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雑記帳
2017.03−2017.04
2017.04.24:【書籍】プレハブ住宅ガイドブック1974年版
※1

同書籍のメインページの見開き体裁。

9年来所望していたプレハブ住宅関連の古書を入手。 1974年当時に各メーカーから発表されていたモデルが体系的に網羅された掲題の名称を冠した書籍。 建築系の専門図書館で見知って以降、入手すべくネット上で古書検索を掛け続けたが叶わず。 暫し諦めていたが、最近フト思い出した折に検索を試みたらめでたくヒット。 売値も概ね納得できる範囲内だったので、即購入。
ネットの発達で古書探しは飛躍的に便利になった。 それでもやはり、その出会いには偶然の要素が大きく介在する。

この書籍、確かに当時のモデルが工法別に大量に載せられており、内容はとても充実している。 しかし纏め方にちょっと癖がある。 それは、プレハブ住宅を露骨に製品として扱っている点だ。 あたかも家電製品のカタログの載せられたスペック表の如き体裁で、各モデルが見開き2ぺージで同じ書式に則り紹介されている※1。 そこからは、住まいとしての魅力や特徴といった感覚に訴える情報は徹底的に排除されている。 仕様や性能が淡々と記載され、そして外観パースと平面図と工法概念図が載るのみ。

当時、自動車製造に続く国の産業育成分野としてプレハブ住宅が大いに注目されていた。 それゆえに、その管轄を巡り当時の建設省と通産省が激しく競り合う時期もあった。 住宅を自動車と同列の工業製品として国家主導で産業育成を図ろうという発想。 そんな時代背景の下に、日本建築センター発行のこの書籍が位置付けられよう。
しかし、その思惑通りにその後の住宅産業が発展してきたかというと、否。 そこが多種部品の集積体という共通項を持ちながらも車と住宅が徹底的に異なる点なのであろう。 実際の扱われ方はともかくとして、住宅は本質的に耐久消費財の枠組みには決して嵌め込めぬということだ。

ともあれ、戦後の住宅不足という社会問題の解決手段として生産及び施工の工業化に拠る高品質で低価格な住宅の安定的な大量供給の実現という時代精神。 そんな潮流に則った書籍の一例として、個人資料の中に追加しようと思う。

2017.04.16:【書籍】(仮)ヴィラ・アーク設計趣旨

メランコリックな瞳をたたえた黒猫が大きく描かれた表紙絵を一ヶ月ほど前にネット上で見掛け、少しだけ印象に残った。 といっても特段興味を持ちもしなかったし、それ以前に書籍のタイトルすら覚えてはいなかった。
しかし偶然、図書館の新着図書本の書棚に僅かに記憶に残っていたその表紙絵を纏う書籍が置かれていることに気付く。 手にとって改めてその表紙を眺めていみると、黒猫の背後に何やら磯崎新の北九州市立美術館を矮小化した様な建物が岸壁の上に建っている。 その岸壁の直下には波浪が迫り、そして頭上には幾筋もの稲光と共に暗雲が立ち込める。 如何にもミステリーっぽいネという雰囲気のその装幀と、更にはあまりにもストレートに「館もの」であることを示すそのタイトルに少々引っ掛かり、借りてみることとした。

内容は、装幀の第一印象を裏切らぬ安定の館ものミステリー。 但し、建築や設計業務についての描写がやたらと細かい。 よほど丹念に設計事務所等への取材を重ねたのだろうなと思って著者プロフィールを確認したら、建築士の方でした。 納得。
ネタバレにならぬよう内容にはあまり触れぬが、表紙を開くと最初に「ヴィラ・アーク」と名付けられた物語の舞台となる住居件アトリエの平面図が見開きで掲載されている。 右ページに描かれた一階平面図と左ページに描かれた二階及び地階平面図のスケールが変えられている。 これは一階平面図が配置図と兼用であるためなのだろうと、最初は気に留めていなかった。 しかし、実はこれはとても意図的なことの様だ。 スケールを変えることで、そこに描かれた各階の齟齬に気付きにくくさせている。 そしてそのことが物語中盤以降の事件解明に向けた重要な手掛かりとなる。 はてさて、当該建物の設計趣旨は如何に。

ちなみに、このヴィラ・アークについて私が最初に抱いた北九州市立美術館との類似性については、本文の中でも触れられている。 建築ネタ満載ゆえに、飽きることなく一気に読み終えることとなった。

2017.04.11:メーカー住宅私考_73
工業化住宅の増改築事例にみる中門造りの再考

ミサワホームが昭和50年代にラインアップしていた企画住宅に施された増改築に関し、興味深い事例がある。
その時期に造成・分譲された豪雪地帯の中核都市郊外に位置する戸建住宅団地内のケース。 同住宅地は一区画の面積に余裕がある敷地が多いためか、経年の中で大掛かりな増築を施した住まいが多数確認出来る。
その一例が下図。 同じアングルで増築前後の比較を行うため、簡単な図面にしてみた。 同社のミサワホームMIII型であるが、左が竣工当時のオリジナルの略図。 右が2009年の秋頃に私が確認した増改築後の状況になる。

新築時概念図

増改築後概念図
※1

新潟県十日町市松之山地区に建つ中門造りの例。 右側の手前に突出している箇所が「中門」。 これによって全体でL型の平面形状をなす。
※2
それ以外にも裏手に中門を張り出したT字型のものや正面両端二箇所に中門を設けてコの字型平面とした例など、その形態は多様だ。

※3
勿論、全ての例においてこの違いが当て嵌まるという訳ではない。 曲り屋の突出部位に厩以外の用途を混在させていた例もあるし、逆に中門造りの中門部分に厩を設けていた例もある。

屋根面にドーマの様なものが取り付いているのは、豪雪地域仕様。 それ以外のエリアで発売されていた同モデルには通常は付いていなかった。 大屋根から玄関部分に雪が直接自然落下しないようにするための配慮だ。 その屋根面の北側は寄棟になっているために俯瞰パースでは少々いびつに見えるが、これは北側斜線に配慮した標準設定の形態処理。

さて、増築前後の図面の比較において、その変化は極めて明瞭だ。
南側立面に関しては、向かって右側半分に一・二階が増築されている。 増築部南面に従来の壁面に付いていた三角形の出窓やフラワーボックスをそのまま転用したのは、これらの外装パーツに対する住人の愛着の顕れであろうか。 この部分は、居室の数ないしは面積を広げることを目的とした通常の増築と思われる。
注目したいのは、玄関側立面の増築。 まず、玄関ポーチを屋内化し風除室としている。 更にはその風除室に接続する様に車二台を縦列収容する屋内駐車場と半屋内化したアプローチが設けられた。

この様な増築を行った背景。 それは同地が豪雪地帯であることに深く関わっていると思われる。
つまり、南側のみ接道する敷地条件において、南面と玄関側に広く庭を確保するように敷地内に建物を配置した。 新築当初は、道路から玄関までの長いアプローチ部分に充実したエクステリアを形成。 日常生活を華やかに演出していたのであろう。
しかし、そのアプローチの長さが積雪期の除雪作業を大変なものとする。 徐々にそのことが負担になってくる。 その手間を軽減するためには、玄関を出てから道路に至る迄の敷地内動線をなるべく屋内化してしまうことが有効だ。 そんな考えから、風除室から車庫を含めたアプローチ動線部分の増築が図られたのではないか。

かつてこの地方には中門(ちゅうもん)造り※1と呼ばれる民家の形式があった。 これは、直屋(矩形の住棟)の棟方向に直交させてその平側に中門と呼ばれる突出部を設けてL型の平面を形成する造り※2
東北地方に広く分布した「曲り屋」と混同されがちだが、そのプラン形式は異なる。 曲り屋の突出部は主に厩の用途に供することが基本であったのに対し、中門造りのその部分は表玄関や作業場やトイレ、そして玄関から直屋へのアプローチ動線等の多用途を内在させていた※3。 これは、豪雪地帯における降雪期の生活の利便性確保を目的に発達した形式なのだそうだ。 とするならば、上記の事例に見受けられる車庫やアプローチ空間としての増築部分も、この中門と同じ位置付けと解釈することが可能ではないか。
同住宅団地内の増築事例には類似した形態のものが多数見受けられる。 時代遅れのモノとして捨て去られ忘却に付されていたこの地域のかつての民家の形式が、外部環境条件への適応の必要性から形を変えて現代の工業化住宅に付与される。 そう読み解くならば、オリジナルのデザイン意図を無視したこれらのあまり美しくない増改築事例も少々興味深いものに見えてくる。

2017.04.05:【書籍】江戸の幽明

古本屋にて当該書籍が目に留まり、何気なく手に取ってまえがきのページを開くと冒頭に次の下りがある。

“たしか四五歳前後は隠居生活にあこがれて、はやく七〇歳にならないか、時間が進むのを、遅い、おそい、などと、不満をぶつけたこともあった。”

私は何かにぶつけるほどの不満は持っていないけれど、しかし早く老境に至りたいということは常日頃思っている。 というよりも、七〇歳どころか還暦を待たずに隠棲してしまいたいなどと考えているところ、無きにしも非ず。 しかし、同じまえがきの中には以下の記述もある。

“ところが、ほんとうに知らぬ間に還暦を迎えてみると、元気で前向きな老後を送れる体力も気力もなくなっている自分に気がついた。”

そういうものなのか。
でも、確かに私自身、若かりし頃に比べると行動力、機動力が相当減退しているとは思う。 今の時点でもそうなのだから、還暦を迎える頃にはどうなっていることやら。 ・・・などと、まえがきの文章で少々この書籍に共感を覚えたことをきかっけに読んでみることとなった。

内容は、かつての江戸の外縁にあたるエリアの探訪記。 何せ、博覧強記の著者だ。 書かれている内容はいずれもとても興味深く、そして面白い。 今迄何気なく接していた地名や街の成り立ちにそんな歴史が秘められていたのかと、初めて知ることばかり。
そして中盤、私がかつて住んでいた板橋界隈の話題になると、なぜか懐かしいという感情が湧いてくる。 以前もこの場に書いたが、同エリア在住中は社会人になったばかりで仕事は慣れぬことばかり。 日々の業務をこなすことに精一杯で、家には殆ど就寝のためだけに戻るといった状態。 だから街に対する思い出も思い入れも希薄な場所の筈であった。 しかし、僅かな記憶の堆積が時間の推移の中で徐々に思い入れの様なものに変容しながら自身の意識の中に沈着するものなのかもしれぬ。 歳をとる、あるいは時間が経つというのはこういうことなのだろうか。
少々感慨に浸りつつ、私自身の記憶に残る風景や場所に対する記述にいちいち合点して文章を読み進めることとなった。

さて、近い将来元気で前向きな老後を送っているか否かは判らないけれど、取り敢えずは体力や気力をまだそれなりに有している今のうちに、この書籍で紹介された各エリアを訪ね歩いて記述内容を確認して楽しんでみることにしようか。

2017.03.29:【アニメ】風夏

普段あまりテレビは視ないのだけれども、最近珍しく掲題のアニメを視聴した。 タイトルの詩的な語感に取り敢えず視てみようかと思った次第。
内容は、有り体に言うならばバンドを組む高校生達のラブコメもの。 こんな都合のいい出来過ぎた話がある訳ネエダロ!などと思いつつ、いったん視てしまうと続きが気になって最後まで視聴してしまうというのはよくあること。 まぁ、ラブコメに現実性を求めてもね。
でも、9話の終盤、ヒロイン・秋月風夏が自身の恋心に気づいてから最終回第12話までの展開はうまく纏められていたと思う。 一方で、もう一人の主人公・榛名優の成長ぶりも印象的だった。 Twitter中毒ぎみの内気な少年が、バンド活動に積極的に関わるまでに到るその過程がなかなか瑞々しい。
OPや挿入歌は映像を含めて力が入っているという印象。 けれども、楽器演奏の運指のリアルさやライブ演奏の臨場感は、かの京アニが手掛けた「けいおん!」の演出の方がより優れておりますか。

ところで、風夏が住む家は、銭湯と集合住宅の複合用途。 板状箱型五階建て集合住宅の一,二階部分に和瓦葺き屋根のいかにもな銭湯建築の意匠が下屋の様にへばりつく外観。 その唐突さは銀座の歌舞伎座タワーといい勝負。 どの様な経緯でそんな建物が作られるに到ったかということ推察するならば、銭湯だけでは経営が厳しいので集合住宅との複合用途に建て替えないしは増築を行い不動産事業との併用で銭湯を維持しようとしたといったところか。
集合住宅の方は片廊下形式。 住戸は、共用廊下側にDKと水廻り、バルコニー側に部屋を一室を配したプラン。 つまり、1DK。 バルコニーは住戸間口の半分だけ躯体フレーム内に取り付く。 業界用語で言うところのベイバルコニー形式。 玄関踏込部の床仕上げは石の乱張り。 玄関下枠内外の仕上げレベルと鑑みれば、乱張り風のプリントを施した塩ビタイルだろうか・・・などとディテールを考察することにあまり意味は無い。 いかにもな銭湯と、これも同様にいかにもな集合住宅があからさまに重層する意匠の妙を楽しむ程度で良いのであろう。

原作は未読であるが、少年向け週刊漫画誌にて現在も連載中らしい。 アニメの方は途中から原作とは異なるオリジナルストーリーになったみたいだが、だからといって原作の方を読んでみたいとは今のところ思わぬ。 それは、アニメがとても美しく終わったから。
美しく終わったけれども、しかし続編が無いかななどと思うところ、無きにしも非ず。

2017.03.21:あったかい住まい 北海道・住まいの道のり

先週のことになるが、有効期限が迫る航空会社のマイルを消化するために土日に休暇をくっつけて北海道に行って来た。
とはいっても、これといった予定を組んでいた訳ではない。 えぇ、例えば札幌パルコの特設会場に期間限定開設中の「君の名は。SPECIAL SHOP」を訪ねるとか、あるいはこれも期間限定で走行中の雪ミク仕様の路面電車を拝もうとか、決してそういったことを予定していたなんてことは無かった訳です(・・・って、結局両方とも見ましたけれどもネ)。
ただ、北海道博物館で開催中の掲題の企画展は観に行こうと考えていた。

個人的には、以前の建物名称である「北海道開拓記念館」の方が未だにしっくりとする。 とはいえ、その名称であった時代に頻繁に同施設を訪ねていたかというと、否。 恐らく開館して間もない頃に一回行ったきり。 以降、同じ道立自然公園野幌森林公園内にある「北海道開拓の村」は数度訪ねているが、その際には同記念館の前を素通りするのみであった。
開館間もない頃というのは私は小学生であったが、夏休みの帰省の際に母方の祖父母に連れられて訪ねたように記憶している。 まだ建築への興味はハウスメーカーに限られていた時期であったが、それでもその豪壮な建物外観はとっても印象的であった。 もっともそれ以上に、太古から近現代までの北海道の歴史を紹介する展示物の充実ぶりと、その展示物を鑑賞する入館者で賑わう館内の盛況ぶりが記憶に残っている。

それ以来、それこそ数十年ぶりに同建物の前に立ち、じっくりとその外観を拝む。
原生林のなかに堂々と建つその姿は、「そもそも建築とはかくあるべし」と言わんばかりに、昨今流行の軽くて薄いフワフワヒラヒラのヤワな建築を一蹴する。 それこそ建物そのものが記念碑の如く。
この手の建築に関し、さすがに佐藤武夫は手馴れているという印象を持つ。 スケール感とプロポーション、そしてそれらを支えるディテールに関し、全く隙や破綻が見当たらぬ。
そんな外観を暫し堪能し屋内に入ると、エントランス内観は外部に劣らぬ壮大な構成。 最上層まで大きく吹き抜けたホールは、その一部が建物の奥まで貫通し、その最奥部のガラス張りの壁面からは、少し離れた位置に屹立する北海道百年記念塔を望む。 ホールの軸性と記念塔の配置との絶妙な一致は、手堅い処理。 そんな事々を観察して楽しみつつ二階の企画展示室へ。

展示内容は、開拓期以降今日に至る迄の北海道の住文化の変遷。 その歴史は寒さの克服と等しく、そのことを中心に各時代の住様式が紹介されている。 と同時に住まい方に纏わる服装や生活道具も所々に展示。 住宅に興味が無い人にも飽きさせぬ展示の工夫が見て取れた。
更には、結構マニアックな展示も散見され、例えばかつての民家に多用された四分一留めのガラス入り木製建具の詳述などはとっても興味深かった。

それにしても、休日にも関わらず来場者が極めて少ないのは季節的なことがあるのだろうか。 かつての盛況ぶりを思うと雲泥の差がある。 もっともそれ故にゆっくりと堪能出来た訳だけれども、良い企画だけに何だか勿体無い。
中二階にある、恐らくかつてはレストランであったのだろう休憩スペースは、原生林と記念塔への眺望が開けたなかなか快適なスペース。 入館料を払う必要なくまったりと寛ぐことが可能な穴場的な場所だと思う。

2017.03.12:TATTOO

TATTOO外観。
両脇を建物に挟まれた間口約5mの敷地に特徴のある意匠を纏ったファサードが屹立する。

高松伸が手掛け1989年に札幌市内に竣工した商業建築。
その施工中は札幌に在住していたため、過程をつぶさに観察することが出来たと言いたいところだけれども、否。 仮囲いが設けられた接道面は不透明な養生シートでガッチリと覆われ、その表面には入店予定のブティックのサインやロゴ、そして設計者の名前がしっかりとデザインされた上でデカデカと掲げられていた。
従って、背後の建物の様子を伺うことは叶わず。 それでも、シートと隣接建物の隙間から出来上がりつつある建物が僅かに見える。 何やら二本の塔の様なものがニョッキリと屹立する様子が見え、小規模ながらも野心的な建物が出来つつあるようだと期待する。
で、暫くして足場が外され姿を現わした外観は、その期待通り。 水平軸、対称性、鉛直性、石と金属、光の塔。 その二年前に完成した今は亡き傑作「KPOキリンプラザ大阪」で洗練を極めた手法が用いられながら、全く異なる意匠。 単なるペンシルビルという括りに収めることの出来ぬ端正で硬質な外観が見て取れる。 当時バイトで通っていた設計事務所の人も「よくもまぁ狭隘な間口の中にこれだけの作家性を展開し得たものだ。」と、舌を巻いていた。

それから暫くして、ブティックは撤退。 カフェに転用された時期もあったが、近年は店舗として使用されている気配はない。 外表を覆う本磨きの黒御影は艶を失ってくすみ、金属はところどころ発錆が確認される。 恐らく、竣工このかた一度もメンテナンスが行われていないのであろうその外装は、どこか痛々しい。

経年劣化、もしくは風化によってある種の美しさが備わる建物がある。 一方で、風化が許されぬ建物もある。 TATTOOは明らかに後者だ。 彫金細工の如き精巧で鋭利な意匠は汚れや劣化が許容されぬ。 常に磨かれ新品同様に光り輝いていることが要求される。
歳月と共に美しくなれる意匠と、そうではない意匠。 竣工して三十年近くが経過する当該建物を見上げる時、改めてそんなことに想いを馳せることとなる。

2017.03.05:メーカー住宅私考_72
新聞折り込みチラシに見るモデルの特質

※1

入手した二枚のチラシ。

※2

チラシに掲載されたO型新タイプの外観パース。 O型とも、そして後継モデルのOII型とも異なる意匠。

約40年前のミサワホームO型の新聞折り込みチラシを古書店より二枚入手する機会を得た。
時間が経てば、通常は古紙回収品となるか破棄処分されてしまうであろうチラシに書籍や郷土資料等と同じ価値を見い出すその古書店の心遣い。 そして、一般庶民の私でも躊躇なく購入を決断できる程度の良心的な値段で販売されていること。 そんなところに感服し、即注文した。
否、勿論それだけが購入の動機ではない。 同書店のサイトに公開されていたサンプル画像で確認出来る紙面上の記載内容そのものに高い関心を持った。

二枚ともO型のオープンハウスを告知したもの※1
そのうちの一枚には「同時開催O型新タイプ発表説明会」という記事も載せられている。 列記されている新タイプの特徴は、後継モデルであるOII型のことを示しているのかというと、否。 私が持つ知見からすると明らかに該当しない項目もある。 それに、そもそも記載されている広告の発行日が1977年11月26日。 OII型発表の一年以上前だ。 ではOII型とは関係なく、初代モデルであるO型に改良版が存在したということなのか。 そしてそれは、地域(この場合、愛知)限定の独自の仕様設定だったのか。 それとも私が知らないだけで、全国版としてその様なバージョンがあったのか。 更にはその販売期間と実績、そして現存する事例は如何程か。 そんなことに想いを巡らせ始めると実に興味深い※2
今迄コツコツと収集してきた資料から可能な限り情報は掴んでいるつもりではあるが、それでも同モデルについてはまだまだ判らないことが一杯ある。 その一端を掴む手掛かりとして、この新聞折り込みチラシは極めて高い資料的価値を持つ。

そして、O型新タイプが紹介されているチラシには、O型の南側ファサードを直近で見上げたアングルの外観写真も大きく載せられている。
そこからは、同モデルの外観デザインの特徴となっているフラワーボックスのディテールが確認可能だ。 勿論O型は多数実見しているけれども、まさか敷地内に入って直近で見上げる訳にもいきませんからね。 今迄敷地外からの目視のレベルでしか確認出来なかった納まり詳細をその画像から読み取ることが可能だ。

ということで、情報収集という目的のみであれば公開されているサンプル画像を保存するだけでも良かったのだが、その記載内容から物理的に所有したいという欲求がフツフツを湧きあがり、購入と相成った。 届いた品物を見ると、大切に保管されていたらしく状態は40年前のものとは思えぬ良好なもの。 出自は知る由もないが、幸いにも引き継ぐ機会を得たのだから私も丁寧に保管したいと思う。

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