢いで拡張し、且つまた状況は音楽のみに留まらず様々な文化シーンに接続しつつある。
そんな点で、今現在の社会を表すモノとしてこのボーカロイドを挙げて良いのだろうし、あるいは今日の建築的状況と初音ミクを結び付けることだって出来ると思うのですけれどもね。
話を元に戻す。
この番組については、恐らく建築をかじっている人には、さほど目新しい言説の発見は無いのだろう。
しかし、改めて過去を振り返りながら現在と将来を考えるうえで視聴する価値の高い番組に仕上がっていたと思う。
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2015.01.06:2020年の東京
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かつて正月の新聞の一面には大規模な都市計画や建築プロジェクトが華々しく載せられることが多かった。
しかし最近は稀である、というよりは皆無といってよいかも知れぬ。
都市や建築が人々に夢を与える力や地位を持ち得ていた幸せな時代が終わって幾年月。
ところが、珍しいことに今年の正月の読売新聞には別刷りで東京の都市計画の特集が組まれていた。
「変わる東京」と題して2020年の東京五輪開催に向けた8つの巨大プロジェクトについて紹介されている。
そのうち四点について思ったことを徒然に書いてみる。
8万人収容 新国立競技場
この一大国家プロジェクトに関する昨年11月の磯崎新の発言以降、その完成予想外観図は本当に“亀”にしか見えませぬ。
御大も罪なヒトではある。
しかし、やや遅いタイミングで出された感のある当該プロジェクトに対する氏の声明文は、なぜかその“亀”を含む文節のところだけがクローズアップされ、氏が言わんとすることを正確に反映させたとは言い難い報道が為される始末。
この国のマスコミの報道姿勢の実態について改めて考えさせられる薄ら寒い状況ではありました。
そういった意味では、批判に対してだんまりを決め込み、一切意に介さぬ立ち位置を(今のところ)貫き通す安藤忠雄は賢いのかもしれぬ。
渋谷に高層ビル
変化に富む地形に起因した複雑な鉄道ネットワークと街路網が織りなす混沌とした駅周辺の都市構造。
それを一気に改める最大にして稀有な機会。
果たして現況を如何に是正し得るのか。
日本の都市計画学の粋が試される、あるいはその壮大な実験場として現在進行中の再整備事業が在る。
その成果は如何に、といったところに大いに興味を持つ。
新虎通り シャンゼリゼに
このサイトを開設したばかりの頃、そのエリアにはまだ低層建物が線形にひしめき合っていた。
そこに幹線道路を通す計画など、現実的なものとは到底思えなかった。
それがアレヨアレヨという間に一帯が更地と化し、そして一気に幅広の道路が敷設され、おまけに超高層ビルがそのアイキャッチとして屹立した。
日本国内で、これだけの大規模な都市再整備が極めて短期間に遂行されたことは奇跡の様に思える。
しかし、その整備事業が進むにつれ、この道路沿いをシャンゼリゼ通りの様にするといった話が持ち上がるようになった。
それを耳にした際、私は大いに違和感を覚えた。
都市再整備事業において、未だにこの国においては他国(この場合、例外なく西欧が対象)の猿真似という発想しか浮かばぬのか。
ちなみに、この新虎通り西端の南側にイタリアの街を模したつもりらしいチッタ・イタリアと名付けられたエリアがある。
猿真似にも及ばぬその街づくりがもたらしたチープなこと極まりない惨状についてこの場に言を連ねる気は無い。
しかし、そのすぐ脇で今度はパリのモノマネと来た。
現状の新虎通りは、既存街区に幹線道路を通すという大掛かりな都市の切開行為によって、時間の堆積が断面としてその沿道に露呈している。
それはそれで面白い。
真新しい中高層建物から築年数を経た木造家屋までがランダムに並ぶ様態が、今後どの様に“シャンゼリゼ通り”的なるものへと変貌しますことやら。
東京駅前に広場
猿真似といえば、東京駅舎も西欧に追いつけ追い越せという時代背景を背負った真似事の遺物ではある。
そんな“文化財”を恭しく一端に据え、そして他方に不可侵の中心である皇居と対峙させる都市軸として整備された行幸通り。
更にその周囲一帯に超高層ビルという現代建築が群景を成す状況は、日本ならではの固有の都市的空間と言える。
そしてその都市性は、駅前広場の整備による都市軸の強化によってより高められることとなるのであろう。
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