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2013.11−2013.12
2013.12.27:自律的コンパクト化

札幌の市街地で幾つかの再開発事業が動いている。 その規模は大小様々であるが、1972年に開催された札幌冬季オリンピックの前後に建設されたオフィスビルの老朽化に伴う建替え需要が、再開発を促しているのだそうだ。

その幾つかは、高層マンションをその用途に含んでいる。
例えば、南2西3南西地区第1種市街地再開発事業は、地上29階・地下3階建て。 低層部に商業施設を配置し、上層はタワー型のマンション。
(仮称)北8西1地区第一種市街地再開発事業は、札幌駅近傍に奇跡的に残る木造家屋が密集していた約100m四方のブロックに高さ約180mのタワーマンションを二本建てる計画。 その敷地の斜め向かいに位置する北7条東1丁目でも、38階建てのタワーマンションが今現在施工中だ。
これ以外にも多数のタワーマンションが竣工済み、または計画中らしい。 私が幼少のみぎりに札幌市街地に対して持っていた印象からすると、突出した高さを持つ建物というと、札幌市役所と札幌全日空ホテル、そして札幌テレビ塔くらいのものであったように思う。 ところがそれらは、いつの間にやらそれらを凌駕する建物の狭間にすっかり埋没してしまった。
そんな風景の様変わりを演出しているのがマンション用途の建物であることが意味するものは一体何か。 開発業者が何も考えずに遮二無二開発事業を推進するようなことは絶対にあり得ぬ。 全ては周到な市場調査に基づき、事業内容や、その推進可否が策定される。 つまりは、ニーズがあるからこそマンションが建つ。

明確な都心居住へのシフト。
これは、コンパクトシティ化に向けた動きが、行政が策定しつつある都市施策とは関係なく自然発生的に進行しているということなのだろうか。 それとも全く別の背景を理由に持つのか。
ともあれ、新築マンションを購入するその人達は、それまで別の住まいに住んでいた訳である。 その人達が新しいマンションに引っ越した後、その住宅はどうなるのか。
都心回帰を如実に物語る都心マンション市場の活況と、それに伴うのであろう中古住宅の増大。 その同時進行は、何も札幌市のみに特有のことでもあるまい。 他の都市における同様の動きの有無、あるいはその進行の程度は如何に。 そしてその推移の先にどの様な都市の様態が顕然するのか、少々興味が沸く。

2013.12.18:メーカー住宅私考_38
中二階を特徴に据えたモデル

※1
このモデルのほか、以下の商品が発表されていた。

1981年:
チムニーのある家
1982年:
ポーチウィンドウのある家
1983年:
サンラウンジのある家
1984年:
パティオのある家

中二階を商品性の中心に据えたモデルとして、大和ハウス工業が1983年に発表した「NEWホワイエのある家」も挙げられる。 当時同社が展開していた「〜がある家」という名称を用いた商品体系※1の最上位に位置づけられるモデルだ。


写真1:外観

写真2:ホワイエ内観

玄関及び玄関に接続する“ホワイエ”と名付けた広い玄関ホールが、中二階部分に設けられていた。
来訪者は、階段を半階分昇って玄関に至る。 そして屋内に入ると、正面に8畳台のホワイエが広がり、その先に半層分昇って二階に至る階段と、逆に半層分降りて一階に行く階段を並置。 その奥にトップライトを備えた吹抜け空間が配置され、玄関から見通すことが出来る。 つまり、奥と上下方向に一気に空間が開けるのである。 最上級モデルとしての風格を備えた設え。
ウェルカムホールとして贅沢な空間を用意した同時期の他社モデルとしては、例えばミサワホームG型や三井ホームのチューダーヒルズが挙げられる。
しかし、それらと異なるのは、中二階にその空間が設けられていること。 このモデルは、一階部分にプライベートな個室群をまとめ、二階はパブリックなLDKゾーンをレイアウトしている。 そのどちらのフロアにも属さぬ中二階にウェルカムホールを設けることで、今迄に無い新たな住まいの在り方提案しようという試み。
果たして、実施例においてこの場はどのように活用されたのであろうか。

因みに、この中二階部分の直下は、天井高を要しないインナーガレージとするか、あるいは半地下の居室を設けるパターンが提案されていた。 引用した外観写真は、半地下居室設置パターンだ。

2013.12.14:【書籍】僕らが夢見た未来都市


書名:
僕らが夢見た未来都市

著者:
五十嵐太郎
磯達雄
出版:
PHP研究所

発行:
2010年6月16日

出版当時から気にはなっていたのだけれども、読まず仕舞いのままであった。 しかし最近、知人のオフィスを訪ねた際に書棚に置いてあったのをみつけ、拝借。 読んでみた。
内容は概ねタイトル通り。 近代以降発表され、そして語られて来た未来都市についての考察を主題に、関連事項を縦横に網羅。 興味深い検証が行われている。
著者は二人。 1章から9章まで、交互に執筆を担当している。

一方の執筆者が担当した章は、大阪万博に始まり、過去において様々な建築家や都市計画家が発表した未来都市の構想についての所見を述べ、最後に愛知万博で締め括る。 既出の原稿で構成されながらも、冒頭から終盤まで章を跨いで一つのストーリーとして巧くまとめ上げられているという印象。 その一つ一つの文章のテンポや散りばめられた語彙が、読んでいて何とも心地良い。
対してもう一方の著者による章は、自身が読んだSF作品の羅列に大半が費やされている。 そのタイトルと簡単なあらすじ、そして軽い所見を書き連ねることに終始しており、何やらSF作品のカタログ集といった趣き。 執筆者と同様、SF作品を多岐に渡って読んでいる人には、とても興味深い文章なのかもしれぬ。 でも、そうではない私の場合、むしろ取り上げる作品を絞り込んだ上で個々を深く掘り下げてほしかったという気がしなくもない。 そうすることで、他方の稿とのバランスも取れたことであろう。

それにしても、書籍中に紹介されている黒川紀章らが手掛けた「東京計画2025」。 その発表当時、2025年なんて遠い遠い未来のことだと思っていたのに、いつの間にやらすぐそこまで来ている。 しかし、その実現に向けた動きや、あるいはそれに代わる同質の巨大プロジェクトが始動する気配は皆無。
未来都市は、決して実現しないからこそ未来都市ということなのでしょう。

2013.12.10:メーカー住宅私考_37
中二階の変容

※1

ニッセキハウス工業の「中二階のある家」外観。
一階部分右手に階高を抑えたインナーガレージを設け、その直上に中二階を載せている。

※2

インナーガレージと中二階が計画された大和ハウス工業の自由設計住宅「スイートム」のモデルハウス事例。
正面左手を前部に突出させ、ガレージと中二階居室を配置している。

一階でも二階でもないフロアを、階高を抑えた空間と組み合わせて家の中に組み込む形式。 それが中二階を設けた間取りということになる。
この場合、階高を抑えた空間とは納戸スペースである場合が、今日においては圧倒的に多い。 そしてその納戸部分の天井高さは、概ね通常の階高の半分弱、つまり1.4m以下だ。 その目的が当該部位の容積除外であることは、特にこの場に改めて書くことでも無かろう。 専ら収納の用途に供するスペースを容積対象外にて確保しつつ、屋内の断面構成に変化をもたらすべく広く用いられる手法。

一方、かつて中二階と言えば、インナーガレージと組み合わせるパターンが殆どであったのではないか。
例えば、1979年にニッセキハウスからその名もずばり「中二階のある家」※1が発売された。 このモデルにおいて、中二階は階高を抑えたインナーガレージの直上に設けられている。 また、大和ハウス工業が同時期に展開していた自由設計ブランド「スイートムシリーズ」においても、同様の中二階形式を用いたモデルハウス事例が在る※2。 住宅メーカーの住宅のページの不可解なモデルの項に掲載しているミサワホームM型2リビング・インナーガレージタイプも同じだ。
ということで、中二階をガレージと組み合わせて設ける形式は、少なくとも昭和50年代においてはある程度一般的であったのではないか。
あるいは、中古住宅のチラシを見てみても、そのことは明らか。 そこに時折掲載される中二階形式のプランは、インナーガレージと組み合わせたパターンが殆ど。 対して、納戸との組み合わせというのは、まずお目にかからない気がする。 しかし、昨今の新築住宅のチラシの場合、事態は逆転する。 というよりも、インナーガレージとの組み合わせ事例を見掛けることは殆ど無い。 その多くは納戸との組み合わせであるし、あるいは一階と二階の間に設ける階高を抑えた納戸そのものを中二階と呼称している。
これは単に私の現在の居住地の地域的傾向というだけなのかもしれぬ。 しかし、以前と現在でその指す意味や形式が変容している単語。 その一つにこの「中二階」を挙げてみたい気もする。

2013.12.02:メーカー住宅私考_36
高額高級準規格型住宅

※1

1200シリーズ外観事例。

日東紅茶などで有名な三井農林が住宅産業に進出したのは1969年。
当初は外壁にALCパネルやPCaパネルを用いた住宅を取り扱っていたが、1982年に「1200シリーズ」※1と名付けた木造軸組構法のモデルを発表する。

外観は、出幅の大きい軒やエントランス庇によって水平ラインを強調。 外部建具は木製にこだわり、軒先の水平ラインとのコントラストを醸し出す。 そして所々にアクセントとして大谷石を仕上げ材に用いる等、四角四面の総二階を基本としながらも単調で無味乾燥な外観とならぬよう、巧くデザイン処理が施されている。
内観は田の字を基本としたプランに、木材をたっぷりと使った繊細で確かな造作が設えられている。 そして何にも増して、慣例的な基本寸法を大幅に上回る1200mmモジュールを用いたプランニングがもたらす豊かで余裕のある空間。 そこには、高額高級モデルとしての風格が見て取れる。

基本的な雛形は存在するが、それをベースに顧客の要望に応じ調整する。 しかし全体的なテイストは守る。 メーカーサイドとしては、そんな姿勢でこのモデルを販売していた様だ。
御理解いただけるお客様のみとお付き合いする。 そんなところであろうか。 がめつく営業展開を図る同業他社のそれとは一線を画す。
しかし考えてみれば、高額な住宅を求める層は何時の時代にも一定量存在する。 一般庶民は相手にせず、その様な顧客のみと取引きを行うことで群雄割拠の住宅産業界を生き延びるというのは、戦略としては面白い。 とはいえ、贅沢に慣れ切って目の肥えた顧客ばかりを相手に、そのニーズを十分満足させる住空間を造るというのは並大抵のことではない。
それを「1200シリーズ」を引っ提げて事業展開していたのが、同社である。

言い方を変えれば、お高くとまった商売ということになろうか。
しかしそれは何も同社だけではない。 例えばかつての日本ホームズもその範疇に入ろう。 但し、日本ホームズが自由設計を基本としていたのに対し、三井農林は規格型の扱いに近いモデルで営業展開を図った。
果たしてそれが高額所得者層にどの程度訴求され得たのかといった辺りが気に掛るが、高級住宅街と呼ばれるエリアを散策していると、必ずと言ってよい程この1200シリーズにお目にかかる。 しかも、いずれも御多分に漏れず質が高い。 商売の方向性としてはそんなに間違っていなかったのかもしれぬ。
とはいえ、その事業継続は近年の経済情勢の中にあってはなかなか厳しいものがあったようだ。 2000年には、住宅部門を三井木材工業株式会社に営業譲渡。 更にその三井木材工業も、2006年に住宅新築業務から撤退している。
そんな流れの中で、この1200シリーズがいつ頃まで営業展開されていたのかは、今のところ調べきれていない。

2013.11.26:外壁保存
※1

北海道公文書館別館外観

設計:
北海道庁建築課

※2
札幌市が市内の歴史的事物を対象に1988年に公募のうえ選定したもの。
※3

グランサンクタス淀屋橋の外観。旧建物の二層分を基壇として活用し、内外観を整えている。

旧建物設計:
辰野片岡建築事務所

旧建物施工:
清水組

新建物設計:
IAO竹田設計

新建物施工:
鹿島建設

札幌市内に建つ北海道公文書館別館が外壁保存を条件に売却される旨、報道された。
同建物は、1926年に北海道庁立図書館として完成。 その後、道立美術館や道立三岸好太郎美術館に転用され、現在は北海道の資料保管倉庫として使用されている。
その外観※1は、ジャイアントオーダーを用いつつセセッション風に纏められたもの。 東側に札幌方面中央警察署が隣接する。 テラコッタの装飾やスクラッチタイルを外装に纏った1934年完成のこの建物と共に通り沿いに建ち並ぶことで、凡庸な建物で埋め尽くされた市街地の一画に深みのある風景を醸成していた。
しかし警察署の方は1998年に建て替えられた。 基壇部に旧建物をイメージ復元してはいるものの、何やら微妙な佇まい。 そんな警察署の傍らに取り残されてしまった公文書館別館も、どこか所在なさげ。 いや、それ以前から既に一般公開されなくなって久しく、単に倉庫として使われているだけのやや親近感に乏しい建物という立ち位置に甘んじていた。

そんな公文書館別館の売却。 理由は、好立地にありながら有効活用されていないことと老朽化に拠るそうだ。
「さっぽろ・ふるさと文化百選」※2にも登録された建物及びその敷地の維持管理を断念して手放すに当たり、外壁保存を免罪符として条件設定したといったところか。 その与条件によって生じる工費の差分を想定して相殺した最低売却価格も設定。 これは、買い取る開発業者側にも旨味があろう。 その相殺によって保存に係る負担軽減が保証されつつ、歴史的建物の外壁を付加価値として不動産事業に組み込めるのだから。
つまり、売る方も買う側にも外壁保存はメリットがあるという訳だ。 更に、一部とはいえ建物の保存ないしは歴史的景観の保全が曲りなりとも実行されることで、近代建築マニア達の不満にある程度応えられると期待する面もあるのだろう。

「かさぶた保存」などと揶揄され、その揶揄通りの感心できぬ事例も多い外壁保存。 この様な手法に拠ることなく旧態をそのまま残した保存が成立することが勿論好ましくはあるが、理想のみで都市は成り立たぬ。 現実的対処法として、外壁保存は真っ向から否定されるものでもない。
そして、この手法を用いた好例も増えて来てはいる。 つい最近実見した事例では、「グランサンクタス淀屋橋」というマンション※3などはそれに該当しそうだ。
大阪市淀屋橋の旧大阪農工銀行ビルの外壁を保存し新たに建てられたもの。 基壇として保存された旧建物の外壁に対し、その直上に屹立する新設の高層集合住宅の意匠が概ね違和感なく纏め上げられている。 周辺競合物件に比べて販売価格帯が高めの設定であったにも関わらず、この外壁保存が付加価値として認知され、販売は好調に推移している旨、日経アーキテクチュア誌でも紹介されていた。 開発事業者のサイトを見ると、既に完売している。
風景の記憶の保全という地域貢献と不動産事業としての成功という二兎を得た好例。

さて、公文書館別館の外壁保存はどの様な結果をもたらすのであろう。

2013.11.18:メーカー住宅私考_35
M型とは何であったのか

※1
書名:
工業化住宅・考

著者:
システムズ・
ハウジング研究会
出版:
学芸出版社

発行:
1987年4月

※2
前回引用した二つの事例の外観写真を比較してみても明らかだ。 とても、同一メーカーの仕事とは思えない。
※3
「ミサワホーム77」の頭文字をとってM型と命名したのかもしれぬ。
もっとも、正式にはM型の“M”は“Manner”の意味があてられ、商品の方向性が示されていた。
ちなみに、O型は“Originality”。 他のモデル名称に用いられたアルファベットも、それぞれその商品の性格付けが意図されていた。

※4
以降も、入母屋屋根の事例は、同社で自由設計を意味する「フリーサイズ」の代表例として、GOMASシリーズと並列して広告等に掲載される機会が度々あった。 その扱いをみると、よほど同社にとって思い入れのある“作品”であったのかもしれない。
※5
これも個人的な好みの問題ということになるが、あまり感心出来るモデルではないため、「住宅メーカーの住宅」の「不可解なモデル」の項にその点を書き記すこととなった。

10月17日に書いたミサワホームM型の件。 結局、これではないかと絞り込んでいた自由設計事例がそれに該当すると結論付けるに至った。
国立国会図書館にて70年代のハウスメーカー関連雑誌に眼を通していた折、この事例をM型として紹介した記事を三つ見付けることが出来たのだ。

しかし、これでも全て謎が解けたとはいえぬ。 疑問が二つ残る。
一つは、三点の資料とも、このM型を自由設計の事例として扱っていること。 そしてもう一つの疑問。 限られた一時期とはいえ、なぜ自由設計の一事例を、その後同社が十年近くに亘って怒涛如く展開した高規格路線の企画商品体系に組み込んだのか。 その背景もしくは事情は何か。
・・・って、いまさら探究したところでどうなるものでも無いのだけれどもね。 でも、趣味ってそんなものサ、ということで更に色々と考えてみる。

で、この点についても早々推察が可能となった。
村松秀一監修の「工業化住宅・考※1」という書籍の中に、1959年から82年にかけてのミサワホームの商品系統図が掲載されている。 以下にその部分を引用し掲載する。

これを見ると、昭和50年代に同社が展開していた五系統の企画商品群は、大きく二つに分類されていることが判る。
つまり、同社草創期のホームコアに端を発する高度な工業化路線に組み込まれたO型,A型,S型。 一方、自由設計路線(フリーサイズ)の流れに与するG型とM型。
なるほど、確かにミサワホームは、その草創期から二律背反の事業モデルを展開してきた。 つまり、工業化に重きを置いた高規格化路線と、プレハブらしからぬ情緒を備えた秀一なデザインを展開する自由設計路線※2
そんな同社が、昭和50年代に入って前者の切り札としてO型を発表。 で、バランスをとるために他方の自由設計路線の総称を「ミサワホーム77」からM型に改め※3、その代表例として入母屋屋根の事例が載せられた。
しかしO型が爆発的に売れる大ヒット商品をなったため、急遽方針を変更。 M型も高規格化路線に組み入れることとし、慌ただしくMII型を発表※4。 当然のことながら、自由設計の代表事例である「入母屋屋根の家」とは全く繋がりのないモデルとなった。 更に、急な方針転換ゆえにMII型は十分に練り切れぬままの発表となり、結果として短命のうちにMIII型に取って替えられることとなった※5
その間、究極の高額企画型商品としてG型も開発されラインアップされる・・・といった流れが見えてくる。
つまり、O型の大ヒットがなければ、M型は全く異なる歴史を歩んでいた可能性があるし、G型の誕生も無かったのかもしれぬ。

実際、O型旋風がひと段落した昭和60年代以降、M型の位置づけは再び大きく変わることとなった。 特定の内外観を持つ型式の呼称ではなく、企画住宅商品群で培われたデザインやディテールを応用した自由設計の総称となったのだ。 恐らく、住宅メーカーの住宅のページに載せているM-008型もこの流れに沿う。
何となく様々なピースが巧く組み合わさったかも知れぬなどと悦に浸りつつ、しかし勿論これは個人の勝手な妄想でしかない。 でも、繰り返すけれども趣味ってそんなものサ、ということにしておこう。

2013.11.13:跨線橋のアトリウム
※1

エルフィンパーク交流広場内観。 向かって左手に北広島駅のコンコースが接続。 この日はフリーマーケットが開催されていた。

※2

金沢駅前のもてなしドーム。 こちらは、駅前広場をガラス屋根で覆った空間。

11月6日に北広島市にある私設ギャラリーについて書いた際、同市のJR北広島駅についても触れた。 改札外のコンコースに面して、巨大なアトリウム空間が併設されている旨を書いた。

調べてみると、この部分は法的には駅施設では無く道路の扱いらしい。
北広島駅は、線路の上に跨る様に設置された橋上駅舎。 その駅舎に隣接する形で設けられた東西駅前広場を繋ぐ跨線橋を肥大化させて、アトリウムを設けている。 だから、用途上は駅施設ではなく道路。 車の通行は出来ないが、人や自転車が自由に通れる様にスロープも併設されている。
名称は、「エルフィンパーク交流広場」※1。 全面ガラス張りのヴォールト屋根に覆われたその場所は、豊かな公共空間となっている。 ガラス屋根の一部はスライド形式で開閉し、季節によっては外部の心地良い環境を広場に取り込む。 そして厳冬期においても、天候に左右されない共用空間として機能する。
橋上化させた新駅舎の整備に合わせて2000年3月に竣工。 以降、コンサートや各種展示会、あるいはフリーマーケットの開催等、多彩なイベントに有効利用されている様で、その稼働率は結構高いらしい。

同様にアトリウム空間を隣接させた駅舎というと、例えば金沢駅の「もてなしドーム」※2が思い浮かぶ。
他にも類似事例が多く存在するのかもしれぬが、北広島駅が面白いと思うのは、それが跨線橋であること。 これについても同様の事例が多数あるのかもしれぬが、どうなのであろう。
少なくとも北広島近傍の駅においては、思い当たるものは無い。 エルフィンパークの成功を受けて追従事例があるのではと思いきや、少々意外だ。
例えば、2009年に再整備された岩見沢駅の跨線橋。 あるいは2011年に北広島駅と同じく橋上駅化された白石駅の跨線橋も、それ自体は単なる通路の用途でしかない。

さて、北広島駅と同じ沿線では、札幌駅の一つ隣にある苗穂駅に、再開発の計画が持ち上がっている。
その際、駅機能が札幌駅寄りに300m程度移動することによって、既存の跨線橋に近接することとなる。 操作場の上に通されているが故に極めて距離が長大なその跨線橋は、現状は少々年季の入った吹きさらしの鉄橋。
再開発に伴って北広島駅の様な面白い用途を付与した橋に生まれ変わるのか。 それとも小奇麗な通路として改められるのみに留まるのか。
公表されている計画概要の資料をみると、この跨線橋を中心に新たな都市軸の形成を目論んでいる様にも読み取れる。 だから、少々注目してみたいとも思う。

2013.11.06:Schwarzwald
※1
所在地:
北海道北広島市
富ケ岡509-22

開館時間:
月〜水曜日
10:30〜15:30
(冬期休館)

入館料:
300円(常設展)

※2

外観
※3

ギャラリー内観

北海道の北広島市にある「黒い森美術館※1」を訪ねた。
帯広出身の銅版画家・渋谷栄一の作品を常設展示する私設ギャラリーとして2009年に開設されたそうだ。 館名は、オーナーがかつて留学した南ドイツのシュヴァルツヴァルト(=黒い森)にちなんでいるとのこと。
札幌市在住の知人からその存在を教えられたのはつい最近。 建物及びロケーションがなかなか気になったので、渡道の折に歩を向けてみた次第。

JR北広島駅に降り立つと、コンコース外に巨大なヴォールトのガラス屋根を冠したアトリウム広場が隣接していて、その意外性に驚かされる。 ちょうどフリーマーケットが開催されていて、広場は大いに賑わっていた。 掲示板を見ると、様々なイベントが目白押し。 有効に活用されている公共空間である様だ。 しかし、アトリウムを抜けて外に出るとどこか物寂しい凡庸なベッドタウンの駅前広場。 その西側に連なる住宅地を抜けると、広葉樹が鬱蒼と茂る森林へと風景が一変する。 森の中を通る公道に面して控えめに掲げられたオレンジ色の看板が、同ギャラリーの目印。
といっても、公道からギャラリーは見えない。 樹々の間に通された私道を暫し進むと、ようやくシンプルな白い矩形の建物が見えてくる※2。 大自然に囲まれたロケーションの中に凛と建つその佇まいは、「こんな別荘を持てたら良いな」と思わせるに十分なとっても良い雰囲気。
実際、内部は別荘としての用途を前提としたプラン構成。 当日は、常設展ではなくて地元の大学の学生さん達による“アート作品”の企画展示がLDK部分で催されていた。
妻壁全面をガラス張りとして外部の恵まれたロケーションを屋内に取り込む一方、他の壁面はプレーンな白壁として作品展示の用途に供する。 天井面の照明も間接照明的な設えのみとし、落ち着いた雰囲気を醸し出している・・・等々、ここでその内観※3についてツラツラと書くのは野暮なのであろう。 機会あらば是非訪ねてみることをお勧めしたい、そんなギャラリーである。
でも、もう一つだけ言及させて貰うならば、ここのトイレの窓には一瞬戸惑いを覚えます。

で、展示されていた作品の方はどうだったのかって?
えぇっと、建物ばかりに気をとられて・・・。

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