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2019.07−2019.09
2019.09.28:廃墟ホテルが一掃される前に
※1

水上館外観。 渓流に沿う建物全てが当該ホテル。 増改築のプロセスがそのまま外観に顕れ様々な意匠が折り重なる。

最近、環境省が国立公園内での分譲型ホテル事業に対し規制を緩和する措置を公表した。 エリア内に増加し景観阻害要素となっている廃墟化したホテルの撤去・改修の促進が目的らしい。

この報道に接し、すぐに思い浮かぶのが温泉街の景観。 例えば、かつて水上温泉を訪ねた際、そのエリアの中央を通る渓流の両岸にへばりつく様に累々と廃墟ホテルが連なる様相を実見している。 一般的にそれは、好ましくない風景、あるいは安全上適切ではない状態なのではあろう。
しかし、それらが今回の措置によって建て替えられ、または修繕され通常に稼動するようになったとして、果たして美しい景観が創出され得るのだろうか。 それはつまりは、廃墟に取って代わって今風の高層建物が、これまた累々と連なる光景。 新旧の違いこそあれ、風景の構造が大きく変わる訳でもなかろう。 否、建て替えや改築が促進されるとして、それに係る事業収支の観点から建物の高容積化が進められ、更なる景観への影響が想定されはしないか。 更には、分譲型ホテルという事業手法が経年において適切な建物の維持管理をどの程度保障し得るものなのか。
規制緩和策の内容については目を通していない。 だから漠然とこんなことを懸念事項として考えてしまう。

ところで、水上温泉を訪ねた際、水上館※1という巨大温泉旅館に泊まったことは以前もこの場に書いた。 館内に十数種の温泉施設を持つことが売りということで取敢えずは全て巡ってみたものの、気に入ったのは「牧水の湯」と名付けられた施設のみ。 宿泊中、幾度もそこばかりに浸かることとなった。
その湯場から外の景色を眺める際、眼前の渓流の対岸に数棟の廃墟ホテルが屹立していた。 廃墟のある風景が嫌いではない、否、むしろ大好きな私にとって、それは興味深く愛でる対象であった。
恐らくは昭和の中期頃、この地の観光地としてのポテンシャル増大に呼応して競うように温泉宿泊施設が新築・増築された。 勿論、水上館もその一つ。 ところがその後、観光に対する価値観が変容。 肥大化したホテル群はその変容に追従出来ず、多くがバブル崩壊以降相次いで廃業。 廃墟化し今日に到るといったところか。
今現在それらの風景に向ける視線は、近隣同業施設との差別化を企図して個々に練られたのであろう昭和中期の意匠が、様々な変節を経て今日に到った経緯の沈殿と共に発する寂び声に耳を傾ける行為でもある。 結局同地での宿泊期間中の愉しみといえば、そんな廃墟群を鑑賞して巡ることであった。

現況をネットで確認してみると、当地の廃墟ホテルは解体に着手したもの、あるいは解体され更地と化したものもある様だ。 ゆっくりとではあるが、かつて訪ねた時から風景は変わりつつある。 それが、今回の緩和措置によって促進されるのか。 そしてその効果によって風景はどの様に移ろってゆくのか。
当該温泉郷だけではない。 全国津々浦々に存する同様の状況に置かれたエリアの今後について、ちょっと興味が湧かぬ訳でもない。 というよりも、変わる前に廃墟が連なる様相を今一度巡って愛でてみるのも一興かもしれぬ。

2019.09.19:ギャラリーフェイク

1992年に連載が始まり、その後長きにわたって古今東西様々なアートを対象に一癖も二癖もある登場人物達がエピソードを繰り広げて来た漫画。
私は、アニメ化されて初めてその存在を知り取り敢えず第一巻を購入。 読了後、それ以外の既刊全巻も即購入と相成った。 アートについて全く疎い私にはとても刺激的な内容で、結構ハマりましたかね。
当該サイトを開設して間も無い頃にこの場にその読書感想を短く書いているし、その後も幾度かこの作品をネタに書き込みを行っている。

そんな同作品については、2005年発刊の第32巻をもって完結したものと勝手に受け止めていた。 しかし実際には十余年のブランクを経て近年連載を再開。 単行本を更に二巻発刊していたということを最近になって知るに及ぶ。 当然、33巻,34巻共々購読することに。

ブランクそのものがフェイクであったかの如く、かつての連載時と同様の雰囲気や世界観が広がっているところが何とも嬉しい。
但し、久々に拝む主人公・藤田玲司の面構えは、悪党っぷりが輪を掛けて堂に入ったという印象。 特に眼つきなんかは、悪徳美術商という悪名そのままに過去から様々背負って来た業が如実に滲み出ている。 それでいて全くブレることの無い“美”への畏敬の念と、それに基づく立ち居振る舞い。
そんな二律背反の魅力を放つ藤田の言動を中心に、やはり一筋縄では収まらぬ登場人物達がそこに交錯。 更にはアートに纏わる様々な豆知識と時事ネタが絡まりながら、物語が紡がれてゆく。

美の真実を求め、あるいはその美に纏わる後ろ暗い事々にも真正面から向き合いつつ地球上の至る所で暗躍する。 そんな藤田の行動力と奇想天外な発想力を愉しみながら新刊に目を通すのと併せて、長らく書棚の奥に寝かせてあった既刊も再読しているところである。 藤田の口癖である「〜ですぜ。」が伝染し掛けた時期がかつてあったのだけれども、また罹患してしまいそうだ。

2019.09.12:失われた建物に纏わる小さな記録

第2三谷ビル南側外観見上げ。
北側接道面は、この立面の1/3程度の幅になる。 本文にも書いた通り、接道する南面北面それぞれの間口が異なることによる。 即ち、敷地及び建物平面形状共にL字型をなす。

第2三谷ビル
旧所在地:札幌市中央区南一条西6丁目6-8-1
建築年:1963年
除却年:2018年

南北二面が接道する敷地に建っていた賃貸オフィスビル。
それぞれの間口は異なる。 南側は広く、北側は狭い。 けれども建物の正面としてファサードの意匠に注力されているのは北側の方。 それは、北側道路が路面電車が通る表通りなのに対し南側は仲通りであるため。
その北側立面は、建築当時においては先進の納まりであったガラスとマリオンによって構成されたカーテンウォールが全面的に用いられている。 接道状況からペンシルビルのプロポーションとならざるを得ぬ与条件の中で、その時期周囲に次々と建てられ始めていた同じ用途の建物との差別化を図り不動産事業を有利に展開すべく外観を設えることを目的に採用されたものなのかもしれぬ。
対して南側立面は、同じ非構造壁でありながらアルミサッシによる連窓とRC造の腰壁による構成となっている。 一瞥した際の印象では、北側との比較において明らかに裏手といった雰囲気の凡庸なもの。

しかしその南側立面は、よくよく眺めるとなかなかに興味深い。
それは横連窓の構成。 右の画像を見ると、二種の建具によって成り立っていることが判る。 一つは下部引き違い上部固定の段窓。 もう一つは上下通しの固定窓。
段窓の方は、サッシの障子が目立つ。 一方、上下通しの固定窓の方は、障子がほとんど見え掛りに現れない。 更に後者の方は、嵌め込まれたガラスが前者の竪枠の見込み分背後に面落ちした納まり。 異なる二種の建具が水平方向に規則正しく交互に並ぶその連なりが、立面に独特のリズム感を与えている。
一方、そんな連窓と平滑な腰壁が鉛直方向に交互に積層することで、もう一つのリズム感も生成されている。 縦横に織り成された相異なる二種のリズムの中に、更には引違い窓の開閉の有無やその開放の度合いによってランダムな揺らぎをもたらす。

コストを掛けることなく、それでもなお可能な範囲で何らかの意匠性を纏わせようとした設計者の意図をこの立面に勝手に汲みとり、カメラに収めた。 一方北側については、今となっては十分手垢にまみれた感のある教科書通りの納まりに基づくカーテンウォールが張り付くだけの構成に興味が沸かず、そのために撮る機会を持たぬうちに建物は除却されてしまった。
跡地には10階建てのホテルが来年の開業に向けて建設中だ。

2019.09.05:メーカー住宅私考_108
新海誠に纏わるミサワホームネタ三点

新海誠の新作アニメ映画「天気の子」が好評のようだ。
ミサワホームもタイアップCMを放映している。 そこに描写されている同社の住宅がなんというモデルなのか、視ただけでは判らなかった。 さもありなん。 近年の同社のモデルやその動向には全くと言って良いほど興味がない。 確認してみると、どうやら最近同社が提唱している「防災・減災住宅」の流れを組む住宅の様だ。 とはいえ、CM自体は防災や減災に関わる具体的な内容が示されたものではない。 むしろ、雨模様の天気が晴天に変わる際の室内外の光の変化を、欄間付きのハイサッシを介して劇的に描いているところが見どころなのかもしれぬ。 それはそれで「天気の子」で繰り返し描写された演出に相通ずるところがある。

話は変わって、氏の前作「君の名は。」がロングラン上映されていた頃のこと。 この作品について、同じく氏が過去に手掛けた「秒速5センチメートル」みたいな結末では無くて良かったネといった旨の感想をよく耳にした。 当時「秒速5センチメートル」は未見だったので、その意味がすぐには理解出来なかった。 調べてみると、結構寂しい結末であったらしい。 中にはそれがトラウマとなってしまい悩んでいるといったレビューも散見され、ならば敢えて観る必要もなかろうと思っていた。
しかし最近、アニマックスで同作品が放映されたので視聴することに。 覚悟して観たせいか、それ程とも思えなかった。 むしろ、「まぁ、こんなものだろう」と。 あるいは、ラストシーンで主人公・遠野貴樹が一瞬見せた何か吹っ切れたような表情は、それが本人にとっては決してバッドエンドでは無かったことを示唆しているのではないか。 更に、貴樹が視線を送る踏切の向こう側の風景の左手に描かれた戸建住宅が80年代に建てられたと思しきミサワホームというのも、個人的にはとても美しい終わり方。
作中では、外観の殆どが庭木に隠れてしまっているため詳細の確認は困難。 しかしその風景は実在する場所に基づいていると、ロケ地探索系サイト等で多々言及されている。 従って、同作品公開後に発刊された漫画版においても、同じ風景が仔細に描かれている。 えぇ、視聴後に全二巻双方とも即購読してしまいました。 その描写からは、当該住宅が1981年7月1日にミサワホームが発表したGII型に類似する外観を持つ自由設計の住宅であることが読み取れる。 コミカライズでは、高樹の小学生時代の描写の中にもこの戸建住宅が出てくる。 同作品の設定において、それは1990年代の始め頃のこと。 だから、ミサワホームが80年代前半に発表していた企画型の住宅に共通して採用されていた外装パーツを纏った自由設計の住宅が描かれるというのは、時代考証的にも抗わないことになる。
線路敷に面した立面の二階に取り付けられた竪格子手摺を廻した如何にも既製品っぽい鋼製バルコニーが後補なのか、それとも建築時からのものなのかは勿論判らぬ。 しかし、当初は同社がOII型以降多くの企画住宅に採用してきたフラワーボックスが並んでいたのかもしれぬ。 もしもそうだったとするならば、よりGII型に似ていたかもしれぬ。 但し、屋根形状はGII型の様な兜屋根ではなく変形入母屋形状。 あるいは屋内の平面プランも、GII型よりはむしろ1984年11月21日に同社が発表した「我が間ま住宅−客間と中の間のある家」に近いのかもしれぬ・・・などと空想が広がる。

はたまた話は変わって、お盆休みの帰省中のこと。
NHKで祝日の朝に放映している「ここから」というインタビュー番組に新海誠が出演するということで視聴した。 インタビューの途中で、氏が社会人として働き始めたばかりの頃のスナップ写真が数秒間画面に映し出された。 出社前に玄関先で撮ったと思しきその写真の中央に直立するまだ初々しい風貌の氏の背後に建つ住宅がミサワホームであることは瞬時に気づいた。 「秒速5センチメートル」にて描かれた住宅と同様、ミサワホームが80年代前半に発表した企画住宅に共通して採用されていた窓廻りの納まりが確認できる。
勿論、それが当時の氏の住まいだったのか、それとも氏には関係のない他人の家の前でたまたま撮ったものなのかは判らぬ。 そして、写っているのは窓廻りだけだったので、当時のミサワホームのどのモデルなのかも判別は出来なかった。

ということで、タイトルに合わせて取り留めの無い話を三つ捻り出してみた。

2019.08.29:図書館三昧_15
※1

室蘭市立図書館北側外観

同じタイトルでこの場に書いたのが3年半前。 もはやシリーズとして連番をタイトルの末尾に付けることも憚られるブランクではあるけれど、惰性で取り敢えず表記しておく。

今回取り上げるのは、室蘭市立図書館。 先週この場に書いた室蘭市青少年科学館の隣に立地する。
その外観※1は、北側立面二階部分の向かって右側半分に並ぶ小窓が印象的だ。 よく見ると、個々の小開口に嵌め込まれているサッシは二種類ある。 一つが固定窓。 もう一つが突き出し窓だ。
各開口の四隅を起点に誘発目地が縦横に切られ、それがグリッド状の化粧的な要素にもなっている。 しかしそのグリッドが、小開口群の左手にある建物中央の大開口の上端で微妙にずれているところが少々惜しい。 そのズレから、恐らくこれらの目地は当初から計画されていたものでは無いという推定が可能だ。 最初から計画されていたものならば、関連するすべての目地と開口位置の整合を図るだろう。 経年に伴う大規模修繕実施時に、開口周囲からのクラック発生防止と意匠性付与を目的に施されたものなのではないか。
建物北東の隅角部は、壁柱状の構造体を配列することで垂直性が意識された設えとなっている。 壁柱部分は、レンガタイルを張った様な仕上げとなっている。 しかしこれは実際には吹付材の色分けで馬目地を擬態したもの。 その隅角部が交差点に面することを鑑みた措置であろう。 あるいはこれも、誘発目地を施した大規模修繕時に新たに施された仕上げなのかもしれぬ。
ということで、外観は室蘭市青少年科学館に比べると意匠的な配慮が見受けられる。 その開館は1957年。 科学館はその6年後。 異なる用途とはいえ隣接する公共施設どうしなのだから、先行した図書館の外観意匠との関連性について科学館の方に何らかの配慮があっても良かったのではないかとも思う。

外観を暫し眺めたのち、入館する。
開館から半世紀以上経つこともあって、屋内は相当年季が入っているという印象。 二階の一般閲覧室などは、間違って裏方の閉架書庫に迷い込んでしまったのかと一瞬錯覚してしまいそうな雰囲気。 でも、二層構成の書架が一部取り込まれることで豊かな天井高を誇るその空間は、使い込まれた什器と相まって、個人的には嫌いではない。 但し、閲覧室に直接面した化粧室への出入口扉の開閉軌跡が、本棚を巡る動線と直接干渉するのは要注意。 その化粧室内の洗面ゾーンとトイレゾーンの区分けの仕方がちょっと面白い。
こうして内観を所々巡って各部位の設えを確認する中で特に目に留まったのは、科学館と同様、階段の手摺。 画像※2を見ると、縦横に格子が組まれた手摺の様に見える。 しかし実際には竪格子手摺と横格子手摺の二重構造となっている。 恐らく竣工時に設置されたのは横格子手摺のみ。 段床の蹴上を固定端に水平方向に円形断面の鋼製格子を持ち出して笠木を支持する形式となっている。 しかしそれでは、踏面から笠木までの高さ寸法が明らかに低い。 加えて横格子は足掛かりとなるので安全面で支障が生じる。 そのため、後に竪格子を用いたより高さのある手摺を追加したのではないか。
科学館同様、高さ不足に起因する後補の可能性。 身体動作に纏わる建築部材の寸法に対する考え方や要求性能は時代の推移と共に変わるものなのだなということを、横桟手摺のみの状態を想像しつつ考えた。

※2

室蘭市立図書館屋内階段手摺部分詳細
2019.08.18:室蘭市青少年科学館
※1

室蘭市立絵鞆小学校の体育館内観。 円形平面を覆うドーム屋根の架構が花火を想起させたのは、訪ねた季節のせいか。

※2

室蘭市青少年科学館のエントランス廻り。 屋内にも同様の壁仕上げが所々用いられている。

※3

室蘭市青少年科学館の屋内階段。

夏季休暇は例年通り北海道の実家で過ごす。
8月13日、四年前に閉校した室蘭市立絵鞆小学校が一日限りで一般公開されるということで現地に赴いた。 坂本鹿名夫の設計によるこの円形校舎については、建築探訪のページでも言及している。 二棟並ぶ円形校舎のうち、最上階に体育館を配した棟が近々解体される予定だという。 その前に一般公開するという計らい。
氏が手掛けた円形校舎を内覧するのは久々。 更に最上階を体育館とした形式の事例を観るのは初めて。 その壮大な空間※1を含め、特殊な形態の校舎の内観を大いに堪能した。

内覧後に同市内を散策していた折、掲題の施設が目に留まる。
1963年開館のこの施設の外観は至って凡庸。 エントランス廻りに関し、壁と天井とのチグハグな仕上げが何ともいえぬ味わいを醸し出しているといった程度※2。 しかし、あまり期待もせずに屋内に入ったとたん、激しい既視感に襲われた。
2018年9月27日のこの場に書いた、長岡市青少年文化センターの「科学コーナー」と似た、あるいはそれ以上の空間が屋内に3フロアにわたって広がる。 昨年久々に訪ねた長岡市のそれは、どちらかというと閑散としていて、かつて幼少期にその場で楽しんだ記憶のある者が若干の寂寥感と共に過去を懐かしむ場所といった雰囲気を呈していた。 対して、室蘭市青少年科学館の方は想い出の場所などでは決して無い。 現役の空間として大いに活況を呈している。 しかも規模も大きい。 そんな施設内には、恐らくは開館当時から稼働しているのであろう物理や科学の体感に纏わる各種アトラクション設備が満載。 中には、長岡市の「科学コーナー」に置いてあった設備と類似するものもある。 そして入館した親子を相手にそれらの使い方や遊び方を指導する職員が複数施設内に常駐し、またそれらの設備や備品のメンテナンスに勤しんでいる。
開館当初よりその活気や熱気を恐らくそのまま維持し有効に活用されているところが何とも嬉しくなる。 閉館してしまった長岡市のそれとの違いは一体何なのだろう。

一通り内部を巡る中で興味を持ったのが、階段の手摺。 二本の桁で段床を支えるRC造のその階段に取り付く手摺は、画像※3の通り実にカラフル。 そして様々な要素で成り立っている。
下から順に、ミントグリーン色のパネル。 背後には、画像では目立たないが黒色の鋼製竪格子が並ぶ。 その竪格子に支持されて無垢の木が用いられた太い笠木が横方向に貫く。 そして笠木の側面に取り付けたアルミダイキャスト製のブラケットを介して真っ赤な歩行補助手摺が設置されている。 更に無垢の木製笠木の上部にはオレンジ色に塗装された竪格子手摺。 その手摺の格子部分に、再びミントグリーン色のパネルが取り付く。
なぜに、この様な複雑な構成を呈しているのか。 恐らく竣工時は、下部のミントグリーンのパネル背後の鋼製竪格子と無垢材の笠木のみだったのであろう。 しかしそれでは高さが足りなくて、階段手摺としての機能を十分に満たさない。 そのため、後年になってオレンジ色の手摺をその上部に付加した。 これによって高さは満足したものの、竪格子の間隔が広過ぎる。 その間から子供が転落してしまう恐れがある。 対策として、上下双方の格子の前面ににミントグリーンのパネルを張り付けて隙間を塞いだ。 更にその後、ユニバーサルデザインの観点から真っ赤な補助手摺が追加された。 そんな経緯があったのかもしれぬ。 その時々の安全面に関わる要求に応じた改変の積み重ねが織り成す様態。 開館から半世紀を経た施設ならではの設えと言えるのであろう。

同施設は、数年後に別の場所に新築される建物に隣接する図書館と共に移転する予定。 静寂が求められる図書館と活況であるべき科学館とをどの様に複合させるのか少々興味がわく。 と同時に、新たな施設に移っても今現在の雰囲気が継承されることを期待したい。 そしてまた、今現在の同施設の状況を楽しめるのも、あと数年ということになる。

2019.08.10:メーカー住宅私考_107
外付けデバイスの系譜

※1

同社が当時開発していた「ホームコア」のプロトタイプモデルにホームメカを装着したもの。 外壁に出窓の様に取り付いている部材がホームメカ。
1972年開催の国際グッドリビングショーにミサワホームが出展した。

※2
本文で言及したものを含め、6種類のユニットが製作された。
他のユニットは、キッチンユニット,サニタリーユニット,ドレッシングユニット、そして本文のものとは異なるもう一種類の空調ユニットになる。
これらの開発には、日立製作所が協力している。

※3

フューチャーホーム2001外観。
このアングルの外観のちょうど裏側の立面の二階中央部に、ハートコアが装着された。

先月、「住宅メーカーの住宅」に登録している「ユニット住宅三題」のページを改定した。
元々のページを登録したのは9年前。 当時はそれなりに意を尽くして文章を纏めていたつもりだけれども、年月が経つと色々と手を加えたいところが出てくるし、あるいは新たに知り得た内容で追記したい事項も出てくる。
そしてそれは、当該ページに限らぬ。 ほかのページについても、改定せねばと思う事項がジワジワと増えつつあるのだけれども、そこは個人サイトの気楽なところ。 気の向くままにゆっくりとその作業を進めてゆければ、などといい加減に考えている。

今回の改定では、ミサワホームの「ホームメカ」について少し言及を加えた。 「ホームメカ」は、居住空間を規定する外壁面に、居住に必要な機能をパッケージ化したユニットを外付けするというもの。 その装着事例の外観写真は「ユニット住宅三題」のページに引用したが、こちらにも載せる※1。 そしてその内観は、以下の通り。


内観

図面

左の写真の向かって左側に装着されているのはAV機器類をパッケージ化したユニット。 正面は、出窓と空調設備を一体化させたユニット。 右の画像は後者の図面になる※2
居室として規定されたボックスの外表に、これらのユニットを適宜装着若しくは交換を行うことで、居室への影響を最小限に抑えつつ居住に係る機能の更新性と可変性を獲得する。 それはまるで、パソコンの筐体に各種デバイスを装着・脱着することでその時々に要求される機能性を満たそうとする行為の様だ。

機能を限定しない、言わば「無目的の空間」をルームユニット化し、そのユニットに機能を搭載したサブユニットを装着する設計手法。 その源流を求めれば、積水化学工業のセキスイハイムM1まで遡ることとなる。
但し、このモデルでは両者の分化は必ずしも明確ではない。 そこを徹底したモデルとして、「ユニット住宅三題」のページにも挙げた段谷産業の「ダンタニコーム」が在る。 あるいは、「ユニット別荘四題」に挙げた高崎製紙の「TAKASAKI-UHS-C-70」も、これに該当するモデルとして興味深い。

これらはいずれも1970年代の事例になる。
70年代は、住宅メーカーの住宅のみならず、一般建築においてもユニット状パーツを外在化させたデザインが多く見受けられる。 例えば、黒川紀章が設計を手掛け1974年に完成した高田馬場駅前のBIGBOXなどがそれに該当する。 この辺りは同時代性といえるのだろう。

住宅メーカーの住宅におけるユニットの外在化デザインは、この後も例えば1987年5月に東京・晴海で開催された国際居住博覧会にミサワホームが出展した「フューチャーホーム2001※3」でも確認できる。 それは、出展モデルの裏手二階中央部分。 そこに、当時同社が「ハートコア」と呼んでいた住設機器を全てパッケージ化したユニットが、あたかも外部から突き刺したように装着されていた。 あるいは同社が1991年に発表した「道楽ユニット」という外付けパーツは、「ホームメカ」のリバイバルと位置付けられる。
上記以外にも類似事例が散見されるが、それらについてはまた別の機会に。 しかし、外付けユニットという手法は今現在あまり一般的では無かろう。 それは、住宅に纏わる機能の更新性や可変性獲得という目的に対し、この外在化ユニットという手法が必ずしも有効若しくは効率的ということでは無いということなのかもしれぬ。

2019.08.05:花火雑記

梅雨が明けたと思ったらいきなりの盛夏。 そして各地で花火大会が開催されるシーズンの幕開けである。

この季節になると、かつて住んでいた長岡市のことが思い出されるのはいつも通り。 8月2日と3日の二日間開催される「長岡まつり大花火大会」は、日本三大花火大会の一つと言われている。 近年、高校時代の同級生の御厚意でとっても恵まれた環境でこの花火大会を満喫する機会を得たことは、かつてこの場にも書いた。 で、当時の文章に改めて目を通してみると、もう11年前のことであった。 近年と思っていたら、既に随分前のことであったという恐ろしいまでの時間の流れの速さに愕然としてしまう。
その当時観覧したのも、18年ぶりのこと。 実に久々であった。 かつて在住時に見ていた頃よりも格段にスケールがアップしているという印象を持ちつつ大いに堪能した。 しかし、どんなに新たな趣向を凝らした派手なプログラムが連なろうと、私にとって長岡花火といえば正三尺玉。 これを措いて他には無い。
かつて花火鑑賞に誘ってくれた同級生が、SNSに今年の正三尺玉の打ち上げの動画をアップしてくれていた。 それを視るだけで、そしてその動画に記録された正三尺玉の炸裂音を聴くだけで、私はもう十分満足だ。

その長岡花火の二日目にあたる8月3日は、私の現在の居住地の周囲でも複数箇所で花火大会が同時開催される。 近年は、最寄りの会場に出向くのではなく、住んでいる集合住宅の最上階の開放廊下まで上がり、そこから各地で打ち上がる花火の遠望を愉しんでいる。 地上高さ約45mの位置からは、結構遠方まで眺望が開ける。 そして心なしか地上とは異なるやや冷涼なそよ風を感じながら、視界の範囲の所々で遠近様々に華開く光の演出を愉しむのだ。
そう、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」と問われれば、横から観るのが私の近年の堪能方法。 まぁ、件の映画は実写版もアニメ版も未視聴。 特にアニメ版の方は、観る前に目を通してしまったレビューでの酷評っぷりに、すっかりその気が失せてしまいましたか。 それでも、動画サイト等に公開されている主題歌「打上花火」のミュージックビデオはとても秀逸。 個人的には映像の途中に円形校舎が登場する辺りが興味を引く。 その箇所を含め、映像全般を観る限りにおいては本編も良作なのではと思えて来るのだけれども、果たしてどうなのか。
ということで、脳内に同曲をローテーションさせつつ、そして遠方で開催されている長岡花火にも想いを馳せつつ、花火を横から堪能したのであった。

2019.07.30:モノレールに纏わる取り留めの無い話

私が初めて乗車したモノレールは、恐らくは上野動物園内の上野懸垂線。 といっても幼少のみぎりに親や親戚に連れられて同園を訪ねた際のことゆえに忘却の彼方。 連れて行ってくれた親には申し訳ないのだが、「ほら、乗ったでしょう、覚えていないの?」と問われて、乗車したという事実を知るのみ。

記憶に留まる範囲で遡るならば、東京モノレール羽田空港線が最初になる。
JR浜松町駅と羽田空港を結び都市の中空を疾走するその車窓から臨む風景は、東京の縮図そのもの。 それ程長くも無い経路の中で、都市を構成するあらゆる要素が目くるめく様に立ち現れては背後に消え、片時たりとも同質の風景が連続することは無い。
普段は望めぬ中空からの都市への視覚的享楽を動的且つダイレクトに堪能出来るという点において、モノレールはとても魅力的な交通手段だ。

そしてまた、モノレールの軌道の在る都市景観を地上レベルから仰ぎ見るのもなかなか楽しい。
その嚆矢といえば、千葉都市モノレールであろうか。
特に千葉駅近傍で路線が二つに分岐する箇所は、かつて夢見られた未来都市の風景。 懸垂式であるがための大袈裟にも見える軌道の架構が織り成す重厚長大な景観が、都市のダイナミズムを更に強化している。 あるいは、都心を離れ郊外に到った際に、ありふれた家並みの上空に突如、その懸垂式の高架が竜骨の如く力強く連なる風景もまた豪胆で、そして不可思議だ。
一方、羽田空港線に用いられている跨座式は、逆に軌道を軽やかに上空に持ち上げる。 同じモノレールという機構ながら、二種の形式によって全く異なる風景を都市に付与するところも興味深い。

2019.07.22:メーカー住宅私考_106
屋根が造り出す表情

※1
OII型なのか、それともその後継モデルのO型NEWなのかの判別は、画面の目視では出来なかった。 但し、二階の和室の位置から、更に後継のOIII型で無いことは判断可能。
取り敢えずここではOII型と表記する。

※2
但し、北海道限定モデルのO型NEWは、矢切パネル付きである。 しかも、棟の向きを本州以南とは90度変え、玄関側の立面に矢切が面する様にしている。 これは、玄関への落雪を避けることに配慮した寒冷地ならではの屋根形状の措置であろう。

知人のblogに、昭和50年代にミサワホームから発売されていた企画住宅シリーズの大量集中建設事例情報。 ローカルニュースで写し出された映像にて発見したという。 Googleマップの航空画像で確認すると、なるほど確かにその通り。 まさに“大漁”状態だ。
更にGoogleストリートビューで眺めてみると、その多くが概ね新築時の状態を良好に保全している。 更に、近隣一帯で協定を設けているのだろう。 接道側のエクステリアが統一されていて、整った景観を造り出している。
建てられてから40年前後を経過してなお良好な環境を維持し続けていること。 こういったことは、不動産価値の設定における評価軸としてもっと強化されるべきではないかと思う。

そうしてGoogleストリートビューにて現地を巡り眼福に授かっている中で、ちょっと変わった屋根形状のミサワホームOII型※1に目が留まった。 それは、切妻屋根のOII型。 その前身モデルのO型には切妻屋根仕様が設定されていた。 しかしOII型にはその設定は無かったと認識している※2。 それに、O型で設定されていた切妻仕様の屋根は、けらばの先端に矢切パネルを設けた納まり。 ところが当該事例はその様な措置の無い切妻屋根。
その特殊な外観意匠の印象がどうかと問われれば、「好みは人それぞれですよネ」ということになる。 屋根の表情一つで、家の雰囲気はがらりと変わるものだ。

屋根の表情というと、和瓦を葺いたミサワホームM型2リビングの事例を見かけたことがある。 オリジナルはオレンジ色の洋瓦を載せて南欧風の意匠を纏っているのだが、その構成要素は変えずに屋根葺材のみ和瓦に変更。 更に一階南側に配置されたこのモデルの一番の特徴である「余暇室」と称する洋室を二間続きの和室に変更していることが、内障子を設けたその開口部によって外観目視においても確認可能であった。 恐らく施主は、南面に二間続きの和室を設けた家を所望した。 そしてその和室は、ダイニングキッチンと完全に分け隔てたかった。 そのプランのイメージにM型2リビングがピッタリであったために同モデルを選択。 そしてもともと和風嗜好なので屋根を和瓦に変えたのではないか。 結果生成された外観は、南欧風と和風が唐突に折衷する摩訶不思議な様相を呈していた。
あるいは、群馬県内で洋風の棟飾りをあしらったミサワホームS型NEWを見たことがある。 土蔵のイメージを帯びたS型NEWに洋風要素というのもちょっと不思議な感覚であった。

経年に拠る修繕工事の際の改変ではなく、新築時からオリジナルとは少し仕様を変えた建設事例。 それは、敷地形状や法的制約といった外因の場合もあれば、施主の強い拘りに拠るものもある。 上記三事例はいずれも後者であろう。 ここでは屋根について挙げたが、他にも様々なパーツにおいて変更事例が見受けられる。
過去に発表された規格型のメーカー住宅に関し、オーセンティシティーへの嗜好が強い私にとってはそれらは興味の対象外ということになる。 しかし、そこに在るのは言わばレディ・メイドとオーダーメイドのささやかな相克。 そのせめぎ合いの中で生成された様態という捉え方で接してみるのも面白いかもしれない。

2019.07.16:「未来のミライ」における住まいの考察
※1
夫は、フリーになったばかりで在宅勤務。 その仕事場はダイニングテーブル。 背後の壁面に設えられた書棚には、専門書が並ぶ。
その蔵書の中に、「図説日本の町並み」という実在の書籍全12巻のうちの半分が置かれているところが個人的にはちょっと注目点。 この書籍については、2006年10月7日にこの場にて少々言及している。

地上波放送にて、掲題のアニメ映画を視聴した。
感想は、既に様々語られているところとほぼ同じ。 作品全体を支配する四歳児の言動のあまりにもリアルなカオスっぷりに終始気疲れさせられることとなった。 よしんばそれは、既に忘却の彼方にある遠い遠い過去における自分自身の姿であったのかもしれぬ。 しかしそうであったとしても、「新世紀エヴァンゲリオン」の中で碇ゲンドウがこぼした「子供の駄々に付き合っている暇は無い」という冷厳なセリフが幾度も脳内を反復する。
作画のクオリティが極めて高い反面、子育ての大変さばかりが殊更に強調された演出が、何とも残念ではありますか。

そのストーリーの大半は、住まいの中で展開する。 従って内観の描写がとても多い。 そしてその家は、建築士である夫の設計ということになっている※1。 そのためか、描写はとても細かく、そして各シーンにおける齟齬や破綻も見受けられない。 実在する家か、あるいは専門家の監修のもとに細部までしっかりと詰めたのだろうなと関心を持ち視聴後に確認してみたら、建築家が設定に参画していた。
作品の序盤にて妻の母親が発した「おかしげな家を建てたもんだね。建築家と結婚すると、まともな家には住めないってことなのかしら」というセリフを、監修した御当人はどう思われたことだろう。

この、「おかしげな家」という母親の印象は、その造りがコートハウスであることや屋内に階段がやたらと多いこと。 あるいはコンクリート打ち放しの壁の多用等に拠るものであろうか。 更には、段差を利用してLDKと主寝室がワンルーム空間となっていることも要因なのであろう。
しかし、コートハウスとしているのは、短冊状の敷地の短辺のみ接道する敷地条件であるため。 更に家の中の段差は、敷地自体に高低差があるためだ。 むしろ、そういった立地条件を逆手に取りつつ巧みに手堅く纏め上げた家と受け止めてしまうのは、私が設計側に近しい立場の仕事に就いているせいだろうか。

とはいえ、突っ込みどころが無い訳ではない。
例えば、屋根が緩勾配過ぎて瓦を葺くのは不適切。 そのオレンジ色の瓦は建て替え前の旧宅のイメージの継承なのだろうけれども、それならばそれで瓦葺きに適した勾配を確保すべき。
あるいは描写からプランを想定した場合、中庭を挟んで道路側に配した離れの様な部屋からトイレまでの動線が遠過ぎる。 家の最奥部に位置するトイレに到るまで、階段を介しながら中庭やLDKや主寝室を通らなければならないというのは如何なものか。 終盤の「未来」のシーン※2で、この離れ的な部屋は中央を家具で簡易に間仕切った上で姉弟が共同で使っていると思しき描写がある。 もしもそうであるならば、トイレの増設が必要となろう。
他にも、冬期の暖房負荷に関わる温熱環境性能があまり宜しく無さそうだとか、まともな玄関が無いといったところも気に掛かる。
とはいえ、夫は建築設計の専門家だ。 しかもそれなりの建築費が掛かっているだろうと想像するに難くない家を若くして構えるだけの経済的な余裕もあるみたいだ。 だから、日常生活において問題が生じたならば、その際の与条件に対応して融通無碍にプラン改善を図ることなど造作も無いということなのであろう。

※2
年月が経った分、中庭の木は少し大きくなっているし、ダイニングキッチンの設えも変化している。 あるいは、自然光の加減に対する微調整なのかもしれないけれど、インテリアの木部も心なしか飴色に変化させた演出が施されている様に見受けられる。
2019.07.11:やうつり

「家移りの儀」のお誘いを受ける。
築130年を超える古民家の移築再生による個人住宅の建築工事が、四年の歳月を経て漸く完了したことに伴い開催されるもの。 何故に私がお招きに預かったのかといえば、移築前の基本調査に少しだけ携わったため。
調査時、軽い気持ちで旧所在地に赴いてみると、目の前に壮大且つ豪放な古民家が堂々と鎮座していた。 これは一体何から調査すれば良いのか・・・と一瞬唖然とする。 しかし、その地域固有の建築様式と近傍エリアの様式が折衷する不思議な建物構成はとても興味深い。 ということで、二日がかりで簡単な断面図を作成した。
それから四年も経つのかと感慨に浸りつつ、家移りの儀の開催当日、移築再生された現地に赴く。

招かれたのは、棟梁や大工のみならず、内装や各種住設機器の施工等々あらゆる職種の工事関係者。 そして設計者は勿論のこと、親族やご近所の人々、そして施工中に幾度も開催された施工に関連するワークショップ参加者等、実に多彩な顔ぶれ。 その数100人弱。
二時間弱の内覧ののち、近傍の料亭に全員移動。 美味しい料理をいただきながら、職方さん一人一人が順番に工事に纏わるコメントを述べた。 そのいずれにも、多かれ少なかれ施主の熱意や人柄に対する賞賛の意が込められていた。 私もスピーチの機会を頂いたので短くコメントしたが、同様である。 結局のところ家造りの成否は、設計者や職人の技量は必須として、それ以上に施主自身の立ち居振る舞いが極めて重要ということなのだろう。
今回の四年に及ぶプロジェクトは、それがとても理想的な状況で推移し、そして完遂した。 そんなことをしみじみと実感するひと時であった。

移築再生工事完了に伴い、その背後に建つRC造の既存母屋はいずれ除却。 跡地は裏庭として整備される予定なのだそうだ。
1968年に建てられたという既存母屋の外観は、建てられた当時はなかなかの先進性を誇っていたのであろうと想像するに難く無いとってもモダンな造り。 それはそれで興味をそそる。 個人的には少々惜しい気がしなくもないが、しかし移築再生を伴う住まいの建て替えが行われることになったのは、当該既存母屋の防水や断熱に関する諸性能や施工品質が今現在の水準からすると必ずしも望ましいものではなく、長年漏水や結露に悩まされ続けた事情に拠るのだそうだ。
古民家再生というと、その対象は木造の茅葺民家というイメージが強い。 しかし、この既存母屋の様な昭和40年代のRC造個人住宅だって、その時間軸においてそろそろ「古民家」としての位置づけを帯び始めている事例も多かろう。 それらに対する修繕や保全技術の一般化が、ストック活用の観点からも求められて来ているように思う。

2019.07.03:古書を受け取って考えたこと

居住地から遠く離れた縁もゆかりも無い某工学系短期大学図書館の除籍本を一冊入手した。 かねてから所持したいと思っていた日本建築学会発行のプレハブ住宅関連の古書だ。 国内のプレハブ住宅の歴史が戦前まで遡って豊富な図版と共に纏められている。
既に廃刊となり書店で新品として購入することが叶わぬ書籍を、ネットを介してこの様な形で入手出来るところがとっても便利で素晴らしい世の中だとしみじみ思う。

届いた古書は、当然ながら図書館の蔵書印や除籍印が押されている。 その押印からは、当該書籍が発刊されて間もない1980年代前半に入荷されたことが判る。 更に、裏表紙には今となっては懐かしい貸出カードが付いたまま。 その貸出履歴を見ると、入荷してから数年後に同一人物が幾度か借りたのみで、以降貸し出された記録は残っていない。
蔵書としてあまり活用されること無く書庫の奥底に死蔵され、そのため除籍されることとなったものを私が譲り受けたといった経緯を好き勝手に想像出来るところが、新品には無い面白さだ。

この書籍とは別に、最近これまた遠隔地の古書店からネットを介して購入した1964年発刊のプレハブ住宅関連の古書に、その書店のメッセージカードが添えられていた。 そこには以下のことが書かれていた。

この度は、商品をお買い上げいただき、
ありがとうございます。
ほかの方が読み終えた本や、
聴き終わった思い出のCD、
夢中で楽しんだDVDなどが、
こうしてめぐりめぐって
お客様のお手元に届くことを、
とてもうれしく感じています。

受け取った側としても、長らく捜し求めていた書籍が巡り巡って自分の手元に届いたことをとっても嬉しく思う。 しかも、購入を躊躇することのない適正(と思える)値段で市場に出して下さったとあっては尚更だ。
ネットの発達によって、古書の探索はとても楽になったし出会いの機会も増えた。 しかしそれでも、捜し求める書籍との遭遇は一期一会。 偶然に支配される。 だから、ちょっとした縁で入手し得たこれらの書籍については、その内容をじっくりと堪能し、そして大切に保管したいと思う。

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