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雑記帳
2013.07−2013.08
2013.08.31:大規模木造
※1

直近の木材会館西側外観。
四年前の状況は、2009年11月7日の雑記参照。

内橋克人著の「続々続々匠の時代」にも言及があるが、大阪方面行きの東海道新幹線が静岡県の阿部川を渡る際、進行方向右手に等脚台形型の建物が見える。 1972年に建てられたミサワホームの技術研修所だ。
白一色の外壁。そして各階を水平に流れる連窓。 それらは高井戸に在る同社本社社屋の外観テイストと重なる。
新幹線に乗車するたびにこの技術研修所を眺めては、漸く東京大阪間の行程の半分くらいまで来たか・・・などといつも思っていたものだ。

しかし最近、この建物が取り壊されて新たに同社静岡支店社屋が建てられた。 3階建て延べ面積3000平米弱のその建物は木造。 同社が開発した木質ラーメン構造、FWS(フューチャー・ウッド・システム)構法が用いられているという。
建替えの理由は、築40年を経た旧研修施設の老朽化や、同社の社員研修体系の変化、あるいは支店業務展開における新たな社屋の必要性等、様々な背景があるのだろう。 しかしそれらに増して、大規模木構造の技術開発とその実践が主要課題にあったのだと思われる。
近年の動向として、この様な構法に係る研究開発が盛んだ。 成果として幾つかの事例が世に誕生し、あるいは建設が進められている。 それらの構法の立ち位置は、単に耐火被覆材の代替えやRC造の置き換えに留まるものから、木材ならではの特性を活かした独自の構造形式の展開まで様々。
その一端は、新建築2013年6月号の特集「木造新時代」においても垣間見ることが出来る。 果たしてこの流れが今後どのような拡張と深化を見せるのか、少々楽しみではある。

但し、外装への採用に関しては経年変化に対する価値観も大きく関わろう。
例えば新木場に立地する木材会館※1の外装は、竣工4年を経過してすっかり銀灰色に変質した。 私などは、いい塩梅に褪色したネと観ているが、その辺が一般的にはどの様に評価されるか。
あるいは、大規模木造の終局は超高層建築物ということになるのであろうか。 例えば高松伸がそんな提案を公表している。 鎌倉時代においても、東大寺大仏殿の七重塔は100m級の高さを誇っていたというから、荒唐無稽なことでもなかろう。 しかし、鎌倉期は主要構造材が木に限られていた時代。 現代の様に多岐に亘る構法及び素材の選択が可能な状況にあって、木造で超高層を実施する目的については整理が必要なのであろう。



2013.08.24:駅前十街区
※1

創刊第二号と三号の「十街区内あのビルに潜入!」のページ。 リードには、“十街区内の歴史あるレトロビルにお邪魔しました。あまり知られていないビル裏話をご紹介します。”とある。

札幌駅前と大通り公園を繋ぐ地下歩行空間“チ・カ・ホ”。 2011年3月の供用開始以降、市街中心部の人の流れを劇的に変えたと言われるその地下道を歩いていた際、傍らに置いてあったこのフリーペーパーに目が留まった。 創刊されて間もない季刊誌「sapporo駅前十街区」※1
各ページは、この手の情報誌にありがちな店舗紹介等のネタで満たされているのだけれども、気になる連載記事が一つ。 題して「あのビルに潜入!」。 駅前通りに建つオフィスビルにスポットを当てたもの。 見た目凡庸な建物が並ぶに過ぎぬ駅前通沿いにあって、その建物一つ一つの歴史を紐解き紹介する視点が新鮮だ。
他の地方都市と同様、札幌市街地も様々な再開発計画が進行ないしは策定中である。 その再開発に伴い、あるいは設備の陳旧化や建物そのものの老朽化を理由に取り壊される建物が今後相次ぐと思われる。 その多くは、存在このかた大して人の目に留まることも無いまま、人知れず取り壊されてしまう運命を辿るのであろう。 そんな建物も含め、凡庸極まりない駅前周辺の建物群。 実は私も大して興味を持ってそれらに接することは今まで無かった。
その様なネタに地域情報誌が連載で取り組む。 とても有意義なことだと思う。 街区内に埋没する様々な建物について、これからもどんどん紹介して貰いたいものだ。



2013.08.18:昭和40年代の都市公園
※1

未だに手元に残る当時遊んでいたレゴブロック。
矩形パーツ以外は邪道だとか書きながら、歯車等のパーツも混じっていますね。

※2

幸町公園。
昨年5月に訪ねた際に撮影したもの。背後の樹木が強剪定を施されていて痛々しい状況であった。
※3
上の写真のやや右手に屹立する構造体。 「光の塔」と名付けられている。 ※4

校正用のゲラ刷り段階のデータ。 この様な体裁で見開きの紙面が構成されています。

新潟県長岡市に建つ長岡市立劇場。 開館して今年で四十年目を迎えるこの公共施設の設計は、日建設計。 単純な立体の組み合わせによって構成された白亜の簡素な外観は、その時々の建築デザインの流行に左右されることのない力強さをもって以前と変わることなくその場に鎮座している。
開館して間もない頃、まだ幼少であった私はこの施設の大ホールで二回、エレクトーンを演奏したことがある。 といっても勿論、ワンマンショーである筈が無い。 同ホールで定期的に開催される地域一円のヤマハ音楽教室の合同演奏発表会にて一曲披露する機会を得たという次第。
曲目が何であったかは忘却の彼方ではあるが、スポットライトを浴びたステージ上の空間体験や、そのステージ袖の舞台裏の様子は何となく覚えている。 演奏会終了後、自宅に戻ってからレゴブロック※1でそれらの空間を再現しようと何度も試みたものであった。
ちなみに、このレゴブロック。 今では古今東西の名建築を再現するための特殊パーツが結構な値段で売られているのだそうだ。 しかし、そんなものは邪道以外の何物でもない。 レゴは、数種類の単純な矩形パーツを組み合わせて如何に目的とする事物に似せたモノを造り出すか創意工夫を凝らすところに醍醐味があるというもの。 それを、安易に特殊パーツの購入で実現して何が楽しいのであろう。
幼少のみぎりに、基本的な矩形パーツのみを積み重ねて試行錯誤を繰り返して遊んだ身としては、ついついそんなことを考えてしまう。

さて、書こうと思ったことから全く違う方向に話が進んでしまった。
その長岡市立劇場の手前に、同劇場とほぼ同じ時期に造られた「幸町公園」という公園※2がある。 合同発表会以外にも、親に連れられて幾度か劇場を訪ねるたびにこの公園で遊んだ記憶も朧に残っている。 しかし、遊ぶといっても何らかの遊具が園内に設置されている訳ではない。 公園外周にめぐらされた帯状のマウンドの上を走り回り、あるいは園内中央のコンクリート製の平滑な築山に昇っては滑り降りる程度。
その築山の傍らにコンクリート造の板状の塔※3や石造りの矩形のステージ。 更には各所にコンクリート製の椅子が配置され、床面には砕石をコンクリートで固めたハードペーブが広がるのみ。 ちょっと普通の公園とは趣きを異にする。 そのことを、幼少の身ながらも板状構造体の圧倒的な存在感を仰ぎ見ながら漠然と感じ取っていたものだった。

それから数十年が経ち、この幸町公園が今現在どうなっているのだろうなどとフと思ったのが、昨年の五月。 その確認のみが目的ではなかったけれど、早速長岡へと向かった時のことは、当時の雑記帳にも書いた。
長岡に到着した昼過ぎから人に会う予定が入っている夕方までの数時間、宿泊先のホテルで貸し出している自転車を利用して市内を巡る途上、幸町公園にも立ち寄った。 さすがに経年によるクタビレ感はややあるものの、しかし旧態を良く留めている。 かつて見上げたコンクリート製板状構造体も、その象徴性を幾分も減じてはいない。
そんな園内を懐かしく見回しているうちに、同じくかつて長岡市内に存在していたもう一つの似た雰囲気を持つ公園のことを思い出した。 ほぼ同時期に整備された「長岡セントラルパーク」。 当然興味が沸き、色々と調べてみることになるが、当公園は既に存在せず。
しかしそれでも、設計に携わったランドスケープデザイナーのことやそれぞれの公園の整備目的、あるいは個々に施されたデザインの意図等々、興味深いことがいろいろと判った。

こんなことをきっかけに書いた原稿が、長岡市を中心に配布されている情報誌「マイスキップ」8月号の特集ページに掲載された※4。 題して、「幸町公園と長岡セントラルパーク〜二つの公園が織りなす都市の風景」。
極めて地味な内容である。 その地味な内容を情報誌の紙面として何とか取り繕うべく、編集担当の方が関連する写真の撮影や調達、そして華やかな紙面構成等に随分苦労されたようだ。 果たしてその出来栄えや如何に。 入手可能な方は、御高覧頂くのも一興かと。 今月一杯は、長岡市内の公共施設や店舗等々に8月号が置かれていると思います・・・って、ダラダラと書いておきながら結局最後は宣伝になってしまいましたね。 失礼いたしました。



2013.08.10:メーカー住宅私考_32
−北海道のプレハブ揺籃期_2
※1
大雪の事例。
急勾配の三角屋根が特徴。
当時北海道住宅供給公社等が道内で広く供給していた「三角屋根」と呼ばれる規格型のコンクリートブロック造住宅の影響を受けてこのようなモデルを作ったとするならば面白い。


※2
風雪の事例。
切妻屋根と変形屋根を組み合わせた外観。

北海道において民間企業によるプレハブ住宅事業が展開し始めた昭和40年代、抜きん出た営業成果を誇っていたのは大和ハウス工業であった。
“大雪※1”や“風雪※2”、あるいは“石狩”といった名称の道内向けモデルを商品体系として揃え、営業を展開。 これらはいずれも本州以南で同社が販売する軽量鉄骨軸組み造の構造体に寒冷地という条件を加味した仕様を基本としていた。
しかし、当時の壁面水平断面詳細図をみると、断熱性能について不安が垣間見える。 ネックは熱伝導率が高い鉄骨柱部分。 その箇所の断熱層が極めて薄い。 この点に関しては、当時は同様の構法を採用するいずれのメーカーにも見受けられた問題であり、大和ハウス工業のみが特殊であった訳ではない。 しかしこの納まりだと、柱が熱橋となり温熱環境を悪化させるのと同時に、柱廻りに内部結露を起こし内外装材は勿論、構造体自身にも悪影響をもたらすリスクが高い。
今現在こそ、これらの問題は解決されている様であるが、かつての建築事例において、実際の居住性はどの程度のものでったのであろう。

ところで、大和ハウス工業では、北海道限定モデルとして木質系のプレハブ住宅も商品化していた。
当時のラインアップは、1969年9月発売の平屋建てモデル“北海”と、当時道内で流行っていた変形屋根を取り入れた1970年4月発売の二階建てモデル“白樺”。 それとは別に、農村向けを想定してホクレンと提携して販売を行った“鈴蘭”と、漁村向けに道漁連と提携したモデル“瑞穂”を同年9月に発売している。
板を斜め張りして構造耐力を確保したパネルを木の軸組みの中に嵌め込む形式が用いられていた。

軽量鉄骨軸組み造の構造体がメインという印象の同社が木質系プレハブに取り組むというのは意外なことにも思える。
これは恐らくは、1953年制定の「北海道防寒住宅建設等促進法(寒住法)」が1969年に改正され、北海道において木造も住宅金融公庫融資の適用範囲となったことを受けてのことなのであろう。 あるいは、比較的豊富な森林資源。 そして、前述の問題への対応といった意図もあったのかもしれぬ。



2013.08.04:花火

全国的に花火大会が催されるシーズン到来。 日本の夏の風情ですね。

7月27日に隅田川と浦安市で開催された花火大会は、打ち上げ開始から程なくして豪雨に見舞われ中止の事態に。
私は家にいたけれど、確かに落雷を伴う凄まじい雨であった。 気象データを確認していればある程度予想がついたことではあるのだろうけれども、主催者側にしてみれば開催直前になって延期の判断をする訳にもいかなかったのでしょうね。 既に会場を埋め尽くす観客。そしてその観客相手に並ぶ出店。川面に集結する屋台舟。 観光と密接な関係にある花火大会は、花火だけの問題で物事を進める訳には行かぬ。 なかなか大変な世の中。

一昨日と昨日の二日間は、長岡でも花火大会が開催された。 その感想や動画が早速ネットに上がり始めている。
そこで話題になるのは、具体的なプログラム名称で記すなら、「天地人花火」とか「フェニックス花火」とか「この空の花・花火」が殆ど。 いずれのプログラムにも共通するのは、音楽を会場に大音響で流し、その音楽に合わせて緩急様々な演出を施した花火を打ち上げるというもの。 いわゆる音楽花火ですね。
観客のこの様な嗜好の動向からすると、近い将来、同地の花火大会は音楽花火だらけになるのでは、などと思う。 確かに天地人花火などは、私も五年前に実際に観る機会を得て本当に感動しました。 けれども、この手の花火って、より刺激的な演出を施すべく常に技巧を複雑化させる続けることが求められるのではないか。 ハテサテ、その行き着く先は如何に。
そんなことを思いつつ、しかし、時代と共に打ち上げ花火の手法も変わって然るべきではあるのでしょう。

その長岡花火。 遠方であるために観に行くのはなかなか大変だし、金曜日の夜は仕事中だったので、ネット配信のライブ映像を見ることも出来ずじまい。 そして昨日も結局閲覧しなかった。
今年は、地元近傍の市や区の5,6箇所で花火大会が同時開催されていたものですからね。 近所の見通しがきく場所にて、遠近様々に華開くそれらの花火と夜景が織り成すパノラマを堪能して過ごしました。



2013.07.30:変わらぬもの、変わりゆくもの
※1
一件目は札幌市内の住宅展示場に出展されていたモデルハウス。 当然ながら内観も確認することが出来たけれど、それこそ30年以上前のこと。 二件目は関東にて。その時のことは、2008年6月14日の雑記に記している。

※2
前にも書いたけれど、こういったことがあるから、宮脇檀の「旅行中は寝るな喋るな本読むな」という言葉の正当性を実感できる。 目的地に至る途上の風景にも注視せよという指南だけれども、これは日常の移動においても言えることなのだと思う。

仕事で、東京の西部へ。 打合せを終え、移動中の車窓をぼんやりと眺めていた。
郊外の幹線道路沿いに有りがちな退屈な風景が連綿と続く様態に次第に弛緩してきた視線の先に、ちょっと気になる住宅が見えて来る。
ふ〜ん、ミサワホームG型に似ているね。
ん、・・・というか、かなり似ているぞ。
え?えぇぇぇぇ、あれぇぇぇぇぇぇ!!!

ほんの一瞬視界に飛び込んできたその住宅の南面ファサードは、かなり改修が加えられているものの明らかにミサワホームG型。 この場にも幾度も書いているように、同社が1978年に発売した超高額にして建築事例が極めて少ないモデルだ。 もしも本当にG型であるならば、私にとっては3件目の事例確認となるとっても貴重な機会※1※2
「ここはどこだ!」「住所は!」と、思わず車内で叫ぶ。
突然のことに同乗者達は「何事だ」と私を見る。 なりふり構っている場合ではない。 カバンからカメラを取り出して撮影しようとするが、空しくも当該物件は既に遥か後方に。
でも、仕事中だ。 個人的興味のために引き返すことを要求するほど、私は非常識にも傲慢にもなれない。
すかさず周囲の電柱や信号機、そして沿道の商業施設の看板を凝視。 何らかの地理的情報を入手しようと試みる。

考えてみれば、土地情報をリアルタイムに掴むための様々なデバイスがあるだろうにね。 でも、根っからのアナクロ人間なので、メモ帳に記載した土地情報をもとに、家に戻ってからストリートビューで仕事帰りの経路上をくまなく探してみる。 すると確かに在るではないか、ミサワホームG型。
とはいえ、車窓から確認した際の印象と同様、改変が著しい。 フラワーボックスが取り外されてバルコニーに取って替えられ、外観を特徴づけるサンルーフと呼ばれる巨大な出窓状ハイサッシも凡庸なものに改められている。
個人的な受け取り方としては、「かつてG型であったモノ」ということになろうか。

これに対し、五年前に実見した二件目の建築事例は、その時点でも恐らく築30年近くを経ていたであろうにも関わらず、オリジナルの外観をとても良好に保っていた。 今回見つけた事例の様な改変は一切見受けられない。
二つの事例の違いは、住む人の住まいに対する考え方の違いが如実に表れた結果であり、それはそれで興味深い鑑賞対象とはなり得る。
個人的には、旧態を保ってくれている方が嬉しいけれど、勿論それは勝手な想いでしかない。 住まわれている方々には、それぞれに事情がある。

原形を留めぬリフォームという点において、同時期に同社から出されていた企画住宅について興味深い事例を幾つかサンプリングしている。 いずれ何らかの形で報告してみたいと思う。



2013.07.27:広告効果
※1
一番上の団扇が、今回受け取ったもの。 この裏面に広告が掲載されている。
その下に重ねてあるのは、今迄に受け取り、破棄することもなく机の引き出しの中にストックされているもの。 何だか、いつの間にやら何枚もたまってしまいました。

しかし、こうして敢えて竹製とし、更に印刷面のデザインにも配慮を施すことで、同様に配布される多くの広告としての団扇(つまり、下に重ねてあるもの)との差別化や、ディベロッパー自体のブランド力強化を目論んでいるのでしょうね。

駅前、もしくは繁華街の風景を構成する要素。
私の場合、建物にすぐ目が行きがちでなのであるが、勿論主要な要素はそればかりではない。 というよりも、“主要”という括り自体が、そもそも間違っている。 目立つものから見えざるものまで、様々な要素が混然一体となって風景が形成されている。

という訳で、そんな風景の一構成要素として、街頭でのビラ配りなどもその一部に組み込んで良いのかもしれぬ・・・って、ちょっと強引ですかね。
しかし、良く見かけますよね。 果たして対費用効果も含めて宣伝媒体としてどの程度有効なのか良く判らないけれど、頻繁に行われているということは、一定の効果が認められるものなのでしょう。

夏になると、ビラではなく団扇を配るケースが増える。 ポケットテッシュと同様、なかなか有り難い配布物ですかね。
この時期、外出時には100円ショップで購入した扇子をカバンの中に常備しているけれども、団扇が配られていると、ついつい受け取ってしまう。 で、そこに描かれている広告には殆ど目もくれることなく、バタバタと扇いで涼を求める。
これでは配る意味も無いかと思いきや、広告がデカデカと印刷されたその団扇を煽いでいる自分が無意識のうちに広告塔と化している訳ですね。

で、数日前に受け取った団扇が左の写真※1の一番上に乗せた黒っぽいもの。 プラスチック製の骨の団扇が殆どななかで、珍しいことに竹製。 デザインもそんなに悪くないので何の気なしにその印刷面を見てみると、某大手ディベロッパーが手掛けている賃貸オフィスビルの入居募集開始を告知したものであった。
良く判らぬが、不特定多数が往来する街路とはいえ、恐らくその大半はサラリーマン。 そんな群衆をターゲットにオフィスビル入居募集の広告を配って、如何ほどの効果があるものなのか。
勿論、企業側もバカではない。 無駄なこと、営利の追求に貢献しないと判断されることは徹頭徹尾やる筈がない。 効果を用意周到に精査した上での団扇配布なのだろうけれども、それでもやはり少々違和感を覚える。

まぁしかし、そんな違和感に思わずこうやってその団扇を写真に撮って自らのサイトに載せて広告を拡散してしまう私の様な酔狂な媒介者の存在もある程度見込んでのことなのかもしれませんね。



2013.07.20:道路の向こう側
※1
文中の画像は、その時に撮ったもの。 2005年3月下旬頃。 豪雪の年であったので、まだ雪が多く残っている。

町並み紀行のページに新潟県長岡市の摂田屋(せったや)を登録した。
本文にも書いた通り、長岡市在住中はこのエリアへの関心は殆どなかったが、時折メインストリートを通ることはあった。 通過して向かう先は、高龍神社という山間の奥深くに位置する神社。 別に信心深い訳でも、神社建築への興味を持っていた訳でもない。 ただ、そこに至るまでの長い道のりは、時折民家が点在する以外は人煙途切れるといった風情を醸す山間部の一本の車道。 そこを黙々と進んで行きたいという衝動にかられることが、なぜか時折あった。
といっても、小学生の頃の話。 だから向う手段は自転車ということになる。 随分と元気だったものだ。

そのきっかけについては何となく覚えている。
摂田屋の町並みが途切れる南の端に、メインストリートから南東方向に分岐する道路がある。 その道に自転車で分け入ったことが発端であった。 のどかな田園風景の中を伸びるその道路は、一体どこまで続くのだろう。 そんな他愛もない興味のもと、黙々とペダルを漕ぐうちに周囲は山並みが連なる風景に変わっていた。
さすがに初回から高龍神社に辿りつけた訳ではない。 途上に設けられたスノーシェルターの手前で根尽きて、来た道を戻ることとなった。 以降、回を重ねるごとに奥へ奥へと進むようになり、何度目かのトライで高龍神社に到着。 別にそこが目的地であった訳では無かったのだけれども、それが一つの括りとなって、以降その経路を辿る行為は途絶えた。
ということで、通過地点ながらも幼少の頃の記憶が僅かにこびり付くエリアとして、個人的な記憶の中の摂田屋が在る。

この界隈は、近年地元でも注目度が上がっているらしく、様々に語られているし、またネット上にも情報が多々挙げられている。 だからいまさら私が改めて書けることも書くべきことも有りはしない。 けれども、取り敢えずは幼少期におけるこの地に関する空間体験を取っ掛かりにまとめてみた次第。
いや、文章なら何とか取り繕えるものの、ページの体裁を整えるに都合の良い気の利いた写真を殆ど持ち合わせていないという致命的な問題は如何ともし難い。 群景としての町並みの特徴を捉えたものは皆無。 従って、"点"として散在する特徴的要素を捉えた僅かなストックを文章の中に散りばめるに留まった。

ちなみに本文の方には載せなかったけれども、この摂田屋には「美味しんぼ」の16巻にて紹介された「星六味噌」がある。 数年前に高校時代の同級生と同界隈を訪ねた際※1に偶然見つけ、三年ものの味噌を購入。 同漫画で紹介されるだけのことはあって、とっても美味しい味噌でした。



2013.07.13:長岡造形大学雑記

建築技術関連の展示会を観に久々に東京ビッグサイトに行く。
この手のイベントはあまり興味がないのだけれども、場内で開催されるセミナーにて知り合いが講師を務めるとあっては自然、歩が向くというもの。 という訳で小一時間、大勢の聴衆を前に華麗にプレゼンを展開する知人の雄姿に感心しつつ、話を聴く。

セミナー終了後、暫し会場内を徘徊。
広大な会場の片隅に、なぜか長岡造形大学環境デザイン学科の出展ブースがある。 イベントの趣旨と全く無関係に思えたのだれども、考えてみたら建築系の学科な訳ですからね。 まるっきり縁がないという訳でも無い。
ブース内には、同学科の学生の設計作品数点が展示されていた。 もう最近は手描きなんていうアナログな図面は無いのね。 フォトショップか何かで小綺麗にまとめられたそれらのプレゼンボードを眺め、隔世の感を抱く。
で、プランを眺めながら心の中で好き勝手に講評を展開しつつ、フと、傍らに置かれている同校の豪華なパンフレットに気づき、ページを捲ってみる。

巻末に掲載されている同大学を含む周囲一帯を収めた航空写真を見て、眩暈を覚えた。
同大学は長岡市内の千秋地区に立地するが、いつの間にこんなコトになったのだろうと目を見張るばかりに開発が進み大変貌を遂げている。 いや、近年何度か同地を訪ねる中で、地上レベルでその変貌ぶりを掴んでいたつもりであった。 しかし、空から俯瞰するそれはインパクトの度合いが違う。 これでは駅前が閑散とする訳だな。
この市域の都市計画は、一体どんな長期ビジョンに基づいているのだろう。 郊外の開発を推し進める施策をとりつつ、そのあおりで衰退した既存市街地に対しても、その活性化を目的に公共投資を行う。 奇妙なマッチポンプだけれども、何もこれは長岡市のみに固有の現象ではない。

・・・などと大学と直接関係ないことを考えながら、更にページを捲る。
それぞれのページに紹介されている各学科の学生さん達の作品は、いずれもとても素晴らしい。 そんな中でも特に目に留まったのが、小杉美紀子という方の青空をテーマにした油彩。
同市内のカフェギャラリーFATOにて、同氏の別の作品を拝んだことがある。 同じく、抜けるような青空をテーマにした絵画。 ふむ、今後どのような創作活動を繰り広げていかれるのでしょうね。

建築学科の卒業設計の作品ページにも目を通す。
う〜ん、デジタル技術を駆使した表現力は素晴らしいけれど、内容に関してはかつて私が取り組んだモノだって負けず劣らず深遠だったゾ・・・などとツマラぬミエを張ってみる。 あぁ、空しい・・・。

会場を後にし、別の知り合いに同大学のブースのことを話したところ、その知人曰く、「地元のコンテクストと密着した活動を活発に展開し、成果を上げている大学」なのだそうで。 そうだったのか、知らなかった。 だって、私が同市に在住していた際には存在しなかった大学ですからね。
そういえば数年前、俊乗房重源が建立の指揮を司った浄土寺浄土堂について私的に色々と調べていた際、同大学で学術模型を製作していた旨の情報をネット上で得たこともありました。



2013.07.06:徘徊と日常

このサイトを開設したのは2006年7月8日。 だから、そろそろ丸七年が経過しようとしている。 早いものですね。
このページも含め、開設当初から作り方はほぼ同じ。 タグの手打ちで個人のホームページを作るなどというもはや骨董的な手法を用い続けている。
別にそのことに、拘りや固執は無い。 単にそんなやり方が性に合っているというだけのことだ。

それにしても、開設当初よりテキスト中心でやって来たがために、サーバーの使用量はごく僅か。 これでは、一生かかっても容量の上限を満たすまでに至ることはあり得ぬ。
そんなこともあって、八年目突入を目前に、趣向を変えて画像中心のページも作ってみることにした。 タイトルは「徘徊と日常」。 都度撮影した写真、あるいは今まで撮り溜めた画像に少々コメントを添える体裁のページをまとめてみようかと思う。
トップページの左下にリンクを貼った。 ま、一過性のものに終わるかも知れぬが、その辺りは個人サイトの気楽なところではある。



2013.07.01:【書籍】河童が覗いたトイレまんだら


著者:
妹尾河童

出版社:
文藝春秋

出版年:
1996年12月10日

※1
ということで、書籍に収録された事例とは別に、コレは!というトイレの事例を改めて探してみると一つだけ思い浮かんだ。
齋藤裕が手掛けた「好日居」という住宅のトイレ。 トイレが三箇所も計画されているのだが、私が気になるのは階段室の延長上に設けられた二階のトイレ。
外壁面全体に、ガラスを嵌め込んだ直径50mmの穴が千鳥配置に無数に穿たれている。 それらの開口を通して、水玉模様の外光が注ぎ込む空間内で用をたすのはなかなかに快適かも知れぬ。

昨年の秋、近傍の図書館で開催された除籍図書のリサイクルフェアにて入手した書籍。
タダで手に入るとどうしても読むのが後回しになってしまう。 良くない事だと気に掛けていたのだけれども、最近漸く読了。
タイトルにある通り、様々な著名人の自宅のトイレを赤裸々に描写した図と取材文によって紙面が構成されている。

住宅の中にあって、トイレとはなかなかに深遠な空間だと改めて思う。
生理的欲求に最もダイレクトに結びついた場所。 であるからして、この空間に対する想いも実に多彩。 その一端が伺える取材文はとても興味深い。
で、それに合わせて掲載されている筆者の手による各家々のトイレの描写の細密さには驚かされるばかり。 描くことが好きなだけではなく、トイレに対する愛がなければ決して描けぬであろう、そんな絵図の数々に敬意を表さぬ訳にはいかぬ。

でも、「何だコレは!」と驚嘆してしまう事例は見受けられない。
それぞれの嗜好に従ってトイレ内に設えられた小物類は個性に溢れている。 しかし、トイレそのもののプランニングはどれも普通という印象。
考えてみれば、著名建築家が手掛けたアバンギャルドな住宅作品も、トイレだけは凡庸に納まったものばかり。 住宅において、この空間は形態操作のしようが無い場所なのだろうか※1

それでは、お前の家のトイレはどうなのだと言われると、えぇ、狭いということ以外は至って普通ですね。
ちなみに、浴室と洗面室とトイレが一直線に並んでいます。 外壁に面した開口があるのは浴室のみ。 浴室と洗面室の間仕切り建具は框扉になっていて、鏡板部分は全て半透明のアクリル板。 だから、浴室を介してその奥に位置する洗面室にも外光がもたらされる。
トイレは更にその奥に位置するが、洗面室に面した扉の上部に幅300mm高さ150mmの小窓が穿たれているので、僅かながらも浴室からの外光が採り入れられるようになっている。 といっても、洗面所を介しているため、その光量は僅か。 採光のためというよりは、内部の照明の消し忘れを洗面室側から確認出来るよう設けられたのであろうが、ためしに照明を点けずにトイレに入ってドアを閉めると、写真の通り。 その小窓からは、極々僅かな光が差し込む。
便器に腰掛け、漆黒の闇に滲むその光の筋を仰ぎ見つつ“光のドラマトゥルギー”について思索できる狭小空間・・・って、飛躍し過ぎか。

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