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2015.11−2015.12
2015.12.26:MUJIBOOKS有楽町店

新建築の12月号に無印良品有楽町店内に開設されたMUJIBOOKS有楽町店が載せられている。
無秩序に増殖するが如く、店内の商品ディスプレイの合間をグニュグニュに曲面を描き、あるいは宙に浮く本棚。 そこに作為的な分類方法に基づき本が配架され、取り敢えずは書籍販売の用途に供している。 ・・・などという書き方をすると、個人的にあまり良い印象を持っていないことが如実でしょうかね。

書店における目新しい試みというと、代官山蔦屋書店あたりがその走りなのだろうか。 おしゃれな内外装を施した店舗にカフェを併設させた新業態は商業的には一定の成果をもたらした様だ。
気を良くしたのか更に進展させた蔦屋家電を二子玉川にオープンさせている。 最近観に行ったけれど、こちらは余り感心できなかった。 ごちゃごちゃしていて、少なくとも書籍を購入ないしは探す目的で訪ねる店では無いなという印象。 カフェで寛ぐための空間なのか、家電やその関連物品を売りたい空間なのか、それとも書籍を買わせたいのか、なんだか訳がわからぬ。 いずれも中途半端。

別の業態との組み合わせと書籍のディスプレイに捻りを加えるという発想。 それは単に商業スペースにおける一過性の話題作りが目的か。 それとも低迷する書籍販売における新たな地平を切り拓こうという高尚な意識が込められたものなのか。
新建築誌に掲載されたMUJIBOOKS有楽町店のプロデュースに関わった面々の対談からは、後者の雰囲気が読み取れぬ訳でもない。 けれども、一度実際に観に行った印象においては、書籍購入を目的に同店に足繁く通う気にはなれぬ。 通勤及び帰宅ルートの途上にあるにも関わらずだ。
純粋にそれのみが目的ならば、向かいの交通会館内にある三省堂書店か、あるいはほんの少しだけ足をのばして八重洲ブックセンターに行く方が、恐らく効率的に求める書籍に辿りつける。 MUJIBOOKS有楽町店のそれは、書棚をモチーフにしたインスタレーションか風変わりな店内インテリアの類いにしか見えぬ。

この様な印象を持ってしまうのは、私が購入する書籍が建築系に著しく偏ってしまっているためなのだろうか。 そうではなく、様々なジャンルの書籍との偶然の出会いを愉しみたい向きには、とても有意な空間構成なのかもしれぬ。 であるならば、既成の書店を超える新たな手法として、MUJIBOOKS有楽町店の試みが一般化する可能性もあろう。
そういった点について少々興味を持って動静を観察してみたくはある。

2015.12.21:年末にちなんだ雑記を徒然に

脈絡も無く四点ズルズルと書いてみる。

NHKの紅白歌合戦で小林幸子が千本桜を歌うというニュースには少し驚かされましたかね。 大御所がボカロ曲をカヴァーするってのはなかなか感慨深くもある。 紅白なんて恐らく三十年来観ていないけれど、今年は視てみようかなという気も少しは起きる。 そう言いつつきっと例年通り大晦日はサッサと就寝してしまうのだろうけれども。
ちなみに、私はこの曲はあまり好みでは無い。 ミュージカルにもなったし、陸上自衛隊の音楽隊や小中学校の吹奏楽部がこぞって演奏に挑む初音ミクの代表曲であり人気曲。 紅白の様な大舞台にはうってつけの絢爛たる作品であることは理解出来るのだけれども。
気が早い話ではあるが、是非来年は初音ミク御自身に出演して貰いたいものですね。 既にミュージックステーションへの生出演も果たしたミクさんですから、可能ではありましょう。 で曲目は・・・、候補が目白押しで絞り込めませぬ。

年末になると、その年鬼籍に入られた著名人のことが改めて報道される。 今年はその中の一人に水木しげるがいる。
氏の著作で手元にあるのは一冊のみ。 「日本怪奇幻想紀行六之巻−奇っ怪建築見聞」なる書籍所収の「狂える家、二笑邸の秘密に迫る」と題した作品。 そのタイトル通り、かの二笑亭の建築に関する顛末を描いたものだ。 氏の画風は、二笑亭の内外観の異様な雰囲気にピッタリ合っているという印象を持つ。

数年前からピアノの練習を再開していることはこの場に何度か書いている。 といっても実際に使用しているのはピアノではなく十数年前に購入したキーボードではあるが。
今年新たに加えることが出来たレパートリーは僅か一曲。 NHK教育でかつて放映されていたYOUという番組のエンディングテーマ曲だ。 坂本龍一の作品になる。 ネット上でソロピアノ向けにアレンジした譜面が販売されていたので、それをダウンロードして練習を試みた。
下手くそながらも取り敢えず弾ける他の曲も殆どが坂本作品。 色々あるけれども作曲家としての氏はやはり凄いと思う。

プレハブ住宅についての興味は、昭和40年代から更に30年代に拡張。
今年は、エヌケープレハブの初期モデルや大和ハウス工業のミゼットハウスを実際に拝む機会に恵まれた。 と同時に当時の極めて有用な資料や書籍にも幾つか出会うことが出来、この面ではそれなりの成果があったと勝手に自己満足している。
一方で、数年前から気にかけてきた当時のプレハブ住宅の幾つかが除却ないしは建て替えられてしまった。 当時の記憶を留める貴重な事例は、その物理存在が極めて危ういものとなりつつある様だ。

2015.12.16:メーカー住宅私考_60
コートホーム

中庭を挟んで複数の白壁が高さや幅を変えながら敷地の奥へ向かって二列並ぶ。 全ての壁体は、屋根勾配に合せてその天端を斜めにカットしており、その向きは左右それぞれの列で逆。 そのことによって、壁の連なりが中庭を挟んで対面配置されているという印象を強める。 更に、個々の壁体はその小口に木調の縁取りを施しエッジをシャープに強調。 そして一部を除き基本的に開口部を穿たぬことで、モノリシックな壁体の連なりという外観構成の特徴を強化している。 その壁と壁の間に空間が挿入され、住宅としての諸室を配置。 中庭を挟んで二棟が対面する住宅が形成される。 否、住宅というよりはむしろ小洒落た小美術館といった趣き。
そんな佇まいを見せるこのモデルは、1974年に東京晴海で開催された第三回グッドリビングショーにミサワホームが出展した「コートホーム」と名付けられた住宅。 多世帯居住のための住まいの在り方が提案された。

それまでハウスメーカーが手掛ける住宅は核家族を前提とし、あるいはその世帯構成が激増する社会情勢に対応して住宅供給が進められて来た。 1970年代に入り、その様な状況への反省から多世帯居住の可能性について議論され始める。 同提案モデルが公開されたのは、そんな時期と重なる。

親世代と子世代の住棟が一つの敷地の中で中庭を介して独立しつつ向かい合って建つ。 そのことによってお互いの生活の補完とプライバシー確保を両立させる。 明快な構成だ。
それぞれの住棟は、無窓の白壁が連なる妻側に対し、桁方向は縦長のスリット状の開口を多用したデザインが採用されている。 その意匠が屋内にも活かされ、吹き抜けを多用した空間に縦スリット状の窓からの豊かな採光を確保するとともに、個性的で変化のある諸室の連携を実現している。
これらの開口は、眺望のためというよりは採光や通風を目的の主としているという印象を受ける。 住棟同士がお見合いで配置されるため、視線の錯綜に配慮してやや特殊な開口形態を選択したのだろうか。

多世帯居住が議論され始めた時期に発表されたモデルという位置づけで捉えると興味深くはある。 しかしここで提案された形式が、その後この居住形態における一般解になり得たかというと、否。 中庭を挟むお見合い型の住戸配棟が前提となるが故の広い敷地の必要性が一般化への制約となったのだろうか。
むしろ、今日に至る迄の主だった流れは以下の二つだ。 即ち、一つの棟に親子二世代が快適に住む、ないしは継続的に住み続けるための仕組みづくりやプラン形態の深化。 そしてそれぞれの世帯の近居である。
但し、最近の多世帯居住の前提は、親族という枠組みを超えて多様化している。 よって、同居と近居の中間的な位置づけにあるこのコートホームの様な考え方が四十年の時を経て脚光を浴びる可能性もあろう。

2015.12.06:プレハブ住宅+古民家
※1
同社は1963年7月に設立(2002年自主解散)。
当時の資料で確認出来る範囲では、私が見かけたのはその最初期モデルではなく、1965年頃のもの。
下の画像は、同社の当時の広告に載せられたH64-18型-Aの外観。 私が観た事例は、各部位のディテールや開口部の配置がこれとほぼ同じであった。

川崎市に在る日本民家園内に移築保存されている古民家を巡るイベントへの動員を知人から求められた。 その見学会を企画しているのだけれども、参加希望者が少なくて困っているのだという。 人助けと思えば了解するしかないが、当該施設には既に何度も行ったことがあり、今更・・・という気がしなくもない。
否、それだけではない。 建築の保存ないしは記憶の継承に纏わるauthenticity(真正性)の問題に関し、この手の施設で展開されている手法には批判や否定は出来ぬものの素直に肯定することにも抵抗がある。 このことについては別の機会に改めて書いてみたいが、その意識によって民家園の類いに対しては暫し足が遠のいていた。

ともあれ、開催日には特に予定は入っていなかったし天気も良い。 ということで久々に同民家園に向かうが、敢えて最寄駅の二つ手前で下車。 どうせ見学会(というか、民家園そのもの)には大して期待も持てないから、少々散策しつつ現地にゆっくり向かうこととし、その散策こそを当日のメインイベントにしようという目論み。
穏やかな冬晴れの下、二時間弱勝手気ままに逍遥する。 その際、極々ありふれた住宅地の中に個人的には物凄く貴重な物件が目に留まった。 日本鋼管(現、JFEエンジニアリング)のグループ会社、旧エヌ・ケー・プレハブが1960年代前半に発表したNKホーム。 その初期の頃のモデルだ※1。 しかも目視の範囲では改修の手が入った様子は殆ど無く、竣工時のオリジナルの状態を極めて良好に保持しつつ大切に住み続けられている。 これこそが、建築におけるauthenticityの理想形であろう。
もう、この住まいを発見したことだけでこの日の目的は十分果たすことが出来たという気分になってしまった。 これ以上、何を望もうか。 暫しその外観を鑑賞したのち、ええいままよと民家園へ向かう。

指定されていた集合場所で知人と落ち合う。 既に他の参加者も集まっている。 最初に簡単なオリエンテーション。 見学会は、近代建築が専門の建築史家が説明員として随行するということで紹介された。 何だか見た目随分若い。 「オイオイ、大丈夫かよ。通り一遍の概要説明くらいじゃ承知しねぇぞ」などと高飛車なことを心の中で思いつつ、最初の見学対象へ他の参加者と共に向かう。
サテ、いったい何を解説してくれるのかと思いきや、いきなりディテールについてマニアックに語り出した。 その勢いは止まらない。 どんどん深い専門領域へと突き進んでいく。 やや面喰って知人の方を見ると、シテヤッタリといった表情を私に返してくる。 そりゃそうだ。 彼がありきたりの企画など立てる訳がない。
私自身の知識の浅さを思い知らされて冷や汗をかきつつ新たな知見を大量に得るとても良い機会となった。

見学会終了後、知人に礼を述べてその場で別れ、再びNKホームに向かう。
未だ戦後の住宅難から抜け出せずにいた時代にあって、工場生産された軽量形鋼を用いた今迄に無い全く新しい住宅生産システムを構築することで、従来の木造工法とは異なる高品位でモダンな住宅を大量且つ安定的に供給しようという往時の技術者たちの気概。 そんな意気込みが込められたディテールを改めて観察。
住宅史の一部に組み込まれつつある国内最初期のプレハブ住宅と、既に歴史の中にある古民家の双方を堪能する充実した一日となった。

2015.12.02:宇都宮市

建築探訪のページに、宇都宮市に建つ栃木県開発センタービルを載せた。
この街に関しては、仕事の面でも、あるいは個人的にも特に縁がある訳ではない。 にも関わらず、同ページに宇都宮市内の建築を幾つか載せることとなった。

同市を初めて訪ねたのは90年代半ば。 有名な大谷石地下採掘場跡を観ることが目的であった。
その際、駅を降り立って眺める町並みは極々普通のどこにである地方中核都市のそれと大して変わらぬといった程度の印象でしかなかった。 印象と言っても、一瞥しただけ。 駅前からバスに乗って目的地に向かってしまったから、街中をじっくりと観て廻った訳ではない。
採掘場跡を堪能したのち、帰路のバスの出発時刻まで相当時間があったため、待つのも無駄だと、徒歩にて市街地に向かう。 途上、大谷石を用いた蔵や住宅、工場が散在し、なかなかに目を楽しませてくれた。 しかし時期はちょうど盛夏。 地下深くの採掘場と地上の気温差、そして炎天下の中を長距離歩いたせいで、街中に辿り着く頃にはすっかり疲労困憊。 市街地の建物には目もくれず、そのまま駅になだれ込んで帰路についてしまった。

その後、仕事とは別にこの地を訪ねたのは2007年の2月。 栃木県庁舎議会議事堂が取り壊されるとの情報を得て、急遽出向いた。
隙の無いディテールにぎっしりと覆われた美しい外観を存分に堪能した後、あてもなく市内を散策。 その際、何やら個人的嗜好と合致する建物が散見され、これはなかなか面白そうな街だと思った次第。 以降何度か訪ねているが、その都度新たな発見があって面白い。

しかし何もこれは宇都宮市のみに限ったことでもあるまい。 例えば、かつて長く住んでいた長岡市だって、改めて眺めてみると面白い建物が多く確認出来た(←但し、半ば過去形・・・)。
恐らく他の様々な都市においても、じっくりと観て廻れば何かしら自分にとって興味の対象として捉えられる建築が多数埋もれているのだろう。 それらを確認すべく行動してみたいと時折思うけれど、なかなか・・・。

2015.11.24:蕎麦&アート/大瀧洋平展に関して
※1
蕎麦&アートvol.37
大瀧洋平展

於:
長岡小嶋屋
CoCoLo長岡店
会期:
2015年11月16日〜
2016年1月24日

新潟の蕎麦といえば「へぎそば」。 そして、へぎそばといえば長岡在住中、私の家では角弥であった。 近所に店舗があったため年越し蕎麦もそこに注文していたし、幾度か家族で食べに訪ねたこともあった。 長岡から離れて暫く経った90年代半ば頃、久々に訪ねたら同じ場所で同じ店構えにて営業をしていたので、懐かしさのあまり入店。 しかし残念なことに内部の雰囲気や料理はすっかり劣化していた。 改めて調べてみると、その後ほど無くして閉店。 のれんは群馬県内の一店舗に辛うじて引き継がれている様だ。
以降、へぎそばを食べるといったら小嶋屋ということになる。 長岡駅前にも店舗があるし、以前は銀座にも店を構えていましたからね。
でも、個人的にこの店の蕎麦もめんつゆもあまり好みではない。 どちらかというと、数年前に高校時代の同級生に案内されて食べに行った小千谷のわたやの方が好きですかね。 否、双方並べられてどちらの店のものか当ててみよと問われて的確に答えられる程の自信も鋭敏な味覚も全く持ち合わせていないのだけれども。

しかしそんな小嶋屋は、「蕎麦&アート」と銘打って知人が店内のアートコーディネートを手掛けている。 定期的に展示作品の入れ替えが行われ、随時そのことが御本人のブログに紹介されている。 その中には気になる作家も登場する。
特に、今月の中旬から展示されている大瀧洋平という画家の作品※1は以前からその知人のブログで見知って少々興味を持っていた。 いずれもモチーフは建物の外観の一部。 その要素を極限までそぎ落としつつ、凡庸な抽象画に陥らぬギリギリのところで魅力を放つ。 そんな独特の見切り方が何とも美しい。
ということで、21日と22日の二日間、県内を建築行脚していた途上、展示が行われている小嶋屋CoCoLo店に入ってみた。 こんな機会でもなければ、わたや派の私としては好んで同店舗には入らないかも知れぬ。 蕎麦&アートの企画は重要ですゾ>小嶋屋。

閑話休題。
店内に展示された「アンテナ」というタイトルが付けられた油絵の前の席に坐り、へぎそばをすすりつつ全ての作品を眺め回す。
作品を観ていて思ったことを二点。
一つは、個々の作品は一点のみでも完結した美しさが堪能出来る。 しかしそれ以上に、店内の展示の様に適切なレイアウトをもって複数並ぶことによる相互作用で一層作品の魅力が強化される、そんな作風の絵画なのかも知れないなということ。 そしてもう一点。 いずれもモチーフはありふれた民家を思わせる。 そんな凡庸なものを対象に作品に昇華させるところが妙味なのではあろう。 しかしこの作風で他の建築用途を対象とした展開が図られるとするならば、どんな風になるのだろう。
そんなことに少し興味を持ちつつ今後の創作をそれとなく眺めてみたい・・・などと、芸術の秋に因みガラにも無い雑記を好き勝手にしたためてみた。

2015.11.17:スターライト工業製便器
※1
その事実を知って初めて自分が北海道生まれながら北海道の人間ではないということを実感し、少し複雑な気分になりましたかネ。
ま、生まれてまもなく新潟に引っ越した訳だし、親が殆ど北海道弁を使わないという事情もある訳ですけれども。

時折拝読するブログに最近取り上げられるまで、札幌市営地下鉄の駅構内に設置されているトイレのことはすっかり忘却の彼方にあった。
私が初めて観たのは、親元を離れ同市に住み始めて間もない80年代終盤。 第一印象は「都会のトイレってのは変わっているナ」とか「コレが先進のお洒落なデザインというものなのダロウカ」といったものだった。
さもありなん。 新潟県の長岡市から移り住んだばかりの私にとって、当時の札幌はとてつもない大都会であった。 見るもの聞くもの全てが大都会ならではの最先端にして素晴らしく洗練された事象なのだと信じて疑う余地など全く無かった。
だから、例えば日々の会話の中に「なまら」という言葉を耳にしても、それは何かの流行語なのだと最初は思ってしまった。 さすがに札幌は流行の伝わり方が早いのだな・・・などと思い込み、実は生粋の訛りなのだと知るのに暫し時間を要したくらいだ※1
そんな文字通り右も左もわからぬ状況に置かれていた当時の私にとって、そのトイレは実に奇怪なものに見えた。 大きくて浅い円形の窪みの中央に和式便器と思われる更なる窪みが一体成型で作られたFRP製の床面。 そしてその中に足を載せるのであろう踏み台と思しきモノが二つ並列配置されている。 やや面食らいつつ、しかしそれを遥かに凌ぐ衝撃が、水洗のフラッシュバルブを押すのと同時に私を襲った。 円形の窪みの中を、渦を巻くように水が勢いよく流れる。 踏み台から少しでも足を外そうものなら、その濁流に飲み込まれてしまいそうだ。 足元を襲う怒涛の水流が収まるまで、身動き一つ取ることも出来ずに両足を強張らせたまま、閉塞された狭小空間の中に立ち尽くす自分がそこにいた。 そして思った。 「都会のトイレって恐ろしい」・・・と。

冒頭のブログによると、各駅のトイレは徐々に改修されこの形式の便器は希少なものになりつつあるという。 親切なことに、東西線ひばりが丘駅に辛うじて現存するとも紹介されている。 こうなると見に行かない訳にはいかぬ。 少し前に帰札した際、早速出向いて遠い過去の体験を想い起こしつつ暫し観察と相成った。
ネットで調べてみると、これはスターライト工業が開発したもので、札幌市営地下鉄のみならず、全国の公共トイレに広く採用された時期があったらしい。 そこには、トイレを少しでも快適で清潔な空間にしようとする工夫が組み込まれていた。 すなわち、便器のみならずその周辺も洗い清める機構の付与。 それが足元まで水が流れる仕組みである。

札幌市営地下鉄では、ひばりが丘駅以外にも東豊線東区役所前駅にやや異なる形の同様の便器が今のところ現存する。 窪みが正円ではなく角に丸みをつけた四角であるが、洗浄時に踏み台の下を水が流れる仕組みは同じだ。

2015.11.05:メーカー住宅私考_59
イメージ断面図

10月14日に書いた第58回の続き。
前回引用したミサワホームA型二階建ての広告に用いられた断面図のうち、図3は実際の垂直断面がある程度正確に表現されている。 プランの中央に集中配置されたコア部分を張間方向に切断した状況がそこに示されている。
当該部位は階段室や玄関、そして台所やサニタリー等の水廻りが集中する箇所で、いわゆる居室にあたる用途は切断面に現れない。 どちらかというとサービス用途に該当するこのコア部分を敢えて広告に載せる断面図の切断面として選択したのは、当該モデルの特徴を最も端的に表すことが可能なのが、この部位であったためであろう。 つまり、プライバシーと眺望の両立を図った二階の浴室。 そして同じくトップライトから豊かな陽光が降り注ぐ階段室。 細かいところでは二階洗面室の直上に設けられた隠し金庫の存在(公表してしまっては、隠し金庫にはならぬが・・・)。
主要居室部分の断面よりも、むしろこれらを見せることが可能な断面の方が、当モデルの魅力をより強く訴えられる。 そんな意図をもってこの断面図が作成され、尚且つその内容を充実させるべく時系列に沿って図版が三種類発生したのではないか。

ところで、同時期に同社が発表していた他モデルの広告にも断面図を用いたものがある。 例えば1976年発表のミサワホームO型。 そして1980年発表のミサワホームSIII型。


O型の断面図   

SIII型の断面図

しかしこれら2モデルの断面図はA型二階建てのそれとは若干体裁が異なる。 リアルな断面図ではなく、特徴的な部位を自由に組み合わせて編集した、いわばイメージ断面図だ。
O型においては、その最大の特徴である建物中央を貫く大黒柱とその天端に載冠するロフトを内包した越屋根。 その大黒柱に寄り添うように各階を繋ぐ力桁形式の階段。 そしてオプション設定されているサンクンガーデン付きの地下室等々。 それらの設えの中で、大家族が和やかで豊かな暮らしを各居室で満喫している描写。 三世代居住をテーマの一つに掲げた同モデルの魅力が、自在且つ遺憾無く表現されている。
SIII型のそれは更に先鋭化。 方形屋根の頂部に載るソーラーシステムユニットを象徴的にアピールしつつも、果たしてSIII型という前提でその断面を眺めて良いのか否かも微妙な断面図。 しかしそこには特徴がしっかりと押さえられた内観が融通無碍に広がっている。

A型二階建てとこれら2モデルの断面図の扱いの違いは、勿論広告における個々のモデルのアピール手段としてより効果的な表現を追求した結果であろう。 しかしそれならば、例えばM型2リビングなどもイメージ断面図が描かれて然るべきと思うのだけれども未見だ。 更に他のモデルはどうなのか。
ちなみにイメージ断面図はその後、右のような架空モデルの描写へと進展した。 1984年頃に描かれたものだ。 SIII型をベースにしながらも、そこに表現されているのは当時同社が基礎研究を進めていた近未来住宅の一つの理想形である。

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