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雑記帳
2015.05−2015.06
2015.06.25:大倉山雑感
※1
横浜市大倉山記念館外観

竣工:
1932年4月9日

所在地:
横浜市港北区
大倉山2-10-1

※2
商店街の建物事例。
隅角のみコリント式とし他は全てドリス式をあしらった柱を配列。 その直上にモールディングを施してエンタブラチュアを意識した梁型が廻る。
類似した外観を纏う建物が通り沿いに並ぶ。

久々に横浜市大倉山記念館※1に行く。
長野宇平治の遺作にして御本人が「プレ・ヘレニック」と称した様式に基づく内外観は、改めて眺めてみてもやはりどこか異質。 西洋建築の日本への移植という往時の建築潮流にあって、その手法を極め切った先の融通無碍の境地がそこに顕れているのだろう。
異質とは言っても決して破綻している訳ではない。 伝統的和様のディテールも混交・集積させながらそれらが全く唐突感無く整然と構成されているところが、何とも摩訶不思議だ。

同建物と、そして建物内で開催していた美術展を小一時間程度鑑賞し、最寄駅である東急東横線大倉山駅に戻る。 その途上において目に入る駅前商店街の景観※2は、この大倉山記念館を意識した建築協定に基づき形成されていることが一目瞭然。 そしてその内容を記した「大倉山エルム通り街づくり協定」の書面の中には、確かに「プレヘレニズム様式」という語句が何度も登場する。

結果造り出された駅前通り沿いに並ぶデザインは、確かに大倉記念館に見受けられるオーダーを模したものが多く目につく。 しかし、プレ・ヘレニズムではなくヘレニズムと思しきものも散見される。 いずれも、協定に基づき外装に付加されたもの。
古典的建築規範が装飾として表層に浮遊するというのは、80年代の日本を席巻したポストモダン・ヒストリシズムが判り易く露呈した状況ともいえる。 最初期の協定成立が1988年というから、確かにそんなデザイン潮流とも合致する。
その潮流がバブル崩壊と共に消散して幾年月。 今現在の視点で眺める当該エリアの景観をどう評価するかは何とも微妙ではある。 何せ、そこに連なる風景は巨大なフェイクでしかない。
しかし、大倉山記念館を意識していることを誰もが一目で容易に視認可能とするアイコニックな建築群の連なりは、協定が意図としたところを十分に満たしてはいるのだろう。 もっとも、そのことが長野宇平治が大倉山記念館の設計に込めた思想と合致するか否かは別問題。

同協定の対象エリアから僅かに外れた場所に妹島和世設計の「大倉山の集合住宅」※3が建つ。 コンクリート打ち放しの不定型な曲面がグネグネと巡る外壁が特徴のマンション。 今回大倉山を訪ねた際、初めて実物を拝んだ。
雑誌等でサラっと写真を眺める限りにおいては、「施工者は大変だったろうネ。ご苦労サマ。」とか、家具の配置も一苦労の曲面だらけの部屋に住む人たちもご愁傷サマ」といった程度の印象しか持てなかった。 しかし、実見してその形の意図を自分なりに勝手に解釈出来た。
幅員の狭い路地状道路に三方を囲まれた立地条件にあって、接道面のいずれからも自由に敷地内に人を招き入れようとするかの如きデザイン。 つまりは路地の敷地内への浸漬。 もしくは路地の延長としてのけもの道の意図的な布置。 それを周辺街路と同様の矩形ではなく曲面に置換することで、雑多で稠密な周囲に対して柔らで曖昧な界隈性を演出しようという試み。
地域性を建築に反映させる手法に関し、駅前通りの協定とこの集合住宅とではまるで異なっている。 地域の象徴たる近代建築へのオマージュ(?)をフェイクながらも判り易く表現した前者に対し、後者は街の現況を慎重に読み込んだ上で作者御自身の建築言語に置き換えて作品に呼応させている。 どちらが好ましく思えるかと問われると、これまたとっても微妙なところではありますか。

※3

「大倉山の集合住宅」の中庭部分

竣工:
2008年11月

施工:
平成建設

所在地:
横浜市港北区
大倉山3-5-11



2015.06.17:【書籍】メディア・モンスター
−誰が「黒川紀章」を殺したのか?

著者:
曲沼美恵

出版社:
草思社

発売日:
2015年4月15日

高校生の頃、国語の授業中に行われた小テストの設問に、「この文学作品の著者を答えよ」という類いのものがあった。 回答に窮した私は軽い気持ちで「黒川紀章」とでたらめを書いて提出。 暫くして、「お前、何冗談書いているんだヨ」と、大学出たての担当教諭に軽く咎められた。
「え?御存知なんですか、黒川紀章。」
「知っているに決まっているだろう!」
どうせ文系の教師に判りっこないだろうなどと高を括り、覚えたての建築家の名前を何の気なしに書いたのだけれども、その教師は知っていた。
つまりは、建築(というか、ハウスメーカーの住宅だけれども)に少し興味を持っていた高校生でも、そして大学でたての文系教師でも知っているくらいの著名人。 そんな建築家って、そうそういないのではないか。 対抗できる人と言ったら今では安藤忠雄くらいですかね。 でも、安藤の場合はその作風も含めて広く知れ渡っているのに対し黒川はどうだろう。 作風が変貌し続けたこともあるだろうけれども、なかなか捉えにくいところがあるのではないか。 知名度に対するその落差が氏の不思議なところであり、メディア・モンスターと言われたゆえんでもある。

ちなみに、私が黒川紀章のことをはっきりと認識したのは、「いま売れている住宅」という書籍だと思う。 この本については既にこの場でも幾度か言及している。 ハウスメーカーの住宅年鑑といった体裁の書籍だ。 その1983年版※1がきっかけであった。
本のタイトルが示す通り、この書籍は戸建住宅に関しては大手ハウスメーカーの商品化住宅が王道であり、工務店や建築家が造るものは邪道という編集方針に徹していた。 だから、著名建築家の住宅作品に対しては紙面上で容赦ない批判を展開していた。 例えば、菊竹清訓のスカイハウスや吉阪隆正のヴィラ・クゥクゥ等々。 建築業界で名作として高い評価を受けていた住宅作品を悉く酷評。 黒川紀章の作品も例外ではない。 氏が設計した大阪万博のタカラビューテリオンも槍玉に挙げられていた。
若かりし頃にそれを読んで「建築家ってのは酷い奴らだ」と信じ込んでしまったから、当然氏に対する印象も宜しいものでは無かった。

その印象が変わり始めたのは、建築のことを勉強するようになり講演会等で氏の言説に接する機会を持つようになってからでしょうかね。
とにかくスピーチがとってもうまい。 判りやすい語り口。グイグイ引き込む話術。
その才能は、最晩年に出演したバラエティ番組でも如何なく発揮されていた。 例えば「太田総理・秘書田中」という番組に主演した時のこと。 私はTVは殆ど見ないのだけれども、うわさを聞きつけて後日ネット上に挙げられた動画を見た。 そこで氏は自身の半生を面白可笑しく喋り始め、レギュラー出演の並みいるタレント達に付け入る隙を一切与えない。 その上で、本人の参院選への出馬に絡めたオチでスタジオ内の爆笑を誘い、数分間の「独演会」を華麗に締め括ってみせた。 本当に面白くて、一体何度再生したことか。
こんなキャラクターの建築家は、氏以前も、そして今後も決して現れることはないだろう。

そんな御本人の生涯を、臨場感たっぷりに纏めた渾身のルポルタージュが同書籍だ。 学生時代のことを記述するのに西山卯三について長々と書き連ねる等、冗長なところも散見される。 しかし、氏を通して昭和ニッポンの建築や社会の動静を捉え直し、そして「誰が黒川記章を殺したのか?」という不穏なサブタイトルの意味するところについて色々と考えさせられる、そんな意欲的な内容となっている。
それにしても、このサブタイトル。 私は「パタリロ!」を思い起こしてしまいました。 クックロビン音頭・・・って、判らぬ人は受け流してください。

※1
著者:
佐藤泰徳

出版社:
日本プレハブ
建築研究所

発売日:
1983年4月8日



書籍の紹介の筈が、黒川紀章に関する印象記の様な文章になってしまった。
ということで罪滅ぼしの意味をこめて氏の作品を載せましょうか。

佐倉市役所本庁舎。かの中銀カプセルタワーの一年前に竣工したカプセル的なデザインの作品。
同市のサイトを見てみると、昨年10月から今年の12月までの予定で耐震補強改修工事を実施中とのこと。 どうやら築年数を経たこの建物は、今後も物理的に存続する様だ。

竣工:
1971年2月

所在地:
千葉県佐倉市
海隣寺町97



2015.06.09:連続的建築は、これからも連続するか?
※1
開催日:
2015年6月6日

主催:
東京大学建築学専攻
(T_ADS)

出演:
磯崎新
エリック・オーウェン・モス
ジェフリー・キプニス
隈研吾
小渕祐介

東大の工学部に行く。 目的は、表題のイベントのプログラムに組み込まれている磯崎新の基調講演※1を聴くため。
イベント自体は、横浜港大さん橋国際客船ターミナルの設計に関する国際コンペが実施されて20年が経つことを踏まえ、同コンペで選出され実際に建設されたターミナルに見受けられるグニャグニャした建築形態の発展性について改めて議論しようという目的で企画されたものらしい。
「らしい」などと書いてしまったが、イベントそのものにはあまり関心は持てなかった。 むしろ、この際磯崎御大を間近に拝んでみたいというミーハー極まりない動機から、普段は足を踏み入れることも憚られる最高学府へと歩を向けた次第。

イベントへの興味が薄かった理由は、大さん橋国際客船ターミナルにあまり関心が持てないため。 個人的には国際コンペにおいて篠原一男が提出した案の方を気に入っていて、是非こちらで実施してほしかったと今でも思っている。 ま、最優秀案に則って実際に建てられたターミナルも、曲りなりとも良く実現できたものだという点では感心はするのだけれども、何だか理解できぬ。

でもってイベント開催当日、取り敢えず早めに東大キャンパスのある根津方面に向かった。
イベント参加は事前予約制ではなく当日先着順。 しかも定員が百名とあっては、聴講はおろか会場に入ることができるか否かも不明。 だからダメモトで近傍に向かい、取り敢えず久々に根津界隈の散策を愉しみ、そのついでにあわよくば聴講することにしようと考えた。 もしも聴講が叶わなくとも、根津界隈の散策を堪能したということで良しとしようといったところ。 しょせんミーハーな動機でしかないのだから。
ということで二時間弱、根津界隈を徘徊。 街の雰囲気は面白いけれども、個々の建物にはあまり魅かれるものは無い。

そうこうしているうちに時間も頃合い。 弥生門から大学構内に入る。
同大学を訪ねるのは十数年ぶり。 内田ゴシックと呼ばれる厳かな校舎群に圧倒させられつつ、会場の工学部一号館15号教室へ向かった。 席が扇形の雛壇状に並んだ教室だ。 以前来た時もここでシンポジウムを聴いた。 歴史的建造物の保存に関する内容だった※2
でもって取り敢えず席を確保。 その後あっという間に全ての席が埋まってしまうが、眺めまわすと超一流の建築家の方々やどこの国とも知れぬ海外の方々が多数。 会場内は様々な言語が飛び交う。 すっかり場違いなところに来てしまったと戸惑いつつ、取り敢えずはええいままよとイベント開催を待つ。

しかし予定時刻を過ぎてもなかなか始まらぬ。
暫くして、肝心の御大の到着が大幅に遅れるためプログラムの順番を変更して基調講演を後回しにする旨、イベントの進行を担当する研究室の特任准教授よりアナウンス。 しかもそのアナウンスが英語。 話している御本人は、それが至極当たり前といった様子。 これはまいったな。 ある程度予想はしていたものの、基本全てのプレゼンテーション及びディスカッションは英語で行うとのこと。 しかも会場での同時通訳などのサービスは一切無し。
語学はからきし苦手でどうしたものかと思ったけれど、これまたここまで来てしまったからには、ええいままよの心境。

予定を変更して最初にプレゼンを行ったのは隈研吾。 流暢な英語でスピーチを始める。
発言の中から聞き覚えのある英単語を拾い集めて紡ぎながら画面に映し出される映像と関連付けしつつ、何とか話している内容の1/10くらいは理解できた(のではないか)などと勝手に思うことにしておこう。 整形なグリッドシステムに基づく建築形式を突破する手法として今迄取り組んできた実作における試みについての解説だったようだ。 その探究の過程を通じて、かつて大さん橋国際客船ターミナルで試みられた連続的に変容する断面を持つ建築形式の進展性という今回のテーマに繋げようといったところか。
しかし、続いて行われたエリック・オーウェン・モスのプレゼンはチンプンカンプン。 英語が堪能な知人の話では、氏の発音はとても聞き取りやすいとのことなのだが、私には無理。 映し出される映像も、ジョン・ケージの譜面、黒澤明の羅生門、スーラの点描画、コルビュジエのドローイング等、見覚えのある図版が幾つか並ぶがテンで文脈が掴めぬ。 恐らくは高尚な芸術論を展開しているのだろうけれども、当日のテーマとどんな関係があるのだろう?
更にその後のディスカッションもまるで何を話しているのか判らぬ。 どうしたものかと思いつつ、会場は通路にも人が溢れかえっている状況で退出は困難。 弱ったナと思いかけた頃に漸く御大登場。 程なくして講演が始まる※3
体調がすぐれぬとのことで、御大だけは日本語でスピーチ。 内容は、御本人の近著「日本建築思想史」の冒頭の一部に若干触れつつ、隈研吾と同様に整形グリッドを超える試みをテーマに今迄の自作を解説するといったものでしたか。 でも、そのテーマに沿ったプレゼンに群馬県立近代美術館を引き合いに出すのはちょっと腑に落ちませんでしたかね。 そこから更に有機的なグニュグニュの構造形式を持つ近作へと話を繋げるのもかなり強引という印象を持った。
ということで、訳が分からないながらも久々にそれとなく「建築」に浸り堪能することが出来たひと時であった・・・などと強引に纏めてしまうことにしておきましょう。

※2
昔の手帳を開いて確認してみたら、「歴史ある建物の活かし方」出版記念シンポジウム〜歴史ある建物の活用に向けて〜というものだった。 1999年7月17日開催。
当時の記録が主催者である学芸出版社のサイトに公開されているので以下にリンクを張っておく。

第5回歴史・文化のまちづくりセミナー記録
※3

基調講演の様子


2015.06.03:【書籍】Ku:nel

図書館に行くと、いつも大体が建築関連の書籍ばかりを読み漁っている。 しかしたまにはそれ以外の分野にも視野を広げなくては・・・などと柄にもなく思い立ち、その目的のもとブラウジング・コーナーにて雑誌を適当に物色。 表題の隔月誌が目に留まり、バックナンバーを斜め読みしてみた。

様々な人達の日常の暮らしにおけるちょっとした拘りについて肩肘張らぬ雰囲気の誌面に纏めているといった印象。 例えば、とある日のお弁当の中身の紹介とか、日々の食事の献立やそのレシピ等々。 勿論、食事に関する内容ばかりではないのだけれども、食い意地が張っているせいかそういった記事にばかり目が行く。 ふ〜ん、おいしそうだネ・・・などと思いつつ惰性で紙面をめくる指先が、「おじゃまします、おたく訪問」という特集記事のページで止まった。

2011年9月号に掲載されたこの特集は、タイトルそのままに幾つかの自邸を紹介した記事。 その中に、「はじまりは、木造平屋、15坪」というタイトルで芦原義信邸が掲載されている。
1951年に建てた小さな自邸から始まり、以降増改築を繰り返して現在に至る迄の過程が外観パースも含めて判り易く紹介されている。 新築時は公庫融資条件によって延床面積が制限されていたため、限られた屋内空間の中で豊かな共用スペースと狭小な個室群を有機的に配置。 メリハリの効いた間取りを構成している。
但し、トイレの位置は他人の自宅のこととはいえちょっと腑に落ちぬ。 限られた面積の中での窮余の策なのではあろうけれども、「ひょっとしたら計画するのを忘れていて、最後の最後に気付いて慌てて付けたんじゃないの?」と勘繰りたくなるくらいに唐突なレイアウト。

以降、家族の成長に合せ融通無碍な増改築が繰り広げられるが、大掛かりなものは夫婦二人のみの生活となった1971年に実施されたもの。 その際にほとんど手付かずであったと思われる水廻りにも手が加えられ、トイレの位置も改められた。 やはり水廻りの改修はなかなか難しいということか。
ともあれ、自宅の改造を必要に応じて都度愉しみながら実施するというのは、なかなかに素敵な趣味であると思う。 そして芦原邸では御本人が他界されるまでそれが連綿と実践され続けた。

それにしても、二階部分に設けられた小屋裏収納庫の様な狭小な氏の書斎は、すこぶる居心地が良さそうだ。 御本人もお気に入りの場所だったらしいけれど、こんな空間を私も所有出来たらな・・・などと記事を読みながら思いを巡らす。
巡らしつつ、フと気付く。 ブラウジング・コーナーで雑誌を物色した当初の目的って何だったっけ?



2015.05.26:メーカー住宅私考_53
−旭化成ホームズの過去と現在
※1
例えば、積水化学工業の「あったかハイム」とか「スマートハイム」。 同社が住宅産業進出時から連綿と深化させて来たユニット工法は、もはや新味に欠けてアピールポイントとは成り得ぬということなのだろうか。 この構法に対する矜持は、広告からは伝わってこない。
※2
例えば、大和ハウス工業の「ダイワマンX」。 しかし、あの広告は宣伝効果の面で業界内では一目置かれていたとか。
あるいは戸建住宅ではないけれど、野村不動産のマンションブランド「プラウド」のCMは、毛色が違えど似た方向でしょうかね。 「Someone To Watch Over Me」にのせて海外の街並み等のイメージ映像を流すのみ。

私は、ALCという建材があまり好きではない。
建物の外装をつかさどる部材として要求される各種性能に対し、中途半端な事項が多い。 例えば、断熱性、遮音性、耐風圧性。 構造的にも耐力壁とはなり得ないし、意匠的にもパネルを組み合わせるという前提条件に起因するプラン的な制約が付き纏う。 あるいは施工面においても、軽いと謳われながらしょせんはコンクリート部材。 決してそんなことはない。 そのくせ脆弱で、現場施工時にも欠損が発生しやすく、それが極々普通のこととばかりに職人はフトコロから補修材を取り出して欠損部を慣れた手付きで左官補修する。 経年的なことを鑑みた場合、そんなことで良いのかいなどと不安になってしまう。
ということで、論えば欠点ばかりが目につく。

いや、別にALCに対して何らかのトラウマが有るという訳ではない。 しかしそんな理由で、旭化成ホームズが発売するALC住宅「ヘーベルハウス」に関しても、かつては関心の対象外であった。
昭和50年代に同社から発表されていたラインアップは、当時の他のコンクリート系住宅メーカーのそれと大同小異。 武骨なものにしか映らなかった。 勿論、鉄骨系や木質系等の他構法に対するデザイン的な制約を何とか埋め合わせるべく意を払ったと思われる商品も発表していた。
例えば寄棟屋根を載せた1980年発表の「ヘーベルハウス・本棟」。 あるいは、コンクリート系の住宅であるが故の四角四面のイメージを逆に強調した1982年発表の「ヘーベルハウス・キュービック」等々。 それであっても、あまり感心出来るシロモノとは思えなかった。

時は流れ今現在。
週末を中心に時折新聞に折り込まれて来る同社のチラシを見ると、かつてとは異なり何やらとっても興味を引く。 何が面白いって、間取りに関して他社に比して明らかに企画提案力がある。 商品開発セクションに相当優秀なスタッフが集まっていらっしゃるのでしょうかね。
昨今、一般的にハウスメーカーの広告には間取り図があまり大きく扱われないという印象がある。 外観事例写真のみを載せるとか、あるいは内外観事例を小さく扱う替わりにイメージキャラクターの俳優をデカデカと載せるもの。 更には、環境配慮設備機器の充実といったエンジニアリング面ばかりを強調するもの※1や、自社商品とは全く関係の無い珍妙な寸劇をCMで流すだけもの※2。 何だかそんな類いばかりで、間取りに関心がある私としては大いに不満。
どんなに市場が成熟し個々の顧客が自身の生活価値観を確立していようとも、それに負けぬ企画力で住まいの在りようを先導するのがハウスメーカーの存在価値であり、間取りはそれを示す強力なアイテムであることは今も昔も変わらぬ筈だ。 イメージ先行の空疎な一過性の広告戦略の何処に明るい将来の展望など望めようか。
そんな中で、旭化成ホームズは間取りによる商品アピールに真摯に取り組んでいるという印象。 例えば、「HEBEL HAUS CUT&GABLE」や「HEBEL HAUS GRANDESTA」、「HEBEL HAUS STEP BOX」等。 そこに提示されているプラン事例には、フロア段差と吹き抜け、そして様々な天井高の組み合わせ等による垂直方向の工夫を練りこんだ平面プランが巧みに展開され、新たな生活空間が提案されている。 そのいずれも、プランを眺めながら設計意図を読み解くことがとっても楽しい。 そういったアイディアの提示に自信が有るからこそ、広告に間取りを堂々と掲げられるのでしょうね。
勿論、提示されているプランには共通して少々気になる点が散見される。 例えば、家族どうしの間には一切プライバシーは存在しないと言わんばかりのあっけらかんとした屋内空間処理。 あるいは、少々気になるトイレの配置。
この“癖”の様なものは、ひょっとしたら同社の商品企画は極々限られたメンバーだけで行っているのか、あるいは強力なリーダーが商品企画を統括していることに拠るのだろうか。 ともあれ、プランに関して今現在個人的に興味をひくのは旭化成ホームズということになる。
しかし、だからと言って同社の家に住みたいかというと、否。 なぜなら、やはりALCは好きな建材ではないから。 従って私は“ヘーベリアン”にはなれませぬ。
同社の個々のモデルについての言及は、また機会を改めたい。



2015.05.17:【書籍】新建築2015年5月号
※1
第二号まで出版されたが、その後継続されなかった様だ。 今で言うところの「10+1」誌の様な位置づけの書籍でしょうかね。

発行日:
1998年7月1日

発行所:
都市デザイン研究所

出版社:
河出書房新社

久々に、身分不相応に新建築の読書感想。

・としまエコミューゼタウン

区役所庁舎と一体になった超高層マンションを建てるという当該PJ概要が公表された時から、興味の対象は内外観デザインよりはむしろ建物のライフサイクルに関わる仕組みの在りようにあった。 例えば数十年後、老朽化や社会情勢の変化等によって低層部の区役所の建て替えが必要となった場合、それを上層の超高層マンションを含めてどの様に執行するのか。
しかし、区分所有の桎梏に対する応答に関し、掲載された解説文には「次世代の知恵に委ねる選択をした」とあるのみ。
増床分を超高層分譲マンション用途に充て、その売却益で庁舎施設を財政負担無しで整備するというスキームは魅惑的だ。 敷地の有効活用の観点から、それを分棟ではなく一棟で実施することも、今後各地の公共施設整備において大いに参照されることであろう。 その際、この前例にならって問題が次代に保留されることになるのだろうか。
勿論、法に関わる問題を多く含み、個々のPJで為し得ることは限られてもいるのだが。

・新宿東宝ビル

新宿駅近傍の靖国通りを歩行中、オープンして間もないこの建物が目に留まり何となく歩を向けることとなった。
近傍にて見上げた建物外観はそんなに悪い印象ではない。 特に、横長スリットを密に規則正しく配列することによって見掛け上の窓の存在を消し去った高層ホテル階部分のモノリシックな立面が何とも良い。
そんなことを思い出しながら紙面を眺めていたのだけれども、設計者の解説文にハっとさせられる。 そこには「強い吸引力を持つアイストップ」とある。 どうやら初めて実物を拝んだその日、私も設計者が意図した術中に無意識のうちに嵌って行動してしまっていたらしい。
しかしホテル部分の窓形態。 外観デザインには効いているけれど、客室の内観的にはどうなのだろう。外部への視野へ広がりに欠け、微妙に閉塞感が生じている様にも思える。

・成田国際空港 第3旅客ターミナルビル

解説文にある「空港を半額でつくる」というタイトルに全てが集約されている。
結果、一般的な空港ターミナル建築からすると明らかに低廉な仕上がりではある。 しかし決して安かろう悪かろうに陥ってはいない。
それは、行われていることがスペックダウンではなく徹底したVE(Value Engineering)だからだ。 随所に用いられているディテールや素材の扱いは、逆にとっても面白い。
国の玄関口として、それなりの設えを仕立てることで国勢やリージョナリティを表象することも当該建築用途に求められる機能の一つではある。 しかし一方で、利用する航空輸送サービスの多様化に伴い、それ以外の様々な在り方も選択・検討されて然るべきではないか。 だから、LCC専用ターミナルとして経済合理性に徹した建築があっても良い。
この第3旅客ターミナルビルの形態を更に規格化・標準化し、LCC専用ターミナルを設ける全ての空港に展開するくらいの取り組みが有っても面白そうだ。 そうすることで、運用側と利用者側双方にとっての更なる効率化と、そして低コスト化が期待されよう。
「季刊都市」の創刊号※1に上野千鶴子が執筆した「都市のDNA」という小論の一節に「新幹線の駅や国際空港は、ローカリティとは無関係にもっと規格化が進めばいいとさえ私は思っている。」という記述があったことを思い出した。

・静岡県草薙総合運動場体育館

この前の連休中、同じ設計者が手掛けたJR旭川駅舎を三年ぶりに観に行った。 四叉鉄骨柱が並ぶホームも見どころではあるが、木の質感たっぷりの落ち着いたコンコースの雰囲気が、やはりとっても良い。 駅舎というよりは美術館の様なとっても落ち着いた趣き。
同様に木をふんだんに用いたこのスポーツ施設も、凡百の同じ施設のそれとは全く異なる空間の質を有しているのであろう。 そのアリーナ外周を囲うホール部分は、コンクリートや金属を多用した無機質なしつらえ。 この対比が、メイン空間の豊かさを更に強化している様に思える。
解説文に少し触れられている当該作品の形態決定に関わる初期プロセスが実に面白い。 一流建築家は、あらゆる事々を柔軟に着想の対象としていることがよく判る。 けれども御大、ヨーグルトの容器の中蓋に夢中になるあまり、肝心な中身を食すことを忘れたなんてことは無かったでしょうね。



2015.05.12:nLDK → n・nL・nD・nK
※1
2012年6月13日の雑記に記載。 ※2

右記平面図のキッチンと一体となった簡易なダイニングスペース部分内観。 キッチンに隣接してカウンターが設けられている。
これは、1980年代中頃に開設されていたにNTVハウジングスクエア新宿という住宅展示場に同社が出展していたモデルホームになる。
同社は、住宅展示モデルを「モデルハウス」ではなく「モデルホーム」と呼称していた。

表題は暗号ではない。
nLDKは、住まいの平面形態を端的に示す記号として一般に定着している表記方法だ。 言うまでも無いが、一つの住宅の中にリビング(L)とダイニング(D)とキッチン(K)が設けられ、更に任意の数(=n)の個室が配列される状況。 この場合、個室が任意数であるの対し、LDKは一箇所づつであることが前提だ。

ところで最近、知人のブログにてリフォームによってダイニングを二つにしたマンションが紹介されていた。 キッチンを介してフォーマルなダイニングと日常的なダイニングが対置されている。
なるほど、不特定多数を販売対象とし且つ青田売りが一般的であるがためにプランに普遍性が求められる新築物件とは異なり、既築マンションであれば生活様態に応じた個性的なプランへの模様替えは十分に有り得ることだ。 住まわれている方々の食習慣から、性格の異なる二つのダイニングが必要であったということなのであろう。
知人は、この事例からミサワホーム55を連想したという。 確かにその初期モデルは、南入り玄関プランを除き、中廊下を介して南側に広いリビングダイニング、そして北側に小さなダイニングキッチンを設けた2ダイニングプランとなっている。

これとは別に、私は日本ホームズの「新宿モデル」を思い起こした。 当該住宅については、この雑記帳の場で不定期連載している「メーカー住宅私考」の第十回目※1で述べているが、その平面図を再掲する。

平面図

ここでは、南側にリビングと一体となったダイニングを大きく設けている。 それとは別にもう一つ、北側のキッチンに対面してカウンターが設けられた小ぢんまりとしたスペースがある。 キッチンとユーティリティに挟まれたこの空間は、普通であれば家事室の扱いとして位置づけられよう。
しかし、実際の内観は左記画像※2の通り。 キッチンとの連繋性が強く、家事のみならず簡単な食事スペースとしても全く違和感が無い。
つまり、このモデルにおいてもリビングと一体になった正式なダイニングと、キッチンと一体になった気軽なダイニングという性格の異なる二つのダイニングルームが一つの住戸内に併置されているのだ。

これ以外にも、戸建てのリフォーム事例で2キッチン住宅をネット上で見かけたことがある。 改めて検索をかけても見つからなかったのだが、それはミサワホームMIII型にお住まいの方のブログであった。
夫の定年退職に伴い、一階のキッチンとは別に二階の四畳台の納戸をキッチンに改め、夫婦それぞれ別個に料理をすることにしたのだという。 これは夫婦仲が悪いのではなく、お互い料理が趣味で、それぞれ存分に料理を楽しみたいがために行われたリフォームなのだそうだ。 なるほどこれも、生活様態に合わせた興味深いリフォーム事例だ。

ということで、住まい方によっては、LDKはそれぞれ一つづつである必然性は全く無い。 リビングにしても、ミサワホームM型2リビングの様な企画住宅事例もある。 つまりは個室のみならずLDKそれぞれについても任意数(=n)が伴うプラン形態。 「 n・nL・nD・nK」だ。
ここで、必ずしもn≧1である必要は無い。 調理は殆ど電子レンジで事足りるので敢えてキッチンらしきキッチンを計画していないという事例も見かけたことがある。 即ち、nは0から始まる。
住宅ストックの飽和と住まい方の多様化の中で、リフォームによって、否、場合によっては新築に関してもn・nL・nD・nKの枠組みで捉えられる事例が多彩に展開しつつある様だ。



2015.05.07:江別市立江別第三小学校
※1

江別市立江別第三小学校外観。 前面道路を挟んで向かい側に市立の郷土資料館がある。

※2

円形校舎内観。
螺旋階段を中心に円環状の廊下を介して扇形の教室が円形に取り囲む。 そして天井面に放射状に配置された梁が、螺旋階段の求心性を高める。

ゴールデンウィークはいつもの通り北海道の実家で過ごす。 TVのローカルニュース番組にて、連休中の5月1日と2日に江別市立江別第三小学校の見学会が開催されるということを知った。
この小学校については、既にこの場に二回書いている。 地元産煉瓦を用いた校舎や坂本鹿名夫設計の円形の増築棟が特徴的な小学校だ。 それらの校舎が他校との統廃合に伴い建て替えられるため、その前に一般公開するのだそうだ。
円形校舎に関しては、江別第三小学校を含め幾つか事例を観ている。 しかしいずれも外観を眺めるのみで屋内を体感したことはない。 なのでこれはとっても貴重な機会と思い、5月1日に五年ぶりに同校を訪ねた。

到着してみると、なぜか見学会が開催されている様な雰囲気ではない。 おかしいなと思い校門に近づいてみると見学会に関する案内看板が掲げられている。 この日の見学時間は午後二時から五時まで。
さもありなん。 当日は暦の上では平日。 当小学校でも、隣接して建てられた仮設のプレハブ校舎で普通に授業が行われている。 午後二時開催というのは、午前中のみの授業を終えた生徒が下校した後に見学会に対応しようということなのであろう。 ニュースでは見学時間帯までは告知されなかったし、私も事前に確かめていなかった。 完全な早とちり。
さて、開催時刻までどうしようかと思ったら、小学校の向かいに江別市郷土資料館なる施設が建っている。 「まぁ、少しは時間つぶしが出来るかな」などと大して期待もせずに同館に入ってみた。 すると意外なことにここの展示がなかなか充実している。 二時間弱をかけて存分に展示内容を堪能。 同市を訪ねる機会がある際にはお勧めの場所です。

ということで、気がつけば時刻は二時を過ぎている。 郷土資料館をあとにして校舎に向かった。
当然、最初に観たいと思うのは坂本様式の円形校舎の特徴である建物中央を竪に貫く螺旋階段。 画像で見知っていたものと同様の階段及びそれをとりまく空間に暫し見とれる。
やはり良い。 供用時には昇り専用として用いられ、降りるのは別に配置されている階段を使う運用だったそうだ。 しかしこの螺旋階段は昇る行為に全く負担を感じさせない。 むしろ、上昇と同時に展開する視界の変化がすこぶる楽しくさえある。 求心性を持つ建物内の象徴的空間が楽しさに満ち溢れているとは、なんて素晴らしいことだろう。 そしてその象徴的中心を核に、円形校舎内の何処に居ても、人の気配や動きが認識できる。
在校生及び卒業生にとって愛着のある建物として親しまれた理由がここら辺にあるのだろうなと思った。 実際、円形校舎ならではの扇形平面を持つ各教室の黒板には、この校舎に対する哀悼と感謝の意を込めた書き込みが溢れていた。 そしてこの見学会自体も「ありがとう円形校舎」と銘打って開催された。
ここまで校舎が愛され続けたということは、学校建築として極めて理想的であり幸せなことである。 と同時に、同様の円形校舎の設計に多数携わることでその洗練に努めた設計者冥利にも尽きることであろう。
見学会自体は、単に建物を公開するだけではなく、校舎に関する資料や模型、そして坂本鹿名夫の作品集の展示も行われていた。 教職員の方に円形校舎の使い勝手等についても伺うことが出来、とても有意義なひと時となった。

江別第三小学校は、統廃合という事情により全面建替えが選択された。 一方、同様の円形校舎として道内に現存する室蘭市立絵鞆小学校は、閉校に伴い二棟あるうちの一棟は再活用の用途が決まっているという。 いずれこちらも再訪してみたいと思う。

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