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2023.12.26:メーカー住宅私考_185
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ジョイントスペースを巡る ミサワホームMII型とM型2リビング再考
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前回の続きで、O型と同時期に発表されていたMII型の平面図についてジョイントスペースから読み解いてみる。
このモデルへの当該概念の反映はO型以上に明瞭だ。
上下階双方において、2行2列の田の字型間取りの中央東西方向にジョイントスペースが貫通する。
一階においてその線形空間の途上が壁で間仕切られているのは、別途「住宅メーカーの住宅」で言及しているように、「ハレ」と「ケ」の概念の導入に基づくと解釈可能だ。
玄関を起点に一階平面の動線を捉えた際、階段より手前までが公の場である「ハレ」の空間。
階段以降が、二階も含め私的な領域である「ケ」の空間と位置付けられる。
その分化を物理的に間取りの中に発生させるための結界として、本来親和性が高い玄関ホールと階段室の間が壁で塞がれた。
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ミサワホームMII型外観
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同左平面図
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しかし、その壁の有無に拠らず、そこは一間幅で東西に通る「諸室」の用途を持たぬ線形空間。
二階においても然り。
二階居室の収納と動線処理に供する諸室外の空間だ。
ここに、居室や水廻り等の「諸室」を収めた「マス」と「諸室外」の「ジョイントスペース」という構図がO型以上に明瞭に立ち現れる。
このモデルは、キッチンの位置も割り切っている、というよりもその設定に対し開き直っている印象すらある。
一般的にダイニングルームと一体不可分であるキッチンが、ここではジョイントスペースによって切り離され北の隅に孤立している。
この変則的な扱いは、「ハレ」と「ケ」の厳格な分化と共にジョイントスペースを純化させる目的も伴おう。
あるいは、前回この場で言及した初代O型におけるキッチンとジョイントスペースを巡る問題を、時系列的に後発である当該モデルにおいて「ハレ」と「ケ」の概念によって突破しようと試みたとの見立ても可能だ。
MII型の後継モデルであるM型2リビングは、玄関ホールが完全に東西に貫通し、異なる性格を持つ二つのリビングを南北に分離。
余暇時代の到来という未来予測に基づく住まい方提案をものの見事に空間化してみせた。
そのホールは視覚的にも完全に突き抜けさせるため、玄関の下足入れをもスペース内に突出させないよう、南面リビング側に食い込ませて収められている。
そこには、初代O型におけるキッチンセットと同種の拘りが読み取れよう。
結果、O型で洗面室の狭隘化を招いたのと同じように、M型2リビングでも南面リビングの造り付け家具に変則的な設えが発生した。
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ミサワホームM型2リビングの玄関ホール。
屋内中央の東西を貫通する線形空間。
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同左平面図
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ここまでしてジョイントスペースなる空間を線形に貫通させようとした強い意志は、一体何に基づくものだったのだろう。
初期のホームコアの頃に試みられた目的から幾分変容していた様に捉えられなくもない。
かつて商品開発に携わった方々に、当該スペースに対する想いを伺ってみたい気もする。
前回言及した「O-type kura」においても、MII型と同様にキッチンを孤立させたプランバリエーションが用意された。
案外そのプラン策定にあたっては、MII型におけるジョイントスペースの位置づけが念頭に置かれたのかもしれぬ。
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2023.12.19:メーカー住宅私考_184
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ミサワホームが1976年に発表したO型の平面プランに関し、以下の様に書くと、何を訳の分からぬことを・・・となろうか。
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“一階のキッチン部分は実質的にキッチンの用途に供する空間でありながら、平面構成原理においてはキッチンではなかった”
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確かに無理矢理な解釈ではあるが、ここは「雑記帳」なので好き勝手に書き散らしてしまおう。
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※1:
O型一階平面図
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12月12日にこの場に書いた同社の「ジョイントスペース」。
この平面構成原理で同モデルを捉えると、8畳を1マスとした2行2列の整形グリッドの行間に線形のジョイントスペースを挿入した組み立てとなる※1。
一階において、下部2マスが続き間のリビングとダイニングルーム。
上部の2マスがそれぞれ和室と水廻り(水廻り側には和室の押入れも含む)に充てられる。
それらを分かつジョイントスペースの幅は、一間にクォーターモジュールの455mmを加えた2275mm。
その幅で東西に貫通するジョイントスペースは、途中を壁と扉で間仕切り、それぞれ玄関ホールとキッチンに充てている。
こう書くと、ほら、ちゃんと独立したキッチンが確保されているではないか、となる。
でもそれならば、キッチンセットを背中合わせの洗面室側に食い込ませてレイアウトする必要はない。
2275mmの短辺が確保されていれば、その空間内で十分余裕のある配置が可能だ。
にも関わらず洗面室のスペースを減じてまでキッチンセットを水廻り側のマスに配置した理由。
それは、水廻りとして規定したマスの中に、同じく水廻りの要素であるキッチンセットを収めたかったためなのではないか。
その操作により、居室や水廻り等の「諸室」を収めた「マス」と、「諸室外」の「ジョイントスペース」という構図が純化する。
ジョイントスペースは、途上に間仕切りを設けられながらも、屋内の中央を東西に2275mmの一定幅で貫通する「諸室外の空間」となる。
そこは、「諸室」を連絡するためのホールや階段等の動線の機能のみを担う。
つまりここで単純にキッチンと読み取れる場所は、実は「諸室外の空間」としてのジョイントスペース内にキッチンセットがたまたま面しているだけの部位との見立てが可能となるのだ。
キッチンに見えて実はキッチンそのものではないから、例えば当該モデルのプロトタイプとして1976年開催の第4回国際グッドリビングショーに出展されたモデルハウスでは、その空間にオプションの地下階へと至る階段の降り口がレイアウトされた。
その直上には二階に至る階段も配置されている。
仮に途中の間仕切りを排除すれば、東西に抜ける玄関及び階段ホールの中にキッチンセットが所在なさげに面しているかの如くだ※2。
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※2:
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O型のプロトタイプモデル一階平面図。
右の画像は、当該平面図の左下妻壁の引違い窓を背にL型に繋がるキッチンからリビングダイニング内を捉えたアングル。
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この解釈は、当該プロトタイプモデル用のカタログとして作成された「ホームコアO型」に収録された上記画像からも窺い知れる。
そこでは、南面する16畳のリビングダイニングルームで和やかに団欒する家族達に見返りの視線を送りながら独りキッチンで家事に勤しむ主婦の姿が映し込まれている。
そのキッチンとリビングダイニングルームの間に設けられた地下に至る階段の存在が、まるで階段や踊場に付随してキッチンセットが配されている様に見えなくもない。
ジョイントスペースの導入とキッチン空間の確保。
O型の最初期モデルにおいて、開発者たちはその狭間で結構真剣に悩んだのではないか。
空間原理を通せばキッチンが成り立たない。
しかしキッチンを成立させようとすれば原理が揺らぐ。
途上の間仕切りは、その狭間で商品として成立させるためのぎりぎりの措置だったのかもしれない。
後継モデルのOII型では、当該空間のキッチンとしての位置づけが明瞭になった。
洗面室側へのキッチンセットの食い込みを取りやめ、2275mm幅の空間内に移設。
ただそれだけの操作で、その場所はキッチンという「諸室」に位置付けられ、「諸室外」であるジョイントスペースとしての属性は破棄される。
結果、洗面室にも奥行き方向の余裕が確保された。
更にその後のO型NEWのエクストラ仕様に至っては、コの字型のキッチンセットを導入※3。
そこには、ジョイントスペースへの拘りも、その原理ゆえの逡巡ももはや存在しない。
このO型、2003年に「O-type kura」という名称でリデザインモデルが発表されている。
そこでは、キッチンセットは南面するリビングダイニングルーム内に移された。
結果、もとのO型でキッチンが配されていた場所は玄関から続くホールとなり、かつて指向された「諸室外の空間」としてのジョイントスペースが純粋な形で東西に貫通した※4。
果たしてリデザインにあたって、担当者はかつて希求されたジョイントスペースの純粋性への意識に基づき当該モデルを構想したのだろうか。
そうであるならば面白いし、そんな推察に基づき「O-type kura」のプランも再読出来そうだ。
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2023.12.12:メーカー住宅私考_183
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※1:
ホームコア平面図
※2:
ホ−ムコア350平面構成概念図
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昭和40年代のミサワホームにおける平面プラン策定手法の一つに「ジョイントスペース」と呼ぶ概念があった。
最も早くその型式が顕れたのは、恐らく1969年発表のホームコア。
四間四方の平屋建て外形の中央東西方向に一間幅の非居室用途の線形空間を配置し、その南北に六畳を一単位とする居室を二部屋ずつ接続する平面形態。
コアとしての非居室と、そのコアの両翼に接続する非コアとしての居室による単純極まりない構図が、極限のローコスト住宅の開発目的に結び付いた※1。
この平面形式を構造的に捉えると、耐力壁によって規定される南北の居室どうしに離隔を設け、その離隔部分がジョイントスペースに充てられている。
ホームコア以降の事例として、1972年開催のパイロットハウス技術考案協議にて採択された「ホ−ムコア350」では、壁式構造で組み立てる南面居室とユニット工法で設置する水廻り等の北側非居室用途との間にジョイントスペースが設けられた※2。
ここでは、コアは北側のユニット工法の箇所に移動。
従って、ジョイントスペースはコアではなく、コアと居室のバッファーゾーンとして機能する。
即ち、異種の用途及び構造形式の緩衝領域としての線形空間である。
更に、1974年開催の第3回国際グッドリビングショーに出展された「コートホーム」※3においても、そのプランの骨格は半間もしくは一間幅のジョイントスペースを介して居室及び非居室のブロックを任意に接続する形式であると、同社の解説に記されている。
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※3:
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コートホーム外観
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同左平面概念図
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同左一階平面図
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※4:
O型一階平面図
※5:
コスモU構成概念図
同モデルについては、「住宅メーカーの住宅」の「ユニット住宅三題」のページ参照。
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非居室用途をコアとして纏め諸室連携の合理性を獲得する線形空間。
あるいは、居室と非居室の間に挿入され屋内動線として機能する緩衝空間。
計画上の採用目的として概ねこの二種に分類可能なジョイントスペースには、生産性の観点からもう一つの目論見があった。
それは、同社が住宅生産に関わる構法の進化過程として1971年6月に発表した「パコカライン論」。
すなわち、パネルからコアを経て最終形として至るカプセル工法を意識したものだ。
構造的に完結するカプセルとしてのルームユニットどうしが直接取り合う箇所に発生する構造フレームや壁体の重複を避ける。
そのために双方に離隔を設け、そのバッファーゾーンをジョイントスペースと称す。
カプセル化以前のパネル工法のモデルにて、当該概念の試行が繰り広げられた。
その流れは昭和50年代にも踏襲される。
1976年に発売されたミサワホームO型においても然り。
二行二列の田の字型間取りの行間にジョイントスペースを挿入した組み立てが、平面図※4に如実に顕れ、ホームコアとの類似性を成す。
ここでは、水廻りも居室と同様に特定の目的や用途に供する室と位置付け、それら諸室と非諸室をジョイントスペース内外に振り分ける組み立てで構成原理が受け継がれた。
販売開始前の予告資料に表示された同モデルの商品名が「ホームコアO型」であった事実も、原理の踏襲を裏付ける。
同時期のモデルとして、ミサワホームA型二階建ても、東西の居室に挟まれて中央を南北に貫通するコアがジョイントスペースと見立てられる。
そして1983年7月発表のミサワホームSW型も、ホ−ムコア350を継承しながらジョイントスペースが姿を変えて計画の中に組み込まれた。
ユニット工法の商品化モデルにいち早くこの概念を取り入れたのは、同社ではなくクボタハウス。
1983年に発表したコスモUにおいて、同様にユニットどうしに隙間を設ける形式が採用された※5。
但しそれは、構造部材の重複の回避や居室と非居室の分化を指向したものでは無い。
プランの柔軟性獲得が目的とされた。
ミサワホームも、00年代に入って「ダブルコア・ジョイント工法」や「スリットジョイント工法」によってユニット系モデルへの展開が図られる。
そこでも同様に、目的はプランの柔軟性に向けられた。
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2023.12.05:リモートワークスペース
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※1:
リモートワークボックス設置例
※2:
ボックス内への警報装置の設置を緩和する場合の条件。装備する場合この条件は適用されない。
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駅のコンコース等にリモートワークボックスが据え付けられている状況の一般化は、新型コロナウイルス感染症拡大以降の風景※1。
常に気に留めている訳ではないが、その利用率はどのくらいなのだろう。
アフターコロナと呼ばれて久しい昨今、何やら所在なさげに置かれたままとなっているような気がしなくもない。
私も、この手のボックスを時折利用する。
といってもそれは、人の往来が激しい公共の場に置かれたものではない。
既存の会議室を改修して並べられたリモートワークボックスだ。
周囲から切り取られてこじんまりと囲われ、そして適度な照度と換気が保たれた個室空間は、仕事をするには快適なようにも思える。
しかし気になる点もある。
それは音環境。
隣接して置かれたボックス内の音が結構聴こえてくる。
リモート会議でヒートアップした発言の声はもとより、端末のキーボードを叩く振動や利用者の貧乏ゆすりなどが伝わってくることもある。
確認してみると、既存の空間にユニット物のボックスを設置する場合、火災が発生した際などに発せられる警報音がボックス内にも65dB以上で届くようにボックス自体の音響透過損失を抑える必要がある旨、消防庁より通達が出されている※2。
なるほど確かに安全確保のためには必要な措置だ。
でも、折角の私的執務空間なのに何だか勿体ないようにも思える。
音環境に纏わる空間性能は、その音圧レベルによって決まる訳ではない。
気になりだすと、どんな些細な音量でも騒音として知覚されてしまうものだ。
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その観点からすると、昨今増えつつある住宅内にリモートワークスペースを設けた平面プランについても疑問に思う事例が散見される。
ちょっとした残余にカウンターを配してその手のスペースを確保しましたと謳う平面図。
実際にその場にいる状況をイメージし、且つ他の在宅者が発する音を想定しながら諸室とそのスペースの位置関係を眺めてみると、業務への集中が可能な空間たり得るかと疑問に思えてしまう事例が少なくない。
問題は、静穏性の確保のみに留まらぬ。
空気質環境や温熱環境についても然り。
廊下や納戸の一画等、居室以外のスペースをそれにあてがう場合、往々にしてそこが人の滞留を前提とした快適性確保への配慮が十分とは言えぬ場合もあり得る。
感染症対策としてニーズが生じたこのスペース、今後も需要が継続するのだろうか。
あるいはもしかすると、所与の目的に留まらず、家族から一時離れて独り籠れる場の確保といったニーズに変容し、今後も進化し続けるのかもしれない。
それに伴い、より洗練されたスペース確保事例が雛型化されるのか。
更にはそれに起因し間取りの形式にも変容が生じ得るのか、少々関心を持つ。
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2023.11.29:メーカー住宅私考_182
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今回取り上げた事例の接道側立面。
竣工時の様態が良好に保持されている。
上記立面から判る通り、妻壁突出部の屋根はフラットとなっている。
この箇所の雨水排水処理はどうなっているのか。
竪樋は外部に露出していないし、屋内に取り込んでいる様には平面図からは読み取れぬ。
さりとて、垂れ流しだとするならば外壁面の汚れや劣化が他の部位より顕著な筈だ。
その点に関しては今のところ判明出来ていない。
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1982年2月にトヨタホームから発売された当該モデルについては、このシリーズの第13回(2012年8月4日)で既に取り上げている。
あるいは、それ以前にも、この雑記帳の場で2009年12月23日に言及した。
今回は、当該モデルの事例を実見した際の印象を書いてみる。
その事例は家々が窮屈に連なる一画に建ち、通りすがりの目線ではソレと気づかぬ佇まいで風景の中に埋没している。
同時期の他社発表モデルが、例えば疾走する新幹線の車窓からの一瞬の眺めにおいても確実に視認され得る個性と存在感を有している(単に視覚上の嗜好性の問題かもしれぬが・・・)のとは極めて対照的。
単純に表現すると、「凡庸」となってしまう。
その中で、妻側立面に上下階を通して張り出す台形平面のボリュームが、当該モデルを視認する主要素となる。
事例は、敷地の道路境界に妻側立面が向けられ、台形平面の突出部が道路からの視線に迫る。
その部分は一階が玄関、そして二階は吹き抜け。
上下通しで縦長の窓が取り付き、外側に面格子が付く。
その格子の組み方から初期仕様だと判別できる。
1984年にマイナーチェンジしたオークNEWとの区別は、この部材の形状確認が手っ取り早く且つ確実・・・って、何の意味もなさぬ無駄な知識でしかないが。
夜になると、通しの縦長の窓から屋内の灯りが外部に漏れ出る。
そのスリット状の光が、夜景としての個性になる。
昼間の凡庸な印象から一変した夜の意匠。
煌々と降り注ぐ陽射しのもとで商品としての個性を放つ表層意匠を纏ったモデルは多々ある。
しかし、日没以降、屋内の灯りが建築照明として町並みに仄かな彩りを添える、そんな意識のもとにデザインされた、若しくは結果的にその様な個性を醸す事例は他社モデルも含めそんなに多くは無い。
平面プラン事例
玄関を妻面から張り出させる措置は、屋内の階段位置の設定に起因する。
いずれのプランバリエーションにおいても、諸室配置の中で階段を上下階共に最適となる位置に設けようとすると、玄関が収まらない。
ために外部に突出させた。
それでもなお階段と玄関とのやや窮屈な位置関係は解消されてはいない。
むしろその状況を逆手にとって玄関ホールをデザインしている感もある。
その平面形態から導き出された突出部に外観の個性を付与。
更に夜景をデザインする。
そして突出した台形平面の斜辺に玄関ドアを配置する措置によって、前面道路からの引きの確保が困難な配棟においても玄関ポーチの確保を可能とする。
ドアを開放した際の前面道路からの視線もある程度遮られる。
あるいは、屋内外を往来する際に身体や視線をやや斜めに振る動作によって、単純な直線動線では叶わぬ距離感や気分の切り替えも意識されよう。
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2023.11.21:同窓会
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高校の同窓会に出席する。
この場に何度か書いているが、高校時代の私の居住地は新潟県長岡市。
同市を訪ねるのは5年ぶり。
同窓会への出席も11年ぶりとなる。
当日の同地は生憎の雨。
時折雲の間から日も射し込むけれど、何やら冬に入る一歩手前の空模様。
とはいえ久々のかつての居住地。
降雨の風情もまた愉し。
それに駅周辺の街路に発達したアーケードや雁木のお陰で、傘を差す必要も殆ど無い。
ということで、同窓会開始時刻までの間、気侭に駅前を散策する。
かつて、駅前は休日ともなると人でごった返していた。
目抜き通り沿いにはデパートが軒を連ね、買い物をする人々で雑踏が形成されていた。
幼少のみぎり、その人混みに飲まれて親とはぐれてしまったことすらあった。
その際の私は、今思えば結構冷静であった。
どうせ探しても親は見つからないだろうから、家に帰ろうと。
幸い帰宅ルートは把握していた。
約1.5kmの道のりを「遠いなぁ〜」と思いながらトボトボと一人で歩いて帰った記憶がある。
話が逸れた。
ともあれ、それほど賑わいと活況を呈していた駅前の商店街も、他の都市の既存中心街と同様且つ同じ時期に商業地としてのポテンシャルが低下し始める。
連なるデパートが次々と閉店。
90年代後半あたりの閑散とした状況は、かつての喧騒を想えば信じられない様な変わりよう。
同地を訪ねるたびに複雑な想いに浸っていたものだった。
ところが今回街中を歩いてみると、何か再び雰囲気が変わり始めた様子。
人が戻り始めている様に見える。
かつての喧騒からはまだ程遠い。
そして人の往来も以前とは目的や意味が異なっている様だ。
デパートで買い物をするといった消費行為ではなく、イベントやワークショップ等への参画等、文化的若しくは何らかの活動目的を動機に人が集い、そして賑わう。
そんな印象。
たまたまかもしれないけれど、若い学生さん達が近年新たに駅周囲に整備された各種公共施設を上手に活用している様にも見えた。
同窓会会場で市役所勤めの同期にその印象を述べたら、ちょうどいま街づくりに関わる業務に就いているとのこと。
今までの施策や効果等々貴重なエピソードを訊くことが出来、有意義なひと時となった。
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2023.11.15:スターハウス
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※1:
10年ほど前に撮影した赤羽台団地内のスターハウス。
建て替え工事実施のため既に住民は全て退去し、一階の共用出入り口は封鎖。
そして周囲には同じ状態の住棟と建て替え後の住棟が混在する、そんな時期であった。
※2:
スターハウスの共用階段室。
「徘徊と日常」のページには見下げのアングルを用いたので、ここでは逆に見上げて撮った画像を載せる。
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少し前の話。
「東京文化財ウィーク2023特別公開」の一環として11月4日と5日の二日間、日本建築学会主催で行われる「登録有形文化財旧赤羽台団地スターハウス等4住棟見学会」の告知が目に留まり、即申し込んだ。
特定の時期に各地の公営住宅団地に採用されたこのポイント型住棟については、外観を拝むのみで住戸内を見学したことはない。
なのでこれは良い機会と思ったけれども、申し込み後に告知のリーフレットを改めて確認すると小さな文字で、
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1階から5階までの階段室部分を公開します(スターハウスの住戸内には立ち入れません)
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との記載。
住戸内まで見学出来るのは、スターハウス棟と共に保存された板状階段室型住棟一棟のみ。
なるほど確かに見学会のタイトルも“等”の表記。
それであっても、殆どが建て替えられた大規模団地の一画に保存された旧住棟群。
一見の価値はある。
ということで予約を入れた当日、久々に赤羽台団地※1に向かう。
JR赤羽駅から歩くこと数刻。
街路の向こう側に、武蔵野台地に連なる段丘崖が見えてくる。
かつては、段丘の上にスターハウスが建ち並ぶ様子が、昭和半ば以降のこの地の象徴的景観を成していた。
しかし久々に眺めるそこには、建て替えられて間もない中層住棟の一部が見えるのみ。
風景の移ろいに時の流れを感じつつ、段丘の上下を結ぶ階段を昇り、そして保存住棟が建ち並ぶ一画へ。
手続きを終えてスターハウス棟の屋内共用階段を昇る。
一部住戸の玄関扉が開け放たれていて、踊り場から住戸内を眺められるようになっていた。
しかし告知通り、踊り場から眺めるのみで立ち入りは禁止。
写真撮影も不可。
住戸内はいずれもスケルトン状態。
露わとなった躯体は結構荒々しい施工精度。
それが見学に制約を設ける理由かなと思いつつ、その事実を含め有形文化財に登録された建物。
今後どのように保全及び活用が図られるのだろう。
「徘徊と日常」のページに、撮影が許可されていた階段室部分の画像を載せた※2。
築年数を経て豊かに育った団地内の木々が織りなす四季折々の風景を、踊り場の外部開口がピクチャーウィンドウとなって階段室内に取り込む。
低コスト且つ大量供給という命題の中で高度に合理化・画一化を推し進めて整備された団地も、時を経て情緒をなす。
ふと、10月24日にこの場に引用した内藤廣の文章について改めて想いを巡らすことになった。
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2023.11.07:宇川直宏展
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FINAL MEDIA THERAPIST @DOMMUNE
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※1:
パンデミック時代に捧ぐ「ホドロフスキーのサイコマジック説法」全景。
因みに会場は一部を除き静止画像の撮影は自由となっていた。
※2:
「さどの島銀河芸術祭2022」の映像の一部。
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掲題の企画展を観に練馬区立美術館に行く。
といっても、以前から存じ上げていた作家ではない。
知人から誘われて、会期末の現地に赴いた次第。
同美術館を訪ねるのは久々だ。
移動中、知人から「かなり遅れる」との連絡。
では独りで勝手に鑑賞しますか、と予備知識無しで各作品を観て回る。
順路の最初の方に展示されている「パンデミック時代に捧ぐ「ホドロフスキーのサイコマジック説法」」なる作品の前でまず足が止まる。
架台に載せた小型のブラウン管テレビには、ホドロフスキーと思われる人物が身振り手振りを交え力説する姿。
その上に建築の排気ダクトを想わせる巨大な拡声器が据え付けられ、全方位に不規則に回転しながら説法を喧伝する。
更にその拡声器の左右に三本の蛍光管によって構成された腕が取り付けられ、それも派手に動きながら明滅する※1。
何やら、アートユニット「明和電機」が提唱する「ナンセンスマシーン」を想起させる奇天烈な作品。
拡声器からノイズの如く発生される説法が外国語のため、何を喋っているのか判らないし、説法の内容と機械の動きが連動しているのか否かも判らぬ。
傍らの解説文を読むと、いわゆる「反ワクチン」的な内容の様だ。
作品は、その内容を広くプロパガンダすべく耳目を集めるために企図されたものか。
それともナンセンスな言論と位置づけ、アイロニカルに表現しようとしたものか。
別にどちらでも良い。
そういえば今から約千年前、鎌倉時代に東大寺大仏殿再建を指揮した俊乗房重源も、造営資金調達のために一輪車を用いた派手なパフォーマンスを各地で繰り広げ寄進を募ったと伊藤ていじ著の「重源」に記されている。
畏まった教義では民衆の関心は得られぬと割り切った行動。
案外今の世の中においても、選挙時のお堅い政見放送や候補者の名前を空疎に連呼するだけの選挙カーよりも、当該作品を街中に置いて候補者の演説を流す方が有権者の関心が高まるのではないか・・・などと作品の趣旨とは恐らく全く異なるであろうどうでも良い妄想を展開する。
以降、既視感を持つ印象の作品が続くが、終盤のブースにてテリー・ライリーのライブ映像が流されていて再び歩が止まる。
宇川直宏が関わった「さどの島銀河芸術祭2022」で行われた演奏の映像。
キーボードを弾くテリー・ライリーを間近に捉えたカメラアングルや、時折映るライブ会場に用いられた北沢浮遊選鉱場跡の俯瞰映像※2に惹かれ、知人の到着を待ちつつ暫しその画面に見入る。
漸く会場に到着した知人にその映像について言及したところ、現在開催中の「AMBIENT KYOTO 2023」にて行われた演奏を見たばかりとのこと。
その行動力に感心する。
テーマとして設定された近現代のメディアの盛衰に関し何か判ったような感覚(錯覚)に浸りつつ会場を後にした。
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2023.10.31:異世界居酒屋「のぶ」第17巻
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「異世界居酒屋「のぶ」」のコミカライズ最新刊第17巻を読む。
当該作品を知ったのは、2018年にTVアニメ化されてから。
だから、原作が小説投稿サイト「小説家になろう」に掲載され始めてから4年後。
コミカライズも7巻までが刊行済み。
既刊は古書店で購入したけれど、以降は発刊のたびに新品を購入。
ということで、何だかんだで今のところ全巻読み続けるに至っている。
「小説家になろう」にて原作は読んでいるから、コミカライズの方は個々の物語を如何に映像として描写するのか興味が向くこととなる。
あるいは原作からの改変若しくは微調整の有りや無しやに関心を持つ。
その点において最新刊も例外なく面白い。
ネタバレにならぬよう留意しだすと書けることは限られてしまうが、例えば所収の第101話には、物語の舞台となっている異世界の老舗ホテルの副料理長が登場する。
敵情視察と称して「のぶ」に来店したその副料理長が、お通しとして提供された里芋の煮物に感銘を受け、その印象を一ページ丸々使って語り尽くす。
その語彙の幅広さ。
あるいは、鋭い観察力や分析力。
こうして料理一つひとつに深い洞察を傾けられるのは、とても楽しく、そして豊かなことであろう。
勿論、出された料理に深刻になるのではなく、単純かつ素直に「おいしい」と楽しみみながら頂くことも、豊かなひと時ではあるが。
でも、そこまで語り尽くすならば、一口食べた際の驚愕を小さな一コマに収めるのではなく、もっと大胆に演出しても良かったのかもしれぬ。
そう、例えば第一巻所収の第3話において徴税請負人ゲーアノートがスパゲッティナポリタンを食した際の驚嘆は、見開き二ページを丸々使って表現されておりましたか。
更にその後数ページを割いて饒舌に語り尽くされる、ナポリタンに対する深い感動。
その場面のお陰で、一気に当該作品に引き込まれ、今に至っているようにも思う。
「飯テロ」との評判も高い同作品であるが、なるほどコミカライズを読んでいると、描写される料理はどれもとても美味しそう。
猛暑が去り落ち着いた季節となったことだし、「のぶ」の様な個人経営の小さな料理店で美味しい料理とお酒をゆっくり楽しんでみたくなってきた。
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2023.10.24:内藤廣
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NHK Eテレの「日曜美術館」で10月22日に放映された「建築家・内藤廣 世界一複雑な都市開発を率いる男」を視聴する。
御大が指揮を執る渋谷駅界隈の再開発を始め、これまでの仕事に触れつつ、現在島根県芸術文化センターで開催中の大規模な個展について紹介する内容。
改善など望むべくもない程にカオスを極めた渋谷駅及びその周辺エリアを如何に再構成し利用し易い街へと変えていくのか。
番組の解説では、対象エリア各所の歴史や特性を踏まえながら混沌を是正しようとする手法が紹介されていた。
個々の再開発建物に対しては、敢えて強い景観規制を掛けずに自由なデザインを許容する。
旧来の都市計画とは明らかに異なる街づくりのプロセスを垣間見た気がした。
内藤廣の執筆で初めて印象を持ったのは、旧INAXが1991年11月に発刊した「孵化培養器」所収の「住居は孵化培養器か」と題名がつけられた文章。
それより少し前、大学で卒業制作に勤しんでいた頃に私自身が建築に対して考えていた事々が、ものの見事に言語化されていた。
一部引用してみると以下の通り。
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建築がある時間を経て何事かを胚胎することは確かなことだ。
とるに足らない建物でも、長い時間存在すると、その存在すること自体がひとつの意味を持つ。(中略)
もしそうであるならば、建築の空間を形づくることにどんな意味があるというのだろうか。
空間を表現の場とすることなど、長い時間の中ではさしたる意味をもたないのではないか。
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もっとも、卒業して仕事に就くと、そんなことに思い悩む余裕など持てる筈もない。
いつの間にか意識から遠のいていた。
だから文章に接してハッとしたものだった。
以降、氏の著作に気を留めるようになった。
しかし文章から受ける氏の印象が一気に崩れ去ったのが、Casa BRUTUSのNo.466(2000年10月15日号)。
「安藤忠雄があなたの家を建ててくれます。」と銘打ち、同誌がセレクトした著名建築家十人に自宅の設計依頼を行える「約束建築。」なる特集がその号で組まれた。
十人の建築家の中に内藤廣も登場するが、シミだらけのヨレヨレのポロシャツをだらしなく纏い、インタビューへの応答もやる気のなさを全面に押し出したかの如き斜に構えた態度。
同企画の他のページで、仕立ての良いスーツをビシッと着こなして颯爽と登場する安藤忠雄や高松伸とは大違い。
何だかナと思う。
その後、「約束建築。」の成果報告として特集が組まれた同誌No.522(2003年4月1日号)では、安藤忠雄のかの「4m×4mの家」が華々しく取り上げられ、他の建築家の施工中もしくは竣工した作品も紹介された。
その中で、内藤廣に依頼が入ったプロジェクトは実施設計に漕ぎ付けるも施主と意見が合わず着工は断念。
自身の設計に対し著作権も放棄した旨、報告された。
再び、何だかナと思う。
しかしだからといって氏が手掛けて来た仕事に対する個人的な評価が変わることなど無い。
実見した作品は旭川駅舎や十日町情報館など僅かだけれども、いずれも確かなディテールと品位に満ちた素晴らしい作品ばかり。
駅前再開発といえば、氏は札幌駅南口の再開発にも関わっていらっしゃる。
駅前が氏の手によって今後どの様に変貌するのか。
注目してみたいと思う。
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2023.10.17:メーカー住宅私考_181
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住宅メーカーの動向を把握する上で広告は非常に貴重な資料だと、以前このシリーズで書いた。
私の場合、これも何度もこの場に書いているが、関心を失っていた90年代の空白期を埋め合わせるには、往時の雑誌等に掲載されている広告はとても有用。
例えば、書棚に放置状態の全日空国内線機内誌「翼の王国」。
その中から任意で一冊、1996年12月号を取り上げてみると、住宅メーカー四社の広告が確認される。
それぞれの内容は以下の通り。
三井ホーム
「ハウス」ではなく「ホーム」の概念を巡る短い言及に留めたイメージ広告。
同社の代表モデルも、新商品もそこには登場しない。
やや時代を帯びた西洋館のサンルームと思しき室内から緑量豊かな外部を捉えた画像が大きく載るのみ。
単純には、住宅取得希望者以外の人々も含めた読者に対し、これで一体何を訴えようとしているのか掴みにくい構成。
まずは社名を読者の閾下に留めようという意図か。
パナホーム
「美装コンクリート」なる外装材を用いた新型モデルの広告。
外観全景と、その夜景が併載されている。
そして解説には、「ラーメン構造」「カーテンウォール」「免震ファスナー」と専門用語が並ぶ。
ラーメンとかカーテンとか言われても、専門外の人々には伝わりにくいでしょうに。
あるいは逆に、関心を引くべく意図的にそのような業界外には馴染みが薄い(であろう)言葉を並べたのか。
それよりも、美装コンクリートが如何に画期的な素材で且つ美しい外装なのかのアピールがもっと必要とも思う。
えぇ、80年代後半以降については全くをもって疎いので、同社がコンクリート系の外装材を手掛けていたとは、この広告を改めて仔細に眺めるまで存じませんでした。
ミサワホーム
「GENIUS蔵の家」の広告。
上下階の層間に「蔵」と称する巨大収納空間を挿入し、それによって豊かな天井高を誇る大空間の計画も可能とする構造的特徴を、ホームコンサート会場に仕立てた広々としたリビングルームでアピールしている。
ホームコンサートといえば、同社が80年代前半に発表したミサワホームOII型のカタログの表紙にも同様の設定。
同モデルのテーマである三世代がリビングに一堂会しての仲睦まじい団欒のひと時が演出された。
しかし、「GENIUS蔵の家」の方は無人。
時代性だろうか。
「蔵」が特徴でありながら、その収納空間自体についての解説は無し。
エス・バイ・エル
一軒の注文住宅を巡る設計担当者の拘りを書き綴った紙面。
エスキススケッチと、竣工後の外観画像が添えられている。
その体裁は、ハウスメーカーの広告というよりも、建築家が自身の仕事について独り語りしたコラムのよう。
業種が分かりづらい社名(に変更してしまったが)ゆえに如何に読者に印象付けるか思案した結果の産物か。
個人的には未だに旧社名の「小堀住建」の印象が強い。
それに、そもそも創業時の社名とも異なる。
思えば同社は事業体制も社名も幾度も転向して来た。
案外、近年の更なる社名変更に至り漸くハウスメーカーらしいところに落ち着いたのかもしれぬ・・・などと広告を見ながら想う。
他業種の広告が、例えばパソコンであれば新製品の紹介であったり、時計メーカーであればお洒落な高級腕時計が上品に紙面上にレイアウトされる等、ひと目で内容が伝わるよう意が払われている。
それらに比べ、住宅メーカー四社のそれは雰囲気を異にする。
個々の趣向が眺めていて楽しい。
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2023.10.10:青のオーケストラ
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NHK Eテレで今年の4月から放映されていた掲題のアニメ番組の監督は、かの「月がきれい」を手掛けた岸誠二。
主人公の声優も、「月がきれい」の主人公役と同じ。
そんなところに関心を持ち、初回から視聴していた。
高校のオーケストラ部を舞台にした、青春群像劇。
当然ながら「月がきれい」とは雰囲気も内容も全く異なる。
初期段階で舞台として「海幕高校」なる高校が登場する。
その名称と描かれる外観を見てすぐに、千葉県立幕張総合高校を想起した。
JR京葉線の海浜幕張駅から下り方向に電車が走り始めて数刻。
進行方向左手に並ぶタワーマンションの向こう側に同校が見え隠れするように視認される。
その外観は、校舎建築にありがちな四角四面の無表情なものではない。
屋根は大胆にうねり、若しくは異なる勾配で複雑に組み合わさる。
壁面も場所によっては大きく倒立し、曲面をなし、あるいは不整形に折れ曲がる。
校舎どうしは様々な軸線で交錯し渡り廊下が中空を飛び、そして個々に異なるディテールがちりばめられる。
かように執拗な形態操作がこれでもかと施された独特な外観が高架軌道上の車窓から遠望される。
設計は榎本雅夫。
竣工は1996年。
これだけの意匠をよく実現したものだと思う。
そんな同校をモデルに内外様々な箇所が子細に描写されるので、視ていてなかなか愉しい。
という訳で、怠惰な雰囲気が漂う日曜の夕刻、全24話、最後まで何となく視聴し続けることと相成った。
終盤には、定期演奏会の会場として千葉県文化会館も登場。
設計は大高正人。
外観は勿論、大ホールの内観等も子細に描写された。
ステージから客席を眺めるとこんな感じに見えるのかとか、舞台袖の裏方の空間はこうなっているのか等々、普段は見られないアングルや場所が描写され興味深い。
そして「徘徊と日常」のページで9月9日に取り上げた同館ホワイエの階段手摺端部の独特な曲面処理もしっかりと描かれていた。
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大ホール
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外観
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確認してみると、同文化会館は今年4月1日より大規模修繕のため再来年まで休館しているそうだ。
つまり、1967年に竣工した当該施設は今後も永らく供用され続けるのであろう。
となると、その傍らに1968年に開館した同じく大高正人の設計による千葉県立中央図書館の方はどうなるのか。
既に県立図書館としては満身創痍の状態にあり、ために別の地に新館の整備が決定している。
都市空間として文化会館と強力な相補関係を持つ同図書館の今後が非常に気になる。
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2023.10.02:ミニ開発戸建て
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郵便受けに分譲中戸建て住宅のチラシ。
その完成予想パースには、似たような外観を持つ住棟が幅員の狭い道路に沿って密集して建ち並ぶ様子が描かれている。
一つの敷地を極限まで分筆して新たにビッシリと家を建て込むいわゆる「ミニ開発」の類いと一瞥して了見できる。
面白い筈も無かろうと内容もロクに確認せずに古紙収集用紙袋に入れようとしたが、掲載されている平面図に目が留まった瞬間その手がピタリと止まる。
短辺一面のみが接道する狭隘な短冊型の敷地形状と配棟状況は、あきらかにミニ開発戸建て。
でもその手の住宅に典型の間取りとはちょっと様子が異なる。
何だかじっくりと眺めてみたい様な、そんな平面図。
裏面には、物件概要。
間取りを構成するための特徴的な要素を十数種設定し、それらを複数組み合わせて各棟に採用していますとの説明。
要素とは、例えば「通り土間」や「DEN」や「坪庭」等々。
間取りに関心がある人だったら、個々の名称を聞いただけでどんな設えか容易に思い浮かぼう。
つまりは決して目新しいアイテムではない。
とはいえ、それらを個々に任意に採用する結果、掲載されている平面プランに同一のものは皆無。
それぞれ違う性格を持つ内観が形成され、外観の差異にも繋がっている。
否、これとて特段新しい手法ではない。
しかしその考え方を体系化し、分かり易く紙面上にアピールしているところが良い。
そして、それらが採用された平面図はいずれも見ていてそれなりに面白い。
販売棟数は30棟。
調べてみると、もともとは企業の社宅であった敷地に位置指定道路を巡らせ棟数分を分筆した様だ。
分譲開始から三週間程度で半数強が成約。
建築資材価格や人件費の高騰に伴う販売価格上昇傾向が続く昨今の市場動向を鑑みるならば、なかなか好調な売れ行き。
その要因として、プランに見受けられる商品企画が挙げられよう。
凡庸なプランより漠然と何か特徴的だと取らまえられる平面の方が関心が沸くものだ。
間取りの力。
そんなことを好き勝手に想い巡らせながら暫しチラシを眺めれば、初見時に全く関心が持てなかった完成予想パースの印象も変わってくる。
片流れ屋根と陸屋根(屋上バルコニー)の組合せを基本に、分節された外観ボリュームごとに異なる外装材を与えて外観を整える。
更には南側一階居室の前面に狭小ながらテラスを設け、プライバシーを確保すべく道路からの視線を遮る程度の高さの外構壁で囲う。
全棟これらを共通して適用し、街並みとしての纏まった雰囲気を演出しようと配慮している様に読み取れなくもない。
しかしながら、やはりこの手の開発によってもたらされる居住環境はどこか物哀しい。
当該事業地のかつて様子をSVで確認すると、三階建てRC造の階段室型集合住宅を南北に平行配棟し社宅として供用。
棟間には欅や楠等の高木を含む豊かな共用の緑地が整備されていた様子が窺える。
それが二階建て木造ミニ戸建てへの建て替えによって、位置指定道路の整備も絡み土地利用の効率が低下。
更には分筆によって、豊かな緑地が各敷地に細分され、且つそれぞれが低木の配植がせいぜいの狭隘なものへと堕してしまうのは、居住環境としてどうなのだろう。
密集して居住単位を所有せざるを得ぬ状況下における理想的な住まいの在り方の追求はなかなかに厳しく、そして難しい。
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