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2018.05−2018.06
2018.06.26:メーカー住宅私考_94
わいわいHOMES

※1

わいわいHOMESの分解パーツ画像。
そこに並べられたのはクラディング部材が主であり、勿論これらを組み立てただけでは家は完成しない。 それでもなお、あたかもプラモデルの如く家が建つかの様なイメージをそこに籠めたのは、現場施工における労務省力化化と品質の安定に対するプレハブ建築の一つの完成形の有り姿を提示したいという想いなのであろう。

1984年10月21日、ミサワホームから「わいわいHOMES」が発表される。 白壁に三角屋根を載せたかわいらしい外観。 その広告には、草地に同モデルの分解パーツを並べた写真が掲載された※1

遡ること15年前。 同社はホームコアという平屋建ての超ローコスト住宅を発表している。 その際も、パーツを地べたに並べる同様の演出を行った写真を公表している。 それは、建設費込みで100万円という販売価格を実現するためのプレハブの極限を目指した成果を高らかに謳おうとしたものであったのだろう。 即ち、徹底した合理化と標準化による品質の維持と低コスト化の両立という目的に基づく「完全プレハブ」の可視化だ。
わいわいHOMESにおける類似の宣伝は、同じ意図を絡ませながら、更にもう一つの宣伝要素が込められていたものと思われる。 つまり、たったこれだけのパーツで当該住宅を建てることが出来ますよという演出によるセルフビルドの可能性の示唆だ。

当該モデルの価格は500万円程度に設定。 それは主に一次取得者層をターゲットにした商品開発の方針に沿ったものであり、低コスト化という意味でもホームコアのそれに相通ずる。 ホームコアと同様のパーツを並べてみせる演出は、ホームコアから15年を経たローコスト住宅に纏わる自らの応答であり、尚且つホームコアの頃とは違う時代性を反映した成果も加えられたものであったとも見立てられよう。 つまり、低価格の実現が最優先事項という訳では無い。 そこに住むことの楽しさも付与する。 その上での低コスト化。 実際、おとぎの国に登場してきそうなかわいらしい外観や、急勾配の屋根形状を活かした吹抜けを介して上下階の居室を連携させる空間構成は、低コスト化のための合理化に特化したホームコアとは異なる開発思想の表われでもあろう。

ところで、建築事例を見ると必ずしも購買層は一次取得者層という訳では無かった様だ。 リゾート地に建てられたケースも散見される。 なるほど確かに別荘としても違和感の無いモデルではある。

2018.06.17:八角形に纏わる話
※1

備前市役所日生総合支所(旧・日生町役場)。 分岐する斜柱で外周を固め、その上に折半屋根が載る独特な構造形式で外観を構成する。
この建物の裏手にある備前市立日生西公民館も興味深い建物で、こちらについては建築探訪のページで紹介している。

昨年秋に相生を訪ねた当初の目的は、単なる宿泊であった。
大阪での仕事を終えて、新幹線で同地に移動。 駅前のビジネスホテルに泊まり、翌朝そのまま日生町に向かう予定を組んだのは、そこに建つ庁舎がかなりラディカルで※1、かねてより観てみたいと思っていたため。
とはいえ、相生に関してもただ泊まるだけでは勿体無いので、翌日の早朝ホテル周辺を散策する。 概ね落ち着いた雰囲気を醸す街並みが瀬戸内海に向かって連綿と続く。 その街路を徘徊中、時折相生駅を猛スピードで通過する新幹線の走行音が周囲一帯に轟き渡る。 それは、颯爽と風を切るというよりは、静穏な大気を暴力的に切開するかの如き。 ほんの一瞬のことではあるものの、その物理的威力にやや戦慄を覚える。 しかしそんな私にしてみても、前日の夜に当地を訪ねる手段として、凄まじいスピードで国土を線形に疾走するこの移動機構の内部密閉空間に身を委ねていたという訳だ。

そんなことを考えながらあても無く歩き回る目線の先に、その建物が在った。 二階建て家屋が軒を連ねる風景の中に屹立するRC造の塔状建物。 目に付くのは、周囲から突出するボリュームだけではない。 その外表に纏う意匠も、少々異形の様相を呈する。
接道側立面の二階腰窓と三階及び四階のバルコニー手摺に施された肥大化した歯状装飾(デンティル)の様な形態。 更にその上層の屋上部分に八角形の開口が二つ穿たれる。 その八角形の縁取りと同様の意匠が北側立面の各開口部廻りにも取り付く。 開口部として用いられるサッシ自体は、四隅にRを付けたもの。 しかし、その外側に廻されたコンクリートで象られた極太の枠によって八角形の開口が並んでいる様に見える。 そしてその立面は正確に相生駅の方角に向けられ、まるで幾つもの眼差しが駅を凝視しているかの様。 あるいは、周囲から突出する高さであるがために目立ち、そしてそれが故に集めることになるであろう視線への過剰な応答がそこに意図された様にも見える。
ただならぬその外観に、一体何の建物だろうと近づいてみれば、歯科医院。 なるほど、接道側立面の肥大デンティルは、それをもじったものか・・・などと単純に邪推する。 エントランス脇に嵌められた定礎版には、施主と設計者と施工者の名前が刻まれていた。 この建物に対する三者の拘りや誇りの顕れであろう。

泊まるだけの予定であったこの街も、この歯科医院の存在を含め少々興味が湧いた。 なので、その日予定していた日生町での行程をやや早めに切り上げて相生に戻る。 そして駅前の観光案内所で運営しているレンタサイクルを利用し、秋晴れの空のもと予定外の市内散策を暫し堪能した。

2018.06.10:六角形に纏わる話

ゴールデンウィーク中に苫小牧市内を散策したことは「徘徊と日常」のページでも触れた。 同市内に建つ文化会館は、建物全体にわたって六角形を用いたディテールを様々に取り入れているところが特徴。 特に六角形の輪郭を力強くかたどった開口部が並列する管理棟の外観に興味を持った。

そのことをネタに知り合いと雑談していたところ、最近ネット上で見知ったという六角窓の事例を紹介してくれた。 掲載サイトにはその建物の名称や所在地についての言及は無かったけれど、画像の隅に写り込んでいる近傍の飲食店の看板から容易に場所を割り出すことが出来た。 ・・・って、これじゃまるで「特定班」だな。
ともあれその意匠がとても気になったので、実物を拝むべく建物が立地するひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅に降り立った。

ちなみに私は街歩きを趣味の一つとしているけれど、スコブル方向音痴である。 事前に十全に下調べを行い、更に現地でも掲示されている地図等で慎重に確認しても、目的地とは真逆の方向に歩を進めていることがシバシバ。 あるいは、途上でついつい寄り道をしてしまい、いつの間にか自分の居場所が判らなくなった挙句にとんでもない場所に辿り着いてしまうこともシバシバ。
しかし、そんなハプニングこそが思いもよらぬ建物や風景と出会うきっかけになり得る。 あるいは、道に迷っていること自体を大いに愉しむことこそが見知らぬ街を徘徊する醍醐味でもあろう。

そしてそのことは那珂湊駅に降り立った際も、同様であった。
駅前広場の向かって右手に何となく歩を進めてしまった。 否、それは右手にちょっと気になるRC造の小ぶりな建物を見掛けたため。 暫しその建物を眺めたのちに地図を確認すると、そのまま右手に進むと目的地の真逆に向かうことに気付く。
御多分に漏れぬ方向感覚に対する鈍感さに我ながら呆れつつ、進む向きを転換。 その際に目に入ったのが、建築探訪のページに最近載せた勇稲荷神社であった。 もしも最初に右手に進みかけなかったらその存在に気付かなかったかもしれぬ。 間違いもまた楽し・・・ということで、同神社もじっくり堪能することと相成った。

その後、当初の目的建物にも向かい、そちらも大いに堪能する。
食違い十字路に面する角地に立地するがために遠方からもアイストップとして視認可能なロケーション。 そのことを念頭に立面が構想されたのであろうことは容易に察しが付く。 しかし実際にそこに形成された六角形を基調としたダブルスキン風のディテールに込められた意図は一体如何なるものであったのか。 そのことについて邪推を試みながらその界隈を歩き回る途上で、ほかにも興味深い事例が散在。
これは今後も幾度か訪ねて子細に廻らなければ・・・というのは、初めて訪ねた街を徘徊中にいつも思うこと。 しかしその「次回」を実行することがそれ程多くは無いという辺りが、我ながらどうにも不甲斐無いと反省するところではある。

2018.06.02:メーカー住宅私考_93
ナショナル住宅産業 ナショナルハウス55

※1

ナショナルハウス55外観

「新住宅供給システムプロジェクト」については、当該サイトの幾つかのページで言及している。 高品質で低廉な住宅の安定供給を目的に、旧通産・建設両省が立ち上げた住宅政策。 通称、「ハウス55プロジェクト」とも呼ばれたこの計画では、三つのグループ企業が選定され施策に則った戸建住宅を開発。 商品化を実現している。 そのうちの一つ、新日鉄・竹中工務店・松下電工の三社による<TOPS>グループが1982年1月に発表したモデルが、今回取り上げる対象。

外観写真※1を紙面で初めて目にした際の印象は、「なんだか随分普通だな」といった程度であった。 グレーの外壁に白色の各種外装材を対比させた外観は、総二階ながらも単調さを感じさせぬ。 ソツなく纏まってはいるものの、しかしそこに新進性は特に見い出せぬ。 あるいはプランも、田の字に中廊下を挿入するという当時既に多くの同業他社が手を染めていた構成。 「新住宅供給システムプロジェクト」という名を冠し、先進の工業住宅の開発を目的に推し進められた国家主導プロジェクトの産物としてはいささか拍子抜けの感はあった。

しかし、このモデルが国家プロジェクトの産物である証左は、内外観では視認しにくい界床にある。 そこには、新開発のハニカム構造を内包する両面フラッシュパネルを採用。 その導入により、耐震性の向上と上下階の遮音性能確保、更には許容積載荷重の増大が目論まれた。
このハニカムパネルは、当該プロジェクト発足以前から日本ホームズと竹中工務店が全ての主要構造体への採用を目指して検討を進めていた。 そしてその開発の推進にあたって国からの支援を得ようと動いていたところ諸事情が介入。 上掲のプロジェクトの体裁を繕い事業コンペを実施。 三つの事業グループの案を採択し開発が進められることとなった経緯がある。
係る諸事情については当時の週刊誌等の類いにおいても様々言及されているのでここでは触れない。 ともあれ、このハニカムパネルこそがハウス55の発端であったということになる。 曲折を経てナショナル住宅産業(当時)が商品化したハウス55におけるこの新素材の採用は、開発着手時の構想に比べ大幅に後退する結果となった。 新たな素材あるいは工法を開発するということは、特にコスト面ではなかなか現実化に向けたハードルが高い傾向にあるということなのかもしれぬ。

千葉市内に、当該モデルによる大規模なテラスハウスが実在する※2
単独のみならず、連続住戸とした場合にも概ね整った群景を見せるモデルという印象を持った。 単体モデルにおいて妻側の軒を省略した切妻屋根が採用された※3のは、この様な連続住戸への対応性を鑑みての措置だったのかもしれぬ。

※2

テラスハウスとして建つナショナルハウス55

※3
一年後、四方に軒を出した寄棟屋根のモデル「ナショナルハウス55N」を発表している。
2018.05.25:メーカー住宅私考_92
そこにもあった、ミサワホームG型

知人が御自身のblogでミサワホームG型の新たな実在情報を紹介していた。
視聴していたTV番組の映像で、屋外ロケの背景に一瞬写った当該建築事例に気付いたという。 鋭い観察眼だ。

所在地は福岡県。
Google Mapで確認すると、広大な池を有する公園に面した好立地。 発売時期を鑑みれば築40年近くを経ているのであろう。 にも関わらず、往々にしてありがちな改変の手が加えられることも無く原型を美しく保っているところが嬉しい。
それでなくとも、同時期に同社から発表されていた商品群の中でも最上級の高額モデルであるが故に建築事例は極僅か。 その実在自体が既にしてすこぶる貴重でもある。

しかし、かように貴重であるという認識を共有出来る方は世の中に果たして如何程。 例えばこれが車とかであれば、価値観を共有できる人がそれなりに多くいるのであろう。 なぜかハウスメーカーの住宅については関心や評価が著しく低いという気がしてならない。 まわりの設計者に話を持ちかけても興味を持つ人はほぼ皆無。 少なくとも国内の住宅産業勃興期から暫くの期間の動向は、建築史的にも極めて特異な事象を多く含む興味深い対象であると個人的には強く思うのだが・・・。

昭和40年代から50年代のものを中心に、出向いた先々で見かけた様々なハウスメーカーの多種建設事例について、個人的にそれなりに収集・蓄積している。 いずれも建てられてから概ね40年前後の時を経ている訳で、そろそろ歴史的な視点で顧みる価値を持ちつつあるのではないか。 それは大袈裟な言い回しかも知れぬ。 しかしせめて、国内に散在し確実に日本の佇まいの一部を形成するそれらを記憶に留め置き個人的な記録としておきたいとは思う。

文中の画像は、冒頭のものとは異なるミサワホームG型。 千葉県内を仕事で移動している際に偶然見つけたもの。 今は、手前側に賃貸アパートが建ってしまったので、このアングルでの鑑賞は望めぬ。
同県内ではもう一軒、このモデルの事例を確認している。 その時のことは、この場に2008年6月14日に書いた。 遠い過去に札幌市内のモデルハウスで実物を拝んで以降、初めての建築事例との対面。 それからもう10年が経つというのはなかなかに感慨深い。 その間、他にも幾つかの事例を知ることとなるが、未だその総数は一桁。 単純に数の問題で片付けられはせぬが、しかし全国到る所で確認可能な同時期の同社他モデルとは商品的な位置づけが圧倒的に異なるのが、このG型だ。

2018.05.22:中央工学校

前回、JR王子駅前に建つ商業施設「サンスクエア」について書いた。
同駅の北側には、中央工学校という歴史のある専門学校が立地する。 規模も大きく、現在は二十数棟の校舎が斜面地に林立する。
二級建築士および一級建築士の試験会場として毎年同校が使われており、私もそれぞれの二次(製図)試験を受けに校舎内に入ったことがある。 当然ながら受験のことで頭がいっぱいであったし随分昔のことでもあるので、今となってはいずれの校舎が会場であったのかは記憶に無い。 但し、受験会場の窓からは都心の東側の眺望が開けていた。 眼下を新幹線の高架が通り、ひっきりなしに新幹線の車両が往来する。 作図の手を休め、フトそんな風景を見入っていた記憶がある。 その眺望のことを想い起すと、一号館上層階の教室であったのかもしれぬ。

「サンスクエア」について書くために同施設を訪ねた際、久々に中央工学校にも歩を向けてみた。 一号館のエントランス脇には田中角栄揮毫の堂々とした校銘板。 氏が同校の卒業生であり第四代校長も務めたことが添え書きされている。
その一号館の外観は、なかなか良い雰囲気。 斜面地に建つが故に法的斜線制限の処理等、建物ボリュームの整理が大変そうな立地だ。 しかしそのことを逆手にとり、複雑なボリュームを手掛かりに巧く意匠を構成しているという印象。
その一号館のはす向かいには、林雅子設計の「STEP」と名付けられた校舎も建つ。 こちらも斜面地を利用して階段を多用した独特の空間構成が、ガラス越しに外部からも確認出来る。

中央工学校の施設というと、資格試験受験以外には軽井沢にある三五荘と南ヶ丘美術館も訪ねたことがある。

2018.05.16:サンスクエア

JR王子駅前に建つサンスクエアという名称の商業施設を初めて目にしたのは既に四半世紀前のこと。 特にコレといって優れたデザインの外観という印象では無かったけれど、三次元曲面アーチが並ぶ立面が妙に記憶にこびりついた。
以降、個人的な王子駅前のイメージとしてすぐにこの建物が思い浮かぶこととなる。 つまりは商業施設の外観に求められる顕示性という点ではそれなりに成功している建物ということになろうか。

もともとは十條ボウル王子センターという名のボウリング場であったことが、建物所有者のサイトに紹介されている。 オープンは1971年3月。 国内のボーリングブームの絶頂期に建てられた施設ということになる。
数多のこの手の施設がその後辿った推移と同様、この十條ボウル王子センターも屋内の大部分について他用途への転換が図られている。 かつては数フロアがボウリング場であったが、今は最上階のみ。 他のフロアはゲームセンターやバッティングセンター、そしてショッピングセンター等が入っている。 用途変換が図られた各フロアは、ボーリング場としての名残を留めており、それはそれで面白い。 例えば空間内に柱が全く無いこと。 あるいはフロアの途上に段差があること。 場内が無柱であることは、ボーリング場の常。 そしてロビーと競技スペースの間に数段の段差が設けられているのも同施設の一般的な設えである。 それらを残しつつ、現在の用途に供されている。
だから、二階のショッピングセンターに足を運ぶと、物販スペースの手前側に帯状に広がる数段高い位置から、無柱のフロア全体をやや俯瞰するように一望することが出来る。 来場者の動線設定や商品陳列の自由度を確保するため、通常ショッピングセンターの床面に段差は禁物だ。 しかしここではそのことが逆に店舗の個性となっている。 勿論段差部分に注意表示がなされる等、供用にあたっての安全性確保という点においては必ずしも良好とは言えぬ様子ではあるが。

王子駅前から臨む外観とは異なり、その裏手は表情に乏しい。 しかし各フロアに設けられたオーバーハングが、それなりに面白い立面を形作っている。

2018.05.09:メーカー住宅私考_91
吹抜けが三つある家

ミサワホームが1984年9月21日に発表した自由設計事例。
この年、ミサワホームのデザインの方向性は大きく変わった。 そんな印象を最初に抱いたのが同年5月5日に発表されたミサワホームチャイルドであったことは以前もこの場に書いた。
1976年発売のミサワホームO型で確立した手法を進化させながら怒涛の勢いで企画型のヒット作・話題作を連発してきた同社が、このモデルではその一切を破棄。 白いサイディングを横張りした外観は、当時既に他メーカーも手を染め始めていた如何にもな売れ筋のもの。 何でミサワホームが敢えてこのデザインをやるのかなと思ったものだ。 それまでの企画住宅の様に心に響くものが無い。 よく言えばそつなく纏まっているけれども悪く言えば凡庸。

そしてその数か月後、この「吹抜けが三つある家」である。
同社の自由設計住宅の新ブランドとしてこの年に立ち上げた「我が間ま住宅」の一事例。 玄関ホールとリビング、そして二階の子供部屋に吹抜けを設けているという間取りの特徴そのままの何の捻りも思想も無いネーミング。 勿論、名称が住まいの魅力を左右する訳では無いが、しかしそこに展開する内外観に対する印象も、ミサワホームチャイルドと同質のものであった。
否、プランは決して悪くない。 むしろそれまでの企画住宅には無い自由さと、その自由さ故ののびやかな空間の広がりが何とも心地良さそうな構成だ。 そんな諸室構成を内在させた外観は、企画住宅で培ったディテールを一部に用いつつそれまでの印象とはガラリと様相を変えたという雰囲気。
しかしどこか歪な感が否めぬ。 それは、それまでの企画住宅で洗練させてきたディテールなりデザインが、四角四面の総二階の立方体のボリュームにおいて強力な効果をもたらす手法であったことに起因する。 動きのある形態のボリュームの表層にレイアウトすることには必ずしも馴染まぬ。 その違和感が、この事例に対する個人的な印象を決定してしまう。 最近、中古住宅として販売されているほぼ同じ内外観を持つ事例を実際に観る機会があったが、当時紙面を見て抱いた際の印象と変わることは無かった。

文中の画像は、川崎市麻生区にかつてあったサンケイ新百合ヶ丘総合住宅展示場内に建てられた当該モデルハウス。 このモデルはその後、1986年に同社が発表した高級モデル「CENTURYシリーズ」の中に組み込まれ、CENTURY M1と名称を改めている。

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