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2016.07−2016.08
2016.08.28:【書籍】新建築2016年8月号

今月号は集合住宅特集。
個々の作品は与条件に対応して十全に意が尽くされているのだろうけれども、大して興味も持てずパラパラとページを捲るのみ。 但し漠然と多くの作品に共通する事項が見えてくる。
それは、棟内の共用動線を住人同士あるいは地域にひらかれたコミュニティの場として醸成すべく空間的な仕掛けを演出しようという試み。 そのこと自体は当該建物用途において既に手垢にまみれたテーマだ。 しかし、所有形態として専用部と共用部が並置する建築形式ゆえに様々に考察可能なテーマでもある。

例えば「CASA ESPIRAL」では、外壁を螺旋状に巡る共用階段を周辺街路の延長と捉えるのと同時に敢えてその動線の上下に専用部のバルコニーを重ねる構成を採用。 蹴込みを排して透過性を高めた階段によってバルコニーとの意識的な連関の生成が企てられているように見える。 「十条の集合住宅」は、計画敷地によって分断されていた既存街路どうしを繋ぐ新たな動線を棟内の共用階段によって創出しようという試み。 そして「PROTO passo」においても、接地階から二階にかけての共用階段部分を周囲に開かれた場として演出しようという意思が具視化されいている。
果たしてこれらが目論み通りの機能を為すか否かは判らぬ。 例えば、前面道路に向かって大きく開かれているとはいえ昇った先が各住戸へのアクセスに利用される垂直動線のみである「PROTO passo」の階段が、その意図に則った用に供するとはなかなか考えにくい。 それゆえに「具現化」ではなく「具視化」と表記したが、こういった佇まいの導入が街並みに何らかの作用をもたらす可能性は期待出来るのではないか。 あるいはそういった試みの多様性が、同じく高密度に都市に住まう住居形式であるミニ戸建には望めぬ価値でもあろう。 つまり、個々に独立して敷地目一杯に建て込み僅かな残余もしくは隙間を“専有”するだけのミニ戸建と、それらの残余を集積させ纏まった空間として“共用”することで形態操作の余地を持たせ得る集合住宅の差異。 そこに、都心型小規模集合住宅における設計の手掛かりがある。

2016.08.21:【書籍】暁英 贋説・鹿鳴館

盛夏の休日。 家の中にいても苛烈な陽光がもたらす熱エネルギーを蓄えこむ躯体が室内にジワジワと熱気をもたらす。 とはいえ節電に心掛けている身としては消費電力の大きいエアコンはあまり使いたくないところ。 窓という窓を全て開け放して風の流れで涼をとろうとするが、空気の動きは極僅か。 でも、窓の外を見れば木々の枝葉はソヨソヨと揺れている。 どうやら屋外の方が涼めそうだということで、木陰で読書でもしようかと図書館へ赴き本を借りることに。

読む本は最初から決めていて、出掛ける前に図書館のサイトで蔵書の有無も確認済み。 目当ては、知人のブログに最近紹介されていた表題のミステリーだ。 著者死去による未完の作品ということで、結末をみぬ小説を読むことにはやや躊躇があった。 しかし手に取ったその書籍の表紙絵には、かの鹿鳴館をバックに当該建物の設計者であり主人公でもあるジョサイア・コンドルの姿。 そこには、藤森照信がその著「日本の近代建築」に記した「いつも遠くを見つめているような深い光」を湛えた眼が描かれている。 更にはなぜか骸骨が二体、そのまわりで踊っている。 いかにもミステリーっぽいねと思いつつ書棚の前で少しページを捲る。 冒頭の舞台の中心は、私も時折利用する日本建築学会図書館。 臨場感あふれるストーリー展開にすっかり引き込まれ、借りる手続きをとった。

家の近傍に戻り、周囲の中層建物の配棟の関係から比較的風が通り抜けやすい公開空地にて、木陰の下のベンチに腰かけて続きを読む。 夏の昼下がり、騒々しい蝉の大合唱のもとでミステリー小説に耽るというのも何だか場違いな気がしなくもない。 しかし物語の進展には全く目が離せぬ。 タイトルには「贋説」とあるが、実在した人物たちが明治という時代背景と共に克明に描かれ、その内容は真贋・虚実さだまらぬ。 読み終える頃には、周囲の木々がもたらす影は長く長く地面の向こう側まで伸び、そして辺りは蝉の合唱にカラスの鳴き声が混ざり始めていた。

「造るのさ、とびっきりの迎賓館を、ね」と不敵に語ったコンドルの決意に秘められたものは一体何であったのか。 そして、この作品ではなく現実の歴史の中で鹿鳴館に少々いびつな意匠を施したコンドルの意図は如何なるところにあったのか。 あるいはそんなコンドルが近年完成した京都迎賓館を観たとしたらどの様な感想を持っただろう・・・などと、読み進める毎に興味と空想が様々に広がる。
絶筆が非常に惜しまれる作品だ。

2016.08.09:ゑり芳ビル補足

7月4日の雑記の備考欄にも書いた通り、既に登録済みの各ページについてレイアウトの微調整を気の向くまま少しずつ試みている。 そのさなか、結構前に建築探訪のページに登録した「ゑり芳ビル」についても手を入れるべく改めて文章に目を通していたら、色々と書き直したくなってきた。
当時書いた文章は、その異形の外壁を構成する施工方法に関する推察にその殆どを費やしてしまっている。 もう少し、立地条件とか、ディテールとか、個人的な記憶といったことへの言及も必要ではないかと手を加え始めたら、殆どを書き換えることとなった。

ちなみに、このゑり芳ビルのページがきっかけとなって、同建物が立地していた長岡市内を中心に発行されている情報紙「マイスキップ」に寄稿する機会を以降何度も得ることとなった。
当然、このゑり芳ビルについても書いたことがある。 その原稿は新たに書き起こしたとはいえ内容は既に建築探訪のページに挙げていたものとさほど変わらぬ。 工法への言及に偏重したものだ。 今思えば地域情報誌向けの文章としてもう少し気の利いた書き方があり得たのではないかと思う。
個人サイトは今回の改訂の様に書き換えや上書きが自由だけれども、紙媒体はそんな訳にはいかぬ。 個人の意思とは無関係に物理的に存在する限りにおいて修正することもままならず永遠に残ってしまうところが少々歯がゆい。
ちなみに、同紙掲載後に読者の方から感想のmailを頂いている。 そこにはこの建物が作られた経緯についても少し触れられていて、感想というよりもとても貴重な情報提供であった。 本当は頂いた情報を基にもっと掘り下げてみるべき価値のある建物だとは思うのだけれども、実行するには至っていないし、既に建物自体が実在もせぬ。

少なくともこの国において建築に永続性が望めぬことは諦めの感を持って重々承知している。 しかしそうであっても、気になっている建物が失われてしまうというのは寂しいことだ。
解体から8年余りが経過した今になっても、長岡を訪ねて当該建物が建っていた界隈を歩く際、何とも言えぬ喪失感を覚える。

2016.08.02:FXを巡る対話
※1

同じ外観を持つ二棟の住宅。 本文に記載の通り、ミサワホームが1983年4月21日に発売したミサワホームFX2というユニット工法が用いられた住宅。 ちなみに1984年にSXIに名称変更されている。
現在はそれぞれ学習塾及び事務所に転用されている。
当時の同社のユニット工法系住宅は、個人的には内外観共にあまり評価できない。 いかにもハコを組み合わせただけという印象だし、ディテールにも冴えが無い。 同工法のモデルで良いなと思えるものが現れるのは1989年発表のNEAT INNOVATOR以降となる。

いつも利用している床屋に行って散髪してもらっている際の店の人との会話。 といっても、金儲けの話ではない。
以下、店の人の名前を「T」、私の発言を「K」とする。

T:
ここに店を構えて15年になるんですけれど、古屋付の土地だったので購入当初はリフォームも考えていたんですよ。
K:
あぁ、そうだったんですか。 でも、リフォームではなく建替えを選択されたんですね。
T:
えぇ、見積り取ったらリフォームも建替えもそんなに変わらないことが判って。 それに、古屋ってのが当時既に築20年くらいで、リフォームしてもその先何年持つか不安でしょって不動産屋さんに紹介された業者さんに言われて。
K:
まんまと乗せられてしまった・・・。
T:
あぁ、ハイ。 結局、何だかんだで結構お金が掛かってしまいました。 でも、前の家は間取りも変だったんですよ。 6畳とか8畳と言った広さじゃなくて、何か中途半端な大きさの変な形の部屋ばかりで。

ここまでの会話と、そしてその床屋の近隣の状況から私はピンと来てしまった。

K:
以前の古屋のことは覚えていますか?
T:
えぇ、少しは。
K:
ひょっとして、屋根は平らではありませんでしたか。
T:
はい、平らでした。
K:
更にもしかして、三件隣に同じ外観の家が二棟並んで建っていますけれど、アレと一緒だったんじゃないですか※1
T:
えぇ、そうです。あそこに建っているのと同じです。 今はだいぶ建替えられてしまいましたけれど、この近辺、以前はあれと同じ家が沢山並んで建っていたんですよ。 同じ時期に建売りされたらしいです。 ここに建っていた古屋もその一つだったそうで。

これで、かつての古屋のことが私には全て判ってしまった。

K:
あれは、ミサワホームが1980年代前半に発表したミサワホームFX2っていう規格型の住宅なんですヨ。
T:
え!そうなんですか。 ミサワホームだったんですか。
K:
当時のミサワのことを喋らせると止まりませんヨ、私は。 自分で言うのもナンですけれども、マニアですから。
T:
でも、Kさんミサワにお勤めじゃないですよね。
K:
えぇ、違いますし全く関係も無いけれど、まぁイロイロとネ。
T:
建築のお仕事をされているから、そういったことも研究していらっしゃるのですね。
K:
イヤ、研究って訳じゃなくて、趣味ですよ。趣味。 で、リフォームを考えていた時はどんなプランだったんですか?
T:
一階を店舗、二階を住居にしようと思いましてね。 一階は間仕切壁を全部取っ払ってワンルームにしたいって要望を出したんですけど無理だって言われて。
K:
あぁ、そうでしょう。 壁は外せても、柱は残さざるを得ないでしょうね。 三件隣の家と同じプランの場合、無理矢理ワンルーム空間にしたとしてもちょうど真ん中に邪魔な柱が残ってしまう。
T:
業者さんも同じことを言っていました。
K:
その古屋は特殊な構造でしてね。 一つ一つの部屋を工場で別々にユニットとして作り上げてトラックで運び、現地でクレーンで組み合わせて一軒の家を作る方式なんですよ。
T:
あ、それ知っています。積水ハウスなんかも同じですよね。
K:
ハウスじゃなくてハイムの方ね。ソレと大体同じ。
だからユニットごとに四隅に柱が必要で、例えばそれを二行二列並べると中央に四本の柱が集まって巨大な大黒柱みたいなものが出来てしまうんですよ。 そいつを外すとしたら相当大掛かりな構造補強が必要になる。 その業者さん、ちゃんと判っていたんですね。
T:
ここら辺で手広くリフォーム工事とかをやっている業者さんですから、今までの実績で判っていたんでしょうね。
K:
それにしても、残念ですね。 建替えじゃなくて元々のFX2のオリジナルの雰囲気を活かしたリフォームで店を構えていたら、もっと頻繁にお邪魔することになっていたと思いますよ。
T:
えぇぇ、そんなぁ・・・! でもそんなに凄い建物だったんですか?
K:
そうなんですよ。 そもそもFX2というのは、国が住宅政策としてぶち上げたハウス55というプロジェクトの流れを汲むものでしてね。 その開発に当たっては・・・(以下、略)。

ということで、思いがけずの昭和50年代プレハブ談議を愉しむひと時となった。 否、談義などといえるものではなく、私の方からの浅い知識の一方的な垂れ流しを愉しんでいただけで、店の人は「やっぱりコイツ変なヤツだ」と思っていたに違いない。

2016.07.25:上野広小路散策

昨日日曜日の話。
早朝から強い日差し。抜けるような青空。そこにぽっかりと浮かぶ入道雲。 すっかり夏らしい光景に今日は暑くなりそうだなと思いながら窓を開けると、スゥッと涼風が吹き込んでくる。
これは散歩日和かもと思いたち、最寄りの東京メトロの駅で24時間フリー乗車券を購入。 勝手気ままな都内散策を楽しむことにする。

実物を拝んでみたいと思っていた建物を幾つか観て巡る途上、銀座線上野広小路駅にて何となく下車。 この界隈を歩くのは久しぶりだ。 建築探訪のページにも載せている吉池デパートは既に除却され建替え済み。 小奇麗ながらも何だか普通の商業施設になってしまった。
こうなる前に、旧建物をもう一度拝んでおくべきだったナなどと思いつつ、その近傍を歩き回っていたら何やら渋めの銭湯が目に留まった。 瓦を葺いた入母屋の堂々とした玄関庇と、その背後の二階建てなのか三階建てなのか判別付きかねる豪壮なファサードが興味深い。
写真を撮ろうと建物の正面に歩を進めると、何やらそこには数名の集団がたむろしている。 見れば皆スマホを持ち、それを建物にかざして画面を凝視している。 これはひょっとして今話題の例のスマホ専用のゲームに興じているところなのだろうなとすぐに気付く。 周りを見渡せば、同じ様にこのゲームに勤しんでいると思わる老若男女が多数。
私はスマホを持っていないし、独りで散策を愉しむ際はなるべく身軽でありたいので携帯電話すら持ち歩かない。 だから、そのゲーム自体のことも良く判らないし興味も無い。 しかしゲームに夢中になる彼等のことをとやかく言える立場でもない。 目的とする対象物が異なるとはいえ、街中で何か面白い風景や建物を見つけようと彷徨する行動は、そのゲームに興じる行為と大して変わらぬかもしれないのだから。 願わくは、ゲームをするために街中に出ることによって自分の住む都市の魅力を再認識したり、あるいは外出の機会が個人消費の伸びに繋がり国内経済の活性に少しでも寄与すればなどと思う。 とはいえこのブーム、果たしてどのくらい続くものやら・・・。

そんなことを考えながら、そして何やらゲームに興じるそれらの人々と同類に思われそうだナと余計な自意識を持ちつつ、界隈を徘徊。
すると今度は派手な色彩を纏った建物が目に留まった。 掲げられた看板に並ぶ店名を確認すると二次会や三次会系の店が入るテナントビル。 それ故のこの派手さかと合点がいく。
近づくと、ピロティ状のエントランスポーチに設けられた地下階へアクセスする階段に見覚えのあるディテールの手摺が。 ショッキングピンクに塗装されたその階段手摺は、明らかに黒川紀章が好んで用いた不定型にうねる形状のもの。 黒御影で仕上げられた壁面にピンク色の手摺がウネウネと揺蕩う様が妙に艶めかしい。 黒川ファンの設計者が真似をして付けたのかなと思って傍らの柱をみると、そこに嵌め込まれた定礎には「意匠設計 黒川紀章」の刻印。 御大、こういった建物の設計も受注していたのネ、と少し驚く。 改めて外観を見上げれば、派手な色彩を組み合わせた金属パネルの所々に「月」の満ち欠けをイメージしたと思われる意匠。 限られた予算の中で、建物用途に応じた外観を纏わせつつ、それなりに遊んでいるという印象だ。

こういった発見があるから街中のそぞろ歩きは楽しい。 ということで、次はどこに移動しようかと思案しながら地下鉄上野広小路駅に向かった。

2016.07.18:遊離する架構体

栃尾の雁木の事例。
道路両脇の歩道上部を覆う様に、各家から下屋が突き出る。 この歩道部分は公道では無くそれぞれの家の敷地。 雁木もそれぞれの所有となる。 並ぶ家々が連繋して雁木を連続させることで、冬期においても降雪の影響を受けずに円滑な往来が可能な歩行空間が形成されている。
国内の積雪地域の多くに見受けられる都市装置だ。


雁木プロジェクトによって新たに造られた雁木。 町並みに溶け込みつつ異彩を放つ。

長岡市の栃尾で進行中の雁木プロジェクトなるものを初めて観たのは四年前。
県内の学生が雁木のデザインを考案し、地域の人々と話し合いながら実施案へと形を収斂させ、そして実際に施工する。 そんな取り組みが1997年から始まり実現した事例は今現在十数箇所にのぼる。
古くから醸成されてきた風景を活かした街づくりの手法として、修景とも再開発とも異なる個性的なその在り方を興味深く観て廻った。

先月長岡を訪ねた際、改めて個々の事例を確認してみようと同地に向かった。
長岡駅東口より路線バスで約40分。 表町9丁目停留所で下車すると、古くからの雁木が連なる町並みが眼前に展開し、その中に同プロジェクトの実施事例が散在する。
風景に抗う訳でもなく、かといって埋没もせぬ絶妙なバランスでそれらが挿入されることによって街並みに変化と継承の両義性が与えられているが様態は実に面白い。 雁木という用途、そして木造という前提条件の中で、よくぞ個々に全く異なる様々な形を発想し実現し得るものだと感心する。
しかし前回見て廻った時とは異なる印象、つまり素直に肯定出来ぬ気分も湧いて来た。 それは、形態操作に走る傾向がやや見受けられるが故の部材が織り成す構成の構造的必然性の希薄化。 例えば、如何なる荷重を負担する訳でもなく宙吊りにされたアーチの連なりや、応力の伝達に明晰性を視認し得ぬ軸材の錯綜。 架構本来の機能から切り離され浮遊するかの如きそれらは、どこか空々しさが漂うところが無きにしも非ず。
これは、私が栃尾地区を訪ねる前に同市中心部で定期的に開催される「五・十の市(ごとうのいち)」という露店形式の市場を観て廻ったことが少々影響したのかもしれぬ。 そこで設営される各ミセのテントを支持する構造形式についてはこの場で6月6日に書いた。 その簡素で明解な架構を観た後だと、どうしても各雁木が無用にゴテゴテしたものに見えてしまう。 デザインコンペによって実施案を選定するというプロセスが、第一印象としての形態的インパクトに力を注ぐ要因となり、それが実施案まで引きずられることとなる面もあるのだろうか。
それであっても、このプロジェクトは冒頭に記載した通り手法として興味深い。 今後更に様々な創意に溢れた事例が通り沿いに徐々に増えていっても良いと思う。

散策の途上、「とちパル」という観光施設内で同地の名産である油揚げを生地に用いた「油揚げピザ」を食す。 見た目はピザだけれども、ワインではなく日本酒が合いそうな、そんな味付けであった。

2016.07.11:メーカー住宅私考_66
狭小プランにおける商品開発の指向性
SIII型vsバーリオ

※1
ここで述べているミサワホームMIII型とSIII型の比較については、住宅メーカーの住宅のページの「ミサワホームSIII型」においても図面付きで言及している。

以前は、リビングに面して階段を設ける手法が今ほど一般的では無かった。 玄関ホールや、あるいはそこから延びる廊下に接続させるように設けることが通常であった。
そんな時代において、田の字型を基本とした狭小な正方形平面のボリュームの中に階段を適切に配置することは結構難しいとされていた。 その辺りのことは、内橋克人著の「続々続々−匠の時代」においても言及されている。

例えば四間×四間という正方形平面でプランを考える場合、一階において最も都合の良い位置に階段を配置すると往々にして二階のプランが破綻する。
1979年に発表されたミサワホームMIII型の33坪タイプなどはその例。 一階では、玄関脇に何の違和感もなく折り返し階段が設けられている。 しかしこれが二階になると、諸室へのアクセスのために床面積に比して長くそしてクランクした廊下を必要とし、更に一階玄関直上に吹抜け件ロフトにあてがわれた中途半端なスペースが発生している。 結果、間取りは4LDK+S。
対して1980年発表のミサワホームSIII型の空間処理は巧みだ。 プランに全く無駄や破綻が無いだけではなく、これ以上手を加える余地が一切見い出せぬ。 結果、10畳のLDと、いずれも6畳以上の広さの個室を確保しつつ33坪という狭小空間に5LDKを実現※1
否、単に効率的な平面プランというだけではない。 内外観を和風のイメージで統一し住まいとしての情緒もしっかりと付与。 その外観は、とても四間×四間の狭小な総二階建て住宅とは思えぬ堂々とした風格を漂わせているし、屋内においても書院と下足入れを積層させた独創性溢れる扱いによって和室と玄関双方に和の雰囲気を巧みに醸し出している。

一方、1983年1月29日に三井ホームが発表した企画住宅「バーリオ」のラインアップにも同様に四間×四間のプランが用意されていた。
しかしこちらはSIII型とほぼ同じ32坪なのに、プランは3LDK+S。 そのかわり、諸室の配置や面積配分には余裕がある。 一階のLDは16畳。 二階にも、階段に面してファミリールームと称する6畳大の共用スペースが設けられている。 そのスペースをつぶして個室にすれば、SIII型以上に効率的な二階プランを実現可能な訳だが、そんなギチギチのことはしない。 無駄を排除し効率な諸室配置を徹底的に追求すべくプランを練り尽くすといった気迫よりも、肩ひじ張らずに豊かな居住空間を考えてみましょうヨという穏やかさがそこにはある。


バーリオ外観

バーリオ平面図(OVD-106Nタイプ)

そのことは外観についても言える。 ほぼ直方体のボリュームにソーラーシステムを搭載するという難しい与件に対して敢えて和風の情緒で意匠を纏めようという果敢な意気込みが漲るSIII型とは異なり、小さいながらにもそれなりに小洒落た洋風の住まいをこしらえてみましょうかといった和やかな雰囲気が漂う。
二つのモデルの性格は180度異なる。 これは商品開発に纏わる両社の指向性の違いの一端なのではあろう。 個人的にどちらが面白いかと言えば、当時は圧倒的にSIII型であった。 しかし今は、バーリオも良いじゃないかと思える自分がいる。

ちなみにこのモデルに用いられたバーリオという名称は、セミオーダー対応商品として姿形を変えて今現在の同社のラインアップの中に存続している様だ。

2016.07.04:CHYLDER O2/GOMAS O
※1
お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、雑記帳のページも5月以降についてレイアウトを少々変えてみた。 この備考欄に余裕を持たせる等、あまり目立たぬチマチマとした変更だ。
同様の構成を基本に雑記帳以外の各コンテンツについても徐々に改めつつある。 そちらの方については、併せて文章の言い回しの調整やページ作成後に生じた掲載対象に関わる変更事項の反映、あるいは新たに知り得た事項の追加等も試みている。
その作業にタイムスケジュールを含めた計画性は特に無い。 変更が過半に及んだものは、都度トップページにて告知したいと思う。

※2
2011年1月から8月にかけて28回にわたって不定期にこの場に書き綴っている。

「住宅メーカーの住宅」に、ミサワホームCHYLDER O2及びGOMAS Oのページを新たに登録した。 併せて、既に登録済みのミサワホームOII型とO型Childのページについてそれぞれレイアウト調整及び文章の改訂を行った。
既に掲載していた両ページについては、登録から既に10年近くが経過している。 当時はそれなりに意を尽くして作成したつもりではあったけれど、改めて読み直すと手を入れたくなる箇所も無い訳ではない。 そういったところの再構成を施してみた。
今後は、新規登録だけではなく既存ページについてそういったメンテナンスを考えていかなければならぬとは思うのだけれども、果たしてどうなるか※1。 あるいは今回手を付けた二つのページにしても、また近い将来更なる調整を試みることになるかもしれない。 とはいえ、単なる個人の趣味サイト。 全ては気の向くままである。

ところで私がリアルタイムで熱狂的にハウスメーカーの情報収集に勤しんでいたのはO型Childまで。 以降、急速且つ徹底的に興味を失った過程についてはかつてこの場に連載した「住宅メーカー私史」※2の中で披露したことがある。 そのため、実はCHYLDER O2は近年になるまでその存在を全く知らなかった。 O型Childの発表が1984年。 CHYLDER O2が1987年。 この間に興味が無くなったとはいえ、我ながらその落差はあまりにも激しい。

CHYLDER O2を見知ったのは、往時のハウスメーカーへの興味が2002年頃に復活して以降暫く経ってからのこと。 知人から同モデルの特徴であるロフトの写真を紹介して貰い、衝撃を受けた。 O型のロフトを進化させた事例の様に見えて、しかしそれは果たしてO型なのだろうか。 あるいはまったく違うモデルの中にO型を再構成したものなのではないか。 そんなことをあれこれ考えながらその内観写真から外観を想像して好き勝手にパースを描いてみる等、本当にこのモデルについては当初は何も知らなかった。 ほどなくして、居住地近傍にCHYLDER O2が建っているのをみつけ、漸く謎が氷解した訳だけれども、しかしいまだに1985年以降の住宅メーカーの動向にはあまり興味が無い。

ところでこの様な指向でハウスメーカーの動静を捉えているのは私だけではない。 2月13日の雑記にミサワホーム主催で同社本社ビルで開催された「Aプロジェクトシンポジウム」について書いた。 その時のパネラーの一人が基調講演の中で以下の様なことを述べていた。
「1980年代半ば以降の各メーカーの動向はフォローしていません」
「その頃からメーカー間の識別性が希薄になった」
「サイディング張ってサッシを取り付ければどこも一緒」
聴講席に同社の役員(と思われる面々)も数名並ぶ会場でこんなことを平然と言い放っていたのだけれども、私もまったく同感。 とはいえ個性的なモデルが全く無くなってしまった訳ではないし、今現在顧みてみると面白いものも散見される。 そんな観点で、CHYLDER O2とGOMAS Oを取り上げてみた。

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