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雑記帳
2016.05−2016.06
2016.06.27:ギャラリーてん
※1

ファサード詳細

新橋駅前ビル一号館及び二号館。 JR新橋駅の汐留口側に、この二棟の建物が並んで鎮座する。
プロフィリットガラスと縦長の段窓サッシを組み合わせた立面※1が印象的なこの中層建物の竣工は1966年。 設計は佐藤武雄設計事務所であることが、エントランス前の壁面に取り付けられた定礎にて確認可能だ。
恐らく竣工時は周囲を圧倒する威容を誇ったのであろう。 しかし今は二棟の間に新交通ゆりかもめの高架駅舎が割り込み、背後に汐留シオサイトの超高層ビル群が迫る。 どこか所在なさげに見えなくも無い。

そんな同ビルの一号館に入り、エレベーターで八階へ。 自然採光が一切望めぬ長大で味気ない中廊下の途上に、この小さな多目的ギャラリーが在る。
その存在を知ったのは数か月前のこと。 建築系のメールマガジンにて紹介されているのがたまたま目に留まった。 開設されたのは二年前。 建築・都市・写真等をテーマにイベントを組んでいる。

現在、「都市 走る 空間/座二郎原画展」が開催中。 座二郎氏の「通勤漫画家」という肩書に興味を持ち、その個展を観に行ってきた。
本職は建設会社勤務の技術者。 日々業務に勤しみつつ、通勤に利用する地下鉄の車内で漫画を描いているのだそうだ。 既に創作に纏わる受賞歴も多数。 それでいて建築系の大学で非常勤講師も務めるという個性的な経歴の持ち主。
会場に展示されている作品も個性的だ。 一瞥すると鳥瞰パースの様にみえる全体構成の中にスケールを逸脱した断面図や平面図が何の違和感も無く錯綜するといった作風。 そんな作品を、電車に乗っている間の限られた時間を利用して描く訳だから、筆致は極めてダイナミックでスピード感溢れる。 しかも、御本人の著書に書かれている説明によると、ふだん利用している路線は全国ワーストクラスの混雑率を誇る東京メトロ地下鉄東西線だというのだから、それはなかなか半端ない創作環境ではあろう。
苛烈な環境を創作の場に昇華させること。 SNSやゲームに熱中して無為の時間を浪費することに比べればとても素敵な通勤電車の活用方法だと思う。

2016.06.22:【書籍】
数寄です!
女漫画家東京都内に数寄屋を建てる

山下和美の作品というと、かつて「天才 柳沢教授の生活」を読んでいた時期があった。 だから、よく利用する建設系民間図書館の新着図書コーナーに掲題の単行本が置かれていることに気付いた時も、最初は表紙に描かれている柳沢教授に目が留まった。
そのサブタイトルから内容は概ね把握可能な訳だけれども、少しページを捲ってみると、以前の作風そのままに個人の家造りに纏わる事々が子細に綴られている。 著名な作家が数寄屋の住まいをどの様なプロセスで造ったのだろうということと、それを如何に漫画に描写するのかといったところに興味を持ち、借りる手続きを取りにカウンターへ。
「この本、本日入荷してほんの少し前に新着図書コーナーに置いたばかりなんですよ」と、司書の方。 それはそれは・・・ということで新品同様の全三巻と、そして竣工後のことを綴った続編第一巻の四冊全てを借りたいところだったけれど、この図書館の貸し出しの上限は五冊。 既に国内初期プレハブ住宅に関する資料を三冊借りていたため、取り敢えず一,二巻のみ追加貸し出しの手続きをとった。

家造りのプロセスに関しては、個人blogが数多ネット上に公開されている。 なるほど確かに、blogはその手の情報媒体として極めて有効であろう。 徐々に決まってゆく家造りの構想や、あるいは具体的な形として顕然化する施工状況が時系列に沿って綴られる。 たとえそれが見ず知らずの人の家造りであったとしても、なかなか勉強になる。
しかるに今回は漫画だ。 漫画の良いところは、時系列から自由であること。 従って、単に家づくりのプロセスのみならず、作者自身が幼少期に過ごした家や街に纏わる記憶等が所々に描写され、それが作品に深みを与えている。

物語は、なぜか仮名表記の実在若手建築家との二人三脚で曲折を経ながら進む。 数奇屋だからといって気取る訳でもなければかしこまる訳でもなく、むしろドタバタ感を演出しながら薀蓄もばら撒きつつ面白おかしくストーリーを組み立てている。 未読の三巻以降が楽しみだ。
ちなみにこの漫画、今でも連載が続いているそうだ。 ネットで確認すると、最近は御自身の父親(柳沢教授のモデル)がかつて取り組んだ家造りについての回想へと話が進展しているらしい。 一部引用されている画像を見ると、そこに描かれている鳥瞰図はあきらかにセキスイハイムM1。 現在継続中の連載にも興味が沸いてきた。

2016.06.13:遅行性非在化過程

「ニシン漁家建築」のページに笹森家番屋を登録した。
このページの更新は久々になる。

私が笹森家番屋を観たのは、写真を保管しているアルバムに記載した日付を確認すると1995年5月4日となっているから今から20年以上前のことになる。
当時はまだ人が住まわれていて、真っ白な北海道犬が屋外に飼われていた。 でもって、建物の前で外観を鑑賞する私に向かってけたたましく吼え続けた。 気性が荒い犬種とは言われている。 しかしそれでなくとも、見慣れぬ人間が、しかも見た目が何やら怪しげなヤツ(・・・と犬が思ったかどうかは判らないけれども)が自分の近くをうろつくとあっては、そりゃ警戒するであろう。
ということで、その時はあまりじっくりとその外観を堪能することが出来ず、少々残念ではあった。

以降、この番屋を訪ねることも無く時が過ぎ去ってしまった。
現況をGoogleマップのストリートビューで確認してみたら、風化によって内外装部材の殆どが滅失。 スケルトンが露呈する状態へと還元されるに至っていた。 周囲の藪が屋内に侵食しているようにも見える。 閲覧時に表示された画像データの撮影日が2014年8月とあったから、今は更に非在の境地へとゆっくり静かに変容しているのかも知れぬ。

2016.06.06:テンションの群景
※1
設営が完了し商いが始まったばかりの五・十の市。
かつては、道路の両側に対面してびっしりとミセが並び、双方に挟まれた通路を買い物客が往来した。


※2
三件並んで設営された衣料品販売のミセの事例。 テントは白一色。 いずれもフラットな床が設えられ床上に商品をディスプレイ。 販売する人も床坐。 商いの内容に拠っても造りを分類出来るのかもしれない。

6月4日と5日の二日間、長岡に行く。 目的は、取り壊しが予定されている旧市役所庁舎(柳原分庁舎)の内覧。
石本喜久治の設計により1955年に竣工した同建物については建築探訪のページにも載せている。 老朽化や耐震性の問題等から近年は無人となっていたが、「ロクヨン」という映画の撮影に使われたことをきっかけにロケ地公開という名目で見学会が開催された。 現地を訪ねると、既に敷地周囲には仮囲いが設置。 解体が間もないことを示していた。
恐らく私がこの建物の内外観を観る機会はこれが最後になるのだろうという想いで見学会に臨む。

その後、今年3月に開設された「ギャラリーみつけ」を観に見附市に移動。 元々法務局庁舎として使われていた建物のリノベーションということで、どのようなアート空間に仕上がっているのか興味を持っていた。
知人がスタッフとして同館の運営に携わっており、リノベならではの小ネタも含め館内を案内して頂く。

ということで、長岡を訪ねた主だった目的を一日目で全て終えてしまい、翌朝。 サテ、何をしようかと思いながら市内中心部を徘徊。 その途上、「五・十の市(ごとうのいち)」 を設営しているところに出会う。
毎月末尾に5と10が付く日に開催される露店形式の市場。 その歴史は随分古い。 私が同市に住んでいた頃は、長大な距離に亘って露店が道路の両側にひしめいて並び多種多様な物が売られていた。 そして仮設のミセに挟まれた通り沿いは歩いて進むのも困難な程の買い物客で賑わっていたことを覚えている。 その面影は今は無い。 往時に比べて随分と縮小された限られたエリアに歯抜け状に幾つかの露店が営業準備を進めるのみ。 これも時代の流れか。 否、私だってこういった環境での買い物とは無縁の日常を送っている。
そんなことを思いながら、しかし考えてみたら露店の設営の様子など今迄観たことが無い。 ということで、傍らにて暫し観察することに。 手慣れた作業で竹や鋼材を巧みに組み合わせてミセの設えが構えられてゆく。
そうして出来上がる通り沿いの風景は、極めて合理的なテンション構造の群体※1。 ミセの両袖に斜めに立てた竹製の柱に生じる転倒モーメントと、屋根支持材に発生する引張応力を均衡させてテントを張る。 更に補助支柱を適宜立てて構造を安定化。 それだけでは風圧力による吹き上げ荷重に対して心許ないため、テントの先端から向かい側の道路標識等の支柱に向かってロープを緩めに張って煽り止めの機能を成す。 安定を得易いラーメンフレームを敢えて採用しないのは、前面に支柱が配置されることを極力排し買い物客の往来の邪魔にならぬ様にするための配慮か。 あるいは商空間としての視線の広がりを意図したものなのかもしれぬ。
基本はこの構造形式に拠りつつ、ミセによってその形は微妙に異なる。 恐らくそれぞれの流儀もしくは経験に拠っているのだろうけれども、果たしてその差異には時代変遷も含めた何らかの類型化が可能なのだろうか※2。 もしかすると研究された文献などがあるのかもしれないけれど、私は未見。 何かの機会に追及してみることにしようか。

昼下がり、再度現地を訪ねると各ミセは既に撤収作業中。 テンションを徐々に除荷しながら軸組を解体する様子が確認出来た。

2016.06.01:メーカー住宅私考_65
東芝住宅産業 ソーラーメイゾン

※1
2009年4月29日の雑記参照。

※2
東芝住宅産業の太陽熱利用プロトタイプモデル

東芝商事は、その当初から「メイゾン」というブランド名で鉄骨系プレハブ住宅を供給していた。 その初期事例について、当時の雑誌等に掲載されている内容を確認すると少々戸惑うことになる。 外観写真から窺える全体の雰囲気や個々のディテールは、いずれも大和ハウス工業の同時期のものと殆ど変わりがない。
不思議に思ったので調べてみると、1967年12月に大和ハウス工業と業務提携を行っている。 当初は、ミゼットハウスの代理販売も行っていた。 あるいは、住宅事業そのものは、商社の日商(現:双日)の直系会社として住宅事業を展開していた日商ハウスから1970年に譲渡を受けているという記録も有る。 更に、東芝グループとしての強みを活かし東芝製電化製品を商品体系に組み込む等、同社ならではの独自性を出していた。
1972年6月に東芝住宅産業として独立するが、既に事業展開の体制は盤石であった筈だ。 しかし、ハウスメーカーとしての事業期間中において市場に影響を及ぼすヒット商品を出していたかというと否。 地味な印象のまま推移する。 こんなところに、住宅の難しさが有るといえるのだろう。

そんな東芝住宅産業が1983年9月にソーラーメイゾンを発表したことは、かつてこの場でも言及している※1。 空気を媒体に太陽熱を利用した給湯システムを屋根面に搭載したモデル。
それと同じ機構を取り入れたものか否かは判らぬが、その商品化から遡ること6年前の1977年頃に、同じようなプロトタイプモデル※2を同社で手掛けていた。 ソーラーメイゾン同様に南側屋根面全体にソーラーパネルを載せている。 その外観を今改めて見てみると、近年になって各社が発表しているPV搭載モデルのそれと良く似ている。 例えばミサワホームが屋根建材型太陽光発電システムを開発し、南面する屋根全面に採用したモデル「太陽の家-セラミック」を発表したのが1997年。 以降、同様のシステムを搭載したモデルが各社から続々と発表される。 そんな状況を鑑みると、ソーラーメイゾンはエネルギー利用に関わるシステムそのものは異なれど、その意匠性において先駆モデルであったと言って良いのであろう。 「技術の東芝」の面目躍如といったところ。
同社はその後幾度かグループ会社等との合併や名称変更を繰り返し、今は不動産事業を主な業務とする会社になっている様だ。

2016.05.27:珍しい資料を入手した日の珍しい出来事
※1
1979年3月に、茨城県つくば市立原に建てられた第7号実験住宅。
当時、同社の販売資料等にこの外観写真が紹介され、その斬新な外観に心をときめかせたものだった。

現在、その建設地は一般財団法人ベターリビングつくば建築試験研究センターになっている。 同施設には仕事で何度も訪ねている。 そこに、かつて憧れていたこの試作モデルが建っていたとは、なんとも感慨深い。
あるいは、憧れつつも外観以外の情報が僅かなものに留まっていたこのモデルの関する資料を「発見」出来たことも、とても感慨深い。

昭和50年代に実施された新住宅供給システム開発プロジェクト(通称、ハウス55プロジェクト)については、このサイトで何度か言及している。
その研究開発の概要を纏めた旧建設・通産両省編纂の報告書を偶然入手。 さっそく、帰りの電車の中で読もうと、席に座って資料を開く。
この開発にあたって、事業委託企業グループとして採択された三社が建てたプロトタイプモデルに関しても記述があり、極めて貴重な資料だ。 中でもミサワホームが1979年に筑波に建てた実験住宅第7号※1についての詳述は、生きていて本当に良かったと思えるくらいに個人的にはとっても感動的な内容。

夢中になって眼福に授かっていると、隣に座っている人が膝の上に置いている大き目のカバンの中から何やらジュワ〜という聴き慣れぬ異音が・・・。 隣を見ると、その人は居眠りをしている様子。 ナンだかよく判らぬが、しかしそんなことを気にしている場合ではない。 ページを捲るたびに初見の図版や解説が目に飛び込んで来て、もうタマラナイ。
興奮を抑え平静を装いつつ資料に首っ引きになっていたら、居眠りをしている筈の隣の人が突然「うわっ!何だコレ!」と叫んだ。 何事かと思って横を見ると、カバンの上に白い泡がてんこ盛りになってシュワシュワと音を立てている。 異音の原因はコレかと思いつつ、カバンの上に添えていた両腕の間にたっぷりと発泡したその白い物体に、周囲の人の大半はいっせいに身を引く。
「いや!違います!危険なモノじゃないですから!」と、その人は訴える。 「これじゃまるで不審者だ!」とか何とか呟きつつ巨大な泡の塊を強引にカバンの中に押し込めようとするその脇で、私はすっかり退避のタイミングを逸したまま坐して見守るしかなかった。 取り敢えず、「アノ、コレ使いますか?」とポケットテッシュを差し出すが、「イエ、お構いなく、本当にすみません」とひたすら平身低頭に謝って来る。 こちらは、片手に資料、片手にポケットテッシュを持ったままその場に居合わせるしかない。
そうこうしているうちに何やら甘い香りが漂ってきた。 「アレ、これはもしかして本当にヤバイものなんじゃないか・・・」と少し動揺しつつ、しかし何となく覚えのあるその香りに、これはひょっとして・・・とも思う。 そう、どうやらそれはシェービングフォーム。 カバンの中に缶入りのそれを入れていたけれど、何かの拍子にフタが外れてしまった。 で、カバンの中に入っている他の荷物がノズル部分を押し続ける状態となって中身の殆どが噴出。 カバンの外に溢れ出したといったところの様だ。 「本当に不審物とかそういうもんじゃ無いですから!」と、隣人は周りに訴える。 「コレです、コレが原因です」と掲げたそれはやはりシェービングフォームの缶。 しかし却って怪しまれてしまい逆効果。 「スイマセン、次の駅で降ります・・・」と、もう必死だ。

さもありなん。 今日(5月27日)はG7伊勢志摩サミットの開催二日目。 東京の都心部はどこへ行っても警察官や民間の警備員等が監視や巡回を行う姿が目に付く徹底的な厳戒態勢が敷かれている。
そんな状況下で、普段ありえぬ事態が目の前で発生しているとあっては誰もが怪しんでしまって当然。 「よりによってこんな日に」と、その人も居たたまれなかったことであろう。 次の駅で「お騒がせしました」と恐縮しながらソソクサと降車。 恐らく後始末のためにトイレに向かったのではないか。 駅構内で警戒中の警官や駅員に取っ掴まらないようにネ・・・、と動き出した電車の車窓から見知らぬその人のことを他の乗客と共に見送った。

ということで、珍しい資料を入手した日に珍しい出来事に遭遇したということを書きしたためてみた。 しかし、出来事の一連の流れの中で私のとった行動を思い返すと、今回は普通の人だったから良かったけれど、こんなことでは非常時に絶対逃げ遅れたり巻き込まれてしまうのだろうなと少々反省する。

2016.05.22:【書籍】
起こらなかった世界についての物語
―アンビルト・ドローイング

建築とは本来、建てられてナンボ、使われてナンボの物理存在である。 しかし、実現をみなかったプロジェクトについても、それが「建築作品」として高く評価される場合がある。 建築業界ではその様な作品のことを「アンビルト」と呼んでいるが、ここ最近、国内においてこの言葉を広く耳にする事態が一時期続いた。 原因が新国立競技場の計画策定に纏わるゴタゴタであったことは言うまでもない。
ところで、このアンビルト作品にも二種類ある。 一つは、実現を目指しつつ、何らかの事情で実際に建てることを断念せざるを得なかったプロジェクト。 もう一つは、実際に建てるという行為をハナから断念した夢想の中の建築や都市を描いたものだ。
この書籍に紹介されているドローイングは、数例を除き後者に該当する。 いずれも、建てるという行為に纏わりつくあらゆる制約から切り放たれた自由が漲り、それによって実作以上の魅力を放つ。 一つ一つの作品に対して著者が綴る文章は、とても平易で穏やか。 それでいて建築思想のこころねの様なものもしっかりと掴んでおり、読んでいてとても心地よい。 巻末に掲載作品の作者達の略歴が載せられているが、それぞれに添えられた著者の短いコメントもまた味わい深い。
この小さな書籍に接して一服の清涼を得る。 そんなささやかな建築マインドの様なものを、実務に追われる日々において摩耗して失いたくはないものだと思う。

掲載されている作品の中でお気に入りを一つ選ぶとなると、著者と同様私の場合もマッシモ・スコラーリの「シークレット・タウン」ということなる。 時間の流れや大気の動きまで含めた全てが静かに停止したかの如き深閑とした風景が何かとっても気に掛かるドローイングだ。

ところで、アンビルトの一事例に磯崎新によって1988年から90年代半ば頃の間に検討が進められていたJR上野駅の再整備事業がある。 氏の「Construction Site」という作品集にて概要の一端を見知っていたに過ぎぬが、高さ300mの超高層ビルを含む複合施設によって駅構内の再整備を目論む壮大なプロジェクトであった。 経済情勢などの理由で計画は断念されてしまった様であるが、しかし最近、ほぼ同じ基本構想を持つ超高層建築がミラノの地に実現をみることとなった。 Allianz Towerと名付けられたその超高層オフィスビルは、現地では「イソザキタワー」とも呼ばれているそうだ。
一旦アンビルトに終わってしまったプロジェクトが、時を超え場所を変えて実現すること。 しかもそれが御自身の名前を冠して呼び慣わされることになろうとは、まさに巨匠ならではの絢爛たる仕事っぷりと言ったところであろうか。
この書籍のタイトルやあるいは前書きに記されている通り、アンビルトとはたまたま起こらなかった世界観であり、少し状況が違えばあり得たかも知れない風景なのだ。 Allianz Towerは、そもそもが冒頭で述べたアンビルトの前者の例。 そしてこの書籍で紹介されている作品は後者の範疇という違いはある。 しかしひょっとしたら、そこに描かれた状況がAllianz Towerと同様に我々の目の前にリアルに立ち現れる日がやって来ることだってあり得るのかもしれない。

2016.05.16:北菓楼札幌本店
※1
北海道庁文書館別館外観。
これは改修前に撮ったものだが、店舗としてオープンしたのちもほぼ同じ状況を保っている。 向かって左側の隅が旧エントランス。

※2
エントランス内観。
開店後に撮ったもの。旧態が良く残されており、一階の店舗と二階のカフェを往来する動線として活用されている。

※3
当然、その前提で購入額を決定し応札した事業予定者もいたことだろう。 その中で売却先が北菓楼に決定した経緯は何であったのか、少々興味を持つ。

札幌の市街中心部に建つ歴史的建造物「北海道庁文書館別館」が内外観の一部保存を条件に売りに出されたのが三年前。 程無くして、売却先が道内の菓子メーカー北菓楼に決定。 店舗として活用し、その基本デザインを安藤忠雄が担当すると報じられて以降、果たしてどの様な改修が行われるのか少々興味を持っていた。
今年に入り完成間近になるとローカルテレビ番組で盛んに工事の進捗が取り上げられ、御大も頻繁に画面に登場。 気さくに取材に応じる姿が映し出された。 こうして自身がメディアに露出することが店の宣伝にもなることを心得た対応なのであろう。

完成後、同店を訪ねた。
外観※1は、勾配屋根が取り払われ陸屋根となったのだろうか。 パラペット廻りがやや軽くなった印象ではあるものの、売却条件に則り旧態を良好に留めている。 裏側に当たる北面は新たに作り直されているが、控えめにまとめられており道路側の外観との違和感はない。 というより、そもそも北側の意匠など個人的には全く記憶していない。
それでは中に入ろうと南西隅角部の旧エントランスに向かうが、扉は硬く閉ざされている。 もしもそのドアを開けることが出来たならば、保存されたエントランスホールと階段室※2が眼前に広がる筈で、その空間体験を堪能しようと楽しみにしていたのに少々肩透かし。 新設された建物東端のエントランスに廻って入店することとなる。

屋内に入った際の第一印象は「ガランドウ」であった。 店舗として利用されている一階の上部は旧建物の三階部分まで丸々の吹抜けとなっており、その吹抜けの中にカフェに利用される二階が部分的に取り付く。 ただそれだけだ。 空間の利用方法としては極めて贅沢。
歴史的建造物を活用した再開発の場合、旧建物を基壇として扱い、その上部に法的な容積制限の上限ギリギリ取得可能なボリュームを上乗せして高層化。 不動産収益に供するフロアを目一杯増床して事業収支の帳尻を合わせることが常道※3。 容積を持て余す市街地の歴史的建造物の表層保存と不動産事業の両立を図るための都合の良い手法として、文字通り木に竹を接ぐ様なこの事例は年々増えている。 道文書館別館についても似た様な計画が実施される(されてしまう)のだろうなと思っていたら、高層化の計画は無し。 それでは、容積を取り切らない分、内部を徹底的に活用すべくギュウギュウ詰めの構成にするのかと思ったら、それも無し。 それどころか逆に、床をブチ抜いてガランドウにして利用可能空間を旧建物よりも大きく減じている。
ハテサテこれで投資分の回収にどれほどの時間を要するのかと余計な心配をしてしまうが、そんな発想は極めて貧相なもの。 そういったシガラミを超えた豊かな空間にこそ価値を見出そうという判断なのだろう。 事業者の英断と、そしてその豊かな空間を実際にデザインした安藤忠雄の手腕は流石である。
結果、外観の特徴であるジャイアントオーダーに呼応する垂直空間が屋内に創り出され、建物の魅力は大きく増強された。 混み合う一階店舗や、訪ねた際には90分待ちの表示が掲げられていた二階カフェ部分の盛況振りを見れば、その効果は明らか。 でも、アッケラカンとした開放的なカフェが落ち着ける居心地の良い空間なのか、実際に席に座って確かめてはみたかった。 機会あれば再訪してみることにしたい。

2016.05.08:人生後半最高の住まい

お世話になっている建築家の御自宅件アトリエが「日経おとなのOFF」という月刊誌の5月号に紹介されているという情報を得、購入。 早速掲載ページを開いてみた。
第一印象は、「掃除が大変そう・・・」であった。 大量のアンティーク家具や小物が美しく設えられた室内は、築百年を超える酒蔵を移築し住宅として再生した建物自体の雰囲気としっくり調和している。 でも、私は同様のインテリアを実践しつつ美しさを保って生活する自信は全く無い。 きっとホコリまみれにしてしまうのだろうな。 えぇ、ズボラなもので・・・。
しかし、お気に入りのモノ達に囲まれながら御自身の設計した住まいで日々の暮らしを満喫するというのは、何と素敵なことだろう。

ということで、当号の特集は、「人生後半最高の住まい」。 他にも様々な住まいが掲載されている。
気になったのが、集合住宅の二事例。 いずれも子供達が独立した夫婦二人のみで暮らすための住まいとして敢えて集合住宅を選択。 但し、出来合いの間取りのまま住むのではなく徹底的にプランを改変している。
共通するのが主寝室の扱い。 ベッドを置くと他にモノを配置するスペースが全く無いほどの狭小な空間に留めている。 しかも、その部屋は外壁に直接面していない。 つまり、外部開口が無い。 かといって行灯部屋という訳ではなく通風や採光に一工夫が施されているのだが、案外寝室とはこの程度で良いのかも知れぬ。 そして寝室を絞り込んだ分をリビングのスペース拡張に割り振り、あるいは、住む人それぞれ々の専用の居場所の確保に充当。 人生後半の棲家として本当に自分達が暮らしたい間取りを、集合住宅という限られた枠組みの中に実現している。
そこには、分譲時あるいは住み替え時に売り易いというだけの理由から連綿と生産され続け、且つ消費され続ける「マンション田の字」のありきたりな3LDKプランとは異なる魅力が見てとれる。 この様な事例の中に、集合住宅におけるシニア層向け住戸プランの商品企画の在り姿が見い出せるのかもしれない。

さて、私も既に人生の後半に突入して久しい。 否、先のことなど判らぬ。 実はもう終盤を迎えている可能性だってある。 ともあれ、自分にとっての人生後半の住まいを作るとするならばどの様になるか。 そろそろそんなことを妄想して愉しんでみても良いのかな、などとも思う。

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