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2023.01−2023.03
2023.03.27:モールの想像力
―ショッピングモールはユートピアだ 展

※1

日本橋高島屋S.C.本館外観

※2

同百貨店内は撮影不可のため、ポスターと同じ絵が載せられたリーフレットを引用する。

長距離移動の際、その車窓から望む風景には巨大ショッピングモールが次々と顕れる。 疾走する車内から視認される一瞬の風景にも関わらず、巨大さゆえに目に留まり易いそれらの外観はどれも似たり寄ったり。 そして周囲から明らかに断絶した佇まい。 だから、あまり良い印象として受け止めてはこなかった。

そんなショッピングモールについての企画展。 しかも開催場所が日本橋高島屋S.C.本館内の「高島屋史料館TOKYO」。 国指定重要文化財となっている老舗百貨店店舗※1でショッピングモールに関する企画展が行われるという状況が何とも面白い。
それに、同資料館では少し前まで「百貨店展―夢と憧れの建築史展」が開催されていた。 小さなスペースながらとても充実した内容で大いに堪能できた。 ついでに重文指定ならではの煌びやかな意匠が所どころに展開する店内をそぞろ歩きするのもなかなか楽しい。
ということで再び同百貨店へと足を運んだ。

入口の前には、同企画展のための大きなポスター。 そこには、青空に巨大な入道雲、そして伸びやかな牧歌的風景の中にショッピングモールが鮮烈な対比をもって描かれている※2。 とっても爽やかな色調と構成のその絵とは裏腹に、入口から覗える展示室内はまだ設営途中の様な雰囲気。 ギャップに戸惑いながら入室すると決して設営作業中などではなく、それは展示意図に則って仕組まれた演出。
意外な趣向に面食らいつつ室内を見回すとショッピングモールに纏わる膨大な解説文が三方の壁面に帯状に連なる。 主催者の言によると三万字に及ぶそのテクストは、読む者をグイグイと惹きこむ文体。 そして要所要所に参照図版が添えられる。 入場無料を良いことに気軽に入室したが、そんな生易しい展示ではない。 でも面白い。 どちらかというと否定的な価値判断をもって眺めていたショッピングモールに対する全く異なる視点と考察の提示。 とても愉しめた。

但し、その文化的意義について多々教えられはしたものの、それでも尚、この手の施設に対する自身の評価は大きく変わりはしない。 建設と供用に係る事業収支の桎梏の中で、外装には大したコストは掛けられぬ。 それでも辛うじて倉庫や工場とは異なる華やかさを装うべく、ぎりぎりの予算内で中途半端にチープな外表が設えられる。 不動産価値を極限まで内観に偏向させたいびつな様態に建築としての魅力の要素を見い出すには、相当高度な見立ての眼力が求められよう。
ともあれ、同展監修者の大山顕と東浩紀の共著「ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市」を読んでみたくなった。

2023.03.21:和釘と洋釘

講演名称:
2022年日本建築学会賞(論文)受賞記念講演会

内容:
和釘から洋釘への転換に関する一連の研究

講演者
平山育男

開催日時:
2023年3月16日16:30〜

場所:
長岡造形大学大講堂

前回この場に書いたタバコ屋のカウンターに関する卒業論文を再読しようと、公表している長岡造形大学のサイトにアクセスしてみる。 すると、それとは別に当日学内で開催される予定の講演会の案内が目に留まった。 概要は左記の通り。
講演される同大教授のお名前は以前から地元情報誌「マイ・スキップ」の特集記事等で拝見していたし、和釘にも少々関心がある。 学外にもZOOM配信にて公開されるとのことなので、慌てて聴講の申し込みを行った。

釘には和釘と洋釘がある。 前者は日本古来からのもの。 後者は明治以降用いられるようになり、今はこちらが一般的。
古民家の調査に携わる際、和釘を目にする機会がある。 でも、私は凡人なので「お、和釘だ。珍しい。」と思う程度。 何せ、限られた時間内で対象建物の成り立ちを把握し平立断面図を起こさなければならぬ。 構造体や建具の寸法を測定すべく身体中埃や煤にまみれながら慌ただしく建物内外を巡る中で、往々にして目の前の事象を単純に捉え軽く受け流してしまいがちだ。
だから、たとえ調査対象の建物に和釘と洋釘が併用されていたとしても、そのことを疑問に思ったりはしない。 建てられた当初は和釘が用いられ、その後の修繕の際に洋釘が使われたのだろうとか、あるいは別の現場の解体時に回収した和釘を一部に再利用したのではないかといった推察に留まるのが関の山。

しかし研究職に就かれている方は違う。 釘が混在する事実に疑問を抱き、そこに課題を見い出す。 そして深く地道な探求の積み重ねによって知らざれる歴史的事実を正確に解明してゆく。
講演会の中で語られるそのプロセスは見事としか言いようがない。 流石に見る目が違うものだなと圧倒されつつ、聴く者をぐいぐいと惹き込む分かり易い講義をリモートながらも存分に堪能した。

些細なことでもそこに疑問を感じること。 そしてその謎を解決しても決して満足せずにそこから更に探求すべき事項を見い出し続けること。 その大切さを改めて教えられた気がする。

2023.03.13:タバコ屋のカウンター/卒業制作
※1

製作中の様子を撮ったもの。
参考資料として大学に保管されることになったため手元には無い。 従って確認出来ないが、今改めて目を通したならば赤面モノの稚拙な出来栄えなのだろう。 でも、製作にかけた当時の熱量には今は絶対勝てないと思う。

タバコ屋のカウンターをテーマにした卒業論文がありましたよ、と知り合いから教えてもらった。
私は喫煙の習慣はないが、都市景観の構成要素としてのタバコ屋のカウンターには関心が向く。 同じように見えて実は個々に意が払われているかと思えば、逆に個性的に見えて子細を確認すると極々標準的な組み立てに則っている等、それは鑑賞対象としてとても興味深い。
そんなタバコ屋のカウンターに対しどの様に研究成果を纏め上げているのか。 知り合いから紹介して貰った大学のサイトに公表されている資料を暫し眺めてみる。

その内容は、関心を持つに至った経緯から始まって基本構成の解析、そして地域性や時代性の考察、更には今後の活用方法の提案に及ぶ。 公表用の梗概として纏められたのであろうそのプレゼンボードは、見やすく、そしてとても判り易い構成。
勿論、専用の編集ソフトを駆使し作り上げているのであろう。 翻って、自身の卒業設計※1の際のことを想い起こしてみると、その製作プロセスは隔世の感を通り越して完全な異世界の趣き。 今思えば哀しいほどのアナログの世界である。 それでもワープロや複写機はあったので、それらを利用しつつとんでもない手作業に時間を費やしていたものであった・・・などとどうでもよい昔のことをついつい思い出してしまう。

ワープロに打ち込んだ文字を粘着クリアフィルムに印字。 原稿に切り貼りするなんて作業は当時は当たり前。 彩色した図面もそのままでは面白くないのでカラー複写して色調を補正する。 その際、思い通りに発色してくれる機械を探し求めて幾つものコピーセンターを巡った。 やっと見つけた意に沿う(クセのある)機械を置いているコピー屋さんが最新の機材を導入した際も、「そっちじゃなくて前からある方でお願いします」などと勝手なお願いをする。 店員さんは意を酌んで嬉しそうに古い機械を立ち上げ直して対応してくれた・・・なんてこともありましたか。
そんな労力は、今や全く無用のもの。 パソコンの画面上で意のままに一瞬で調整可能だ。 まぁ、その代わりに往時とは異なる別の労苦が様々あるのだろう。

タバコ屋について改めて調べてみると、カウンターやショーケースをユニット化した既製品が販売されていた時期があったとか、それらが古物市場に流通している等、興味深い事々が垣間見える。
さて、暫く怠っていた事例採集を再開してみようか。

2023.03.07:メーカー住宅私考_172
イワタニハウス 合歓の洋館


合歓の洋館外観

外観の中央を竪に貫く凝灰岩を小端積みした様な仕上げのボリュームがひと際目につく。 チムニーを思わせるそのボリュームの二階部分には、コーナーサッシが寄り添う。 更には、各所に配された外部開口の上下端に関連付けた水平方向の細いモールを白壁と対比する。
これらの要素を主軸に、寄棟屋根のもと、インナーテラスや出窓等をバランス良くレイアウトした全体像がゆったりと取り纏められている。

同社は、1976年発売の「木の洋館」を皮切りに洋館シリーズと銘打ってラインアップを展開させた。 時系列順に並べると、1978年の「白い洋館」。 1980年の「四季の洋館」。 1981年の「都市の洋館」。 1982年には「緑の洋館」と、当サイトの住宅メーカーの住宅のページに登録している「向日葵の洋館」。 こうして年々充実させた当シリーズの最上位モデルとして、1983年に「合歓の洋館」がリリースされた。
いずれもツーバイフォー工法が用いられ、その商品開発には建築家の奥山陽子が関わっている。 一人の建築家と業務提携することで、商品群の意匠的な方向性の統一と会社としてのカラーを確立。 同じ工法で先行する三井ホームの欧風デザインとの差異化を指向したのであろう。 更には女性建築家ならではの視点を取り込むことで、主婦層への訴求効果の強い商品性付与も目論まれたのかもしれぬ。
合歓の洋館においても、代表プランはキッチン脇の家事スペースやユーティリティの近接、あるいはサニタリーへの効率的な動線を実現している。 更に、モデルの名称に謳われている通り、家族間の関係性を補完するためのコミュニケーションスペースとして、ダイニングルームとは別にキッチン脇に簡易な食事がとれるカウンター。 あるいはリビングとダイニングの間にフリースペースを挿入している。

※1
その当時のモデルについては、このシリーズの第71回(2017年2月6日)にて言及している。


合歓の洋館各階平面図

当該モデルは基本的に自由設計だが、提案プランが幾つか設定されていた。 モデルの固有性維持のため、いずれの提案プランもチムニーを思わせるボリュームの脇に玄関、そしてその直上にコーナーサッシを配すルールを基本に据えていた様だ。 ちなみに、コーナーサッシ部分は主寝室付随の書斎の用途に供することも基本ルール。 これらのルールを守りながら、東西南北各方向に玄関を配した提案プランが数種用意された。 実際にはどの様なプラン展開が図られたのだろう。 今のところ当該モデルの事例は観たことが無い。

同社の設立は1966年。 当初は水廻りのコア化とセントラル空調を特徴とした軽量鉄骨造のモデルを取り扱っていた※1。 その内外観はいささかぎこちない印象。 しかし国内におけるツーバイフォー工法のオープン化以降、同工法への鞍替えと建築家の起用で充実した商品体系が整備された。
洋館シリーズは、合歓の洋館が基本的な商品構成としては最後。 以降、マイナーチェンジモデルも出されるが、商品体系は雰囲気を異にする方向性に変容。 近年まで、住宅事業を継続していた。

2023.02.27:森永プラザビル

BSテレ東で放映されている「ビルぶら!レトロ探訪」。 毎回、ある程度築年数を経た建物にスポットを当て、その内外をそぞろ歩きする番組。
但し主役は建物ではなくテナントとして入っている店舗。 それらを巡り、場合によっては飲食に供するとなると、よくある街歩きの番組と大して変わらぬ。 しかし僅かながら建物自体の来歴や特徴の紹介もあるから、取り敢えず録画することとなる。

そんな番組で、「森永プラザビル」が取り上げられた。
JR田町駅の西口に面して屹立する森永製菓と森永乳業の本社ビル。 橋上駅舎のため、そのコンコースのフロアレベルに合わせて建物の二階部分に人工地盤及びぺディストリアンデッキを整備。 駅利用者に対する往来動線の提供と本社機構を持つ高さ100mの建物前面の構えとして、公共的な広場を形成している。
人工地盤下の一階部分及び地階には商業施設が入り、駅前の賑わい形成にも供す。 見上げのワッフルスラブが、視覚に心地よいリズムを刻む。 人工地盤上の駅利用者の往来動線と広場は、植栽や擁壁、そして床面の段差の導入により軽く区画。 広場に落ち着きをもたらすと共に、段差の効果的な配置が豊かな変化も添えている。 と同時に下階の商業施設へと誘う動線も形成。 更には建物そのものの足元廻りを豊かに演出している。
それらの構成を見れば、立地を考慮した建物の在り方が十全に配慮された計画であることが容易に読み取れる。

滞留空間をハードペーブで統一し、そこに緑地帯を人工的に配す。 そんな全体像を眺めるとき、例えば「長岡セントラルパーク」を想い起こす。 国内におけるランドスケープデザインの先駆者である池原謙一郎によって長岡市内の駅前市街地に1970年に整備された都市公園。 氏の初期の仕事に当たるこの公園の設計概要として、「公園緑地」誌の1971年1月号に自らの解説を載せている。 そこには、当時都市問題として浮上していた「交通戦争」や「大気汚染」に言及。 それらへの対処としての都市アメニティの確保の在り姿が論じられている。 また、当時の市報にも、整備のテーマとして「緑と太陽といこい」が掲げられた。
森永プラザビルの竣工も、1973年。 都市の只中に位置しつつ、喧騒から切り離す様に整備された無目的に滞留可能な広場といった点で、規模や様態は違えど何やら同時代性が見い出し得ぬ訳でもない。

長岡セントラルパークは2008年に閉園。 そして森永プラザビルも、建て替え計画が公表されている。

2023.02.20:可愛いだけじゃない式守さん17巻18巻

漫画の単行本第17巻及び18巻が同時発売されたと聞き、歩が自然と本屋に向かう。 いや、別に買おうなんて思っちゃいない。 同時発売されている状況を確認するだけだ、などと自身に言い聞かせつつ新刊コーナーに目をやると両巻ともに平積みされている。
帯にはそれぞれ以下のキャッチコピー。

“仲間と泣けるのは、今だけだから。”
“この日々の美しさに今は気づかなくても。”

双方の文字列共に記されている“今”の時代を過ごしていた頃の私がこの短い文章そのままの言葉を周囲の大人たちから掛けられたら、確実に反発したことだろう。 「余計なお世話だ」と。
しかしそんな“今”が遠い遠い過去のものとなってしまった「今」となっては、何やらしんみりと胸に刺さってくる。 単純にそれは、歳を取ったということ。 もっと直截に言うなら、つまらないオッサンになって既に久しいということだけれども、それゆえにそんな文節が目に留まることで湧いてくる購入欲求を抑え込むことはなかなか難しい。
ということで結局両巻とも購入。 それぞれの内容は、帯のキャッチコピーがしっかりと表象している。 このコピーを考えた人、優秀だな。

既に朧げなものとなった自身の記憶を辿れば、高校三年生になってからの時間の進み方は凄まじく早かった。 それまでの一年や二年の頃とはまるで違ったような気がする。
そんな過去への追憶そのままに、三年生となった登場人物たちの日常もめまぐるしく過ぎ去ってゆく。 この勢いでは、卒業までもあっという間だなと思ったら、あと二巻で完結するとの告知。 単行本累計460万部超えの大ヒット作品だからといって、安易に引っ張らないところが潔い。 というよりも、妥当な判断だろう。 例えば大学編へと連載を繋げる展開もあろうが、作品の魅力として通底する“今”は、大学までは持ち込めぬ。

TVアニメの初回を何となく視て、そこで描かれる穏やかで優しい世界に、かつてどっぷり嵌まった「月がきれい」と同じ雰囲気を見い出し、視聴続行。 当然のことながら実際には全く異なる設定及び内容だけれども、一話一話とても良い展開。 とりわけ後半は文化祭や体育祭のエピソード等、神回が続く。 結局最終回まで見届けることに。
以降、軽いロス状態。 その緩和措置として遅まきながら読み始めた原作の漫画も完結となると、更に深いロスに陥ってしまいそうだ。
願わくはまだアニメ化されていない原作のエピソードを用いた第二期放映を。 とりわけ、ちょうど二か月前にこの場で取り上げた既刊第16巻前半のエピソードはアニメだったらどの様に表現され得るか・・・などと思ったりもする。

2023.02.14:メーカー住宅私考_171
ラーメン屋に転用されたメーカー住宅


知人が撮った写真ではなくgoogleストリートビューの画像を載せる。
改修が一部施されているものの、オリジナルの様態が概ね保持されている。

知人がSNS上で、開店したばかりの地元のラーメン屋を訪ねた旨、画像と共に報告していた。
私はラーメンに対し然したる拘りは無い。 但し、極太麺は願い下げ。 つけ麺も好きじゃない。 好きな人には申し訳ないけれど、激辛系や背油ギッタリ系もパス。 極々普通の醤油ラーメンが良い。 否、今やこの「普通」という概念が何を指すのかすら伝えられ得ぬ程にこの料理は多種多様な広がりを見せ、例えばテレビ番組などでは視聴率稼ぎのお手軽なキラーコンテンツとして重宝される様になって既に久しい。
知人がその店で食したメニューは、画像を見る限りでは白湯系。 一体どんな味なのだろうと思いつつ、しかし私の視線はその画像ではなく、一緒に添えられた店舗の外観写真の方に向く。 「ウン、「Be-Frola M1」だね」と。

ミサワホームが1986年に発表した一次取得者向けの規格住宅。
急勾配の三角屋根。 そして横張りの白のサイディングに格子を組み込んだホワイトサッシ。 他メーカーのみならず、ちょっと気の利いた地域のビルダーでも既に十分手を染めていそうなあまりにも凡庸なパターン。 そんなモデルでも商品体系の一つとして設定しておかねばならぬ。 先進性を誇るモデルの充実だけでは通用しない。 この当時においても既に市場がプロダクトアウトからマーケットインへと主流が変わっていたことの顕れ、といったところか。
ということで、Be-Frola M1は個人的には大して興味の沸くモデルでは無い。 しかし市場の受けは良かった様で、中古住宅販売サイトを巡っていると当該モデルの建設事例によくお目にかかる。 そして、別荘としての需要も少なくは無かった様だ。 偶然かもしれぬが、別荘地に絞って検索を掛けると当該モデルに出くわす割合が結構高い様な気がする。 あるいはそれは、その外観によってセカンドハウスとしての需要に紐づけされた面があったのかもしれぬ。


外観

引用した外観画像及び図面は、当該ラーメン屋の左右反転タイプ。
ラーメン屋となる前のレストランの改修工事を担当したデザイン事務所のサイト掲載画像からは、一階の和室部分を小上がり。 リビングルームをテーブル席とカウンター席。 ダイニングキッチンを厨房の用途に転用している様に読み取れる。


各階平面図

ともあれ、そんなBe-Frola M1が転用されたラーメン屋。 いったい個人住宅をどの様に改装したのかという点には関心を持つ。
ネット上で調べてみると、どうやらラーメン店となる前も数年間レストランとして使われていた時期があった様だ。 そのレストランを開業する際にもフルリフォームを実施。 改修を手掛けたのは地元のデザイン事務所。 その事務所がネット上に開設しているサイト内の実績紹介ページに、当該リフォーム概要が載せられている。 もともとクローズドシステムの壁式工法。 その改修には、同工法の特徴や構造条件の把握が必要となるが、どの様に計画に反映されたのだろう。

ラーメン屋に転用するにあたって、そこから更に改修が施されたのか。 それとも居抜きのままか。 ラーメン屋となってからの店内画像がネット上では見当たらないため判らぬが、個人住宅の飲食店への転用事例として実際に見てみたい気がしなくもない。 それに曲がりなりとも同社の過去モデルの施工事例に接する良い機会でもある。
立地は私がかつて居住していた新潟県長岡市内だから今現在の居住地からは遠く離れている。 しかしメニューはそんなに奇をてらったものでも無さそう。 醤油ラーメンも見た目は普通っぽい。 ということで、何かの機会に訪ねてみることにしよう。

2023.02.06:大海原のカイナ

一月より放映されているTVアニメ作品。
初回は、そんなに遠くない将来に向けて緩やかな消滅しか見込めぬ限界コミュニティが描かれる。 どうやらアポカリプス後の過酷な世界。 過去の文明や文化は途絶え、価値観も生活様態も生活を取り巻く環境も、何もかもが変わり果て、なお且つ著しく後退・衰退している。 一体どのような経緯でそうなってしまったのか。 科学的な整合性も踏まえ、今後じっくりと物語の中で明かされてゆくのだろう。

そんな期待を寄せつつ、しかし状況設定の根本に「風の谷のナウシカ」を彷彿とさせる面が無きにしも非ず。 果たして、ナウシカ的な印象の範疇に終始するのか。 それともそこから如何に距離を広げながら物語を描き切るのかといった点に関心が向く。

ところで、ナウシカとは別にもう一つ思い起こす作品がある。 手塚治虫の「火の鳥黎明編」。 その作中、人力では昇り得ぬ絶壁に閉ざされた深い深いクレーターの底部で外界と孤絶しながら細々と営為が紡がれるエピソードが描かれる。 即ち、大海原のカイナの冒頭と同様の限界コミュニティ。 その閉域から脱し未知の外側の世界へと向かうべく、一人の青年が自らの身体能力と僅かな原始的道具のみで、その崖に立ち向かう。
それと同質の行為が、大海原のカイナの第二話でも描かれる。 昇るのではなく降りる話。 方向は違えど、人のスケールを遥かに超越した未踏の自然に対峙している点は同じ。 そして「火の鳥黎明編」では昇る途上、青年が火の鳥と遭遇する(ないしは幻影を見る)。 大海原のカイナでは、住友林業のイメージキャラクター「きこりん」の変異体みたいなものが影向する。

この様に過去に自身が接した作品を引き合いに印象を述べるのは安易だ。 しかしそこは、高松伸がかつて自作「織陣」について新建築誌に掲載した晦渋な小論「空中楼閣」の冒頭に記している通り、「なにものも記憶を免れては在り得ない」ということにしておこう。
作画は神がかっている。 オープニングテーマ曲もお洒落。 既に伏線と思しき要素が散りばめられ、それらが如何に回収されるのか気になる。 どうやら視聴し続けることとなりそうだ。

2023.01.30:メーカー住宅私考_170
三井ホーム マッキンレー

※1
様式のイメージ引用以外の手法として、例えば小屋裏換気や煙突等の装飾的要素を商品の特徴として付与し、その要素をモデル名称に冠して商品的な差別化を指向したものが挙げられる。 その多くは、例えば「〇〇のある家」などの名称が用いられた。
それほか、先進の住まい方提案をプランや設備、そして内外観意匠に積極的に組み込んだ企画住宅と呼ばれる流れも挙げられよう。

国内の住宅市場において「商品化住宅」という言葉が用いられるようになったのは昭和50年代。 それまで主要課題とされてきた構法開発が各社一段落し、内外観デザインの差異化による商品性の付与へと開発の流れが移行してゆく。
その手法の一つとして、既に確立されている何らかの住宅様式の擬態、ないしはそのイメージの付与が挙げられる※1。 その方向で先鋭的に商品体系を充実させたのが三井ホーム。 ツーバイフォー構法を用いつつ、その内外観に商品名に冠した欧米諸国の地名をイメージさせる意匠をふんだんに採用する。 そこに工法と意匠の必然的な関係性は見い出せぬ。 他の工法でも十分成し得る。
昭和50年代における同社のそんな展開に、石山修武が噛みついていたこともありましたか。 しかし同社がその様な商品企画を先導し、多くの同業他社が追従し、そして今に至っている。

そんな同社の往時の商品体系の中でも初期に発表されたマッキンレーに関し、下記に引用した平面図を見てミサワホームO型との類似性を指摘するのは少々強引かもしれぬ。 しかしその様に捉えてしまうのは、例えば一階の玄関からキッチンまでの東西の軸に導入されたクォーターモジュールの存在。 即ち、通常1間(1820mm)幅で構成されるであろうこの東西軸に、455mmを加えた芯芯2275mm幅が用いられているところに既視を覚える。 更に、そんな玄関を起点とした諸室の配置を見てみるとどうだろう。 東西軸の南側にリビングダイニングルーム。 そして北側の玄関寄りに和室、その奥にサニタリーゾーン。 二階も同様。 階段や吹抜けを取り込んだ線形のホールの南北に諸室が振り分けられている。
この様に文章で表現すると、O型の平面プランの骨格との共通性が見い出されよう。


外観

同社では1983年にマッキンレーIIを発表している。
その名称から単純には後継モデルと位置付けられるのだろうが、雁行を玄関側立面のみとし、あるいは主寝室付属のバスルームも取りやめる等のスケールダウンが図られ、雰囲気を全く異とするモデルになった。


各階平面図

因みに、ミサワホームO型の発売が1976年。 そして当該モデルの発売が1978年。 この時系列を鑑みると、後者が前者のプランの影響を受けた可能性・・・などと邪推を展開するつもりはない。
何故なら、基本骨格はともかく、実際の諸室の形状や配置は両者で大きく異なる。 特に顕著なのが、マッキンレーに導入された、南北ボリュームの雁行配置。 あるいはO型が各室の面積を基本8帖として整形配置しているのに対し、マッキンレーは諸室の用途に応じメリハリを付けている。 そしてそのことが外観にも差異として大きく現れる。 外観を見て両者の類似性を見い出すには、相当の発想の飛躍を要しよう。 切妻を主体としながら雁行を活かした変化を醸した屋根形態。 からし色の壁面に白をアクセントとして整えた各方位の立面。 もっとも、それがマッキンレーというエリアの住宅様式の主流とどの様な関係があるのかはよく分らぬが。

類似する諸室配置ながらも動的な構成が施されることで、O型には無い設えも散見される。
例えば、O型では洗面室を介さないと至れなかったトイレが、廊下から直接入れる動線となっている。 あるいは、雁行形態を活用して設けたキッチン奥のユーティリティ。 二階についても、北側主寝室にはウォークインクロゼットと専用のサニタリースペースを設置。 南側も、書斎を想定した部屋が用意された。
O型が大味とは言わぬ。 三世代同居を見据え、更には工業化や生産性の観点から組み立てられた整形な諸室配置がO型の基本。 対してマッキンレーには、もう少し余裕のある上質な空間を指向した形態操作が伺える。

2003年、ミサワホームからO型の継承モデルとしてit's MY STYLE O-type kuraが発表された。 今思うと、その際の商品開発の方向性として、マッキンレーの様な平面形態への改変も、選択肢として十分あり得たのではないか。 主寝室付属の専用バスルームはともかくとして、雁行を取り入れた諸室の動的配置と面積配分調整。 その内観を反映させた外観の再構成を試みるとしたらどの様なモデルがあり得たか。
“if”の話にはなるが、整形田の字型間取りを踏襲しながら売れ筋の「kura」と称する大型収納庫を組み込むことのみが、リモデリングの在り姿では無かった筈だ。

2023.01.23:磯崎新

磯崎新の名前を知ったのはいつ頃か。 既に遠い昔のことなので時系列を含め正確に覚えてはいないが、高校卒業後の進路を大学の建築学科と定めて間もない頃に「高いな〜」と思いながらも購入した「a+u」誌の1985年11月号が最初だったかもしれない。
そこに、アメリカのフェニックス市庁舎設計コンペの最終選考4案の中に磯崎案が選ばれた旨の記事が載せられていた。 添えられたシルクスクリーンによるプレゼン図面には、当時は今一つピンと来なかった。 あるいは同じ時期、NHK Eテレ(当時はNHK教育)で放映された建築特集番組「建築の前衛たち」の中でつくばセンタービルが紹介された。 けれども、何が前衛なのか解らなかった。
大学進学後、最初に目にした氏の文章は当時「新建築」誌で連載していた「<建築>という形式」であったろうか。 しかし何が書いてあるのか、読んでもさっぱり解らない。 でも、バイトで通っていた建築設計事務所のスタッフの人たちは口々に「凄い」と、その内容に舌を巻いていた。 「そういうものなのか、建築って難しいなぁ・・・」と思ったものだった。

建築学科に籍は置いていたものの、最初から専門誌を華々しく賑わす最先端の建築作品に興味が向かっていた訳では無い。 中学時代に住宅メーカーにドップリと嵌まっていたことが確実に尾を引いていた。 中でも、80年代前半まで破竹の勢いを見せていたミサワホームの企画住宅群に感銘を受け続けていた私にとって、建築家が設計する住宅や建築作品は理解し難い代物でしかなかった。
一方、進学後の関心は明治大正時代に建てられた古民家へと向かっていた。 だから同じ学科内の人との会話もあまりうまく噛み合わない。 それこそ、国内外の新進気鋭の建築家やその作品の固有名詞を如何に多く諳んじられるかがステータスみたいな雰囲気があり、話についていけない場面が往々にしてあった。

そんな私の意識が大きく変わるきっかけは、磯崎新では無く谷口吉生の作品。 土門拳記念館であったことは、以前もこの場に書いている。 大学の春休みを利用した東北6県の古民家探訪の行程中、立ち寄った酒田市の駅前の観光案内図にてたまたまその存在を知り、市内の古い建物を見て回るついでに訪ねて結構ショックを受けた。 これが"建築"というものかと。
以降、大学図書館の集中書架に籠り、本棚の片隅に据えられた閲覧机で建築専門誌のバックナンバーを読み漁る機会が増えた。 その中で磯崎新の言説や作品にも多く触れることとなりましたか。

初めて氏の姿を直接拝見したのは、90年代初め。 東京都港区の旧東京郵便貯金会館で開催されたフィリップ・ジョンソンの講演会の時だった。 講演開始直前、ほぼ満席の大ホールに磯崎新が来場。 数名の講演会スタッフが最前列の来賓席へと恭しく案内する。 その際の堂々とした立ち居振る舞いとオーラに圧倒された。 でもって既に壇上の席に座っていたフィリップ・ジョンソンが磯崎新に気付き、ステージから降りて氏に近づき握手を交わす。 その際の互いのオーバーなアクションに、一流の人間はこうやって挨拶をするものなのかと妙に感心した。 当時、氏は60代になって間もない頃だったけれど、その存在感というか迫力は一体何だろう。 一流の人はこうも風格が違うものなのかと気圧されたものだった。
講演会終盤の質疑応答の時間に、司会進行役からコメントを促された磯崎氏は、「ずっと最先端を走り続けてきたその原動力は何か」といった旨のことを尋ねていた。 フィリップ・ジョンソンの回答は「好奇心だ」といったようなものだったと記憶している。
その当時のジョンソンとほぼ同じ年齢へと達するまで、建築の領域を超えて様々な分野の知の最先端を縦横無尽且つ絢爛に疾走し続けてきた氏の境地とは如何なるものであったのか。 その一端に触れることも理解することも凡人の私には叶わぬが、これからも遺された作品や著作に接しつつ自分なりに読み解く機会をしばしば持ち続けることになるのだろう。

2023.01.16:望来坂上

※1
望来坂上からの風景。 坂を下った辺りに望来集落が広がり、その向こうに空との区別がつきにくいが、日本海や雄冬峠が遠望される。


※2
海岸段丘から無煙浜を一望する。

録画しておいた「孤独のグルメ2022大晦日スペシャル」を視る。
言わずもがなのグルメドキュメンタリードラマ年末特別編成版。 今回の舞台は北海道。 苫小牧に始まり、千歳、札幌、そして途中厚田に寄り道し小樽に至るロードムービー仕立て。 そこかしこに見覚えのある風景が映り込むこともあって、存分に楽しめた。

特に印象深かったのは、主人公の五郎さんが厚田漁港に向かって国道231号を愛車のミニクーパーで走るシーン。 同国道を北上する北海道中央バスの「望来坂上」という停留所近辺から下り坂に向かって厚田方面を遠望するアングルが一瞬映し出される。 とても気に入っている懐かしい場所※1なので、思わずホロリとさせられた。 「この風景を使ってくれましたか・・・」と。

学生時代、あるいは二十代前半の頃、北海道の日本海沿岸各地に遺る鰊番屋に強い関心を持っていた。 それらの遺構を巡る際は、いつもこの路線バスを利用していた。 早朝、札幌バスターミナル始発の初便に乗り北上すること一時間強。 しばしば当該停留場で途中下車した。
次の便が来るのは数時間後。 その間、停留場からの景色や、あるいは停留所が位置する海岸段丘上の荒蕪地を海に向かって歩を進めると眼下に広がる石狩湾の眺め※2、そして段丘を降りた先の無煙浜と呼ばれる砂浜の寂寞とした風情などを大いに満喫した。
更に、厚田よりも北に位置する濃昼や雄冬等に散在する鰊番屋を巡った後の札幌への帰路、同じくこの停留所で下車。 最終便となる次のバスが来るまでの数時間、夕闇迫る同エリアの風景を独りゆっくりと堪能したものだった。

思えば、この望来界隈を含めた国道231号を北上する路線バスの旅も随分と御無沙汰になってしまった。
行く先々で愛でていた番屋を含む鰊漁労の遺構が相当数滅失してしまったこと。 遺っていても綺麗に修繕されて観光スポットと化し、何だか調子が狂ってしまうこと。 厚田以北に向かう公共の移動手段がオンデマンド交通に切り替えられたこと。 理由は色々だ。
そんな事々が、ドラマの一瞬のシーンをきっかけにワッと頭の中を駆け巡る。 風景の記憶って、面白い。

望来坂上の風景の魅力は、先に記したことだけではない。 日没後の帰路、同停留所を過ぎ暫し札幌方面に進んだ先の、段丘から坂道を下る際に眼前に広がる石狩平野の夜景。 これもまた素晴らしい。 その一瞬の視覚の享楽を含め、車窓に次々と展開する極上の風景を存分に拝みたいが為に、バスに乗る際は最前列左手の席を陣取ったものだった。
こんなことを書いているうちに、何だか再び国道231号北上の小旅行をしてみたい気分になってきた。

2023.01.08:メーカー住宅私考_169
ミサワホーム DEBUT生涯楽習の家

年末年始は北海道の実家で過ごす。
いつものことではあるが、何か特別な予定を組むといったことは無し。 家の周囲の散策や、窓際で降雪を愛でながらの読書等、ゆっくりと休暇を満喫した。

今回読んだ本の一つが、「日本の名随筆 書斎」。 1980年代から90年代にかけて、作品社が定期的に出版した随筆集。 各巻、一つのテーマを巡って文人達がしたためた随筆が纏められたもので、最終的には200巻まで刊行されたシリーズの中の一冊。
当巻はその書名が示す通り、各著者の書斎に纏わる随筆が連なるが、読み進めるうちに違和を覚える。 いずれも、書棚や蔵書について何らかの形で触れられている。 ページを捲れど捲れど、語られているのは本のことばかり。 果たして書斎とは、書物と密接に関わる空間として決めつけられ得るものなのか。 そんな疑問がわく。
しかし収録された最後の随筆、谷沢永一の「書物、流れ入りまた流れ出る処」を読むに至り、ようやく合点のいく記述に出会う。

それは広さや設備の如何を問わず、一人だけの挙措にほぼ完全な自由を、保証されている落着きの場と規定し得よう。

書斎を巡るこの明解な定義に基づき今一度各人の随筆を読み返すと、読書や書物を通じ、自身にとっての居心地の良い個の領域を追及している様子が見えてくる。 書斎とは、そういった空間なのだろう。

そしてそのような空間を希求するのは、今となっては一家の主のみならず。 「巣籠り需要」なる言葉が幅広く語られる昨今、家族個々人が同様の空間を求めつつある傾向が見受けられる。
例えばそれは、読売新聞の昨年12月28日の夕刊に載せられた投書からも窺えよう。 投稿は、夫の在宅勤務が増え、一人になれる空間が無くて苦痛という50代の主婦からもの。

夫は60歳。あと5年、在宅勤務が続くことが確定しており、悩んでいます。

と締め括っている。 ソレって今はまだ在宅勤務だから救われているのであって、夫の定年退職後この夫婦はどうなってしまうんダロウ、などと要らぬ心配をしてしまわなくもない。
問題は、日本の住まいの間取りを規定するnLDKという組み立てにあろう。 ここで一般的に、nには家族数から1を引いた数が入る。 家族が4人であれば個室は3部屋。 この1を引く空間操作が、昨今の家族の在宅頻度増加によって上記の問題に至る。

そんなことを鑑みるとき、ミサワホームが1997年6月1日に発売した「DEBUT生涯楽習の家」が思い浮かぶ。 そこでは、屋内各所に「ライブラリースペース」と称する2〜4帖の空間を付随させたプランが提案されている。 下の画像は左がキッチン。 奥に4帖のライブラリースペースを設けている。 そして中央の画像は主寝室、右側が子供部屋。 双方ともに、通常の室の中にアルコーブ状に当該スペースを接続させている。

これらによって、家族個々人にとってのより私的な籠り場が確保される。 案外、今日の住まいに対するニーズに合致する形式なのではないか。
果たして巣籠り需要が今後恒久化、先鋭化するのか否かは予測が難しい。 しかしそんな生活様態に対し、約四半世紀前に提案された当該モデルを再構成するとしたらどうなるか。 例えば、より私有化、独立化を可能とするライブラリースペースの在り方や、そのスペースの散置を前提とした個室及びリビングの在り方等々。 考察してみると、nLDKの枠組みを変容させる新たな間取り形式への進展が期待できるのかもしれない。

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