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2013.09−2013.10
2013.10.30:景観の話

景観に関して言及することはとっても難しい。
数値化等による客観的な評価指標とは無縁の感覚的な世界・・・、つまりは個々人の好みに多分に支配される。 だから、普遍的な美しい景観の在りようなど、誰にも提示することは不可能。
例えばそのことは、かつて「美しい景観を創る会」なる団体が「悪い景観100選」と称するシロモノを唐突且つ乱暴にブチ上げた際の世間の反応を見ても明らか。
そんな景観の問題に関し、ひとつのプロジェクトについて議論、というよりは批判が湧き起こっている。 そう、新国立競技場。 周囲の風景になじまぬデザインおよびスケールであるとの意見が出され、シンポジウムなども開催されている。

景観問題ではないけれど、東京都庁舎も建築中は批判に晒された公共建築でしたね。 豪華批判なるものが沸き起こりました。 しかし今ではそんな批判は全くナリを潜め、逆に東京の代表的な建物、ないしは象徴的な景観という立ち位置を獲得している。
東京とはそんな場所である。
どんな建物も、勿論様々な問題を内部に留保しつつ経年と共に風景の一部としてすっかり定着してしまう。 そんな事々の夥しい堆積によって横溢し、個々の意匠やスケールの差異など大した影響力を持ち得ぬ。 どんな建物が建ってもおかしくないし、そしてどんな建物が建とうがもはや大して驚くことではない。 あるいは、驚く暇も無いうちにそれらの景観は瞬く間に消費され尽くしてしまう。 更に最近加わった傾向として、どんな巨大な建物(超高層)であっても、経済的に不要と判断されれば有無を言わさず除却され、そして全く異なる風景に取って替えられる。

そんなモンスター胃袋都市である東京において、今回の実施案がそのまま実現したらどうなるのか。 その辺りを観察してみたい気も全く起きぬ訳では無い。
然しもの東京も消化不良に陥るのか。 それとも、御多分に漏れずいつの間やら馴染み深い風景の一部として定着してしまうのか。 はたまた、消費されることのない強大な存在として、東京に君臨し続けることとなるのか・・・。

当該プロジェクトに纏わる景観の議論は、大切なことだとは思うもののやや遅きに失した感はある。 開催時期を鑑みれば既にスケジュールはタイトだ。
それに、批判や疑問の垂れ流しだけでは何の前進も無い。 与えられた建築条件に起因することとはいえ、周囲を圧する巨大さという点については、最終選考に残ったいずれの案も批判から免れ得はしまい。
ともあれ、避けねばならぬのは中途半端なデザインに無為に後退してしまうこと。 先ごろ公表された予算オーバー額からすると、その可能性は決して低くは無いが・・・。
ま、個人的な好みで述べるならば、実施案はあまり感心出来るデザインでは無いのですけれどもね。

2013.10.24:メーカー住宅私考_34
未来技術遺産

※1
積水ハウスは、その草創期から手がけている軽量鉄骨軸組造のほか、一時期は木造軸組みや2×4、RC造等、多様な工法に取り組んでいた(今現在は、鉄骨系と木質系に集約されている様だ)。
しかし、ユニット工法は1962年7月に発表した「C型キャビン」のみで、以降は商品化されたものはない。

※2

セキスイハイムの磁器質系タイル“レジデンスタイル”を用いた外壁の事例。

国立科学博物館が制定する「重要科学技術史資料」、通称「未来技術遺産」に、積水化学工業のセキスイハイムM1が今年登録された。
「今年」と記した通り、これは毎年過去の様々な技術を審査し登録を行う制度らしい。 となると、他にも存在する「ナントカ遺産」の類いと同様、近い将来我々の身の回りは技術遺産だらけになってしまうのだろうか。
ところで、同制度には既に大和ハウス工業のパイプハウスとミゼットハウスも登録されている。 この二点とセキスイハイムM1は、確かにプレハブ住宅史の中では極めて重要な位置づけにある。
そういったモデルが多岐に及ぶ他の産業技術と並んで“遺産化”されるということは、とても意義深いこと・・・なのであろう。

積水化学工業は、その設立当初よりユニット工法による住宅造りに拘り、その拘りを今日まで持続し発展させてきた。 そのブレない姿勢は、業界随一かもしれぬ。
同社がここまでユニット工法に拘る理由・・・というよりも拘らなければならぬ背景は、住宅部門を設立するにあたっての経緯が大きく関わっているのだろう。 つまり、既に独立していたもののかつてはグループ会社であった積水ハウスへの配慮。 しかも、設立時にはノウハウ取得のために全く専門外の社員六名が積水ハウスに出向し家づくりのイロハを学んでいるという経緯もある。 こうなると、積水ハウスと同じ工法で競合する訳にはいくまい。
一方の積水ハウスも、草創期のほんの一時期を除いてユニット工法には手を出していない※1。 その理由は、ユニット工法の前提である高度の工業化が同社の社是にそぐわないという点が大なのだろうけれども、かつての親会社がユニット工法に取り組んでいるということへの配慮もあるのかもしれぬ。
そう捉えると、大手ハウスメーカーの上位に常に名を連ねる二社が、何やらとっても紳士的な関係のもとにお互い切磋琢磨しているようにも見えるが、果たして実情は如何に。

ともあれ、ユニット工法の進展と共に成長してきた積水化学工業。 その最新モデルをみると、本当にうまくまとめ上げているなと思う。 工業化、あるいは生産性といった面でユニット工法のメリットを十二分に追求しつつ、住まいとしての商品性やデザイン性も充実している。
例えば、磁器質タイル張りの外壁※2。 同社の最近のラインアップについては良く判らぬ。 恐らくは上級の高額仕様なのだろうが、優れたテクスチュアだ。 そのタイルをウマ張りしつつ、しかし一定間隔で縦目地を通してタイルをぶった切っている。 これは、タイル下地の乾式パネルの層間変形追従性確保を考慮したものなのであろう。 湿式を基本とした現場施工ではなく、工場組み立てを前提とした生産性向上のための乾式化への拘りの中で、意匠性と技術的整合性をバランスさせたこの割り切りは、かえって清々しい。
あるいは、屋上パラペット廻りの幕板等々の各種外装パーツの意匠性や、ユニット工法としての制約を感じさせぬ平面プランなど、セキスイハイムこそ工業化住宅の嚆矢といって良いのかもしれぬなどと最近思いつつつある。

2013.10.17:メーカー住宅私考_33
M型を巡る冒険

※1

ミサワホームMII型の増築タイプ外観。
純正モデルは、住宅メーカーの住宅のページを参照頂きたい。

※2
M型だったのではないかと絞り込んだモデルの外観。

上記MII型とのデザイン的な繋がりは全く認められない。
それ以前に、その外観からは当時同社が展開していたGOMASシリーズに見受けられていた設計思想と同質の要素を読み取ることも出来ない。

ミサワホームが1978年に発表したMII型※1については、「不可解なモデル」として住宅メーカーの住宅のページに登録している。
MII型があるのならば、その前身にあたるM型ないしはMI型が在って然るべきと思うのだが、不思議なことに手元に明確な資料は一切無い。 あまり気にも留めていなかったのだけれども、そのことをブログで問うている知人がいて、「そういえば何でだろう」と思うようになった。
思い始めたからには、追及しない訳にはいかぬ。

さっそく手持ちの資料に改めて目を通してみる。 すると、そのものズバリの実在情報は無いものの、存在していた痕跡は幾つか確認できた。 その点について知人とmailでやりとりし、どうやらこれがM型であったらしいというモデルの候補を絞り込む迄には至った。
左の画像※2がそれであるが、しかしどうにも腑に落ちない。 なぜなら、それはどう解釈しようにも、昭和50年代を通じて同社が首尾一貫こだわり続けた企画型モデルの内外観構成手法とは全く異なるからだ。 MII型をその後継モデルと位置付けることにも大いに違和感を覚える・・・というよりは、どう考えても断絶している。
さもありあん。 画像の住まいは、同社が手掛けた自由設計の事例として当時の様々な資料に掲載されている。

さらに追及するべく地元の図書館に向かう。
追及の方法は単純。 当時の新聞を片っ端から捲って同社の広告を探すのだ。 そこにM型に関する事実が見えてくるかもしれぬ。
大変な作業の様にも思えるが、実はそうでもない。 不動産関連の新聞広告というのは、大概週末に集中する。 当時の同社の広告もその例外では無いことを、リアルタイムに関心を持っていたその時期の経験から知っている。 ということで、1977年発行の各月の新聞縮刷版の週末の朝刊を中心に目を通す。
すると目論み通りとはいかないまでも、手掛かりが幾つか見つかった。 それはいずれも、「ミサワホーム77」と銘打つ同社の広告。 キャッチコピーは様々であるが、一つに「ほんもの時代の決定打。」というものがある。 その表記の通り、同社草創期以来の自由設計事例の中から秀逸なものを7つセレクトしてラインアップしたのが「ミサワホーム77」である様だ。
そしてそのセレクトの中の一つに、件のモデルが「入母屋の家」という名称で載せられている。

さて、この「入母屋の家」がM型に繋がり、更にその後の MII型やMIII型に繋がり得るのか。 仮に繋がったとして、その商品体系の変遷に込められた意図は何であったのか。 あるいは、これとは別にM型が存在したのか。
もう少し追及の必要がありそうだ・・・って、別にこんなことを調べたところで何の意味も無いのだけれどもね。

2013.10.12:MaRouの杜
設計:
山下秀之

施工:
(株)大石組

構造:
木造2階建て

規模:
299平米

所在地:
長岡造形大学内

※1

外観

※2

内観。様々な角度で配置された壁面の上部に組み込まれたピクチャーウィンドウ。

※3

内観。モノトーンの空間の中の僅かなクランク部位に何とも微妙に納まる真っ赤な消火器。

長岡造形大学のキャンパス内に「MaRouの杜」の名付けられた小振りな絵画館が建てられた。 市内で医師業の傍ら画家として齢100に至るまで創作活動を続けた故・丸山正三の作品の展示及び保存に供することを目的とした建物であることは、地元情報誌にて知るに及んだ。
この施設のことが、今年6月の開館以来少々気になり続けている。 理由は、開館時のオープニングセレモニーでの一幕について、その場に居合わせた人の話を知人から又聞きしていたため。
その一幕についてはここには書かぬ。 取り敢えずは、又聞きのことでしかありませんからね。 しかし、おおよそ来賓挨拶として相応しいとは思えぬ発言を某評論家が敢えて行うきっかけとなったその空間を体験してみるのも、一応造る側の立ち位置に在る身としては大切なことなのではないかなどと至極全うな理由をでっち上げつつ、実際のところは半ば野次馬的な興味で、先週長岡を訪ねた折に同施設に寄ってみた。

市が運営しているレンタルサイクルを利用し、途上道草に道草を重ながら同絵画館に到着。
その立地はとても恵まれている※1。 広大な緑地の中に佇む矩形を微細に崩した外観を暫し眺めてから屋内に入ると、正面に受付と、そして脇に椅子が数脚置かれた休憩コーナーが在る。 大きく穿たれた開口からは、昼下がりの陽光が燦々と降り注ぐ。 その休憩コーナーから視線を横に移すと、展示空間が視界に飛び込んでくる。
「ナルホド、某評論家が言わんとした状況が、コレか」と、瞬時に腑に落ちる・・・とはいえ、展示空間を一通り廻った私の印象は、そんなに悪いものではない。 平面方向の形態操作に関し、80年代のピーター・アイゼンマンを少々彷彿させるプランそのものは、とっても面白い。
天井高にメリハリを利かせ、絶妙に配置された壁面の連なりがもたらす迷宮のような空間が、白と黒のみのモノトーンに支配された閉域に展開する。 そして所々に、外部の素晴らしいロケーションが、これも絶妙に切り取られてピクチャーウインドウとして効果的に機能する※2

問題はと言えば、展示方法についても全く無いとは言えまい。
とにかく余裕無くビッシリと展示し過ぎ。 これでは、どんな空間であったとしても作品は活きない。
受付の人に聞くと、収蔵点数は膨大で、今後一定期間ごとに展示作品の入れ替えを行う予定だという。 であるならば、こんなに欲張ってこれでもかと作品を並べる必要も無かろうに。
確かに、空間自体が個性的過ぎて、絵画の展示方法には制約が多いのかもしれぬ。 しかしそれならば、それを逆手に取るくらいの工夫も、キュレーターの職能として少しは求められるところなのではないか。

一方、空間構成についても首を傾げてしまうところが散見される。
例えば、面積的な制約なのか回遊性のない動線計画となっている。 全てを鑑賞し終えた先が行き止まりっていうプランは、大学の設計演習などでも大幅に減点を食らう事項じゃないでしょうかね。
あるいは、南面に大きく穿たれた開口からの直射日光が眩しく、且つ暑いことこの上ない休憩コーナー。 折角の素晴らしい眺望を、ヤコブセン風の椅子に身を沈めてゆったりと堪能出来ないのは、太陽が南中する正午を少々過ぎたばかりの頃に入館した私が悪いのか。
そして、展示室内の消火器の設置位置への配慮の欠如。 モノトーンでまとめられた空間の中で、際立っていたのは作品ではなく、真っ赤な消火器でしたというオチ※3

ということで、運営面での課題がまだ色々とありそうなこの大学内施設。 絵画館として今後どの様に醸成されていくのでしょうか。 再び訪ねる機会があるか否かは判らないけれど、そんなことを思った。
ちなみに、掲載した内観写真は館員の方の了解を得て撮影したもの。 作品が写らなければ問題ないとのこと。 勿論、絵画への影響を鑑みてフラッシュを焚かずに撮影いたしました。

2013.10.07:機那サフラン酒本舗
※1
今年は10月5日に開催。
主催は、NPO法人醸造の町摂田屋町おこしの会。


※2
一階廊下部分。
上の方に部分的に映っている障子戸と比較すると、板一枚の大きさが判る。
一本の巨木から何枚も板取りをし、それらを書籍を見開くように並べて張ることで木目を対称形に見せている。

新潟県長岡市の南部、摂田屋の地に機那サフラン酒本舗という歴史的建造物が在ることは、町並み紀行の項に載せた同エリアのページにおいても言及している。
その敷地内に建つ離れ座敷が初公開されると聞き、当地に赴いた。 年に一度、一日のみ開催される「おっここ摂田屋市」という町おこしイベント※1に合わせた公開とあって、私と同様の見学者が引きも切らず盛況であった。

欅の巨大な無垢板がブックマッチに張られた一階廊下の床※2とか、その床板が留め納まりの箇所以外は経年による狂いが全く生じていないこと。 更には書院の建具に施された繊細な格子組や、全てに銀杏面取りが施された外部硝子戸の格子等々、見どころを挙げれば切りが無く、それらを大いに堪能した。
でも、それら一つ一つを論って「素晴らしい」と連呼することに一抹の空しさ、あるいは寂しさが付き纏ってしまうところに、歴史的建造物の難しさがある。

今回の公開に当たっては、屋内の清掃や庭の除草等に関し、多くのボランティアが参加したと聞く。 その甲斐あって、荒れた風情は幾ばくか緩和され、公開イベントは好評を博した。 しかしその労力たるや、並大抵のことではなかったのではないか。
そこに、豪壮な建物を維持していくことの難しさが顕然する。

この手の話題をこの場に出す時、いつも「建築は用を成してこそ意味がある」などと書いている。 しかしながら建築とはそういうものだ。
余程の文化財でもない限り、その保存にあたっては、例えばアダプティブユース等の動態保存が前提となろう。 そのためには、その建物をどの様に活用し、そして維持し続けるための費用を捻出する恒久的な仕組みを如何にして作り上げるかといった極めて現実的な議論が不可欠になる。 そこに感傷的な情緒や高尚な文化論が入り込む余地など無い。
少し前に、歴史的建造物を移築保存公開している北海道開拓の村において、予算不足の影響でそれら“屋外展示品”の修繕が追いついていないという記事を知人から紹介して貰った。 公共の静態保存ですらそうなのだ。
歴史的建造物の保存は、本当に難しい。

2013.09.28:O型を巡る対話
※1

ミサワホームO型の玄関ポーチブラケット照明。
「O」の字を照明デザインに用い、その上に鳥を載せているが、その数でモデルのバージョンや仕様を示している。
当時の同社の他の企画住宅も同様に、型式のアルファベットをデザイン化した照明を用いていた。 いわば、エンブレムとしての機能を玄関照明に担わせていたことになる。

某日、昼食時の会話。

「今度、実家でキッチンのリフォームをすることになったんですよ」(以下、発言者の名前を便宜上「S」とする)
「ふ〜ん。建ててからどのくらい経つの」(以下、私の発言は「K」としておこう)

S:
建ててから30年以上経つんですけれどもね。ミサワホームなんです。

この「30年以上」と「ミサワホーム」いう言葉に、私はピンと来てしまった。

K:
どんな形のキッチンなの?
S:
コの字型です。
K:
コの字の二箇所のコーナー部分に窓が付いていないか?
S:
えぇ、付いていますよ。

これで、当時のミサワホームのどのモデルなのか、私にはほぼ特定出来てしまう。あとは念のための確認。

K:
ふぅん。でもって、玄関入ってすぐの右か左に和室があるだろ。
S:
はぁ。左側に8畳間がありますけれど・・・
K:
奥行きが無茶苦茶浅い床の間が付いているんだよな。
S:
何で判るんですかぁ!
K:
二階にロフトがあるよな。
S:
え、えぇ・・・。
K:
北側の居室に面している?それともホールの上?
S:
ホールの上です。
K:
ちなみにさぁ、玄関ポーチのブラケット照明の上に鳥がとまっているだろ※1
S:
えぇ、鳥が付いたデザインになっていますけれど・・・
K:
何羽?
S:
確か三,四羽くらい、とにかく沢山並んでいます。
K:
ってことは、内部の建具や造作の色はダークブラウンに統一されているな。
S:
観に来たこと、あるんですかぁ!?

もう、確定である。 S君の実家は、ミサワホームOIII型の延床面積44坪、西入り玄関タイプのエクストラ仕様。 型式で言うと、OIII-44-2W-EXだ。 当時3種類標準設定されていた仕様のうちの最上級仕様。
私の趣味を知っている他の同席者達は、苦笑いを浮かべている。 私は構わずに、テーブルに据付けの紙ナプキンを一枚取り出し、そこに間取りの略図を描く。

K:
OIII型ってことは二階の和室の位置は階段降り口じゃなくて、こっちの奥の方だよな。
S:
えぇ、そこです。
K:
あと、二階のこの場所にトイレが無いか?
S:
ありますよ。小さいトイレと、納戸が並んで配置されていますけれど・・・。 っていうか、どうしてそこまで書けるんですか?
K:
気にするな。それにしても、エクストラ仕様の上にオプションの二階トイレ設置も採用しているって、スペック高いな。 ひょっとして、セントラルクリーナーも付いているんじゃないか。
S:
えぇ、付いてましたよ。 でも、あれって吸い込み口が一階と二階にそれぞれ一箇所ずつだけじゃないですか。 だから家の隅まで掃除するには、思いっきり長いホースが必要で、そのホースが壁や扉に当たって傷を付けるから、すぐに使わなくなってしまいましたよ。

この辺りは、実際にO型で暮らしている人だからこそ判ること。 なかなか興味深い。
ということで、思いがけずのO型談議を愉しむひと時となった。 といっても愉しんでいたのは私だけで、周囲の人達は、呆れ果てていたことだろう。

2013.09.23:【書籍】夢と魅惑の全体主義


著者:
井上章一

出版社:
文藝春秋

出版年:
2006年9月20日

宇宙戦艦ヤマトの最初期のアニメはリアルタイムで観ていた筈なのだけれども、記憶が極めて断片的だ。 大まかなあらすじと、そして幾つかの場面が印象に残るのみ。 その後の続編は一切観ていないから、シリーズ全体の世界観も全く判らぬ。

ということで、リメイク版として「2199」が放映されると知っても、あまり興味は沸かなかった。 しかし周囲で話題になり始めて、では試しに見てみようかと初めて視聴したのが第14話「魔女はささやく」。 何だか、エヴァみたいだネ・・・と思いっ切り違和感を覚えつつ、一度観出すと続きが気になってしまうのは世の常。 以降、毎回視聴することと相成った。
とはいえ、このアニメに対する予備知識は冒頭に書いた通り。 膨大且つ緻密な設定のもとに繰り広げられているのであろうストーリー展開や怒涛の映像を、ただただ唖然と視覚で追うのが精一杯。 従って、ネット上に続々とアップされる感想や分析を読み比べることで、個々のディテールやその意味を後追いで咀嚼するといった状況のまま、物語は終盤に至っている。

しかし、解釈を試みようにもなかなかに一筋縄ではいかぬのが、アベルト・デスラーの立ち居振舞い。 この人物に対して僅かに残る約40年前のイメージと照らし合わせても、どうにも腑に落ちぬ。
いや、その辺りが、独裁者の独裁者たる所以でもあるのだろう。 凡人にはおおよそ理解不能な独裁者の狂気。 実は、そんな狂気の集積によって世界史は塗り固められている。

そこで思い出すのが、何とも不穏なタイトルのこの書籍。 ファシズム等のイデオロギーを背景にした独裁者達が築き上げた建築や都市と、同時代の日本の状況について論じられている。
その時々の権力者によって作り上げられ、あるいは構想された建築は、自身の権勢や野望を具視化せんとする狂気の産物である場合が多い。 狂気は建築をいきおい壮大な虚構へと暴走させる。
魅惑的な建築を実現させるためには、そのような暴力的なエネルギーを要するということか。

さて、アベルト・デスラーの狂気は、果たしてその本拠地である帝都バレラスの都市計画や個々の建築の意匠に影響を及ぼしていたのであろうか。 及ぼしていたとして、それは如何なるものであったのか。
旧作の設定を尊重しつつ、そんな考証を反映させて同都市の風景が描かれていたとするならば面白いのだが・・・。

2013.09.18:小さく住まうこと
コンフォルト誌の10月号に、中村好文のHanem Hutが紹介されている。 独居を想定した間口3m奥行き4mの小屋。 ライフラインに頼らぬ田舎暮らしに必要な機能が、その狭小空間にコンパクトに収められている。
同作品は、「TOTOギャラリー・間」にて開催された氏の個展にて実物大モデルが再現され、期間中大いに好評を博したとのこと。 つまりは、この様な居住形態への関心は結構高いのかもしれぬ。 フム、リタイア後にこの様な空間で隠遁生活ってのも確かに良いかも知れないナ・・・などと、掲載された内観写真を見ながら思う。 しかし、それならばと平面プランに実際の自らの生活を落とし込み始めると、途端に辛くなってくる。
「アレ、浴室はシャワーブースのみか・・・。う〜ん、やっぱり湯船にゆったりと浸かりたいよな。」 「冷蔵庫が小さいね。一人暮らしこそ大型の冷蔵庫が必要なのでは。」 「ん?、ソファベッドか・・・。あまり好きじゃないんだな。寝食は分離したいんだよね・・・。」 「洗濯機置き場が無いじゃん。手洗い?それとも全部クリーニングに出すの?」
・・・などと我侭を言い出すと、とてもじゃないが3m×4mの空間には収まりきらなくなる。 小さく簡素に暮らすには、まだまだ物欲が多過ぎるか・・・。 その実践には、大いなる決断と、そしてそれを継続するための清貧な価値観の維持が必須。
とは言え、それが日常生活を送るための棲家なのか、それとも短期滞在を想定した別荘なのかで、装備すべき設備も変わってくる。 Hanem Hutは明らかに後者な訳で、いわば小粋な道楽のための非日常空間。 そんな前提のもと、自分なりに使いこなせる最小限住居の在りようを考えるとどうなるか。 たまにはそんな架空の住まいに思いを馳せてみるのも、なかなか楽しい。
2013.09.14:【書籍】新建築2013年9月号

今月号の掲載作品の中から何点かについて好き勝手な感想を以下に・・・。

タメディア新本社
設計:SHIGERU BAN ARCHITECTS EUROPE
施工:HRS Real Estate

大型木造建築。 その構造体は、木ならではの特性が活かされていることが一目で了解可能な明晰なもの。
坂茂の木造建築というと、近年の作品では韓国驪州のクラブハウスの架構が印象深い。 しかしそれとは全く異なるアプローチで新たな様式を提示しているところが凄い。
そして、なぜ7階建てのオフィスを敢えて木造で実現しようとしたのか、その経緯も含めて短い解説の中に的確に説明がなされていて歯切れが良い。 しかし、同じ解説文の終盤部分は少々解せない。 木造を実現するための日本の技術力と法体系の不備を指摘しているが、意味のない言及。
それぞれの国に様々な背景が複雑に絡む諸々の制約がある。 それらの制約の中で如何に作品を実現していくかといったところが建築家なり技術者の腕の見せ所であり醍醐味でもある・・・などというのは、釈迦に説法。
当プロジェクトにしても、厳しい景観規制に対して外装材の割付けの工夫によってそれをクリアし、巨大木造建築ということとは別の価値の付与に成功している。 それと同じことだ。
勿論、理に適った法体系によって純粋な巨大木造が実現できるのは素晴らしいことだし、今回の作品はその理想形だ。 一方、様々な制約の中で、補助材あるいはハイブリッド工法などによる木の積極的な活用を追求することにも価値はある。

九州芸文館
設計:隈研吾建築設計事務所+日本設計
施工:鹿島・大藪・西日本特定建設共同事業体

多数の三角形に分節した屋根面の構成によって巨大な建物に付き纏う威圧感を払しょくし「開かれた建築」を実現しようという意図は、外観デザインに巧みに顕れている。 氏が言うところの「パラパラとした世界」を、新たなアプローチで試みているといったところか。
しかし、全体の印象はパラパラというよりはガシャガシャ。 ランダムな屋根の分節を、なぜ平面形態にまで持ち込む必要があったのか。
結果として、どこもかしこも不定型な空間が連なる屋内は、写真で見る限りは何とも落ち着きがない。 使い勝手の面でもどうなのだろう。 不定型な構成が個々の部位の用途と逐一整合されたものであったとしても、そのこと自体に大した価値や面白味は見い出せぬ。
実際に観る機会があれば、部材どうしが直角以外の角度で複雑にぶつかりあう箇所のデザイン処理や施工精度を確認してみたい作品ではある。

小豆島の葺田パヴィリオン
設計:西沢立衛建築設計事務所
施工:鹿島建設

新建築誌は建築専門誌であって芸術誌ではない。 であるならば、著名建築家がデザインしたモノとはいえ、なんでインスタレーションを載せるんだ?と思ったら、恒久施設だそうで。 しかも設計者御本人は、解説の中でこの構造体を「建築」と表記している。 建築と芸術の違いやその境界は如何になんて思索を試みる気力など既に持ち合わせてはいないけれど、建築の根源を踏まえれば確かにこの作品も建築なのかもしれぬ。
あたかも二枚の大きな布地が折り重なりつつ天から舞い降りて着地しようとする瞬間を固化したような形態。 それを支持材等を用いずに薄肉の鋼板どうしの接合のみで成立させた着想は見事。
掲載写真の幾つかは、この構造体の内側で遊ぶ子供たちの姿を捉えている。 スケール感を把握する上では適切な編集。 でも、撮影時以外は、内側のみならず建物でいえば屋根に該当する上部鋼板によじ登って遊ぶヤツもいるのだろうな。 でもってそのうち、「危険」とか「上に昇るな!」といった類いの注意書きがベタベタと周囲に貼られることになったりしてね。

いなえ
設計:郡裕美+遠藤敏也/スタジオ宙
施工:しゅはり

この作品が立地する佐原を初めて訪ねたのは1991年の秋。 溝口歌子と小林昌人共著の「民家巡礼 東日本篇」にてこの街の存在を知り赴いた。
同書籍の中で、著者がこの地を訪ねたのは1962年9月と記されている。 それから既に30年弱が経過していては、記述された内容と同じ風景など望むべくもない。 それでも、伝統的な意匠を纏った家屋が極々自然に散在する街並みは、それなりに散策を堪能できるものであった。
以降、幾度かこの地を訪ねているが、そのたびに不思議な現象を目の当たりにしている。 新建材を纏った今風の凡庸な外観であった筈の建物が昔ながらの古風な外装に改められていたり、あるいは、崩壊途上にある廃屋然とした古民家が竣工当初の如くピカピカに仕立て直されていたりする。 つまりは、時間がどんどん逆戻りしているかの様相。
さもありなん。 このエリアは1996年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、その後は歴史的な雰囲気の醸成を主眼とした修景による街づくりを推進している。
この手の行為は非常に微妙だ。 手の加え方によっては、テーマパークの様な嘘くさい風景に堕す。 歴史的な街並みの修景に寄与する当該作品は、果たしてこの地の佇まいにどのような影響をもたらしているのだろう。

2013.09.11:M型・008補足
※1

近年、改めて訪ねてみたところ、三十年近く前の建設当時の状態をある程度留めて現存していた。

「住宅メーカーの住宅」のページに設けている「不可解なモデル」の項に、ミサワホームのM型・008を追加した。

このモデル、当時の同社の主力商品では無いにも関わらず、モデルハウスとして住宅展示場に出展されていたフシがある。
場所はABCハウジング千里住宅公園。 大阪万博跡地に造られた広大な同展示場内に1984年頃に出展されていた他社モデルハウスの外観写真の中に、このM型・008と思われる住宅の一部が写っている。
また私自身、このM型・008の建築事例を何件か実際に観ていると本文の方にも書いたが、その内の一つは長岡市に建てられたもの※1。 建売分譲中で、実際に屋内まで見ることが出来た。
屋根勾配なりに設けられた傾斜天井によってもたらされるリビング直上の吹抜けに面して二階居室の窓が取り付けられている様を仰ぎ見た際の印象は今でも鮮明だ。 未だに体感したことはないのだが、同社の当時の企画住宅、MIII型やM型NEWのリビングに設えられている吹抜け空間も恐らくこのような雰囲気なのであろうと擬似体感を愉しんだものだった。

ということで、個人的には「不可解」というよりは「気になる」モデルといった方が正確だ。
にもかかわらず、手元資料があまりにも少なすぎる。 何か情報が無いかと国会図書館にて探してみたけれど、今のところ目的に適う資料に辿り着くには至っていない。
しかし同モデルと同様に、主力商品では無いもののなかなか興味深い内外観を持つ当時の同社の規格プラン事例に幾つか出会うことが出来た。
中には、当時の同社の主力モデルに勝るとも劣らぬ内容のものもある。 何やら、新しく追求すべきテーマがまた一つ出来てしまったような気がしなくもない。

2013.09.03:【書籍】新建築2013年8月号

先月号は集合住宅特集。 掲載作品の幾つかについて、以下に雑感を書いてみる。

ガーデニエール砧WEST
設計施工:清水建設

所々に住民同士の交流を促す共用空間を散りばめた賃貸集合住宅。
近代以降、コミュニティ形成に係る建築的な仕掛けの在りようは普遍的なテーマではあるけれど、3.11以降、その重要性や関心が更に高まっている。 そういった意味では時流に即した作品ということになろうか (といっても、設計期間は3.11を跨いでいるし、事業企画の時期は更に遡る訳ではあるが・・・)。
当該作品で用いられている手法は、目新しいものでは無い。 住棟の各階住戸間各所に半屋外のテラス状コモンスペースを設け、そのスペースに向けて各住戸が積極的に関係性を持つ様なプラン上の工夫を施すこと。 大学の設計演習の課題でコミュニティがテーマに掲げられれば、この様な提案を試みる学生は必ず一人や二人いるだろう。
しかし、重要なのは手法の古さ新しさではない。 事業収支の桎梏の中で、そのような手法を良くぞここまで具現化出来たものだと思う。 レンタブル比や建築コスト等を鑑みた場合、たとえそれが付加価値として相殺され得るものだとしても、なかなかに実現は難しい筈だ。
とはいえ、賃貸住宅という枠組みの中で、その設計意図がもたらす効用は持続性を含めて如何に・・・。 コミュニティ形成に関して、建築の恣意的な設えが成し得ることってが実は極めて限られているのではないかという気がしている。 必要であれば、どんな環境であれコミュニティは自然発生する。 一方で、使われない共用スペースほど侘しいものは無い。
半ば強制的ともいえるコミュニティの誘発を建築の側から仕掛けたこのプロジェクトへの評価。 それには、経年におけるコモンスペースの利用実態の推移を踏まえる必要がある。

ミリカ・ヒルズ
設計施工:長谷工コーポレーション

大規模プロジェクトという以外に特筆すべき事項は見い出せぬ。
しかし、敢えてコミュニティという切り口で言及するならば、恐らくはこれが集合住宅の現実の在りようを最も露骨に顕然させた状況なのだろうということになる。 そこに上記「ガーデニエール砧WEST」の様な牧歌的理想論の入り込む余地は一ミリたりとも存在せぬ。
つまり、住棟部分は各住戸毎に完全にクローズ出来ること。 それこそ「隣の人は何する人ぞ」を地でいく構成の純化。 一方で、同一敷地内にカフェや図書室、更には菜園や体育館等々の多種多様な共用施設を点在させ、そこで必要に応じて住民間の交流を図ることも可能としている。 御近所付き合いをすることも、赤の他人を貫くことも自由。 しかも、それをその時々の事情に応じて融通無碍に選択出来る。 恐らくはこれが大規模集合住宅におけるコミュニティの在りようの一般的なニーズなのではないか。
ニーズのみに迎合していては進展は無い。 それに、バラエティに富んだ共用施設の設置は、管理費の増大や経年に伴う施設の陳旧化への対処といったマイナス要素も孕む。
しかしそれであっても、当該物件と比較した場合、「ガーデニエール砧WEST」の姿に一抹の危うさを感じてしまう。

さくらアパートメント
設計:石井健/ブルースタジオ
施工:シグマテック

このプロジェクトについては、当雑記帳でも今年の5月23日に言及している。
70年代プレハブのリノベーションであることを強調することで類似他物件との差別化を図る広報戦略が面白いとその時は述べた。 しかし、結果として誕生した新たな室内空間は、70年代とは無関係。 近年において良くありがちなインテリアデザインに留まっているという印象を持つ。
まぁ、不動産事業として考えた場合、それが無難なところなのであろう。 往時のテイストを好む需要が一定量存在することが確証されているのならば話は別であるが、70年代プレハブを対象とするから70年代的なものを追及・継承する必然性も無い。 でも、それならば70年代プレハブを前面に出す広報戦略の意味も曖昧になってしまう。
むしろここでは、法的対処に係る解説文の方が興味深い。
国内のプレハブ住宅は、当初からクローズドシステムが貫かれて今日に至っている。 そのようなストックを取り扱うに当たって必要となる構造的評価への対処法。 所轄行政の判断にも拠ろうが、同じ方法により全国に大量に存在する同様のストックの延命が図られ有効に活用される動きが一般化するならば好ましいことではあろう。

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