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2015.08.29:【書籍】新建築2015年7月号
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今月号ではなく先月号(7月号)の感想を二点。
Omotesando Branches
設計:藤本壮介建築設計事務所
施工:辰
短冊状の地形の短辺一面のみが接道する敷地。
その道路に対し建物をやや後退させて配置。
手前の空間に、建物から連続するように立体フレームを組んで中間領域を形成。
但しそのフレームは意図的に崩した不整形なもの。
更に、崩れたフレームの所々に同じ表面仕上げを施した鋼製プランターが枝分かれする様に配置され、本物の樹木がニョキニョキと生える。
なかなかユーモラスな建物緑化手法だ。
巻末の建築データに載せられている設計者のスケッチには、建物本体は整形な立体格子による構造体を想定していた様子が窺える。
それが中間領域では不整形なものに変わり、接道面に至って樹に置換される。
そんな構想が見て取れるが、実際には屋内空間は柱梁が露出しない構造で計画された。
さて、建物緑化であるが、その運用に当たっては灌水及び排水計画がポイントとなる。
灌水の方は梁天端に給水管を露出で配置。
道路からの見上げの視線において目立たぬよう配慮されている。
排水の方はどうか。
掲載されている矩計図では、プランターの底部から構造躯体内に埋め込んだ排水管を介して梁天端に開放する計画であった様に読み取れる。
しかし写真を見ると、実際にはプランターの脇に排水金物を設置。
同じく梁天端に垂れ流す方式としている。
その梁天端は特に水勾配や排水溝の設定は無い。
そのまま梁側面から地上に排水を滴下させる算段か。
掲載されているフレームを見下ろすアングルの写真には、排水金物近辺の梁天端がやや汚れている様子が確認出来る。
今後、この汚れがどの程度目立つものとなるか。
フレームの色が真っ白なだけに、その点が気になる。
コープ共済プラザ
設計:日建設計/羽鳥達也
施工:フジタ
環境配慮型の事務所建築の在り方としてとっても興味深い作品。
環境負荷抑制に纏わる様々な技術的解法が意匠に反映される。
やや粗っぽい点も散見されるが、事務所建築の設計において今後取り組むべき方向性はこういったものなのではないか。
内藤廣は、新建築誌2000年11月臨時増刊「node 20世紀の技術と21世紀の建築」に執筆した「スーパー・リージョナリズムに向けて」という小論の中で以下の様に述べている。
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建築は単なる閉じた箱ではなく、環境のエネルギーをどのように人間のために制御していくか、といった自然と人間をつなぐ媒介物のような存在になっていくはずだ。
このあたりが新しい価値の出所で、21世紀前半のデザインの主戦場になるのではないか。
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そんな動きを、この作品に見い出すことが出来そうだ。
果たして、そのファサードを覆うグリーンカーテンの様に、この手の建築が様々な手法の開発とその洗練を伴って今後豊かに生育していくのであろうか。
環境配慮に関しては、法整備の動きも慌ただしい。
国土交通省では、省エネ法の基準値適合義務化に向けた建築確認認可との連動や容積率緩和等のインセンティブの付与。
更には長期スパンのタイムスケジュールとしてZEB(ゼロ・エネルギー・ビルディング)やZEH(ゼロ・エネルギー・ハウス)の実現に向けた各種施策を整備していく旨、公表している。
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2015.08.23:マイスキップ8月号
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長岡市を中心に発行されている情報誌「マイスキップ」に今年に入ってから不定期連載しているプレハブ住宅関連の記事。
その第三回目が8月号の第二面に載った。
今回の内容は、昭和40年代から50年代にかけてのプレハブ住宅に対する国の関与について。
そこに掲載した写真の一部について以下に補足する。
千葉海浜ニュータウンの俯瞰画像。
これは、同エリア内に建つ高層棟にて公開されたリフォーム住戸を観に行った際、バルコニーから撮ったもの。
そこに広がる風景は、ルートヴィヒ・ヒルベルザイマーの高層都市計画、もしくは新世紀エヴァンゲリオンの中で描かれた綾波レイの居住エリアを想起させる。
思わずカメラを向けた。
パイロットハウス技術考案競技において採択された集合住宅の建設事例。
今回原稿を書くに当たって改めて現地を訪ね写真を撮った。
とても良い天気だったので、バルコニーには色とりどりの洗濯物が並ぶ。
そういったモノがあからさまに映り込むのは宜しくないだろうなと思い撮影アングルに配慮したため、全体の特徴がイメージしづらい画像になってしまったかもしれぬ。
本文にも書いた通り、同競技では戸建住宅についても応募・審査が行われ、採択モデルを東京と関西に実際に建設し分譲が行われた。
東京の建設地については文献で把握していたけれど、詳細な住所を特定するには至っていなかった。
でも、今回の記事に戸建モデルの現況写真も載せたいと思い、改めて当時の資料に載せられている敷地形状や街路構成を参考に建設エリアの地図をくまなく探索。
ここだろうと思われる場所を特定した。
しかしGoogleマップのストリートビューで確認してみても、それらしき住宅は一件も見当たらぬ。
いずれも建て替えられてしまったのかもしれぬ。
何せ建設されたのは、今から四十年以上前だ。
ミサワホーム55の新潟県内初の建設事例。
掲載写真を撮ったのは7年前。
既に住宅としては使用されておらず、カフェに転用されていた。
それに伴って外装の一部が派手に彩色され、また増築も施されていた。
昨年改めて訪ねてみると、今度はネイルアートの店に転用。
外観も更に改修が加えられ、オリジナルの形態は観るべくもない。
これもやむを得ぬ。
何せこちらも建設から三十年以上が経過している。
ということで、当時の国内のプレハブ住宅に関する事例は、今その数を急激に減らすか、あるいは多寡の差はあれど何らかの手が加えられつつある。
史料的価値が保持されているうちに記憶や記録に留めることが可能なギリギリの時期に差し掛かっていると言えそうだ。
マイスキップ誌は月初発行のフリーペーパーなので、8月号は今しばらくは市内の主要公共施設や商業施設等にて入手可能と思われます。
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2015.08.17:メーカー住宅私考_56
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※1:
ミサワホームが1995年に発表したGENIUS休日の家のリビングルーム。
床坐の生活様式が提案されている。
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夏期休暇はいつもの通り北海道の実家で過ごす・・・って、付けたタイトルと本文の出だしが全く合っておりませんが、ま、ここは雑記帳ですから。
昨年同様、夏の帰省となるとお盆の寺廻りを済ませれば特にやることもない。
午前中は庭の雑草むしり。
午後は雷雲が発達し天候不順となる日が多かったためあまり遠出もせず、家の中で過ごすか周辺を散策する等、ゆっくりとした日々を満喫。
これで十分であると思うようになったのは、歳のせいか。
でもって実家の書庫になぜかストックされている1990年代発刊の全日空国内線機内誌のバックナンバーを読み耽っていたら、ミサワホームのGENIUS休日の家というモデルの広告が目に留まった。
そこには「とても充実した夏休みでした。」というタイトルのもと、以下の文章が添えられている。
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大人の夏休みは、すぐに終わってしまいます。
あわただしく、どこかにでかけるよりも、
家で、好きなことを好きなだけ楽しんだほうが、
充実した休暇を過ごせそうですね。
GENIUS休日の家。
つくり、ゆとり、デザインが上質の住まい。
この夏、涼やかな避暑地になります。
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そんなライフスタイルをサポートすべく、とても居心地の良さそうな設えが施されたリビングルーム※1をデカデカと掲載している。
既に二十年近く前のモデルではあるが、その写真で確認できる巾木、廻り縁、サッシ廻りの額縁、造付けの壁面家具等の木部のプロポーションやディテールがビシッと決まっていて破綻が無い。
それでいて決してこれ見よがしではなく、上質な和の雰囲気を醸しつつ控えめに簡素に組み立てられている。
こういった意匠は、当時(あるいはそれ以前)のミサワホームは本当に巧い。
それこそ、何かを勘違いしている一部の自称建築家連中などよりもよっぽど美しく納めている・・・様に見える。
しかし残念ながらそれは写真どまりだ。
近年になって、同質の意匠を施した他のモデルを観に行く機会があったが、実物は写真ほどには美しくない。
理由は、内装の木の様に見える箇所全てに用いられている同社がM-Woodと称している木粉入り樹脂成型材のせい。
実際のテクスチュアに、写真でみる様な木質感は無い。
否、サンプルとしてパーツのみを見せられたら、あるいは本物の無垢材と並べられても判別は付きにくいかも知れぬ。
しかしリアルに木を再現している筈のその樹脂材を各所に配置した空間全体の質というか雰囲気は、やはりどこかプラスチックっぽいのだ。
先入観のせいかもしれぬ。
しかし幾度か訪ねて確認してみてもその印象が変わることは無かった。
M-Woodを否定するつもりはない。
今、日本の住まいの内外装部材はM-Woodの様なフェイクにまみれている。
しかも特上のフェイクだ。
例えば昨今そのシェアを伸ばしている木目を印刷したシートを基材の表面に張り付けたフローリング。
天然無垢材の床板に拘っている向きからすれば邪道以外の何物でも無いだろう。
しかし高度な印刷技術がもたらす驚異的な再現性に基づく表面処理は実際本当に大したものだ。
素材そのもののバラツキや施工する職人の技能に左右されることもなく、そしてメンテナンスにも手間取らない本物以上に本物っぽい工業製品が低コストで安定的に供給される。
M-Woodもそんな価値観の中にある。
その様な流れを安易に肯定出来ぬ気分もありながら、一方で、今後の更なる進化の行方に興味が向かぬ訳でもない。
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2015.08.08:メーカー住宅私考_55
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ハウスメーカーに興味を持っていた昭和50年代において、大和ハウス工業に対する個人的な印象は極めて薄いものだった。
「ホワイエのある家」とか「チムニーのある家」等、「〜のある家」という呼称のモデルを幾つか出していて、それらはいずれも質の高いものではあったと思う。
しかし、それ以上の会社としてのカラーが見えてこない。
どちらかというと、同じく鉄骨系のプレハブ工法を主に扱う積水ハウスの後塵を拝するメーカーというイメージが強かった。
その後久しくハウスメーカーに対する興味を失っていた間の動向は、勿論知る由もない。
2002年に鈴木エドワードとのコラボレーションと銘打って発表した「EDDI's House〜エディズ・ハウス〜」は少し印象に残りましたか。
いわゆるデザイナーズ住宅の類いで、その頃流行り始めていたシンプルな箱型の意匠。
今現在も、「xevo EDDI」という名称で同社のサイトに公開されているから、それなりのロングセラー商品ということになるのだろう。
そんな同社が、かの「ダイワマンX」を引っ提げ、「何で大和ハウスなんだろう」の決め台詞のもと、派手な広告展開を始めたのは2009年頃。
商品の紹介ではなく企業名のアピールを前面に押し出した広告戦略。
次々と続編を投入する派手なその手法に、住宅の商品企画そのもので勝負する気などもはや無いのかなどと思ってしまった。
しかし実際はそうではない。
ちょっと面白いなと思えるモデルが幾つか発表されていた。
例えば、ベネッセコーポレーションの「たまひよ」とのコラボレーションと銘打ち同年7月に発表された、ハッピーハグモデルII。
同社公式サイトのニュースリリース※1に載せられている南入り玄関プランは、南側の隅に設けられた玄関から屋内に入ると、通り庭の様な土間が奥へと連続する。
といっても従来の通り庭とは違う。
南側に面していて、いわば土縁の様な扱い。
その土縁に面して和室が建物中央に配置される。
この和室は二階まで吹き抜けており、一階も二階も、この和室を中心に諸室がユルユルと繋がる。
「諸室」と表現したのは、従来の個室とは趣きが異なるため。
家の中における様々な生活シーンに対応した「コーナー」の様な空間が有機的に展開する。
同モデルでは、それらの空間を「イバショ(居場所)」と称しているが、適切な表現だ。
全体がルーズに構成されているように見えて、しかし諸室配置や動線計画はよく練られている。
いわゆるnLDK型の間取りを緩く突き崩した新しい発想。
商品としてどの程度の支持を得られているのかは把握していないが、昨今散見される凡百のメーカー住宅モデルとは一線を画す魅力が見て取れる。
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2015.08.03:ボウリング場
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JR函館本線の札幌駅と手稲駅の間に、線路に面して巨大なボウリング場が建っていた。
といっても、その存在を知った時には既にボウリング場としては使用されていなかった。
建設会社の倉庫件重機駐車施設と思しき用途に供せられていた。
にも関わらず元々はボウリング場であったと判断可能なのは、立面向かって左手の頂部にボウリングのピンを模した巨大な看板が載冠されたままとなっていたため。
更には、線路に面したそのファサードも、いかにもボウリング場といった雰囲気。
尖塔アーチ風の凹凸をいくつも並べた堂々としたものであった。
このボウリング場について書くに当たってネットで少し調べてみると、名称は「札幌ジャイアンツボウル」。
その名の通りワンフロア120レーンの巨大な施設として計画され、まずは一期工事でその約半分のレーンを整備してオープン。
しかし二期工事に入る前にボウリングのブームが去り、その影響で実現せぬまま昭和40年代終盤に閉店を余儀なくされたのだそうだ。
初期計画時の規模が実現していたならば、その外観はどれほど壮大なものとなったことだろう。
そんなこの建物は、竣工後一度も修繕及び補修の手が加えられた様子は無く、満身創痍といった雰囲気を頻繁に往来する列車の車窓の前面に晒していた。
そんなファサードが気になって、いつか写真を撮らなくてはと思っていたのだけれども、実行しようと思い立ったときには既に遅し。
除却され跡地には今現在マンションが聳え立っている。
こういったことは何度も経験しているが、気に留まった被写体は先送りせずに遅滞無く撮らなければならぬものだ。
タイミングを逃して後悔してもどうなるものでもない。
この件以来、ブームと共に昭和半ばに全国津々浦々に建てられたこの遊興施設のことが少し気になっている。
あまりコストがかけられない中で、如何に華々しさをその外観に与えるか。
更には必須となる巨大な屋内無柱空間の確保という与件に対し、それを個々の建物規模に応じ如何なる構造形態で実現するか。
そんなことに意が払われつつ。それぞれの事例が計画された筈だ。
例えば右の写真は、とある地方の小振りなボウリング場。
大空間確保のため、長辺方向に張弦梁を組み込んだ屋根架構形式が採用されているのであろう。
その架構形式に素直に則ってエントランス廻りの二層に亘る大開口を穿ち外観に表情を与えている。
サッシの竪障子を安易な均等ではなく吹寄せに割り付けているところにも、ささやかな意匠的配慮が覗えようか。
更には、ポイントカラーとして真っ赤な彩色を一部に施し、遊興施設としての華々しさの付与と前面道路を往来する車や人に対するアイキャッチの機能を兼ねる。
このレジャーそのものには全く興味が無いし、数少ない経験においてもロクな成績を収めた記憶が無い。
しかし、建物についてはちょっと追求してみる価値がありそうだなどと今更ながらに思う。
否、既に遅きに失しているのかもしれぬ。
事例に挙げたボウリング場も、二年ほど前に除却されてしまった。
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2015.07.29:メーカー住宅私考_54
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※:
右の写真の説明
手前に見える緩勾配の切妻屋根の家が、大和ハウス工業のA型。
背後に見える外壁の一部が青色に塗装された、棟の方向を直行させた二階建ての住宅が、積水ハウスの2B型。
周辺一体で区画整理事業が実施されているらしく、隣接する住宅が除却され更地となったために当該建物の存在に気付くことが出来た。
旗竿型の奥まった敷地のため、こんなことでもなければ出会うことも無かっただろう。
あるいは、そんな敷地条件のために建て替えもままならず、今日まで旧態を留めて存続してきたのかもしれぬ
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都内の下町エリアを散策中、古いプレハブ住宅に出会う。
構成されているパーツの要素から、それが大和ハウス工業の初期事例であることは容易に判別できた。
更には、構成材の配列を規定するモジュールが慣例的に用いられる尺貫法のものより大きいことも、外装乾式パネルジョイント材のピッチから確認可能。
同社のプレハブ住宅は、草創期においては1260mmモジュールが用いられていた。
さすがに、909mm(尺貫法)と1260mmの違いは実測しなくても目視で判別可能だ。
同社が1260mmを用いていたのは、1967年4月まで。
それ以降は、940mmモジュールに変更されている。
その際に、モデルの呼称をダイワハウスA型からダイワハウスB型に変更している。
ということは、私が出会った事例は、1967年4月以前に建築されたダイワハウスA型ということになる。
今まで、B型の事例には幾度が出会っているが、A型は初めてだ。
暫し、今となっては極めて希少となったその事例を眺めていたのだけれども、フと背後にもう一件、二階建ての古いプレハブ住宅が隣接して建っていることに気づく。
そちらの方は、大和ハウス工業ではなく積水ハウス。
純粋な総二階であることやディテールの特徴から、かなり初期の2B型であることが判別できる。
プレハブ住宅初期の事例が二棟隣接する状況との出会いに独り悦に入りつつ、しかしちょっと妙な点に気づく。
それは、道路から二つの住宅へのアプローチが共有であること。
道路に沿って設けられた門柱には、姓の異なる表札が二つ掲げられている。
つまり、この二棟は同一敷地に建てられており、一方が母屋で他方が別棟ということになろう。
異なるハウスメーカーの同時期の住宅が同一敷地内に並んで建つ状況。
これはどういった経緯から生じたのだろう。
以下は、推測になる。
まず、現状の積水ハウスの2B型とは別の母屋が、その場所に存在していた。
そして敷地の空きスペースに別棟として大和ハウス工業のA型を建設。
別棟を建てた理由は多々想定されよう。
例えば、単なる増築。あるいは子供世帯用の住まい。はたまた、賃貸収益を目的としたもの。
その後、母屋の方も建て替えることにしたが、別棟として建てた大和ハウス工業の居住性能が気に入り、同社に依頼しようとした。
しかし、その頃の大和ハウス工業は平屋建てのみで二階建ての商品は無い。
ところが、敷地形状等の諸条件から母屋は二階建てにしたい。
で、当時、同様に軽量鉄骨による構造形式を採用している積水ハウスが二階建てモデルの2B型を商品化していたので、そちらに依頼することになった。
この勝手極まりない想像に対し、二社の各モデルについて時系列を整理すると以下の通り。
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大和ハウス工業のA型の発売:1962年5月
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積水ハウスの2B型の発売:1962年12月
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大和ハウス工業の二階建てモデルの発売:1963年9月
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この時系列と上の推察を組み合わせると、二階建て棟は、1962年12月から1963年9月の間に建てられた可能性が高い。
そして先行する平屋棟は1962年5月から1962年12月の間に建てられたということになろう。
勿論、妄想に基づく推測だから実際のところはわからない。
他にも様々な経緯を推定し得る。
しかし、この際そんなプロセスの追及はあまり意味を持たぬ。
これだけスクラップアンドビルドが短期のうちに激しく繰り返される日本の住宅事情において、異なるハウスメーカーによる概ね半世紀前の草創期プレハブ住宅事例が二棟揃って大きな改変を加えられることも無く現存するなんて状況は、なかなか遭遇できるものでも無かろう。
貴重な事例として、個人的な記憶に留めておきたい。
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2015.07.20:図書館三昧_13
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※1:
東側エントランスホールの階段見上げ。
構造的な整合性を伴いつつエッジを薄くシャープに見せるために施されたスラブ底面のテーパーカットが織り成す陰影の妙が何とも良い。
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互尊文庫。
長岡市の公立図書館ながら個性的な名前が付いているのは、この図書館の設立が個人の寄付に拠るためらしい。
その沿革については市のサイトにも載せられているからここでは特に述べぬが、1918年に開館したそうだから歴史のある公共図書館といえるのであろう。
今現在の建物が完成したのは1967年。
市内中心部に整備されている明治公園に隣接しており、環境と利便性の双方を兼ね備えている。
市内在住時は良く利用した。
小学生の頃は、児童図書室にて蔵書の「のらくろ」全巻を読破したし、同じくなぜか配架されていた週刊少年ジャンプにも目を通しておりましたか。
中学にあがると、三階の自習室に結構通ったように記憶している。
特に夏は冷房が効いた同室の存在はとても有り難かった。
空調の吹出し口をチェックし、室内でも特に涼しい席を把握して可能な限りいつもそこの席を利用。
それとブラウジングコーナーにてニューハウス誌やモダンリビング誌なども読み漁っていた。
近年になって久々に訪ねてみると、昔の雰囲気がよく残っていて嬉しくなる。
内外観共に杉板型枠によるコンクリート打ち放しの柱梁フレームを用いた意匠が多用されている。
穏やかな温かみよりも、引き締まった質実さを感じさせる空間だ。
かつて利用していた頃は南側の出入口にて屋内にアクセスしていたが、実はこちらはサブエントランス。
メインエントランスは、明治公園に面した東側となる様だ。
そちらから内部に入ると、三階までの吹抜けと、そしてその吹抜けに寄り添うようにコンクリート打ち放しの折り返し階段※1が縦に貫く。
それが一階から見上げた際の見え掛かりを意識した意匠であることは明らか。
でも、在住時に利用していた際にはこの空間の設えにはあまり気を留めることは無かった。
市のサイトによると、同館の設計は日本図書館協会。
長岡市内に建てられた昭和30年代から40年代の建物は、この互尊文庫以外にも用途や規模を問わず興味深いものが多い(あるいは、多かった)様に思う。
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2015.07.12:【書籍】海に沈んだ町
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※1:
会期: 2015年6月22日〜 2015年7月4日
会場: 森岡書店
会場所在地: 東京都中央区 日本橋茅場町 2-17-13
※2:
著者: 三崎亜記
写真: 白石ちえこ
出版社: 朝日新聞出版
発売日: 2011年1月
※3:
著者: 川本三郎 稲越功一
出版社: 白水社
発売日: 1987年10月
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白石ちえこの写真展「SHIMAKAGE 島影」※1を見に行ったことは、徘徊と日常のページにも少し書いた。
展示されている作品はいずれもモノクロ写真である筈なのに、鉛筆による超細密ドローイングの様にも見える何とも不思議な雰囲気。
説明書きによると、撮影した写真に鉛筆や絵具を用いた「雑巾がけ」と呼ばれる処理を施しているのだそうだ。
それらの作品と併せて会場にはこの作家が関わった書籍を多数展示。一部販売も行っていた。
その中の一冊が、三崎亜記著の表題の本※2。
タイトルを見て即、J・G・バラードの「沈んだ世界」を想い起す。
手に取り冒頭の数ページにざっと目を通すと、その内容もバラードが描いた世界観を髣髴とさせる。
あり得る筈のない異質な日常がありふれた街の中で異質なままに淡々と穏やかに進行する不思議なストーリーが連なる短編集。
個々のストーリーに添えられる情景描写の如く、所々に白石ちえこが撮影したモノクロの風景写真が挿入されている。
有り体に言えば、街に纏わる物語と写真のコラボレーションということになろうか。
その構成は、既に三十年近く前に出版された稲越功一の写真集「記憶都市―RUST CITY TOKYO」※3に相通ずるものを感じた。
こちらは写真が主で所々に川本三郎の文章が添えられた構成。
そして写真も文書も、「海に沈んだ町」のそれとは雰囲気は全く異なる。
でありながら、何かこの写真集との妙な符合を感じ、同書籍を購入するに至った。
家に持ち帰り読んでみると、いずれの短編もやはりバラードを想起させる。
そして都市を捉える白石ちえこの視点も、その表現手法は異なれど「記憶都市」における稲越功一のそれを思わせるところがある。
バラードの小説も「記憶都市」も、学生の頃、卒業設計の途上で時折行き詰った際の気晴らしに良くページを捲っていた。
何やら懐かしい感情がこみあげてくる。
懐かしいといえば、「雑巾がけ」についても、そんな名前が付けられた手法があることは知らずに卒業製作の際に似た様なことを試みた。
図版に載せるために撮影したモノクロ写真に古びた雰囲気を与えるため、二液性のブロンズ塗料をその表面に塗布し乾かないうちに押し付けるように拭き取る。
セピアカラーに変化したその表面に更に腐食液を適宜塗布。
そのままでは生々しすぎるので、カラーコピーを行い調整を図ろうと、思い通りの色調が出る(精度の悪い・・・否、クセの強い)カラーコピー機を求めて街中のコピー屋を駆けずり回りましたか。
今となっては画像処理ソフト等を用いて簡単に対処可能なことなのだろう。
しかし当時はこんなアナログな作業でしかイメージした画像を得る手段は思いつかず、腐食液特有の匂いに周囲から顰蹙を買いつつも結構楽しみながら創作活動に勤しんでいた。
何やら、微細に関連性を持つ遠い過去の個人の記憶がこの書籍を契機にゆっくりと解れながら蘇ってくる。
ところで、「海に沈んだ町」と「記憶都市」には私が見知る限りで一つだけ同じ被写体が確認できる。
「海に沈んだ町」所収の「団地船」の中に挿入されている水辺に面して建つ長大な箱型の集合住宅。
それと同じ建物が、異なる光の加減の下で撮影されて「記憶都市」にも載せられている。
そんなところにも、二つの書籍の奇妙な符合を感じずにはいられない。
豊洲運河に面して建つ1983年築のこの民間分譲集合住宅については、そのうち建築探訪のページにて少し何か書いてみたいと思う。
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2015.07.02:【書籍】建築雑誌
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日本建築学会が発行する月刊誌「建築雑誌」は以前から表紙のデザインがとても良いなという印象を持っていた。
で、今年に入ってからは更に良い雰囲気。
それは吉行良平が担当するアートワークに拠るところが大。
そして特集記事も(今のところ)とても興味をひくテーマが続いている。
例えば一月号の特集は「日本のおひとりさま空間」。
様々な行為について、それを単身で執り行うことを卑下する感覚が無くなりつつある。
それに併せて多様な展開をみせる「おひとりさま空間」の在りように対する言及がとても面白い。
その空間には、当然住まいも含まれる。
独居のための住宅のあり方。
そのことを巡る都筑響一の「日本の独居スタイル」というインタビュー形式の記事は、御本人の発言がとっても明快で印象に残る。
さて、もしも私が単身で住む家をこれから建てるならばどんな形にしてみようか。
本誌に掲載されている様々な図版を眺めながら好き勝手にイメージしてみたのだけれども、その中の一つ、黒沢隆設計のホシカワ・キュービクルズなどはなかなか良さそうだ。
市川市内に建つ同建物は、ワンルーム形式の二住戸と、その二住戸がシェアしあう共用部によって構成される小さな集合住宅。
日常生活はそれぞれの住戸内で完結し得る。
しかしワンルーム住戸では脆弱になりがちな機能をサポートする空間として予備の和室や余裕のあるユーティリティを収めた共用スペースを付随させた形式。
私は共同シェアには興味が無いから、出来ればこの共用スペースも専有したいなどと図版を見ながら想像を膨らませる。
実際、1976年に完成した当該建物もその後増築が図られ、今現在はそういった使い方を前提としたプランに改変されている。
六月号の特集は「空き家考」。
国内各地に増加する空き家について、その問題点や増加の要因・構造、そしてその対応策について様々な立ち位置からの言及がなされている。
更には建築マニア的な視線から空き家を捉えた記事も有り、なるほどこの様な見方もあるのかと新鮮な驚きも味わえた。
勿論状況は、空き家という現象を眺めて楽しんでいられるような事態ではない。
例えば特集の中で長瀬光市や山本里奈が指摘する郊外型住宅地における空き家の増加問題は、私も自らの実家周囲の昨今の状況においてヒシヒシと実感していることだ。
特集の第三部では、その対策事例が幾つか提示されている。
しかしいずれも有効活用すべく転用し得た恵まれたケースであり、今後更に増加が顕著となることが確実であるこの問題への応用性を伴う抜本的で効率的な対策となり得る手法であるかは微妙。
唯一、第一部の論稿で宗健が示した不動産流通や建築確認申請に絡めた仕組みづくりには、その鍵を見い出すことが出来そうだ。
四月号の特集は「集合住宅の「普通の暮らし」」。
アジア六都市の比較検証という観点で集合住宅について取りあげている。
人口が集中する都心部において、集合住宅は蓋然性を伴う建築形式と言い切ってしまって良い。
だから、個々の国の事情に応じてその形態は独自の進展を遂げている。
にもかかわらず、日本の集合住宅が際立って特異に思えてしまうのは、既に普遍化して久しいいわゆる「マンション田の字」の間取り形式にあることは明らか。
どう捉えても住まいとしていびつにしか見えないのだが、しかし不思議なことにこの形式が一番よく売れるし、売り易いがために業者も十年一日の如く大同小異の類似住戸を大量に売り捌き続けている。
なるほど確かに「マンション田の字」は理に適っている面もある。
各種法規制への対応と経済性確保の観点から導き出される板状箱型の住棟ボリュームの中に、日本人に深く根付く南面崇拝に則り一面が必ず南側に向く住戸を可能な限り大量且つ効率的に積層させようとする。
すると自ずと各住戸の形状は長辺が隣戸に接する短冊形となり、その内部に諸室を合理的に配置しようと考えると結局この間取り形式に収斂されてしまうこととなる。
しかし上記に挙げた「おひとりさま」や「空き家問題」のことを考えると、業者にとって都合の良いマーケティングに基づく普遍的核家族像の普遍的生活様態に依拠した普遍的「マンション田の字」が今後も通用し続けるとはなかなかに考えにくくはあるのですけれどもね。
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