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雑記帳
2012.11−2012.12
2012.12.28:【書籍】建築趣味
著者:
磯達雄

出版社:
AMD

出版年:
2012年11月19日


※1
著者のツイッターによると、販売しているのは東京ではジュンク堂池袋本店と南洋堂書店、大阪では柳々堂とのこと。
ウェブ販売も行われているようだ。


※2
氏の著作「「住宅」という考え方−20世紀的住宅の系譜−」のあとがきに、この記述がある。
同書籍については、2009年12月19日の雑記にて言及している。

知人宅で催された忘年会に招かれた折、別の参加者から紹介してもらったインディーズ本。 A5判サイズ。ページ数は60。 だから、書籍というよりは冊子といった体裁。
しかし、タイトルが良い。 「建築趣味」。 何とも琴線に触れるコトバではないか。 しかも特集が「カトー設計事務所」ときているから、タダモノではない。
翌日、入手すべく販売されているジュンク堂池袋本店に赴いたことは、いうまでも無い※1

建築探訪のページに載せている「秩父宮記念市民会館」は、同事務所の設計による。 エントランス脇にあった定礎のプレートからそのことを知ったのだが、私の場合は、「ふ〜ん、あまり聞かない事務所だネ」で終わっていた。
ところが、この冊子の著者は違う。 同様に、事務所の存在を知ったきっかけが、この定礎の刻印であったことを巻頭にて述べている。 しかしそこで興味を持ち、同事務所の詳細を取材して一つの本に纏め上げてしまうところが素晴らしい。

中身を読むと、2月11日の雑記に書いた「みなかみ町観光会館」も紹介されている。
この建物の定礎には、発注者と施工者の名前は刻まれていたが、設計者の名前は無かった。 ネットで調べてみたが情報が無く、誰が設計した建物なのか判らずにいたのだけれども、同事務所であることをこの冊子にて知ることが出来た。
たまたま見つけた個人的な好みに合う二つの建築が同じ事務所によるものだったなんて、ちょっと嬉しいではないか。 私の建築を観る眼もまんざらでもないな、などと少々自惚れてしまう。

この二件も含め、冊子の中で紹介されている同事務所設計による38の作品。 それらはいずれも、村松秀一の言葉を借りれば「英雄的な建築作品の世界からはみ出したようなもの」ということになろう※2
市井には、そういった建築が溢れている。 その中に小粋な佇まいを見いだし、愛でること。 そんな趣味としての建築の作法があっても良いではないか。

創刊号でカトー事務所を取り上げた同冊子が、今後どのような続編を出すのであろうか。
創刊号を踏襲し、非英雄的建築の世界を広げてくれるのか。 あるいは別の「建築趣味」を提示し、建築への視野そのものを拡張してくれるのか。
気の早い話ではあるが、楽しみである。



2012.12.24:80年代建築

高松伸の初期の作品である「織陣」が解体中という情報を得た。 老人ホームに建て替えられるのだそうだ。
今のところ詳細は判らぬ。 外観はそのままに、内観も極力原形を留めたコンバージョンであるならば興味深いけれども、この建築作品の特徴からしてそれはあり得ぬことであろう。

初めて実物を拝んだのは、盛夏のさなか。
京の街特有の油照りの中にあってなお、冷厳に立ち上がる圧倒的な意匠を前に戦慄を覚えたのは、四半世紀近く前のこと。 もうそんなに経つのかといった感はあるものの、建築が存続する時間としては、あまりにも短すぎる。
同じく氏の傑作であるところのキリンプラザ大阪の解体にあたっては、GA誌に御自身のコメントが寄せられていた。 淡々とした内容で、意外に思えた記憶がある。
日本において、建築は無常観を持って捉えなければならぬということか。

この場に何度も「建築は用を為してこそ意味がある」などと書いている。 しかし、用を為し得なくなったからといって、即解体されて然るべきかというと、なかなかそう割り切れるものではない。
残ってほしいと個人的に思う建築というのは、やはり在る。 勿論それが、個人の勝手な想いの域を超えるものではないことは重々承知しているのではあるが・・・。 しょせん建築は、都市の様々な律動の狭間にたまさかに浮かんでは消える哀しき泡沫でしかないのか。
織陣の解体は、そんなことを考えさせられる出来事ではある。

それにしても、80年代のジャーナリズムを彩った建築作品が除却される情報を最近良く耳にする。 建築の存続に冷淡な日本の都市において、それらの作品はそろそろ更新の時期に差し掛かっているということなのだろうか。
勿論一括りには出来ないが、当時の潮流は、他者との外観上の差異化を付加価値の第一義とし、如何に異形であるかを競う事例が多々誕生した時代であった。 今も異形の建築は多く作られているけれども、その方向性はまるで異なる。 どちらが興味深いかと問われれば、両方と答えることになる。 しかし、表層デザインの妙という点では、80年代のそれの方が圧倒的に面白い。
それらの作品を訪ね、改めて内外観を堪能してみる。 その機会は徐々に失われつつある様だ。



2012.12.21:青堀駅界隈

富津の明治百年記念展望塔を訪ねる際に利用したJR内房線青堀駅の界隈には古墳が点在する。
駅の北口にも上野塚古墳と名付けられた前方後円墳がよこたわる。 しかし、駅前ロータリーを整備する際の敷地確保のためであったのだろうか。 その一部が切土され、露わになった墳墓の断面を覆ったコンクリート擁壁が広場に向かって立ちはだかるというなかなかに暴力的な景観を呈している。
まぁ、古墳が点在する町ならではの特色を活かした駅前広場の設えといったところでしょうか。 太古から連綿と続く歴史への畏敬よりも、現代における都市の骨格や体裁の方が大事なんでしょうネ。
それはともかくとして、駅前から延びる旧国道16号沿いには、古い町並みの名残が僅かに点在。 そんな通りに面する青堀小学校の校舎も、なかなか恰好良い。
じっくりと歩いて回れば、色々と面白い場所なのかもしれぬ。



2012.12.15:富津公園
※1

保安林の中に散在する戦争遺跡の一つ。
監的所と呼ばれる施設。
この様なコンクリート製の異形の構造体が、広大な保安林の所々に散在する。
観光施設ではないため、案内図や説明書き等の類は一切無い。 木々や藪に埋もれるように建っているため、注意して探す必要がある。

建築外構造物のページに「明治百年記念展望塔」を追加した。
この構造物を訪ねたのは最近のこと。 以前から行ってみようと漠然と思いつつ、なかなか重い腰が上がらずにいた。
同施設が建つ富津岬には、県立富津公園が整備されている。 その広大な園内の大半を覆う保安林の中には、戦争遺跡も散在する。 かつてこの岬に設置されていた、旧陸軍兵器行政本部第一陸軍技術研究所富津試験場の残滓だ。 これについても以前から知ってはいたけれど、同様になかなか観に行く気になれずにいた。

戦争遺跡については、これも建築外構造物のページに小松空港近傍でたまたま見つけた弾薬庫について載せている。 別に戦争そのものには興味は無いけれども、そのために作られ、無用と化し、そして放置され続けてきたこれらの構造体には、少々魅かれるものがある。
狂気の下で作られた建築的な非建築物が織りなす造形の妙。 あるいは、時を経たモノのみが持ち得る老いさらばえた豊穣・・・。
その魅力を語るための適切な言葉がなかなか見つからないのだけれども、竣工したばかりのピカピカな建物を観るのとは別の何かがそこには在る。

ところで最近になって、同じ戦争遺跡であるところの大阪市西淡路の高射砲台が今年の夏に除却されたということを知った。
都市計画道路に引っかかっており、いずれ解体される運命ではあった。 とはいえ、戦争遺跡である。 耐爆仕様の強靭さは簡単に除却出来るものではない筈だ。 しかも住居に改造されて人が住んでいるというのだから、取り壊されるとしても相当先のことになるであろうと高を括っていた。
そんな施設の除却。 こいつは、富津の方も観ておかなければどうなるか判ったもんじゃないなということで、漸くスイッチが入った。

最寄りのJR内房線青堀駅からバスで数刻。
初めて富津岬を訪ねたその日は、抜けるような快晴とはいえ暴風警報が出されていた。 内房線も、運休の区間が発生するほどの荒れ模様。 しかし、保安林の中に入ると風の影響は殆どない。 頭上を不気味に風が唸るそんな木々の中にひっそりと散在する戦争遺跡を探して歩き回る※1
これらについては、また別の機会に書くことにしよう。
で、散在するそれらの構造体を観て廻りつつ、展望塔へと向かう。 さすがに、こんな気象条件の中、岬の先端までしかも徒歩で向かう奇特な者など、他にはいない。 保安林の途切れた岬の突端で、猛烈な風に吹き飛ばされそうになりつつ、誰もいない展望塔を目の前に写真撮影を強行・・・しようとするが、強風に腕が煽られてカメラのアングルも定まらず。 負けてなるものかと足を踏ん張って身構えるが、今度は波しぶきが引っ切りなしにかかってくる。
ということでロクな写真を撮ることが出来なかった。 服もビショビショ。 頭にきたので、猛烈な風が吹き荒ぶなか、無謀にも塔の頂上を目指す。
構造体の列柱群に叩きつける風は爆音を轟かせ、自然の猛威をまざまざと見せつける。 しかし、そんな荒れ狂う自然に対し、展望塔の方は全く意に介すことなく強靭に屹立している。
そんな状況を目の当たりにして、苛烈な自然に拮抗する構造体の在り方、あるいは意匠について、展望テラスの金属製手摺にへばり付きながら暫し思索することとなった。
でもって、後日改めて再訪。 落ち着いた状況下で写真を撮り、なおかつ構造体を昇降する空間体験を堪能した。



2012.12.10:超高層ビル使い捨て時代
※1

旧日本長期信用銀行本店ビル外観。
オーバーハングした上層フロアの直下には、DPGによる巨大なガラスのキューブ。

旧日本長期信用銀行本店ビルが建替えられる方針である旨、最近報道された。
正味二十年にも満たぬ、あまりにも短い供用期間での超高層建築物の建て替え。 一般的には異常な状況として捉えられそうな事象ではあるが、この建物に限って言えば驚きや違和感はあまり無い。 それほどに、数奇な経緯が纏わり付き過ぎた感がある。
竣工から僅か5年後の長銀の経営破綻。 その際に連日流されるニュース映像には、この本店ビルが頻繁に映し出された。 それによって、破たんの物理的表徴として視聴者に刷り込まれた面がある。 その後入居した新生銀行も数年前に退去。 建物は久しく無人となっていた。
金融不安の象徴となってしまったこの建物は、しかしそれ自体もどこか不安定な形態を成している※1。 低層部の上部に、思いっきりオーバーハングして積載する高層フロア。 トップヘビーなT字型ボリュームを持つその建物が醸す構造的に不安定なイメージは、そのまま金融不安と折り重なる。
そんな経過を背負う状況下で、オフィスビルとしての物理的な存続はなかなかに難しいといった判断があったのだろうか。

超高層ビルは解体するものではないと思っていた。 建設に莫大な投資を必要とする超高層ビルは、小規模な建物の様に“気軽に”建て替えるものではなく、例えば霞が関ビルディングの事例の様に修繕しながら使い続けるものなのだと考えていた。
しかし、ここにきて幾つかの大手ゼネコンが独自の超高層建築物解体技術を発表。 それに合せるように、都内では既に赤坂プリンスホテルが解体工事に入っている。 浜松町の世界貿易センタービルディングも、周辺一帯の再開発に伴い解体される予定だ。
超高層ビルの解体は、今後も増えるのであろう。 超高層ビル使い捨て時代の到来。 ガンガン作ってバシバシ壊す旧来からの日本的建設指向の途方もない肥大化。
フム、この業界はまだ暫くは安泰といったところか・・・。



2012.12.08:修繕に配慮した設計
※1

東京国際フォーラムの西面足元廻りの近況。
左手に当該建物の外壁面。
その足元に緑地帯が設けられているが、左手前の様に、徐々に除去され、地面が露わになっている。

有楽町に立地する東京国際フォーラムは、敷地境界に面した外壁足元廻りの大部分に低木による緑地帯を設けている。
歩道との僅かな離隔に植えられたその緑は、全面にブラジル産花崗岩を纏い圧倒的なスケールをもって屹立する壁面のボリュームからすれば、あまりにも小さな存在だ。 しかし、対面する街路樹と相まって、都心における貴重な緑となっている。

最近、その低木がどんどん除去され、露わになった地面にコンクリートが打設された※1
貴重な緑を取り除いて、いったい何をやろうとしているのだろう。 剪定等、日頃とっても大切に手入れが行われていたのに・・・などと思っていたら、ある日、そのコンクリート面を足掛かりに建物の壁面を覆うように足場が組まれ始めた。 つまりは外壁の修繕を実施するために必要な措置であったということのようだ。
当該施設は、竣工して15年が経つ。 確かに、そろそろ修繕が必要な時期ではあろう。

メンテナンスフリーであり得る建物というのは存在しない。 経年劣化に対し、なんらかの定期的な対応は不可欠だ。
従って、新築時からどのような修繕をどの時期に如何にして実施するかということを予め策定した上で設計を進めることが望まれる・・・というよりも、今はそれが常識である。
果たしてこの施設において、設計の初期段階から修繕計画が周到に策定され、尚且つその内容が植栽を除去して足場を建てることを前提に組み立てられていたのか否かは知らぬ。 頻度の高いことでは無いのだから、普段は植栽帯とすることで美観や都市のアメニティ創出に寄与しつつ、必要な時には除去してメンテスペースに充てるという考え方は、あり得なくは無かろう。
しかし、それが合理的な手法であるのかといえば、いざ修繕の場面を目の当たりにすると、なかなかに微妙なところではある。

同施設では、広大な中庭を埋め尽くすように配置された欅の殆どを植え替える作業が昨年実施された。 欅にとっては決して恵まれているとは言えぬ環境の下、15年に亘ってヒョロヒョロと枝を伸ばし続けた痛々しい群体が織り成す風景は、若い樹に置き換えられることで取り敢えずリセットされたといったところ。
これも、当初から長期修繕計画に盛り込まれた一項目であったのだろうか。 そうだとするならば、木々にとって何とも過酷な策定内容ではある。
しばらく続くであろう外壁の修繕の様子を随時観察しながら、建物のメンテナンスの在り方について考えてみたいと思う。



2012.12.01:メーカー住宅私考_20
−ローコストモデルの手法
※1
例えば、1982年7月24日から29日の期間、建設・通産両省及び日本住宅公団(当時)の後援により、日本建築センターにて「ハウス55まつり」が開催され、三社のモデルハウスが公開された。 ※2
1977年9月発刊の「プレハブ住宅産業−停滞脱出ねらう企業戦略(日本経済新聞社編)」に収録された、ミサワホームの社長・三沢千代治(当時)を交えた座談会における発言。

この発言に対し、三沢千代治は「工業化することで、プレハブは一産業たりうると思う」と述べている。

プレハブに対する捉え方は真逆だ。そしてそのことが、当時の両社から発表されるモデルの違いに如実に顕れていたところが面白い。

※3
例えば、新建築社から発刊された「新建築1984年4月臨時増刊号−住宅の工業化は今」に掲載された宮脇檀のレポートには、以下のように述べられている。

「もちろんプレハブ住宅には,これと反対のアプローチもあるわけで、工場生産率40%台というプレハブ,または大量生産という立場からいえば逆行もはなはだしい積水ハウスが実はプレハブ業界のトップを走り続け(中略)ていることも,もうひとつ注目せねばならない点である。」 ※4

積水ハウスBK-530型“フェトーのある家”外観

積水ハウスが、BK-530型“フェトーのある家”を発売したのは、1981年10月。
この年は、ミサワホームが1月にミサワホーム55を発売している。 新たな生産システムによって低廉で良質な住宅を大量に供給する体制を構築することを目的に、国家主導で推進された通称“ハウス55プロジェクト”の第一号商品化モデルだ。
同プロジェクトに採択された民間企業グループ3団体に対し、研究開発費を国が補助して低廉なプレハブ住宅を実現しようという試み。 特定の民間企業に国が資金援助を行うやり方には様々な意見もあったようであるが、とりあえず計画よりも一年遅れてミサワホームがミサワホーム55を発売。 次いで、ナショナル住宅(現、パナホーム)や小堀住研(現、SXL)も商品化を実現した。
三社の商品化実現は、プロジェクトを推進した建設省や通産省(当時)の面子を保つことになったし、以降暫くは、国が後押しする形で3社のモデルを大々的に分譲するキャンペーンも張られた※1

積水ハウスは、このハウス55プロジェクトの推進企業を採択するために実施された技術提案コンペには参加していない。 プレハブ住宅の草分けにしてトップメーカーであるにも関わらずだ。 しかしそれは、同社が創業当初より一貫して持ち続けているプレハブ工法に対する姿勢を鑑みれば、ごくごく自然なことといえそうだ。
高いプレハブ化率を目標に掲げ、それを達成することが高品質な住宅を安定的に大量供給することにつながるという立ち位置を敢えてとらない。 例えばそのことは、同社の二代目社長、田鍋健の以下の発言からも窺える※2

プレハブ住宅というのは特殊な商品ではなく、住宅産業の中の一供給形態、一工法をあらわす言葉である。(中略) お客さんは工法で家を買うのではない。住んで快適で、丈夫で、見栄えのいいものを選ぶ。 だから「プレハブ」と区切って、プレハブだけの評価をするという考え方を私はとらない。

住宅は建てるものではなく買うものだという前提の発言であるところが、いかにもハウスメーカーの社長らしい。 それはともかくとして、ここではプレハブ化を目的ではなく手段と位置付ける価値判断が明確に顕れている。 今現在の状況はわからぬが、70年代から80年代における同社の工場生産率は、他社と比べて極めて低い水準に留まっていたようだ※3
そんな同社にとって、プレハブの高度化を目標に掲げた同プロジェクトは、社是とは相容れぬものであったのかもしれぬ。

そんな中で、ミサワホーム55が発売された年に積水ハウスがフェトーのある家を発表した意味は大きい。 なぜなら、このモデルがミサワホーム55と大して変わらぬローコスト化を実現しているため。
その達成のために莫大な投資を行って新たな工法や素材の開発を行った訳ではない。 既に保有している技術を応用しつつ、徹底した規格化と内外装メニューのシステム化を図ることでそれを実現した。 そしてその内外観は、同社の他商品と同質のエレガントさを持ち合わせている※4
こうなると、ハウス55プロジェクトとは一体何だったのかということになりかねぬ。

発売当時、建売住宅として分譲されている同モデルを観る機会があった。
その際の私の印象は、内外観共にそんなに良いものではなかった。 同時期において、斬新な意匠と新進の空間提案をギッシリと詰め込んだ企画モデルを怒涛の如く発表し続けていたミサワホームに比べると、ひどく退屈に思えた。
しかしながら、少なくとも住宅において、一瞥した印象が凡庸であることとデザイン的に劣っていることは同義にはならない。
総二階を基本とし、寄棟屋根を載せただけの簡素なボリューム。 その屋根の頂部に商品名にもなっている棟飾りを載せ、玄関廻りに凹部を設けてアーチをあしらう。 ただそれだけの形態操作で、ローコストながらも無味乾燥に陥らぬ外観デザインを実現している。
このモデルは今現在でも各地でよく見かける。 少し前に同社のOBの方と話す機会があったのだけれども、当時は本当によく売れたと懐かしそうに語っていらっしゃった。
発売から三十年以上が経った今、このモデルを前にして持つ印象は、経時への高い耐性だ。 プレハブ化とは何か、あるいはローコスト化とは何かということを改めて考えさせられる、そんなモデルである。



2012.11.28:除籍図書リサイクル_4

はたまた、別の近隣市の公共図書館で開催されるリサイクルブックフェアに出かける。
今回出向いた図書館は、一時間ごとに入場者を総入れ替えする時間割制を採用。 入場整理券を事前に配布して入場者を時間割ごとに捌く手法がとられていた。
早めに現地に向かったのだけれども、既に長蛇の列。 私は二回目の入場組となった。
さて、一時間どこかで時間をつぶさなければならぬ。 館内の蔵書を閲覧して過ごしても良いのだけれども、訪ねた図書館が立地する界隈は、こんな機会でも無ければなかなか訪ねることも無いエリア。 天気も良いし、ここはひとつ近傍を散策しようということで、館外に出る。

近傍に神明造の小振りな神社が建っている。
棟持柱は堂々としたもの。 屋根は銅版葺きで鰹木は6本。 周囲を鬱蒼と覆う椎の木々から差し込む晩秋の木漏れ日が、周囲の喧騒からは切り離された静謐な雰囲気を醸し出す。
しかしそんな傍らで、カラスが数羽、何やら地面を忙しくついばんでいる。 見れば、そこには椎の木から落ちた夥しい量のドングリが散乱。 その殻を嘴で器用に割り、中身を食べている。
観察しているこちらのことなど全く気にすることも無く、泰然自若したものだ。 まぁ、神の使いだもんな・・・などと思いつつ、暫しそんな様子を眺めて、神社をあとにする。

更に歩くと、今度は住宅展示場がある。
そういえば、しばらくこの手の施設を訪ねることも無かったなと、場内に入ってみた。 まだ営業時間前のため、各モデルハウスの前ではスタッフが掃除や植木の手入れを行っている。 しかし、相変わらずいずれのモデルハウスもとっても豪華。
家を建てようと初めて来訪する人たちは、そのピカピカの内外観に夢心地になるのだろうな。
で、予算の話になって現実を突き付けられ、愕然とすることと相成る。
そうなる寸前まで、家づくりの夢を抱き続けるためのテーマパーク。
それが、現在の総合住宅展示場の一側面ではある。
まぁ、テーマパークというのは、華々しさと一緒にどこか空しさが漂う場所でもありますよね・・・。

などと他愛もないことを思索しつつ、時間になったので図書館に戻る。
いや、こんな他愛もない時間つぶしのことをツラツラと書き連ねざるを得ないのも、今回は結局これといった書籍に出会えなかったため。 初回と前々回訪ねた図書館では、有為な書籍にたくさん出会えた。
そのため、どこか勝手に期待を膨らませて夢心地になっているところがあったのだろうな。
で、釣果ゼロの現実を突き付けられ、愕然とすることと相成る。
そうなる寸前まで、本探しの夢を抱き続けるためのイベント。
それが、現在のリサイクルブックフェアの一側面ではある。
まぁ、世の中というのは、そんなに都合の良いことばかりが続くものではありませんよね・・・。

ということで、中身が空っぽの大きめの鞄を空しく携えたまま図書館を後にし、更にまちかど散策を続行したのであった。



2012.11.24:メーカー住宅私考_19
−71年と91年
※1
これらのモデルについては、住宅メーカーの住宅のページにて言及しているので参照願いたい。

※2
GOMASブランドは、かつて浦安市の舞浜に立地していた浦安住宅総合住宅展示場内に設けられたMISAWAプラザに全5タイプが出展されていた。

画像は、「本物志向の住まい」掲載の同プラザの様子。 かつて浦安市に在住していた際、確かに東京ディズニーリゾートに隣接してこの住宅展示場が設営されていたことは、目視している。 しかし、関心も無かったので場内に入ったことは無いし、その当時もGOMASの5モデルが建っていたのか否かは定かではない。
イクスピアリの東側斜め向かい辺りに位置していたこの住宅展示場は今はもう存在しない。 ディズニーの駐車場となっている。

11月19日に、「本物志向の住まい」という一冊丸ごとミサワホームの宣伝本について書いた。
1991年に発刊されており、その内容は、1990年に同社が発表したGOMAS(ゴマス)ブランドの紹介に多くを費やしている。 1985年以降のハウスメーカーの動向に殆ど関心を持っていない私には、多くが初見の内容。

GOMASは、1976年から1984年にかけて同社がラインアップしていた、G型、O型、M型、A型、S型という規格型モデル※1を90年代のテイストで新たに再構築したもの。
少し面白いと思ったのは、G型とM型。 他の3タイプが内外観に旧態をある程度留めているのに対し、この2タイプは、指向を受け継ぐのみで形は大きく変化している。 その変化が、旧モデルを如何に読み替えたものなのか、あるいはどのように思想を引き継いでいるかを読み解くことが、なかなか楽しい。
2タイプに共通するのは、広さに十分余裕のある間取りであること。 そこには、バブル景気の進展と共にひた走った自由設計による豪華路線・巨大化路線の残り香が漂っている。 と同時に、バブルクラッシュへの不安を抱いての規格化路線への回帰。 それでもなお、日本の経済はまだまだ大丈夫とする楽観的な価値観が見え隠れする内外観。
初めて触れるGOMASブランドの詳述からは、当時の日本の状況が如実に顕れたモデル群であったことを見てとることが出来る※2

ところで、ミサワホームが仕掛けた一冊丸ごとの宣伝本は、昭和40年代にも発刊されている。
主婦の友社から1971年に出版された「フリーサイズのプレハブ住宅」という書籍。 全ページ、当時の同社の住宅事例の写真や情報で埋め尽くされている。
しかし、ミサワホームという名称は殆ど出てこない。 その替りにやたらと目立つのが、タイトルにある「フリーサイズのプレハブ住宅」という語句。 “フリーサイズ”という、今でも衣料関係で一般的に使用されるこの言葉は、実はミサワホームが編み出した「自由設計」を指す造語。 つまり、当時において、フリーサイズのプレハブ住宅とはミサワホームの住宅と同義。 この書籍を読んでフリーサイズのプレハブ住宅を求めようと思った人は、自然ミサワホームにアプローチすることになるという仕組み。
なんだか回りくどいやり方にも思えるが、露骨な宣伝は憚られたといったところか。
妙に婉曲的である分、逆にイヤラシイという気もするが、当時の同社のことを知るにはとても貴重な書籍である。

この書籍と、そして前述の「本物志向の住まい」を比べてみると、当然ながら1991年に発刊された後者に載せられている内容の方がデザインも性能や品質の完成度も優れていて当然だ。 しかし、まだプレハブ草創期から少しだけ進歩・進捗した程度に留まる時期にあたる1971年当時の方に魅力や興味を感じてしまうのは、単なる個人的な嗜好の問題だけであろうか。
完成度とは別の“何か”が、そこにはある。



2012.11.19:除籍図書リサイクル_3
※1

書名:
HOME MAKE
本物志向の住まい

出版社:
ニューハウス出版

出版年:
1991年12月25日

前回に引き続き、また別の図書館のリサイクルブックフェアに出かける。
前回訪ねたところは、来る者拒まず何でもかんでも持って行けといった雰囲気であった。 しかし今回赴いた図書館は、混雑を避けるために入場制限を実施。 出遅れたこともあって、会場に入るまで三十分ほど館内で待つこととなった。
更に、チェックが厳重。 規定冊数を超えて持ち出そうとしていないかをしっかりと確認する体制が執られていた。
図書館によって、その運営形態は様々であるようだ。

今回の会場のリサイクル本は、小説が殆ど。 私が求める建築関連の書籍は皆無であった。
唯一、雑誌を詰め込んだ段ボール箱の中にニューハウス出版から発刊されたムック、“ホームメイク”のバックナンバーが数冊詰め込まれていたので目を通す。 そのうちの一冊のタイトルが、「本物志向の住まい」※1。 「本物ねぇ・・・」などと冷やかし半分でページをめくってみるが、何やら内容がとても気に掛かる。
いずれのページに掲載されている写真も、ミサワホームっぽいものばかり。 で、中盤以降になると、“GOMAS”という語句がやたらと目に付くようになる。 しまいには、同社の当時の社長、三沢千代治までが登場。 何なんだ、この本は?と思い表紙を見直すと、副題に「あなたにいい家つくります。新しい住まいづくりのブランド。GOMAS」とある。 GOMAS(ゴマス)とは、ミサワホームが1990年代前半に展開していたブランド。 つまりは、一冊丸ごと同社の宣伝本ということである。
このムック、同様に一冊を丸々費やしてミサワホームを特集したナンバーを二冊出していることは知人から聞いており、内容は確認していた。 その二冊とは別に、こんな本も出していたのだな。

内容は、GOMASブランドのラインアップと、自由設計事例の紹介。 当時そういった商品展開を行っていたことは少しだけ知っていたけれども、何せ昭和60年代以降のハウスメーカーの動向については今も昔も興味の対象外。 こんな機会でもなければ、この時期の同社の情報に触れることもあるまい。 ということで、このムックを確保。
釣果はこれくらい。 他に北海道の歴史関連の書籍を二冊入手して帰宅と相成った。



2012.11.14:【書籍】町の忘れもの
著者:
なぎら健壱

出版社:
筑摩書房

出版年:
2012年9月5日

かつては街中のどこにでも見受けられるありふれた光景であった筈なのに、いつのまにか失われ、あるいは珍しくなってしまったモノ。 そういった事々を拾い集めてまとめた書籍。

街中散策における著者の観察眼には驚かされるばかりだ。 なるほど、こういったモノやコトも鑑賞の対象になり得るのかと、とっても勉強になる。
そんな事々を、それぞれの特性を的確に捉えた写真を添えつつ的を得た短めの文章で一つ一つ紹介している。 文章が短めなのは、もともと新聞のコラム欄に連載されていたものであるためであろう。 しかしそこが良い。 この手のネタを長々と書き綴り始めると、やたらと懐旧じみたり、あるいはジメジメと感情移入した湿っぽい言及に陥りがちだ。 ・・・って、それは私のことか。 ともあれ、そういったところが希薄な文章が良い。

ということで、今回の書き込みも短めに終わらせることにしよう。 この書籍で得たことを踏まえ、散策を愉しみに出掛けてみようか。



2012.11.11:除籍図書リサイクル_2

11月5日の雑記にも書いた通り、近隣市の公共図書館のリサイクルブックフェアに出かける。
会場となっている多目的ホールに入ってみてビックリ。 意外に工学系の図書が多い。 目ぼしいものを探そうとするが、場内はまるでデパートの催事場のバーゲンセール状態(・・・って、バーゲンセールって殆ど立ち会ったこともないけれど)。
強引に目の前に割り込んで来て本を探し始める老若男女の数、無量の如く。 しかしこちらも負けてはいられない。 身長を活かして、そんなヤカラ達の頭越しに夥しい数の本を物色し、腕をムンズと伸ばして目ぼしいものを確保。
一人十冊迄という取り敢えずの縛りがある筈なのだけれども、そんなことはお構いなしに片っ端から大きな袋に本を詰め込んでいるツワモノもいる。 しかし、特にお咎めもなし。 運営する図書館側にしてみれば、冊数制限は、多くの人に書籍入手の機会を提供するための建前。 蔵書除籍本として放出した書籍を残すことなく出来るだけ多く持ち帰って貰いたいというのが本音といったところなのだろう。
しかし、私は規定の十冊に敢えて留めて選別。 十冊ともなれば、大型本も含めれば結構な重量になる。 車ではなく、徒歩と公共交通機関の利用にて馳せ参じた私には、自力で持ち帰らなければならぬという制約がある。 それに、何でもかんでも入手すれば良いというものでもあるまい。 手に入れるからには大切に保管したいし、そのための保管場所(つまりは書棚のスペース)にも限りがある。 更には、入手することが目的ではなく、読んで知識を得ることが目的なのだから、・・・などと何やらもっともらしい理由を付けつつ自主規制。

帰り際にアンケート用紙への記入を求められたので、必要事項を記入。 最後のコメント欄には、「思いがけず良い本にたくさん出会えました」と書いておいた。
実際その通り。
こんな機会でもなければ、その存在すら知り得ることも無かったであろう図書との出会いが結構あった。 こんな有意義なイベントが毎年開催されているとはね。 知りつつもハナから期待せず参加することもなかった今までの自分を猛省・・・というか、後悔。
さて、まだいくつかの近隣市町の図書館にて同様のイベントが近々予定されている。 いずれも巡ってみようと思う。



2012.11.08:【書籍】新建築2012年11月号

・東京駅丸の内駅舎保存・復原

この駅舎に関する個人的な関心は、復原工事の実施前後で特に変わっていない。
日本人って、煉瓦造の歴史的建造物を無条件に有りがたがるよネとか、辰野金吾じゃなくて妻木頼黄が設計を手掛けていたらどんな駅舎になっただろうねぇといった程度。 こんなことを書くと、「何だ、コイツ」ということになってしまうのだろうけれども、まぁ、好みの問題といったところ。
駅舎そのものの内外観はともかくとして、様々な難しい条件が折り重なる中で、よくぞ復原工事を完遂したものだと、その技術力や調整力には驚かされる。
掲載されている平面図を見ると、駅舎の復原というよりは駅の機能を併せ持ったホテルへのコンバージョンといった趣き。 まさかこんなに目一杯ホテル機能の用途にあてがったとはネ。 長大な建物のボリュームの中で、動線計画には相当苦労されたことでしょう。
実際に宿泊してみると、その辺りはどんな感じなのだろう。 機会あらば泊まって確認してみたいとも思うけれども、暫くの間は既に予約で一杯という盛況ぶりだそうで。

・東京駅八重洲開発中央部・グランルーフ

その姿が徐々に現れていることは、結構頻繁に目視している。
しかし現状、屋根を支える斜材の足元まわりの納まりが、仮設とはいえあまりにも貧相。 竣工時には、よじ登り防止策の付与も含め、どんなディテールに仕上げられるのか、楽しみにしておこうと思う。

・JPタワー

今号は、東京駅丸の内駅舎保存・復原に合せたのか、歴史的建造物の保存と活用に関する事例や記事が多い。
このJPタワーもその一つ。 そして、この作品以降も、同様の内容の作品紹介が続く。 いずれも、歴史と対峙した際の建築家の考え方や立ち居振る舞いが顕れていて興味深い。
JPタワーに関しては、その足元に復元された旧東京中央郵便局舎との調律のみがテーマに留まらぬ。 東京駅の線路敷を挟んで八重洲側に建つ数本の超高層ビルとのバランスにも配慮されているという気がする。 そのシンプルなガラスの超高層棟部分は、八重洲側の透明な超高層と巧く群景を成し、且つ、旧局舎部分との対比も悪くは無い。
丸の内駅舎の真正面に立地するということで何か肩肘を張り過ぎた感のある丸の内ビルや新丸の内ビルには無い端正さが、そこにはある。

・明治安田生命新東陽町ビル

仕事の打合せをする上で、直接会って話をすることに勝る手段は無い。 電話とかメールとかテレビ会議といった通信手段がいくら発達しようとも、この事実が揺らぐことは無かろう。
最近、遠方との打合せの機会が増える中で、改めてそのことを実感している。 そして、それはオフィス内でも同様。 複数のフロアに跨って組織が積層するよりも、同一フロアに平面的に広がる方が、直接のコミュニケーションが取り易い。 階を移動するのが面倒だからと電話やメールで済ませるよりも、水平移動で相手の席まで出向き、直接会話をする方が絶対に円滑にコトが運ぶ。
そういった意味では、この作品のように一つのフロアの面積が広大なのはオフィスとしては好ましいということになる。 いや、その筈なのだけれども、169ページの基準階平面図に並ぶデスクの配列を見て眩暈を覚えそうになるのは私だけではあるまい。
着席してパソコンの画面と睨めっこをしている分には問題なかろう。 しかし、立ち上がって周囲を見回した時の異様さは如何程か。 巨大組織の中のちっぽけな自分の存在を嫌というほど自覚させられて、何やら惨めな気分に陥りそう。
いや、視認出来ようが出来まいが、それは紛れもない事実なのだけれども。

・月評

先月号の特集は医療及び福祉施設。 この特集に対し、今月号でどんな月評を展開するのだろうと興味を持っていたのだけれども、四者四様、的確な論評が行われているのは流石。
でも、他愛もない私事に始まって他愛もない私怨で締め括りつつ、それでもなお余白を残す山崎亮の作文は、規定の文字数を埋めることに苦労したことの顕れだったりするのでしょうかね。



2012.11.05:除籍図書リサイクル
著者:
森川嘉一郎

出版社:
幻冬舎

出版年:
2003年2月

多くの図書館で、蔵書管理上不要となった除籍図書を無償で提供するイベントを定期的に開催している。
いままであまり関心を持っていなかったのだけれども、たまたま訪ねた隣町の図書館のエントランス前でその手の催しを行っていたので、あまり期待もせずに覗いてみた。 で、段ボールの中に無造作に押し込められた図書の中に「趣都の誕生※1」を見つけ、ちょっと驚く。 こんな書籍までリサイクルに出回るのか。 今までは、ラノベとか雑誌とか、そういったものがメインなのだろうと高を括っていた。 でも実際は違う。 玉石混交。
これはきちんと確認しなくてはと、「趣都の誕生」を片手に携えつつ他の段ボール箱も見てまわる。 結果、最近紹介した「日本図書館紀行」も、このイベントで入手したし、他にも気になる書籍をいくつか確保できた。 こいつは馬鹿にできない。
自宅に戻ってから居住地や近傍の公立図書館のサイトを確認してみると、これから暫くの間、この手のイベントが各所で催される予定となっている。 ということで、暫しリサイクル本を求めての図書館巡りの週末が続くことになりそうだ。



2012.11.01:メーカー住宅私考_18
−ユニット住宅の夢
※1
建設省,通産省,建築センター共催により1970年に実施された、住宅における工業化工法の先導モデル提案事業。
112社から145件の応募があり、集合住宅10件と戸建住宅7件が採択。 入選作は、関東と関西で実際に施工・分譲が行われた。
集合住宅に関し、関東地区では千葉市内にて施工され、いずれも現存する。
戸建住宅は東京の高島平にて施工されたと関連資料にはあるのだが、場所の特定や存否は確認出来ていない。

今年の4月、エス・バイ・エル(S×L)とヤマダ電機の資本提携が話題になった。 提携以降、ヤマダ電機の新聞の折り込み広告等に家電製品と並列して同社の住宅が載せられる状況は、かつては想像も出来なかったことだ。
そこに載せられているモデルは、いずれも木質パネル組立工法によるもの。 同社は、その草創期から同工法を基本に事業を推進してきた。

しかし、並行してユニット工法を開発、商品化していた時期もある。
1970年5月に同工法を用いたコボリコンボスU-70とP-70を開発。 パイロットハウス技術考案競技※1に応募している。
そして翌年、1971年6月にはコボリコンボスP-71を発売。 ユニット系住宅として国内でもっとも早く商品化された積水化学工業のセキスイハイムM1の第一号モデルハウスが公開されたのが1971年2月であることを鑑みるならば、コボリコンボスも草創期のモデルの一つということになろう。 ハコの組み合わせというユニット工法ならではのデザインを強調しつつ、ピロティを用いたインナーガレージの組み込みや、開口部廻りの袖壁や小庇の設置による外観の表情付け等、ハイムM1とは異なる方向性を見て取れる。
しかし、販売実績や後継モデルの有無については、今のところ調べきれていない。

写真1:
コボリコンボスP-71外観
  
写真2:
コボリコンボスU-22ハニー外観

これらのモデルとは別に、同年4月に開催された大阪国際見本市に、コボリコンボスU-22ハニーというプロトタイプモデルを出展している。
扁平な六角形断面のユニットを基本とし、斜面どうしを連結して亀甲状の全体架構を形成。 従って、スキップフロア形式が前提となる。 商品化モデルと同様にピロティ形式を採用しているが、その斬新さはプロトタイプならではのもの。
デモンストレーションという位置づけに特化しているためか、プランは134平米という広さにも関わらず2LDK。 一階に玄関と子供部屋。 その左側に接続するピロティ直上階には、LDKと和室、そしてサニタリーが配置されているものの、やや現実性に欠く。
それだけではない。 六角形断面であるために生じるユニット短辺方向の斜壁は、居住空間としては明らかにデッドスペースだ。 出展モデルでは、バルコニーや収納にあてがうことで空間処理を行っているものの、収納部は使い勝手や収容量の面であまり現実的とはいい難い。
更に、斜壁どうしを連結する形式上、防水面でも懸念が指摘できよう。 上階ユニットの斜壁水下が下階ユニットの頂部出隅と交わる。 その個所の止水性確保のためにどの様なディテールを採用しているのか。
あるいは、スキップフロアが前提となることも、プランニングに制約を課す。

しかし、それらの事項はデザイン的な斬新さの前では些事に過ぎぬ。
昨年、日産自動車がエネルギー自立型スマートハウス“NSH-2012”を発表した。 八角形断面の住空間をメカニカルな脚で軽やかに中空に持ち上げ、その下部を電気自動車収容用のピロティ空間とした構成。
その外観写真を見た時、即座にコンボスハニーを連想した。 案外、スマートハウスの一翼を担うV2H(Vehicle to Home)の枠組みの中で、コンボスハニー的な意匠が住宅デザインの一つの潮流となる時代が訪れるのかもしれない。
早過ぎたユニット住宅の夢は、40年の時を経て現実に向け覚醒するのであろうか。

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