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2014.01−2014.02
2014.02.27:IT化と行動
※1
改めて確認してみると、似たような言い回しの諺が様々な国にある様ですね。
※2
このアニメ作品が初めて放映されてから既に十年以上が経つ。 月日の流れが何だか早過ぎる・・・。

前回、日経ビジネス誌の記事について文中で少し触れたが、今回も同誌を取っ掛かりに少々書いてみる。

2月17日号の特集「昭和な会社が強い」は、なかなかに耳の痛い内容だ。 平成に入って業務の効率化を目的に怒涛の如く進められたIT化が実はあまり効果が無く、むしろ旧態依然の業務体系を維持する会社の方が業績が良いといった内容。

私は機械には滅法弱くて、新進のデジタルデバイスを積極的に入手して使いこなすという習慣がまるで無い。
電車の中で携帯端末を凝視しつつSNSやゲームに熱中されている群衆を見るにつけ、少々空恐ろしさを感じてしまうことはこの場にも幾度か書きましたか。 あるいは、飲み会の席上で何かの拍子にちょっと薀蓄を披露すると、即スマホで検索をかけて事も無げに情報を収集し器用に話題に乗ってくる若者に戸惑いを覚えてしまう辺りは、もう完全にデジタルデバイドの敗者側。

しかしそんな私であっても、自宅にはささやかなIT環境が設えられている。 そう、良く判らないながらもそれなりにパソコンにてネットを活用している。
でも、同誌の特集を読んで改めて色々考えてみると、パソコンを日常的に使用するようになってから明らかに出不精になった。 街並みを散策するとか、建物を観に行くという機会が減った。
そのかわりにネットの閲覧時間が確実に増えている。 何かを観に行くにしても、まずネットでの下調べに時間を費やすようになる。 あるいはその結果、何だか目的地に行った気分になってしまい、行動を起こす気分が萎えてしまうことも。 そんな場面が年々増えているような気がしなくもない。
それ以前は、情報が容易に収集出来ないがゆえに先ずは行動を起こしていた。 そしてそれによって発生するハプニングや予期せぬ成果を愉しんでいた筈なのに、今はその意欲が恐ろしく減退している。
IT化がもたらす影響について、特集記事を読みながら自身のプライベートに重ねてみてツラツラと考えてしまったのだけれども、私的なことに限らず仕事でも同じようなことが当てはまるのかもしれぬ。

何かの機会に「聞いたことは忘れる。見たことは思い出す。行なったことは忘れない。」というデンマークの諺※1を教えてもらった。 その通りだと思うのだけれども、ネットで情報を得る行為って、それが文章であれ画像であれ、しょせんは「聞いたこと」のレベルでしか無いのだろうな。
最近は歳のせいか、「行なったこと」ですらものの見事に忘れている場合があるというのに、こんなことではマズイ。 注意せねば。
そう、攻殻機動隊S.A.C.※2のキャッチコピーにある通り、「ネットから離脱せよ」・・・。
たまにはネ。

2014.02.20:【書籍】新建築 2014年2月号

今月号は集合住宅特集。
連綿と大量供給され続けている集合住宅の大きな特徴の一つに、各住戸の容易な独立性の確保が挙げられる。 それこそ、住戸玄関ドアの施錠一つで隣近所とは無縁の孤絶した空間を成立させることが可能だ。
例えば、本号に掲載されている松田平田設計の「諏訪2丁目住宅建替え計画」などは、その典型。 しかし、それ以外の紹介作品の多くは、その様な形式とは趣きを異にする。
共通して、住戸と共用部の間に何らかのバッファーゾーンを設け、居住者同士の人間関係醸成を促そうとする提案が見受けられる。 つまりは、かつての日本家屋に平準的に見受けられた縁側の様な中間領域を現代的に、あるいは集合住宅という枠組みの中に読み替えた空間操作の提示。
東日本大震災以降、「絆」という言葉を頻繁に耳にするようになった。 今号に紹介されている作品群も、そんな人と人との絆を大切にしようという社会的な風潮に呼応した傾向なのだろうか。
一方、例えば日経ビジネス誌の2013年12月30日号では、2014年のトレンドとして「絆疲れ」を挙げる等、3.11以降の反動をキーワードに挙げる向きも顕れて来ている。 果たして「絆」なるものが一過性のものとして終息するのか。 そしてそれに伴って今号に掲載される多くの作品に見受けられる提案も一時的なものに終わるのか。 否、今後も集合住宅の在り方を先導する潮流として持続し得るのか。
もう少し長いスパンで動向を見てみる必要がある様にも思うが、しかし集合住宅はそこに住む人々の欲望の表象。 今回紹介された個々のバッファーゾーンが、居住者によって有効に活用されるか否かも価値判断のポイントとなろう。

多くの作品に共通して感じたこの印象とは別に、個別に思ったことを以下に少し記してみる。

京都の集合住宅 NISHINOYAMA HOUSE
設計 妹島和世建築設計事務所
施工 鴻池組

「住まいは夏を旨とすべし」を地で行く住居群といった印象。 深く張り出した軒による日射遮蔽や、あるいは住戸間に周到に設けられた離隔を介して室内を通り抜ける風は、夏期の暑熱を緩和し、それなりに心地よい住環境を提供するのかも知れぬ。
しかし、今は冬。 掲載された写真からは、いくらエアコンをかけても一向に温まらぬ室内と、そして露出した鉄骨や大開口のアルミサッシにびっしりと結露が発生する様子しかイメージ出来ない。
夏期に発表すべき作品だったでしょうかね。

朱合院
設計 浅利幸男/ラブアーキテクチャー
施工 白石建設

周辺状況を丁寧に読み込み、この計画地だからこそ成り立つプランを練り上げた秀作だと思う。 更には、居住者のみならず地域住民との関係性の醸成に関する配慮も、解説文に示された意図通り見事に空間化されている。 そして、そこに取り付く外装材のテクスチュアーも美しい。 外部開口の外側に配した煉瓦の透かし積みも、建物が面する幹線道路からの喧騒に対する緩衝帯としての機能がある程度期待されよう。 その目透し壁を介してざっくりとした粒子となって屋内に取り込まれる外光のあんばいも、この建物固有の付加価値となり得るのではないか。
でも、図面や写真を見る限りにおいては、アルミサッシと透かし積み煉瓦壁があまりにも近接し過ぎ。 幹線道路に面したサッシは頻繁な清掃を要すると思うが、煉瓦壁が邪魔をして引違い窓の外面を拭くことがとっても困難に見えなくもない。

月島荘
設計 三菱地所設計
施工 東急建設

複数の企業の社員が入居する寮。 そういった居住空間を提供することで、異業種間の交流を深め、入居者個々人の人脈形成やスキルアップに繋げようという試みでしょうか。
しかしそこでなされた空間提案は、バブル期に多くの企業が手を染めた独身寮整備の発想と何ら変わらぬ。 つまりは、豪勢な共用空間の配備。 好景気に伴う完全な売り手市場に対し、より優秀な人材を大量に確保するためのアピール手段として、その様な社員寮が競って建てられた。
かつてその利用実態を調査したことがあるけれども、豪華な共用施設は軒並み閑散としていた。 さもありなん。 誰もが忙しくて、寮には就寝のために通っている様なもの。 会社に住み、寝るために寮に足を運び、そして翌朝また会社に帰って行くが如き労務実態。 勿論、調査対象が極端な例ばかりであったのかもしれぬが・・・。
企業向けシェア型社員寮という不動産商品の魅力付けとして、共用部の充実は確かに手っ取り早い手段。 しかし、豪華なそれらの施設が単に管理費を食い潰すだけの無用の長物と化すリスクは決して低くは無かろう。
設計者による解説文には、「器はようやく完成した。これからどのような暮らしが展開されていくのか。」とあるが、器さえ用意すれば有効に利用されるという楽観論は、こと社員寮という建築用途に関してはバブル期の昔に清算済みの筈だ。 施設の活用を如何にして定着させるか。 そんな運営上の仕掛けを継続的に考えていく取組みも必要となるのであろう。

並木橋の連続居
設計 フジワラテッペイアーキテクツラボ
施工 工藤工務店

上記三事例とは異なり、こちらはリノベーション作品。
興味を引いたのは、作品そのものよりも、その紹介の仕方。 完成形の詳細ではなく、リノベーションに当たっての施主とのやり取りのプロセスに重きをおいて記事がまとめられている。
恐らく設計者側が仕掛けた編集方針なのだろうが、リノベーション作品の紹介はこの様な構成の方が好ましいのかもしれぬ。

2014.02.13:メーカー住宅私考_40
デザインとしての中二階.2

前回の続き。
ミサワホームは、重層屋根以外にも1970年に「ハイリビング」というモデルを発表している。 これについては住宅メーカーの住宅のページにも載せているが、同様に内外観デザインのためのみの中二階を設けていた。 東京晴海で開催された第一回国際グッドリビングショーに出展。 その後、幾つかの常設住宅展示場にもモデルハウスとして建てられている。

このイベントにおいては、他にもプレハブ住宅のモデルハウスが多数出展された。 その多くは、例えばハイリビングの隣の区画に出展された積水化学工業のセキスイハイムの様に、ユニット工法を用いたボックスの積み重ねの様な近未来的なデザインが殆ど。 そんな中にあって、ハイリビングは現実的な地平での斬新なデザイン提案によって逆に異彩を放っていた。 他社の出展内容を踏まえ、それらに埋没しない様に異なる方向性を全面に押し出そうと画策したのか。 それとも偶然か。
その辺りは判らぬが、例えば 中外出版発行の「建築」誌1970年11月号において、同イベントに関し特集が組まれている。 その中で、大野勝彦と石山修武が対談形式でレビューを行っているが、以下のくだりがある。

「ミサワは箱を出していなかったね。」
「あれはえらいんじゃないかと思う。」
「あれはうまいと思うね。」
「うまいと思う、僕も。」
「かなりうまいと思いますよ。さっきちょっと考えていたんですけれど、いわゆる一般大衆、買う層の気持ちをうまくつかんでいるような気がします。」
「イメージをうまくつかんでね。」
「こういうところでいまやるのは得じゃないという計算はあったような気がしますね。」

同社がその設立当初から二律背反の事業モデルを展開していたことは、この雑記の場で以前指摘している。
つまり、工業化に重きを置いた高規格化路線と、プレハブらしからぬ情緒を備えた秀一なデザインを展開する自由設計路線。 相異なる二つの路線を、機を見てその都度バランスさせつつ事業展開を図り、今日に至っている。 その一環として、第一回GLショーにおけるハイリビング出展の選択がなされたのかもしれぬ。 上記引用内容は、そんな戦略を嗅ぎ取っての会話であろう。
勿論、その様な器用な事業展開が可能であった辺りは、デザイン力に関して他社を凌ぐ優位性を当時の同社が有していたことを意味する。

2014.02.08:メーカー住宅私考_39
デザインとしての中二階

中二階について、既にこのシリーズの中で二回書いている。
そこで言及した事例は、いずれも当該部位を標準的な階高を要さぬ用途との組み合わせることによって成立させている。 つまり、納戸やガレージとの組み合わせ。
これ以外の成立条件としては、例えば傾斜地への対応でスキップフロアを設ける場合が考えられようか。

しかし、この様な何等かの機能的要請に基づかぬ中二階の採用事例もある。
例えば、ミサワホームが1967年に発表した「フリーサイズ−重層屋根」と名付けられたモデル。 引用した写真の事例は、プレハブ建築協会主催の第3回プレハブ総合展二子多摩川園に出展されたもの。
正面左手に中二階が見える。 しかしこの中二階の下部は無用途で単なる高基礎。 当時の資料には、後々の設備需要を鑑み、その配置スペースとして活用可能といった説明がなされている。
しかしそのような理由よりは、むしろデザイン面の追及の方が目的として大きかったのではないか。 この中二階部分のバルコニー手摺と屋根、そして一,二階の屋根による四重の水平ラインが何とも優美且つ変化に富んだ外観を造り出している。
昭和40年代前半といえば、プレハブ住宅が芽吹いてまだそれほど経っていない時期。 平屋建てしか対応していなかった同業他社が、漸く二階建てモデルを出し始めた時期である。 そんな状況下において、早い時期から二階建てに対応した38認定を取得し事業を推進していた同社が、更に他社に先んずるべく自由で斬新な造形デザインを導入したモデルを発表。 規格プランによる対応がやっとであった他社に対し、木質パネルならではの加工性を活かし、どんなプランもデザインも可能ですと主張するモデル。 それが、この重層屋根であったのかもしれぬ。

2014.02.02:エネマネハウス2014
※1
会期:
2014年1月29日〜31日

場所:
東京ビッグサイト東雲臨時駐車場

会場の様子(部分)。
手前が千葉大学の「ルネハウス」。その右手背後に、芝浦工業大学の「母の家2030」。

東京ビッグサイトにて開催された「ENEX2014/Smart Energy Japan 2014」の併設イベント※1。 2030年の住まいの在り姿を「エネルギー」「ライフ」「アジア」という3つのテーマーのもと、5つの大学と住宅関連メーカーが共同で実物大モデルハウスを建て公開するという試み。 最終日に現地に赴いてみた。
会場は大盛況。五棟のモデルハウスはいずれも玄関前に長蛇の列が出来、屋内も芋洗い状態。 とてもじっくりと一つ一つを見て廻れる状況ではなかったが、取り敢えずの感想を以下に。

Nobi-Nobi HOUSE−早稲田大学

モデルハウス内の見学経路設定や説明員の配置等、大勢の来訪を想定したプレゼンに最もしっかりと対応していたという印象。
しかし、矩形のワンルーム空間に水廻りを集約したコアを偏在配置させる基本骨格は目新しいものではない。 外部環境との中間領域として外周に縁側的な空間を組み込むことも有りがちな発想ではあるけれど、偏在水廻りコアと居住ゾーンと縁側という三重構造の組み立ての単純さが見学者に提案内容を伝えやすい構成ではありました。
内壁や水廻りコア内に用いられたALC素地仕上げは、好みの分かれるところ。 そのALC壁と床の無垢材フローリングとを巾木を介さずに直接突き付けるならば、もう少し施工精度に細心の注意を払うべきでしたね・・・、といったディテールへの評価は、今回の展示の趣旨からすれば目をつぶるべき範疇なのでしょう。

母の家2030−芝浦工業大学

緩やかな片流れ屋根面を多層環境装置と位置づけて様々な環境配慮の機能を担わせ、そのことを外観にも良く表象させた意匠が秀逸。 5つのモデルハウスの中では一番良い外観に思えた。
内観も、床面外周部の所々に穿たれた床下チャンバーからの空調吹出し口の繊細なデザイン等、短期限定公開仮設展示住宅らしからぬディテールへの拘りが嬉しくなる。 ただし、桐の無垢材やOSBやCLT等、さまざまな素材が錯綜する全体像は、やや雑多な印象。 それに、トップライトが千鳥に多数穿たれた室内空間は、冬はともかくとして夏期における快適性は如何程のものなのか少々気になった。

ルネハウス−千葉大学

住戸内の様々な用途をユニット化するという手法について面白く表現されたモデルハウス。 早稲田大学モデルのように水廻りをコア化するだけに留まらず、空調設備や家具もユニット化し、それらを任意に分散配置してプランの骨格を成すという発想。 更にはその組み立てを拡張することで、仮設住宅や集合住宅への応用、そして海外展開をも視野に入れる発想を分りやすく説明したプレゼンも良かった。
残念なのは、内装仕様の選択ミス。 僅かな展示期間なのに天井面が湿度の影響でベカベカに波打ってしまっていたことは、見せるための空間としては大きくマイナスでしたかね。
それと、他のモデルハウスに比べ、外部空間との関係性の創出がやや希薄。 夏期日射制御のための配慮も見い出せない。 そのことが、他のモデルに比べ外観を閉鎖的な印象にもしていた。

ここまで観て時間切れ。 イベント終了時刻というのは居酒屋でいえばラストオーダーの時間みたいなものであって、場内にいればその後も暫くは観て廻れるモノと思っていたら甘かった。 即終了の旨が場内にアナウンスされて、有無を言わさず退場と相成った。
ということで残りの東京大学や慶応大学のモデルハウスは、大して見学に時間がさけず。 それに、どの棟でも環境配慮型高効率設備機器やHEMSの導入等、お定まりの説明を何度も聞かされることになり、もうお腹いっぱい。 見学の順番が後のモデルハウスになるほど、だんだん食傷気味にもなってくる。 なので、2つのモデルについては印象も薄い。
ただし慶応大学棟は、展示されている家具が結構面白かったですかね。 それに、他4モデルがいずれもフラットな床面構成なのに対し、同棟のみ積極的にスキップフロアを導入。 空間に変化を付けていた。
同イベントでは、専門家による環境性能評価と一般来場者による人気投票が行われ、上位モデルハウスを表彰する趣向も織り込まれている。 結果はいずれ同イベントの公式サイト等で公表されるのだろう。
しかしその結果とは別に、個々のプロジェクトを推進された各大学の学生さん達はきっととっても楽しく充実した日々であったことでしょう。 そのことがとっても羨ましい。

2014.01.28:DOMANI・明日展
※1
会期:
2013年12月14日〜
2014年1月26日


※2
2007年2月24日の雑記参照。

国立新美術館にて開催の「DOMANI・明日展」※1を、会期末間際に観に行ってきた。
この展覧会、今回で16回目になるらしいけれど、観たのは今回が初めて。 というよりも、既に過去において幾度も定期的に開催されていたとは存じ上げませんでした。 あまつさえ、同美術館を訪ねるのも、実は今回が初めて。 更に言えば、たまたまチケットを譲ってもらったから行ってみる気になっただけであって、そんなコトでもなければこの施設に赴く気など起きることも無かったであろう。 もっと言ってしまえば、行った動機はアート鑑賞よりも、半ばそれ以上は黒川紀章最晩年の大作であるこの美術館を、この際じっくりと観てみようかという程度のものであった。
ということで、乃木坂へと出向く。

美術館の建物そのものは、かつて新建築誌にて同作品を見た時の感想をこの場に書いた際のそれと大して変わらぬ※2。 その紙上に掲載された平面図を見て思った「まるでコンベンション施設みたいだ」という印象そのままの屋内空間が淡々と展開する。 それこそ、アートの展示でなくとも、例えば建材や車等々の新製品発表会の会場なんかに用いられたとしても、何の違和感も生じはしないことだろう。 つまりは、今のところ取り敢えずはアート作品にマトを絞った巨大コンベンションセンター。 もしも芸術での施設の運営が困難になったら、即、他用途の展示会場に転用すれば良い。 そんな極めて融通無碍な公共建築。
しかし、これは設計そのものへの皮肉ではない。 そもそもが、その様な運用を目指した美術館なのであろう。 訪ねた日は、他にもお互い何の関連性も無い様々なアートイベントが館内に無機的に配置された複数の巨大ギャラリーにて同時開催中であった。 そんな運営に係る施設管理サイドの適切な業務遂行や、あるいは来館者が目的のギャラリーに円滑にアクセス可能な動線を整備しようした場合の至極無難な解法。 そんなことを考えると、結局このような形態とならざるを得ないのであろう。

でもって、「DOMANI・明日展」である。
サブタイトルに「建築×アート」とある。 「未来の家」をテーマに、建築家44名とアーティスト8名の作品を一堂に会すという趣向のアートイベントだそうで。 この異業種のコラボによる相乗効果は如何に・・・、などと淡い期待を寄せつつ会場に入る。
しかし、その期待は即、否定される。 相乗効果も何もありはしない。 作家は作家、建築家は建築家で、何の脈絡も無く一つの展示空間にてエリアを区切り、各々都合の良い様に好き勝手に展示を行っているだけ。 一緒に開催する必然性など全く無し。
建築家達の展示エリアは、片面が下地剥き出しのパーティションによって等しく区画した狭隘なスペースを参加者個々にあてがい、その中で自身の実作のプレゼン等、自己アピールに目一杯努めるという形態。 その全体像は、デパートの催事場などで頻繁に開催される全国旨いもの物産展の類いと大して変わらぬ。 あまり見る気も起きず、軽くスルー。
一方、アート展示の方は結構良かった。 小笠原美和の静謐な油絵に心洗われ、吉本直子の「鼓動の庭」というインスタレーションの前では数十分に渡って佇むこととなった。

会場を後にして、ちょうど昼時。 館内で昼食でもと思うが、巨大なロビーの吹抜けに浮かぶフレンチレストランやカフェは、入り口に掲げられているメニューに結構素敵な値段が付いていて、でもその割にはどう見ても落ち着いて過ごせる場所とは思えず。 で、地下のカフェテリアへ行くが、そこも何とも中途半端な空間。
コンベンションセンターさながらの空間構成に、心地良い滞留空間の欠如。 これが国営の芸術振興の在り姿か・・・などと、若干の薄ら寒さを覚えてしまう建物鑑賞兼アート堪能の機会となった。

2014.01.22:連歌の作法
※1

出版社:
朝日新聞社

発行日:
2004年12月30日

※2
同書、P136。
その問題定義に対する御大自らの回答として「日本看護協会ビル」が在ると、本書は評価しているけれども・・・。

松葉一清が十年前(もう、そんなに経つのか・・・)に発刊した書籍「新建築ウォッチング〈2003‐04〉TOKYO EDGE」※1の中で、原宿表参道の景観について黒川紀章の以下のコメントを紹介している。

わたしが予言した通り、建築は表層で広告的なメッセージを発するものになってしまった※2

いつ、どの様な形で予言していたのかは知らぬが、指摘は全くその通り。 立派な欅並木が無ければ、明治神宮の参道という由緒正しきストリートを整備した先人が嘆くような雑多な景観がだらだらと展開する。
そんな中にあって、伊東豊雄設計に拠るTOD'S表参道ビルは、2004年の竣工当初からとっても良いなと思っていた。 欅をメタファーにこの様な意匠が構想し得るのかという驚きと、その意匠を現実のものとする施工技術に圧倒された。 開口廻りの鋭角な隅部からの汚垂れやクラック発生を懸念したけれど、いまだにとっても綺麗なのは対策がしっかりしているのか、それとも管理が行き届いているのか、どちらなのだろう。
L字型の狭小敷地にせせこましく立ち上がるボリュームにこの意匠が留まってしまうのはとっても惜しい。 同じ通りに面して建つ表参道ヒルズの長大なファサードがこのデザインだったら良かったかもね・・・などと、好き勝手なことを思っている。

そんなTOD'S表参道ビルに隣接する敷地に新たな建物が建ち上がりつつあることは、通り沿いを歩いていて見知っていたけれども大して期待はしていなかった。 どんな建物が建っても、TOD'S表参道ビルの隣にあっては、その比較において凡作という位置づけに甘んじざるを得ないであろうと高を括っていた。
で、新たに完成した建物が新建築誌の今月号に掲載されているのを見て、びっくりすることとなる。 何やらとっても良い。
同様に樹形をメタファーとしたのは、その地理的特性のみならず、やはりTOD'S表参道ビルのことが意識されたのであろう。 しかし、当該作品とは異なる解法が用いられることで全く違う意匠を実現。 それでありながら、好ましい相乗効果を醸し出している※3。 しかも、TOD'S表参道ビルにL字型に囲われた狭小敷地という、厳しくそして難しい条件にも関わらずだ。
これは観に行かねばと現地に赴く。 やはり、良い。
建物名称は「表参道keyakiビル」。 設計は、團紀彦。

連歌における付合の作法を思わせるこの様な都市の居住まいが周囲に拡張されれば、欅並木を有する通り沿いの景観としてとっても豊かなものとなりそうにも思うのだけれども、さて。

※3

右がTOD'S表参道ビル。
左側が今回新たに建てられた表参道keyakiビル。
2014.01.16:住友病院・清泉寮補足

建築探訪のページに大阪市西区に建つ住友病院・清泉寮を載せた。
この建物の存在を知ったのは、昨年の今頃。 とある月刊不動産総合情報誌の文中に掲載された都市の風景写真の中に、この建物が写っていた。 イメージフォトなので紙面上に写真についてのコメントは無し。 そして写り込んでいる周囲の建物を見ても、見覚えのないものばかり。 従って、立地場所は特定できず。 ハテ、これは何処に建つ何という建物なのだろう。
その情報誌を発行するシンクタンクに勤めている知人に尋ねてみたところ、暫くして住友病院・清泉寮だとの回答が返ってきた。 わざわざ紙面のレイアウトを発注しているDTP製作会社に問い合わせて下さったらしい。 更にその製作会社の担当者も、リースポジなので詳細は判らないとしながら、色々と調べて下さった様だ。
ちょっとした個人的な興味のために何だか手を煩わせてしまったかなと思いつつ、しかしながら読者からのこういった反応が編集のモティベーションを高めるきっかけになることだってあるよネ、などと都合よく考えることにしておこう。 勿論、情報提供に感謝しつつ、機会を作って同建物を訪ねた。 掲載写真にて目に留まった特徴そのままに、エッジの効いた市松模様のファサードデザインがとても魅力的な建築作品である。

2014.01.10:耐火木造
※1
そういえば、UR都市機構がかつて大量に供給した団地も、エレベーター無しの五階建てが主流でしたね。

三井ホームがツーバイフォー構法を用いた五階建て店舗併用住宅を銀座に竣工させたというニュースをみた時、二つの疑問が浮かんだ。
一つは、木造で四階超えを可能にする耐火認定を取得した構法ってあっただろうかということ。 そしてもう一つは、銀座で五階建てって容積を消化する上でどうなのだ?ということ。

前者の疑問については、一階部分のみをRC造とし、上層四層をツーバイフォーにすることで対処しているのだそうだ。 なるほど、この様な混構造であれば、今現在公表されている認定構法であっても更に高層の耐火木造が可能である。
であるならば、後者の疑問はさらに深まる。 もっと階数を重ねて容積を取り切りレンタブル比を可能な限り上げないと、都心部においてはコスト的につらいのではないかと。
その点についても、プランを見て合点がいく。 五階建てでありながらエレベーター設備が無い。 その垂直動線を設置するために必要なスペースを節約し、間取りを成り立たせている。
階数が増えれば増える程、法的ないしは構造的にプランに課せられる条件が増える。 その分岐点が五階ということになるのだろうか。 しかしこれは何も木造だけの話ではない※1

容積を取り切ることとは別の価値判断や事業収支の仕組みが不動産開発において成り立ちつつあるのか。 いわゆるペンシルビルの今後の動向を観る上で、今回の事例は興味深い。

2014.01.05:【書籍】新建築2013年12月号

先月号の感想を以下に。

紙のカテドラル
設計:Shigeru Ban Architects Europe

設計者による解説文の冒頭、「建築家は誰のためにあるのか」の部分に書かれている内容は、結構乱暴。 でも、この問題定義に対する回答を具体的に示し続けてきた立場だからこそ堂々と書けることでもある。
そしてこの教会建築においても、建築家や建築が誰のためにあるのかを明確に提示されており興味深い。
また、続けて載せられている他の二作品を含め、紙管による構造体の応用展開性の幅広さには驚かされる。

LOUIS VUITTON MATSUYA GINZA
設計:青木淳建築計画事務所(外装)

銀座の目抜き通りは、商業地として有しているポテンシャルに対し、建築的魅力に著しく欠ける。 上っ面の新奇なデザインのみを競った薄っぺらなファサードが雑多に建ち並び、路上を歩きながら風景を愉しむという雰囲気からは程遠い。 つまりは、醜悪で下品だ。
そんな中にあって、松屋銀座店のファサードは美しいと思っていた。 ガラスと金属パネルのダブルスキンで構成された端正な意匠は、騒々しい周囲の風景の中で、静謐さと清浄感を醸し出している。
そんなファサードの片隅に、同じガラスを用いながらも異彩を放つ意匠を施したテナント部分があった。 その外装面積拡張に合わせ、新たな装いに改めたのが今回の作品。 設計担当者の解説にある通り、限られた奥行き寸法制限の中で四苦八苦しながら何とかデザインを収めたという印象が如実に現れていて痛々しい。 何やら鱗を毛羽立たせた爬虫類の皮膚を連想させなくも無い。 しかし、ライトアップを伴う宵の口以降になると可憐な表情へと雰囲気を変える。
でも、同じ夜景なら、その外装に続く松屋銀座店そのもののライトアップされたガラスのファサードの方が、私は好きです。

ハモニカ横丁ミタカ
設計:MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO

横丁という自然発生的な猥雑性に満ち溢れたエリア。 そこに見受けられる統制から外れたカオスな状況を、設計という全体を統制する行為の中で敢えて構築する試み。 なかなかに魅惑的なテーマでありながら極めて難しくもある。
単純には、そのようなエリアを寸分の狂いも無く再現することによって達成は可能であろう。 しかしそれは単に空疎なテーマパークを造る擬態行為でしかない。
ここでは、一定の条件のもとで内外装下地材を露呈させることによって、非統制的状況を演出するという手法が採られた。 目的に対するその有用性は、現地にて実見しないことには判断は難しそうだが、面白い試みではある。 ついでに内外装に関するコストダウンも期待できるという一石二鳥。
但し、その解法が広く応用展開可能なものであるのか。 あるいは建築家がその職能において追求すべきテーマなのか否かは微妙なところ。

あいちトリエンナーレ2013レポート

建築専門誌なのに何で芸術祭のレビューなのだ?と思ったけれど、建築家も出展しているからなのね。
その中で興味を持ったのは、宮本佳明の「福島第一さかえ原発」というインスタレーション。 原子炉建屋を会場内に原寸大で描き起こしている。
隔離され、半ば隠蔽されたその存在を日常空間に露呈させること。 それは、この発電システムによって無尽蔵且つ安定的に供給されるエネルギーを前提に現代文明が成り立って来たのだという不可視の事実をアイロニカルに具視化している様にも読み取れる。 そしてそのことを表現した会場の建物自体も、そんな文明のもとに成り立つ物理存在なのだという入れ子のアイロニー・・・ってなことが意図されたのでしょうかね。

月評

藤原徹平と上野千鶴子の対談は、前述の坂茂の職能批判に対する一つの回答が示唆されており興味深い。 当該号の最初と最後において職能論を含む言及がなされるという編集構成は勿論偶然であろうが、読み物としては面白い。
しかし、そこに示された職能が今後の建築家像であるとするならば、新建築誌を含めた建築専門誌にとっては大変なことかもしれぬ。 単に内外観の新奇性を写真や文章で紹介する旧来の方法とは異なる建築の魅力の伝え方が求められることになるのだから。

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