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2014.12.27:趣味に関する雑記
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※1:
ミサワホームG型について、知人が御自身のブログで「車でいえばトヨタ2000GT以上の価値と希少性」と記していた。
的確な表現だと思う。
例えば車好きの人が街角で偶然この名車を見かけた時の感動と恐らくは同質のものと言えば、ここで「快挙」と書いたことも何となく判ってもらえるのだろうか。
ちなみに、車に全く関心の無い私でも、2000GTは知っています。
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別に師走の書き込みだからといって一年を回顧しなければならぬ理由は特に無い。
というよりも、またしても無為な一年を過ごしてしまったという感を大いに持つ訳ではあるが、そんな怠惰な一年の中からトピックスを二点。
ひとつは、ライフワークと化しつつある住宅メーカー関連。
今年は、かのミサワホームG型の実在情報に三件接することが出来た。
昭和50年代に発表されたこの至高の工業化住宅については、この場に何度も書いている。
当時の同社の他のモデルとは異なり、高額ゆえに建築事例が限られた極めて稀少性の高いモデル。
従って私が今迄に把握し得た実在事例の件数も僅か一桁台に留まる。
そんなG型と一年のうちに新たに三件も出会えるなんて奇跡というかトンデモない快挙の筈なんだけれども、そんなことをここで述べても理解してもらえないのでしょうね※1。
ま、趣味なんてそんなもの。
もう一つはピアノの練習。
三年ほど前から練習を再開していることをこの場に幾度か書いている。
今年増えたレパートリーは僅か二曲。
・to stanford
・undercooled
前者はコトリンゴの作品。
それを坂本龍一がピアノの連弾でカヴァーしたものを更にソロピアノ用にアレンジした譜面をネットで入手。
複雑な運指に、こんなの弾けるわけ無いダロウとか思いつつ辛抱強く練習を重ねると何とかなるもの・・・、というよりもとても良く練られた譜面であることが判り、アレンジされた方に感謝。
後者も坂本教授の曲。
原曲は韓国語ラップを乗せたエレクトロ・ヒップホップ系の作品で、発表当時は大して興味を持てなかった。
しかしそれをソロピアノにアレンジした御本人の演奏は何とも味わい深い。
で、オフィシャルスコアにて練習してみたけれど、2005年のピアノソロライブの演奏の方が更に魅力的。
スコアを探してそちらで練習を継続してみるつもり。
ま、いずれにしても下手の横好き以外の何物でもないレベルではあるのだけれども、重ねがさねそれこそが趣味の趣味足り得るところ。
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2014.12.22:RE:CYBORG
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※:
サイボーグ繋がりで建築ネタを書くと、故黒川紀章の論稿で「OH!サイボーグの掟」ってのがありましたね。
今は亡きSD誌の1969年3月号に載せられたもの。
カプセル建築について七項目の定義を綴っている。
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石ノ森章太郎のサイボーグ009は、原作の単行本第一巻を幼少のみぎりに読んでいる。
その後放映された第二期TVアニメは視聴していた筈なのだけれどもあまり記憶に残っていない。
でも、エンディングの「いつの日か」は穏やかで印象に残る唄だった。
その他、映画版も幾度か公開されていたらしいが、これらは見ていない。
で、RE:CYBORGである。
公開前後に動画サイト等でタイアップ広告がこれでもかというくらい流れていたからどうしても目に留まる。
1960年代に描かれたキャラクター達を現代風に表現するとこうなるのかと感心はした。
特に002の変貌ぶりにはビックリさせられたけれども違和感はない。
それよりも、実在する建物をモデルにしたと思しき超高層ビルが次々と爆撃され倒壊するシーンにはちょっと目を奪われましたか。
本当にこんな倒壊の仕方をするのかいな?などと思いながらも少々関心を持ったが、しかし結局映画館に歩を向けることはなかった。
それは、公開直後からネット上に流れたレビューの影響が大きい。
それらを読んで、わざわざ見に出向くほどの作品では無いなと勝手に判断してしまった。
そんな同作品が21日にアニマックスで放映されたので見てみた。
以下の記述には少々ネタバレが入るが、既に二年前の公開作品ということで問題ないこととさせて頂こう。
印象としては、同じく神山健治が約十年前(もう、そんなに経つのか)に監督作品として手掛けた「攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX」や、その第二段「STAND ALONE COMPLEX 2nd GIG」のストーリの根幹と相通じるものがあるといったところ。
前者は、「笑い男事件」に端を発した民衆の並列化現象が、やがて薬事法に絡む一部省庁を巻き込んだ一大政界スキャンダルへと進展していく。
その物語を、二つのパラレルなストーリーによって互いに伏線を提示しつつ一つの結末へと収斂させる。
演出を含めて見ごたえのある秀逸な作品であった。
続く2nd GIGも、一定の条件で発動するように仕組まれたウイルス感染によってテロリストが不規則且つ無尽蔵に生み出される事態に立ち向かうストーリー。
こちらは作品全体に何か暗さが漂っていてあまり馴染めませんでしたかね。
ともあれ、両作品とも何らかの要素が介在することで無関係な個々人が共通の事件に関与していくという骨格。
RE:CYBORGも同様と解釈して良いのだろう。
但しそれが、外因だけではなく生物そのもののDNAに仕組まれた集団的破滅本能という内的要因も関わっているところが異なる。
そしてその内的要因を操る人知を超えた見えざる大いなる意思の存在が徐々に解き明かされつつ謎を残したまま物語は終わる。
御多分に漏れず、Production I.Gの作画クオリティは極めて高い。
そしてストーリーやその設定も精緻を極めたものなのであろう。
しかし、終始抑揚に欠けたままであったという印象が無きにしも非ず。
例えばドバイが核攻撃された際に009が加速装置を用いて退避するシーンなどは、緊迫感が全く伝わってこない。
これは、視聴する私が物語の進行を都度把握することに精一杯で作品そのものを堪能する余裕が無かったためであろうか。
それにしても、冒頭に登場する六本木ヒルズの森タワー(だと明らかに思われる建物)は凄い。
米軍のものと推定される超音速巡航ミサイルを何発食らってもびくともしないうえに、瞬く間に自家発電によって館内電力が復旧する。
009も「自家発電システムが再起動したんだと思う・・・」って呟いていましたか。
とてつもないBCP技術。
実際の森タワーがどの程度なのかは知らないけれど、有事の際には同建物に避難すれば数日は生き延びられるのかな・・・、などと思ってしまった。
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2014.12.16:メーカー住宅私考_50
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木の城たいせつの建築事例。
無落雪のフラットルーフによる矩形の外観ボリューム。
そのフラットルーフを矩折にして鉛直に降ろした様な北面の処理。
そして、南面にバルコニーを設け、その片側端部を袖壁にぶつける意匠。
更には総二階を基本とし、高床式にして接地階に車庫や物置を設ける等、独自の形態が1970年頃から緩やかな変容を伴いつつ連綿と踏襲された。
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厳冬期の北海道において、家の中が寒いということは絶対に許されない。
今現在に比して各種性能がすこぶる劣っていたかつての住宅事情においても、ストーブをガンガン焚いて徹底的に暖を確保するライフスタイルが一般的であった。
それは開拓期に味わった艱難辛苦のトラウマか。
あるいは、エネルギー源となる石炭が無尽蔵の如く産出され供給されていたという背景もあろう。
しかしこの生活習慣は、断熱性能が向上すると同時に暖房方式が著しく進化した現代においても脈々と引き継がれている。
かくして、日本の冬期において最も寒い外部環境にありながら、隅々までヌクヌクと暖かくて快適な居住環境が実現されている訳だ。
過酷な外部環境と厳しい室内環境へのニーズ。
本州のそれとは比にならぬ高レベルな前提条件を有する道内の住宅事情に対し、ハウスメーカーは果敢に挑戦することとなる。
そのことについて本州企業や道内企業の区別など無い。
プレハブ住宅の草創期において、そのことに最も意識的に取り組んでいたのは大和ハウス工業だ。
同社の社史にも、1960年に道内で住宅事業を始めた目的としてそのことが言及されている。
実際、地域条件に配慮した独自のディテールとデザインを伴った商品開発に注力することで当時の道内での営業成果は同業他社を圧倒した。
それに比べるとやや遅れたものの、他本州メーカーもほぼ同じ動きを見せる。
どのメーカーも、本州以南においてはいずれの地域でも若干の仕様の微調整のみで同規格の住宅を供給することが可能足り得ていた。
しかし北海道では通用しない。
道内限定モデルを徐々にラインアップすることとなる。
そんな流れに対し、道内メーカーも負けてはいない。
会社規模の大小に関わらず、多くのメーカーが独自に高気密高断熱の住宅開発に挑み独創的な商品を次々と世に問うてきた。
その中で、「木の城たいせつ」というメーカーの動向は今となってはなかなか興味深いようにも思う。
元々の社名は耐雪ハウス(最初期は、耐雪構業)。
創業はこの社名より更に以前に遡ることとなる。
しかし、1968年に「耐雪」の文字を社名を掲げて以降、無落雪屋根に拘った独特なデザインテイストの住宅を一貫して発表し続けた。
更には灯油熱源のペチカ1台による屋内一括集中暖房や二重三重の外部建具の実装等、耐雪・防寒に関して徹底した住まいづくりを先鋭化。
派手な広報活動と相まって高いシェアを獲得し、道内のいたる所にて同社の住宅を確認することが出来る様になった。
それは例えば、本州以南においてミサワホームO型を所々で散見するのと同じか、あるいはそれ以上の密度だ。
その良し悪しは別として、北海道住宅供給公社等が手掛けた通称「三角屋根」と同様、木の城たいせつの家は北海道の風景を特徴づける要素と視認され得るまでになっている。
1981年の夏、北海道マイホームセンター豊平会場を訪ねた際に初めて同社のモデルハウスを観た。
その時の印象は、あまり良いものではなかった。
まだ十代前半であった私の眼にも、どこか垢抜けないものに映った。
同日、かのミサワホームG型のモデルハウスも同施設内で見学している。
ミサワホームが当時発表していた最上級モデルの質の高さに感動した後とあっては、そんな印象は尚更強まる。
しかしその独特なテイストは道内においては確実に一定の層の支持を集めていたのであろう。
そのデザインセンスは近年まで堅持され、そして一目で同社のものと判る住まいが連綿と道内に建てられ続けた。
順調に業績を伸ばし続けた同社は、しかし2008年に一旦事業を断念する。
その要因には、経済情勢や構造計算に関する新たな法的制約の設定等多々ある様だが、独特のデザインテイストと市場の嗜好との乖離といった面も一部にはあろう。
今、築年数を経た同社の住宅の大規模リフォーム事例が増えつつある。
新たな外装を纏ったそれらの家々は、その箱型のボリュームを活かした結構今風の外観に改められたものも多い。
つまり、かつての事業展開中において、ほんの少しのデザインの調律で小洒落た意匠へと同社のラインアップが脱皮していた可能性も大いにあり得た。
そんな“if”に想いを馳せることにあまり意味はない。
しかし、優れたリフォーム事例を見ると何となくそんなことを考えずにはいられぬ。
なお、同社は今現在は同じ社名で事業を再開している。
ラインアップを確認すると、かつてと同様に無落雪に拘った矩形を基調としたボリュームが主流の様であるが、内外観デザインは大幅に変わっている様だ。
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2014.12.08:【書籍】「らしい」建築批判
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著者: 飯島洋一
出版社: 青土社
発売日: 2014年8月22日
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この書籍の存在を知人のブログにて最近知った際に思ったこと。
それは、書かれている内容が“「らしい建築」の批判”なのか、それとも“建築の批判「らしいもの」”なのかということ。
勿論、著者は前者の意図をもって論述したつもりの様だ。
しかし私は、どうせ後者の類いを超えるモノでは無いんじゃないの、と高を括るところが無きにしも非ずであった。
ともあれ、読んで確認しないことには憶測の域は超えぬ。
ということで図書館で借りようと思ったら、既に二人の予約が入っている。
人気のある本なのネと思いつつ、すぐにでも読みたい書籍という訳でも無いので気長に待つことに。
すると、それから1週間足らずで図書館から借りることが可能との連絡が入る。
何だ、皆さん随分と読むのが早いのだな。それとも、読むべき内容があまり無い本だったのかな・・・などと思いつつ図書館へ。
「本くらい借りずに買えヨ・・・」と思われる方もいらっしゃるかもしれぬが、私はこの人の文章が好きではない。
だから、購入しようという気はハナから起きぬ。
何が嫌いかって、とにかく文中に引用が多い。
必然性があるのならば引用することは構わない。
しかしそれはあくまでも本人が書く文章が「主」であり、それに対する「従」の位置付けであることが最低限の作法。
更には、文章の行間に込められたニュアンスまでをも引き出す必要がある場合に限るべきだ。
しかるに、この人の引用の場合は主従が成り立たない。並立である。
そして頻繁に他人の言説が文中に挿入されることで、どうも論点が散漫になりがちという印象。
で、この書籍も御多分に漏れずそんな調子。
というよりも、輪をかけて顕著。
例えば、見開きの252〜253ページを目にした時はウンザリしましたかね。
余りにも呆れたので数えてみたら、本人の文章が11行、引用箇所の合計が19行。
他にも、似たり寄ったりのページがたっぷり。
評論家であり大学教授でもあるのだから作文はお手の物だろうし、まさか自分の言葉のみで短い論稿の一つも完結させることが出来ないなどということがあろう筈もないけれど、それにしても本当に引用だらけ。
結果として、殆どのページに「〜は〜について次のように書いている」といった類の構文が数回登場する。
特に第四章辺りにおいてその傾向が凄まじいのだが、こうなると、この書籍の中に「次のように書いている」という言葉がその類似語も含めて何百回登場するか数えてみるのも一興かも知れぬ。
御本人はあとがきのところでこの書籍のために執筆した原稿枚数について誇らしげに語っているけれど、そりゃ、怒涛の如く引用しまくれば文字数も水増しされますワナ。
引用のことだけではない。
“「らしい」建築”批判として、冒頭にて新国立競技場※1を俎上にあげている。
そこに書かれていることは、既にこのプロジェクトに関して多々展開されている批判の域を超えるものとは思えぬ。
むしろそんな時流に便乗して器用に文章化してみせただけの内容。
しかし、既に能天気に「批判」さえしていれば良いという状況ではない。
具体的且つ現実的な対案無き論稿など今更何の価値も持ち得ぬ時期に来ているのだけれども、まぁ、書籍のタイトルに「批判」とありますからね。
批判さえしていればそれで良いと・・・。
そんな立ち位置のまま、以降の章も勢いが衰えることは無い。
国内の著名建築家達を、彼らの今迄の言説を怒涛の如く引用しながら歯に衣着せず攻撃する。
言っていることは決して支離滅裂ではなく、概ねこの業界の人間の大半が心の中で思っていること。
ここまで言い切ってしまって大丈夫?と余計な心配をしたくなるくらい、一部を除いて取り敢えずの的は得ている。
しかし、批判するためにその対象人物の言葉を大量に援用するってのは、何やら必死になって揚げ足を取ろうとしているかの様に見えなくも無い。
自身の言葉だけで追求出来ぬところが、“「らしい建築」の批判”ではなく、ただの“建築の批判「らしいもの」”に留まるという印象を強める。
勿論、私が個人的に気に食わないと思っている建築家のことをバッサリと切リ捨てている下りなんかは読んでいて実に痛快なのですけれどもね。
ということで、“「らしい」建築批判”の批判「らしいもの」を書いてみた。
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※1:
別にザハ案は全然好きではないけれど、だからといって批判派に与する気にもなれぬ。
むしろ、本当に出来てしまったらどんな景観になるんだろうネ、という方向に個人的には興味を持つ。
オリンピック競技施設に関しては、名作として名高い国立代々木競技場も当時は前代未聞の建設技術を要する困難なプロジェクトであった。
予算も大幅にオーバーし、設計者の丹下健三が当時の大蔵大臣田中角栄に増額を直談判したなどという逸話も有る。
どんなに困難であっても実現のために立ち向かっていこうとする気概や熱気。
そんな勢いが日本から失われて既に幾年月。
勿論、当時のやり方の全てが現在でも有用性を持ち得るという訳ではない。
しかし、後出しのネガティブな意見ばかりが跋扈する今の風潮というのは果たしてどうだろう。
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2014.12.02:本間美術館
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※1:
本間美術館のリーフレット。
紙面の右手に映っている建物が、本間美術館新館。
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本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様
酒田市に君臨した日本最大の地主、本間家の栄華を詠んだ歌。
その権勢のままに、市内中心部に同家の壮大な本宅が現存し、一般公開されている。
そしてその本宅よりもやや駅寄りに、清遠閣と名付けられた別荘も構えられている。
別荘と言っても勿論タダモノではない。
敷地内の高低差を活かした絢爛たる日本庭園の中に、極上の和風建築がゆったりと鎮座する。
昭和天皇が皇太子の時に当地を行幸した際の宿泊地としても使用され、その後も迎賓館的な用途に供され続けた由緒正しき別荘。
今現在は、本間美術館の本館として一般公開されている。
本館があるならば別館(新館)もある訳で、同じ敷地内にひっそりと鉄筋コンクリート造の美術館が建っている。
ひっそりといってもかなり立派なのもの。
しかし豪放な敷地の中に在っては相対的にその様な立ち位置となってしまう。
設計は伊藤喜三郎。
竣工したのは1968年。
そこはかとなく和風要素をデザインに取り入れたRC建築というのは、勿論そのロケーションに拠るところが大きいのだろうけれども、その時代の建築潮流も背負っているのであろう。
私が初めてこの美術館を訪ねたのは1989年の3月。
春休みを利用して、当時JRで扱っていた東北ワイド周遊券というフリー切符を携え、東北各地を貧乏旅行している際に立ち寄った。
同じ市内に建つ谷口吉生設計の土門拳記念館を訪ねたあととあっては、新館はやや野暮ったい印象に映りましたかね。
しかし当時のリーフレット※1に掲載されている外観写真を改めて見てみると、現代建築という枠組みの中で如何に清遠閣に対峙するかという設問に対する作者の考えが読み解ける様にも思う。
本館の方は、凄いの一言。
和風建築の鑑賞方法もままならぬ当時の私は何をどう観れば良いのかも判らず、とにかく感動していた様に記憶している。
感動のあまり、庭園も含め「何か図面ってありませんか?」と建物管理者の方にダメモトで訪ねてみたところ、「えぇ、ありますよ」と大判の外構図を譲って下さった。
今はセキュリティー上あり得ないことかもしれませんね。
当時の管理人の方に感謝しつつその図面は今でも大切に保管し、時折広げては眼福に授かっております。
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2014.11.25:老境の愉悦
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長岡を中心に発行されている情報誌「マイスキップ」。
その11月号の三面に「趣味冊子"寿多袋"の世界」という記事が載せられている。
サブタイトルにある通り、「新聞記者がたどり着いた人生終盤の手製本」について紹介したものだ。
その記事に目を通して思ったことを徒然に・・・。
ボーカロイドの巡音ルカが歌う「Hello, Worker」は、「B4の紙切れに収まる僕の人生を」という歌詞から始まる。
勿論、B4の紙切れとは履歴書のことであり、普通の人の経歴はその書式に則るならば本当に紙切れ一枚に寂しく収まってしまう。
しかし個々人の人生の本質は、書式が記載を要求する項目の背後に、あるいはその項目のあわいにこそ宿っている。
紙片の表面に記載することの出来ぬリアルを堆積しつつ、ヒトは歳を重ねる。
そんな個々人が自らの人生の終盤を意識したとき、積み重ねてきたリアルを何らかの形にしてみたいという想いに駆られるものなのだろうか。
趣味冊子"寿多袋"も、その様な契機によるものなのかもしれぬ。
自身の趣味嗜好に深く依拠した手製本という物理存在の作成への希求。
その行動原理を支えたのは、記事を書いた方の言葉を拝借するならば確かに「自涜的愉悦感」なのであろう。
ところで、この様な愉悦感を表象する媒体は、何も小冊子に限らぬ。
例えば、摩訶不思議な建築、あるいは建築的な構造体の製作にひた走った人々の存在も思い浮かぶ。
東京深川の地に渡辺金蔵が約十年の歳月を掛けて普請道楽の限りを尽くした未完にして異形の個人住宅「二笑亭」。
浜辺の漂着物を建材に仕立てて構築され続けた渥美半島のセルフビルド住宅「伴野一六邸」。
埼玉県吉見にて高橋峯吉が21年に渡って崖地を削孔して作り続けた洞窟建築「高壮館」。
海外に目を向けても、シュヴァルの理想宮やカール・ユンカーの自邸等々、枚挙に暇が無い。
その多くに共通するのは、創造の主体が独りの男であること。
そしてその着手が、個々の人生の老境にさし掛かってからであること。
果たして男性性とは、その終盤において偏執的に深化した自涜的愉悦への疾走(ないしは暴走)が発動するようにインプットされたものなのであろうか。
そして、発動した欲望の先にあるものは、ここに書いた壮大な虚構としての建築であれ、あるいは掌に収まる小冊子であれ、自閉世界の顕然化という点でいずれも等価である。
ま、このサイトもそんなことに依拠した結果の堆積以外の何物でもなかったりする訳ですけれどもね。
でも、まだまだ手ぬるい。
老境に至るのはずっと先のこととなるであろう私ですが、その様な域に達した暁には、是非ともかような愉悦感に満たされた異界へと形振り構わず突き進んでみたいものだ。
マイスキップ紙は月刊のフリーペーパーなので、11月号はあと数日は市内の公共機関や商業施設を中心に各所にて入手が可能かと思われます。
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2014.11.17:【書籍】思想する住宅
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著者: 林望
出版社: 東洋経済新報社
発売日: 2011年9月2日
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図書館に関しては、居住地よりも勤務地近傍の方を利用する機会が圧倒的に多い。
居住地最寄にあるのは市の分室で、本館は遥か遠方。
その本館に行くのには結構気合がいる。
一方、勤務先近傍の図書館は本当に近くにあるし夜遅くまで開館しているので利用するのに便利。
しかも建築系の蔵書が充実している。
ということで、気がつけば地元の図書館は随分御無沙汰だなということで久々に分室に出かけてみた。
分室ゆえに、やはり興味をひくような書籍は見当たらぬ。
相変わらずこんなものかと諦めかけた折、当該書籍が目に留まった。
「へぇ〜、この人って住宅関連の書籍も出しているのか」と思いながら手に取って目次を開いてみると、結構挑発的な言葉が並ぶ。
ということで借りて読んでみた。
冒頭は、日本の南向き信仰に対する異議申し立てを、イギリスの住環境を引き合いに展開する。
比較文化論としてイギリスを持ち出すのは、この人のアイデンティティというか外すことの出来ぬ拘りなのであろう。
あるいは、多くの氏のファンがそれを期待しているところでもあるのかもしれぬ。
そんなニーズに応えつつ、有史以来の日本人が盲目的に取り入れてきた住まいに対する南向き信仰について、イギリスの状況を踏まえて考察することで読者を引き込む。
冒頭の掴みとしてはこんなものかな・・・などと思いつつ、しかし幾らイギリスがそうだからと論戦を張ったところで、日本人のDNAに深く刻み込まれた南面信仰を変えるというのは容易いことでは無い。
そしてそんな状況下で独りイギリス的なるものを日本で実践するのは却って混乱のモトですゼ、などとも思う。
そう思いながらも、著者の術中に嵌ってその後に続く住まい論に読み進んでしまうのは、やっぱり文章表現や構成が巧いということなのだろう。
でもって以降の内容は極めて明晰。
規範的な住宅の在り方として信じられ疑問を持たれることも無く連綿と惰性で建てられ続ける戸建住宅の各部位に関し、著者自身の生活様態に則ったうえであり得るべき姿を歯切れよく描き出している。
勿論、その全てが普遍性を持った正解とはなり得ぬ。
家に纏わる正解は、家を建てる個々人の価値観の内にそれぞれ存在するのだ。
だから、家を建てる際には、この書籍と同等の本を一冊書き上げるくらいの価値観の整理を行って確固たる“思想”を確立したうえでのぞむ必要があるのだろうとも思う。
もっとも、そんなことを本当にされてしまったら専門家の側は困ってしまうことになるのですけれどもね。
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2014.11.10:メーカー住宅私考_49
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※1:
同社は2002年に業務を終了している。
※2:
和瓦を葺いた1972年頃のニッセキハウス2K型の事例。
※3:
「住宅メーカーの住宅」のページのユニット住宅三題参照
※4:
2013年1月15日の雑記帳「メーカー住宅私考_21」参照
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何をもって和風とするのか。
それはなかなかに難しい問題である。
直截的に和を表現したもののみならず、和感を婉曲的に醸したものも和風の範疇に組み込まれよう。
しかしあまり難しく考えずに、一般的に言われるところの和風についてプレハブの系譜をたどるとどこまで遡れるか。
例えば、このシリーズのNo.46に挙げた積水ハウスの「数寄屋」などはその嚆矢と言って良いが、このモデル以前にも同社では秀逸な和風住宅の事例を多数発表している。
その原点は1976年11月発表のBW型ないしはBKW型という型式で発表された「和瓦の家」ということになるのであろう。
大和ハウス工業も1978年に「スイートム20和瓦の味わい」を発表。積水ハウスと同質の純和風住宅を軽量鉄骨構法によって実現している。
同時期にミサワホームも多数の秀逸な和風の作品を発表しているが、その多くは純和風というよりは新和風とでも言うべき間接的に和を表現したもの。
純和風寄りの傾向を持つ事例となると、1977年の「ミサワホームM型入母屋」などが挙げられそうだ。
さて、これ以外にも例えば永大ハウスがかなり早い時期に和風住宅を発表している等、詳細を未確認の事例もまだ多い。
だが今のところ最古の事例となるとニッセキハウス工業※1ということになりそうだ。
同社は、軽量鉄骨軸組構造によるプレハブ構法にて1961年に業界に参入した。
古参の部類に属するが、同時に業界で最も早く瓦葺き屋根の商品化を実現したと言われている。
和瓦を載せれば即、純和風と評価出来る訳ではない。
しかし、例えば1972年頃の同社の広告※2には、和瓦葺きに合わせて外装にも付け柱や梁等をあしらうことで和風の設えに配慮した事例が見受けられる。
和瓦葺きの和風住宅を他に先んじて商品化したことは、ある種の矜持としてその後の同社の商品開発に影響を及ぼす。
例えば、ユニット系住宅としては異例ともいえる和瓦葺き屋根を載せた「Uシリーズ※3」を1975年に発表。
また、1980年には他社の追従を払い除けようとするかの如き豪快な純和風住宅「入母屋の家※4」を発売している。
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2014.11.01:予備校校舎
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※1:
旧新潟予備校の上越校
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少し前に話題にした上越市高田に関し、他に一点。
レンタルサイクルでJR高田駅前を徘徊中、旧新潟予備校の上越校が目に留まった※1。
閉鎖されて以降暫く経過しているが、他用途に活用されている様子はない。
線路沿いに建つその建物はどこかかつての長岡校の外観と似ている。
チャコールグレー色の暗くて地味な外壁。
一方、真っ赤な地に白抜きで「新潟予備校」とデカデカと書かれた看板が塔屋に掲げられ、地味な外壁と対比をなす。
この類似性は、建物外観にも一種のブランディングを与えるべく意図されたものだったのであろうか。
ならば、新潟市内に建てられた校舎はどうだったのか。
今となっては判らない。
長岡校は今は美容系の専門学校が入居し、その外観もかなり改変されている。
この長岡校にて現役時代に夏期講習を受講していた身としては、旧態を留める上越校にちょっとばかり懐かしさを覚えた。
極めてローカル且つマイナーな建物についてこの場で言及するのも何だが、僅かに覚えている長岡校のことについて少しばかり記述してみる。
いわゆる駅裏の位置付けにあった長岡駅東口に立地し、当時は周辺に同規模の建物も少なく結構目立っていた。
建物の規模に比してエレベーターは一基と垂直動線は不足しておりましたか。
そのエレベーターシャフトの三方を囲う様にコの字型に階段が取り付いていて、フロア移動は専らそちらを利用。
その階段室も壁はチャコールグレー色で、相当暗い印象であった。
教室は、他の予備校や大学の大教室などにもよくある形式。
一人あたりのスペースの狭さに唖然とすると同時に、あからさまな商業主義を高校生ながら感じ取ったものだった。
講義では、数学の講師が特に印象に残っている。
やたらとアグレッシブな授業を展開する人で、確か沼田さんとおっしゃいましたか。
ネットで調べてみたら、今も別の大手予備校で講師をしていらっしゃる様で、評判は上々。
掲載されている顔写真には当時の面影が・・・、って本当に関係ない人にはどうでも良い話だな。
予備校に関しては、最近代々木ゼミナールのことが話題になっている。
少子化の影響か、かつて受験戦争の只中を過ごした世代には想像もしなかった状況が進行しつつある様だ。
そんな中で、その多くが駅前の交通至便な好立地に存する予備校校舎の用途転換は、ストックの有効活用として今後ちょっとしたトレンドになるのかもしれない。
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