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2014.03−2014.04
2014.04.23:平面図の公表

空港や駅の平面図がネット上に公開されている件。 確かにセキュリティ面で問題なのだろうが、しかしそうなると建築専門誌に載せられる図面なんかはどうなんでしょうね。

例えば、新建築の今月号に紹介されている「読売新聞ビル」などは、掲載されている平面図が全く図面の体を成していない。 コア部分の大半が網掛け表示され、何がどの様な配置になっているのか、まるで判らぬ。
これは、報道機関の建物という用途上、多くを公表出来ないことに起因しているのであろう。 しかしそれならば、何も無理して無意味な“絵”を載せる必要も無かろう。
そういえば、少し前の同紙においても、ルーブル美術館の別館「ルーブル・ランス」の地階平面図を巻末に載せていた。 それもおおよそ図面とは言えぬ代物。

セキュリティということを鑑みた場合、今後この手の書籍に各種図面を掲載することは難しくなってくるのでしょうかね。

2014.04.20:報道の中の住宅

事件の報道においては、その映像や写真の中に事件に関わりがある人物の家や、あるいはその周辺の家が映る。 すると、事件そのものよりも、そちらの方に関心が向いてしまうことがしばしば・・・いや、大半だ。
といっても、勿論これは私だけのことではない。 最近報道されているある事件において、容疑者夫婦が住む家について知人がブログで言及していた。 そう、ミサワホームのチャイルダーO2であるらしいとのこと。 ニュースを見て確認してみたところ、ちょうど俯瞰画像が映った。 確かにこのモデルだ。

あるいはちょうど7年前になるが、とある女優が絡んだ傷害事件において同社の住宅が映像に登場したことを、同じ知人が御自身のサイトにて紹介していた。
交際相手を姪に横恋慕され、その腹いせに実家に乗り込み暴行に及んだという事件。 その実家は、チャイルダーO2の前身に当たるモデルの49坪タイプ。 一階南側中央の窓にサンルーフという当時の同社独自の出窓形式のサッシが取りついていたと、その特徴について述べていた。
その情報と事件の報道記事から、私は瞬時にあの家だナと絞り込めてしまった。 ちょうどその頃、仕事の関係でその家が建つエリアに立地するサッシメーカーの工場に時折出向いていたのだ。 でもって、私鉄沿線に建つその家は電車の窓からもよく見え、その存在をたまたま知るに及んでいた。
私の頭の中には、行った先々で見かけた同社の建築事例がそれなりにマッピングされている。 だから、たまにはこんな“現場”に偶然出くわすことだって有ってもおかしくはない・・・。 いや、普通に考えれば十分に異常か。

他の事例を挙げれば、例えば1999年に発生した全日空61便ハイジャック事件。
その犠牲者となった機長の御自宅は、著名な建築家が設計したもの。 著名といっても、どちらかというと寡作な御仁。 しかし手掛ける作品はいずれも極めて独創的で、そして恐ろしいほどに隅々までこだわりが貫かれている。
作品集も出されていて、そこに機長宅の平面図と立面図も掲載されていた。 勿論、職業がジャンボジェット機のパイロットということ以外に個人を特定出来るような紹介はしていないが、ヴォールト屋根が特徴の立面図が何となく印象に残っていた。 で、事件が報道された際、図面そのままの御自宅外観が映像に流れて、この方の家だったのかとピンと来た次第。
ま、色々な住宅作品に目を通していれば、こんな“現場”に出くわすことだって・・・、えぇ、こちらの方はそんなにおかしなことではありませんね。

2014.04.15:【書籍】新建築2014年4月号

あべのハルカス

限られた敷地に様々な用途を集積させる極めて難しい与件に対し、破綻の無いプラン及び美しい外観を実現している。 施工も含めて、見事としか言いようがない。
しかし、夜景を捉えた見開きページに載せられた「超高層コンパクトシティ」と題する解説文には少々違和感を覚えた。 コンパクトシティとは、既に縮退傾向にある街が、その身の丈に合せて都市機能の再編・統合・集中を図ることを指すと認識していた。 一方、未だ持続的発展が見込まれる、あるいはそれを命題として背負う大都市における敷地の高度利用が指向するところは、それとは真逆の都市の肥大化であろう。
別に、この肥大化を批判するつもりはない。 広域的に見れば、国内の主要都市は世界中で繰り広げられる仁義なき苛烈な都市間競争の渦中に晒されている。 ハブ都市としての立ち位置獲得を目的とした更なる肥大化に向けたゼロサムゲームは、止めたくても誰にも止められぬ。 そしてその表象として、超高層建築物が在る。
であるが故に、超高層とコンパクトシティはあまりにもベクトルが違い過ぎる。

日本橋再生計画 − 日本橋室町東地区

近傍にある同様の超高層街区である丸の内地区が、基壇の31mラインさえ守れば他は何でもアリのテンでバラバラな建物群によって埋め尽くされているのに対し、当該街区は統一感のある好ましい群景を獲得している。 しかしそれであっても、丸の内地区の方が街並みとして整っているという印象を持つ。
理由は二つありそうだ。 丸の内地区の街路は、車の交通量が抑えられた仲通りが張り巡らされているため、落ち着きがある。 更にそこに石畳が敷かれ、様々なストリートファニチャーやアートが置かれ、豊かな街路樹が連なることで、とても心地良い都市空間が形成されている。
対して室町地区の場合は、勿論仲通りも整備されているが、基本は交通量の多い幹線道路を主軸としており喧騒感に溢れる。 そしてその通り沿いは今のところ緑が徹底的に乏しく表情に欠ける。 交通量はともかくとして、今後、植栽の充実や街路としての設えの整備が徐々に図られていくのであろうか。

ダイビル本館

既存建物を基壇として扱い、その上に超高層建物を建てる。 容積を持て余す市街地の歴史的建造物の表層保存と不動産事業の両立を図るための都合の良い手法として、その事例は年々増える。
しかし、新旧の整合性においてデザイン的に良好に纏められたものは数例に留まる。 例えば東京丸の内界隈でいえば、DNタワー21とJPタワー。 両者とも、基壇としての既存建物が端正で静謐な意匠であるため、巧く整合が図られたのだと思う。
逆に基壇が個性的だと、その調整は極めて困難だ。 その代表格と言えば、銀座の歌舞伎座タワーになろうか。 肥大化にしか展望を見い出せぬ大都市の哀しき実態のあからさまな顕然。 その病的な現実を前に、当該プロジェクトの意匠統括者も「アゲアゲアーバニズム」などと何だか良く判らぬ造語を提示するしかなかった。
そこまで先鋭ではないにしろ、ダイビル本館も十分に「アゲアゲ」だ。 高層部のカーテンウォールの割付けに既存部のモジュールを取り入れたと解説にはあるが、新旧の関連性は掲載された外観画像からは読み取れぬ。 既存部を忠実に再現し保全しようとすればする程、その乖離は決定的となるジレンマ。
但し、この手の事例が増殖する中で、基壇と高層部のデザイン的調和はもはや大して重要なことではない。 都市の一現象として、木に竹を接いだが如く新旧が分裂したこの「アゲアゲ」な建築形態は、今後どの様なバリエーションを創出し得るのか。 あるいは後の建築史家によって如何なる評価を下されるか。 その点に興味がある。

えんがわオフィス

二つの意味で、あべのハルカスの対極にある建築と位置付けて良いのであろう。 一つは、肥大化する都市の表徴であるあべのハルカスに対し、縮退化する地方における建築の関与を示した作品であること。 もう一つは、あべのハルカスの設計統括者がその解説文中で述べる様に、この超高層がコンパクトシティを指向したものだと仮定した場合の話。 その概念は、シュリンクへの追認を前提とした対処療法であるが、これに対してえんがわオフィスは別の手法で地域に働きかけようとしている。
具体的には、古民家の再生。 あるいは、ガラスの多用による屋内の可視化や縁側を活用した中間領域の形成に拠る地域交流の誘発等々。
これらは決して目新しいものではない。 しかし、解説文の締め括りにある様に成果が顕れているのであれば、手法が先進か否かは問題にはならぬ。
今後、この建物が、あるいはこの建物を使用する側が地域に対してどの様に関わっていけるのか。 そしてそれを受け入れる側にある地域も含めて如何に意図した状況を持続、深化させ得るのか。 そんな過疎地への建築の関与について考える上で、この作品の紹介と共に載せられたNPO法人グリーンバレー理事長へのインタビュー記事はとても示唆に富んでいる。

2014.04.09:メーカー住宅私考_42
カタログ掲載写真の撮影地

※1
G型の項に書いたエコフラッグシップモデルについて、某建築系団体の主催による説明会が実施されることとなり、それに参加するために訪ねた。 といっても半ばそれ以上は、同社の本部建物とその裏手の展示広場を見学することが目的であった。
その時のことは、2011年3月5日の雑記に記している。

ミサワホーム限定の話になる。
1980年代を中心に同社が発表していたモデルについて、それぞれのカタログに掲載されている外観写真の撮影場所はどこか。 それを追求することに特段の興味は無いし、知ったところでそれぞれのモデルの価値判断に影響を及ぼす訳でも無い。
しかし、当時のことを色々と調べるうちに、偶然幾つかについてその建設地が特定出来た。 個々に用いられた画像を引用しつつ、それぞれの場所について記してみたい。

ミサワホームChild

1984年に発表されたモデル。 その販売資料に掲載された外観写真(右図)は、滋賀県大津市内に建てられたもの。
80年代の同社発表モデルが多く建ち並ぶ新興住宅地内に現存する。 外壁色は別のものに改められているが、カタログ掲載写真に映っている左隣の住宅や背後の山並みの雰囲気等から、それと判断可能。
但し、カタログ写真は見栄えを考慮して相当手が加えられていることが判った。 例えば、写真右手のカーポート上部を覆う屋根勾配なりに架けられたパーゴラは、実際には無い。 それ以前に、このカーポート自体実在せず、その部分には前面道路に直交する公道が通っている(つまり、当該敷地は角地)。
撮影のためだけに占用許可を取り、道路部分にはみ出す様に仮設でカーポートとパーゴラを設えたのだろうか。

ミサワホームS型NEW

1982年発表モデル。
パンフレット等の外観写真には千葉県習志野市の新興住宅地に建てられたものが使われた。 周辺には、同社の当時のモデルが大量に建っている。 その一画の前面道路よりも地盤面が高い敷地。 その高低差を処理するためのエクステリアの設えや、右側背後に同社のOII型が建つ等、写真に見受けられる特徴が現在もほぼそのまま維持されている。 近年、私が確認した時点での写真との違いは主に三点。 カーポート部分に既製エクステリア商品の屋根が設置されていること。 庭に植えられた中木が大きくなっていること。 そして写真右手前にお隣の家が建てられていること位であった。

ミサワホーム・エイト

1985年に発表されたモデル。
その外観写真を見るとあたかも森の中に建つ別荘の如くであるが、実際に同社が初めて手掛けた静岡県内の定住型リゾート地に建てられたものが撮影された。

ミサワホームG型

1978年発表モデル。
東京高井戸の同社本部裏手の広場に建てられたものが撮影に用いられている。 この広場には、このG型以外にも当時の同社の先進モデル数棟が展示されていた。 いずれも既に別のモデルに建て替えられているが、右の画像の手前に写っている数本の欅の木はいずれも現存。 当然のことながら、経てきた年月の分、かなり成長している。
G型が建てられていた場所には、今現在は「エコフラッグシップモデル」と名付けられた試作住宅が展示されている。

ミサワホームOII型

1979年発表モデル。
これも高井戸本部裏手に建てられたものが使われている。 手前に写っている欅の木も現存。
ちなみに、当該モデルが建てられていた場所は、その後「GENIUS蔵のある家」というモデルに建て替えられ、つい最近まで展示されていた。 その外観を正面から捉えた写真にも、この欅が映っている。
三年前に初めて同本部を訪ねた際※1、枝ぶりにかつての面影を残しつつも十分に大径木となったこの欅の前に立ってマジマジと仰ぎ見ていた私は相当変な奴であったかもしれぬ。 でも、かつてその樹の傍らに、幼少のみぎりに憧れていたOII型の撮影モデルが建っていたのだ。 感慨が湧き起こらぬ訳がない。 住宅滅して樹々のみ残る・・・。
これ以外にも、MIII型やM型NEW、A型二階建てやAIII型も、同広場に展示されていたものが撮影に用いられた。

他にも幾つか特定出来ているものがあるが、取り敢えずはこんなところ。 とはいえ、幾らツラツラと記述したところで何の役にも立たぬ無駄な情報でしか無いのではあるが・・・。

2014.04.02:北海道公文書館別館のその後
※1

北海道公文書館別館南側立面

昨年11月頃、この場に札幌市街地に建つ北海道公文書館別館※1の売却について書いた。
その後どうなったのだろうと調べてみると、売却に係る優先交渉権者が昨年末に決定していた模様。 公募型プロポーザルにより選出された案は、現況の規模を踏襲し店舗等に活用するというもの。 てっきり、かさぶた保存にて旧態を基壇として用いた超高層建物を建てるものだとばかり思っていたので、少々意外な提案。
さもありなん。 市内では、あちこちで超高層建築物建設のプロジェクトが目白押し。 再開発となれば超高層なのであろうと思い込んでいた。 それに、設定されている容積率が800%だから、現況建物はその二割も使っていない。 残りの容積を使い切るべく目一杯高層化を試み、その事業収支の枠組みの中で可能な買い取り価格を提示し交渉権を獲得するべく動くのが順当な手段であろう。
・・・などというのは、すっかりデベロッパー的な発想。 自身がすっかりそんな意識で再開発事業を捉えてしまう様になっていることを、今回の優先交渉権者決定の情報の接して思いがけず気づかされることとなり、愕然としてしまった。 昨年11月の書き込みも、超高層化を前提としてしまっているし・・・。

果たして、他の応募案は如何なるものであったのか。 その中に、建物の高層化を伴う提案はあったのか。 あったとして、それらを退けて現況の規模を維持する案が選ばれた経緯は如何なるものであったのか、少々興味も沸く。
しかしそれ以上に、果たして同建物が今後どの様に再生され、そして活用され続けるのか。 そちらの方により強く興味を持つ。
ともあれ、歴史的建造物が何らかの形で物理保存されるのは、嬉しいことだ。

2014.03.25:図書館三昧_9
※1

奈義町現代美術館外観。 左側のエンジ色の外壁のボリューム部分二階に町立図書館が併設されている。

奈義町現代美術館※1
専門誌等で発表されて以降、機会あらば観に行ってみたいと思いつつ、居住地から遠く離れているためになかなか叶わず。 今年に入って漸くその機会を作り、現地へ向かった。
最寄駅からの路線バスの中には、恐らく目的地は同じと思われる乗客が数名。 開館して二十年経っても、それなりに人気がある公共建築といったところか。 そして私もそんな乗客の中の一人。

二十年来の想いで訪ねたその建物の外観は、ロケーションも含めてとても素晴らしい。 でも、内部の常設展示については何だか良く判らなかった。
三つの作品のうちの一つは、アート作品というよりは、奇妙でチープな舞台装置といった印象。 そしてもう一つは、室内音響効果は意外な体験だったけれども作品そのものは写真で見た際の印象そのままの寡黙なモノ。 どちらが誰の作品かはここでは言及しないけれど、二つとも果たしてリピーターを獲得し得るのか?などと心配になる様な、一瞬の驚きのためだけの空疎な作品。
だから、アート鑑賞を堪能するといっても、もう一つの宮脇愛子の既視感溢れる作品が展示されている中庭の池の前で、静かに流れる水を愛でつつ和むのがせいぜい。

その中庭には、エントランスホールと前述の二つの作品の展示空間を結ぶ半屋外通路がある。 通路両端に設けられた出入り口扉の近辺にはエキスパンションジョイントが設けられており、床部分は石を張って目立たない様に仕上げている。 しかし経年による躯体挙動の影響だろうか。 そのジョイント部の石がやや迫上がり、開き扉を開閉する際に下框が床面に擦れる※2
簡単な調整で修繕出来る程度の不具合だけれども、こんなことに目が向くのは職業病。 というよりも、展示作品の印象が薄いため、そんなことがついつい気になってしまう。

気を取り直し、併設されている町立図書館へ。 階段を昇り図書館内に入ったとたん、思わず「オォ!」となる。
正方形平面の小振りな図書館ではあるが、全体が二層吹き抜けとなっていて、四方を囲う外周壁面全てが書棚となっている。 つまり、館内の中央に立ち、そこでぐるりと一回転すれば、どこにどんなジャンルの本が在るのか一目で把握することが可能だ。
そして天井面の中央には巨大なトップライトから静謐な光が館内にもたらされる何とも穏やかな空間。 書架の所々に設けられた閲覧用の机も、居心地良さそうな設え。 きっと、読書好きにはたまらない環境でしょうね。
ということで、遠路遥々訪ねたこの施設内で一番印象に残った場所は、図書館部分でした。

※2

渡り廊下端部のExp.J部分。
床材と建具の下框が干渉し、常時閉鎖の筈の開き扉が常に中途半端に開放された状況となっていた。
2014.03.19:【書籍】コンフォルト2014年2月号
※1
1998年11月13日にギャラリー間で開催された氏の講演会「日本建築の真・行・草」の中で、そんな発言があった様に記憶している。 ※2
2010年11月13日の雑記にて、このプロジェクトについて少し書いている。 その当時は、まだ一階部分の外壁が建ち上がりつつある状況だったけれど、同誌掲載の写真では三階部分にまで至っている。 ※3
その傾向がここに来て顕著に出てきていることは、例えば直近の記事だと東洋経済誌2013年12月7日号のP68〜70辺りにおいても言及されていますね。

「本気のおさまり」と題する特集が組まれている。 掲載されている事例写真は、どれもとても美しい。
でも図面を見ると、経年においてその美しさが問題なく維持され得るのかなと不安を覚えるモノや、結露水の処理が大変そうだなと住人に同情したくなるモノも見受けられる。 勿論、個々の経験に基づき確かなディテールを洗練させていらっしゃるのでしょうから、しょせんは外野席の杞憂なのだろうけれども。
今号は、記載されている言葉に考えさせられるものが散見される。
二点挙げてみましょうか。

例えば、100ページに書かれている骨董店経営者の「ほんまもん見といたらニセモンがわかるようになる」という言葉。
ウン、そうですね。 私も幼少の頃からミサワホームO型をずっと観てきた御蔭で、事例を一瞥するだけでそれがどのバージョンか、そして純正のものか改変を加えられているか等を瞬時に判別出来ます・・・って、そういう話じゃないナ。
以前、齋藤裕が講演会にて「50代にならないと見えてこないものがある」と発言しておりました※1。 同時に、「50代になってモノの価値が見えるようになるために、それまでの期間は修行である」といった旨のことも仰っておりました。
確かにそうなのでしょう。 心の片隅にこの言葉を留め置きつつ、しかし全く修行を怠ったまま無為に日々を過ごしてしまっている私。 ま、反省だけならば幾らでも出来るけれど、既に時遅しですかね。

あるいは、110ページに書かれている「楽しくつくられた建築は美しい」。 港区内でセルフビルドが地道に進められている「蟻鱒鳶ル※2」と名付けられた個人住宅の取材文中の言葉。
今、建設業界は深刻な労務不足を抱え込んでいるけれど、その原因の根本にあるのは、現場が全然楽しくないから。 しかも、フィーを極限まで叩かれ、モティベーションの維持は極めて困難。 結果、若手は育成されず、現場の高齢化が慢性的に進行する※3
以前、魚柄仁之助が古家付の土地を購入して自邸としてリフォームを行う際のことを、自著にて述べていました。 業者から提示された見積もりに対しては一切値切らなかったと。 そんなことをして一時的な支出を抑えることよりも、職人さんたちに気持ち良く働いてもらいたい。 そうして良い仕事をしてもらった方が、長い目でみれば自分にとってのメリットにもなる、と。
著書多数な御仁でいらっしゃるのでどの本であったかは失念したけれども、確かそんな内容だったように記憶している。
本当にその通り。 勿論それは、信頼できる良心的な業者と出会うことが前提にはなるけれど、これから家を建てる人は、是非ともこの辺りのことを念頭に施主としての立ち居振る舞いを考えるべきなのでしょうね。 見積もりを叩くことが自分たちの役割であり必須の折衝事などと思っていたら、それは確実に何らかの形で後々自らに返って来ます。 どんなに施工の工業化が進められようとも、家のカタチを造り上げるのは結局“人”なのだから。

2014.03.12:住宅地図の中の物語
※1
悪い癖で、建築の写真を撮る際には、極力人や車を映さぬよう無駄な労力を払ってしまう。 今回も、人や車の往来が激しい市内のメインストリートに面するこの建物を撮影するに当たり、やはりそのような行動に出てしまう。
手持ちの安手のカメラで何とか全景を収めようと、視野を確保するために向かいに建つ商業ビルの外壁に背中をベッタリとくっつけてカメラを構える。 その姿勢を保ったまま人や車が途切れる瞬間を待ち構えている姿は、はたから見れば十分挙動不審者であったことであろう。

建築探訪のページに、宇都宮市の旧合同タクシービルを掲載した。 市内では、“ゴータクビル”という略称で呼ばれていたらしい。

初めてこの建物を観たのは、2007年のこと。
既に経年劣化も痛々しい状況ではあった。 そして2011年に再び訪ねた際には、更に廃墟然とした様相を呈するに至っていた。 これは記録に取っておかねばとカメラを向けた※1ことは言うまでもない。
それから約一年後、建物全体が改修されたことは本文にも書いた通り。 地権者であったトヨタウッドユーホームによって装いも一新されると同時に、かつての特徴的なファサードは失われた。
既築建物が安易に除却されるのではなく、現在の法令に合致した修繕を施し活用されることは好ましいことだ。 しかし、それによってかつてその建物が持っていた魅力が忘却に付されてしまうのは少々惜しくもある。 だから、この様な場所で地味ながらもその記録を留めておくことにも、それなりに意味はあるのではないかなどと思っておくことにしよう。

ところで本文の方には書かなかったが、この建物のことを調べていて気になることに出会った。 それは、この建物が改修される以前の時代に発行された住宅地図を図書館にて閲覧していた際のこと。
この旧合同タクシービルは一つの大きな建物である筈なのに、地図上の表記はまるで棟割り長屋の様になっている。 もともと棟割り形態の賃貸オフィスとして建てられた建物であったのか。 あるいはある時期に権利変換を行って、桁方向の柱間ごとに区画される領域別の区分所有に改めたのか。
建物は、竣工以降の経年の中で様々な物語をその内側に積み重ねることとなる。 その一端が住宅地図に顕れることが時折ある。 それを読み解くことや勝手に邪推を膨らませることもなかなか面白いのであるが、当該建物に関する地図表記もそんな例の一つだ。

2014.03.05:メーカー住宅私考_41
洋風ではなく洋館

※1

チューダーヒルズの広告に掲載された写真。

※2

ミサワホームM型2リビングの広告に用いられた写真。

※3
同モデルは、このことをテーマに商品開発が行われた。
また、このモデルが発売されたのと同じ時期に、同社総合研究所にて「パーティのすべて」というホームパーティーの指南書の様な内容の書籍も作成し、婦人生活社より発行している。

1983年10月に三井ホームから発表された「チューダーヒルズ」については、このシリーズの中で一度触れているが、違った視点で改めて書いてみる。

住まいの外観を語る時、「洋風」「和風」という区別がある。
別にあらたまって述べることでもない。 ここで、それぞれの単語に入っている「風」の字は、“何々的な”とか“何々の様な”というニュアンスを含んでいる。 つまりは、そのものズバリのリアルではなく、普遍的に抱かれがちなイメージをデザインしたものということになろう。

しかし、このチューダーヒルズに「風」の字をあてることは適切とはいえぬ。 例えば旧外国人居留地等々、由緒正しき西洋館が並ぶ町並みの一画にこのモデルが建っていても、全く違和感が無い。 そんな雰囲気を存分に醸し出した外観は、「洋風」ではなく十分に「洋館」だ。

内観についても然り。 広告には、玄関を入ってすぐの正面に設けられた12.2畳の吹抜けホール内に置かれたグランドピアノの廻りに、正装で固めた紳士淑女が集って優雅に談笑するイメージフォト※1が載せられていた。
正装でのホームパーティーの様子を広告に用いたものというと、同時期のモデルでは、1981年発表のミサワホームM型2リビングを想起する。 フォーマルな造り込みが施された「余暇室」と称するリビングルームに、やはり正装で集い歓談する男女数組の姿が掲載されていた※2。 そこに登場するのは全て日本人。 来るべき余暇時代に向けた先導的な住まい方提案※3を具視化すべく施したのであろう全員靴履きという演出は、今となってはどこか鹿鳴館的なぎこち無さというか微笑ましい印象が無きにしも非ず。
一方、チューダーヒルズのそれは違う。 全員、欧米人。 この広告写真そのままに、建物内外観から“日本”あるいは“日本的なるもの”は徹底的に排除されている。 ここまで来ればもう、天晴れと言うしか無い。
そんな広告の印象そのままに、内外観の完成度は非常に高いと思いつつ、しかしこのモデルについては今ひとつピンとこないというのが当時の私の印象だった。 何故ここまで西洋に拘る必要があるのかと。 何だかんだ言っても、ここは日本なんだし、日本のメーカーが提供する日本の住まいなのだからさぁ・・・、という想いがあった。

しかし、ニーズは確実にあるのであろう。 更には、洋風の商品が他社から多数発表されている中にあって、メーカーとして一つ突き出るには最上級モデルとしてこういった商品も不可欠であるといった狙いもあったのかもしれぬ。
近年、このモデルはイメージを継承して復刻され、同社のラインアップに組み込まれている。

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