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2020.10−2020.12
2020.12.28:メーカー住宅私考_132
床の間問題

O型の後継モデルの一つ、ミサワホームO型チャイルドの一階和室。 初代O型を除く各後継モデルは概ね同様の設えで構成された。 左手に問題の床の間。 奥行は芯芯寸法で174.5mm。 この左側に室の出入口が取り付く。

「見えないディテール」という言葉がある。 単純には、普段の視線において気付きにくい細部のこと。 そういったところまで手を抜かず拘ることによって、意匠に品格が与えられるといった意味で、建築のみならず様々なデザインの分野で用いられる。
このことは、住宅の平面プランを考える場合についても当てはまる。 従って、長年幾度も目にしてきた筈の平面図の中に新たな事実を発見することも稀にある。

最近の体験は、ミサワホームO型の平面図。 正確に言うと、OII型以降にマイナーチェンジされた各バージョンに共通する事項だ。 40年以上前の初見以降、少々長いブランクの時期を除き幾度となく見てきた筈の図面上に、今まで全く気づかなかった事実を最近になって見い出すこととなった。 しかもそれは、知人からもたらされた情報であった。
OII型の玄関ホールと台所の間仕切り壁の位置が、全体のモジュールからほんの僅かにずれている。 それは、指摘されなければ気付けぬ程の、本当に僅かなもの。 おおよそ間仕切り壁厚の半分程度のズレだ。
この僅かなズレは、互いに様々影響し合う諸室のレイアウトの中で最適な居住環境や商品性を確保するために加えられた微調整、もしくは「見えないディテール」ということになろうか。

その発生事由は、洗面室と背中合わせの位置関係となる和室内の床の間の配置にある。 プラン全体の基本骨格の中で、和室に床の間を設けることが難しい。 1976年発表の初代O型では織部床風の設えで割り切ったが、後続のOII型では何とかして踏込み床を導入したい。 ために、洗面室との間仕切り壁の一部を少しだけ洗面室側にずらして極薄の床の間を確保。 そのしわ寄せが、近接するキッチンと玄関ホールとの間仕切り壁にも及ぶこととなった。 それらの壁配置を改めて見ていると、往時のミサワホームはモジュールという概念について結構曖昧、若しくは融通無碍な扱いだったのかもしれないなとも思えてくる。
ともあれそうして無理矢理確保した床の間は、もう一つの問題、つまり和室の下座側に配置されるという矛盾を解消出来ぬまま、後続の仕様改訂モデルに継承。 ロングセラー商品として世の中に大量供給され続けた。 極浅の状況こそCHYLDER O2で改善されるが、下座配置は(一部バリエーションを除き)1990年発表のGOMAS Oに至っても引き摺ることとなる。

視覚はいい加減であると共に面白いものだ。 幾度となく目にしてきた対象の中に新たな状況を見い出す可能性。 そういった観点で、見慣れてきた各種図版に今一度目を通してみるのも有意かもしれぬ。 今までとは異なる読解を愉しむ機会ともなろう。
来年はそんなことに気を留めてみる一年になるかもしれぬ。

2020.12.22:白井晟一の試作小住宅

建築探訪のページに、秋田県湯沢市に立地する「四同舎(旧湯沢酒造会館)」を登録した。
同建物を設計した白井晟一の作品の中で今まで内外観共に鑑賞する機会を得たのは、渋谷区の松涛美術館と、自邸・虚白庵。 虚白庵を内覧したのは10年前。 除却される前に親族の方々の御厚意で公開された際に訪ねた。 その時のことはこの雑記帳にも2010年3月25日に書いている。 自邸公開の情報は、鎌倉在住の建築家の方から頂いた。 一緒に観に行きませんかと。 平日ではあったけれど、予定のいくつかをキャンセルして現地に向かい、そしてその幽玄な空間を存分に堪能した。
でもって今回の四同舎も、同じ建築家の方に見学のお誘いを受けた。 現在の所有者の方に連絡をして内部も見せて貰えることになったから一緒にどうですかと。 ありがたいことこの上ない。

見学に先立ち、同じく湯沢市内に建つ白井晟一の作品「試作小住宅」にも足を運ぶ。
こちらは外観のみ鑑賞。 東京都内から移築されたものであることを知っていたためだろうか。 その佇まいには違和を覚えた。 豪雪地に建つ住宅ではないなと。 屋根の表情が、いかにも華奢。 私もかつては豪雪地に長く住んでいた身。 ドッカリと雪が降り積もった状況を想像すると、やや不安になってくる。 そんな印象を持ちつつ、いい歳をした大人が二人、食い入るように敷地の外から家の様子を眺めている状況は、はたから見れば異様なこと極まりなかったに違いない。 異様というよりも、怪しさ満載か。 しかし得てして建築行脚とはそういうもの、ということにしておこう。
そうして眺める当該住宅について、少々不思議な点に気づく。 基本的に真壁造りであるが南面だけ大壁となっている。 例えばこうしたことが、白井作品の不思議なところ。 その不思議さに戸惑いつつ次に訪ねた四同舎で、更に気に掛かるディテールに多々遭遇したことは、建築探訪のページの方にも記した。

後で思い返すと、四同舎内覧の際にやり残したことがあった。 それは一階和室の畳の上に実際に座してみること。 そうすることで見えて来る空間の質やディテールもある筈なのに、すっかり忘れていた。 ちょっと後悔。
またの機会があるか否かは分からぬけれど、しかしそれでなくても湯沢市はとても面白い街だ。 面白いというのは、街歩きが楽しいという意味。 再び訪ねて方々散策してみたいと思いつつ、その頃にはウィルス禍に気を留める必要が無くなっていることを切に願いたい。

2020.12.15:図書館三昧_17
※1

新庄ふるさと歴史センター外観。
1983年11月開館。
ちなみに、現市立図書館の開館は、1988年8月。

前回この場に同じタイトルの文章を載せたのは一年以上前。 もはや通し番号を付けて連載の体裁をとる意味も・・・というセルフ突っ込みを入れることすら空しくなってくる。 何せ、初回の書き込みがもう10年前。 この際、息の長い連載ということにでもしておこうか。 さりとて次回いつ何を書くか、その見込みも全く立っていない状況ではあるのだけれども。

今回取り上げるのは、新庄市立図書館。
同市については、個人的にはそんなに縁は無い。 仕事の都合で両親が数年間住んでいたといった程度。 その間、私は北海道で学生生活を送っていたし、さらにその後も東京で働くことになったから、極々たまに帰省していたに過ぎぬ。
だから行動範囲は駅前を中心とした限定的なものに留まるが、コンパクトに纏まった住み良さそうな街という印象を持つ。 駅前広場から伸びる目抜き通りには、住居兼店舗といった構えの個人商店を中心とした多種多様な店が軒を連ねる。

そんな街中に建つ図書館は、瓦屋根が載り、屋根直下や開口廻りにモールディングを施す等、蔵をイメージしたという設計意図が瞬時に読み取れる外観を持つ。 少し離れたところに建つ新庄ふるさと歴史センター※1という公共施設も、蔵をイメージした外観を持つ。 用途を異にする二つの主要公共施設が共通のモチーフを纏うことで、町並みにある種の質を創り出している。 そんな印象を持った。
但し、なぜ蔵のイメージが二つの施設に用いられたのか。 それは良く分からない。 市域に、特徴的な意匠を持つ蔵が散在するという様子も見受けられぬ。 過去においてその様な景観が形成されていたという話も聞かぬ。
考えられるのは、二つの建物の建築時期が、いわゆるポストモダン・ヒストリシズムの興隆期に当たること。 建物表層に歴史的建造物のイコンを埋め込むことが流行る中で、規模の大きい建物に纏わせやすい意匠として蔵のイメージが選択されたという経緯なのかもしれぬ。

今後も同様のイメージで公共施設の整備を継続させれば、町並みの固有性と潤いを深めることが出来るのではないか。 そんなことも思ったが、以降、そういった動きがあったようには見受けられぬ。
山形新幹線開通に合わせて山下和正の設計で建て替えられた駅舎は、ガラスを多用したピカピカなもの。 歴史性に寄り添うのではなく未来を志向した雰囲気なのは、新幹線始発駅という用途が意識されたためだろうか。
そんな駅から連なる前述の商店街が途切れ、住宅街に差し掛かるか否かという境目に当該図書館が位置する。 蔵の様な意匠を纏うことで、周囲に比して規模の大きい建物ながら違和を生じることなく街中に溶け込んでいるように見える。 そしてこの図書館から更に少し歩を進めると、かの今和次郎が設計に関わった数少ない現存建物「旧農林省積雪地方農村経済調査所」に至る。

2020.12.09:メーカー住宅私考_131
ミサワホーム・エイト − プロトタイプの可能性

住宅メーカーの住宅のページの方に引用しているものとは別の外観写真。 「KOBEグリーンエキスポ85花と緑の博覧会」に企業パビリオンとして出展したモデルハウスになる。 広告モデルと比べると、方形屋根に突き出すドーマ・ウインドウがやや大きい。 そしてその外部に手摺が巡らされている点も異なる。
ミサワホームG型に搭載されたホームオートメーションシステム「コントロールタワー」も実装され、同社の電脳住宅の技術が広くアピールされた。

住宅メーカーの住宅のページに登録済みの「ミサワホーム・エイト」を11年ぶりに改訂した。 全体的な加筆になる。

当該モデルが発表された1985年当時、その概要については新聞広告で初めて見知ることとなった。 その頃既に、70年代後半から始まっていた私のハウスメーカーに対する関心はほぼ途絶えていた。 しかし、広告に載る外観写真を見て、"久々に"ミサワホームらしいモデルが出たかなという印象を持ったことを覚えている。
1984年前後から、同社は商品構成の軸足を企画住宅から自由設計路線に大きく転換し始めていた。 それが市場動向を踏まえた変節であることは理解出来たが、しかし反面、メーカー側の商品提案や新たな技術は見えにくくなっていた。
他社の自由設計事例と大きく変わることのない平面プランや空間構成。 そのくせ外観だけは、企業の独自性を保持するためか、それまでの企画住宅路線で培った外装パーツを多用。 結果、グロテスクな外観に堕した事例が散見された。 それまでの企画住宅、即ち初期GOMASシリーズに共通して採用されていた各種外装パーツは、四角四面の総二階という生産性に依拠した建物ボリューム設定において効果を発揮する意匠であった。 そのタガを外し自由設計ゆえに発生する様々な建物外形において、それらをそのまま流用することに有効性はない。 にも関わらず取って付けたように外表に張り付くそれらがもたらすデザインの不備が、当時の私の目には"迷走"と映った。

そんなさなかに発表されたミサワホーム・エイトは、その数年前まで私を夢中にさせていた同社の初期GOMASシリーズ路線を想わせる外観を持つモデルであった。 しかし同シリーズのいずれの系統にも属し得ぬ。 また、平面プランも大味。 例えば、同社のかつてのSIII型やA型2階建てのプランを初めて見た時と同質の感動や関心を得ることが出来るものでは無かった。

それから暫くして、当該モデルの施工事例を数件、当時居住していた街中で見掛ける機会があった。 しかしそれらはいずれも広告に示されるピロティ形式では無く普通の二階建て仕様。 近年になって漸く、ピロティ型の事例も把握することとなる。
一件は群馬県内。 これは散策中にたまたま見つけたもの。 それ以外に、知人のblogにて仙台と長野でそれぞれ一件、実在情報を得た。 そのうち長野の事例は同社関連工場の敷地内に建つ。 ストリートビューで確認するその外観が他と状況を異にするのは、構造体に同社独自の木質系パネル接着工法が用いられたものでは無い様に見えること。 もう一つの同社開発工法であるセラミック系プレキャスト大判パネルを外壁に帳壁として張った鉄骨造である様に見受けられる。 なるほど、四方全ての立面を基本同じ構成とする同モデルは、パーツの集約化が可能という点で外壁のPCa化に適する。 あるいはもしかすると、その開発段階において、セラミック系の商品体系に組み込むことを想定したプロトタイプとして建てられたものだったのかもしれぬ。 その経緯は勿論知る由も無いが、実際に訪ねて眼福に授かりたい。 そんな気にさせる事例だ。

2020.12.03:メーカー住宅私考_130
ミサワホームA型2階建て.5_リデザインに向けて
ミサワホームA型2階建て東側立面外観写真。

中央に配した二階凸部と一階の縦長開口部。 それ以外は平滑な壁面で仕上げた簡素な妻面。 そしてその背後に中央コアの凸部が控える構成。
狭小地への対応を考慮した若い世帯向けのローコストモデルながら、その佇まいは同様の与件に置かれる建売住宅の類とは一線を画す端正な品格を帯びている。

今年のユーキャン新語・流行語大賞が発表された。 その中にノミネートされた言葉に「ニューノーマル」がある。 昨今提唱されるこのニューノーマルという様態が果たしてどれほどの持続性や普遍性を持ち得るのかは、今のところまだ良く分からぬ。
しかし例えば、在宅勤務の一般化については、住宅のプランの在り方にも大きな影響を与える可能性があろう。 そのことを見越して、各メーカーから対応プランが多々発表され始めている。 その多くは、同じ屋根の下に居ながら、互いに干渉しない時間を確保する諸室構成の提案ということになる様だ。 そこには、今年の1月26日の雑記に書いた「リビングルームの変容過程」とは異なる価値観の変換が顕れているのかもしれぬ。

互いに距離を設けられる空間構成。 それを個室のプライバシーの強化と読むのであれば、A型2階建てに見受けられる中央コア形式は有効な選択肢となり得る。
非居室用途を集約した中央コアとその両翼の居室ゾーンというA型2階建ての基本骨格は、続き間を造りにくいという弱点を持つ一方、各居室の独立性を高めるというメリットを持つ。 案外、いわゆるニューノーマルに向けて、A型2階建てが再評価される時代が訪れるのかもしれぬ。 個室の独立性だけではない。 A型2階建てには、屋内で過ごすための楽しい仕掛けが多々造り込まれていることは、8月から9月にかけてこの場に4回にわたって述べた通り。


ミサワホームA型2階建て平面図

但し一方で、現代の価値観にはそぐわぬ面も無きにしも非ず。 例えば、キッチンが狭いこと。 それに、リビングダイニングルームに向けて対面式となっていないこと。 あるいは、洗面室が二階なので、せめて一階のトイレ内にも手洗いカウンターが欲しいこと。 そして二階にトイレを設ける場合、水廻りスペースにもう少し余裕が欲しいこと。 一階と二階に水廻りが分散されていることを鑑みた場合、階段の昇降に係る身体的負担を軽減するために蹴上げを抑えるべく階段の段数をもっと増やしたいこと。

これらの解決を図る場合、同時期の同社のロングセラーモデル、ミサワホームO型の中心軸で採用されていたクォーターモジュールの導入が極めて有効だ。 つまり中央コアを一間幅ではなく、少し広げて1.25間幅にすること。 それだけのことで、上記問題は全て無理なく対処が可能になる。
O型という先例があることを鑑みれば、A型2階建ての開発時においても、中央軸に対しクォーターモジュールの導入が検討の俎上に挙がっていた可能性もあろう。
このことを踏まえ、現代のA型2階建てを創るとしたらどんなデザインになるか。 かつて同モデルの平面図を見ながら応用展開プランを色々と試考して愉しんでいた小学生の頃の自分自身の様に、そんなことに想いを馳せてみたいと思う。

2020.11.25:三角地帯

前回言及した「ゑり芳ビル」は、駅前中心街における二つの領域の結界に位置する。 つまり、駅前の目抜き通りに沿って形成される商店街と、それより少し奥まって面的に広がる歓楽街との接点だ。 殿町、坂之上町、そして東坂之上町に跨り形成される市内随一の歓楽街。 そのエリアの北東の隅に対面して、当該ビルが建つ。 建物の外表を覆う奇抜な意匠は、案外そんな立地への意識が作用した面もあったのかもしれぬ。

歓楽街への出入り口。 いわば結界部分には、門型の工作物を設置されるケースをよく見掛ける。 正式名称は分からぬが、ネット検索を掛けてみると単に「アーチ」または「アーチ看板」という表記が多い様だ。 それらは必ずしもアーチ構造が用いられている訳ではない。 ラーメンフレームのものも多く見受ける。 しかしここでは、便宜上「アーチ」と呼称する。
それらは街区の出入り口を可視化する目的を持つから、通常は公道を跨いで設置される。 「跨ぐ」という物理的な状況が、アーチという構造とイメージ的に結びつくところが、ラーメンフレームも含め「アーチ」と呼びならわす所以か。 ともあれ、門としてのこの工作物には、それぞれの歓楽街の名称が大きく掲げられ、あるいは店名や広告等の看板が煌びやかな電飾を纏ってびっしりと取り付き、夜の街に彩りを添える。

山形県新庄市の駅前に広がる歓楽街「あけぼの町飲食店街」にも、同様のアーチが存在する。 但し、他と様態を異にするのは、それが道路を跨ぐ形で設置されていないことだ。
JR新庄駅の西口に出て、駅前通りをそのまま進むと、向かって左手、つまり南方面に分岐する道路の向こう側にそのアーチが見える。 誰もが、そこに歓楽街があることをこの看板によって視認することとなろう。 誘われるようにそちらに向かうと、看板は道路の上に架かるのではなく、そのエリアにひしめく一部の建物の立面にへばりつく様に設置されている状況に気づくこととなる。

往来できぬゲート。 なぜにそうなるかというと、道路の取り付き状況に起因する。 当該エリアは、狭隘な三角形の街区を成す。 駅前通りから分岐し歓楽街への視線を確保する道路に三角形の頂点の一つが接続する。 角度が振れて接続するから、通常の道路を跨ぐ形式では死角になってしまう。 今現在の設置状況によって、駅前通りからのアイキャッチとして機能する。
では、どうして三角形のエリアが形成されたのか。 その推移については調べていない。 しかし、今に至る都市形成の過程で生じた三角地帯に小ぶりな建物がぎっしりと密集することで、そこは異界の様相を呈す。 更にその三角地帯は、三辺それぞれから内部に向かって路地が通され、そのY字型の路地によって領域を三つに分割。 Y字ゆえに末端を見通すこと出来ぬことに加え、三つの領域それぞれが有する会所地とそれらに至る路地が絡むことで自然発生的な迷路性を生み出している。

そんなエリアに不思議な収まり方で屹立するアーチは、今はなぜか広告も電飾も取り払われ、鋼製フレームのみが残る。 何やら寂しい雰囲気ではあるが、しかしそれでもなお、歓楽街のアイコンとしての機能を保持。 更には、この異界をアイデンティファイする工作物としてそこに在り続けている様に見える。

2020.11.18:旧ゑり芳ビル

前回からの流れで、新潟県長岡市にかつて建っていた「ゑり芳ビル」の画像を載せる。 この建物については、既に建築探訪のページでも言及しているが、そちらで用いていない写真を今回付けてみた。 フィルムカメラで撮ったもので、過去の写真を整理していたら出て来た。 撮影したのは2002年9月7日であることが、保存していたアルバムに記されている。



北東側上層部外観
南東側外観

かつて同市に住んでいた頃、この建物に対する印象はちょっと不思議な形をしたビルといった程度であった。 でもって高校卒業後、私は進学のために北海道へ、両親も仕事の都合で山形に引っ越すこととなった。 もともと同市やその周辺に親戚縁者の類は一切無し。 となると、一旦離れれば再訪する機会はなかなか無い。 その後東京で働くようになってからも、忙しくて同地を訪ねる理由もきっかけもありはしない。 すっかり縁遠い場所となってしまっていた。
否、学生時代一度だけ同地に帰っている。 大学四年の夏休み、国内各地を貧乏旅行していた際に寄った。 訪ねたのは8月1日から3日。 この間、同地では毎年大規模な祭りが開催される。 長年住んでいたにも関わらず、初日に駅前通りで開催される前夜祭を観るのはこの時が初めてであったかもしれぬ。 そして翌日から二日間開催される大花火大会も満喫した。

以降、冒頭のタイミングで同地を訪ねるまで、随分時間が経過してしまった。 当日は母校の学園祭開催日。 思いっきり久しぶりに校舎内に足を踏み入れることとなった。 変わったところ、変わらぬところ。 双方含めて沸き起こる様々な感情に眩暈を覚えつつ、暫し懐かしい雰囲気を存分に堪能する。 その後、街中まで戻ってこれまた久々にゑり芳ビルの前に立つ・・・などとダラダラ私事を並べて漸く当該建物の話に繋がる。

対象に向かう視線は在住時とは異なり、建築的な関心をもってその表層を愛でることとなる。 だから、掲載した画像の様に隣地境界に面する北側の立面も撮影していた。
この画像からは、接道する東側や南側立面に展開する個性的な意匠とは別に、屋上へと関心が向く。 ペントハウス廻りに様々な形状の工作物が配置され、なかなかに賑やかで楽し気な状況。 その中に紛れる錆止め塗装を施した頂部が尖った円筒形の物体は高架水槽だろうか。
屋上から北側の壁面に視線を移すと、梁を貫通して天井裏通気と思われるパイプが等間隔に並ぶ。 そのエルボを伝って、平行に幾つもの汚垂れが壁面に垂線を下す。

建築年や設計者は今のところ特定出来ていない。 しかし、例えば1975年発行の同市の住宅地図には、既に当該ビルが書き込まれている。 地下一階から三階までのフロアに飲食店と思しき名称の店舗が幾つか入居していたことがそこから読み取れる。 それより上のフロアはオーナーの住居であったという情報も別途聞くに及んでいるが詳細は分からぬ。
建物は、既に除却されて十年以上が経つ。 物理的な目視が叶わぬうえに持ち得る情報が断片的であるため、時折フと興味がぶり返す。

2020.11.10:地域情報紙「マイスキップ」
※1
2010年4月号に掲載された初寄稿の記事。 市内にかつて建っていた丸専デパートについて書いた。
紙面化にあたり、編集部の方々が関連する貴重な写真を調達。 文章の流れに沿った画像の配置等、体裁を整えて下さった。

新潟県長岡市に建つ商業建築「ゑり芳ビル」を建築探訪のページに掲載した際には、逡巡が無かった訳ではない。 検索サイトでも殆ど引っ掛からないし、地元でもあまり知られていない建物なのかもしれぬ。 この様な無名の建物について価値を共有できる人が果たしていらっしゃるのだろうかと、やや弱気になったものだった。 しかし掲載から暫くして、同市在住の見ず知らずの方からこの建物に関してmailが届いた。

読めば、地域情報紙の編集に携わっているという。 そして、このゑり芳ビルの様に、地元の建築物について何か書いてみませんかという原稿執筆のお誘い。 後日送られて来たバックナンバーに目を通して編集内容に大いに共感。 その地域情報紙「マイスキップ」に文章を寄せることとなったのは、もう十年前のことになる※1
詠み人知らずの建築が結ぶ縁などと言ってしまうと何だか出来過ぎた話ではあろうか。 しかしよしんばそんな事と次第で、以降同紙に幾度か寄稿する機会を得て来た。 私に書ける文章といったら建築に関わることしか無い。 そんな私が、同紙の編集方針に沿った気の利いた原稿を書き得たのかということについては未だに全く覚束ぬ。 しかし、その時々の依頼に応じ、短いコラムから見開きの特集記事まで、地域情報という観点を含めながら文章を捻り出して来たつもりだ。
個々の原稿を書いている際、時折父親のことを思い出すことがあった。 地球物理学の学者で雪氷関係の研究者として同地の研究施設に勤務していた父のもとには、地元紙である新潟日報の記者が時折取材と原稿執筆の依頼に訪れていた。 話を受けた父は、取材内容に応じて楽しそうに文章をしたためていたことを覚えている。 こういうことって遺伝するのかな、などとと思いながら、しかし恐らくは父と同様の心持ちで、その時々のお題に応じて文章を書き記して来た。

そんな同紙が今年一杯で休刊することを知らされたのは7月上旬。 理由は、新型コロナウィルス禍だという。 まさかこんな形で自身に関りがあるところに影響が及ぶとは想像していなかった。 しかし考えてみれば、編集に携わっていらっしゃる方々は、それぞれに同紙の編集業務以外に幅広く活躍されている。 二十年に及ぶ発行実績の中で、ウィルス禍とは別に一区切りという想いもあったのではないか。
でもって、休刊前に二回分のコラムの枠を用意出来ますが如何ですかという旨の問い合わせを受けた。 光栄なこと極まりない。 それではと、自らの締め括りの意味も込めて、初寄稿時のタイトルを復活。 そして初寄稿と同様、市内のデパートについて書くことを思い定めるのに大して時間は要しなかった。 9月号、そして11月号にそれぞれ執筆。 掲載にあたり、原稿に関わる画像調達のため編集担当の方に動いて頂いた。 そのこと無しに、私の原稿が記事として日の目を見ることはあり得ぬし、今までの多くの原稿も同様であった。

過去の寄稿を思い起こし感慨に浸りつつ、今月号に目を通す。 自身のコラムの隣にゑり芳ビルの画像を載せた編集担当の方のコラムが載る粋な紙面演出は、嬉しいサプライズ。

2020.11.03:メーカー住宅私考_129
ミサワホームGII型.2_ゼバスティアンとイザークの距離
※1
山形県内に建つ兜造りの事例。 同様の屋根形状を持つ古民家が国内に広く分布する。 この事例は妻側を切り上げているが、棟の向きを90度回転させ平側に同様の形態操作を施す形式もあり、その場合を平兜造りと呼ぶ。

※2

「異世界居酒屋のぶ」のコミカライズ第11巻所収「恋するコンラート」に登場するゼバスティアン中務卿。

ミサワホームGII型の外観について、前回と同様G型とO型の狭間という観点から考えてみる。
57坪から37坪へと結構すんなり縮小出来た平面プラン。 そこに立体のボリュームを与え、プランに則り開口を穿ち当時の同社の外装構成標準パーツを張り付ける。 その姿をイメージしてみると、全く面白味の無い意匠。 しかし何といってもG型系列のモデル。 先行した最上級モデルG型の名を汚すことなく、そしてO型以上のステータスを付与せねばならぬ。
解決策として屋根の表情に目を付けた。 切妻や寄棟では役不足。 G型が合掌造り若しくは本棟造り風の屋根形状。 O型が越屋根。 ならば入母屋でどうだ。 更に、想定される各種法的斜線をかわすため、東西の軒先を葺きおろす。 すると平兜造り※1の様な屋根にも見えるではないか。
G型の様に壮大でO型よりも格調高く。 更には工業化住宅では前例のない複雑な屋根形状へのチャレンジという意義。 そしてそれによる商品的差別化の獲得。 これはもうこの屋根形状しか選択の余地は無いという一点突破。 そうして組み立てられたのが、GII型の外観なのではないか。

好みの問題は有ろう。 しかし個人的に今現在においてもあまり感心出来ぬことは、約40年前に初めて広告を見た際の印象と変わらぬ。 あるいは最近、知人も御自身のblogで当該モデルを論評した際、「前髪を切りすぎ左右を刈り上げた、三つ目のおかっぱというところ。」 と述べていた。 言い得て妙だ。
屋根形状を髪型に見立てる場合、最近の私はちょっとした既視感を覚えることとなる。 ヴァージニア二等兵が手掛ける蝉川夏哉原作の「異世界居酒屋のぶ」のコミカライズ近刊第11巻に登場するゼバスティアン・フォン・ホーエンバッハ中務卿※2。 帝国皇帝コンラート五世の臣下であるその人の髪型の特徴が、前述の引用文そのものだ。 これからは、個人的にGII型のことを「三つ目のゼバスティアン」と呼ぶことにしようか。

「前髪を切りすぎ」について更に言えば、建築意匠において例えば開口部直上に庇を付ける場合、開口の上端と庇の下端位置を揃えると綺麗に納めやすい。 双方に微妙な離隔を設け中途半端な小壁を挿入すると途端に野暮ったくなる。 開口と水平に取り合う軒の場合も然り。 ためにミサワホームO型では、二階開口の上端は軒天と揃えられ、巻き上げ式の雨戸シャッターは軒裏に隠蔽された。 それがGII型では切り離されて中途半端な小壁が発生。 そこにシャッターケースが太い眉毛の如く露出し更に等間隔に三つ並ぶことで「三つ目のおかっぱ」になってしまった。 あるいは「左右を刈り上げ」についても、兜造り風の屋根形状であればもう少し葺きおろしにボリュームが欲しいところ。
この二点を改めれば、「機動戦士ガンダムSEED」に登場するザフト側のエリートパイロット、イザーク・ジュールの様な髪型に様変わり。 端麗な外観を獲得出来たのかもしれぬ。

2020.10.29:北海製罐小樽工場第3倉庫

少し前に、「建築探訪」に掲題の建物を登録した。
観光スポットとして名高い小樽運河に面して建つこの建物については、実は当該サイト立ち上げ時にアップするつもりで準備段階に文章を書き終えていた。 にも関わらず今まで登録してこなかったのは、タイミングを逸していただけのこと。 そうこうしているうちに、いつの間にやらお蔵入り。 ずるずると時が経ち、死蔵状態の他の同様のファイルと共にフォルダの片隅に収まっていた。
その文章を十数年ぶりに引き摺り出して手を加え、そして画像を添えてページを整え今のタイミングで突如アップすることにしたのは、この建物が老朽化を理由に年度内の解体が検討されている旨の報道を目にしたため。

アップしたページに用いた外観写真は、1980年代後半に撮ったもの。 既にその時点で築60年を超えていて、外観は経年の作用を一身に背負ったが如き風貌。 果たして継続使用されている建物なのだろうかとすら思わせる雰囲気が漂っていた。
しかしその後、運河に面する側の壁面が綺麗に修繕された。 丁寧に扱われているようだし、そもそも運河の景観にとっては無くてはならぬ存在。 そのことを意味するように、小樽市指定歴史的建造物に登録されているし、小樽市都市景観賞も受賞している。 なので、恒久的に保全され続けることが当然くらいに思っていたから、報道には少し驚くこととなった。

観光地の景観構成の固有性保持に資する民間所有の建築物や構造物というのは、その立ち位置が非常に難しい。 その所有自体が企業価値の向上に繋がる一方、保全に纏わる社会的責任や維持に掛かるコストとのバランスにも留意が求められる。 評価指標として、SDGsとかESGとかCSRといった概念が近年になって次々と提唱され始めている。
今般報道された内容は、当然それらのことを熟考した上での判断であろう。 そしてそれが、「近い将来」ではなく「今年度中」であるところが、ぎりぎりの判断であったことも窺わせる。 ちなみに、既に建築探訪のページに登録している同社の函館工場も除却されて久しい。

今後予想される動きとしては、様々な団体が保存要望書を公にし、あるいは保存活用を考える会合が幾つも一方的に湧き上がるといったところ。 歴史的建造物の存続に纏わるお定まりのパターンだ。 その際には、運河の景観の在りようについても議論の俎上に挙がることとなろう。 小樽運河らしさとは何か。 あるいはもう少し広域に捉えて、小樽らしさとは何か。
運河に関して言えば、それは修景され尽くしたなれの果てである。 そもそも、その半分が線形に埋め立てられ幹線道路に改められた過去は既に忘却の彼方。 結果整備された6車線の激烈な交通量が発する騒音にまみれた観光スポットであることを意識する訪問者は如何程か。 あるいは、その幹線道路に沿って運河と対面して建ち並ぶ新築物件は、一応運河の風情のことを考慮したことが読み取れなくも無いけれども少々残念な仕上がり。 用途や法規やコスト等、様々な条件が絡んで大変なことは分かるのだが。 しかし、昨今はやりの「インバウンド」とやらに踊らされて、様式不明のホテルや観光施設が、以前にも増して輪をかけて沿線に増殖中。 更にその背後には、中高層マンションが雨後の筍の如く次々と建設・分譲されている。
"らしさ"、あるいはその渦中における運河の在り方。 それを議論し始めることは、なかなかに厳しくそして難しい現実と対峙することになる。

2020.10.21:【書籍】新建築2020年10月号

新建築誌の今月号を読んだ感想を以下に徒然に書いてみる。

建築論壇「時がつくる環境」:
竣工から25年を迎えた『アクロス福岡』についての対談。 設計者のエミリオ・アンバースについては、学生時代その作品集に載る模型やドローイングを見て衝撃を受けた。 否、衝撃というよりも、あまりにも図像的な建築と自然の関係性の表現に唖然としたといったところだったか。 それから暫くして当該建物が完成。 外観写真を見て、まぁ、現実的にはこうなるよナなどと納得しつつ、でも良く実現したものだなと感心もした。 その後、建物の特徴である階段状屋上緑化の変容を時折ネット上で見掛ける度に、驚くこととなる。 現実が構想を遥かに凌駕して、そして今なお進行中であること。 それを実現したプロセスの一端が対談から垣間見えて興味深い。

Otemachi One:
オフィス内の特定フロアに整備された、カフェかファミレスを思わせるCAMPと称する執務空間。 それは、組織図を忠実に置換したフロアレイアウトによる無味乾燥とした旧来のオフィス環境と一線を画す。 そこでは独りで業務に没頭することも、社内若しくは外部との打合せを行うことも、そして仕事合間の気分転換の談笑も含め、様々なことが任意の席で同時並行に進行する。 この様なオフィス空間の具体事例を初めて観たのは5年程前。 東京の市ヶ谷駅近傍にある某印刷会社の新社屋を内覧した際だったろうか。 CAMPと似た広大なスペースが社員食堂と並置され、同様に自由な利活用を可能としていた。 大企業ゆえの福利厚生かとその時は思ったけれど、その後同様のフロアを持つオフィスを目にする機会が次第に増えて来た。 そして昨今の新型ウィルス禍による勤務様態の激変。 そこで盛んに語られるニューノーマルという概念が一過性のものなのか、それとも定常化するのかは未だ良く判らぬ。 しかし例えば私なんかの場合も、職場の自席で仕事をする時間は大幅に減っている。 仕事の大半が書類や図面のチェックとウェブ会議への参加だから、席にへばりついている必然性も無い。 端末を携えて使用されていない会議室や打合せコーナーに佇む時間が増えた。 自身が落ち着ける、若しくは快適に思える任意の場所での業務遂行。 今後のオフィスの在り姿としてこのCAMPの様なスペースが一般化し、従来の執務空間が駆逐されることになるのかもしれない。

TOKYO MIDORI LABO.:
隙間やズレを積極的に導入し、基準階という概念を排除することで室内外に光と風と緑を融通させる。 結果、快適な内部空間の獲得と周辺環境向上への貢献を達成した複合ビル。 しかし、そんな形態操作のためか容積消化率は極めて低い。 この様な視点で建築を捉えてしまうのはとても退屈なことだが、如何に法定容積を喰い切るかということはテナントビルという不動産物件から切り離すことが出来ぬ要件。 例えば前述のOtemachi Oneの容積消化率を見てみれば良い。 更に、同様の措置が繰り広げられた結果としての30〜31ページ見開きの大手町界隈の空撮写真を眺めてみれば良い。 三菱地所が80年代後半に発表した丸の内マンハッタン計画さながらの光景が現実のものとなりつつある。 都市、あるいは不動産事業の現実が、そこにこれでもかと顕れている。 それとは違う都市の在り方の提示が必要だとして、容積未消化とのバランスはどの様に位置づけ得るのだろう。

公衆トイレ:
幾つかの近作が紹介されている。 必要な機能を限られた空間に収め、且つ快適性や清潔感あるいは安全安心を確保しながら建築作品としても成立させる。 公衆トイレという用途は、奥深いテーマを内在している。
事例の中で目を引くのは『大井町駅前公衆便所』。 異なる高さを持つ塔状の矩形ボリュームが分散配置される様は、現代アートの様でもあり、ちょっとしたフォリーの様でもある。 その高さが煙突効果による換気の円滑化という発想は面白いけれども、異なる高さ毎にその効果はどの程度違うのだろう。 そこら辺のデータも一緒に示されると面白かったと思う。 井戸底に居るかの如き内観見上げの画像は、渡邊洋治が手掛けた第3スカイビルの地下階共用トイレを思い出す。
『THE TOKYO TOILET』にも驚かされる。 通電制御により透明不透明を瞬時に選択する調光ガラスをトイレの外壁に全面的に用いるという大胆な発想は、利用者に奇麗に使うことを促す効果が期待されよう。 と同時に、衛生機器類がオブジェとしての鑑賞対象となり得る意匠性を獲得したがゆえに可能となったアイデアでもあろう。

月評:
西沢大良の冒頭の苦言は同感。 目を通していても、何をどう受け止めて良いのか戸惑う作品が並ぶ号が随分と続いた様な印象がある。

2020.10.14:メーカー住宅私考_128
ミサワホームGII型.1_G型とO型の狭間
※1

建物の中央に据えられたウェルカムホール内観。 左手に三角平面を持つ全面ガラス張りのサンルームが取り付く。 この大開口を持つ空間を実現するためには、敷地に余裕が必要だし光熱費を気にせぬ暮らしも求められる。 住む人を選ぶモデルだ。
右手に二階に至る折り返し階段の中間踊場。 そしてその下部に煉瓦積みの暖炉が少し見える。 また、この画像の背面にリビングルームが接続。 対面して画像の奥に和室への出入口も見える。

※2

GII型のリビングルーム内観。
G型のウェルカムホールと同様、建物の中央に配置された。 左手に見える一間幅の三角出窓は、ウェルカムホールの大開口の縮小版と読み取れる。

1978年にミサワホームが発表したミサワホームG型は、当時の同社の最上位モデル。 延床面積は57坪と62坪の2タイプ。 建物一階中央には南面を総ガラス張りとした1.5層吹抜けの壮大なウェルカムホール※1。 その直上の2.5層にはエクストラルームを配置。 更に軽いフィットネスも無理なく行える余裕を有した洗面化粧室等々、当時の居住水準を大きく超えた優美な設えが内外観に実現されていた。

廉価で高品質な住宅を大量に供給することを事業目的に据えるハウスメーカーが、豪邸を企画住宅として商品化しラインアップの中に組み込む意味や意義。 そのことについて、ミサワホームが発行したカタログの中に、次の文章がある。

“豪邸”と呼べるような大きな家を建てるお客さまは、現代ではそう多くはありません。 しかし、だからといって、住宅メーカーが、“豪邸”を建てる能力を持たなくていいということにはなりません。 なぜなら、その能力を持ったメーカーが、敷地や予算などに合わせてふつうの広さの家を建てるのと、工法や技術の面でそもそも“豪邸”を建てる能力のないメーカーが建てるのとでは、できあがった家の“格”が違ってくるからです。

正論だ。 しかし、いかんせん高額。 販売実績の面ではなかなかに厳しいこととなる。 そんな状況を踏まえて、1981年7月にミサワホームGII型が発表されたのであろう。 壮大なモデルであるG型の縮小普及版。

検討の結果編み出された37坪タイプを目の前にして、開発担当者達は我が意を得たりと大いに満足したのではないか。 G型の骨格を踏襲しつつ20坪も縮減してコンパクトに纏め上げたプラン。 それはすなわち、G型のステータスをある程度留めつつ、より広範なマーケットへ訴求することが可能なモデルの誕生を意味する※2
しかしそこからが苦難の道・・・だったのではないか。 以下は単なる個人的な想像になる。
何が苦難かといえば、O型との関係だ。 当時同社では、G型,O型,M型,A型,S型という5種の商品体系を企画住宅のラインアップとして編成していた。 この中でO型は空前絶後の大ヒット商品。 その基本プランは44坪(初代モデルは43坪)。 バリエーションも、34坪から49坪。
そんなO型よりも上のランクを指向したのがG型。 にも拘わらず、その系列に属する新モデルの基本プランがO型の最小バリエーションと同等程度のこじんまりと纏まったものでは塩梅が悪い。 ならばと、57坪から37坪へと縮小したプランを逆に再拡張させる作業が始まる。 そうして用意されたプランバリエーションのうち、O型の基本プランとほぼ同等の広さを持つ43坪タイプの問題点については「住宅メーカーの住宅」のページで言及した。
所持している当時の同社の総合カタログには、その43坪タイプが代表プランとして掲載されている。 しかし、内外観写真は37坪タイプのもの。 平面図だけ43坪タイプを載せたのは、同じ紙面内に紹介されているO型系列のモデルとのバランスを考慮した結果なのではないか。
ここに、単にG型の矮小版ということとは異なるもう一つの当該モデルの位置づけが見えて来る。 すなわち、O型との関係も意識せざるを得なかった立ち位置だ。

2020.10.08:ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
※1
手元にある考察本の一つ「エヴァンゲリオン・スタイル」。
共著者の大半が建築学科出身もしくは在籍であるところが面白い。

「新世紀エヴァンゲリオン」については、前世紀、それなりに嵌まった。 思い起こせば、初期のTVシリーズ放映時にも一瞥していた。 酷い風邪で休暇をとって家でひれ伏していた折、フとテレビを点けたら同アニメが放映されていた。 中学生と思しき登場人物達がめいめいノートパソコンを開いて授業を聴講している。 何だか近未来的だネ・・・と思いつつ、その時は大して興味も沸かなかったので数分視聴してチャンネルを変えた。
その後程なくして、パソコン通信上で同作品のことがやたらと話題に挙がる様になる。 謎めいた結末を巡って様々な解釈が提示され激論が交わされている様子を垣間見て、これはなかなか凄いことになっているのだなと他人事の様に思う。 暫くして劇場版が公開されることとなり、ちょっとばかりディープなヲタクの世界を覗いてみようかナくらいの感覚で、何の前知識も持たずに観たのが「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」。
驚いた。 何が何だか全く解らない。 ただ、取り敢えず正義の味方のロボットアニメとは何やら違う様だくらいのことは解ったけれど、それではどうしようもない。 気になってしまったものは仕方が無いと、考察本の類※1を幾つか読み耽ることに。 中には、かの森川嘉一郎や五十嵐太郎が執筆に加わった書籍もありましたか。 しかしやはり訳が解らぬまま半年後、完結編の「Air/まごころを、君に」を観に再び映画館に足を運んだのは、思いっきり深まった謎と無限の如く広がった風呂敷がものの見事に纏め上げられ大団円を堪能出来るのであろうという一縷の望み。 しかし結局その望みが1mmたりとも満たされ得なかったことは、まぁ想定の範囲内。 当該アニメに対する個人的な結論は、その完結編の結末で惣流・アスカ・ラングレーが発したセリフそのものだ。 「気持ち悪い・・・」と。

なので、今世紀に入ってからリメイク版が四部作にて劇場公開されるということを耳にした時も、全く関心は沸かなかった。 しかし先月、新聞のテレビ番組欄でたまたま第三部「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」がNHKで放映されることを目にし、取り敢えず録画。 少し前に視聴した。
設定や映像が物凄いことは何となく解るのだけれども、初聞の単語が多過ぎて話についていけぬ。 第一部及び二部を視ていないためですかね。 でも解らないなりに思うことは、周りの大人たちは主人公・碇シンジ君に対しもう少し丁寧に説明をしてあげるべきなんじゃないのかということ。 説明不足が物語を通して巻き起こるスッタモンダの原因であり、ちゃんと説明してあげていれば、少年が迷走することも、そしてガフの扉が開けられることも無かったんじゃなかろうか、と思った。 結果論ではあるが、しかし特にヴィレ側は、心情的にはいろいろあれどそのことに関してはもっと戦略的であるべきだったのでしょうね。
リメイク版の筈が、まるで違う方向に大きく進展した第三部。 果たしてその経緯を描くことを含め、次回第四部でちゃんと完結できるのか。 そんな、今となってはどうでも良いことを少し心配してしまう作品であった。

2020.10.02:行徳野鳥観察舎
※1
旧行徳野鳥観察舎外観

※2
2020年9月24日にプレオープン。正式オープンは10月11日。

※3
行徳近郊緑地特別保全地区内の散策路

千葉県市川市の臨海部に広がる行徳近郊緑地特別保全地区の中に設けられた掲題の施設については、建築探訪のページにて紹介している。 周囲一帯が昭和半ばから段階的に進められた大規模な埋め立て事業によって都市化する中で、遠浅の海であったかつての様態を保全することを目的に周辺から人為的に切り取られた83haに及ぶ「箱庭」。 その中に建つこの施設のことを、同ページで「 時に荒ぶる自然の中に清楚に屹立する白亜の砦」と表現した※1
果たしてそのような意匠的意図をもって鉄骨造三階建てのこの建物が造られたのか否かは知る由も無い。 しかし、そんな佇まいで同保全地区内の散策路の中間地点にその建物が作られたのは、1979年。 以降、近年までその名が示す用途に供し続けられて来た。 しかし耐震性の問題が指摘され、昨年除却。 新たな施設に建て替えられ、管理も県から市へと変わった。
果たしてどんな施設に建て替えられたのかということへの興味。 そして、既に目にしていた完成予想図に示されていた8の字型平面形態がもたらす空間性と外観に興味を持ち、プレオープン※2して間もない同施設を訪ねてみた。

当日は小雨が降る天気。 そのためか、休日の昼下がりにもかかわらず、保全地区内の散策路※3を往来する人は疎ら。 取り敢えずはそんな「密」とは無縁の散策を愉しみつつ暫し歩を進めて辿り着いた同施設の第一印象は、柔らかくなったなといったもの。 それは、単純に三階建てから二階建てに建物のボリュームが減じたためではない。 その立面は、以前の建物と同様にアルミサッシが水平に連続する。 そしてサッシ以外はこげ茶色のガルバリウム鋼板。 人工的な素材が用いられながらも、8の字型の平面形態がもたらす穏やかな曲面の壁が周囲の自然に対し優しい表情を醸し、そして前面道路のカーブにうまく寄り添う。 更に、サッシの割り付けに合わせて等間隔に並ぶ軒裏の持ち送りが木材であることが、木造の建物であることを示唆する。

行徳野鳥観察舎外観
行徳野鳥観察舎内観

そんな外観を暫し眺めたのち、屋内に入る。
上下階の昇降を伴いながら8の字型の動線が途切れることなく続く構成は、建物が接する散策路のカーブを屋内に取り込みつつ動的な変化を加えたが如く。 その平面形態から生じる楕円形の二箇所の中庭を伴う内観は、奥を見通せぬがゆえに移動と共に次々と視界に展開する空間の変化が何とも楽しい。 そしてそんな視線のいずれにおいても、外部への眺望が確保される。 その豊かな眺望を取り入れる水平連窓のサッシの方立はバックマリオンに木材を使用。 更に天井面に露出する屋根を支える木の梁材の連なりと相まって、木質観の豊かな和やかな雰囲気を創り出している。

正式オープン後は、カフェも併設されるそうだ。 単に、切り取られた箱庭に棲む野鳥を観察するだけではない。 保全地区内の散策ついでに立ち寄って寛ぐ。 そんな拠点としての機能が整備された。 眺望を楽しめるガラス越しに設けられたカウンターで、コーヒーでも飲みながら読書をしたら最高だろうな、などと思う。
誰もが無目的に滞留出来る心地良いスペース。 新旧の建物を見比べてみると、公共建築の在り方に対する考え方の変容が容易に見て取れる。
公募で「あいねすと」という愛称が付けられたこの施設が今後どの様に供用されるのか。 そんなことに想いを馳せつつ、建物を後にした。

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