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2015.10.29:真鶴町立中川一政美術館
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所在地:
神奈川県足柄下郡 真鶴町真鶴1178-1
設計:
柳澤孝彦+ TAK建築研究所
竣工:
1988年
※1:
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訪ねたのは既に二十年以上前のこと。
就職して東京に住み始めて間もない頃であった。
中川一政の作品に興味があった訳ではない。
柳澤孝彦の設計による小振りだけれども質の高い美術館が、居住地からやや離れているものの、少し時間をかければ観に行くことが出来るといった程度の理由で訪ねた。
同美術館のエントランスに入った際、出入り口の前で立ち止まり、吹き抜けを伴うホール全体を暫し眺めていた。
そんな私を見て受付の人は来館目的を察したのか、私の方に寄ってきて建物の概要のみを纏めたリーフレット※1を「どうぞ」と手渡してくれた。
私が訪ねたのは、竣工してまだ数年しか経っていない頃。
恐らく同様の、つまり建築鑑賞が目的の来場者が後を絶たず、館員も慣れ切っているといったところだったのでしょうかね。
そのリーフレットを携えつつ、館内を巡る。
コンクリート打ち放しの繊細な施工精度。
隙のないディテール。
それらが混然一体となった確かな空間構成。
漸く建築学徒から一歩進んで現業の世界に足を踏み入れたばかりの私の視線は頼りなく移ろうのみ。
従って、今となっては訪ねた際の記憶もすっかり薄らいでしまっている。
再訪すれば少しはかつてとは異なる視線で建築と対峙することが出来るだろうか。
あるいは、主役である作品を堪能する余裕も持てるだろうか。
そのうち機会をみて改めて訪ねてみることにしたいと思う。
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2015.10.21:階段
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7月20日の雑記に長岡市の図書館「互尊文庫」の階段について書いた。
建築の中でも、階段は面白い要素だと思う。
考えてみれば(これも、この場に何度か書いているが)、私が建築に興味を持つきっかけとなったのはミサワホームO型の階段だ。
力桁階段と大黒柱と吹抜けを組合わせた設えが玄関ホールから二階へと貫く構成。
幼少のみぎりにTVCMでその映像を見て以降住宅に興味を持ち、そして曲折を経ながら今に至っている。
もしもミサワホームO型の階段が凡庸なものであったならば、今頃全く違う人生を歩んでいた可能性だってなくも無い・・・などと書くと、ちょっと大袈裟かもしれぬが。
階段に関して優れた事例というと、互尊文庫と同じ長岡市内に関しては石本建築事務所の設計による、旧長岡市庁舎(柳原分庁舎)の階段も挙げられそうだ。
といっても、この階段について知ったのは近年になってからのこと。
知人がブログにて紹介していたことに拠る。
二年前に長岡を訪ねた際に、早速訪ねてみた。
当該建物に関しては外観はそれとなく見ていたが、屋内に入るのは実はその時が初めて。
さもありなん。
かつて住んでいた際にはこの建物に興味が湧くことは全く無かった。
建築に対する興味の対象は住宅、しかも殆どミサワホームに絞られていたし、当該分庁舎に対しては古臭い建物くらいの印象しかなかった。
関心を持つようになったのは、長岡を離れて相当時間が経ってからのこと。
初めて外観写真を撮ったのも、新潟県中越地震後。
震災の影響に伴い塔屋の最上層が除却されてしまい、ややプロポーションが崩れてしまった外観しか撮ることが出来なかった。
建築探訪のページに載せている画像も、除却されたあとのもの。
塔屋一つとってみても、いかに全体のバランスを考慮してその高さ寸法が周到に計画されたのかが逆に良く判る。
除却以前の外観を十分に堪能し得なかったこと、そして個人的に写真撮影すらしていなかったことを悔やむ。
そんな外観を暫し眺めてから建物東端の出入口から屋内に入ると、天井に配管が露出して何本も這う薄暗い中廊下が奥へと続く。
屈曲した平面形態の建物であるため、中廊下もそれに合せてカーブし先が見通せぬ。
その廊下を進み建物のほぼ中央付近に至ると目的の階段が視線に飛び込んでくる。
建物の屈曲に合せ、中央に三角形の吹抜けが各層を貫く廻り階段。
中踊り場には外部に向けて大きく穿たれた開口から陽光が燦々と射し込む。
中廊下との明暗の対比が鮮明だ。
そして、吹抜けに面して密に並べられた丸鋼が、溢れる自然光の中で縦方向に簡素なラインアートを形成している。
機能的には転落防止なのであろう。
しかしそこに少しばかりの形態操作を加えることで、屋内空間における象徴性を階段に付与している。
今現在、中高層建物における垂直動線の機能はエスカレーターやエレベーターにとって替わられ、階段は避難経路等の法的に要求される機能を担うのみの扱いである場合が多い。
結果、無機的で魅力のない、あるいはその存在すら気づかれぬ階段の事例がとても多い様な気がする。
それゆえに、かつて階段が垂直動線の主要用途としての立ち位置を持っていた時代ならではの意匠上の配慮が逆に新鮮で興味深いものに見えてくる。
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2015.10.14:メーカー住宅私考_58
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※1:
パターン2もしくは3に表現されたものと同様のミサワホームA型二階ての浴室。
大きく穿たれた開口の向こう側に、玄関の吹抜け上部の勾配を伴うトップライトが見える。
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昭和50年代のミサワホームの広告は、紹介するモデルの屋内での生活シーンを描き込んだ断面図を載せることがしばしばあった。
その中で、1977年発表のA型二階建ての断面図は私が確認した範囲では三つのパターンがある。
以下に並べてみる。
一つ目のパターンはごく初期の広告等に限定的に用いられたもの。
玄関真上の二階に浴室が設けられ浴槽部分の天井は勾配を伴うトップライトとなっている(右図の二階右側部分)。
そこには、入浴しながら星空を眺められるという同モデルのセールスポイントが端的に表現されている。
また、浴室と外壁の間に微妙な離隔が生じており、そのスリット状の吹抜けを介してトップライトからの採光の一部が一階の玄関にもたらされる構成が確認できる。
二つ目のパターンは、人物描写に関しては一つ目のものとほぼ同じ。
また内観の表現も台所回りにアーチが書き込まれていること等の一部を除き基本は同じ。
但し浴室の位置は大きく異なる。
半間分洗面室側に移動し、それよってトップライト直下の空間は全て玄関ホールの吹抜けとなっている。
そして浴室はこの吹抜けを介してトップライトに面する形となり※1、屋外への眺望を確保しつつプライバシーへの配慮も強化された。
この図版を掲載した広告も発売して間もない一時期に限られている。
三つ目のパターンは、初期段階を除いて同モデルがラインアップされている殆どの期間において使用されたもの。
浴室位置は二つ目のパターンと一緒。
しかし内観や人物描写が前二者よりも充実している。
二つ目のパターンでは唐突に見える台所廻り天井部のアーチも、それが無目開口枠の表現であることが判る様に描き直されている。
浴室の位置が変更された理由。
それは発売と同時に実際にパターン1の通りにモデルハウスを造ったところ、是正が必要との判断が下されたためなのかもしれぬ。
一つ目のパターンに見受けられる浴室の扱いはとても個性的ではあるが、同時になかなか大胆でもある。
普遍的に受け入れられるか否かは微妙なところ。
それに玄関からの見上げの視線において、スリット状の吹抜けは中途半端なものかもしれないし、クロス張り等の施工も大変だ。
比べて二つ目のパターンの空間処理は、商品上の魅力付けとしてバランスが取れている。
このため、販売開始直後に図2の如く急遽微調整を実施。
更に、広告としての見栄えにも配慮し、内観の表現や人物描写に手を加えてパターン3に改められた。
そんな経緯があったのかもしれぬ。
となるとパターン1や2は、このシリーズの第57回にて言及したミサワホームG型の試作版アクソメ図と同じ様な位置づけなのかもしれぬ。
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2015.10.06:切断建築に纏わる備忘録
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※1:
周囲の建物どうしの接続状況をみると、結構強引に建物規模が増殖した過程がある程度読み取れる。
そんな中にあって、やや左手に切断が発生した状況は如何なる背景、プロセスによるものなのか。
改めて写真で確認するにつけ、興味がわく。
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少し前に建築の側面のページに北海道物件No.11を載せた。
当該ページの各項目のタイトルは八文字で表すというあまり意味の無い自主ルールを設定しているために「除却性建築半減期」などという言葉を当ててみた。
今回挙げた物件の様な綺麗な半減状態ではないにしろ、減築によって建物の一部が切断された状況が露わとなった事例には時折遭遇する。
左に載せた画像※1はその一例。
これも八文字で表現するならば「切断性建築縮退期」とでもなろうか。
北海道物件No.11とは異なり、こちらの切断面には平滑なモルタル左官が施されている。
都市や地域のシュリンクに連動し、こういった物件の事例は今後益々増えるのかも知れぬ。
否、過去においても産業の衰微に合わせてその産業に深く関わった建物の規模が縮減した事例は挙げられる。
例えば、ニシン番屋にも見受けられる。
ニシン漁家建築のページにおいても言及しているが、同建物は網元の居住スペースと傭漁夫の寝泊りスペースを中央の通り土間を介して左右に並存させる形式が一般的であった。
で、ニシン漁の衰退に伴って傭漁夫側のスペースは無用となる。
しかし、巨大な吹抜けを有するそのスペースは他の用途への活用もままならぬため、いつしか除却。
建物の半分にあたる網元の居住スペースのみが残存するというケースだ。
そしてその除却についても、一気に行われる場合と徐々に失われる場合が有った様だ。
後者の方は、住居の熱源・・・つまり薪として構造部材が活用されていると思われる事例もあった。
無用となった建物半分のエリアが年々失われていくという訳だ。
これも八文字で「漸時性建築半減期」などと言い表せようか。
かつてその変容を随時確認していたが、傭漁夫側スペースが徐々に薪に変換され、ほぼ半減期ともいえる状況に差し掛かった段階でその番屋は一気に取り壊されてしまった。
減築に纏わり建物に生じている状況を観察するというのは、なかなか面白いテーマかもしれぬ。
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2015.09.25:メーカー住宅私考_57
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建築会館の図書館に籠って建築関連雑誌のバックナンバーを読み耽る。
ここには様々な専門誌が所蔵されており、書棚から直接手に取って読むことが可能だ。
国会図書館の様に端末で検索して閲覧を申請、閉架書庫から図書が運び出されるまで十数分待つといったプロセスを要しないところがありがたい。
煩わしさが無いだけではなく、これらのプロセスを経て漸く手に取った書籍の中に目的とする情報が見い出せなかった時の軽い空しさを味わうことも無い。
検索という手段では辿り付けないであろう書籍に偶然出会うことだって期待出来る。
ということで、お宝眠る電動集密書架を徘徊。
選び出した合本をサンクンガーデンに面した窓際の落ち着いた席に運び、ページを捲りつつゆっくりと眼福に授かる。
その際、ミサワホームG型に関する初見の図版が目に留まった。
1978年発表のこのモデルについて、今になって新たな図版を発見する機会を得るというのは思いもよらぬこと。
これだからバックナンバー探索は止められぬ。
その図版は平面プランのアクソメトリック図であるが、正式に発表され販売資料などに用いられたものとは異なるバージョンだ。
プランが正式版とは微妙に違い、所々に練り切れていない粗削りな箇所が散見される。
また描写そのものについても粗っぽいところが見受けられる。
一方で、正式版には無い面白さも確認出来る。
それらを一つ一つ確かめるうちに、どうやらこれはG型の発表前に同社の東京高井戸本部裏手に建てられた試作モデルにほぼ合致しそうだということに気付く。
つまり、もしかすると開発段階における検討用に描かれたものである可能性がある。
そしてそれが何らかの理由で雑誌の記事の中に図版として用いられたのかもしれぬ。
同試作モデルの内外観と正式版との違いをここにツラツラと書き並べることは個人的にはスコブル楽しいが、長くなるので控える。
当時の書籍や同社の資料の中で、試作モデルについて扱っているものは極僅か。
従って、全体像が把握可能なこのアクソメ図は極めて貴重だ。
と同時に当時の同社の商品開発プロセスも垣間見え、興味深い。
そこからは、図面検証に基づき試作モデルを建て、そのモデルで詳細の確認を行い正式発表に向けて細部の調整や改善が図られた様子が窺える。
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2015.09.16:妄想都市
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長岡市を中心に発行されている情報誌「マイスキップ」の9月号に短いコラムを書いた。
内容は同市の歓楽街である殿町にかつて存在したキャバレー新世界について。
・・・などと書くと、そういうネタで文章を書けるキャラだったっけ?などとツッコミが入りそうだ。
ハイ、その通り。
同市に居住していたのは未成年の時期。
従って殿町は全く縁の無いエリア。
それでなくとも、この手の遊興施設は好きこのんで通い散財したいと思う対象ではありません。
それに、こういった場所での立ち居振舞いなど、テンで存じ上げておりませぬ。
じゃあ、そんな私がなんで係る施設について書いたのか。
その経緯と内容については同コラムを御高覧いただければと思います。
ところで今月号の特集ページに載せられている「少年Hの妄想都市」と題する市内在住の方のコレクションに関する記事はとても興味深い。
そこに紹介されているのは、戦時中あるいは戦後間もない時期に少年が描いたと思しき空想の都市計画。
掲載されている都市図は、何処かに実在してもおかしくはない程に高い完成度を持っているように見える。
あるいは時代背景に寄り添いつつ自らの理想を実在する街に上書きしたものなのだろうかと思わせる様な不思議な現実感を伴っている。
作者不詳のその「作品」に価値を見い出し秘蔵品として大事に保管していらっしゃるコレクター氏の確かな審美眼には恐れ入った。
そして記事のタイトルにある「妄想都市」という表現も何とも琴線に触れる。
私も幼少の頃、架空の都市を妄想してはデパートの包装紙やチラシの裏側に落書きをしたためることがしばしばあった。
既に遠い過去のことであるし、当時書いたものは何一つ残っていない。
しかしおぼろげながら当時のことを思い出してみると、整形なグリッドに基づく街区を好んで描いていた。
そう、その頃の私にとっての理想の都市は、年に一度の帰省で訪ねる札幌市であった。
開拓初期より計画的に敷設された整形な街路網。
そこに高層建物が建ち並び、そして光と緑に満ち溢れる「輝く都市」は憧れの対象そのものであった。
見果てぬ夢の地である札幌の様な街を創ることが出来ないか。
そんなことを妄想し愉しんでいた様に思う。
しかしそれは何歳までであったか。
小学校の高学年になる頃には住まい単体に興味が移っていて、都市という群体を妄想の対象にすることは殆ど無くなっていた様に思う。
更にかつて憧れた札幌で過ごした学生時代には、既に整形グリッドに対する魅力も薄れていた。
そしてすっかり想像力が枯渇してしまった今現在。
少なくとも東京は、私なんかの考えを遥かに超えるスピードと規模でどんどん変わり続けており、妄想の付け入る余地など全く無さそうだ。
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意味を失った真実を僕はただ投げ捨てて
夜の目醒めを待つ
都市の台本が書き変わる
初音ミク『計画都市』(Aki/millstones)
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2015.09.08:マジカルミライ2015
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※1:
雪ミクスカイタウンのグッズショップエリア。
これとは別にカフェエリアとミュージアム、そして「北海道ぐるっとシアター」なる360度全周スクリーンを備えたシアタースペースにて構成されている。
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9月4日から6日の三日間、「初音ミク・マジカルミライ2015(以下、「マジミラ」)」が開催された。
初音ミクに関する様々な企画展示とライブを同時開催する大規模なこのイベントも、今年で三年目。
私はフィギュアやイラストといった創作物の展示やオリジナルグッズ等の販売には大して興味は無い。
そしてライブに関しても、入手困難なチケットの争奪戦に挑む気になどなれぬとハナから諦めている。
仮に入手できたとしても、会場にて終始立ちっぱなしのままネギ(ペンライト)を振り回しつつ曲に合わせて掛け声を絶叫し続けるだけの体力や気力には自信が無い。
ということで、ライブや物販イベントを実際に訪ねたことは一度も無い。
せいぜい、二年前に六本木ヒルズで開催された冨田勲と宇野常寛のトークセッション「初音ミクと音楽の未来を語る」の聴講に出かけたくらい。
あと、新千歳空港国内線ターミナルビル内に昨年オープンした「雪ミクスカイタウン」を、搭乗機を待つ間にうろついたりはしますかね※1。
うろつくだけだけど・・・。
ということで、今年のマジミラも特に行く気は起こらなかったものの、開催地は日本武道館と近傍の科学技術館。
デビュー(というか、正確には「発売」か・・・)から八年、そして初ライブから六年目にしてついに日本武道館かと思うと、気にならぬ訳でもない。
東京MXで中継特番が組まれたので、これは視聴した。
どうせ企画展の中継や販促目的のオリジナルグッズ紹介がメインでライブは録画したものを何曲か流す程度なのだろうなとあまり期待していなかった。
しかし放送が始まってみると、90分間の番組枠のうち約60分がライブの中継。
しかも途中からは本当に生中継であったのは嬉しい誤算であった。
さすがは東京MXテレビ。
既にネット上には当日レポートが数多く挙げられている。
概ね好意的に受けとめた感想が多い様だ。
なるほど、ライブに関してはTV視聴においても昨年及び二年前のそれに比べて、改善点が多く見受けられた。
例えば二年前のライブで気になったディラッドボードへの複数同時背面照射に起因するグレアの改善。
これは既に昨年のマジミラにおいても機器類の配置調整によって是正されていたけれど、今年は更にクリアになったという印象。
そして感謝祭やミクパに比べてより一層進化したボカロ達の豊かな表情や繊細な仕草といったクオリティを保ちつつ、新曲が大量に投入された。
また、以前演奏された曲についても、細かいところで修正や変更が散見された。
「愛Dee」でのルカさんのDJパフォーマンスは格好良かったですね。
「Shake it!」で舞台の端から端までミクさん達が全力疾走する部分の演出変更は、前回や前々回のことを知っていると思わずニヤリとしてしまう小粋で楽しい計らい。
TV中継は番組の都合で途中までだったけれど、セトリは古参新参いずれのファンも満足できるよう新旧のバランスに配慮されていた様だ。
さて、日本武道館公演を満員御礼で成し遂げたということは、一つの到達点に辿り着いたことを意味するのであろう。
それでなくても、ボカロを取り巻く文化は短期間のうちに一気に拡張しそして爛熟した。
果たして今後、更なる進化は如何に在る哉。
単なる傍観者の私には判らぬ。
しかし冨田勲が「初音ミクは人形浄瑠璃の電子版」といった旨コメントしている様に、これは日本ならではの文化の一つの表象。
日本人が日本人としての感性を持ち続ける限り、そしてボーカロイドを巡る各種エンジニアリングが発達し続ける限り、今後も思いもよらぬ進展が楽しめるものと期待したい。
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2015.09.03:東京都現代美術館
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※1:
会期: 2015年7月18日〜 10月12日
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開館したばかりの頃に数度訪ねたが、以降久しく行っていなかった。
しかし、現在開催されているオスカー・ニーマイヤー展※1に興味が沸き、久々に訪ねてみた。
その立地は今住んでいるところからはそれほど遠い訳ではない。
ひょっとしたら美術館という名を冠した公共施設としては距離的に一番近いかもしれぬ。
にも関わらず出かけるのが久々となってしまったのは、建物自体への興味の低さが影響している。
否、建物自体の質は極めて高い。
何せ柳澤孝彦の設計だ。
しかし、美術館という用途には適切な規模の上限というものがあるのではないか。
あまりにも巨大過ぎると、コンベンションセンターの類いと大して差異が無くなってしまう。
必須事項となる効率的な動線計画。
そのための合理的な諸室の配置。
そこには、例えば名作として評価の高い中小規模の美術館に例外なく見受けられる展示作品を補完する建築空間の魅力という面に関し、どうしても希薄にならざるを得ない。
東京都現代美術館の特徴となっている建物の東西両端を貫通する長大なエントランスホールも、入場者を効率的に諸室へと捌くための機能的配慮に基づく単なるコンコースとして観ると、妙に素っ気ない空間に思えてしまう。
この素っ気なさは、動線処理の手法は全く異なれど、同様に巨大な施設である国立新美術館にも相通ずるものがある。
でもって、オスカー・ニーマイヤー展。
例えば公式サイトにも紹介されている500平米の展示室を目一杯使ったイビラプエラ公園の模型は確かに圧巻ではあった。
その展示方法や鑑賞方法も面白い。
空間の特性を巧みに活用した同施設ならではの展示だ。
しかしこの部分や他の室に展示されている模型の類いは少し前に観に行った村野藤吾の模型展※2※3に比べるとどれもいささか大味。
鬼気迫る精度で作り上げられた模型の数々を見た後とあっては、そもそもの作風とかディテールの違いといったこととは異なる次元で何だか心に響くものが無い。
それに、展示室の一部で流されていたドキュメント映像も、貴重な内容満載ではあったものの上映時間が長過ぎてやや冗長な印象が無きにしも非ず。
こんな風に展示全体の印象をあまり肯定的に捉えられない※4のは、建物自体をあまり好きになれないためであろうか。
何やら些細なことまでもが気になってしまう。
例えばエントランスホール内のチケット売り場やインフォメーションカウンターの取って付けた様な配置。
更には、オスカー・ニーマイヤー展が開催されている地下二階企画展示室にアクセスするためにエスカレーターで下降する際の空間の侘しさ等々。
二年前の四月、同美術館が閉鎖されるという冴えないエイプリルフールジョークを美術評論家の名古屋覚が流布し物議を醸した。
その時私は「あまり驚きはしなかった」という感想をこの場に書いた。
今のところ、この美術館への(建築的な)関心はその程度に留まる。
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※2:
村野藤吾の建築−
模型が語る豊饒な世界
於: 目黒区美術館
会期: 2015年7月11日〜 9月13日
※3:
同展については、8月26日の「徘徊と日常」でも少し言及した。
※4:
でも、会場入口にて放映していた御本人紹介の動画は、くだけたSFっぽさが何だかとっても良かったですね。
最初にそれを見て「これは期待できそう」と思った分、それ以降はチョットというかんじではありました。
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