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2017.11−2017.12
2017.12.27:一年回顧
訂正:
前回(2017.12.19)載せたメーカー住宅私考_83の記述内容に記憶違いの点が多々あった。 北海道マイホームセンターについて、1981年の帰省時に初めて訪ねた時のことと、その後84年に再訪した際のことを混同していたので大幅に修正した。
今回の文章を書くにあたって、取り上げたモデルハウスのことを改めて調べてオープン年月日を特定出来たにも関わらず、その事実に対して自身の記憶を補正しなかったことが間違いの原因。 このモデルについては今回以外もこの場で言及している。 それらの文章についても機会をみて必要に応じ修正しようと思う。

年末ということで、この一年を振り返ってみる。

4月から東京と大阪両方で仕事に携わることとなった。 正直、結構必死だ。
私ももういい歳。 還暦もそんなに遠い将来のことでは無くなりつつある。 今迄それなりに生真面目に仕事をして来たつもりだけれども、勤労奉仕はもう十分かなと。 そろそろ第二の人生に向けた助走と今の仕事の緩やかなフェイドアウトを・・・などと甘々なことを妄想し始めていた矢先のことだったので、我ながら当初は大いに戸惑った。
何せ、関西の人たちにとってみれば私は明らかに異物。 しかし異物として尖がり続けていられる程、私はもう若くは無い。 さりとて、兼務となった意味について全く無自覚なままの業務遂行が通用する訳でも無い。
ま、ペシミスト(笑)なくせに大雑把でかなりいい加減という(付き合う側にしてみれば迷惑なことこの上ない)二律背反な性格が幸いし、今のところ何とかやり過ごせている様だということにしているのだが・・・。

両都市間の片道二時間半の新幹線の移動も、最初は苦痛だったがすぐに慣れた。 というよりも、車中での過ごし方を会得したといったところ。
周囲を見渡せば、爆睡しているかスマフォの画面に夢中になっている乗客が大半。 しかし私は、時折車窓からの眺めを愉しみつつ業務関係の書類に目を通す時間に充てることにしている。 時速280km前後で疾走する密閉空間に居ると、なぜか頭がクリアになり色々と思考出来る様な気分になる。
「機動警察パトレイバー2 the Movie」の中で、 陸上自衛隊の調査部に所属する荒川は次の様に語っている。

"走る車の中に居ると落ち着く性分でね。考えが良く纏まるんですよ。走ることで自らは限りなく精神に近づき、世界が動き始める。"

恐らく、そういうことなのだろう。

会議等の都合で、大阪在席日は決まって週の真ん中。 だから、滞在がてらの休日に関西エリアやその周辺の建築探訪をじっくりと愉しむとことが全く叶わぬところが、なかなか哀しい。 それでも可能な限り、勤務時間外の深夜や早朝をその機会に充てている。 その場合勿論行動範囲は限定されることになるし、あるいはそれによって仕事が疎かになることがあってはならぬ。
細々と歩き廻る範囲で、建築の魅力や都市の成熟という点については東日本より西日本の方が質が高いという印象を持つ。 歴史の重みの違いなのだろう。 でも、この話を大阪の人にしたら逆だと言われた。 東京の建物や都市の方が洗練されていると。 つまりは単純に隣の家の芝生の心理ということか。

2017.12.19:メーカー住宅私考_83
ミサワホーム・CENTURY M2

※1
同展示場は、1979年8月11日に札幌市豊平区に開設。 オープン当初のモデル出展数は22棟。 今現在も同地で営業している。 但し、名称は「札幌会場」。

※2
「オーロラ」が建つ以前のその区画には、かのミサワホームG型が公開されていた。

※3
このモデルがオープンする前は、同じ札幌ミサワホームの「シャトウシリーズ150」が建てられていた。 袴腰屋根で構成された北海道限定モデルであった。

※4
ミサワホーム・CENTURY M2外観。

このモデルの左手に、展示場内通路を挟んで「オーロラ」が建っていた。

※5
上記外観写真の中央部分に設けられた三世帯の共用室内観。

このモデルは、北海道マイホームセンター豊平会場※1にモデルハウスとして建てられ1983年7月23日にオープン。 私は翌年の夏の帰省時に内外観を実見する機会を得ている。
当時、同住宅展示場にはミサワホームのモデルハウスが二棟出展されていた。 複数のモデルハウスが建てられた背景は、同社がディラー制を採用していることに拠るものであろう。 北海道ミサワホームが「オーロラ」という名称の自由設計の住宅を※2。 そして場内の通路を挟んで向かい側に札幌ミサワホームが当該モデルを展示していた※3
一つの展示場内での異なるディラー間の集客や互いのモデルハウスの説明等、どのような連携や棲み分けを行っていたのか。 知る由もないし、当時はそんなことを気にすることも無かった。 そもそもは同社の販売体制に絡む事情だ。 むしろ、同社の複数のモデルを同時に観ることが出来るということこそが、来場者にとっての大いなるメリットであったと言える。

正面に立って眺めるその外観※4は、印象としては北欧調。 左右二つの棟を中央のガラス張りの大空間で接続する全景のバランスが良い。
その外観の組立てそのままに、内観も三世帯居住を想定した構成となっている。 向かって左側が親世帯、右側が子供世帯。 そしてその真ん中に両者が集う共用室が設けられている。 お互いの空間になだらかに繋がると共に双方の独立性を担保する緩衝空間として機能する。 三世帯帯住宅としての具体的な空間提案を判りやすく提示したその共用室は、豊かな天井高と大きな外部開口を確保した居心地の良さそうな場所※5。 しかし私の興味はその共用室よりも子世帯の一階部分の空間構成に向いた。 キッチンからダイニング、茶の間、そしてリビングルームが南北に流れる様に連なる構成。 しかも用途が異なるそれらが違和無く一つの空間として纏まる内装が施されている。 なるほどこの様な空間処理もあり得るのかと、当時十代半ばであった私の心をくすぐった。

それから暫くして、富良野方面でこのモデルと全く同じ外観を持つ事例を見掛けたことがある。 たしかペンションとして使われていたように記憶しているが、走行中の車から一瞥した程度。 だから所在地は定かではない。 しかし確かにリゾート地に建つペンションや別荘といった用途が似合いそうなモデルではある。
それは、日常生活を送る住空間としてはいささか現実性に欠ける面があることの裏返しでもある訳だが、そんな同モデルは1990年代には「CENTURY M2-大ホールと暖炉のある家」という名称にて自由設計の一事例という位置づけのラインアップに並ぶ。 現実性よりも華々しさや豪華な提案が求められた時代背景がそこに見え隠れする。

2017.12.12:映像の中のプレハブ住宅

「間取り逍遥」のページに「月がきれい」のヒロイン・水野茜の住まいの間取り試案を載せた。 また、そのアニメのネタかいと思われるかもしれないが、えぇ、ソウデス。 ネット上に至極真っ当な書き込みがありました。

"「月ロス」を埋め合わせられるのは「月がきれい」だけ。"

という訳で、未だに時間があればBDを視聴し、そのたびにホロリとしております。 そして、視聴の際に登場人物の住む家の間取りが気になるのはいつものこと。
水野家の間取りについては、以前もこの場で少し言及した。 その際は、プランを纏めてもあまり面白い平面図にはなりそうもないなと思い、深く追及する気にはなれずにいた。 しかし、各話に挿入される内観シーンを改めて良く見ていうるうちに徐々に興味が湧き、考えてみるに至った次第。

ちなみに、茜の父の勤務先は千葉に本社のある食品メーカーという設定。 公式サイトには「管理職としてのローテーションで営業へ転向になり、数年おきの転勤が続いている」とある。 川越の住まいは、そんな管理職者のために会社が用意した借り上げ社宅なのだろうか。
この手の妄想は膨らまそうと思えばどこまでも拡張可能でキリが無い。 でも、そんなところが間取りを読み解く愉しみでもある。

ところで、作中において同一の郵便局が幾度か登場する。 その背景に昭和40年代プレハブと思しき戸建て住宅が描写されている。 聖地巡礼を扱うサイトによるとその局舎は川越市内に実在するそうで、Googleストリートビューで確認すると映像と同じ外観の住宅もその郵便局の向かいに実際に建っている。 旧態を良く留めたその外観のディテールから、恐らく積水ハウスと思われる。
40年代プレハブ住宅つながりでもう一つ。 水野茜の相手、安曇小太郎の家の庭先に別棟の小屋が描かれている。 詳細な描写は全編を通じて無いが、桁方向二間。 中央に一間幅の引違い腰窓が付く。 瓦棒葺きの切妻屋根を載せたその外観は、例えば大和ハウス工業のミゼットハウスを連想させる。 ディテールは当該モデルとは異なるものの、昭和40年代初頭を中心に母屋に付属する想定の同様のプレハブ小屋が複数のメーカーから発売されていた。 公式サイトに書かれた「祖父母が建てた一軒家」という設定からは、年代的にこの手のプレハブ小屋である可能性も十分考えられよう。

2017.12.05:【アニメ】サクラダリセット

今年の4月から9月にかけて放映されていたTVアニメ。 6月末までの1クールは視聴していたのだけれども、以降の2クールは自動設定にて録画したまま放置状態であった。
原因は、同じく4月から放映されていた「月がきれい」。 1クールで完結して以降、いわゆる「月ロス」に陥ったことは以前この場にも書いた。 その状況では、他の作品など見る気になれぬ。 それでなくとも、日常の出来事を優しく穏やかに描き綴った「月がきれい」に対し、こちらは特殊能力が跋扈する尋常ならざる世界観に基づく作品。 荒唐無稽な異世界にタイムパラドックスが複雑に絡みながらも全く破綻することの無いストーリー展開は見事ではあるものの、「月がきれい」の前にあってはその徹底した緻密な造り込みが逆に何だか空しく見えてしまう。
ということで「月ロス」が少々落ち着いてきた最近になって漸く2クールも視聴した。

取り敢えずは遅ればせながらも最終回まで視聴し得た理由。 それは、背景描写に時折小樽を思わせる風景が登場すること。 正確に同市の各所を再現している訳では無いけれど、そこかしこにソレと判る場面が時折挿入されるところがどうにも気になる。 あるいは、生気の無い喋り方の登場人物が多い中で珍しく表情豊かに喋る少女、相麻菫の存在も気になった。 明瞭な語り口ながらも言葉の節々に全てを見透かした様な寓意を含み、それでいて前後の文脈は分裂気味。 そう、それはまるで小樽を思わせながら小樽そのものではない背景描写の様。 この少女は一体何を喋っているんだ?と戸惑っていたら、主要人物なのに第二話であっさりと自ら命を絶つってどんなストーリー展開だヨ・・・ということで、少々興味を持ってしまったところがありましたかね。 そして、これはきっと小樽がキーワードになるに違いないなどと勝手に思い込み、見続けることと相成った。

物語は、広げた風呂敷なりにきちんと纏めあげたという印象。 でも、設定そのものからすれば終盤の「能力の暴発」はもっとカオス状態に陥ってもおかしくない流れ。 あるいは管理局も、所管する業務内容に対して随分と脆弱な組織機構の様に見えなくもない。 その辺りの人間関係やその対立構造はこじんまりとしたまま終息した感。
一方、改めて通しで録画を視てみると、訳が分からなかった相麻菫の発言の意味がいちいち腑に落ちる。 未来が見える能力というのは辛く哀しく、そして残酷なものだ。 それを思うと、咲良田の能力を守るべく困難に立ち向かう浅井ケイの意思よりも、それを無に帰そうとする浦地正宗の主張の方が正論という気もする。

同作品はアニメのほかに原作のラノベやコミカライズも出されているし実写映画化もされている。 多様なメディアで表現されているということは、それだけ好評を得た作品ということなのだろう。 しかしそれらについてはいずれも未見だ。 最初に視聴することとなったアニメの印象が固定化されてしまうと、例えば実写映画についてはキャスト陣に違和を覚えてしまう。 別に映画が悪いということでは無い。 どちらを先に見たかという問題だ。

ところで、アニメ版で小樽の風景が描かれた意図は結局何だったのか。

2017.11.27:メーカー住宅私考_82
大洋ヨーコン建設・エミネント・35

建築行脚の際は、事前に詳細な計画を立てる。 専ら公共交通機関を利用するので、そのルートや効率的な乗り換え方法。 あるいは、目的とした建物を順光の下で鑑賞するために、メインファサードの向きを考慮に入れたコースを策定すること等々。
しかしどんなに緻密に計画を立てても、実際にその通りに行動出来たことなどまず無い。 それは例えば、目的としていた建物が期待外れだったり既に除却されてしまっていたり、あるいは目的物とは別に予期せぬ素敵な建築や風景に出会ったりと、理由は様々。

で、その時も事前の計画から大幅に遅れてしまい、予定と異なる電車に乗ったために途上の乗換駅で中途半端な待ち時間が生じることとなった。 仕方が無いので駅の外に出てみると、辺りは民家が幾つか建ち並ぶ以外はのどかに田畑が広がるのみ。 どうしたものかと思った矢先、一軒の家に視線が釘付けとなった。 「アレはもしや」と思い近くに寄って見ると、その「もしや」。 大洋ヨーコン建設(現、百年住宅中部)が1983年に発表したエミネント・35というコンクリート系プレハブの規格住宅であった。
その概要は当時発刊されていた住宅関連書籍にて見知っていたが、実物を拝むのは初めて。 さもありなん。 同社の当時の事業エリアは中京圏。 だから、過去から現在に到る私の居住地において実見の機会を得ることは望むべくも無い。 そしてその時私が待ち時間を過ごしていた場所は、確かに中京エリア。 ということで、感慨深くその外観を眺める。

水平方向のボーダーを上下に連ねて表情を造り出した妻壁。 緩勾配のはかま腰屋根。 更には、フラワーボックスや玄関庇先端にアーチをあしらう等、当時既にコンクリート系プレハブ住宅の代表格であった大成建設のパルコンとは一線を画す外観が実現されていた。
同じく内観も、同工法において一般的であった単純田の字型とは異なる平面プランを採用。 これは安直に他と一緒くたには出来ないぞという印象を持っていた当該モデルの建築実例を、乗車予定の電車の到着時刻ギリギリまで堪能する。
それもこれも、予定から逸脱した行動をとったがためにもたらされた機会。 「スケジュール遅延もまた楽し」などと思いつつ、駅のホームに向かって全力疾走することと相成った。

2017.11.18:工業化ホテル
東横インの客室。 これはデラックスシングルと呼ばれる部屋。 通常のシングルとの違いは部屋の奥行き寸法。 間口は同じ。 奥行きに余裕がある分、ベッドの手前側にティーテーブルと椅子が置かれた小さなスペースが加わる。 それ以外は一緒。

ベッドの向こう側に造り付けられた机の廻りの壁面に様々な備品が設置されていて雑然とした雰囲気。 腰壁天端の見切りや折上げ天井の廻縁に施されたモールディングも少々喧しい。

東横インは、今更述べるまでも無いビジネスホテルチェーンの大手。 全国津々浦々にてホテル事業を展開している。
最近、異なる二つの地域で同ホテルチェーンのホテルに宿泊する機会を得た。 評判通りに標準化が徹底されているという印象。 規模こそ異なるものの、外観構成要素は全く同じ。 エントランスの造りも共用廊下の設えも客室内の意匠も寸分違わぬ。 受付の接客態度も然り。
全国展開を図りつつ、どこを利用しても同一水準のサービスを低価格で提供するべくあらゆる事々を徹底的に標準化するというのは、それはそれで追及する意味のある事業モデルの一形態と捉えて良いのだろう。 そのことに安心や価値を見い出し利用する人も多いのだろうから。

その標準化の徹底ぶりからすると、例えば新規開業に向けて新たに建てる建物について設計者が関与する場面は極々僅かなのかもしれぬ。
実施設計に着手する遥か以前の事業企画の段階で、敷地条件に応じ法的に取得可能な建物形状の最大ボリュームが割り出され、そのボリューム内に規格化された客室を最大数効率的に配列。 そして確保可能な客室数に応じた適正規模の共用スペースやサービスに供する諸室をレイアウト。 その上で事前のマーケティングを含めた周到な事業収支が組まれて事業化の是非を判断。 GOサインが出れば、あとの実施設計は既に用意された標準ディテールや標準図を用いて纏めるだけ。 時間も労力もかけずに過不足の無い品質の設計図書が出来上がる。 それでいて、設計段階における不備も、現場に入ってからの各種取り合いの調整も殆ど発生しない。 あるいは施工する側も、幾度か受注していれば要領を予め十全に掴んだ上で作業に取り組めるし、構造部材を含めたあらゆるパーツもほぼ規格化、既製品化が図られているのであろう。
つまりは、工業化住宅ならぬ工業化ホテル。 施工品質の確保やコスト削減といった観点においては、これ程望ましく、そして強力な手法は無い。

・・・と、良いことづくめの様であるが、しかし単純にそうとも言い切れぬ。
例えば初めて訪ねた街において、駅前広場の真正面に他所と全く同じ規格のホテルが屹立する景観を拝むことの侘しさ。 あるいは館内に入ってしまえば、自身が今どの地域を訪ねているのかも意識し得なくなる全国一律の同じ装い。 ビジネスホテルとして割り切ればそれはそれで全く問題無い。
しかし例えば客室内の設えは、どうせ標準化するならばもう少し検討の余地があるのではないかと思えなくも無い内容。 ホテルらしく飾り立てようと何やらゴテゴテさせてしまっている感が無きにしも非ず。 もっとコストを抑えつつ体裁良く纏める方法があろう。
否、これは好みの問題。 この内装こそを求める向きもあるだろうし、ブランドとして確立されたその内容を変えることも新しい試みを組み込む余地も全く無いのかも知れぬ。
標準化と硬直化は表裏一体。 その肥大化の先にあるものは何か。

2017.11.12:パブリックアート

長岡を中心に配布されている情報紙「マイスキップ」に、「パブリック・アート」と題するコラムが今月号まで連載されていた。 過去掲載分を含むそのコラムを読んでいて、普段無意識のうちに通り過ぎていた巷に溢れる様々なパブリック・アートがちょっとだけ気になる様になった。
例えば、東京国際フォーラムの地上広場に設置されているリチャード・ロングの「ヘミスフィア・サークル」。 広場がJR東京駅と有楽町駅の間の連絡通路としてちょうど良い動線になっているので、このアート作品は同施設開館時より時折に目にしてきた。 玄武岩で造られた直径約7.5mのストーンサークルだ。
しかしそれは、初見の時点から何だか軽い印象。 ストーンサークルと言えば、一般的には巨石が大地にしっかりと根ざして屹立しているというイメージ。 ところが同作品にはそんな大地との関わりが希薄だ。 それは単に広場の床面が全面的に御影石張り仕上げになっているためというだけのことではない。

この広場の床は二重構造になっている。 コンクリートスラブの上に束を立て、その上に矩形にカットした御影石の板を規則正しく張り込んで床面を構成している。 その表面には、屋外であるにも関わらず水勾配が設けられていない。 板同士の間を空目地とし、そこから雨水を床下懐内に滴下。 下部のスラブ面に設けられた水勾配に沿って排水処理がなされる仕組みとなっている。
本来深く根ざして在るべき物体が、そんな中空層を内在する二重床の上に切り貼り状態で表面的に置かれているから違和が生じる。 あるいはそれこそがこの作品の意図するところなのかもしれないが、設置されてから20年以上経った今も、それはどこか居心地悪そうにその場に仮置きされたモノといった風体だ。

2017.11.07:湯河原逍遥

少し前のことになるが、湯河原町役場第一庁舎を観てきた。 役所は一般的に休日は閉庁しているので本当は平日に訪ねて外観のみならず内観も堪能したいところ。 仕事のことを鑑みるとそれはなかなか難しいが、事前に調べた範囲では湯河原は庁舎以外にも町立図書館や旧湯河原中学校校舎等々ちょっと気に掛かる建物が散見される様だ。 ということで休日、同地に向かう。

取り敢えず、駅前に建つ図書館については「70年代っぽいネ」と思いつつ素通り。 迷わず町役場に向かう。
建物の真正面に立って愛でるその外観は、訪ねて良かったと心底思う秀作。 屋内用途に合わせて全形を幾つかのマッスに分節。 個々に異なるテクスチュアを与えて表情を造り出しつつ、分厚い庇やパラペットによる力強い水平ラインで全景を纏める。 そして開口の多くは骨太な窓枠が設えられ、あるいは一部にはブリーズ・ソレイユを設置。 それらから受ける印象は、単純には「前川國男っぽい」といったところだが、設計者は違う人らしい。

存分にその外観を堪能したのち、庁舎について調べるべく先ほど素通りした図書館に戻る。
カラーコンクリートを用いた矩形のボリュームの中に雁行や円筒を挿入したその外観は、なかなか個性的。 そして屋内エントランスホール廻りの軸線上に展開する設えも、ちょっと70年代を髣髴とさせる。 こちらについても調べてみると1979年2月竣工。 確かにギリギリ70年代であった。 設計がYAS都市研究所との資料の記述に、ナルホドと思う。 ちなみに公報には、三合閣という施設の跡地に建てられたこと、あるいは施工が大昭和土木ということも記されている。
さて、第一庁舎の方も調べてみるが、こちらについては探した範囲では資料が極めて少ない。 1963年3月に竣工したことやその建設費用、あるいは民間の病院跡地が敷地にあてがわれたとか三町村の合併を機に庁舎整備事業が推進されたといったことは判ったものの、建物の詳細を掴むには至らず。

再び役場方面に向かい、今度は旧湯河原中学校(現、湯河原町教育センター)の広場から遠望する。 大幅に減築され教育センターに転用された旧校舎は、ささやかながらも意匠性への配慮が散見される外観。 第一庁舎とほぼ同時期に建設されたそんな校舎を背に望む町役場は、例えば周囲に建ち並ぶ家々の屋根が織り成す群景を水面と見立てるならば、そこに優美に浮かぶ客船の如し。 そしてその船首(建築軸)の向かう先には相模湾が茫洋と広がることに気付く。 それは敷地形状に起因する偶然か、それとも設計を進める上で強く意図されたものであったのか。
いずれ「建築探訪」のページに載せたい魅惑的な建築だ。

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