日本の佇まい
国内の様々な建築について徒然に記したサイトです
町並み紀行
建築探訪
建築の側面
建築外構造物
ニシン漁家建築
北の古民家
住宅メーカーの住宅
間取り逍遥
 
HOME
雑記帳
2014.07−2014.08
2014.08.30:【書籍】マイホーム神話の生成と臨界
著者:
山本理奈

出版:
岩波書店

発行:
2014年2月27日

とある経済誌に当該書籍のレビューが掲載されていて興味を持った。 時を同じくして、知人が会社の蔵書として一冊購入したとの連絡が入り、それでは私も読んでみようかという気になった。
最寄りの大型書店に出向き、いつもの通り迷わず建築関連書籍のフロアに直行するが、それらしき書籍は見当たらず。 「おかしいな、ひょっとして書名を勘違いしているか」と知人に確認の連絡を入れてみたが、そうではない。 で、店内の検索端末で改めて調べてみると、建築のフロアではなく社会学のフロアに置いてあった。 なるほど、書かれている内容は建築論だけれども、その文章は社会学者による社会学的見地に則ったもの。 とんだ早とちりであった。
ということで購入、早速目を通してみる。

前半は、戦後の日本における住宅の型式として広く定着したnLDKの問題に関し論じている。
「51C型」「脱nLDK論」「規範的家族像」といったお定まりのタームが登場するのは、そのテーマの性格上やむを得ぬところ。 しかしこれらをベースに繰り広げられる言説は、既に上野千鶴子らが約十年前に展開していたそれの域を大きく超えるものとは思えぬ。
つまりは、「家族を容れるハコ 家族を超えるハコ※1」と「「51C」家族を容れるハコの戦後と現在※2※3」の二冊の書籍にて展開されたnLDKに纏わる議論。 前著においては、上野千鶴子のいつもの尖がったフェミニズム論に依拠したnLDK批判を、賛同者を取り巻きに派手に展開。 その批判の矛先として大いに「51C」を叩くといった内容。
続編という位置づけの後者の書籍は、その議論への異議申し立てとして、51C型の開発者も参戦して更に突っ込んだ議論がなされたシンポジウムの内容が収録されている。 というよりも、51C型開発者である鈴木成文の独断場といった雰囲気。 すっかりやり込められて、しをらしくなった前著の議論参加者たちの有様がなかなか読み物として面白い。
いや、そんなことよりも、私も自身が受けてきた建築教育の中で何の疑問も持たずにその様に理解していたnLDKのオリジンとしての51C型という考え方の根本的な間違いについて、鈴木成文の解説は極めて明快。 目から鱗が落ちる思いであった。
本書においては、これらの議論の枠組みを超えぬ範疇で作者の言説が展開し、そして最終的に前掲の三つのタームの関係性について、先の二つの書籍で組み立てれた構図を鮮やかに反転してみせる。 そこに至る論説の組み立ては見事だけれども、それであったとしても十年前の議論を大きく超えるものとは思えぬ。

さて、本書の後半に入ると、話の進め方がやや散漫という印象が無きにしも非ず。 規範的家族像に纏わる堕児の問題や、ロラン・バルトの「神話作用」についての言及は、唐突感が否めぬ。 たとえそれが、その後に続くLDK論への伏線なのだとしてもだ。
そのLDK論において著者が展開するLDとKの分化についての言及も、腑に落ちる人は少ないのではないか。
今のトレンドは明らかにLDKの可能な限りの一体化である。 そんな実態とはかけ離れた自論を根拠づけるためのサンプリングにも疑問を持つ。 なぜ、タワー型マンションなのか。 東京都内都心部においてこの形式の超高層マンションの着工件数が伸びているのは事実だが、しかしそれは都心に限った話。 都下を含め、広域を見れば、未だに板状箱型の中層マンションが大半を占める。
ここで著者がタワー型マンションを自論の根拠づけにあたっての対象に選んだ理由。 それは、この形式に限っていえばキッチンの位置づけが分化の傾向にあるからだ。 しかしそれは、市場ニーズに呼応したものではなく、タワー型マンションが持つ構造的な制約から止む無く生じている状況。 つまり、バルコニー側一面しか外皮となり得ぬ住戸が多い中で、通風と採光が必要な居室を外皮に面して優先的にレイアウトする必要性。 結果、キッチンを含めた非居室用途はそれらから切り離され、外皮から奥まった残余の部分に配置せざるを得ぬ。 そんな制約の中で、LDとキッチンの分化が生じやすい。
であるとするならば、トートロジーが言説の行間に見え隠れする。
それが違うと言うのであれば、タワー型超高層マンションではなく市場の大多数を占める板状中層マンションの最新事例で同様の調査を実施してみればよい。 住戸という閉域において、家族の絆を演出する共有の場として、LDKはよりオープンに繋がる商品企画の傾向が顕著である。

もう一つ、市況動向として価値判断の対象がプランからマテリアルに移行しているという言及について。 そのシフトは、果たして購入者の嗜好を反映させた結果なのか。 私は違うと思う。
nLDKという枠組におけるプランの定型化が極度に進み、今や間取りで競合物件との差異をアピールすることは難しくなっている。 そのため、商品の差別化の手法としてマテリアルに走っているというのが実態ではないか。 つまりは、購入者側の嗜好とは関係ない供給者側の事情である。

ということで、本文全般にわたって腑に落ちぬ記述が散見されるという印象を持ったまま読了することと相成った。

※1

著者:
上野千鶴子

出版:
平凡社

発行:
2002年11月25日

※2

著者:
鈴木成文
上野千鶴子
山本理顕
布野修司
五十嵐太郎
山本喜美恵

出版:
平凡社

発行:
2004年10月1日

※3
「「51C」家族を容れるハコの戦後と現在」の中では、nLDKという間取り形式が脈々と採用され続ける理由に関し、林昌二が実に興味深い指摘を行っている。 つまり、購入者側にとっても、後に手放す際に売り易いか否かという価値判断が働く。 そうなると必然的に平準的なnLDKが選択されるというもの。
これは実に的確な指摘で、供給者サイドの事業判断の組み立てを前提に進められていた議論に一石を投じるもの。 この指摘に対する議論は、同書の中では進まなかったし、あるいは本書においても言及が無い。 この点について社会学的見地からの研究ってされていないのでしょうかね。
2014.08.24:メーカー住宅私考_46
和装する鉄骨住宅


内観、和室の事例。
踏込み床を矩折りに廻して黒塗り(ウレタンか?)の地板一枚のみを渡した床の間と書院の設え。 その書院部分は刃掛けで納められている。 更には竿縁を吹寄せに組んで照明器具を組み込んだ天井の扱い等、簡素に品良くまとめられている。

積水ハウスが1983年4月に発表した「数寄屋」。
このモデルは、当サイト開設の構想段階から「住宅メーカーの住宅」のページに載せようと候補に挙げていた。 同ページに登録するモデルには八文字のサブタイトルを付けるという全く意味のない自主ルールを当初から設けている。 だから、このモデルについてもその方針に則りタイトルを考えていたのだけれども、それが今回用いた題名。
ということで発売当初から気になっていたモデルではあるのだが、しかし結局書く内容が思い浮かばず、サイト開設以降八年が経過した今になっても登録に至らないのはおろかページ自体の作成着手にも及んでいない。
それがなぜかと言えば、完成度が高過ぎて書くことも無いということなのかもしれぬ。 凡百の工務店や設計事務所などよりもよっぽど巧みに和の雰囲気を表現し得ていることは、写真を見て頂ければ明らか。 そのことに関し、これ以上の何の言及の余地もない。 敢えて言えることとなると、それが軽量鉄骨を用いたプレハブ構法によって実現されたものであるという点のみだ。

その驚嘆すべき様式の再現性を獲得するに当たり、例えば外部に表しとなっている木部に関しては常に竣工から半年程度を経た状態のテクスチャーを長く維持するよう化学的な処置を施していたという。 本来の木の使用方法としては邪道なのかもしれぬ。 しかし工業化住宅として考えた場合、それはそれでアリだろう。
そのような技術的な配慮を駆使した完成度の高いモデル。 しかしやはりそれだけなのだ。
私自身の個人的な嗜好としては、その様な様式の再現性に係るデザイン力の高さよりも、構法に纏わる諸条件の中でそのことを逆手に取ったプレハブならではの意匠を実現したモデルの方に強く魅力を感じる。
例えばその代表格といえば、かのミサワホームO型ということになる。 O型は、住宅の工業化という命題の中で今までに無い全く斬新で秀逸な意匠を創出し且つ商業的に成功した稀有の“作品”だ。

話を「数寄屋」に戻す。
本文中に引用した画像は、静岡県三島市松本町に開設されているSBSマイホームセンター三島会場内にかつて建てられていたモデルハウスの外観になる(当時の名称は、三島マイホームセンター)。
切妻と入母屋を組み合わせた屋根のプロポーションや、土庇がもたらす深い陰影とその中にスッと立つ柱のコントラストが美しい。

2014.08.19:【書籍】イギリスはおいしい
著者:
林望

出版:
平凡社

発行:
1991年3月11日

夏期休暇は、いつもの通り北海道の実家に帰省。 お盆の寺廻りを済ませれば特にやることもない。 午前中は庭の草むしり。午後は近場の閑散としたプールで泳いだり、STVの「どさんこワイド」なんぞを観つつ道内産の白ワインを飲んで和む毎日。 あるいは書斎の本棚に眠る書籍から適当に選んで読み耽る等、ゆっくりと過ごす。
表題の書籍は、そんな一冊。 しかし、そのタイトルとは裏腹に、書かれている内容はイギリスの食事が如何に不味いかといったもの。 その不味さを主軸に据えつつ、当地の様々な生活習慣や心温まるエピソードが小気味よく綴られている。

食に関連したこととなると、イギリスの場合PUBは外せまい。
しかし著者は酒が飲めぬ方らしい。 きっと若かりし頃は飲めぬが故の苦労が絶えなかったに違いない。 実際、そのことについては本文でも少し触れているものの、それにしてもそのトラウマから来ているのであろう酒および飲酒行為に対する憎悪は凄まじい。 書籍の後半に書かれているPUBに関する文章の中からちょっと引用してみると、

“なかんずく、日本の酔っぱらいを憎むことは、あたかも親の敵の如くであって、宴会、酒席、ことに放歌高吟して、路傍にたむろし、厚化粧の下らぬ女の色に惑い、または電柱に放尿し、甚だしきは反吐を撒き散らし、朦朧たる酔眼猩々の如き赭顔にクサい息で人にからみ、果ては家を破り、身体を損ない、千外万毒一つとして取るべきところがない。”

といった具合。全く容赦ない。
ま、酒飲み=酔っぱらいというコトでも無いのでしょうけれどもね。 あるいは、著者の周囲には酒乱しかいないのだろうか。 酒には良い面もあれば悪い面もある訳で、悪い面ばかりを殊更に見てしまうとこうなってしまうのかな。
でも、

“一たび酒を口にするや、たちまちに時間の観念を失い、三時間五時間、遂には夜の明けるのをも覚えず、切も無く蝶々とする事共は、ほとんど意味のないタワケ言で・・・”

という下りには共感できますかね。
仕事関連での宴席などはどちらかというと苦手で、長くて二時間、一次会までが基本的に限度ですね、私の場合。 それよりは、休日の昼下がりに空でも見上げつつ独りでゆっくりと自宅で飲むひと時が至福であったりするのですが。 ・・・って、本書の主題とは関係の無いことだな。
ま、あまりにも極端な文章だったのでついつい。

ところでこの本、料理を主題とし、なお且つその料理の不味さについて書かれているのだから、単純には「イギリスの料理は不味い」というタイトルになろう。 勿論そんな題名では売れないだろうから付ける筈も無いが、それにしても「料理」あるいはそれに類する単語がタイトルに使われる訳でもなければ、更には「不味い」ではなく「おいしい」と来ている。 それがなぜかと言えば、本文の最後に記された一節で鮮やかに示され、心地良い読了感を与えてくれる。
フム、居住地近傍にある英国風PUBと謳う店(チェーン店だけど・・・)で、フィッシュ・アンド・チップスをほうばりつつビールを呷ってみたくなってきた。

2014.08.08:円形校舎
※1

近年解体された円形校舎の例。
習志野市立津田沼小学校の旧建物。 二棟の円形校舎にて構成されていた。
老朽化を理由とした建替えに伴って2012年に除却。

※2
勿論、坂本鹿名夫以外の設計に拠る円形校舎の事例もある。

少し前に「徘徊と日常」のページにも書いたが、札幌に隣接する江別市の江別第三小学校が市内の小学校の統廃合に伴う建て替えのために解体される予定だという。
その普通・特別教室棟は、坂本鹿名夫の設計により1957年6月に完成した円形校舎。 同校のサイトを見ると、この円形校舎のことを独立したページを設けて紹介しており、愛着が持たれている様に読み取れる。 だから、この学校に関しては円形校舎が何らかの形で恒久的に存続するものと思っていたので少々残念ではある。

これを機に調べてみると、国内各地の円形校舎について、取り壊されるかあるいは取り壊しが予定されている旨を掲載したニュースが散見される※1
江別第三小学校と同様の少子化に伴う閉校や統廃合といった事情のほか、耐震性や老朽化への懸念もあるのだろうか。 何せ、円形校舎の多くは一時期に集中的に建てられ、その殆どが既に竣工から半世紀を経ている。
あるいは、ほんの一時期興隆した様式としてほぼ一個人の建築家による手法の洗練のみで完結した学校建築の特殊解といった面も影響しているのかもしれぬ※2。 様式としての広がりを見せなかったのは、均等性が求められる教育現場に対して形態的な特殊性が相容れぬ面もあったのではないか。

しかしながら、その特異な形態は、例外なく地域のランドマークとなっていた様だ。 否、外観だけではない。 いわば坂本様式ともいえるその円形校舎の屋内中央に必ず用いられた螺旋階段がもたらす求心性と象徴性は、なかなかに得がたい魅力をもって卒業生や在校生の記憶に深く刻み込まれてきたことであろう。

さて、行く末が何となく暗澹たる円形校舎であるが、例えば北海道内に限って見てみても、旧小樽市立石山中学校や美唄市の沼東小学校等、閉校このかた新たな利用方法が見い出されぬまま取り残されている例もある。 沼東小学校はまだ実見には至っていないが、ネットに公開されている画像を閲覧すると、その最上階中央の円形ホールは極めて美しく、放置され朽ち果てなんとする境遇にあることはとっても惜しい。
一方、他の地域の事例を調べると、別の用途に変更されて有効活用されているものも僅かながらある様だ。
有効活用例と放置状態にある円形校舎それぞれについて、今後の動向に少々気に留めてみたいと思う。

2014.08.04:メーカー住宅私考_45
和洋折衷のツーバイフォー

和風を目指したツーバイフォー住宅について7月22日に書いた。 これとは別に和洋折衷のモデルも事例がある。 1984年4月28日に三井ホームが発表した「プロヴァンス」だ。

右がその外観写真。 屋根面に葺かれた和瓦や、虫籠窓を連想させる二階部分の縦長窓の配列などからは、確かに和風の印象を見い出せる。 一方、急勾配の屋根自体はヨーロッパ(と一括りにすると大雑把だが・・・)の古民家を連想させる。
そんなところで和洋折衷が巧く外観に表現されているとは思うが、しかし「プロヴァンス」をイメージされる方はどの程度いらっしゃることだろうか。 あるいは、そもそも「プロヴァンス風」なるものが極めて曖昧ではある。
当時の同社は、1978年に発表した「ウィンザー」や「マッキンレー」を皮切りに、「モンブラン」や「ローザンヌ」等、商品名に地名や地域をあらわす名称を多く用いていた。 でもって、それらがその地域のイメージを内外観に明解に顕わしているかというと、結構微妙だ。
個々のモデルの内外観デザインについて高い完成度を持ちながら、しかし名称の点で腑に落ちぬ。 それが当時の同社のラインアップといえそうだ。
但し、そういった何らかの具体的なイメージを内外観全体のデザインに反映させた商品化住宅がハウスメーカーから発表され始めた極々初期の段階において、同社の商品構成は他を圧倒していた。 あるいは、そういったモデルを意識的に開発することに最初に取り組んだのが同社であったと言えるのかもしれぬ。

同社では、このプロヴァンスに先立って1982年にチューダーヒルズを発表している。
このモデルについてはこのシリーズで既に二回取り挙げているが、プロヴァンスと同様に様式の折衷を指向したもの。 こちらが欧米の二つの様式の融合によるオリジナルな洋館に徹しているのに対し、プロヴァンスはどちらかというと和の要素が強い。 しかもインテリアは、民芸調。
ツーバイフォーという欧米由来の構法を用いて洋風指向を全面に押し出していた同社の当時の動向の中に在って、洋風の要素を組み込みつつ和風住宅を目指した商品。 それが、このプロヴァンスということになりそうだ。

2014.07.28:セゾン美術館


同美術館でかつて開催されたベルリン・アート・シーン展のカタログ(左)と、アンゼルム・キーファー展のチラシ。

JR池袋駅の東口広場に面して、西武デパートの長大な建物が南北に連なる。 その南端に建つSMA館と名付けられていた棟の一階と二階部分に、かつてセゾン美術館が設けられていた。
デパートの中の美術館といっても侮れぬ。 広大な展示空間を誇り、展示室としての天井高も十分。 予算も潤沢で、キュレーターも凄腕がそろっていたのでしょうかね。 企画される展覧会は、何かと興味をそそられるものばかりでした。
しかも、東京で仕事をするようになって最初の数年間は板橋区に住んでいた。 同美術館へは徒歩で約25分の距離。 セゾン美術館の結構近傍に住んでいるというシチュエーションが、上京したばかりの身にはなかなかステータスに思えておりましたか。 そんな錯覚に酔いしれながら、結構足繁く通ったものだった。

一般的に美術館というと、通常は敷地外からプロムナードを通って館内に至るまでの空間演出に十分に意が払われる。 しかし、セゾン美術館は商業施設内に位置するということでその点はどうしても貧相な感が否めなかった。 ホワイエ的な空間に水景施設を設けるなど、それなりに意は尽くされてはいたけれども。
そんな設えを補完するかの様に、同じ建物内の地階には美術専門書店「アール・ヴィヴァン」が陣取り、アート鑑賞後の余韻に浸る場としてはナカナカよかった。
ところが残念なことに、同美術館は1999年に閉館。 今現在は、「SMA館」改め、単に「西武別館」となり、テナントとして入っている無印良品の看板が出入り口直上にデカデカと掲げられている。 その場所がセゾン美術館であったことを知っている者としては、少し寂しくもなる。

2014.09.18:森美術館

六本木ヒルズの主要施設である森タワーの最上層に載冠する森アーツセンター。 その中核をなす森美術館。
超高層オフィスビルの最上階フロアを展望施設と美術館の用途にあてがうという発想は、森ビルにしか出来ないことであろうし、それを実現してしまうのも森ビルだからこそ。 結果として、「東京ならでは」という点において他の追随を許さぬ美術館がそこに誕生し、既に十年余が経過する。
その展示空間は、直接ないしは隣接する展望室を介した屋外への眺望が所々に開け、壮大な都心のパノラマを拝むことが出来るところが何とも嬉しい。 夜10時まで開館しているというのも嬉しい。 更には、都市そのもの、あるいは都市的なものをテーマとした企画が多いのも嬉しい。

開館して最初に行われた企画展「世界都市 ― 都市は空へ」に何度も通ったことは以前もこの場に書きましたか。
展示されていた精巧な都市模型は見事で、何度でも鑑賞する価値があった。 と同時に、その企画展が森ビルが展開する都市再生事業の正当性について高らかにプロパガンダする場でもあったことを、見落としはしなかった。
でも、そんなプロパガンダにまんまと乗っかり、同展覧会で上映されていた映像作品「東京スキャナー」のDVDを購入。 押井守監修によるスピード感あふれる東京都心部の空撮画像はすこぶる秀逸で、今でも時折鑑賞します。

その後も同美術館は何度も訪ねている。 興味深い企画が多いし、仕事帰りに寄れるというところも大きい。 そして何にもまして、森ビルが六本木ヒルズを構想するにあたって掲げた「文化都心」の実現形を存分に堪能出来る愉しさが、そこには在る。

この美術館に関して敢えて不満な点を示すならば、帰路がちょっと侘しいこと。
美術館を後にし専用エレベーターで地上階まで降りると、その先は暗くて狭くて素っ気ない内部通路が暫し続く。 そしてこれまたせせこましいミュージアムショップの脇を抜け、エントランスホールの裏手に出る。
天空に浮かぶ夢の文化拠点から一気に地上の現実に引き戻されるという事実が露骨に空間に顕れており、余韻も何もありはしない。

2014.07.22:メーカー住宅私考_44
和風ツーバイフォー

※1

岩谷ハウスがツーバイフォーを用いて商品化した「新数寄屋」の外観。

ハウスメーカーが発表するツーバイフォーの商品は、その草創期から殆どが洋風である。 和風を全面に押し出したモデルというのは、あまり印象が無い。

そもそもが欧米で発達した構法技術であるから、洋風モデルという流れは自然ではあろう。 この構法の日本語表記は「木造枠組壁構法」。 つまり壁式構造である。 だから、主に軸組み構造によって意匠を洗練させてきた歴史的背景を持つ和風建築とは相容れない面もあるのかもしれぬ。
しかし、もちろん壁式の伝統もある。 あるいは木質パネル構法を用いているミサワホームが美しい和風住宅の事例をかつて多数発表していたことをどう説明したらよいかということになってしまう。
つまり壁式で和風のデザインが無理ということにはならない。

では、そんな事例が全くないのだろうかと探してみたら、ありました。 岩谷ハウスが1979年に発表した「新数寄屋」※1。 その名称からして、和風を指向したモデルなのであろう。 その外観写真は、左に引用した通り。 自由設計なので、あくまでもひとつの例ということになろう。
さて、果たして和風にみえますかどうか。 瓦葺きの切妻屋根を幾重にも連ねた外観は、確かにそれらしさを目指そうとしたのであろうことは理解できる。 門構えも然り。 但し、柱や梁等の軸組構造風のあしらいが一切無い。 つまり大壁造り的な意匠。 そして開口部も少ない。 結果、和風と認識するにはやや無理がありそう。 例えば屋根葺き材やエクステリアの設えを洋風にすれば、これは即洋風モデルになるのではないか。
ま、であったとしても、外来工法を用いて和風に挑戦した面白い事例ではある。

2014.07.12:INAXスペース札幌

学生の頃、札幌に住んでいた。 当然ながら金の無い身分。 それでも時折文化的な気分に浸りたいとなると、無料で入場可能なギャラリーに行くのが手っ取り早い。
ということで、市内在住中はしょっちゅう同ギャラリーに足を運んでいた。 否、それでなくても建築関連の興味深い企画が頻繁に開催されておりましたから。

当時は、今現在の場所ではなく南2条西二丁目に同社のショールームがあった。 その一角の狭隘なスペースにギャラリーが設けられていた。
確か、床も壁も天井も黒づくめ。 隅の目立たぬところにCDラジカセを忍ばせ、スティーブ・ライヒの「オクテット」を延々と再生。 BGMがわりにしてギャラリーとしての雰囲気を取り敢えず整えておりました。

私は基本的に蒐集癖は無いのだけれども、同ギャラリーで開催される企画展の案内ハガキは結構集めていた。 かつて溜め込んだものは今でも手元に残っている。
また、ブックレットも製作されていて、それも十数冊購入している。 例えば、石原正へのインタビューや製作の様子、そしてその作品を載せた「鳥瞰図絵師の眼」。 解体される近代建築のカケラを集めた一木努のコレクションを紹介する「建築の忘れがたみ」。 明治からポストモダン期までのユニークな校舎建築を紹介した「学校建築の冒険」等々、ギャラリーの展示に連動して編纂されたその内容は極めて多彩。 しかも決して侮れぬ深い内容。

東京に引っ越してからも、銀座にある同社のショールームに併設されているギャラリーには結構足を運んだ。 建築関連の書籍を販売するコーナーも設けられていて、結構利用しましたかね。
でも、名称がLIXILギャラリーに変わってからはまだ訪ねていない。 それに札幌のギャラリーも随分前に閉鎖されてしまった様だ。

2014.07.08:記録としての断片
※1

スクラップして保管していたチサンホテル名古屋の外観写真部分の裏面。

7月5日に建築探訪のページに名古屋市の大栄ビルヂングを登録した。 その際、併せて既に登録済の同じく名古屋市内に立地する「チサンイン名古屋」に関し、画像を一枚追加した。
約三十年前の同ホテル(当時の名称は、チサンホテル名古屋)のリーフレットに載せられた外観写真だ。 当時、別の地に建つ系列ホテルに宿泊した際、入手したもの。 そこのフロント前に、全国各地のホテルチェーンのリーフレットが置かれていたのだ。 その中で、特にチサンホテル名古屋の外観デザインが気になって手に取った次第。
長らく手元に有ることを忘れていたのだけれども、別件の資料を見るために押入れの中を探していたところ、たまたま出てきた。

この三十年間、幾度か引っ越しを繰り返している。 にも関わらず捨てることもなく残っていたか・・・と、やや感慨深く思うものの、しかし喜びは半分。 なぜなら、保管していたのはリーフレットそのものではなく、外観写真分のみを切り取った、いわば断片。
十代の頃の悪い癖で、パンフレットであれ何であれ、とにかく気に入った部分のみを片っ端からスクラップし、あとは捨て去ってしまう。 例えば、当時収集していたハウスメーカーのパンフレットも同様。 従って、奇跡的に手元に残っている当時の資料の殆どは、切り刻まれたモノばかり。 しかも、クリアファイルに無造作に突っ込んであるだけ。 全く整理されていない。
ま、ハウスメーカーのパンフレットに関しては、膨大なコレクションをある時期一挙に捨て去ってしまうという取り返しのつかぬ愚行に走ってしまったことは、以前もこの場に書いた。 その愚行から逃れて今現在に至るまで物理的に存続してきたパンフレットの断片に混じって、このリーフレットのスクラップが出てきたという次第。
であるからして、断片とはいっても貴重なモノであることは言うまでもない。

勿論、貴重なものという位置づけは、物理的に存在しているという事実のみではない。 そこに、写真という形でかつての当該建物の外観が記録として印刷されているということにも価値が見い出せる。
当時の外壁は、今現在のそれとは異なり白一色だったのだ。 既に同ページに引用している航空画像からもそのことは明らかなのではあるが、それを補完する画像として、同外観写真も載せることにした。

こちらにも同じ画像を載せようかと思ったが、それでは芸が無い。 従って、その外観写真の裏側の印刷面を載せることにしよう※1
裏側の方には、チサンホテルのマークと名古屋駅界隈を捉えた写真の一部分が確認できる。 その名古屋駅も今は大きく姿を変え、そしてそこを往来する新幹線の車体も変化した。
ま、今は無き過去の風景の記録と言う意味において、こちらもそれなりに価値はあるでしょうかね。

2014.07.01:5番目の出会い
※1
ちなみに、二件目のG型の実在情報については、これも冒頭で述べた知人よりもたらされた。 TVドラマの背景の中に偶然発見。
これについては、2008年6月14日の雑記に記している。

※2
時代の流れといえば、昨年偶然見掛けた三件目の建築事例は、リフォームによる改変が著しい状況であった。 これも、経年ゆえにやむを得ぬことではあろう。

その情報は、知人のブログによって突然にもたらされた。
ミサワホームが1978年に発表した超高額稀少モデル、ミサワホームG型が中古住宅販売サイトに登録されているという。 ページにアクセスしてみれば、確かにそれは見紛う事なきG型。 築31年を経ながらも、旧態を良く留めている様だ。
掲載されている間取りや写真を確認すると、水廻りを含めて一部に改修は加えられているものの、大切に住まわれ続けてきたことが見て取れ、ちょっと嬉しい。 そしてそれらの写真は、同社の販売資料などに掲載された公式写真とは異なるアングルの内外観が捉えられており、極めて貴重だ。

販売価格は3000万円強。
それがG型であることを鑑みるならば食指が動かぬ訳でも無いが、立地があまりにも今の私には縁遠い。 取り敢えずは、価値を理解されている方に住み継がれることを願うしかない。

思えば、中学生の頃の夏休みに札幌の住宅展示場で初めて観る機会を得て以降、このモデルに接するのは今回でようやく五件目。
今回と同様、今年に入ってから得た四件目の実在情報も、中古住宅販売サイトからであった※1。 同モデルが発売されて三十年を超える。 昭和の住宅産業史に燦然と輝く孤高の工業化住宅が、他の無数の中古住宅情報に混じって市場に流通するというのは、時代の流れなのであろうか※2
今後、同様の情報が類似サイトにて確認される可能性は益々高まるのであろう。 当然ながら、それを追うことは川底から金を抽出するが如き難作業。 それでもなお、日本のどこかに旧態を良好に留めて実在するかもしれぬこの稀少モデルとの偶然の出会いを、独りささやかに期待し続けたいと思っている。

アーカイブ

・次のログ
2014.09-

・前のログ


NEXT
HOME
PREV