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2016.02.29:【書籍】建築学科のけしからん先生、天明屋空将の事件簿
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図書館の新着図書コーナーに面出しで置かれているこの文庫本が偶然目に留まった。
ただのラノベかと思いながらもタイトルが気になったので手にとってみる。
裏表紙に掲載された内容紹介文の末尾に「・・・・・・、エスキスしてみようか」というセリフ。
これがちょっとツボに嵌る。
更に、表紙のイラストの中にバルセロナチェアが描かれていることにも引っ掛かってしまい、借りてみることと相成った。
内容は、上述の紹介文に拠れば「青春×建築ミステリー」ということになるらしい。
書き下ろしの四話構成。
舞台が建築学科であるがために、最初の一、二話はあるある感がところどころに散りばめられていて思わずニヤリとしてしまう。
登場人物たちも極めて個性的。
学生の頃こんな変な奴らが実際に周りにいたら、一緒になってバカをやりたかったナ・・・と、少々懐かしさと憧れをいだきながら読み進める。
三話と四話は、そんな前半の雰囲気を維持しつつ、住宅産業の闇や建築設計業界の徒弟制度の歪に軽く迫る。
そして昨今の某国家コンペの騒動といった時事ネタにも少々触れながら、話が展開する。
ライトな文体ゆえに一気に読了したが、読み終えた文庫本を前に続編が出ないだろうかなどと淡い期待を寄せてしまう自分がそこに居た。
もっとも、タイトルをさりげなく回収しつつ乙女心全開で締めくくった第四話の結末からすると、それは叶わぬ想いという気がしなくもない。
ならば、自身で好き勝手に続編を「エスキスしてみようか」・・・!?
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2016.02.22:図書館三昧_14
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長岡市立中央図書館は、このシリーズの第13回(2015年7月20日掲載)に書いた互尊文庫に替わる市立の新たな中央図書館として1987年に開館した。
駅から徒歩でアクセスする場合、最短ルートは大半が歩行者専用の緑道となる。
その緑道は、廃線となった私鉄の線路敷を活用したもの。
図書館へのプロムナードと位置付ければ、歩行時間十数分のなかなか心地よい経路だ。
そうして至る図書館自体も、緑豊かな恵まれたロケーションの中に建つ。
そこはかつては新潟大学長岡分校の敷地であり、工学部と教育学部が並んでいた。
工学部校舎は、小学生の頃に学校の授業で写生のために訪ねたことが有り、擬洋風の建物外観のことを少々記憶している。
恐らくその当時の既存樹を一部残しつつ、文化施設の立地として豊かな環境を整備したのであろう。
その外観は、一部にコンクリート打ち放しをアクセントとして挿入しつつ、壁面の殆どを明るい茶系の打ち込みタイルで仕上げている。
ちょうど建物の施工が始まった頃に私は同市を離れた。
だから、初めて同図書館を訪ねたのは竣工してからかなり経ってからになる。
普通にきれいな建物だネといった程度以上の印象は持てなかった。
どちらかというと、今も分館として存続する互尊文庫の方に愛着を持つ。
ところで、長岡市内を中心に配布されている地元情報紙マイスキップの今月号(2016年2月号)に、同図書館に関連した気になるコラムが掲載されている。
「パブリック・アート」というタイトルで今月号から連載が始まったそのコラムによると、同施設内に富岡惣一郎作の巨大な壁画が設置されているのだそうだ。
「常設」ではなく「設置」という言葉を使ってみたのは、建築と一体になった作品であるため。
雪国らしく降雪をモチーフにした作品とのことだが、果たして四季を通じて館内に降り注ぐ雪とは如何なる情景か。
以前訪ねた際にはその存在に気付かなかったので、次の機会に確かめてみたいと思う。
ちなみに、同号には私の短期連載「小物に遺された街の記憶」の最終回も載せられています(上記コラムの隣)。
まだ暫くは市内各所で配布されているの思うので、機会あらば御笑覧を。
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2016.02.13:Aプロジェクトシンポジウム
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※1:
開催日:
2016年2月12日(金)
※2:
例えば、「昔のミサワホームO型を見かけると今でもついつい鳥の数を数えてしまう」なんて、判る人にしか判らぬネタ。
写真の通り、当時のミサワホームの企画住宅にはそれぞれの型式のアルファベットをデザイン化したブラケット照明を玄関ポーチに設置。
そこに載せてある鳥の数でモデルのバージョンや仕様を示していた。
※3:
国内の住宅メーカーにおけるクローズドシステムについては、前回(2016年2月10日)の雑記にも少し書いた。
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ミサワホームが主催する第14回Aプロジェクトシンポジウム※1を聴講するためミサワホームの本社を訪ねる。
このAプロジェクに参加するのは初めて。
そして新宿NSビル内に在る同本社を訪ねるのも初めてのことになる。
今回のテーマは「工業化住宅の可能性と今後の行方」。
ゲストに松村秀一、吉村靖孝、橋本純の各氏。
このテーマと陣容なら私が興味を持つだろうと気を利かせた知人が、イベントを紹介してくれた。
勿論、即応募。
NSビル詣でと相成った。
最初は、松村、吉村両氏の講演。
前者は日本の工業化住宅の歴史と現在を取り巻く状況、そして問題点を簡潔に解説。
画面に次々と映し出されるプレハブ住宅の内外観写真について、それがどのメーカーがいつ頃出した何というモデルなのかを澱み無く心の中でそらんじることが出来る自分に大いに意を強くする。
それ以上に、松村氏の発言の節々に顕れる住宅メーカーマニアっぷり※2に終始ニヤリとしっぱなしの、ハタから見れば十分異様過ぎるであろう自分がそこにいた。
更には、「1980年代半ば以降の各メーカーの動向はフォローしていません」という旨の発言にも強く同意。
「その頃からメーカー間の識別性が希薄になった」「売るための商品開発ではなく、単なるその窓口としての商品開発になってしまった」という指摘は私も昔から感じていたこと。
高名な学識経験者がその様に仰るのだから、私個人の住宅産業に対する見方も満更では無さそうだなと、大いに我が意を得る。
後者の方は、御自身が展開する仕事をベースに住宅設計における オープンソース及びライセンスの整備による「クリエイティブ・コモンズ」という新たな職能の構築についての話。
そのことを機軸に、プレハブについての再定義、更にはポストファブという新しい概念の可能性の提示など、面白い提言が次々と飛び出した。
はてさて、それぞれの講演の後、二人がどの様に議論を噛み合わせていくのか。
あるいはコーディネーター役の橋本氏が如何に先導するのか興味を持ちつつその言説を堪能した。
終盤の方で、今まで各メーカーが頑なに守ってきたクローズドシステム※3を突破し、一定の権利保護の制限を整備しつつもそれを活用した自由な創造を認める仕組みを構築すること。
それが今後の有用な手立てになり得るかも知れぬという話になったところで、橋本氏が一言「それって初音ミクだよね」と呟いたことを私は聞き逃しはしなかった。
これには御二方は無反応だったけれど、私は激しく同意。
ホラ、住宅産業と初音ミクが繋がった、と。
私の趣味の指向には一貫性があるってことだ・・・などと訳のわからぬ自己満足に浸りつつとても有意義なひと時を過ごすことが出来た。
詳細は後日Aプロジェクトのサイトに「イベントリポート」として掲載されることでしょう。
興味がある方は是非閲覧を。
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2016.02.10:クローズドシステムのリノベーション
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北海道及び東北で発行されている「リプラン」という季刊住宅情報誌がある。
北海道版と東北版はそれぞれ内容が異なる様だ。
私は北海道版について、北海道に帰るたびに地元の図書館で軽く斜め読みする程度に内容を確認している。
しかし昨年の秋冬号(Vol.110)と最新の2016年冬春号(Vol.111)は購入した。
買うといっても別に大袈裟なことではない。
一冊税込500円だ。
購入の動機は、前号から始まった連載「Q1.0住宅デザイン論」に興味を持ったため。
温熱環境の観点から北方型住宅の在るべき姿について、ディテールを交えてしっかりと解説する内容。
前回は外断熱工法における真壁的外観表現方法について。
そして今回は窓廻りの納まりの話が載せられている。
恐らくはしっかりとした専門書等に更に体系的且つ実践的に纏められている内容なのだろうけれども、北海道の住宅事情に疎い私には入門編としてとても有用かもしれぬ。
今後のテーマの展開が少し楽しみだ。
最新号ではリノベーション特集も組まれている。
その中で目に留まったのは、ミサワホームO型NEWの事例。
記事には「大手ハウスメーカーが建てた住宅」としか紹介されていないが、載せられている改修前の外観写真やプランを見れば、昭和50年代に同社が発売していたO型NEWであることは一目瞭然。
O型NEWといっても、本州以南のそれとは少々異なる北海道仕様のもの。
それを、地場有力ビルダーがプランの骨格以外について内外観共に殆ど原形を留めぬほどに徹底的に手を加えている。
なるほど過去の大ヒットモデルを今風に改める場合、こんなやり方もあるのかと感心した。
O型NEWは、ミサワホーム独自のクローズドな工法によって建てられたプレハブ住宅だ。
その改修を全く別の会社が手掛けることに伴う構造を含めた各種居住性能の担保ないしは向上に係る根拠付けがどの様に行われたのか。
そしてその根拠に基づき計画を進めるにあたってどの様な検証がなされたのか。
記事にはそこまでの言及は無いのだけれども、興味を持つところだ。
年間新築着工戸数が激減する一方、過去に建てられた住まいの件数は空き家も含め増加の一途。
だから今回の様なケースも増えることとなろう。
その際の技術面やデザイン処理に纏わる手法についての情報提供も、この手の雑誌の重要な役割になるのではないか。
あるいは、そのことを紙面上で丁寧に解説することが、各ビルダーにとっても技術的信頼性や優位性のアピールになると思うのだが。
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2016.02.03:メーカー住宅私考_62
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※1:
中銀カプセルタワービル外観。
※2:
現存するフローラ。
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昨年10月に「中銀カプセルタワービル 銀座の白い箱舟」という書籍が発刊されている。
入居者への取材を中心に、同建物の現状とその魅力が纏められた興味深い書籍だ。
面積僅か10平米の極小空間に居住のために必要なあらゆる機能をコンパクトにビルトインした144個のカプセルが垂直シャフトにびっしりと配列されている様は、今眺めても極めて先鋭的である※1。
しかし、オールインワンの居住用狭小カプセルとして実際に作られた事例はこの中銀のカプセルのみではない。
例えばその竣工と同じ1972年に利昌工業がフローラというカプセル住宅を発売している。
このモデルに関しては、住宅メーカーの住宅のページに載せている「ユニット別荘四題」においても少しだけ触れている。
「中銀」の様な集合住宅ではなく、戸建の別荘向けに開発されたもの。
FRPを主要素材にして曲面を多用した外皮を形成。
その内部に居住スペースを確保しつつ、各種設備が機能するギリギリのサイズに矮小化されギッシリと詰め込まれていた。
このフローラが西宮市に現存するとの情報を入手。
確認すべく現地に向かった※2。
甲子園球場に隣接して建つためか、その外装は阪神タイガースを連想させるカラーリングが施され、FRPの質感は失われていた。
現況、串カツ屋として活用されている。
私が訪ねた際は、まだ営業時間ではなかったので外観を眺めるのみに留まったが、恐らく内部は飲食店として使うために大幅に改修されているのであろう。
一方、外観は表装以外のファサードデザインや全形は旧態が良く保持されている。
その意匠は、主に60年代に想い描かれた未来の風景が色濃く反映されているのと同時にどこかユーモラス。
ユニットプレハブ化が未来住宅に繋がる夢として語られ熱気を持って開発が進められた往時の息吹が、そこに深く静かに沈着していた。
昨今、小屋暮らしという生活様態が少しだけ注目されている。
人里から少々離れた場所に住宅未満の小屋を建て、世俗の雑事からある程度距離をおいた簡素な生活を謳歌しようというもの。
果たして実態が「謳歌」という状況を達成し得ているのか否かは判らぬし、その判断は実践する個々人の価値観に拠ろう。
あるいはその暮らしぶりも実に様々で十把一絡げには出来ぬ。
ともあれ、そんな極めてパーソナルな「現代の庵」のニーズの興隆と共にフローラの様なモデルが時を超えて再び商品化される機会が増えるのかも知れぬ。
SUSが発表したアルミ製ミニマル居住ユニット「t2」などは、その一つの顕れでなのではないか。
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2016.01.26:メーカー住宅私考_61
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※1:
この形状のフラワーボックスが最初に採用されたのは、ミサワホームAIII型。
途中に絞りを施した鋼製の竪格子と、スラブ下端のアーチ状の設えが特徴。
某芸人の新居は、この写真よりも格子の高さが少し低い設定となっていた。
※2:
1980年代に同社が採用していた上記とは異なるフラワーボックスの事例。
FRPの上に吹付けタイルを施したもの。
鋼製竪格子仕様のタイプが登場する以前の昭和50年代の同社のモデルに共通して採用されていた。
この事例では向かって右手のボックスに空調室外機が置かれているが、この通り中途半端な収容状況となってしまう。
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外出先での仕事が思いのほか順調に終わる。
会社に戻って他の仕事をしようかと一瞬思ったけれど、既に時刻は五時を少し過ぎている。
しかも出先から会社までの帰路の途上に自宅があるとなるとその気も起きぬ。
ということで少し早いけれど、直帰することに。
風呂に入って早めの夕食を済ませ、お茶をのみつつ一息。
で、テレビを点けるとNHKの七時のニュースが始まるなんて、あまりにも豊かで優雅な平日ではないか。
人生こうあるべきだよナなどとしみじみ思いながら、しかしニュースの中身が宜しくない。
もっとほかに報道すべき大事なことが沢山あるだろうなどと思い、腹立たしいのでチャンネルを変える。
しかし、この時間の民放ってバラエティ番組しかやっていないのね。
どれもつまらなくて視る気も湧かないので次々とチャンネルを替えるが、そのリモコンの操作がとある番組の画面で止まる。
ちょうど、某芸人が佐賀に建つリフォーム済みの一軒家を1750万円で購入し引越すという企画をやっていたのだ。
で、新居の外観が映った。
それを視て瞬時に判った。
「あ、ミサワホームだ」と。
規格型ではなく自由設計の住宅であるにも関わらずなぜ容易に判ったのかというと、二階の開口部に取り付いているフラワーボックスの存在。
1983年以降の暫くの間、同社の規格型住宅に採用されていた竪格子タイプのパーツ※1とほぼ同じものが二つ、その立面に並んでいた。
同社がいつ頃までそのパーツを採用し続けていたのかは判らない。
でも、結構築年数を経た中古住宅である可能性は高いな・・・などとどうでも良いことを気にしつつ、番組の内容には全く興味が持てないので早々にテレビを消すことに。
当時のミサワホームについてこの場に書く内容は肯定的なことが多い。
しかし気に入らぬ点もある。
その一つがこのフラワーボックス。
いくつかのデザインがあるが、いずれも機能的に中途半端なものであった。
空調の室外機置場として使うにしても、その機器を目立たぬように置ける訳でもない※2。
バルコニーとしても使えない。
せいぜいプランター置場が関の山・・・って住んだことが無いのだから実際の使われ方がどうであったのかは知らないけれど。
しかし、中途半端なものであったと判断できる根拠はある。
経年の中でそれらが取り外され、エクステリアメーカーの既製のアルミ製バルコニーに取り替えられている事例が少なくないのだ。
普段の生活においてその有用性の評価が低かった証拠であろう。
だから、オリジナルがしっかり残っている某芸人の新居はなかなか貴重なケースということになる。
ちなみに当時の同社の企画プランに関し、共通して気に食わぬことが他にもある。
例えば和室における無節操な床の間の配置などが挙げられるが、そういった点についてはまた別の機会に。
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2016.01.21:【書籍】新建築2016年1月号
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ページを捲っていて驚いた。
長坂常/スキーマ建築計画の「お米や」。
仕舞屋に遺された僅か五坪の旧店舗部分の改修。
施されたのは、現わしの木部に対する最小限のクリーニングと新店舗の営業に向けた僅かな設えの整備。
それだけのコトが建築作品として扱われ紙面に掲載されている。
無論、否定的に捉えるつもりは毛頭ない。
世の多くの新築建築物が誰からも評価されず歓迎もされず、それどころか場合によっては批判の対象として蛇蝎の如く叩かれてしまう昨今。
それでもなお建築に存在意義を見い出すためのこれからの道筋は如何に在る哉。
例えば松村秀一が提唱する「箱の産業から場の産業へ」というのはその解の一つなのだろうけれども、当該作品はそんな「場の産業」に相通ずるものなのかもしれぬ。
だから、そこに施されたコトのみを観るのは片手落ちで、その小さなコトが長い時間軸の中で隣近所にどの様な良い影響を与えていくのかというところに視点を置くべきなのであろう。
問題は、この手の建築への関与を如何にフィービジネスとして認知して貰えるような仕組みとして構築し得るかといったところにあるのだろうか。
そのことは、長坂常と日建設計の新設部門の面々の対談の終盤でも言及されている。
その日建設計の新設部門、NIKKEN ACTIVITY DESIGN lab(NAD)が関わった都内の高級賃貸マンション「パークアクシスプレミア南青山」については、解説を読んでも何だか良く判らぬ。
建物の新築行為について、単なるハコ作りに留まらぬ新たな取り組みが必要であることは理解できる。
その何かについて検討・実践する実験的な部署を、当事者たちの具申に応じて巨大設計事務所が自身の組織内に設置するというのも面白い。
今後、独自性や収益性も含めて事業としてどんな進展を見せるのかということにも全く関心を持たぬ訳でもない。
しかし当該マンションに関しNADが行ったこととして解説されている事々に限って言えば、不動産事業を進める際にクライアントからの紹介と称していつの間にやら涌いてくる謎のコンサル屋さんの類いが頼みもしないのに提出してくる企画書の中身とあまり変わらぬという印象。
ま、理解し得ないのは私がこの手の高級物件とは無縁の貧乏人だからなのだろうけれど、果たしてNADの関与が当該物件の商品価値向上や事業推進にどの様に寄与したのだろう。
ところで、頼みの綱は勿論「場の産業」のみにあらず。
ハコ自体にも取り組むべき課題はたくさんある。
というよりも、新たなテーマが次々と出てくる。
新素材を用いた耐震改修の可能性を新たな意匠を伴って建築作品として試行してみせた隈研吾建築都市設計事務所の「小松精練ファブリックラボラトリー fa-bo」は、ストック技術の多様性の追求という点で興味深い。
それに三分一博志建築設計事務所の「直島ホール」における環境配慮の試みも、その効果や検討プロセスをもっと子細に知りたいところだ。
当該公共施設と、隣接する1983年竣工の石井和紘の「直島町役場」が並んで映っている写真を見ると、建築に纏わる考え方や価値観の変容という点に思いを馳せぬ訳にはいかず、なかなかに感慨深い。
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2016.01.14:新山口駅
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昨年末、新山口駅界隈に建つ第5石田屋ビルを建築探訪のページに登録した。
特筆すべき独特な内外観を持つ建物という訳ではない。
その建物単体ではなく、駅前広場から眺めたこの建物を含む風景が気になって、それを当該ページの冒頭に載せたかったというところが主な掲載動機になる。
ところで同地を訪ねた際、新山口駅の在来線側(北口)は大規模な再整備工事が進められていた。
新たなコンコースを設けるため、旧駅舎はその大きさを半分に減じた状態にあった。
右の画像が残存部分の外観。
矩形の総二階建て。
一階部分は駅前広場に向けて庇を張り出し、二階の外壁はダブルスキン風に納められている。
単に二重サッシないしは後補で内窓サッシを取り付けただけかもしれぬ。
しかし、外部側のサッシと細い柱梁のグリッドフレームは、その背後の構造体からは切り離された帳壁として扱われている。
昭和半ばに建てられた駅舎である様だが、いかにも当時の建築潮流に則った意匠という印象。
機能性を踏まえつつ余計なコストを掛けずに端正且つ簡素に纏めているといったところか。
現地でそんなことを思いながら既に風前の灯状態のその駅舎を眺めつつ、しかしもしも例えば四半世紀前にこの駅舎を見ていたら全く違った印象を持ったのだろうななどと余計ことを妄想する。
恐らくは、「何と凡庸で退屈な・・・」の一言で済ませていたことだろう。
四半世紀前といえばポストモダン建築華やかなりし最終局面の時期。
装飾性とか地域性とか、あるいは地霊だ歴史性だコンテクストが云々と、百花繚乱に表層デザインに纏わる言説が咲き乱れていた。
かの名言「レス・イズ・モア」が反面教師的に語られ、ヴェンチューリが唱えた「レス・イズ・ボア」が金科玉条の如く席巻。
そんな風潮に対し、一凡人が全く無縁であり得る筈が無い。
時代の潮流が、個人の価値観や物の見方にも影響を与える。
新建築誌の昨年12月号に、同駅の再整備実施状況が掲載されている。
掲載されている写真からは、変貌を遂げつつある駅前広場の様子が窺える。
否、まだ途上で、これから駅周辺エリアも含めた再開発が更に継続するらしい。
第5石田屋ビルのページの冒頭に掲げた写真の風景も、いずれ変わっていくのであろう。
というよりも、不変であり続けられる都市などそもそも存在しない。
であるならば、訪ねた際に偶然見掛けた都市の風景についてこの場に地味に書き留めておくことも、全く意味の無いことではあるまい。
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2016.01.05:【書籍】都市の歴史とくらし
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年末年始はいつもの通り北海道の実家へ。
刻々とその様態を変化させつつシンシンと降り積もる雪を眺め、そしてその雪を踏みしめて歩き回ることで漸く季節が冬であることを実感する。
幾度か書いているが、日常生活に雪が無い関東の冬はどうしてもその実感が湧かぬ。
降雪地を離れ関東に住み始めてもう随分年月が経とうとしているのにこの感覚は変わらない。
恐らく今後も変わることは無いのであろう。
帰省したからといって特に予定が無いのもいつもの通り。
地元の市立図書館が年末年始の休館に入る前に何冊か本を借りる。
そして東京から持ってきた図書館本と合わせて窓台に載せ、窓際に椅子を置いて外の雪景色を時折ボーっと眺めつつ読書三昧の日々を過ごす。
話は変わるが、昨年11月下旬に新潟県内数箇所を歩き回った。
第一の目的は、私の建築の師匠(と、私が一方的に思っているだけなのだが・・・)夫妻と共に、柏崎市のふるさと人物館で開催されていた企画展「柏崎近代建築の先駆者―内山熊八郎」を見に行くことであった。
内山熊八郎は、県内柏崎市出身の明治から昭和初期に活躍した建築家にして実業家。
そして師匠の祖父(この人も建築家)の弟子でもある。
そんな時を超えた師弟関係が柏崎市に会すというのも面白いではないかと、これまた独りで勝手に悦に入りつつ師匠に半ば無理矢理付いて行った次第。
そのついでに県内を巡りましょうということで訪ねた一つが新発田市であった。
お目当てはレーモンドが手掛けたカトリック新発田教会。
JR新発田駅から教会に至るまでの駅前通りの雰囲気は、全国の地方都市で進行しつつある状況と似たり寄ったり。
休日の昼前の時間帯にもかかわらず、通りに面した殆どの商店がシャッターを降ろし、閑散としている。
そんな通り沿いに空き店舗を活用した地域コミュニティスペース(これも地方の駅前商店街にて近年良く見受けられる施設)があったので中に入って小休止。
市街地図が掲げられていたのでセルフサービスのお茶を飲みながら眺めていたら気になることが見つかった。
幾つもの寺が市内の一箇所に線形に集中配置されている。
同様の配置は、県内の上越市や新潟市でも確認出来る。
いずれもその成り立ちは近世まで遡る様であるが、新潟県というのは、かように線形に寺町を街の中に挿入する都市計画がかつて流行ったのだろうか・・・などと思いつつ、その時はそれ以上気に留めることも無く終わってしまっていた。
でもって、今回掲げた書籍である。
図書館から借りて読んでいたら、文中にこの線形寺町形成の事由について言及がなされていた。
浅学にして知るに及んでいなかったこの事実をもとに、各地の寺町の成り立ちに目を向けてみたいと思う。
これ以外にも都市に関する様々な論述があり、興味深い書籍だ。
ちなみに同じ著者がほぼ同時期に発刊した「列島文明−海と森の生活史」も借りて同時に読んだのだが、被る内容が多くて少々いただけなかった。
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