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2021.01−2021.03
2021.03.26:「動物のお医者さん」における建築的考察.2
※1
太刀川家住宅については、「北の古民家」のページ参照。
向かって左手に建つ棟が、モデルにしたと思われる洋館。

前回からの続き。
作品を通じて常に登場する「H大家畜病院」の外観は、一瞥して即、実在する建物をモデルにしたのだろうなと印象付ける描かれ方。 そこには、建物の四方に張り出す庇先端の分厚いパラペットに対し、片持ち小梁の端部を勝たせて納めるディテールが常に描写される。 外観設定にあたり実物を参照しなければ、描写に手間取るその納まりを初話から最終話に至るまでブレることなく徹底して描き続けたりはしないだろう。 実際、北海道大学の構内に建つ同じ用途の建物が、同様のディテールを纏っている。
あるいは、第114話及び119話に登場する「西町家畜診療所」の外観は、札幌市中央区の知事公館北向かいにかつて建っていた富樫家住宅が参照されたのであろう。 昭和3年築の小洒落た洋館であった。 現在、跡地には31階建て141戸のタワーマンションが建つ。
また、第99話に一コマのみ登場する「太刀川歯科」の玄関廻りは、函館市内に建つ国指定重要文化財「太刀川家住宅」の洋館※1そのものだ。 建物のみならず屋号も引用しているところが、小粋な演出。 エピソードの中ではそれほど重要でもないハプニングの中の更にたった一コマのために、実在する建物が参照され正確に描かれること。 それは即ち、それ以外のあらゆる描写において元ネタが存在する可能性を示唆する。
案外著者は、判る人なら気付いて当然の謎掛けを、さりげなく作中のそこかしこに仕込んで楽しんでいたのかもしれぬ。

そんな視点で作品全体を眺めまわしてみれば、前回言及した主人公・西根公輝の家のモデルが菊亭脩季邸である可能性が尚更裏付けられてくる。
例えば、第96話に「襖を開けはなすと30畳近くになるわ」というセリフがある。 実際、菊亭邸の平面図を確認すると、建物中央部分に矩折に並ぶ四つの和室の襖を全て取り払えば、30畳強の空間になる。 そのコマに描き込まれた一間幅の次の間を挟んだ室の並びや背後の広縁との連携も、平面図のそれと一致する。 あるいは、作中に書かれたそのセリフは、ストーリーの進行とは大して関係を持たぬ唐突なもの。 そんなセリフをモブキャラにわざわざ言わせる演出は、この建物の設定に用いたモデルの実在を示唆したいという著者の気持ちの顕れなのではないか、などと勝手に妄想したりもする。 勿論これらは単なる個人的な思い込みに過ぎぬ。 でも、食堂から和室、そして板敷きの廊下が並ぶ内観の様子をやや俯瞰気味のアングルで描いた最終話のラストシーンなんかも、菊亭邸の平面図にて確認できる室配置と見事に一致するしなぁ・・・。
ということで、そんな建築的視点をも楽しませてくれるところが、動物を主題にした漫画ということ以上の魅力をこの作品に付与している。

2021.03.18:「動物のお医者さん」における建築的考察
主人公・西根公輝の家のモデルは菊亭脩季邸か

少し前に、積水ハウスの2BK型を訪ねたことをこの場に書いた。 その所有者から、なぜか掲題のコミックを借り受ける。
著者である佐々木倫子の作品で既読なのは「チャンネルはそのまま!」のみ。 「動物のお医者さん」は知ってはいたけれど読んだことは無かった。 あんまり動物には関心無いけれどもなぁ・・・とか思いつつ読み始めると、しかしこれがなかなか面白い。 というよりも、ホンワリと和んでしまう。 それは、「チャンネルはそのまま!」同様に札幌ないしは北海道が舞台となっていることによる親近感もあるが、それ以上に精緻な動物の描写が実に見事。 輪郭線に頼らず細かな毛並みで描かれ、しかも一つ一つのしぐさがとってもリアル。 そんな描写に視覚の享楽を覚えつつ、しかし読み進めるうちに関心は主人公・西根公輝の家に向かう。

その家の内外観は、かつて札幌市東区に建っていた旧菊亭脩季侯爵邸を想起させる。 同邸宅の建築時期は明治20年代。 北海道の開拓期における和洋折衷の住宅様式が色濃く顕れた建物であった。
二十歳を迎える少し手前の時期に札幌市教育委員会編の「札幌文庫23・札幌の建物」を読んでその存在を初めて知り、当時住んでいた家からそんなに離れてもいなかったので早速観に行った。 すると、母屋の東側に広がる庭園と道路の境界に「マンション建設用地」と書かれた巨大な看板が掲げられていた。 この時初めて、建築に永続性が望めぬ事実を思い知らされショックを受けたことを良く覚えている。
それから程無くして庭園部分は更地と化し、現在は11階建て66戸のマンションが屹立する。 そして母屋があった場所も、今は商業施設が建ち並んで過去の面影は一切留めぬ。

同作品の第二話に初めて登場する西根邸の描写で、玄関廻りの構えが菊亭邸と類似することにはすぐ気づいた。 例えば両開き扉の直上に設けられた扇形の欄間(やや意匠は異なる)。 そして破風板直下の十字形の飾り。 この程度であれば、古風な洋館を描くうえで然程珍しいアイテムでもないし単なる偶然だろうと軽く受け流す。 しかし読む進める毎に目に留まる和洋折衷を想わせる古風な佇まいの描写に、もしかするとコレはひょっとするカモよという意識が次第に強まってゆくことと相成った。

作品の連載期間は1987年から1993年。 その頃菊亭邸は現存していたから、著者は当邸宅を主人公の家のモデルとして設定した可能性も無きにしも非ず・・・などと勝手に妄想。 こうなると、描写される内外観がいずれもそんな風に見えて来る。 各シーンと「札幌の建物」に載る平面図を照合すると、見事に一致する様な気がしてしまう。
著者は、作品を描くにあたり徹底した取材を行うことで定評のある作家。 もしも同邸宅を取材し描いた事実があるならば、建築史的に極めて貴重な記録ということになり得るのだが。

2021.03.11:メーカー住宅私考_141
ミサワホーム・ドメイン.4_フリースペースの可能性
※1
Cタイプについては、2021年1月21日の図面参照。 A,Bタイプもフリースペースの配置はほぼ共通。

※2
ドメインDタイプ平面図
一階左下の8帖間がフリースペース。 住居部分と屋内で連絡する動線を確保しつつ、それとは別に独立した玄関も設けられている。

90年代後半、当時の居住地近傍でドメインの施工事例を一件確認している。 その頃は、ハウスメーカーの住宅に対する関心を完全に失っていた。 なので、通りすがりに目に留まっても大した感慨は湧かず。 それでも昔取った何とやら。 一瞥してそれがドメインのCタイプだと判別する程度の記憶は、辛うじて脳裏にこびりついていた。
一階のフリースペースは塾の用途に供していた。 今思えば、当該モデルがその商品企画の意図通りに活用されている貴重な事例。 今はどうなっているのだろうとストリートビューで確認してみたら、建て替えられていた。 残念。

文中の図面は、保管してあった当該モデルの新聞折り込みチラシに掲載されたフリースペースの活用事例。 ここでは自営の美容院が提案されている。 二つあるフリースペースのうち、屋内空間の方をその用途に供し、室内に各種備品をレイアウト。 この場合、半屋外空間の方は、さしずめ来客用の駐車若しくは駐輪スペースにでもなろうか。
しかし改めて眺めてみると、店舗設計として如何なものかと思える点が無きにしも非ず。 例えば実際の空間として捉えた場合、半屋外空間の最奥部に、たった一枚出入り口扉が設けられただけの構えは、店舗としては閉鎖的で殺風景。 道路から奥まっていて目立たないし、余程の常連客でないとなかなか入り辛そうだ。 それに内観も、来客用のトイレや洗面くらいは住居スペースからは区切られる形で設置したいところ。
とはいえ、これはあくまでも一事例。 当該モデルの特徴と魅力を端的にアピールするためには、この様な具体的な事例提案は有効だ。 この図面を見て、自分だったらこの場所をどう活用するかと様々想いを描く人も多いのではないか。

電通グループに端を発し、このところ大手企業が本社ビル売却(その多くはセール・アンド・リースバックだが)を検討している旨の報道が相次いでいる。 新型コロナウイルスの感染抑制を目的としたリモートワークの推進に伴う低い出社率の恒常化が背景の一つとされている。
それは単純には業務形態として在宅勤務が増えている実態と結びつこう。 この場合、例えば家の中にドメインのフリースペースの様に住宅用途と切り離された空間が備わっているというのは有意なのかもしれぬ。 気持ちを切り替えて執務に集中する環境を容易に獲得できる。
例えばそれは、上記フリースペース活用事例図面に示した当該モデルのA、B,Cタイプ※1に共通する大がかりな空間として用意する必要はない。 左記Dタイプ※2の様に8帖一間を設け、その部屋には住宅用途部分とは別の独立した玄関を有する形にすれば、仕事と日常のメリハリもより明確になろう。 一つの屋根の下、日常生活の場から仕事場へと、外構アプローチを介して出退勤する訳だ。
発売から40年近い月日が経過した今、往時は予想し得なかった外因により、ドメインが必要とされる時代が訪れようとしているのかもしれない。

2021.03.05:メーカー住宅私考_140
ミサワホーム・ドメイン.3_プロトタイプの可能性
※1
その年、新たに開設されたモデルハウスの外観。 三世代居住をテーマに、建物中央に巨大な共用室を設けた自由設計の提案モデル。 後に、「ミサワホーム・CENTURY M2」という名称が与えられた。

文中の画像は、1983年に北海道新聞に掲載された同社の広告の一部。 札幌市内の住宅展示場に新たに出展するモデルハウス※1のオープン記念として低価格モデルを限定販売する旨告知したもの。 スクラップ帳に保管していた。

今まであまり気に留めていなかったのだが、今回ドメインについて書くにあたって改めてスクラップ帳を開けてみて「オヤ?」と思った。
その外観はドメインの一形態。 前回引用した総二階タイプとほぼ同じ。 そして16帖の二つの空間を矩折に配置する一階の平面構成もドメインそのもの。 けれども、「フリースペース」と称する筈の二つの空間に、その名前は与えられていない。 半屋外の方は「ガレージ」、屋内の方は「プレイルーム」。 ドメインと同じ平面プランの骨格を持ちながら、その根幹をなす「フリースペース」という室名の使用を敢えて避けている。
更に、玄関脇に大型収納。 そして北側にボイラー室兼乾燥室が続くところには地域性が感じられる。 あるいはそれらの配置により、階段の位置が内側に移動。 更にサニタリーを二階に移設。 ドメインに相通ずる骨格と外観を持ちながら、内観構成は大きく異なる。

広告の掲載日を確認すると、ドメインが正式発表される約三か月前。 となるとこれは、ドメインのプロトタイプ、あるいは市場の評価を予め確認することを目的に先行販売を試みたものであったのかもしれぬ。
「フリースペース」という室名のみならず、「収入型住宅」という位置づけについても触れられていない。 ドメインの商品開発過程を睨みながら、未発表のそのモデルのことは一切伏せつつその形態を先行して採り入れる。 そんな状況が、なかなか興味深い。
この後、当該モデルは北海道エリア限定のドメインとして売り出されたのだろうか。 当時、同社では北海道の気候風土を考慮して本州以南とは異なる商品体系を組んでいた。 だからその可能性は高い。 しかし手元にある当時の資料が乏しいため、その辺りのことは今のところまだ掴めていない。

2021.02.27:メーカー住宅私考_139
ミサワホーム・ドメイン.2_固有性の拠り所
※1
A,B,Cタイプは、それぞれ面積を増減させた数種のプランと東西反転の組み合わせ。 Dタイプは1種のプランについて、東西反転のバリエーションが設定された。
A,Bタイプは、Cタイプの小屋裏三階を取りやめたもの。 替わりにロフトを設けたのがBタイプ。 それも略したのがAタイプ。 Dタイプは、Cタイプの1,2階をワンフロアに集約し、その上層に小屋裏フロアを積層させたものになる。

※2
Aタイプ若しくはBタイプ外観

当該モデルの広告に載せられたキャッチコピーは、初期のものは「一家両得。」。 それが暫くすると、「一居六得。」に変わった。 言わずもがなではあるが、双方ともに「一挙両得」をもじったものであろう。
前者は、豊かな居住スペースと在宅収入を可能とするフリースペースの併設を端的に謳ったもの。 後者では、「収入」に加え、「老後」「節税」「生きがい」「教育」「持家」という六つのキーワードを並べ、当該モデルの優位性をアピールしている。
ちなみに、同社が同時期に立ち上げた自由設計の新ブランド「我が間ま住宅」のキャッチコピーに「一居解決。」というものもあった。

「両得」若しくは「六得」を獲得する手段としてのフリースペースの設置を共通条件に、当該モデルは4系統のプランバリエーションが設定された。 列記すると以下の通り※1

Aタイプ:総二階建・小屋裏収納無し
Bタイプ:総二階建・小屋裏収納有り
Cタイプ:小屋裏三階建
Dタイプ:小屋裏二階建

前回引用した内外観はCタイプになる。 一方、Aタイプ若しくはBタイプの外観として、当時の資料には左の画像※2が掲載された。 Cタイプとは著しく異なる。 つまり、前回示したCタイプの二種の外観を含め、当該モデルには少なくとも3種類の外観が存在した様だ。 そしてそのことは、前回も指摘した通り、外観は当該モデルの固有性の表す主要素と位置づけられていなかったことを示し得る。 設置されるフリースペースに、その役割が担わされた。

ところで、手元に保管している当該モデルの資料には、プランバリエーションについて以下の記述がある。

加えていままでの企画住宅OIII型、AIII型、G型のフリースペース付きのプラン各々3タイプから選べます。

該当プランは未見だが、単純にはいずれのモデルにおいても一階玄関脇に配置される和室をフリースペースに転用したものと推定されようか。
しかし、同時期に発表していた企画住宅にフリースペースを組み込むのであれば、もっと適切なモデルがあろう。 すなわち、M型2リビング。 その一階南面に他室から独立して配置される余暇室がその用途への転用として極めて有効だ。 実際、中華食材の販売店として余暇室部分を店舗に転用したM型2リビングの事例を見たことがある。 初見の際、なるほどナと思ったものだ。 もしも同様に、オリジナルの内装を活かしながら喫茶店などに活用した事例が居住地近傍にあったならば、私なんかは足繁く通うことになるかもしれぬ。

ともあれ、他企画住宅にも居住目的とは別のフリースペースを組み込む展開は、「ドメイン」というモデルのアイデンティティを曖昧にする。 どんな形態であれ、そこにフリースペースに該当する空間を挿入すれば「ドメイン」になる訳で、従ってドメインという固有の内外観意匠をモデル化する必要性などそもそも無いということになる。 それは例えば、後に同社が発表した大型収納空間「KURA」と同様の設計手法若しくは商品提案としての一アイテムと位置づけになろうか。 だとするならば、1983年発売のこのモデルも、あくまでも収入型住宅という概念を広く提唱する取っ掛かりとしての雛形という解釈もあり得ることになる。

2021.02.22:メーカー住宅私考_138
ミサワホーム・ドメイン(domain)
※1
ミサワホームdomainの広告に用いられた画像。 人が映し込まれたテイクもある。

上記とは別の販売資料画像。 用いられている外装パーツが※1のモデルとは異なる。
背後の高層建物やその表層に映り込む近隣建物の様子から、大阪市の梅田界隈に建てられたモデルハウスと推察される。

1983年10月7日発売。
初期の広告には、緑量豊かな敷地の中に同モデルが建つ画像が用いられた。 楠の高木に阻まれ、建物全体像の視認性はあまり良く無い。 果たして広告として適切かと一瞬思うが、しかしその撮影意図はすぐに了解出来る。 庭には幾つものテーブルと椅子が配され、オープンカフェが営まれている様子を演出。 庭先だけではなく背後に建つ当該モデルの一階部分も連続して同じ用途に供せられている※1。 これと同じアングルで、満席状態で大いに繁盛している状況を撮ったテイクもあった。 そこでは、このカフェの経営者と思しき初老の夫婦が和やかに接客を行っている。 それこそが、当該モデルの特徴を端的に捉えたもの。
即ち在宅起業にて収入を得ることを念頭に、そのためのフリースペースを標準設定した「収入型住宅」というアピールだ。 例えば、定年退職を迎えた世代がこのフリースペースを活用して店舗を経営。 充実した第二の人生を大いに満喫することを可能とする。 外観よりもそんな状況の演出が、アピールポイントとして写真に企図されたのであろう。

プランの骨格は、8帖を一マスとした二行三列の整形グリッドに基づく。
一階のグリッドの中で、菱形のパターンが描かれた左下二マス分の箇所が、当該モデルの特徴である半屋外のフリースペース。 そこに隣接して右手縦二マスに屋内のフリースペース。 双方合わせて、在宅収入の拠点と位置付けている。 それ以外の一階部分の玄関や階段、そして水廻り等の配置は基本的に同社から先行して発売されていたS型NEWに類似。 これは、S型NEWも同様に二行三列の矩形グリッドをプランの基本骨格としていることと関係しようか。


DO-C-61タイプ平面図

二階は、同様のグリッドに則りつつ北側中央に配置された階段を起点に諸室を構造的にも動線的にも合理的にそつなく配置。 更にその上に小屋裏三階が、下階のグリッドの縦方向のラインに従いながら左右対称形に積層。 ここでも北側中央配置の階段が各居室への動線を合理的に処理している。

一階にフリースペースを設置しながら居住用途に供する諸室のスペースも確保するため、プランバリエーションとして小屋裏三階建てが標準設定された。 この構造形式を標準採用するのは、同社にとって当該モデルが初めてのことになる。 これは、その前年にツーバイフォー工法による小屋裏三階建て構造が告示化されたことと無関係では無かろう。 あるいは、同工法の告示化に対抗した小屋裏三階モデルの商品化に伴い、それによって同じ建築面積でも大幅に増える容積を活用し収入型住宅に資するフリースペースを組み込んだところに当該モデルの面白さがあった。

2021.02.18:メーカー住宅私考_137
コアとO型を繋ぐもの
※1
概念図については、2013年11月18日の雑記にて引用している。

知人のブログにて新たな情報。 「ミサワホームO型」の予告広報段階における「ホームコアO型」という名称の存在。
このモデル名については、1977年4月発刊の佐藤泰徳著「プレハブ住宅全書」の95ページにも一箇所だけ記述が認められる。 しかし、今までこの書籍以外に同様の表記を見かけることが無かったため、これが正式に用いられたことのある名称なのか否か確信が持てずにいた。 同書の他ページにも普通に「ミサワホームO型」の表示があるので、場合によっては誤植なのではないかとすら疑っていた。
確かに、ホームコアを単純に二層積み重ねれば、玄関側の立面は初代O型に相通ずる構成となる。 あるいは、村松秀一監修「工業化住宅・考」の57ページにも、ホームコアとO型を繋ぐ商品系統概念図※1が掲載されてはいる。
それでもなお自身の中で嵌まり切っていなかったピースが、このカタログの実在によってきっちりと埋まることとなった。 まだまだ未知の事実との出会いがある。 何だかとても楽しい。

「プレハブ住宅全書」の記述は、同モデルのリビングダイニングルームの内観写真に添えられている。 その画像は右の通り。 正式発表されたO型のそれとはいくつか違いが見受けられる。
例えば、リビング側とダイニング側の領域を分かつ垂れ壁が、ここでは飛梁になっている。 あるいは、天井もモスグリーンの化粧パネルではなく、白のビニールクロス張り。 リビング側はシーリングライトではなくダウンライト。 造り付け家具も、中央部に吊戸棚がある。
プロトタイプモデルとして建てられ、そしてその検証に基づき正式版に向けた微調整が図られたのであろう。

ところで、正式版にホームコアという名称が使われなかったのはなぜか。 推察にしかならぬが、あるいはそれはO型発売の前の年の3月23日に行われた当時の社長三沢千代治の「死亡宣言」※2と関わっているのかもしれぬ。 オイルショックの直撃を食らい停滞する同社を立て直すためには、徹底した意識改革が必要と考え、自ら発した宣言。 それが、空前絶後の大ヒット商品となるO型誕生へと繋がった。 とするならば、創業して間もない頃から追求してきた工業化住宅の代名詞であった「ホームコア」からの卒業の意図が、ネーミングに顕れたのかもしれぬ。

※2
この時実際にお亡くなりになった訳ではない。
意識改革という目的で、80年代半ばにももう一度同じ宣言を出されている。
2021.02.15:ハルカの光

掲題のテレビドラマの初回放送分を視聴した際は、終始違和を持つこととなった。 主人公ハルカの照明オタクっぷりをアピールするための冒頭のエピソードは、導入部の"つかみ"としてもっとほかの演出が無かったものかと想える滑稽なもの。 これじゃオタクというより、人格的にちょっと残念な人物でしかない。 その第一印象で以降を視ることとなるから、どうしても懐疑的に捉えてしまうことになる。
例えば、切れた電球の替えを購入するだけの目的で値が張りそうな照明器具ばかりが並ぶ専門店にフラリと立ち寄る客ってのはナカナカ珍しいだろう。 普通なら、スーパーの家電売り場とかコンビニ等に出向くのではないか。 それに、灯りに深い拘りがありながら、それが設えられる空間のことについては不問のまま照明機器を売りつける行為も腑に落ちぬ。 そこまで照明器具が愛おしいのなら、どんな使われ方をするのか、あるいはどの様な空間に置かれるのかといったことまで熟考した上で相応しい極上の一品を薦めるものなのではないか。 くたびれ感が少々漂う何処にでもありそうな寿司屋の店内にアアルトがしっくりと収まっているようには見えなかったな。
アアルトと言えば、主人公が勤めている照明専門店には、それ以外にもヤコブセンやイサム・ノグチやライトといった、この手の店ならば押さえいて然るべきといった作品が多々ディスプレイされている。 それらの器具をもとに、今後どんなストーリーが組み立てられるのか、気にならぬ訳でもない。 ということで第二話も視聴したが、あまりパッとした印象は得られず。 今後も続けて視るべきか少々逡巡してしまう。

ちなみに、今住んでいる家は、キッチンの棚下灯以外はすべて電球色の光源を用いている。 和室に取り付けているのは提灯型のもの。 イサム・ノグチのペンダント型のAKARIもどきだ。 以前は同じAKARIシリーズのスタンド(こちらは純正品)と併用していたけれど、それは知人に譲ってしまった。 思い出してみると、ドラマの主人公じゃないけれど、ずっと眺めていたい、そんな柔らかな灯りだったな。 販売サイトを覗いてみたら、光源こそ白熱灯からLEDに改められているものの、変わらぬ姿のモデルが売られていた。

2021.02.09:メーカー住宅私考_136
43年ぶりの2BK
私が初めて内覧したハウスメーカーの事例は、積水ハウスになる。 1978年の夏頃、かつて住んでいた長岡市悠久町の新築現場で開催されたオープンハウスにて見学の機会を得た。
系統に当てはめると2BK型ということになる。 とはいっても、この型番は特定の内外観を指し示すものでは無い。 同社は自由設計が基本。 型番は、構造形式及び屋根架構形態を示す記号に過ぎず、従ってひとえに2BKといってもその事例は様々。
幼少の頃の内覧であり、屋内については忘却の彼方。 一方、外観についてはストリートビューで確認してみると、竣工時の状況を良好に留めて現存する様子が窺える。 築年数を鑑みればとても貴重な事例ということになりそうだ。
※1
2月11日追補
2月9日に一旦サーモ画像のみを掲載したが、建物所有者の方から「実際の画像も載せた方が判りやすいのでは」と、わざわざ右の画像を撮影し送ってくださったので、追加して併載する。

最近、知り合いから実家のリフォームを考えている旨、話を受けた。 聞けば、1980年代前半に両親が積水ハウスで建てたもの。 必要な修繕は都度実施してきたが、基本旧態をよく留めているという。
興味が湧いたので外観について説明を求めると、その特徴から2BK型に属する可能性が浮かびあがる。 話が弾み、積水ハウスの担当者と実家で打合せを行う日に立ち会わせて貰えることと相成った。

43年ぶりとなる2BK型内覧における主だった関心事は以下の三点。

1.
同社が創業以来採用し続けている1mモジュールによって構成される空間の雰囲気
2.
往時の同社の壁面構成において発生する鉄骨軸組部位の熱橋が室内温熱環境に及ぼす影響
3.
断熱性能向上に係る積水ハウス側の提案内容

このうち、2.については、冬期にそれを確認出来るのはとても良いタイミング。 持参したサーモグラフィーカメラで室内から外壁面を捉えてみると左下の画像の通り。 軸組箇所の熱貫流が顕著であることが容易に見て取れる。 ほぼ同じアングルの実際の画像を建物所有者の方からお送り頂いたので、比較のために右に併載する※1。 こうして並べると、熱橋部分の壁紙がややくすんでいる様にも見える。 経年における熱橋の影響であろう。

往時は省エネに対する要求水準は今ほどでは無かった。 同社のみならず、鉄骨軸組系の工法を採用する殆どのメーカーの納まりが、鉄骨部材の配置箇所に熱橋を有していた。 打ち合わせに訪れた担当者に訊いてみると、今はしっかりと改善されているとのこと。

リフォームは、現況の骨格を活かしつつプランに調整を加え、併せて断熱改修も施す方向で検討が進められる様だ。
ところで、内覧に際しては終始二人の自分がいた。 即ち、適切な改修によって住み継がれてゆくことはとても大切だと考える自分。 一方、旧態が良好に物理存在する状況をそのまま維持し続けてほしいと願う自分。 勿論後者は極めて個人的な嗜好に基づく勝手な想いでしかない。
今後の展開が楽しみである。

2021.02.04:新常態と玄関.2
※1
通常の田の字型マンションの開放廊下側プラン例。 玄関を挟んで寝室が二つ、共用廊下に面して並ぶことが一般的。

※2
その一方の寝室に玄関踏込み部を拡張し土間スペースとしたのが、下図。

不動産広告の中に、「リモートワーク対応」といった文言を載せたものをよく見かける様になった。 背景は言わずもがなであるが、一つの屋根の下、日常生活から少し独立したスペースを設けてその用途に当てている。 集合住宅の場合は、二つの傾向が読み取れそうだ。
一つは、いわゆる行燈部屋とならざるを得ぬスペースをその用途にあてがうもの。 通常の短冊形住戸において往々にして生じるこの手の部屋を、落ち着いて籠ることが出来る空間と謳って商品価値に付そうという目論み。 供給者側の発想としては、合理的なものなのであろう。
もう一つは、玄関の踏み込み部を拡張して「土間スペース」とし、そこに目的の用途を当て嵌めるもの。

後者の空間処理は、以前から無かった訳ではない。 壁一枚挟んで寝室が共用廊下に直接面する状況※1に対し、玄関の踏み込み部を拡張して緩衝空間を挿入※2。 プライバシーの強化と多彩な生活シーンの展開に資そうという提案。 その土間部分に、在宅勤務スペースという用途を再定義してみたということだ。

果たしてそれが、仕事に集中出来る落ち着いた空間足り得るのかということは好みの問題。 個人的には、ちょっと無理そうだ。 しかし、限られた空間の中で既にある手法を用いながら新たなニーズに適用させようとする試みは面白い。 それに、古来日本の住宅において土間は仕事場でもあった。 かつての民家の形式、若しくは土間の機能を、こうして別の意味と形態を組み込み復活させたと見立てられるところも面白い。
中には、玄関から土間スペースを介して直接洗面室に至る動線を設けたプラン提案もある。 これは、昨年8月29日にこの場に書いた玄関に洗面カウンターを設置する事例に相通ずるものであろう。

かつて、ニューハウスという月刊住宅専門誌があった。 もう40年近く前のことになるが、松田妙子が同誌にコラムを連載していた時期がある。 「苦言・提言」というタイトルで、住宅問題に鋭く切り込んだもの。 その連載の中に「玄関再考」というものがあった。 単に靴を着脱するだけの場に堕した近年の玄関の在り姿に苦言を呈し、もっと日本固有の空間として積極的に捉えるべきだといったことを述べている。
新常態などと呼ばれる状況が、集合住宅の玄関に対しても多様な機能を積極的に付与させるきっかけとなるのだろうか。

2021.01.29:はたらく細胞/はたらく細胞BLACK

年明けから「はたらく細胞」の第二期放映が始まった。
「体内細胞擬人化アニメ」と銘打つ通り、ヒトの体内を一つの都市若しくは社会に見立て、その中に存する多種多様な細胞をそれぞれの役割や機能に応じた容姿に擬人化。 身体に作用する様々な事象に対する個々の行動を判り易く、且つ面白可笑しく描いた作品。 取り扱う内容は、花粉症や熱中症から発癌まで、多岐に及ぶ。 視ていて勉強になるし、自身の健康に気遣わなければという気にもなる。

作品自体は漫画を原作とし、アニメ化のみならずノベライズや舞台化、さらには医療関連の教材等、様々な媒体に表現が拡張。 更にスピンオフ作品も多々創作されており、好評ぶりが窺える。
今回、スピンオフ作品の一つ「はたらく細胞BLACK」もアニメ化。 オリジナルの「はたらく細胞」第二期と共に、午前0時を挟んで同時連続放映されるというなかなかに面白い趣向となっている。 オリジナルの方は、健全な身体の中で発生する様々な事象に対処する物語。 対してスピンオフの方は、不摂生極まった体内における出来事。 飲酒、喫煙、ストレス等に侵された劣悪な環境下で疲弊しつつも必死に自らの役割を果たそうとする細胞達の悲話。 キャラクターデザインは原作のイメージを踏襲しているのに、働くその姿はあまりにも痛々しい。 あるいは、両作品間でネタをある程度共有しつつ描かれる平行世界の激しい落差に、より一層健康への配慮の重要性を実感させられる。

とはいえ、例えば飲酒にしたって、それは体内細胞の一つである脳細胞で動機付けられ行為に及んでいる訳だ。 つまり、「飲む」のではなく、北海道弁で言うところの「飲まさる」ということなのである。 脳細胞のせいで「飲まさる」んだから仕方無いっしょ・・・ということにしておこう。
肝細胞さん、今日もゴメンナサイ。

2021.01.22:天気の子

正月休みに地上波で放映された「天気の子」の録画を視る。
新海誠が手掛けたこのアニメ作品は、二年前の公開時に映画館で鑑賞している。 その時の感想については「徘徊と日常」のぺージでも軽くコメントした(2019年7月24日)けれど、結局見たのは一度きり。 前作「君の名は。」の様に、何度も映画館に足を運びたいと思える作品では無かった。

違いが何かといえば、前作はエンタテイメントとして実に素晴らしく纏まっていたのに対し、本作はその点がやや希薄という印象だったこと。 それは、未熟で非力な少年と少女が現代の日本の社会の中で自立して生きていこうとするところに話の骨格を置いたことにあろう。 その境遇に至る背景に触れられることなく描かれる二人の姿は、見ていてとても痛々しい。 挙句に少年の方は反社に手を染める。 それが幼さゆえのことであったとしても、とても感情移入出来るものではない。 前作の様に、主人公達を応援したり、あるいは幸せになって欲しいと単純に願う、そんな気分が観覧中に全く起きなかった。
それでいて、手垢に塗れたセカイ系の方向に進むかの如きストーリー展開に、何を今更という印象も持った。 加えて、ひたすら降り続く雨の描写には、氏の作品「言の葉の庭」で表現された降雨の様な詩性は無く、むしろ陰鬱さ、重々しさだけが漂う。 あるいは、過去の作品にも好んで描写された新宿の街並みについても、ダークな面が殊更に強調されている。

それでも、鑑賞後の気分はそんなに悪いものでは無かった。 むしろ少し清々しい気分になれたのは、セカイ系に見せかけて、決してそれで終わらせぬ心地良い裏切りがあったこと。 そして前作とは異なりメッセージ性が強く打ち出されていたことにあろうか。 そのメッセージがとても腑に落ちるものであった。 例えば、終盤に出てきたセリフ

まあ、気にすんなよ、青年。世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから。

などは、なかなかに達観した言葉。 そして異常気象によって水没した都市で、それでもなおその「ニューノーマル」を力強く生きる人々の姿が描かれる。 二年前の作品ながら、その時点では誰も予想し得なかった現在進行形の状況に対し、何と啓示的な描写であろうか。

エンタテイメントは往々にして一過性の儚さを伴う場合がある一方、メッセージはその内容によっては強い持続性を持ち得る。 録画にて作品を改めて視聴し、そんなことを思った。
少年らの行動の多くは凡そ肯定出来るものでは無いが、しかしその中で描かれようとしたことやその総体としての魅力がゆっくりと伝わってくる、そんな作品なのかもしれぬ。

2021.01.15:メーカー住宅私考_135
床の間問題.4
※1
積水ハウスの「BKW-450型・数寄屋」の和室事例

※2
ミサワホームのSUKIYAの和室。
廻り縁や長押、落とし掛け等を排し、襖も太鼓張りにする等、徹底して線の要素を消している。 ここまでやるなら床柱も省いて洞床にする手もあろうが、省略と簡素が必ずしも同義という訳ではない。

ミサワホームの初期GOMASシリーズにおける床の間の扱いについて書く中で、他社の動向として「ミサワホームほどに平然と定石を崩すものは見掛けなかった様に思う。」と述べた。 では同時期の他社事例の中で、コレは良いと思うものを一つ挙げるならば、迷うことなく積水ハウスの「BKW-450型・数寄屋」ということになる。
同社は基本的に自由設計の立ち位置をとる。 だから、1983年4月に発表されたこの「数寄屋」についても、固定の間取りは存在しない。 但し、推奨事例が販売資料等にいくつか掲載される。 そんな事例の一つとして紹介された和室の画像※1を初めて見た際には深い感銘を受けた。 それまで和室というものにそれほど関心を持っていなかった私に、初めてその魅力を教えてくれた。 そんな画像であった。

踏込み床を矩折りに廻して書院に繋げる。 その書院は、黒塗りの通し棚一枚を渡すのみの簡素な設え。 棚の仕上げは黒漆をイメージしているが、おそらくウレタン塗装なのだろう。 書院と壁の取り合いは、八掛けで納めている。 押入れ建具には、五三桐の雲母擦り風の襖紙。 更には竿縁を吹寄せに組んで照明器具を組み込んだ天井の扱い等、破綻なく全体が組み立てられている。
構えとしては"行"ということになろうか。 数寄屋という商品名なのだから"真"ではそぐわぬが、さりとて"草"に深く踏み込むことも避け、端正且つ簡素に品良く纏められている。 そんな室礼をしっかりと構成すると共に、そのテイストを内観の他の部位や外観にも同様に展開しているところが、このモデルの魅力だ。
こういったモデルを発表する同社にとって、当時のミサワホームの定石外しはどの様に映ったことだろう。 案外、「ミサワさんも、まだ若いなぁ」みたいな感じで評していたのかもしれぬ。

そんなミサワホームも、2003年10月に「it's MY STYLE SUKIYA」を発表する。 後に「CENTURY SUKIYA」に改称するが、その名の通り内外観を数寄屋風に纏めたモデル。 その一階和室に設けられた床の間は、あっさりし過ぎという感が無きにしも非ず※2。 そこに掛かる軸には「日々是好日」の文字。 そういえば、1990年9月に発売されたミサワホームGOMAS Oのパンフレットに載せられた和室の掛軸にも同じ言葉。 何かの寓意か。 同じ書だったら面白いなと思ったけれど、違うものだった。

2021.01.09:メーカー住宅私考_134
床の間問題.3
※1

ミサワホームSW型の和室

二回にわたって、昭和50年代にミサワホームから発表されていた企画住宅の和室について書いてきた。 その特異な床の間の扱いについて言及したが、では正攻法に拠らず、さりとて規範からも著しく外れぬ方法としてどんな空間処理が有り得るか。
一つの解法として、ミサワホームSW型の和室の扱いが挙げられよう。 1983年7月21日に発表されたこのモデルは、一階に和室の続き間が計画された。 そのうち、玄関寄りの和室に、床の間ではないがそれに準ずる設えが組み立てられている※1
廊下からの出入部分の踏込みと押入の間に絞り丸太を立てる。 そしてその押入を吊形式とし、下部に地板を敷き込む。 軸を掛けることは叶わぬが、地板部分に置物や花を配すことで、床の間と同様の雰囲気を愉しめる。 あるいはこのちょっとしたニッチ的なスペースが、室にささやかな豊かさと余裕を生み出す。
これは何もSW型のみに固有のオリジナルな形式という訳ではない。 床の間を設けられぬ制約の中でそれに近い設えを獲得するために広く一般的に用いられている手法ではある。 しかしSW型の場合は、上部の押入は通常の半間の奥行を確保しているのに対し下部の地板部分はその半分程度。 高さ方向に対するプロポーション、あるいは用途としてはそれで十分。 奥行が異なる分は裏側にある玄関に面した下足入れスペースにあてている。 そんな合理的な空間処理が面白い。 そしてこの配置ならば、室内における上座下座の関係にも戸惑うことは無い。

O型の一階の和室についても同様の扱いを採用すれば、少なくとも床の間の配置に纏わる上座下座の矛盾は緩和され得た。 あるいは、一部壁配置をモジュールから崩す必要も無くなった。 時系列的にSW型よりも後の発表モデルとなるチャイルダーO1などに組み込む選択肢もあり得たと思うが、あくまでも床の間の設置に拘ったということなのか。 しかしむしろ、その極浅の設えは、床の間というよりも、その原形の「押板」に近い。 O型の特徴である大黒柱や越屋根と同様、押板も古民家にルーツを持つものであるから、当該モデルに採用する設えとしてこの形式がふさわしいという見立ても出来なくは無いが。
前回、その浅い設えに対する当時の印象として、あまり気になるものでは無かったと書いたが、今改めて思い起すと少々窮屈で息苦しい感じがしなくもない。 ならば、SW型の様な割り切りもあり得よう。

SW型は、同社の当時の企画住宅商品体系である初期GOMASシリーズの終盤に発表された新規モデルである※2。 既に「住宅メーカーの住宅」のページで述べている通り、その内外観には、同社草創期から連綿と突き詰められてきたホームコアの到達点が示されている。 そんな最終モデルにおいて、同シリーズの多くが抱えていた床の間問題を簡素に解決させてみたというところも、位置づけとして面白い。

※2
初期GOMASシリーズは、同社が1975年に策定した「QUALITY21計画」に基づき発表した商品群。
以降の企画住宅は、1984年策定の「アメニティ計画」に示された8段階のライフステージに基づく商品体系に組み込まれており、ここでは初期GOMASとは区別して扱うことにする。
2021.01.02:メーカー住宅私考_133
床の間問題.2
※1
ミサワホームS型NEWの和室。
隣接する玄関側のレイアウトから発生する壁の凹凸を逆手に取り、押入と床の間、踏込みを並べる組み立てが面白い。 しかも三種の並びが散漫な印象とならぬよう、落とし掛けの代わりに織部板を一枚通し、踏込みと床の間は同面の地板で簡素に纏めている。 踏込みと床の間の境界をやや外した絶妙な位置に立てた床柱が、空間を引き締める。

前回からの続きで、ミサワホームO型の一階和室の床の間について。
O型の後継モデルであるOII型のパンフレットに載る当該室の画像では、風炉を置いて茶事を嗜む空間が演出されている。 その風炉の位置は、押入れ襖と壁が取り合う隅角。 そこを点前座にするとして、では客座はどこか。 床の間の位置から想定することとなるが、しかしその想定を破綻させぬために、和室の出入口は画像のアングルから外されている。 否、その意図が有ったかどうかは判らぬが、外さざるを得ない。 そうしなければ、全く出鱈目な演出になってしまう。
こうして何とか茶の湯の空間を取り繕ってはみたが、それでもなお残る点前畳の矛盾、即ち畳の縁を跨いで茶を点てるという状況を解消するため、後継のO型NEWのパンフレットでは室全体の畳の敷き方を90度向きを変える無茶に出た。 すると今度は床の間との取り合いが破綻。 これは写真のみの演出であって、まさか実施工事においてこの様な敷き方はしなかっただろう。
そんな無理に懲りたのか、更にその後のマイナーチェンジモデルであるO型チャイルドでは、接客空間ではなく家人が静かに趣味に興じる空間としての演出が施された(前回引用画像参照)。 そこでも出入口はアングルから外されている。 外さなければ、演出を変えたところで床の間と下座の位置関係の矛盾は払拭し得ぬ。

床の間の配置は、O型のみが定石から外れていた訳ではない。 同社の当時の多くの企画モデルについて、同様の扱いが見受けられる。 規範通りの配置となっているのは、MIII型(及びその後継のM型NEW)とGII型の一部プランバリエーションぐらい。 例えばSIII型は書院も含めて左右逆勝手だし、S型NEWも下座側配置。 最高級モデルのG型は、玄関ホール側ではなくウェルカムホール側からの出入りを主動線と捉えることで、庭への眺望も含め辛うじて矛盾を回避といったところ。

これらの企画住宅が販売されていた当時、私は和室の規範について全く知識が無かったから気に留めることも無かった。 むしろ、諸室を構成する中で極めて合理的に床の間を配置し商品性にも供していることに感心したものだった。 特にS型NEWの扱いについては、巧いなと思った※1し、O型の極薄の床の間にしてみても、別にそれで十分であり、今どき仰々しい床の間など不要だろうくらいに捉えていた。 逆に、正攻法で纏まったMIII型等には何の関心も湧かなかった。
もしかすると、当時の同社の開発担当者達も同様の感覚で床の間を考えていたのかもしれぬ。 商品として和室に床の間を設えることは必須。 でもその配置は必ずしも規範に従うのではなく、全体のプラン構成の中で最も合理的な納め方で決定し、なお且つそこに因習に囚われぬ発想で意匠を与える。
しかし、住まいとは因習と無縁には成立し得ぬ。 同時期の他社において、企画・自由設計いずれにおいてもミサワホームほどに平然と定石を崩すものは見掛けなかった様に思う。 あるいはミサワホームにしても、初期企画住宅の商品群(初期GOMASシリーズ)以外において敢えて離反を試みたものは殆ど無かったのではないか。 例えばその後の"我が間ま住宅"と称する自由設計事例においては、本格的な構えの床の間を設えた渋味のある和室を多々発表している。 あるいは、それ以前の同社草創期における自由設計事例においても然り。 独特な床の間の扱いは、初期GOMASシリーズ(及びそれ以降の一部後継モデル)のみに顕著な傾向である様だ。

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