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2017.08.30:メーカー住宅私考_78
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NEAT INNOVATORの群景。
特徴的な屋根フレームが連なる。
当該モデルの詳細については、「住宅メーカーの住宅」のページ参照。
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ミサワホームが1989年に発表したNEAT INNOVATORが群をなして大量に建つ場所が茨城県内に在ることを偶然知る。
Google Earthで確認すると、その棟数は36。
いずれも旧態を良く留めている様だ。
これは観に行かなくてはと現地に向かった。
最寄りのJR駅で下車。
駅前広場周辺の商店街以外は、広域にわたってスプロール状に開発が進められたと思しき風景が雑多に広がる。
従ってその中を縫う道路も計画性が乏しく、地図を片手に歩を進めても途中で方向がおぼつかなくなってしまうことがしばしば。
しかも途上には気になる物件が点在。
例えばミサワホームが1984年に発表した「我が間ま住宅」の一つ「吹き抜けが3つある家」とほぼ同じ外観を持つ事例。
あるいはかつては名主級の豪壮な邸宅であったのであろうと思しき屋敷が、母屋以外の広大な庭の全てを潰して一面砂利敷きの月極駐車場にしてしまっている光景等々。
そういった興味深い風景に出会うとついついそちらの方に歩を向けることとなり、なかなか目的地まで辿り着けぬ。
あるいは道に迷ってしまう。
まさにお宝を求めて迷宮の中を進むが如しだ。
そして漸く到着した目的地も、スプロール状の開発であることが一目瞭然。
周囲を生産緑地や工場に囲まれ、既存道路からのアクセス経路は二箇所のみ。
そんな近隣から孤絶した様な住宅地内の街路は、公道でありながら殆ど私道の様な雰囲気。
だから住人以外の者がその宅地内を徘徊したり写真を撮ることは不審な行為と疑われかねぬ。
従って、軽く巡る程度に留めざるを得なかった。
しかし取り敢えずそこで得た印象は、NEAT INNOVATORは群をなして建ち並ぶとあまり美しくないということ。
これは同社が昭和50年代に展開していた初期GOMASシリーズにも言える。
単体としての個性が強く、そして完結性が高いために、並んで建つと各々が強く自己主張し景観としてのまとまりに欠けてしまうということなのだろう。
これが例えば同社が同時期に発表したセラミック系住宅の最初期モデル「ミサワホーム55」の場合は並べて建てても結構それなりに美しい風景を造り出す。
こういった点で外観デザインは難しいものだと改めて思う。
それにしても、これほど纏まった数のNEAT INNOVATORが群をなして建つという状況はなかなか壮観ではある。
他にも同様の、あるいはもっと大規模な事例があるのかもしれぬが、取り敢えずは個人的な記録として留めておくことにしたい。
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2017.08.21:【書籍】七十二時間、集中しなさい。
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建築家の丹下憲孝が、自身の父親である丹下健三について書き綴った書籍。
出版されて間もない頃、新聞に書評が掲載されていたのでこの書籍の存在は知っていたが、興味は沸かなかった。
しかし最近になって図書館の書棚で偶然目に留まり、借りて読んでみることにした。
何せ日本はおろか世界中に名を轟かせた大巨匠の息子なのだから、御本人の日常生活も経歴も普通ではあり得ぬ。
その華麗なる“超一流”の世界に驚かされつつ、しかしそんな文章の所々に、超人を父に持つがゆえの苦悩や労苦が述べられている。
話が逸れるが、私が通っていた中学校は、地元有力企業の経営者の御曹司や大病院の院長の子息等が結構いた。
同窓生の中にも、その類の人物が少なくは無かった。
そんな彼らの家に遊びに行くと、例外無くいずれも豪邸。
武家屋敷か、あるいは美術館かと見紛うばかりの豪壮な邸宅に、「こんな家があるのか」と驚嘆し、そして羨ましく思ったものだった。
そして今、その同窓生達の多くは家業を継ぎ、社長や役員に収まっている。
中には、何百人もの従業員の上に立ち、経営の舵取りを行っている人物もいる。
凄いことだと思いつつ、半ばそれ以上は予め定められていた自らの境遇を、彼らはどの様に思っているのかとも思う。
今に至るまでの葛藤や逡巡は如何程に・・・などと、他人事ながら思ってしまう。
まぁ、そういった制約が一切無いことを幸いに、タラタラと無為に生きて来てしまっただけの軽薄極まりない私には、無縁の世界。
本書を読んでいて、何やらこんなことに想いを巡らせてしまった。
とはいえ、そんなことを考えさせられる内容のみで文章が埋め尽くされている訳ではない。
大巨匠の人となりや、あるいは最晩年の様子などが家族の視点から記されている。
巨匠を親に持つ建築家は他にも多くいらっしゃるのであろう。
そういった方々が同様の書籍を出すと、違った観点での日本の近現代建築史が充実するのではないかとも思う。
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2017.08.08:マイスキップ8月号の感想
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※1:
木造の頃の長生橋
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長岡市を中心に配布されている地域情報紙「マイスキップ」の8月号が届く。
このフリーペーパーには私も幾度が寄稿していて、その文章が掲載された号については時折この場でも紹介を行ってきた。
今回の8月号に私の原稿は無いけれど、気になる記事がいくつかあったので徒然に感想めいたものを書いてみる。
今月号の特集記事は「長生橋」。
市内を流れる大河、信濃川に架かる全長約850mのこの橋が現在の鉄橋に架け替えられて今年で80年を迎えることに因んだ特集だ。
その内容はとても興味深い。
幼少より十代の終わり頃まで長岡市で過ごした私にとって、この鉄橋は同市に対する心象風景の一部となっている。
構造解析に基づき鋼材を合理的に組んだだけの土木構造物が、自然に拮抗して力強く存在しつつ風景に馴染み、更にそれを優化させる。
そしていつかその地域の人々にとって、そこに在って当然のかけがえの無いランドスケープとなる。
そんな事実を想う時、建築分野に取り敢えず身を置く私はとてつもない敗北感に見舞われる。
建築では獲得しえぬスケール感といったこと以前に、少なくとも国内において、建築はもはや造ることや存在すること自体が重罪みたいな風潮に晒されてしまっていますからね。
この橋に関しては、三代目となる現在の鉄橋以前の木橋の写真のコピーを所持している。
高校時代、日本史の教諭から頂いたものだ。
その画像を左に貼っておく※1。
第七面に永らく連載されていた「徘徊便り」が今号をもって最終回を迎える。
同コラムの執筆者はこの情報紙の創刊号より編集作業に携わられてきた方なのだけれども、次号で同紙が創刊200号を向かえることを期に退任する旨をそこで表明している。
巷に溢れる商業性が鼻を突く凡庸な情報紙の類とは一線を画し、地域の歴史や文化の地道な掘り下げに拘って来た同紙が200号を迎えるということ自体が快挙であるが、その編集作業に初回よりずっと関わってこられたことに対しては、ありきたりながら「凄い」という言葉しか思いつかぬ。
編集のみならず、とても素敵な文章を書きそして写真を撮られる方なので、今後も何らかの形で紙面に関わってもらいたいなどと勝手なことを思う。
背表紙に当たる第八面の片隅には、いつも梅津千並氏撮影の写真が小さく掲載される。
毎号、長岡及びその周辺の小粋な風景を捉えていていつも楽しみにしているのだけれども、今号は風鈴が連なる風景。
いかにも夏らしい光景でありながら、とても涼しげでもある。
その画像を見て、かの佳作アニメ「月がきれい」の第8話を思い出す。
新潟ではなく川越市の風鈴祭りだけれども、ストーリーの終盤で写真と似たシーンが極めて美しく描かれていた。
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2017.07.31:メーカー住宅私考_77
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※1:
都市生活レポート「ゆる食・装食世代のライフスタイル」
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大和ハウス工業が「これからの住まい方プロジェクト」の第一弾と銘打ち、昨年11月にリリースしたモデル。
共働き世帯の家事に対する時間的・心理的負担を軽減することに主眼を置いた個性的な間取りが造り出されている。
話が少し逸れるが、東京ガスの都市生活研究所が2014年9月に公表したレポートの中に「ゆる食世代」なる造語がある※1。
1982年から1988年生まれのこの世代について、レポートは以下の様に定義づけている。
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“生まれたときには現在あるほとんどの食の形態が出揃っており、強い憧れを抱く食べ物もなく、食に関してかまえるところがない世代。
中学の家庭科も男女必修になり、料理や家事に対する男女の役割意識は薄い世代。”
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この手のマーケティング分析における常套手段であるカテゴライズは、例えば博報堂が提唱する「ソロ男」などもそうであるが、どこまで真に受けて良いのか怪しいところが無きにしも非ず。
しかしそこで展開される言説は説得力があるし、カテゴリーのネーミングも面白い。
そして「ゆる食世代」というカテゴライズに関し、今回重要なのは上記定義の後半部分。
同社の別のレポートには、「無理しない、が基本。男女フラットが当たり前」ともある。
そんな世代、あるいはその様な世代を創出する社会動向を踏まえて開発されたのが当該モデルなのかもしれない。
あるいは、現政権も成長戦略の柱の一つに「女性の活躍推進」を掲げている。
つまり、共働きを円滑に継続させるための家庭内における家事分担の発生を前提とした住まいの在り方の考察が必要な時代ということであろう。
そこでは例えば単なる家事動線の集約化や効率化といった旧態のプラン手法とは異なる、より踏み込んだ提案が求められることになる。
そんな意味で「家事シェアハウス」のモデルプランは興味深い。
玄関から二方向に屋内動線が展開する。
一つは、ホールを介してリビングダイニングルームに至るオモテ動線。
もう一つはウォークスルークロゼットからユーティリティゾーンを介してキッチンに至るウラ動線。
ウラと言うと聞こえが悪いが、帰宅してからの様々な日常行為を鑑みた際、その動線上に展開する設えはとても自然であると共に配慮が行き届いている。
果たしてこの二系統の動線設定が、目的とする家事分担を促すことになるか否かは判断の分かれるところ。
しかし、その様な生活様態に向けた積極的な提案がプランから容易に読み取れるところが面白い。
そんな一階部分に対し、二階は凡庸なものに留まる。
夫婦二人の共用個室としての主寝室と、将来二分割が可能な子供部屋が極々普通に並ぶ。
少し前に数名の共働きの女性に対する住まい方のヒヤリングに立ち会う機会があった。
その際、共通して主寝室は不要との発言があった。
共働きゆえに生活時間帯が異なり、一緒の部屋で就寝する必然性が希薄だという。
もしかするとヒヤリングの対象者が著しく偏っていたのかもしれぬ。
そして夫婦別室のニーズや実態がどの程度なのかということについても様々なデータや評価がある。
しかし、共働き生活を円滑に継続させる上で一方に負担を偏重させないためのプラン上の再考対象は、家事シェアのための水廻り空間を中心とした動線の組み換えのみに留まるまい。
家族個々人の部屋の在り方も、十分その対象となり得る。
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2017.07.23:白井晟一とブラザーズ・クエイ
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※1:
現在は「シアターキノ」に引き継がれている。
※2:
往時のパンフレット
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ブラザーズ・クエイの名を初めて知ったのは、1989年のこと。
テレビの深夜番組であった。
「ストリート・オブ・クロコダイル」を含む幾つかの短編ストップモーション・アニメ作品が国内で公開されることを紹介したものであった様に記憶している。
当時、私も札幌市内に在ったミニシアター「イメージガレリオ※1」で観る機会を得、その幻想的且つ退廃的な世界に十分衝撃を受けた。
あまりにも衝撃を受けたので、翌年の年賀状に映画のパンフレット※2に載せられていた画像を加工して用いましたか。
今思えば随分とグロテスクな年始の挨拶に仕上がっていた訳だけれども、当時の私は如何に「らしくない」年賀状を友人知人に送り付けるかということに執心しておりましたので。
ま、若かりし頃のコト・・・。
ところが程無くして同兄弟が師匠と崇めるヤン・シュヴァンクマイエルの映像作品を同じくイメージガレリオで鑑賞。
上には上があるものだと驚いた。
そのパンフレットに載せられたインタビュー記事には「私の作品はシュールレアリスム。ブラザーズ・クエイの作品はメルヘン。」といった旨の言葉。
メルヘンといっても相当ダークだよナと思いつつ、なる程そうかも知れぬと妙に合点。
両者の作品に対する個人的な評価が固定化した。
そのブラザーズ・クエイの展覧会「クエイ兄弟−ファントム・ミュージアム」が松濤美術館で23日まで開催中であることを数日前に知る。
で、昨日急遽足を運んだ。
ブラザーズ・クエイが久々であるならば松濤美術館を訪ねるのも久々。
以前訪ねたのは一体いつのことだったか。
それに何の展覧会であったのかも忘却の彼方。
そもそも展示よりも建築鑑賞が目的であったのかも知れぬ。
前面道路より見上げる建物の存在感は昔のまま。
経年劣化やクタビレ感の様なものは微塵も無い。
それどころか、苛烈な炎天下にあってなお冷厳に屹立しているという雰囲気。
その佇まいに畏怖しつつ、ファサード中央のエントランスより入場。
ブラザーズ・クエイの作品世界と白井晟一の濃密で静謐な空間体験の双方をじっくりと満喫することが出来た。
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2017.07.17:建築三昧
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※1:
中銀カプセルタワービルのカプセル内観。
※2:
国立近現代建築資料館で開催中の収蔵品展会場入口。
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7月9日に中銀カプセルタワービルの見学会に参加したことは「徘徊と日常」のページにも書いた。
同イベント開催の情報を直前になってネットで入手。
先着順とのことなのでダメモトで申し込んだら意外にも受理されたので、有り難く当日現地に向かった。
炎天下のなか前面道路より久々に見上げるこのメタボリズム建築の傑作は、外装材剥落対策の養生ネットが全面に張られた状況。
カプセルを所有されている方のblogから現況はある程度垣間見えていたものの、満身創痍な状況にあることが目視からも容易に見て取れる。
そして参加者数名と共に案内者に随行して巡る内外観は、確かに大変な状況ではある。
生半可な憧れとか単純な好奇心でカプセルを所有し使用出来る様な状況には無い。
カプセルに対する深い愛着と保存再生への強い意思、そしてこの建物を実現した設計者への高い尊敬の念が無ければなかなかに大変なことであろう。
今回は二つのカプセルを案内してもらったが、その内の一つは旧態を極めて良好に維持しているもの※1。
オープンリールデッキやダイヤル式の電話等々、当時の最先端の各種デバイスがビルトインされた状況が、埼玉県立近代美術館に寄贈されたモデルルーム以外に現存しているというのが何だか嬉しい。
ともあれ、参加し実見しなければ判らないこと、あるいは参加したから知り得たことが多数。
とても充実した小一時間を過ごすことが出来た。
その後銀座線と千代田線を乗り継いで湯島に移動。
国立近現代建築資料館に行く。
ちょうど、「平成29年度国立近現代建築資料館収蔵品展」が開催中※2。
著名建築家事務所の貴重な設計図書の原本を拝み、眼福に授かる。
とりわけ、坂倉準三の一連の出光興産給油所関連施設の資料が興味深い。
その用途上、いずれの外観パースにも車が描かれている。
車には興味が無いので車種は判らぬが、いずれも格好の良い車が図面上に絶妙にレイアウトされているところが印象的。
そういえば「建築外構造物」のページに載せている「出光興産広島西給油所」も坂倉事務所の設計によるもの。
私が同給油所を訪ねた時点では、既にその用途としての供用は終了していた。
果たして展示されている図面のうち、旧態を留めて現存し、且つ所与の用途を継続している事例はどの程度有るのだろう。
あるいは、吉阪隆正+U研究室のヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の図面も興味深い。
そのうちの一枚の図書の前で釘付けとなる。
外構も含め細密に描かれたその一階平面図は、既に図面ではなく絵画の領域。
CADでは絶対に顕現し得ぬ凄みがそこに在った。
各展示を堪能し、ロビーで小休止。
傍らに置かれていた建築関係のイベント告知のリーフレットの中の一枚に目が留まる。
そこには「千葉県文化会館会館50周年記念シンポジウム」とある。
開催日を確認すると、7月9日。
つまり当日。
大高正人設計の傑作に対し、この様な貴重なイベントが開催されるということはつゆ知らず。
既に時刻は15時を回っていたし、そもそも参加に際し要予約のイベント。
普段から情報収集のアンテナを張り巡らしておかなければならぬものだと反省・後悔しつつ、そのリーフレットによると、同建物の施工中の状況や会館当時の様子に関する写真展示「50周年記念展示」を別途8月20日まで施設内の大ホールギャラリーで開催中とのこと。
ということで、日を改めて事前に観覧可否を確認のうえ同施設を訪ねた。
否、50周年記念展示自体には大して期待はしていなかった。
むしろ、展示が行われている大ホールのホワイエ空間※3を存分に堪能したいということが目的の主であった。
何せ、ホワイエの一部を使った展示だから大ホール使用時には観覧出来ぬ。
逆に観覧可能ということは、ホール未使用時。
無人の大空間を独り占め状態でじっくりと堪能出来るという訳だ。
ホワイエ内各部位のディテールを凝視しようが舐めるように写真撮影して回ろうが自由。
他人の目を気にする必要も一切無い。
ということで存分に大高ワールドを堪能。
ついでに大ホールの方も少しだけ拝見させてもらった。
大高ワールドといえば、この文化会館を含むその亥鼻公園エリア一体が、大高ワールドだ。
他にも、同氏の設計による千葉県立中央図書館や文化会館の別棟である聖賢堂が歩道や車路と共に計画的に配置され、ちょっとした都市の様相を呈している※4。
その図書館は、東日本大震災以降に実施された耐震診断の結果を踏まえ、使用が大幅に制限。
なかなかに厳しい状況にある。
実施された耐震診断を疑うつもりは無いが、中銀カプセルタワービルを案内してくださった方の次の言葉をふと思い出した。
曰く、「耐震診断は目的が建物の保存なのか建替えなのかによって、その手法や結果がまるで異なるものとなる」。
ハテサテ、大高正人が提唱したPAU※5が見事に結実したこの傑作は今後いったいどうなるのであろう。
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※3:
千葉県文化会館の大ホールホワイエ。
十字断面を持つ四天柱によって規定される大空間に様々な造形やディテールが動的に散在する。
※4:
近傍の千葉県庁前には、池原謙一郎の初期作品「羽衣公園」も在り、併せて堪能が可能。
※5:
以下の頭文字。その統合が各プロジェクトにおいて目論まれた。
P:Prefabrication
A:Art/Architecture
U:Urbanism
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2017.07.11:メーカー住宅私考_76
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A型平屋建てモデルの外観。 これはオプションで屋根中央にロフトを配したもの。
※1:
引用者注; A型NEWは、1981年に発表されたA型のマイナーチェンジモデル。
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「住宅メーカーの住宅」のページにおいて、昭和50年代にミサワホームが展開していた企画住宅シリーズ(初期GOMASシリーズ)に関しては、その商品体系について大方網羅している。
しかし未だに載せていないモデルも有る。
それが1976年発表のA型平屋建て。
A型に関しては、同じ年に発表された二階建てモデルをこのサイトの開設当初から載せている。
しかし平屋建てについてはずっと載せずに来た・・・というよりは何も書くことが思い浮かばずに今日に至ってしまっていた。
理由は、内外観共に凡庸以外の何物でも無いため。
書くとすれば、その凡庸さについて記述する以外にない訳であるが、それでは意味がない。
二階建てモデルの方は、発表されていた当時、その平面プランを見て衝撃を受けた。
その頃私はまだ小学生であったが、住宅のプランにこんな考え方が有り得るのかと心底驚いたことを今でもよく覚えている。
だから、そのことを軸に「住宅メーカーの住宅」のページに載せる文章を纏めることは容易かった。
しかし平屋建てモデルはそうはいかない。
同じA型という名称を冠しながら、双方は内外観にまるっきり共通項が無い。
唯一、一次取得者層をターゲットとした商品という点に共通性を見い出せそうだ。
しかし、若い世代向け商品として因習にとらわれぬ自由で斬新な発想を積極的に取り込んだ二階建てモデルに対し、平屋モデルは極めておとなしい。
単に平屋ゆえの安さが若年層にも無理なく購入可能という程度のことでしかない。
ということで、何とも掴みどころの無いモデルであった。
しかし最近、当該モデルのオプション仕様であるロフトを載せた施工事例を観る機会があった。
中古住宅として販売中のものである。
それがなかなか良い雰囲気。
例えば立地が別荘地であったとしても違和感は無いし、通常の住宅地であればそれはそれで瀟洒な小住宅といったところ。
日本プレハブ建築研究所が1984年に発刊した「いま売れている住宅84年度版」というハウスメーカー年鑑の体裁の書籍において、このモデルは以下の様に評されている。
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“これは私見で恐縮だが、私はかねがね将来引退して伊豆半島の奥あたりにひっそりと住む場合は、ミサワホームの「A型NEW※1」あたりが最適じゃないかと考えている。”
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私が観た中古住宅は房総半島先端の海に程近い住宅地の一画に建つものであったが、実物を前に似た様な印象を持った。
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2017.07.02:【アニメ】月がきれい
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※1:
最終話のワンシーンには、館銘板が描かれていた。
その館銘で検索を掛けてみると、実際に川越市内に実在する。
サイトに公表されている住戸プランの中に内観シーンから想定可能なプランに合致するものは無し。
本文にも書いた様に、物語の設定やシーンの演出に合わせて架空の間取りが設定されたのだろう。
そしてその設定に合わせてバルコニー側ファサードデザインの一部も実在物件に少々手が加えられている。
※2:
最終話では、リビングから廊下を見通したアングルも描かれている。
そこからは、クランクインタイプの玄関であることも読み取れる。
※3:
父も読書家。小太郎も文学少年。
背景の書棚の描写は、そんな家庭環境の演出なのでもあろう。
そしてその空間も、書庫というよりは家の中の残余のスペースに書籍の収納場所がジワジワと蚕食している状況なのかもしれぬ。
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桜吹雪舞う川越市内各所を極めて美しく描いた予告編の映像に魅かれ、4月から6月にかけて放映されたこのオリジナルテレビアニメを初回から視聴することとなった。
市内の同じ中学校に通う文学少年と陸上部女子の瑞々しくも切ない恋物語。
この時期固有の繊細な心理や仕草がきめ細かに表現されながらストーリーは丁寧に穏やかに、しかしそれでいてテンポ良く展開。
そして遠い遠い過去を追憶させる等身大の中学三年生の群像劇は、予想をはるかに凌ぐ大団円にて美しく完結。
多幸感溢れる心地よい余韻に浸ることが出来た。
サテ、内容自体もさることながら、背景に描かれる風景、特に登場人物たちの住む家に興味を持ってしまうのはいつものこと。
二人の主人公の家について考察してみる
水野茜の家
妻側セットバックの多い中規模の集合住宅。
父が転勤族という設定だから、いわゆる「分譲賃貸」なのだろう※1。
一家団欒のシーンからは、対面キッチンを有する横長リビングダイニングルームタイプの典型的な3LDKプランと単純には推察される。
しかし、その手のプランの場合にバルコニー側となる筈の壁面に窓が一切無い。
替わりに茜と姉が共有する部屋への出入口扉が付いているから、センターリビング形式なのかもしれぬ。
ところが、通常のセンターリビング形式と仮定した場合に、外壁とはなり得ぬリビング内の壁面に腰窓の外部開口が確認出来る。
だから、定型に当て嵌めることが出来ぬ間取りの様だ※2。
玄関からリビング内を通ってアクセスする茜と姉の部屋は、出入口扉の両側にクロゼットを対称形に配置。
対面する壁にも外部開口が二つ並ぶ、二人の子供が使うのに調度よい部屋。
将来二分割することを想定した子供部屋として戸建住宅では良く見受けられるパターンだが、マンションではちょっと珍しい。
珍しいと言えば、同一プランの積層が基本の集合住宅において、上下階でバルコニーの有無を含めたファサードデザインが切り替わる外観も変則的だ。
安曇小太郎の家
昭和半ばに建てられた雰囲気の戸建て住宅。
公表されている設定にも小太郎の祖父母が建てた家とある。
外観から大まかな間取りは想定可能だし、描かれている内観シーンからそれを裏付けることもある程度可能。
しかし6話の中盤でプランの詳細を推察する思考が停止してしまう。
帰宅した小太郎が階段を昇る際に母親に呼び止められるシーン。
そこで階段の脇に洗面化粧台や洗濯機が見える。
つまり、ユーティリティと階段が間仕切られること無く並置している様だ。
そしてその奥に本がぎっしり収容された書棚が壁一面に複数並ぶ書庫の様なスペースもオープンに接続している※3。
何とも不思議なプランだ。
とはいえ11話でもアングルを変えて同様の状況が描写されているから、やや変則的ではあるものの間取りがしっかり設定されているのであろう。
一方、その11話において父が早朝のリビングで小太郎に進路について諭すシーン。
そこでソファの脇の腰窓から室内に朝日が差し込んでいる。
リビングが南面するならばその窓は西向き。
つまり、差し込む自然光は近隣建物からの反射光か、それとも天空光の表現ということか。
ま、そういった枝葉の問題よりも映像としての効果や演出が優先されるべきなのだろうけれども。
前者は転勤族ゆえに地縁が薄いながらも明るく朗らかな家庭。
後者は少なくとも祖父の代から同地に住み続け、地縁と深い関わりを持つやや固い雰囲気の家庭。
そんな対照的な家族の有り様を住まいの内外観にも反映する演出が図られていた。
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