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雑記帳
2014.09−2014.10
2014.10.25:【書籍】夢のまたゆめハウス
著者:
石山修武

出版:
筑摩書房

発行:
1998年5月

石山修武について、建築作品は何が良いのか理解出来ぬが文章は嫌いではないと前回書いた。 例えば、かつて青銅社から出版されていた月刊誌「建築」に若かりし頃の氏が連載していた「異形の建築」であるとかプレハブに関する文章は、尖がっていて読んでいて面白い。 あるいは、氏のブログ「世田谷村・スタジオGAYA日記」を読んでいると、文章を書くことが好きな人なのだなということが良く判る。

ということで、図書館除籍本として最近たまたま入手した表題の書籍を、何の前知識も無いまま読んでみた。
建築家による高尚な住宅論が展開されているものと思って読み始めると混乱することとなる。 いわゆる短編集だけれども、内容は徹頭徹尾、虚実ないまぜ。 御本人が手掛けた幾つかのプロジェクトの設計を行っている最中に想い描いた妄想を下敷きに文章化したものなのであろう。
しかし妄想はしょせん妄想。 自己完結した思考回路の閉域に成立する物語は、御本人や個々のプロジェクトの関係者、あるいは熱狂的なファンくらいにしか伝わりにくかろう。 だから、ファンではない私は、読んでいてもひたすら戸惑うのみ。
勿論、収録作品の中には、凄まじい世界観に溢れていていつのまにやらすっかり引き込まれているものも幾つかある。 でも、広げるだけ世界を広げておいて、その結末はいずれもとっても素っ気ない。 就寝時に見ていた夢の中での出来事が、全く収集つかなくなったところ(一般的には悪夢といいますかね)で目が覚めていきなり現実に振り戻されてしまった時の感覚。
これが小説家の作品ならば、たとえその様な妄想に依拠していたとしても、広げた風呂敷と散りばめた伏線をキッチリ回収してストーリーを締め括るべく推敲に推敲を重ねて文章を仕上げ、読者を唸らせるところなのでしょうけれどもね。 否、そんなことに頼らず期待もせず、そこから先について個々にイメージを膨らませて堪能する読解力こそが、この書籍の読者には求められるということのなのか。

ともあれ、建築の設計を行う過程においては、この書籍に書き連ねられている程の妄想の世界に自らを置くことが本来必要なのかもしれぬ。 やれ、コストだ納まりだ日程だと、実務的な事々の処理のみに追われている様では、大した建築をモノにすることなど望めぬということなのであろう。



2014.10.15:伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館とカサ・エストレリータのリーフレット。
※1
例えば、伊豆の長八美術館の方は、長八のオマージュとしての鏝絵作品が多数収められている。 一方のカサ・エストレリータの方は、彫刻家外尾悦郎のナシミエントと名付けられた彫刻が屹立する。 お互いに異なりながらも建築に纏わる特異な装飾という点に繋がりを求める居ずまいの在りように、不思議な調和のヒントが隠されているのかもしれぬ。

1984年竣工。 翌年、吉田五十八賞を受賞した作品。 設計は石山修武。
個人的に、この人の建築作品は何が良いのか理解出来ぬ。 文章は嫌いではないんですけれどもね。
ということで、90年代の初め頃に同美術館を訪ねたのは、この建物に特別な興味があったからではない。 折角上京したのだからとにかく有名建築を観て廻ろうという、今はすっかり失せてしまった前向きな気持ちからであった。

その美術館を真正面から見据えた際のファサードは、とっても端正で美しい。 でも、側面を観ると何やらガシャガシャした印象。 更には内観も形態操作が過ぎて落ち着きが無い。
やはりこの人の作品は良く判らないと思いつつ、しかし救いは隣接する民芸館「カサ・エストレリータ」の存在。 同じく石山修武の設計。
一瞥した印象ではお互い何の関連性も無い外観デザイン。 その異質さは、予備知識が無ければ同一設計者の仕事とは到底思えぬモノ。 しかし暫く眺めていると、なぜか異質感が徐々に薄れる。 更には、むしろ相乗効果を持って両者が互いの魅力を補完しあった奥深き風景を造り出しているという印象さえ漂ってくる。
凡庸な設計者であれば、高評価を受けた作品に隣接して自身の手で別の建物を計画することとなった場合、統一感のあるデザインで調和を第一に考えることだろう。 しかしここにはそれは一切無い。 異質なものをどうしをぶつけ、それでいて不思議な調和が醸し出されている。
これは一体どうしたことか※1。 この辺りに同氏の設計手法の秘密を見い出せるのかもしれぬ・・・とか思いつつ、以降の作品においても「これは良いね」と思えるものが未だに無い。 重ね重ね、なぜだろう。

ちなみに、物産館にはカフェも併設されている。 そのテーブルには同建物を紹介するリーフレットが置かれていた。 石山修武のコメントも載せられていたように記憶している(今はどうなのだろう)。
建物管理者が、建築作品のこともしっかりアピールする姿勢がちょっと嬉しかった。



2014.10.09:環状交差点

道路交通法の改正に伴って、環状交差点の設置例が増えているという。 最近の日経コンストラクション誌の記事によると、今年度内の敷設計画は15県の49カ所にのぼるらしい。

環状交差点というと、私の場合すぐ思い浮かぶのが旭川市内の旭川常盤ロータリー。
旭川駅の北側に広がる市街地は、北海道内の他の都市と同様に街路が整形なグリッド状に形成されている。 その街路に対し、石狩川に架かる旭橋からの道路軸が45度の振れを持って交わる部位が六叉路となっており、円滑な交通処理のために同ロータりーが敷設されたのは1936年。
円環中央の交通島にはシンボルタワーが建てられ、都市の景観にメリハリを与えている。

数年前に旭川を訪ねた際、駅前の観光物産情報センターで借りた自転車に乗ってこのロータリーを通ってみた。
その際の印象は、この形式の交差点は自動車の通行には都合が良いのかも知れないけれど、徒歩や自転車に対しては不便そうだといったもの。 単に直進したいだけなのに、ロータリーに沿って迂回しつつ、更にはそこに流入する道路ごとに信号待ちに引っ掛かったりする。 勿論、これは私が慣れていないせいかもしれぬし、あるいはロータリーの規模にも拠ろう。
果たして今後、環状交差点の設置例は更に増えるのであろうか。 そして、その整備は都市の景観に影響を与えることになるのであろうか。

都市景観という観点から言えば、岡山市内において計画され途上で断念された環状交差点の名残は、市街地に興味深い風景を造り出している。 このことに関してはまたいずれ、その交差点に面する建物と共に言及してみたい。



2014.10.05:付属小屋の再臨
関連サイト:

日本初!小屋展示場OPEN by SuMiKa

※1
勉強部屋等の用途に供する想定のもと、母屋に付属して庭先に設ける別棟として商品化された鉄骨系のプレハブ小屋。 1959年10月に大和ハウス工業より発売。 国内の住宅メーカーが手掛けたプレハブ構法を用いた商品の先駆けと位置付けられている。

建設関連総合情報サイト「ケンプラッツ」にて、“日本初の小屋展示場、都心で買える「最小限の家」”という見出しが目に留まった。 10月4日から13日までの期間限定で、虎ノ門に個々に趣向を凝らした14棟の小屋を公開する展示場を開設するという。
しかしながら、タイトルの中に「小屋」と「家」という言葉が混在しているところに戸惑いを覚える。 というよりも、小屋と家の違い、あるいは家とは一体何かということを改めて考えさせられることとなる。

例えば、展示されているモデルには生活に必要な水廻りの設備の類いが極一部を除き装備されていない。 その機能に関しては他に依存するしかない。
しかし、今日の日本の殆どの家にはそれらの設備が組み込まれている。 だから、それらが欠落した今回の展示モデルは果たして「最小限」の「家」なのか?と戸惑ってしまうこととなる。
一方で家を定義付けする際に水廻りの設置が必須ではないことは、海外の様々な居住形態を見ても明らか。 否、国内とて、同様の住まいの形式は多様に存在する。
何を持って家とし、そして小屋と定義づけるのか。

ともあれ、設備機器等の諸機能をコンパクトに内蔵した最小限住宅の類いをイメージして同展示場に赴くと肩透かしを食らうこととなる。 そこに展示されているものは、単純には「家」ではなく文字通り「小屋」なのだ。
例えば、家の機能を完備した母屋に付属するプラスアルファの個室としての小屋。 そういった意味では、かつて大和ハウス工業が商品化したミゼットハウス※1を髣髴とさせる。
半世紀以上の時を経て、ミゼットハウスの時代が再来するのだろうか。



2014.10.01:メーカー住宅私考_48
−Palcon Switch AXL

このシリーズの前の回で、2003年にミサワホームが発表した「SUKIYA」について述べた。
このモデルは今現在も、「CENTURY SUKIYA」という名称で同社のサイトに載せられている。 発表当初の正式名称は、「it's MY STYLE「SUKIYA」」。
この年、同社ではこの「it's MY STYLE」というブランディングのもと、“コンセプト・オーダー住宅”なるものを提唱し怒涛の如く新商品を発表した。 その第一弾は、同年4月4日発表の「O-type kura」。 続いて「庭の家」や「FORMAL U」等々、それぞれに趣向を異にするモデルが多数出揃った。
しかし、広告などでそれらを見て良いなと思ったモデルは少ない。 せいぜい、前回書いた「SUKIYA」か、あるいは「HYBRID KURA」というモデルくらい。 他のものは今一つピンとこなかった。
例えば「O-type kura」は、その名が示す通り同社のかつてのロングセラー商品にして昭和の住宅史に刻まれる名作「ミサワホームO型」の係累的な位置づけ。 しかし、踏襲しているのは田の字型を基本とした間取りの骨格のみ。 O型はそのことのみで語り得るものではないのに、当事者がその上澄みの一部だけを掬い取ったモデルを発表した挙句O型と呼称してしまう辺りに、昔の栄光をもう一度という痛々しさと安易さが感じられる。 ということで、どう見てもO型では無いモノのをO型と称して売っているといった程度の印象しか持つことが出来なかった。
あるいは、庭との関係を重視した空間を提案したと謳いつつ、内外観からその工夫が全く読み取れぬ「庭の家」。 「FORMAL U」も、都市型住宅を指向しながら、その方向性が今一つ曖昧という印象の中途半端なモデル。
何だかこの様に書き連ねると、批判サイトみたいになってしまうけれども、そんなつもりは毛頭ない。 良いものは良いと、「住宅メーカーの住宅」のページにも別途たくさん同社の住宅について言及していますしね。
ともあれ、この年矢継ぎ早に出された各モデルの広告を目にした際、かつて80年代に同社の新商品発表の広告に接した時と同様の高揚感を得ることは無かった。

  

でもってようやく本題。 同じく2003年に大成建設(現、大成建設ハウジング)からPalcon Switch AXL(パルコン・スイッチ・アクセル)というモデルが発表された。
このモデルは二つの点で衝撃的であった。
一つは、このAXLを含めパルコンがとっても洗練された内外観を持つラインアップに大変貌していたこと。 1980年代半ば以降から2002年の末頃までの間、私はハウスメーカーへの興味を殆ど失っていた。 だから言わば浦島太郎状態。 パルコンと言えば、1970年に発表されて以降80年代前半頃までに展開していたモデルの印象しかなかった。 つまりは、かつての公団の団地の一部を切り取って戸建住宅にしたかの如き無味乾燥な鉄筋コンクリート住宅というイメージ。 それがいつの間にやら、PCa構法を活かしたコンクリート打放しを内外観に効果的に取り入れた洗練されたモデルに取って替えられ商品群に連なっている。 一体いつ頃この様な変貌を遂げたのだろう。 そんな驚きをもって、AXLの広告を見たものだった。
もう一つが、AXLそれ自体の面白さ。 田の字型間取りを基本にしつつ、その中央東西軸を貫通する部分の空間を拡張させ“インナーアトリウムガーデン”と位置付けたプランの骨格。 そこには、狭隘な都心部の敷地にあっても、光と緑と風をふんだんに住空間に取り入れようという設計思想が極めて明確に立ち現れている。
田の字型間取り、屋内空間への庭的な概念の導入、都市型住宅という指向性の明瞭化。 これら三点は、同年ミサワホームが発表した前掲の3モデルそれぞれが指向した内容と重なる。 つまりは、3モデル個々の提案を一つのモデルで鮮烈に実現してしまったという訳だ。

その特徴のメインとなるのは、やはり内庭的に設えられたエントランスホールであろう。
1.5間幅の吹抜けのボリュームが建物中央を東西に貫通し同空間を形成する。 東西両端はカーテンウォールとし、光をふんだんに取り入れるガラスの開口によって構成している。
規模に比して壮大なその内部空間に軽快な鉄骨階段を設けているが、ここでの昇降行為はとっても心地よい空間体験を日常生活にもたらすことであろう。 果たしてこのアトリウムは実際にどの様な使われ方をされるのだろう。 その想定を色々とイメージしてみるのも楽しそうだ。
問題は、巨大なガラスの開口であろうか。 カタログやモデルハウスの外観写真などでは、その開口は全て透明ガラスとなっている。 空間そのものの性格を鑑みれば当然の仕様選択ではあるものの、しかし実施においてはどうなのか。 プライバシーを考慮して型板等の不透明なガラスが採用される可能性も高かろう。 しかしその場合、空間の魅力は大きく損なう恐れがある。 つまり、住まい方や立地条件がこの空間の在り方に大きな影響を及ぼしそうだ。
あるいは、引用した外観事例の間取りでは、この壮大なエントランスホールに容積を食われ二階北側居室の面積にそのしわ寄せが及んでいる。 マーケットは単純には畳数表記の数字が示す広さで居室に対する価値判断を下す。 魅力的なホールの実現と居室面積の確保は限られた空間の中ではトレードオフの関係ではあるものの、果たしてマーケットはどちらに価値の重きを置くか。
そんな現実面での懸念事項はあるものの、それを超える魅力がこのモデルには在る。 80年代半ば以降のハウスメーカーの住宅で個人的に関心を持てるものは極めた限られていると少し前に書いたが、このALXはその限られたモデルの一つである。



2014.09.23:はじまりの街

休日。 東京メトロの一日乗車券を利用して気の向くままに都内各所を彷徨しているさなか、フと思いついてかつての居住地を久しぶりに訪ねてみた。
仕事のために上京して最初に暮らした街。 竣工と同時に入居した新築賃貸ワンルームマンションが、当時の状況を維持したまま現存するのは、築年数から鑑みてさほど驚くことでもない。 私が過ごした部屋は、今も別の人が住んでいる様だ。
そのマンションは、都内でも規模の大きい方に属するアーケード付き商店街に近接している。 なんだかちょっと懐かしいナ・・・、などと思いつつその商店街をそぞろ歩き。 国内の多くのアーケード付き商店街に見受けられるような閑散とした状況とは無縁。 通路は往来する人でごった返し、それぞれの店もそれなりに繁盛している様だ。
しかし、連なる店に対する記憶が全くをもっておぼつかない。 その設えからして、私が住んでいた時期よりも遥か以前からその場で営業を行っていたのであろう店舗も散見される。 しかし、「こんな店、あったかな?」などと少々戸惑ってしまう。

さもありなん。 その地域に住んでいたのは僅か二年。 その間、この商店街を利用することは殆ど無かった。
平日は初めてのことばかりの仕事に四苦八苦の連続。 恐らくは多くの新人がそうである様に、業務は毎日深夜に及び家には就寝のためだけに帰っている状況であった。 土日も出勤の必要に迫られることが多かったし、そうではない休日は折角東京に住んでいるのだからと色々な建築を観て廻ったりコンサートやイベントに出向いて楽しんだりと、居住地に留まっていることは稀であった。
だから、せいぜいコンビニや夜遅くまで営業している定食屋を利用する程度。 そんな馴染みの定食屋は殆ど姿を消していた。 唯一営業を継続していた洋食屋に久々に入り、かつて良く注文していたメニューを食しつつ、「いろいろな店が揃っているのだからもっと“地元”を愉しめば良かったな」などとしみじみ思う。
という訳で、上京して初めて暮らした街は、懐かしさは感じるもののディテールに関して記憶の乏しい場所となってしまっている。

そういえば、このサイトに登録している「住まいの履歴」の更新が全く滞っている。 別に、披露するほどの履歴でもないから滞っても当然といえば当然なのだが、登録済みの内容も時系列が部分的に欠けたまま。
東京に出てきてから暫くの間は、ワンルームマンションを転々としていた。 この手の居住形式については書くことがあまり思い浮かばぬ。
とはいえ、既に十分過去のこととなってしまったこの地で過ごした住居について、そろそろ載せるべく少し考えてみようかとも思う。



2014.09.18:森美術館

六本木ヒルズの主要施設である森タワーの最上層に載冠する森アーツセンター。 その中核をなす森美術館。
超高層オフィスビルの最上階フロアを展望施設と美術館の用途にあてがうという発想は、森ビルにしか出来ないことであろうし、それを実現してしまうのも森ビルだからこそ。 結果として、「東京ならでは」という点において他の追随を許さぬ美術館がそこに誕生し、既に十年余が経過する。
その展示空間は、直接ないしは隣接する展望室を介した屋外への眺望が所々に開け、壮大な都心のパノラマを拝むことが出来るところが何とも嬉しい。 夜10時まで開館しているというのも嬉しい。 更には、都市そのもの、あるいは都市的なものをテーマとした企画が多いのも嬉しい。

開館して最初に行われた企画展「世界都市 ― 都市は空へ」に何度も通ったことは以前もこの場に書きましたか。
展示されていた精巧な都市模型は見事で、何度でも鑑賞する価値があった。 と同時に、その企画展が森ビルが展開する都市再生事業の正当性について高らかにプロパガンダする場でもあったことを、見落としはしなかった。
でも、そんなプロパガンダにまんまと乗っかり、同展覧会で上映されていた映像作品「東京スキャナー」のDVDを購入。 押井守監修によるスピード感あふれる東京都心部の空撮画像はすこぶる秀逸で、今でも時折鑑賞します。

その後も同美術館は何度も訪ねている。 興味深い企画が多いし、仕事帰りに寄れるというところも大きい。 そして何にもまして、森ビルが六本木ヒルズを構想するにあたって掲げた「文化都心」の実現形を存分に堪能出来る愉しさが、そこには在る。

この美術館に関して敢えて不満な点を示すならば、帰路がちょっと侘しいこと。
美術館を後にし専用エレベーターで地上階まで降りると、その先は暗くて狭くて素っ気ない内部通路が暫し続く。 そしてこれまたせせこましいミュージアムショップの脇を抜け、エントランスホールの裏手に出る。
天空に浮かぶ夢の文化拠点から一気に地上の現実に引き戻されるという事実が露骨に空間に顕れており、余韻も何もありはしない。



2014.09.11:春秋会館
※1
外観写真



新潟県上越市を訪ねた。 訪問目的は、知人が御自身のサイトにて紹介していた表題の建物を観るため。
新潟県地域振興局庁舎に寄り添う形で建つ円形建物。 知人のサイトに掲載された外観写真は、撮り方も良いのかとっても興味をそそる。 しかしネットで調べてみても「春秋会館」という館名以外の建物詳細は良く判らぬ。 で、先週土曜日、母校の文化祭を久々に堪能すべく県内に出向いた際、上越市も訪ねてみた。
JR高田駅で貸し出している自転車に跨り早速一路目的地へ・・・、といきたいところだがなかなかそうはいかず。 駅前の商店街、何やら面白い(「美しい」ということではない)建物や景観要素が目白押し。 ついつい寄り道をしてしまい、なかなか目的地までたどり着けぬ。
とはいえ、当日は天気予報を裏切ってスコブル快晴。 晩夏のうだる様な暑さに体力を消耗し、街中徘徊はまたの機会にということで程々に留め、現地に向かう。

そして見上げた建物は左の写真の通り※1
ペントハウスを含めて四階建て。
円形の外壁に沿って同心円状にバルコニーが廻る。 この手のバルコニー手摺の場合、笠木は支柱間を直線とした多角形にて円を近似する場合が多い。 しかしここでは、しっかりと同心円の曲面で構成されている。 近くに寄って確かめてみると、笠木は各支柱ごとにジョイントされている。 恐らくはプレキャストコンクリート(PCa)製のもので、同じ曲面を伴う同形のパーツをいくつも別途製作したうえで現地にて繋ぎ合わせて円環を形成したのであろう。 天端外側に刳型を設け、内側の側面にテーパーを施した支柱もPCa製なのではないか。 その支柱を吹き寄せに組んで等間隔に並べることで、外観に表情とリズム感を与えている。
更には、屋上の分厚いパラペット側面にも柱スパンごとに縦長のスリットを設けることで、のっぺりとした印象を和らげると共に雨水排水管閉塞時のオーバーフローの機能も果たすのであろう。
外壁の殆どに用いられた連窓は大半がアルミサッシに交換されているが、一部には竣工時からのものと思われる木製サッシが付く。
車寄せを伴うエントランスを覆うキャノピーの形態も、その先端を支える柱の形状も意が尽くされている。

残念ながら当日は閉館していたため屋内を確認するに及んでいない。 エントランス扉のガラス腰に屋内を少し覗いてみるが、内観構成はよくわからぬ。

ということで、やはり興味深い建物。 何か来歴が判るものはないかと、定礎の類いを探すが見つからず。
それではと、近傍の市立図書館の郷土資料室に赴き調べてみることに。 とはいっても、この地を訪ねた目的は何もこの春秋会館を調査することだけではないのだから、取り敢えずは一時間という制限時間を設定。 その間に何も掴めなかったら諦めることにして、関連しそうな資料を片っ端から閲覧。
すると、昭和40年代の市の広報誌に高田駅界隈を紹介した簡単な鳥瞰図が掲載されいていて、そこにこの春秋会館が小さく描かれている。 但し、その表記は「春秋会館」ではなく「保健所」。
で、市史にて保健所について調べてみると、地域振興局庁舎に隣接して1964年8月に県立高田保健所が建てられたと書かれている。 そこで、開架書庫には置いていない昭和30年代の広報誌を閉架書庫から出してもらって確認すると、「市内初の円形建物」とする外観写真入りの紹介記事が見つかった。
という事と次第で竣工年と当初の建物用途は把握出来たが、設計者や施工社、あるいは建物の平面プラン等を特定するには至らず。 今後の宿題と相成った。
しかしこの円形建物の建設年も、国内で円形校舎などが興隆した時期と重なる。 恐らくは、建築潮流に纏わる新進の意識を持って、この建物が構想されそして建てられたのであろう。 隣接して一年前に竣工した地域振興局庁舎も、屋根のデザインがなかなか面白い建物だ。

円形建物つながりで、今回いろいろと調べる過程で分かった別のことを一つ。
県内の旧白根市庁舎(現、新潟市南区役所庁舎)の設計者は、円形校舎を多数手掛けた坂本鹿名夫とのこと。 1971年2月竣工で現存するけれども、円形ではありません。



2014.09.04:メーカー住宅私考_47
−広告写真と実物と

このシリーズで取り上げる住宅が昭和40年代から50年代に偏っていることは、私の興味の偏向そのものを示す。 その時代のモデルに関心が集中している一方、それ以降については現在に至るまで興味の対象となり得るものは極僅か。

その僅かな例の一つに、ミサワホームが2003年10月1日に発表した「SUKIYA」がある。
同年10月3日付けの主要新聞各紙に載せられた一面広告で初めてこのモデルを見知った時の印象はそんなに悪いものではなかった。 「古き正しきを新しく。」というキャッチコピーのもと、徹底的な和風住宅がそこに表現されている様に見えた。 間取りにしても、そして内外観デザインについても。
特に、洋間を一切排し和室のみを矩折に三部屋繋げた一階のプランにはシビレましたね。 もしも手元に金が潤沢に備わっていたならば、どこか片田舎に別荘としてこの「SUKIYA」を建てたい。 そして続き間の畳の上にゴロリと寝そべって外の風情を堪能しつつうたた寝なんて最高だろうな・・・。 そんな気にさせるモデルであった。

しかし、ここで「別荘」と考えているところが、このモデルに対する私の価値判断ということになる。 つまりは、日常生活の場としてこの和風住宅を住みこなせるかというと、全く自信が無い。
私の場合、風貌的にも体型的にも和服とか全然似合わないですしね。 あるいは、和食と洋食の選択を求められたら断然和食を選ぶのに何故か日本酒はあまり好きじゃないとか、どうも日本の伝統的なモノやコトに対する嗜好が中途半端。
否、こういった傾向は何も私だけではあるまい。 果たして「SUKIYA」を求めるマーケットは如何程か、と少々不安にも思った。

この年の11月、分譲中の同モデルを観に某住宅地を訪ねた。 本文中の画像は、その時に撮ったもの。
広告に載せられた内外観とほぼ同じものが建っていたが、やや違和感を覚えた。 何か広告写真と印象が異なる。
原因は屋根形状。 小屋裏収納を設けているために勾配がきつく、和風のプロポーションを損なっている。 広告写真はその点に相当気遣って撮影アングルを決めたのだろうな。
あるいは、施工精度。 これはそのエリアを管轄する同社ディーラーが抱える業者の質の問題だろうけれども、ちょっとお粗末でしたかね。 折角、ディテールやデザインに和風を意識した繊細な拘りが見て取れるのに、現場の仕事が雑。 このまま売るつもりなの?と思える箇所が散見された。
ま、施工精度については工業化住宅に共通する問題だ。 どんなに構法やパーツの工業化を推し進めても、結局最後は現場で施工を行う人の技能に左右されることとなる。
それでもなお所定の品質を確保する仕組みづくり。 建設技能労働者の減少が止まらぬ昨今、それはますます重要な課題となって来ている。

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