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2016.10.31:事務的な連絡
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※:
後補:
この記載内容は、表記の年月日における旧url時点のもの。
当該サイトは2016年12月17日以降、現urlに移転済み。
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時期は未定であるが、いずれ当該サイトの引越しを行うこととなった。
理由は、利用しているホームページ公開代行サービスが来年11月をもって終了となるため。
調べてみると、プロバイダが執り行うこの手のサービスは縮小傾向にある様だ。
このサイトを始めた十年前においても、既に世はブログや各種SNSの興隆時期。
そして今や個人のホームページという形式は少数派の傾向にあり、サービス縮小はそのことを反映した動きなのであろう。
従って、新たな公開代行サービスに移行したとしても、それが恒久的なものとも限らぬ。
ならば、コレを期に流行の形式に乗り換えることも選択の一つではあり得る。
現に、今利用しているプロバイダ側が提示しているサービス終了に伴う代替措置も、その様な類い。
しかし今まで作ってきた各ページのレイアウトはそれらの体裁にはなじまぬ。
抜本的に作り変えるにしても、改めて数えてみたら、サイト内に登録しているhtmlのファイル数は保留分も含めて400近く。
チリも積もればナントヤラ。
十年に渡って細々と追加・更新して来たファイルの数は、我ながら半端ではない。
ここまで来たら、可能な限り今の形を基本に続けるべく新たな環境を探すしかなさそうだ。
ローカルサーバーに公開サーバー上と全く同じフォルダ構成で各ファイルを管理しているので、他のサーバーへの物理的移転は造作も無い。
しかし、urlの変更に伴って調整を要するページも多々あるため、今すぐに移転することは出来ぬ。
とはいえ遅かれ早かれのことなので、詳細未定ながらもまずはこの場でお知らせをしておく。
そして当然ながら、詳細が決まり次第またこの場に案内を載せることになる。
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2016.10.22:メーカー住宅私考_69
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※1:
「DEBUT未来設計図」の基本平面プラン
一階二階双方とも、四間×四間のメインコアの右側に非居室用途を一間幅に納めたサブコアを配置。
メインコア内は任意に間仕切りを設置して自由に居室をレイアウト出来るようになっている。
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中古住宅販売の新聞折り込みチラシの中に、ミサワホームの「DEBUT未来設計図」という名称のモデルと思しき間取りを見つけた。
2000年7月1日に同社が発表したこのモデルは、非居室用途をコンパクトに納めた間口一間奥行四間のサブコアに、四間×四間のガランドウなメインコアを接続する構成を基本としているところが特徴。
非居室用途とは、玄関やホールやトイレ、そして水廻りや階段のこと。
それ以外のキッチンを含めた諸室は、四間×四間のメインコア内に家族構成や生活様態に応じて個々に自由にレイアウトすることとなる※1。
当時のプレスリリースをみると、その推奨プランは30種。コンビネーションプランは3500種類に上ると記されている。
メインコアは、最小限の壁が一階の一部に設けられる以外は、本当に何もない空間。
だからこそ様々なプランニングが可能だし、将来のプラン変更にも柔軟に対応することが出来るというふれこみだ。
このモデルの商品化は、創業当時より壁式構造を採用してきた同社にとって積年の夢だったのではないか。
基本的に、壁式構造は配置される壁そのものが構造耐力を負担する。
従って一つの空間を適切に分割しバランスよく壁を配置する必要があり、ガランドウの大空間を作るには制約が大きい工法だ。
この点、軸組み工法であれば柱梁の断面さえ稼げればそれなりの大空間を作ることは容易だ。
そんな壁式構造の弱点を克服した空間を実現することは技術者達の夢であっただろうし、営業的にも商品化が求めるところだったのではないか。
解法として、屋根架構を強化し、屋根の自重とそこに作用する各種荷重を建物外周の壁に伝達するチューブ構造の様な形式を採用。
それによって内部空間から構造耐力の負担を排除し、僅かな壁が配置されるのみの大空間を実現した。
さて、このメインコアに実際にどの様なプランニングがなされたのか。
その事例には少々興味を持つところではあったが、冒頭に述べた中古住宅のプランを見て、つまりはこの程度のことかという感想を持つこととなる。
自由と言いながら、結局は大方お定まりのパターンの組み合わせに留まらざるを得ぬ。
理由は三つ。
一つは、片側に設置されるサブコアの影響。
サブコアの玄関位置や階段位置は固定だから、そこを起点に一階二階双方の諸室のレイアウトを考えようとすると、ある程度プランは限定されてしまう。
階段をサブコアから切り離してメインコア内に任意設定可とすれば、自由度は結構上がったことだろう。
二つ目は、四間四方というメインコアの外形。
これも結局は、八畳や六畳の組み合わせという日本古来からの間取り構成手法の域にプランニングの選択を留めることとなる。
そして三点目は自由な間取り創造や将来的なプラン変更をサポートするべく多数用意された居室間仕切り兼用収納ユニットの類い。
それらも、プランを既定の方向に誘導するアイテムにほかならぬ。
ところで、この間仕切り兼用収納ユニットは可変プランのアイテムとして一時期ミサワホーム以外でも広く応用された時期が在った。
多くは、センチュリーハウジングシステム※2絡みであったと思う。
しかし、この様なシステムを活用してライフスタイルの変化に応じ家具を移動してプラン変更を積極的に実施したケースは如何程に実在するのだろう。
そしてそういったユニット自体の経年劣化や居住者の嗜好の変化に対応したアイテムの柔軟な商品体系が、必要な互換性を維持しながら継続的に整備されているのだろうか。
あるいは整備が持続していたとしても、現実的にはその様なアイテムを活用するよりもフルリフォームを施す方が手っ取り早いのではないか。
そんな点を含め、自由空間とか可変プランというものには一抹の疑念を個人的には持つ。
しかし、自由空間とは別に当該モデルを眺めた印象はそんなに悪くはない。
外観デザインは、南側は巧く纏め上げられている※3。
屋内に関しても、二階南側バルコニーに面して大開口を設けつつプライバシーも確保した浴室の扱いが面白い。
制約はあるが、四間×四間のメインコア内に自分好みのプランを組み立てるとしたらどうなるか。
少しエスキスしてみようか・・・。
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※2:
旧建設省(現、国土交通省)が1984年に立ち上げた認定制度。
可変性に優れたプランニングや設備のメンテナンス・更新性の確保、及び建物の高耐久化等により長期にわたる快適な居住を可能とする住宅の普及を目的とした。
同制度は88年に財団法人ベターリビングに移管。以降、2002年まで実施された。
※3:
但し当該モデルの施工例を確認すると、意匠的な配慮が窺えるのはこの南面のみ。
それ以外の立面は、サイディング張りの外壁に内部空間の都合のみで秩序無く開口が穿たれた、安手の建売住宅の類いと何ら変わない。
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2016.10.15:「君の名は。」に関する建築的考察_3
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「このネタ、いつ終わるんやさぁ?」と問われてしまいそうですかね。
取り敢えず、「気の向くままやよ。」と返答するしかない。
何で訛っているのかって、それは映画を観て貰えれば判ること。
日経コンストラクションのウェブサイト上のコラム「ケンセツ的視点」に10月12日付で「「君の名は。」は建築に甘く土木に辛い?」という記事が掲載された。
この作品は、都市の建築物を美しく描き、そして主人公も建築に興味を持つ高校生といった具合に建築に対して肯定的に捉えている。
一方、土木についてはダーティーな設定が散見されるという指摘。
確かに、宮水三葉が住む糸守町に拠点をおく勅使河原建設の社長と町長(三葉の父)の癒着が生々しく描かれていたり、物語終盤に訪れるカタストロフにおいて土木施設が徹底的に破壊され尽くす。
そういったところに目を付けて建設専門誌がこの作品をネタにコラムを載せるってことが既にして社会現象の一端な訳で、なかなかに愉快なことだ。
コラムの内容は、作品批判ではなく業界の現状に対する自省。
的外れなものではない。
しかし、土木が冷遇された描かれ方をしているかというと、そうでもないと思う。
例えば、雪が降る都心で宮水三葉と立花瀧が何かを感じながらも無言のまますれ違うのは歩道橋の上。
互いの存在に気づくきっかけとなったのは、東京都心の高架軌道を並走する電車。
そして物語の結末の場面は神社の境内へ向かう外構階段。
歩道橋も高架軌道も外構階段も、土木構造物ではないか。
つまり、土木だって作品上の重要なシーンの構成要素として描かれているのだ。
あるいは、社長と町長の癒着も物語の進行には欠かせぬエピソード。
社長の息子、勅使河原克彦はその腐敗ぶりに嫌悪しつつ、いずれ自分が受け継ぐ立場。
そんな自身の運命と、そして町そのものの閉鎖性への鬱屈。
そこにオカルト方面への興味が相まって、カタストロフ回避に向けたアナーキーな行為への「共犯」にあっさり手を染めることに繋がってゆく・・・って、ネタバレにならぬ様に書こうとすると、訳のわからぬおかしな文章になってしまいますかね。
変な文章ついでに、この作品のその後を私なりに建設的思考をもって二次創作するとどうなるか。
例えば、建築方面の道に進んだ瀧は、やがて名の知れた都市プランナーに成長。
県議会の重鎮となった三葉の父・宮水俊樹の後ろ盾で糸守町復興計画のマスタープラン策定を請け負う。
そして同地の復興を、勅使河原建設の社長を継いだ克彦と共に進める・・・って、なんだか腐敗のにおいがして興醒めですかね・・・。
でも、この町で起きた出来事を1200年後の世の中に伝えるべく、瀧はそのマスタープランの中に壮大なメッセージを埋め込むのですよ、きっと。
1200年前にこの地の人々が組紐や神楽にそれを寓意したのと同じ様に・・・。
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2016.10.11:「君の名は。」に関する建築的考察_2
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※1:
お蔭で、入手した関連書籍の類いもこの通り。
いや、でも私は決してアニヲタではありませぬ、えぇ。
※2:
だから言及したい事項が沢山出てきて、間取り逍遥のページに載せた番外編の文量は当初は最終稿の二倍程度に膨らんでいた。
読み返してみて我ながらあまりにも散漫な構成。
そのためバッサリ削ぎ落とし、あるいは一部を備考欄に詰め込む措置をとった。
削ぎ落とした内容には、例えばトイレに関することもある。
映画の中で瀧の家のトイレも一瞬だけ描写されている。
三葉の意識が入った状態の瀧がゲンナリとした表情でトイレから出てきて溜息をつくシーンだ。
トイレの扉が開けられた際、その背後の壁に450mm角程度の開口が穿たれ自然採光を得ていることが判る。
更にはトイレの扉の上部にも小窓が設けられていて、照明の消し忘れ確認の用に供するほか、トイレ内の自然採光を廊下にもたらす機能も担う。
このことにより、クランクを伴う廊下が照明無しでは暗がりとなってしまう状況が緩和される。
この様な細かい設定や描写を見ると、実在する住戸をモデルにしたのかとも思う。
もしもそうならば、実際の間取りがどうなっているのか確認してみたいところだ。
・・・といったことを、試案を眺めつつ思索して愉しんでいる訳だ。
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間取り逍遥のページに、番外編として「君の名は。」の主人公・立花瀧の家の間取り試案を載せた。
こんなことを書くと、ここをお読み頂いている方の多くは「すっかりハマっているネ」と呆れかえるのでしょうけれども、ハイ、全くをもってその通り。
中毒性の高い作品です※1。
でも、映画そのものは私は公開直後に二回観に行ったきりだ。
そして恐らくこれから先、再び映画館に足を運ぶ可能性はそんなに高くはない。
なぜなら、これまでの二回の鑑賞時以上に涙腺が緩んでまともに画面を視ていられないかもしれないから。
例えば「カタワレ時」の奇跡の刹那に交わされる他愛も無い会話シーンなんかは、正視していられないでしょうね、たぶん。
上映終了後、いい歳したオッサンが目を真っ赤に潤ませつつちょっぴり幸せな気分に浸りながら退場する図はサマにならんでしょう。
否、いまさら他人の目を気にする様な年齢でもございませんが・・・。
ところで、瀧の家の間取り試案検討のきっかけは、映画鑑賞時にこの作品が建築的な設定に関してはいい加減な面が多いのではないかという疑念を抱いてしまったためだ。
実際、もう一人の主人公・宮水三葉の家については、あまり感心出来ぬ。
パンフレットに記された「格式のある和風建築」とは程遠い。
俄か日本びいきの外国人が泣いて喜びそうなキッチュな赴き。
しかも、茶の間部分は洋風の外装。
そんな和洋が折衷する建物の屋根形状は、無計画に増改築を繰り返したが如き複雑怪奇な様相。
雨仕舞がすこぶる悪そうで、きっと雨漏りとかで大変でしょうね。
あるいは、縁側や広縁を介さずに雨仕舞がおぼつかぬ木製両開き窓一枚で畳敷きの茶の間と屋外がダイレクトに間仕切られる造りも、雨天時には団欒どころではないでしょうネ、などと余計な心配をしてしまう。
間取り逍遥のページでも言及した「シネマドリ」というサイトに掲載されているプランも、ぞんざいな仕上がり。
建物規模の割に設定資料が少なく、記載以上のプランの提示は難しいのかもしれないけれど。
一方、瀧の家は規模の割に設定資料が多いのでプランの検証が比較的容易かもしれないと思った。
ならば矛盾を暴いてやろうと推察を始めると、しかし結構きちんと各部位が納まる(ような気がする)。
考察の過程で徐々に組み立てられる平面図が、その根拠としての設定資料や映画の中の各シーンと共に空間の在り姿についてこちらに饒舌に語りかけてくる。
こういった機会に接する至福のひと時は何物にも代えがたい。
そうして仮に纏め上げた間取りの中を、あたかも聖地巡礼の如く独り勝手に逍遥するのである※2。
とはいえ、試案は試案でしかない。
よく判らぬ点も散見される。
作品をもっと掘り下げることで、修正を要する箇所が多々出てくることになろう。
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2016.10.04:メーカー住宅私考_68
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三井木材工業が「三井Uハウス」を発表したのは1962年。
U型集成材を主要構造体に用いることを特徴としていた。
構造形式に関し初めてこの名称を目にした時、柱と梁を一体化させた門型のフレームのことなのだろうと思った。
この門型フレームを適宜並べ、あるいは積層させることで構造体を形成するのであろうと。
しかし実際の構造形式は下の概念図の通り。
文字通り「U」の字型に成型された集成材を横倒しにした構造体を張間方向に設置。
一定間隔に並べて桁で連結する独創的な形式が採用されていた。
この場合、Uの字の屈曲部分は北側に、そして開放された側を南に向ける。
そのことにより、南面の開口を自由かつ大きく設けることを可能とすることが目論まれたのであろう。
そのかわり北側の諸室配置には制約が生じる。
間仕切り壁の位置を慎重に考えないと、Uの字の曲線部分が室内に露出することとなる。
逆にそのことを積極的にインテリアに取り入れた例(下記内観写真参照)もあった。
概念図
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内観
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1964年時点の広告を確認すると、張間方向の長さは三間に限定。
そして平屋建てのみとなっている。
これは、この構造形式がもたらす制約であろう。
従って、要求される床面積は桁方向の長さの増減によって対応することとなる。
広くしようとすればする程、同一規格のU字型構造体が横一列に沢山並ぶ仕組み。
広告には、基本プランとしてこの時点ではU15型とU20型の二種類が提示されていた。
それぞれ床面積が15坪と19坪。
値段はU15型が119万円。U20型が146万円。
掲載されている平面図を見ると、北側にU字の曲面と思われる構造体が表現されている。
集成材の特性を活かしつつ、生産性と現場施工の単純化、そして南側立面の開放性確保という商品的な優位性を兼ね備えたなかなかに興味深いモデルと言えそうだ。
この時期、同社の住宅開発には木質構造の第一人者である横浜国立大学教授の飯塚五郎蔵が関わっていた。
このユニークな構造形式も、氏の構想および研究開発に基づくものと思われる。
果たしてこの構造形式がいつ頃まで同社の商品体系の中に取り入れられていたのかは今のところ掴めていない。
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2016.09.25:外装リフォーム
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実家で外装のリフォーム工事を行っている。
内容は、サイディングの張替えと屋根及び金属部材の再塗装。
発注にあたって、もともと実家を建てた某スーパーゼネコン系ハウスメーカーはハナから選択肢から外していた。
竣工引渡し以降のアフター対応がすこぶるお粗末で、今は違うかもしれないけれどとても頼む気にはなれぬ。
ということで、今年に入ってから地元の工務店も含め何社かと打ち合わせを実施。
親が気に入ったサイディングのサンプルとその資料を取り寄せ、比較検証を行ってきた。
サイディングは個人的には好きな素材ではないが、しかしリフォームを行うのは私の家ではなく親の家だ。
自分の好みを言っても仕方が無い。
ところで、このサンプルというのはなかなか曲者だ。
小さなカットサンプルを手に持って目視した印象と、実際に建物全体に張られた状態を眺める印象は大きく異なる。
その差異については認識しているが、それを補正するだけの十分な眼力は私には備わってはいない。
だから、採用候補の幾つかのサンプルを紙袋に詰めて実家近傍の家々を見て歩き、似た印象の家の外壁と比較して妥当性を確認する作業を帰省のたびに繰り返した。
そんなある日、これは親好みの外壁そのものかもしれぬという家を隣町で見かけた。
ほぼ完成に近づいた外壁張替え工事中の御宅で、庭先に住人の方がいらっしゃったので事情を話してサンプルを外壁に添えてみる。
すると全く同じ製品。
「とてもいい外壁でしょう。」
「えぇ、親もコレが良いかなって言っているんです」
「お勧めですよ。それにとてもしっかりした施工業者ですヨ。」
「そうなんですか。」
「何なら担当者を紹介しましょうか。」
「それは是非・・・。」
で、紹介してもらったハウスメーカー・イワクラホームのリフォーム事業部に連絡を入れ担当者の方を指名。
実家に来て貰い打合せを行った。
既に打合せをしていた他の業者の担当者に比べるとあまり押しの強い営業マンという雰囲気ではない。
しかしこちらから質問したことに対しては、いずれも的確に即答。
これなら間違いは無いだろうということを確認し、実際に施工を行う職人さんについて隣町の現場に携わっている方々にお願いすることを条件に発注することと相成った。
着工に際し、推薦してくれた隣町の人が同社に対し「私の顔に泥を塗るようなことをしないでくださいヨ」と軽く釘を差して下さった。
それでなくても、仕事の質が評価されて指名を受けたとあってはそれなりのモチベーションをもって取り組んでくれるだろうという期待はあった。
今のところ、その期待通りに工事は進捗。
親も、「全く懸念することが無い」と言っている。
シルバーウィークの後半、四連休を取って私も実家に戻って状況を確認したが、これなら安心だと思える丁寧な仕事ぶりであった。
B to Cという言葉を少し前から目にする様になった。
その円滑な実施にあたっては、Consumerどうしの口コミが多分に影響を及ぼす。
当然のことながら、日頃の一つ一つの仕事をいかに着実に誠意をもってこなし顧客の信用を積み重ねるかといったことが重要になる。
それゆえの今回の発注であり、そしてかつての新築時のハウスメーカーが選択から除外された所以でもある。
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2016.09.18:メーカー住宅私考_67
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it's MY STYLE O TYPE KURA
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※1:
it's MY STYLE O TYPE KURA施工事例
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往年の名作、ミサワホームO型を復活させる旨、同社が公表したのは2003年の初め頃だったろうか。
その情報を目にした際、あまり期待もしなかったが、かといって無関心でもいられなかった。
なにせO型は私が建築に興味を持つきっかけとなった住宅。
だから復刻版については、そのプロトタイプを含めて随時公表される予告広告的な宣伝に一応目を通してはいた。
しかし、表題の名称で正式発表されたモデルには軽く落胆することとなる。
軽い落胆で済んだのは、そもそも期待していなかったからであり、商品として著しく期待外れのモノでは無かったという訳ではない。
単純には、O型とは言えぬシロモノをO型と称して売り始めたといった印象。
勿論、安易な過去の復刻で良い筈などない。
O型は、昭和50年代という時代と完全に寝ていたモデルだ。
その名を踏襲する以上、そこに込められていた多岐に及ぶ開発思想を明瞭な形で今の時代に置換してみせて然るべきであったのではないか。
ところが公表された内外観からそれを見い出すことは出来なかった。
否、そこまで大袈裟なことは望まないまでも、大黒柱を家の中心に屹立させ、その上端にロフトを介して越屋根を載冠させるかつての形態的特徴くらいは継承して貰いたいところではあった。
そもそもO型は、創業以降順調に業績を伸ばしてきた同社がオイルショックで初めて味わった経営危機を打破すべく開発され、そして成功をおさめたモデルであった。
起死回生の切り札となることが期待されたO型は空前の大ヒットを記録。
同社は復活し、更に今日に至る地位を確固たるものとする礎となった。
過去のそんな成功事例にすがりたかったのであろうことは想像に難くない。
しかし、そんな痛々しさだけが空しく透けて見えてしまう。
同モデルの広告に用いられている外観写真は、千葉県浦安市内に建てられたもの※1が用いられている・・・と思われる。
周囲に映り込む風景からその様に判断することが可能だ。
で、場所に目星をつけて現地に向かった。
実物を目の前にしても、O型と言えるようなシロモノでは無いという印象が変わることは無かった。
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2016.09.11:中之島支所×学園祭+君の名は。
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建築探訪のページに長岡市中之島支所を載せた。
中之島は、私がかつて在住していた長岡市の隣町。
しかし全く縁が無ければ訪ねたことも無かったし、そもそもその存在自体が私にとっては極めて希薄な場所。
従って、この役所建築についても最近まで知ることは無かった。
情報がもたらされたのは、長岡在住の知人のブログ。
その知人にしてみても、仕事の拠点に近いという理由からたまたま手続きのために訪ねて、「何やらそそる建物だと驚きました」とのコメント。
驚いたのはこっちも同じ。
この様な興味深い建物がかつて住んでいた街のそばに在ったなんて・・・と、矢も盾もたまらない。
しかし鑑賞のために訪ねるにしても、当該建物は役所庁舎。
つまり基本土日は閉館している。
内観も確認したいとなると、平日に訪ねる必要がある。
ということで、すぐにでもに観に行きたい衝動を抑えて数週間。
漸く仕事のスケジュールが空いた金曜の午後、現地に向かうべく上越新幹線に乗り込んだ。
ちなみにその翌日は母校の学園祭の一般公開日。
市内で一泊してついでにそちらも観に行こうという算段。
建物を実際に観て色々と考えたことは、建築探訪のページに書いた通り。
外観を堪能したのち、館内にて職員の方に建物のことについて色々と訊く。
突然且つ唐突な問い合わせにも関わらず、丁寧に応対して頂いたことに感謝します・・・って、この場に謝辞を書いてもどうなるものでもないけれど・・・。
さて、翌日。
母校の学園際に行く予定だったけれど、もう一度中之島支所が観たくなったので予定を変更して午前中再度中之島に向かう。
当日は最高気温35度超えの猛暑。
暑すぎて鑑賞することが苦痛なのだけれども、でもじっくりと外観を愛でたい。
そんなジレンマを救ってくれたのが、前面道路を挟んで向かいに設えられた路線バスの停留所に付属した待合小屋。
小屋に入って苛烈な日射を避けつつ、据付のベンチに腰掛けて優雅にその外観を堪能。
ついでに周囲からはバスを待っている様にしか見えないだろうから、建物を長時間凝視していても怪しまれることが無いという一石二鳥。
こうして存分に眼福に授かったのち、母校に向かう。
ところが一般公開のイベントは大方午前中で終了。
盛り上がりのピークを過ぎた昼下がりの校舎内をうろつくことに。
でも、そこかしこに思い出がこびりつく建物内を徘徊できるだけで、それはそれでまた楽し。
そのさなか、校内の階段の上下で在校生同士向き合い、「君の名は?」と声を掛け合ってキャーキャー騒いでいる場面に出くわした。
封切られてまだ間もないのに、すっかり社会現象と化していますな、新海誠の「君の名は。」。
蛇足だけれども、建築探訪のページに載せた文章の末尾に記した「誰そ彼時」の表現は、この作品の影響です。
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2016.09.03:「君の名は。」に関する建築的考察
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映画館で表題のアニメ作品を鑑賞した。
過日、テレビのニュースで映画の中のシーンとして流された精緻な東京都心部の風景描写に釘付けになった。
但し、そこで紹介されたストーリーの概要は、千二百年周期の彗星大接近を直前に見ず知らずの少年と少女の意識が夢の中で入れ替わる現象がやがて壮大な奇跡を生み出すといったもの。
異性同士の憑依ネタは、大林宣彦とか山中恒が既にやっているのに、今更この題材で何をやろうというのだと怪訝に思う。
そしてそれと彗星や奇跡がどの様に繋がるのか、ストーリーの予想がまるでつかない。
とはいえ新海誠監督作品である。
かつて「雲のむこう、約束の場所」を今は亡きシネマライズで鑑賞した際には、その映像クォリティの高さに鳥肌が立ったものだ。
だから、きっと何かとてつもない作品に違いないと勝手に合点し、居住地近傍のシネコンに向かった。
見終えたあとの感想はネタバレにならぬようこの場にはあまり書かない。
取り敢えず、自身の中で未だ消化出来ていない部分は幾つかあるものの、それでもこの場で言及してみたいと思えるくらいの出来栄えであった。
ネット上にも称賛のコメントが多く挙げられている様だ。
以下は、差し障りのない範囲で私なりに感想を三点。
1.カフェ巡り
建築に興味を持つ最近の男子高校生たちは、連れ立っておしゃれなカフェを訪ね歩きそのインテリアについて語り合うものなのですね。
私が高校生の頃は、デパートの一画にておばちゃん一人で切り盛りする小さなお好み焼き屋に放課後クラスメイトと寄り道。
全く無駄のない動作で次から次へと広島風お好み焼きを作り続けるおばちゃんの超絶技巧を堪能しつつ、夕飯前にも関わらずバクバク喰らいついておりましたけれどもね。
隔世の感・・・。
2.擬洋風民家
主人公の宮水三葉が暮らす集落の描写の中に見覚えのある擬洋風民家が描かれていた。
登場するのは二回。
しかもいずれも一瞬なので、仔細にディテールを確認出来た訳ではない。
しかしそれは、右の写真の外観に酷似していた。
設定では三葉の居住地は飛騨方面の鄙ということになっているけれども、これは千葉県内に建つ昭和5年築の店舗併設住宅。
果たして、これをモデルにしたのか。
それともこれとは別の似た外観を持つ建物がどこかに実在するのだろうか。
3.建築への道
もう一人の主人公、立花瀧は大学卒業後に建築方面に進んだみたいだけれども、どんな職に就いたのだろう。
見る者を唸らせるスケッチの才能が有るのだから、立派なエンジニアになってもらいたいものだ・・・などと、新たな物語の始まりを予感させる結末を観て思う。
これ以外にも、三葉の家は風格のある日本家屋に見えて、長押のレベルで部屋の中空を梁が飛び交う不思議な造りの和室があるとか、瀧の個室が中央のシーリングライトに加えて四隅にダウンライトが付くのは面積の割りに照明過多だろう等々、建築的な突っ込みどころが散見されぬ訳でもない。
でも、それらは作品の魅力とは直接関係の無いことだ。
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